はてなキーワード: 一言一句とは
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
「すみません、心理学の研究をしている者でして。協力をお願いできませんか?」
↑
少し訛りがあるような気がしたが、あまり気にならない程度。もし外国人なら相当の熟練者だと思う。
しょっちゅう見知らぬ人に話しかけられる私。当然警戒したものの、心理テストくらいならまぁいいかと受ける。
大学在学中に学内でアンケートをお願いされることがよくあったから、それと同じ感じかな?と思っていた。
心理テスト終了後、クリエイティブなお仕事ですか?などと話をされる。だいたい合っている。
これで終わりかな?と思っていたら、
「後日詳しい結果をお話しさせていただきたいのですが、会って話をすることってできますか?」
と言われた。
「え……」と固まる私。
心理テストの結果は聞いた。これ以上何があるっていうんだ?と思うのと同時に、怪しいと直感。
断って逃げるように立ち去った。
帰って調べてみると、このような記事がヒット。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000312200.html
「心理テストに協力してほしいという感じで(声をかけてきた)。〇、△、□、ローマ字のS字を(イラストの中に)どのように入れますか?(と、声をかけられた)」
全く同じ。
皆様もお気をつけくださいね(^^)/
https://youtu.be/M6SWucqqKN4?si=uJySbnWrvB9P1Ort&t=1892
この3分くらい前。
なんにお金がかかるのか?
政務調査費を減らせとか議員報酬を減らせとか言っているけど、公金チューチュースキームでお金をもらうんだから全くいらないんだよね。この手の泥棒女は。
そして、結局答えていない。
実践政治学講座として、選挙プランナーの三浦博史先生をお招きして「選挙とは何か」という題で講義を頂きました。
講義の前半では、今年8月の埼玉県知事選挙の事例など、三浦先生が経験された多くの選挙事例を基に、「どうすれば政策を有権者に伝えることが出来るのか」について学びました。
後半では、塾生一人一人が事前に提出した法定ビラを例に、三浦先生からアドバイスを頂きながら効果的なビラの作り方について理解を深めました。
ビラについては、自らの思いや政策を正確に有権者に伝えるために、使う写真や文言の一言一句まで拘りが必要です。三浦先生には法定ビラの写真や政策、文言など細部に至るまで丁寧なアドバイスを頂きました。
選挙においては、自らの思いを正確に有権者に伝え、共感を得ることが大切であると改めて感じました。今後も、自らの志を研修で磨くと共に、多くの人に対して志を理解していただくために必要なことも考えていきます。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/98750.html
選挙プランナーは情勢の調査・分析を行うほか、どう選挙戦を戦っていくか、その全体の方向性についてアドバイスし、当選への道筋をつけていく。
三浦はその役割について、立候補したいという人が合法的に、なおかつ「地盤(組織力)・看板(知名度)・かばん(資金力)」がなくても選挙で戦うことができるようにすることだと話す。
この三浦だ。
そういうお金を払っているわけか。
しかも留学とかもしているからお金がなかったから免許を獲れないという言い訳はない。
そして長くやる気がない。といいつつ20年(はぁ?)2か月で辞職だろマジで。
一言一句に魂を込めている。
え、まってまって。
この件ではなくね。なんかこーゆー意見すらも誹謗中傷とかって訴えられたらどうしよう…って萎縮してるし
読売新聞の記事みると2022年中には少なくとも「自分は勘違いで提訴した」ってのは、この木村って人はわかってるわけだよね????
「勘違いじゃない!!非道中傷された!!!」って今も言ってるわけじゃないんだよね????
過去に前例はないか知らんけど、この人としては「不確かな事実で相手を訴えた」ってやらかしをした認識は、精神がまともであれば当然もっているハズの認識だよね??
『キチガイじゃん!?』 って感想を仮に抱いたとして、そう書いたとしたら当然誹謗中傷になるので、そういった表現は使えないわけだけど、
その最中に「また、不確かな事実で発言…どころか、出版社を訴えたんだっけ???」 え、これはもう身心が健康であるならば、ただの犯罪行為では???恐喝とかの。って素人考えを持ってしまう人が出てきてもおかしくないかも??
捏造された証拠で訴えた過去があり、その決着もついてないのに、また捏造で訴えたんでしょ???
(って誰かが書いてた。推しの子にはそんなシーンないのに、一言一句同じだったとか認識しているとか?)
え、そんなんこんな事件の最中にまたやらかすとか、脅迫して金銭せしめるのが目的なんだ!! とか思われてもしかたなくない???
「ん?その言葉って遠回しに危害を加えることを示唆してますね?通報しますね、あなたの家に警察が朝遊びに来ますよ」
「はい、その言葉は差別であり誹謗中傷です、通報しておきますので今のうちに塀の中へ行くための身辺的な準備と覚悟をしておいてくださいね」
なんて脅しを受ける(あるいは事後報告される)最近のインターネット
言葉を選びに選んで、誹謗中傷や犯罪予告と相手に言葉尻をとられられないように発言をしないといけない
マジでダルい、人を貶めるのが得意なやつや、そういう戦い方をしてきた人間相手だと、すぐ言葉の中のほんの少しの要素から誹謗中傷や犯罪予告認定を受けて勝ち誇られ、法的措置や運営からの制裁を匂わせた脅しを受けたり、実際に攻撃をされることになる
脅されずとも、特定層が言葉尻をとらえて仲間を呼んで「私達のコミュニティを馬鹿にした!潰せ!」「私達を差別した、こいつは敵だ潰せ!」とネット上のリンチを仕掛けてくることもある
とにかく言葉からトゲや怪しいものを削らなきゃいけない、怒りを表明する時は丁寧に、恨みを吐き捨てる時も具体性を取り除きなるべく穏当にする
そうしているうちに、言いたかった事が言えなくなってしまう、だってこじつけて脅してくるやつは本当にこじつけてくるから
だからTwitterとかMastodonとか増田とかで、うんこやちんこと小学生みたいな発言しかできなくなるわけだわ、下手にこじつけられて粘着受けるのは嫌だし
付随する覚書だけど、おおむね契約書な扱いなんだわ。
押印前の文章確認してくださいね、って送ってきておいて、こっちが表記ゆれ複数箇所とかモロモロ指摘して、
でも合理的に解釈すればこうだから、こういう理解で押印するよ、だから修正しないでいいよ!
ってクソ丁寧に通知して証跡も残したっていうのに。
指摘箇所の全部じゃないんだ。「バカなクソヤローです」っていう名詞を「クソヤローです」に修正しましたレベルの、まあアレの事指してるんでしょ?わかるよ、普通の人間なら、だから修正しなくていいよみたいな、本当にクソどうでもいい部分だけ修正しやがって。
未修正で残ったのが「弊社」だよ。
甲乙のどっちかか、社名を名指しすべきところを「弊社」だよ、ガチで。バカじゃねーの、これ直さないとか本当にバカじゃねーの。
羞恥心とか死んでないとオマエラの業界はやっていけない感じなの?
あとね、なんで修正せずに別途書面で指摘だけして済まそうとしたかって、一度は有識者的なアレに書面を精査してもらった上での返答だからだよ。
一言一句同じじゃなければ、いくら修正箇所が連絡されてても、また全文を精査してもらわんとダメだからだよ!
普通そうだろうが、本当にバカすぎてどうしょーもねーわ、クソが。
余計な手間かけさすんじゃねーわ。
どうせ一番恥ずかしい文が残ってんだから、全部そのままにしとけよ、本当に。
[追記2]
私の態度が受け身と言われてて初めはよく分からなかったんだけど「一対一での雑談」を積極的にしたいと思ってたこと自体が受け身と思われるんだね。
私の振る舞いは男性側が活動で気をつけてることとは相性が悪いんだろうな。
でもやっぱり、やり手の営業みたいなコミュニケーションってなんだか苦手で、最近コスメカウンターでも男性の店員さんたまに見るけど「今日は何しに新宿に来たんですか?」みたいに商品に全く関係ないことも聞いてくれるような人が好きなんだ。
現在そうじゃなくても将来的にそんな関係になれそうな人が好みで、関係の初期に「興味のない話は深掘りしないのが当たり前」って思ってそうな人と発展して雑談できるようになる未来があまり想像できなくて難しいなと思ってる。
[追記]
夜中に書き殴って翌日は友達と遊んで帰りの電車でランキング見たら自分の書いた増田が出てきてびっくりしてる。
奨学金繰上げについては確かに返済しないという道もあったけど、親が極端な無借金運営論者だから何度も「溜まってるなら返さないの?」って言われるし返しちゃった。これを伝えたら頭が悪いと思われることもあるんだなあと勉強になりました。実際悪いのかもしれない。
誠実だからこそ条件の確認なんじゃないの?って意見が多かったけど、基本的には条件の確認はメッセージで済ませてるつもりだったんだ。
元の投稿は誰か1人のことを言ってるわけじゃなくて3人くらいとマッチした感想の合成だからもちろん一言一句このまま聞かれたわけじゃないんだけど、その話題一回メッセージでやったよね?って話題の周辺をもう一度聞かれたり
例:「お仕事は人事とのことですが、リモートワークですか?」「いいえ最近出社になって。通勤時間は大変ですが、同僚とランチの時間話せてリフレッシュしたりポジティブに受け止めてるところもあります。そちらはどうですか?」
メッセージで聞かれてないことも聞かれるけど、わざわざ会ってまでテンプレのような話をされて「まだそういう話するの?」って思ってしまったんだよね。
私の心の動きとしては
「なんで同じような話をするんだろう?似たような話メッセージでしてきたのに」
「自分は確認するだけして個人を出してくれないのはなんで?条件だけで好きになると思ってるの?」
って段階で変化してて、これは飛躍かもしれないけど許して欲しい。
ちょっと考えが整理されたけど、自分は「距離を縮めてみたら思ったより素敵な人だった」とか「いい条件だけど自分とは合わないかな」ってあると思うから個性を見たいのに、個性を出してくれる人が少ないし個性を求められないことに鬱憤が溜まってるんだと思う。個性って言ってもすごい経歴を求めてるとかじゃなくて「コロナの外出自粛のときに鶏ハム作るのにハマった」(これは行きつけの美容師の話)とか、そういう話を聞きたいんだけどなあ。
それも高望みなら、泣いても現実は変わらないからゆっくり受け入れて順応していくしかないと思ってる。
[追記ここまで]
マッチングアプリで真面目そうで真剣に交際できる人探してますって人とマッチしたのに、実際に会っても私に興味は持ってもらえなくて「お仕事は何してるんですか?」「ご実家はどちらですか?」とか事務的な確認されて、私個人について深掘りされたり話を広げてくれなくてすごく悲しくなった。
こちらは相手に興味を持てるように色々聞いてるのに相手からは私のスペックを確認されて「そうなんですね〜」とか言われて、別れて「また会いましょう」って何?私程度の女なら好きになると思われてるのかな?
そりゃもう27歳だし顔も可愛くないしおっぱいも大きくないけど、定職に就いてるし奨学金返済終わったし貯金も頑張って50万円くらい貯まったしそれなりに人生経験もしたつもりなのに。
女子大生に聞くようなこと聞くなら27歳とマッチしないで欲しい。27歳は20歳の下位互換じゃなくて別の生き物だよ?真剣に交際したいって人でも、相手はヤバくない他人なら誰でもいいんだね。