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はてなキーワード: 民族とは

2018-07-22

最近デレステとかアイマス問題を見てどうすれば解決、いい方向に行くのか考えてみたけど

砂漠化、熱帯林破壊人口爆発民族対立などの中南アフリカの抱える多くの課題、それらを乗り越えてどう経済発展していくべきなのかを考えた方が3000倍マシだと気付いた。

民族文化国境の壁を超えて人類ひとつになるべき

但しヤクザは除く

入れ墨タブードレスコード」と言われたとき全く反論できなかった

https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180719-OYT8T50020.html

入れ墨の人は温泉銭湯に入場できないという記事話題だ。

以前この話題について知り合いのドイツ人に聞いてみたら、

ハハハ入れ墨というファッションによって客が制限されるのが差別だというなら、

 世界中ドレスコードのあるレストランはどうなるんだい?

 ドレスコードはもともと西洋で生まれ概念だよ。

 国や民族によって正装が異なるといっても、どこかの部族が半裸で局部だけ隠した衣装が正装だと言い張っても、

 それはやっぱり断られるだろう?」

と、さも当然のことのように言われて何も言い返せなかったは……

2018-07-21

薄々気づいてきた いくら子供をダシにしても日本教育現場が変わらない理由ってさ

そもそも日本人価値観だと

子供価値が低い」からだよね?

 

そんなアジア人(日本人)の子供は可愛くもないし

尊重すべき存在でもない

死んだら次産めばいいし

どうせDQNポコポコ産むでしょ?

長期的視野民族レベルで無いか

来年金を払ってくれるということも分からない

国を存続させる人材としても捉えない

でも大人性的搾取ロリコン趣味には使います

って具合にさ

 

例え子供であろうと

個々の権利尊重されるべきと考える欧米と違って

子供家族を存続させる、たかが一要素でしかない訳だよ 日本人にとっては

 

からいくらエアコン甲子園で喚いても無駄

根本的に子供価値はない

じいさんのじいさんによるじいさんのための国だから

在日コリアンって消えゆく種族だよ

だいたい日本人結婚する → 子供日韓(朝)ハーフということになるけどほとんどの親が日本国籍にする

って流れで、どんどん数が減ってる。

日本国籍にすると民族アイデンティティーみたいなのもほとんど失うようだ。

関西在日コミュニティーを離れて東京で家庭を持ったりすると、もうキムチとか漬けなくなる。

そりゃあ民団総連活動を熱心にしているハードコアな方々は国籍を維持して世代を重ね続けるのかもしれないけど、

ごく少数になって政治ビジネスへの影響力としては在日ミャンマー人とかと同程度の存在感になるんじゃないかな。

在日20年ぐらいネット大人気で、日本支配する闇の勢力だったり、迫害に抗って民族アイデンティティーを保つマイノリティー闘士だったりしてきたけど、

実態としては、あと1、2世代でいなくなる滅びゆく種族なわけで、遠から時間が「解決」するのに在日日本の大問題みたいに語る人々を見るとなんだかなと思う。

2018-07-20

anond:20180718013950 anond:20180718024831

元増田です。

読んでくれてありがとうございます。ここまでレスが付くのは想定外でした。おかげで自分が言いたいことがわかってきたような気がします。

せっかくなので、演歌批判と、横増田のいう「除霊」について、適当なことを書いてみます

いろいろ書いてきてこういうこと言うのはなんなんですけど、個人的には、モダニズムだとか民族伝統というもの自体はどうでもいいことのような気がしています

自分に信念があるとしたらそれは、音楽にまつわる問題は(反社会的でないかぎり)できるだけ個人的な好みの問題として処理したい、という感じになると思います

演歌の成立過程研究するのはいいんですけど、「学者」ならそれが安易ジャンル叩きにつながらないように注意するべきなのではないか、という思いがあります

まあ自分学者じゃないのでよくわからないですが。

かに演歌というジャンルには、非合理や勘違い思い込みがあると思います。でもそんなのって、どのジャンルでも同じですよね、質が違うだけで。

そもそも音楽というもの自体が非合理や勘違い思い込みにまみれたもののはずです。

なのに、明らかに人気が下火の演歌「だけ」を、非合理だという理由でたたくような空気が「音楽学」の名のもとにつくられている。



あとやっぱり、繰り返しになるけど、ネット上の演歌叩きの空気が気になります

演歌日本の伝統ではない」というふうに言ってる人たちのほとんどは、それがナショナリズム批判だと思ってるふうな感じです。でもそれっておかしいですよね。

演歌はニセモノの日本の伝統

という命題を成立させるためには、

「ホンモノの日本の伝統がある」

という命題必要です。

から、「演歌はニセモノの日本の伝統」という主張をするということは同時に「ホンモノの日本の伝統がある」と言ってるのと同じです。

おもいっきナショナリズムです。




いや、もし仮に、

「ホンモノの日本の伝統とはこれである理由はこれである。ゆえに演歌日本の伝統ではない」

という主張であれば、ひとつ見解としてそれでいいんですけど、そんなことを言ってるひとはいないですよね。

まりネットのひとたちは、無根拠に「ホンモノの日本の伝統がある」ということを自明の前提としておきながら、

演歌日本の伝統」はナショナリズムだ、とかいってるわけです。


そういう空気音楽学の名のもとに作られているのだとしたら、それこそプロパガンダ的だと思うんですよ。




でもなんか、書いてるうちにどうでもいいことのような気もしてきたので、とりあえず演歌批判批判はここまでにしときます







増田除霊については次回。

anond:20180720000214

ソ連中国でも、少なくとも建前は民族自治だよね。

日本共産党も、アイヌ沖縄への配慮が強いよね。

右翼」、国家主義国粋主義皇国主義を、民族主義と取り違えている人は多いけど、日本人って民族ではなくて国籍なんよね。

2018-07-19

anond:20180719094023

やはり日本人ってなかなか頭のいい民族なんだろうね。

色々な言葉色々な場面で色々と都合よく用いて色々な事柄コントロールしてる。

2018-07-18

anond:20180718024831

増田の方です。なかなか分かりづらい文章だと我ながら思ったけど、読んでくれてありがとう

そして元増田もこんな俺に付き合ってくれて嬉しいなと思っている。

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

対立構造という程のものではないけど、元増田増田(俺)の立ち位置はご指摘の通りだと思う。

ただ、強いていうなら俺もまた元増田と同じ事を考えていたし、その色々と調べるうちに

昔とは違う立ち位置にたどり着いてしまったと思っていて、だからこの辺の文献を読んでは

どうかという主旨の発言をしているつもり。あえていやらしい言い方をすると、先輩ぶっている。

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

それについては明確に違うので俺の言い分を書いておきたい。

俺は日本人だが、やはり当事者自身日本文化を取り扱う事は大変に難易度が高いと思っていて、

研究に目を通す事は多々あるけれども発信はしていない。日本文化について言及する事を意図的に避けている。

レヴィ=ストロースのいう所のメタ視点自分自身とほぼ接点のない文化に対しては適用できても、

自らに適用する事はそう簡単ではない。だからはっきり言ってしまえばポピュラー音楽研究界隈が

あえて日本文化に切り込んでいくのを、民族音楽学者は指を咥えて見ているという状況が続いて久しい。

元増田が挙げる輪島さんにしても、増田さんにしても、二人ともポピュラー音楽研究界隈の人だ。

彼らは大衆流行や、何となく時代雰囲気分析する事に特化しているので遠慮なく物申せる部分がある。

だが民族音楽学者は違う。人間社会の織りなす文化はどれも等しく価値あるよねという大前提に立っている。

はいいところ探しに特化しているので、雑な意見反論はしても発信自体にとても慎重だ。

これではいかんと重い腰をあげる動きもあるのだが、全体的にフットワークは正直軽くなく、

その点についての批判真摯に受け止めなくてはならない、という程度の後ろめたさはある。

自分の手持ち武器は当該社会に深刻なダメージを与えるかもしれない、そんな畏れが心の底にある。

ただ、だからこそプロパガンダ的な、意図的文化志向を捻じ曲げて指針を示すような言説にはとても厳しい。

日本には侘び寂びの文化があるとか、礼儀作法を大切にするとか、伝統を重んじるとか、

何言ってんだこの野郎と率直に感じる。ごく一部の慣習を民族全体の伝統に置き換えるのはあまり乱暴すぎるのではないか

嘘で自分を着飾って自尊心を満たす事ほど愚かしい事はない。

もっと雑多でぐちゃぐちゃで日和見主義で、醜い部分から目をそらす事も多々あるだろと。

どんな事から目を逸らしたいのか、何を受け入れたくないと感じる美意識規範、無言の空気があるのか。

そんな部分も含めて全てを率直に受け入れつつ、肯定的評価していきたいというのが

俺や他の民族音楽学者の立ち位置だと思う。

除霊方法が聞きたいんだ。

からね。本当の事を言うと除霊は俺もできてないんだ。

自らのフィールドワーク体験からメタ視点については理解した。

でもそれを自らに適用する事はこの上なく恐ろしい事だ。

伝統について考える

増田トラバーの方々とかぬかしてるけど、長文でマウンティングかましてるのは全部俺だぞ。

それはいいとして、元増田の疑問や問題意識にはあまり響いてないようなので、少し切り口を変える。

今日伝統について考えてみたい。

伝統定義について、手元の国語辞典をひいてみた。

伝統

(1)系統血筋を受け伝える事。また、その系統血筋

(2)前代から受け継がれてきた先人の経験事業など、その社会風習となって、さらにまた後人に強い影響を与えるもの

様々な試論はあるが俺個人の考えでは、いくつかの文化政治的経済的な諸々の要因と分かち難いレベルで結びつき、民族という単位でまとめあげられたもの伝統と呼ばれるものの正体なのだと思っている。

便利だから続けているライフハックの類は習慣と呼ばれるが、こちらには民族的な色彩はない。

伝統はそうではない。伝統は自らの民族を語る上で欠かせない要素であり、我々を我々たらしめるものだ。

そして我々と彼らを分け隔て、区別する為のものでもある...というのがギリシャ時代からの人々の認識だ。

しかし、伝統とは漠然存在するものではない。あくま異文化と接触して、彼我の違いを知り、

その違いこそが我らの唯一無二の価値だと見出すことなしには伝統という名を冠す事ができない。

から、常に伝統危機に晒されている。文化戦争だ。負けたら我が民族権威が失墜する。

そんな政治的経済的文化的な理由で弄ばれてきたのが伝統の正体なんですよというのが輪島さん達の考え。

そこまでは元増田も正確に読み取ってるなと思ってる。

では何が元増田問題意識根底にあるかというと、

伝統は良くも悪くも我々の根幹に関わるものである」というある種の信念ではないかい?

というのも、実際にそういう人達スポイルされた悲しい伝統というもの古今東西あって、

その問題提起が例の本だったと思うんだよな。

バルトークという作曲家がいるのだが、彼は作曲家であると同時に民俗音楽研究家でもあった。

今にも失われそうな子守唄労働歌、踊り、気晴らしの遊びや口説き歌など膨大な歌と音楽舞踊を採譜した。

それらの蒐集とそれぞれの作品分析を通じて、民族音楽とは何ぞやというテーマを深く掘り下げ、

彼らという民族民族たらしめるもの特定し、伝統という名のバトンの受け渡しの大きなうねりに作曲家として、愛国者として身を投じようとした。

バルトーク作品群の中でも編曲作品は明らかにこうした政治的意図を持っている。

しかし、彼の音楽研究は結局の所、労作であるハンガリー民謡を読めば分かる通り、うまくいかなかった。

暗雲立ち込める祖国の中で閉塞感を感じ、積極的に行ってきた民謡蒐集からもやがて興味を失い、

音楽ひきこもりといえるような苦悩を臆面もなく吐くようになってしまう。

追い討ちをかけるように、愛国者バルトークハンガリーウヨからルーマニアサヨから批判される事態に陥る。

ではどうしてバルトーク晩年にはそのような態度になってしまったのだろうか?

それは元増田と同じ事を考えていたからだと思うんだよな。うん。

2018-07-16

anond:20180716153407

https://www.jinken-net.com/gozonji/knowledge/0202.htmlによると、

私たちは、区別差別の違いを考えずに何でも差別だと決め付けてしまいがちです。 「区別」と「差別」は同じ意味でしょうか?

国語辞典によれば、

 「区別」は、「違いによって分ける」「区分け」「けじめ」

 「差別」は、「差をつけて取り扱うこと」「わけへだて」となっています

人権を考える場合は、次のように考えてください。

区別」とは、

十人十色といわれるように私たちはそれぞれ違った個性能力をもっています

区別とは、「男と女」「黒人白人」「日本人朝鮮人」といったように違いを表しただけのことで、地域生活においても、それぞれに違った特色が備わっている状態を言います

そこには、不当性不利益性を被る関係がない状態を表します。

従って、就職応募者に採用試験実施した際に、会社必要とする職種について能力や適性、試験の成績を総合して、上位から採用していくことは「区別」になります

差別」とは、

「本人の努力によってどうすることも出来ない事柄不利益な扱いをすること」をいいます

出身地」「職業」「学歴」「性別」「家柄」「民族」などによって、上下値打ちをつけ、その人や団体の自由権利無視侵害するなど不当性、不利益性を被る関係が生じることをいいます

ということで、人権を考えるサイトですらこのように違いをはっきりさせているのである

それを同じとする増田意見人権というもの勉強が足りない、残念な人間であるという事実けが浮き彫りになるのだ。

ちなみに参加企業はコチラ

https://anond.hatelabo.jp/20180605140738

ポリティカル・コレクトネス

全ての差別偏見を殴り続ける必要があるのか。大変だな。男女の扱いを均等にする。

看護師保育士キャビンアテンダント宝塚男子校女子高、歌舞伎相撲

差別偏見ではない合理的理由であれば、男女の区別をつけるのは、OKということか。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%AC

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness略称PCポリコレ)とは、日本語政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別偏見が含まれていない言葉用語のことで、容姿身分職業性別文化人種民族信仰思想性癖健康障害)・年齢・婚姻状況などに基づく差別偏見を防ぐ目的表現を指す

お前らこれでもヒトラーが間違ってるって言えるの?

民主主義多数決ほど、不合理な制度もない。

生涯を捧げて国家民族運命考察してきた天才の1票と、自らの人生にも責任を負わない判断能力のない馬鹿の1票の価値を同じと見ているからだ。

2018-07-15

ネトウヨの言う「礼儀正しくて賢くて民度の高い生粋の日本人

というのはつまり国内で何か事件があった際に容疑者を全て問答無用在日認定して「在日ヒトモドキ」だの「トンスルランド」だのと連呼するような幼児みたいな人達を一切嫌う事も批判する事もなく全面的に支持する民族を言うわけだ。

2018-07-12

anond:20180712151927

在学中に自分高校甲子園に行っても一切興味なかった程度には野球に興味ないけど、思うに、人々が欲しているのは「野球」そのものではなく野球媒介とした「物語であるのだろう。特に高校野球みたいなものだとその傾向が強いだろう。人々は高校球児のプレーの背景にある青春様相を消費しているのであって、そのためには「真夏炎天下に汗だくになってプレーする球児」とか「ユニフォームを泥だらけにして走り回る球児」などの演出必要不可欠だ。勝ったり負けたりして涙を流す球児とか、肩を故障しても気力で最後まで投げきる球児とか、そういうものこそが人々の求めているものであって、野球技術のもの試合のもの勝敗優先順位が低い。とかく日本人は何かにつけて「物語」を好む民族だな。エモーショナルと言えばまあそうだが、思考という概念そもそも向いてない性質なのではないかという気がする。

2018-07-11

anond:20180711224519

それに関しては、確かにその通りかと。

でも、これは自分性格が悪いだけだと思うんだけど、

運動能力で敵わずアジア民族が減っていったというプロセス自体がどこか滑稽かつ悲愴的で、

それが本当に生じた場合

さらにそこから見た将来においてはそれが頭から離れず親近感の妨げになっちゃうような気が…

スポーツ人種

昨日のフランスベルギーを見て思ったこと。

まず、人種ってのは差別対象ではないとは思うけど、明らかに違いはあるんだよな。

こう言うことを言うといつも「まだ民族人種に囚われているのか」みたいなことを言われるんだけど、

そうは言っても、

別に完全に同じじゃなくても、

ゲルマン人アングロサクソン人みたいに連続的で似てるならともかく、

フランスベルギー白人アフリカ系の黒人じゃ見た目も運動能力も完全に”違う”からね。


日本においても、大坂なおみケンブリッジ飛鳥みたいなのは駅伝助っ人外国人感、または単に外国人に見えてしまう。

別に、道を歩く黒人黒人容姿ハーフ日本国籍を持っていて、日本人として接してきても違和感ほとんどないと思う。

でも、これはスポーツからこそ、自分スポーツを長くやっていたからこそ生じる違和感のような気がしている。

要は、運動能力などに自分や周りの人との連続性を感じないために生じるものだと思う。無意識に、”日本的な運動能力”と照らし合せてしまう、というのもあるだろう。


また、フランスベルギーのような受け入れ方を見るとスポーツ黒人だらけになる危機感がある。

危機感といっても黒人に乗っ取られる!ヤバイ!とかではなく、

スポーツを見る行為がこれまでと大きく変わってしまうんじゃないかという危機感

日本代表が黒人だらけになったらもはや日本代表の試合を見る必要性を感じなくなり、

スポーツに対する応援感情も薄まり

プロスポーツ自分からより遠く遠くへと行ってしまうのではないか

そういう危機感だ。

そういうことを感じるところまで含めて、自分は前時代的な考え方なのかもしれないが。

相変わらず都合のいいことしか書かないな

http://nakamuraisao.a.la9.jp/laquila.pdf

イタリア48時間テント3000建てたという話の実際が書いてある

読んだ感想としては「日本で同じ事したら批判の量はとんでもないだろうな」というところ。

地震の数時間から市内は立ち入り禁止区域とされた。余震による被害盗難を防ごうとした ようである。その決定は防災局によってなされた。

これが後に紹介するがデモの種になる

次に避難の状況だが、防災局によると、家を失った人は 62,543 人で、うち 28,579 人は 5,553 張りのテントに、33,964 人は 518 のホテルに、2,225 人は民家に避難した。ホテルペスカーラ など 100 キロほど離れた海沿いの町にある。テントホテル仕分け防災局によってなされた が、仕分け基準不明であるという。

他にもでてくるが防災局の権限はかなり強力で、実際の振る舞いも割と強権的である

初動 48 時間で 3000(18,000 人分)の避難テントが設置されるなど、対応比較的早いこと、また 人的資源としてはボランティアが 9000 人と大量に動員されたこである。ここには防災局に登録 されたボランティアも多かったのではないかと考えられる。

補足すると初動48時間に動員されたボランティアは4,300人で消防(2,400人)や警察(1,586人)や軍(1,825人)より多い

日本で言うと全国の消防団員が駆けつけるというイメージが近いか

1000 人(最大時は 1500 人)が収容されているグローボ・テント村を訪ねたところ、一つのテ ントは 10 畳ほどの広さがあり、中は電化されていた。エアコンも入っていたが、それでも夏は暑 くて困ったという(図 11、図 12)。また知らない人との共同生活はつらいという声もあった。ある 高齢女性は、同じテントの他の収容者が全員クルド人男性で、着替えもできないし、居場所 がないと嘆いていた。居住環境は、日本体育館仮設住宅中間ぐらいに位置するようである

テントが多数建てられたといっても十分希望を聞けるわけではないようである、というか女性一人に男五人というのはさすがにありえなくないか

たとえば市内全域の立ち入り禁止は、住宅被害のない 市民商店などにとっては、不満で、7 月には立ち入り禁止解除を求める 2000 人規模の市民デモ が発生している。また強制的な遠隔地のホテルへの移送や、効率を重視したテントの部屋割(民族 や男女を無視した)などにも不満があるようだ。ある住民は、防災局のオペレーション評価しつ つも、「なにか軍が入ってきて占領された感じがある。特に困ったことはないが、人間としてそ れだけではない」と話していた。軍が管理するテント村では特に管理が厳しいといわれ、管理体 制への反発からテント村を出ていった住民も尐なくない。

日本自衛隊が同じ事したら批判はとんでもないことになっているだろう

anond:20180710231606

b:id:inherentviceだけど、返信来てるんで増田経由で返しとく。

どっちの意味もあるなら、

「“Japanese Only”って書いてあるけど、文脈を考えると『日本語』って意味やろな」

って反応になるはずでは? 一意に「日本人のみ」とは解釈できないよね?

 すまんがここで言う“文脈を考えると”ってのがどこを考えた結果なのかわからん

そもそも英語の“Japanese”にあらかじめ「日本語」「日本人」という定まった意味があるわけではなくて、「日本の(なにか)」という包括的な、広い意味合いがあって、そこからその時々の文章に応じて「日本人」や「日本語」という一意の単語へと文脈から定まっていくわけだろう? “Japanese Only(日本のそれ 限定)”という語だけでこれは日本人(人種)ではなく日本語(言語)を指しているのだろう、という解釈になるのが自然、というのは無理があるように思うんだが。

それでなくとも異文化圏・異民族圏に観光に行くのであれば少なから自分とその行った先の人たちとの人種国籍民族の差を敏感に感じ取りながら生活するわけで、そこで「Japanese Only」という語が出てきたときに「異文化人に対するなにかしらの敵意を示すものだ」と危惧したとしても、まったく自然だと思うのだけれど。少なくとも自分中東に行って店先に「ニホン ダメ」と書いてあったり、フランスに行って「フランス ダケ」とか書いてあったら、今言われてる「Japanese Only」と同じ解釈をすると思う

まあ別に自分英語大先生でもないし、それはお前ん中だけの話じゃないの? って言うなら別にそれ以上反論しようとは思わないけど。

anond:20180710231606

何で民族名と言語名の区別もつかない

既に指摘があるが「Japanese only」では「日本語を話せる人しか来てはいけません」という意味になる

この表示の時点で人種差別的にものすごく問題なのだ

これなら何も表示しないほうがマシである

日本語(の話者コンテンツしか用意しておりませんあらかじめご承知くださいと表現したい人は絶対にこうは書かないから

新しい宗教必要なのでは?

最近巷にあふれかえっている自己啓発本を見ていると努力しろとか勉強しろとか行動しろとか書いてある。

SNSインフルエンサーとかもそういうことを言ってる。彼らは努力しない人たちに対してとても厳しいんだよね。

社会的弱者配慮したり家柄とか民族差別したりはしないんだけど努力をしていない人に対しては努力しないなら仕方ないねっていうんだよね。

でも努力できる人間ってどれだけいるのかなって考えたんだけどやっぱり多くの人間努力できないんだよね。

からこそ努力をしている人たちが輝けるんだよ。

からそういう人たちのために命を全肯定するような宗教必要なんじゃないかと思うのよ。

例えばキリスト教を信じていたら私たち人間は神に似せて作られた存在から素晴らしいんだって思えるじゃん?自分価値なんかないとか思えないじゃん。

でも実際にはキリスト教信者はあまり多くないかキリスト教で救うのはきついと思う。

から新しい宗教必要なんじゃないだろうか。

日本お金とか科学技術を神のようににあがめていたけど今はそういうの時代遅れになってるし。

2018-07-10

Japanese Only”が「日本人以外お断り」になる理屈を知りたい

なんかまた“Japanese Only”って書いた飲食店燃えてるんだけど、

ぶっちゃけなんで“Japanese Only”っていけないの?

差別とかそういう論点じゃなくて、英語的な意味で。

私が“Japanese Only”=「日本人だけ」って知ってるのは、英語文法理解しているからじゃなくて、

過去にそういう表記英語話者を誤解させてきたという話を日本語で読んで知っているからだ。

でも、下手っぴな英語しか操れない日本語母語話者の私には、

なんで“Japanese Only”が「日本語しかないよ!」という意味解釈されないのかがわからん

過去炎上知識がなければ私も普通にJapanese Only”って書くわ。「日本語しか置いてないよ」って意味で。

いや、そりゃ浦和のみたいなやつだったらあかんけど、飲食店メニューとかだったらどっちとも取れるわけじゃん?

言語名と民族名を同じ単語で表す英語さんサイドにも問題があるのでは。

ということで、英語に詳しいはてなー諸氏には、なんで“Japanese Only”がダメなのかという理由英語的に説明してほしい。

日本語が堪能な英語母語話者でもいいけど。

ほんとこれに関しては理不尽いちゃもんつけられてる感しかしないんだよな。

追記

inherentvice 「日本語」と「日本人」のどっちの意味も成すから以上の理由があるのか。in Japaneseなら言語を指してるって分かるしThis shop is available only in Japaneseとか書いたら。自然かどうかは知らん

どっちの意味もあるなら、

「“Japanese Only”って書いてあるけど、文脈を考えると『日本語』って意味やろな」

って反応になるはずでは? 一意に「日本人のみ」とは解釈できないよね?

anond:20180711005501

「○○ ONLY」は掲示英語(「立ち入り禁止」のような特殊解釈表現)で「○○専用」という意図がある

そんなもの入り口に貼ってあったら解釈は「日本人専用」「日本語話者専用」くらいにしかならん

なるほどねえ。安易に知ってる語をつなげて作文しちゃいけんってことかな。

anond:20180710233715

英語だと1つの表現ものに2つ以上の概念を設定してしまっている日本文化ダメってことなのでは

何で民族名と言語名の区別もつかないガバガバ言語基準にして考えないといけないんだ……どう考えても改善すべきなのは向こうでしょ。

anond:20180711072332

日本語(の話者コンテンツしか用意しておりませんあらかじめご承知くださいと表現したい人は絶対にこうは書かないからだ

から語学力がなければそう書いちゃうのも仕方ないでしょという話なんだけどなんでそれが通じないの……

uunfo 元の話題https://togetter.com/li/1245418飲食店のドアに"Menu is Japanese only"と書くのもホームページに"Sorry, Japanese only"と書くのも根っこは同じで親切心のつもりなんだろうけど、はなから拒絶するという態度が差別なのだ

英語はしゃべれないんだ、ごめんね」って表示する行為のもの差別的と言われたらもう英語が下手な人間はどうやって生きてけばいいのかわからねぇな……

そもそもそうやって自分らの言語押し付けるのは差別的な行為じゃないの? と思うわけだが。

韓国台湾旅行に行って、なんだよどの店も日本語できる店員いないのかよもっと日本語しゃべれよ、とか言ったら、うわっ、って感じになると思うんだけど、

英語」になるとなぜか許しちゃうどころか賛同する人が大勢出てくる不思議

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