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2017-10-18

ヤリチンはなぜ殺されないで済むのか

セフレ複数人いるっていう男をみると、

なんで生きながらえてるんだろうなあって思う。

定期的に会ってセックスする。でも恋愛感情はない。

それでオッケイって女、そんなにたくさんいるのかなあ。


その複数名のなかに絶対

「たったひとり」になりたい女のこが含まれていって

自分の番」じゃない夜にその子

他の女の子エッチしている好きな男を想像して眠るんじゃないかなあ。

好きな男に、セフレでいいよって言ってしまうような女にとって

そんな映像、一回再生するだけで臓腑ねじ切れそうになるのに

たぶん、擦り切れるほど、何回も何回も想像してる。

そんなのイヤだって言ってしまえば、もう好きな相手と会うことはなくなるから

から大量出血して眠る毎日でも、彼女たちはイヤといえない。

そんなことを複数人にやっていたら、3人に1人くらいは、

ぶち殺してやろうかと思う女性が出てきてもおかしくないのに

なぜかヤリチン今日も生きながらえ、女の子は血を流し続ける。

血を流し続けたところは癌化して、女の子の心を蝕む。

そういうことが平気でできちゃうような奴は、往々にしてけっこうモテるんだよなあ。

少なくとも、好きな女の子大事にしたい気持ちでいっぱいで

でも大好きな女の子を前にうまく話せなくなるような男の100倍はモテる

デリカシーを欠いたセクハラ中年上司よりも

ミソジニーをふりまく童貞男子よりも

女の子にやさしくするのと、地獄に落とすのが上手なヤリチン駆逐するほうがよっぽど急務だよ。

助けてください。

今日もたくさんの女の子が泣いているのに。

2017-09-26

https://anond.hatelabo.jp/20170924223519

ヲタクが毎回行う長文展開は好きではない。

自分の腹を引き裂いて臓物をばら撒き、さあ持っていけというような態度に意味を感じない。

自分のまるまると太った腹にはこんなに現実を飲み込んで妄想の肉となった臓腑があり、病巣を診断できるかと自慢げな態度には無意味しか感じない。



でも、その腑を啄ばまれ風景は嫌いじゃない。

自分の肉という経験過去を食いちぎられ掃き捨てられ焼かれていく様をみて恍惚としている姿をみるのは、あながち悪い気分じゃない。

熟れて爆ぜるのを待つ果実のような純真さは、かわいいと思う。


あなたは、とてもいいにおいがするね。

2016-07-28

お前が憎い

http://anond.hatelabo.jp/20160728000910

お前は今まで心の底から渇望したことがないんだろう。そして、求めても得られず、何年も苦しんだことがないのだろう。あまつさえ、お前にとっての「プラスマイナスゼロ」になるために、ただ「ふつう」になるためにゴミのような境遇から這い上がらなければならない人間ことなど何も気にかけていないのだろうな。

俺はそれが許せない。

お前のように、何も求めずとも得てきた人間

健康的な精神健康的な肉体、趣味友達、親、彼氏社会的成功、生きる理由などなくても生きられる暖かい暖かい生活をして生きたお前。

俺は憎悪する。

お前の境遇のものではない。その境遇にあって何も感じず、その無知から軽い気持ち他者を見下す前をこそ憎む。

お前が不幸になったときゲラゲラと笑ってやろう。お前の子供が入院したときは鉢植えの橙百合を贈ろう。

それまでは幸せにな。無病息災でな。お前に何かあったとき、俺が耳元でゲタゲタと笑ってやる。

お前の得てきたものほとんどは俺は得られていない。

しかし俺は強烈に生きている。生きざるを得ない。お前の生活レベルに遠く及ばずとも、はいつくばっでも生きている。

お前の日記を読んだとき、涙が出た。

臓腑から絞り出すようなため息が出た。

お前、お前のような人間がいる。そのことにだ。

お前が憎い。

お前の文章のすべてが憎い。

単語の選び方ひとつに身を切られるほどに憎悪が吹き出す。

お前のように人間は、軽い気持ちで下の階を覗き見るんだろう。

夜景がきれいだとか、ここから景色は雄大だとか。そういう気持ちのぞき込んだのだろう。

お前はもうわかっているだろうが、お前がうらやむ綺麗な夜景にはゴキブリが生きるために蠢いている。

お前はゴキブリの巣を見てうわっと顔をしかめるだろう。

お前、お前を俺は許すことができない。

のぞき込むのは簡単だ。しかしお前のような人間が、「ふつう」を光り輝かせて上から降りてくると、それまで「普通」だと思っていたやつらは「俺は底辺だったのか」と意識せざるを得ない。闇の中で身を潜め、温めあってそれなりに幸せに生きていたのに、光をいきなり浴びせられ、自分たちゴキブリだったと気づかせられる。お前にはわかるまい。

お前は罪びとだ。

しか断罪はできない。するつもりもない。お前は罰を受けるべき人間ではない。幸せに、子供と夫と生きていけばいいだろう。

しかしお前の肩に憎悪を乗せる。

呪いを、恨みを俺が乗せる。

お前は幸せになるべきだ。俺たちを踏みつけて、生きていくべきだ。

お前を憎みながら、俺は蠢いていく。

いつかお前のレベルまで這い上がるのが俺の生きがいだ。そしてもっと上へ、もっとまともなところへ行きたい。

それが俺の生きがいになってしまった。

人間、本当に憎い時は息を吐くんだな。お前のおかげで分かった。

幸せに。

生きがいなど幻想だ。

人間は派手な物語によって生きるのでない。

光を逃れて陰に入った安心感だけで生きていけるのだ。

2015-06-01

DVをしてきた父親をずっと憎んできた。

DVをしてきた父親をずっと憎んできた。

DVのものというよりも、家庭内で突然キレる、レジャー最中にほぼ必ずキレるという習慣が、おれから家庭=安心という概念を失わせ、部屋にこもってゲーム物語勉強を続け、極力家庭に興味を持たず、逃避する人間になるしかなかった。部屋の鍵もかけられなかったから、教室予備校図書館に逃避せざるをえず、一人暮らしをしたいがためだけに名門大学合格した。両親は無邪気によろこんでいた。おれはそれとなく両親のせいで自分がいかに惨めな時代を送ってきたかを知らせてきたが、自分たちがあれだけキレて子どもから安心を奪っていたことについては、完全に無自覚であった。自分たち日常的にキレていたということすら、思い出せないようであった。暴力についても、普通に許容範囲だったと感じているようだった。相手が女子どもであるという斟酌は無いようだった。貧しいながら食事と住居を提供してきたじゃないか、おまえは何も言わなかったじゃないか。いわなかったのではなく、言えなかったのだ。子どもだったから、上手に表現できる言葉を知らなかったのだ。それに、仮に知っていても、結局のところ、両親の、子ども気持ちへの無頓着をどうにかすることはできなかっただろう。当時俺が一番嫌いな言葉が、親の心子知らずだった。

 

大人になり、専門職に就き、コミュ障をなおし、一定収入を確保できるようになって心のゆとりを得られ、「親のことは許した方が良いのだ」という風潮に対して、はじめこそ苛々していたが、やがてそうかもしれないなという気持ちを持てるようにもなってきた。しかしそれでも、許せたのは父に殴られながら父への情を切れなかった弱者としての母だけで、父親のことを理解する気にまではならなかった。結局のところ、おれは彼らを敬遠しただけだった。それで十二分だと思っていた。

 

仕事の都合で、いわゆる弱い男性を相手にする機会が増えた。彼らからはおれは、華々しいキャリアゆとりある暮らしを謳歌していると見えるようだが、それで安心しきれるほど盤石な基盤を築いているとは言えないことをよく知っている。みんな必死なんだ。おれも、みんなも。どうにかこうにか形になっているように見えるだけだ。彼らの役に立つのはおれの仕事だし、少しずつそれ以上のものになっている。彼らの中にも、俺と同じ弱さを見る。必死さを見る。

 

父は弱者だったのだ。頭では、貧困暴力連鎖についてはよく知っているつもりだった。父が貧しい弱者であったことも、頭では知っているつもりだった。そういう理解とは別の何かが、突然、臓腑にすとんと落ちた。父も被害者だったのだ。弱者であり、気弱な母が、どれほど父のチャレンジ精神を奪っていたのかに、ふと理解が届いた。母は、息を吸うように他人萎えさせる人だった。ネガティブな言動が習い性になっており、何事にも挑戦せず、他人の挑戦心をやわらかく腐らせて折り、そのすべてに「あなたのことを思って言ってるの」という枕詞をつける人だった。それが父もつらかったんだろうなとは、前々から頭では理解していた。ただ、許したくないという気持ちがおれの何かをずっと遮っていたのだ。

 

父のことを許したいと思ってきた。でもずっと出来なかった。それが今、おれの小さな新しい家族を守るためにもう一段厳しい努力を積み増そうと決めた瞬間に、自然な思いとしておれのなかで結実した。父も闘ったのだ。おれと同じように。いや、俺が今、父と同じように闘っているのだ。父から家族への愛は、お世辞にも、充実していたとはやはり言えない。現実になしたことは、正直に言って、誉められるほどのものではなかった。利己心や虚栄心からくるものがあまりにも多かった。それでおれは絶え間なく傷ついてきた。けれども。今のおれはそんなことはどうだっていいのだ。どうでもいいんだ。父は闘っていたんだ。それで十二分だ。

 

父が病で死んで数年経つ。墓は遠方にあり、現状、業務状況を考えると足を伸ばすのは現実的ではないし、それは父のためでなく俺や母のための何かだ。おれが父に出来ることは、父がこの世にいない以上、本当に何もない。それに、みんな必死なんだ。おれだけじゃない。おれはいま、俺が求められることを、もっと真摯になすしかない。おれは、父や母が「できなかったこと」を呪ったし、おれじしんが子どものころに「できなかったこと」を呪ったし、今自分が「できていないこと」に忸怩たる思いがある。でも結局のところ、その構造はさけられず、受け入れるしかない。おれはただ真摯に生きるしかない。

 
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