はてなキーワード: 紅葉とは
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
あなたにはネットメンターはいるだろうか。あなたが尊敬しているところの、例えばブログとか書いてる人で、考え方が人生の参考になるような人のことだ。
自分は今30代になったばかりだ。これまでにネットメンターは四人いた。それぞれ、当時は夢中になってブログを楽しんでいた。
今となっては活動をやめている人が多い。でも、やっぱり今でも感謝というか、これは灌漑というのだろう。自分という人間は、その人らの考え方を楽しむには齢を取り過ぎてしまったのだなぁ、と感じることがある。
今回は、素人の拙い文章になるけど、懐かしい記憶を堀り起こしてみたい。なお、皆さんおそらく存命だと思うので、ブログへのリンクとかは貼らない。迷惑をかけないためだ。
1人目 げっべさん
未成年の頃だ。当時、携帯電話を買ってもらったばかりの自分は、mixiに登録していた。それで、コミュニティを探していたところ、「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」というのを発見した。
どういうコミュニティかというと、文字どおり笑ってはいけないシチュエーションで噴き出してしまい、周囲から冷たい視線で見られた、恥ずかしい思いをした体験を参加者が綴っていくのだ。
人間、飲み会なんかで皆が笑っている時に黙っていたりするのは、まだ何とか許される。しかし、葬式の最中にいきなり爆笑したりなんかすると、周囲の視線が冷たいだろう。このギャップはなぜ生じるのか。当時、中学生だった自分には新鮮な疑問だった。
それで、この当時から登録者20数万人を抱える当コミュニティの管理人がげっべさんだった。過去日記を見たところ、ナチスドイツのヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相大臣から名前を拝借したと思われる。
過去日記で、いろいろ面白そうなやつがあったので覗いてみたところ、これがまた最高だった。視点が斬新で、文章力があって、知性が抜群だった。
あとは、この人はDLsiteでR18の同人作品を作って売っていたのだが、その関連で創作における女性性について語るところの新鮮みが凄かった。あんな論説は見たことがないし、今後も見かけることはないだろう。シロクマ先生でもメロンダウトでもフミコフミオでも書けない。基本読書の人ならなんとかなるかもしれない。
実は、メッセージを何度かやりとりしたことがあるのだが、当時中学生だった自分にも優しく接してくれて、まさにTHE★大人だった。神だった。この御方こそが人生最初のネットメンターだ。
30代になった今、久しぶりにmixiにログインしてみた。友達だった約50人は全員mixi利用をやめていた。確認しなくてもわかる。確信があった。
プロフ画面を眺めていたところ、若かりし日のアルバイト先でみんなに可愛がられていた高校生の『ゆめちゃん』が、今では32才になっていた。あまりにリアルな現実だった。信じられないよ……。
感傷はなくて、温もりのある懐かしさがあった。薔薇の香りや、紅葉の美しさがわからなかったあの頃の、子どもっぽくて拙いコミュニケーションの思い出が蘇ってきた。私は、あの頃はどんな思いで人生を過ごしていたんだろう。感慨が込み上げてきた。それから小一時間、mixiの思い出めぐりを楽しんだ。
で、げっべさんの話に戻るんだが、今ではあの人について何となく理解できるつもりだ。おそらく、今でいうところの発達障害とか、自閉症とか、そういうTypeの人だったんじゃないか? と思う。いや、当時のメッセージのやり取りとか、あの人がDLsiteで売っていた作品を再度鑑賞したり、ほかにもいろいろ思い出してみたけど、たぶんそうだ。
いわゆる、人生を生きるのが難しいタイプの人だったと思う。でも、そんな苦しい状況の中でも、mixiで屈指の人数を誇っていたコミュニティの管理人を務め上げて、創作活動もしていて、何より哲学的かつエロティックな日記が神髄の人だった。
今改めて、感謝を申しあげたい。当時は生意気な中坊~高校生だったと思いますが、いろいろとありがとうございました。
2人目 伴さん
この方を知ったのは、当時新卒で入った組織で苦悩していた時だ。偏差値45ほどの大学を出て、生まれ故郷の市役所に勤めることになったのだが、まあこれが辛い日々だった。
地方公務員ってさ、どんな人が職場に適応できると思う? ブクマカなら知ってるかもだけど、小学校や中学校で内申点が高くて、地元名門校に入学できるような人が地方公務員に向いている。早い話、クラスのリーダーとか、ムードメーカーとか、生徒会長とか、スポーツ万能とか、とにかく何らかの形で先生から高い評価を受けていた、そんな感じの人だ。
自分は違った。コミュ障だったり、ネクラだったり、納豆だったりして、クラスに馴染めなかった。「置かれた場所で咲きなさい」とはいうけれど、発芽すらしなかった。そんなモノが社会人になっても通用するはずがない。
そんな時に、伴さんのブログに出会った。この人は防衛省に勤める国家公務員だった。自分と同じく、公務員に適応できないタイプの公務員。ただし、自分と違って仕事ができるし、頭はキレるし、嫁さんもいるし、お金持ってるし、なにより理想に向かって匍匐前進している感じが格好良かった。当時は、目に穴があくほど彼の記事を読んだものだ。
で、この伴さんは協調性のなさが災いして、職場でいろいろひどい目に遭っていた。それでも努力をやめない姿勢がすごかった。当時20代半ばだった自分は、それらを見習っていた。
伴さんのように米国株投資を始めて、FXも始めて、タバコを吸い始めて、仕事でマウント取られたらニコニコと受け流して、いつの日か相手がボロを出したら攻めて攻めて攻めまくって、野良犬がキャンキャンと吠えて逃げるまで攻め立てて、相手が討論中にメンチを切ってきたら大声で威嚇して、相手の傍まで寄っていって「殺すぞ!!」という感じでこちらもメンチを切った。
実際、自分が伴さんみたいに行動するようになって、みんなの見る目が変わった。前みたいに馬鹿にされなくなったし、男性ホルモンが増えたみたいになって仕事を頑張れるようになったし、実力が上がったし、今は市役所の庁舎管理の仕事をしてるんだが、上司から1件につき20万円までは好きに契約事務をさせてもらえるようになった。
さて……実は、自分は失敗した。伴さんがやってるみたいに、男性ホルモン全開で仕事を進めていったところ、致命的なトラブルを起こして仕事を干されたことがある。まあ、初めての大失敗だったから、結局許してはもらえたんだけどさ。あれは反省した。
今ではわかることがある。結局さ、人間で一番大事なのって、仕事ができることじゃないよな。相手を尊敬するとか、嫌な仲間とでもうまくやっていくとか、話の通じないお客さんがいても精一杯やりとりするとか、悪いことしてる人がいたら怒ってでも咎めるとか。人間にはそういうのが大事なんだよな。
実力とかお金とか持ち物って、その人が死ぬ時には実質意味がなくなってるけど、人柄とか人格って、命が途切れるその瞬間まで残るじゃん。もしかしたら、あの世までもっていけるかもしれないじゃん。
実際、伴さんは、あの人が自ら言っていたように社会不適合者なのは間違いないと思う。いつも何かに怯えていて、他人の視線が怖くて、しかし戦わずにはいられない。いい結果を出し続けて、みんなをギャフンと言わせてやる、自分を認めさせてやる!! そんなスピリットでひたすらに頑張っていた。それは、自信のなさの裏返しだった。
で、結局この伴さんは、嫁と子どもがいる状態で国家公務員を辞めて、民間企業に営業として入って、しかし通用せずに大失敗して1年で辞めてしまったらしい。その後は、「自営業としての記事代行サービスでメシを食ってる」みたいな記事を拝見した。
残念ながら、数年前のそれが最後の更新になった。たまにサイトを見に行っているが、更新される気配はない。
伴さんに倣っていいこともしたし、悪いこともした。後悔していることもある。特に、不用意な言動で仕事仲間を傷つけてしまったことだ。
けど、伴さんがいなければ、男性ホルモンをめらめらと燃やす自分に出会うこともなかったと思う。そんな体験がなければ、目の前の人間を尊重すること、いたわること、常に気にして動くことに関心が向かないままだった。
そのことに気づかせてくれたのは、紛れもない伴さんだった。コミュニケーションを取ったことはないけど、俺はあなたに感謝してる。本当にありがとうございました。
三人目 高田机上さん
2018年頃から活躍しているブロガー。2019年頃だったか、自分が恋愛のうまくいかなさに悩んでいる頃にブログを拝見した。確かバズった記事があって、はてなブログのトップの方に載っていたのだった。
恋愛の一般論から始まって、男性のダメなところを取り上げたり、女性の心の視点に立ったり、恋愛に必要な各要素(清潔感とか...)を論じていったり、男女の付き合い方を細々と説明していたり……。
当時は、これだ!! と思った。ここまで体系的に男女別の視点から恋愛を論じたブログは初めてだった。恋愛指南のサイトは数あれど、それらはほぼ商業サイトであり、噓八百でも面白ければよかろうなのだ!!(勝てばよかろうなのだァァァァッ!!)、みたいな記事ばかりだった。でも、この高田机上さんは、元モテない男性として等身大の自分を出していた。
が、風向きが変わってきた。2020年頃までは、恋愛のTipsを事細かにひとつずつ紹介していたが、次第にモテない男性をバカにするような内容が目立ってきた。
特に、2022年に始まった男女差LINE学がそうだった。LINE的に非モテムーブを取る男性を論い、ひとつひとつ侮辱的な言葉でダメ出しをしていく。挙句の果てには、女性がする恋愛上の遠回しな「お断り宣言」(婉曲な言い回し)を説明する際、自分の本の出版を編集者に暗に断られた際の恨み言を述べていた。
半年ほど前から、高田机上さんのブログを読むのをやめた。男女差LINE学長すぎやろ!! と感じたのもあるが、何より自分の読者層であるモテない男性を馬鹿にしていて腹が立ったからだ。実際、この人の記事のブックマーク数はほぼゼロだ。昔はバズった記事があったけれども、近年は閑古鳥が鳴いている。
もし、男女差LINE学みたいなシワいコンテンツじゃなくて、もっと面白いシリーズが出たら読もうと思っていたが、一時引退するらしい。「専業作家に挑戦し、なることができたら戻ってきて記事を書く」とあった。
ネットメンターには、こういうこともある。どれだけ面白くて尊敬できる人でも、年月が経つといろいろ変わってしまうのだ......。また記事を読ませていただく機会を楽しみにしています。
高校生~大学生にかけて、この御方のブログを読んでいた。どの書籍にも書かれていない視点で、勉強になる内容が多かった。ほどほどに重たいテーマが多いけれども、たまに笑いもある。歴史や政治を扱った記事が多い。
文字どおり沖縄生まれの人になる。若い頃、大阪府に大学生としてやってきたようだ。壮年なんだけど、文体は若々しい。なぜこの名前にしたかというと、琉球の歴史を鑑みるに、「自分は沖縄県民ではなく琉球王国の一員」ということらしい。
mixiでは人気のブロガーであり、数年間活躍した後は、別のブログサービスに転向した(はてなブログだ)。この人は、上の三人と違ってまだ活動している。個人的にお気に入りのブログ記事をひとつだけ挙げたい。
#成人式 より #未成年バカ祭り を!~ヤンキー&花魁なバカ成人こそ地元の宝である。
https://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/01/11/222419
この日記の日付は2015年だが、実際はもっと昔のmixi時代に投稿している。当時の私は大学生で、これから成人式!! という時期だった。
上の記事の内容は、まさに目から鱗の一言であり、この体験がなかったら、未だに「暴れる新成人」なるものを勘違いしたままだった。
さて、こちらの在日琉球人さんのブログだが、社会人になってからは見なくなった。理由は、更新頻度の低下だ。一応、それなりの頻度で更新はあったが、前の記事の焼き直しや再投稿がほとんどだった。新しい記事が生まれなくなったのだ。
で、その原因というのが加齢だった。本人談になるが、齢を重ねる度に気力が湧かなくなっていき……と、ブログ内で呟いていたのを覚えている。
私も、在日琉球人さんとメッセージのやり取りをしたことがあった。理知的で、ユーモアがあって、ごくまれにキレるけど、己の知性を高めるために日々尽力している人に思えた。自分よりもはるかに賢いはずの人間がブログ記事を書けなくなってしまうなんて、年を取るのは悲しいことなんだな、と若かりし頃は思った。
今でも、在日琉球人さんのブログは年に一度はぐるっと目を通す。やはり、斬新かつ奇をてらっていない。今でも世間に通用するブロガーだと思うが、なぜかあまり人気が出ない。面白いと思うのだが。
最後に~
月次な結論になるが、やっぱり若いうちはいろんな価値観に触れることが大事だと思う。自分は、中学生の頃からブログを読むのが好きで、それこそいろんな人の日記や作品を読んできた。勉強になるのもあったし、正直毒になるのもあった(ネトウヨやツイフェミがその典型)。
深夜に眼が重くなることもあったけど、あの日々では多くの学びを得ることができた……え、何? 個人のブログよりも書籍の方が勉強になるだろ、だって? それは言わない約束ということで。
はてなブログは週に一度はチェックする。書籍も好きだが、しかし自分は個人が魂を削って書いたブログの方が好きなのだ。これからもいろいろと読んでいきたい。
面白いうえに、人生のためになるようなブログを運営されている方々におかれましては、重ね重ね感謝を申しあげます。今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
源氏物語のコミカライズなら、自分は江川達也の源氏物語が好きだ。7帖紅葉賀までしかないが。
えろい。
えろいが、長恨歌をしっかり書いてあったりとなかなか心憎い。
こちらを先に読んでしまったので自分はあさきゆめみしはフィットしなかった。キラキラの甘々でダメ。
後深草院二条のとはずがたりをコミカライズした海野つなみの後宮も好きだ。絵柄がシンプルなのがいい。物語詳細はウィキペディアにある。
とはずがたり - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%9A%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%8A
増田のリアル恋愛歴が、恋愛モノを読む時に増田の邪魔をする。
リアル恋愛の幸不幸は問わず、架空の恋愛に共感して読み続けるか、投げ出してしまうかに影響する。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
姫路城の世界遺産を始めとして実は中部に遺跡・古墳が無茶苦茶ある
神戸に生田神社、姫路には書写山、鹿島神社、中部には播州清水寺(こっちの方が古いからな!)と神社仏閣もたくさんある
三宮の繁華街・中華街に神戸のメリケン広場、異人館など見所がたくさんあるし
元町なんかはオシャレなカフェだとかランチだとかもたくさんあるし三宮の北側には飲み屋も多い
六甲山からは夜景、ポートアイランドには空港、IKEA、神戸どうぶつ王国がある
王子動物園にはパンダがいるし姫路セントラルパークに行けばサファリもある
食べ物も神戸牛を始めとして淡路島のタマネギや海産も瀬戸内海があるので普通にカキもある
中部は米どころだし、ブドウやシャインマスカットも安く売ってる
野菜はなんでもあるし丹波の黒豆とか黒豆の枝豆とかクッソ美味い
夏は海水浴も山でキャンプもできるし冬は六甲山でスキーできるので
ガチのスキーも北部に行けば氷ノ山とかがあって普通にできるから土日に日帰りでも全然楽しめる
灘高校を始めとして進学校も多いし子育て・教育もかなり充実してる
芦屋なんかは高級住宅街だし六麓荘みたいな日本屈指の高級住宅街もあれば
他県に行く場合でも新幹線の駅が4つ(新神戸、西明石、姫路、相生)もあるし空港も3つある(伊丹、神戸、但馬)
高速道路も中国道・山陽道・阪神高速が走ってるし、まぁ北部に行くのはちょっと不便かな
後はなんだろう、ゴルフ場も山ほどあるしカート場もあるしキャンプ場もあるし滝もあるし紅葉も桜もある
すごい戻ることを謳った広告というか表示ってあるじゃない。
あれって紛らわしい間際らしいわよ。
そう思わない?
2本に1本当たる!購入金額の全額キャッシュバック!とかって良くみたら
4等の当選数は増減します!全額キャッシュバックの上限があります!って
実質全額キャッシュバックじゃ無いし4等の本数を増やせば実質当選確率も2本に1本になるし
ものは言いようじゃない。
そんな凄いみんなに凄い金額が当選戻ってくる感じを感じずにはいられないわよね。
実際蓋を開けてみたら
紛らわしいので注意書き良くみないと張り切った分損するわよね!
たぶん、
ポインツにも良いポイント普通のポイント悪いポイントがあるのよ!きっと!
じゃないとこのポインツ大海原を乗り越えられないわ。
堅実にコツコツと貯めていくしかないのよ。
もう私ポインツのこと全て理解したわ!って言いたい季節訪れる真っ赤な秋!
真っ赤だなー!真っ赤だなー!って謳っているのはモミジだけでいいわよね。
ふとさ、
真っ赤な秋と言えば紅葉って思い浮かべるんだけど、
そう言った類いの紅葉とかには一切興味が無い花より団子派なのかも知れないけど、
神社仏閣に一切興味ないのに
急にそういうのにも興味が湧いてくるとか!
まだ私にはそう言ったシーズンが訪れてないけど
いまのところ、
秋の紅葉とか神社仏閣とかを全て理解した!とは言ってないから、
そんな季節はまだまだ先なのかも知れないわ。
お鍋の中でくたくたになって溶けそうな葉物野菜とか
もうブレンダーでポタージュにしちゃおうかしら?って思うほどだし
鍋の季節と言えども、
その鍋のトーナメント戦で勝ち進むのは肉か魚か豆腐か!ってことじゃない、
いっそのことハンドミキサーでポタージュにしたらクノールだってことを発見できるかもしれないし、
ちょっと今夜試してみようかしら?って思うわ。
だからといって、
リッター1円安い100キロメートル先のガソリンスタンドにガソリンを給油くみに行くほど滑稽なことはしないけど
労力少なく且つ効率よくポインツなりを貯める季節にしたいものよ。
いろいろな季節が巡るわー。
むかし母親が郵便貯金に10年定期で預けたら半年複利で満期には倍になる!って高見山親方みたいなこと言ってた季節もあったけど、
もうこのいまの季節のシーズンじゃ
金利だとかも期待できないじゃない。
だからこうやって
何も考えずに効率よく時間もかからなくて労力も要らない貯まるポイントが真のポインツとして
パーフェクトな賢さは要らないけど、
少しの賢さは小さじ一杯の半分のお塩が何グラムかもう分からないように
そんなぐらいの気持ちでいいのよ。
そのぐらい利口な感じで損はしたくないものね。
はぁでもガソリンスタンドの料金の電光掲示板を見ると100の位の数字が1しか表示できないところが多くって
さすがにガソリンがリッター200円台になるんじゃね?ってところまで誰が予想谷下のかしらの風の谷のナウシカ的に、
きっと私もマスクを取ってほら平気だよ!って肩に乗っている小さなリスみたいな生き物のに言い聞かせたいわ。
でも実際200円台にガソリンがなったらどうなるのかしらあの表示?
もうエラー出ちゃわない?
みんなコンピューター問題がY2K問題があって不安になって世の中が終わっちゃうんじゃない?って思っていたのに
まあ中の人が考えて改修したのかも知れないけど、
実際に表示し切れない溢れ出る200円台のガソリンの表示の電光掲示板問題はYKKでも高見山親方でも解決できないじゃない?
あのガソリンスタンドのリッター金額表示システムを開発した人は想定してなかったのよ。
いまごろ、
まさか200円台に迫るとは!ってあのシステムを開発した人は冷や冷やしている頃よ。
そんで、
100の桁が1しか表示できないシステムを開発した人を抹殺しにそれなんてターミネーター?ってやってきて、
100の桁もデジタル表示で8で出来るようにして!って発注しに来ると思うわ。
でも、
その開発者はまさか未来がそんなことになっているガソリン高騰なんて夢にも現実にも思わないから全く信じていないの。
そもそもとして、
やって来たターミネーターが裸でおまえの作った電光掲示板の100の桁の数字はデジタルで8も表示できるシベての数字が表示できるようにしろ!って言われても何も説得力がないわ。
そんな人に自慢の開発した100桁の位が1しか表示できないガソリンリッター料金表示システムを改修しようとは到底思わないわよね。
分かった!おまえは俺が裸だから俺の言ってること信じないんだろ?
だからすぐ服着てまた戻って来るからな!ってアイルビーバッグ!なのよ。
なるー!
全ての伏線がこれで回収ってわけね。
ところで
私何の話ししてたんだっけ?
まあいいわ。
うふふ。
うーん、
野菜系と迷ったけど
じゃあカツサンドの気分は1日のうちでいつの時刻になるのかしら?
昔時計とか無かった時代の十二辰刻ルーレットってあったじゃない。
あれを食べたい時刻のところに食べたいサンドイッチを書いたら、
十二サンドイッチ刻ルーレットになっていいかも!って思ったわ。
でもこれだと寝てる時もなにかしらのサンドイッチって刻になってるけど
それは夢の中で食べたら良いじゃん!って思ったわ。
ジンジャーとハニーが恋をしそうなほどなホッツウォーラーにしました。
温活に持ってこいだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
■晴海トリトンスクエア:東京の小金持ちが好きそうなタワマン街にあるショッピングモール。夜景が綺麗。
■日本橋室町:ウィンドウショッピングをするなら銀座よりこちらの方が外国人観光客が少ないし街並みが綺麗。
■東京駅周辺&丸の内イルミネーション:東京駅の皇居側にある丸の内仲通りを中心にオシャレな店が並んでいる。
■神宮外苑:再開発が始まるのでイチョウ並木を見られるのは今だけかも。
■上野公園:上野駅公園口駅舎がかっこいい。上野公園も噴水広場のあたりが綺麗になっている。紅葉は終盤。
0120-787010
0120-778001
0120-877001
0120-877002
0120-787020
0120-778002
0120-780702
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当たれ
そして両チームともがんばれ
彼女とは幼馴染で大人になってから付き合い始めて1年くらい経つけど、連絡不精や遅刻癖が酷くて、具体的書くと一週間に一回連絡が返ってくればいい方で、一ヶ月返事がないとかも何回もあって、ようやく会えても1時間くらいは遅刻してきてしまう感じで、大の大人が一年付き合って手も繋いだこともないし、お泊まりも拒否され、セックスも出来ず、自分は今まで何人かと付き合ってきたけどそんな経験が初めてで何度かここ増田に吐き出してました。
元々、お試しで付き合ってもらって、そっから期限も決めずになあなあで続けてきたけど、友達とか同僚とかいろんな人に相談したら、お前の優先度は最下位、好かれてない、付き合ってると思えないと言われて、実際自分も彼女に対してモヤモヤが溜まってる状態でした。
彼女が引っ越すと聞いて、一緒に暮らせば会えないとか連絡取れないとか全て解決できると思い、同棲したいと伝えたけど、やんわりと断られてしまい、本当に自分は好かれてないんだなと感じてしまいました。
彼女の誕生日プレゼントを選んだり、デートで行きたかった紅葉スポットの下見をしたりしている自分が、どうしようもなく惨めでダサくて苦しくなってしまって、別れたいと連絡をしたら、ずっと好きだったけど伝えられなかった、私も誕生日やクリスマスにどこへ行こうか考えていたし、他の人とは違って本当に私を好きでいて大切にしてくれていると感じ始めていたのに、突然の別れ話で整理がつかないけど分かりました別れましょう、と言う旨で返ってきた。
結局、自分の勘違いで、なんとなく絶妙なバランスで続いていた関係がぐちゃぐちゃになってしまって、呆気なく終わってしまった。
子供の頃から今でもずっと好きだったのに、自分の勘違いでこんな散々な最後になってしまって、本当に人生で一番の最悪な気分だ。