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シンプルにツッコむは
後先(前提)があれば殺人(行為とその結果)『簡単です』←コレ証明やなく増田の感想やんけ
まず後先考えていない人物、またはその状態の人格と殺人がどのように結びつくねん
Xという人物がYに対して行う精神活動とその結果なんて殺人以外いくらでもあるし、殺人という結果に結びつく割合が仮にではあるけど過半数ぐらい(51%)はないと『簡単である』という量的根拠のある証明または客観的評価にはならんやろ
要は殺人を行うという結論とその前提条件としての『後先考えない』の間が飛躍しすぎてるんよ
どれくらい再現性あるんや?
あれやれるのって「脳みそもバイタリティも人並み以上にあるけど日本の会社勤めはやれない社会不適合者」
っていうめちゃくちゃレンジの狭い層にしかできない気がするんだけど?
ギグワーカーをメインで、ネット経由の転売とかの直接人を介さない利ザヤ稼ぎ業で生きていくってなんかテンプレあるみたいだけどさ
一瞬の行動力は持てるかもしれないが
ギグワーカーで稼ぐのってどっちかというと長期的にコツコツやる能力ないと無理じゃね?
転売とかも結局他人より早く裁定取引できるような位置につくのが大事で
そう言う目敏さがあるやつってニートになるかなあ
ネットで目立つような話ってこういうのをデフォでやれる能力があって
さらにそのパターンを人より早く物語化して売り出してネットで有名人になって売り抜けて小銭稼ぐっていう
言い方悪いけどねずみ講の元締めみたいな才能あるやつが広めてるだけじゃね?
だとしたらハテブでその片棒担ぐのって良くない気がするんだけどさ
実際こういうので長期的にうまくやってけるやつどれくらいおるん
シャワー中、ふと「正岡子規の解像度って低いよね」と思った。彼について、大半の日本国民は、左を向いている氏の顔写真かあるいはホトトギスのイメージを漠然と抱く程度の知識しか持たないだろう、まあ私も知らないんだけど、と考えた所で、私は正岡子規の「解像度」ではなく正岡子規の「理解」と言うべきだったなと自らの過ちに気が付いた。解像度が低いという表現はけだし今風である。ここから転じて、「今風に言えば*」というワードで検索することにより私の知らないシノニム存在に出会えるのではないかという仮説が生まれた。
子規は写実(写生)にこだわったらしい。見たものをありのまま誇張せず書くことが正義なのであーる、などと標榜して支持を集めたが、一方で、かの漱石には「二十世紀の今日こんな立場のみに籠城して得意になって他を軽蔑するのは誤っている」と批判を受けた。私は、ありのままを良しとする子規の思想には少しばかり同意する部分があり、例えば直近で言うならXに流れてきた毒々しい色彩の写真を添えて「まるで絵画だった」と書いた意味不明のポストが目に入ってうげーと思った。というか前にも同じ趣向のネタを見たので、またか、とも思った。モネの池だったか、アメリカのシリアルくらいカラフルな鯉や葉が写っていて辟易した。
そんなことを考えながら包丁をスポンジで洗っていたら小指が当たって、痛っ、となったが、幸いなことに血は出なかった。痛っ、となった瞬間、指をじっと見つめて、さあ、血が、傷口から血が出るのか出ないのか、どっちなんだい、(パワー)、と確認する時のあのドキドキ感は格別である。
夕食、スーパーで買った「蓮根のつくね挟み焼き」のパックを眺めながら、この食べ物のネーミングの正しさについて考えていた。「挟み焼き」で検索すれば出てくるが、中には「蓮根とえびの挟み焼き」、「ひき肉のれんこん挟み焼き」といった考え足らずなネーミングも見られる。この場合は、蓮根の[挟まれるもの]焼きとするのが正しいと私は思う。