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はてなキーワード: 二項対立とは

2018-05-06

anond:20180506183341

AEDの件でデマじゃないのデマだので騒がれたのは、ようするに「こういうことが有りうるのでは」って指摘を「こういう事があった」と変に解釈して変に広めたような人がいたのが問題だと思うし、

法理論上と実務上の二項対立的な考えで解決するような話でもないと思う。

2018-03-20

両替ミス横領した件で

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL3M5S3JL3MPTIL01X.html

こんなに横領擁護が多いのに驚いた。

朝日情緒的・感情的な書き方にもよるのだろうが。

日本人判官贔屓って言うけれど正しく当てはまったケース。

銀行資本官僚的で冷たい=権力側=悪、

横領側=無職定職に就くために必死格差社会矛盾被害者弱者=善、

という単純な二項対立に陥っている人が多いように見受ける。

おそらく、「権力勾配」なる概念に対してもかなり同調する人々ではないだろうか。

「そりゃ確かに横領は悪いことではあるが」と前置きしながら、

だがもっと悪いやつがいる、

それはカネ儲けして弱者を痛めつけているくせに責任も取らない銀行と言う名の権力勾配上方にいる強者だ、みたいな。

悪いことでも弱者がやったなら大目に見ろよ、という考えを持つ人が多いのははてなブックマークの特徴だろうか。

だがそんな情緒的な反応で物事の良し悪しを捻じ曲げていいものなのかね。

そもそも朝日ってこれに限らず情に訴える系のが多いんだよね。

その情を煽動して科学的根拠曖昧ママ放射能風評被害を出したってことも忘れてはいけない。

それに誰が強者で誰が弱者かなんて定義恣意的いくらでも改変できるし、

ある見方では弱者でもある見方では強者にもなるなんてケースもいくらでもある。

そのような前提を踏まえないで、上記のような情緒的で単純な二項対立に陥る人たちは、

まあ衆愚と言われても仕方がないであろう。

2018-03-11

同性婚別に禁止されていない

同性婚に反対する理由論理的根拠が無いと思う

https://anond.hatelabo.jp/20180214020955

気持ちは分かるんだけど、双方議論がふわっとしている。それは、そこで言ってる「同性婚」が何を指すのか明らかになっていないからだ。

”同性者間の婚姻契約”は現行法下でも禁止されていない。

まずはっきりさせておきたいことは、「同性婚」が同性者間の婚姻契約意味してるなら、現行法でもこれは禁止されていないし、法的拘束力もきちんと生じるということだ。

その理由契約自由の原則(憲法13条)があるからだ。(なお憲法24条は同性者間の婚姻契約禁止する趣旨ではない。)。

これは例えば、男性同士のカップルが、お互いに婚姻契約書を取り交わして婚姻契約を締結することは妨げられないということだ。実際にもこういう例は多くある(らしい)。

そして、その契約書に書かれた扶養義務婚姻費用分担の定めは、きちんと法的拘束力が生じる。

禁止されていない以上、賛成も反対もないのであって、結婚したい奴はその意思に基づいて勝手にやってください、ということになる。

議論になっているのは民法第4編第2章の”婚姻”だ。

上記の点を踏まえると、「じゃあみんな何を議論して騒いでいるの?」ということになるが、みんなが議論している「同性婚」とは、民法第4編第2章が定める”婚姻”だ。

この場合、上述した当事者間の婚姻契約と異なり、お役所に届出が必要となる(民法739条1項)。

男性同士のカップル婚姻届をお役所に届けたとしても、民法第4編第2章が定める”婚姻”は成立しないことになる。

なぜ当事者間の婚姻契約と違い、民法第4編第2章が定める”婚姻”は自由にできないのか。

結論から言えばその理由は、民法第4編第2章が定める”婚姻”に付属する効果(≒特典)が、徹頭徹尾、男女間の婚姻念頭において制度設計されているからだ。

例えば所得税における配偶者控除相続分、相続税、などなど、枚挙に暇がない。

民法第4編第2章が定める”婚姻”を同性者に対して認めるということは、これらの制度を同性者間のカップル念頭において1個1個検討しなおす(そしてそれは膨大な量の立法作業になる)ということを意味する。

からこれは「賛成か反対か」という大雑把な議論ではないのだ。効果の1つ1つについて議論を詰めていかないといけない問題なのだ

どうすればいいか

じゃあどうすりゃ良いのよ、という問題になるが、理屈からいえば、「同性者間の婚姻についてどのような効果(特典)を認めていくべきか1個1個詰めていくべき」ということになる。具体的には、同性婚を望むLGBT取材するなどして、議論の基礎となる資料をかき集める必要がある。

(ただここで問題になるのが、LGBTの人らが本当に同性婚を望んでいるのか?という点なのだが、客観的資料があるわけでもないのでとりあえずこの点は措く。)

結論

一口に「同性婚」といっても、賛成対反対の二項対立還元できる簡単問題ではないので、きちんと詰めて考えてくれよな!

2018-03-09

anond:20180309120756

TLは自分フォロー方針によって偏るものなので、

仮にツイッターをわりと使ってるひとでも、特に政治的なので二項対立的になるものとかは本当に片方側しか見えてないことは普通に有り得るよ。

2018-03-04

幹事体質」の存在

世の中の人間には「幹事体質」を持つ人と持たない人がいる。「幹事体質」は私の造語だが、読んで字のごとく「幹事」になりやす性質のことである

ONE PIECEの「覇王色の覇気」みたいなもので、幹事体質の人は子供の頃からずっと「幹事」とカテゴライズされる立場になり続ける運命にある。この説明を聞いて、陽キャと陰キャとか、リア充非リア充とか、優等生と劣等生のようなスクールカースト上の二項対立を思い出す人がいるかもしれないが、そうではない。実際、オタク的なコミュニティにもヤンキー的なコミュニティにも、幹事体質の人は存在し、そのコミュニティの中での幹事的な役回りをしている。

幹事体質の人が集団の中で持つことになる役割は、人生の段階に置いてさまざまな形をとる。学級委員部活部長サークル幹事長飲み会幹事町内会役員……。あらゆる集団幹事体質を必要としていると言っても過言ではない。幹事体質の人間は、時に集団の中心で皆をひっぱるリーダーのようであり、時に集団の中心から離れて面倒事を引き受ける雑用係のようである

幹事体質に必要スキル特にない。皆の前に立つのが得意な人、人の話を聞くのに抵抗がない人、隅々までものごとを考え尽くすことができる人、豊かな文化的物質資源を持つ人、それぞれが自らのスキルを活かして幹事の職を全うするので、個人性格スキルは「幹事体質」とほとんど関係ないと言っていいだろう。

ここまで聞いてピンとこない人はごめんなさい。きっと私の文章稚拙であるか、周りの「幹事」たちに気づかない人生を送ってきたのだと思う。

こういう文章を書いていることからも察せられるように、私自身もさまざまな幹事をつとめてきたんだけどね。だからなんだって話なんですが。最近色々うまくいかないので文章書いてみたくなったんですよ

2018-02-25

大学入試に思うこと

数学が出来ないか文系」をなくしたい。

ここでは学問を、理系文系二項対立的に捉える、と仮定する。

文系は素晴らしい学問である

科学技術がなければ豊かな生活が送れない、という理系研究に比べて、文系はおろそかにされがちである

法学政治学歴史上の経緯を学んだ上で国家という団体統治するために必要な要素であり、

経済学経営学社会をより豊かにする学問である

そのような魅力が理系文系にあるにも関わらず、高校時代数学が出来なかったからという理由だけで

他者から決められたルールに基づき、強制的存在する学問の半分を切り捨てなければならないことは残念である

実際に、数学経済学でも利用する。

また、数学をすることで鍛えられるとされる、論理的思考力は法学においても重要な要素の1つである

にも関わらず、今の世の中は高校1年生の段階で"大人の都合"によって進路を半分に狭めることが求められる。

また、近頃文部科学省が言い出した「国公立大学文系廃止論」が実施されると、ただでさえ半分に狭められた進路をより限定的にされる。

大学は、学問をする場所であり、専門学校ではない。

プログラミングができる人材を育成する」「社会の現状を知る」だけの薄っぺら知識専門学校範疇であると思う。

学問とは、先人たちが発見した知恵を生かして、社会を豊かにする方法を自ら提案することであるように感じる。

大学に通うことで今後の社会を豊かにする方法を自ら提案できる力を鍛えられるような大学が生き残り、

現状維持を目指すための人材育成専門学校に任せるべきであると思う。

受験生は「この学問をすることで【現在存在する】この問題解決し、それによって【将来的に】このようなことが解決されることが期待されるから

この大学学部学科で学びたい」という意思のもと、大学を選び、成長されたい。

また、文部科学省は現状の考え方を改め、5年後の世の中がプラスに動くことも重要だが、それ以上に50年後の世の中に対してプラスに動く政策をとって欲しいところである

2018-02-22

The Greatest Showmanのあやうさ

王道でかつ誰に対しても媚を売ったような作品だと思った。

簡単に言えば持ってる人/持ってない人の二項対立で描かれる映画なんだけど、その境界定義っていうのがすごく曖昧で行き来する人が多いのが現実ぽいと思う。

ミュージカル映画としては素敵な映画だったけど、その一方で興行として人権侵害甚だしい見世物小屋としてのサーカスが人気を博していたことは考えなければならないことだと感じた。

バーナムは人の個性に囚われない、面白い人ならなんでもいい、という反差別派のように見えるけど、差別される側/する側で二項対立させたときバーナムは間違いなく差別する側なんだよね。

現実ではもっとペテン師興行師としてクソ男だったと思うんだけど、そこを美化しすぎてる、というか観客にそう感じさせるストーリーになってると思った。現実の度合いと映画の度合いが違いすぎるのが気持ち悪かったな。

たぶんヒュージャックマン以外の全員に共感できるし、逆に言えばヒュージャックマンには全く共感できない。

この映画根本的な価値観人生の生きづらさ、満たされなさみたいなもだと思って、だからこそNever Enoughがすごく効果的だと感じた。まぁレベッカファーガソンのあの終わらせ方には全く納得できてないけど…

一度負った心の傷は完全に癒されることは全くなくて心のどこかに絶対残ってしまって、だからこそ何をしても満たされないし過度な成功を求めてしまうの、なんとなくわかるような気がした。

でも結局楽団の皆がヒュージャックマンに本当に怒りきれなかったのは彼の満たされなさをみんな理解してたからだと思う。

私も本当に信頼している人には何されても許してしまうだろうなっていう気持ちがあるんだけど、それに近い気がした。ただ、そう解釈するにはストーリーが不十分すぎると思ったし、This Is Meをバーナム(ヒュージャックマン)が見てない時点で、彼らのことをわかってあげる人はいないのかなと切なくなった。

もちろん、みんなでThis Is Meを歌うところは本当にかっこよくて痺れたけど。ただ、この歌を主題歌とするならもっとフリークスと呼ばれた劇団のみんなに焦点を当てて欲しかった。このストーリーなら主題歌The Greatest Showmanの方でよかったと思うよ。

あと、十分に説明されなかったところが多すぎて…一番謎だったの、りんごをくれたおばさんとの出会いなんだけど、あれは一体何を意味してるの??ヒュージャックマンが単なる差別主義者っていうことを明らかにさせただけだと思うんだけど…

あと、町の住民がなぜそこまでフリークスサーカスを嫌ったのかが描かれてなさすぎて、理由もなく差別するほうを一方的に悪として描いていて、その反動でヒュージャックマンがいい人に見えるってだけでは…って思ったりもした。

あと、LALALANDと比較されがちだけど映画テーマモチーフが違うのにそんな簡単比較できないでしょう…好みの問題でいえば私は完全にLALALAND派ですし。

ただ、似ている部分でいえば序盤の構成はやっぱりLALALANDとまったく同じだと思う。

特にAnother Day Of SunSomeone In The Crowdの流れとThe Greatest Showman~Million Dreamsの流れはすごく似てると思った。観客の判断力を奪う圧倒的な歌唱力演出はやっぱり素敵でした。

2018-02-11

子犬をみると不安定になる

柴犬動画を観ていた。

生後2週間ぐらいの、犬というよりは小熊みたいな子犬とその母親動画

子犬はしきりに猫パンチのような動作をするのだが、脚が短すぎるためまったくお母さんに届いていない。

肉体の不便さにもがくような様がおかしくて、自分でも驚くほど笑ってしまった。そういえば最近3秒間以上笑うことがなかった。

しばらくするとお母さんが自分の後ろ足を舐めるのでそれをみた子犬が真似しようとするのたが、体が短すぎるせいで足に舌が届かない。

それでも必死にお母さんの真似をしようとする。

ここで笑いを通り越して号泣してしまった。よく笑いすぎて涙が出ることはあるけど、あれとはまた質の違う、不透明感情が水分を絞り出した。

それから色々試して、どうやら子犬特に柴犬が動いている動画を観ると内容に関わらず意味不明になって泣き笑いしてしまうことがわかった。

なぜ柴犬特に効くのかはわからないけど、造形や所作自分の脳にピタリとはまったんだと思う。

そういえば人間赤ちゃんが泣いているところもなんだか可笑しい。成熟していない肉体の枷が厭わしいのは心底同意できる。

周りのひとに話してもあまりわかってもらえないし、良いことなのか悪いことなのかもわからないのでとりあえず子犬動画を観るのはやめた。

物事を良い悪いの二項対立で語るのをやめろ。すみません

外を歩いていておとなの柴犬散歩しているのをみると嬉しい。彼らはよく笑っているので。

2018-01-16

すぐ二項対立に持ってく奴はアホだと思ってる

二項対立を無条件に信奉するやつは全員アホ

男と女論理感情精神と肉体、理系文系さらには犬と猫、米とパンなんかも

二項対立それ自体説得力を感じてしまうアホが多いのはなんでかね?

なぜ二項に至るのか吟味せず受け入れちゃうのはなんでなのかね?

2017-12-05

anond:20171205171256

定型発達の人だったらコミュニケーション問題ないでしょ、という前提からして雑なんですよね。

「世の中は発達障害の人と定型発達の人の2つに分けられる。前者はコミュニケーション問題があり後者コミュニケーション問題がない」……世の中はそんなに単純ではありません。

他のコミュニケーション問題が生じる疾患、例えば統合失調症も有病率は高いですし、社交不安障害も有病率は高いです。

極端なパーソナリティの偏りによりコミュニケーションを始めとして持続的に生活に支障をきたすパーソナリティ障害も有病率は非常に高いです。

精神疾患でなくとも、器質的障害によってコミュニケーションに困難を生じる場合だってあります

発達障害当事者の方やその周辺の方々にしばしば見られる、「世の中は発達障害定型発達の2つに分けられる」という二項対立的な世界感に私はどうしても抵抗感を覚えてしまうのですね。

発達障害であろうが定型発達であろうが他の精神疾患であろうが、お互いに尊重しあって生きていきましょうというのが理想であって、発達障害だけを特別視する必要性は薄いのではないかと私は考えています

ですが当事者の方はなかなかそうは捉えにくいといのも分かります

からこそ、当事者の方々の声のみを鵜呑みにしてしまうと、バランスの取れた物事見方ができなくなってしま危険性があると私は危惧するのです。

やはり正しい知識を得るためには、当事者言葉ではなく専門家言葉必要なんだと思います

anond:20171025195151

40にもなって「バカ⇔賢い」の二項対立しか物が見れないなら本当にバカしかえんな

くそれで今まで頭がいいなんて勘違いが出来たものだ。

はてな人間は耳に心地よい言葉でお前を甘やかすだろうが騙されてはいけない。

お前は確実にバカだ。

2017-08-04

対立煽りなのか天然なのか判断できるのか?

記事ってのは二項対立に持ち込むとか標的を設定して叩かせるとか煽って記事の方を叩かせるとか

言ってみれば記者の手の平でコロコロハムスターのように転がされているのは今も昔も変わらない

しか記者に唆されて感情を発露したからと言ってその感情が嘘なわけではない

からあった感情記者の巧みな筆致によってその感情を剥き出しにされただけのことである

ということは対立煽りのような記事も心の底から本心で書いていたって不思議ではない

すべてがすべて世界衆愚もこんなもんだろって諦め顔で煽り記事を書いている記者ばかりではないはずである

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170727141354

なぜ子供を作るのかって、なぜ直ちに自殺しないのかくらい根本的な問いだと思うけど。それは資本主義経済よりもさらに上の抽象度と優先度でしょ。

会社社員死ぬまで扱き使おうとすればいいんだよ。そして社会がそれを総量規制最低賃金や手当などで規制して緩和してやればいい。それを我慢すれば実害はないと言わんばかりにモラル感情問題に引き込もうとしたり、週や四半期や年単位で動く会社と十年百年単位で動く政治を単純に並列な二項対立に持ち込もうとしたりするのがおかしいんだよ。この間には対立と同時にヒエラルキー関係がある。

2017-06-28

リベラルはクソとか保守はクソとか

二項対立しか考えられない人間が本当のクソなのだよ。

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

遊びも勉強から真面目にやった方がいいよ。相手示唆していることが分からないことにメリット全然ないし、それを身に付けるには実技しかない。言語能力が発達していれば勉強も軽く済むし。日本語がわからないおじさんは地獄しかない。収入もないし。

勉強と遊びを二項対立に持っていく論法は実は勉強をしない人の言い分で、勉強ができる人は人と対話ができるから遊びができるし、意図理解できて問題が解ける。できない人は指示を明確化されないと解けない、というか解かれた問題を読むことしかできないから、何らかの概念理解できていないように周りからは映る。人間コミュニケーションは細かな意図の組み合わせで、誰かの固まりきっていない意図を汲み取って自分のそれと組み合わせることで新しい意図ができ、それが価値になる。「勉強だけした人」はそれができないので、意図は完成していて単純に手が空いていない仕事を厳密に指示されることしかできない。それがどんなに高度な手作業でも、人間を離れて高度であること自体価値ほとんどない。

から高校では人間との共同作業をきちんと勉強したほうがいいよ。できれば高校では小中で実践してきた協調価値に変える実践に入ったほうがいいよ。おじさんには知識しかいからもうすべてが手遅れだけど。

2017-04-23

謝罪なしに世の中がオタクに歩み寄ってきても許せない

時代が進むにつれて、オタク的なコンテンツ一般社会肯定的に扱われることが増えてきている。

往年の電車男最近では紅白などのNHKや各種民放芸能人ならGacktTMR小林幸子叶姉妹萌えマスコット萌えおこし、最大手なのがクールジャパン

あいうのに対して、いい顔をしないオタクもいるじゃないですか。

否定派の感覚にも色々ありますね。

見ててイタ恥ずかしいからやめろとか、石の裏の虫を太陽さらすなとか、リア充流入してほしくないとか。

私としては、その中でも「オタクに媚びやがって」、って反感が強い。


でも考えてみれば、媚びられて何が悪いのか。

あんまりにも持ち上げられるといつかハシゴ外された時がキツい、というリスクはあるものの、ある程度までなら、オタクが世の中に受け入れられて地位が向上するのは、オタクが生きやすくなることに繋がる。

地位が上がらなくたっていい、そっとしておいてくれれば」なんて言う人もいるけど、その「そっとしておいてもらう」ためにも一定地位必要なんだよ。そうじゃないと叩かれる。

たとえビジネスに利用されてるだけだとしても、利用価値があると思われてる方がオタに一定配慮をしてもらえるようになるわけで、隠遁オタクでも生きやすくなる。(今はまだまだだが今後に期待)

金も回ってきやすくなるしコンテンツも更に充実する。(今はまだまだだが今後に期待)


……っていう、オタク社会に受け入れられるのは双方にとってwin-winだって理屈はわかるけど、やっぱムカつくんすよ。

なんでかってのを言語化すると、一般社会オタクに歩み寄ってこようというなら、その前にこれまでオタク馬鹿にして叩いてきた過去を、非オタ全員がキッチリガッチリ謝罪して清算してほしいわけ。

オタクにも実利があるでしょ、ってんでなあなあで仲直りさせられるのは大変腹が立つ。侮辱の追い打ちだとすら感じる。

人は実利がなけりゃ動かないけれど、実利だけで感情的わだかまり解決することもできないんだよ。

たとえばなにか事件被害を受けた時に慰謝料払われたとして、「払いたくねえなあ~、しゃあねえなあ、この守銭奴がよ」って態度で払われたら許せないでしょ。

誠心誠意の土下座と共に払えと。加害者全員ゲザれと。その上で払うもん払えと。そしたら和解してもいいよと。

オタク一般社会についてもそれが言える。


はあ~、でも一般社会が全員でしっかりごめんなさいすることなんて未来永劫ないんだろうなあ~。

一般社会」というのが捉えどころがないものだってのを差し引いても、大きな集団がみんな謝るなんてありえない。

しかしたら、オタクバッシング報道をしてきたテレビ局の偉い人、政府自治体の偉い人、みたいな代表者反省の弁を述べることはありえなくもない。

でもその周囲とか下部には「上の人は頭下げてるけど自分は悪いと思ってないんで、オタクなんて有害なんで」って雰囲気を出す奴が絶対いるだろう。

そんなんじゃこちとらちっとも許せませんよ。頭下げてる人の隣でお尻ぺんぺんされてるんだから

から、今、私のような一般社会からオタクに対する歩み寄りに反感を持ってる人の一定割合は、その悪感情をずっと抱き続けるはずだ。

我々が死に絶えるころには、もうオタク一般社会に対する恨みなんて持ってないのかもしれないけど。

或いは、若いオタク一般社会から迫害歴史を語り継ぐことで、恨みの遺産を残すことができるかもしれない。

まあとりあえず私は一般社会からもらえるもんはもらうけど謝られない限りは舌打ちをし続けていきます

書いてて思ったけどこれ日韓対立みたいな歴史問題国家問題にも似たようなこと言えそうっすね。


オタク一般社会キッパリ分かれた二項対立として書くのは単純すぎるって言ってくる人いそうだけど知らん。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228002241

上野千鶴子って典型的強者弱者に寄り添ったことなど一度もない出生欲の塊ババアで本人もそれに自覚的なので

なぜ今回の移民記事上野擁護出来るんだろう特に上野さんは皮肉を言ってるっていう高度に信者っぽい擁護どうして出来るんだろうなぁとむしろ疑問

上野千鶴子なんて右か左かのアプローチの違いだけで結果見るとと橋本自民党おっさんと変わらないもん(発達障害の子を持つ母親への批判レズビアンバッシングや在日批判など)

移民推進か再分配強化か」っていう二項対立おかしいし既にその点はwanでの上野さんの主張で自己矛盾してて指摘されまくってるところだし

上野の返答も(自分説明不足だったのに)誤読したあなた責任、それは批判に当たらないって感じの官僚文章でうやむやにしようって感じだった

2017-02-18

努力自己責任環境

努力環境によって影響を受ける行動の一つにすぎないのに、「環境努力か」という二項対立を立てて主張をしている人がどういうレベル視点問題設定してるのかよくわからずとりあえず自分の考え方を書くのですが。

生物学などのレベルで言えば、おそらく「生まれか育ちか」つまり遺伝子環境のどっちかもしくはその両方でのみ人間のすべての行動は決定されるわけで。

このレベルだと当然自己責任云々のような話は出てきようがないですし、物理学的にも自由意志とかないので責任などという概念は成り立たないのですが。

反対に「自分には自由意志がある」という自意識感覚を持った人間が集まって作った社会レベル、要するに政治などのレベルで見ると、政策法律などをどう設定するかという問題意識で「自己責任」「個人努力」などの概念が出てくると思うのですが。

この場合そもそも社会存在しないまっさら状態だと生存権所有権などというもの保障されるわけがないので、ある意味全てを自己責任と設定することも可能なわけで、どこから自己責任かというライン恣意的に設定されるものに過ぎないと思われます

そうなると「〇〇は自己責任だ」という言明は意味を持たず「〇〇を自己責任に設定すると社会がこのようにうまくいく」のような言明しか意味も持たないはずです。

要するに「〇〇は自己責任だ、個人努力範囲だ」と「〇〇は環境のせいだ」という意見視点レベルの違いによって両立可能ですし、逆に同じ視点レベルで並び立つような単語じゃないはずなので二項対立で論じれる話じゃないと思うということです。

2017-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20170217024656

保育園の件は別に東京圏から離れなくてもある程度郊外に行けばいい程度の話な上に、

東京から遠く離れた那覇とか岡山とかでも同レベル問題が発生してるから単純に首都圏地方だけの二項対立で語れるものではないと思う。

良し悪しは別として、東京通勤できる範囲は他県でも「地方」扱いされないことが多いのも現実だし。

2016-12-18

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/hoshino-tomoyuki

妙にブクマ集めてるけど、星野智幸ってアンチ自民な芸風で売ってる人だから

http://www.magazine9.jp/article/konohito/10301/

https://m.facebook.com/sports.instructor.support/posts/667049159984606

二項対立に回収される言葉不毛

「正しいのか、間違っているのか。二項対立に回収されていく言葉不毛です。それを無効化したいと思っていました。そこで考えないといけないのは、結果として対立のための対立のなかで、誰が得をするのか。どんな問題が残り、誰が損を被るのか」

これ、自分負け組になるのが不可避と踏んで「対立なんて無意味だしやめよう」と言い出してるだけだから

これ言う資格があるのは対立に勝った方か、あるいは最初から徹頭徹尾対立無関係だった者だけ

星野にこの台詞を言う資格はないよ

ボロ負けしてる方のチームのメンバー他人事のように審判ヅラ勝手無効試合宣言してんじゃねえよ

2016-12-14

BL趣味市民権が認められるようになって欲しいならただそう書けばいいのに

すぐに二項対立構造に持っていこうとする思考が残念です。

http://anond.hatelabo.jp/20161213102512

2016-10-07

君の名は。』に限らずアニメ絡みの地方論が置き去りにしていること

君の名は。」が物凄い勢いで流行っている。

興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。

 

それ故に、作品情報ネットをやっていると否応なしに目につく。

ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、

pixivニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。

当然、各種論評も多く、肯定的ものから否定的ものまで、

演出に注目したものから制作体制スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。

自分ネタバレの類を全く気にしない人間なので大丈夫だが、

事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。

 

さて、そんななか自分ツイッターとある記事が流れてきた。

記事の名は、こちら

 

君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの

無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

現代ビジネス 貞包 英之氏)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49807

 

「興味深い見方だった」という肯定的コメントがつけられていたことと、

サイトランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、

いざ読んでみると、

 

「ふむふむ。」

「……ん?」

「はぁ!?何言ってるの?」

 

となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分君の名は。」未視聴なのに!

そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、

ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。

 

※取りあげる記事ネタバレ前提で書かれているため、この記事ネタバレ全開です。

また、重ねて申し上げますが、筆者は原作未視聴です。

公式サイトなどで可能な限り情報収集しましたが、至らぬ点がございましたらご容赦ください。

 

記事主題について

序盤・中盤で「君の名は。」について色々分析しているものの、

この記事の主点はあくま地方論であり、作者の主張はこうである

これはなかなかツッコミを入れたい主張である

特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、

戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。

地方を賛美することへの反省」など、なおさらである

片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、

というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、

さも、地方鬱屈を描き安易地方賛美にNoと主張するのが、

戦後アニメマンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。

 

アニメ漫画地方を描くということ

アニメ地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。

実在風景を背景とした漫画アニメが増えたこと、

それに伴い、聖地巡礼アニメによる町興しが注目されていること、

経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、

などが理由として考えられるだろう。

 

しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。

それは「地方であれ、都会であれ、あくま舞台舞台」ということである

 

原義通りの舞台、つまり演劇での壇上を想像してほしい。

細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果音響がある、

それらが充実しているか、特色だっているかは、作品評価を左右する一要素かもしれない。

しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である

 

まりはこうである

地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。

しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。

 

ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作ゲームで、アニメ化されている作品である

この作品舞台とある架空地方都市

そこは大型総合スーパー進出し、地元商店街がその影響で衰退している。

要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や

実家のために地元から離れられない旅館の娘がいる。

こう見ると、まさにこの作品地方の屈折した部分を描いた作品である

 

では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定留保を付け加える」作品だろうか。

自分はそうは思わない。

 

ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、

この作品リア充ゲーム揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。

主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。

 

ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。

それも違うだろう。

 

この作品テーマ公式サイトに明確に書いてある。

「“推理サスペンス”を題材にしたRPG」だと。

まり地方都市性質描写は極めて重要位置にあるのは確かだが、

それとメインテーマ別にあるのである

 

このように、地方である・都会であるというのは、

舞台の基本設定として極めて重要であると同時に、

舞台の基本設定であるが故に、物語主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。

その舞台登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、

そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである

(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。

 

また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。

良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、

良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である

そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台地域は後味よく描かれることになる。

そして、娯楽作品である以上、漫画アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト

どちらが多いかといえば、それは前者の方である

 

これに加え、

人間、そう簡単地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら

ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。

高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。

背景が実在場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、

一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、

それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、

個々の人物を見ると行動範囲はそこまで広くない。

 

旅行登山ツーリング即売会遠征趣味である

学校行事である修学旅行部活全国大会など)

・身内の都合です(転校など)

・突然ワープしてました

 

これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活から離れて動かない。

からそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。

描かれる街が単一都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、

舞台となる地方物語の展開に連動して明るくに描かれるのである

そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、

記事のようなアニメ地方を考えた論評にありがちな

舞台である=描かれた地方作品の重大なテーマである、という構図は

必ずしも成り立たないと思うのである

 

東京vs地方という二項対立

この記事に対して気になるところがもう一つある。

というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも

違和感を感じ、反論したい部分がある。

 

それは、全体として東京仮想敵としている所である

君の名は。ハッピーエンドの場が東京であったことの不満、

東京が揺らがなかったことへの不満、

壊滅した糸守の人物たちが東京へ移ったことに対する不満、

そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。

東京隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。

 

この観点において、もっと瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である

 

物語あくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京故郷幻想特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。

 

これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。

瀧は東京まれである高校には友人がいて、バイト先もある。

それに付随した人間関係や馴染みの店もある。

ならば、彼の故郷新宿区であるのは明白であろう。

 

東京という町が生まれて150年弱、

高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。

当然、そこで生まれ、育ち、その場所愛着を持っている人が存在する訳であり、

東京まれ故郷のないという構図は非常に抵抗を感じる。

 

というよりも、この作品地方東京の対比が大きな要素でもあるのだから

双方ともに住んでいる街を故郷と思えるような愛着知識

人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。

 

もしテロ地震があり、瀧自身や近い関係人物危害があったら、

もしくはアトラス的何かで新宿が壊滅したら、

それこそゴジラが来て東京全部焼き払ってしまったら。

そして、惨事を避ける手段が目の前に提示されていたのなら。

 

きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。

さも片方に地元愛がないような表現は、私はどうかと思う。

 

地方物語に都合よく変えて消費するな」という意見は、

地方研究している人ならば主張することは正しいと思う。

規模が小さい、独自性があるなどの性質から創作世界において、

物語を進めるための非現実的な設定を地方押し付けられる傾向が強いということは事実である

 

君の名は。においても、神事伝承隕石自治体消滅など、

ファンタジー色の強い部分はほとんど糸守町が担っているし、

栃木弁とも茨城弁とも福島弁もつかないようなアクセント

パロディに満ちた謎の施設人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、

地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、

悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。

地方を味方する立場活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、

作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである

 

しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。

そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。

批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナーテレビ朝日東宝に対して

向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。

地方を「消費」可能商品に仕立てているのは、(所在大都市かもしれないが)

作者および制作組織であり、大都市のものでは決してないのである

 

地方大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。

しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、

という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。

不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。

 

まあ、ガルパンひぐらしの扱いもそれ以上に気になったんですけどね。そういう作品じゃないでしょw

2016-08-30

まあでもエロゲのオープニング作ってた新海誠新海誠だし

http://anond.hatelabo.jp/20160829084435

raitu 新海誠の新作アニメ映画「2日間で観客動員約59万人、興行収入約7億7000万円(26日が約3億4800万円、27日が約4億2200万円)を記録」今回は「君の名は。」という中高女子向けの人気原作であることも寄与してるっぽい

この人、「君の名は。」と「君に届け」あたりを勘違いしてそう


それはさておき。

現状のはてなの騒がれ方は、元増田みたいな認識よりももっとずっと手前ではないのか。

近い時期にシン・ゴジラがあったもんだから、それと二項対立を組めばいいんだとしか思ってないバカが「オタクシンゴジ、非オタ君の名は」みたいな構図で安い叩きを量産している。海猿叩く時の文章のまま、タイトルだけ変えたやつ。

童貞の星からメジャー作家まさかの転身」という前提(元増田のいう誤読)にすら到達してないのでは。

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816122640

なぜその2つが二項対立になるのか、中を端折りすぎて、結論ジャンプした提案をする典型的考える力の足りない例をみた。あと少し。頑張ってくれ。

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