はてなキーワード: アテンションとは
NHKがインターネットユーザーから受信料を徴取したがっている、という話を聞くたびに何かにもやもやしていたのだけど、ようやく言語化できたので書く。
現代社会でもっとも野放しになっているものは「広告」ではないだろうか。
広告媒体のオーナーにとっては原価がほぼ発生しないか固定費に近い性質であるのに、その価格は状況によって青天井(リアルタイムではないにしろオークション的に決まる)で、かつ需要が実質尽きない(政治方面にまでニーズがあるから)。
しかも、じっさい広告が増加することと引き換えに棄損されているものは一般大衆の時間と集中力(アテンションというべきか)であり、受け手にとっては原則迷惑データであるためにある種の公害を生み出している(あと電力や電波帯域あるいは紙資源を浪費してすらいる)。
通信または印刷物を介して対価を得て依頼者の指定する情報を不特定多数に配信することを業とするもの全般を広告業者として登録を義務付け、売上金額に対して一定あるいは累進的(巨大な広告企業であるほど暴利を得る傾向にあるので有効であると思われる)な税率を設定し、日本国民に対して広告を配信する場合には広告業者は納税の義務を負うと定義して法整備することに何の不利益(国民および行政府にとって)が発生するというのか。何せそもそもがオークション的性質のある販売価格であるために「税金分料金を値上げします」と業者が言ったところで元々顧客企業の支払い能力で決まっているため税抜き価格での相場が下がるだけなのだ。
これほどに規制されてしかるべき性質を備えているにもかかわらず、実質なんらの社会に対する補償義務も課せられることなく巨額の利益を上げているのが広告産業であることには驚愕を禁じ得ない。そして広義の広告業には対価を得て商品の宣伝をする個人も含まれるべきである。また広告は、搾取色の強い商売をしている米国ビッグテック企業の非常に大きな収入源でもあるので、それらに対する対抗策も必要だという事を考えあわせれば一石二鳥の施策と言える。また同様の法制はほぼすべての国で採用できると思われるので最終的には条約的な枠組みに発展させてグローバル商法に対抗する端緒ともできる筈である。
問題があるとすれば、このように有効な法制がいままで導入されている国の話を聞いたことがないのは広告企業のロビイングの成果である可能性があることだけだろう。だが、もし強いロビイングの動きがあるわけでもなく野放しだという稀有な状況であるならば、酒税やたばこ税同様に課税対象(支払うのは大衆ではなく広告主と業者の側だが)とすることは公共の議論の対象にふさわしいものである筈だ。
先月頭にはてな匿名ダイアリー(以下増田)のアカウントを作って投稿を始めた
他の文章投稿サービスと比較したときの増田のサービス上の特徴としては以下のようなものが挙げられる
③年齢層が高くネット慣れした人間が多いコミュニティで、青臭くシャバい内容が嫌われる傾向にある
Xや2chやnoteやその他ブログサービスでは上記の条件のいずれかが満たされなかった
さらにはてなブックマークというサービスによりすぐにアテンションの数が数値化されるということもあり、増田でブクマ数を集めることが、自分の目的達成に最適だと考えた
結果としては、増田のアカウントを作ってから1か月で3つのエントリで3桁ブクマを達成した
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
https://anond.hatelabo.jp/20241002190451
https://anond.hatelabo.jp/20241030165700
※後で証拠のために上記エントリそれぞれでこのエントリをトラバする
あと他にも何本か書いたが全然伸びなかった、例えばこれとか
https://anond.hatelabo.jp/20241027152456
その程度のブコメ数で偉そうにwwwとか馬鹿にされそうだがこれまで碌に文章も書いてなかった人間がこれだけ人に反応を貰えたというだけでやってよかったと思うよ
自分なりに考える、増田で注目される文章を書く最大のコツは「適度にツッコミどころを用意する」ということである
特にジャンプ20選増田が顕著な例で、これはブクマカ各々が「これが入ってないだろ!!!」と一言物申したくなるという意味で最適の題材、形式を選べたと思う
未だに模倣増田が後を絶たない辺り、なかなか完成度の高いフォーマットを増田界に投下できたという手応えがある
これからも各ジャンルにおける重要なものをネット上の集合知として広めていってほしい
最後になるが、ブクマトラバをくれた諸氏には感謝してもしきれない
約1か月の短い付き合いだったがありがとう またネットの海のどこかで逢えたらいいな
じゃあな
プロンプトエンジニアリングってのは1回の回答で正解を得ようとする手法で
最近のサッカーのトレンドに詳しく適切なアドバイスができます。
みたいなプロンプトを書いて良い感じの答えを貰おうとしている
こういう使い方をする人はGPT-4oでトークン量が増えたときにプロンプトに大量にテキストを貼り付けて質問してる
残念ながらLLMでそういう使い方をしても精度は一切上がらない
なぜなら1回の回答で正解は出ないからだ
ChatGPTの正しい使い方としては、いきなり
「来週に攻撃力が強いチームとサッカーの試合があるんだけどどうすればいいかな」
って聞けばいい
「でも向こうのFWの武田って奴がこぼれ球狙ってくるんだよね」
みたいなこともできる
会話の往復を続けることで自分の本当の要望を伝えられるだけでなく、自分の中で本当の課題や要望を整理することができる
で、こういう感じで会話を長く続けるにはトークン量が必要になる
次の会話を作るためにはそれまでの会話を全部プロンプトとして投入しなければならなくて、トークン消費量は雪だるま式に増える
GPT-4oでトークンが増えたことで、会話量を増やしたり前のスレッドの続きで質問したりできるようになったのが一番の違い
あと、GPT-4oと会話していて「最初に言ったことが無視されてるな」と思うことはあっても「今言ったことが無視されてるな」と思ったことはない
なのでプロンプトの後半を見ていないというのは全くの嘘だしLLMの特性でもなんでもない
って言えばちゃんと加味して回答してくれる
LLMも所詮はプログラムなのでメモリ量(アテンション)に限界があるから、どれに注意を払って回答してもらうかは質問する側がコントロールしないとダメ
グループAとBがいるとして、互いにアテンションを奪い合っているとする。
ここで「エビデンスE1は、施策M1によってグループAの利益が向上することを示している」と言われても、グループBは利益を奪われるわけだから「そんなエビデンスは重要ではない」と反感を生むだろう。
このときにグループB側にとっては「エビデンスE2は、施策M2によってグループBの利益が向上することを示す」というエビデンスの方を重視するはずである。同様にグループAはそれに反感を生む。
このように、利益が相反する状況では「エビデンス」はいくら客観的だろうとも、一つのストーリーだけを生むのではない。
「外出を控えるように」などというお願いは、一方でネット企業がアテンションを獲得することになり、他方で旅行や飲食店のアテンションを低下させることになる。
いくら「外出を控えることがコロナに感染するリスクを低下させるエビデンスがある」といっても、旅行業者はそれによって利益を減らすので納得できないわけである。
よって、エビデンスは万能な解決策ではないことが分かる。エビデンスだけでは社会や企業、政府の持つ目的を補完することはできない。
id:muchonov です。まず以下のご謝罪について。そんなふうに詫びさせたかったわけじゃないし、真摯さはよく伝わりましたので、そこは受け容れました。逆に申し訳なくなったぐらいです。こう書ける b:id:dmekaricomposite さんの人格的高潔さも理解しました。もうそれについての話はやめましょう。
これに関してはご指摘の通り全面的に私が間違っていました。謝罪いたします。内心の表明を強要してしまいました。石黒さんを中傷した人間と同じ穴の狢かもっと醜い姿をさらしてしまいました。b:id:muchonovさん、申し訳ありませんでした。
他の部分については… b:id:dmekaricomposite さんらしからぬ(と私が思った)書きぶりの背景に、ご自分が暇アノン扱いされたことへの怒りとヒートアップがあり、石黒氏の境遇への共感があるのもわかりました。ただ、その怒りは、それぞれそのように発言したアカウントに向けられるべきものなんじゃないの、という気持ちが残るのも事実ですが。
そして、引き続きのご指摘。
「いいね」をしただけで一年も中傷されているのは異常です。だからまずは大変でしたね、誹謗中傷は許せませんと労るのが人情として当然ではないかと思うのです。
b:id:dmekaricomposite さんのそういう気持ちはわからんでもないです。でも私は、たぶん他人よりも人情に欠けるのと、空気を読まずに自分のアテンションが向いたことに関心を集中させてしまう人間なので、今回ブコメにそういう労いの言葉を書いていませんでした。本件以外でもあまりそういうことを書かないと思います。自分が強く興味を持っている分野(育児・病・死・労働・LGBTなど)以外への共感力が乏しいのだと思う。すみません。
ことの経緯からして石黒さんがブコメを見る可能性だってあります。その最初のブコメが「答え合わせ」の語義がすれ違ってるって……いや、注目するところそこ?
この「そこ?」という問いへの答は、「…そこでした…」としか言えない…。しばしば他人から見たらトンチンカンなところにアテンションが向く、これは自分のヘキです。過去のブコメでも、元記事の内容への賛同・非賛同とは無関係に、割とそういうブコメとか、誤字の指摘とかしてると思います。んで、b:id:dmekaricomposite さんにとっては、本来石黒氏の被害に共感と労いを書くべきところでそういう些末なところに目が行ってるのはおかしいし、自分のブコメが最初のブコメだったのも余計に問題だったってことですね。確かにそうかもしれない。すみません。
もし石黒さんがブコメを見て中傷の加害者にはこんな文脈があったんですよ!という文章を読んだとして、なるほどためになるアドバイスだと思うでしょうか?
自分は「ご本人のためになるアドバイス」として書いてるわけじゃないけど、b:id:dmekaricomposite さんのこの問いかけ…おそらく「思わないですよね?」という修辞的疑問なんでしょうけど…には、私は石黒氏じゃないから「わかりません」と言うしかないです。石黒氏はあっそっかと思うかもしれないし、そういう話じゃねえんだよ!と思うかもしれません。
ただ、これは私の誤読かもしれないですが、そもそも石黒氏は動画内で「当該人物の、当該のtweet」については、かなり謙抑的に話してますよね。
「ことの発端は、2023年1月にx、Twitter上で僕がつけた『いいね』が気に入らない、って言う方がそれを晒したのが始まりです」
「何を思って『いいね』をしたにせよ、実際『いいね』はしているし、今もしたまんまになっていますし、発端のこの晒しは問題ないと思うんですけど」
「『いいね』の件に関してはご判断お任せします。長くなりましたが、答えから言ってしまいますと、僕がやったのってこの『いいね』だけです。それ以降全部尾ひれです」
当該人物が問題視している幾つかのアカウント/内容のツイートに対して石黒氏が『いいね』をしたことは事実で、石黒氏はそれらのツイートを晒したこと自体は「問題ないと思う」と明言している。でも「答え合わせ」という表現については、この人は答え合わせをするための「答」(≒石黒氏的には、自分の作品の鑑賞経験)を持ってないのだから、その「答」は本人の心の中にしかないはずだ(≒先入観である)。
だから本件に関連して、自分が創作においてどんなことを意識してきたかを「答え合わせの材料」として提供しますよ、というのが石黒氏の本筋へのイントロ。で、石黒氏が創作上配慮してきたことについて説明した後に、発端のtweetをした人物が「いいね」以外に事実無根の「尾ひれ」をどんどんつけていくことを指摘して、これに対しては強い怒りを表明し批判しているわけです。だから、
文脈からいって「自分はこんな筋の通らない中傷を受けました」という告発をした人が「いや筋は通ってるんですよ」と言われているようなものなんです、これは。
というご指摘については、「確かにそうですよね…」という風には思わないです。石黒氏は動画で、一連の経緯の各フェイズごとに起きたこととその問題点を丁寧に解説されていますが、初発で「答え合わせ」が出てきたtweet自体については、動画を何度か見る限り、「筋の通らない中傷」とお考えだったようには感じてないです。これは自分の読み解きでしかないので、b:id:dmekaricomposite さんが同意されなくても構いませんけど、よければもう一度、動画の冒頭部分から見てみて、その印象を聞かせてくれませんか。
しかしこのブコメでそれが伝わりますか?もちろん字数制限はあります。それにしてもあまりにも被害者に対して思いやりの心がなさすぎる。傷ついた人を更に傷つけるブコメだと思いました。これに関しては考えは変わりません。
ここもね、b:id:dmekaricomposite さんがそう感じたなら、それはそれでしょうがないです。でも、ここまでのb:id:dmekaricomposite さんが書かれた私の〈良くなかったところ〉をまとめると、ようは「muchonovには被害者の石黒氏に対する思いやりの心がなさすぎる」「この案件ではまず石黒氏を労うのが人情として当然なのに、それをしていなかった」「本人の目に入るかもしれないファーストブコメなのだから、なおさらだ」「傷ついた人を更に傷つける可能性に対して無神経だ」ということですよね。それがmuchonovの落ち度なのだと言われれば、それぞれ自分でも自覚があり後ろめたく思っている人格的難点に関わるご指摘ゆえ、強く反論もできません。人情や思いやりがない、アテンションの向かう先が非常識、無神経である。確かにそうだ、すまんかったという気持ちです。
でもこれって、自分に対してb:id:dmekaricomposite さんが最初と2番目のブコメに書かれていた「一番タチが悪い」「言質とられないように立ち回ってる」「暗に『嘘つけお前暇アノンだろ』と言ってる」という非難につながることでしょうか。「muchonovは計画的な悪意を持って、安全圏から巧妙に石黒氏を当てこすっているのだ」という当初のご批判と、上で解説してくださった私の「落ち度」って、問題の所在がだいぶ違いません? 後者のご指摘に沿うなら、そもそも全然賢くないでしょコイツ。単に共感能力と表現力が欠落したダメ人間でしょ。「言質をとられないように立ち回るタチの悪いやつ」とは別人でしょ。そういう風に扱いが変わった理由が、b:id:dmekaricomposite さんが私のブコメの初見時に読み込まれていた悪意や敵意を、今は感じていないからなのであれば、それはそれで私はありがたいですけども。
で、ここから先は与太話ですが。私はいっときSNSの「陣営脳」…敵味方を認定する二元論的世界観が自分にも一部身についちゃってるなあと感じて、1年弱ぐらい、はてなとtwitterをお休みしてました。そのおかげで「陣営脳」の症状は少しは緩和されたんじゃないかなと思ってますし、石黒氏動画の最後にある:
という言葉も以前よりよくわかるようになったんですよ。禁煙した人間が煙草の臭いに敏感になるみたいに、「インストールされた怒り」への感度が上がったんです。SNSは娯楽としての怒りを共有するプラットフォームになりうる。フォローといいねとRTのルーティンの中でTLが極端に偏ってしまい、気づかぬうちにSNSの利用自体が「永遠に続く二分間憎悪のセッション」に陥ることもある。そういうことにならないために、こんな風に、お互いに落ち着いて話してみましょう。話せばわかる…こともある(結局わからないこともあるけど)。今回がそのようなやりとりになるとうれしいです。以上。
当然ながらn=1の隙自語。
原風景のひとつは母が洗面台で化粧をしている姿。BBクリームをペタペタ塗っている。なんで化粧をするのかわけを尋ねると「化粧をしたという事実を作るためだよ」とめんどくさそうに答えていた。BBクリームと口紅を塗った母の姿に、なるほど化粧をした姿だ、と思った。美しいとも醜いとも思わない。憧れるでも羨むでもない。それはたとえば「大人になれば働かなければならない」なのと同じように、やがて自分がせざるを得ない、めんどくさいなにか、それ以上でもそれ以下でもなかった。
そんなわけなので、身だしなみにに対してうっすら苦手意識を抱いたまま小中高と進んだ(無論、二次元のオタクにもなった)。大学生になって一人暮らしを始めたが、身だしなみのレベルは依然として低かった。髪を根元から乾かすと寝ぐせがなくなる、ということさえサークルの先輩に教わるまで知らなかった(実家の家族はみな、わたしのことをくせっ毛だと思っていた)。母は化粧は嫌いだが服を買うのは好きで、セールで買い込んだ服を段ボールいっぱいに詰め込んで、コメや野菜と共に仕送りしてくれた。不十分な身だしなみに、試着もしないまま買い与えられた服を身にまとうわたしは、今思えばいかにもちぐはぐだった。自分で服を買うようになったのは社会人になってからだ。余談だが、その後わたしは服を買うことにすっかり目覚め、母に似た服道楽の道を歩むことになる。
化粧っ気のないわたしの周囲には、化粧っ気のない友人が集まり心地よく過ごした。たまに接触する化粧っ気のあるひとびとは、おおむねみな優しかったが、話していると気づまりすることも多かった。オフ会でお会いした年上のお姉さんは、髪にパーマをあてたわたしを見て「それなら、せめて眉は整えた方がいいよ」と優しく言った。サークルの先輩は「このメイクポーチ(の中身)でどうやってメイクするの?」と不思議がった。今思えば、それはどれも本心から心配や優しさからのものだったが、わたしのなかの「やっぱり化粧って苦手だ」を補強するには十分だった。
その頃わたしは、十代ゆえの傲慢と偏見ゆえにすっかり「化粧」そのものを敵視するに至った。化粧とは、無知で不器用な自分の前に立ちはだかる、理不尽に高い壁に見えていた。それを強要する(ように見えた)社会も、それに迎合する(ように見えた)化粧上手な美人も、みな嫌いで、自分を害する「なにか」に感じられていた。
就活時は化粧をしたが、化粧下地なんて知らなかったので素肌にREVLONのリキッドファンデーションを塗った。
そんな自分も少しずつ変わっていった。転機は判然としない。
大学院に進学し、尊敬できる先生や先輩、同期に出会えた、卒後も専門性を活かせる職に恵まれ、「クラスルームの隅」以外に自分の居場所を見つけられたこと。自分で服を買うようになったこと。そしてなにより、年を追うごとに性格が丸くなり、「十代ゆえの傲慢と偏見」から解き放たれ、化粧上手な美人を見て素直に尊敬できるようになったこと。
化粧が苦手だったが、でもそれが悔しくて、無知なりに調べては挫折してを繰り返した。独学だったのでひどく回り道をしたが、ほんの少しずつだが経験値は積みあがった。またインターネットが発達し、「周囲の人」以外からTIPSを学ぶ手段が飛躍的に増えた。コンタクトもマツエクも試してみた。気になることはひととおり勉強した。
それでも、「上手」には程遠い。
あるとき、一念発起して資生堂銀座本店の「メイクアップレッスン」に申し込んだ。一時間半くらいつかって、マンツーマンでメイクを教えてもらえるやつだ。理想の顔面比とは、という話から始まり、「あなたは少し目と目の間が離れているから、目の間隔が縮まって見えるように、このように陰影を入れましょう」などとしっかり教えて頂ける。説明は理論だっており、納得できるものだった。そして完成した自分の顔を見て、「ふうん。わたしの顔面がベースだと、プロの技術でもこれが『限界』か」と理解した。
①「己の顔面を“理想の顔面比”に近づけること」。そして②「化粧した顔になること」。
①の理想の顔面比は残酷なまでに「正解」が存在する。①の達成難度はそのひとの持って生まれた骨格に依存する。美容整形はそれを打破する有効な手段だが、高価だ。
②は一種の符丁のようなものだ。この記事は、この増田(https://anond.hatelabo.jp/20240129142710)
をきっかけに書いたものだが、勝手な想像だがその元増田筆者はおそらく自他問わず「化粧をした顔」が好き(=かわいい、という認識)なのではないかと思う。なので「化粧をしたらブスでもかわいい、ブスなんていない」という結論になるのではないかとわたしは考える。対照的に、わたしは化粧をしたひとの顔を見ても「化粧をした顔だな」とは思うは、「=かわいい」とは思わない。「化粧をした顔」そのものに美を感じるのは、それは一種の価値観であり、文化的なものである。ゆえに符丁、と書いた。(関係ないが、化粧っ気のない人間は、他人の化粧に鈍感だ。化粧を自らして初めて、他人の化粧を認識できる、ところがある)。
今のわたしは、眉はしっかり整える。ファンデはしないか、してもごく軽く。アイメイクはたまにする。常にマスク(マスク社会万歳!)。美容室には定期的に通う。服はそれなりに気を遣う。メイクした方が似合う服、というのはぜったいにあるので、それが着られないのは少し残念ではある。
WEARでたまにファッションスナップを上げる。画像加工で顔は消す。プライバシーのあれもあるが、己の顔は別に好きではないからだ。首から下は、まあ悪くはない。
クレ・ド・ポー・ボーテの化粧品の見た目が好きだ。でもお金も時間もアテンションも有限だから、優先度をつけてやるしかない。わたしの人生において、化粧は、優先度はあまり高くない。
以上、化粧が苦手改め、化粧が苦手なりに愛憎入り混じった女の人生語りでした。
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【余談①】化粧の文化的側面については興味があるので、もし良い書籍を知っている人がいたら教えてください。文化史などの側面から語っているややお堅い雰囲気の書籍だと嬉しい。
【余談②】メガネについて。化粧をするなら大前提として、メガネを外せ、コンタクトをしろ、というのがあると思う。自分は(何言ってんだと思われそうだが)自分のメガネ姿にアイデンティティを感じているが、近眼メガネ族は化粧界においては驚くほど透明化されている。自分が「化粧はだいたいでいいや」と思う理由のひとつがこれだ。
【余談③】メイクアップは嫌いではないが、スキンケアははっきり言って嫌いだ。詐欺まがいの商売が多すぎる。ひとの悩みに付け入って高いものを買わせる不健全な業界だと思う(本当に人体に対し効能があるものは薬機法下では医薬品なので、そもそもそ医薬品ではないスキンケア商品の段階でどんぐりの背比べだろって思う)。日本皮膚科学会のホームページにある「皮膚科Q&A」だけ読んでれば十分や……まあ高いスキンケア用品つかってプラセボで良くなる可能性もあるとは思うが。
きっかけはくだらないけど、「先生」(プレイヤー)の名前の変更をしようとしたらNGワードが多すぎて、なにがNGワードなのか探っている途中で一時的な名前に変更したら、一日一回しか変更できませんとそれ以上の変更を拒否されたから。
それだけ?と思うだろうけど、その瞬間になんだかサッと冷めて、ムカついて衝動的にアプリを削除して、YoutubeのチャンネルやXのフォローも全部キャンセルした。良いきっかけだった。ブルアカみたいなソシャゲなんて全部運営の手のひら、と思い出して一気にしらけた感じ。
ちなみに課金は合計で1万5千円くらいしたとおもう。ストーリーとキャラの魅力で楽しませてもらったから後悔はあまりない。けどいろいろ面倒になっていたのでよい潮時だった。
メインストーリー以外はぶっちゃっけあまり面白くないし、結局は時間か金をかけてキャラを育てないとストレスがたまるゲームデザインなので、しんどくなってたところに「先生」(プレイヤー)の名前の変更の件がきっかけになった。
毎日ログインしてデイリータスクこなしてスタミナを消化してアイテムを集めてキャラを成長させて、それどころか数時間に一回カフェでキャラをタッチして絆ポイントを上げて、そうしてキャラクターを育てて、次々と追加されるイベントや総力戦や戦術対抗戦などでいい成績を出して、その報酬でまたキャラの成長アイテムをもらって、という無限ループ。常に鼻先にニンジンをぶら下げられて走らされている感覚。犬の調教のようなメソッド。
アテンションコストを持って行き過ぎ。たぶんこれはソシャゲ全般に共通するんじゃないかな?
ほかのソシャゲをやったことない(つまりはじめてのソシャゲ)からあまりわからないけど、たぶんかなり良心的なほうなんだよな?とはなんとなく感じた。でももう限界。
5年後か10年後くらいに、ストーリーの結末を知るためにもう一回最初から始めるかもね。期間限定のイベントストーリーも読んでおくほうがもっと楽しめるんだろうけど、ログインするとまた依存しそうだから嫌だ。もう勘弁してくれ。無理。
各ストーリーとメモロビだけを配信してほしくはあるし、それに年に3000円くらい課金してもいいけど、そうすると戦闘がなくなってキャラの愛着がうすれて魅力が半減するだろうし、ブルアカの収益も大幅マイナスになるだろう。
けどもう毎日デイリータスクをこなしてじりじりとキャラを成長させてイベントや総力戦や戦術対抗戦や合同火力演習の戦闘を効率化して報酬としてキャラ成長素材を多く獲得するループを回したり、素材の手に入らなさにイライラしたり、ガチャで消耗感を感じたりする、ソシャゲ依存の生活はしたくない。
こういった作業やギャンブルが好きな人は好きなんだろうけど、ちょっとね。無課金でも遊べるけど、効率プレイで時間に追われていろいろなアテンションを強いられてしまうのはちょっとね。課金で解消しようとすると一回で数千から下手したら数万単位のリアルマネーが飛んでいくのはちょっと無理。自分は今、収穫期だとメタ認知してしまった。
ストーリーはとくにトリニティのエデン条約編で完全にハマって、最終編を読み終えてもまだ無課金でいたあたりで課金していないことに申し訳無さの感情が生まれて(返報性の原理)、課金をはじめて(運営の狙い通りだろう)、よくできているなと感心した。
キャラは可愛いし、ストーリーがとても良かったし、美術も音楽もハイレベル。たぶん相当に良心的な運営で、儲かっている。覇権コンテンツってやつなんだろう。
お気に入りは補習授業部。ほかにも好きなキャラがたくさんいた。みんな可愛かった。
もしも1ヶ月に1回くらいメインストーリーやイベントストーリーを追加して楽しませてくれたらそのたびに1000円くらい払ってもいいからそうしてほしい。でもソシャゲである以上無理なんだろうな。
僕は弱者男性プログラマーだ。コードを書いて金をもらっている。
そんな僕が、社会学や政治に興味を持つ人が多いこのような場で物申すというのはちょっと変だと思うかもしれない。
実際、社会学なんて僕の専門じゃない。
僕はコンテンツを収集するクローラを書いたり、それを検索できるようにインデクシングしたり、あるいはコンテンツのクリック履歴に基づいておすすめを表示させたりするプログラムを書いている。
このようなプログラムにも、社会的側面というのは存在する。利用者が何らかの目的によってその検索ツールを利用し、調べたいものにたどり着く。コンテンツプロバイダー、ユーザー、システムという3つのアクターの社会が形成されている。
社会学者がコンピュータについて語ることがあるぐらいだから、プログラマーが社会について語ってもいいだろう。
僕が常々思うのは、人々の目的だ。
つまり「この検索ツールを使う人は、一体なにがしたいんだ」「コンテンツを提供する側は何が目的なのか」ってこと。
もっと状況を限定するために、「ブログ検索」というツールについて考えてみよう。君がクエリを投げてブログを調べようと思うのは一体どういうときなのか。あるいはブログを書こうと思う人たちの動機は?
動機は基本的にneedとwantによって分類されると考えて良い。needの場合、例えば確定申告書の書き方について調べていて、適切な情報を知りたいと言ったケースがそうだ。
wantというのは社会的な本能に結びついている場合もあるし、退屈しのぎということもある。承認欲求は基本的に社会的欲求だし、ハッカーが自分の知見を公開するのはちょっとした挑戦だろう。
リーナスの法則というのを聞いたことがあるだろうか。マズローの欲求解創設と似たようなもので、「生存」「社会」「娯楽」という3つが人の行動原理だとリーナス・トーバルズは言っている。
ブログを書くのが「生存」目的という人はどういう人だろうか。きっとそれ以外に職がなく、必死にアフィリエイトで稼ぎを得ている人だろう。
ブログを書くのが「社会的目的」という人は、すごいことをして認められようとか、専門家とつながりたいと考えているかもしれない。
しかし「娯楽目的」というのはもっと崇高なものに思えてくる。ブログの文章を書くのが単純に「楽しい」といった人たちのことだ。
生存、社会、娯楽という3つの階段によって、コンテンツの質というものが判断できるのではないかと、僕はそういう仮設を持っている。
アフィリエイトで生存的目的の発信をしている人たちのコンテンツは、お世辞にも良いとは言えない。クリックベイトであったり、感情を煽ったり、SEOをクラックしたり、初心者的だったりする。
社会的目的の人たちはもう少しマシで、認められようとして努力をする姿勢がある。でも、「たくさんの人と繋がりたい」という目的の場合はちょっと注意が要る。結局、そういう人は手当たりしだいにアクセスを増やそうとするから、コンテンツの質は下がってしまう。
「文章を書くのが楽しいけど、人に評価されることはどうでもいい」という人たちのコンテンツを探すことは難しいが、こういう人たちのコンテンツは奥深いことが多く、表面をなぞったようなアフィカスブログとは一線を画している。
しかしこれはコンテンツを提供する人の観点である。これらのコンテンツをクロールし、検索できるように整備している「システム」の観点から見ると、どうしても「広告利益」のようなものが重要視されやすい。
Googleであれば、Googleの広告利益に貢献するようなコンテンツを検索結果で優先表示するかもしれない。そしてそれはまさに生存欲求のためのアフィカスを優先しているのと同じことなのだ。
インターネットがつまらなくなったと言う人たちがいる。僕は次の喩えでこれを説明しようと思う。
昔のインターネットというのは、水の上に白いピンポン玉が浮いていた。この白いピンポン玉は良いもので、楽しいものだ。
ところが徐々に黒いピンポン玉を投下する人たちが増えてくる。黒いピンポン玉は悪いものだ。手を使って沈めようとしないと、白いピンポン玉が見つからない。
そして今のインターネットは黒いピンポン玉が一番上に浮かんでいて、白いピンポン玉はその下で見えなくなっている。
白いピンポン玉は純粋な娯楽精神を持ったコンテンツのことで、黒いピンポン玉は「アクセス数を増やしたい」がために鬱陶しいことをしているコンテンツのこと。
つまり、インターネットでは年々白いピンポン玉を見つけるためにエネルギーを使う必要が出てきてしまっていて、疲れているときは必然的に黒いピンポン玉を見るしかなくなっているということだ。
リーナスは「文明は、生存、社会、娯楽という段階に進んでいく」と言っていたが、インターネットは「娯楽、社会、生存」という逆の階段を降りている形になっているように思える。
現段階では、アテンションの総和が一定であるために、ネット人口が飽和し、広告企業の利益は落ち込んでいる。純粋な娯楽ではなく、企業の生き残りをかけた戦争に突入してしまっているのだ。
僕は今のインターネット社会では、意識的に面白いコンテンツを見つけるためにエネルギーをかけることがかなり重要だと思っている。ダラダラとやっていたらアフィカスとバズ目的しか目につかない。
例えば人間が一日に読める文章量なんて限られているから、本当に面白い人を見つけたらRSS購読しておいたほうがいいと思う。
うるさいハエがクソに群がっている。「クソを美味しくないと思うなら、お前がつまらない奴だからだ」と左翼思想家が指摘するかもしれない。
今日は注射薬が効きすぎてだるいので勉強はしませんでした...
フォロワー数2万のTwitterアカウントを買って、blueにも登録しましたが、ツイート一回あたりのインプレッションはフォロワー0人のアカウントと変わりませんでした。
何か有益なコンテンツを作ってチヤホヤされたいのですが、私の発言は地味なので誰かに注目されることはありません。
Youtubeで発信しようとも考えているのですが、私の性格だと途中で馬鹿らしくなって辞めてしまうような気がするのです。
というのも私が過去に自然言語処理のブログを書いていた時はそれなりのアクセスを獲得しましたが、一部の人から「ネット上にゴミを増やすな」などと言われているような被害妄想に陥って辞めてしまったのです。
「Youtuberになりたい」という欲求は、夢に出てきたことさえあります。しかし、本当に高品質のコンテンツを作るために意識的な努力をしなければやっても無意味です。
コンテンツの質について自信が持てるようになるためには、それだけの時間・金をかける必要があると思います。
アテンションの獲得のために熾烈な競争をしている社会で、私ごときが発信する物事には何の価値も見出されないでしょう。
それともアクセス数やサブスクライバ数など気にせず、自己満足の世界で発信し続ければ良いでしょうか。
おそらく、私は身近に家族や友人がいることにもっと感謝するべきでしょう。大切な人がいるなら、インターネット上の関係やちやほやされることなど、どうでもいいことのはずです。
誰もが自明の前提として、大学は金持ちの道楽だと理解している。
基本的には、社会の大半の業務に関する汎用知識は、小学校から高校卒業までの年月をかければ十分獲得できる。
しかし大学はわざわざ高い学費を支払って学ばなければならないのだ。
貧者の親は、子供に対して「学費はお前自身で稼げ」と言うだろう。その子供が学ぶ能力があっても、である。
自分自身で学費を払わなければならない者だけが、「大学は金持ちの道楽である」という文章を真に理解することができる。
しかし、学ぶことは主体的行為であるので、大学を必要としない。
仮に「超弦理論を学びたい」と思えば、インターネットを使うだけで学ぶことができる。
この世の中はすでに「アテンションエコノミー」であると言われている。なぜ大学へアテンションを注ぐことを当たり前の行為と考えなければならないのか。
確かに、学歴フィルターといって応募者を足切りするJTCも沢山あるだろう。だからなんだというのか。東大・京大へ行けない者は高卒で良いではないか。
例えば英語とプログラミングのスキルを持っていれば、国際的に働くことは可能だろう。そのようなスキルは無料で手に入れられる。
エリートたちが金の余裕のある層を評価し、社会を牛耳るならば、非エリートは別のやり方を模索するべきだ。
エリートに従順に従うのではなく、非エリートのコミュニティを作り、非エリートのやり方で知識・スキルを向上させ、そのコミュニティの中でイノベーションを起こす。
シリコンバレーでは、大物が大学中退者であることが多いという伝統がある。
従順な羊であることをやめよう。非エリートは、羊を先導する山羊であることを望め。山羊は確かにスケープゴートとして駆使されるが、経験豊富であることは確かだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230102104156
文字数制限かなんかで追記が反映されなくなったので、こちらで改めて書いておきます。
https://twitter.com/Kannaduki104/status/1609908856708304897
https://twitter.com/uta2i/status/1609834747412504577
https://twitter.com/kondohi/status/1610024011353952256
まずわざわざ「評論」をやるよーなヤツが「売り上げが1/3に減ったから続けるのが厳しい」とか、ぬるいこと言ってんじゃねーよ、という感想しか出ないんだよな。
このあたりが典型だけど、厳しい気持ちになったという「お気持ち」を上から目線でジャッジするやつ、思い上がりと勘違いも甚だしいわ。これを「文句」ととるの、さすがに国語が苦手すぎるだろ。新刊も落としたことねえよ。引用するなら適切な文脈を読めボケナス。
「続けるのが厳しい」って?コミケが厳しい場になってんじゃないのって話をそもそもの活動継続まで拡大解釈して「ぬるいこと言ってんじゃねーよ」と論評するの、ほんとに馬鹿なんですねえ。
お前らがいつかどこかでお気持ちを表明したとき、それをある規範に基づきジャッジされて滅茶苦茶不愉快な気持ちになってくれることを祈るよ。震えて眠れ。
https://twitter.com/kondohi/status/1610056276817608705
自分とこで書いたけどアレ、コミケが終わった都度おなじネタを出して反響を楽しみたいだけの増田扱いでいいと思う。夏コミ後にも同じ文章なかったかな?
僕は当初、売上20くらいの評論かと思って反応しちゃったんだけどね。友人の指摘で4桁に届きそうな3桁というのに気がつくまでは。
https://twitter.com/kondohi/status/1610057407425810432
とりあえず本人が書いている「増田のような零細サークル」というのにミスリードされた感があるのですが「だいたいxxxxくらい刷って」とは明確に矛盾しているので、嘘ネタ確定でいいと思います。
これは修正後の表記も悪かったんですけど、「4桁に届きそうな3桁」ではないです。xxxの個数は桁数と対応してない。単なるタイポ。はてなブックマークのコメント読めば最初に書いてあった部数は推測できると思うんで、適宜補完よろしくね。ここでは恥ずかしいから書きません。でもちょっとさかのぼって調べればわかることを勘違いして「嘘ネタ確定」は相当恥ずかしいですね。追記部分読んだら、ブックマークのコメントに隠す前の部数書いてあるのわかりそうなのにね。
嘘ネタかどうかのご判断はまかせますけど、断定の根拠がそもそも勘違いだということはご認識あそばしてくださいませ〜
余計なお世話すぎる…。ナチュラルな上から目線、すごいですね。誰に心構え説いてるの?壁?もしかして私?
少なくとも、知り合いにやるのはやめたほうがいいですよ。おっさんの講釈をありがたがるふりして聞いてあげるの、相当だるいから。
https://twitter.com/kondohi/status/1610152985241464833
どうあっても嘘とか釣りであってほしいみたいだけど、なんで?ほんとだとなんか困る?嘘だったらなんでうれしい?
ttps://twitter.com/kondohi/status/1610657676811472897
例の増田については「評論系で4桁売っているのに自分は大手ではない」みたいなこと言ってる時点で嘘松確定というのは揺るぎなく注意喚起を続けたいと思っています。
あはは、ウケる!勘違いに基づく揺るぎない注意喚起、よろしく!友達はこの追記に誘導したってくれや!
てか「4桁に届きそうな3桁」→「4桁刷って」る→「4桁売っている」と、どんどんわたくしが強大になっているぞ!思い込みが強化されていくさまがありありと観測できますねえ。
心構え説いてあげようとした対象がアテンション集めるの、そんなに怖い?思い込みに任せて「真実」を発信しようとするの、最近の流行りかな?
くだらねえ紋切型その1。「そういうとこじゃん」みたいな定型文の鳴き声でイージーに済ませてねえで、ちゃんとした文章でかかってこいよ。
くだらねえ紋切型その2。批評しているのに自分に対する批評は耐えられないって?耐えられてなかったら反撃もできねえだろうがよ。安全圏から石投げてると思ってる馬鹿どもに、ここは双方向のコミュニケーション空間だと教えてやってるわけ。これは啓蒙活動です。
ttps://twitter.com/neaswe/status/1610879571427209216
コミケ大手サークル以外厳しい増田、今更本文読もうとして本文よりもコメント全レスブチギレが多くて「そういうとこやで」があった(最後まで読めんかった)
紋切り型喋り虫〜
https://twitter.com/butakichi3hide/status/1610141506836520961
はあ、左様ですか。一方的に雑言及されて黙ってるのって、性格のいい人間じゃなくてただの都合のいいサンドバッグじゃない?私は都合のいいサンドバッグ役をやってあげるつもりはないのよ。
「何か蛇みたいな人だな」って頭のなかで思うまではいいとして、それをTwitterでわざわざつぶやいちゃうの、あなたも十分性格悪くない?
ttps://twitter.com/butakichi3hide/status/1610203323629699074
「手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話」らしいですわよ
うふふ、あなたが罵倒されたのは他人の性格をわざわざ論評して貶めたからですよ。
それ以外の感想は全て「文章読めてない残念なお前乙」っていうのもあまりに乱暴な要約ですねえ。結果的に「文章読めてない残念な」みなさんが癪にさわるんで取り立ててピックアップされてるの、わかりそうなもんだけど?
そのほか、刷り部数についてありがたいお言葉をたくさんいただき、わりとはらわた煮えくりかえっているのだが、これはわたくし自身アンビバレンツな感情があるのでストレートな反論は難しい。
結果「厳しい気持ち」になったんだったらミスじゃん、といわれたらそうなんだが、まあこのくらいの部数であれば何度か文フリとかコミケにもってければ全部頒布しきるだろうというのもあって、そう考えるとたいした失敗ではない。どちらもほんとうなのだ。
ただ、即売会に出るようになったとき、知り合いからかけてもらった、「同人誌は刷りたい部数を刷ったらそれが「正しい部数」なんですよ。結果が完売でも、余っても」という言葉を思い返すと、まあ当日の読みはミスったが結果としては「正しい部数」を刷ったんだということにします。よって、刷り部数についてケチをつけるやつらは全員ノックアウト!
返信もここらでさすがに切り上げます。まああんまりなやつがいたら晒しあげたるけどな!じゃあの!読んでくれてサンキューな!
先日開催された冬コミに3年ぶりに参加した。コロナ対応のためチケット制になり、入場者数がかつてと比べて減っていることを、情報として知ってはいた。知ってはいたんだが…。
しかしそれがここまでダイレクトに売り上げに直結するとは思わんかった。具体的に書くと三分の一くらいになった。へこむぜ。
8年前から冬コミで新刊を出して、それをチャンスがあれば文学フリマなんかに持ち込んで…というサイクルで参加していた。
刊行をそこにあわせているのもあるんだろうけど、やっぱり数を頒布できるのはコミケ。目を引く表紙にしていたこともあって結構ジャケ買いっぽい人に手に取ってもらえてた印象がある。
そんでTwitterの知り合いの人が20~30人くらい毎回きてて、その人たちにも手にとってもらえたりする。
ありがたいことに、継続しているうちにだんだん部数がはけるようになり、コロナ直前のコミケでは新刊をxxx部くらい頒布できていたのよ。
これ大手サークルとかと比べればみそっかすもいいところの数だとは思うんだけど、体感としてはxxx部頒布するってなると(開場直後、大手サークルに長蛇の列ができる1時間くらいを除いては)断続的に人がきて、まあぼちぼち対応していると終了時間になっている、という感じなので、結構「売れている」感がある。うれしいことに。
今回もだいたいxxxxくらい刷ってコミケで頒布、その後文フリとかで残りを…というサイクルを想定していたわけです。
甘かった。見通しが。人が来ないことの影響をもろに被った。
物理的に人がいるということが、増田のような零細サークルにとってめちゃくちゃデカかったんだと再認識した。
2019年の冬コミの累計入場者数が75万人(4日間開催)で今回が入場制限の結果18万人(2日間開催)だから、一日あたりの入場者数はだいたい半分くらいになっていると思うんだけど、まさにそれがダイレクトにきた。
知り合いもたぶんいつもの三分の一くらいしか会場には来なくて、ゆるいオフ会みたいな雰囲気もだいぶ減った。
批評を読むような層にとっては優先度がコミケ<文学フリマなのかなあ。確かに文学フリマは入場料タダだし、人もめっちゃくるようになっているみたいだし、昨年5月の文学フリマ東京はたしかにゆるいオフ会みたいな空気が継続している雰囲気はあった。
今回ははじめてBOOTHで通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが、それでもかつてのコミケでの頒布数には到底およばない。
やはり増田のような零細個人サークルを支えていたのは、偶然目にとめてもらった結果のジャケ買いなのだ。BOOTHでジャケ買いは発生しようがないからな。
たくさん売るためにやってるんじゃない。自分の納得したものをかたちにできたか否かが大事なのだ。
それでも、終了時間になっても在庫の山がうずたかく残っているのは、やっぱりつらかった。
会場の様子をふりかえってみると、相変わらず成人向けのあたりはわりとたくさん人がいて、まあ評論島はいつものとおり真空地帯だったんだが、真空ぶりに拍車がかかっていたんよな。成人向けのところも以前のような芋を洗うような混雑ぶりではなさそうだったし、知り合いにきいたところ、11時ごろには人気サークルはほぼ完売御礼で、最速の入場時間以外だと消化試合もいいところだったそうだ。
コミケで数を頒布できていたのは、ある種のおこぼれにあずかれていたが故だと今回強く実感しました。
でもそのおこぼれこそが全体としての即売会を(特に評論のような非メジャージャンルを)活性化させていたんです。
今年からはまた準備会の対応も変わってくるんでしょうが、入場制限のある限り、コミケは大手サークル以外には厳しい場所であり続けると思う。
以上、一参加者からの雑感でした。やり場のない気持ちを書き残したくてはじめて匿名ダイアリー使ったわ。
ほかの参加者からコロナ禍のコミケがどうみえていたのか、わたし気になります。
(追記)
こんな読まれると思ってなかったんで部数だけ隠しました!恥ずかしい!
yakitori-siro この増田は儲からなくて辛いんじゃなくて、トラフィックがないから「ちょっと興味があるかも」な層に手にとってもらうことすらできない、同好の士になりうる相手にリーチできない辛さを言ってるんだよね
これはほんとにその通りで、意を汲んでいただいて涙出ました。あと人が来ないと暇な時間が増えるんすよ。それが切実につらくかなしい。
いや。凄いわかるよ。今は知らんけど、昔は告知らしい告知も自分のアカウントでだけみたいな弱小評論でも、それなりに通りがかりに面白いと思って買ってくれる人が居たし。そこにコミケの価値があったよ。
評論なんて手間考えたら、元々合理的では無いんだから。手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話なのに。知りもしないのに「電子にしろよ時代遅れ!」みたいな茶々は本当にゴロツキの言い草でしかない。そういうヤツがでかい顔している所がはてなのろくでもない所だよなぁ…
おわかりいただけてとってもうれしいです。まじで、「手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話」なんすよ。それが金銭とどうしても関係しちゃうからめんどくせえあれが発生するとは思うんだけど…
https://twitter.com/wind_steed/status/1609957333576351745
前回に比べたら今回相当人の流れあったんだけど、適度に空いてるからコロナ前の倍以上の速度で人が移動してたんよ。その速度で移動してるとサークルに目を向けるのは無理。ポスターとかあっても無理。
あー、これ意識してなかったけど人がいないと人間の移動スピードあがるというのは確かにそうかも。
他、コロナで運動不足→体力減退で巡回できなくなっているとかはその発想はなかったんでおもしろかった。検証できるもんでもないし流石に妥当な推論とも思えないけど…。あとなんでもかんでも少子高齢化に結び付けるのはちょっと安易すぎでは?と思いつつ、参加者の高齢化はたしかにあるよね。
razik C99〜101までマイナー島でサークル参加してるけど、おおむね同じ感想。島自体が閑古鳥なのに周りが早めに撤収するから、後半は尚更人が来ないという負のスパイラルに陥っている。
odakaho 2日間とも行ったけど、午後入場だと過疎島回る時間が全くないのよ。15時くらいにはみんな撤収始めてるし・・。
そうそう、書き忘れたけどご指摘の通りサークルの撤収がめっちゃはやいんすよね。体感、15時くらいにはほぼおしまいの空気になってる。
いままでは、打ち上げでサークル参加組と合流するために非サークル参加の人もだらだら居残ってたりしたんだけど、まあ気楽に打ち上げというのもまだちょっと厳しいし、それならだらだらせずにさっと帰るわな。
ka-ka_xyz "今回ははじめてBOOTHで通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが" 評論島、通販してるとこが他のジャンルと比べて少ない気が。もっと通販して欲しいの。
これまではTwitterの知り合いには自家通販してたんですけど、BOOTH使ってみたら思いのほか手に取ってもらえてるんで、なんかいままですまんかった…という気持ちです。正直ここまでインフラみたいになってると思ってませんでした。pixivがあんまり影響力強めるのもよくないなとは思いつつ、やっぱクレカ決済とかできると楽ですもんね。頒布するほうも金銭トラブルを避けられるし、そこらへんの安心を手数料分で買ってるとおもえば、まあ仕方ないのかなあ、という気持ちになりつつあります。
amunku この増田はまだ見栄張ってるかもしれなくて今やほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない。買い手も金がないから大手しか見ない。コミケはアマチュア作家の祭りではなくなり大手と芸能人と企業のイベになった
「ほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない」はさすがに盛りすぎでは?「ほとんど」のサークルが一部もはけてなかったらさすがにみんなのむせび泣きが会場に響いてると思う。
deztecjp 以前の1/3ならxxx部程度かな。それだけ売れていても「大手サークル以外厳しいと思う」といわれると、「あー、そうですかー」な感想を持つ。人間は、すぐ高い水準が当たり前になって、満足するということを知らない。
三分の一に減ったことをショックだったっつってんの!xxx部でたから売れてんじゃんとかそういうのではないわけ。
IthacaChasma ずっと参加してる人によると、一昨年の冬の売上が一番悲惨で、去年の夏で少し回復、この冬はこれでも大分回復してきたらしい。夏はもっと入場できるようになると良いね。
たしかに一昨年は去年より入場絞ってること考えるとマジでやばそうですね。私個人のことを書いておくと、一昨年はコロナでそもそも中止になるんじゃないかと思って申し込みせず、また開催時の感染状況から一般参加も見送りました。
いちばん苦しい時期に逃げ出しといてなにいまさらつらいつらいいってんねんみたいな論評をみかけましたけど、この判断自体が不適当だったとは今でも思ってません。自分や家族の命を危険にさらすリスクを負ってまで「場の継続」に奉仕することは、ちょっとできない。つらい時期を支えたことを誇るのはいい。でもそれを他者をくさす道具として使うのはくそダサいですよ。
gooeyblob チケット制となるとかなり億劫度が高くなるよね 自分も完全に行く気無くしてしまった/評論系でxxx部って相当売れてる方じゃない?
おっしゃる通り、どちらかといえば売れているほうだと思います。マジで表紙に気合い入れてジャケ買いしてもらえるようにしてたので…
ジャケ買い狙いのようなことやってるから参加者減少の影響をダイレクトに受けてるだけじゃないの
ジャケ買い狙いなのに増減に一喜一憂できるの本気で謎なんだけど
中身で勝負すれ、中身で
ext3 評論をジャケ買いさせてる時点でなんか詐欺臭くないですかね?今まで騙せてたのが騙せなくなって正常なレベルに戻っただけでは?
あのですね、「目を惹く表紙であること」は、書籍を手に取ってもらうための必要条件だと思います。たくさん本が並んでるなかでまず入ってくる情報って表紙だけでしょ?
「中身で勝負すれ」って、まず中身に触れてもらえなきゃお話にならんわけ。表紙で興味をもってもらい、手に取って中身をみてもらえるかがまず超重要です。これは前提。
加えて、わざわざ批評を本という物質にするんだから、その物質がなにかしらの批評性をおびてよいわけで、すなわち「どのような表紙にするか」というのも一つの批評なの。「目を惹くこと」・「批評の内容を端的に象徴するようなものであること」、この二つの緊張関係のなかで表紙を設定することはまさしく批評的実践なのであって、だから増減に一喜一憂するのは批評的実践のある部分の成否がそこに託されているからなんですねえ。だから表紙も「中身」の一つといえる。表紙/中身などという単純な二分法を自明のものとする素朴さにやすらっているうちは、もう少し謙虚な態度でインターネットをなさったほうがよいかもしれませんね。
刷っても損しかないんだからnoteにとうこうとかでいいじゃん。
なんならそこに有料記事入れれば印刷と違って赤字0だし、金払うやつが可視化されて承認も満たされるだろ。
なぜわざんざ刷る?
あのねえ、書籍として物質化すること、そしてそれを誰かに手に取ってもらえることのうれしさを舐めすぎ。
きみもわざわざ刷ってみたらわかるよ。
https://twitter.com/puyotaroh/status/1609816866356342785
この評論サークル主の発言も、「これまで当日の偶然買いの成功体験に頼りすぎてて、事前のSNSでの告知を怠っていたのでは。そもそも普段からどんな批評本を書いてるか発信してたの?」との感想にしかならないんだよなぁ。
インターネット軍師、乙です!!!!!SNSで宣伝しとらんかったらコロナ前にxxx部も頒布できるわけねえやろがい!
それを踏まえたうえで、入場制限のせいで偶然性がもろに縮減していることの厳しさをいってるわけ。
https://twitter.com/soramimi__cake/status/1609867980325937152
この増田自体は(特にブコメに反応してる追記)大変嫌らしい書き振りで、こういう自分のノリに合わせてくれないとあからさまに不機嫌かつ見下しモードになるような人が表現活動(笑)から撤退していくなら日本の言論はなんぼかマシになるんじゃないかと思いましたまる
おめえ、コミケが思わしくなかったところでお気持ち表明してみたら雑言及の雨嵐を食らってんだから「不機嫌かつ見下しモード」にもなろうってもんですよ。こちとら匿名だしここでしか反論できないわけだからね。「表現活動(笑)から撤退していく」ことはないんで、そこんとこよろしく。
気持ち悪くなってくれてなにより。お前はインターネットで文章読むの向いてないよ。
https://twitter.com/taka_humo/status/1609916648844308481
ボクの知り合いのサークルは大手でも何でもない所でもしっかり完売してたし別に大手だから厳しい・厳しくないとかでないんじゃないかなあ(しかも1人は評論島)
「あの場の空気を楽しむ」って、もし全然頒布できなかったら地獄みてえな空気になると思うんだけど、それを楽しめるのはいかれたマゾかサイコ野郎だけやろがい!まったく手に取ってもらえなかったけど、コミケの空気が楽しめてよかったなあ、ってなるわけあるか!皆目見当違い!
空気を楽しむためにも手に取ってもらうためいろいろやったりするわけだし、コミケ自体が人たくさんいたほうが偶然性が高まって手に取ってもらいやすいでしょ。
大手の苦労とここで書いてる「そもそも手に取ってもらえなくなってる」厳しさは別問題でしょ?でかいお金を動かすシビアさから生じる問題の話をしているわけじゃない。それを関連づけちゃうのが豊かな想像力ってわけね。ファックユー!
まあタイトルはバズ狙いであれしたのは認めます。結果アテンション集めたからセーフ!
https://twitter.com/yellow_0918/status/1609889858520240128
バズろうとして滑り散らかした事をここに堂々と書ける精神も凄いし、隅から隅までキモ過ぎる文章の書き方や中身も含めて過去の栄光に縋ってるだけの老害にいつ気付けるんだろうという哀れみしか出てこない
既に400もブックマークついてんだから、「バズろうとして」るんじゃなくて現にバズってんだよタコ。文体含めての芸だからね。それで狙い通りバズらせたわたくしの力量を素直に称賛なさいな。こんなことくらい誰でもできらあってんならやってみなせえ。「キモ過ぎる文章」に「哀れみ」を表明せずにはおられなかったお前が「キモ過ぎる」し「哀れ」。
その他、脊髄反射でろくに読みもせずコメントするやつわらわらで引くわ。本を読みなさいね。
せっかくですし、わたくしからは蓮実重彦『映画からの解放―小津安二郎『麦秋』を見る』をおすすめしておきましょう。
予備校生向けの講演を書籍化した短いパンフレットですけど、わたしたちがいかに映画を「みそこなっているか」がわかる、とっても啓蒙的な本です。
思った以上に拡散してしまいましたが、これはわたくしの出した本がコロナ前より手に取ってもらえなくて悲しいな~以上のことではないです。そして「厳しいと思う」のは気持ちの問題以上のことではない。でもその気持ちこそがやっぱり大事なのだ。しょせん戯れにすることなのですから。
適当に書き散らかしたやつが長年やってるはてなブログと比べてあまりに簡単にアテンション集めるのでビビる。ビビります。はてなブックマーク、ほんといやなサービス!
気に入らないやつらに全レスしたろうかと思ったけど正月休みの使い方としてあまりに不毛なのでやめます。が、安全圏から石投げられんのも気に入らんので、適宜こちらからもボール投げ返すわね。
貼れるリンクの数に制限あるみたいだったんで、コメント返信続きは以下のエントリで。一部をこっちに移しました。
そういう細かいところがどうなって上手く行ってるのかは多分今のところ誰も分かってない(今後も分からなさそうな気が俺はする)。追ってないので分からんけど、なんか論文はあるかもしれない。
まあ現状のモデルは内部にアテンションモジュールが入ってて近傍の整合性みたいなのを少しずつ適用していくような形にはなってるんだろうなと思うわ。その整合性の基準は学習に使った画像群ではあるだろう。でも別に学習に使った画像を丸ごと記憶しておくストレージみたいなもんは無いはずなので、一つまたは複数の画像から取ってきてるって言ってもそれはニューラルネットのパラメータとしてエンコードされた何かよく分からんものということになるはず。