はてなキーワード: 京都弁とは
結局「おまえ誰やねん」だと思うんだよ
京都弁だとどういうんだろうな
よそ者に厳しいと言われる京都だが、実際の京都はよそ者にある意味やさしい、一般通過する旅行客みたいな存在、そういうどうでもいい野郎はスルー出来る
でも、ちょっと目立ったところにギトギトのパルワールドなんていう建物立てられたら、「おまえ誰やねん」が発動する
結局のところ、パルワールドの問題は「ソニーがかかわったから」がクリティカルじゃないかと思う
MSが買収するかもと言う話もあったしな
そうなったら話は変わってくる
もう旅行者扱いはできない
売上考えて本社をアメリカに移すくらいドラスティックな経営判断をする企業
だから、売れないIPをドラスティックに切っていくことも普通にある
だから最近、アストロボットが高評価だけど「ゲームは面白いけど、いかにソニーが過去のIPをおろそかにしているかがよくわかる」
といわれたりもする
ソニーはそのへん気にしない
社風の違いがよくわかる話が最近立て続けに起きたなって思う
普段全く夢属性を持っていないが、久々に夢に浸ってしまったので深く反省しここに埋葬する。
尚、本編を一気読みしただけなので担当声優どころかこのキャラの髪の色さえ知らない。
・異性を畜生としか見ていないナチュラルボーン畜生である一方、格上最強の同性には純粋な憧れを抱き子供の頃から切磋琢磨してて良かった
・フルボッコでやられてる時のこいつの台詞ツッコミがどれも小気味良かった
・上記複数加点の結果、特に自分好みのパーツじゃなくても分かりやすい面(ツラ)の良さにおまけボーナスが入って好感度プラスしてしまった
・キャラの血統の良さも頓着しないが、このキャラを好きになってしまったので名門次期当主っていいなと思ってしまった(作中で即反故にされたが)
・結局最大の理由は、主人公側にざまあ分からせされる悪役キャラとして魅力的だったから。そして夢へと至る
夢といっても溺愛される(…)とかそいつを圧倒したり価値観を覆す(…)のではなく(普段は夢願望が無いから自分で書いておいて虫酸が走る)──
しゃーない
帰宅ラッシュ時間帯なのに、なぜかちょうど自分の帰宅時間帯付近に間隔が開く
JRさんなんとかしてほしいと思いつつ吊り革につかまる
あれ何駅だったかな
都心寄りで外国人だったから、出張で来てる海外のハイソサエティはこの辺に住むんだろうかとぼんやり思ったのだった
次で座れないかな、、ああホームに大勢並んでる、むしろこの駅は乗り込んでくる駅なのか、などと通過する駅ごとに学習する
座席に席を立ちそうな人がいないかも都度見るけど、みんなうつむいてスマホやらタブレットやら寝てるやらで、中断しそうな気配もないな
と、ふと、目の前のサラリーマン2人
一人はタブレットを片付け、もう一人は抱えたカバンを持ち直した
駅に着いて二人とも立ち上がり降りていく
あーたしかにこの駅の前でっかいマンションいくつもあったわ、大きなスーパーもあって
けど家賃とかお高そう…ええとこ住んではりますなあ羨ましいわあ、と何故か脳内で京都弁に
そんなことより座れたぜラッキー
京都弁や京都人の、皮肉や迂遠な悪口を言う存在というイメージがインターネットでネタにされることは多い。
大体の人間にとっては感覚的に自明だろうが、ネットで行われる京都弁ネタ、皮肉がうまい、婉曲的な言い回しを好むというステロタイプイメージの扱いはは、基本的に誉め言葉である。
インターネットというのは――もしくはオタクというのは――或いは日本人というのは――もしかしたら人類の多くが――皮肉や口の上手さ、風刺、アイロニー、ウィット、気の利いた言い回しといったユーモアを好むものだ。
たとえば、現実のイギリスのアイロニカルなジョークは人気だ。フィクションでは、ジョジョのプッチ神父のツバメの話やニンジャスレイヤーなどの捻った挑発も人気だ。
誉め言葉方面でも、漱石がI LOVE YOUを月が綺麗ですねと訳したというエピソードも人気だ(これは創作実話らしいが、人々がこのような婉曲表現がステキと感じるからこそ、創作実話なのに広まってしまったのだろう)。
意味が分かると怖い話、落語の考えオチ、なんかの楽しさも、遠回しだからこそ面白みが増す事例だろう。
しかしそれも素直に京都の高い言語文化を褒めるのでは面白みがないから、まるで京都人が意地が悪いから複雑な言い回しをしているかのようなひねりを入れた誉め方をしているわけだ。
少し蛇足になるが、最近はインターネットやSNSが一般化したことで、皮肉や逆説、反語表現などが誤読されることが増えたという話題をよく目にする。だからアイロニカルな表現は止めよう、と。
だが、私はSNS時代でも、アイロニーや皮肉や捻った言い回しを捨てるべきではないと思う。
言語表現・言語文化の洗練というのは、「誰にでも齟齬なく伝わり便利である」という実務的方向だけではなく、「美しい、おもしろい、何かが掛けてある」のような美的方向もあるだろう。
過去の歴史で、言語文化が発達したとされる場所や時代は、大勢の人間が言葉で交流ができる環境と余暇があって、面白みやひねりのある言い回しが沢山生まれたことで言語文化が花開いたとされることが多い。
まさにインターネットは人類史でもっとも広く日常的につながった言語環境だ。
そこで芽生えてきた、そして今後も花開くであろう、華美で、ひねっていて、アイロニカルで、美しくて、遠回しで、おもしろい言語表現を諦めるなんて、あまりにもったいないのではないか?
のが本当に多すぎる(タイトル入らなかった)
https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2023/10/21/185938
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/saize-lw.hatenablog.com/entry/2023/10/21/185938
こんなの15年前のはてブだったらフルボッコだったろうに。最近のはてなユーザーはえらい優しなったのどすなぁ(京都弁)
↓
さすがにこれはひどすぎないか?
元ツイートの答えになっていないどころか、まず言論として後退しているだろう。
この記事の問題点は、徹頭徹尾「効率」の次元でしか物を見ていないところだ。
個人の志向としてはそれもありだろうが(昔もライフハックと称してこういう記事は沢山あった)、それがアホみたいに支持されるのは、社会が困窮して自分以外に目を向ける余裕が無くなったということか。
あと最後に、就活周りの言説ってネットだと社会不適合者の声がデカくて「うんうん、就活ってクソだよね」みたいな反応しか得られないがちなので、身の周りにいる社会人の友達を呼び出して聞くのが一番いいです。
これはただの京都弁でしょ