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[B! これはひどい] 谷垣禎一氏が語るLGBT「政治だけで解決できぬものがある」~夜の政論③
https://l.pg1x.com/qjRZ95WtEWSfFiSNA
やっと谷垣批判が出てきたかと思ったが、悪口しか書いてないから反自民のはてなーはバカで知性が疑われるって思うんだよ。
この対談の①のブコメで「谷垣が現役ならアベの跳梁跋扈なんか許さなかっただろう」みたいなおマヌケそのものの戯言も書いてあって本当にオマエラはバカなんだなぁ、って思うよ。
当時の谷垣が総理になれるか、つーたらなれねぇよ。もう少し新聞読めや。10年も昔の新聞なら今ほど劣化してねぇから(更に10年前ならますます劣化していない)。
いちいち指摘するのも面倒なのでテメェで調べろ(記憶で書くとオマエラに足をすくわれるからな。腹立つんだよ、バカにバカにされるのは)。
チャリで事故遭う前に既に谷垣は総理の目はなくなってたんだから。今は言いたい放題だ。
クリスチャンのジャップ批判は本当にその通り。まぁ、対象が「神」っていう最高峰の「契約者:甲」なのは嗤うけどな。
だが一人ひとりが責任を持つ、自己に責任を持つ、ってのは絶対的に正しいんだよ。
だからこそ、公でウマウマとかしてる輩は徹底的に叩かれるべきだし、公文書偽造は叩かれるべきだし、責任を感じて自殺なんかするのは本当にバカである。社会への責任のために、古巣に泥を掛けるぐらいするのが、「人間として自己に責任を持つ」って態度だ。
財務省なんか裏切っちまえ。国民の敵の役所だぞ。野党が「財務省を解体し、互いに喧嘩する歳入庁と歳出庁にします」って言ったら俺は野党に投票するぞ。まじで。
まぁ周囲からの圧力でストレス自殺なんだからしゃあねぇだろとは思うが、遺族含めて俺は同情しない。自殺した奴と不倫した奴と俺を裏切った奴には同情しないんで。
Colabo事案の都の職員もストレス自殺するレベルで詰められればいい。アイツラ含め全員「人間として自己に責任を持たない」怠惰な惰性で動いているうじ虫共だからな。自殺が嫌だったらちゃんと仕事しろ。
まさにこれなので、身元のはっきりした官製婚活は唯一確実な少子化対策として機能するポテンシャルがあるのになあ
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190624/1561360692
「街や職場で、やりとりのノイズとして「出会い」が混入することが減ってしまった以上、「出会う」ためには「出会い」に特化した場、たとえば合コンや婚活といった「出会い」を目的としたコミュニケーションの場に赴かなければならない。少なくとも、社会契約のロジックに忠実な未婚男女ならばそうだ。売買の場や仕事の場に「出会い」というノイズを持ち込むのは、合目的で効率的なコミュニケーションを旨とする契約社会のロジックからの逸脱であり、不心得なことである。」
ここにだけは同意するけれど、他は疑問だなー。
少なくとも少子化が叫ばれ出してからの日本では、子育てには十分なリターンがあるし、後先考えずにとにかく産めという風潮が強いでしょ。
「子育てはナンセンス」なんて全く思われていないし、社会を上げて(適齢期での)妊娠出産が奨励されてるじゃん。
現代の日本の少子化のまず第一の原因は何よりもそれが「出来ない」からだよ。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20200717/1594971333
一例を挙げると、私からみた日本経済新聞はイデオロギー色の強いメディアとうつるが、資本主義や個人主義や社会契約のならいを徹底的に内面化している人からみれば、日本経済新聞は思想的には無色透明なメディアとみえるだろう。
はてサ、これが男性クリエイターが作ったものに見えている、、、?
aquatofana 「B子になろうよ」なら「B級品を活用できる人かっこよくね?」ってニュアンスにもなり得たかも知れないが、「〜でいい」は「劣っている」のメッセージがあってダメだな。B男で〜にならないあたりも女性品評感が出る。
hate_flag 女を貶める広告を呼吸するように自然に作っちゃうのはよくない。なぜ気づけないのか。デザイナーは「B男でいいじゃん」ってのにはイラっと来るんだよね?
kingate B男でええやんけ(笑) ミラーリングされて痛くない方が前に出ればいい。最初からそうしてミラーリング批判は無視しろ。こんなの批判で社会契約上の平等が成立するかよ。
長文返信ありがとう。せっかくなんでこちらの記事に返答書いてきます
反論一辺倒になるのは俺も好きではないので相違点を明らかにしながら応答する形で…
自己啓発でよく名前の上がるマズロー、名前は知ってるけど今回の話題の整理にぴったり来るものではなさそう
俺が言ってる「人類が元来持っているもの」は社会契約論の「自然状態」とかロールズの「原初状態」が近いんじゃないかと思う
(我流で考えてるんで他の思想家でぴったり来る何かの概念が思いつかない)
マズローの欠点は z1h4784 の示すとおり欲求の分類が恣意的で曖昧なところで、
この曖昧な分類を元にした「生理的欲求」を否定されることがすなわち俺が再々言ってた「尊厳を損う」ことではないです。言葉足らずだった
とにかく、俺のこの内から来る欲求をメディアの介在で変更可能だと認識したり極端な話薬で安易に除去したりしてほしくない、
こちらの意見、俺と z1h4784 で同意が取れているかと思ってたら違うという認識だったので意外。
特に性に関する話題は誰が誰に対して行動するかで価値が大きく変わるので、本文中や追記に「人によって線引きが異るよ」と主張したつもりだった
先程の夫婦生活から言うと隣の旦那に性欲を向けられるのはたまったもんじゃないと思うが隣の旦那が隣の家の妻に性欲を向けたって問題ない
はてな内では総論では性欲≠性暴力だっていう合意は取れてても、各論に入るとぐちゃぐちゃになるんだよな
今回の話は共産党の表現の自由規制から発したと認識してるんだけど、創作物であるポルノに対して
それらは加害ではないということを主張したい
こういうの、「どの程度のものが不快か」については人によって線引きが違うから調整しなきゃいけないって話なんだろうけど
ネットみたいに情報が制御しやすい環境では、「私はこのくらいの性的刺激が好みです」とリコメンドしたら
それに沿ったコンテンツが見れるくらいの環境を整備するのが、自由主義的でいいような気がする
自分が制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事が制限されてもそうは感じないだろう。
これはそうではなくて、「状況が許されたら自由に享受するのがあるべき姿」なのが非悪(善とまでは言わない) 、「状況が変わってもない方が望ましい」のが悪だと認識してる
「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」という例なら、コロナ禍が収まれば当然自由に入山できるのがあるべき姿だ
いじめについては正直どの状況がクリアできればそれがあっても望ましいのか想像もつかない
性的欲求はどうか?個人個人が理想の欲求を享受できる場があれば、それはあるべき姿だと思ってる。それはバーチャル空間のポルノかもしれないし、潤沢に用意されたフィクションかもしれない
共産党の表現規制は、この欲求をあるべきでない姿だと認識しているように見える。それが悪扱いだ
ここに反対したい
とはいえ現在技術的な問題が残っている状態なのでいくつか他者の不快にも配慮しなきゃいけないのは認識がある
近所の小学校の数百メートル先にエロゲ―ショップがあり下校中の小学生がポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている
https://togetter.com/li/1426932
俺としては秋葉原の町並みはゾーニングの中で許容範囲だと思うが、
これが一般的に小学生が一人で移動を許される学区内でもOKかと言うとさすがにNGだ
これがどこまで線引きがOKなのか俺個人も明確な答えがあるわけではないが、
昨今のコンテンツの中でエロではないという線引きが最も合意された例がウマ娘なんではないか
このコンテンツは馬主の意向でエロ二次創作ができない状態だが、現在のところ大きな禍根なく運用がなされている
多少の露出度はあるかもしれないが、このレベルなら健康をアピールしている範囲であって公共の場で認められると俺も思っている
https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/287905
https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/284507
(水着イベントの衣装とかは12歳以上のレートになっているので少し厳しいかもしれない)
恐らく今後、こうした擦り合わせをどこかで行っていくのだろう
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自分語りは苦手だけど、立場を明確にすると表現の自由はなるべく尊重したい立場
んだけど、その他に僕が憎悪している相手をリストアップして共通点を探ってみる
いわゆるネトウヨが嫌い。テキトーなこと言って自国礼賛をしているバカは生きている価値が無い。百田尚樹を愛読してるような奴。あと、歴史修正主義者や余命信者は論外。こいつらは、頭が悪いから大嫌い。
ピラホロごっことかに興じてた、ハン板にたむろってたようなネトウヨが嫌い。あれは、あまりに恥ずかしいだろ。痛々しいオタクとか見たのと同じ嫌悪感が出てくる。
あと、自称ヲチャーとか言ってるやつら。こいつらも同じで、見てて居たたまれないオタクネタとかで偉そうなこと言うからからマジで勘弁して欲しい。銀英伝とか攻殻機動隊を引用したり、身内で位階作って褒めあったりしてるの。あれを良い大人が真顔でやっているというのが、噴飯もの。とにかく存在が恥ずかしい。
もちろんビジウヨも嫌い、平民とか。ほんこんみたいなウヨ芸人はただただ見苦しい、偉そうなこと言う前に学位とれよ。
これは保守系の政治家などにも言えることだけど、さんざん道徳だの愛国心だのエラソーなこと並べ立てておいて、その実、クソみたいな行為に手を染めていたりする連中が特にクソすぎる。ネットでエラソーなこといって配信していたボウズPを名乗る者が、シャブポンプで捕まったりね。今、バッジらしいけど。アホな有権者にはお似合いだ。
まあ、顔出ししてないまとめサイト運営者とかは、まだ許容できる。単なる商売だと割り切れるだけマシ。
死刑賛成論者とか、厳罰主義者が大っ嫌い。あくまで、国家が刑罰を行うのは、その人を更生させて社会復帰させるため。被害者や大衆が、厳罰下してスッキリしても、特に何も得るものが無い。そんな単純なことにも気づかず、自分のクソくだらねぇお気持ちで国家刑罰権を扱おうって言う料簡が全く許し難い。可罰感情というのは、感情に過ぎない。
これは、いわゆる保守系の応報刑信者もそうだけど、性犯罪者に厳罰を求めるフェミ系もそう。国家は、お前らの厳罰オナニーでスッキリするためのズリネタではない。頼むから死んでくれ。
ハーバーマスが大嫌い。こいつが諸悪の根源。思考実験の積み重ねで論理を作ってきたリベラルの系譜にとどめを刺したクソ左翼。社会契約論の自然状態にせよ、ロールズの無知のヴェールにせよ、そんなものが存在しないなんてことは、百も承知。こういう架空の前提の存在を否認したあげく、じゃあお前の判断基準が何かといえば「公共圏」。おいおい、ふざけんなよ。
結局、公共圏なんて吊し上げ大会にしかならないし、それは学生運動で痛い程わかっているはずなのに、自分を持ち上げる学生運動を切って捨てたクソ野郎ハーバーマス。そんで、アイディンティティポリティクスへの道筋もつけた。マジで万死に値する。今の政治的対立の諸悪の根源はこいつ。
単なる多数派の独裁。無批判に伝統を受け入れるだけのゴミ以下の思想。未開の土人やカッペのジジババ、あるいは胡坐をかく無能な貴族を正当化するためだけのカス。消滅した方がいい。
ハーバーマスの最悪の部分とバーク保守主義のマシな部分を合体させたウンコ以上ゲロ以下の何か。サンデルとかありがたがってるバカは三回ぐらい死んだ方がいい。
暴力なしでなんとかできるとかいうのがおこがましい。南米の司法権が及ばないカルテル支配地域とかで暮らしてほしい。管理された暴力のありがたみがわかるだろうよ。
このへんは、まじで許し難い。
(2020/04/04 FT)
Covid-19のパンデミックに明るい兆しがあるとすれば、それは偏った社会に一体感をもたらしたことです。しかし、ウイルスやその対策としての経済封鎖は、既存の不平等に光を当て、さらには新たな不平等を生み出すことにもなります。病気を克服するだけでなく、すべての国が間もなく直面する大きな試練は、現在の共通目的意識が危機後の社会を形成するかどうかです。西洋の指導者たちが大恐慌や第二次世界大戦後に学んだように、集団で犠牲を求めるためには、すべての人に利益をもたらす社会契約を提供しなければなりません。
今日の危機は、多くの豊かな社会がこの理想にどれほど及ばないかを明らかにしています。パンデミックを食い止めるための闘いが、医療システムの準備不足を露呈したのと同様に、政府が大量の破産を食い止め、大量の失業に対処しようと必死になっている中で、多くの国の経済のもろさが露呈しています。政府は、大量の倒産や大量の失業を回避するために奔走しています。国民総動員の呼びかけにもかかわらず、私たちは実際には全員一緒にいるわけではありません。
経済の締め付けは、すでに最悪の状況にある人々に最大の犠牲を強いるものです。一夜にして、ホスピタリティ、レジャー、およびその関連部門で何百万もの雇用と生活が失われた一方で、高給取りの知識労働者は、しばしば自宅で仕事をするという迷惑な状況に置かれています。さらに悪いことに、まだ働ける低賃金の仕事に就いている人たちは、介護士や医療サポートワーカーだけでなく、倉庫作業員や配達員、清掃員など、命がけで働いていることが多いのです。
政府による経済への並外れた予算支援は、必要ではあるものの、ある意味では問題を悪化させることになります。不規則で不安定な労働市場の出現を許してきた国では、そのような不安定な雇用形態の労働者に金融支援を提供することが特に難しくなっています。一方、中央銀行による大幅な金融緩和は、資産家を助けます。その背後では、資金不足の公共サービスが、危機管理政策の適用という負担の下で軋んでいます。
ウイルスとの戦いでは、一部の人が利益を得て、他の人が犠牲になっているのです。Covid-19の犠牲者は、圧倒的に高齢者です。しかし、ロックダウンの最大の被害者は、若くて活動的な人々であり、彼らは教育を中断し、貴重な収入を放棄することを求められています。犠牲はやむを得ないが、国家の努力の中で最も重い負担を負っている人々に、どのようにして返還するかを、すべての社会が示さなければなりません。
過去40年間の一般的な政策の方向性を覆すような、抜本的な改革を検討する必要があります。政府は、経済においてより積極的な役割を果たさなければなりません。政府は、公共サービスを負債ではなく投資とみなし、労働市場の不安定さを軽減する方法を模索しなければいけません。再分配が再び議題となり、高齢者や富裕層の特権が問題となるでしょう。ベーシックインカムや富裕層向けの税金など、これまでは風変わりだと思われていた政策も検討されなければなりません。
ロックダウン中のビジネスや収入を維持するために政府がとっている前例のない措置は、正しく、欧米諸国が70年間経験したことのないような戦時中の経済と比較されます。この例えは、さらに推し進められていきます。
戦争に勝った指導者たちは、勝利を待たずにその後の計画を立てました。フランクリン・D・ルーズベルトとウィンストン・チャーチルは、1941年に「大西洋憲章」を発表し、国際連合の方向性を示しました。イギリスは、1942年に普遍的な福祉国家を目指す「ベヴァリッジ報告」を発表しました。1944年のブレトンウッズ会議では、戦後の金融システムが構築されました。これと同じような先見性が今も求められています。真の指導者たちは、公衆衛生上の戦争を超えて、平和を勝ち取るために今すぐ動員するでしょう。
引用元:
https://twitter.com/HelenCSullivan/status/1246600170738868225