「観劇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 観劇とは

2024-03-16

ミュージカルでおしゃべりするクソ客に怒りが収まらない

今日ミュージカルを観に行った。

めちゃくちゃ楽しみにしてたミュージカル

席も良席で、めちゃくちゃ期待が高まったし、実際めちゃくちゃよかった。

後ろの席の観客がおしゃべりしたこと以外は。

最初は気にしすぎ、気のせいかなって思った。

からしたら考えられない行動だったので。

作品の展開への驚きとかで、思わず声が漏れることってなくはないだろうから最初はそれかなって思った。

けど数回はっきりとは聞こえない2人の話し声が聞こえた時点で、ああしゃべってるんだこの人たちってなった。

次に思ったのは海外の人かな?だった。

観劇マナーちょっと違う場合もあるかもだし、日本語がわからない、とかで聞いちゃった、とかいいほうに考えようとした。

まあ海外の人であろうと、日本観劇するなら、日本マナーを守ってほしいけれども。

だけど、その考えも裏切られた。

はっきりと日本語で会話しているのが聞こえたから。

1回日本語だって認識すると、そのあと聞こえてくる話し声が内容を伴って耳に入ってくる。

すでに舞台100%は集中できなくなってたけれど、ここに怒りが加わって、ますます集中できない。

1幕のあいだは舞台に集中しようするのとともに、後ろの2人への怒りが高まってくのを感じた。

1幕が終わって、幕間。幕間といっても、拍手が収まったのと同じぐらいで後ろを振り向いた。

本当にすんごいムカついてしまったんだけれども、2人は楽しそうに笑ってた。

ふざけんな、おまえらにこの舞台をそんな満足そうに笑ってみる資格なんかないんだ、くそがって思った。

おしゃべりしてますよね?耳障りなんで、やめてもらえます

そう言ったら、笑顔が固まった気がした。

正直、振り向いた瞬間はこの2人とは確証が持てなかった。

後ろ、と言ってももう1列後ろかも、とか、もうちょっと斜め後ろの人かも、とか思ったので。

なので、おしゃべりしてますよね?、の後は1拍開けたつもりだけど、開けれてなかったかもしれない。

相手は違いますともそうですとも言わなかったけど、怒りが強すぎて言葉を待てなかった。

でも、私が言った後、その2人の隣に座っていた女性も、気になって仕方なかった的なことを言ってくれたので、相手を間違えてはなかった。

私は言いたいことを言った後、すぐに前を向いてしまったので、2人がどんな反応をしたのかはわからないけれど、幕間でも2幕でも話し声は聞こえなかった。

舞台が終わって帰るとき、思わずにらんでしまったら、1人がこっちを見た。

見ただけで、そのまま帰っていった。

謝ることもできないんだ、この人たちって思った。

他人の一生に一度の体験自分たちの身勝手さで台無しにしといて、謝れないんだ。

悪いなんて思ってもないのかな、喋ることぐらいで文句言われる筋合いないとか思ってるのかな。

もしそう思ってるなら、今後絶対に2人で舞台を観に行かないでほしい。

1人で観に行けば、おしゃべりなんてしないはずだから

せっかく楽しみにしてたミュージカルなのに、作品の思い出よりもこっちの出来事への怒りのほうが思い出すことが多そうなのが本当に嫌だ。

おしゃべりしてた2人にとっては、きっと、マジあの女キモイよね、とか言われる程度の思い出っていうか、ネタしかならないんだろうな。

けど、私はずっとあなたたち2人の顔は忘れないからな。

2024-02-05

.5舞台演出が後半で「改善」されたらしい昔話

SNSでバズってたから思い出した話。

※注意

公演特定目的でないのでフェイクは含む

自分でも未確認の部分あり

以前、好きな作品が.5舞台化され、それに夢中になった友人の誘いで1公演だけ席埋めに付き合った。ロングランで、東京公演ののちに大阪公演がある公演だった。

全体的には悪くない出来といえた。原作にないオリジナルエピソードだったので先の展開を知らない状態観劇できたし、良い芝居するな、と思えた俳優さんも何人か発見できた。

ただ、とあるキャラAについては、引っ掛かりがひとつだけあった。Aは品行方正、生真面目、堅物、口うるさい……という方向性キャラなのだが、そのAが、学校から貸与されたタブレットで他の人物物理ツッコミをする場面があったのだ。タブレットを縦に持って振り下ろし、縁でおでこをコツンと叩く感じ。チョップがわりにタブレットを使ってるイメージね。

コメディに振り切ったシーンだったし、本気殴りではないし、もしかするとアドリブだったかもしれないが、Aは基本的に「物は大切に扱え、借り物なら尚更だ」というタイプで、備品で人を小突くとは思えず、さすがに解釈違いだった。チョップならまだわかるんだけどな。

なので、終演後アンケートに、楽しんだ点も添えつつ、「Aが備品で人を叩くのだけはちょっと残念、原作ならやらないだろうから」と送った。

そしたら、大阪公演に参戦した友人曰く、消えていたらしい。そのタブレットコツンが。

もともと単なるアドリブあの日一回限りだったかもしれないし、私のアンケートが届いて思い直された可能性もあるのかもしれない(1週間以上は間が空いたはずなので、大阪用の稽古は挟んでいそう)。

それに、私は自分の目で「コツンが消えた」ことを確認してはいない。伝聞で「無くなった」と聞いただけで、それも「多分なかった」ぐらいの確実さだ。

しかし、その「舞台の成長」を視認するためだけに大阪往復とチケ代数万円は払う気はなかったし、一万円弱の円盤購入でさえする気にはなれない。

結果、「改善」前の東京公演は実質リハみたいなところあるな……という気持ちと、最終的になくなるなら最初から「この芝居はなしだね」と役者陣も演出陣も気づいてくれないもんかな……という気持ちが残った。変更の経緯はどうあれ、あるいは聞いた話が誤りで変更されていないとしても、完成してない・練られてない・吟味が不足した状態で公演されているには違いないのだろう。

別に怒るようなことじゃないとも思う。仕方ないんだろうな。もろもろ。

ただ、.5舞台って1公演だけ行く客には酷なんだな、と感じたし、有象無象の.5舞台にはもう二度と行かなくていいや、と思った。

中古市場における男女差

中古市場で働いてる。

オタク趣味に限らず男性向の趣味用品は中古市場で高価になることが多いが、女性向けはほぼ定価以下になることが多い。圧倒的に男性向け優位の世界だ。

オタク向けで言えばフィギュアゲームプラモデルディスク系が高価になる。漫画や細かなグッズは99%投げ売りになる(同人系は男女関係なく本もグッズもディスクも金にならない)

オタク以外ではスポーツ用品、釣具、カメラガジェット、衣類など男性向と言われる趣味用品は高価でやり取りされるが女性向けと言われるものはあまり存在していない。もちろん女性でも上記趣味をされてる方はいるのだろうが中古市場で見かけることはとても少ない。購入者もだいたいが男性だ。女性は安いものは購入してくれるが高価なもの中古で購入するのは少ない。

最近オタク業界アニメイトを支えているのは女性だという声をよく聞くが、販売数や瞬間風速的な意味では合っていると思うか最終的な売上としては男性の方が強い気もする。細々としたグッズ大量や流行りのぬいよりもフィギュア数個の方が高い。

個人的男性向け商品頭打ちなので女性向け中古市場を探っているのだが女性向けで高額なものは一部のハイブランドドールくらいしかない。しか女性が所持しているドールカスタム品が多い。カスタム品は値段がつかない。逆に男性が所持していたものDDなど)は限定品そのままの状態が多く値段がつきやすい。女性はオリジリティあるものを所持する方が人気なのかもしれない。

あと女性アイドル観劇など中古市場に出回らないサービスにハマる人が多いのかもしれない。男女問わずアイドルグッズは案の定まり金にならない。やたら宝石のように大切に持ってきて頂くけど半券はゴミなんです。

総合的に女性向け中古市場を盛り上げるのはなかなか難しいなと思う。女性に人気なもの中古市場では金にならない。

この原因は女性特有の価値観はもちろんのこと賃金格差によって趣味に使える金額の差もあるなとは感じている。

今後女性向け中古市場が大きくなることを期待したい。

2024-01-31

anond:20240131103758

それ出された当時多くてバズったりしてたのは観劇レポ漫画

2024-01-26

独身アラフォー女、何のために生きているのか分からなくなる

通っている心療内科で、主治医に「何か外に出る楽しみないの」と聞かれて、「いや、ありませんね……」と答えたら、「そう……本当はそういうのあったほうがいいんだけど……」と返された。

でも今本当に何もない。

友人づきあいがほぼゼロ

なんか去年まで2人いたけど、今年は新年あいさつもしてないし終わりかもしれない。

彼氏恋人パートナー、作る気も作れる気もしない。

観劇とかアイドル応援とかの趣味も、去年突然「応援してる○くん○ちゃんはどんどん成長するのに、私は……」となってやめてしまった。

ソシャゲだけ続けているけど、生きる楽しみにするには弱いと思っている。

なんか少し前までは結婚して子供もいて、立派なキャリア積んでる友人たちを見てひがんだりうらやましがったり、自分はどうしてだめなんだと思ったりしていたけど、今はそれさえもない。

死ぬために生きているのか?

早く死んだ方がいいのかな。

生きがいとか生きる楽しみとか全くない……

ほかの皆さんはどうやって生きているんですか?

独身アラフォー女、何のために生きているのか分からなくなる

通っている心療内科で、主治医に「何か外に出る楽しみないの」と聞かれて、「いや、ありませんね……」と答えたら、「そう……本当はそういうのあったほうがいいんだけど……」と返された。

でも今本当に何もない。

友人づきあいがほぼゼロ

なんか去年まで2人いたけど、今年は新年あいさつもしてないし終わりかもしれない。

彼氏恋人パートナー、作る気も作れる気もしない。

観劇とかアイドル応援とかの趣味も、去年突然「応援してる○くん○ちゃんはどんどん成長するのに、私は……」となってやめてしまった。

ソシャゲだけ続けているけど、生きる楽しみにするには弱いと思っている。

なんか少し前までは結婚して子供もいて、立派なキャリア積んでる友人たちを見てひがんだりうらやましがったり、自分はどうしてだめなんだと思ったりしていたけど、今はそれさえもない。

死ぬために生きているのか?

早く死んだ方がいいのかな。

生きがいとか生きる楽しみとか全くない……

ほかの皆さんはどうやって生きているんですか?

2023-12-23

演劇

知ってるやつが舞台に立ってるのを観るのは楽しい学芸会と同じで。

知らない人でも面白い人は面白い

ただし脚本面白くない(好みでない)ともうこれは時間無駄出演者面白い人であっても面白くない。

そして、だいたいの演劇面白くない。(「だいたい」とか言うと如何にも観劇経験豊富そうに聞こえるが全然そんなことはないので怒られるかもしれない。しかし。そこそこたくさん鑑賞している映画もだいたいは面白くないので、確率から言ってやはりだいたいは面白くないと思って差し支えないだろう)

役者が上手かろうが、完成度が高かろうが、人気があろうが、チケットがすぐ売り切れようが、全然面白くない。

多感で若ければもう少し色んなものを楽しめたのだろう。しか演劇以外のメディアにはどっぷり浸かってきたので、演劇特有でない要素、例えばストーリーやらキャラクターやらに関しては目が肥えてしまっている。そもそも多くの人と趣味も合わない。

演劇ならではの面白さはあるが、創作物としてのボーダーラインクリアしていない限り全体としてプラス評価に転じることはない。

周りの人と鑑賞後に楽しくおしゃべりできないのは辛いところだ。

多くの人は観劇を楽しんでいるので、私はその余韻を損ねないように、しかし嘘をつくのももやもやするので、当たり障りなく会話に合わせつつ、絶妙肯定を避けて重箱の隅をつつくように褒める。非常に気を遣う。

友人が出演していたとしても、面白くなかったら「観たよ」以上のことは言えない。

まあ、今後もそんな感じでやっていく。

観るのは勉強にはなるので。

2023-12-10

すてきなお芝居を見た日のこと(かみさまを殺すための旅/あまい洋々)

かみさまを殺すための旅」/あまい洋々 を観劇しました。


普段はあまりお芝居の感想ネットに書くことはないのですが、

これは多くの人に知ってほしい、という気持ちと、

芝居の熱量を受けて何かアウトプットしないと、

居ても立っても居られない気持ちになったため、

拙いながら書いてみることにしました。


お芝居の詳細な感想もさることながら、

作品を作る上で登場人物の描かれていない裏側を想像するように、

役者さんのTwitterを見て、作品が完成するまでの様を想像するように、

この芝居を見たひとりの自分、がどうこの作品出会い、どんな行動に至ったのか、というような

記録があってもいいのかな、と思いこの記事を書いています


■この劇に出会った経緯

 詳細には覚えていないけれど、「何かいいお芝居ないかなあ」とTwitter徘徊していた10月頃、

 仮チラシとタイトルを見て、「あ~たぶん好きなやつ」と思って、カレンダーに追加したような記憶

 「かみさまを殺すための旅」というタイトル。「あまい洋々」という団体名。

 (この漢字ひらがなバランスがうまくいえないけどすごくいい)

 (ぜひタイトル解釈や、団体名の由来について、どこかで伺えたらいいな、とふんわり思っている)

 柔らかいタッチイラストと、少しビビッドな色遣いの仮チラシ。

 そのときに、主催結城真央さんのアカウントを見て、

 1999年まれなんだ、自分ひとつしか変わらない歳の人が、

 自分劇団を持っていて、もう4回目の公演に取り組もうとしているんだ、と。


劇場に行くまでのこと

 なるだけ、芝居を見るまで感想バイアスになる情報は入れないようにしよう、と思いつつ。

 しかし、予約する段階でチェックした本チラシのデザインは仮チラシからさらアップデートされた素敵で、

 「オムニバス形式短編詰め合わせ、ぜったいすきなやつ~」という気持ちと、

 「虐待・性暴力モラルハラスメントを想起される表現を含みます」というのに、ちょっとびびったりもしていました。


観劇当日のこと

 観劇をした12/9(土)は少し温かい冬の日で、雲一つない晴れた日。

 北千住に降り立つのはたぶん初めてで、アクセスがいい都内の駅だけれども、意外と遠いなあと思いながら電車に揺られていました。

 勘違いしていたのだけれど、BUoYを初めて調べたときカフェが出てきたので、「カフェでやるタイプの芝居かあ」と思っていたけれど、

 実はカフェは2階、劇場は地下ということでした。終演後に2階のカフェに行ったら満席だったので、改めてカフェも行ってみたいな。


観劇をしたあとのこと

 劇場に入ってから、出るまでのことは、別の記事でまた語るとして。

 わたしは、素敵な芝居を見た後は、台本を買って帰るのが自分の中で決めた約束事みたいにしているところがあります

 もちろん、帰って、改めてじっくり味わいたいというのもあり、チケット代以上に何か劇団還元できれば、みたいな思いもあり。


 物販で売られていた、主催結城さんが書かれたイラストも素敵だったな。

 この芝居を通して、すっかりわたしは、結城さんのファンになってしまって、

 何かの形でこの方が芝居や創作活動を続けていくのに、貢献できたらいいな、

 この方は芝居をつづけていくべき(べき、というと断定的で独善的で強い言い方に聞こえて嫌だけれど)人なんだろうな、と思いました。

 それくらい、芝居やアフタートークで見えるかわいらしい印象の反面、パワーを持った方でした。


 劇場から出た後は、一緒に芝居を見に来てくれた友人と、(二人ともが台本を買って)

 近所のカフェでおいしいお茶を飲みながら、作品感想をじっくり語りました。

 正確には、カフェに向かう道中から電車の中で解散するまで、たぶん2時間くらいほぼずっと、この作品について、考え、話し続けていました。

 それもやはり、話さずにはいられなかった、という感覚に近く。


 しかし、そのうちの半分くらいは、建設的な議論なんかではなく、

 「めちゃくちゃよかったね」「しんどかったね」「今年イチかもしれない」

 「マジで観に来てよかった」「なんでもっと早く出会わなかったんだろう」「もう1回みたい」

 「ていうか知り合いの演劇関係者全員見て」「とりあえず帰ったら近所の演劇人にLINEしよ」

 みたいな、オタクじみた、そういう、感想だったのですが。


 あ~~~でも、本当に、今思い出してもよかったな。行けて、観れてよかった。

 初めての劇団を見に行くときは、好きになれるかな、ちゃんと楽しめるかな、といつも心配になるのですが、

 今回に至っては、友人を誘って予約した自分をめちゃくちゃほめたたえたい、そんなお芝居でした。

2023-11-18

anond:20231118182545

言語化できてなくて悪いけど、面白い演劇もある。

演出や照明効果でカッコいい見せ方したり。まあ映画とは全く別モノ。

どっちのほうが高尚とかは全然ない。

なので、映画でよくない?と言われたら、いいんじゃない?と思う。おれも演劇やるのは楽しいけど、観劇趣味にしようとは思わん。演劇高いし。抽象的で意味分かんないのも多いし。映画カンヌベルリンも2000円以下だからね。

2023-11-17

anond:20231113020407

現役でスタッフやってる。

やめたければやめればいいってみんな言うけど、どうやってやめればいいのかわからない。

増田ほど大変な目には遭ってないけど、それでも観劇の楽しみとかなくなったし、自分が好きだったジェンヌが早く退団しないか考えてる自分がいる。

でもわたしがやめても劇団FC押し付けてくる仕事が消えてなくなるわけじゃないし

会とかいうクソシステムごと爆散してくれないと

他のスタッフもお手伝いしてくれてる人も残して自分だけ逃げていいの?って

でも新しいスタッフ増やさなきゃ新しくお手伝い声かけなきゃって相談してんだよな。わたしだって現状に加担してるんだわ ねほぱほのブラック企業面接官を笑えねえわ、まだ見てないけど

今回の増田のおかげでFCの闇が世に突きつけられて、「俳優上下関係スタッフにまで持ち込まれてるのおかしい」とか色々みんなが言ってくれて、ああおかしかったんだ、って思えた

増田ありがとう不本意ながら後輩になっちまったけどわたしも生き抜くよ

みんなありがとう、外の意見に触れられて本当に心が助かった

しょーじきどうせ劇団はこういう声も無視して現状維持し続けようとするんだろうなって思うけど、

でも色んな人がやべえやべえって言ってくれてよかった

あわよくばこのクソシステム崩壊してほしいけどな マスコミさん、頑張ってー

こういうの匿名でも書くのすっげえ怖い。手めっちゃ冷たいし。心臓バクバクゆってる

増田ありがとうね 勇気もらった

今すぐじゃなくてもいつかこのクソシステムがなくなったら、どっかでそれぞれ祝杯あげような

2023-11-16

anond:20231113020407

FCスタッフお金持ちの主婦お嬢様がやること、って書いてる人多いけど、それじゃ回らないのが宝塚の会のダメなところだし怖いところなんだよ。

路線会いたら分かるけど、お金と暇がある貢献会員(1公演で20〜30回観劇するような人)は出来るだけチケット買わせて花代出してもらって気持ちよくずっとサポートしててもらわなきゃいけない。

からお手伝いしてもらうのはお茶会の当日準備や受付あたりの華やかで楽しいところ。いいとこ取りしてもらって手伝ってる感だけ味わってもらう。

それより先に関わらせたら増田のように疲弊して病んで去ってしまうの分かってるからガチの会スタッフには勧誘しない。

そもそも社会人経験ないようはぽやっとした奥様お嬢様に完全なる汚れ仕事の会スタッフはできない。

代表は奥様お嬢様多いけど、それは会スタッフが下で奴隷労働してるから成り立っている)

勧誘するのは真面目でそこそこ家はしっかりしてるけどちゃん自分で稼ぎのある人当たりのいい若めの社会人

活動してる中で代表や中心スタッフ関係性作って見定めて、〇〇さんのためにお願い、どうしても人手が足りなくて、期間限定でもいいから、ってお断りしてます何度も頭を下げる。

これ以上断ったら会に居づらくなるから、少しだけならお手伝いします、からガッツリ活動に取り込んでいく。

自己顕示欲でとかジェンヌと近づきたいからとかでスタッフになりたがるような人は、そもそも勧誘されない、またはお茶会のお手伝いあたりで満足させておく。

実際の会スタッフ想像してるようなオホホウフフの世界じゃない。

自由時間ゼロからどれだけ生徒のために奔走しようが観劇もできない。

たまに空いた事故席に座る幸運を待つか、会総見B席端観劇

増田はまともで真面目で律儀だったから目をつけられてスタッフにならざるを得ない状態になってしまった。

増田はほんとに頑張ったよ。

お疲れ様

2023-11-15

anond:20231113020407

労働基準法適応しなきゃだめだよね。月20万くらいはもらってほしい。それでも観劇を楽しむ普通生活には足りないか副業前提だけど。

anond:20231115150807

いや、観劇文化の中でも宝塚特殊すぎるよ…歌舞伎でもここまでじゃない。

行き過ぎるファンとの交流はいろいろトラブル産むから普通運営がある程度壁を作る。

宝塚はそこをあえて近くしてファンダム文化を強固にさせようとする。

他のミュージカルとか観劇と同じ感覚で「好きになっただけ」で飛び込んだら

気がついたら地獄に…ってパターン多そう。引き返せたらいいんだけどね。

仕事ストレス反動承認欲求とかでハマっていったら元エントリみたいになるのは容易に想像できる。

2023-11-13

ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話

連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。

劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。

便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。

固有名詞用語意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。

でも、どこかに、仲間がいると思うから自分以外にも壊れた人がいるはずだから

まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。

もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。

該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。

いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使い組織運営している。

自分新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。

明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。

毎朝晩の入出待ち立ち会いかお茶会などイベント企画運営チケットの取次配席およびグッズ作成など...

所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。

無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員

睡眠時間金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。

業務をもう少し細かく説明すると、

・入出立ち会い

よく日比谷劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人クレームに頭を下げたりする。

毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。

それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。

毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。

大体毎日何かしらの細かすぎる指導上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい

イベント企画運営

お茶会新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画運営

ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。

あらゆる方面の顔色を窺い、企画台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。

それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。

三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたとき殺意が芽生えた。しんどい

チケット取次・配席

ファンクラブ会員はジェンヌ個人販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。

が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケット劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。

それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。

そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセル手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。

こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。

データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい

・グッズ作成

お茶会お土産、総見のおまけ、お茶会販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。

ジェンヌ本人にイラスト手書き文字提供協力を頼みこむも多忙一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサい文句を言われる。

しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構金額必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。

結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。

しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。

グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい

・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働

ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。

そのため会員からまれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。

しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族関係者対応など、これが本当に一番きつかった。

ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。

朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...

劇場チケット出し前には劇場レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。

上級生会代表飲み物をお持ちし、その時通るルート差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。

2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。

それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論

劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい

ジェンヌでもなく、会運営委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである

会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。

全ての言動根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。

運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。

無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ

妬み僻みも有難いご意見として真正から受け止める。上級生会から理不尽指導意味あるものとして理解昇華する。

仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。

そんなことがあるわけないだろ。

平日フルタイムで8時間仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事パフォーマンスはそれはそれは最悪だった。

盆や正月連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家帰省することも友人と会うこともかなわなかった。

急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要ものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。

社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的寝不足で眠気も止まらず、安価血糖値の上がらないもやしカット野菜しか食べられなかった。

周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分判断できなくなっていた。

死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。

入院強制的劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。

鬱も発症精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。

もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。

携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。

運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。

何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ

社会的な常識が一切通用しない、異常な文化形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである

亡くなった彼女のおかれていた環境報道事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。

その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。

巨大企業ファンダム抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。

自分も、声を上げられなかったひとりだから

彼女の死は、自分無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらいから。

溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。

このあたりで切り上げることにする。いつか追記修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。

自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。

もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。

けがえのないいのちを、薄っぺら言葉で葬ることがないように。

妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福祈ります

助けてあげられなくて、ごめんなさい。

2023-10-31

推し逮捕された

もうこのタイトルで分かると思うけれど、推し逮捕されました。昨日は本当に意味がわからなくて何も言えなかった。というか言うつもりがなかった。でも朝起きてニュースを見て、何かを整理したくて書いてみる。

彼がゴーカイジャーになった時に一目惚れした。当時はまだ義務教育を受ける年齢だったから、お小遣いお年玉を使って舞台に行くことしか出来なくて。歳の離れた姉も俳優オタクだったから、姉の推しと共演する時はたまにお金を出して連れて行ってくれたりした。歳が離れていて中々一緒に出かけることが出来なかったから、姉と連番で見て感想を言いながら帰るのが楽しかった。姉とは仲が悪かった訳では無いけれど、この観劇もっと距離が縮まった気がした。だから当時彼に手紙感謝したこともある。本当に感謝していた。

エン*ゲキ #01『君との距離は100億光年』は彼が脚本とかもやっているシリーズの初演で、見に行った日に日替わりネタのお便り読んでもらって嬉しかった。

慣れないゲームもした。正直推しキャラ初見ではタイプではなかったけれど、進めていくうちに好きになった。彼のおかげで知らないことも沢山知れたし、本当に幸せだった。

なんでなんだろうな。騙されてとかじゃないんだよね。警察官の役だもんね。あなたのその素敵なお芝居を、そんなところで使って欲しくなかった。

同担の中には怒る子もいたし泣く子もいたし、動揺しすぎて推していた事実を無かったことにしようとしている子もいた。

私は分からない。怒っている気もするし涙は出てくるし。「その人知りません」って言いたい気持ちもわかるし。ただ彼のおかげで手に入れた数年間は本当に大事ものから、その事実否定したくない。本当に分からない。

イベントやるとか言ってたのにね。アニメだって決まってたのに。どんな気持ちであのツイートをしていたの?ニュース2016年詐欺行為についてツイートしていたのも言われてたよ。私それを見て苦しくなって今書いてるの。

ねえ。本当に。なんであなたはそんなことしてしまったんですか?

2023-10-22

コンサートで生まれた嫌な気持ちの思い出

山崎まさよしの件でちょっと思い出したこと

昔…確か20年くらい前に従姉妹に頼まれて某KinKiコンサートに行ったんだよね。付き添いで。

自分KinKiはなんとなく知ってる程度。当時はよくテレビに出てたから。元々舞台ライブ観劇が好きなので楽しみにはしていた。

当日数曲歌った辺りから堂本剛の様子が変だなと思った。肉眼で見る彼はテレビで見る活発な彼とは真逆の姿だった。客に手を振らない、笑顔がない、俯きがち、声も途切れる。

驚いたのがMCで途中で急に捌けたこと。えっ?そういう演出?着替えの関係?と思ったけどそうではないらしく、堂本剛じゃない方の人と後輩の子達がトーク頑張ってた。それはそれで面白かったけど。なんのコンサートだ?と疑問に思った。

その後もアンコールまで明らかにヤル気がない感じで見てて嫌な気持ちになった。

姉妹いわく堂本剛は元々メンタルいからしゃーない、こういうのはたまにある、とのことで。KinKiファンって堂本剛メンタルに左右されたものを楽しまないといけないのか…と不憫に思った。

その後従姉妹は晴れて高校卒業となり家族から1人でコンサートに行くことがOKされたので自分KinKiを生で見たのはあれで最初最後だったけど堂本剛への好感度はずっと低いままだ。

テレビラジオいかにも良い人そうに振舞っていてもこの人は芸能人としてはプロじゃない、という目線で見てしまう。嫌いではないし突発性難聴についてはとても不憫にも思う。でも一度張り付いたレッテルというものはあまり粘着性が高くて20年以上経過しても剥がれないままでいる。

堂本剛じゃない方の人はプロフェッショナル?で決められたものをきっちりこなすらしい。その後骨折れても舞台やってたと聞いてなるほどなと感心したし好感度も上がった。ただこの人全然顔変わらなくて怖い。妖怪かもしれん。

anond:20231019121134

23.10.21

歌を詠む。結局無理くり捻り出されることばには輝きはなく、少しでもミューズが宿るように思えるのは、彼女を歌った歌だけだ。つまり俺の心を今本当の意味で動かせるのは彼女しかいないというわけで、すでに日常化したこ一種の「依存状態」を、俺は楽しんでいるのか苦しんでいるのか自分でもよく分からない。風景に季節にイベント音楽観劇に、他にも俺の心を動かすものはあるのだが、言葉としてアウトプットできる感動が彼女のこと、正確には彼女のことを想う自分についてのことしかない。会えなかった頃の想い、隣に座っていた時の想い、夢で会った後の想い、それを詠むことばだけは少なくとも嘘がなく、かろうじて詩と呼べるものになり得る気がする。畢竟好きなものを好きと言う時以外に人の言葉は輝き得ないのだろう、と独り納得しながら、自ら描く感情一方通行グロテスクさ出口の無さに辟易したりしている

2023-10-12

Twitterとあるアカウントの方を今日フォローして、過去投稿を読んでた

口調からも趣向から女性だと思っていたら、男性だった

顔をぼかした写真の体型はしっかり男性

体の一部が写り込んだ写真、手だったり足元だったり、も男性

とあるショップ店頭お仕事されている人のようで、フォロアーの方とお話しさせていただいて、との投稿もあった

もうこれはさすがに男性、疑いようがない

普段生活で花を飾り、観劇が好きで、香水が好きで

他にも女性だよね、と感じたところはいろいろだったけど、男性

とても若い方だった

趣味への投資(散財)っぷりが大きく、散財への自虐ユーモアたっぷりで、30代の女性の印象だった

口調と趣味から性別判断できない、当たり前かもしれないけど何か新鮮だった

2023-10-03

anond:20231003123100

御朱印とかちいかわ集めとか観劇とか海外旅行とかマリンとか」

キャンプうまい飯や酒を食べる、ゲーム漫画アニメを消費する、自転車バイクで1人でソロツーリングすると」

これってそんな優劣あるか?

 

消費的って言うならどっちも消費的にしか見えんが

2023-09-24

友人に誘われて、若手俳優が出てる舞台見に行ったのね。

今どきの子はみんな綺麗なんだなとか思って見てたんだけど、脚本が最悪だった。

とにかく下ネタみたいなギャグ、明らかに笑いものにするためだけに繰り返される男同士のキスシーン、しずかちゃん風呂みたいなシチュエーションジャイ子が出てきてがっかりみたいな、今令和なんだよね?みたいなギャグオンパレードで、こんなん即刻燃えそうって感想しか出てこない。

でもさあ、みんな笑ってんのよね。ふだんあんなにフェミフェミジェンダーLGBTQで大騒ぎしてんのに、俳優ファンだろう若い女の子みんな笑ってて、SNS面白かったって感想ばかり。

あんなにセクハラみたいな発言あって、女の裸にゲヘゲヘ言ってるギャグで、話の中でなくても問題ないコメディとして若手俳優たちにセクハラさせて、それで面白いんだ。へー。

こういうの見るたびにホントにギャーギャー言ってる奴らの味方してポリコレだのなんだの頑張る意味なんかなんもなくない?って思うし勝手に困って騒いでろよとしか思えないんだよね。

お前らが許せないのはそういう行為のものじゃなくて、自分の好みじゃない男が存在してるってただそれだけのことなんでしょ?それはただ好みであって正しさとかでは全くないんだよね。

イケメンが板の上で半裸にさせられてケツ叩かれてるの見てなんの不満もなく喜んでるような人らに色々燃やされてるの本当に納得いかなくて、それ以外の感想を喋る気にならなかった。

招待してくれた人には良かったねとは言ったけど(実際俳優の方は熱演されていたし演技は素晴らしかった)、申し訳ないんだけど二度と行かないと思う。

普段性の消費がなんちゃらどうちゃら言っといてこんなんがいいって思えるわけ!?アホか!?という感想以外ほぼ覚えていない。

話の題材が悪いというより、女オタの言うことなんか真に受けるもんじゃないなと改めて思ったよ。イケメンがやれば無罪キモ男がやれば有罪なのは犯罪ではなく好みっていうんだよ。頼むよ。

 

 

追記:

観劇後にどうしてもモヤモヤして書き殴ったけど、指摘されてる通り、見に来てる層はフェミニズムだとかどうとかにはなにも関心がない、というのは多分その通りなんだと思う。

友人も表立ってそういう活動とかはしてないし、界隈の人もそうなんだろうなって思う。同じような不快感ってないのかなと検索してみたけど、みんなそういう脱いだりするようなシーン含めて喜んでいたしね。

しろフェミニズムとかにズブズブな人は二次元専門のオタク自分の周りに多くて、そのせいで色々自分が好きなものがご配慮求められてるのとか見るたびにゲンナリしてたからやっかみとか八つ当たりで書いてしまった面が大きい。

そういうの見てると、なんでおまえらだけ好き勝手叩かれないで楽しくやれるんだよズルイよって、そういう気持ちなっちゃうんだよね。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、って言葉の通り、もう多分「若い何かのオタクの女」って属性性的ネタで喜ぶということそのものがもう許せないんだと思う。偏見しかないんだけどさ。

2023-09-16

地方に住んで思ったこ

東京のそこそこ都心部に住んでましたが、色々な都合で名古屋から数駅離れたベッドタウン移住した者です。

個人的には田舎というレベルではないので、「地方」と書いた。)

地方での生活について個人的感想を書く。

家賃安すぎ!

いや、東京が高すぎ。

東京ワンルームくらいの値段でファミリーマンション住める。

駐車場も余裕で借りれる。

いくらガソリンが高くなっているとはいえ生活にかかるお金が段違いに安い。

別に物価が安いとは感じないので、主に家賃によるものだと思う。

あとは家が広いことによって無駄な出費が抑えられていることもあるかも。安い時にまとめ買いとか。

イオンが超便利

服を買うのもご飯を買うのも外食するのも全部イオンで片付く。

子供が遊べるスペースまである

休日イオンに行く生活、最高です。

車が無いと不便だが、車は超便利(主に子育て

車が無いとまともに生活できない!地方はクソ!と言う方もいると思いますが、車がある地方生活東京よりかなり快適。

東京では電車で移動できるだろ!と言われるかもしれないが、

プライベート空間

荷物を積みまくった状態

複数人

移動できる、というのが子育て中には本当にありがたい車のメリット

ベビーカーおむつ子供おもちゃご飯も積んだ状態旅行に行けちゃう

チャイルドシートに固定しとけば目を離した隙に・・・ということもないし、泣き出しても周りが気にしなくていいし、面倒見るのも交代できるし、本当に楽。

東京子供を抱えて長距離移動した人なら分かると思う。荷物を手で運ばなくてもいいというのがどれだけ素晴らしい事か。

自然の中で遊ぶ分には便利

周りに公園あるし、公園でなくても土や緑があるし、それはそうだね

重課金教育ブーストは難しいか

東京と違っていわゆるお受験をしている人は少なく、そういった塾などの環境も整っていないと思う。

早くても中学受験スタート(それすら教育熱心だね、という扱い)だし、東京のように小学校・なんなら幼稚園からエリート環境に入れて、と言うことは難しい。

そのため多様性のある小学校に行かせることになる可能性が高いので、「臭い物に蓋」できない可能性は高い。

皮肉でもなんでもなく、親としては蓋しておきたい。いじめにあう可能だってあるし。

また、才能があれば大して重課金しなくても良い大学に行かせることはできるが、やはりできるだけ底上げしてあげたい気持ちもある。

逆に才能が滅茶苦茶ある場合は、東京重課金していれば海外留学等して超絶エリートになっていた、という可能だってある。

そういった意味で最大限のサポートはできないのかな、と思う。

私の経済状況でそこまでのサポートはできないけど。

文化的経験???)は難しいのかもしれない

よく言われることだが、観劇ライブ伝統芸能等は機会が得にくいだろうなとは思う。

私自身は東京に長年いてそういったものに行ったことが無いので、私個人にとってはどうでも良かったりする。

要するに?

楽、と言う意味では子育て環境として東京よりはるかに良い。

ただやはり最大限の教育リソースと言う意味では東京のほうが良い。

私の経済状況では東京でそれだけ教育に力を入れられないので、私にはこっちがあってるかな。

2023-09-10

水曜日ソワレ(夜公演)をやってくれ!!!!!

新型コロナパンデミック仕事プライベート多忙が重なり、ここ数年観劇から遠ざかっていた。

最近になってやっと時間ができたので、数年ぶりにまた劇場に足を運ぼうかといくつかチケット予約ページを開いたのだが、

ごく一般的初老の勤め人にとっては、驚くほど予定が合わない。

ソワレ(夜公演)が少ない!!!

以前は1日にマチネ(昼公演)とソワレの両方をやっていたような劇団劇場でも、昼か夜のみになっている。

平日の1公演がマチネソワレのみなっている。

うん、これはまあ仕方ないだろう。

休日の1公演がマチネのみだったりする。

土日はゆっくり寝てから出かけたいんです、13時からなんて間に合いません……。

以前はゆっくり寝て、掃除洗濯をすませてからでかけて、ソワレを楽しめたのに……。

さらになんといっても、水曜日マチネのみというケースがつらい。

水曜日こそ、多くの企業がノー残業デーに設定しているんだからマチネをやってください!

ノー残業デーなら大手を振って行けます

お願いしま!!!

明らかに公演数が減っているし、以前なら即完だったろうチケットいつまでも買える状況を見ても、

客足が遠のいたまま戻らないことは想像がつく。

客が少ないなら公演数を絞るのは当然のこと、水曜ソワレを削るのも合理的理由があるのだろう。

ただ私個人わがままを言わせてもらえば、

水曜日は夜こそやってほしい。

ちなみに私が行くのは池袋芸術劇場とかパブリックシアターとかKAATとか

パルコ劇場とか本多劇場で長くやれる劇団とか、なんかその辺りです。

劇場主催公演をよく見るタイプなので、制作のみなさん、お願いしま!!!






と書きながら、「前後両隣がノーマスクだったらいやだなあ、

もしも隣人が咳き込んでいたりしたらチケットを捨てて帰る覚悟で行く」

という姿勢なので、どうしても腰が重くなり、そもそも観劇予定数も激減しました、ごめんなさい。

『橋からの眺め』@東京芸術劇場プレイハウス

を観てきた。

主演の伊藤英明ビジュアルと、数年前の大河ドラマ麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである

あらすじは公式ホームページにあるが、

https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge

ステレオタイプジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟マルコ和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である

で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。

 

なぜなら、伊藤英明徹頭徹尾棒読みからだ。

 

冒頭は、狂言回し弁護士高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。

棒読みだ。

言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。

キャサリン帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みセリフが流れ落ちていく。

劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだである言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。

高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラル嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。

ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。

ドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ

しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。

そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇なだれ込んでいく。

  

失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。

エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。

ただひとたびセリフを発すると、演劇空間位相が容赦無くズレ出してしまう。

 

パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラー脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題女性の自立・連帯問題からみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。

ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士モノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである

繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。

そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚しかないという不条理はいや増していく。

そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。

 

それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。

あるいは、棒読みの彼こそがリアル人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。

人間感情言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味空疎言葉コミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。

この姿が、あらゆるイズムに囲まれ現代人の戯画でなくてなんだろう。

 

まりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである

 

幕が降りた後、私はい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。

それが演出家の狙いだったかはわからないが。

2023-08-23

低級労働者の子女がやれ舞台観劇だやれ海外旅行だって知識層や富裕層の真似事してても滑稽だし浪費にしかならなくね?

しかも本人はろくな大学も出ていなければ大した給料も貰ってないのに。

貯金もせずに老後生保護まっしぐらだろ、最後まで他人たかる気なのかね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん