はてなキーワード: 意匠とは
ついでに未来の話を聞きたい。よろしければ。
クレヨンとかでコンセプト画を描く。
下っ端が実図面に起こす。
ザハ・ハディドなんかはトンカチ一つ持ったことがないから、下っ端に完全おんぶにだっこ。
日本人は、そういうセンセイの立場になるまでに下積みなしということはまずないので、
これはもちろん例えで、
コンセプト・構造・意匠を統合して立体構築する頭脳労働=プログラ厶の設計
ということになろうかと思うが、
建築の場合やっぱり下から全部やった人がクレヨン握らないといいものができない。
ザハ・ハディドなんかはどっかの独裁国に馬鹿げた「作品」作っただけで先進国ではついに通用しなかった。
プログラミングはどうなのかな。
神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。
境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。
…
夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。
蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化のポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。
しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的な意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所でしかない。
…
神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。
俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客も大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。
俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下は南側と北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。
…
この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。
虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。
蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。
お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲をホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。
「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。
庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである。
美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。
…
風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要なものだから、火には注意しているのだろう(法律的に必須なのかは知らない)。
同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。
俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。
主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである。
皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性の世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。
人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。
それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。
どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツヒラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのだから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。
そういう意味では、自然界の営みによってシンボルが物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教はシステムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。
…
で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念や言葉、ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。
心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。
仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツが必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである。
ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈が破綻してしまう宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。
…
いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである。
…
正しいかは知らない。
…
何年か前に泊まった旅館は山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。
要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。
道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。
当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。
厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。
俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。
ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界だからしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和としか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑
スペイン・バルセロナの老舗食料品店が、商品を購入しないまま店内で記念撮影に興じる観光客に業を煮やし、入店料を徴収することを決めた。
アシャンプラ地区にある「カビウラス・ムリア」は1898年創業の食料品店で、キャビア、高級ワイン、燻製肉、少量生産のチーズなどの高級食品を扱っている。
店には、カタルーニャのアールヌーボーとして知られる芸術様式、モデルニスモの建築意匠を目当てに多くの観光客が訪れるが、その財布を開くことはほとんどない。古風な字体で店名が記された木造の外観や、外壁を飾る色ガラス製のレトロな商品広告、マホガニーの棚に所狭しと商品が並ぶ店内に、感嘆の声を上げ、写真を撮るだけだ。
店の経営者は、外観や内装の美しさがもたらした名声を誇らしく思っている。だが、カメラに向かってポーズをとるばかりで何も買わない「客」が増えすぎ、手に負えなくなってきた。
そして、このほど店の入り口に、観光スポット気分でやって来る観光客を思いとどまらせる看板が登場した。「店内見学のみの場合、1人5ユーロ(約790円)いただきます」と書かれている。
店長のトニ・メリノによると、入店料を徴収された人はまだいないが、買い物をする気がないのに店に入ってくる観光客の数は大幅に減ったという。
建築家の「風景学」みたいな論ってぜんぶこけおどしのハッタリやねん。ただのクソポエム。
香山リカの「社会を対象とした心理学」みたいなエセ学問やな。学問的な体系も方法論もなにもない。
建築意匠屋さんはそんな都市とか歴史、政治みたいな大きなものを相手にした勉強しとらん。建物一個の見栄えをオシャレにするプロでしかない。そしてもっと広範囲、街全体任せてくれたらもっと混じりっ気なくオシャレになるのにと素朴に思ってるだけ。
(内藤先生が手掛けた鳥羽の海の博物館でも見に行ってみればいい。と〜ってもオシャレで何もない誰もいない、THE田舎のハコモノ)
そういう人が素人ならではの大風呂敷を広げて「いくじなしの光景」みたいなスカスカのコピーをいろいろ考え、ド素人が口真似するわけや。
離島とか山陰あたりの漁村とか行くと風景が根本から違うよな。誰かが賢しらにデザインしたのではない、生活上の要請から出来上がった建築様式。カッコつけた言い方だと「ヴァナキュラーな意匠」とか言ったりする。
基本的に第一次産業しかなく、つまりみんな同じ暮し方で、同じ材料と技術で作られることによる統一感。美しい。
そういう辺境に残るヴァナキュラは、ほんの少し前までは日本中にあった。
それがメーカーハウスやロードサイドの吉牛やブッコフの看板の「ファスト風土」に塗りつぶされてしまった。けしからん。残念だ。……みたいなことをいう「専門家」がいて、その浅薄な論をさらに単純化した俗論に行政や一部一般ピープルが踊る昨今だ。
土地ごとの伝統や個性を大事にしようとかいって京都ではローソンのカラーをシブくしたり倉敷では公共建築をやたらなまこ壁柄にしたりする。そんなの単なるハリボテだよね。
「生活上の要請による様式」を、生活が変わったのに形だけ保存することには意味がない。
ベッドタウンやロードサイドの光景だってリアルな人々の暮らしの反映であって、見方によれば美しいとすら言える。
さらに言えばベッドタウンや団地自体がいまや高度成長時代の歴史遺産になりつつある。
消えつつあるものだ。
風景は人の都合でどんどん移ろうものだし、どのように変わってもそれは基本的に「いいもの」だ。人間の暮らしがそこにある限りは。鳥の巣やアリの巣がどっかおもしろいように人の巣はおもしろいし、正しい風景とか間違った風景なんかないんだよ。
6年前、初めて前作に当たるBotWをプレイしたときの思い出は、40年あまりの人生の中でも最も輝かしく、美しい経験として胸に刻まれています。
ゲームを終えるのが惜しくて、クリアしてからもハイラルのすみずみまで見て回り、コログを収集し、何度も同じ敵と戦い、実況プレイ動画を見続けました。
その結果、ほんの少しマンネリを感じるようになりました。記憶を消してもう一度最初から楽しみたいと願っても、出来るはずもありません。
続編の制作が発表されたときは、天にも上る心持ちでした。それからの4年間は、本当に長かった。
一緒にハイラルを駆け回ったとき小学生だった息子は、高校生になりました。
果てしなく期待のハードルが上がる反面、あまりにも任天堂から発表される情報が少なく、飢餓状態は疑心暗鬼を産み、不安が高まってきました。
開発が難航しているのか?飽きるほど遊び尽くした同じハイラルで、同じ主人公、同じ敵、同じゲーム機での同じ遊びではマンネリを感じるのでは?期待と不安が入り交じる中、ついに発売日を迎えました。
5/12午前0時、夜更かしの息子が見守る中、ドキドキしながら起動します。
前作から見事に接続されたストーリーデモのあと、リンクがスカイダイブしながらタイトルロゴが表示されたとき、思わず涙ぐんでしまいました。
降り立った空島での感動は前作での始まりの台地に匹敵するものでした。
息子に早く寝て明日自分の手でプレイするよう告げたあと、私は朝までプレイし続けました。
刷新されたゲームプレイメカニズムの見事さ、それを理解させるチュートリアルの自然さへの称賛は他のレビューに譲るとして、特に目を見張ったのは生きた世界を構築するために貫かれた美意識の高さです。
よく知られるようにスイッチの性能は時代遅れと言ってよく、精細さや滑らかさでは最新のゲームに大きく劣ります。
しかし、限られた性能で何を表現するか、その取捨選択自体に美学が感じられ、見せたいものが散漫にならず明確になっています。
自然の中で朽ちていった壮大な古代遺跡の様式が動植物の生きた風景のなかに垣間見えるさまは、未知の世界を冒険するワクワクに満ちています。
「底抜けの洞窟」に入ったときのワクワクは前作における最上のワクワクと同類のものです。祠内部の意匠と質感は上質な工芸品のようです。
一方で正直に告白すると、空島を飛び出して見慣れたハイラルの大地に降り立ち、あまり変わり映えのしない風景のなかでボコブリンと戦ったとき、既視感と多少の退屈を感じ上述の不安を思い出しました。
一旦ここでプロコンを置いて休もうかと思った矢先、前作にはなかった洞窟を見つけました。
1時間後、私は真暗な深い穴の中で見たこともない奇妙な植物に囲まれていました。
数時間後、私はこの代わり映えのしないハイラルの景色が、今すぐにでも再訪問したい、気になるスポットだけで満たされていることを確信していました。
そこからは、BotWで何度も味わった「行きたいところが次々と見つかり続けて辞め時がわからない」状態のループになります。
生活に破綻をきたし、妻の機嫌が悪化していきますが、この上なく自由で幸福な時間です。
発売前に私を不安にさせたのも、いったん既視感と退屈さを感じさせたのも、全てはこここからの感動の前フリでしかなかった。
何より嬉しいのは、この状態があと数十時間は続くことが保証されていることです。
限られた人生の時間を消費するに値する、無駄と感じないゲーム体験には、中年を過ぎると滅多に出会えなくなります。
そんな身勝手な私の高過ぎる期待のハードルを軽々とクリアし、想像もしていなかった驚きを次々と体験させてくる制作チームの偉業にはいくら賛辞の言葉を並べても足りません。
こんにち世界中で途方もない費用と時間と人材を費やして作られているAAAゲームでさえ、このようなワクワクと達成感と感動(人生において最も大切なもの)を与えてくれることは極めて稀であることを考えると、このチームがクリエイティブの魔法を維持し続けていることは奇跡としか思えません。
再び息子とハイラルでの出来事や発見を語り合える日が訪れたことが嬉しくてたまりません。
ファミリーマートに入った時になるメロディはファミマ特製のものではなくて、パナソニック/ナショナルが1982年から作っている赤外線入店センサー、メロディサインシリーズ。
EC5117/EC5227/EC5347型。一番安いのは4000円。
東京などJR東日本の駅には緑の文字盤の時計が吊るされていて、JR東のコーポレートカラーの緑の特注品に見える。
しかしこれはSEIKOの親子時計(駅や工場など時間狂いが許されない箇所に使われるシステムで、正確な親時計が30秒or1分毎に指令を出して子時計が運針する)のうち、バックライトがなくても視認できる蛍光塗料を使った商品で特注ではない。つまりは目覚まし時計が緑なのと同じ。
無印の横長で四角い「駅の時計」は国鉄ものと誤認されがち。だが国鉄は秒が刻まれた時計を採用していたので間違い。
目盛りが分刻みのあのデザインを使っていたのは地下鉄の交通営団。天井の低い銀座線、丸の内線で使っていた。
名古屋でもういろうは売られていたが、ういろうの名産地と言ったら小田原だった。
だが東海道新幹線が開業すると、ういろう販売店の内、名古屋の青柳総本店だけが車内販売権を獲得。当社は電車が名古屋を出ると「名古屋名物ういろう」と売りまくったためにういろう=名古屋と利用者に刷り込まれた。
漢の時代の中国で四季に合わせて漢詩を詠む事が教養となり、それを日本も倣った。漢詩→和歌→俳句→散文と受け継がれ、風流と教養から手紙の頭などに必ず季節を入れるのが常識となった。
この為に日本の特徴的な季節である梅雨などは無視されるか夏に入れられている。
梅雨前線が停滞することで起きるので青森~台湾~中国沿岸部しか梅雨にならず、中国沿岸部の梅雨は軽度でしかなかったため。
商店街が銀座を名乗るのは賑やか、高級のイメージと思われているが、最初に銀座を名乗った戸越銀座がそう名乗ったのは本物の銀座で使われていた煉瓦を舗装に使ったため。
関東大震災の復旧で銀座の舗装をやり直す事になり、それまで使われていた煉瓦の敷石が戸越に譲渡された。戸越は煉瓦舗装で雨の日でも泥まみれにならなくなったので「戸越銀座」を名乗った。つまり銀座の根拠は煉瓦舗装。
ペリーの黒船は蒸気機関車と混同されて鉄製+石炭蒸気船のイメージがあるが、木造の帆船。
木に腐食防止のコールタールを塗っていたので黒く、普段は帆走していて港での移動にのみ蒸気機関による外輪を補助的に使っていた。
昔のヨコハマタイヤが看板広告に使っていた、タイヤの中に濃い顔があるデザインは頭おかしい系怖いデザインとして有名だが、実はヨコハマタイヤの意匠ではない。
アメリカのBFグッドリッチ社がディーラーサイン(取扱店)として配布していたもの。(The Smileage!)。だからヨコハマタイヤのも取扱店の目印で、大村崑のオロナミンCホーロー看板と同じ。
BFグッドリッチが使っていたのは戦前~戦後初期と古く、また白黒イラストに赤文字だったのだが、戦後下ってから何故かヨコハマタイヤが色付けして復刻。その姿で多くの幼子を泣かせた。
錆びると紫外線遮蔽力が弱い白目部分と赤い唇の塗料が先行して剥げ易く、目と口から赤い錆汁を垂らすようになる。サイレントヒル。
尚ヨコハマタイヤは古河財閥とBFグッドリッチの合弁。戦争で関係が切れていたが戦後に関係が復活したのでキャンペーンデザイン統一した意味があったのかもしれない。
BFグッドリッチ社はオーチスエレベータ等も擁するユナイテッド・テクノロジーズ社に吸収されて消滅。タイヤのBFグッドリッチブランドはミシュランが持っている。
google:image:BF GOODRICH TIRES SMILEAGE
新幹線は固有名詞になっているが、元は単に幹線鉄道に平行する新しい幹線、って意味。
元は瀟湘八景で、中国湖南省の水郷地帯を季節を違えて八か所描いた山水画。
「四季」と同じくこれが日本で教養化されたもの。元が侘び寂び的であるので日本で更に洗練された。
山水画だけでなく連句を詠む/選ぶ、散文に登場させる、浮世絵、写真、単に選ぶなどのスタイルで流行した。
晴嵐、晩鐘、夜雨、夕照、帰帆、秋月、落雁、暮雪のテーマをなるべく入れる事が求められ、何も入っておらず単に綺麗な景色8選だと無教養と評される。
金沢八景は全八テーマが網羅された景色であり、多くの漢詩や俳句や浮世絵が作られた。
当地は沈降海岸(リアス海岸)で入り江と小さい島が多く松島のような絶景で富士山詣での返りにわざわざ訪れたりするほどの景勝地だった。
後に埋め立て等で景色は全て失われて八景の由来も判らなくなったが、「眺めが素晴らしい金沢」みたいな駅名である。
だがその駅により周囲の埋め立てが進んで八景が無くなったのだから皮肉である。
数年前の鬼怒川決壊氾濫で、過去にも「鬼が怒った」ような暴れ川だったと考える人が居るが、単に鬼怒川の源流付近を昔「けぬ」と言っていたからである。
前橋から奥日光、群馬から栃木西側に掛けてけぬ(毛野)と呼ばれていた。後に上野国(こうづけのくに)下野国(しもつけのくに)となるが、読みの「こうづけ」の「け」は「けぬ」の「け」であって、漢字の方で脱落してしまったもの。
ビショーネという。google:image:biscione
故安倍晋三前総理も若い時に乗っていたというアルファロメオのエンブレムには十字架とビショーネが描かれているが、これはアルファの象徴という訳ではなく、都市国家ミラノを支配していたヴィスコンティ家の紋章である。
ミラノの商人や貴族はビスコンティ家より紋章が描かれた皿を下賜され、忠誠の証しとして家に飾っていた。
余談だが安倍総理が乗っていたアルファは年代的にアルフェッタという車種と思われる。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/1978_Alfa_Romeo_Alfetta_GTV_%287254572400%29.jpg
実はこの年代のアルファはソ連製鋼板の品質に由来する品質問題を抱えていて評判を低下させた時期である。自動車用鉄板は防錆の為に亜鉛メッキされているのだが共産国ソ連の生産管理のダメさによって亜鉛メッキがちゃんとされておらず錆だらけになってしまう。
なぜソ連製鉄板など使っていたかというとデタントでソ連との交易を増やそうというイタリア国策である。だがこれはイタリアが東寄りだったいう訳ではなく旧枢軸国の独裁国でフランスなどに経済制裁されていたスペインにも工場進出しており単に節操がない。
当時日本の鉄鋼が米国を打ち負かす程の伸長をしており、日本製鋼板を使っていればこんな事にならなかった。アルファに乗っていた安倍氏は卒業後に日本の鉄鋼会社に勤めていたというのが皮肉である。
あと一つ入らないから続く→https://anond.hatelabo.jp/20230613182714
日本人の文化論について聞く話で、一見もっともな言論に見えるがよく考えると色々疑問点があるものがある。
ネットで見かけるような
「日本人は海外の文化を取り入れることが出来る」「日本人は海外の文化を取り入れる能力が高い」
というのは疑問に思っており
そう思った理由だが
一つは文化融合はどこの国でもある程度見られているのではないか?という気がする。
例えば寿司でいうカリフォルニアロール。
もう一つ
海外の文化を取り入れることが出来るならば日本が欧米化するんじゃなくて
海外の食べ物が日本で手を加えられ全て和食化したら説得力もあるのだが、現実には日本国内で和食の消費量が減っていることが食育上の問題になっている。
日本人は海外の文化を取り入れる能力が高くないか、そもそもそのやる気があまりないのではないだろうか。
文化とは言えないがカタカナ語もそうで、翻訳を行わない時点で英語を日本語に吸収することをしていない。
このような主張をされる方はどのような方なのか疑問に思う。
文化を完全に理解しろというのならば文化の良さを理解する人も、楽しめる人も減るし、新たな種類も生まれない。
「面白そうだから」「興味を持ったから」「とりあえず雰囲気だけでも楽しみたい」「子どもにも見せてあげたいので残したいね」そういう楽しみ方や保存もたくさんあるべきだ。
アニメや漫画界で昔風にいう「ニワカファン」を排除したら作品が広まらないと思う。
これは極論ではないだろうか?
新しい日本料理を生み出すために他の国の食べ物を食べる必要はあると思う。
ただ、和食の消費量が減っていくのは別問題で、そこまでする必要はないはずだ。
というより今ある文化が消えていく、衰退していく事を許容してしまうなら今新しい文化を生み出す必要はなんなのだろうか。
今新しく作った文化は将来は消えても構わないって言っているようなものではないだろうか。
本末転倒だと思う。
ただ無くなるとか壊れることではなくて、新しい種類の登場として変化に関しては賛成である。
アニメキャラが描かれた痛絵馬など素晴らしいではないか。どんどん新しいことに挑戦したい。
なぜ自然に残ることが正しいのだろうか。
ゲームでもなんでも作品自体は良いのに売れなかったり続編が登場しなかったものは普通にある。
「良い」と「残る」は別だ。
ブコメでも確かこういうのがあった。
ビビるよな。
「視覚障害者は這いつくばって歩いているから触って点字ブロックの違いに気づくと思っている」
「視覚障害者が白杖から得る情報量は非常に多く杖ごしでも点字ブロックの形がアンパンマンだと分かると思っている」
前者だとしたら、ソイツは街を歩く視覚障害者が一切目に入ってないということなのでマジでヤバイ。
後者だとしたら、そんな達人じみた技を視覚障害者が持っているのを知らなかった俺が恥じるべきなんだろうな。
杖ごしで感じられるのはせいぜい特記全体の大きさぐらいだと思って見くびっていた。
神経が通っているわけでもない杖で撫でるだけで物の細かい意匠が完全に分かるというのなら凄い話だ。
原理をぜひ知りたい。
書いてるうちに最悪な考えに気付いてしまった。
「視覚障害者でも形が若干違うのは杖越しに分かる。そのあと這いつくばってその形が何であるかを確かめるはずだ」
である。
おぞましい……視覚障害者が自分たちの命綱である点字ブロックの上に安易に這いつくばるとでも思っているのか?
後ろから別の視覚障害者が来ていたら邪魔になるから普通ならそんなことはしないだろ。
そんなのより杖で異物に触れた瞬間の恐怖のほうが大きいだろ。
こんなもん解説の点字ブロックの中で「。」の代わりにアンパンマンの顔が使われているのがいくつかありゃいいんだよ。
なんで点字ブロックでやるんだ。
日本返還前占領中の沖縄で米軍放出品のオイルを使った天ぷらがあったっていうのは結構有名なトリビアなんだが、これが「モービル1を使った」って変換されて流布されてるのをよく見るのだ。例えばこの増田のブクマとか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221221194930
自分はモービル天ぷら見た事もないんだけど、この正体は判るのでちょっと解説したいあるよ。
因みにモービル1は沖縄返還後の1974年に市販開始された化学合成油で、鉱油が基油なので摂取すると死んでしまう。
結論から言うとモービル天ぷらに使われたのはひまし油であると考えられる。
一般的な機械潤滑油というのは石油を蒸留して作られる「鉱油」だ。原油を蒸留すると上の方からガソリン(の気化ガス以下同じ)-灯油-軽油-重油-鉱油-アスファルトという風に分離するのでそれを冷やして液体として回収する。
ガソリンや灯油、軽油を燃料として使うと鉱油も沢山出来るのでこれをエンジンオイルに使う訳だ。こういう風に出来た鉱油をそのまま使う時代は原油の産地によって鉱油の質が違った。
この方式で格段に質が良かったのが米国のペンシルバニア産で、例えばPennzoil(ペンゾイル)っていうオイルブランドなんかはペンシルバニア産を誇った名前なんである。黄色地にヒビが入った黒い鐘のポップな意匠でナスカーレースとかで見た事ある人も居るかもしれない。あの割れた鐘は有名な「リバティ・ベル」で、ペンシルバニアのシンボルで、アメリカ独立と奴隷解放のシンボルなんであるな。
ペンシルバニア産鉱物油の油膜特性は優れていた。油膜特性とは、高温で金属同士が擦り合わさっても油分が残り続けるって事だ。
だが、植物油であるひまし油の油膜特性はもっと優れている。エンジンが高温になってぶん回されるレースや航空機のレシプロエンジン、ターボエンジンなどではひましじゃなきゃダメ、ていうシーンが多かったのだ。
因みに他の植物油ではダメである。例えばサラダ油である大豆油は中華料理屋のキッチンを見れば判るが、料理程度の温度(200~300°)で酸化重合してしまう。固まってしまうのだ。亜麻仁(アマニ)油は常温でも酸化重合する。オリーブ油はサラサラし過ぎて機械の油膜保護は無理。菜種油(キャノーラ油は菜種油を品種改良で毒性を除去したものだ)は安い機械油であって飛行機などのエンジンに入れるのはもってのほか。
この高性能っぷりにあやかったオイルメーカーが「カストロール/Castrol」でcastor oilの事である。
どんだけ高性能かというと、1995年頃までレースに使われるのはひまし油一択という感じですらあった。カストロールのR30というオイルが有名だ。
こんな高性能ひまし油だが、植物油である為に弱点もあり、寒くなると固まってしまう。だから使用前に保温が必須で、冬にエンジンに入れっぱなしで冷えたエンジンを始動するみたいな使い方は出来ない。固まっているのでオイルが流れずに焼付き事故になってしまう。
次に、酸化し易い。脂肪酸なので酸素と結びついて重合し、固まってしまう。
だから缶詰に入れて保管し、使用直前に缶切りで開封して入れるという使い方になる。使用後、レース終了後や飛行機の着陸後はそのままにしておけず、抜き取りと洗浄が必須だ。でもレース車はレースごとにエンジンオーバーホールするし、飛行機、特に軍用機は飛行ごとに重整備もするのでこれもさして問題が無い。B29なんてフライトごとに全エンジンを新品かオーバーホール済み品に交換していた。
こういう感じなので街乗りの車などに使うのは難しい。
そしてオイル缶詰も未開封であっても酸化重合で粒状の塊が出来てしまうから、製造から数年の「消費期限」がある。戦時なら飛行機がどんどん飛んで消費されるが、平和になれば消費量は減る。
でも有事に備えて備蓄は必要だから期限切れのオイルが沢山出る→放出品になるという訳だ。
だから鉱物油の放出品というのは余り無かったが(消費期限なんてほぼ無いに等しいから)、ひまし油の方は未使用品がどんどん出てきたはずだ。
薬局でほう砂とかクレゾールとかグリセリンとか塩化ベンザルコニウム液とか古いアイテムを置いてある所にはひまし油も置いてある。
これはひまし油が昔から便秘の薬として利用されてきたからで、日本薬局方に収録されている。
日本薬局方ってのは漢方とか蘭方とかと同じで、薬のレシピを国が指定してあるもので、同名称品ならどの会社のものでも同じ内容のものが流通している。
日本人と言わず、世界中の文明ではひまし油=便秘薬であって、摂取すれば下痢しまくるというのは常識として共有されていた。
そしてそれは毒性があるからなのだが(タンパク質毒)、その毒性はちょっとぐらいじゃ死にゃしねぇってくらいって事も共有されてきた。
って事で、米軍がオイル缶を頻繁に放出して、castor oilと書かれていたら、「これってひまし油じゃけん。天ぷら油が無いが、これで天ぷらしたらどうか?下痢しまくるが死にゃあせんべ。」と沖縄人が考えたに違いない。自分が沖縄人ならきっとそう考える。
前述のように25年前まではレース=ひまし油(というかカストロールR30)一択みたいな感じがあったんだが、今ではR30もディスコンになってしまってサーキットで使ってる人もいなくなった。
だがその前の時代のサーキットは独特な香ばしい匂いがする場所で、それがひまし油のR30が燃える匂いであった。
今この匂いを嗅ぎたいと思ったら、河原で模型飛行機遊びしてる人が多い場所や、カートサーキット、ミニバイクレースサーキットがお勧めだ。
後者のサーキットは東京北部だと埼玉県の秋ヶ瀬公園隣にある秋ヶ瀬サーキットなんかが近い。浦和所沢バイパス、通称浦所の隣にあるのでちょっと道を外れて河原に下りると灼けるような匂いがしてくると思う。
因みにレンタルカートは4ストロークで遅い上にあの匂いがしないので注意が必要だ。これは本物のレーシングカートは2ストで、潤滑に使うオイルをガソリンに混ぜて燃やしてしまう為だ。だから灼ける匂いがするのだね。
焼きおにぎりと小海老天とエビフリャーとお好み焼きとごま油多めチャーハンとビーフステーキと新品のオーブンに火を入れた時の匂い混ざったような香ばしい匂いだ。
今はカストロR30も無くなってしまったが、薬局に行けばひまし油は売っているし、amazonドラッグストアでは500mlや1Lのものも売っている。こういう大きいのは自家製化粧品で使うようである。
ひまし油100%であれば用途外使用だが2ストエンジン潤滑油として使っても大丈夫なはずだ。
また、azという潤滑油メーカーはMEG-004 Circuitというレース用潤滑油をだしている。
また、広島高潤というメーカーは「ひましじゃけん」というひまし油ベースの化学合成油を出している。なんだその商品名は。高い商品なのに…
http://www.kz-hiroko.com/?pid=98820823
このうちひましじゃけんは化学合成で成分をいじってあるので危険だが、残りはひまし油100%なので、こいつらでモービル天ぷらを再現することは可能だ。
なので、次はモービル天ぷらの体験リポートを投稿したいと考えているが、激しい下痢やばらむつ油の無意識漏出のような社会的死を賭してのチャレンジになるので慎重に行きたい。
モービル天ぷらの趣旨を考えると日本薬局方のひまし油じゃなくてAZ MEG-004 Circuitの方でやるべきだろう。
もし「食用ではない油で天ぷらして死亡」のようなニュースが流れたら、量を食べ過ぎるほどサーキット天ぷらは美味かったのだな、とか、あれほど自分で書いてたのにひましじゃけんでやっちまったんだな、と思って頂けたら幸甚である。
一円玉・五円玉・十円玉・五十円玉・百円玉・五百円玉の6種類の硬貨が日本にあるが、その中でも特に五円玉のデザインが好きだ。
まず色がいい。
金色だ。
金そのものを全く含んでなくてもだ。
それに穴があるのもいい。
穴によって硬貨らしさがより高まっているし、見た目や手触りで判別性もある。
かつては穴にひもを通して硬貨を持ち運んだり保管したりしていたそうだ。
文銭を1000枚紐で通したものを一貫文と呼んでいたのだ。
さすがに現代において硬貨に紐を通す人はいないと思うが、それでも穴のある方が硬貨としての機能美を感じられる。
同じ穴のある硬貨に五十円玉があるが、デザイン面ではやや残念なところが多い。
表面のデザインは見事な菊が書かれているものの、真ん中の穴によって左右に分かれてしまっているのが残念だ。
裏面のデザインでも、百円玉と同じで額面を示すアラビア数字と発行年が書いてあるだけの味気ないデザインとなっている。
一方で五円玉はどうだろうか。
穴を意匠に利用する発想も素晴らしいが、歯車で日本国の工業を示しているのもいい。
穴によってデザインが阻害されている五十円玉とは大違いだ。
そして、下半分は横線で海を表現しており、上半分は頭を垂れた稲穂が描かれている。
日本のことをよく知らない人に対して、五円玉の表面を示すことで様々なことを伝えることができる。
稲穂の頭を垂れた形が、真ん中の穴(歯車)に沿ってきれいに収まっているのは意匠の妙だ。
五円玉の裏面のデザインはシンプルだが、両サイドに描かれている双葉が良いアクセントになっている。
五十円玉や百円玉の裏面が、のっぺりとして味気のないデザインになっているのとは一線を画している。
わずかな意匠によって全体を引き立たせているのは、女性用ショーツにおけるリボンに相当するといっても過言ではない。
双葉は、第二次世界大戦を終えた日本が民主国家として新たに萌えゆくさまを象徴しているという。
現在流通している五円玉の発行開始は昭和34年だが、デザインは昭和24年発行開始の旧五円玉をほぼ引き継いでいる。
旧五円玉は書体が楷書体で筆で書いたように見えるから、フデ五と通称されている。
他の違いは、裏面の日本国の「国」が旧字の「國」になっているだけである。
現在流通している硬貨の中でデザインが最も古いのは五円玉である。
ちなみに、旧五円玉の発行当初は、旧日本軍で用いられた薬莢や弾帯をスクラップして鋳造された五円玉も多かったという。
五円玉のデザインの素晴らしさはもはや語るまでもないことだが、発行開始当初の鋳造過程を鑑みても、当時から日本国の貨幣としてふさわしいデザインだったことは想像に難くない。