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はてなキーワード: 晩御飯とは

2020-08-12

anond:20200812034326

まあスイカかぶどうでもたべて風呂入ってゆっくりしてなよ。晩御飯朝ごはんにおいしいものつくったげるからね。

2020-08-10

寝落ちしてたら晩御飯食べ損ねた

から食べるのはよした方がいい?

2020-08-09

俺の人生で最高の時間11年前だ

高校生夏休みに遠出してニコ生踊ってみたイベントに参加

高速バス帰宅してすぐにパソコン立ち上げるとうpされてた

それを見てたら「緑の服の人(俺)かっこいい」ってコメントに興奮

始めたばかりのツイッターアカウント動画のこと書いたらフォロワーが増えて

しかしたら彼女できるかもwなんて思って

その日は興奮して一日中寝れなかった

お母さんから晩御飯食べないの」って聞かれたけど無視

ずっとニコ生ランキング見たり配信観たりゲームして過ごして

夜中2時お腹が空いてこっそり台所

晩御飯は残ってなかったので、インスタントラーメン作って

そのまま朝までネットして気がつくと朝になってた

朝5時くらいかな、夏だからもう明るくて

だけど人はいない、静かで特別空気の中をふらっと歩いた

ipod聞きながら散歩してたらアジカンが流れてきてさ

大学入ったらバンドやりたいなーなんて思って

近くの自販機カフェオレ買って飲みながら家に帰った。

あの日人生で最高の時間だった。

 

大学バンドは組めなくて

大学卒業するちょっと前に母親祖母が立て続けに急死

大手企業勤務で働き者だった父は定年後うつ病みたいになった

就職はうまくいかなくて今の仕事は激務の飲食サービス業

彼女は5年前に出来たけどエッチする前に別れた

今はレオパレスの1階に住んでる

2020-07-22

最近2日に一回ぐらいの割合プールに通っている。とても楽しい。泳ぎは全然下手なんだけどそれでもとても楽しい

行く前に YouTube水泳動画をいくつか見て、やってみたい練習方法を見つけたらそれをやる。それだけ。それだけなのにとても楽しい

自分のペースでやれるって言うのがとても良い。周りで泳いでいる人も、ものすごく上手い人ばっかりっていうわけじゃないから気にせずに泳げる。まあコロナの影響で空いてるしね。

小学生ぐらいの時にスイミングスクールに親に入れてもらったことがあるんだけど、お試しの1ヶ月期間の中で、早々に挫折した。正確には週に1回のスクールだったんだけど、2回目からもう行かなくなった。そのことを泳いでいる最中に思い出してしまうと、とてもつらい気分になって、呼吸が乱れるアラフォーのこの歳になってもまだ、小学校の時の思い出に引きずられているのかと思うと、情けないなぁと思うと同時に、時間が経つのは早いなと感慨にふけるなどしながら泳ぐのも楽しい

泳ぐ前に飲み物を買って、プールサイドにおいておいて、途中で休憩しながら飲むんだけど、目の前のプールの中にこんなに大量に水があるのにわざわざペットボトルで水を飲むという行為冗長さ?も楽しい

水を飲みながら、プールで泳いでいるおじいちゃんおばあちゃんも見ると、こんな年齢になってもこんなに泳げるものなのかと感動して、楽しい

俺は全然泳げなくて、プールの途中で足をつきそうになったりするレベルなんだけど、俺も定年退職する頃にはこのくらい泳げるようになるのかなあと思うと、また楽しい

YouTube説明してたのはこれか!とわかる瞬間がたまにあってその時はとても楽しい

泳ぎ終わったらシャワーを浴びるんだけど、さっきまで水の中にいたのに上がってからまたシャワーを浴びるという冗長さ?も楽しい

更衣室で着替えながら、泳ぐ前に見た YouTube動画を見返して、よしよし思ったように練習できたなあ、と満足感に浸る時間が最高に楽しい

帰り道、両腕と腹筋と配筋と太ももあたりに疲れを感じながら歩くのも楽しい

そういえば今日は何メートル泳いだんだっけ?最初は数えてたけどだんだんわかんなくなっちまったなぁ。まあたくさん泳いだし楽しかったらまあいいか。今度からちゃんと数えてみよう。あれ?こないだもそんなこと思ってなかったか?とか思いながら、自宅で晩御飯を食べるのも楽しい

プール楽しい

2020-07-21

私が死にたかった時、私は幸せだった

直接メッセージを送る手段が無いからここに書く。

みんな色んなことを言う。あんなに売れてるのに、あんなに人気なのに、あんなにイケメンなのに、あんなに笑顔だったのに。

価値観を鏡のように映している。

売れているのに、という人は、社会的地位が安定して高収入なら人生安泰…と思っているのだろう。

イケメンなのに、は容姿が優れていれば、自己評価も高く異性にもモテ幸せ人生のはず…と思っていて、

先輩や仲間がたくさんいたのに、は信頼できる人に囲まれていれば辛いことがあっても乗り越えられると思っている。多分。

私が死にたかった時、私は幸せだった。

仕事難易度はそれなりで、残業は少し、ちょっとならサボれたし、怖い上司もいない。

給料は同世代の平均よりちょっと下ぐらい。

通勤は片道20分くらいで満員電車に乗らずに済んでいた。

大好きな趣味もいくつかあって、友達と遊ぶ予定もあって、職場でもらったお菓子は美味しいし、今日晩御飯なにしよっかなーと思いながら仕事終わった1830ぐらいにスーパーうろうろして、

死にたかった。

正確には死につきまとわれていた。

数年前の話。

不安気持ちがずっとあった。

でも原因となる出来事は何もなかった。(正確には「あった」のだが、これは後述)

将来の心配は多少あったけど、仕事があって友達がいて健康からそこまで気にしてなかった。

職場の人は、ちょっと感じ悪い人もいるけど別に怒られたりいじめられたりしてない。みんな落ち着いてて、コミュニケーションちゃんと取っている。

趣味の予定もたくさんあった。(オタクなので、イベントライブなど…)

不安気持ちが生まれる原因がまったく分からなかった。

生理前にイライラすることが多かったのでたぶんPMSだろうと思って、サプリを飲んだり漢方を試したりした。

でも不安気持ちはどんどん大きくなっていった。

不安気持ちをモノに例えると…、もやもやした雲のような形で、わたしのまわりを漂っていた。

雲が小さくて、自分が元気なときは手で振り払える。

(振り払う方法 好きな音楽を聴いて気分転換、美味しいものを食べる、友達とおしゃべりなど)

たまに濃くなったり重たくなったりするとなかなか動かせない。

(なんとかする方法 ひらすら寝る、長風呂号泣、怒る、どか食い)

最初は小さくて薄い雲で、大きくなったり小さくなったり、でもうまくコントロールできてると思ってたのに、

だんだん大きくて重い雲の状態が長くなってきて、目の前をふさいだり肩にまとわりついたり、寝てるときに胸の上から押しつぶすように乗っかったりするようになった。

不安の雲に邪魔されることが多くなってきて日常生活に支障が出てきた。

ごはん食べてるときに急に目の前にやってきて、突然不安になる。食事してるだけなのに。

仕事で打ち合わせしてるときにやってきて、なんともないルーチンワークでも不安から焦りが生まれ失敗する。

自転車こいでとき、お風呂入ってるとき

突然、ふっとしみ出すように、原因不明不安が襲ってくる。

心配事なんて何もないのに、ただ心だけが不安になる。

そんなのが2年くらい続いてた。

だんだん疲れてきた。

ある日(確か金曜だった)仕事から帰ってきて、ごはん食べてお風呂済ませて、明日休みから…ってツイッターしながらダラダラしてたら、また大きくて重い不安の雲がやってきて、体を包み込んだ。

耐えかねて、もういい加減にしろよ!なんなんだよお前は!!と叫んだ…と思う。

原因なんてなにもないのに、なんでこんな目に合わなきゃならない。

怒って、不安の雲をバリバリに引きちぎった。

(引きちぎるのは例えで、不安の正体を考えて、こんがらがった自分感情をひもといて、自分感情認知しようとした。)

雲のまわりのワタを取ったら中に黒いものが入ってた。

これなんだろうと思って覗いてみたら、「死にたい」って書いてあった。

びっくりした。

え、わたし死にたい」のか。いやだ。死にたくないよ。

こわい。死にたくないのに「死にたい」って思ってるの?こわい。

なんで。こっち来ないで。わたしやることいっぱいあるし、やりたいこともいっぱいある。明日休みなのに。なんで。

死にたくない。自分自分じゃなくなる感じがした。

狂いそうだった。

確かツイッターで「早く人間になりたい」ってつぶやいて、すぐに消した。

不安の雲は私の「死にたい」を隠していたらしく、私はそれを自分で引きちぎって取ってしまった。

次の日から不安の正体=「死にたい」がそのまま私のまわりをうろつくようになった。

ごはん食べてるとき

仕事電話とってるとき

買い物してるとき

困ったのは線路の前で出てきたとき

あ、これか、この瞬間か。と思った。

この瞬間に引っ張られちゃうんだ、そうか、みんな大変だ…

できるだけひっそり生きようと思ったけど、日常生活のなかで「死にたい」が叶う瞬間はいっぱいあって、避けて生きるのも限界だと思った。

このままだと私は「死にたい」に殺される。

死にたい」は呪い人形みたいだった。

ゴミ箱に捨てても、山に埋めても、海に流しても

家に帰ると机の上にある呪い人形みたいに、

友達ご飯行っても、ライブで感動しても、美味しいもの食べても。これでもう大丈夫!と思ってもしばらくしたら目の前に居る。

こわくてこわくて、半泣きで生活してた。

殺されないために何とかしないといけない。

自分の「死にたい」には一定の周期があって、生理周期と連動している部分があった。

月経がはじまると肉体の猛烈なだるさと痛みが勝り、死にたい一時的に消える。

(でも肉体の辛さが精神の辛さを上回ってかき消されているだけなので快適ではない…)

この状態から、PMSの悪化版PMDDではないか?と目星をつけた。

うつ病にしては食欲がありすぎるし周期があるし、なにより月経中のだるさと痛みがすごいから、月経不調に詳しい婦人科に行くことにした。

病院選びは今後の人生を決める、慎重に選んだが合わない病院なら即やめて次に行くと考えた。

政令指定都市に住んでいるので選択肢が多いことが幸運だった。

初診なので電話予約し現状を説明するのだが、絶不調メンタルのしどろもどろの説明でも診察項目に月経不調を掲げているだけあって理解してもらえた。

人気病院から予約が詰まっていた。直近だと空きがないかも…という状態だったが、

受付の方が「でも辛いでしょう、はやく診てもらいたいよね?時間が調整できないか調べますね」と言ってくれた。

最終的に、ちょっと中途半端時間だけど…と言って予約を入れてもらえた。

別に時間帯はどうでもよかった。

「いま辛いよね」と言ってもらえたのが衝撃的で、電話が終わってから泣いた。会社の休憩室で。(誰もいなくて良かった)この悩みは誰にも話していなかった。

病院では、PMSPMDD子宮内膜症について色々説明をうけた。(ただ全部ネットで調べまくった情報と同じで復習の感じだった)

提示された治療方法は3つ。

低用量ピルSSRI漢方

どうしても漢方がいいなら出せるけど、僕はあんまり漢方詳しくないから他院を紹介するね。詳しい先生のほうがいいからね。SSRI抗うつの薬だけど親御さんが服薬を嫌がることが多いねあなたお一人で暮らしてるの?それならまあいいね。でもあなた月経痛も酷いと言うことだから、まずはピルを飲んで頂くのがいいと思います

ピルも色々種類があるんだけど、うちで取り扱うのはこれ、この表にあるやつ。このなかで一番軽いやつをまず一ヶ月試して、一ヶ月後にまた来て頂くということで。でもこの薬は副作用とか、合わない人もいらっしゃるから。あとでしっかり説明しまから

あとこの薬はね、これを飲んですぐ健康になるとか、元気なるとか、そういうものじゃないからね。

結果はすぐ出るものじゃないし、様子見て、合わなかったら他のお薬に変えます

時間がかかるからね、急がないでゆっくりやりましょうね…

月経困難症の治療薬として低用量ピルを処方され飲むことになった。

先生説明は今思うと当然だけど、当時はすぐ元気になりたかたから、ちょっと残念だった。

ドラゴンボール仙豆みたいな薬が欲しかったなあ、ひとくち食べたら疲れも痛みも不安も全部ふっとんで元気になって…

でもそれって現実世界だと覚せい剤とかだよな…と思った。

真面目なクリエイターがおくすりやっちゃうのってこういう状況なんだろうか、ちょっとかわいそうだと思った。

薬は次の月経がはじまったら飲む、というスケジュールだった。

その日がちょうど生理が終わったくらいの日で、薬が飲める日までだいたい2~3週間ぐらい。

まだ飲めないのか、早く飲みたい、もう10錠ぐらい一気に飲みたい、でもこれは一日1錠、早く飲みたい…

いや、これを飲めばなんとかなるかもしれない薬をわたしは持っているんだ、前のわたしとか違うんだ…そう思い込んでなんとか乗り切った。

飲み始めて一か月はほとんど変わらなかった。

二か月~三か月くらいでちょっと安定してきた。

半年ぐらいでだいぶ良くなって、一年くらいたつと不安が生まれることがほぼなくなった。

普通に生きられるようになった。突然涙が出ることもなくなって、ライブ中に感受性が突然「無」になることもなくなって、「死にたい」もなくなって、目の前にあることを普通にとらえることができるようになった。

薬が合ったので治療成功した。今も飲み続けている。

死にたいのは本人の意思じゃないと思う。

たぶん。

自死を選ぶ直前の人を保護して病院に連れて行ったら、います治療を開始しましょう!

ってなると思う。だいたいは。

それで治療してお薬飲んで病気が良くなったら、100%元通りまでいかなくても自死は選ばないと思う。

から自死を選んでしまうのは病気のせい。

病気じゃなかったらそんなことは選ばない、だから本人の考えや意思じゃない。

病気が原因、だから自死じゃなくて病死が正しい表現だと思う。

わたしが死にたかった時わたし幸せで、

ひとりぼっちじゃなかったし、いじめられてなかったし、楽しいこといっぱいあったし、仕事は安定してたし、ちゃんとした収入もあった。

誰も悪くなかった。幸せだった。ただ、病気だった。

からあなたのせいじゃないと思います

それを伝えたくて書きました。

あなたのせいじゃないです。

ドライブ行きたい

今年30になる既婚です。

コロナになる前は、群馬榛名山筑波山、不二洞、君津市亀山湖栃木県小山武蔵嵐山…と日帰りですがいろんな所にドライブに出かけてました。

コロナ感染者が続々と増えている中、出かけても近所のスーパー職場、たまに近くの道の駅しか行かなくなり、ガソリンが減らない。

4~6月はあつ森で発散してましたが、それも少し頻度が減りつつあり、6月からリングフィットを始めて未だに続けてはいものの、今まで休みの日になればドライブばかりしていたので辛い。

主人とは仲はいいですが、休みが重なっても家で一緒にゴロゴロしてばかりなので、家で気軽にできるスポーツみたいなのあればいいのですが…

遠出して名産品食べてアイス食べてゆっくりして晩御飯楽しんでゆっくりしてから帰るドライブができる日また来るのかな?

2020-07-19

anond:20200719115545

今日晩御飯のメインデュッシュはお漬物ですって言われてお前は納得できんのかよ

2020-07-16

ちょっとした良いことあった楽しいことあった人教えて

最近マイナスものお気持ち()が多くて気持ちいからみんなのちょっとした幸せとか教えて

100円拾ったとか燕が巣を作って雛がかえってかわいいとか小さい幸せ教えて

自分は昨日の夜買い物いったらひつまぶしが半額で買えて幸せだった、しかも美味かったしで2倍の幸せゲットした!良いだろ!

追記

中学生の声~

朝弱いのに他人を思えるなんてええ奴やな!

こんなのにもコメントしてくれるしあんた優しいな!

お菓子が~

お菓子作れるなんてすごいな!しかもうまくなんてプロやん!誇ってもええんやで!

幸せのお裾分けありがとな!

追記2】

たくさんコメントありがとうな!

今日時間あるから返事してるけどぬけてたらすまんな

まさかこんなにもコメントもらえると思ってなかったから驚いたわ!

ノリよく書いてくれた増田ありがとうな!

ここじゃないとこに幸せコメント書いてくれてる人達ありがとう、そこまで返信はできなくてごめんなさい

でもできたら今日だけでいいか幸せなことあったならいろんな人も書いてほしい!

なんで?ってみんなの幸せをみて自分ももっと幸せになりたいからやで!

冷凍庫アイスと~

暑い時に食うアイスうまいよな!最近冷凍食品のクヲリティってすげぇしそれが半額とか最高だよな!

食べ過ぎだけは気を付けるんやで!

タルタルソース

えぇな!自分今日晩御飯それにするわ!

教えてくれてありがとうな!おかげで自分晩御飯も決まってお互い幸せ

複数ヨーグルト

食べ放題ってことはヨーグルト菌の種を育ててるんやな3日坊主自分にはできないか尊敬するで!

体の健康にもいいらしいし幸せ2倍やな!でも食べ過ぎてお腹グルグルにならんように気を付けるんやで

・自宅焼肉

・・・それは脳が幸せいっぱいにしてくれる食べ物・・・

洗い物のことまで考えられてるとかすごいな!

焼肉最高!

・食いしん坊

食いもんって幸せになれる一つのことやからな!

もし自分もなんか幸せなことあったら教えてな!今日食べたおいしかったご飯でもええんやで!

メタル耳かき紛失~

おぉ!紛失物発見おめでとう!

掃除気持ちいいよな!

でもそんなに気持ちがいいなら自分も買ってみようと思うで!

教えてくれてありがとうな!

カッコウ

自分の家の周りで鳥の声はあまり聞かないからそういう貴重な体験ってええな!

カッコウ画像検索しちゃったぜ!かわいいな!

みて自分まで幸せになったぜ!

目玉焼き

半熟ええな!トロリとした黄身が口の中でも味わえる最高&幸せ

自分半熟つくれない未熟者故つくれたなんてすごい!

きっと卵も半熟に作ってくれたこと他の卵に自慢したがってるかもしれんな!

節電

節約できたなんてすごい!!工夫ができるなんてかっこいいで!

余裕ができたお金貯金もええな、でも自分のご褒美として何か買うのもええな!幸せ連鎖

でもこれからもっと暑くなるから熱中症は気を付けてな、自分約束やで

家庭菜園

ミニトマト育てたことあるけどな?自分緑の指もってないせいなのか育ってくれないんや

きっとこのコメント書いてくれた人は緑の指を持っててミニトマトコメントしてる君に応えようと育っているはずや

でもまたやってみたくなったから苗買いに行ってまた育ててみようと思う!やる気にさせてくれてありがとうな!

殺伐とした~

そんな君もまたその一人であることに変わりないんやで

そう思ってくれる心の広い君に出会たことに自分も嬉しいでありがとうな!

追記3】

長すぎるのもあれだしコメントもへったからこれで最後

・今やってるゲーム面白い

ゲームって熱中しちゃうくらい楽しい面白いよな!

キャラに指示だしてあれこれやるゲームでいいのかな?

きっと周りを見るのが上手なんだな!寝不足だけは気を付けてな!

・うんちがもりもり

快調快便!

健康証拠そいつはとってもいいことやな!!

オレンジジュースが~

最近果肉入りオレンジジュースってへってきたよな

つぶつぶ入りってなんかうれしいよなわかるで!

もしよかったらどんな商品だったか教えてくれたら自分も買えてもっとうれしいぞ!

・やっと裏列界~

うーんと?よんでいるとパズルということはスマホアプリの方でいいのだろうか?ごめんな詳しく理解できてなくて

でも君が安定してクリアできるようになったということがうれしくてたまらないというのはコメントを読んでいてわかるで!

そこまで行けた時の達成感ってたまらなくうれしいよな!

・なくした時計

お猫様さすが!!!

今日のお猫様のごはんは豪華にして見つかった時計のうれしさとお猫様が喜んで食べてる姿を眺めるので忙しくなりそうやな!

・あかちゃんかわいい

かわいいな!

自分独身だし結婚できるような人間じゃないけどそのあかちゃん幸せに生きられることを願ってるんやで!

長くなって読みにくいであろうなこれ

いいこと楽しいことあったって報告ありがとうな!

これを書いた増田良い奴って言うコメントもあったけどそれを言える君らもいい人に変わりない!自信もっていこうな!

仕事お疲れ様、これから仕事の人はほどほどに!

書いてくれた人読んでくれた人に幸あれ!

2020-07-04

モデルハウス奇譚

最近はずいぶん蒸し暑いですね。

私は梅雨のない地域で生まれ育ったので、この季節特有空気感に慣れるのにはまだまだ時間がかかりそうです。夏の間はいつも冷たい素麺饂飩ばかり食べているのでどんどん痩せていきます。軽くなった体で往来を歩いていると、蜃気楼の中に自分が溶け込んでいくようです。

目的地まではまだ距離があります。あまり暑いので、途中で見つけたスーパーで冷たいお茶を買いました。あとは、お土産西瓜も一玉買いました。

お茶を飲んだせいか、片手にぶら下げた西瓜が重いせいか、一歩足を進めるごとに全身から汗が噴き出てきます。もう夕暮れ時だというのに、気温はまだ高いままのようでした。

ふいに私の後ろからなまぬるい風が吹いて、石けんと汗が混じった自分匂いしました。私は夕焼けを背にして歩いていたので、目の前には自分の影が長く伸びていました。私はもうこれ以上歩けない気持ちになって、シャッターが閉まった八百屋さんの前にあるベンチに座り込みました。

しばらくじっとしていると、もう何年も前のことになりますが、初めて一人暮らしをした年の夏の出来事が頭の中に蘇ってきました。

****

私が初めて一人暮らしをしたのはとても大きな街でした。

人々の歩く速度や、次の電車が来るまでのスピードは信じられないほど早く、私はよくそれらに圧倒されて駅のホームにあるベンチにただ座り込み地下鉄を何本もやり過ごしたものです。そういうとき、街全体がそこで暮らしている人々をも取り込んだ一つの巨大なシステムであるかのように感じられました。そうかと思えば、人気のない道端は吐しゃ物やごみで汚れていたり、ぼろぼろの格好をした人々が呻きながら寝転がっていたりしていたし、私が駅のホームぼんやりしていても変に思われませんでした。同じようにぼんやりしている人をあちこちで見かけました。そういった意味では暮らしやすい街だったなと思います

この街に来たばかりの頃はとにかくお金がなかったので、いつも働き口を探していました。私は学がなく、またひどい吃音緘黙症をもっていたために仕事探しは難航するかと思われましたが、幸運なことにこの大きな街においては仕事にあぶれることはありませんでした。

私はその年の夏、街の端の方に位置する治安の悪いXという地域にある建設会社で働いていました。

上司の指示を受けて色々な住宅展示場に出かけていって、モデルハウスの前のパラソルの下でお客さんが来るのを待ちます。お客さんが来たらパンフレットを渡して、モデルハウスについての簡単説明質問応対をスケッチブックパソコンを使って行います。お客さんが来ても来なくてもお給料は変わりません。そんな仕事でした。当時はほとんど話すことができなかったので、なぜ採用されたのかはよくわからないのですが。

お客さんはあまり来なかったので、週末に図書館で上限まで本を借りて、それらを読んで時間をつぶしました。仕事が終わる時間は十八時頃まででしたが、土地勘がないのと、ときどきバスしか行けないような場所の展示場に行くことがあったために(それまでバスに乗ったことがなかったので)帰り道を間違えてしまい、ようやく家に辿りつく頃にはもうとっぷりと日が暮れているというのが常でした。

お客さんが来ない日は、モデルハウスの中に立ち入ることは禁じられていました。一日に二回、私が勝手なことをしていないか上司が見張りにきました。とはいえそれはいつも同じ時刻だったので、その時間だけ本をかばんに隠してパラソルの下で神妙にしていればよく、それ以外の時間のんびりと過ごしていました。

夏至を過ぎると一気に気温が高くなって、私はそれまで体験したことのない暑さに驚きました。外の気温が体温を超えたときなどは、時間を見計らってこっそりとモデルハウス玄関で涼んだものです。窓と玄関のドアを細く開けると気持ちのよい風が通りました。髪をほどくと、風に吹かれて私の汗と石けんが混じった匂いしました。

その日の最高気温は三十八度で、朝から晩までかんかん照りという有様でした。

お客さんは一組も来なかったのですが、あまりに暑くて読書に集中することができませんでした。仕事時間が終わって戸締りをしようとしたとき、雲のない空からまっすぐに差す夕日が、太陽を背にして玄関に立つ私の影を家の中まで長く伸ばしました。

それを見た瞬間、真新しい家の二階の窓から夕焼けを見てみたいという強い気持ちが私を襲いました。それまで、お客さんが来ないときに家の二階まで入り込んだことはなかったのに。

ここで働くようになって初めて、新築の家の匂いを知りました。それは、少し化学的な匂いと、新品の布や畳の匂いとが混ざった匂いです。

階段を静かに上りながら、この家に自分が住んでいる空想しました。ベランダが付いている部屋を見つけて、ここを私の部屋にしようと思いました。その部屋の窓は南西に向いていて、西日が差し込んでいました。この場所には学習机を置いて、ベッドの向きはどうしようか?壁の一面には大きな本棚を置きたいけど、背表紙日焼けをしないように扉が付いたものでなくてはいけないかもしれない。友達が遊びに来たときのために小さいテーブル必要かもしれないな。そんなことをつらつら考えているとなんだか少し悲しくなってきて、その気持ちを振り切るように窓を開けてベランダに出ました。

辺りはすっかりオレンジ色に染まっていて、建物木々や道を歩く人々の輪郭曖昧にしていました。

それらを見つめながらかすかな風の中に佇んでいると、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、これからまた何だってできるような気がしてきました。何しろ私はこんなに大きな遠くの街にいるのだから

部屋を後にしようとしたときクローゼットの扉が少しだけ開いているのがふと気にかかりました。窓を開けたせいで風にあおられて開いてしまたかもしれません。二階に上がったことを上司に知られてはいけないので、扉を閉めるために私はそこに近づきました。

扉の隙間からは妙な匂いしました。新築の家には似つかわしくない匂いです。手垢で小口が汚れた古い辞典をめくったときや、寂れた地下鉄の駅のホーム列車が来たときにこんな匂いかいだような気がしました。大工さんが中に何か忘れていったのかもしれないなと思って、私はクローゼットの扉を両手で開きました。

****

初めに「それ」を見たとき、私は大きな置物や等身大人形の類かと思いました。しかし「それ」は紛れもなく本物であるようでした。

「それ」を目にするのは初めてではありませんでしたが、こんなに乾いていてさびしげな「それ」を見たことはありませんでした。ほとんどミイラのようになっていたので、いわゆる腐乱臭のようなものは感じられませんでした。ひどく痩せていて、夕日が肉の落ちた腕やあばら骨の浮いた胸に濃く影をつくっていました。眼窩は落ちくぼんで暗くなっていましたが、色々な方向からのぞき込むと、小さな白い虫が奥の方でひっそりと蠢いているのが見えました。

夕暮れどきの時が止まったような不思議雰囲気のためか、私の心は奇妙なほど落ち着いていました。あるいは、日中の暑さで頭がうまく働かなかったのかもしれません。

ここでの私の仕事は、パラソルの下でお客さんを待ち、お客さんが来たら簡単説明質問応対を行い、時間が来たら戸締りをすることです。もし家の中に「それ」があったときには上司に報告したり警察通報したりするように、などという指示は受けていません。私はクローゼットの扉を静かにぴったりと閉めました。

部屋を出て階段の方に向かったとき、奥の部屋から何かの気配と殺気のようなものをふと感じました。私は子供の頃に大きな野良犬対峙したときのことを思い出しました。その犬からはまっすぐな殺意が感じられましたが、奥の部屋から漂う殺意には迷いがあるようでした。そこにいる何かが心を決める前に、私は階段下り玄関のドアを開けて戸締りをして、人通りの多い道を選んで駅まで歩きました。

****

ふと気が付くともう太陽が沈むところでした。私の目の前には誰かが立っていましたが、暗くて顔がよく見えませんでした。大丈夫ですかと尋ねられて初めて、私はその人が恋人であるとわかりました。

約束した時間を過ぎても私が家に来ないので迎えに来てくれたようでした。夏でもいつも平気そうにしているはずの恋人の額には汗が浮かんで、髪が少し乱れていました。

ぎゅっと心臓をつかまれたような気持ちになって、迷惑をかけてしまたことを謝りました。彼は私の頭のところにそっと手をやって、あまりにそこが熱くなっていたらしくびっくりしていました。こんなに暑いなのだから自分がそちらの家を訪ねればよかった、すみません恋人は言いました。そうやってベンチにすわってお互いに何度も謝り合っているうちに少し涼しくなってきたので、家に向かうことにしました。

手を繋ぐと、恋人の腕の内側の皮膚が私の腕に触れました。少し汗ばんだあたたかいその皮膚は、その下に肉や血の通った血管があることを教えてくれて、私はそれで少し安心することができたのでした。

今日晩御飯は一緒にピリ辛茄子素麺を作る約束をしています西瓜はすっかりぬるくなってしまったけど、水とたくさんの氷を浮かべたお風呂に沈めておけば、夕食の支度をして食べ終わった頃にはちょうど冷えているかもしれない。そんなことを話しながら、蒸し暑い夏の夜道を二人で歩きました。

2020-07-03

坂の上の家のはなし

今住んでいるところには海も丘もあります

私が子供の頃住んでいた場所には、そのどちらもありませんでした。

悲しいときに砂浜にしゃがみこんでじっとしていると、いつの間にか凪いだ気持ちになります。むしゃくしゃしているときに丘に登って街を見下ろすと、胸がすく思いがします。今はそうやって心を落ち着かせることができるのですが、昔このような環境享受できていればどんなに良かったかと思わずはいられません。

私の故郷の町は平べったくて、田んぼがどこまでもどこまでも続いていて、海ははるか遠く、電車に乗って数時間かるところにありました。案内板を見ても、図書館で詳しい地図を調べてみても、この町には目立った起伏はないようでした。

犬を飼いたかったのですがそれは叶わなかったので、隣の家の犬とこっそり仲良くしていたら、その家のおじさんのご厚意で自由散歩させてもらえることになり、起伏を探すための現地調査によく連れ立って出かけたものでした。しかし、長い時間をかけて町を隅から隅まで歩いて調べても、やはり小高場所存在しないようでした。

今ではそんなことをしなくても、グーグルマップを使えば半日もかからず調べ終わってしまます。そのくらい小さな町です。今調べても、ほとんど起伏は認められません。

なぜ、地図にないとわかっているのにわざわざ歩いて探していたのか疑問に思う人もいるかもしれません。私が執念深く町を歩き回って高い場所を探すようになったのは、ある出来事きっかけになっています。もちろん、高いところから自分が住んでいる町を見下ろしてみたいという願望は物心ついた頃からずっと持っていたのですが。

****

犬のことや、高い場所を探し回ったことはよくおぼえているのですが、その他のことはほとんどぼんやりしていて断片的にしか思い出せないのです。

から、具体的にその女の子がいつ転校してきて、どのくらいこの町に住んでいたのかはよくわかりません。ただ、クラスメイトランドセルを背負っていたような気がするので、おそらく小学生の頃だったのだと思います

その女の子をAと呼ぶことにします。Aのお父さんはトウモロコシ研究をしていて、私の町にはトウモロコシ国立研究所の一拠点があったらしく、それで一家引っ越してきたようでした。

私は幼い頃誰かと遊んだり、仲良くさせてもらったことはなかったように思います

から、どういう展開でAの家に遊びにいくことになったのかよくわかりません。Aは新参者でこの町のことをよく知らなかったので、ある意味暗黙の了解のようなもの認識しておらず、それで私のことも誘ってくれたのかもしれません。あるいは、Aが他のクラスメイトを誘い次いで私にも声をかけてくれたとき、その場には新卒若い担任先生居合わせていて、クラスメイトの多くはその先生に好かれたがっていたので、何となくそのままの流れでAの家に向かうことになったのかもしれません。

先ほども書いたように、子供の頃の記憶はじつに曖昧なのですが、その日のことは犬との思い出と同じくらい今でもくっきりと残っています

Aの家は学校からかなり離れたところにあるようで、自転車に乗って登校することを許可されていました。私の住む家がある地域を越えて、線路を越えて、さらにどんどん歩いていって、… そうしているうちに少しずつ夕暮れの気配が近づいてきました。

クラスメイト達は最初の方こそお喋りに花を咲かせていましたが、歩き疲れたいか徐々に口数が少なくなってきました。ずっと喋っているのはAだけで、家に友達を呼ぶのが初めてではしゃいでいるようでした。私はAの隣を歩いていたので黙っている訳にもいかず、ただひたすら相槌をうっていました。辺りはすっかり薄闇に包まれていて、お喋りをするAの大きな口だけが際立って見えました。

ふいにAが立ち止まり、この坂を登ったら私の家だよと言いました。

私たちの目の前には急勾配の広い道がまっすぐ伸びていて、Aが指差すその先は暗くて目を凝らしてもよく見えませんでした。こんな場所がこの町にあったのだなと私は思いました。ここまで来るのにかなりの距離を歩いてきたようでふくらはぎが痛かったのですが、ともかく登らなければAの家に着かないので、私たちは坂を登り始めました。

Aは学校を出発してからずっと自転車を押してきて疲れているだろうと考えて、私がAの家まで自転車を押して歩くことにしました。ただの親切心というよりは、ここまでの道のりでAは私にたくさん話しかけてくれたので、そのお返しのつもりでした。

恐ろしく急な坂でした。

急な坂がやたら多いNという街がありますが、そこと同じくらい険しかったように思えます自転車を押していると何度も後ろにひっくり返りそうになり、しょっちゅう立ち止まらなくてはいけませんでした。後に、授業中三角定規を使っていて、あの坂は60°くらいはあったなと思ってしまったほどです。

Aの家に漸く辿り着いた時にはもう日が暮れていました。いつの間にか他のクラスメイトはいなくなっていました。坂があまりにきつかったので途中で帰ったのだろうと思いました。

****

坂の上にはAの家だけがありました。

Aの家は平屋で、縁側がついていました。縁側の先には広い庭があり、両腕を広げた大きな木にブランコハンモックがぶら下がっていました。私はすぐにでもブランコハンモックに乗ってみたかったのですが、いきなりそれで遊ぼうとするのはお行儀が悪いだろうと思ったので黙っていました。Aは、お母さんが晩御飯を作って待っているから、食べ終わったら一緒に遊ぼうとにっこり笑って言いました。私は心の中を見透かされたようで少し恥ずかしくなりました。

Aの家族は私を暖かく迎えてくれました。

Aのお母さんはAとよく似ていて口が大きく、笑うと顔のほとんどが口であるかのような印象を受けました。テーブルにはお母さんの作った料理が湯気を立ててずらりと並び、張り切って作ったのと笑いました。トウモロコシ研究をしているというAのお父さんも食卓についていました。

オレンジ色の電燈の下で、Aとその両親と色々な話をしながら、Aのお母さんが作ってくれた晩御飯を食べました。私もAも半袖を着ていたのでおそらくそときの季節は夏だったと思うのですが、私の町では夏でも夕方になるとひんやりとしてくるので、温かい食事は沁み入るように美味しかたことを覚えています

こうやって談笑しながらみんなで食事をとるのは初めてでした。普段は話そうとすると喉がつっかえたようになってしまうのに、そのときはすらすらと言葉が出てきました。ハンモックブランコのことを聞くと、ここは借家で、ハンモックブランコは前の住人が残してくれたのだとAのお父さんが教えてくれました。

ブランコハンモックも私とAが二人で乗れるくらい巨大でした。

ハンモックバランスを取って乗らないとすぐに転げ落ちてしまうことを初めて知りました。何度も転げ落ちてしまうので笑いが止まりませんでした。仰向けに横たわって見上げると、いつもは見えない暗い星まで見ることができたので、ここらあたりには街灯が少ないのかもしれないと考えました。

まりに楽しかったので、この時間がずっと続けばいいと思いました。こんなに夜遅くまで人の家にお邪魔したので、きっと母は機嫌を悪くして私をひどく叱りつけるだろうということは容易に想像がつきました。それでもやはり帰る時間はやってきて、また来てねとAとお母さんとお父さんに玄関口で見送られて、Aの家を後にしました。

****

その後のことはあまりよく覚えていません。

Aのお父さんは別の拠点に行かなければいけなくなって、Aはすぐにまたどこかの町に転校していきました。私は犬と一緒にAの家があった場所を探すようになりましたが、とうとう見つかりませんでした。それから何年も経って私も町を出て、今は海も丘もある街で暮らしています

私には恋人がいて、その人はずっとこの街で暮らしています。ある日、海も丘もあるところで生まれ育ったことを羨んだら、そうですかね?と言いつつも誇らしげでした。

恋人は街のことを隅から隅まで知っていて、美味しい料理を出す店や景色が良いところへよく連れていってくれます。無口な人ですが、そうした場所にまつわる思い出について尋ねると、比較饒舌に、嬉しそうに話してくれます。私の隣でぽつぽつと語る横顔をこっそりと眺めながら、恋人がそのような良い環境の中で子供時代を過ごしていたことにいつも安堵するのでした。私の住んでいた町ですか?いきなり聞かれたのでびっくりしてしまいました。特に何もない平べったいただの田舎町で、冬にはたくさん雪が降ります。ここはとても素敵ですよね。海と山が近いなんてなかなかありません。食べ物も美味しいし。そんな風にして、いつも話題この街のことに戻すのでした。

私はもう故郷には帰らないと思います

隣の犬もずっと昔に死んでしまったので、帰る理由がなくなってしまいました。でも、結局Aの家を見つけられなかったことだけが心残りです。

町の人は、ここには見てわかるように丘なんてないし、線路の向こうにはそもそも家がないと言っていました。トウモロコシ研究をしているお父さんを持つAという子は確かに一時期この町に滞在していたけれど、遊びに行ったというのは君の夢か空想なのではないのかい?そう言って、人々はAの家を探すことに何年もずっと執着している私を気味悪がっているようでした。そう言われると、そうなのかもしれないと思います

でも、Aの家まで自転車を押して坂を登ったときふくらはぎの痛みや、Aのお母さんが何度もすすめてくれた不思議な味のする温かいスープが喉を伝う感覚や、ハンモックにうまくバランスをとって横たわることができたときの浮遊感と体に網目が少し食い込む感触は私の体にまだ残っていて、それらはリアリティをもって私をあの日に引き戻してくれるのです。

いつか自分たちの家を建てることになったら、それは坂を登ったところにあったらいいなと思います。庭もあったらいい。そこには両腕を広げた大きな木があったらもっといい。そうしたら、その木に大きなブランコハンモックをぶら下げて、私の子供が淋しそうにしている友達を連れてきたら、温かい食事をご馳走したいなと思うのです。

2020-07-02

1000円拾ってそのまま使った

数年経ったし時効かなと思う。

学生の時百均アルバイトしてた。

そこはまあまあなブラックバイトで客はやかましいわ職場雰囲気は悪いわでそろそろ辞めようと思っていた頃だった。

レジ打ちをしていると視界の端に何かがよぎりすぐにそれが地面に落ちた千円札であることに気づいた。

一瞬考えたが素早く屈みその千円札ポケットに突っ込む。

監視カメラはあったがちょうど商品棚で死角になっていた。

そのまま隠しながら間違いなく千円であることを確かめ、とりあえずバイト終わるまで黙っておくことにした。レジ締めで千円足りなければ単に売上から落ちただけの金だからだ。

夜になりレジ締めを行ったが珍しくぴったり金額は合い、ポケット千円札を突っ込んだまま帰った。

その足でコンビニに行き千円分のいつもより豪華な晩御飯を買い、家で食べた。

拾った千円は胃袋に消えた。

冷静に考えると店に落とし物として報告すべきだったが当時ブラックバイトでめちゃくちゃ疲れてたか判断力おかしくなってたんだな。

落とし主も現れなかったけどあのときすみませんでした。今だったら拾わずスルーする気がする。届けるのもだるいし。

2020-06-24

俺、死ぬ前に小学生の頃を、一日でいいから、またやってみたい

わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ

空き地夕焼け金木犀香りの中家に帰ると、家族が「おかえり~」と迎えてくれて

TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)

風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり

でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る

みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…そして、死にたい

死ぬ前に小学生の頃を、一日でいいからまたやってみたい

俺、死ぬ前に小学生の頃を、一日でいいから、またやってみたい

わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ

空き地夕焼け金木犀香りの中家に帰ると、家族が「おかえり~」と迎えてくれて

TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)

風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり

でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る

みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…そして、死にたい

2020-06-16

お金あさましい人間には人情味を感じるのに

正しさを求めてあさましくなっている人間にはあまり近づきたくないなっておもってしまう。

毎日のようにどっちもどっち的に正義にたおしてあさましい人たちの罵り合いを見ているより

今日晩御飯をどうしたら豊かな気分で食べられるを考えよう

2020-06-12

くら寿司鬼滅の刃キャンペーン日本人失望した

都内駅前にあるくら寿司を愛用している。

娘が鬼滅の刃が好きで、くら寿司キャンペーンを知ったその瞬間にアプリキャンペーン初日晩御飯を決めた。

無事2000円以上食べ、お会計に進んで、アプリを見せてクリアファイルを貰おうとしたら

すみません、お持ち帰り限定なんで」

と言われた。そういえばそこまで細かく規約を読んできたわけではない。イートインテーブルにもクリアファイルキャンペーンチラシが張ってあったのに

そんなことあるかしら、でも店員さんが言うから仕方ないわねと一旦は店を出た私たち

落ち込む娘に明日テイクアウト提案しながら、ツイッター公式サイトを見直すが、どこにもイートインは除外とは書いていない。

「お持ち帰りも対象

と書いてある。

納得いかなくて、もう一度店に戻り、キャンペーンチラシの画面をみせて、別の店員に聞いてみた。

「お持ち帰りが、ではなくお持ち帰りも。ですよね?」

すみません広告の方がまちがっているのです」

と断られた。

仕方がない、くら寿司公式お客様センターに連絡するべし、と思ったら平日19時で終わっており、メールフォームに後からファイル送ってくれないかなの一抹の期待をもってクレーム送信

そうこうしている間に、旦那自分地元くら寿司電話をかけて、本当に広告が間違っている案件なのか確認したら、そんなことはなくイートインでももらえると。

私が二度聞いてもだめだったので、今度が旦那レジ突撃したところ、店長を呼びますといわれ、店長平身低頭クリアファイルを下さった。


ちなみに断ってきた店員日本人

店長ベトナム人



すでにメルカリヤフオクで1枚1500円近くになっていたので、日本人店員自分でガメていたんじゃないかと思っている。

幸い名札にかかれた名前も憶えているので、くら寿司公式から連絡があったら彼の名前を伝えてあげようと思っている。

来週の柱のクリアファイルも貰いにいくつもりなので、まだやつがいたらこう言ってやるつもりだ。



「この味は!………ウソをついてる『味』だぜ……ジョルノ・ジョバァーナ!」




追記

くら寿司本部の該当店舗担当者の方から丁寧なお電話いただきました。最終的にクリアファイルはいただけたので、その旨と経緯をお伝えしました。

今回は難しいキャンペーンでないかおかしいなぁと訝しがっていらっしゃいましたので、その後の調査についてはお任せしました。

3年くらい前からずっとこの店舗は同じ店長さん、それから同じベトナム国籍のスタッフさんが丁寧に対応してくれるし、その他の日本人スタッフさんも子供が水をこぼしたりでお世話になっているので、やけに今回の日本人スタッフ対応が不自然で印象に残り、帰宅するなり書き殴ったので一部過激な書き方になっていてすみません

こうして私は太ってゆく

私は受験生コロナで塾が休みになっていたので、その振替として最近週に何回も塾がある。

中途半端に夜から始まるから、家を出る前は晩御飯を食べるには早すぎ、帰ってきてからは食べるには遅い、みたいな時間なので、晩御飯を食べ忘れることが多々ある。

帰ってきてからは食べるのもめんどくさい。

でも、寝る前はお腹が空いて死にそうになる。

そんな訳で、今日は寝る前にお茶漬けを食べた。

そのお茶漬けがあまりにもおいしかたから、忘れないようにここに書いておく。

十二時頃に一階に降りる。うちの家族は早寝タイプなので、みんな寝静まってて、一階は私だけの楽園となっている。

まず、冷凍庫から母親がついさっきラップにくるんだであろう、まだカチンコチンではないご飯を取り出して、ローソンで昔手に入れたリラックマ柄のピンク色のお茶碗に移し替える。

その後、500ワット20秒ほどチンする。温めすぎないのが大事で、ちょっと冷え飯ぽくする。

それから母親がさっき沸かし終わったであろう、今度は熱々のお茶を注ぐ。

躊躇せず並々と!多すぎるくらいがポイントだ。

そして、海苔を棚から取り出して、折りたたんでそのまま茶椀につっこむ。

昔は破ってから入れてたけど、手が汚くなるし、テーブルにもぱらぱら落ちるので非効率

私は味付け海苔しか入れたことないけど、焼き海苔も美味しいのかな。

それで完成!!んー!!!

どうしよう。美味しすぎるくらい美味しい……!!!

一杯かきこむのに3分もかからず、二杯目食べたくなり、同じ手順で実践した。

なにか足りない…そうだ!梅干しをいれよう!

この間母親スーパーで買ってきてくれたちょい高級なはちみつ梅干しが確かにあった。

お皿に移し替えて、味見して程よい酸っぱさを実感し、潰してからお茶碗に入れてゆるゆると混ぜる。

んー!これぞ、究極の和の食…!

私はこのお茶漬けを食べるために日々頑張って生きているのだろうと感じた。

まあこんな生活を続けていたら、2ヶ月で3キロも太りましたけど。

受験生だし気にしないことにする!

2020-06-10

anond:20200609155650

毎食「最後食事」と味わうのはい方法かも。

ダイエットたかったし、試してみる。

今日晩御飯そうめんだったな…。

2020-06-06

anond:20200606121825

ヨーロッパ人晩御飯番組を作って突撃したら似たようなものを食ってるんじゃないの?

ヨーロッパ人「自宅でマナーなんてやってるわけねえよ。ジュルッじゅるるるるるっる。スパゲテッィうめええ~~」←こんなんだよきっと

2020-06-05

血の医療メンタルにも効く説

私とBloodborneの話がしたい。

これはただそれだけの記事です。

Bloodborneとは2015年3月に発売されたPlayStation 4アクションRPGです。開発元はSCEフロムソフトウェア

詳しいことはWikipediaでも読むといいと思います

Bloodborne - Wikipedia

フロムソフトウェアのことは知らないけど

身体闘争を求める

 →アーマードコアが売れる

 →フロムアーマードコアの新作を作る

 (アーマードコアの新作が出る)」

コピペは見たことがある人も多いと思います。まあそもそもフロムソフトウェアも知らん奴はインターネットニワカ」みたいに言われるかもしれませんが、少なくとも私は「コピペは知っているけどフロムソフトウェアのことは知らない」オタクでした。すみません

そもそも自分遊んだゲームと言えばゲームボーイSP鋼の錬金術師マリオ、後は3DSどうぶつの森ブレイブリーデフォルトモンハンPSvita海賊無双ゴッドイーターパソコンpso2を少し齧った程度のもので、恐らく世間一般の"オタク"にしては随分と経験が少ない方だと思います

メインはアニメ漫画、あとはSound Horizonの緩オタクだったので、あまり自らゲームが欲しい!ゲームがしたい!と言うタイプでもありませんでした。

バリバリ世代なのにポケモンすらプレイしたことはなく、人がやっているのにもそんなに興味がない。

先に挙げたゲームも、ほとんどは「友達がやってたから」あるいは「推しコンテンツが関わっているから」始めたのであって、「そのゲームがしたいから!」と始めた訳ではありませんでした。

自分にとってゲームジャンル自体はそれほど縁のない存在だったので、当然フロムソフトウェアも知らず、PS4も「弟が中古で買ってきたBDも見られる新しいやつ」程度の認識だったのです。



数年前。

私はとある会社新卒入社しました。

詳細は省きますが、一年半年ほどで私はロクに眠れない、職場トイレで吐くほど泣く、休み仕事を緩慢としてまた辛くなり、人に優しくされたくて必要でもない買い物をし、帰り道に無駄遣いした自己嫌悪で泣き出す、自殺未遂をはかると言った典型的な"メンタルやらかした"状態に。

もっと辛い人は世の中に沢山おられるとは思いますが、私の場合はまず眠れなくて仕事にならないので病院に駆け込み、結果休職退職コースとなりました。


実家に戻って療養を始めましたが、当時は「自分はただズル休みをしたいだけだ」「怠けて人に迷惑をかけて、私は社会クズだ」「あの時死んでいればよかった」の言葉が頭を巡り、薬を飲んで寝て起きてもまた実家居間にあるソファ天井を見上げることしかできませんでした。

このままではよくない、とテレビを見ても観客の笑い声やコメンテーターの笑い声を聞いているのが辛い。そもそもテレビ番組を作っているような"社会"に己が参画していないことを思い知らされて辛い。

映画アニメでも見て"インプット"しなくては、と思い見始めた作品でまた吐くほど泣き、トイレの中で便器を抱えたまま自己嫌悪で死にたくなる、の繰り返し。

この辺りでようやく「ああ、今自分はマトモではない」と認められたような気がします。


その後はなるべく気を紛らわすために(そして実家で働きもせず休んでいる罪悪感を払拭するために)家事をしたり頼まれた雑事をこなしたりしていました。なるべく社会コンテンツから離れたほうがいい、と思って。

それでも相変わらずTwitterは続けていましたが。

そんな時、趣味があうフォロワーさんの動画付きツイートが目に入りました。

ほんの20秒程度の動画です。

薄暗いヴィクトリアゴシック調の街で、トップハットにロングコートキャラクターが、ステッキを鞭に変形させ、またステッキに戻す。

たったそれだけの動画でした。

私あてのリプライでもなく、ただタイムラインに流れたツイート、たった一つ。

その動画たまたまタップして、たまたま見ただけ。

それだけなのに、私はその瞬間

「このゲームは私のためのゲームだ」

「このゲームには私の好きな"全て"がある」

「私はこのゲームプレイしなければならない」

と感じました。

思い上がりもいいところですが、本当にそう感じたのです。

そしてたまたま実家には、弟のPS4がありました。

時間たっぷりありました。嫌になって泣き続けるほど。

勢いのままアカウントを作り、ゲームダウンロードしました。


フロムソフトウェアゲーム」が如何なるものか知りも調べもせずに。


ゲームに触れた経験も浅ければそもそも得意ですらない、マリオの1面のノコノコにすら何度も殺されるような人間には、Bloodborneは厳しすぎました。

そもそも先へ進めない。"キャンプファイヤー"にも辿りつけない。レベルアップもどうやらできない。マップがないのでどこからどこへ繋がるのかも分からず、迷子になっている内に殺される。

これはイカン……とフォロワーさんなどの手を借り、なんとか進めました。

それが、とても楽しかった。

厳密には"楽しかった"と言うよりは"必死だった"、"無我夢中だった"と言う方が正しいのかもしれません。

朝一番掃除をし、洗濯物を干してPS4の電源を入れる。家族が帰ってくる前に洗濯物を取り込んで晩御飯の支度をしなければならないので、夕方には電源を切らなければならない。朝から晩まで没頭する、という感じではありませんでした。

ですが、それが良かったのだと思います

限られた時間の中で必死コントローラーに齧りついて、死んでは進み、進んでは死ぬ

明日こそあのボスに勝てますように、と半ば祈るように眠る

その間は、自己嫌悪職場での思い出を反芻することもなく過ごせました。

ゲームとしての難易度が高過ぎて"他のこと"なんて考えている"暇"がない」。

これが何より大切だったんだと思います



どうにかこうにか迎えたラスボス戦は、涙の出るほど美しかった。



ゲームを終えてスタッフロールを眺めながら泣き、私が次にしたこと自分用のPS4proと、DARK SOULS3を買うことでした。


つの間にか薬なしでも眠れるようになり、今は元のように、とは行きませんが外に出て働いています

今では「血の医療メンタルにも効く」とフォロワーさんと冗談めかして話していますが、これは過言ではないのです。

少なくとも、私にとっては。



実はBloodborne存在自体は別のフォロワーさんの呟きや絵を通じて前々から知っていたのですが、私にとってBloodborneプレイする"タイミング"は正にあの時しかなかったのだと思います

あの時Twitterを覗いていなければ。あの動画を見ていなければ。

流石に過言かもしれませんが、私が働きに出られるようになるのはもう少し遅かったかもしれません。

そう思うと、やはり私にとってはBloodborneが、血の医療が救いになったのだと思います


私とBloodborneの話はこれで終わりです。

ビビリ散らしてガスコイン神父や血に渇いた獣を火炎瓶で燃やして片付けたがためにパリィ習得せず進み、ローゲリウス師戦で苦しんだ話やNPCイベントを見損ねて歯噛みした話、ギミックに気付かずミコラーシュと延々と追いかけっこをした話など色々とありますがその辺りは割愛します。

長文、乱文、失礼いたしました。

あなたに血の加護がありますように。

2020-06-04

なぁ、今日晩御飯は何だ?

俺は……考えてない

2020-05-21

元カレと夢で再会した

もう別れて4年経つ。

彼の事は別れた後半年くらいはちょこちょこ思い出したりしていたけど、だんだんと思い出す回数が減って、この2年くらいはすっかり忘れていた。

そんな彼といきなり夢で再会した。

から覚めた後、ぼけーーーっと思い返してエモい気持ちになったのでここにひっそりと書き残しておく。

彼とは大学で知り合い、社会人2年目の夏くらいまでの2年くらいをパートナーとして過ごした。

出会いは5日間連続で行われる夏期集中講義だった。

午前中の授業が終わり、即荷物をまとめ、駅まで続く坂を下っていたら、突然後ろから「ねえ!」と声がした。

あ、なんか落としたかな?と思って振り返ると、小走りで坂を下ってくる彼がいた。

「ねえ、歩くの早すぎない?」と妙に馴れ馴れしく声をかけられて私はちょっと嫌な気分になった。

「何か落としました?」と質問無視して問いかけると、彼は笑って「いや、そんなんじゃないけど。あなた増田さんでしょ。」と答えた。

全く知らない人だったのでなぜ私の名前を知ってるんだ...?とかなり怪訝な顔をしたら、「俺、前にゼミの合同発表で会った事あるもん」と聞いてもないのに教えてくれた。

彼は私が何か言うよりも先に「明後日、授業終わった後にランチ行こ!」と誘ってきて、私が「え、あ、うん」とか何とか言ったのを確認して、坂を駆け上って行った。

私は坂を下りながら、呆気にとられるとはこの事かーなどと考えていた。

当日、私は知らない人とランチに行くのがめんどくさくて何とかしてバックレようと試みたのだが、あっさり大学構内で捕まってしまい、彼とランチをすることになった。

ほぼ初対面の人とはいえ、同じ大学に通う同学年の人なのでそれなりに共通点があり、ランチは案外盛り上がったような記憶がある。

ランチの後もなんだかんだと飲みに誘われる事が多くなり、気付いたらベロベロに酔っ払ってホテルに入っていた。

もう今となってはその時の行為がどんなだったか全然覚えていないが、お互いベロンベロンに酔っていたので適度な積極性もあり、それなりに満足できるものだった。

翌朝、駅まで歩いている時に手を握られて、付き合おうか的な事を言われた...気がする。もう覚えてない。


付き合いだしてからは本当に楽しかった。当時私は一人暮らしをしていた。彼は実家に住んでいたので、必然的にうちに入り浸ることが多くなり、一緒に買い物して晩御飯を作ったり、夜中に5km先のコンビニまで散歩したり、朝から晩までセックスしたりと楽しい事この上なかった。

私は彼のまっすぐな所や、どんな人も大切に扱う所、悔しい思いをしてもなにくそと強くなれる所が好きだった。

それに、晩御飯を作りながら飲むビールの美味しさや、煙をもくもく浴びながら焼き鳥が焼けるのを待つ時間のワクワク感や、駅の改札まで傘を持ってきてくれた時のキュンとした気持ちを、私が感じるのと同じくらい、幸せだと感じてくれる所が愛おしくてたまらなかった。

私が好きそうなカフェお気に入りバー、彼の両親がプロポーズしたという思い出のレストラン、幼い頃から通ってる汚いラーメン屋高校生の時初めて挫折経験して男泣きした公園東屋。彼が色んな場所でいろんなエピソードを教えてくれるたびに、彼が私を信頼してくれているのが分かって嬉しかった。



付き合って半年が経った頃、私は就職のため地元に戻った。

一人暮らしマンションを引き払って、空港に行くまでの道中、彼が私の手を確かめるようにずっと撫でてて、それが切なくて涙が自然と溢れた。


飛行機に1人で乗り込んだ後すこししたら彼から「右ポッケ。」とLINEが来た。右のポッケには小さく折りたたまれ手紙が入っていて、「遠距離なっちゃうけど大丈夫。離れていてもいつも側にいるのを忘れないで。俺は君のことをずっと応援してるけど、本当に辛くなったら全部投げ捨ててもいいんだからね。」と書いてあった。

今思うとやけにドラマチックだな〜〜とそわそわしちゃうけど、当時はそんなこと1ミリも思わなかった。ただただ一番大事な人が近くにいない状態で新しい生活が始まるのが悲しくて切なかった


その後、飛行機で1時間半の遠距離を1年半くらい続けた。

お互い社会人になったけど、毎日LINEのやりとりは欠かさなかったし、電話ほとんど毎日した。予定が合えばビデオ通話で一緒に発泡酒乾杯して、寝落ちするまで平気で5時間とかやってた。お互い実家だったからできた所業とも言える。

月に1回くらいのペースで会いに行ったり、来てもらったりして、なんだかんだで良い関係を続けていた。



そんなある時、私が浮気を疑われた。しかも割と細部まで知っているようだった。

実際のところ、際どいところまでいったのは事実しかも酔っててあんまり覚えてない。状況から判断すると明らかにクロだけど、私は必死否定した。

彼が私のスマホを盗み見したという所を執拗に責めて、論点をずらしてごまかした。

彼は一応というか一旦は水に流す、と言ってくれた。だけど、この事件から明らかに私たち関係はうまくいかなくなった。

LINEはするけど、どこかよそよそしい。写真つきのLINEほとんど来ない。私と会いたがらないし、愛してるとか好きとか言わなくなった。

私は2週間くらいかけて「あ、これもうダメなやつ」と理解した。

浮気を疑われるような事をしたのは私だし、もう私がどうあがいても関係が修復することは不可能に近いな、と。

それを悟ってからは、LINEするのを辞め、Twitterやインスタもログインすらしなくなった。とにかく目の前の仕事に没頭して、家にいる時間勉強に費やした。

そして、1ヶ月くらい経った時、自分から彼に「会って話したい事があるので時間をください」とLINEを送った。


もちろん、私は彼と別れるつもりだった。浮気まがいの事をした自分をもう一度信頼して欲しいなんておこがましいと思ったから。

久しぶりに会った彼は前に会った彼と同じで、お気に入りカフェ仕事の事とか季節の事とか、当たり障りのない事を話して緊張をほぐした。

私が別れを切り出した時、彼は私の提案に答える代わりに、椅子から立ち上がり、ひざまずいて「結婚してください」と言った。

彼の手には指輪の箱があり、中には一粒ダイヤリングが光っていた。

しばらく状況が飲み込めなくて、10回くらい「え?」って聞き返した。

彼は椅子に座りなおして、封筒を私に渡した。封筒の中には婚姻届が入っていて、彼の書く欄は全て彼の直筆で埋まっていて、捺印もされていた。

別れるつもりでいたのに、まさかプロポーズされるとは。夢にも思っていなかった。

いざプロポーズされてみると、やっぱり嬉しくて、私は「私でよければお嫁さんにしてください」と泣きながら答えた。別れるつもりだったのにね。


でもそう簡単ハッピーになれるはずなかった。

私は彼と連絡を取っていなかった数週間の間になぜか上司に認められてしまい、数ヶ月後から新しいプロジェクトに投入されることになっていた。

これまで1年目の社員にこんなチャンスが来たことはないらしく、部内でも若干どよめきが走ったくらいだった。

そのプロジェクト海外出張も多く、仕事忙殺されることが予想された。

この仕事は私が入社からやりたいと思っていたことそのものだったので、私は二つ返事で快諾した。

いざその仕事が始まってみると、家は帰って寝るだけ。休日は半分仕事で半分勉強しないと追いつかない。

毎日できていたLINE出張やら会議やらでまともにできない。予想はしてたけど、その何倍もハードだった。

もちろん彼にはそのことも伝えて会ったし、彼も理解してくれてはいたけど、だんだん距離が離れて行った。


私がやばい、と思った時にはもう遅かった。

仕事の合間を縫って会いに行っても、無言でドライブ。険悪な空気のままホテルに入って前戯もなしのセックス。もちろん嫌だって泣いて訴えても力で押さえ込まれる。

彼の友達を交えてBBQをしても彼は私を放置して友達と遊びに行く。

存在のもの無視されているのが手に取るように分かって辛かった。

最後は私も耐えられなくなって、弁護士相談して社会的制裁を施して、ぐちゃぐちゃになったまま終了。


.


別れて4年経った今思い出すのは、私の人生で一番好きだった人との幸せな思い出と、一番憎かった人とのぐちゃぐちゃの修羅場

もし人生で一度だけやり直すことができるなら、浮気騒動の前に戻りたい。本当にあれは私が悪かった。あれからお祝いの席以外ではお酒飲んでない。

夢では私と彼は幸せカップルで、一緒の布団にくるまってどっちが裸のまま暖房をつけに行くか小競り合いしてた。

彼が健康でそこそこ幸せに生きていてくれたらそれで十分だけど、この夢ってなんか意味あるのかな。

2020-05-20

お腹が鳴る」ことを異常に恐れていた時期

ふと中学生の時のことを思い出したので備忘録程度に書く

中学生の時、一時期「空腹時に自分の腹が鳴る音」を異常なまでに忌避していた

正確に言うならば「自分お腹の音をクラスメイトに聞かれること」だ

育ち盛りの時期だったからという要因もあるかもしれないが、朝しっかり朝食を食べてから学校に行っても、3時間目の途中からだいたい空腹になった

静かな教室の中に聞こえるグゥ~という間抜けな音

それを隣の席の人、周辺のクラスメイトに聞かれるのをとにかく恐れていた

理由は多分「恥ずかしいから」「内心で笑われるから」だろう 当時私のクラスでのカーストは激低だった

陽キャだったらお腹の音が鳴っても笑って誤魔化せたんだろうが、ド陰キャの私にはどうしてもできなかった

3、4時間目の授業はいつもほぼ上の空の状態で聞いていた 自分の胃袋と格闘していたか

給食時間は当時の自分にとっては救済そのものだった

一度、四時間目の小テスト時間にめちゃくちゃ大きな腹の音が響き渡った 隣の席の人は気を遣ってか(そもそも興味無いのか)ノーリアクションでいてくれたが、

授業が終わった後にクラスカースト上位でソフトテニス部の美人女の子が「さっきテスト中に誰かめちゃお腹鳴ってたよね~」と笑っているのを聞いてから更に拍車がかかった

お腹が鳴りそうだったらとにかく腹を引っ込ます 休み時間の間にとにかく蛇口から水道水を飲む

校内の飲食物の持ち込みは禁止されていたが、当時発売されていた「ぐーぴたっ」というお菓子をわざわざお小遣いで買ってはこっそり制服ポケットに仕込んで、トイレの個室でこそこそと食べたりもした

ポケットの内側がお菓子の粉まみれになり最悪な思いをした

中間テストの時の4時間目、どうしても耐え切れなくなった時のことをよく覚えている

とにかく大急ぎで適当理科テストを解いては答案を裏返しにして、「具合が悪いので保健室に行ってきます」と教室から逃げ出した

テストが終わってから教室に戻ると、試験監督をしていた先生に「体調大丈夫だった?」と心配されてしまい、とにかく申し訳なかった

学校が終わると一旦家に帰宅して、「カップ焼きそば」と白ご飯をかき込んでから塾に行った(塾が終わって帰宅してから晩御飯もしっかり食べた)

そんな生活を続けていたせいで中学3年生の春に身体検査体重を図ると、体重10キロ以上も増えていて目を剥いた

とにかくあの時の自分は「腹の音を聞かれる」というのを異常に恐れていた

腹の音を聞かれるくらいだったら裸を見せた方がマシぐらいに思っていたかもしれない

その内中学卒業して高校生になり、大学生になり、静かな教室講義を受けていてもあれほど恐れていた腹の音が鳴らなくなった

育ち盛りが終わったからだろうか、というかもう気にしなくなったのかもしれない

友達と談笑している時にお腹の音が鳴っても、「お腹空いちゃったわ~」とへらへらと笑うことができるようになった

あんなに恐れていたものがこんなに気にもならなくなるなんて

あの中学の時の異常な羞恥心はなんだったんだろうか

今思い返してみると不思議

まあ羞恥心は消えても、10キロ以上増えた体重は今も消えてはくれてないんですがね

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