はてなキーワード: つくねとは
食べてみたが、すごい美味しい、とは感じなかった。
なか卯の方が美味しい。
鶏肉を使うのなら、数年前に出していた「焼鳥つくね丼」を復活させた方が良い。
それに新しい味とは思わなかった。
少し前に「月見牛とじ」を吉野家は出していたが、味はそのままで鶏肉に変えたという印象だ。
価格が安いから仕方ないのかもしれないが、親子丼なら鶏肉をかんだ時にジワっと鶏肉の美味しさが出て欲しいが、
それを卵と割り下が濃い目の甘みで包まれている。
鶏肉をあらかじめ割り下で煮込んであれば違っているのかもしれないが、鶏肉がどうも浮く。
玉ねぎも入っているのだが、自分が注文したときはそれほど煮込まれていないからなのか、
大きめに切ってあるからなのか、それなりに主張してくる。
業務スーパーの合挽き肉は油多すぎて実質量めっちゃ少ないしもうちょっと高い牛挽き肉は予算オーバーだから鶏肉使うのは苦肉の策だよ
業務スーパーのブラジル産鶏もも肉を皮ごと一口サイズくらいに切ってダイソーのぶんぶんチョッパーに挿れて雑に挽き肉化する
こういうの皮取るレシピも多いけど皮から出る油が多い方が好きだから俺はこのままミンチにするよ
あとの手順は普通のハンバーグと同じ。挽き肉にパン粉牛乳卵ナツメグ塩コショウとかを混ぜて小判型にこねこね
油を引いたフライパンに投入して途中で調理酒で蒸したりしながら良い感じになったら取り出す。
肉が安い+パン粉とかでかさ増しできる分量はめっちゃ多いよ、かさ増し度が高い分つくねとかより腹は膨れるよ
ソースも普通のハンバーグと同じで肉汁+酒+ウスターソース+ケチャップで作るよ、肉の安さはソースの量でごまかすよ
白飯、千切りキャベツ+コーンのサラダ、冷奴、味噌汁のセットだよ
これまじでサイコすぎるだろ
「ありがとう」より先に「ごめんなさい」が来るべき案件じゃないか?(ごめんじゃ済まないが……)
ほぼ強制的に40年以上の労働がついてくる、って点だけで、俺は子供を持つことに積極的になれない
俺がやりたいと思える仕事、たぶん小説家か翻訳家くらいなんだけど、どっちもあきらかにセンス系ジョブで、俺にはセンスがあきらかにないので、やりたくもねえ仕事をやるしかないということになる
というか、さらに言えば、仮にセンスがあったとしても、小説も書きたくねえし翻訳もやりたくねえ
何もしたくねえマジで
ただ寝てたい
ただ寝てたいんだよなあ
なぜ、ただ寝てたい人間が、ただ寝てられないんだ
いけなくなかったんですよね!
生まれなくてよかったんだよ本当に
……ってなるんだよな、絶対
俺の子供なら、俺の意志を継いでそうなってくれるという、確信に似た信頼がある
存在しない未来から聞こえてくる哀願の声に応えて、俺は一生独身か、うまくいったらDINKSになるよ
でも彼女どうなんだろうな
ぼちぼち真面目に子供の話をしないといけない
俺が信条的に子供を持つことに抵抗がある!って主張したあとに、いいや私は欲しい、って言うのは難しいよな、実際……
なんかこう、恋愛衝動に突き動かされて付き合ってしまったところがかなり悪かったという感じはあって、そういう意味では俺も衝動的に子供を作る人と同じことをやってるんだよな
でもまだ取り返しはつくねんな
多分…多分つく
つか、大学一年生のときに開始した交際がここまで長く続くっていうのを、お互いじつはあまり想定してなかったのかもしれん
ライフロングな関係になってしまうと、子供の話はついてきますねえ……
ついてこないでくれ〜ッ!!!!
最低なことを言うと、俺は、彼女が不妊症だったらいいなと思ってるんだ
彼女が不妊症だったら、物理的に子供は無理なんで諦めましょうってことにできるし、俺にとってはなんのデメリットもなくて、彼女にとっては……どうなんだこれ
やっぱそこは健康でいてほしいな
俺と付き合い続けるってことになった場合には不妊症であってほしい
俺を振って誰かと結婚なりなんなりするなら、普通に子供でもなんでも作って幸せにやってほしい
とにかく、俺は俺の子供にしか責任を負わんけど、その責任の負い方っていうのは、「産まない」一択やねんな
俺はきみに週40時間働けとは言わない
俺はきみに面倒を見てくれとは言わない
何も求めない
それが俺の愛や!!!!
酒を飲めるって設定がなんであるのか、宴会で女も酔わせて騒ぎたいってことだろう。
芸者を呼んでパーっとやるってノリだな。前々世紀のジジイかよ。
心強いと思う
優秀な人ほど未来をみているなあ
1950年代に描かれた手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」の中で、動物たちの共食いをやめさせるために人工の肉である「人造肉」を作る場面がある。
そこからおよそ70年。
“培養肉”のいま
筋肉の細胞を培養して増やし、固めることで肉にする“培養肉”の技術。
きっかけは、2013年にオランダの研究チームが発表したハンバーガーだった。
ただし、作るのにかかった値段は総額3000万円以上。
大量生産は難しいものの、培養肉が料理として使えることを示し、世界を驚かせた。
ことし6月、鶏肉の培養肉を大量に作ることができる工場が誕生した。
細胞を培養するためのタンクを7基備え、1日に最大で500キログラムの培養肉の製造が可能になった。
こうした技術によって、ハンバーガーのパテ1枚にあたる100グラムの原価が3.9ドル、日本円にして450円ほどにまで下げることができたという。
国内で販売の許可がおりていないため、食べられるのは従業員だけ。
アメリカの食品企業がホテルのレストランで、培養肉をつかった料理を提供している。
価格は一皿およそ2000円。
(GOOD Meatの担当者)
「今、培養肉を扱う企業は爆発的に増えています。世界の食肉市場は巨大で、私たちの力だけでは足りないので、今、多くの企業が参入して来ていることをとても心強く感じています」
食糧危機に
世界中で培養肉の研究が進んでいるのはなぜか?背景には、世界規模の人口増加がある。
お祝いの日に「焼き肉」を食べにいく家庭もあるかもしれないが、経済的に豊かになると肉の消費量が増加するとも言われている。
人類が食べる肉の量は、2050年には2010年と比べて1.8倍に増えるという予想もある。
これに対して、既存の畜産では飼料となる大量の穀物や水が必要になるため、拡大が難しい。
食肉からタンパク質の摂取が難しくなる「タンパク質クライシス」が近い将来訪れるという懸念もある。
こうした畜産業では足りない部分を賄うために「昆虫食」や「植物性の代替肉」、それに「培養肉」などの新しい技術が注目を集めている。
アメリカのコンサルティング会社は、2040年には、世界の食肉市場の6割が「培養肉」と「代替肉」になり、培養肉の市場規模は69兆円になると試算している。
培養肉は、牛や鶏などの動物から少量の細胞を取り出して、動物の体の外で増やして作る。
広大な土地も必要ないため、将来、安く大量に肉が作れる可能性があると期待されている。
日本では、大型研究プロジェクト「ムーンショット型研究開発制度」などで培養肉の研究を国が後押ししている。
(太陽エネルギーを駆動源、藻類を栄養源とした培養肉工場のイメージ 画像提供:インテグリカルチャー)
現在大量生産が可能なのはハンバーグなどに使われる「ミンチ肉」にとどまっている。
そこで日本の研究者が目指しているのが、サシの入った和牛のような培養肉。
大阪大学の松崎典弥教授は、ことし8月、和牛と同じ構造をもつ培養肉を作ることに成功したと発表。
「細胞の繊維だけかき集めてハンバーグ状にしているが今の培養肉の主流です。でもそれではステーキにはならないんです」
肉は、繊維状の赤身と脂肪、それに血管などが複雑に絡まっている。
そこで目をつけたのが3Dプリンターだ。
(3Dプリンター)
特殊な容器の中に細胞を入れ込み形状を保ったまま細胞どうしを融合させる手法を開発。
筋肉、脂肪、血管、それぞれの繊維を作ることに成功し、これらをくみ上げることで、和牛と同じ構造をもつ1.5センチほどの大きさの培養肉を作ることに成功した。
(できあがった培養肉)
この方法の画期的なところは、赤身と脂肪の割合を自由に変えることができるところにある。
将来的に家庭にある3Dフードプリンターで肉が作れるようになれば「お母さんは胃がもたれているからきょうは脂肪を少なくしよう」とか「高校生の長男はサーロインで」などと、気分によって作る肉を調節できると期待されている。
ただ現段階では繊維をくみ上げる作業は手作業で行っていて、松崎教授は、メーカーと協力しながら、自動でステーキ肉を作る装置の開発を目指している。
「いまは、すべての行程を食べられる成分で作っていないので、食べることができません。ただ和牛と同じような構造ができたので、食べたらおいしいと思います。これから先にいくためにはスケールアップをしないといけませんし、自動化の装置開発もしなきゃいけません。細胞を大量に培養する技術も必要になります。まだまだ新しい技術開発が必要です」
大阪にあるダイバースファームは、肉を寄せ集めたチキンナゲットではなく、焼き鳥で使うようなかたまりの鶏肉の培養肉を作る研究を進めている。
副社長の島村雅晴さんは、独自の技術で鶏肉を培養する方法を確立。
できるのは薄いシート状の鶏肉だが、それを重ね合わせることで、4センチ四方で5グラムほどの大きさの培養肉を作ることに成功した。
実は、島村さんは星の数で店を評価する世界的なガイドブックに選ばれるほどの腕をもつ料理人だ。
いま、特定の種類の魚が手に入らなくなっているのだ。
また漁獲高が減っているというニュースも聞いたり、仕入れ先の養鶏業者から「飼料の値段があがり、経営が厳しい」といった話も聞いたりしてきた。
(ちゅう房に立つ島村さん)
そうした中で、細胞から培養することで肉を作る培養肉であれば、今の環境を守りながら、新しい食の選択肢も増えると感じ、取り組みを始めたのだ。
国のプロジェクトの代表を務める東京女子医科大学の清水達也教授の研究室にも出向き、勉強した。
その中で、研究がメインの大学ではなかなか“食べる”ところまでたどり着けないことを感じ、清水教授を通じて再生医療の研究者を紹介してもらい、ベンチャー企業を立ち上げた。
島村さんは、みずから作った培養肉をコース料理の中の一品に加えようと試作を続けている。
培養肉は血が通っていないため、コクを出すためにみそを加えてつくねを制作。
こかぶらとシメジ、まごいも、金時にんじんとゆずを加え、あんかけをかけた料理などを作っている。
島村さんによると、培養肉はこれまでになかった薄さの鶏肉を作れるほか、骨が多くて食べることに適さなかった魚や、絶滅が危惧される種類の魚の肉を増やすこともできるという。
さらに、無菌状態でつくれることから、生の鶏肉やレバーなども気軽に食べられるようになるのではないかと期待している。
常連客の中には、培養肉の料理が食べられることを楽しみにしている人もいるらしい。
(島村さん)
「お客様に提供する食品なので、すべてを分かっておきたいので自分で研究も行っています。まだちょっと食べることができないですが、少し培養肉にも興味を持っていただけるような機会ができればなと思って、議論が始まっていくきっかけを提供したいと思っています」
安全性は?
これまで大阪大学とベンチャー企業の例を紹介したが、食べられないの?と疑問に思った方もいるかもしれない。
察しのとおり、日本では販売のためのルールが十分に整備されていない。
日本では去年10月、農林水産省のフードテック官民協議会の中に、培養肉のルールについて検討する細胞農業のワーキンググループが立ち上がった。
また、実用化に向け法整備や安全基準の策定を進める議員連盟の設立に向けた動きもある。
細胞農業研究会事務局の吉富愛望アビガイル広報委員長によると、主な論点は5つだ。
4. 名称
最終的な商品には、既存の食品や食品添加物として認められていないものが入っていなければいいのか。
日本は品質の高いブランド牛があり、畜産農家の細胞の知財をどう守るのか。
論点はたくさんある。
(多摩大学 ルール形成戦略研究所 細胞農業研究会事務局の吉富愛望アビガイル広報委員長)
「超高齢化社会が訪れる日本では、健康を意識して食生活送らないといけない人がいる。また、これまで動物愛護の観点でお肉を食べなかった人に対しても培養肉は需要があるかもしれない。日本にはいい食材がたくさんあるので、培養肉のもとになる質の高い細胞が手に入り、ブランド化ができるかもしれない。日本がいないところで新しい肉の世界基準が決められてしまわないように、ルール作りを進めたい」
科学技術振興機構の湯口玲子副調査役は、培養肉が普及するためには、情報の透明性が重要だと指摘する。
「培養肉が社会に受け入れられるために必要なこととして、2つポイントがあります。まず製造過程自体が安全なものであるかどうかということを、きちんと消費者の皆さんに伝えて理解いただけるかという点です。それからもう1点が、培養肉の原材料が体に取り入れて大丈夫なものであるということを、きちんと証明できるかどうかというところです。いずれにしろ、消費者と作る人とのコミュニケーションが重要な点だと考えます」
綿密なコミュニケーションを
迫るタンパク質危機に対しての選択肢の一つとして、大きな可能性を感じた。
一方、専門家が指摘しているように、消費者がどのように培養肉を受け入れるのか、また、畜産業との関係がどうなるのか、しっかりと議論することが重要だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211121/k10013354981000.html
何人かで飲みに行くと料理は当然みんなでつつき合う。シェアして当然の文化がある。これが微妙に嫌だ。
汚い、というより分ける感覚が苦手だ。食べたいものはたくさん食べたいがあまり好きではないものは手をつけたくない。
今、こういうご時世だからシェアする文化は廃れてくれないだろうか。
現状は多くの飲み屋のメニューは一皿で2人くらいでシェアする前提の量になっているものが多いが、これをもう少し少量にして個々に頼むスタイルになっていかないだろうか?
古いエッセイを読んでいると、「男3人で飲みに行き枝豆と焼き鳥をそれぞれみっつづつ頼んで」といった表現があり、昔は食べたいものを個人で頼んでそれぞれ食べていたと思われる。
また、これは居酒屋でバイトをしていたときに知ったのだが、外国人グループはシェアして食べる文化がないようだ。5、6人で来てそれぞれが「えだまめ」「サシミ」「ポテト」と言ってオーダーしていく。料理は頼んだ人の前に置かれその人が一皿独占する。ちなみに会計の際はワリカンなどせず自分が頼んだ料理ぶんだけそれぞれが支払っていく。
こう考えると飲み屋でみんなで料理をつつき合う文化はいつから始まったのだろう。最近なのではないだろうか。(最近と書くと30年前は最近じゃない!とかうるさいことを言う奴がまたいそうだが)居酒屋チェーンが台頭して、若者も居酒屋に入りやすくなってからではないだろうか。
注文の際にいちいち揉めたりしない。これは3個入りでメンツは4人だから、えーと2皿頼んで2個は半分に分けようか、とか、焼き鳥は人数分頼もうか、いやでもレバーはそんなにいらない、タレでいい?皮は塩だろう、とか、そういうぐだぐだが一切無くなる。
おれはだし巻きとつくねをたれで!わたしは海鮮サラダの小とポテトフライ!きっぱり、はっきり、すっきり迷いなしなのだ。
また、残りひとつになってみんなが遠慮して誰も手をつけなくなった冷めた唐揚げ、なんて悲しい子を無くすことができるのだ。
前々からそう思っていたけど、はてブにあがってきた記事がまさにそういう内容だった。
上記の3つで十分だと思ったし「4.VRChat原住民はVRで何をしているのか」以降は興味がないので読んでいないが、VR界隈にもVRのどうでもよさを理解している人がいるんだなと感心してしまった。
自分もガジェットマニアの端くれなのでOculusなどは持っているが、一通り試したあとは一切起動する気になっていない。
高性能なVR機器が100円で投げ売りされててもほとんどの人は買わないし買った人も大半が1週間もせずに飽きるのは容易に想像がつくね。