はてなキーワード: 観劇とは
幾ら脊髄反射でコメンテイター気取りをしたいはてなブックマーカー相手とはいえ、幾らなんでも情報操作が酷すぎる。
ロクに調べずに、印象だけで書いたということをこれから示すからぷいきゅあとか見てブヒブヒ言ってねーで演劇見ろ。
>> 特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画、TVドラマ、観劇、音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。 <<
>>映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツもナイター観戦がある。 <<
セントラル・リーグは見れるけれど演劇は見れない具体的根拠を示せよ。
https://baseball.yahoo.co.jp/npb/schedule/?date=2023-05-15
>>例えば宝塚はこんなスケジュールになってる<<
確かに宝塚大劇場のスケジュールは元増田が指摘するとおりだが、同じ『Lilac(ライラック)の夢路』でも東京宝塚劇場の公演にはソワレもあるぞ。ソワレあったら元増田は観に行くのか?
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/lilacnoyumeji/schedule_tokyo.html
元増田が無知なのか敢えてスルーしたのか知らないが、例えば下北沢ザ・スズナリの公演情報は以下の通り
https://www.honda-geki.com/suzunari/
見ればわかるが19:00開演の公演も沢山あるぞ?
(※注:本多劇場は18:00始まりの公演が多いということは付け加えておく)
例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。
といった感じで。
そこには男性が好むような題材はどこにもない。
元増田は今年何本の演劇を見たんだ?あるいは見ずとも公演情報をチェックしたのか?
上記に掲出した本多劇場や、ザ・スズナリに行ったことはあるのか?
知ったようなフリをして、調べもせずに印象だけで語ってんじゃねーよ
幾ら脊髄反射でコメンテイター気取りをしたいはてなブックマーカー相手とはいえ、幾らなんでも情報操作が酷すぎる。
ロクに調べずに、印象だけで書いたということをこれから示すからぷいきゅあとか見てブヒブヒ言ってねーで演劇見ろ。
>> 特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画、TVドラマ、観劇、音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。 <<
>>映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツもナイター観戦がある。 <<
セントラル・リーグは見れるけれど演劇は見れない具体的根拠を示せよ。
https://baseball.yahoo.co.jp/npb/schedule/?date=2023-05-15
>>例えば宝塚はこんなスケジュールになってる<<
確かに宝塚大劇場のスケジュールは元増田が指摘するとおりだが、同じ『Lilac(ライラック)の夢路』でも東京宝塚劇場の公演にはソワレもあるぞ。ソワレあったら元増田は観に行くのか?
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/lilacnoyumeji/schedule_tokyo.html
元増田が無知なのか敢えてスルーしたのか知らないが、例えば下北沢ザ・スズナリの公演情報は以下の通り
https://www.honda-geki.com/suzunari/
見ればわかるが19:00開演の公演も沢山あるぞ?
(※注:本多劇場は18:00始まりの公演が多いということは付け加えておく)
例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。
といった感じで。
そこには男性が好むような題材はどこにもない。
元増田は今年何本の演劇を見たんだ?あるいは見ずとも公演情報をチェックしたのか?
上記に掲出した本多劇場や、ザ・スズナリに行ったことはあるのか?
知ったようなフリをして、調べもせずに印象だけで語ってんじゃねーよ
私は大学の演劇サークルとか(古い例で申し訳ないが第三舞台みたいな)コントやってる人たちも演劇掛け持ちしてたりして
チラシとかで同じ人が客演で出てたり、脚本家が別の劇団でシナリオ書いたりで観にいくきっかけになってた
小劇団みてるうちに、じゃあ劇団四季みたいなのってどうなんだろうと劇団四季やら帝国劇場でやるようなレミゼラブルみたいなのにも行ったりしたけど
個人的には本多劇場以上になると私の感じる演劇の楽しさが減少してしまうので大箱のところには行かなくなった
ちなみに小劇団も一度通うのが途絶えてしまうと、これ行きたいなーにならずに今ではすっかり離れてしまった
小劇団(というより観劇という行為というべきか)は自分にあうあわないがあるけれど、あう劇団見つけたら本当に観劇は楽しいので数うちゃ当たる方式で行ってみてほしいと思います
そもそもリアルタイム系のイベントは女性消費者の方がはるかに多くて、最もわかりやすいものだと映画館は女性客の方が多い。
これは根本的に男性は8:00~18:00は労働に縛られていて、リアルタイムの娯楽を楽しむことが許されていないから。
対して女性は平日の昼間でも娯楽を楽しむことが許されている人が多い。
これは別に女性が働いていないとか言う事ではなく、女性の仕事はパートタイムであったり、専業主婦であったりで時間の融通が利くことが多いから。
1日くらいなら家事を翌日にずらしたりすることがしやすい。要するに女性はフレックスタイムな仕事をしてることが多いわけ。
特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画、TVドラマ、観劇、音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。
なので、男性にある程度人気のある娯楽は平日でも夜間にスケジュールを組むことができる/やってる娯楽に限られる。
映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツもナイター観戦がある。
こういうスケジュールを組むことでなんとか男性客を引き留めてる。
-----------------------------------------------
‐幕間‐ 35分
※尚、終演予定時間は下記のとおりです。
11時公演 14時5分
13時公演 16時5分
15時30分公演 18時35分
-----------------------------------------------
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20230418_005.html
まぁ元々女性向けの演劇だからわかるが、こんなスケジュールで男がどうやって見るんだ?
歌舞伎もそう。
もちろん土日には見れるけど、どうしても客数が限定されてしまう。
しかし男の多そうななんばグランド花月(漫才)のスケジュールは19時スタートの部がある。つまりこれは平日仕事終わりの男の客も捕まえようとしてるのが見て取れる。
https://ngk.yoshimoto.co.jp/schedule/
男向けの演劇の少女☆歌劇 レヴュースタァライトはなんと平日の19時スタートの回がたくさんあるのだ。
https://revuestarlight.com/musical/seiran_bg/
ここから見て取れるのはつまりそもそも主要な演劇は男性客そのものをターゲットに入れてない。
例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。
といった感じで。
そこには男性が好むような題材はどこにもない。
男性が好むような女優をメインに打ち出して男性客を取り込むようなこともない。
それによってますます男は遠ざかる。これが演劇に男性客が少ない理由だね。
レヴュースタァライトみたいに男性をターゲットに据えてる演劇はようやく出始めて、それは上で言ったスケジュールを見てもわかるようになんとか男を取り込もうとしてるのがわかる。
話の流れとはあまり関係ないけど、個人的には男性向けの演劇を増やすことで労働者(役者)の側に女性を増やすことができると考えてる。
※「推し」という言葉が好きではないので、「好きな俳優」と書く。
※当日券で観劇できるレベルの2.5次元舞台に足を運んでいた。
※最前ガッツをしたり出待ちをしたり高価なプレゼントを贈りまくっていたりしていたファンではないので、そのような記述があるとは期待しないでほしい。
※ところどころフェイクを入れている。
コロナ前は舞台後にお見送りやハイタッチ会などがあったらしいが(そして今復活しつつあるが)、別に接触に興味がなかったのでどうでもよかった。
きっかけは自分が原作を好きな作品にその俳優が出演したことで、その作品以降、他の出演舞台に足を運ぶようになった。
舞台は有給休暇を使って全通したし、地方公演にも、もちろん足を運んだ。
最速先行でチケットを取り、少なくとも3分の1は最前に座り、後ろでも3列目以内には座っていた。
3分の1は最前にいる、というとすごく大変なように思えるが、一部の大人気舞台以外では普通に最速先行でチケットを取れば、最前の席が本当に普通に取れる。驚くほど取れる。
下手すればキャパ800人近い会場が平日は300人しか埋まっていないこともある。
しかし千秋楽公演はほぼ売り切れるので、大体の人は千秋楽だけ観劇に来るのかもしれない。
それで元が取れるように設計されているのならそれはそれでいいと思う。
毎月手紙を送った。舞台の感想はもちろん、ニコニコ生放送やYouTubeの番組ゲスト出演の感想も全部細かく感想を書いて送った。
誕生日には洋服のプレゼントを贈り、SNSに載せてくれる着用写真を見てちゃんと届いたのだなと安心した。
悪しき風習と捉えられがちなランダムグッズも、SNS経由で交換してくれる人たちはみな優しく、
親切な人だと無料で自分の好きな俳優のランダムブロマイドを譲ってくれたこともあった。
同じ俳優のファンの人たちとも数人と仲良くしており、一緒に全通もしてマチソワ間はお茶したり舞台の感想を話したりしていた。
SNSはリプライアカウントしか持っていなかったので、自分本人は聞こえるところで悪口を言われたり、見えるところで悪口を書かれたりすることはなかった。
非公開アカウントではもしかしたら悪口を書かれていたかもしれないが、見えない場所では好きなようにしてくれればいいと思う。
一度最前にいたときに、後ろにいたおそらく自分とは別の俳優を好きな2人組に「出席確認とかあるのかな」と言われて笑ってしまったことはある。
出席確認とは、俳優が最前や大体前方に座っている自分のファンにチラッと目を合わせ、文字通り「出席確認」をすることである。
そんなの気のせいじゃないのか、と自分も実際に最前にいつでもいる面子になる前は思っていたが、たしかに俳優は自分のファンたちを確認していた。面白い文化だ。
舞台に通ううちにハレの日がケの日になっていた。
チケットも最速先行特典付きだと12,000円くらいする。決して安くない金額である。
特典はブロマイドや小冊子やチケットホルダーなど、大体要らないものが付いてくる。
多ステするオタクの中には普通に必要がないしゴミになるので特典を引き換えないオタクも多くいる。
12,000円×30公演だと36万だ。マルジェラの5AC ミディアムのバッグが買える金額である。
チケットが売れていないから、自分が行かないとファンが少なくて可哀想だから、と勝手に自分に義務を課していた。
ファンというのは身勝手で、自己中心的で、すべて自分の意志で行動しているのだから本当はもっと早く好きでもない舞台の観劇など辞めればよかった。
休演日で舞台の公演がない日はやっと休める、仕事に集中できる、と安心したこともあった。
そして自分は、舞台に行くよりもマルジェラのバッグが欲しいな、と思うようになった。
年収1,000万あれば舞台を全通をしながらマルジェラのバッグも買えるだろう。
しかし現実は厳しい。自分の仕事内容ではせいぜい毎月の給料が上がったとしても年収1,000万円に届くことはない。
同年代の平均年収よりは150万程度多い収入だが、舞台を全通しながらマルジェラを買えるほどの収入ではない。
また、大体の2.5次元舞台に出演するような俳優にはバースデーイベントやファンイベントというものがある。
チケット代は俳優や事務所によって6,000〜12,000円程度と幅広く、自分は勝手に集金イベントだと思っている。
イベントも回数が多い俳優だと1日3部あるのだが、自分は毎回3部とも最前に座っていた。
これも無理してチケットをたくさん取っていたのではなく、本当に普通に最速先行でチケットを取ると最前が取れるのだ。
自分が最前を取れていたのは運がいいだけかもしれないが、私が把握していたファンでは「いつでも何のイベントでも来るファン」はせいぜい私含めて5~6人だった。
書いていて少し悲しくなってきた。ファンの母数が本当に少なかった。
そしてバースデーイベントでは何かしらファンが揉める。ファンが少ないからこそ揉めるのかもしれない。
よほどの人気俳優ではない限り、1部2部3部と別の俳優がゲストに来る。
そもそもバースデーイベントの主役のファンが少ないのに、ゲスト俳優目当てでチェキだけ軽い気持ちで撮りたいオタクや、
数少ないファンの中でも大量にチケットを取り、「たくさんのお友達」を連れてきて「たくさんのお友達」に「○○ちゃんの紹介で来ました」と自己紹介させたいオタクはいる。
でもそのオタクが悪いとは思わない。チケットをたくさん買って運営にお金を落としているのだから、商売としては十分成り立っているし運営に貢献していると思う。
問題なのは会場での「お友達」の言動で、大声でイベント運営の不手際の悪口を話したり、とても褒められたような言葉遣いではなく俳優本人にも聞こえるような大声を出したりする。
自分は、知性と品性に欠けた彼女たちのお仲間でいたくないと思ってしまった。
直接彼女たちと関わりがあったわけではないが、この俳優を好きなままでいると、自分の格が下がってしまう気がした。
自分の身可愛さにファンを辞めたのだと言われればそうとしか言いようがない。
今は元々年間80本ほど足を運んでいた様々なロックバンド界隈のファンと、
大手事務所に所属し、有名なブロードウェイミュージカルの主演の仕事が来る俳優の名無しのファンとして存在している。
コロナ禍で好きだった俳優には完全に顔と名前を認知されており(ファンが少ないので当たり前といえば当たり前である)、
接触イベントで名乗ると「わかるよ、○○だよね」と言われていた。
わかるよってなんだよと思いつつ嬉しかったが、今は透明な存在に安堵している。
2年という短い間だったが、思い出はたくさんあった。
ファンサがある舞台ではピンポイントにファンサがあったし、接触イベントでは自分が話す内容に大笑いしてくれて、過去イチ笑ったわ、という言葉が聴けて嬉しかった。
※前書き
分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。
◾︎本文
(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)
なぜ贔屓が元贔屓になったのか?
っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?
贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。
最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。
この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。
元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンのピークは2番手時代~2作目あたりでした。
元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまり組ファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。
入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。
ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないかと憶測が飛び交ったり。
ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います。
今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。
平日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリーが死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。
その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。
2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。
追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンからの批判は凄かった。
本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。
発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。
紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。
幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。
お披露目初日もムラまで行って開演アナウンスやトップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。
お披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。
トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。
自分が好きで行っていた入出も途中から自分の意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。
観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。
大劇場と東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。
そして私は上演作品が嫌いだった。
トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。
「これが退団公演か……」
「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」
と思ったに違いない。
ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。
良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。
観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。
やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。
退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため
『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』
と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。
元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。
だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。
「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」
そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。
「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。
「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」
「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」
一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。
しかも無駄にファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。
会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。
「宝塚にいるの、辛かったのかな」
「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」
「仮初めでも演じてもいいから舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」
そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。
ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。
何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。
言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。
元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。
2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。
それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手やトップ初期の頃とは少し違っていた。
目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。
そう思った時に気づいてしまった。
結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分の理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。
退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。
それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。
周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。
あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。
観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。
結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。
もうそれは好きだから、ファンだからというよりもはや意地のようなものだった。
ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。
終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。
退団後しばらくは私はいつから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。
パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっと昔からな気がする。
それとももしかしたら最初から好きじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。
でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。
元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。
ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。
退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは
見たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。
私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋なファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。
この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。
その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。
正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。
(だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)
私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。
贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。
今、楽しくてしょうがない。
お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。
感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ。
お茶会でお話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。
文字びっしりの便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。
そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。
そうだ、元贔屓を応援していた時だ。
私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ちで応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。
そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。
元贔屓は確かに私の贔屓だった。
私は確かにあの人のことが好きだった。
誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。
長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。
「ずっと好きです」
元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。
それは嘘じゃないと思う。
【追記】
「同じ」に噛みついてる人いるけど
別にこっちバカではないので例の人の方が給与高いとかハードワークしてるんだろうとか百も承知に決まってんだろアホか
「同じ」は普通に考えて、同じようにオタク消費活動エンジョイしてるとかそういうのだって
他人と話す時前提条件含めて100%微に入り細に入り伝える?伝えないでしょ?
日頃からそーやって揚げ足取りの為にちょっと考えれば埋められる省略部分を意図的に無視して些細なワードに噛みついてたら対人コミュニケーション一切とれんだろアホか
行間を読め
あとあんなコメントが人気コメントに押し上げられてるのはてなの住人層がアホ多めなの象徴してて残念なんだけど
・・・身の程をわきまえて貯金ちゃんとしろとかはまだ、まともなコメントだから納得もするが「同じというのなら同じ仕事と収入を得た上で同じと言え」は日常会話困難の病気だろもう
【追記ここまで】
はてな記法はわからんから例のエントリみたいな書き方はできないのは容赦してほしい。
昨今のアイドルアニメは同じ映画に繰り返し通わせる作品が多くて、私は様々なイケメンアニメや2.5次元舞台や声優ライブに足繁く通った。
観劇は楽しく、25歳から35歳までの10年間で得たものは大量のグッズと共にイケメンを追う仲間だった。
いよいよ婚期のタイムリミットという頃にコロナ禍が直撃したのもあるが、実際に会った時、指毛や腕毛の存在でおぞけ立ってしまって、私は結婚を断念した。
給与の問題もそうだけど週休3日じゃないと働けないと思っていて、ハードワークをひたすら避けてきたのもある。
残されたのは貯金無しで将来に対して漠然とした不安を抱いた中年女性の自分だった。
我が事なので哀れみはしないけど独身貴族を名乗ってる男性諸兄については単に羨ましいなと思う。
同じ事してるのに金銭的な余裕あるのって単純に考えて羨ましいなと。
給与は上がらないけど様々な値上がりで家計は逼迫するから観劇や絵師への課金を減らす方向性にいくと思うし今まで買い溜めたBlu-rayやゲームを再プレイするのでも案外楽しめる。
一番の不安は自分の事がいてもいなくても同じだと感じられてしまう事だと思う。
オチは無い。
8年目くらいのヘタクラです
評価が高いのは知ってるけど、三次元の人間がヘタキャラを演じているのが本当に無理すぎて受け付けない
元々コスプレがダメだから、2.5次元なんて画像を見るのも無理
昔、演者がキャラになり切ってツイートしてるのも見たけど、嫌悪感しか湧かない。調子に乗るな、お前はそのキャラじゃないんだよ!と叫びたくなった
今はヘタミュ関係のアカウントやつぶやきはブロックとミュートを駆使して、できる限り目に入れないようにしてる
でも、時々フォロイーがブロマイドや写真入りのグッズ、演者のイラストを軽率にアップするから心臓に良くない
「ミュ」としか書いてなかったり、そもそも何も書いてないツイートは対処のしようがない
下手に評価が高いから、ついったでもヘタミュが地雷、苦手、無理!って言いづらい
楽しみにしているフォロワーに水を差したいわけでもないから、観劇報告や楽し気な悲鳴にもじっと耐えるしかない
同じようにヘタミュが苦手な人と、こっそり愚痴を言い合いたい
いっそのこと、ヘタミュが駄作で大コケして黒歴史になればよかったのにと思う時すらある
早く講演が終わって、みんなの興奮の波が過ぎないかな…と思ってる
はてな記法はわからんから例のエントリみたいな書き方はできないのは容赦してほしい。
昨今のアイドルアニメは同じ映画に繰り返し通わせる作品が多くて、私は様々なイケメンアニメや2.5次元舞台や声優ライブに足繁く通った。
観劇は楽しく、25歳から35歳までの10年間で得たものは大量のグッズと共にイケメンを追う仲間だった。
いよいよ婚期のタイムリミットという頃にコロナ禍が直撃したのもあるが、実際に会った時、指毛や腕毛の存在でおぞけ立ってしまって、私は結婚を断念した。
給与の問題もそうだけど週休3日じゃないと働けないと思っていて、ハードワークをひたすら避けてきたのもある。
残されたのは貯金無しで将来に対して漠然とした不安を抱いた中年女性の自分だった。
我が事なので哀れみはしないけど独身貴族を名乗ってる男性諸兄については単に羨ましいなと思う。
同じ事してるのに金銭的な余裕あるのって単純に考えて羨ましいなと。
給与は上がらないけど様々な値上がりで家計は逼迫するから観劇や絵師への課金を減らす方向性にいくと思うし今まで買い溜めたBlu-rayやゲームを再プレイするのでも案外楽しめる。
一番の不安は自分の事がいてもいなくても同じだと感じられてしまう事だと思う。
オチは無い。
昨今、AIイラストを使って絵師を煽り、絵師を潰そうとしてる人達がいる
などという
なんも起きん
美女が求婚してくるとかお金持ちが無条件で大金くれるとかそんなのはない
もし明らかに「チヤホヤと呼べるやり取りを客としている大手絵師」がいるのなら、
それは絵師だからじゃなくて、客からチヤホヤワードを吐かせる「接客が上手い」だけ
それでも絵師のヒエラルキー高い!チヤホヤされてる!ムカつく!という人は一度考えてほしい
原作が絵なら、同じ絵であるファンアートが注目されがちなのは多少当然の出来事
すごく絵上手い人でも「なんか勝手にやってら」ぐらいの扱いよ
芸能人ジャンルなら文字での観劇レポや、テレビのスクショ貼った方がいいねRTいっぱい貰えるし
野球や格闘技のようなスポーツ系ならデカくていい一眼レフで選手の写真撮る人が人気
要は絵がストレスの原因なら
身内男性に金銭トラブルを抱える人間が多い。あまり詳細に書くと特定されかねないから多少のフェイクを入れるけれど、
・祖父は死後にギャンブルで借金を抱えていたことがわかり、それも借金元がいわゆる闇金業者のような所で利息含め何百、何千万単位での返済を求められ、祖母が周りに頭を下げ貯蓄も何もかも全てをかき集めて返済に充てた。
・従兄弟は学生時代から続けていたらしいギャンブルで友人、知人への借金が膨れ上がり、返済のために消費者金融から数百万単位での借金をして首が回らなくなり従兄弟の母親に泣きつき、それでも返済が追いつかず結局叔母である私の母親が借金を立て替えた。
・小さい頃から仲良くしていた親戚のお兄さんは、酒とギャンブルにはまり借金を抱え、当日幼稚園児と新生児だった子供と奥さんを残して単身赴任先で首を吊った。
こういうことがあって、私は本当にお金が人生や縁を本当に狂わせることを思い知ったから、お金が無くなることが怖くて仕方がない。だから就職を考えた時、自分がやりたい仕事よりもとにかく安定した仕事をと考えて資格を取り、公務員という道を選んだし、社会人になり一人暮らしをしているけれど、自炊をして毎日チラシを見ながら少しでも安いスーパーを数件ハシゴするくらいには無駄なお金を使いたくないと思っている。
母親からはよく「財布の紐がかたい」「ケチだ」と言われるけれど、お金に困ることへの嫌悪感が凄くて、毎日自分の通帳の残高を見て安心している。数年前に大きな病気をした時も、治療のことよりも治療期間は働けない上に治療費でお金が無くなることの方がすごく怖かった。
そんな風に毎日を過ごしていたというのに、先日、実の兄に金銭トラブルが発覚した。
どうやらクレジットカードを作る際、自動的にリボ払いとなる設定になっていたようで、しかもズボラな性格故そのことに年単位で気付かず、結局気付いた時には数百万の借金を抱えることとなり、その返済に充てるため消費者金融で借金をしたらしい。
その話を母親から聞き、私は呆れとも絶望とも言えない感情を抱いた。兄だって、今まで身内が金銭トラブルで人生を狂わされた所を沢山見てきたはずなのに。何よりも、小さい頃は大好きで尊敬していた従兄弟が借金を抱えた時、ゴタゴタの中で実は母親が祖母に預けていた私と兄名義の預金を全て従兄弟が使い込んでいたことも同時に発覚して、そのことで激怒し従兄弟と没交渉になってしまっているくらいには、借金に対して恨みを抱いているはずなのに。どうしても私は、兄が身内と同じ道を辿ろうとしているように思えてしまう。
そしてもしかすると、いずれは私も同じくお金に人生を狂わされるのではないかと思ってしまう。今はそのことが本当に怖い。
忘れられない光景がある。
親戚のお兄さんの葬儀の際、私も手伝いに親戚宅へ行っていたのだけれど、その時、それまで気丈に振る舞っていたお兄さんの奥さんが、奥さんの親友だという女性が訪ねてきた瞬間、別室にいた私たちにも聞こえるくらい大きな声を上げて泣き崩れた。そりゃあ、そうだ。まだ幼い子供二人を抱え、夫は自分の知らない借金で自殺。その当時、私はまだ学生だったけれど、今から考えると彼女はいつ泣き崩れてもおかしくなかったのだ。寧ろ、よくそれまで私達に涙の一つも見せず葬儀を準備を進めていたことだと思う。
そして、全てが終わった後に待っていたのは責任の押し付けだった。「どうして気が付かなかったの」「単身赴任じゃなく家族でついて行ってあげれば良かったのに」そんな言葉を受け、奥さんはとうとう親戚とはほぼ縁を切り、今ではその当時から相談に乗っていた私の母としか連絡を取っていない。
そういう光景を昔から見てきた。そして何よりも、祖父の借金然り従兄弟の借金然り、結局ほとんどの借金を私の母親が肩代わりしていることに物凄く嫌悪感を抱いてしまう。
私の母親は、高校を卒業してから定年までずっと同じ職場で働き続けていた。時代のせいだったらしいが私は生後50日で保育園に預けられ、物心がついた頃には朝から夕方まで保育園で過ごすことが普通だったし、小学校に上がると当然のように鍵っ子で、低学年の時は17時まで学童に預けられ、高学年になると家に帰ると洗濯物を取り込むのが私の役割だった。
小さい頃からの私の口癖は「専業主婦のお家のお母さんが羨ましい」で、母親はその言葉を聞くたび胸を痛めていたらしい。…今思うと本当に残酷なことを言っていたと思うのだけれど、当時は確かにそう思っていた。それでも母親は、「貧乏な家で育ったから、自分の子供には貧乏な思いをさせたくなかった」と言っていた。確かに、私の父親はよくテレビCMも流れているほど誰もがよく知っている会社に勤めていたし、おそらく当時の経済状況から見ても母親が正社員で働く必要性はそれほどなかったと思う。
それでも、そんな思いを持って働き続けていた母親が貯めたお金を、どうしてくだらないギャンブルで作った借金の返済に使われなければいけなかったのだろう。月々数万単位で母親に返済を続ける従兄弟のことを、借金を残して死んだ祖父のことを、私は許せない。「もうこのことは話し合って解決したから」と言われても、従兄弟には二度と会いたくないし罵声を浴びせてやりたいくらいには憎い。
同年代の親戚で私は唯一の女性で、だからなのか比較的穏やかだと思われているようだけれど、心の内を曝け出さないだけで従兄弟のことは本当に馬鹿だと思っているし、そんな従兄弟を育てた叔父と叔母のことも好きになれない。なのに、叔父は最近になって老後のことを気にしているらしく「結局お前にも俺たちと同じ土地の血が流れている」だの何だのと言ってくる。要するに、「従兄弟の奥さんは義理の娘だと言っても結局他人だから老後の面倒は見させられない。何かあった時は頼む」と言いたいのだろうけれど、まっぴらごめんだと思っている。
そんな風に嫌悪していたのは、「死んでもお金のことでトラブルを起こしたくない」と思っていたのは、私だけだったのだろうか。
どうやら、母親はまた兄の借金も肩代わりするつもりらしい。「どうやってお金をかき集めよう」と電話口でため息を吐かれたけれど、「じゃあ私もいくらか出そうか」とは言えなかった。私だってお金にすごく余裕があるわけじゃない。それに、自業自得で作った借金を立て替えてあげる気になれない。
ずっと言いようのない恐怖が胸に渦巻いている。私もいつかお金に困る日が来るのだろうか。消費者金融に手を出してしまうようなことを起こしてしまうのだろうか。兄の話を聞いてから、その気持ちが一層強くなった。
私だって、全く無趣味なわけじゃない。寧ろ人よりもお金のかかる趣味を持っている。ただ、自分のお給料から貯蓄に回す分、生活費等を差し引いた金額を計算し、できる範囲での出費を心がけているだけだ。だから、正直そこまで生活に余裕があるわけでもない。ただ、確かに同じ趣味の界隈では「借金をしている」だの「リボ払い地獄だ」だのという話も聞く。今のところ、そこまで深くのめり込む予定もないし大丈夫だとは思っているけれど、それでも、ふとしたきっかけでそちらへ足を踏み入れてしまうのだろうかという不安が拭えない。
お金は人生を狂わせるから、狂った人が間近にいるから、本当に怖い。私もいつかお金で人生を狂わせてしまうのだろうか。その時には、殴ってでも引きずり倒してでも私の目を覚めさせてほしい。
こんなこと誰にも言えないから、ここで吐き出しました。長文ごめんなさい。
■追記
感情のままに書き殴った文章に色々と反応があって驚いています。複数の方から「増田なら大丈夫だよ」と言っていただけて、根本的な考えは変わらないものの、少しだけ安心しました。
援助の目的はありませんでした。どなたかも書かれていたように、母が私と兄が成人した時に渡せるようにとそれぞれの名義の通帳を作り、纏まった金額を預金していたそうです。ただ、「手元に置いておくと少し困った時などふとした拍子に使ってしまうかもしれない」と思い、そういうことができないよう、通帳を別居している祖母に預けていました。それをお金に困った従兄弟(叔父夫婦と従兄弟は祖母と同居していました)に泣きつかれ、祖母が渡してしまったそうです。
・性別について。
話の全体像が見えないことと関係しているかは不明ですが、文章内でも書いているように私は女性です。内容がわかりにくいことに関しては、先述したように本当に感情のまま書き殴ってしまったので理解しています。読み辛くて申し訳ありません。
・自己破産について。
私は正直、自己破産でも何でもして責任を取らせれば良いのにと思っています。ただ、田舎者の性なのかただのお人好しの馬鹿なのか、母は今後のことを考えて自分達が助けられる範囲なら助けてやりたいと考えているようです。そのことについては従兄弟の件があった際に私も意見しましたが、「関係ないんだから、口を出すな」と言われてしまいました。それなら借金のことも何もかも私に言わないで欲しかったです。結局、母の方も私以外にそういう話を吐き出せる相手がおらず、私は捌け口にされているだけなんだと思います。
消費者金融等から借りたわけではなく、本当に闇金のような所から借りていたようです。なので、
取り立てが直接祖母の家にやってくる→祖母は同居している叔父夫婦にはこんなこと言えないと預金を崩し、足りない分は親戚や友人・知人方からお金を借りて回り返済をする→お金を借りた親戚や友人・知人に返すことができずとうとう私の母親と叔父夫婦に打ち明ける
といった流れでした。ですので相続放棄以前の問題だったのです。
・私の趣味について
舞台観劇です。好きで応援している役者さんもいます。といっても頻繁に劇場へ足を運んでいるわけではなく、平均すると月に1.2度ほど観劇している程度です。パンフレット等のグッズも購入しますが、あくまで自分の収入で賄える範囲を心掛けています。とはいえ、地方公演のため遠征することもありますし、1枚で1万円近くするチケットを月に何枚も購入するなんて、とよく言われるため人よりお金の掛かる趣味を持っていると書きました。
FPなど資格を取得してはどうかという意見もありがとうございます。大きな病気(20代なのですが、数年前に癌と診断され治療を受けていました)をしてしまった後で、体調と相談しながら仕事復帰をしたばかりなので、今すぐ行動に移すのは難しそうですが、将来のことを考え勉強していきたいと思います。
私はジャニーズ喜多川が亡くなってからジャニーズにハマった、新規のジャニオタだ。
以前は、嵐の個人名すらあやふやだったくらい、ジャニーズに興味がなかったにも関わらず、
そんな『ジャニーさんを知らない』オタクの私が、2023年1月に帝国劇場で上演されたJOHNNYS' Worldという舞台を観劇した。
演出の一部を担当した堂本光一氏のインスタにアップされている肖像画の画像を見れば、
https://www.instagram.com/p/CoZjCbzLbQq/?utm_source=ig_web_copy_link
私はこの肖像画を見て、間違えてカルト宗教のイベントに来てしまったのかと錯覚した。
同時に、ジャニー氏については「少年へ性的加害をしていた人」と認識しているので、
そういう人の肖像画を見せられる事に対して、正直不快感を覚えた。
興味本位で、内容についてあまり知らないのに一般発売のチケットを取った事を後悔した。
このJOHNNYS' Worldという作品の大きなテーマの一つは『ジャニーさんの遺志を次世代に継承すること』だ。
ジャニー氏と交流が深かったJr.がジャニー氏を知らない世代のJr.へ、ジャニーズイズムを伝える場面が多い。
また、昨年はジャニーズ伝説という初代ジャニーズと若き日のジャニ―氏を描いた舞台も観劇したのだが、
ジャニー氏と交流のあるジャニーズは、デビュー組だろうとJr,だろうと、
「あの時ジャニーさんが~」と存命だった頃の思い出を楽しそうに語る。
それも、自発的に。
ジャニーズJr.の一部のメンバーはYouTubeに日替わりで出演しているのだが、
ちょっとしたきっかけがあれば、聞いてもいないのに存命だった頃の笑える話や感動する話を喋るのだ。
JOHNNYS' Worldやジャニーズ伝説、YouTubeや雑誌の取材などで、喜々としてジャニー氏との思い出を語る彼らにとって、
ジャニ―喜多川という存在は、きっと尊敬に値する人間なのだろう。
ただ私はジャニー氏に全く馴染みがなく、一部報道で出ていたような性加害を行った人、という印象しかない。
だから、私にはジャニー氏を称えるばかりの『ジャニーズ事務所』という組織は不気味に見える。
ジャニー氏の有名な言葉で「子供は大人になれるけど大人は決して子供には戻れない」という言葉があるのだが、
死人に口なしであり、死者を貶めるような意見を述べる事については気が引けるものの、
最高裁でも事実認定がされているし、この件についてBBCの番組も放送される。
どうしても、ジャニーズという組織の全体の意識や成り立ちには嫌悪感を抱かずにはいられない。
しかし、私の推しは年内でグループ全員ジャニーズ事務所を退所する。
(新規なので推測の域を出ないが)ジャニー氏とは殆ど交流が無かった者ばかりだろう。
少なくとも、彼らがジャニー氏との思い出を語っている場面を見た事がない。
推しが晴れて退所するので、もうジャニーズ事務所という業深き事務所に所属しているタレントのファンをしている自分、
という罪について向き合わなくて済むのだ。
本当に良かった。
退所日についてのアナウンスは現時点ではないが、可及的速やかに退所してくれる事を願う。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
今年が終わる前に厄落としを兼ねて、いわゆるファン友に泥をぶちまけられた話を書いておこうと思う
今年、入団した当初から応援していた中堅生徒さんの卒業を見送った
入団から卒業まで見届けることができて本当に良かったと思っている
昨年友人から、当該生徒に最近ハマりどうしても彼女のチケットで公演を見たいという方を紹介された
その方は元々卒業済路線上級生のファンの方で、上級生のファンは生徒と同じく格好良くて素敵な人が多いと仰っており、本人も自分格好いい感を醸し出していた
なんでそんなに格好いい人がいるのに、どちらかというと可愛い系の生徒さんに落ちたのか分からなかったが、公演の都度チケットを取り次いでいた
東京公演の土日のチケットばかり欲しがったが、昔からの会員のよしみでその方へもほぼ行き渡っていた
非公式のFCもあるのになぜ入らないのかと聞いてみたところ、元々路線上級生のおばさまのツテで見ていたのでおたくでつるむのは嫌だとのこと
友人枠でチケットを取り次ぐ日々は続いていたが、退団の発表があり、彼女は私に泣きついてきた
退団公演を思う存分見られないと
知らんがなと思ったが、今からでもいいからFCに入ればいいと助言をし、彼女は遅ればせながら入会した
退団発表前に東京公演の取次の締切は終わっていたので、私経由で申し込んだもので彼女は観劇していた
私自身はFCができた当初からの会員だが、公演の都度そこそこ貢献していたようで、自分でもいい席で見させてもらえたし、彼女も何度か前方席で観劇して夢見心地でTwitterに感想をあげていた
東京の千秋楽も2階席の上の方だったが、彼女も観劇できて良かったと思っていた
真ん中の最前列というとても見やすい場所に座り、会場で流された映像で彼女が贈ったアクセサリーを身につける生徒さんの姿を見てこれわたしがあげたものと言った
その生徒さんは割とファンから贈られたアクセサリーなどを身につけてくださるが、路線のファンだったからそれは初めてのことだったようだ
お見送りの際にもそのことを話していて、それについても良かったなと思っていた
私も入出待ちやお茶会があった時以来直接本人に会えたので、お久しぶりです〜と互いに手をとって喜びあった
それを見た彼女は「顔なじみだとそういう反応になるんだ……」と顔を曇らせた
別のアカウントからも彼女のつぶやきは見られるので恐る恐る見てみると、千秋楽まで推していた生徒さんとそのファンたちをディスる言葉であふれていた
下界に降りた際、在団時のスター格が出るのだそうで
知らんがな
こんな人に延々チケットを取り次いでいた自分がアホらしくなってしまい、虚無感に苛まれている
次は更に同じ組の下級生に移動するようなので、界隈の方は気をつけてください
変な人と縁が切れて良かった
先月、母や姉妹が東京へ来て、観光やディズニーを家族で楽しんだ。
姉たちが来る前、私と共に舞台観劇をするために母一人で東京へ前日入りした。
1日母と過ごした時のモゾモゾの気持ちを書く。
母は「母親」という仕事をとてつもなく誠実にこなした人である。
借金、女、隠し子と問題ばかり起こす父と離婚した母は、女手一つで子供三人を育て上げた。
貧乏だったとは思うが、あまり貧乏を感じなかった。衣食住は足りていたし、母の献身は愛として十分伝わっていた。
どんなに仕事がきつくても、私の悩みを遅くまで聞いてくれたし抱きしめてくれた母。
子供を持つかどうか選択し始める年齢になって、「親」のサンプルが凄すぎるから人の親になるハードルが激高になっているぐらいである。
母は父の悪口を全く言わなかった。愛があったのではなく、「私たちの世界で一人だけの父」という事実を腐すようなことはしないという矜持がそうさせていたのだろう。
しかし、家に浮気相手が突撃していたらしいので、浮気が原因なのは姉から聞いて知っていた。
そんな父は私が上京する前に癌で死んだ。家族に囲まれたうらやましい最期だった。
死ぬ前からうっすらと知っていたクズエピソードは、死んでからとんでもないものがポンポン出てきて驚いた。隠し子はその一つである。
そう、母は末っ子の私が成人するあたりから私を「大人」と認めてそういった話をしてくれるようになったのである。
私はもう「子供」ではない。母も「母親」でなくなっていくのかもしれないとなんとなく感じていた。それが自立ってやつなんじゃないの?なんて。
東京で久しぶりに会う母は、相変わらずお茶目で、相変わらずよく笑った。また子供の頃は絶対に見せなかった、小さな偏見もポロリとこぼしていた。
腕を組み、やいのやいのと買い物するのもとても楽しかった。まるで友達みたいだった。
横で歩いている時はあまり気づかなかったが、照明のせいか潤んで見えた母の目は一言で言うなら「慈愛」に満ちていた。
大きくなった子供が、あれこれと劇の考察を述べ、仕事の愚痴などを話しているだけである。
いや、「大きくなった」からこその優しい目なのかもしれない。
あんなに集団生活に馴染めず不登校気味だった子供が、ブラック企業で心身共に壊れかけていた子供が、ようやく安定した仕事につき、恋人との旅行の話をしていることに安心したのかもしれない。
たしかに「よかったね」と母は何度も言った。
「子供」から「大人」になったつもりなのに、母の目はどこまでも「子供を愛する母親」だったからなんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで、気持ちがモゾモゾした。
「愛されてる」という事実をこんなにも突きつけられると人って泣きたくなるんだなと思った。
って思いました
たまたま見かけたレジャー白書(7,700円税込)を読んだんだけど、かなり衝撃的だった。
■何が衝撃的だったか?
それも特定の分野に限らず、ほぼ全てで。
■例えば何が激減してるの?
※単位:すべて「万人」
・屋内の趣味
囲碁:400→150
お茶:300→150
・スポーツ
ジョギング:2450→1820
卓球:830→540
バスケ:390→290
他にもたくさん書かれているんだけど、ほぼ全てで人口が減っている。
■なぜ減少しているのか?
詳しく書かれていないけど、推測としてスマホだろうと。
スマホに関してはなぜかほぼ書かれていない。
唯一「動画鑑賞:3420→3690」がおそらくスマホだろう。
■コロナの影響は?
けど、それでも2012年の水準には戻っていないものがほとんど。
■コロナで減ったのは?
カラオケ:2980→1520
飲み屋:1790→900
ソフトボール:320→130
水泳:920→520
ボーリング:930→450
他にも山ほどコロナで激減している。
■その他気になったもの
ブームかと思っていたが減っている。コロナ後も減り続けている。増えてると思った。けっこう意外
・将棋:850→500
今はスマホなんだろうね
こちらも意外と頑張っているなと思った。
・中央競馬:960→790
ギャンブル系ではパチンコを抑えてNo1に。人口増加している年もありスマホゲームの影響だろうか?
ブームと言われているがそれでも減っている。
コロナ後も減り続けている。
■最後に
ここ数年で市民権を得た「虚無舞台」という単語だけど、正直「虚無舞台」の線引きって曖昧だと思う。
明らかにストーリーが破綻してる!とか、明らかに時世に合ってない!とかまでいくと
虚無とか通り越して感情が動くというか、もうなんかこれは炎上狙いなのかな?そういうパフォーマンスかな?と思うこともあるし。
観劇中頭の中にいくつか疑問符は浮かぶものの、「まあいっか…」と思考を放棄してしまう舞台が本当の虚無な気がしなくもない。
結果、虚無と話題にもならず、なんなら関係者はそれなりに褒めるし、キャストオタクはそれなりに通うし、キャストは再演したいとかいう、
ただいざ友人とカフェでお茶してみると、「脚本おかしくない?」「この辺納得いってないんだよね」「再演するんなら大幅に変えてくれ」みたいな話が延々できてしまう舞台。
まあどこまでいっても趣味だし娯楽なので、自分がお金を払ったものに対して(というか、クリエイターがそれなりに心血を注いで作ったであろう…本当に注いだんだよね???という物に対して)
「虚無」という判断を下すことって勇気がいるというか、そこまでオタクに権限ってあるんだっけ…いや虚無ってほどではないんだよな…堂々巡り、みたいな。
オタクも人の子なのでダサいグッズはぜひお手に取ってくださいと言われてもとらないし、SNSで舞台名を間違う公式とキャストが多すぎると萎えるし、
主演じゃない子が主演の扱いを受けているとなんだか悲しいという、まあそんな舞台に先日行きました。