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はてなキーワード: ニーチェとは

2024-04-19

anond:20240418212609

孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。

サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身一人二役して会話していた。

それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまり一面的すぎる。

それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。

だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。

これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。

仮に合意形成の結果から相手心理状態類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。

復讐意図弱者男性が持ってるかは動機主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。

そして主観的には人間自己幸福を測り間違える。

これはデイヴィッド・ベネターが統計引用して例を挙げてるが人というのは身体障害知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。

どの立場であれ心理抑制環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。

隷属か破壊かはニーチェが扱っている議論だが、

ニーチェ正当防衛についてこう述べている。

━━正当防衛一般正当防衛道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義ほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまり人間的』

そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価正当防衛基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。

一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造寄与している。よって社会機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者価値付けの基礎となる社会進歩前進はありえない。

社会弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在搾取する主体である強者必要としてるからこそ残り続ける。

まり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマ流行規定するモード存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)

万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態規制しているのは社会報酬である。それが除かれた場合上記行為当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。

しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群智慧である

2024-03-04

「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね

いくつかバリエーションがある

無人島に[ジャンル制限]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[レコード]をn個だけ持っていくなら?」

……のような

[本]の場合に「聖書」という回答が西洋メジャーなことから元ネタ日本以外なのだろうとあたりをつける

調査の初手はとりあえずこれ

Desert Island Discs - Wikipedia

Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]

Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.

Desert Island Discs は、BBC Radio 4放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。

番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます無人島での生活とその選択理由について話し合います

このラジオ番組存在から1942年時点で「あるあるネタであることは確認できる

アメリカ一コマ漫画で「無人島もの」というジャンル存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない

普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ

ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日出版された

これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれ

Robinsonade - Wikipedia

Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]

ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段即興で考えなければならないフィクション文学ジャンルです。 このジャンル名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前ジャンル定義するために使用され、単に「無人島物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります

ということは、探すなら18世紀か……

一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど…

1611年頃

一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある

Uninhabited island - Wikipedia

The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]

無人島舞台にした最初小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界から漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミル文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]



こういうmeme的というか、とりとめのない雑談あるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ

残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見できなかった

何故調べる事になったかって、なんもかんもこのツイートのせい

https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20

有名な「無人島ひとつだけ持って行けるなら何?」という問答の元ネタ坂本龍馬

坂本龍馬は「国ぜよ」と答えて勝海舟を驚かせたという。

……という嘘豆知識

正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは

wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述

The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]

無人島」という用語は、社会的孤立し、物質手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます無人島での行動は、たとえば「無人島道徳」などの一般的思考実験です。

これの出典がOEDになっている

ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……

人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンル一般認知されている環境……であるはず

しか調査頓挫、有力情報がひっかかるまで塩漬けにする

へたすりゃギリシャ神話時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん

オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない

そうなったら手に負えん

日記

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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に

元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter

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ちょっと方針を変えてみるか

19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね

近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキル知識一般に広まったのがおそらくこの時期

その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない

いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキル知識関係なさそうに見える……

聖書って回答が多いってのはどこ情報ソース無いですやん

→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん

サバイバルガイド的な本が19世紀刊行されてないかを調べてみるか

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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見

無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ

このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人哲学者東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのものベートーベン楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。

発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い

ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな

しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……

見立ては大外れしていなかったか

さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?

もうちょっと古い時代にも言及がありそうな雰囲気はある

ケーベル博士ロシア出身日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスラジオ番組

20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか

しかインターネットだけでの調査はそろそろ限界

本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい

ここらで再び調査打ち切り、有力情報がひっかかるまで塩漬け

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ん……なんか別のバリエーションを見つけてしまったな

ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい

この発言の出典元文書ちょっとすぐには見つけられていないのだが

偉人名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル

ゲーテの生没年は1749~1832

無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種クローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ

Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島一般認知された?

元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする)
↓
Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した
↓
メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった
↓
さら時代下り、持ち込めるものジャンル制限になった

みたいな流れという仮説を立てれそうだが……

まあまあ、結論を急ぐことはない

頭の片隅エリアにこの疑問を保管してこの疑問は一旦クローズ

2024-02-22

anond:20240222221930

ニーチェ永劫回帰って怖くない?

物心ついたら弱者男性

ネットでは「弱者男性人生ハードモード、さっさとリセットしろよ、ほら早く早く早く早く早く早く早く早く」って書き込みを見てムキーーー!!!ってなって

弱者男性のまま死んでいく

これが永遠に無限に繰り返されるんだって


超怖いよね

2024-02-20

anond:20240220193151

上流階級の女の事例しか出てこないっていうのが答えなんだよね

  

IT化でようやくインド土人が米英の白人より優秀であることが明らかになったが

白人男性と文化的経済的資本家の子しか結果を出せてないという状況は正しい理解必要

いまいち基準分からんシモーヌ・ヴェイユとかアーレントとかは駄目なんか

ボーボワールとかね 単にじぶんがしってるニーチェ級の有名人が男だからしかいないと思い込んだのだろう


2024-01-19

海外にも日本のそれと同じようなことわざがあると知ったときに、そんな出来すぎた偶然ありえへんやろと思った。

最近はやっぱ人間である以上は似たような事考えんだなあって、理解というかなんか肌感覚で腹に落ちた。

芸術共通言語だの言葉を超えるだの言うけど、音楽よりも絵よりもダンスよりもよほど土地文化を超えた人間共通の何かを思わせてくれる。

大学哲学思想とか聞いてると、コイツおれと同じような事考えてんじゃんって事もあるし。それはまあ彼らの考え出した理屈が何らかの形で世の中に広まっていて、それが染み込んだだけかもしれない。にしてもやはり特定のそれに何かを感じて自分の内に取り入れたからには似たような心の形をしてんじゃないかって思う。

道具って目的とそれに相応しい機能があるけど、生き物ってそれがないよな?なんで生きてんだ?神様が決めたにしたって、その神様はどこにいんだよ?種の保存だとかも事後的につじつまを合わせてるだけだよな?自分なりに意義を見つけ出していくしかえんじゃないのか?

くらいの事は、サルトルだかニーチェだかより遥か昔から考えてた奴がゴロゴロいたんじゃねえのって気がする。

割と幸せに過ごしていたが、少し暗雲が立ち込めた。

昨日の今日なので、この状況の変化にもじきに慣れて安定する可能性はある。

原因は、未来の楽しみの実現が2つ遠のいた。あるいは叶わないしれないと感じたこと。うまく環境に馴染めなかったこと。

面白いはいすれのケースにおいても、自分自身能力や状況に変化が生じたわけではないことだ。形而下における私は何一つ失っていない。

失われたのは「希望」「自己肯定感」といった概念、つまり頭のなかだけで起こっていることだ。

つまるところ「何かいいことが起こりそう」という未来への甘い算段をテコにして幸福感を得ていたわけだ。バカほど幸せなのはこういうことだろう(自分のことです)。

間違った認識だろうと本気で信じているうちは事実のように人間の脳は扱える。

私が比較幸福を感じながら生きられているのは、単純に性分ゆえ未来への不安が少ないからだろう。

私はニーチェの言うところの牧人だ。何も志さず、平穏楽しい人生を送れればそれでいいと思っていた。

しかし、気付かないうちに、その楽しみを得るためには、何かを犠牲にして挑まねばならないところまできてしまった。

彼らにに認められ、椅子を得るためには努力や苦労が必要となる。私は無欲で無趣味ゆえ、そうまでして何かを得たいと思ったことはこれまでの人生なかったのだが、厄介なことになったものだ。

趣味が高じて私の数ある楽しみのなかで特別地位を占めた。それが団体競技だったがゆえに「他人に認められる」という容易に自己肯定感を揺らがせうるプロセスが組み込まれている。厄介だ。

どうしたものかな。

諦めるかやるかの二択だ。

今のところやる気でいる。

いつまでやるのかわからないが。

私は未来計画を立てるのは苦手だが、本当は期限があった方が努力にも身が入るものなのだろう。

まあ短期テストが予定されてるので、そこで実力が試される。それを目標にしていけばよい。残り一ヶ月と少し。三日坊主の私には丁度いい。

楽しく過ごしていたというのに。

上手くいっていると思えているとき楽しいものだな。

そして上手くいかいかもと思っているときは気分が沈む。

当たり前のことだ。

心が上を向いているか、下を向いているか現実の座標よりも幸福感に作用するものだろうか。「今」も大事であるが。

いずれにせよ、私も欲張りになったものだ。

それがいいことか、悪いことかは今の私にはわからないが。

そういえば近所のTSUTAYAはもう潰れてしまったのだな。

2023-12-26

anond:20231224210805

もちろん怖いよ。最大の根源的恐怖だもの

から多くの人は宗教にすがり、まやかし説明安心をえる。けれどニーチェも言ったとおり、神という考えには問題が多すぎる。人間超人となって神なき世界を生きなければいけない。

2023-11-28

海外特に英語圏って日本90年代以降に捨て去った衒学趣味(よく言えば教養主義)みたいなものを未だに持ち続けてるんだよな

90年代流行ったエヴァlainのようなやたら難解かつ衒学的なスタイル日本では馬鹿にされるようになった

難解そうに見せて気取ってるだけで結局中身なんかねーじゃんってのがバレてしまったわけだ

その反動として今のアニメが行き着いた先というのが、なろう系のような安直さをこれでもかと言わんばかりに露骨に表出させた作品の数々だ

下手に賢ぶった小難しい作品なんてイキってるだけでダサい。中身なんて最初からないんだから安直何が悪い?という開き直り合理主義の極みである

(なおこれにはイキリの代表であるヤンキー文化の衰退とも関係があると思われる)

一方で海外で高く評価されているアニメ基本的に難解という評価を受けているものが多い

例えばエヴァAKIRAlain天使のたまごなど

特に後者三作は海外での人気のほうが高いくらいだ

アニメ以外でもその傾向はうかがえる

例えば日本ネット右翼といえば反知性主義の極みともいうべき存在であるが、英語圏ネット右翼はその真逆と言ってもいい

彼らの主張は煎じ詰めれば日本ネット右翼とさしてかわらない

では何が違うのかといえば、彼らは難解な哲学思想をやたらと引用して自身の主張を補強したがるという点だ

ナチスニーチェ引用して自己正当化を図ったのは有名だが、彼らは今でもそういうことをやっている

とはいえ自分に都合のいいように解釈を歪めたりするので、pseudo-intellectual(疑似知性=知的に見せかけているだけ)と呼ばれたりもする

結局のところ、自分の主張に説得力をまとわせるための飾りであって、本質的には中身なんてないのである

でもさあ、面白いじゃん

もう一度ああいもの流行ってほしいよねって話でしたおしまい

2023-11-26

anond:20231126182828

うん。「何か言ってそうで何も言ってない文」はChatGPTで大量生産されるようになってるから自分の内部の感覚をなんとか捻り出す作業AI時代にはこれまでよりも重要。そのためにも、「ニーチェ名言集」みたいな捻り出したウンコを鑑賞するような本ではなくて、ああいう強力な人の思考言葉になる過程を追跡するのがいいと思う。

anond:20231126181430

とりあえずニーチェは読んでみる。

というか、光文社古典新訳文庫ではあるけどニーチェの本は全部買って手元にあるんだ。いわゆる積読状態

あ、それと自分元増田だよ。

語彙力が足りず文章力がなく表現が雑で言語化能力が低いのは昔からコンプレックスなので、もうちょいマシになるべく頑張る。

草枕を読んだり徒然草を楽しめる感覚と、フリーレンを楽しめる感覚は似たセグメントにある

これも言わんとしてることはよく分かるんだけど、草枕徒然草を楽しめる感覚の持ち主がフリーレンを楽しめるかというと、必ずしもそうではないのかなと。

なぜならフリーレンには現代風の味付けがなされていて、その味付けが人によっては好みがわかれるようなテイストだと、少なくとも自分はそう感じたから。

anond:20231126180739


「あとドストエフスキーニーチェ的なのではなく、ニーチェドストエフスキー無神論に影響を受けてる。」そういう話をしてるんではないよ、ニーチェ読んでみ。ドストエフスキー的なものとは全然違う。

「楽しんでいる人たちの大多数はもっと感覚的なところで素朴に純粋に楽しんでいる」

ここで目にする増田に比べると君は本読んでそうだけど、「感覚的なところで純粋に楽しんでる」なんてそれらしいだけで中身のない雑な表現をしてきて残念だよ。文化資本がなければその「感覚」がないって話をしている。そしてたとえば草枕を読んだり徒然草を楽しめる感覚と、フリーレンを楽しめる感覚は似たセグメントにある、という話をしてるんやで。

anond:20231126175631

草枕徒然草ファウストフリーレン的だと思わんかった?ドストエフスキーニーチェ的だとは全然思わん。夏目漱石を楽しめるならツァラトゥストラも楽しめるはずだと思うけど。あとは古典SFファンタジーじゃね?四畳半神話大系シュタインズゲートゼーガペインにグレッグイーガンが多大な影響を与えているのは確かだけど、知らなくても説明的だから楽しめるんじゃね?フリーレンは説明感情抑制してるから教養ないと楽しめないって言われるんだろね。

草枕徒然草ファウストフリーレンと関連づけるという発想そのものが出てこなかった。

あとドストエフスキーニーチェ的なのではなく、ニーチェドストエフスキー無神論に影響を受けてる。

古典SF四畳半神話大系シュタインズゲートゼーガペインにグレッグイーガンは一切履修してない。完全にそのあたりの知識は欠落してる。自分が知るファンタジーゲームRPGほとんどかもしれない。それが原因なのかも。

今回、ネットSNSフリーレンの感想を漁ってみたんだけど、楽しんでいる人たちの大多数はもっと感覚的なところで素朴に純粋に楽しんでいるように見えた。

なので、教養がないと楽しめないというより、教養があるとより楽しめる作品なんじゃないかな、というのが個人の感想

それはフリーレンに限らないけれど、フリーレンはどちらかというと起伏があまりない作品なので、その傾向がより顕著になるんではないかなと。

anond:20231126174653

草枕徒然草ファウストフリーレン的だと思わんかった?ドストエフスキーニーチェ的だとは全然思わん。夏目漱石を楽しめるならツァラトゥストラも楽しめるはずだと思うけど。あとは古典SFファンタジーじゃね?四畳半神話大系シュタインズゲートゼーガペインにグレッグイーガンが多大な影響を与えているのは確かだけど、知らなくても説明的だから楽しめるんじゃね?フリーレンは説明感情抑制してるから教養ないと楽しめないって言われるんだろね。

anond:20231126173559

ファウスト異邦人失楽園徒然草草枕は読んでるな。ツァラトゥストラニーチェ)は読めてなくて恥ずかしいが、ニーチェが多大なる影響を受けたドストエフスキー、彼の作品ではカラマーゾフの兄弟罪と罰白痴、貧しき人々、地下室の手記は読んでる。

漫画アニメドラマ映画で最低限の教養って他に何がある?

2023-11-23

anond:20231123143952

ベルクソンは、文芸作家並みに文章が上手いので、増田は騙されているんだよ。きっと。

彼の言う所の、意識は「純粋持続」として存在しているなんて、どう考えてもフィクションなんだわ。

ニーチェが、暗に「あんバカぁ?」とベルクソン批判したのも当然と言える。

真に賢いのはニーチェ

2023-11-19

anond:20231109211902

池田大作戦関連のニュースでいくつか見かけたコメントとその感想について

 

 

 

 

政教分離を生み出したのはローマ帝国時代キリスト教なので、政教分離を語る時、実に我々はキリスト教を信じていることになる。ニーチェが言うように人権博愛ダイバーシティ人権の全てがキリスト教なのよ

 

意味不明日本人がそれを語るときは、判例に基づく理解か、「政教分離」という用語に対する自分なりの適当イメージ理解で語るはずで、そこに一々キリスト教への信仰が関わってくるとは想像し難い

 

 

 

宗教を大げさに排斥したがるのはマルクス主義の影響だろう.

根拠不明(「宗教を大げさに排斥したがる」というのと「マルクス主義の影響」)。

 

 

>きっちり引用元提示してて素晴らしい増田サヨクの俺解釈では普通に考えて信教の自由バッティングすることすら理解が及ばない馬鹿サヨクが多すぎる。あれこそ反知性主義

根拠不明(「馬鹿サヨクが多すぎる」「反知性主義」と断ずるためのコメント並びに根拠が見当たらない)。何らかの妄想に基づいてコメントしていたり、「反知性主義」の用語について理解していない可能性がある

 

 

>例えばドイツだとメルケル元首相の政党が「キリスト教民主同盟」だし、宗教政治に関わるのは民主主義という観点から何ら問題ないのよね。

民主主義」という言葉にもその社会ごとの理解社会通念)があるので、一概に問題なしとは言えない。日本問題に対してドイツの例を挙げることが必ずしも適切であるとも言えない

 

 

憲法学教科書を一冊も読んだことのない人が最高裁判例だけ読んで政教分離特に何を禁止していないか)を理解するのは相当難しそうだが…(ブコメ感想

特に何を禁止していないか」というのが意味不明。こういう質問をするあたり、少なくともこの人と同調者にとっては言っても理解できないんだと思う。

 

 

 

民主主義である限り大勢が信じている宗教に偏る危険性は避けられないわけで、それがおかしいなら民主主義を止めるの?参政権剥奪するの?って話よね。公権力行使のみを制限するのは妥当だと思う。

理解議論が雑

 

 

>連立する政党支持母体のお偉いさんに弔意を表するのが国として特権を与えたことにならないのは明らかなことのように思うよ

多分最高裁違憲とは言わないだろう、そもそも訴訟対象になりえないだろうから、この意味では明らかだろう。ただし、批判対象にはなりえる

 

 

 

ルール上していいかどうかと、本当にするべきかどうかは別の話なんだけど、区別がついていない人の多いことよ。ルール上はOKだよ、っていうとその行為を称賛してるととらえる人も。

ルールがその行為を認めるかどうか、とその行為合理性や当否は別の話

 

 

 

>間違った政教分離解釈見るたびに『ドイツで大々的にキリスト教名乗る政党普通に議席取りまくって活動してるやん』というツッコミしたくなるところはある

ドイツの例を持ち出してくると、日本憲法がどうにかなるのだろうか?意味不明ツッコミ

 

 

民主主義国家である以上何らかの組織構成する個人選挙権という政治的な力を持っているので、政治的な力を持たない組織や集団というのがまず存在し得ないんだよな。

憲法規定それ自体曖昧さにそもそも問題があるのかもしれない

 

 

>どの宗教トップだったら首相として公式哀悼の意を表するのだろう。その基準があるならば知りたいところ。あまり他に見たことはないけれど。

 国家元首でもなく、世界宗教トップでもない人に対して、内閣総理大臣として弔意を示す合理性ってなんだろうね

 

 

 

ないわー欧州の一部や米国のような国教になっているような国ならともかく、現状の日本カルト新興宗教に対して総理大臣声明を出すのはありえない

アメリカ合衆国憲法修正1条で国教樹立してはならないと定めているので、この人が「国教」に対する理解を誤っている可能性がある

 

 

政教分離原則ギリギリラインを攻めている感

言うほどギリギリか?かすりもしないのでは?

 

 

素人目にはこれに突っかかるのはどうかなと思う。人が死んだら公の場では(公人なら尚更)悲しみを表明すべきだし、言葉も『尽力・重要役割足跡』と、事実を述べるにとどまるものを選んでいるように読める。

ところで、大先生に対して日本政府叙勲しないのはなぜなんでしょうね。内閣総理大臣が態々弔意を表す程なのだから、きっと国民栄誉賞文化勲章旭日大綬章程度の勲章はとっくの昔にもらっているかと思ったが

 

 

>いやはや。創価学会は公称800万世帯を擁する日本最大の宗教団体で社会的影響力も極めて大きい。そのトップ逝去哀悼の意を表するのは社会儀礼範囲だろう。政教分離原則目的効果基準にも反しないのは明らか。

その理屈だと、他の宗派(例えば真宗)のトップに対して一々哀悼の意を示さないのは不公平ということになる。ことさら大先生に対してのみ弔意を示す合理性は見いだせない。俺が知らないだけで、歴代内閣総理大臣哀悼の意を示しているのかもしれないが。そして、この考え方だと、歴代会長が亡くなった際には、一々内閣総理大臣が弔意を示さなければならなくなってしまうのでは

 

 

 

>生きてたのか。空海と同じく、このまま120歳とかこえても、生きてる設定で神に近くなっていくと思っていた。/今日(11/18)は創価学会創立記念日らしい。あえて、発表を18日にしたんかな。

即身仏になるのかな?と思いきやあっさり荼毘に。

 

 

 

 

トップブコメたちがトップブコメがどうこう言ってるけどどれがどれを指してるのか分からんくてカオス

殺人事件に発展しないための平和的な試みなんでしょ(適当

 

 

 

公明党創価学会の指示の元動いてるのに、公明党政府にいるの「宗教団体が、政治上の権力行使すること」に当たらないのがよくわからない。票欲しさの屁理屈だよな。トプコメ批判してるブクマカ学会員だろ。

他人信仰透視できる程度の能力の持ち主

 

 

 

憲法第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力行使してはならない。/コレが日本憲法における政教分離

憲法の条文だけ持ち出されてきても良くわからん

 

 

 

>「憲法の名宛人は国家である」。例えば国民の三大義務が憲法に書かれているが、あれは国民憲法上の義務があることを意味しない。国民憲法違反できないし、宗教団体も憲法違反できない。

それは私人間効力を認めるか否か(憲法の条文それ自体には「憲法の名宛人は国家である」とは書かれてない)で変わってくるので、一概にそうであるともないとも言えないのでは。まあ、直接に適用することはないけどね

 

 

 

 

>どれにスターつけたらいいかわからん感じになってる

好きにしろ

 

 

>浅はかな rub73 のための説明: "「政治上の権力」とは立法権課税権などの統治権力のこと。政治活動のものではない。" (芦部信喜憲法」) ※憲法学教科書読め https://anond.hatelabo.jp/20231118203326

憲法学教科書」という言い方だと玉石混交の中から石を探り当ててしま可能性があるから、最新の憲法判例百選+最近判例を読んだ方が適切な気もする

 

 

トップブコメを浅はかな知識で指摘してる奴にスターつけてる奴はやばい憲法20条の1項後段では、「宗教団体が、国から特別優遇措置を受けること」と「宗教団体が、政治上の権力行使すること」を禁止している。

これだけだとわからないよ

 

 

 

政教分離理解してない人、はてなでもこんなに多いんだね。欧州連立政権一角によく「キリスト教○○党」みたいなのが入ってるのさえ知らないのかねえ。

日本憲法とその運用の例に対して、欧州を持ち出してくると、どうにかなるのだろうか?頭がパーンとなるとか?

 

 

トップコメ勘違いしてるけど政教分離国家特定宗教優遇弾圧するなってことであって宗教者の政治参加は否定してないからね(棒読)/建前論だけど戦中宗教団体を政府が好き放題弾圧した反省って奴がある訳

から誰に対して言ってるんだ

 

 

トップブコメスター押してるやつは、政教分離勘違いしてる。恥ずかしいぞ。宗教政治に関与するのを排除するのではなく、政治宗教に影響与えないという原則統一教会解散命令の方が原則抵触してる

から誰に対して言ってるんだ

 

 

 

2023-11-14

ニーチェ「いいか学生さん──」

「いいか学生さん深淵をな、深淵をいつでも覗けるくらいになりなよ。それが、人間強過ぎもしない弱過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」

2023-11-07

anond:20231107223826

ニーチェって聞くと

浦安鉄筋家族ニーチェ ババババババババって叫びながら脱糞して糞だるまになりながら坂を転がる国会議員の姿を思い出すわ

今日日記

午前は講義がないので昼に起き、遅めに家を出て電車に乗った。

田舎なので昼間だと電車内は空いており、余裕で座ることが出来た。

から読みかけ文庫ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を取り出して読むことに。

本を広げる前、顔を上げると向かいの席にはカップルが居た。

世代に見えた。空いた座席に並んで座り、随分と密着している。

よく見れば手を握っている。互いの目を合わせずとも口角の上がった顔。

俺は読書に集中しようと本文に目を向ける。

ニーチェは偉大な哲学者だ。

彼は童貞で死んだ。

かいカップルなんて、いくらいちゃいちゃしようとも世に名が残ることはないだろう。

歴史に名が刻まれるようなこともないような人間だ。

俺は読書に集中しようとする。微笑みからまれる笑い声が聞こえた。

ちくしょう

ニーチェは偉大な哲学者なんだぞ。

2023-10-21

anond:20230506011254

未だにニーチェハイデガーとか言ってるのが哲学の終わっている所なんだよな。

まず、ニーチェハイデガー人間なんだから誤りを犯すのは間違いない。

哲学現実で使える実学指向している所を考えると、過去に発行された本や提唱された思想の誤りはブラッシュアップを重ねるべきで、ニーチェハイデガーが作ったことがわからいくらい改良されていることがあるべき姿なんだよね。


実際の哲学家の活動としては、過去哲学者の考えを批判することは割りと普通だし、哲学家の考えをベースに発展させることは日常ではあるんだけど、

その批判妥当かどうか、それを後世が取り込むべきか取り込まないべきかどうかを検証する方法哲学にはないから、取り込みたければ取り込むし取り込みたくなければ適当理屈をこねて取り込まない。

からいつまでも振り出しに戻ることができるし誤りを放置し続けることもできる。未だにニーチェだとかハイデガーとか言っててやばすぎる。


ごく一部の分野を除いて哲学学問の礎になったという史学的な意味しか意味のないものになっている。

2023-10-15

20231015[アタック25]Next 2023年10月15日 #82 なんでもペア大会 2023-10-15結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

日曜日の本放送だけ1時「25」分から

BS1からボタン2回(今だけ?)とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

ジャパネットアプリ放送同期・見逃し配信あり

 

大和田武伸 千葉弘絵 カップル@青森

[吉]田寛章 元村謙介 上司・部下@兵庫大阪

平田侑夏子 武正奈菜子 友達@東京

土居悠希 山浦孝一 先輩・後輩@広島兵庫

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある建造物名前]シドニー・)オペラハウス

・02 ツタ(蔦)

・03 卓球

・04 ガリレオ

・05 兼近大樹 かねちかだいき

・06 [すべて][5答]チリ フランス スペイン イタリア オーストラリア

・07 フィート

・08 布袋寅泰 ほていともやす

・09 [近似値]9.93(メートル

10 [ドイツ語から]コッヘル

11 [3択]毛利 元就 もうり もとなり

12ハイキュー!!

・13 [英語]アイボリー

・14 [ペアクイズ]2番と7番

・15 ニーチェ

・16 [アルファベット3文字]UMA ユーマ

17 LiSA リサ

・18 [ふるさとクイズ][愛知県蒲郡市]砂

・19 C

20 『翔んで埼玉 ~)琵琶湖(より愛をこめて~』

・21 ヨシタケシンスケ

・22 CANOE カヌー

23 [AC][アルファベット4文字]ISBN

24 ランボー

・25 [3択]フルート

・26 [国]タイ

・27 10(通り

・28e 遠藤航 えんどうわたる

・xx [ある人物名前]有島武郎 ありしまたけろう

 

81→82 10.29 14:30前 回数補正

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