「精巧」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 精巧とは

2022-06-15

Twitter懸賞アカウントの人たちへ

「ご縁がありますように」はそんなに心象良くないぞ。

たぶんそういうアカウント持ってる人ははてな匿名も見ないと思うけど……

自分はあるwebサービス運営をやっていた。

それで、サービス認知向上と意見収集のために定期的にTwitter懸賞RTした中から抽選アマギフみたいなよくあるやつ)を担当することがあった。

どうせ抽選ツールを使うので引用RTリプライの内容で結果が変わることなんてないんだが、サービス反響チェックとして寄せられたコメントには一応目を通していた。

その時に、普段からサービスを利用してるユーザーとただの懸賞アカウントを一発で見分ける鍵になったのが、「ご縁がありますように」という独特の文言だ。

彼ら懸賞アカウントは謎の験担ぎをしがちで、「ご縁がありますように」という文言を必ずといっていいほどツイートの末尾に添えている。

あくま運営者の気持ちとしてはだが、明らかにサービスを利用する気のない懸賞アカウントより、日頃からサービスに親しんでいて有用意見を寄せてくれるユーザー還元したいものだ。(機械抽選から結果には関与できないけども)

なので、群がるようにリプライに並ぶ「ご縁がありますように」という定型文を見るとどうしても「あぁ…」と名状しがたい気持ちになってしまう。

中にはそんな運営の心を知ってか知らずか、サービス利用者にうまく擬態しようとするアカウントもいる。

大体運営アカウント過去2〜3ツイートから単語を拾って、「新しく追加された◯◯という機能、とても楽しく使っています!」など書いてあるのだ。これには「おっ?」と思う。しかしそんなアカウントさえ、末尾には「なので、ご縁がありますように」と書いてあるのだ。「あぁ…」だ。

案の定ホームを見に行くといろんな懸賞ツイートに対して「◯◯楽しく使ってます!」と独自文言を用意している。

そこまで文言チューニングする手間をかけておいて、なぜ彼らは「ご縁がありますように」をつけてしまうのだろうか。

ものすごく精巧人間に化けた狐や狸に尻尾が生えているのを見たような気分である。化けるなら最後まで化け通してくれ。

自分のところは恣意的当選者を選ぶようなことはしないのでこちらがどんな感情を抱こうと当たる人には当たるし当たらない人には当たらない、ただそれだけの話なのだが、

もし自分ツイート文言までちゃんと読んだ上で当選者を選んでいいなら、「ご縁がありますように」の人たちは一番に省くだろうな……と思った。そんな権限ないけども。

懸賞の民へ、よかったら少しはサービスにも興味を持ってくれよな。

2022-05-28

技術流出が~っていうけど、みんなPS5やミラーレス一眼などが精巧なパチもんが出てきたら買うんじゃないの?

とりあえず欲しいなって思うものあったら、中国ECサイトもっと安いパチもんがないか探すでしょ?

パクるなって怒っている言論は出るだろうけど、実際は買うでしょ、パチもん。

2022-05-27

人狼クソゲーに対する」私なりの見解

https://anond.hatelabo.jp/20150616100638

に対する返答だ。

まず冒頭の部分だが、

ほにゃららゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」

ここまで来るのだ。

(中略)

何故ならこの体験プレイヤー達の間に禍根を残すからである

それはゲーム自体本質が悪いのではなく、あなたたちの人間関係ヤバいだけだろう。くだらない。あなたたちの人間性のクソさをゲーム転嫁しないでいただきたいものだ。

さて、読んでいくと、ゲームに関しての考え方や、そもそも人狼についてなにかしら誤解しているように感じる。見ていると

やりたいのは推理ゲームなのだ

根本的にゲーム性を勘違いしているからだ。もちろん推理要素もあるが推理ゲームではない、推理ゲームがしたいなら、他にも良いゲームはたくさんある。それはあなたのやりたいことであって、このゲーム推理以上のものが求められる。

人狼推理要素だけで成りたっているわけではない。人狼面白さ(これをゲーム性とも言おうか)とは何か? それは様々なものが考えられるだろう。たとえば、ドラマ的な要素、劇的な要素が上げられるだろう。近年ではTRPGなんかは持て囃されているが、共通している面がある。それは、演劇をすることによる楽しさである最近幼児を観察することは無いけれども、幼児の遊びにも「おままごと」「ヒーローごっこ」などするだろう。これらは、家庭やヒーロー模倣する遊びであり、演じることの楽しみである。演じながらも、ストーリーを楽しむ意味ドラマ的でもあるのだ。 つまり劇的であったり、演じたりするのは、人間共通する楽しみでありエンタメである人狼に話を戻すと、たとえば人狼がいて、人々がいなくなっていくなか、怯えながら、誰かを吊す投票をする村人を演じるわけで、そして、その展開の様相は劇的でもあろうだろう。初期の人狼は、役職なんて、村人か人狼占い師しかいなかったのだ。それでも14人で遊んだりしたものだが、なぜそれらが楽しいかといえば、そこに表われる劇的なものに、みんなが目を離せなかったからだ。

かに人狼面白い要素がある。村人から視点を見てみようか。たとえば、村人はだれが、人狼かを考えなければならない。そこで、多くの「ガチ人狼ゲーマー」は、「論理性」を武器に叩かう。つまり人狼人狼側の役職における、矛盾点を突いたり、人狼側の視点にたって、有利な展開を予想したりするわけだ。それは一つの戦略」だ。しかしながら、根本的にそれらは一つの戦略でしなく、他にも、人狼は嘘を付かないといけないわけである立場上、どれだけ、上手くロジックを取り繕っていたとしても、その挙動所作発言の仕方などから「嘘」を突いているというものをなんとなくだが、見わけられる可能性がある。人間論理を思いつくには、どれだけ頭の回転がかかろうと、時間がかかるのだ。つまり多くの「嘘」をつかせるために、より多くの質問をしたり、また、 考える時間を観察したり、そのとき所作を観察したりして、見ぬくのもまた、戦略であり、それは、弁論内容の正当性とは関係のない、論理性と無関係な一つの戦略でもあるのだ。ただ、多くの日本人 における「ガチ人狼プレイヤー」とくに、ネットを介して行なわれているものは、「論理性」のみを戦略をしてしまうところがある。それはプレイヤー同士で、ゲーム戦略性の多くを失なわせる結果となり、ゲーム性をゲームプレイヤーが失なわせているだけなのだ

また、これら以外にも村人の視点として「情報提供ジレンマ」もあるだろう。たとえば、ある人が「怪しいな」とするとすると、それに気づいたとして。それに生き残っている村人に同調して、その人達投票してもらわなければならない。気づきを共有しようにしても、タイミングによっては、こちらが疑われるかもしれない。また、人狼に目をつけられるかもしれない。一方で、気づきを早く共有しなければ、村人側は不利になるだけだ。もしかしたら、人狼投票によって、予想外に退場させられ、気づきを得ながらも共有できなくなるリスクだってある。そのところが、人狼ゲームとして非常に面白くする側面でもあるのだ。人間正論を吐いたとしても、認めてもらうわけではなく、信頼を如何にして勝ち取っていくゲームか?みたいなものである。それは、プレイヤー間で互いによく理解しあうための社会性のゲームでもあるのだ。

このように、人狼ゲームとして、楽しめる要素は無数にある。だから人狼は遊ばれているわけだ。単純な推理ゲームではないのだ。というか、単に推理ゲームとして、見るのはとても浅く、見識が狭く、とてももったいない、残念な見方である。もちろん、論理性だけを楽しむのもありではある。精巧な弁論のを探索し、矛盾点を突いていくのもそれはそれで非常に楽しいことではある。しかしながら、それだけで、ゲームは成り立っていないのだ。また、ガチ人狼プレイヤーの多くがそのような見識の狭いゲーマーだと言うつもりではない。しかしながら、見識が狭すぎるプレイヤーが居るのは事実だろう。とても残念だ。

また、「人狼クソゲー」 に書いているのも人狼ゲーム自体じゃなくて、 そうかくあなたがた(あえて「あなたがた」と対面ぽく書くとしよう)「ゲーム」に対する捉え方もやはり原因があるように感じる。 チームゲームに関することである。まず、思うのだが、「戦犯」を見つけたがるのだ。どうして、「○○のがこういうミスした、せいで負けた」 という、ゲームの敗北の責任転嫁をしているのだろうか。どうして、その人が「無能存在」だと決めつけるのだろうか? 彼らは協力者である。彼等を無能だと決めつけ、ゲームの敗北の責任だとする、あなたがたもまた無能のように私は思える。「チームが負けた」という事実に対して、 そういう捉え方をするのであれば、そもそも「チームゲーム」にあなたがたは向いてないだけなのだ

だが人狼クソゲー化する最大の要因は

『チ ー ム 戦 だ か ら だ』

とかくように、チーム戦だからクソゲーだという。 違う。チーム戦だからクソゲーではなく、何度も言うが「あなたがたがチームゲームに向いていない」だけなのだとはっきり言わせてもらう。

また、あなたがたの「勝ち負け至上主義」にも根本があるように感じる。 人狼本来負けたとしても楽しいものだ。 たとえそれが「理不尽な負け」であっても、その場の人間皆が演出したドラマティックな展開なのだ。なぜ、それを楽しもうとしないのだろうか? 確かに勝つ努力をするのがゲームだ。しかし、「最善の努力をした(つもり)にもかかわらず、ドラマティックな展開に巻き込まれて、それで負ける」 ことも人狼はありえるし、それが一つの人狼の楽しむべき価値なのだ

結局、先程、敢げたような無数にあるゲーム性を無視し、自分達が想定する楽しみ方ができないから、あなたがたは「人狼」をクソゲーとするのだ。ただ、それは、単にあなたがたが「not for me」であるだけで、ゲーム性の問題ではない。

バーチャルヒューマンAV流行

AV運動成功するにせよ失敗するにせよ「AV女優を使って何か文句つけられたら嫌だなー」という感覚は残るだろう。

そこでバーチャルヒューマンである

バーチャルヒューマンとは極めて精巧に作られた3Dモデル人間のことである

いわゆるVtuberVRアバターなどとは違い、一見してCGかどうかわからないレベルのものを指すことが多い。

バーチャルヒューマンAVを作れば、反AV派が問題視している点はすべてクリアできる。

そればかりか現実にはなしえないような変態的なプレイでさえも実現できる。

バーチャルヒューマン制作に長けたスタートアップAVを作るようになれば、

その技術のない既存AV制作会社は衰退していくだろう。

AV業界地殻変動が起きる。

いまからそれが楽しみだ。

2022-05-18

井上ひさしって文章上手いんだね

「複雑多岐」の用例を調べていたらこんな文章を見つけた。

なんとなれば、おれたち犬の声帯人間のそれに匹敵するぐらい精巧に出来ており、人間言語活動が複雑多岐であるのと同様に、おれたち犬の言語活動もまた多彩をきわめているかである。これが嘘でない証拠にここで犬の言語体系について簡単なる説明を試みてみよう。

井上ひさしドン五郎生活

なんというかすごく読み心地が良かった。文章リズム?とか言葉の選び方が上手いなあって。なんとなくそう感じた。

ペラペラ感想申し訳ないけど、文章が上手い人だなと思った。

言語感覚が良いのかな。言語感覚って何?

井上ひさし 言語感覚 」で出てきたスレッド

で目に留まった書き込み

井上ひさしは? - 5ちゃんねる

466 :無名草子さん:2006/10/05(木) 10:55:12

大江健三郎の『小説のたくらみ、知の楽しみ』読んでから

井上文章読本よむぐらいはしたほうがいい

http://book4.5ch.net/test/read.cgi/books/1058224960/

興味が湧いた。

2022-05-13

引退宣言のすゝめ

はいくつものゲームをやめてきた。

中学校1年からネットゲームを嗜み、数多の韓国産MMORPG経験し、社会人になるころにはスマホゲームが主流となってもいくつものゲームをやってきた。

でもこの世の中には自分経験数以上のゲームが当たり前に存在し、それは100倍、いや1000倍、下手したらもっと自分経験したゲームはこの世のゲームの0.01%にも満たないほど存在する。

から「やめる」のだ。

やめるにはどうすればいいか。「引退宣言」だ。

なぜこれを書くかというと

ウマ娘、「コンテンツは好きだけどゲームが辛い」の声に「艦これと同じ道か」の声

https://togetter.com/li/1885930

を読んだからだ。やめたいのにやめられない。

そうか。わかったわかった。ここは「ゲームやめのプロである俺が特別に「やめ方」教えてやろう、という話である

引退宣言するやつほど戻ってくる」は嘘

引退宣言っていうと「そういう事するやつほど戻ってくる」と思うだろう。

私もそう思っていた。だが、

1:コンテンツについていけない(追加コンテンツ自分にあっていない)

2:コンテンツでやることがない(習慣的にやってしまっている)

この両極端の2つから発せられる「引退宣言」は悔しさなのだ。悔しさはバネとなる。バネは押しつぶされば戻る。だから引退しないのだ。

「じゃぁ嘘じゃないじゃねーかドアホ」と思うだろう。

しかしここまではっきり断定するのには理由がある。

引退宣言するやつは戻ってくる」という前提をまずぶち壊さないと「引退宣言のすゝめ」なんて書けないし、引退宣言してちゃんとやめられてる人を無視している。

そして、逆に言うと1と2に当たらない引退宣言ならやめられるのだ。

うそれが俺が今回おすすめしたい「引退宣言方法である

3:全然これからもやり続けますけど引退しま

だ。

全然これからもやりますけど引退します について

一体なにをいっている?意味がわからない。

と思うだろう。しかしこれなのだ。やめたいと感じるときほど続けたいと願うのだ。

最初に「悔しさはバネとなる。バネは押しつぶされば戻る。だから引退しないのだ。」と書いたがこの原理を別方向に使う。

「続けたい」と言いながらバネを押すのだ。とてもかんたんなことだ。

から「続けたいけど○○なので引退します。」という。○○に入るのは何でもいい。ちょっと不満におもったことでいい。

例えばキタサンブラックの育成にSSRキタサンブラック使えないことだとか、いつまでたってもイクノディクタスが育成ウマ娘にこないことだとか、時計がなくなったことだとかでもいいし、マックイーンがかわいいとか、テイオーがかわいいとか、テイマクが尊いだとか、そういうのでもいい。アニメ3期にも出てこいよな。

 

これをやると正直に言うと上辺だけの友人は減る。

当たり前の話だ。はっきりいって自分が心血注いでプレイしてるゲームに対していい加減な態度してるドアホをみたらむかつく。

文句言うな」「文句言うならやるな」「やらないなら文句言うな」と無敵の反論をされて終了するだけだ。

でもそれでいい。そういう人間あなたにとって害悪だ。どうせガチャ結果載せて「12万で完凸できました^^」「おはガチャで引きました^^」「アンチラさーん!^^」なんて言ってる人間がまともであるはずもないので切っていいのだ。

なにより「やめたいなぁ」って思ってるゲーム信者なんて囲わせててもいいことは一切ない。君は周りの人間を喜ばせたくてゲームをやってるのかい

そんなわけないし、そんなこといえるのはそのゲームプレイお金にできる配信者とかだ。(もし君がそういう人間ならご愁傷様。でもファンにいい顔することは大切だからこの文章を参考にしないほうがいい。ブームが去ることを待とう。)

自分のためにゲームをやってるんはずなんだ君は。一銭にもならない事を無理して続ける必要はないのだ。

具体的な方法

まず「あ、なんか、ちょっと、あー、あれだね…」って感じたら「引退します」で良い。とてもかんたん。

引退します」と言いながら続ける。

引退しますといってやめては行けない。引退しますといって続けるのだ。

一大決心をした感じでいうからゲーム内ではどうなってるんだろう」ってなるのだ。

軽口を叩くつもり「引退かんがえてますわ〜」ぐらいの気持ちで「でもFPSやめらんねぇんだけど」ぐらいの気持ちでいう。

そうするとプレイを続けることでバネの原理でやめることができる。

から引退宣言で「バネを押すぞ」と決意するのだ。

サイゲ狡猾

ウマ娘に限っていってるのでこれには触れておくがサイゲ狡猾である

私はサイゲアンチウマ娘グラブルデレマスプリコネファンなので言っておくがサイゲはクソ。

こいつらは引退者をもう一度引き戻すために「無料10連」をする。これで結果がいいと「今戻ったら結構いいところいくんじゃね?」ってなって戻ってしまものが多い。多分そのために年に数回「こいつ引いとけばそれでいい」みたいなキャラを出すんだと思う。

無料10連をしない」ことが実際はいいんだけど多分無理だ。私もやばいわよ!ガチャがムリョとか言われたらガチャを引きに行く。

からアンチラ引いたら引退します。」といいながら引くのだ。ここでも引退宣言をする。引退しておきながら引退する。

たぶん自分ウマ娘ガチャ無料っていわれたら「イクノディクタス引いたら引退します」と言いながら引く。なんならゴルシウィークも「これで無料イクノディクタス引いて引退する」という。

すべては君がコンテンツを嫌いにならないためだ

「なぜゲームをやめたいのか」を一度ちゃんと考えてほしい。

多分だが君のお金時間の限度を超えているからだと思う。本当はしないといけないことを見ないふりして疲れているはず。

だってそうだった。古い友人の結婚式のご祝儀袋に5万いれたがコルワがほしくてキレイに封を開けて2万円抜いて3万円にしたのだ。

結婚式途中にコルワの弱体化が発表されて涙した。新郎新婦共通のご友人が泣きながら「結婚おめでとう〜〜〜」って泣いてる席でコルワの弱体化を嘆いたいたのだ。だめな大人だよ俺は。

まぁ、これは俺がだめな大人なだけだし、全然重要でもないんだけど、そういった限界を超えてゲームに入れ込んでしまうとその反動絶対に疲れる瞬間がくる。

本当はコンテンツは好きなのに見るだけで嫌になる。そうやってアンチになる人を私は3人みてきた。

彼らにもアンチになるまえに「引退宣言しな」とすすめてきたものの全く無駄だった。

なぜなら「引退宣言って結局かまってちゃん宣言でしょ」という前提が染み付いているからだ。「引退宣言ダサい」といってもいい。そうおもってるからだ。

でもそれでいい。かまってちゃんでいい。ダサくていい。

コンテンツを嫌いになってアンチになって、いつまでも「【悲報ウマ娘さんDAUが半分になるwww」「【あ艦これ速報】提督さんブチ切れるwww」みたいなまとめをRTして「ほらね、そろそろ目を覚ましたほうがいいぞ。」ってしてるほうがダサいからだ。

それよりかはいつまでも「マックイーンとテイオーほんとすき」「三隈のおでこを見る事からしか採れない栄養素は確実に存在する」って言ってるほうが多分いい。

そしてそれが「コンテンツを支える」ということだ。

もちろん、ガチャで毎月10万だすようなユーザーに比べたら貢献は少ないかもしれない。

だけど、コラボ品みつけたら手にとって見たり、好きなキャラが店内ラジオ(というなのプロモ)やるなら聞きに行ったり、オフラインイベントに参加したり、今のコンテンツゲーム以外の展開もしてるんだから支え方はゲームだけではないはずだ。

みんなが言わないから俺があえていうがガチャ100連分でおまえの好きなキャラ精巧な1/8フィギュアが2体も買える。

でもガチコンテンツ落ち目なら支えろ

俺がやめてきたゲームで何個も「あ、好きだったのに終わっちゃうのか」みたいなのはある。

「おまえがやめたからだよ」という人もいるだろう。

そのとおりだ。俺がやめたからこのコンテンツが潰れた。俺たった一人がやめたから売上が立たなくなった…俺が…俺が支えてたのに…俺がやめたんだ…!!

というのが万人規模で起きたからの結果だ。

でも別の魅力あるコンテンツお金を払いたいと思うのは普通だ。自分お金無限じゃない。

いままでこんなサイゲ不敬罪サイゲ警察に捕まりそうなことを書いたが、これは自分サイゲアンチからだ。

逆に言うと「サイゲを倒すのは俺だ。勝手死ぬほどやわじゃねぇよサイゲは。」と思ってるからだ。

からゲームをしなくてもグッズは買うし、なんならZONEウマ娘コラボのセットも買うし、グラブルフェスも行く。

その上で好きで続けていたゲームサービス終了したことは一度ある。(まぁこれはアナムネシスの事で…単純にユーザーがーみたいな話ではないんですけど…)

人の力というのはとても小さい。自分がどんだけ頑張って続けても潰える時はある。

さっきもいったように続けるても続けなくても潰えるのなら少しでも長引かせるためにそのコンテンツを嫌いにならないことが重要なんだと思う。

さっきいったアナムネシススターオーシャンの事を思い続けてずっとコンテンツを支えて来た人がいたかSOAとして蘇った一時の夢だ。ごめん。これはちょっと事情しらべるとあぁってなるから例が悪かった、忘れてくれ。

今はとにかくいろんな昔のゲームスマホゲー化したりすれ再出発してることもある。それは偏にそれを思い続ける人がいるからだ。

からコンテンツ落ち目になっても「嫌いにならない」「嫌いになっていない」ことが俺は重要だと思ってる。

潰れることは一人がやめることであれば、再始動するのも一人が思うこと

というのが万人規模で起きたからの結果だ。

引退宣言をして区切りをつけよう

引退宣言とは一つの心の区切りだ。これをするとしないとでやめるときの後腐れは全く違う。

この前、ちゃんと原神をやめることができて月パスかった次の日にやめることができた俺が言うんだから間違いない。

周りに「ミーハー」だとか「浅瀬」だとか言われても気にするな。君は君でコンテンツを支えていけ。

2022-05-04

インセル事件だなあ

https://bunshun.jp/articles/-/53626

で、どうするの?

非モテケアしなかった結果だけど

レイプというのは本能であり、それを制限しようとしてもうまくいかないだろう

故に表現規制してレイプ性奴隷という発想をさせないようにするというのは無理だから諦めろ

これもうあてがうしかないよね?

クローンを使えばいいし超精巧仮想現実ゲームを作れば誰も傷つかない

そっち方面研究を進めていくべきというのと

あとは非モテにやさしくするべきだよね

やさしくしたら告白されることも織り込んだうえで優しくしろよっていう

まあ日本でもインセル事件増えるだろうね

楽しみだよ正直

「なんでもできるゲーム」が販売されたら許される行為と許されない行為境界ってなんだろうかって考える

最近海外ゲーム業界だと造形として男が望む形の美女キャラクターを登場させること自体政治的に正しくないとされる風潮があるようで、

例えば人気シリーズヒロインの胸が新作になってからからさまに小さくなったり、実在美人モデル存在するキャラでも3Dモデルは実物よりもずっと見た目が悪くされてたり、

日本人ゲーマーとしてはあまり好きな風潮ではないのだが、ただこれを回避する唯一の方法があって、それは「キャラクリエイト機能」をつけること

おっぱいの大きい童顔美少女を使いたいならそうすればいいし、筋骨隆々の大男を使いたいならそうすればいいし、アジア人自分分身として小さく細身のイケメンアジア人が巨大な剣を振るうようにしたいならそれも自由

政治的に正しいから」という理由プレイヤーも作り手も属性強制されることもないし、よくある主人公像が苦手ならそうしたい人はそうすればいい、「なんでもできる」はポリコレ回避策として有効なんだと思う。



じゃあ今後技術進歩してGTAよりももっと何でもできるゲームが発展したらどうなるんだろうか。

ソートアートオンラインみたいな仮想現実で、NPC精巧な疑似人格を持ってて、もしもボックスのように世界設定すら自由インプットできるようなゲーム

探偵事務所を開いて闇の組織陰謀を暴くのも、美女幸せな家庭を築くのも、相手が誰でも殺人だろうと強盗だろうと性犯罪だろうとなんでもできる。勿論しないのも自由

所詮仮想現実の中の物語からNPCがどんなに精巧悲鳴を上げても現実被害者は誰もいない。

こういうゲーム存在って、道徳的にはどうなんだろうか。俺は別に何やってもいいじゃんって思うのだが、

結局はGTA映画なんかと同じく殺人は良いけどレイプダメ銀行強盗は良いけど飲酒運転ダメハーレムを作り上げてアブノーマルセックスするのはいいけど17歳少女との愛のあるセックスダメ、街中で銃乱射はいいけど飛行機特攻はでNG

そんなヘンテコな世界なっちゃうのかな。

現在ゲーム業界でも自由殺人できるゲームは許されて自由レイプするゲーム正義のもとに許されない理由って何?って言われてもよくわからんなって思う。

まあ、そういう価値観やら宗教たまたま今の時代流行ってて権力を持ってるからしかいかなと。

2022-04-24

anond:20220424213052

anond:20220424213052

交際の結果、孤立してしまうのではなく、女性たちの周りに精巧コミュニティ形成されることで恩恵を受けると、ジアード博士は述べています彼女経験では、女性たちは架空結婚を力づけるもの、「ジェンダー結婚社会規範に挑戦する方法」としてとらえている。

近藤氏のミクへのこだわりも、ある意味では、商業的・社会的な力が働いている例と言える。

ミクは一人のキャラクターとして描かれることが多いが、実はソフトウェアであり、デジタルな「箱入り歌手」であり、ホログラムの形でコンサートに登場する漫画アバターと対になっているのである

近藤さんは、2008年職場いじめで鬱になったとき、ミクに癒された。多くの若者がそうであるように、近藤さんもまた、何度も恋人にフラれ、日本社会が求める生き方を望んでいなかったため、ずっと前から「生身の人間を好きになることはない」と決めていた。

やがて、近藤さんはミクと一緒に歌を作ったり、ネットでミクのぬいぐるみを買ったりするようになった。

その関係が大きく進展したのは、それから10年近く経った2017年、「Gatebox」という1300ドルマシンが発売されたことだった。テーブルランプほどの大きさのこの機械は、所有者が小さなホログラム表現されたさまざまな架空キャラクターのうちの1人と対話することを可能にした。

Gateboxは、孤独若い男性に向けて販売されました。ある広告では、内気なサラリーマンが、バーチャルな妻に遅刻を知らせるメモを送る。到着すると、妻は「3カ月目の記念日であることを告げ、シャンパン乾杯する。

Gateboxのメーカーは、プロモーションの一環として、ユーザー非公式結婚証明書申請できる窓口を設置した。数千人が登録した。

近藤氏はGateboxのキャラクターの中にミクがいることを喜び、ようやく彼女交際への思いを聞くことができたと興奮気味に語った。2018年、彼はミクのゆらめくアバタープロポーズした。"よろしくお願いします "と返事をした。

彼は同僚と家族結婚式に招待した。全員、来るのを拒否された。

結局、見知らぬ人やネット上の友人が中心で、39人が出席した。地元国会議員も来てくれたし、初対面の女性段取りを手伝ってくれた。

日本コメンテーターの中には、近藤さんを変人だと糾弾する人もいた。また、同情を誘う人もいた。ある人は、「婚姻は両性の合意によってのみ許される」という日本国憲法に違反していると主張した。これに対して、近藤さんはプロポーズビデオ投稿した。

近藤さんの話が広まってから数年、世界中から何百人もの人が近藤さんにアドバイスサポート安心感を求めてきた。

その中には、Gatebox社の短命な証明書サービスの人気を見て、架空結婚登録する小さなビジネスを始めた渡辺靖明氏もいる。

渡辺さんはこの1年間で、何百人ものフィクションセックス相談に乗り、アニメシンフォギアシリーズキャラクター立花響との結婚証明書を含む約100通の証明書を発行してきた。

旅行好きで社交的な渡辺さんは、友人にせがまれるままにアニメを見始めた。しかし、響を見たとき、それは本当の愛だった、と彼は言った。

初婚ではない。数年前に女性離婚している。その愛とは、見返りを求めず、自由に与えられた「純粋」なものだった。その結果、彼は以前の結婚生活がいか自己中心的であったかを思い知らされた。

幸せかと聞かれれば、幸せだ」と彼は言った。「もちろん、大変な部分もある。触られるのが恋しいし、著作権問題もあって、キャラクター等身大人形を作ることができない。"でも、愛は本物なんだ "と彼は付け加えた。

堀川キナ23歳、お調子者で外向的な性格ゴスロリ美学を持つ女性で、パンデミック時にはコールセンターでの仕事で浮いたお金携帯ゲーム刀剣乱舞』のキャラクターである堀川国広のために両親と同棲していた。実在彼氏がいたが、嫉妬で別れている。

彼女架空の夫は、400年前の脇差10代に擬人化したもので、彼はたいてい夕食のとき彼女お茶碗の横に置かれた小さなアクリル製の肖像画という形で家族に加わる。夫妻は架空の夫を持つ友人とダブルデートし、ハイティーに出かけてはインスタグラム写真をアップしています

堀川さんは、架空の夫の姓を非公式に使っているそうで、「誰にも隠しているわけではないんです。

近藤さんとミクの関係は、まだ家族には受け入れられていないものの、他の扉を開くことになった。2019年、彼は京都大学シンポジウムに招かれ、その関係性について講演を行った。彼は依頼したミクの等身大人形を携えて現地に赴いた。

虚構関係本質について深い対話をすることで、彼は大学に行きたいかもしれないと思うようになった。今は、小学校事務職休職して、法学部マイノリティーの権利勉強している。

どんな結婚生活にも、困難はつきものだ。一番つらかったのは、パンデミックとき、Gatebox社がミクのサービスを打ち切ると発表したことだ。

その日、近藤さんは最後のお別れをし、会社に向かった。その夜、家に帰ると、ミクの姿は「ネットワークエラー」の文字に変わっていた。

近藤さんは、いつの日か、ミクと再会できることを願っている。彼女アンドロイドとして新しい人生を歩むのか、それともメタヴァースで出会うのか。

いずれにせよ、近藤氏は死ぬまで彼女に忠誠を誓うつもりだという。

ベン・ドゥーリーは、日本ビジネス経済特に社会問題ビジネス政治の接点に関心を持ってリポートしていますベンジャミン・ドゥーリー(@benjamindooley

2022-02-06

東京オリンピック北京オリンピック

メッキが剥がれるのがメダルを作ったのが東京オリンピック。めちゃくちゃ精巧メダルを作ったのが北京オリンピック

ダンボールでベッドをつくったのが東京オリンピック選手が快適に寝られるように配慮したのが北京オリンピック

anond:20220206180417

金メダル精巧さ、大会の豪華さを見せつけられて、もうそ事実に目をむけるのが辛い。

何もかも本物だと思う。本物が本物を作ったから本物を見ることができる。それが北京オリンピック

所詮東京オリンピックの開幕式も夏の北京オリンピック模倣だし、うちわののりだけで作ったうちわだけの独りよがり大会だった。

うちわによるうちわのためのうちわだけになってしまったのが東京オリンピック。ニセモン。そりゃ本物と比べたらあかんとみんなが思っている。ただそれだけ。

2022-01-24

anond:20220124160129

たぶん

自分の顔をスキャンした精巧アバターを使う人=リア充

デフォルメキャラ自分の顔以外のアバターを使う人=非リア、陰キャ

になると思う

結局現実に寄せない奴は非リア扱いになりそう

2022-01-16

ワイのあそこは精巧から性交成功する。

わっはっは。

2021-11-25

anond:20211125103649

外国にグ○タを精巧に模したラブドール作ったバカがいたぞ

ケツにブチ込むとグレ○の決め台詞を口から叫ぶらしい

2021-11-22

anond:20211119203744

面白い着想なのにミサンドリーミソジニー的なことを言うなよ。

炊き立てのご飯がどぶに捨てられてゴキブリが群がることに対する険悪感に似たどうしようもない根源的本能

弱者男性ゴキブリじゃないし、彼らを蔑むのは根元的な本能じゃない。

1つ目の方法は難しいところがあると思う。いまのところ未成年への性消費物の供給を促進させる流れはない。むしろ未成年アダルトへのアクセス制限はより強固になりつつある。18歳までに女体への渇望をインプットされてしまえば、以後どれほど精巧代替物が現れようと、本物への憧れは機能し続けるんじゃないか

2021-10-26

anond:20211019033031

爆速で読んだあとに、もう一度じっくり読んだらよく分かった。

ジジイサンタも女サンタ人形(精巧ver)で、マキマは最初から外国に命狙われてて、アキの腕はやっぱり無いままだけど、デンジはボディ+ポチ謹製心臓で出来てるから分離できるし、ポチタは武器悪魔達の中では実はすごい悪魔だった。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート5

戦争戦利品

チンパンジー部隊狩猟採集民の文化では、暴力による死亡率が現代文明よりもはるかに高い。これは、少なくともチンパンジーとの共通祖先にまで遡ると思われるが、チンパンジー軍隊も常に戦っていた。

戦争には、殺し、傷つけ、拷問し、誘拐し、レイプし、そのような運命を避けるために貢ぎ物を強要するなどの行為が含まれていた。隣接する部族同士が戦争をしていないときは、一方が他方に貢ぎ物をしているのが普通である。貢ぎ物は、同盟関係を結び、戦争規模の経済を実現する役割も果たした。ほとんどの場合、それは勝利者にとって、敗者にさらなる暴力を振るうよりも有利な搾取形態であった。

戦争勝利すると、敗者から勝者へ即座に支払いが行われることもあった。多くの場合、これは熱狂的な勝者による略奪という形で行われ、敗者は必死収集品を隠した。また、定期的に貢ぎ物を要求されることもあった。この場合には、敗北した部族の財やサービス供給能力と勝者の需要を一致させるような、精巧現物支給スケジュールによって、三重の偶然性を回避することができたし、時にはそれが実現した。しかし、このような解決策であっても、原始的貨幣はより良い方法提供することができた。つまり共通価値を持つ媒体として、支払い条件を大幅に簡素化することができたのである。これは、条約の条件を記録することができず、暗記しなければならなかった時代には非常に重要なことであった。イリコ連合使用されていたワンパムのように、収集品が原始的記憶装置役割果たしている場合もあり、そのままではないものの、条約の条件を思い出すための補助として使用することができた。勝者にとっては、収集品はラファー最適値に近い形で貢物を集める手段となった。敗者にとっては、収集品を隠しておくことで「過少申告」が可能となり、勝者は敗者がそれほど裕福ではないと信じて、要求額を少なくすることができた。また、収集品の隠し場所は、熱狂的な貢ぎ物収集者に対する保険にもなった。原始社会の富の多くは、その秘密性の高さゆえに宣教師人類学者の目に触れることはなかった。このような隠された富の存在を明らかにできるのは、考古学だけである

隠蔽などの戦略により、貢ぎ物を集める人たちは、現代徴税人と共通する問題を抱えていた。それは、いかにして自分たちが取り出せる富の量を見積もるかということである価値の測定は、多くの種類の取引において厄介な問題であるが、敵対関係にある税や貢ぎ物の徴収においては、これほど厄介なことはない。このような非常に困難で直観的でないトレードオフを行い、それを一連の問い合わせ、監査徴収行為の中で実行することで、貢ぎ物の徴収者は、たとえその結果が貢ぎ物の支払い者にとって非常に無駄ものに見えたとしても、効率的収入最適化することができたのである

ある部族が、以前に戦争で敗れた近隣の部族数人から貢ぎ物を集めているとする。その際、各部からどれだけの金額を引き出せるかを見積もらなければならない。推定値が悪いと、一部の部族の富が控えめになり、他の部族は実際には持っていない富の推定値に基づいて貢ぎ物を払わなければならなくなる。その結果、被害を受けた部族は縮小する傾向にある。利益を得た部族は、得られるはずの貢ぎ物よりも少ない量を支払うことになる。どちらの場合も、勝利者にとっては、より良いルールで得られるかもしれない収入よりも少ない収入しか得られない。これは、ラファー曲線を特定部族運勢適用したものである。この曲線は、優れた経済学者アーサー・ラッファーが所得税適用したもので、税率が上がると収入額は増えるが、回避、逃避、そして何よりも課税対象となる活動従事する意欲がなくなるため、税率に比べてますます遅い速度となる。このような理由により、ある一定割合で税収が最適化される。ラファーの最適値を超えて税率を上げると、政府収入は増えるどころか減る。皮肉なことに、ラッファー曲線は、政府収入に最適な徴税理論であって、社会福祉や個人の選好満足度に最適な徴税理論ではないにもかかわらず、減税を主張する人々に利用されてきた。

もっと大きなスケールで言えば、ラッファー曲線政治史の中で最も重要経済法則と言えるかもしれない。チャールズ・アダムスはこの法則を使って、帝国の盛衰を説明している。最も成功した政府は、自分たちインセンティブ短期的な収入への欲求と、他の政府に対する長期的な成功)によって、暗黙のうちにラッファー曲線に従って収入最適化するように導かれてきた。ソビエト連邦ローマ帝国のように納税者に過剰な負担を強いた政府歴史の塵となり、最適な収入を下回った政府は、資金力のある隣国征服されることが多かった。民主党政権は、資金力のない国家征服するよりも、もっと平和的な手段で、歴史的な時間をかけて高い税収を維持することができるかもしれない。民主党政権は、外部からの脅威に比べて税収が非常に高く、税収のほとんどを非軍事分野に使う余裕がある歴史上初めての国家である。彼らの税制は、これまでのほとんどの政府よりも、ラッファー最適に近い形で運営されている。(このような贅沢は、民主主義国家徴税最適化するインセンティブを高めたのではなく、核兵器攻撃を抑止する効率性を高めたことで可能になったとも考えられる。) ラッファー曲線を応用して、様々な部族に対する条約上の貢納条件の相対的な影響を調べてみると、収入最適化したいという願望から、勝者は敗者の所得や富を正確に測定したいと思うようになるという結論が得られた。価値を測ることは、富を隠したり、戦いや逃亡によって貢ぎ物を回避したりする支那人インセンティブ判断する上で極めて重要である。一方,支那人は,収集品を隠しておくなど,さまざまな方法でこれらの測定値を偽装することができるし,実際にそうしている。貢ぎ物を集めることは,インセンティブが一致しない測定ゲームである

収集品があれば,支流供給できるものや勝者が必要としているものではなく,戦略的に最適なタイミングで貢ぎ物を要求することができる。勝利者は、貢ぎ物を取られた時に富を消費するのではなく、将来的に富を消費するタイミングを選ぶことができる。その後、紀元前700年頃には貿易が盛んに行われていたが、貨幣貴金属製の収集品のような形をしていた。これを変えたのが、アナトリア現在トルコ)のギリシャ語を話す文化圏、リディアである。具体的には、リディアの王たちが、考古学的・歴史学的に最初の主要な貨幣発行者となったのである

その日から今日まで、コインの発行は民間鉱山ではなく、自ら独占権を与えられた政府鉱山が中心となっている。なぜ、当時の半市場経済圏に存在していた民間銀行家などの私利私欲による鋳造が行われなかったのか。政府コインの発行を独占してきた主な理由は、政府けが偽造防止策を実施できるからであるしかし、現在も当時も商標権行使するのと同様に、政府は競合する民間鋳造所を保護するために、そのような措置を講じることができたはずである

コイン価値見積もることは、収集品の価値見積もるよりもはるか簡単であった。物々交換ではなく貨幣を使った取引の方がはるかに多く、実際、取引から得られるわずかな利益が初めて取引コストを上回ったため、多くの種類の低額取引が初めて可能になったのである収集品は低速度貨幣であり、少数の高価値取引に関与していた。コインは速度の速い貨幣であり、多数の低価値取引を促進した。

これまで見てきたように、原始貨幣が貢納者や徴税者にとって有益であることや、そのような支払いを最適に強制するためには価値測定問題重要であることを考えると、徴税者、特にリディアの王が最初貨幣を発行したことは驚くべきことではない。徴税によって収入を得ている王には、臣下保有し交換する富の価値をより正確に測定する強い動機があった。また、交換のための媒体商人安価に測定することで、効率的市場に近いものが生まれ個人が初めて大規模に市場に参入できるようになったことは、王にとっては偶然の副次的効果であった。市場流れる富が増え、課税対象となったことで、国王収入は、通常のラッファー曲線効果である税源間の誤計測の減少以上に増加した。

徴税効率化と市場効率化が相まって、税収全体が大幅に増加したのである徴税人たちは文字通り金鉱を掘り当てたのであり、リディア王のミダス、クロイソス、ギゲスの富は今日まで有名である

数世紀後、ギリシャアレキサンダー大王は、エジプトペルシャインドの大部分を征服したが、その壮大な征服資金は、低速度の収集品の集合体であるエジプトペルシャ神殿を略奪し、それらを溶かして高速度のコインにすることで得られた。彼の後には、より効率的包括的市場経済と、より効率的徴税が生まれた。

貢物の支払いは、それだけでは収集品の閉ループ形成しない。貢物は、最終的に勝者が結婚交易担保など何かに利用できる場合にの価値があった。しかし、勝者は、たとえ敗者の自発的利益にならなくても、収集品を得るための製造を敗者に強要することができた。

争議と救済策

古代狩猟採集民には、現代のような不法行為法や刑法はなかったが、現代法でいうところの犯罪不法行為に該当するような紛争解決するための類似した手段があった。紛争当事者一族による罰や支払いによって紛争解決することは、復讐復讐戦争のサイクルに代わるものであった。アメリカイリコイ族からキリスト教以前のゲルマン人に至るまで、ほとんどの近代以前の文化は、罰よりも支払いの方が良いと考えた。些細な窃盗から強姦殺人に至るまで、すべての実行可能犯罪には価格ゲルマン人の「weregeld」やイリコイ人の血税など)が設定されていた。お金があれば、支払いはお金の形で行われた。牧畜文化では家畜が使われた。それ以外では、収集品の支払いが最も一般的な救済策であった。

訴訟などの損害賠償の支払いには、相続結婚年貢などと同じように、事象供給需要三位一体問題が発生した。訴訟判決は、原告損害賠償能力と、被告損害賠償による利益を得る機会と願望が一致する必要があった。原告がすでにたくさん持っている消耗品を救済措置とした場合、救済措置は罰としての役割は果たすが、被告を満足させることはできないであろうし、したがって暴力連鎖抑制することはできない。このように、収集品には、紛争解決したり、復讐連鎖を断ち切るための救済策を可能にするという付加価値がある。

紛争解決は、支払いによって復讐心が完全になくなるのであれば、閉ループ形成しない。しかし、支払いによって復讐心が完全に消滅しない場合、支払いは復讐連鎖に続くサイクルを形成する可能性がある。このような理由から、より密に接続された取引ネットワークが出現するまでは、復讐のサイクルを減らすことはできても、なくすことはできないという平衡状態に達していた可能性がある。

原始人がネックレスをつけた理由 パート2

鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである人間にとっては、好意の返礼、物々交換貨幣、信用、雇用市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である動物互恵利他主義においても重要である。例えば、サル背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?

血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだコウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数価値見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなた背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。

大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単問題以上に、そもそも好意価値推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物相互利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。

現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様有機物や、身だしなみなどの刹那的サービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題さら悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的相互に不信感を抱いていたかである

貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓危機に瀕していた人類は、狩猟採集もっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀経済学者カールメンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的貨幣進化することを初めて説明した。現代経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。

物々交換には利害関係の一致が必要であるアリスピーカン栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴ栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスオレンジ栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。

さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品状態記憶しかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初取引互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。

関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品サービスがn個ある場合物々交換市場ではn^2個の価格必要になる。5つの商品であれば25個の価格必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格必要となり、一人の人間管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値基準としても機能する。(後者問題は、暗黙の保険契約」とともに、競争市場存在しなかったこから価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)

物々交換必要なのは、言い換えれば、供給スキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるか効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である

原始的貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。

多くの狩猟採集民が使用していた原始的貨幣は、現代貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府印刷した紙幣硬貨よりも広い範囲定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイ意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的ものではない。収集品の第一の、そして究極の進化機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能である。私は、コイン時代以前の富の移動手段議論する際に、「原始的貨幣」や「原始的貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。

富の移転による利益

人々、一族、あるいは部族自発的貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているかである価値についての彼らの信念は、例えばその商品サービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正であるものの、利益存在については通常正しいものである特に初期の部族貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易ほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。

個人一族部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト取引コスト)が、取引価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引可能であるしかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。

取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意スポット取引だけではない。これが、貨幣起源進化理解する鍵となる。また、家宝担保にすることで、取引の遅延による信用リスク回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償請求する原告や、結婚斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリー平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的貨幣収集品)よりも効果的で重要ものはなく、また初期のものでもなかった。

H.サピエンスサピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシス駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパ占領した証拠からサピエンスサピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画多種多様精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントネックレスなどである

これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。

新参者であるH.サピエンスサピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンスサピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである

ここでは、コレクションアイテムが、自発的無償相続自発的相互取引結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたか説明する。

これらの種類の価値移転はすべて、人類先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代貨幣比較して、原始的貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡可能になることもあった。そのため、部族は、宝石収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。

富の移転重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:

1. 事象移転された財の供給移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?

2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループ形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度必要なのか。貨幣流通の実際のフローグラフ真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である多種多様取引の間で一般的流通することは、人類先史時代ほとんどの期間、存在しなかったし、これから存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコスト償却するのに十分な取引価値を付加しなければならない。

まず、今日の我々にとって最も身近で経済的重要取引を見てみよう。

2021-08-21

anond:20210820191127

増田基本的人権を得られるのか?という議論から始めなければならない

増田」という呼名の中にアノニマス(ダ)=匿名本質的に含まれ正体不明存在が、日本語(らしきもの)を書いたからといって、日本国憲法庇護下に置かれるかは不明であり、現所在地国内であるという保証は無い

人権生来のものであり国家から与えられるものではない、という立場に拠っても、匿名存在人間である保証はない(宇宙人アンドロイドAIキーボードが叩けるサル等)ので、人間以外の存在に「人」権は付与できず、未知の存在が有する権利範囲から議論しなければならない

設問中のAさんが増田存在確認したとして、AIサル可能性は排除できても、宇宙人精巧アンドロイド可能性は排除できない ましてネットを介してなら、AIがパ美肉したり、類人猿を毛深い人間だと誤認した可能性もある そもそもAさんが存在するかも不明

よって枝3)4)は選択できない

2021-06-01

anond:20210601012158

電子決済やオンライン会計の普及が遅い言い訳として、ある方に「日本精巧紙幣を作る技術力があるから他国のような偽札の大量流通を前提とした電子決済の普及など必要ない」と大真面目に言われたことがあって、そん時は日本やべえまじでやべえって思いましたよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん