はてなキーワード: 千差万別とは
毎度毎度「膣で気持ちよくなる女はいない」とXで書くやつがいて、男がエロ本知識で「中イキあるだろ^_^」と返して地獄にリプ応酬になっていくわけですが、100人ぐらいとセックスして理想の一本に近いのを手に入れた経験から言わせていただければ、結論から言うと膣中で気持ちよくなることはできる。だけれども条件が過酷。自分のサイズにあったチンコ。これが絶対条件。だからほぼ無理。膣トレも意味ないよ。
頭が海綿体の野郎だと「大は小をかねるんだから巨根ならいいんじゃね?」と言うんだろうが、甘い。大は小をかねない。自分のサイズよりデカすぎれば入らない、入ったとしても圧迫感しかない。気持ちいいかどうかの前にまず苦しいがくる。こうなると嫌悪感が強くなってダメ。しかも自分のサイズ基準だから、ちょっと大きいぐらいでも合わない可能性がある。小さすぎるのは論外。ちょっと小さくてもフィットしないのでアウト。膣の中の形は個人差が大きいので曲がりの勾配、右か左かそれでもフィット感に差が出る。
第一、チンコは目に見えるが自分の膣の中がどんなふうになっているか知ってる人の方がかなり少ないのではないか。私も医者にいくまで自分の膣が中で曲がっているとは知らなかった。そしてそういう人は決して珍しい存在ではないということも。膣内が長い人もいるだろうし短い人もいるだろう。チンコがあれだけ個体差があるのだからなんで膣も千差万別だと思えないのか。ガバも狭いもそれはお前のチンコと合わないせいだよ。挿入が気持ち良くないのもフィットしないチンコだからです。
こうやって書いていくと「膣イキ」できるチンコに遭遇するのがいかに天文学的な偶然に左右されるものかご理解いただけると思う。私が出会った理想の一本は童貞だったんだけど、とにかく入れた瞬間今まで味わったことがない気持ちよさで、生まれて初めてもう一回入れて欲しいと思った。こなれてくると気持ち良くて死ぬ死ぬいう人の心情がわかりすぎるほど理解できた。いままであれちょっと気持ちいいかぐらいでギャーギャー喚いてた自分がバカにしか思えなかった。まさに山岡さんに「あと2本待ってください、本当の挿入の良さを教えてあげますよ」といわれた気分だった。気持ちいい箇所を満遍なく擦り、ここというポイントからズレることがない。
それまでは挿入されると「あー入りましたかハイハイ」となり、動かされることによって摩擦で膣内があったまってキモチイイかな?→おキモチイイじゃん→イイヨーイイヨーというステップを踏んで、はいフィニッシュおつかれさまでしたーとなったのだけど、「山岡さんの究極の一本」だと、挿入されると、動かないで!となる。動かないでいるとそれだけでジワジワ腰が落ち着かない感じになり、自分で腰を動かし始めてしまう。口の中で溶け始めるチェルシーのように、甘い痺れが全身に広がる。よだれがたれそうになるがここからが本番で、快楽も苦痛に近いほどになって長い時間の果てはぐったりして起き上がれずそのままぐうぐう寝て目覚めれば「今日も一日がんばりましょう!!!」とポジティブな輝きに満ちた朝を迎えることができる。
入れるだけで気持ちいいという感覚はほんとに経験したことがなかった。
この至高の一本はLサイズのゴムを使うくらいでちょっと大きめかもしれない。普段はでかい金玉の中に埋もれているのだが有事には金玉の皮まで使って本体を表すのでなかなか壮観である。童貞だったけどいまや「甘い生活」の江戸伸介のようになり、手マンで潮吹きさせるぐらいお手のものである。才能があるということは偉大なことだ。
(ちなみに本人は全くセックスに興味がなく、30半ばまで童貞だったぐらいで、私はセックス の天才と思っているが「無駄な才能」「ゴミ」とにべもない。)
ここまで書いておきながら、ただこの一本よりさらにベストマッチする可能性があることは否定できないとおもってる。だけどこちらを手放してまた珠玉の一本を探すユアストーリーをするのはリスクがありすぎるので、今のところヨシ!としている。
グダグダ書いてしなったけれど、ちんこもまんこも相性があるので膣で気持ち良くなれなきゃ、そういうチンコだと思って双方諦めるしかない。手マンは技術なので習得できるからそっちで活路を見出すか、妥協するか、できなきゃ探しまくって◯◯人斬りのカウントを増やしていくルートを取るか。後者は修羅の道なのであまりおすすめしない。性病怖いz
チェーンクリニックは経営方針で診察時間を短く切り上げるよう指導されてることが多い
雇われ医師はそれに逆らえない
なので診察時間を長く取ってもらいたいならチェーンクリニックはまず除外したほうがいい
さっさと切り上げたい医師もいれば、なるべく話を聞こうとしてくれる医師もいる
普段は診察時間5分でも、ここぞという時にはしっかり時間をとってくれる医師もいる、本当にいろんな医師がいる
話を長めに聞いてくれる最高の医師を探そうとするよりは、診察時間最低5分すら守らないような最低の医師を避けさえすればいいと思う
最高を求めてしまうとドクターショッピングが始まってしまい、治療に差し支えるので
だから飛行機事故が起こるとパイロットの過失ではなくて、そのシステムそのもの欠陥を追求する仕組みが形成されていくための素地があった。
しかし、これが普通の自動車事故となると千差万別の技量の人間が運転することになるのでその事故は運転者の過失が追求される傾向にある。
こういった要素も自動車の事故回避するための設計変更の圧力がかからない理由だ。
もちろんユニバーサルでその運転方法に互換性をもたせるということが最も重要な理由なのはわかる。
いまはネット上に結婚や家庭の運営、子育てについての知見があふれていて、10〜20年前にくらべてみんなの理解度がぐんと上がっている感じ。
いずれは自分がしたり、されたりする可能性が高い、もしかしたら子育て以上に?避けがたみの強い人生イベントなのに。
ネットのヘビーユーザーやネイティブ世代がもう少し年とってきたら、もっとみんな漫画とか体験談とかTipsとか、愚痴とか怨嗟とか笑い話とか可愛い話とか泣ける話とか、いっぱいあげてくれるかな??
それとも、もうそういうインターネッツある??(あんま見ないけど小町とか??
そんで介護が身近になって、理解度もあがって、社会のしくみとか空気も変わって、楽しい介護ショップ(ジーチャン&バーチャンホンポみたいな?)とかもできて、
そしたら、もう少しみんなでラクに、楽しく乗り切れるようになる部分もあるんじゃないかな〜〜、なってくんないかな〜〜と淡い期待をしている
もちろん介護にまつわる悲惨な事故や悪辣な事件、ヤングケアラー問題、介護従事者の就業環境とか、問題は山積みだ。
そーゆーことの報道は絶対必要。でも、そこだけが広まって、介護=3Kの極みみたいな、ざっくりしたマイナスイメージと不安ばかりが先行してる気がする。
子育て同様、介護もエクストラハードモードから比較的イージーモードまである。
頼りにならない病院や、クソみたいなやべー施設もあるけど、いい病院とか素晴らしい施設、先人たちが積み上げてきた知識とか知恵、活用できる制度とか親身になってくれる専門家、めちゃんこ助けになってくれる人もいる。
やってられっか!!くそが!!みたいなことも多いし大変だけど、かけがえない言葉も、忘れたくない瞬間もある。なくはない。
すくなくとも3Kだけで切って捨てられるような営みではない。
命とか人間の尊厳についてしっかり考える機会になるし、自分自身に向き合うことでもある。
ただ良くも悪くもとてもプライベートな体験だし、千差万別で、一般化して語ることは難しい、
あと、子育てほどポジティブにシェアできないってのはあるかなあ?
そして今まさに介護に悩み、苦しんでいる人には、とりあえずひとりじゃないよって伝えたい!
2023年8月10日に5歳の息子に誘われて始めたポケモンGO
ようやくPL40に到達した。
最強トレーナーの皆様からすればまだまだとお叱りを受けるでしょうが
オートキャッチ無し、ほぼ無課金(ウソ)でここまで来たことをご報告致します。的な
本題はそれではない
孵化アクセスはギフトの枠が増える、そしてギフトはPL上げに効率が良いとの判断
現在フレンド数は大親友到達を除き100人前後で回している、大親友到達は12人
フレンドはレイド招待で増やしている、あっちから来ることもありほぼ承認
フレンドレベルを上げるには双方どちらかがギフトを開封しなきゃならないよね、
(レイド参加すると偶発的に既フレンドと重なり親密度進行することもあるが例外として無視する)
で、悩んでいるのはどっちが開けるの問題
フレンドリストではどちらかが開封済みなら水色の枠で判別できる
俺の基本運用は、毎日0時を過ぎたタイミングで届いているギフトを全部開ける
稀に、こちらで開封済みで親密度進行しているのにあちらでも開封する人がいるが
で、だ、結局フレンドの状況や運用は人によって千差万別なわけだ
つまりフレンドをほとんど登録していない、積極的に使って無い人も大勢いるだろう
そういう人は開封枠なんて気にせずにギフトが届いていたら機械的に開けているはずだ
で、機械的にお返し
ではでは、相手方をプロファイリングして、こいつは送る一方で良かろう、
みたいな判別を緻密にすればギフトの運用効率はさらに上がるんじゃないか
ポケモンGOからデータを抜いてExcelで管理できれば自動化と可視化できるのだけど、それに必要なAPIは公開はされてない
フレンドリストの画像からテキスト化してデータ化、これはさすがに手間もかかるし技術的制約も大きい。
どーすりゃいいの?
さすがにこの人数は覚えられない
なお、大親友到達のタイミングはしあわせタマゴを考慮して相手様に委ねている
俺はガチ勢ではないのでどうぞそちらでお楽しみくださいです
とはいえ、こいつ分かってねぇ奴判定してる人はもったいないのでこちらで使わせて貰っている。
この辺のノウハウや作法はググれば先人の知見にたどり着くのだろうが
俺はあえてググらない
だからここで聞く
みんなどうしてる?
新しいNISAが始まってから、果たして自分はどのくらい投資するのがよいか、どのくらいの損失であれば後悔しないのかを考えている。1800万円の枠をフルに埋めたとして、もし1/3や1/2が吹き飛ぶ暴落に直面したら、自分の心が耐えられるとは思えない。自分が許容できる最大損失額を見きわめる方法をいろいろ考えてみている。
自分の資産として「絶対にこのくらい持っておきたい」という防衛ラインを設けて、ラインを上回る金額を最大損失額とする。
例えばいま2500万円持っていて、老後2000万円問題というし2000万円は確保したいな、と思った人は残り500万円が許容できる最大損失額となる。
❌ 防衛ラインの見きわめが結局難しい。防衛ラインがいまの資産額よりも高い場合、その人は投資することができない。
ほったらかし投資術で推奨されている考え方。
例えばいま1800万円の資産持っている人は、老後の65~95歳の30年間=360ヶ月で毎月年金に加えて5万円を余分に生活費に使うことができる。これがもし1万円少なくなって「年金+4万円」になっても問題ないのならば、360万円×1が許容できる最大損失額となる。
✅ 毎月の生活費という親しみやすい金額で考えることができる。
❌ 老後まで遠い若年層のうちは現実感がない。インフレもあるし。
余分なお金で早期退職したい、と考えている人はこっちの方がいいかもしれない。
例えば年間生活費(含む税金)が360万円の人は、360万円の損失で1年早期退職が遅れることになる。N年遅れるくらいならいいかな、という人は、360万円×Nが許容できる損失となる。
✅ 仕事がつらかったり、老後を強く楽しみにしている人には向いているかもしれない。
❌ やはり老後まで遠い若年層のうちは向いていない。
若い人で想像力に自信がある人は、頭の中で想像してみるだけでいいのかもしれない。
✅ 簡単。
❌ 想像力は自分の精神状況に左右されそう。また家族と生計とともにしている人は、自分は良くても家族がショックを受けるかもしれない。
毎年収入と支出差し引きでどのくらい貯蓄できているかを基準に考えるといいかもしれない。
たとえばこの1年で200万円の貯蓄を見込む人は、もし200万円の損失を食らうと1年分の貯蓄がチャラになってしまうがそれは耐えられるのか、耐えられるとしたら何年分まで耐えられるか、で考える。
✅ 働きはじめの若年層は貯蓄が生活に与えるインパクトが大きいためオススメ。
❌ 資産が収入に比べて十分に大きい人は、この考え方だと物足りないかも。
もし自分や家族が、お金を理由になにかを我慢しているものがある場合、その金額を基準に考えるといいかもしれない。
などは取り返せないので、その金額分の損失が出てしまうと家族との関係にしこりがでるだろう。
❌ お金に不自由していない幸せ者にはあまりリアリティがない。
すでにある程度投資でリターンが出ている場合、それを「あぶく銭」だと考え、その分の損失は許容するという考え方。
✅ かなり保守的な考えで、生活が不安定だったり心が弱っているときにはいいかもしれない。
❌ 累積リターンがプラスのうちはいいが、もし累積リターンがマイナスになったら投資を引退することになるので合理的とはいえない。
30代の自分は 4. 5. 7. あたりの考え方を採用している。
他にもアイデアがあれば随時教えてほしい。
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思ったよりいろんな反応がもらえて面白い。
おおまかに
でパターン分けできそうだ。
自分は「疑って・向き合う」タイプなのであーだこーだ考えてしまうのだが、反応を見てると「信じて・距離を置く」タイプの人が多そう。
あくまで使用権単体の話ならば行使できるようにするのも1つの戦略なのでアリだと思う。
問題は作品の完成に向けた仕様書・発注書の性質を持つ契約においてである。
ここな。著作権者が同一性保持権を行使する構えであるとき、じゃあ検収してくださいって契約になる場合がある。
これは元々法人向けのひな型にはあるもので、先方のブランドを守るための手続きのテンプレ。
これを個人の著作権者がスルーして契約するととんでもないことになる。
とか確認作業が一気に発生する。たまにアニメ化で忙しくなってる作家などいるが、このタイプの契約が多い
別に本人がやる気なら全然いいし、時間作れるならOKなんだけど、その準備のないまま契約するとえらいことになる。
いやブランド守るために監修しなきゃいけないでしょ、って人もいる
なんで契約する前にまず編集とどういうスタンスで向き合うかをよくすり合わせる必要がある。
発達障害の子育てをして10数年。何かを成し遂げたわけではないけど中間報告でも誰かの役に立てばと思い放流。
高IQ(140オーバー)で凹凸持ち(wiskで差が30ぐらいあった)の子供がエリア(関東とか九州とか、それぐらいのエリアにおいて)でトップレベルの中高一貫校に合格。
なんだかんだありながら学校でもそれなりの成績をキープしながら合格してから数年、楽しく通っている様子。
発達障害と言ってもパターンは千差万別なのでみんなにお勧めできる話しではないんだけど。
我が家は一般的療育に加えて「小学校受験」が療育的な意味合いにおいてめちゃくちゃよかったと感じてる。
小学校受験って遊びたい盛りの幼稚園児を机に縛り付けて勉強させる非人道的なイメージがあるかもしれんが、やってみるとそうでもなかった。
むしろ自由に野原を走らせて公立小学校に通ってたらいろんなトラブルに巻き込まれてたと思う。
小学校受験はペーパーも大事だけど、運動や面接も同じぐらい大事。
合格にはこれらの総合力を上げていく必要があるけど、高IQ凹凸児にはわりと向いてるかやっておいた方がいい内容ばかり。
高IQなので理解力が並外れているので受験のペーパー対策の勉強はむしろ楽しんでやってくれる。パズル感覚。
好奇心も旺盛なので科学館、博物館などに連れていったり道端の草花の名前を当てっこしたりで経験値を貯めていく、面接対策
(これで障害児にありがちな"深く狭く"を避け、"広く浅く"いろんなものに興味を持たせる)
合格を目的にして親と一緒にいろんな運動をすることで微細運動~粗大運動の何が苦手かを早期に発見できて、なんなら運動の専門家にも見てもらえる
これらの行動を通して幼少期に濃密な親子関係を構築できる
で、合格できれば教育熱心である程度のお金を持ったご家庭の子供たちと一緒になる。環境は悪くない可能性が高い。
また、各家庭がそれなりに離れたバラバラな場所にあるので子供だけで集まって遊ぶということに制限をかけられる。
※高IQでも同年代よりも幼さが残っており低学年から子供だけで遊んだり友達の家庭に行くのは避けた方がよいので
小学生の間に”普通”に収まっていく子もいると思うが、もし高IQが続いているならぜひ中学受験もお勧めしたい。
凹凸のせいで日常のトラブルで自己肯定感が下がりがちなんだけど、中学受験塾はシンプルに偏差値で序列をつけてくれるので肯定感上がりがち。
で、高偏差値な学校に入ると全員診断済みなんじゃね?ってぐらい変人だらけなので多少の凹凸は目立たないし気にも留められない。
という流れで今の状況がある。
人を選ぶ話だろうけどお金があって、ある程度の都会で、高IQ凹凸児を育てるなら、基点となる小学校受験はチャレンジの価値があるよ、ということで。
その他
・公立小学校がダメなわけではないが(加配がつきやすかったりいろいろ手厚いところもある)、浮きこぼれはせっかくの子供の可能性をつぶしてしまうのでできるだけ避けたかった
・子供の適性に応じた「生きやすさ」を模索して補助していくのが大事
・自分は田舎の公立出身の小金持ち程度なんで子供の学友の話しを通じてエリートの再生産を生々しく聞けるのは面白い。富の偏在。
俺は下戸なので、ウイスキーについて何も知らなかったが、ウイスキーには味や香りの違いがあり、それこそワインのようにテイスティングを楽しむ、または楽しめるお酒なのである。
今、「楽しめる」という文言を追加したが、過激ハイボール派へのエクスキューズである。
ウイスキー派とハイボール派の区別の仕方であるが、ウイスキーを炭酸で2倍から3倍で割り、氷で冷やして飲むことをハイボールと呼び、ウイスキーを基本ハイボールで飲むことを好む者をハイボール派と呼び、それ以外のウイスキー愛好家をウイスキー派と分ける。
この対立は、コーヒーのブラック派とミルク・砂糖派と同等である。ただし、一点違いがあると考えている。
どういうことかいうと、ウイスキーを飲み、動画やブログで情報発信する者は、その味や香りの違いなどを楽しみ、個人の感想を発信しているのである。
ウイスキーにはワインのような味わい、香りが千差万別のお酒なので当然であるが、ハイボール派は炭酸で割って薄めているのである。
ワインを薄めて飲んで、その味や香りを批評するものがいるだろうか。
勘違いしないでほしいのだが、ハイボールという飲み方を否定するわけではないのである。多くのハイボール者は、「好きに飲んで何が悪い」と反論してくるのだが、そこを否定していないことを断っておく。
仰せの通り、好きに飲めばいい。
ただし、味や香りの違いを楽しんでる風に発信するのはおかしいだろうと言っている。
ハイボール派が好きなのはアルコールであり、飲酒行為であり、ジュースのようにゴクゴクと飲みたいからハイボールを飲んでいるだけで、味や香りがどうこうの門をくぐってはいないだろう、という点を指摘したいのである。
むしろハイボール派はウイスキーを薄めなければ飲めないのであろう。当然である。概ねアルコール度数は40度のお酒をゴクゴクとは飲めやしない。舌も喉もキツイ。ウイスキーが飲みたいのではなく、ゴクゴクと喉に流し込むアルコールが飲みたいだけなのであるから。
それはそれで良い。それは正しくビールの飲み方であり、ビールは大正義のアルコールである。それを批判する者はいやしない。
しかし、香りや味の違いを感じたいとは思ってはいないであろう?
冒頭でコーヒーの話をしたが、私はコーヒー党である。飲むたびに豆を挽き、ハンドドリップで飲んでいるが、別に砂糖ミルクを入れる飲み方を否定しない。カフェオレを邪道とも思っていない。
ただそれは、ブラックで飲まない者たちが豆に拘っていないからである。僅かな味や香りの違いを気にしていないからである。
単にカフェインを接種したいだけの者や、お茶という気分ではない時の飲み物として選んでいるだけで、ドリップの仕方、豆の煎り具合、挽き具合、そのような点に、言及しないものたちが多いからである。
しかし、ことウイスキーになると、なぜか炭酸で割りながら酒の品種にこだわる。
味はどうだ、香りはどうだ、と。
ハイボールは飲めばいい。冷えた炭酸でゴクゴクと飲める素晴らしい飲酒である。だが、あなたはハイボールを飲んでいるのであってウイスキーを飲んでいるわけではない。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
現在劇場公開中のガンダムSEEDFREEDOMを当時土6にテレビに張り付いていた人達にこそ見て欲しい。
何故なら心が若返るからだ。
不満な点はいっぱいあるし、ストーリーも他の人が言うほど最高!とは思っていない。
カガリの声優交代やキャラデザに対する不満の声を聞き「見終わった後、こんなのだったら映画なんて作ってくれない方が良かったと思ったらどうしよう……」と楽しみよりも不安を抱え劇場に行った。
そして上映中はただただひたすらに懐かしかった。
そして思い出した。
制服を着ていたあの頃を……
学校の廊下でキラ派の私とシン派の友人でケンカしてたあの頃を……
リアタイ視聴後に二つ折り携帯でメールの文字数が足りず二通三通と分割して長文メールを送りあっていたあの頃を……
ガンダムシリーズは再放送も多いし、DVDもある。今時サブスク配信でいくらでも見れる。
だけどそれらの方法で過去作を視聴した時には得られなかった何かが劇場にはあった。
消えこそしていないが、酷く弱々しく、今にも儚く消えてしまいそうだった「ガンダムSEEDが好き」という心の火に薪をくべられた。
私も男で元増田と似たような状況だったんだけど、タイムリーにも数週間前に別れてきた。交際期間は2年ほど。
やっぱり、どこまでいっても他責思考な人間とは長期的な関係は望めないと思うよ。どんどん自分が食われていって、増田の存在が彼女にとっての当然になっていく。現に「発達障害を理解してあげなくちゃ」と思ってるでしょ。彼女はあなたに歩み寄らないのに。そうなるともう救えなくて、二人そろって「社会に認められなかった悲劇の主人公」になるほかなくなる。
発達障害って人によって症状が千差万別だし、当事者でもないのに強く言いにくい部分もあるとは思う。実際私もそうだったからよくわかる。でも、その発達障害を免罪符にするのはどう考えてもおかしいでしょってことを彼女さんもおそらく増田も理解してない。
でもパートナーとなるとこうも話が変わってくるんだなと日々感じている。
とあるけど、それはあなたの問題じゃなくて、彼女さんの問題。コミュニケーションってものを彼女さんは「自分のことを理解してもらうこと」って風に理解してるんだと思うよ。
ちなみに、数か月前の自分とか周りの人とかを見てると、「理解のある彼くん」ってのは「不満は感じるし破滅を予想はしてるけど行動する(別れを切り出す)勇気が出ない人」だと思うよ。真に納得して理解のある彼くんムーブをできる人間っていないと思う。
うーん…実際はスペクトルと呼ばれるグラデーションがあるわけで。
どの段階から薬を飲むか?とか、飲んで効果が出るか?とか、努力で対策できる範囲はどれぐらいか?とかパラメータがたくさんあって千差万別なんだよ。
発達障害は併発がすごく多いから、「ASDの傾向は弱いけどADHDが強い」とかもあるし性格や各能力も関係してくる。
病名ではあるけど、それほど一括りにはできないよ。
だから発達障害全体を主語にするなら「できない」ことはない。手帳持っていたとしても。
「できない」人はそりゃいるけど…正直健常者でもいるからね。色んな理由で。
ただまあ発達障害のほうが大変な傾向はあると思う。