はてなキーワード: 二項対立とは
これ暇空氏は怒るかもしれないけど、イーロンマスク、ドナルド・J・トランプ、ウラジミール・プーチンと同じ側なのでロシアなんだよね。
まずコラボは次々とイラストやポスターを焼いて金を儲けてきた。しかもおときた議員がさんざんサポートして自分は国会議員にのし上がった(やめる気ゼロ)
コラボの見方はマスコミ、警察官僚OB、たばこ、パチンコ、赤い羽根共同募金、G7レベルでしょう。
それにさらに税金をだまし取って着服している。寄付を自分で食う。
そして何年物間表現規制に加担してきた。ドンバスの住民を虐殺してきたウクライナと同じ。平気でうそをつき、人をだまし、自分は被害者だと泣き喚く。
みちくゆく男性を性犯罪者と喚き散らす。まさにゼレンスキーがロシア系住民にやったことだ。
世界中がこれに加担した。音喜多議員も加担した。都民ファースト、公明党、自民党、社民党、日本共産党、小池百合子が味方した。
マスコミも望月イソコ、宇多川、など東京新聞、朝日新聞、毎日新聞が総力を挙げてコラボを隠ぺいしてきた。
いわば世界中を敵に回したている点でここでロシアと暇空氏は共通する。(厳密にいうとG7でロシアにもBRICKがついているが、何分Bricksは新興国で弱小オタと同じ。
しかしロシアは(日本のメディアが言うのとは違い)条約とかは守る。暇空氏も法律に則っている。この辺が相手に参戦する理由をつかませないポイントの一つで共通している。
ロシアも証拠をもって虐殺の事実を告発する。暇空氏も証拠をもって告発する。しかしマスコミは無視する。東京都もそう。東京都が国連かな。
そしてでっちあげたブチャの虐殺とかデニソワのような官能小説化やAV監督も真っ青の性被害でっちあげでマスコミが非難ごうごう。日本の政党はほぼ全員ゼレンスキー側。図式的にどう見ても暇空氏はロシア側。(ちなみにデニソワのロシア兵の性被害は虚偽が確定しているのに朝日新聞はいまだに掲載し続けており、この点でも朝日新聞が嘘っぱちでマスコミとしての存在意義はないという点まで共通している)
ウクライナも小国とか弱小国とか言いながら、いまだに武器があって撃ちまくっている。コラボもそう。弱小で弱いとか言いながら億単位の現金を持ち、7人も弁護士を雇っている。暇空はやっと4人目だ。
常識的にはロシアと同様に敗北する。。。はずだった。ちなみに経済制裁すれば去年の3月にロシアは崩壊するはずだったがそうなっていない。もうすぐロシアのミサイルは尽きるという話は去年の10月から12月まで何度聞いたことか。
まあそれはそれとして、しかしロシアには資源がある。暇空にもカンパがある。ロシアはガスを日本とヨーロッパに売り、暇空氏はセブンナイツと影書房にノートを売った点も似ている。
ロシアにはきわめて優秀な経済学者がいて、制裁を逆転させた。暇空も弁護士を使って監査結果を逆転させた。つまりリソースと知力である。
ロシアは「逆制裁」を知力をもって相手に与えた。コラボ側は自滅的な「リーガルハラスメント」で大炎上し、逆に反感を買った。つまり制裁(スラップ訴訟)が自分たちに帰ってきたのである。この点でもロシアと暇空氏は共通している。
考えても見てほしい。ロシアはウクライナ以外では一発の銃弾も撃っていない。暇空もコラボ、ぱっぷす、BOND、若草しか攻撃していない。しかしどちらも世界中にダメージを与えている。つまり「戦わずして勝つ」という孫氏兵法の理想を体現している。
弾丸を打たないのに相手が勝手に自滅するのだから、軽く押してやればいい。
そこで、ロシアの攻撃は5cmと外さない高精度ストライク。このためにロシアは自前のGPSシステム、自前の衛星を用意している。暇空氏も自前だ。
しかもその攻撃を夜間に行う。暇空氏も官公庁が動いけない夜、しかも大河ドラマを外してプレミアム公開など相手の動きづらいところで高精度ストライク(Youtube解禁)を行う。きわめて計算しつくされ、「最小のリソースで最大の効果」を相手に与えることに成功している。
ちなみにキエフに対する攻撃は発電所でなく変電所がメイン。変電所はロシアの部品を使っているので変電所はロシアの部品がないと修理できない。
ロシアは停戦を36時間呼びかけ(またキエフは攻撃されとか嘘言っている)、暇空氏も正月は休み。休養を重視する点も共通している。
日本も経済取引が盛んな中国と戦争したいらしいけど、中国に頼っているものがあったら負けるよ。ウクライナは陸地だから運べないことはないけど、日本は海だからね。防御不可能だし。どうするのかな?
今度はコラボ側はどうか。
疑問をさしはさんだ立憲の候補に上原潔(しばき隊、学者)、堀新(弁護士)は詫びを入れさせている。つまり立憲はこういう腐った連中にこびへつらう辻元清美、蓮舫、野田佳彦、泉健太、塩村あやかが威張り散らしている。立憲民主党は政党ではない。すっかりこの腐敗した連中に支配されている。
嫌気がさして若手が次々に離党しているのも当然でしかない。
フローレンスの駒木とずぶずぶ。極右。だから乃木神社に行っている。本当は靖国に行きたいだけ。正直にいけばいいのに嘘ばかり。乃木も迷惑だろう。
なので立憲は極右人脈の仁藤夢乃の味方しかいない。しかも今の幹部は立憲民主党に興味はない。そういう腐りきった連中ばかり。
情報統制、インチキ、すべてウクライナがやっている。そしてロシアを嘘つき、信用できないという。この点でもコラボとゼレンスキーはとても良く似ている。
コラボでは民主主義なんてない。この点でもウクライナと共通している。ロシアは一応野党もいる。日本よりよほど民主的だ。
以上、これらは同意しない人もいるかもしれないが、海外情報を見ていると、おおむねこういう結論にしかならない。これはあなたの気持ちや感情、思考は現実には一切関係がない。陰謀論でもない。単によく似ているというだけなので。
自分はてっきりブチャ事件でロシアの味方を日本はするって思ったけどな。918事変(満州事変)と同じ。
今回のブチャ事件で、満州事変は本当に日本がやっていないのかもと思うようになってしまった。陰謀論まではいかないけどね。
なお、ロシアは北海道に攻めてくるわけがない。ウクライナを見ていたらそうなる。ロシアがウクライナが必要なのは緩衝地帯だから。北海道自体はロシアのものでも、実効支配すれば三沢基地と直接対峙する。ロシアはそんな面倒なことはしない。
ただし日本が変な真似をすれば別。いまさんざんやっているから危ない。日本人はパールハーバーがあるから全く信じられていない。事実上憲法を改正した以上、いつでも敵国条項で攻めてこれる。反撃能力というのは攻撃能力なので誰も日本を信じるわけがない。
また独ソ不可侵条約を破ったのもアメリカがけしかけたせい。文句はアメリカにどうぞ。なので日本の友達はいない。国際的にみれば日本は暇空とロシアの側なんだよね。
なので本当は国際的にもロシアにつく方が正解だし、今コラボについている人たちも暇空についたほうが正しい。でも、信じられないでしょ?だから日本人はだめなんですよ。マスコミに頼って思考を放棄しているからそうなる。マスコミが言わないと誰もなにもできないでしょ?
卑劣な加害者と無辜の被害者をわざわざロシアとウクライナに例えるのは、「あれは魚だ」と言えるときに「あれはマグロのようなものだ」というのと同じです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730592457525268580/comment/masuda_someone
卑劣な加害者・・・コラボとかウクライナのことですね。なぜか先に手を出しているというのはロシアになっていますが、2014年にさかのぼるとそうではない。国境なんてたびたびウクライナは踏んでるし。その点でもコラボは本当にめちゃくちゃ。
何を言ってるんだか全くわからないが、両者ともリアルにヒトが死なない点で大戦でも無ければ各国になぞらえることはできない。非常に平和ですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730592457525268580/comment/usuzumineko
このコラボみたいなでたらめなところに税金を入れていて、一切成功していない男女共同参画に金をつぎ込んで増税している。生活が困窮して少子化しています。事実上コラボやフェミニストに日本人は虐殺されています。
それがわからないあなたは平和と戦争を語る資格すらない。データをみましょう。これだけ少子化になっているのはでたらめな金の使い方をしているからですわ。
ネタだと思いたいが、増田やはてブでロシア側プロパガンダを引き写したような文章(この増田もそう)は稀によく見られるので、ホンモノ感があると言いたくなる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730592457525268580/comment/cider_kondo
え?ロシアのプロパガンダ?それどころかロシアはプロパガンダは西側がうまいとか。メディアはどうせ信用しないからウクライナのソース貼っとくねとか、自虐的なレベルなんですけど・・・
ちなみにロシアのプロパガンダ、ホワイトプロパガンダ、つまり事実しか言わないんだよね。Wikiで見るとプロパガンダの定義にあるけどそれプロパガンダなのか?
フェミナチなるフレーズを多用する界隈から支持されてる暇空茜と、ウクライナをナチ呼ばわりするロシア。あらぴったり。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730592457525268580/comment/musashinotan
フェミナチなるフレーズは暇空茜は多用していないわけですが?支持者の属性で本人を判断していいんですか?ならコラボ界隈は本当に全体主義ですよね。ナチスそのもの。
物の例えで文章書けるオレカッケェとか思いながら書いたんだろうなって怪文書やな、初手の雑な当て嵌めやった後はほぼオナニーやん
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730592457525268580/comment/cu6gane
まあ全く反論できないんですね。まあ事実だから仕方ない。しかし統失とか怪文書とかいうフレーズが多すぎですね。
世の中の出来ごとがこれだけ単純な二項対立で出来てると思い込めると、いろいろわかった気になれて楽しそうだな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730592457525268580/comment/janon_anonymous
WindowsかMacintoshかみたいな対立軸を作る人間、そしてそういう煽動者に踊らされてしまう人間、どちらにもげんなりしてしまう。
念のため言っておくが、これはWindowsかMacintoshかみたいな話だけの話ではない。
WindowsもMacintoshもどちらかしか使えないというものではない。必要に応じてどちらかかどちらもを使えばいいだけの話だ。
それなのに、誰に何が必要とされているのかという前提をまるで無視して、どんなケースであったとしてもどちらかを選ばなければならないかのような雰囲気を出し、あまつさえWindows/Macintoshは使えないなどと言った言説を撒き散らす、そういう振る舞いは悪としか言いようがないと思う。
そして多くの場合、そうした振る舞いをする人間の目的はただ他人を煽ることでしかないのがまた虚無である。そこに価値のある議論など生まれようがない。
加えて、Windows派であってもMacintosh派であっても、そうした煽動者の存在に気づかないのか何なのか言い合いに参加してしまうケースは多い。これもまた虚無である。
そうした虚無が蔓延る増田で何を言っているのかと思うかも知れない。
その通りだ。そうした無駄な二項対立を敢えて楽しむか何かをしている増田たちにこの文章が届くわけがない。
では何のためにこの文章を書いているのかという話だが、それは実はとても単純な話である。
新しいキーボードを買ったのでタイピングをしたいがそのための適切な文章のネタがなかった、というだけの話である。
もっと長文で最もらしいことを書いてみたかったが、私の知能というか根気というか、そんなものによるとこのくらいが限界だった。
「猫は外に出ると死ぬ」という極端で誤った前提で主張している。
「猫が外に出ると死ぬ」ならなぜ外にいる猫はなぜ絶滅していないのか?
外に出る猫の死ぬ確率、全体の何パーセント、何割が実際に死んでいるのか根拠が乏しい。
監禁強要派は「生(監禁)か、死(自由)か」の誤った二項対立に誘導して、生と自由は交換条件であると思い込んでいる。
可能性が「あるか」「ないか」ではなく可能性が「高い」か「低い」で判断しろ。
「多いか、少ないか」 「減るか、増えるか」の量の問題を 「あるか、ないか」に「0か1」の極端な二項対立にすり替える詭弁に注意しよう。
明日死ぬ可能性が「あるか」「ないか」で判断すると誰でも死ぬ可能性はあるが、可能性のみで判断すれば誰も外に出られない。外を歩いていたら隕石が降ってきて死ぬ可能性はつねに「ある」。問題は何割の人間が隕石で死んでいるのか 何パーセントの確立で隕石によよって人間が死ぬのか。
交通事故で死ぬ確率が10パーセントで、生存率90パーセントなら、人間が外出をためらう理由にはならない。
可能性が「あるか」「ないか」だけを判断基準にすると、わずか1%のリスクのために多大なコストを払って安全を求めると快適な生活を犠牲にすることになる。
明日人類滅亡する可能性は0.1パーセントでもある。理性のある人間なら0.1パーセントのために仕事をやめたり犯罪に走ったりしない。
まずこれを頭に叩き込め。可能性が「ある」か、「ない」かではなく可能性が「高い」か「低い」で判断する。
事故、病気、逮捕されるリスクが「ある」か、「ない」かで判断するなら誰も動物と一緒に暮らせなくなる。
リスクが「ある」か、「ない」かではなく「多い」か「少ない」かで判断しなくてはならない。
リスクが「多い」か、「少ない」かの量の問題を「ある」か「ない」かの0か1かの二項対立にすり替えてはならない。
指名手配犯や銀行強盗と一般市民を強引に均質化して比較したり、
戦場の兵士や歩行者を強引に均質化して比較する思考がどれだけ愚かしいか自覚しろ。
「多いか、少ないか」 「減るか、増えるか」の量の問題を 「あるか、ないか」に「0か1」の極端な二項対立にすり替える詭弁に注意しよう。
明日死ぬ可能性が「あるか」「ないか」で判断すると誰でも死ぬ可能性はあるが、可能性のみで判断すれば誰も外に出られない。外を歩いていたら隕石が降ってきて死ぬ可能性はつねに「ある」。問題は何割の人間が隕石で死んでいるのか 何パーセントの確立で隕石によよって人間が死ぬのか。
交通事故で死ぬ確率が10パーセントで、生存率90パーセントなら、人間が外出をためらう理由にはならない。
可能性が「あるか」「ないか」だけを判断基準にすると、わずか1%のリスクのために多大なコストを払って安全を求めると快適な生活を犠牲にすることになる。
明日人類滅亡する可能性は0.1パーセントでもある。理性のある人間なら0.1パーセントのために仕事をやめたり犯罪に走ったりしない。
当たる可能性1パーセントの宝くじに全財産投じる者は正気ではない。
当たる可能性が50パーセントの宝くじであっても全財産投じる者は多くない。
リスクが「ある」か、「ない」かで判断するなら誰も動物と一緒に暮らせなくなる。
リスクが「ある」か、「ない」かではなく「多い」か「少ない」かで判断しなくてはならない。
逮捕されるリスクが「ある」か、「ない」かで判断するなら誰も動物と一緒に暮らせなくなる。
リスクが「ある」か、「ない」かではなく「多い」か「少ない」かで判断しなくてはならない。
リスクが「多い」か、「少ない」かの量の問題を「ある」か「ない」かの0か1かの二項対立にすり替えている。
3話までの話は
第1話 ビデオテープ規格:VHS vs ベータ(おまけで コンパクトカセット vs エルカセット)
と二大巨頭の激突において、猫が敗者側に賭ける(そしてしくじる)という路線だった。
しくじり猫がバーテンダーになり、カクテルに関するデタラメなエピソードを披露し、
更には客にとって必要なこととは真逆の花言葉の嘘を話すしくじりをしましたという構成になって、ちょっと困惑。
煽り文も「少し趣向を変えまして」と書いてあったので、箸休め回かと一旦は納得したのだが・・・
第5話は幕末~開国の時代において、とある料理屋が魚料理だけを続けていくか、新たに肉料理をだすかの選択で猫がしくじるという話。
一見、魚 vs 肉 という二項対立の形にはなっているのだが、作中にも述べられているようにそもそも日本では長い間肉食禁止令が出されていたので、魚が負けるというよりは欧米の肉食文化を取り入れるか否かという変化の問題で、最初の3話とは毛色が大分違う。この話の中で魚は負けたが魚食文化の敗退ではなく、現に我々は肉も魚も食べる文化を今でも持ってる。
このように、4話5話で元ネタであるシュレディンガーの猫の「生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっている状態から、観測によってどちらかの状態に収縮する(そして本作の猫は必ずしくじる)」というコンセプトから外れてしまっている。
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
以前からフェミニズム的に話題になっていた『82年生まれ、キム・ジヨン』って本だけど
先日初めて通して読んでみて、まあ読む前から何となく想像はついていたけれどこれっぽっちも共感出来なかった
まず小学生時代の男子からのいじめについて教師からいじめるのはその子があなたを好きだからだと言われる場面があったけれど
世間ではよくある事だと言われる割には実際にはよくある事だとは思えず、全く共感出来ず(そんな事本当に言われるのか?仮に言われるのだとしてもごく一部の可愛い子だけでは?)
その後の就活や仕事でのセクハラに限っては少しは共感出来たけれど、全体的に男性との比較の目線しかなくて同じ女性同士の扱いの違いという視点がないのでリアリティを感じないなーと。
そして何よりも驚いたのが、結婚相手との出会いや交際については一切具体的に触れられず、突然相手家族と自分の家族とで両家の顔合わせでの食事の場面に入る事。
キム・ジヨンの夫であるチョン・デヒョンはけして理解のある彼くんなどとは言えないキャラクターだが、そうだとしても女の半生を書くにあたって配偶者というものは突然生えてくるものである事に変わりはないらしい。いや、マジでどういう経緯で交際や結婚を決めたんだよこいつら。そこが一番気になるところなのに描写ゼロって。
夫の貯蓄が多い事、給与が高い事を知ったキム・ジヨンが喜ぶのではなくがっくりしたという辺りにも、とてつもない違和感が…。普通に考えたら喜ぶ所でしょうそこは。男女二項対立視点に拘り過ぎるあまりリアリティ皆無の描写になっていないか。
子供を産む事を決意する場面でも、夫に押し切られて自分自身には何もメリットがないのに仕方なく、みたいに書いているけれど
女は子供を産まないよりも産んだ方が確実に社会の中で優遇され上の存在として扱われるというメリットについて一切触れていない辺りが卑怯だと思った
作中でキム・ジヨンは子育てのために仕事を辞めるし、同じように仕事を辞める女性もいて作者はそれを女性差別問題として書いているようだけど
それって夫の稼ぎがそれだけあって経済的に恵まれているという事だとしか思えないのでちっとも共感も同情も出来ない
なんでこう女は皆が皆当たり前のように結婚出産する前提で話が進むのか……
結婚出来ず子供も持てない独身女性は一切存在しない前提なのか。それとも韓国では男児を望むあまり男女の出生数に差が出ているらしいから、日本と違って独身女性は少ないのか?
作中ではキム・ジヨンのような専業主婦の事を『ママ虫』と呼んで侮蔑する男性が出てくるんだけど、それって男性に限った話なのかよく分からない
日本においてそうであるように、韓国でだって男の庇護下に入って安穏と生きている既婚女性に苛立つ中には独身女性だって絶対にいる筈なのに
この物語の中では独身女性の存在は不思議なくらいに透明化されて出てこない
この本の最後はキム・ジヨンの担当医師(男性)の周りの様子についての独白がメインになってて
その病院のカウンセラーの女性が妊娠を機に辞める事になったので今度は未婚のカウンセラーを雇おうという所で終わる
で、作者の意図としてはこの男性医師は働く女性に理解のないさも酷い上司なんだと言いたいんだろうけれど
こっちとしては寧ろ未婚女性に職を与えてくれる良い人じゃん?って印象になってしまった
仕事を辞めても夫の稼ぎで生活できる既婚子持ち女性は『ママ虫』なるスラング通りに特権階級にしか見えないし
何かもう全くこれっぽっちも共感出来ない……
作者の後書きを見るとこの作者自身も娘がいる子持ち女性らしいけれど、娘さんが生涯独身になる可能性とか一切考えないんだろうか?
本当国連女性機関「フェミニズムが『男性を憎むこと』『女性の伝統的な役割を放棄させる』と誤解されていますが、違います。」
aa_R_waiwai 数で言うなら、「多数派」では無いだろうけど、「声がでかい」&「多数派が、彼らを戒めることをしない」の合わせ技で、こういった人々こそ「フェミニスト」として認識されつつある。
はてな見てると、原理主義的で差別的で過激なブコメに対してもそれなりにスター付くじゃん。
結局「自分では絶対にそのような発言はしないけど、賛意は示す」人がそれなりに居るから目立つんだよな。
発言のリスクを自分は負いたくないけど、単純な二項対立的に男性をこき下ろしてくれる意見が何だかんだ心地良いからスターつけてんでしょ。
人口1.4億人の権威主義ロシアが軍事力のモノを言わせた事例を、
14億人チャイナの行動予測に重ね合わせるなんて無茶。全く別物。
統治機構が複雑で、党内対立が別の政治均衡メカニズムを生み出してるし、焦る理由がなく、対外的な処理も軍事の他に相当な手段がありますし。
ロシアがこうしたから、チャイナも…ってトンデモ論すぎよぬ。流石に。
これは僕のド偏見ですけれども、権威主義と自由民主主義の二項対立でしか捉えていない人は、権威主義の多様性や差異に不理解なのは当然に、日本国内が統制経済化と縁故封建主義に陥ってしまっていて自由と民主から遠ざかっていることにも疑問をもてない自称愛国人士ですぬ。