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はてなキーワード: 家庭訪問とは

2019-05-26

恋愛工学の人たちは男から見ても怖い

宗教とかマルチで完全に頭イッちゃってる人たちと同じカテゴリなんだよな。めげずに家庭訪問するエホバ商人極右街宣車アムウェイ、このあたりに恋愛工学が並ぶ。

2019-04-16

anond:20190416213841

ずるいといってもあんたも平凡な家庭ではあるでしょ

ガチャを恨むなら↓こんな家に生まれから恨むべき

梶川美由紀仮名)は、軽度の知的障害を持って生まれた。IQは60台。背が低く、ふわーとした雰囲気で、何も考えずに相槌だけを打っている女性だ。

両親の意向小学校中学校普通学級で学んだが、中学時代いじめにあったため、卒業後は特別支援学校高等部入学した。その後、障害者を多く受け入れているクリーニング店で働きはじめた。

由紀が13歳年上の谷亮(仮名)と知り合ったのは、その職場でのことだった。亮は自閉症わずらっていた。2人は家が近所だったことと、趣味ゲームが同じだったことで、お互いの家を出入りするようになり、やがて恋に落ちた。

結婚が決まったのは、出会ってから5年目のことだ。美由紀妊娠したのである。当初は両家の親が話し合って、中絶することも考えたが、本人たちがどうしても生んで結婚をしたいと言い張ったので、認めることにしたのだ。

まれたのは、女の子だった。2人は子供が1歳になってからアパートを借りて暮らしはじめる。だが、すぐに壁にぶつかった。美由紀離乳食づくりやおむつ替えを毎日続けて行うことができないのだ。

夫の亮もそうだった。彼は極度の潔癖症だったこともあって、よだれを垂らしたり、お漏らしをしたりする赤ん坊を触ることができない。

そこで美由紀の両親が毎日アパートに来て、赤ん坊の世話をすることになった。離乳食をつくり、お風呂に入れ、オムツを変える。熱を出した時は駆けつけて病院へ連れて行った。育児のすべてを両親が代わりに行ったのである

こうした生活は長くは続かなかった。娘が2歳になって間もなく、美由紀父親脳梗塞で倒れてしまったのだ。半身が麻痺して1人でトイレすら行けなくなった。母親は夫の介護と、孫の世話を同時にすることになる。

この状態が、母親の心をすり減らした。間もなく母親うつ病わずらい、2年後に自宅で自殺をしてしまった。

母親を失った美由紀は、保育園に通う娘の育児を1人でしなければならなくなった。

生活は立ち行かなくなった。美由紀は懸命に育児をしているつもりでも、保育園の送り迎えを忘れてしまったり、ご飯を何日も食べさせなかったりしてしまったのだ。本人も無自覚なところで、育児放棄が起きてしまったのである

夫の亮にも大きな負担がかかった。美由紀子育てをできないことから、亮が代わりにしなければならないことが増え、情緒不安定になっていったのだ。亮は娘を害虫のように嫌うようになり、時折パニックを起こして暴れたり、美由紀や娘に手を上げるようになったりした。

家庭の状態にいち早く気がついたのが、保育園だった。娘が通園しなくなったばかりか、連絡も取れないようになり、市に通報したのである職員家庭訪問に訪れた時、娘はやせ細り、全身が垢だらけになって、しゃべることさえできなかった。美由紀DVによって全治2週間の怪我を負っていた。

その後、勤め先の上司などが間に入って2人は離婚することになった。亮に子育ては無理だという判断もあったのだろう。美由紀は娘を連れて母子生活支援施設に入居することになった。

母子生活支援施設にいる間、職員が家庭の世話をしてくれた。美由紀も支えてもらうことで少しずつ精神の安定を取りもどしてきた。

そんな中で、美由紀は新たな恋をする。ビデオレンタル店で、精神疾患を抱えた男性と知り合ったのである男性無職。親が所有するアパート一人暮らしをしており、美由紀は娘を職員に預けてそこへ通い詰めるようになった。

ある日、職員が美由紀お腹が大きくなりはじめているのに気がついた。病院へ連れて行ったところ、妊娠が発覚した。どうするのかと問われ、美由紀は答えた。

「産む。彼と結婚する」

何を言っても意志を曲げることはなかった。そして、施設には黙って、精神疾患を抱えた男性と何も言わずに籍を入れてしまったのである

夫婦となった2人が望む限り、結婚を妨げることはできない。だが、母子生活支援施設には夫婦で入ることは許されていない。母子のみでの入居が条件なのだ。とりあえず、施設の側は美由紀がお産を終えるまでは面倒を見ることにした。

数ヵ月後、美由紀は第2子となる女の子出産した。ここで想定しなかったことが起こる。第2子の赤ん坊ダウン症であることがわかったのだ。

知的障害を持った母親が、精神疾患を抱える無職男性結婚して2児、しかも1人はダウン症の子を育てるのは難しい。

職員たちは何度も美由紀への説得を試み、ダウン症の第2子を乳児院へ預けさせることにした。

ある知的障害もつ女性が抱える、恋と育児にまつわる様々な問題

育てられない母親たち④

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52673

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-01-19

いじめ被害者大人になるまでの話

もし良かったら読んでください。

私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。

髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。

背中ニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)

小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。

今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識攻撃性もなく、学校先生家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まい5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。

家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜冷凍食品ばかりだし誕生日ほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテスト定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲーム必要ものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。

母の少女趣味で、4歳からバレエピアノ習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。

そんな子供だったから、小学3年生のとき給食牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。

私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識シフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。

いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。

運悪く、担任先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児クラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。

たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分下駄箱に他の男児上履きが突っ込んであった。

これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履き適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。

そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。

「何してるんだぁ!」と担任一喝すると、クラス中の注目が集まった。

みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。

担任に話を聞いてもらい、事態理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。

私は他のクラスメイトとは自分感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。

自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。

友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。

成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導いただき都道府県公立トップ高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分いじめなかった。とても驚いた。廊下男子にぶつかったとき気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。

中学生ぐらいからは、部活友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通友達や仲間ができた。

しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分高校からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。

流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。

頭の中の時間感覚おかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。

結局ほとんど絵も学問勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生身分となった。

浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。

高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。

それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市地方公務員として働いている。

陰険上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれ毎日が過ごしやすい。

20歳からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正マメにかけるようになり、あれほど男子不細工キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。

過去のことは忘れないと思う。

というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。

幸せ子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。

今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。1020年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分人生を大切にすべきだった。

そういうことは、大人になってから学んだ。

2018-12-06

anond:20181206224348

家庭訪問先生が食ったとか食われたとかないんかな?ふ

2018-11-20

anond:20181120162251

絶対評価採用校か

それはお気持ちと言って良い

まぁ評価基準が決まってるし、どうしたら評価が上がるかってのは家庭訪問とかで言及されてるはずなんだけどね

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-07-09

anond:20180708204542

小学3年生のときの話。

飼育委員だった僕は、放課後も少し残って学校で飼っている動物たちに餌をあげていた。

餌をやり終えて、家に帰るために荷物を取りに自分クラスに戻ったら、ドアのガラス割れていた。

そのままほっといて帰ろうかとも思ったけれど、一応先生には伝えておかないと駄目かなと思って、担任先生に伝えた。

そうしたら、僕がガラスを割ったことにされた。

何回も割ってないと言っても聞いてくれず、正直に言いなさいと怒られた。

反省文を書きなさいと言われたけれど、僕は割っていないから何も書けなかった。

今思うと教師から反抗的な態度に見えたのだろう。僕は何も知らないから何も書けなかっただけなのに。

何週間かしてから家庭訪問に来たときにも、ガラスを割ったのに正直に言わないと話をされた。

とにかく悔しかったけど、何を言っても駄目だったから、学校に行きたくなかった。

2018-06-28

NHK家庭訪問を止めさせたい

10年ほど千葉暮らしていたときNHKなんて引っ越してきた時に1回来たか来てないかぐらいの記憶だったのに、大阪市は一応大都市からか代行業者にとっては絶好の狩り場らしく平日は19時頃、土曜日曜は昼前と夜20時頃、真面目に家庭訪問してくれるので驚く以上に迷惑しかない。

インターホンが鳴る度にカメラ宅配業者の制服ではないことを確認して無視しているが、映らないように隠れる担当者もいたりする。当然無視するが。


一度、NHKと気付かず(尼のデリバリープロバイダと間違えた)インターホン越しに会話したのだが、奴らは驚くほどに日本語が通じない。

NHKです、ちょっとお話を」

「(深夜アニメ配信で見るので)テレビ持ってません」

「ではパソコンはお持ちですか?」

PC自作なのでテレビチューナー付けてません」

携帯電話は」

アップル信者なのでiPhoneですワンセグ映りません」

「ではお部屋確認させてもよろしいですか?」

「いま(二次元の)嫁が寝ているので」

「後日でも」

「(オタク部屋なので)他人に見せたくありません」

彼らの契約条件、即ち受信機器を一切持っていないことを説明しているのに何故疑われなければならないのか。

(友人がいないので)他人を一度たりとも上げたことのない部屋に何故赤の他人を入れてやらねばならないのか。

たとえ一度部屋を見せたとしても、テレビなんて買おうと思えばどこでも買えるのだ。

彼らの論理に基づけば、家庭訪問を止める理由にはならない。

一体NHKは何と戦ってるんだ。

2018-06-06

小学校男子いじめられて引きこもって、中学は自宅にいながら、家庭訪問教師家庭教師でなんとか卒業して、高校女子校で、大学女子大で、職場事務女性ばかりの職場なので、男性への耐性が全くない、こわい

つらい

はいえ、もうアラサーになるしどうしよう

それとなく親にいろいろ言われ始めていた

2018-05-11

家庭訪問って何のためにあるの?

わざわざ仕事中抜けして対応したんだけど、10分も家におらず、先生からの話も特にトピックはなし(「活発に発言が多くて助かってます」的な話くらい)。

こちから相談したいことも特になく、なんか微妙空気で終わったんだけど...。

家庭訪問って何のためにあるんだろうね。

家の様子を見ることでどういう子どもなのかの理解を深めるとかそういうのはあるんだろうけど。

2018-05-10

誰かわからないけれど

毎月売上10000円位しか無い私のブログ経由して昨日1日でこれだけ買ってくれた人ありがとうめっちゃびっくりしました。

幸せになってほしい。

15肉感女医の夜の診察 風間ゆみ 解禁お宝写真集

16放課後学院 羽月希 解禁お宝写真集

17清楚な先生肉食系 羽月希 解禁お宝写真集

18むちむち熟女子校生 村上涼子 解禁お宝写真集

19ムチムチセラー服 長澤あずさ 解禁お宝写真集

20むちむち熟女子校生 風間ゆみ 解禁お宝写真集

21電車の中で出して・・・ 風間ゆみ 解禁お宝写真集

22電車の中で出して・・・ 羽月希 解禁お宝写真集

25美熟女バニー 村上涼子 解禁お宝写真集

27ご主人様のいいなり 村上涼子 解禁お宝写真集

28男の妄想 桜木凛 会社の後輩から誘惑されて…

30女教師倶楽部 桜木凛 妄想フェロモン女教師家庭訪問

32男の妄想 風間ゆみ 爆乳美人上司の誘惑

33アブナイ女神桜木凛 vol.2

34アブナイ女神桜木凛 vol.3

35アブナイ女神桜木凛 vol.4

36Premium 西野 翔 -誘惑フラッシュ-

37歌舞伎町高級コール倶楽部 翔26歳 その壱

40Premium 桜木凛

42ボクのそばはいつもキミ 桜木凛 ギリ見せ☆

43セクシーキュート小悪魔 桜木凛 ギリ見せ☆

45まるごと!桜木凛 Special

46妄想OL 羽月希※直筆サインコメント付き 解禁お宝写真集

50妄想女子校生 羽月希※直筆サインコメント付き 解禁お宝写真集

51妄想体育倉庫 羽月希※直筆サインコメント付き 解禁お宝写真集

54マンガ家と作るポーズ集 男の脱衣ポーズ

55XP-Pen 液タブ 液晶ペンタブレット 22インチ フルHD 2048レベル筆圧 角度調整可能 Windows/Mac対応 Artist22

58内田理央 OTHER SIDE がんばりお

59XP-Pen キーボード カスタマイズ 液タブ用 ワイヤレス ホイール 便利なホットキー 左手デバイス AC19 Shortcut Remote

62神山あかね-008: Tokyo Kawaii Girls

63高岡未來-001: Tokyo Kawaii Girls Untouched Tokyo Kawaii Girls Untouched:Miku Takaoka (Tokyo Kawaii Girls Collection HarajukuP)

64高岡未來-002: Tokyo Kawaii Girls Untouched

65末永みゆ-001: Tokyo Kawaii Girls Untouched

66高岡未來-005: Tokyo Kawaii Girls Untouched

67末永みゆ-002: Tokyo Kawaii Girls Untouched

68末永みゆ-003: Tokyo Kawaii Girls Untouched

69桜木ひな-001: Tokyo Kawaii Girls Untouched

70高岡未來-007: Tokyo Kawaii Girls Untouched

72桜木ひな-011: Tokyo Kawaii Girls Untouched:e003

73しほの涼-003: Tokyo Kawaii Girls Pure:e003

74しほの涼-005: Tokyo Kawaii Girls Pure:e003

78BEST SHIHONO ON MY MIND しほの涼COVER DX [sabra net e-Book]

79BEST SHIHONO ON MY MIND 2 しほの涼DX [sabra net e-Book]

80片思いグラドル

81曲線美

82片瀬美月 MIDUKI Styles By your side: 390pages or more

83男の妄想 桜木凛 新任女教師を弄ぶ教え子たち…

最近ずっと調子がのらない

何食べても美味しくない

食べたいものも思いつかない

なのにずっとそこらへんにあるものを食べ続けてしま

夕食は冷凍食品とか、麺をゆでるだけ、とかです

すぐに疲れて横になる

何もする気がしない

ああもうすぐ家庭訪問あるから部屋片付けないと・・・

先生に出す麦茶すら作れる気がしないかお茶を買ってこないと・・・

ここ数日天気が悪いから晴れたら元気になれるだろうか

2018-04-30

家庭訪問

今年入学した小学一年生の親だけど

こないだ家庭訪問だった。

玄関からリビングから掃除してお茶お菓子を準備して

いざ先生が来訪、スリッパを出して上がってくださいと促したら

玄関大丈夫ですよ」

っていわれて

玄関先で立ち話みたいになった。

…いやこれ家庭訪問意味ある?

わざわざ仕事休んで家にいるいみあった?

それなら学校に親が決められた時間に行く面談でよくない?

平日午後休み取ったのにたった10分未満玄関で話すことの意味がわからない

先生が家から学校までを把握することに意味があるのかな?

2017-12-05

職場でもらった柿がめっちゃ熟れてて怖い

こっそり食べずに捨てた。美味しかったとだけ言っておいた。

すまぬ。

すまぬ。

家庭訪問で貰ったおはぎを捨てた話を思い出した。

すまぬ。

すまぬ。

だけどさ、これでもしお腹壊したらもっとどうしようもないじゃん。貰ったからって無理して食べてお腹しましたなんて言ったらそれこそ社会人として終わりじゃん。むしろここは食べたフリをして乗り切るのが社会人じゃん?

2017-11-14

夢ってえっちなことでも許されますか?

当方20代前半 イケメン セフレが9人いる

現在週2~週3で今いる9人の中から予定が合う順にローテして会っている。

しかもその9人は皆、僕がセフレ9人いることを認知していて会ってくれている。

なんて優秀なメンバー達なのか...

中には彼氏結婚間近なメンバーもいるのにとてもありがたいことです。

今後の展望としてはもっとメンバーを増やしたい。

1人暮らし女性31人と仲良くなって毎日家庭訪問するのが30までの夢だ。

実際セフレ二桁いる人いたら教えてください。

31人作るのは現実的ではないですか??

2017-10-31

断った3万円

2年前に今の小学校に赴任して5年の担任になり現在は持ち上がって6年○組のクラス担任をやっている。たまの小競り合いや入試に備える集団とそれ以外の温度差はあるものの、概ね子らは楽しく勉強にのぞめている。順調と言って良い。

児童の中にMという男子がいる。低学年のころにいじめにあって一時は不登校になったと5年時の家庭訪問母親に聞いた。4年時(の担任は俺と入れ違い)の状況について同僚に尋ねたら目立たない子という話だった。なのでそれとなく見ていたが活発とまではいえないものの物怖じせず発言するようになった。

先月のことだ。ある集まりのあとMの両親が俺の所にやって来た。すわ何か問題かと思ったらそうではなく、Mは毎日学校に行くのが楽しいと言っているとのことだった。それを聞いてウチのクラスの子らを誇らしく思った。Mの話や今のクラスのあれやこれやの話が終わると父親のほうが封筒を渡してきた。手紙かな?と思ったらクラスのために使ってくださいと言われた。おそるおそる中身を見ると3万円。いや困ります受け取れませんと押し問答の末になんとか下げてもらった。断った3万円のことは管理職にも同僚にも話さなかった。

それからたまにあの3万円のことを思うようになった。あのお金があればクリスマス会や卒業間際の茶話会軽食なんか出せたろうし、そのほうが子らの楽しい思い出になるかもしれない。でも受け取れないよ。怖いよ。

2017-10-06

ピアノ演奏につよいルサンチマンを感じる

小さい頃から親がピアノを習わせる、

小学校ピアノを習う、

中学校では家庭訪問などや小学校から調査ピアノを習ってる子が把握され、1クラスに1名はかならず組み込まれる、好待遇

高校では本人自身ピアノを習っていた等で特技としてアピールしていくようになる

問題中学

youtubeである合唱曲について調べていた

テレビ番組合奏曲を流していたが、

曲目と作詞作曲者名前のほかに、 

ピアノ伴奏者」の名前がいわれる

そのほかは何々中学一同ときたもんだ。

個人個人の歌を唄う人の名前は出さない。

なんで伴奏者だけだされる、特別扱いか?

そういうのがとてもきにいらない

私の家庭は裕福とはいえない、中流か、

ピアノに親は関心はなかったのと私もよくわからなかったので習わなかった

他方でものづくりだけには徹底的な興味があったのでそれだけに特化されてそだってきた

いまこの年齢になって音楽って結構大事だとわかった

創造するってことに関して何かを作ったりするのは目を引くだけだが、音楽は耳を引く

どちらが多くの人をひきよせるかというと耳を引く音楽だとわかった

なぜその道にすすめなかったのか

親が進ませなかったのか

そもそも進ませようとする知識すらなかったのか

これに強いルサンチマンを感じる

から私は音楽を、音楽理論を、ピアノを、この年齢からはじめるのだ

鍵盤に触れたことはこれまで一度もなかった人間が、

机の上に広げた紙の鍵盤を指差しながらはじめるのだ

2017-05-23

子供が盗みをしていた。

2件ほど教室でしていたらしい。

一つは図工の授業中に切ってはいけない物を間違えて切ってしまい、他の子が落とした物を盗んでごまかしていた。

もう一つは前日に持っていった牛乳パックをどこにやったかからなくなって以下同文。

昨日の家庭訪問で発覚したのだかもうショックすぎて泣いてばかりだった。先生は大きな問題としてみていないがこんな善悪がつかないのかと悲しみしかない。

2017-05-17

教諭飲酒後に家庭訪問し、不適切指導をした」??

指導」??

事件であり、犯罪だろう?!ましてや他人様のお宅でさ。

「森友の本人どもこそ教育勅語を学ぶべきじゃん」と同じく、

教諭あんたが小学校に再入学すべき」と思われる事件が多いね

校長飲酒後、首席教諭男児暴行か 酔った状態家庭訪問産経大阪市立(港区田中小学校)』

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170517-00000116-san-soci

2017-05-10

ピースワンコジャパンに関する記事について

広島県の『殺処分対象ゼロ』を達成したというNPO法人

ふるさと納税での支援可能となっている。

この団体について、新潮が以下のような記事掲載した。

『「志村どうぶつ園」で紹介、「セカオワ」「マエケン」も支援 “殺処分ゼロ”でふるさと納税8億円を集めるNPOの嘘』

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170509-00521135-shincho-soci

概要はこうだ。

ふるさと納税での寄付対象にもなり、多額の寄付を集めるピースワンコジャパン

ホームページには現在殺処分ゼロ継続とあるが、広島県動物愛護センターデータには2016年4月以降52頭の犬が殺処分されたと記載

また多くの団体で行われている避妊去勢手術が徹底されていない。

今年三月動物愛護団体からピースワンコジャパン質問状が出された。

(以降の詳細は週刊新潮本誌で報じるとしている)

この記事を見て、動物愛護団体寄付した経験のある自分自身ピースワンコジャパンについて調べてみた。

そこで改めて上記の記事と照らし合わせ、思ったことを記していく。

1 殺処分数について

ここはピースワンコジャパンサイトにも説明不足の節があり、新潮側の書き方にも意地悪なところがあるように感じた。

まずピースワンコジャパンサイト上(http://peace-wanko.jp/activity.html)には「『殺処分対象犬』の全頭引き取りを開始」とある

よく知られているように、動物愛護センターに持ち込まれた犬は飼い主が名乗り出ない場合基本的一定期間後に殺処分される仕組みだ。

しか動物愛護センターには、車に轢かれたりして怪我を負った動物も運び込まれる。

中には瀕死状態回復が見込めないものもおり、それらを獣医師判断安楽死させる事例もある。

まりピースワンコジャパンでの引き取りが見込める殺処分対象犬となる前に亡くなってしまう犬も発生するのである

そのため広島県動物愛護センターデータと、ピースワンコジャパンの発表する殺処分ゼロという表現との間にずれが生じた可能性が考えられる。

この点ついては広島県動物愛護センターデータを見て「ゼロだったのでは?」と疑問を持つ人がいてもおかしくないので、ピースワンコジャパン側も『殺処分対象ゼロ』について注釈をつけて説明してもいいのではないかと思う部分である

(この点については新潮記事を受けてのお知らせ(http://peace-wanko.jp/news/252)に詳しく説明が加えられているので、この部分をサイト上(http://peace-wanko.jp/activity.html)に書き加えると誤解を生むことも少ないように思う。)

また、そのような事情もありながら単なる数字だけを比較し、記事表題「嘘」とした新潮側の表現にも疑問を持つ。

2 保護犬への避妊去勢手術について

犬の保護を行なっている動物愛護団体では、保護犬には避妊去勢を施すのが一般的である

これ以上の繁殖を抑えるのはもちろん、避妊去勢手術を行うことで予防できる病気もあり、発情によるストレスを減らすことにも繋がる。

この避妊去勢手術について、ピースワンコジャパンは以下のような方針を示している。

『 犬については、不妊去勢によるメリットデメリット生物学的、医学観点から総合的に検討した上で、シェルター運営においてはコントロールによって繁殖制限することを優先しつつ、年齢や病気の有無、性格などを考慮し、個体ごとに不妊去勢すべきである判断した場合には行うこととしています。』

私たち施設では、シーズン中の雌犬を隔離することで繁殖制限を行っています譲渡後に関しては、里親希望者様がきちんと繁殖制限管理ができる状況かを個別確認家庭訪問を含む)し、繁殖制限必要性を丁寧に説明した上で保護犬譲渡することとしており、その後の不妊去勢実施については里親様の意思尊重しています。』

http://peace-wanko.jp/action_policy.html より引用

まず年齢や病気など、個々の状況によっては避妊去勢手術が困難な犬もいるということである

続いて、譲渡後の犬に避妊去勢手術をするかどうかについては里親意思尊重するという点。この点が少し引っかかった。

里親審査した上のこととはあるが、譲渡後の里親が大量に繁殖させるリスクについてはどう考えるのだろうか。

また、里親が犬の発情ストレスにどう対処し付き合っていくかという問題もある。

更には万が一犬が脱走した時に妊娠する/させるリスクを考えると、避妊去勢手術意思里親に委ねるのはいささかリスクが大きすぎるのではないだろうか。

ただ保護犬避妊去勢手術を行うか否かについては動物愛護団体側に義務があるわけではないため、あくまピースワンコジャパン寄付をしようとする人がこの方針を見てどう感じるかであるしか動物愛護団体寄付をしている人が方針を読むと、殺処分ゼロを唱えているにも関わらず手術を徹底しないことに疑問を抱きやすいわけであるが。

上記はあくまYahoo!ニュース掲載された記事を読んでのものなので、今後週刊新潮での記事を読んだ際には追記したいと思う。

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