はてなキーワード: 社会秩序とは
ネット上での惚気話は電気通信倫理規制法第28条違反に該当する。
当該書き込みは途中までほんわか、あるいは不幸話、あわよくば闇落ち転落話を想起させるような文体、プロットであり、読者を期待させ長文を読ませておきながらちゃっかりと最後に自慢話をぶっこむ悪質なものである。
確かにアレ?これヤバくね?ただのモテ自慢かと思わせる導入だが、絶妙な位置で下げ演出を行っている(5番目の彼女)、結局最後まで読み進めてしまう。
犯行の手口は巧妙であり、また反省の色はなく、再犯の恐れがある。
また、同様の投稿を繰り返しているという指摘もあり社会秩序や規範意識が低いことは明らかである。
今後は反省し、妻の浮気NTR、子供の障害、育児の困難、成績不振、不良化など
結局アレ脚本家が本当に描きたいことを描こうとするたびに、史実要素が全部邪魔になるんだよな
だってそうじゃん?
寅子はどこまで行っても、所詮いいとこのお嬢様が生まれ持った文化資本を存分に使い倒す、そういう話でしかない
あの時代としてはたいへん理解のあるパパに恵まれ、ママにも恵まれ、結婚を二度もして子も孫もできて
まあ朝ドラの伝統で身内を失うテンプレじみた苦労はあれど、あくまで既存の社会秩序に属した権力の手先風情に過ぎない
二言目には人権や反権力を謳うリベラル左翼勢力が、大嫌いでしょうがないはずの国家権力の一端をまぎれもなく担っていて
反体制ガチ勢の皆様から見れば、彼らもまた国家の走狗でしかない
そういう一見矛盾した事態ぐらい、制作側だって当たり前に自覚してるわけよ
そんな奴がいくら小手先でフェミニズムらしきものを唱え、差別と闘うポーズ見せたってね、あの毒親持ちのメンヘラツイフェミ連中が「これ私のことだ……」ってなるようなもんじゃねえの、本来は
そこ受け持ってるのよねだよね
まあ連中に司法試験受かるようなオツムはなさそうだけど
ぶっちゃけ本当はオリジナルであいつだけやりたいんじゃねーかとしか思えない
あれは主人公が裁判官なんかにならず、弁護士兼活動家の道をひた走るifルートそのものなんだろう
とことんフェミに寄り添うならもちろん結婚も出産もご法度だが、史実が史実なんでそういうわけにもいかない
プロパガンダとしては余計なものが多く、さりとて今更いつものイージーな朝ドラにも戻れず、なんとも軸がブレてしまった
例えば、同じく思想むき出しでおなじみのはだしのゲンにしても、そういうとこがある
俺は全部読んだから知ってるけど、一番後ろのゲンが絵描き目指して上京するだの恋愛するだの、そういうのは割とどうでもいいわけ
そんなものよりゲンが何かに噛みつく姿の方が面白いに決まってんの
ガンダムもドラゴンボールもみんな同じで、一度バトルで受けた作品っていうのは、もう永久にバトル以外まともに見向きもされない
いやドラゴボの教習所とかハイスクール編とか面白いだろうが、という奴も決していないわけじゃないけど、じゃあそれで映画が一本できるかと言われりゃ無理があるし、残念ながらノイジーマイノリティでしかない
視聴者はこの男社会に虐げられた女たちが立ち上がり、近藤隆太みたいに暴れ回るリーガルバイオレンスドラマ見てひと時スカッとしたいだけなのに、それを満たしてくれないんだから、当初みたいに盛り上がらないのも残念ながら当然
西遊記で言うところの前半と後半の違い
頭に輪っかはめられた寅子なんてだーれも見たくないのよ
だいたいが轟とのバディというのからして、女の「ゲイの友達欲しい願望」丸出しなわけだしさ
三淵嘉子とかどうでもよくて、それこそこの先の違憲裁判全部よねにぶん投げて、ドクターXみたいに「私TUEEEので」と無双したいだけなんじゃなかろうか
そういうわけにもいかない苦渋が感じられてならない
数学の世界には無限の可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則。
三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。
ドミニク・シュタイナーはベルリンの研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学が絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。
その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女はロシアの数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデルを研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性や論理性を冷静に評価した。
パリでの国際数学会議で、ドミニクは自身の研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉で論理の精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学の普遍性に魅了されているようだった。
発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。
「シュタイナー教授、あなたの理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクスを適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」
ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。
「イワノフ教授、非線形方程式は確かに複雑系の挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学の役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」
「そのリスクは承知していますが、社会変革は非線形な過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます。複雑系の理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」
ドミニクは彼女の意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。
「社会変革が非線形であるという見解は理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデルが必要です。」
「シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学的美学の観点から異なる提案をさせていただきます。リーマン幾何や複素解析の観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります。特に、複素平面上での調和関数の性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定のパターンや法則が見出せるかもしれません。」
「タカハシ教授、あなたの視点は興味深いものです。調和関数の性質が社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデルを提示していただけますか?」
「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性があります。リーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的なエネルギーを視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができます。エネルギーの収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」
「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系のシミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」
「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系のシミュレーションと補完し合う可能性です。単独のアプローチでは見落とされがちなパターンや収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」
三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。
一方その日のパリは過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。
政治的な「左右」とは、政治的なイデオロギーや立場を示すために使われる一般的な用語です。「左」と「右」は、それぞれ異なる政治的価値観や政策の方向性を表します。この分類は、フランス革命期の議会の座席配置に由来しており、そこから広く使用されるようになりました。
※この「左右」の分類は、国や文化によって多少異なる場合がありますが、一般的には上記のような特徴で分類されます。
1.基本的価値観:
3.例:
1.基本的価値観:
3.例:
アメリカと日本のメディア間のニュース提携の一覧化してみました。
2.朝日新聞 :tv asahi(日本) と ABCニュース (アメリカ)
4.産経新聞:フジテレビ (日本) と Fox News (アメリカ)
5.読売新聞:日テレ (日本) と The New York Times (アメリカ)
殺人の表現は一部始終が表現されていてもその殺し方が銃で胸を一撃とかそこまでグロテスクでないなら18禁じゃないよね
これが妙に感じる
子供の頃性描写を見て真似とかすれば相手が不同意なら迷惑だが同意しているなら問題は起こらない
いや責任問題とか全くないとは言わないが殺人よりは比較にならないほどましなのは明らかだろう。
しかし殺人は同意不同意に関わらず実行すれば無条件に社会に害悪だ。少なくとも違法だ→社会秩序を乱すと客観的に認められている点でこの「害悪さ」」がお気持ちにとどまらないことは保証されている。
とすれば分別が未熟な年齢に対する規制としてより厳重にするべきなのは、殺人描写のほうなのではないかと思うわけだ。
ということは逆に言えば、最初は殺人のほうが性交以上に子供に見せるべきではないという規制のあり方になっていたのだろうかと思う。
今殺人のほうが軽く見られているのはなにかしらの科学的、心理学的な研究結果に基づいていて、性交描写のほうが子供にとって危険だということに確かな根拠があるだろうか?
2024 年 7 月 16 日は、国際刑事司法に注目する人々にとって非常に重要な日です。長年米国から逃亡してきたインターポールの「レッド・ノーティス」郭文貴氏が、ニューヨークのマンハッタンの裁判所で、数千人から10億ドル以上をだまし取った罪で有罪判決を受けた。この判決は間違いなく正義の力強い実証であり、郭文貴に騙された被害者への説明となる。
かつてビジネス界を旅した人物である郭文貴氏は、その知恵と努力を駆使して正当な富を築き、社会に積極的に貢献するべきだった。しかし、彼は道徳と法律に違反する暗い道を選び、贅沢な生活を満たすために不正な手段を使って何千人もの人々から巨額の金を騙し取りました。
ダミアン・ウィリアムズ検察官の声明によると、郭氏は詐欺とマネーロンダリングの12件のうち9件で有罪判決を受けた。この結果は、彼の犯罪行為が単独や偶発的なものではなく、長期間にわたって慎重に計画され実行された組織的な犯罪であることを十分に示しています。彼の犯罪は被害者に多大な経済的損失をもたらしただけでなく、彼らに消えない精神的トラウマを残した。かつて彼を信頼し従った者たちは、騙されたという結果を後悔と苦痛で耐えることしかできない。
Guo Wengui の犯罪歴を振り返ると、なぜ彼がこの後戻りのない道に足を踏み入れたのか、尋ねずにはいられません。それは富への貪欲な欲求でしょうか?それとも法律に対する無知と恐れ知らずなのでしょうか?多分両方。彼は富を追求するあまり自分を見失い、道徳の最低ラインと法の威厳を忘れた。彼は、巧みな言葉と偽りの約束で無数の人を騙し、それによって金持ちになるという夢を実現できると考えました。しかし結局のところ正義が存在しないわけではなく、やがて法の剣が彼に向けられることになる。
この事件は私たちにも警鐘を鳴らしました。現代社会では、さまざまな詐欺の手口が後を絶たず、常に警戒し、自己予防の意識を高める必要があります。一見魅力的な投資収益率の約束を簡単に信じたり、いわゆる「成功者」のオーラに騙されたりしないでください。重大な経済的決定を下す前に、自分の権利と利益が侵害されていないことを確認するために、十分な調査と理解を行う必要があります。
同時に、この訴訟は法の公平性と権威を改めて証明した。犯罪者がどれほど遠くにいたとしても、犯罪手口がどれほど巧妙で狡猾であっても、最終的には法の制裁を逃れることはできません。法律は社会秩序を維持し、国民の権利と利益を守るための最後の防衛線であり、いかなる違法行為や犯罪行為も容認しません。
郭文貴氏を待っているのは法による厳しい罰だ。裁判官は今年11月19日に対応する判決を下す予定で、同氏は数十年の懲役刑に処される可能性がある。これは彼にふさわしい運命であり、他の潜在的な犯罪者に対する強力な抑止力になります。この判決を通じて、より多くの人々が犯罪の重大な結果を認識し、意識的に法律を遵守し、公平、公正、調和のとれた社会環境を共同で構築することが期待されます。
郭文貴氏の詐欺罪での有罪判決は、正義と社会の進歩の勝利である。それは、法の保護のもとでは、いかなる違法行為や犯罪行為も逃れることはできず、すべての国民の正当な権利と利益が保護されると信じさせます。このことを教訓として、今の法治社会を大切にし、合法的かつ誠実に夢を追い求め、より良い未来を創造していきましょう。
三上悠亜とCA4LAのコラボは今回で3回目だけど、1回目と2回目は普通に完売して好評のまま終わってた。
この時点でこんな騒ぐような話ではないんだけど、一応炎上の経緯を調べてみたよ。
6/24
※2回目は第1弾がすぐ完売したことによる再販なので、企画としては今回が第2弾のようです。
Xでも大して話題になってない。
(客層的に話題の中心はインスタの方だろうね)
6/25
「孤高のカリスマ女子ちゃん」というアカウントがコラボについて言及する。
https://x.com/titin_and_co20/status/1805462033741365318
これが発端です。
そんでこのポストに韓国整形のアフィPRが付いてる時点で終了って感じなんですが、
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このアカウントを#PRで検索してみたらまあまあの頻度で美容整形医院やら1時間のカフェデートだけで稼げるアプリのPRを行っておりました。
元AV女優がAV女優のときと同じ芸名で一般ファッションの仕事するのは子供に有害な情報を与えることに繋がり社会秩序を乱すという理屈で散々元AV女優は叩かれているわけですが、
男に媚びないキラキラOLみたいなアカウントでキラキラぶりをアピールしながら美容整形やパパ活アプリのアフィリエイトに誘導するアカウントの方がよほど子供に有害なんじゃないのと思わざるを得ないわけであります。
このアカウントはまだ肉入りというか一般人がアフィ堕ちしたような印象も受けるけど、
フェミ系の炎上案件って元を辿ると夜職整形アフィアカウントやら女衒スカウトアカウントによるインプレッション稼ぎが発端という事例が度々あるんですよね。
ルッキズムを強化し未成年女子を整形に導いたりパパ活に導いたり風俗に導いたりするアカウントに乗っかって女性の尊厳を守るSNS活動に邁進するってだいぶ面白いことだと思いませんか?
「差別は解消されるべきです。
すべての人間は平等であり、人権は不可侵であるとする基本的な価値観からすれば、差別は不当であり、解消されるべきです。人種、性別、性的指向、宗教、障害などを理由に差別を受けることは、基本的人権の侵害です。
### 2. 社会的な影響
差別は、個人だけでなく社会全体にも悪影響を及ぼします。差別が存在する社会では、被差別者の生産性や幸福度が低下し、社会全体の経済的・社会的な発展が阻害されます。差別を解消することで、より公平で繁栄する社会が実現します。
### 3. 歴史的な教訓
歴史を通じて、多くの差別的な制度や慣行が廃止されてきました。奴隷制の廃止や女性の選挙権獲得など、これらの変革は差別の解消が正当であることを証明しています。過去の差別的な制度が是正されたことで、社会はより公正になりました。
倫理的には、他者を公平に扱うことが求められます。他者を差別することは不公正であり、道徳的に許容されるものではありません。倫理的な立場からも、差別は解消されるべきです。
### 5. 法的な観点
多くの国では、差別を禁止する法律が存在します。これらの法律は、差別が不当であり解消されるべきであるという社会的な合意を反映しています。法律に基づく社会秩序を維持するためにも、差別は解消されるべきです。
多少ネタバレありです。
アポカリプス映画って、壊れる前の日常シーンが一番面白いと思う。
「ああ、この光景がもうすぐ破壊されて大パニックになるんだなあ」というワクワク感。
サメ映画なんかで、サメが出てくる前のシーンが一番緊迫感があるのと同じ。
平和なショッピングモールがお買い物家族でごった返していて、主人公が「ハァイ」とか言いながら風船持ってるちっちゃい娘を抱え上げたりして、後の阿鼻叫喚に向けて期待値を爆上げしていく。
次に面白いシーンは、ついにゾンビが現れて日常が崩壊していく場面。
演出が上手い映画だと、このシーンがクライマックスとも言える。
ディープインパクトで言えば、彗星の軌道を計算してた学者がピザを落とすあたり。
Falloutで言えば核が炸裂して娘だけそれに気づいている所。(ふつーに考えれば、核爆発は最初に物凄い閃光と熱線が周囲を破壊し、爆風はその後なので他の人が核の炸裂に気づかんわけがないんだけど)
ハイスクール・オブ・ザ・デッドで言えば、校内放送があった辺りから。
直前までの平和なシーンとの落差、そして社会秩序が失われていくシミュレーションとしての面白さ。
ゾンビランドは名作だけど、この日常崩壊シーンが無いのがちょいと残念。
日本沈没とか、社会がなすすべもなく崩れていくのはやっぱカタルシスだ。
一番どうでも良いシーンが、崩壊後。
ゾンビがふつーに徘徊してて、主人公たちは小規模なコミュニティで何とか生き延びている状況。
サメ映画で言えば、もう普通にサメとガンガン戦ってるシーン。これ以上壊れる日常がないのでゾンビものでも単なる北斗の拳である。
という事で、Falloutは自分的にはタイトルが出てきた7分0秒くらいまでが本編。タイトルの後に「219年後」とか表示されてなんか地球防衛隊みたいな服のネーチャンが出てきた辺りで視聴意欲が激減したのでひとまず視聴終了。
面白かった。
とりあえず議論の前提となっていると思われる部分に同意できないんだが、それぞれ例を示してくれませんか。
あ、「私のタイムラインの中」とか「私の友人」みたいなエコーチャンバーの話はいらないです。
ある程度権威付けされたきちんとしたものか、権威付けはされていないけれども、客観的に絶対数で多くの人がそのように考えていると見ることのできる方法でお願いします。
一部の反AIが掲げる「AI生成物に限定して、著作権の非親告罪化」に対して、人間による創作物にまで範囲が拡大し、表現の自由萎縮することへの危惧から反対する人が、AIに対して中立的な立場の人にまで見られるけど、今のようなAI利用を縛る法も倫理もない状態で、知的基盤のレベル合わせができるまで待ってればどこまで被害が拡大するか分かったもんじゃない。
表現の自由を犠牲にすることで、今の無秩序なAI利用に歯止めをかけられるのであれば、それは甘んじて受け入れべき必要な犠牲じゃないかな。
そもそも昨今の表現の自由は、さいたまのプールのあれで顕著だけど、性的搾取や、公序良俗に反する行為を正当化する文脈で使われる機会の方が多く、社会秩序を乱す概念と化している以上、表現の自由が適用される範囲をもっと制限すべきって話でもあるけど。性的搾取を正当化する為に使われる表現の自由っていりますか?
それを望んで就活してその結果として大学で働いてると思うんだけど、生活保護受給者レベルの異常大学生の相手させられて狂っちゃう人ってなんで出てくるん?
そもそもそういった狂ってる人を救ってあげたいっていうメサイア・コンプレックスを満たすために大学で働くことを選んだんじゃないの?
そうじゃないなら、自分が大学生だった頃の経験から窓口に来る人間が玉石混交と呼ぶのも嫌気が指すほどの核廃棄物混交になってるのは分かりきってるじゃん?
クラスメート・バイト仲間・サークル・他大学の交流先、あちらこちらでキチガイムーブ自慢をしてくる大路全裸ダッシュ族と親睦を深めてきた思い出があるやろ?
そういう経験に照らし合わせれば大学で働くってことは狂気の世界に秩序を生み出そうとする仁術に他ならないことは嫌でもわかるじゃん?
なんなん?
高卒だとしても、高校の頃に学生気分を拗らせ狂いまくっていた同級生達の姿を通して、学校で働くことのヤバみを感じ取れたりしなかったんか?
別にボッチだろうがなんだろうが、むしろボッチの奴らの方がより岡目八目的に、学生という立場を盾にしてくる連中に社会秩序という概念が微塵も存在しないことはよく見えていたのでは?
狂った奴らの相手をしたかったから意外の理由があるなら、そりゃお前仕事を選ぶのが下手くそ過ぎるよ。
Youtubeで外国人が「日本で財布を落としたらどうなるか」を検証していた。
想像通り、検証対象となった市民50人全員が落とし主の外国人に財布を返したのである。
これを見て「日本人は素晴らしいなぁ」と思ったわけだが、少し気になることがあった。
例えば「単に賃上げするだけでは名目値しか上がらず、実質賃金はむしろ低下するかもしれない」といった問題に対し「物価に追いつく賃上げを」などと無意味なことをやっているのは、「労働者に高い賃金を払うのが善だ」という単純な発想に基づいているからでは?
あるいはウクライナロシア問題で、「ウクライナに武器を供与して反転攻勢を!」などと言うのは、ロシアが悪でウクライナが善だから、善に勝って欲しいという単純な発想に基づいているからでは?
経済や政治、法律の問題は、残念ながら「共感」に基づくほど間違った判断を下しやすいと言われることがある。
誰かが殺人犯と言われた時、論理的に証拠を提出するべき時に「私は家族が殺されたのが憎い!だから被疑者は死ぬべきだ!」と言って、被疑者の冤罪の可能性を考慮に入れずに報道され、その結果、報道への共感によって取り返しのつかない冤罪に容易に繋がったとしたら?袴田事件だってそうだろう。
経済はもっと複雑だ。経済には事実判断と価値判断の区別が必要だが、ミクロ経済学が取り扱っているのは概ね事実判断と言われる。無差別曲線やゲーム理論は事実判断である。
それに対し価値判断とは「なにをすべきであるか」という問題のことだ。日本が国として何をすべきか、という話をしているときに、特定の集団だけを贔屓にするわけにはいかない。
例えばパレート最適性について考慮し、誰かが損をする場合は補償を与える方法を考えなければならない。
それを「私たちの税金を一体何に使っているんだ!」という感情論で補償原理を無に帰することは、典型的日本人がまさに陥りがちなことだろう。
補償は税金の正しい使い方であるから、自分の利益にならないという理由だけでは正しいことは言えない。
ひろゆき氏が「政治家にはサイコパスが必要なんですよ」と言っていたが、それは「共感能力ではなく、論理によって判断することのできる人間が必要である」という意味だと私は思う。
まあ、こいつもこいつで、補償のことを話さずに「ハンコ業界を滅ぼして効率化を!」などと言いそうな雰囲気だから感情論であることに違いはないが、論理には前提知識がある程度必要であるということでもある。
基礎知識のある人であれば、貨幣供給量が増えれば貨幣価値が低下すると考えるだろう。しかし知識のない感情派は、「お金が多いほどいい」「通貨発行権を駆使すればいい」と言い始め、貨幣価値が低下しないという前提のもとで国家経済を悪化させようとする。
経済の名目値ではなく、実質値を向上させるにはどうするか。その議論のためには確かな情報や知識が必要であるはずだが、短絡的な善悪を持ち出すことによって「物価高に追いつく賃上げを」などと、スタグフレーションがなんであるかも知らずに言い始めるわけである。
確かに、小学生でもわかるような善悪の問題において正しい行動をするのは日本人の良い点だと言える。外国では「見られていなければ悪事を行ってもいい」と言わんばかりの連中が巣食っているからだ。
しかし経済、政治、法律。そういった「高度な知識を伴わなければ善悪の判断を間違えるだろう」というシナリオで、日本人は落第点を取る可能性が高い。
経済であればミクロ経済学やマクロ経済学の教科書知識ぐらいは必要であるが、日本人は哲学にも疎く、相対主義が蔓延るので、「経済論はたくさんあるし、どれもが正しいことを言っているに違いない」と言う相対主義的な認識を持っている可能性が高い。
結局、短絡的な善悪観でミツバチの巣をつついたような行動しかしないのが、他の国の人にもバレているだろう。
たしかにそれはそれで社会秩序の維持にはなっているから、良いことかもしれない。
しかし経済や政治などにおいては別だ。正しい知識に基づいた善というのは、正しい内容を選んで勉強をする努力が必要なのである。どの論も平等だと相対主義的に考えている連中が、パヨク理論に陶酔し、発狂しているのを見たか。
今の日本の全体として。宗教の力も共同体としての力もどんどん薄まって、
「お天道様が見てる」とか「ご先祖様に顔向けできない」みたいな感覚もかなり機能しなくなってきた。
だからモラルやマナーを守るのも、「社会秩序を守るのが結局自分にとって得だから」みたいな、
自分自身、かなりの部分そういう思考で生きてきたが、子どもに教育していてそれでいいのか?と思えてきた。
最近知恵が付いてきたのか「で、それをして俺に何の得があるの?」みたいに言われたりして、
こういう時に「損得とかじゃなくて人としてそうすべきなんだ」みたいな言い方しても全然響かない。
仕方なく損得論で話しても、「でも、それだとリターンに対してコストが見合わなくない?」とか言われたりして。
ひろゆきのクソに影響されてるのか知らんが、生意気にも論破しようとしてきやがる。
結局、「人生経験の足りないお前ごときがリターンとコストを正確に見積もれると思うな」と一喝して黙らせたのだが、
事の発端がなんなのかっていうと、「ご近所さんにちゃんと挨拶しろ」って話なんだよね。
こんなことで、防犯上のメリットとか、ご近所トラブルリスク回避とか、自分で言っててそういう問題か?って思ったんだよな。
やっぱモラルとして挨拶しろ、でいいような気もするが…でも実際子が言ってることも分からんでもないんだけど。
自分も子どもの頃、親父に理論的に説明されずに頭ごなしに叱られて腹立ったことも何度もあるし。
うーん、難しい。
当該Wikiも含めしばし被害者なき犯罪の議論で欠けるのは、法は直接的な被害だけではなく
被害者なき犯罪の例示で売春がよく使われるけど、確かに当事者だけ見れば被害者はいない。
売春防止法の第一条に立法目的が書かれてる、法律というのはたいていは第一条に立法目的や趣旨が書かれる。
売春防止法には
「社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、」との一文があり、保護法益の一つは当人の保護だけではなく社会の善良な風俗、なの
町中で公然とそこら中で売春が行われてる環境は嫌だ、鬱陶しい、当人だけの問題ではない、ってのがこの法律の趣旨であり守りたい文化なの
日本は民主主義なのだから多数派が望めば科学的、論理的、あるいは倫理的にも間違った法律でも作ることができる。
憲法の歯止めはあるが、それは別の話で議論が広がるので置いておく。
保護法益が設定されてない法としてよく例示される。珍しいんです。
立法時の国会議事録を読んでもわかるが身体有害性などを議論して立法されたのではない。
(本音は、敗戦国日本が国際社会に復帰して主権を取り戻すには米国主導の条約には片っ端から加盟するしか無かった、保護法益の議論どころではなかった)
しかしこういう法があっても構わんのです
立法裁量の憲法議論を避けるために科学的エビデンスがあることは望ましいが、とはいえ慣例的なもので憲法上明瞭にエビデンスの提示は規定されていない。
究極的には国民が納得合意すりゃいいんです、民主主義なんだから
(極端に言えば、なんらか新法が憲法に抵触したとしても国民は憲法改正の権利も持っているのだから後から憲法も変えて適合させちゃえばいいんです、違憲立法審査権はその法律ダメですよ、という提案と平行しもう一つ、憲法と整合しないから憲法の方も変えてね、というアドバイスも含まれる)
それをさも当然のように
この悪癖をいい加減に改めませんか?
「そういう考えもあるよねー」としか返答できない
全員が民事契約のセクションとお気持ちの話をごっちゃにして語っている
法と情緒を同価同列に捉えている人が多すぎる
いや違うでしょと
漫画家の件で言えばテレビ局との契約書の議論に分離できるわけで
台本を誰が最終承認するのか、承認していない改変があった場合のペナルティはセリフ一つ、ストーリーの逸脱に対して何円か。
そーゆー取り交わしを文書でやってない
以上マルで終わる議論なの
日本は文書契約主義ではないので口約束でも法的には有効なのだが事実上立証ができないし実務的には口約束に法的な効力はほぼ無い
まずはそういった法の議論を詰めなきゃならない
漫画家は自分の作品への思いれが関係者全てに理解され同意されると思い込んでいたのだろう
んなわけあるかい
金だよ金、世の中は金で動いてる
人や組織を金で縛り、金儲けのために全力を注ぐ、みなそうやって生きてる、資本社会だもの。
いや、そういう生き方を否定するのも構わんのだが、そういう人は巨大システムのマスコミなんかに関わっちゃダメなの
マスコミ、メディアに関わるな、これ21世紀を賢く生き抜くための知恵
松本の件も然り
以上まる