「ベケット」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ベケットとは

2018-06-16

アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」について思うこと

 あの日武道館で『輝きのエチュード』を聴きながら、左隣りの人も右隣の人も、嗚咽を漏らして泣いていました。私も泣いていて、まともにサイリウムを振ることすらできませんでした。会場中から鼻をすする音が聞こえてきました。でも、こんな企画をやられてしまうと、あの武道館は一体何だったんだろうと、そう思わざるを得ません。

 別に「卒業」したはずの歌唱担当が『アイカツ』のイベントに登壇することに文句を言いたいわけではありません。「あなたたちは卒業したので来ないでください。歌は全部声優が歌います」なんてことになったら、それこそひどい話です。だからそういうことではなくて、「5周年」にかこつけてイベントを乱発すること自体問題だと思うわけです(というかもうすぐ6周年じゃないですか?)。「思い出は未来の中に」ではなかったのか。「同じ光のなかこれからも 迷わないでわたし歩いていける」と、あの日誰もがそう思ったのではなかったのか。「心に集めるたくさんの永遠」とは、「いやあアイカツは素晴らしいね尊いいつまでも終わらないね」と定期的に執拗確認しないと消えてしまうような「永遠」だったのだろうか。これではまるで、星宮いちごアメリカ行きを無理矢理引き止めているみたいではないか。なんでも弁当スターライト学園も全部放ったらかしにして、無理矢理マスカレードステージに立たせているようなものではないか。霧矢あおいが、光石織姫が、星宮りんごが、一体そんなことをするだろうか。大げさかもしれませんが、そう考えてしまます

 東日本大震災が起きたあの日を契機に、『アイカツ』は「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」を目指してきました。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」と。

——その後、ゲームおよびアニメ企画は、どうなったのでしょう?

加藤陽一)大きな転機になったのが、東日本大震災です。コンセプトを固めている最中2011年3月に、東日本大震災が発生しました。地震が起きた瞬間、僕は東京浅草バンダイ本社で『アイカツ!』の会議に出席していたんです。地震電車が止まったので、車で来ていた僕が3人に声をかけて、皆を送っていくことになりました。TV原発津波ニュースを見ながら進むうち、都心で車も動かなくなっちゃって。結局浅草を出て、皆を送って23区内の家に帰るまで12時間位かかりました。そのとき一緒にいたのが、アニメアイカツ!』の若鍋竜太プロデューサー企画スタッフです。車に缶詰状態で、8時間から10時間ぐらい、地震の影響を目の当たりにしながら、皆で『アイカツ!』のことを話しました。まるで合宿みたいな濃い時間でした。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」という話もその場で出て。それを受けて書き直した企画書の内容が、そのときの僕らの思いを込めたものだったんです。

——どんなふうに変わったのでしょうか?

 ネガティブ出来事も起こりえるレトロスポ根路線は消えてなくなり、代わりに、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」が必要だろうということになったんです。「トップアイドルを目指すスポ根サクセスストーリー」の部分はそのままに、「温かくて前向きな気持ちになれる作品を作ろう」と、企画ブラッシュアップしていきました。この段階の企画書に書いてあることは。現在のところほぼすべてが、作品内で実現しています。あの震災が、『アイカツ!』という作品にとっての転機だったと思いますね。

アイカツオフィシャルコンプリートブック』(学研パブリッシング2014年、130頁)

 そして『アイカツ』はたくさんの人を「温かくて前向きな気持ち」にし、たくさんの人が前へと進みました。「今日が生まれかわるセンセイション」、「いつだって、ここから、あたらしい夢 どこにだって行けるよ!」。『アイカツ』を観たたくさんの人が「素敵な明日」を迎え、「未来向きの今」から未来へと全力で走り出したはずです。『アイカツスターズ』もそうです。あれだけの作品を前にして、前作とは別の方向へと舵を切るなど、並大抵の覚悟ではできません。巴山萌菜さんもそうです。私は詳しい動向を追ってはいませんが、TVドラマ『賭ケグルイ』のOPを歌っていたようですし、ワンマンライブもやっていたと思いますSTAR☆ANIS/AIKATSU☆STARS!から卒業し、自分の決めた道で頑張っています

 それが、何故こうなるのでしょうか。別にイベントをやるなとは言いません。「卒業」した歌唱担当を呼ぶなとももちろん言いません。ただ、何故今なのか。10周年や20周年まで待てないのか。これではまるで、私たちに「明日を信じる力、未来への夢」なんかないのだと言わんばかりではないか。全く「未来向き」じゃない、完全に過去を向いている。私にビジネスの知見はありませんが、商業的に考えてもこんなやり方では長生きできないと思います

 昨年9月、甘粕試金氏によって『この幼形成熟の世紀に』と題された原稿が公開されました。当時それを読んだ私は「言いたいことはわかるし何も間違ってないと思うけど、アイカツファンダムはそんな人ばっかりじゃないのになあ」とかなんとか思っていました。でも、どうやらもうそんなことを言ってはいられないみたいです。

アイカツ!』が放送終了して新シリーズアイカツスターズ!』が始まった今『アイドル活動!』よもう一度とばかりに『アイカツメロディ!』が来ることの意味は、先述の原稿の論旨で言えば「和声」的解決意味することになり、『アイカツ!』も円環的時間気持ちよさによって欲望生産する作品だったという結論にならざるをえなくなる。それを証し立てるきっかけになったのが「シリーズ5周年記念企画」の楽曲だったという事実は、フランチャイズ圏内にある作品ファンク的時間を持つことの不可能性をも証明してしまったのではないか。このことに私はほとんど嘔吐せんばかりになってしまったわけです。

「なんで和声的ならダメなの? 気持ちよければ良いじゃん」という問いに答えるには、それだけで一つのまとまった原稿必要になるのでここでは書きません。フランチャイズに話を絞りましょう。ここ数年で最も忘れがたいフランチャイズ批判高橋ヨシキさんが『ローグ・ワン』を前にして発表した「幼年期の終わり 〜さようならスターウォーズ』〜」を部分的引用しま

観客が耽溺し続けること自体を難ずる権利はぼくにはありません。〔中略〕それでも、観客を「耽溺させることを目的に」商品を作り、供給することは邪悪なことではないかとぼくは思うのです。

〔中略〕

なぜなら、それは観客を消費者へと変え、幼児化させ、駄々っ子のように振る舞うことを是とするものであり、その駄々っ子の口に好物を際限なく突っ込み続けることで、彼らを判断能力を失った中毒患者へと変える行為からです。

〔中略〕

「前へ!」というのは、ルーカスだけでなく、どのようなクリエイターにとってもいちばん重要姿勢だとぼくは信じています。その先に何があるか分からなくても、あるいはそれがどういう評価を下されるにせよ、とにかく 「前へ!」。これはクリエイターに課せられた祝福でもあり呪いでもあるのですが、「前へ!」という大前提は旧三部作でも、またプリクエルでも(プリクエルは実は後退していたわけではないとぼくは思っています。何度も言いますがコンセプトに対してエクセキューションが貧しかったのがまずかった)、そして部分的ではあれど『フォース覚醒』にも共通していました。前へ!

〔中略〕

ところが『ローグ・ワン』は「もはや前に進む必要などない」という、ルーカスフィルム/ディズニー宣言のように、ぼくには見えました。なぜ前に進む必要がないのか? なぜならそれを誰も望んでいないからです。誰も、 というのは『スター・ウォーズ世界に耽溺することに慣れきった観客のことです(ぼくも含みます

〔中略〕

興行的に、『スター・ウォーズ』が「前へ」進む必要がないことを『ローグ・ワン』は証明してしまったのです。

Crazy Culture Guide Vol,30-30,5(http://www.mag2.com/m/0001673228.html

 SWシリーズにまったく思い入れを抱いていないうえに『ローグ・ワン』も(ドニー・イェンドン・キホーテ役をやっている映画なのだし)楽しく観ることができてしまった私は、当時「はぁ、そういうものなのかなぁ」程度にしか読めなかったのですが、少なからず前のめりに接してきた『アイカツ!』5周年企画に際して、これらの文章は「あっ、この状況を言ってたのか!」という今更の得心とともに蘇ってきました。「前へ」進む必要がないこと、それは「和声」的時間に閉じること、フランチャイズの体系に閉じること、円環的時間=手回しオルガンの歌に耽溺しきることを意味してはいいかベケットらを念頭に置いて「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品偽装された姿を言っていはしないか。それこそがフランチャイズの罠であり病ではないのか。という疑惧と危惧が一斉に襲ってきたわけです。これは単に「前に書いた文章矛盾しちゃった」から狼狽えているのではありません。「あれっ、自分は《これ前にも聴いたことあるわ、良いわ〜、知ってるわ〜、延々と続けられる正当な伝統、良いわ〜》みたいなことに気持ちよくなりたくてこの作品を支持してたのか? そもそもこれってそういう気持ちよさを是とする作品だったか?」という、本質的な足場が揺るがされたことに原因があります。それも公式の「5周年記念企画」によって。

甘粕試金『この幼形成熟の世紀に』(http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-165.html

 

アイカツシリーズ5thフェスティバル!!」を楽しめる人を悪だとは一切思わないですし、主催者ダメだとも思いません。もちろん、私が正しいとも一切思っていません。私も何かの手違いでチケットを手に入れたら、それはそれでそれなりに楽しめるんじゃないかと思います。そりゃあ声優歌唱担当が揃ったら嬉しいです。生アフレコなんてしたら最高です。そりゃそうです。ただ、あの日「車に缶詰状態」で「合宿みたいな濃い時間」を過ごし、それを受けて書き直した企画書は、そこに込められた思いは、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」とは、こういう類のものだったのか。木村監督プロットを書いた「大スターいちごまつり」のMCの「みんなの今日が、明日が、少しでも素敵になったらいいな」とは、「いつでも何度でも集まって際限なく盛り上がれる。いつまでも終わりを引き伸ばせる。ずっとここにいられる」という意味だったのだろうか。『アイカツ』が3年半、『アイカツスターズ』が2年かけて描いてきたことは、そういうことだったのだろうか。どうしたって、そう頭を悩ませずにはいられないわけです。そして、“「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品偽装された姿を言っていはしないか。”。このことは、常に考えるべき問題であると思います

 でも、ツイッターを見ている限り「歌唱担当戻ってくるなら純粋に楽しめばいいじゃん」「そんなにヒリつくことじゃなくない?」という人が多数派を占めているようです。だから私がおかしいのかもしれません。「めんどくさいオタク」なだけなのかもしれません。なので、「アイカツシリーズ5thフェスティバル!!」に行かれる方には、純粋に楽しんで来て欲しいと思っています皮肉でも嫌味でもなく、本当にただ純粋に、楽しい時間を過ごしてきて欲しいと思いますアイカツファンの方々——あるいは演者スタッフの方が読んでいないとも限りません——、お気を悪くされた方がいたら、本当に申し訳ありません。拗らせたアイカツファン戯言だと思って、どうかご容赦ください。

2018-04-15

ここがヘンだよパシフィックリムアップライジン

5年前。ユナイテッドシネマ浦和パシフィックリムを初めて観た時。未だに覚えてる。

「俺はこれが観たかったんや」と帰りの浦和駅でガッツポーズをしたのを。

あれから5年。

監督も変わって文字通りアップライジングされ、前週をジュマンジ、翌週をレディプレイヤー1、月末にはインフィニティウォーと、オタク大好きな映画が立て続けに公開される2018年4月にあえてぶつけるような形で公開されました。

そんな続編はどうだったか

以下ネタバレ

・対怪獣に振り切った前作と比べて大幅に変更かつ削減されたバトルシーン

前作と同じことをやってもしょうがないというのはわかるけど対怪獣が結局ラストのみってのがどうしても納得いかない

イェーガーを観せたかったというのもわかるけど、客はそれ求めてないでしょ

量産機が乗っ取られて姿形を変えて暴走ってよくあるけど、見た目変えるならもっと怪獣っぽい変化して欲しかったし それを色んなイェーガーボコボコにして欲しかったわ

・新キャラ出し過ぎて人間関係希薄

キャラ候補生たちの説明不足たるや

誰がどれに乗ったかさっぱりわからん

途中の時点で誰と誰がドリフトして誰がどれに乗るか教えてくれ せめて機体の前で名乗りとポーズ決めてくれ もしくはそれとわかるシーンを入れてくれ まともな訓練シーンもなく演説の直後にコクピットの中映されてもわからん

・前作キャラどこいった?

ペンコストマコはわかる ニュートンハーマンもわかる

でも今作の流れでベケットいないのはどう考えてもおかしいでしょ

マコも一切触れないし 一緒にドリフトした仲じゃない…誰か触れてくれよ…続編作る気満々の終わり方だったからそこで整合性取りたいんだろうけどさ…

しかマコ死ぬわ、ニュートンは裏切るわでまともに残ったの三ツ矢雄二だけじゃねーか!

怪獣バトル雑過ぎ

4対3なんだからせめて2体ぐらい倒せや!2体倒して3体目にトドメさして主人公に「やったか!?」って言わせてから怪獣合体でしょうが!まともに怪獣相手に出来ず向こうに合体されてもあぁこれジプシー以外ボコボコにされるやつや…としか思えんし実際にそうだったのが悲しいよ

せめて脳が3つあるなら2つぐらいは倒して欲しかったよ

ジプシー以外の見せ場が少なすぎる

中国資本入りすぎ

社長が薄着でスクラッパー動かすシーンは大変よかったです

前作が減点式で60点、加点式で2億点とすると今作は減点式でも加点式でも70点ぐらいですかね

いい意味でも悪い意味ででも収まりがよくなってしまったなぁと思います

2018-03-07

チキささというアセクシャルの質の悪いアライについて

https://twitter.com/c_ssk/status/970995446662377473

"「ショイプ・オブ・ウォーター」を見たアセクシャル友達が「(恋愛映画なのに)理解できたの?」って言われた話が本当につらくて、今これを書くだけでちょっと泣きそうなんだけど、こういうことを問われるのは常にマイノリティだけなんだよね。お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!"

https://twitter.com/c_ssk/status/970995641299042305

"シスヘテロ恋愛ものを見て感動した非シスヘテロは「わかるの?」と問われたり、「わかんないでしょ」と決めつけられることさえあるのに、シスヘテロの観客がLGBTの話に感動したら「これはLGBTの映画じゃない」とか言い出す。いい加減にしろよ。物語剥奪するな。"

チキささの「アセクシャル友達」が文字通り「理解できたの?」と言われたのかどうかは不明だが、そのアセクシャル友達と「理解できたの?」発言人とは一定信頼関係があったことは予想できるし(日ごろからアセクシャルであることを誰彼構わず触れ回ってるなら別だが)、真相は「デルトロといえども恋愛至上主義から自由ではないんだねぇ」「アセクシャルならこの残念さよくわかるよね」という発言アセクシャル側が同意を求められ、たまたまデルトロ好きだったから(日頃の主張も忘れ)不快になった、という程度の話なのではないか

そもそも、ある物語が住む地域人種宗教も違う人々をも感動させるのはそこになんらかの普遍的な要素があるからで、「内観」という、人間情動理解する唯一の手段を働かせるという意味での共感性があるからである。かつての権威づけされた芸術作品には貧困層などは排除されており、その作者やその作品の同時代人たちが考える「人間基本的な条件」が現在よりよほど狭く設定されていたことが普遍の描き方に反映してしまっていた。しかし、現代では大衆化されさまざまなマイノリティ性を含んでもなお、そこに普遍を描くことができ、物語製作は豊かなになってきている。

まり、「人間なら異性に惚れるのは当たり前だよね」と条件づけられていた「普遍」は、現代の人々が同性愛者の存在を広く認知尊重するようになったことにより「同性に惚れるのだって人間だよ」というように拡張してきているのである

ここで「物語からマイノリティ排除するな」という訴えは要するに、「普遍」を描く際の人間の条件からマイノリティ排除するなということであり、「現代社会はアセクシャル排除している」という訴えは、ほとんど全ての創作物が謳いあげる「普遍」に性愛要素が含まれることを撃っているのである。その意義は大きい。「行け!稲中卓球部」で誤解から卓球選抜チームに入った前野が、実際には卓球の実力も熱意もないため、卓球の話ばかりする選抜チームの中で退屈さと疎外感から唐突に「サメの話しようぜ」と言い出す滑稽な場面があるが、アセクシャルにとっては行く先どこもに恋愛選抜チームが結成されている状況であり逃げ場がなく、前野とは違うのである

ここで「シェイプ・オブ・ウォーター」に戻ると、そもそも恋愛映画であるが登場するのは半魚人である。繰り返すが、人間には情動理解する手がかりが自分自身しかないため、動物けが登場する作品においてさえ、動物人間が化けたように子の死を嘆き、群れからはぐれれば孤独を感じるように描写される。これは「動物性の剥奪だ」と非難する事すらできるだろう。動物のことはわからないのだから勝手に当てはめるなとも言えるだろう。2008年ディズニー映画「WALL-E」は、荒廃した惑星でただ一体動くロボット主人公だが、その主人公物語中で「女性の」ロボット出会い彼女との性愛関係志向するようになる。遠い未来ロボットであってもヘテロセクシャルなのか! と当時ディズニー物語製作には大いに落胆させられたものである

シェイプ・オブ・ウォーター」も物語構造の核としてシスヘテロ恋愛しかなくこの種の批判は免れない。アセクシャルの友人が批判コメントを求められることはありそうなことだ。

チキささは「お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!」と言うが、半魚人と付き合ったことなくても、自身シスヘテ恋愛経験拡張して半魚人と付き合うことまで理解してしまえるのが「普遍」だし、そこに同時にアセクシャル排除したシスヘテ至上主義傲慢もあるのである

たまたまチキささとそのアセクシャルの友人がデルトロ贔屓なのかもしれないが(おそらく「パシフィック・リム」においてベケットマコ最後キスしなかったことを評価しているクチだろう)、「シェイプ・オブ・ウォーター」は批判するべき作品である

そもそもアセクシャルならヘテロ作品からないでしょ?」なんていう見解は圧倒的少数であり、アセクシャルが戦い、苦悩しているのは「やっぱりヘテロ恋愛には感動しちゃうよね。人を好きになること、これは人類不変の原理なんだよ」というような理路である。実際にそんなリプがついている。こんな藁人形叩きに近いツイートが大きな共感を得ているのは、シスヘテ至上主義の側がこのツイートに「救われている」からである。チキささは無能なアライであることを自覚するべきだ。

2017-12-03

晴天

今日は、洗濯物を干した。その前に、洗濯機を回した。服のタグの「ネット使用」か「弱」か「ドライ」かなどを見ては、応じて洗濯機に入れたりよけたりするのだ。それからエマールをはかりいれて、スタートを押すのだ。

冬場、洗濯物は特に冷たい。日があたたかいと大変うれしい。今日は良かった。

それからたんぽぽハウスに着ない服を持っていった。300円になった。私が着ないものを誰かが着るようにできる上に、お金が入るのでこれも大変うれしい。

アルジャーノンに花束を」のような気分だ。午後に自分がしていたことが分からない。私は大学図書館で、とある本(ネットなのでタイトルを伏せる)を読んで、文章を書いていた。でも、その続きができない。

たぶんそれは、カフェインのせいだ。午後、とあるカフェインの入ったものを飲んでいたのだが、図書館を出るときに残りを一気に飲み干してしまった。それからからなくなってきたのだ。あるいは、図書館を出たせいだ。あるいは、とにかくなにか、私に起因することのせいだ。

それからどんどん分からなくなって、しばらく立ち尽くしていたのだが、とりあえず帰宅した。家。家は何をするところなのだろう。衣食住の住。身を守るため?マズローの一番下だっけ?だんだん信じられるものが減っていって、産声のように、本棚を見ながら泣いていた。産声が聞こえた。足をゆすると止んでいった。私は私の面倒を見ることができるのだ。まずは私を信じて、信じられるものを増やしていくのだ。すべては神だ。すべてはことばだ。ことばは神なのだ。だから神はことばにするのだ。

いま、私は同居人の帰りをただ待っている。サミュエルベケットに愛を込めて。

2017-06-22

男と女は欲しがるものが違うからマッチングしない

男が欲しがるのはプリンセスではなくて、相棒なんだよね。

相棒ターナーとフーチ。スタスキーハッチキャッスルベケット。虎徹とバーナビー。JとK。右京さんと亀山くん。

まり自分の欠けたものを補う存在。二人は一緒にいることで完璧になる。

一方で、女が欲しがるのは伴侶(パートナー)や片割れではなくて、他人が持っていないもの

言い換えれば、他人が羨むもの

高価なブランドのバッグ。ネックレス地位。そしてもちろん、お金

なんで男と女ニーズマッチしないかというと、この2つの価値観がズレているから。

男の場合過去自分と今の自分比較した時に、それでも欠けているものを埋める人を好きになる。

比べるのは隣の人くらいで、大体は自分過去と比べて相対的にどうか、という判断を下す。

割れ鍋に綴じ蓋ってやつね。

女の場合、まずマウンティングありきの選択をする。

マウンティング範囲があり、世界レベルだと流石に頂点はグレイス・ケリーから底辺途上国物乞いまで広すぎるので、

自分身の回りの、例えば職場学校、近所の中で一番になりたい。誰にも侮られたくない。自分の認めない誰かの下なんて耐えられない。

このフィールドの中で、自分が誰より下で、誰より上なのか。その確認作業を血眼で繰り返すことがすべての人生

男は相対的自分と噛み合う相手が欲しいし、

女は誰からも羨ましがられる相手が欲しい。

かつては男が欠けているもの出産だけではなく、家事や畑仕事など多岐にわたっていた。

しかし、今は出産以外は機械がやってくれるし、いや出産ですら代理母から引き取ればよくなり、日本女は基本的にいらなくなった。

一方で女の欲は尽きることがない。独身では埋められないのだ。もっともっと欲しい。もっと羨ましがってほしい。

しかし、給料袋はそれを許さない。上昇婚をしたくても、ハイクラス男はハイクラスの女しか相手にしない。

そして歳を食う。だけど一度上げたハードルは下げられない。

やがて「白人精子を買ってシングルで育てる」だの「独身と集まって暮らす」だの言い出す。

歳を食った卵子ではなかなか着床はせず、独身と集まっても、抜け駆けをされて一人になる。夢は叶わない。

気の狂った年女は過激思想に走るか…途上国の男に入れ込んだりする。

恐ろしいのは、これが少数ではなくなる社会がやってくる、ということだ。

多様性時代とは言っても、これが健全状態ではないのは誰でも分かる。はっきり言ってこんな未来しかない今の日本は異常だ。

少子化解決するのは、所得を倍増して女がぶら下がれるより大きな木を用意することじゃない。

途上国から代理母を連れてくることでもない。救うのは価値観革新だ。

問題は女にある…いや、女が悪いわけではなく、女の持つマウンティング気質だ。

マウンティング、この見栄張りポーカーをなんとかしないことには、この国の生き辛さは解決しない。

2016-10-14

村上春樹信者批判するやつがウザい

この時期になると盛り上がるハルキストとその批判

こういうタイトルにしてみたけどさ、俺は村上春樹はすきじゃないよ。

一方で描写の巧みさに舌を巻きつつ、一文一文に「権力」が染み付いていると思う。

でも他方で、そんなハルキスト批判している人たち(ここでは安部公房とか伊藤計劃ファンを想定しています、外れている人は流して下さい)に対しても全く共感できない。

ラフに言って、三者ともにバカ調子こいてる物語作家でしょう。村上春樹背伸びした上京したての田舎者であるとして、それなら安部公房私的言語使用ボンクラだし、伊藤計劃はしょーもないオタクだ。

もうちょい真面目にいうと、安部公房はたとえば都会にたいして「砂漠」を持ってきてオッケーみたいなその安易さがヤバ過ぎる(逆にその安易さがいい、という批評はあり得る)し、クソどうでもいいレトリックドヤ顔してるのがヤバ過ぎるし、普通すぎるセクシャリティやばい伊藤計劃は前野隆司とか真に受けてる時点でカス(こんなカスでもポストモダンは云々言えてしまうことが「ポストモダン」最大の失策ではないか?)だし、ブログ意識物語を結びつけている文章とかカスだし(誰か意識物語を多少なりともしっかり定義して、両者の関係性を論じられる?)、管理社会が云々いいつつそこでの社会とやらに一切の具体性を与えられないのがカス

繰り返し言っておくと、こういう文章って村上春樹擁護として捉えられるのかもしれないけど、俺は全く好きじゃないから。

在野の村上春樹擁護とかクッソ気持ち悪いし。批評空間をそんなに批判したいなら中上健次物語性をつく地道な仕事しろよ、ボケ

なんかモゴモゴいってさ、「あぁ〜村上春樹は〜だけれどもうんぬん」ってヨダレ垂らしちゃってさ、舐めてんじゃねえよ!

俺?カフカベケット青木淳悟が好き。じゃあ頑張れよ、田舎者

2016-05-13

承認欲求とか物語がどうとか言ってるやつらに告ぐ

ベケット「モロイ」を読め

間違っても伊藤計劃の本の人物みたいなしょーもない解釈で逃げないこと

以上

2016-05-05

ネットの手練が岡崎体育とかてさぐれとかで喜んでるのおかしいだろ!

お前それよくあるメタ芸だろ!

散々やってきたやつだろ!

ベケットとか読め!バカ

2016-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20160210234054

楽しみでやるんならオリジナル脚本でもいいんじゃない? 演劇って言ったって幅広いわけで、仲間内劇団でやるならインプロブ的なものだってありだろうし。

伝統的なプロセスで、しっかりした脚本にがっつり取り組みたいっていうなら、許可ぐらい取ろうよ。アマチュアなら上演料も1~2万円だし場合によっては上演料いらないって人もいるし。

イギリスアメリカ普通劇場でかけられるような脚本だと、そもそも上演演目として選ばれる前に何段階ものセレクションを経ているし、何年もかけてワークショップ等でリバイズされてようやく日の目を見る。日本だと劇団付きの作家が書く場合が多いからちょっと事情は違うかもしれないけど、完成度の高い脚本てのは単にスキルの高い人が書いたっていうだけでなく、その形になるまでの揉まれ方が違うわけで。その過程尊重するなら、許可くらいどってことないでしょう。

(逆に、「素人の書いた脚本」でも、何十本かトライしてそっから候補を選び、何回かワークショップ(稽古場でのミニ公演的なもの)をやって役者対話しながら練り上げてみたら、かなり完成度上がると思うよ。そこまでやって初めてありもの脚本との比較対象になり得るんであって、次の公演のために何か書かなくちゃ、で一発勝負で書いたものなんてデッサンとかスケッチのようなものでしょ。)

(追記:ああ、もしかしてブレヒト絡みのアレ? ああいいうのは個別に折り合いがつかなきゃ諦めるしかベケットもうるさかったよね。一方で寛容な人もいるし。そこは選んでゆくしかないでしょ。)

2015-02-14

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして・続

承前

http://anond.hatelabo.jp/20150214223556

9. スティーヴ・レイシーソプラノサックス

Steve Lacy (1934-2004)

――スティーヴ・レイシー独立独歩ソプラノサックス奏者です。サックスといえばアルトテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。

Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s

( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。

――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系古本屋の主人みたいなところがあります

( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。

――白水社といえば、レイシーはサミュエルベケットと面識があって、ベケットテクストに基づいた作品も発表しています

( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」

――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏どうでしょう

( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。

――そういう点では、プレイヤー資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式バンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]

Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc

――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。

( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。

――でも美しい。

10. ビル・エヴァンスピアノ

Bill Evans (1929-80)

――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本いちばん人気のあるジャズミュージシャンビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナー裾野は広いかもしれません。

( ・3・) 俺でも『ワルツフォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?

――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それからロマン派印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンス聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。

( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。

――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。

( ・3・) ダウナーな面も併せもった音楽だと。

――はいエヴァンスチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネ代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものからフランク・シナトラヴァージョンです。

My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4

( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.

――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディラン新譜シナトラカヴァー集らしいのですが、ディラン子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。

My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs

( ・3・) 出た、いけすかないイケメン

――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。

My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU

( ・3・) 速い。

――速い。そしてちょっと信じられないクオリティ演奏です。ジャズはいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください

( ・3・) 別に心配はしていないが。やっぱり即興なのか?

――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。

( ・3・) コード構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。

――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間ゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種テレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります

( ・3・) このギターを弾いてるのは?

――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルース伝説がありますが、ジム・ホール場合は魂ではなく頭髪を犠牲しました。

( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。

――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーバンドいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びます芸術永遠です。

( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。

おいとま

持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。

「もう帰るのか?」

はい。きょうはもうおしまいです」

「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃんお客様にご挨拶だ」

彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。

「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」

「置いていっていい?」

だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケ弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」

それから

まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだわたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。

Further listening

http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975

[1] http://www.redbullmusicacademy.com/lectures/steve-reich-the-music-maker?template=RBMA_Lecture%2Ftranscript

[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html

[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/

[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."

[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"

[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html

[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111

2015-01-15

死んで生き返るシークエンス考 続き

http://anond.hatelabo.jp/20150114232029

サンプル続き

1)スーパーマン(1978 リチャード・ドナー

2)ライジングドラゴン

3)パシフィックリム

4)新世紀エヴァンゲリオンTV版)

5)LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標

6)以下追加予定

7)

進路変更

 「死んで復活(再生)する」シークエンスが主ラインでなく

 「死んだと見せかけて実は生きていた」作品の方が多いのではないか

前述の

  前の「死んだ人間が生き返る」展開が許されるリアリティライン作品が少ないためと考えられる

サンプル解題

1)スーパーマン

 バットマンと言えばスーパーマン

 前段の舌の根も乾かぬうちに恐縮だが、本作では文字通り「死んだのに生き返る」がラスト直前の展開である

2)ライジングドラゴン

 (何作かある)ジャッキーチェンの”最後アクション映画

  ラスト前、主人公トレジャーハンターJC(役名)がスカイダイビング火山へ降下していく。息詰まる空中戦の結果、JC(役名)のパラシュート無効化されてしまう。

  まっさかさまに落ちていくJC。迫る地表!どうするJC(役名)!誰かから空中でパラシュートを奪い取るのか?どうなるJC(役名)?予備のパラシュートがあるのか?味方の飛行機がやってくるのか?JC(役名)が死んじゃう!

  結局、溶岩が固まったと思しき堅そうな山の地面にそのままJC(役名)は激突してしまう。

  と、めっちゃ痛そうな、ふらふらした様子でJC(役名)はなんとか立ち上がる。>ラストバトルへ突入

  

  な ん だ そ れ

  これは前回の特に理由のない奇跡ナウシカ)に分類することも可能であろう。

  だがむしろ理由が十分にあると考えることはできないだろうか。「ジャッキーチェンから」という立派な理由が。

  日本だと「江田島平八型」とでもいうべきか?

3)パシフィックリム

  本作はかなりいびつ構造シナリオである面白い。だけどちょっとなぁ…と乗り切れなかった人もいるのではないだろうか。

  理由の一つは香港戦で1回話が終わっているということであるローリーベケットが落ちた穴から這い上がってしまう(兄を失った事件による問題が解消されてしまう)のだ。

  まず香港戦を見てみよう。

  香港戦のピンチベケットマコの乗るジプシーデンジャーがオオタチ成層圏まで連れて行かれてしまい、今まで使っていた武器プラズマキャノンが使えなくなることである

  ピンチ視聴者ローリーベケットが知らなかった武器マコけが知っていたチェーンソードで解決される。

  ご都合主義的な面は否めない。

  成層圏からの落下問題はなんとなく丈夫だったから、で解決される(ライジングドラゴンと同様)

  次に本編のラストピンチ

  時空の裂け目を超えて異世界に行って戦う。(○イ○ックスと同じ)

  帰ってこられるのか(ハラハラ

  太平洋上、ポッドの中の主人公心臓が動いているサインはない。悲しむヒロイン

  フレームアウトしたまま主人公が喋る。生き返った!(または死んでいなかった!) 

  王道なのにどこがまずいのか。

  畳み込む展開、どんでん返し、予想とのギャップ、あっという驚き。

  奇跡カタルシスはそういったものからまれるのであろう。

  洋上シーンの前にイェーガーから脱出ポッドが射出され裂け目から地球太平洋にもどる場面が明示されている。 

  観客は、最大のピンチ(異世界から帰れない)が解決されているのがわかってしまっている。

  「死んだと見せかける」シークエンス

  偽装成功していないのだ。

  うまく行く王道展開と、うまくいかない王道展開はこんなところに差があるのではないか。

4)新世紀エヴァンゲリオン      

  視聴者ハラハラ感をコントロールする技量・パワーは舌を巻くものがある。

  ここでは綾波レイの死と再生を取り上げよう。

  その時まで(それ以後もだが)

  「死んだと思ったが(特に理由もなく)生きていた」クライマックスとフィナーレを持つストーリーが繰り返し語られてきた。

  先週死んだはずの綾波レイが今週も現れる。

  視聴者は「おいおい」とつっこみながらも、「まあそういうこともあるかもね」と飲み込みながら視聴継続する。

  その後にやはり死んでいたことが明らかにされる。

  ”私はたぶんn人目だから

  「死んだと思ったが生きていた」と思ったが実は死んでいた。

  このパターンは極めて珍しい。

5)LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標

  ルパン次元が本当に死ぬと思って観に行く人はほぼいないであろう(ドラえもん長編映画と同じ)

  ”次元大介の墓標” というフレーズ自体は凄腕の殺し屋が、ターゲットの墓を、暗殺実行の前に作るという外連であることが早々に明かされる。

  1%の「本当の死かも?」というハラハラ感のためでもあるが、ただし、次元の死を偽装するという営為放棄されない。

  

  劇中ではメインゲストキャラクター(敵の殺し屋)に向けて死が偽装される。

  一方、観客に向けてはHOW?どのようなアイディア/からくりで死を偽装したのかというサービス提供される。

  

6) 

中間まとめ2

  A:いかに巧妙に「死んだと見せかけるか」

  B:いかに巧妙に「実は生きていた」理由付けを隠すか

2014-10-01

ラノベ馬鹿にしてるやつらは低学歴馬鹿なのでは

東大生協やその他旧帝の生協ラノベが売れまくってることを知らないんだろうか。ラノベはいまや高学歴のたしなみなんだよ。というのもラノベおもしろくて多読ができるため、ラノベを大量に読むひとは必然的速読ができるようになって、そして国語の成績があがるわけ。

ラノベからといって内容が極端に簡単で幼稚だというわけではなく、ちょっとキャラアニメちっくなだけでストーリーはそこらの大衆文学全然変わらない。むしろそこらへんのくだらない一般向けの大衆文学よりも上を行ってるものもたくさんある。アイディアとしてはラノベネタ結構おもしろいことが多い。

もちろん『重力の虹』とか『失われた時を求めて』とか『アーダ』とか『特性のない男』を原書で楽しむような層から見ればラノベは簡単すぎてつまらないのだろうけれど、それをいってしまえばラノベだけじゃなくそのへんの小説すべてがくだらないわけでね。

ラノベ馬鹿にしてるやつらは自爆してると思うよ。ラノベ馬鹿にしてて東野圭吾が好きだとか、百田尚樹が好きだとか、辻村深月が好きだとか米澤穂信が好きだとか……。いや、そこでさ、クロード・シモンが好きですとか、サミュエルベケットが好きですとか、カフカが好きですとか、ブッツァーティが好きですとか、人間喜劇読みまくりましたとか、ヨクナパトーファ・サーガにはまりました、とかそういうのならまあわかるんだけどね、そういうひとは見たことがない。要するにラノベ馬鹿にしてるやつらというのは世界レベルを知らないんじゃないかなと思う。だからくだらない大衆文学がすばらしい文学のように見えてしまっている。もちろん彼らは日本が誇る天才大江健三郎だって読んだことがない。読んでほしい。でも受け入れられないかもね。いままでの自分否定することになるからやれやれ

2013-10-11

わたしとパシフィック・リム

パシフィック・リムを7回見た。

それが多いのか少ないのか、私に判断できない。

まだ1度も見ていない人からすれば「なんでそんなに見てるの?!」と驚かれてしまうだろうし、

毎日のように映画館に足を運んで、10回、20回と見ている人からすればたいしたことないだろう。

なぜ7回見たのか。

面白かったからだ。

少し前、特撮映画大好きおじさんたちと知り合う機会があった。

おじさんたちは嬉しそうに私の知らないたくさんの映画の話をしてくれた。

俺らにとって「スター・ウォーズ」は本当に特別な映画なんだよ。

エピソード4でXウイングが画面の外からビューッと飛び出してきて

デス・スターの表面を進んでいくところが衝撃的にかっこよくて、

映画館の座席でひっくり返りそうになったくらいだ。

おじさんたちのオススメで、私は「スター・ウォーズ」を生まれて初めて見た。

そういえばこれの続編が中学生くらいのころに新作映画ラインナップに入っていたのを覚えているけれど、

一番最初に作られたエピソード4は、古い映画だった。

ストーリー面白い特撮もかっこいいけれど、2013年に生きる私が見ると、何か物足りなく感じる。

ウイングのシーンも、ぼんやりしているうちに一度見逃したくらい印象に残らなかった。

また、おじさんたちは別の映画の話もしてくれた。

レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」は本当にすごかった。

骸骨剣士との戦いのシーン、あれは1コマコマ人形を動かしながら撮影していて、

ハリーハウゼンはあのほんの短いシーンのために何カ月もかけたんだ。

あんな映像、俺らは見たことなかったから、めっちゃかっこいい!って興奮したんだ。

その話を聞いてさっそくそのシーンを見てみた。

確かにすごい。

当時は特撮技術でもって労力をかけて作ったんだと思うと本当にすごい。

でも、こんな映像を見たことがない、ということはなかった。

CGモデルモーションキャプチャで動かせばすぐできるんじゃないかな、とか。

しかしたら無料ソフトのMMDを使って作れてしまうかもしれないな、とか。

「当時」としてはすごかったのかもしれないけれども、

私はおじさんのわくわくした気持ちを共有することができなかった。

そうこうするうちに、おじさんたちと会う機会はなくなってしまった。

それまでに、私は初めて「ゴジラ」を見たし、

海底軍艦」や「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」も見た。

「サンダ対ガイラ」は「進撃の巨人」みたいだなと思った。

どれもそれなりに面白かったけれど、退屈なシーンも多くて、

おじさんたちみたいに「すごい作品なんだ」と声を荒げることはできなかった。

それからしばらく経って、「パシフィック・リム」が封切になった。

おじさんたちはこの映画も楽しみにしていた。

じゃあ、それなら、見てみようかな、と仕事帰りに映画館に足を運んだ。

面白かったし、わくわくした。

イェーガーは個性的だし、キャラクターたちは魅力的だし、ストーリー無駄がない。

いいものを見たな、と思った。

映画の評判を調べてみて、IMAXの存在を知った。

パシリムは絶対にIMAXで見るべき!」

調べてみると、ぎりぎりまだIMAXを上映中の映画館を見つけた。

立ち寄りで直帰します、と言い置いて会社を出て、IMAXでの上映を見た。

すごかった。

空いている座席がなくて、巨大なIMAXのスクリーンのかなり前のほうの席にいた。

ベケット兄弟がイェーガーに乗り込み、イェーガーの頭が落下してボディと合体する。

そして重厚ロボットが音を立てて夜の海に乗りこんでいき、怪獣と殴り合いのバトルを始める。

海に取り残された線上の人たちがジプシーデンジャーを見上げたとき

私もまたその巨大なロボットの姿を見上げていた。

映像技術的なことはわからないし、冷静に考えれば設定に不思議なところもある。

でもそんなことは関係ないのだ。

ただ、ピンチに現れたジプシー拍手でもって迎えたくなるし、

悪い怪獣と殴り合いをするジプシーを拳を振り上げて応援したくなる。

この作品の魅力を説明しとうとしても、自分の興奮が先に立ってしまって、

「とにかくすごい」「楽しい」「わくわくする」こんなふうにしか表現できない。

おじさんたちは言っていた。

ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」のエピソード6を撮影したあと、

自分が撮りたいものを撮るための技術が出来るまでに10年以上待ち続けたそうだ。

おじさんたちが大好きな、昔の映画を悪く言ったり、バカにするつもりは全くない。

でも「当時新しかったもの」が時を経て古く見えるのは仕方のないことだと思うから

こう表現することを許してほしい。

一番新しいものが一番すごくなきゃいけないんだ。

「こんなの見たことない」って思わせなきゃいけないんだ。

私は「パシフィック・リム」みたいな映画を見たことがなかった。

映画にこんなに興奮することも初めてだし、同じ映画にこんなに何度も足を運ぶことも初めてだった。

たぶん私は「パシフィック・リム」のおかげで、おじさんたちの気持ちをわかることができたと思う。

それから3Dで見たり、吹き替えで見たり、2Dではどうか試したくなったり。

立川爆音上映会のチケット必死で取ったし、池袋絶叫上映にも行った。

この連休は遠征して4DXを見に行く。


次にあのおじさんたちと会うことがあったら、「パシフィック・リム」の話を振ってみようと思う。

それで私のわくわくした話も聞いてもらいたい。

たぶんおじさんたちは、「あのシーンはあの映画オマージュ」「あの設定はあのアニメ元ネタ

なんて話をいっぱいしてくれるんだろうな。

2010-09-14

作家になりたいとあがき続けて12年目の俺が読書暦を語る。

http://anond.hatelabo.jp/20100913002509

まぁ、小説書こうなんて奴は大抵の場合友達が少ない。

小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。

そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。

そして大方の場合小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。

グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。

そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?

そんな風にして小説を書き始めた。中学校一年生のときだ。

書きはじめてすぐにわかった、全然面白くない。

そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーSFラブロマンスも特に好みではない。

なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。

そうして本屋に行ってみた。まぁ、太宰とか三島が有名だよね。

とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。

仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。

おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは

中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。

さて、高校生になった俺の心を捉えたのは海外文学だった。

もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。

言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生谷底へ落下していく感覚学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。

この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケットクノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験数学は4/200点だった。

そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明ストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋テリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。

大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん