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はてなキーワード: 谷崎潤一郎とは

2019-03-21

多少倒錯的な性行為をしたいという願望を持つ未経験の呟き

しがない社会人恋人なし。交際性的行為キスマスターベーションも含めて)の経験もない。

そんな自分にも奇跡的に好きな人ができた。

少しひねくれているけれど、優しくて、干渉しすぎず、趣味も合う。指の節や髪のくせも愛おしい。友達としても完璧だった。

1ヶ月前、告白された。当然舞い上がった。でも、咄嗟に「1ヶ月だけ待ってほしい」と言ってしまった。

自分気持ち悪い部分を理解してもらえるだろうか、不安になってしまった。

中学生の頃、父の書庫にあった谷崎潤一郎「少年」をこっそり盗んで読んだ時、気持ちさよりも憧れの方が勝った。

人間気持ち悪い、深いところを突くような愛し合い方にひどく興奮した。

それからは、異性とそういう雰囲気になった時も、自分気持ち悪い部分を曝け出す勇気も自信もなく、逃げてばかりだった。

AVでも見て発散したほうがいいのではないかと、この前初めてビデオを借りたものの、生理的嫌悪が勝ってしまいすぐに見るのをやめてしまった。

結局本を読み、写真を眺めて、自分に都合のいい妄想をして、自己嫌悪して、の繰り返しだった。

多分、好きな人と一緒にいたらいずれ我慢できなくなってしまうと思う。

胸の奥に燻っているもの吹き出ししまうんじゃないだろうかと不安で仕方がない。相手を傷つけたくないし、身勝手から自分も傷つきたくない。

でも好きだ。頭がおかしくなりそうだ。

ごめんなさいと一言言えば済む話なのに、未練が残る。

1ヶ月も待ってくれているのだから、きちんと返事をしたい。期限は明後日。今回は何故か逃げられなかったから、何かしらの意味があるんだと思う。なかなか決着は吐きそうにもないけど。

2019-03-16

いかがでしたかブログを書いている俺がその背景を考える【追記あり

 かつてインターネットとは好事家たちが思い思いに好きな情報を書き込んで同士たちとつながる濃い場所だった。という風によく言われている。俺がそれが正しいのかどうかは知らない。しかし今のインターネットに古のインターネット老師たちが苛立つ気持ちはわかるし、なんなら俺がそのインターネット浪士たちを苛立たせている。というのも俺はあの悪名高い「いかがでしたかブログ」を書いて生計を得ている人間からだ。

 今回はお前たちにそのインターネットになぜいかがでしたかブログが生まれるのかを俺のような木っ端ライター立場から解説するとしよう。

 まず俺のような屑ライタークラウドソーシングサイト仕事を探しまくる。巷ではいかがでしたかブログは0.1円で量産されていると言われているがさすがに慣れてくるとそんな案件は受けない。最低限文字単価0.8~1円くらいの仕事は厳選する。ついでにいうが一部のプロクラウドワーカーならいざしらず、普通ライターが受けられるライティング案件はその九割がいかがでしたかブログを書くことだと思ってくれ。クラウドソーシングサイト世界最大のいかがでしたか工場なのだ。毎秒おびただしい数のいかがでしたかを世に解き放つことを使命としているかのようだ。

 すると大抵テストライティングを頼まれるので仕様書を見る。大体のライターが出くわすのは、記事に盛り込む情報量に比して文字数が多すぎるという事態だ。当たり前だ。いかがでしたか工場が考えているのはいかに最低限の情報文字数を盛ってSEO対策のよく出来た、Googleをだまくらかすための文章サイトに載せるかということに過ぎない。そしてGoogleをだまくらかすためにはどうも、要約すれば数百文字で済むような情報を数千文字に引き伸ばす作業必須らしいのだ。書いている俺だってなんでこんなに長く書かなきゃならんのだと疑問だが薄めて書いたほうがまあ金になる。すまない。

 そもそもいい文章というのは基本的にきちんと短くまとめることが出来てこそだ。全員が谷崎潤一郎になる必要がどこにあるというのだ?そして当然のことながら大半のいかがでしたかブログ情報量というのはその文字数の数割もあればいいほうだ。もっと短くまとめることが出来る。しかしそれは許されない。Googleを騙すためには短文で効率的に切りの良いところで文章をまとめては行けないのだ。無駄に同じ単語を使いまわし、無駄文字数をダラダラ稼ぐことでやっといかがでしたかブログとしての価値生まれる。

 とはいえ、俺たちいかがでしたかブログライターは残念ながら無から文章を生み出せるマジシャンではない。その文章の元になる文章をどこかから手に入れなければならない。どこから手に入れるのだろうか?アンサー、Wikipediaやら他のいかがでしたかブログからだ。はっきりいうがいかがでしたかブログに書いてあることで他のブログWikiもっと効率よくまとめられていない情報など存在しない。当たり前だ。いかがでしたかブログとは全てがソメイヨシノ(だっけ?)のようなクローンブログなのだしかし、コピペでは不味いので、コピペチェッカーを騙せるギリギリくらいには表現を変える。そうして言葉の順列組み合わせによってまた新たないかがでしたかブログが生まれるというわけだ。

 もちろんいかがでしたかブログはそれだけで完成するわけではない。いかがでしたかブログのあの砂を噛むような文章に誰もが辟易したことがあるだろう。はっきりいうが、書いている俺だってもちろん辟易している。しかし、いかがでしたかブログを求めるクライアントがほしいのはライター個性などではない、ということをまず理解してほしい。一風変わった視点ちょっと凝った言い回しユニークな切り口、それら全てがいかがでしたかブログには必要ない。無駄個性を付け足されてそれがリスクになったらどう責任を取るんだ?文章表現はきっちりですます調で決められ誰も敵にしない当たり障りのない文章で誰かとはわからない群衆憎悪を買う、そんな体に悪いファーストフードよりやばいものいかがでしたかブログの正体なのだ

 しかしだからこそ文章を書いたことのない素人でも書くことが出来る。文章を見る目のない素人でもその出来が判断できる。いかがでしたかブログとは普通文章とはカテゴリー自体が異なるものなのだ。そんなもので儲かるのかだって?もちろん儲かるわけがない。少なくともライターはそうだが、多分クライアントだって事情は変わらないだろう。きちんとしたクオリティの伴うコンテンツを送り出していないのだから短期的にはアクセス数を誤魔化せても長期的には市場自体を衰退させていく。ライタークライアント薄給なのだから気合など入れるはずがない。そもそも、スキマ時間お小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦向上心を求めるのはお門違いだ。そんな文章でも騙されるバカだけを見込んだ薄利多売産業いかがでしたかブログなのだ

 恐らくこれはゲーム業界においてソシャゲなどで起きていることとパラレルだと俺は見ている。これまでのゲーム文章面白さとは常識の異なる、数と金搾取するためだけのシステムと化した新たなる産業ソシャゲいかがでしたかブログなのだお小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦による市場価格破壊絵描き世界では起こりうると聞いたことがある。おそらく今の日本を蝕む文化的衰退の様々な業界における共通の現れ方なのだろう。そしてそこにおける勝利者とは常にごく一部の先駆者強者だけであり、つまるところすでに金を持っているやつだ。そうでない多くの弱者ギリギリ状態いつまでも続くわけではないとわかっていながら血を吐きながら続ける悲しいマラソンを走り続けている。

 ではそんな仕事をして俺は後悔をしているのだろうか?なにせ全く儲から商業倫理やら文筆家としての誇りはそこにはなにもない。悔いてしかるべきだというのが真っ当な人の声だろう。しかしあえていう。俺はいかがでしたかブログ執筆者であることを後悔していない。例え薄給すぎて飯すら食えなくなったとしてもそれは変わらない。

 なにせこの業界は楽だ。何も考えず物書きとしての恥も未練もなく、適当Wikipedia言い回しを変えるだけで金が入る。何より俺を鬱にしてくるような醜い上司はいない。たとえ今より生活が楽になったとしても、直接自分を縛るようにブラック企業などに奉仕したくはなかった。それで生計を得るポーズだけは取れるのだ。いかがでしたかブログクライアントたちも、まあ仕様の注文はうるさいが別に嫌な上司ってわけじゃない。みんな大した仕事をしてないから後腐れがない。過労死よりは餓死のほうがまあマシだ。

 幸いなことに多くのいかがでしたかブロガーたちは自分に対する嫌悪眼差しに気付いてすらいない。愚かな大衆嫉妬だとすら思っているのだろう。そういう鼻持ちならない意識高い系いかがでしたかブログ最上位だから自省の眼差しも生まれようがないというのは皆も覚えておいてくれ。

 昔は自分個性を出した文章エッセイだとかコラムだとかそういうのを目指していた時期があった気がする。いや、遡れば小説だって書こうと思っていた時期があるかもしれない。しかしそんなものはもうどうでもいい。俺は文章を書く人間の一つの死骸なのだ。あとはゾンビとして肉体の維持に集中するだけでいい。そうしてまたインターネットには腐臭が満ちていく。対策Googleやら拡張機能開発者やらが勝手にやってくれ。まだ野心なんてもんがあるならこの文章だって匿名で書いたりなんかしないが、俺には一応クライアントたちへの義理があるのだ。表立ってばかにするのは流石にまずい。そんな計算だけはうまくなった。

 さあ、こんな時間だが次のいかがでしたかブログが貯まっている。どんどん数をこなさないと、もやしすら買えない。今回のブログはいかがでしたか、今後もこの情報は要チェックですね、いかがでしたか……


追記

 どうも予想より読まれて俺の屑のような承認欲求は適度に満たされたようなので、面白いと思ったコメントレスポンスして更にこの記事を引き伸ばしてみる。

とはいえ昨今のGoogleさんは端的に問いに答える記事優遇していると思うんだけど。(個人の感想

 まさしくこの記事を書くに至った動機で、アルゴリズム改善対策ツールにより長期的には俺のような存在は滅びていくのだと思う。ただ、「いかがでしたか」という語尾だけで排除するのは今後は対策されるだろう。俺が見ている仕様書にもこういう書き方はするなという小手先だけの指示は結構ある。しかし、問題そもそも全体の文章と発想そのものから小手先いかがでしたか感が改善されるわけではないので無駄に終わっている。

マジレスするといかがでしたかブログライター発注するというより自前でマネタイズするものでは?という気もする。

そう思うんだけどどういうわけか二束三文他人にそれを頼む輩が異常に多い。構成まで作成済みのクライアントも多いのだが、ここまで構成が出来てるなら自分で書けるだろう?と俺ですら思ってしまう。

 どんな商品をどういう顧客にどういう構成でどういう雰囲気文章で勧めるか大体すでに決まっていて俺たちはその間を数百文字ずつ埋めるだけでいいのだが、ここまで考えられたら絶対自分でやったほうが安いと思うのに人に頼む辺り彼らにも謎は多い。多分そこまで書いて本文を書く段で発狂しそうになったのだろう。

発注元は稼げるの?

そもそもあんなの発注するやつが誰なのかって話だと思うんだけど

 一概には言えないがサイト運営などをしている弱小IT企業が多いようだ。自分が依頼するブログジャンルを全く知らない担当者というのもいる。稼げるかという点だが、まあ弱小ゾンビ企業自分を維持する程度には稼げているのではないだろうか。逆に言えばそれ以上の稼ぎなど基本見込めるはずがないということだ。

>そして意味もなくディスられる谷崎潤一郎(´・ω・`)

申し訳ない。もちろん谷崎潤一郎は引き伸ばしとは無縁だが長い文章としてぱっと思い浮かんだのが彼だったのだ。

生計は得ないだろw

>俺がそれが正しいのかどうかは/

 冒頭からインターネット老師インターネット浪士にすり替わる誤字と低日本語力も俺自身じゃなきゃ見逃しちゃうね!まあ勢いで書いたものから恥ずかしいがせっかくなのでこのままにしておこう。

>こんないかがでしたかワークを個人ブログでもアフィの為にやってる人らがいる事が凄いと思う。

>その単価でブログ記事書くくらいなら自分ブログで書いた方がいいし、さらにいうなら、この増田自分ブログで書いた方がいいよ。

 あれについてはブロガー界隈でそういうノウハウを教え合っている界隈もあるし、いかがでしたかライターのうち純粋無垢な人が独立支援と称されて情報商材めいたことをやらされてることもある。Youtube文字動画と同じだ。ていうかクラウドソーシングサイトには文字動画台本執筆もたまに依頼されている。ぶっちゃけいかがでしたかブログよりは単価高くて楽だから助かる。巷で言われるネトウヨネトサヨ系の政治ネタは見かけたことがないが。

 俺自身がこれをブログで書くかということについては一応俺も商売人なので名前を出して世話になっているクライアントが見ているかもしれない場所で「お前ら糞だぞ!」と告発するのははばかられるから容赦してほしい。noteで有料にすればとはちょっと思ったが多分それだと全く読まれなかったと思う。……と思ったが、よく考えてみたら別に正体を隠してブログを書けばバレやしないから平気なのか?これはいい知見を得た。そのうちいかがでしたかブロガーとしてブログを作ることにしよう。「バズったので宣伝させてもらいます」しぐさというやつだ。

別に匿名ブログやってお仕事募集しても

 あん天才かよ。そうだよな、匿名ならばれないよな。

ソシャゲいかがでしたかブログを並列に語るのは不適切

 これはうかつだった。確かに最近ソシャゲスマホゲーのトップクラスクオリティは向上している。一方いかがでしたかブログは確かに最上位層でも糞みたいな文章しか書いていない。ごめんなさい。

最後はいかがでしたかでしめてほしかった

 いかがでしたかってまとめ段階の冒頭で使うんで実は最後には入れないんすよ……

いかがでしたかってクライアントの指示で書いてるの?自分でつけてるの?

 自分でつけてるよ。なぜつけちゃうかはブログ書いたんでクリックする時間を後悔しないならどうぞ

http://an-fans.hatenablog.com/entry/2019/03/16/143528

生活リアルの前に人間矜持が屈する。資本主義もっとも悪しき側面を見た気がする。自分の書いてる無意味駄文ブログもこれに比べるとマシだとむしろ勇気づけられる。低みに引っ張る引力スゲーなネット

 俺の記事を読んでこんなやつより俺のほうがマシだと自尊心を保ってくれる、俺を見下すことで日々を生きる糧が得られるのだとしたら書いている人間としてこれほど嬉しいことはない。まだ若い人たちはそう思えるだけ本当に未来があるのだと勇気を抱いてほしい。

2018-12-06

anond:20181205175450

フリーセックス北欧)、米国の一部などで達成されてはいるが、

その米国でもモテない(コミュ力しか、家庭環境が悪い)男がひがんでテロ銃乱射とかもあったぞ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E9%8A%83%E4%B9%B1%E5%B0%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

結局、社会的成熟した人たちは乱交に近いことをしてもスキャンダルにもならず身を持ち崩さないし、

努力できず才能もないモテない人など一顧だにしない。

それは昔から日本でもそう。渡辺淳一小説とか、佐藤春夫の実際の結婚生活

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%98%A5%E5%A4%AB

谷崎潤一郎の妻・千代を、1930年昭和5年)に譲り受けた。谷崎と千代離婚成立後、3人連名の挨拶状を知人に送り、「細君譲渡事件」として新聞などでも報道されて反響を呼び起こした。

とかは

底辺からは信じられないことをしている。

 

法律上は20歳以上の全員が成熟できており社会に参加できるはずでも、

まれつきの能力差は埋められないってことだ。

2018-10-12

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

2018-09-01

anond:20180901220748

黒ってなんだろうな

谷崎潤一郎が詳細に書いているらしいぞ

2018-06-08

anond:20180608005942

昔のマスカキ用文章として、谷崎潤一郎とか太宰治とかじゃなく「光源氏(笑)」を持ち出すあたり、知性を感じます

2018-02-13

anond:20180213013119

内容は良かったねって話だけど

トキワ荘系やレトロ漫画、とか谷崎潤一郎とかファム・ファタール

みたいな、ついつい自分は他と違うんですアピールをする感じが

最高にイキってるオタクって感じでいいね


ラノベアニメ全然ついていけなかったとか言ってるけど

それを好む層とあんま変わらんからな。典型的サブカルクソ女って感じ。

おそ松さん感謝している。

異論は認める

放送開始時社会人2年目。

大学生のうちに漫画家デビューするという夢も叶えられず、

しかたなく就職した会社ブラック

仕事もつらく、趣味漫画アニメも受け付けられず、

そもそも面白いアニメ出会えず。

絵を描くことからも離れてた。

オタクといってもトキワ荘系やレトロ漫画が好きな自分は、

ラノベアニメ全然ついていけなかった。

そこで始まったのが「おそ松さん」。

ノリは銀魂に似てるけど、なにこの正直さ。

夢と希望萌えに満ち溢れたアニメ界で「働きたくな~い」と

のたまいながら、童貞ライフ無為に過ごす青年たち。

そして、谷崎潤一郎とかファム・ファタールが大好きな自分

食いつくに決まってる永遠のマドンナ、トト子ちゃん。

絵をもう一度描き始めた。

ツイッターアカウントも開設した。

RTが伸びる。1万RT、2万RT。

いろんな人が感想をくれる。リアルでは出会えない、同じ趣味を持つ人たちだった。

松を通じて、アングラ趣味友達も出来た。

オリジナルを描き始めた。

もう一度、投稿を始めた。

漫画賞をとった。

松がなければすべてをあきらめていたと思う。

仕事がつらくても絵があると思うと頑張れるし、転職の道も見えてきた。

松に感謝している。

2018-02-07

教養豊かな人なら読んでいて当然の日本文学102選(戦後編)

三島由紀夫金閣寺』『豊饒の海

谷崎潤一郎細雪』『鍵』

川端康成山の音』『眠れる美女

坂口安吾堕落論

梅崎春生『幻化』

武田泰淳ひかりごけ』『富士

佐多稲子『樹影』

安部公房『壁』『砂の女』『箱男』『密会』

大江健三郎性的人間』『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『さようなら、私の本よ!』『美しいアナベル・リィ』『水死』

中上健次千年の愉楽』『日輪の翼』

開高健『輝ける闇』

高橋和巳邪宗門

大西巨人神聖喜劇

安岡章太郎ガラスの靴・悪い仲間 』

小島信夫『うるわしき日々』『残光』

庄野潤三プールサイド小景静物

津島佑子『火の山―山猿記』『ヤマネコドーム

稲葉真弓半島へ』

古井由吉『杳子・妻隠』『槿』『白暗淵』

後藤明生挟み撃ち』『壁の中』

黒井千次『群棲』

藤枝静男『田紳有楽空気頭』『悲しいだけ・欣求浄土

倉橋由美子夢の浮橋

田中小実昌ポロポロ

色川武大狂人日記

金井美恵子『愛の生活・森のメリュジーヌ』『タマや』

富岡多恵子『波うつ土地・芻狗』

河野多恵子 『みいら採り猟奇譚』

石牟礼道子『苦界浄土

村上龍コインロッカー・ベイビーズ

村上春樹回転木馬のデッド・ヒート』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル

高橋源一郎さよならギャングたち』『ジョンレノン火星人

笙野頼子『母の発達』『金比羅』『だいにっほん、おんたこめいわく史』

車谷長吉『鹽壺の匙』『赤目四十八瀧心中未遂

玄侑宗久アブラクサスの祭

池澤夏樹マシアス・ギリの失脚

保坂和志カンバセイション・ピース

堀江敏幸河岸忘日抄』

多和田葉子『雪の練習生』『尼僧とキューピットの弓』『雲をつかむ話』

阿部和重アメリカの夜』『ABC戦争』『無情の世界』『ニッポニア・ニッポン』『シンセミア』『ピストルズ

松浦理英子ナチュラルウーマン』『犬身』

中原昌也ニートピア2010』

町田康夫婦茶碗

舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。』『九十九十九』『ディスコ探偵水曜日』『淵の王』

綿矢りさ『かわいそうだね?』

金原ひとみマザーズ

中村文則『何もかも憂鬱な夜に』『教団X』

柴崎友香『その街の今は』

岡田利規わたしたちに許された特別時間の終わり』

川上未映子愛の夢とか』『あこがれ』

水村美苗本格小説

前田司郎『愛が挟み撃ち

諏訪哲史ロンバルディア遠景』

本谷有希子『嵐のピクニック

磯崎憲一郎『往古来今』

青木淳悟『私のいない高校

朝吹真理子『きことわ』

小山田浩子工場

今村夏子『こちあみ子』

滝口悠生『高架線』

高橋弘希『指の骨』

崔実『ジニのパズル

2018-01-15

丁寧語とは 【初級関西弁講座】

丁寧語とは、眼前の相手への敬意を表す言葉であって、単なる「敬語」という意味ではない。言ってみれば、部下が上司にする言葉遣いである。一方「しゃーない」はどちらかと言えば上位者から下位者になげかけられる男性語における関西弁俗流表現であり、軽い侮蔑語としての「アホか」に近いニュアンスすらある。「シャーナイヤン(1)」「シャーナイヤロ(2)」とか「シャーナイヤンケ(3)」「シャーナイチュートンノジャ(4)」など、「シャーナイ」のヴァリエーション(※1)を考えれば、ほとんど罵倒語ですらあるので、これを丁寧語にするというのがまず発想として奇妙である

また、コレを無理に「仕方ない」の意の丁寧表現と取るとしても、一般関西弁ネイティブ世界で、たとえば部下が上司に向かって”仕方ない”という自分感想を直接的に述べるシーンというのがまず想定しにくい。関西弁は非常に日本のものであるような文化体系に基づく言語なので、「仕方ない」出来事に遭遇したときには、出来事の「状態」を描写するよりも、古語のようにその状況に遭遇した「相手の心情」を慮って言葉が発せられ、これによって相手へのより強い敬意や遺憾の念を表現するのが普通からである。従って、「しゃーありません」などという妙な言い方は、ネイティブからは出てこない。これは、表面だけ関西弁だがハート関西弁ではない人間想像で喋るエセ関西弁である朝ドラなどで非常に頻繁に見られるが、イントネーションを似せれば似せるほど不気味の谷に近づいて違和感があるのでこういうのは本当に止めた方がいいと思う。(※2)

さて、ではネイティブはこういう場合なんと言うのか?

たとえば「上司契約を取るため条件を下げるよう上にかけあってきたが、社の方針ダメだと言われる状況に遭遇したときの部下の一言」を想定するならば、「コレ、ホン↓トニナン↓トモナラナ↑イン↓デスカネー…」が正解だ。やや棒読み最後を低く呟くように発音するのがコツである。「何ともならない」ことを分かった上で、敢えて相手の心の内を代理的に言語化する。一番「何ともならない」ことを分かっているのは上司だ、との了解の下で(棒読み口調によってこれは察せられる)敢えて一段自分を低め、道化となって「分からないフリ」をすることで、上司自身に「マアナラヘンナ/無理↑ヤ(=仕方ない)」と言わせるための一言である。これはかなり気を遣った「仕方ない」の関西弁による丁寧表現である。「仕方ない」とこちから言うのではなく、相手に「仕方ない」と分からせるために相手の心情を思い諮り、同時に敬意を表現する。こういう柔らかな「寄り添う言語としての日本語」の特長を、日本の伝統大事にされる方々には関東においてもぜひ日常的に取り入れてもらいたいと思うばかりである

また、もう少しカジュアルに(カジュアルという概念自体関西文化にはうまくそぐわないのだが)表現すると? たとえばちょっと丁寧に同格の同僚と喋るようなケースで「今後こういう傾向になっていくのはやっぱり『仕方ないですね』」という内容を言う場合どうなるか。その場合は、自立語ではなく付属語補助動詞表現することになるだろう。つまり、「ない」自体敬語化されるのではなく、「仕方ナイ↑デスネー」みたいな感じだ。女性表現としては、「仕方アリマセンネー」が考えられ、これは増田の想定に一番近いのだが、女性語の場合丁寧な社交の場では言葉関東弁に近づくケースがあるので(これについては谷崎潤一郎小説細雪」の中でも少し触れられている(※3))このようになる。

以上、増田の初級関西弁講座であるネタであることは言うまでもないので話半分に聞いておくように。ホナマタ

https://anond.hatelabo.jp/20180113124118

※1 厳密に言えば、「シャーナイ」とほぼ同義で使いうるのは「アホクサ/アホカイナ」である。前者は事態を、後者相手を軽くあしらい流すときに用いられる。ただ、このような間投詞的な「アホ」(詠嘆の「アホ」という)の用法は、シチュエーションにより様々な意味を含有するので、非ネイティブ使用するのに苦労する部分である。「アホ」は本来道化クラウン)を意味する言葉だが、同質性の高い世界において道化役は時に非常に重要役割を果たすものであり、それが関西文化圏では共通了解とされているため「あいつアホやな」という言葉批判ではなく、時に非常な敬意や褒め言葉になりうるし、また若年女子が用いる「アホっ」は、おおむねソフトな「I like you.」の意味了解されるのである

 なお、「ヤン(1)」~「チュートンノジャ(4)」に至る変化は、一見微妙に見えるがそれぞれ

「(1)仕方ないじゃないですか?(=だからあきらめて貰えませんか?(依願))」

「(2)仕方ないじゃないか?(=だからどうしようもないと考えなさい。(命令))」

「(3)仕方ないと私は言っているでしょう?(=ひょっとして言いがかりを付けて喧嘩したいのですか? 何ならお相手しますよ?(威嚇))」

「(4)仕方ないとこの私が言っているのだ。(殺すぞ(予告))」

…という意味となっており、特に(2)から(3)に変化したときは明らかに相手モードが変化しているので注意が必要である。親切なネイティブならば、語尾に「ヨォ」という威嚇語を追加し「シャーナイヤンケヨォ!」とメンチ(接近して目を合わせる威嚇のポーズ)とともに発音してくれるので、こちらは非ネイティブにも分かりやす表現となるが、できれば(3)を聞く前に第三者を介入させるか和解を申し出るのが望ましい。

※2 たとえば朝ドラなどで、番頭はんがお嬢さんに「仕方ナイデッシャロ」などという奇妙な関西弁を用いる「けったいな」シーンは容易に想像できる。このように関東人がエセ関西弁を振り回して「関東人の思う関西人」を演じているのは、実際典型的な「文化の盗用」であり、今後厳しく批判されていくことだろう。

※3 谷崎潤一郎細雪(上)」より。(舞台戦前なので、約80年前の話である。)

彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリ東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却って土地言葉を出すようにした。それに又、そう云えば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日夫人はいものおっとりとしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、――東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄がにわかに悪くなったように思えた。」

2017-10-12

「アンダー・ハー・マウス」を観た。@10/12 16:45〜シネマート新宿

 酔った勢いでこれを書く。推敲はしない。

 そして最初に言っておくが私自身は男で、LGBTではないのと、かなり勝手なことを書くので

本物のLGBTの方々が読むと不快になるかもしれないし、ストレートの人が読んでも不快なところ

があるかもしれない。

 なので、そういうものを読みたくない人は、以下の散文を読まないことをお勧めする。

 またコメントには返信をしないと思われる。

 以上の点をどうかご了承頂きたい。

    

 エンドロールが終わって、ダラスエリカリンダー)の美しくも儚げな表情になるべく

長く浸り、官能で高揚した気分を持続させるために、伊勢丹の上のビストロで羊食って

赤ワイン飲んで、地下鉄の雑踏に混ざりたくなったので、タクシー都内の自宅に帰ってきて、

すぐに書斎にこもり、愛用のキーボード HHKB Pro BTを叩いてこの散文を書き始めている。

 これを誰に向けて書いているのか。それははっきりしていて、まず間違いないのは、

私は男性に向けてこれを書いている。

 ただし全ての男に書いているわけではない。

 どういう男性に向けて書いているかといえば、こうだ。

 家計のやりくりの都合上、この10月劇場に足を運んで映画を観るためのポケット

マネー映画一本分しかないときに、世界的に有名な日本人監督が作ったヤクザ映画

このビアン映画とを比べて、迷うことなくこっちを選んでしまうような、そういう嗜好を

持った男に向けて書いている。 

 あるいは、谷崎潤一郎の「細雪」や「痴人の愛」はもちろんいいけど「卍」も

捨てがたいよね、と思ってる男と言い換えてもいい。

 そう。

 そこのお前、お前のことだよ。心配しなくてもいい。お前は一人じゃない。というのも

俺もお前と同じだからだ。

  

 で。この映画だけど。良かったぞ。

  

 どのくらい良いかと言えば、俺と同じ趣味のお前なら、こう言えば分かってくれるかな。

 マークドルセルポルノにおける、クレアカステルとアンナ・ポリーナのビアンプレイ

あるいは、今は亡き写真家ステファンヒックスによるDigitalDesire のビアン作品と同じか

それ以上に興奮できる。ましてや、最近クオリティが落ちたと言われてるTwistysの、単に

ズボズボやってるだけのWhen Girls Play の数々の動画よりも断然、萌えしまうはずだ。

 なぜならば、ビアンについてお前は俺と同じ願望を持っているからだ。

 俺たちの願望とは何か。

 それを説明する例として、まずはこういうものではあり得ない、という反例を挙げると、

たとえば六本木発の最高級の(もちろん本番までできる)デリヘル嬢を二人呼んで、店に

払う規定料金の他に、女たちにチップを渡して

「お前らがレズってるとこ、見せろ」

命令して、男としての自分欲望を煽らせる目的ビアンプレイを鑑賞したいという、

いかにもマッチョな男の支配欲求なんかとは全く違う。

 では、お前や俺みたいな男がこの映画に託す願望とは何かといったら、ダラスまたは

ジャスミンになりたいという、どうやっても実現しない夢想、これに尽きる。

 

 ということで、ダラスまたはジャスミンになりたいという願望を、お前と俺は

共有した。メデタシ、メデタシ。

 いや。

 ちょっと待ってくれ。

 話はここで終わらないんだ。

 というのは、ビアン小説映画が好き言っても俺は男だから映画に出てくる主役じゃない男、

特に不遇になって終わる男のその後の人生が気になるんだ。たとえば、LEGALLY BLONDE

レビューには、負け犬で終わるワーナーって野郎のその後が気になるって書いたしね。

 だから、この映画なら、ダラス自分婚約者寝取られたライルって男のその後が気になるんだ。

 ダラスみたいな超美形な女が、ガッツリぶっ込む気マンマンでビンビンなペニバンで、自分

婚約者の女のことを後ろからバッコンバッコンやってるのを観てしまったら、ストレートの男の

精神はどうなるのか。

 そういう意味で、ライルのその後が心配だ。

 この映画自体は、ダラスジャスミンが結ばれることを予感させるハッピーエンドで終わるけれど、

そうなると、邪魔者としてはじき出されたライルはどうなるのか。

 もしかすると、あの後ジャスミン自分担当する雑誌で、モデルとしてダラスを起用する企画

やってそれが大当たりして昇進し、ライルは意気消沈して降格どころか仕事が手につかず、ウツ病

なりクビになるかもしれない。恋人の女を男に寝取られたならまだ正攻法で見返したり、立ち直る方法

はあると思うが、ダラスみたいな女に自分婚約者の女をズコバコやられたら、男としてはもう、

どうにもならないんじゃないか

 そういえばテレビドラマ「Lの世界」でも、

 「(タチのスキルが高い)女に自分恋人の女を寝取られたら、男は取り返しがつかないぜ?」

みたいな台詞を、ある男が、女に恋人の女を寝取られた男に言うシーンがあった気がするしね。

 この映画で、ライルが出てくる最後のシーンは、ジャスミンに気を取り直してセックスしようと

するのをやんわり拒まれるところだが、ああやって拒否られて、ライルは相当傷ついたと思う。

それでその後、その傷心はやがて女性全般に対する憎悪となって肥大化し、ライルは何か極端な

ことをしでかす気がする。

 たとえば考えられるのは、こうだ。

 いよいよ米国北朝鮮宣戦布告してライルは徴兵に志願する。それで北朝鮮首都に空挺

部隊として降り立ち、何ら罪もない婦女を手当たりしだい強姦したあとに、全裸の女を火炎

放射器で丸焼きにするとか、軍用のごついナイフでメッタ刺しにして、膣とクリトリスを切り

取って食っちゃうとか、なんかそんな方向に彼は行くんじゃないか

 そんな風にしてミソジニー極北としての殺人鬼となったライルは、そうやって婦女暴行

やり尽くした後、こんどは逆に、そうやってライルに妻を殺された北朝鮮の男たちからアシッド

アタックされて両目を失明させられ、かつ両手足を面白半分に切断されたのち、豚小屋に鎖に

つながれ、北朝鮮総統専属の高級娼婦の糞を食わされたり、パゾリーニの「ソドムの市」の

ようにガラスの破片をしこまれパンを食わされて、口の中血だらけにして一生を終えるんだ。

 どう?

 まあ、ここまでいかなくても、女への憎悪が高じて、「アメリカン・サイコ」 のパトリック

みたいになる可能性はあると思う。

 いずれにしろ、超美形な女に婚約者の女を寝取られた彼の人生は、湯山 玲子氏のいうところの

「男をこじらせ」まくって、ショボいものになって終わるだろうから、一応男として同性のよしみ

での同情はするものの、ダラスのような美しい女には、平凡な男の精神人生をそうやってメチャ

メチャに踏みにじってよい権利があるような気がするんだがどうだろう? それはつまり、美しい者

けが特権的行使できる暴力みたいなものだ。その種の暴力に酔う快楽が、この映画には

潜んでいる気がする。

   

 この映画感想は以上なんだけど、ところで、お前、次は何観る予定?

 ネリーアルカン? それともマノロブラニク?

 両方ですか、そうですか。俺も多分、そう。

 でもまたこうやって感想と称して駄文を書き散らすは分からん

 みんなに読んでもらいたい作文を書くために映画って観るもんじゃないしね、

特にこういう映画は。そうだろ?

  

  

追伸

 ふと思ったが、この映画ストレート女性がご覧になる場合、一番の女友達と行かれと

よいと思う。それも、本命彼氏東京カレンダーに出てくるような店でデートするとき

ように、バッチリ洒落して観に行く。それで映画が終わって劇場内が明るくなったら、

周りにこれ見よがしにその友人と腕を絡め合ったり、わざと周囲の客たちに見えるように、

ほんのシャレでキスなんかしてみると、無駄優越感に浸れると思う。

 逆に、本物のLGBT女性はこの映画を一人でご覧になり、一番のセックスフレンド

女性との寝物語で、

「アレ観たんだけど。エリカリンダーの出てるやつ。くだらなかったー。だってエロいだけなんだもん。

 『アデル、ブルーは熱い色』のほうが絶対いいよー」

みたいなことを話すのではなかろうか。

2017-08-05

グルメって下品趣味だって多少は自覚してほしい

当り前じゃないか

人間の三大欲求の飽くなき追及なんだから

美味い料理を求めてせっせと情報集めて店をめぐるっていうのは、いうたら、一番気持ちいいオナニーセックスのやり方を追求してるようなもんでしょ?

インスタでせっせと美味そうな料理写真を自慢げに載せているってのは、つまり露出狂とかハメ撮りマニアみたいなことなんだという自覚が、少しはあっていいと思う。

日本では皇族ものを食べてる映像というのは、公開されることがない。

宮中晩餐会」の映像があっても、流れるのは乾杯するところまでだ。

美味い料理を食べるという快楽に身をゆだねている姿というのは、流すべきではないとされているのである

それだけ、下品であり、それを流してしまうと皇族の「高貴さ」を失ってしまうという正しい認識が、宮内庁にはあるのだろう。

必ずしも下品からいけないってことではなくて、下品変態も極めれば谷崎潤一郎的な芸術昇華されることもあろうけれど、まあ、凡人だと、その域まで行くことはなかろう。

結果、日々、テレビにもネット上にも「下品で低級な欲望の発露」があふれている。

2017-04-02

田山花袋著、「東京の三十年」読了

丘の上の家が一番面白かつた。

今度、谷崎潤一郎作品を幾つか読んでみようと思ふ。

田山花袋著、「東京の三十年」読了

丘の上の家が一番面白かつた。

今度、谷崎潤一郎作品を幾つか読んでみようと思ふ。

2016-04-22

anond:20160421012214

これは本当にそう。書き言葉エントロピー言文一致体が浸透した近代以降、確実に増大してきたが、谷崎潤一郎が「文章読本」で提起したように、文章には一定品格を持つべきであり、くだけた文章を良しとしない社会的気風が昭和時代まではたしかにあった。しかネットで誰でも文章が発表できるようになると、そうした秩序も取り払われ口語に限りなく近づき、そしてついに口語よりもくだけた表現が許された最果ての時代にある。日本語希薄化し、崩壊したとしか思えないような事態に映るんだろうな。昔の人からすれば。

2016-04-14

文ストの谷崎潤一郎能力は(アニメ視聴してる人はネタバレ注意

原作読んで谷崎潤一郎とナオミが出てきた時「あっナオミがスタンドで谷崎とチームワーク発揮して敵をフルボッコにするんだな!」

って凄いワクワクしたんだ…

なのに実際は「細雪幻覚を見せて目くらましする能力」っていう攻撃力0の控えめな能力だったなんて…

案の定作中で能力破られて谷崎フルボッコにされてるし…不敵な雰囲気に反してナオミも弱いキャラだったし…

返せ!最初の時のワクワクを返せ!元ネタに詳しくないけどナオミは確か小説の人物だろ!それが実際の文豪キャラに混じってキャラ

として存在しているってことは何かの能力なのかなーって期待しちゃったよ!

原作ちらっと読んだだけだから間違ってるかも。

個人的には意味有りげな2人組キャラガッシュ魔物パートナーみたいな感じで、ペアで戦うってキャラ

セーラームーンはるかみちるみたいに2人とも強くて特別関係で結びついてるってキャラっていうのが好き。

文豪小説元ネタ能力バトル漫画ってのは面白いアイデアだと思う。けどあんまそれを生かせてないイメージ

人間失格がまんまイマジンブレイカーなのは折角の文豪ネタが勿体無いというか

2016-01-01

今年が終わるまでにはまだまだ余裕があるので、読書がしたい

1冊で人生が変わるなどと思うな、と誰かがお説教していた記憶があるので、

ここ増田で今年読むべき50冊を募集したいと思います

あなた人生に一番インパクトを与えた1冊を教えて下さいませんか。

ジャンル不問!


(でもあんまり高価すぎない本のほうがいいかも。Kindleの本でもダイジョーブです)



ご協力に感謝しながら、並べてみました(ありがとうございます作業中です

  1. 城平京名探偵薔薇を』
  2. 筒井康隆『エディプスの恋人』(『家族八景』『七瀬ふたたび』)
  3. ティムール・ヴェルメシュ『帰って来たヒトラー
  4. 沼正三家畜人ヤプー
  5. レオナルド・サスキンド『宇宙ランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す』
  6. 佐藤優国家の罠外務省ラスプーチンと呼ばれて』『獄中記』
  7. 岩波文庫編集部世界名言集』
  8. リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子
  9. 蓮實重彦『反=日本語論』
  10. 宮崎駿風の谷のナウシカ』(全7巻)
  11. 谷崎潤一郎春琴抄http://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56866_58169.html
  12. ジェスパー・ホフマイヤー生命記号論宇宙意味表象
  13. ウィリアムフォークナー『アブサロム、アブサロム!』
  14. オリヴァー・サックス火星人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
  15. 中島らもガダラの豚
  16. 孫武孫子http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/31_sonshi/
  17. 鷹家秀史『英語の構文150―UPGRADED 99 Lessons』??
  18. 石川正明『化学の発想法―原点から化学シリーズ
  19. 渡辺次男『数学I(なべつぐのあすなろ数学)』
  20. 山本周五郎橋の下」(『日日平安』所収)
  21. ロバート・B・チャルディーニ『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』
  22. 遠藤周作沈黙

実際に読み始める前の期待に胸膨らませてるこの感じのほうが好きかもしれません。

いや、読まなきゃ意味ねーですね。頑張って読んでみます

2015-10-30

56歳で10日に1回て、衰えているのか?

谷崎潤一郎の「鍵」っていうクソエロい小説があって、

その主人公(56歳、男性大学教授)が最初のほうで、

マダソンナニ衰エル年デハナイノダガ、ドウイウ訳カ僕ハアノヿニツカヤスクナッテイル。

正直ニ云ッテ現在ノ僕ハ週ニ一回クライ、――ムシロ十日二一回クライガテキトナノ

とか日記に記していて、

から奥さん(45歳、淫乱)を満足させられないって悩んでるんだけど、

アラ還でこのペースって、そんなに衰えているんだろうか?

発表されたのが1956年で、「売春防止法」の国会審議で、石原御大デビュー作「太陽の季節」とならんで

最近の世の中はこんなに風俗が乱れとる」の例として引き合いに出されたっていうから

相当話題になってたんだと思うけれど、

1956年当時の56歳って、そこそこ「ジジイ」の設定だよね。

磯野波平が54歳の設定だそうだから、ちょい上なわけだけれど

波平が「10日に1回ではフネを満足させられん、どうしよう」って悩んでたら、かなり嫌だ。

当時の人たちは、その辺、とくにひっかかることなく、受け止めていたんだろうか?


正直、自分がそのくらいの年になった時には、週一のペースを守れないような気がするのだが、

昨今の56歳は、どうなんだろうか?

1956年当時に比べたら、随分「見た目や雰囲気」は若くなっていると思われるのだが。

2015-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20150709224843

俺も大元エントリ大阪人の自画自賛だと思う。


埼玉まれ埼玉育ち。大学就職東京。で、転勤で大阪に住んだ。

これがまずあやしすぎる。

元増田の書いた内容で、関東について詳細な記述がろくになさすぎる。

あったとしても比較対象おかしかったり、首を傾げる内容だったりする。

関東圏については知ったかぶりの知識で語ってる可能性が非常に大きい。

少なくとも、住んでた期間は大阪の方が圧倒的に長そう。


住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。

これもデマカセなんだよね。

住んでみて悪かったところなんて全然あげてない。

あれは全部大阪を褒めてるだけ。

事前に嘘の前提を書く人間は、根本的に信用できない。


意外に街がきれい

綺麗なところだけ取り上げててアンフェアさがすさまじいよねこ

どの地域も小奇麗なエリアと小汚いエリアはある。

特定のとこだけ取り上げて素晴らっとか言い出す奴は基本眉唾


あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分外国人観光客だったら大喜びだ。
やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。
ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。

「やっぱり」「やはり」「やっぱ」

この辺りの表現って、もともと関西の方に軸足が無いと出てこない視点での語りなんだよねこれ。

なのでこの立ち位置の語りで関東まれ関東育ちとか、絶対に嘘だと思う。

あったとしても元からかなりの大阪かぶれ、大阪信者だったとかでないと説明がつかない。


で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。
「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。
谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。

通りごとの表示と、過去現在名称変更を比較していたり、比較対象がやはりおかしい。

あと最後の行の自分語りは単なる趣味の話でむりやり大阪を持ち上げてるだけなので、あのエントリ内ではただのノイズ


やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。
しかも、街が平らなので、自転車でも楽々。

コンパクトとか耳障りが良い言葉を使ってるだけで、ただ単にスケールが小さいだけじゃねえか。

この理屈を突き詰めると、山奥の小さな村がコンパクト最強伝説だかんな。


したら、埼玉実家から都内に行くより近いくらいじゃんよ。

ここが一番違和感を覚える。

「じゃんよ」もあやしいけど、「したら」も怪しすぎだろ。

どちらも関東人が使う言葉じゃないので、出身地さらあやふやになる。

そもそも、転勤するような年齢の人間が使う言葉ですらねえじゃん。


私鉄が強い
なぜ、阪急梅田駅はあんなに立派なのだ南海難波もそうだが、デパート建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。

こんなとこ関東の人が気にするポイントじゃないというか、そんなとこに注目するのは関西モンの特徴というか。


なぜ素直にお国自慢ができないのか。東京人に褒めてもらわないと胸を張れないのか。

ほんとこれな。

何かを褒めるときに、何かを貶す必要はないってどっかのブコメ最近見たが、

まさにこれな。

自分達の住んでるところが素晴らしいって思うなら、純粋にそのことだけを表明すれば良いんだよ。

関西人特に大阪人京都人関東とりわけ東京へのコンプレックスはいつになったら解決するんだよ。


関西からやたらと目のカタキにされるけど、関東人は関西なんて基本アウトオブ眼中なんで

関東から注目してもらいたいが為に関東disを大声で主張し続けてるとしか思えないわ。

たらこれ、好きな女子にイタズラを繰り返す小学校男子レベルじゃんよ。

ってのが大本エントリを読んだ感想だわ。

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