はてなキーワード: セリーヌとは
女子のバッグを一緒に選んでて学んだんだけど
気づいたのはセリーヌのバッグを見た時だ
・小さい
・小さいのに想像より高い
・紐が短く位置が高く見える
・ドレスにとてもよく合う
ひょっとしてこれはパーティー用なのではと思って店員に聞くと確かにそうらしく
と言われた
なるほどと思った
同じジャンルに見える二つのバッグでも、用途が全然違うんだな、つまりそれはアクセサリーだ
「大きい方が高いに決まってんじゃん」と思っていたたちなのてとても納得感があった
結局その時求めていたバッグの用途に合わなかったので相談してVUITTONにしといた
女子はずっとセリーヌのバックが可愛い、でも小さいから実用的ではないと悩んでいたが
「それかわいいけどパーティー用だしアクセサリーだと思う、アクセサリーならネックレスなど他のものと比べて買うべきなんじゃない?」的なことを言ったと思う
花守ゆみり(産屋敷ひなき)→メルセデス=フォン=マルトリッツ タニア
櫻井孝宏(冨岡義勇)→ルカ エリウッド ユリウス ブラミモンド
小西克幸(宇髄天元)→マークス ランド バヌトゥ ヒューベルト=フォン=ベストラ
坂泰斗(サイコロステーキ先輩)→フェルディナント=フォン=エーギル オーシン
七瀬彩夏(TVアニメ版『無限列車編』の第1話で登場したアニメオリジナルの女性の鬼殺隊士)→ミレディ
桑原由気(高田なほ)→エルフィ オフェリア ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリル
石見舞菜香(チュン太郎)→イングリット=ブランドル=ガラテア ギネヴィア
加隈亜衣(真菰)→フローラ エーデルガルト=フォン=フレスベルグ エフラム(幼少期)
木村昴(ムキムキねずみ)→バルタザール=フォン=アダルブレヒト ビラク
能登麻美子(嘴平琴葉)→ヘンリエッテ
置鮎龍太郎(黒死牟)→フィン
斉藤壮馬(哀絶)→シャハド
子安武人(手鬼)→ナバール ロンクー ファウダー ゼロ セーバー パント レヴィン セテス カゲツ フェーニックス
市来光弘(正一)→ドニ
水瀬いのり(ふく)→ジル・フィザット
「ピクシブ百科事典」調べ
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
まじでわかんない。
等々
組曲:×?
アガット :▲?
ティファニー・カルティエ・ブルガリ・ショーメ・ディオール:〇? 高くて買えないよ!
よくわからん
セリーヌ; 〇?
フェラガモ:〇?
アローズ:〇?
ロクシタン:▲?
サボン:〇?
なんていうかそれぞれのブランドの年齢層とかイメージとかが男にはまったくわからんのよ。
上で挙げたブランドはなんか聞いたことあるやつを適当に並べただけ。
女性の方も、モビルスーツとモビルアーマーの違いとか、ジャンプとサンデーとマガジン違いとか、X-boxとPSのちがいとか、わかんないひと多いでしょ??
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
トレンドもあるけど、使って売ってって繰り返すならエルメスかシャネルかな?
エルメスならバーキン が一番人気。ケリーも人気あるけど、正規購入するなら結構大変かも。ガーデンパーティから入る人もいるけど、バーキン で良かったっていう人も結構いるよね。
シャネルなら無難にマトラッセ?ボーイシャネルでもいいかも。シャネルは好き嫌い分かれるからデザインで決めていいと思うな。
フェンディ、セリーヌ、ロエベあたりは最近わりと長く人気ある気がする。
フェンディならピーカブーが定番かな?最近のデザインで攻めてるやつ人気だけど、流行が終わった後がキツいから長く持てるやつなら昔からあるデザインがいいよ。セリーヌはラゲージの流行は一旦終わったと思う。いまはベルトバックかカバなのかな。バケットも好きな人はいるよね。ごめんロエベは興味ないからわからないけど多分パズルバッグが有名なんじゃないかな....
ただ、ダミエとモノグラムは普段使いではあんまりお勧めしないかな。持つならトランクとか旅行サイズで大きく持つ人は多いかも。カプシーヌ可愛いよね。
価格帯的に手出しやすいのはグッチ、プラダ、バレンシアガあたり?
「終わらないで欲しいものが実はもう終わりつつあること」に気付きながらも、なおもダンスを踊ること。だがしかし、それがけっして希望や未来に繋がりはしないこと、一方では完全に分かってしまってもいて、だからそこには明らかに一種のメランコリーが隠されているのだが、では「終わりつつある」が、遂に「終わってしまった」に変わり、そのことをもはや認めざるを得ないのだとしたら、一体どうしたらいいのだろうか?
「当時、彼の書く歌詞や曲の世界は、あまりにも楽観的で表層的だと揶揄されたりもしたが、そこに同時に苦悩と諦念と、それでもなおそれらに何とかして撃ち勝とうとする「強い気持ち」を見出せなければ、彼のことをわかったことにはならないだろう。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった年に「さよならなんて云えないよ」と「痛快ウキウキ通り」を発表する人間の、何ともいえない複雑さに気付けなければ。」
去年末あたりから、小沢健二を頻繁に聴いている。一言でいえばハマってしまったのだ。いや、というよりも心酔してしまった、といったほうが正確かもしれない。僕の生活を傍から誰かが覗いてみればおそらく気持ち悪がることだろう。とにかくここ最近は毎日小沢健二漬けだ。自分の生活が、人生が、小沢健二に溢れている。ここには些かの誇張も比喩もない……。
なぜ小沢健二なのか。無論彼の音楽が素晴らしいからで、それは後追いで彼の音楽を知った者としては「今現在聴いても」というような注がどうしても付随するが、事実彼の音楽は全然古びていないし、それどころかむしろいまのほうが当時より一層重要性を帯びているとすら感じられるから、なのか……。そう断言したい気持ちもあるのだけど、自分でもよくわからないというのが率直なところだ。ここでいう当時とは彼の活動が全盛を極めた90年代半ばを指すが、その後彼はメディアから急速に姿を消し、CDのリリースも絶え絶えになる。これは周知の事実。では小沢健二とはいったい何者だったのか/なのか。もちろん彼を過去形で語るのは正しくないし、絶対に間違っているとすら思うけれど、とりあえず90年代の彼の音楽家としての活動とその意義などはひとまず暫定的に総括されて然るべき問題だろうと強く思う。小沢健二はそれぐらい大きな存在だと思うし、その大きに比べると彼は「まだまだ語りきられていない」と思われるのだ。
小沢健二の音楽をリアルタイムではじめて聴いたのは、たぶん「ラブリー」だったと思うし、それ以外はほとんど記憶がない。というのはその当時(94年頃)の僕はまだ小学生で音楽そのものにあまり興味もなかったし、もしあったとしても彼の曲の良さを感受することは出来なかっただろう、おそらくは。そして物心ついた時には彼はすでに音楽の場から遠のいていた。何れにせよ今まで聞き逃してきたわけだ。といっても今までに何度かニアミスはあった。物心ついてそれなりに音楽を嗜むようになり、そのなかには渋谷系と称される音楽もいくつかあり、とりわけ渋谷系と称されるジャンルにおいて小沢健二は中心的な存在だった(はずだ)。だけど、それでもなぜか意識して小沢健二を聴くことはなかった。なぜだろう、とふと考える。というのも、つい最近まで彼のことを意識して考えたことすらほとんどなかったので自分でもよくわからないのだけど、ひとつ思い当たるふしがあるとすれば、それはやはり当時耳にはさんだ「ラブリー」の印象が大きかったからなのだと思う。もちろん、「嫌い」といえるほど彼の音楽やメディアでの振る舞いを見ていたわけではないけれど、それでもやっぱり「ラブリー」のあの底抜けに明るい(今でこそ違う表現ができるのだけど)感じをリアルタイムでは軽薄なものとして受け止めた気がするのだ(いまでも彼の音楽をそういうものとして受け止めている人たちが大勢いる)。だからなんとなく避けてきたというか、ちゃんと聴かなかったのだと思う。そんな僕が小沢健二を意識し、興味を持ったのは、彼が所謂反グローバリズム運動に関わっている(らしい)と聞いたからだった。だからはじめは音楽とは関係ない。いやあんなポップな歌を歌っていた人がそんな活動をしてるんだ、という意外性によるものだから、関係はあるのだけど(そういえばセリーヌに興味を持ったのも彼がべらぼうな反ユダヤ主義者(らしい)と聞いたからだったのだ)。
そんなこんなである日何気なくyoutubeで「ある光」を聴いた。そして一瞬にして胸を打ちぬかれた……。真摯、としか形容することができなかった。そこにあるのはなんの修辞もアイロニーもなく、ただひたすらに真摯で敬虔な歌だったからだ(それゆえになかなか危険な曲だと思う)。そして続けざまに聴いた「ラブリー」で嗚咽した。この「ラブリー」という曲の持つヘビー級の重さに僕は小沢健二という存在が理解できたような気がした。一見とてもポップで底抜けに明るいこの曲のいったいどこがどう重いのか。彼の音楽は多くの人たちから「多幸感溢れる音楽」云々と形容されてきたのだけど、それは正しくない。正確にはこうだ。小沢健二の音楽は多幸症である……。多幸症。そう、これはある種の症状であり、とりわけ「ラブリー」に顕著に見られる明るさは明らかに病的である、と。「ラブリー」にはそういった趣を感じるのだ。小沢健二の音楽を聴くことは、すなわち完全なる多幸症を生きることを含意するといってもいい。
http://anond.hatelabo.jp/20100913002509
小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。
そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。
そして大方の場合、小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。
グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。
そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?
そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーもSFもラブロマンスも特に好みではない。
なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。
とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。
仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育の呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。
おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは
中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりのユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。
もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。
言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生の谷底へ落下していく感覚。学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。
この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックやゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスやマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケット、クノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験の数学は4/200点だった。
そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明なストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋でテリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。
大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞や論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これみたいなもんか。
1 名前: 水先案名無い人 投稿日: 03/11/23 12:08 ID:+Ciz7U4v
しぶいところではサザンなんかもきっちり押さえてますよ。
ロック以外でもいろいろ聴いてるなあ。浜崎とか林檎とか好きだし。
宇多田も倉木も両方好きだし。意外に思われるかもしれないけど、
でも近頃はオアシスとかも好きになってきた。
あと落ち込んだ時なんかにはレディヘとか聴いたりして・・・
まあモーニング娘を聴いてるような人とは音楽の話はしたくないね(笑)http://that.2ch.net/gline/kako/1069/10695/1069556884.html
1.ミーハーな人、2.ミーハーな人を叩いている(けど実体はミーハーな)人、
3.それを叩く人、4.俺、5.お前、6.大(略)