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はてなキーワード: 二項対立とは

2024-07-24

審美眼なるものを疑う人間は多分一定数いる。おれもそう。

実際年末の某番組みたいに、「お高くとまってる連中が本当に違いの分かる奴らなのか試してやろうぜ!」的な目利きがエンタメとして成立してる。ああいうのがヤラセかどうかなんてのは知る由もないし、大した問題でもない。

あれは違いを確かめ作業で、僅かな違いを識別する能力を示しはする。でも「イイもの」を見分ける能力であったり定義づける妥当性とは特に繫がらない気がする。

区別もつかないのに「こっちの方がいい」なんて言うのもちゃんちゃらおかしいけど、じゃあ違いが分かってる人の好みならある程度の普遍性を伴った基準になんの?って思う。ならないんならそれは単にその人が好きなものってだけで、別にイイものであるという事にはならんよね。「違いの分かる人」からお墨付きにはなるだろうけど。

仮にそういう基準になるんだとしたら、共に違いの分かる二人が

「うん、どっちも美味しいね。それはそれとして高いのはこっちでしょ?」

「美味しさがまるで違う。当然こっちの方が高いに決まっている」

と言ったときに、イイもの定義づけるのはどっちの意見にすればいいの?って話になる。まあどっちも別軸でイイものなんですといえばいいんだけど。安易二項対立は良くない。

もっと言えば、そもそも本当にその感想本心から来てるのか?って所もある。

人の本心なんて分かりはしない。違いが分かるかどうかなら試して答え合わせをすれば分かる事だけど、何が好きで何が嫌いかなんて拷問にかけたって本当の気持ちは確かめようがない。

まあ好き嫌いときでそこまで嘘を貫く道理もなければ、そこまで確かめようとする道理もないんだけど。だからこそ気持ち確認の精度にも疑問が残る。

まあこれは単におれがしょーもない事で嘘つく虚言癖の気があって、他人にもそういう部分があるんじゃないかっていう邪推デカいのかもしれない。

仮に大抵が本心であったとて、単に好きではなくイイもの定義づける感想として扱うにはもう理屈というより共感問題になってくる気がする。

SNS開いてるとたまに「あの名作の論理的分析」的な記事が流れてきたりする。

あの手のやつを読んでみると、作中の具体的な要素を並べてあったり、あまり指摘されていなかった視点提供されていたり、あるいは社会の風潮なんかと結びつけてあったりする。

でも根本的な問題として「じゃあなんでそういう要素がイイの?何の基準を以て?」と言われたら、そこはもう答えようが無いんじゃないかと思う。言われてみたら確かにそこがイイよね、という共感くらいで。そして「別にそこがイイとは思わんな……」と思うのだって不思議なことではない。

仮に辛いものは美味しいという定義存在するのなら、このカレーは辛いので美味しいというのは論理的評価として成立する。

いわゆる目利きでやってるのは、カレーが辛いか否かを判定する作業にあたる。

じゃあ根本的な話として、定義のもの妥当性はどこにあんの?

美味しいものはイイものである、という定言的な前提に対する仮言的な前提として扱えば、まあ正当性は得られる感じはする。

美味しいものがイイという前提を支持する理屈は何ら存在しないけど、まあ直感的に否定する人はあんまりいない気がする。

ただそれにしたって、辛いものと美味しいものとの関連の必然性も詰めていけば結局そこも理屈では解決しなさそうだけど。

個人好き嫌いとは区別して扱われがちなイイもの定義も、共感問題しか帰結し得ないんゃねえか?それって結局好き嫌い同調する内輪の問題しかなくねえか?って思う。

別にそれが良いとか悪いとかは一切思わんけど、なんか好き嫌いと違ってイイもの論理的に語れるし、然るべきリテラシーがあれば「理解」出来るんですよ、的な発言を見るとホンマか?って思うよね。

いや理屈以前の前提部分が共有されてるかどうかが一番肝心なんじゃないの?って。

まあこれの理屈もまたおれの世界観の上でしか成立しないのかも分からんけど。人が何かを考えるのに先んじて人間がイイと思うものなんて存在しなくて、定義問題しかないと思ってるし。

イイものはあると言ったらあるんだ!という宗教めいた本質主義だったり、それか特定物質特定感情をもたらすっていう唯物論めいた世界観なら、それはそれでイイもの定義づけられんかもしれんし、違いだけではなく「良さ」までもを見抜ける審美眼だって存在するかもしれない。

まあそれにしたって、快感をもたらすものがイイものであるという定義必要になるし、であればドラッグだってその範疇に入ってしまって、更に恣意的定義を重ねないといけないかもしれない。

2024-07-22

AI派と反AI

なんで仲良く出来ないんだろ?

てか、それに限らず最近SNSでの二項対立沙汰は『相手を必ず殲滅させる』みたいなムードになってて怖すぎるよ…。

2024-06-20

保守/リベラルってよく言うけど、まず政治経済でのスタンスは別じゃないんか?その二項対立でええんか?って思う。

大体政治右派経済左派保守派で、政治左派経済右派(実際の所は政治左派でも経済左派が多数って聞いたような気もする)がリベラルって印象だけど、そうじゃない類型を正確に分類出来ないんじゃないかって思う。

実際にはこのジャンルでこのスタンスなら表裏一体でこのスタンスでもこのスタンス、的な事なんだろうか。

経済はどっちも左派から政治面だけで分類してるんだろうか。

実際の政党がどうなのかと人に聞いたって、少なくともネットじゃ「あの政党保守!?リベラルさんの戯言には笑っちゃうぜ(逆も然り)」みたいなのばっかりだろうから意味無いんだろうけど。

もっと言えば経済スタンスだって国内経済で括ればその二項対立で済むけど対外的スタンスまで含めたらどうなんだろうか。国内では自由主義でも対外的には保護貿易をやるような場合だとかもあるだろうし、トランプ経済左派と言えるんだろうか。

政治だって国内対外的もので別軸なんじゃないだろうか。

国内政治○派対外政治○派国内経済○派体外経済○派みたいな類型じゃないと正確ではないんじゃなかろうか。

更に言えば分野ごとにスタンスも代わるんじゃなかろうか。

ネットで手軽に学ぼうとしてもドグマ化した主張ばかりだし、たかが一票ごときのために腰を据えて色々な本なり何なりを比較検討しながら各政党スタンスを見極めるのも面倒臭すぎる。

民主主義って暇人に有利すぎないか。まあ暇人は何においても有利なんだろうけど……

2024-06-11

理想主義現実主義ってよく二項対立にされて、大抵はなんだかんだ言いつつ後者大事なんだぜ、的な言われ方をしてる気がする。

別に両方大事だと思うし、もっと言えば理想現実の双方を別軸で語って混同してる気がする。

まず目標設定として現状維持改善か(あるいは悪化に甘んじるか)がある。この時点で「理想主義(おそらく改善を目指す姿勢を指す)」と「現実主義(おそらく現状維持)」があって、この二つを比べるのならまあ分かる。この場合の「現実主義」はあんまり賞賛を得られない気がする。

さらにそれを実現するための方法論がある。

まりに突拍子もなかったり実現の見込みが薄ければ、その原因の一つとして理想が先行しすぎている事もあるだろうし、よく言われてる「理想主義」はそれを指してるような気がする。夢想的と言ってもよさそう。

対して実行に移せそうな手段を「現実主義」と呼ぶんだと思う。

目標設定と実現方法の2段に渡って現実主義理想主義があって、いずれにしても方法論が夢想的であればあまり検討に値しなさそう。ネットでその手の人がよく「お花畑」って言うように。

ただ目的理想であっても方法論までもが夢想であるとは限らないし、同じく目的現状維持でも現実的な手段でなければ夢想的だし、その辺混同してる人が割といるような気がする。

2024-06-01

トンチンカンでない論理的思考が出来るかどうか

ラインって、結構ものすごく簡単なところだったりするんだよな。

例えば、

  • 二項対立ではなく三面的くらいの要因で考える
  • 平均だけでなく分散も考える
  • 「何があるか」だけでなく「何がないか」でも考えてみる

言葉にするとこんなに簡単だけど、こんなことが実践に移せないだけで本当にトンチンカンで何の役にも立たないことしか言えない人間が世の中にはいっぱいいる。

増田にはそういうのが凝縮されてる。

 

考えてみると、例えば人間は「あいつと俺は人種が違う」とものごとをふたつに分けた瞬間に何かの法則を見つけた気がするのだが、そこで「本当にふたつだけか、ここに分類できないみっつめもあるんじゃないか」と踏み込んで考えるくせがあるかどうかでこういう注意力が育つかどうかって決まるんだろう。

上の例でも、とりあえずふたつ浮かんだから書いたあとで、みっつめを探して書いてみたし。

そういうほんの少しの知的努力大事なんだなあ。

2024-05-24

anond:20240524045934

それ、排出対策でやってるだけで、原発が嫌なんじゃなくて、火力を避けてるだけだぞ

頭悪いと、二項対立しか考えられなくて三つ目が頭から抜けちゃうんだよな

2024-04-27

絵を描くことについて: 機能的と空間

ステップ1:主題理解を明確にする

ステップ2:予備分析文脈

ステップ3:予備分析批判的に指摘する

ステップ4:出力

2024-04-23

AIに限らず、技術革新はすべてこれ

資本家、雇い主が望んでいるのは「熟練工を減らして、給料の安いバイトみたいなのでまわすこと」なので、それを助ける技術革新は当然「熟練工には脅威」だが「非熟練工の雇用多様化する」ということになる。

単純な話なのに、世の中は「二項対立」を「三すくみ」に一つ増やして考えるだけでもう脳の容量がパンクちゃうアホがいっぱいいる。

2024-04-12

anond:20240410213232

どうあるべきかじゃなくて今どうなっているのかって話に対して

いや、そこが問題なんですよ(ニチャア

もう忘れましたか?(ニチャア

とかさ〜

人の話聞かずに二項対立しか物考えられてないの君じゃんねえ

「ここはその通りで」って文字列打ち込んだ時点で普通冷静になって読み直すでしょ普通

気がつきませんでしたか

2024-04-11

anond:20240410213232

なんというか、電気話題しろ経済ジェンダー話題しろ二項対立で考えすぎなんだよね。

とか言ってる奴が

完全な悪なら警察とか政治も動くでしょ?動かないのは献金しているからとか考える人陰謀論に片足突っ込んでいるから気をつけたほうがいいよ。

働いている人ならわかるけど世の中ってそんな単純じゃないよね?もしかして社会人なの俺だけ?みんな学生?え、怖いやめて

とかブーメラン投げまくってて凄いな

今度からは電力料金増田()じゃなくてダブスタ馬鹿と名乗れよ

anond:20240410213232

なんというか、電気話題しろ経済ジェンダー話題しろ二項対立で考えすぎなんだよね。

左派伝統的に間違った権力や主流派対峙する正しい自分たちというポジションで論を展開するので、相手を悪にして対立を生み出さないと主張できないのです

2024-04-10

電力料金増田だよ

どうも、お久しぶりです。

東電が電力料金の値上げをしたとき解説増田anond:20230123193135)を書いた人です。

原発言及したらクッソ叩かれて致命傷を負ったのでしばらく書いてなかったんだけど、

まりにもおかしいこと書いてあるからそこだけ訂正させてくれーーー

再エネに投資が集まっているのか

再生可能エネルギーは、施設製造建設・設置、さら運営ノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており

これは眉唾。再エネは採算の取りやすい良い立地から開発されて行って結局後のほうで開発されるのはあまり採算の良くないところになって、あまりからなくなってきてます

例えばこれとか見てもらえると https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC221NG0S3A520C2000000/

メリットオーダー論

既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。

0円以上で売っても利益にはなるとは限らないです。もしかして新聞は紙とインク代まで値下げしろってごねる人ですかね?固定費とかってご存知ないです?

あとね、原発限界費用は0円です。逐一燃料投入しないからね。どっちも勝手に発電されるって書いてるのにおかしいと思いませんでした?

止める意味が無いっていうのもおかしいです。ネガティブプライス導入している時は止めるのも良くあります

しろ風力の場合だと上方の調整力供給という意味でも止めることは欧州とかでもよくありますね。

そんなもの価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。

いや、そこが問題なんですよ。製造業の人とかじゃないとわからいかもしれませんが、設備稼働率がそんな再エネに合わせて押さえつけれられるものを、

誰が好き好んで運用するんですかね?誰もそんな火力発電所なんて使いたくありませんよ。

そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発投資が集まらない状況が続いている。

ここはその通りでもう電力会社は採算合わないので、脱炭素電源オークションみたいな補助金が入る形でしか火力発電所は新設できなくなってますよ。

ちなみにその結果が日本2021年かにあった電力逼迫だったんですが、もう忘れました?

日本の話

電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合原則的建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格転嫁することが認められている

あのさぁ。。。電力自由化って理解してます?原価総括はもう終わってますよ。

あくまで名残として規制料金が残ってますけどあれは旧一電が赤字電気供給させられてる料金メニューですよ。。。

再生可能エネルギー固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格転嫁できる仕組み

あとこれもさあ。。。そもそも限界費用が0円の電気から0円以上で売れば利益が出るっていうなら固定価格買取制度なんていらないよね。

なんでこの制度必要なのかは結局維持費も含んだ固定費を賄って早期に投資回収させるために作った制度だよね。

電力料金も一緒で、結局発電所って毎日使えるわけじゃないから使えなくなったらバックアップ必要なわけで、でそのバックアップにも固定費がかかるから

あくま冗長性確保のためのコストじゃないんですか?はてなーって普段冗長性の大事さよく言ってるのに電力会社相手になったら無駄とか言い出すのは勘弁してほしいわ。

あとね、あえて「発電していない発電所の維持費」っていう書き方は良くないよ。まるで無駄遣いをしているように聞こえるしね。複数発電所を束ねたシステムとしての維持費として理解してほしいな。

日本でも再生可能エネルギーは最も安い電源になりつつある。

ほんとぉ?ソースほしいな

一部はてなーというかネットへの所感

なんというか、電気話題しろ経済ジェンダー話題しろ二項対立で考えすぎなんだよね。

電気話題だと 再エネはクリーンで安いから善で旧一電は火発も原発もやっていて再エネを妨害している悪みたいな。

完全な悪なら警察とか政治も動くでしょ?動かないのは献金しているからとか考える人陰謀論に片足突っ込んでいるから気をつけたほうがいいよ。

働いている人ならわかるけど世の中ってそんな単純じゃないよね?もしかして社会人なの俺だけ?みんな学生?え、怖いやめて

この人は言い方がムカつくけど仕事はできるから頼ってるみたいなのってあるじゃん

結局いいところ悪いところ天秤にかけていいところが上回っているから選ぶわけだよね。

エネルギー問題もそう。原発放射性物質があるし、火発はCO2を出す。太陽光は森を切り開くし、風力はレーダー妨害する。

全部悪いところはあるわけで、だからつの悪いところを取り立てて反対するのは間違ってる。その中でメリットと照らし合わせてその中で一番マシな選択肢を選ぶのが重要なんだよ。

そうやって清濁合わせ呑んだ上で一番良いものを選ぶという考え方がエネルギーを考えることでは大事だと思うし、日本人にはそれができると思ってます

anond:20240410114524

2024-03-07

anond:20240307182714

働き者/怠け者の二項対立にする意味がわからない

普通普通」が1番多いのでは

「有能/無能な働き者」とかいう訳わからん区分

「指示したことをきちんと解釈できないので指示したことは達成せず余計な仕事をするやつ」を表すのはわかる。

「有能な働き者」が「指示したことを達成するし、プラスの成果をもたらす」というのを表すのもわかる。

「有能な働き者」と「無能な働き者」という区分にしたら「特にプラスのことはないが指示したことはきちんと達成する」という「普通の働き者」が抜け落ちるので二項対立に持ち込む意味がわからない。「普通の働き者」が大多数だろ。

2024-03-02

anond:20240302155152

暇空はガンダムエアプでガノタバカにされてたし

ストリートファイターはクソ雑魚すぎてランク上げられなくて実況やめちゃったし

ハンタ解説動画メルエム特質系とか間違ったこと言ってるエアプだし

フリーレンについて「ヒンメルのそばを離れたのはフリーレンに重要任務があって仕方なかった」とか言ってるエアプだし

基本ネット発狂してる表自の奴らって「若い頃はオタクだったけど年食って感受性が衰えたし新しい世界観を都度覚えるのも面倒になってオタクやってるよりもレスバする方が楽しくなったオタクの抜け殻」だぞ

40過ぎて春クールアニメ楽しみだなーとかsteamセール楽しみだなあとか言える能動的なオタクであり続けられる奴はレア

自分生活に直結する政治の話とか、二項対立バカでもわかる男女論とかそういう現実のしょっぱい話ばかりするようになって架空世界にのめりこめなくなる

2024-02-26

anond:20240226192120

エロ」「恋愛」とその間にまるで二項対立があるかのように区別してるやつがむしろ愚かなだけだろ。

恋愛してるやつやドルオタ自分エロには興味ないと抜かすやつや自分感情を美化したいだけ。

法律で「これをしたらわいせつだ」以外の客観的エロ恋愛区別などないんだから

美化するために、つまり負の一面として否定するためにエロって概念をこしらえたようにしか見えない。

(そもそもこのような否定が美化につながると思う思考も謎だが。そのあたりに本質的善悪などないでしょ。水着姿ならよくてヌーディストビーチなら恥ずかしいエロだとかまさに恣意的な線引きでしかない)

ちなみに自分はどっちも口で言うほど興味ないし。ただ矛盾が気に食わないだけ。

ナチス前のドイツでのユダヤ人地位について簡単なまとめと詳細な記述しろ

自分

ナチス前のドイツでのユダヤ人地位について簡単なまとめと詳細な記述しろ

Copilot

簡単なまとめ: 第一次世界大戦終結後の1919年には、ドイツ居住していたユダヤ人たちは、すでにドイツ人と同等の市民権公民権憲法保障されるようになっていました1。

詳細な記述ドイツ居住していたユダヤ人たちは、第一次世界大戦終結後の1919年には、すでにドイツ人と同等の市民権公民権憲法保障されるようになっていました1。それから十数年後にヒトラー政権を握ったときには、ユダヤ人ドイツ人の間の結婚が進んでいたこともあり、ユダヤ教徒ユダヤ人わずか50万人でした1。当時、ドイツの総人口は6500万人でしたから、ユダヤ人はそのうちの1%にも満たない少数者です1。しかも彼らの多くは、ドイツに忠実な愛国者でした1。もし、その後12年にも及んだナチス時代さえなければ、おそらくユダヤ人ドイツ国民として、この国に溶け込んでいったことでしょう1。

自分

経済権力といった地位についてと、当時のドイツからユダヤ人への感情などを掘り下げて

Copilot

ナチス前のドイツにおけるユダヤ人経済地位については、ヴァイマル共和政時代ドイツ経済は一時好調であったものの、1929年世界恐慌1931年金融恐慌によって壊滅的な状況に陥りました1。この情勢下で政権を握ったのがアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党ナチ党)でした1。

権力地位については、1933年ヒトラードイツ首相に任命され、その後大統領になり、国の絶対的支配権を手に入れました2。ナチ党は、ドイツが陥っている窮状の責任ユダヤ人にあるとし、国をかつての栄光へと導くと約束しました3。

当時のドイツからユダヤ人への感情については、ナチ党政権を握った後、すぐにさまざまな法律公布して、ドイツ人の生活からユダヤ人排除を図りました3。また、東欧の多くの地域では、ホロコースト以前から反ユダヤ主義蔓延し、ユダヤ人は他の住民隔離された生活を強いられていました3。これらの事実から、当時のドイツからユダヤ人への感情は、大きな差別偏見に満ちていたと言えますしかし、一方で、潜伏ユダヤ人ドイツ人が極限状態の中でともに過ごすうちに、「ユダヤ人」と「ドイツ人」、「被害者」と「加害者」、「救いを求める弱者」と「救援者」といった二項対立が揺らいでいき、人が人として互いを支え合うことがあったとも報告されています4。これらの事実は、当時の複雑な状況と感情を示しています

自分

当時から反ユダヤ主義があり、ナチス政権をとる以前からユダヤを主張し民主的に選ばれたという背景があるのならば、なぜ現代ナチスの罪がナチスのみに着せられているのか

Copilot

その問いは、歴史的事実と個々の責任についての複雑な議論引き起こしますナチス政権を握った時、彼らの反ユダヤ主義政策は一部のドイツから支持を受けていました。しかし、それは全てのドイツ人がその政策を支持していたわけではありません。また、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らなかったとも言われています

ナチスの罪がナチスのみに着せられているという認識については、ナチス政権下でのホロコーストという大量虐殺は、その組織的かつ計画的性質からナチス政権とその指導者たちに対する責任が強調される傾向にあります。これは、彼らがホロコースト計画し、実行した主要な力であったという事実を反映しています

しかし、これは個々のドイツ人や他の協力者の責任免除するものではありません。戦後裁判では、多くの個々の犯罪者起訴され、有罪判決を受けました。また、ドイツ自体過去の罪を認め、ホロコースト犠牲者やその家族に対する賠償を行ってきました。

この問題は非常に複雑で、歴史的事実、個々の責任集団責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理

自分

ナチス反ユダヤ主義を支持するドイツ人は一部とのことですが、ではナチス政権を取れたのは反ユダヤ主義のみが支持されたことではないと思います

では、ナチスの何が政権を取れるほどドイツ人に支持されたのか。それは有権者主義と反する反ユダヤ主義を受け入れて余るほど重要ものだったのかを解説して。

また、多くのドイツ人は当時、ホロコーストの全貌を知らなかったと述べていますが、当時のドイツ人はユダヤ人に何を望んでいたのか。どのような迫害を行いたかった、あるいはここまでなら許容できると考えていたのか教えて。

Copilot

ナチス政権を取得できた理由は、反ユダヤ主義だけではなく、他の多くの要素が関与していました。その一つは、1930年代初頭の世界恐慌による経済危機で、多くのドイツ人が失業し、経済的な困難に直面していました1。この状況下で、ヒトラーナチス党は経済回復雇用の創出を約束し、多くのドイツから支持を得ました1。

また、ヒトラー政権を握ることができた理由の一つは、彼の独裁権力の掌握が必ずしも「民主的」ではなかったことです2。ナチス党が国会単独過半数を占めることはなく、ヒトラー首相就任議会の選出によるものではありませんでした2。首相指名は大統領権限に基づくもので、大統領周辺の保守勢力との提携が鍵を握りました2。さらに、ナチス権力掌握の過程では、選挙運動宣伝活動と並行して、突撃隊などによる暴力行使も大きな役割を果たしました2。

当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたかについては、一概には言えませんが、ナチス政権下では、アーリア人至上主義に基づきユダヤ人を標的に迫害しました3。しかし、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らず、ユダヤ人が大量に殺害されているという事実理解していなかった可能性があります3。また、ユダヤ人に対する具体的な迫害形態許容範囲については、個々のドイツ人により異なり、一部のドイツ人はユダヤ人を助ける行動をとったことも報告されています4。しかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました3。これらの事実は、当時のドイツ社会の複雑さと、個々の市民の行動や意識がどのように政府政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています

自分

まとめると、

当時反ユダヤ主義ナチスのみがことさらに強調していたことではなく、ドイツのみならず過去から少なくない人や国がもっていた一部でのうっすらとした共通認識であった。(独裁後のホロコーストはいきすぎだとしても、独裁前に不穏さは少なかった)

ナチス自体単独過半数を取ることはなかったが、落ち込んだ経済共産主義に対するという点で国民や国に民主的非民主的に支持されていた。

大統領による首相指名での就任という、おそらく議会から大統領からも弱い立場から独裁を勝ち取れたのは、上手く立ち回ったと言える。

あっている点・間違っている点・補足・解説を加えろ

Copilot

あなたのまとめは大部分が正確ですが、いくつかの点を補足・解説します。

あっている点:

反ユダヤ主義は、ナチスだけでなく、他の人々や国々にも見られました。しかし、ナチス反ユダヤ主義特に極端で、組織的大量虐殺ホロコースト)につながりました。

ナチス党は、1933年選挙単独過半数を得ることはありませんでした。しかし、経済危機と共産主義への恐怖を利用して、多くのドイツから支持を得ました。

ヒトラーは、大統領による首相指名を通じて政権を掌握しました。これは、彼が巧妙に政治的な状況を利用した結果でした。

間違っている点:

ナチス政権を握る前のドイツでは、反ユダヤ主義一部の人々によって支持されていましたが、全体としてはそれほど強くはありませんでした。ホロコーストの「いきすぎ」は、ナチス政権を握った後に始まったもので、それ以前にはそのような大規模な迫害存在しませんでした。

補足・解説

ナチス政権を握った理由複数あり、その中には経済的な困難、政治的な混乱、そして反ユダヤ主義のようなイデオロギーが含まれていました。これらの要素が組み合わさって、ナチスの台頭を可能しました。

当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたか、またはどの程度の迫害を許容していたかについては、個々のドイツ人により異なりますしかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました。これは、当時の社会的な状況と、個々の市民の行動や意識がどのように政府政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています。この問題は非常に複雑で、歴史的事実、個々の責任集団責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われて

2024-02-25

anond:20240225125030

ゴシップ二項対立から逃れられない思考他人を見下せた気になっている悲しい増田

ある意味ネット蔓延するアホを風刺しているようにも見える

2024-02-22

やっぱりデモが苦手

縁もゆかりもないのにパレスチナで起きている虐殺に心を痛めるくらいには生活にゆとりを持っている。だが募金をすることもなければデモに足を運ぶこともない。

作家をしている友人が停戦を求めるデモに足を運ぶのをインスタグラム淡々とアップしているのを見て、罪の意識というほどでもないが、何もしていない自分がどこか責められているように感じる。

そして同時に「そりゃ戦争はみんな嫌だし止めたいけど、デモをやったくらいで戦争が止まったら苦労しないよ」とも思う。

デモに参加する自分イメージできない。

そもそもそこまで貿易のないイスラエル日本ができる有効経済制裁ってあるの?とか主張を疑ってみたり

日本米国利害関係があり、米国はかのユダヤ人国家利害関係があって、これを無視して人間として直感的に正しい主張を貫いてしまうと後で困るのは安全保障的にも経済的にも独立していない日本なので、まずは自衛軍擁立賛成デモからやらないんですか?とかニヒルに構えてみたり

デモに参加している人のアカウントの多くが反原発・#metoo・BLM・現行憲法政権批判・性被害撲滅などの運動にも参加していて、なんか「被害を受ける弱い私たち vs クソ体制」って二項対立スタンスが強すぎてちょっとね、とかよく知りもしない参加者属性を嫌がってみたり

幼稚な批判の切り口ばかりが浮かんできて自分が嫌になる。

仮にそうだとしても、私が世の中の醜悪出来事に対してどんな形であれ意思表明をしない理由にはならない。

わかっているよ。それでも、やっぱりデモが苦手なんだ。

2024-01-30

anond:20240130030254

ありがとう

ざっと読んだけど、やっぱ自分相手かの二項対立のケースじゃん。

ドラマ登場人物同士の話におれはストレスも感じてなければ、他者他者における話なんだからおれの言動はこの定義にはあたらんだろ。

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

2023-12-21

映画マトリックスは、当時その斬新なビジュアルアクション話題になり、その元ネタ映像表現日本アニメに影響を受けている点でも話題だった。

エンタメとして評価されつつも、まぁストーリーに中身は無いよね、ハリボテだよね、という見方も強い。

しかし、今思うと「この世界シミュレーション(嘘)かもしれない」という感覚は、陰謀論的な見方をはじめ、ネット上で観測できる主観的世界観、それぞれの頭の中の現実ネットを通じて垂れ流される現状を表すようにも思える。

そして「システムは敵だ」というシンプル二項対立から、どこまでがプログラムなのか、プログラム人間は分かり合えるのか、人間に与えられた役割とは、というような視点の変化は、過度に世界単純化して見ることへの警鐘とも取れる。

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