はてなキーワード: 大江健三郎とは
蠅の王
この世の美しきものすべて
時には克明な現実主義によって、時には想像力を書きたてる手法を駆使するといった、ニュアンスに富んだ作品群を通して、全人類に普遍性を持つアラビア語の創作芸術を形成したこと
張り出し窓の街
弓と竪琴
いつか月曜日に、きっと
1993年 トニ・モリソン(米)
「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録 (集英社新書)
詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
白の闇
運命ではなく
故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴を見出した
わたしの名は赤
新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した
来るべきロートレアモン
権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた
楽園への道
稠密で透光性のあるイメージを通じて、読者に現実への斬新な道筋を与えたこと
悲しみのゴンドラ
白檀の刑
2014年 パトリック・モディアノ(仏)
我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して
戦争は女の顔をしていない
逃亡派
https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c
面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。
日本人は
受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC
詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
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1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー)
その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して
プロヴァンスの言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して
1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン)
1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)
念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギー、スタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して
1907年 ラドヤード・キプリング(英)
真実のための本格的検索、思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生の理想主義的哲学を実証したこと
叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して
多岐にわたる文学活動、特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品が神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする
1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン)
崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して
1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク)
1921年 アナトール・フランス(仏)
1926年 グラツィア・デレッダ(伊)
彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して
ブッデンブローク家の人びと
1931年 エリク・アクセル・カールフェルト(スウェーデン)
林檎の樹
呪われた日々、チェーホフのこと
1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)
月を見つけた
楡の木陰の欲望
1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク)
車輪の下で
1950年 バートランド・ラッセル(英)
哲学入門
バラバ
テレーズ・デスケルウ
我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して
1962年 ジョン・スタインベック(米)
1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)
静かなドン
1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン)
1974年 ハリー・マーティンソン(同時受賞)(スウェーデン)
アニアーラ
偉
文学者・文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。
そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き・映像監督と政治家で違うけども、根本は文学者だと思う。
文学や新聞がメディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。
石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実
「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影)
DSC_3468『わが人生の時の時』
政界を引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーにヨットにダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派”作家の身体と感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)
この本は不思議なきっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議なウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底は全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。
思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。
《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難や自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優・裕次郎さんとの別れや霊の存在を示唆するような不思議な出来事、戦時の日常も描かれる》
僕は肉体派だからね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷をヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときはコンパスがクルクル回るのが気持ち悪かったね。
ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。
戦時の体験も書きました。横須賀から出航する前、家族と最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争の不条理や残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー元会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうものが潜在意識にあって書いたんです。
《26年、衆議院議員を最後に政界を引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在も文芸誌に小説を連載する》
随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。
ライフワークが一つあってね。仏教徒だから法華経を現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在や時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。
やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。
◇
『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮社から単行本が刊行され、後に文庫化された。『石原愼太郎の文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。
◇
〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市生まれ。一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員に当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任。平成11年から24年まで東京都知事を務めた。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 121 | 9482 | 78.4 | 27 |
01 | 58 | 8354 | 144.0 | 58 |
02 | 48 | 6011 | 125.2 | 55 |
03 | 18 | 2424 | 134.7 | 62 |
04 | 18 | 2269 | 126.1 | 81 |
05 | 18 | 825 | 45.8 | 43.5 |
06 | 18 | 2157 | 119.8 | 57 |
07 | 36 | 3311 | 92.0 | 24.5 |
08 | 64 | 6455 | 100.9 | 52.5 |
09 | 128 | 11928 | 93.2 | 35.5 |
10 | 107 | 8350 | 78.0 | 41 |
11 | 107 | 17623 | 164.7 | 37 |
12 | 113 | 9772 | 86.5 | 46 |
13 | 134 | 13916 | 103.9 | 53 |
14 | 102 | 6616 | 64.9 | 33 |
15 | 134 | 13077 | 97.6 | 49 |
16 | 133 | 10239 | 77.0 | 51 |
17 | 197 | 16972 | 86.2 | 49 |
18 | 145 | 9842 | 67.9 | 41 |
19 | 187 | 14960 | 80.0 | 34 |
20 | 160 | 13493 | 84.3 | 41 |
21 | 171 | 20856 | 122.0 | 43 |
22 | 124 | 13478 | 108.7 | 42.5 |
23 | 177 | 17611 | 99.5 | 52 |
1日 | 2518 | 240021 | 95.3 | 42.5 |
解の公式(4), ワイルズ(6), フェルマー(7), フェルマーの定理(3), 大江健三郎(3), 楕円曲線(4), Dグレ(3), gorin(4), 韋駄天(6), 性的欲求不満(3), 34分(3), IQ(26), 境界(12), ヒーロー(12), イージーモード(7), パラリンピック(7), 非公開(7), ロシア(14), 感染力(6), 股(10), 無観客(7), ケーキ(11), 接種(36), 願望(16), ADHD(11), オリンピック(85), 感染者数(12), アスリート(12), 風邪(32), ワクチン(81), 五輪(39), 重症(20), 選手(30), 打っ(20), 知能(20), 株(19)
■女性は弱者男性にだけ冷たいわけじゃない /20210731150157(29), ■東京都内で在宅勤務してるけど、一般人のコロナ慣れがヤバい /20210729190251(25), ■才能という言葉が嫌い /20210728230247(15), ■大学に「私足軽だからw」っていう女がいるんだけど /20210728153635(14), ■アルコール飲料で水分補給はできません!水やスポドリを飲みましょう /20210731130719(14), ■ /20210728214639(12), ■犯罪者は「IQが"中の下"の男性」に集中している /20210731183707(11), ■今、報道機関を信頼しているか? /20210730122804(10), ■女性作家による男性目線のセクハラ系ラブコメ漫画を教えてくれ /20210731120938(10), ■ネットのコンテンツが全部横並びになってつまんねえなって思わない? /20210731195223(8), ■四股 /20210731093253(8), ■趣味がめっちゃローテする /20210730145817(8), ■ /20210731231213(6), ■不倫という言葉を無くそう /20210731115137(6), ■「ハッ、殺気・・・!」とかお約束になってるけどさあ /20210731134146(6), ■俺、もしかしてちょっとだけバカかもしれない /20210731153644(6), ■未成年に求められても大人なら断るべき論 /20210731134655(5), ■もっとカジュアルに増田投稿主の特定を可能に /20210731140229(5), ■アスリートへの誹謗中傷って /20210731144514(5), ■ワクチンに感染予防効果はあります /20210731103045(5), (タイトル不明) /20110730214428(5), ■だから感染拡大とオリンピック関係ねーから /20210731174551(5), ■アクアは意外といい /20210731183231(5), ■安楽死ってなんでだめなの? /20210731084626(5), ■まあもう、「外出しないでくださいお願いします!」って記者会見で土下座するしかないよね /20210731191707(5), ■anond:20210730164344 /20210730221151(5), ■もういい加減AVとかえっちな絵のモザイクを消したい /20210731113813(5), ■重婚みとめりゃいいのに /20210731205224(5)
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
自分はここに4年から6年まで通っていた。妹は四谷大塚に行った。理由が値段なのかそれ以外なのかわからん。
通ってる途中でsapixが分離独立して、そっちについて行った生徒もいたけど残った生徒としてはsapixなんてパチモンだよみたいな反発があったかな。
国語の教材がよくて、授業で扱った小説や随筆が面白くて次の日に本屋に買いに行くことがよくあった。大江健三郎とか中勘助とかイザヤベンダサンとかを毎週ランダムに読む機会をもらえて感謝している。
講師はバイトもいたのかもしれないが、中年のいわゆるフルタイムの講師もいて講義は良かったと思う。
希望校には受かった。
最寄り駅まで帰りは講師が引率してくれてみんなで帰ったこととか、進学した後も友達と長い付き合いになったこととか、小学校は楽しくなかったけど塾の思い出はたくさんあるな。
純文学に関する雑感。
# 純文学とは
純文学は芸術の一種なので新規性が必要。逆に新規性がある小説作品を純文学という。
純文学における新規性とは、主に作品で取り扱う題材の新しさと表現の新しさ、そして作品に通底する美意識の新しさ。それらの新しさを開拓することにより文学で表現できる領域を拡大する作品を純文学と呼ぶ。
とはいえ個々の作品についてそれが純文学かどうかをきちんと判断するのには時間がかかるので、純文誌(文學界、新潮、群像、すばる)によく掲載される作家の小説が純文学と呼ばれる傾向がある。
市場規模が小さいことが最大の課題。平たく言えば食っていけないので担い手がおらず、ジャンルの魅力自体が縮小している。
村上春樹以外の存命の純文学作家は? と尋ねられても普通の人はなかなか答えられない。
過去の一時期においては小説新聞や文芸ジャンル以外の雑誌、たとえば旅行雑誌や美術雑誌での連載が純文作家の生計を支えていたが雑誌自体の数が減っているうえ個々の雑誌での枠も縮小されている。
人が減ると素晴らしい作品が世に生まれる頻度も基本的に落ちるので純文学というジャンル全体の衰退につながる。
# 存命の個々の作家について
## 大江健三郎
年齢を重ねても作風を変化させて挑戦を続けてきた点が純文学作家として模範的。大江健三郎賞を長嶋有、中村文則、星野智幸などに与え若手の紹介に努めてきた点でも良心的。
## 村上春樹
現在の日本の作家では知名度が抜群だが作風やテーマの進化が乏しく世間での人気ほどは評価できない。村上春樹といえばノルウェイの森、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドだが、どちらも80年代の作品。海辺のカフカでも2002年。このこと自体が村上春樹の文学的な意味での保守性を象徴している。かつてはアンダーグラウンドのような社会派なノンフィクションも手掛けていたのだが…?
自分はピンボールが好きだが村上春樹本人は気に入っていないというのをエッセイで読んだような読まないような。
## 平野啓一郎
かつてはポスト村上春樹と呼ばれることもあったひとの一人。一時期「分人主義」を提唱しこれをテーマに据えた作品を発表していた。分人主義に基づいて個人の感情を分析することにより従来と違った形での説明を与えるということが趣旨のようだが、過去のフレームワークでも類似の表現が可能に思え、冗長になっただけだと感じた。
## 綿矢りさ
初期の作品は個人にとっての偶像をテーマにしており谷崎潤一郎や三島由紀夫のような伝統的日本文学に連なる。その後は徐々に青春小説へと接近している。私をくいとめては2020年の冬に映画化されるらしい。純文学市場の拡大に貢献できる良い作家。三浦哲郎に「不可解な文章」と言わしめた自分に酔ったような癖の強い文章をもっと出してほしい。まだ若く作家として活動できる期間が長いので今後に大いに期待。
## 町田康
文体が珍しいので一見イロモノ。イロモノなのに読みやすいところにテクニックがある。短編は文体の個性で押し切っている感じがするが、長編は告白のような骨太な作品もある。織田作之助と比較されることもあるが、織田作之助は金勘定だとかの細部を積み上げることでリアリティが演出されている一方で、町田康は細部を積み上げることにより虚構感が増している感じがある。町田康は生活感を排除しているからだと思う。高級なレストランと同じで生活感がなく、現実と切り離された一個の世界に没入しやすい。
## 舞城王太郎
町田康と同じ印象。自分の中では町田康パート2。文体でファンを得ているタイプ。ポップな作品も多いのでミステリ等のエンタメから純文学に入るための入口として価値が高い。
## 星野智幸
俺俺はすごい作品だと驚いたが、最後の吐息、目覚めよと人魚は歌う、夜は終わらないあたりは表現の意図がピンとこなかった。試行錯誤しているということか。今後に期待。
## 長嶋有
明確な長所があるというよりも全体的な味で売る作家。晴れた昼間にビールを飲みながら読むと面白い。
## 阿部和重
阿部和重の作品は純文学だろうか? 自分には文学性が分からなかった。ピストルズがおもしろい。映画化すると映えるかスーパー駄作になるかのどちらかだと思う。爆死しても愛おしいから映画化してほしい。
## モブ・ノリオ
デビュー作で芥川賞を受賞してからほとんど作品を発表しておらず、断筆したものと思われる。介護入門ではヒップホップ的なノリがダサいとか邪魔という評価を多く受けていたようだが、あれは介護の現実を真正面から受け止めるのはきつすぎるいう叫びであったり照れ隠しであったりしたと思う。私は好きだった。長嶋有と同様に、スポーツ誌のNumber出身の人が編集長をしていた時代の文學界からデビューした。この人のように評価に困る作品をたくさん読みたい。
## 高橋文樹
新人賞にあたるものを2回受賞した珍しい人。デビュー作の途中下車は異様なほどの意気込みを感じる文章で、高校球児を見るのと同じ種類の愉しみがある。破滅派という同人を主催している。最近はSFを発表している。純文学での活動の有無は不明。
## 桐野夏生
エンタメでのキャリアが長いが純文系の賞もとっている。東京島がおもしろい。純文以外の作品が多く十分に読み切れていない。
## 辻仁成
恋愛小説に近い作品を多く書く。江國香織と一緒に冷静と情熱のあいだを書くなどしていた。大学生の頃は好きだった。今の私は対象読者ではない。最近は新型コロナウイルス関連のフランスの事情をワイドショーで喋っている。
## 円城塔
よく分からない。理系的と評されることもあるらしい。私も理系だがよく分からない。サイエンスやエンジニアリングの本質は再現性だが、それが円城塔の作品とどう関係するのかが分からない。楽しむための手がかりを見つけられていない。
# 純文学は芥川龍之介の造語であって海外には純文学はない。純文学という日本固有のくくりで語る意味はないのでは?
純文学がグローバルに通用しない概念なのは知っているが、ジャンルというのはそういうものなので、意味がないとは思わない。日本に現に純文学という分類が根付いている以上、それを無視するのもおかしい。一読者としても、作品を読む前に、それがエンタメなのか純文学なのかを知っておきたい。そうすれば期待外れでがっかりすることが減らせるから。
# 詩はなぜ純文学ではないのか
自由詩、短歌、俳句、いずれも手垢のついたオートマティックな表現が最も嫌われる。新規性があることが高評価の前提となる表現形式なのだ。だから純文学にカテゴライズして新規性の必要性を主張するまでもない。
ただし純文学も詩も文学性という点では近い価値観を持っている。そのことはたとえば穂村弘が文藝の新人賞の選考委員を務めていることからも分かる。
福島をあえて「フクシマ」とカタカナ書きにして「これは原爆の惨禍を忘れないためにヒロシマを使うのと同じだ!」と言い続けてる人がいて、そういう人間はもう説得できないことが明らかになっているから何も言わない。
俺の話は福島ではなく「ヒロシマ」の方で、原爆のイメージに結びついた広島市の書き表し方としては、カタカナのそれよりも圧倒的に旧字体で書かれた「廣島」の方なんだよな。
理由は単純明快で、修学旅行で行った原爆資料館に展示された写真や絵画、ジオラマにある表記は、いまでは使われない旧字体のそれで、旧字体の広島の文字が明瞭な象徴として原爆の惨禍を想起する時のフックになっているのだと思っている。
まあ、カタカナの広島が「象徴」として頭に浮かぶのは大江健三郎の本とかが理由なんだろうが、俺は彼の人の本を読まないし読むこともなかろうと思うので、全然ピンとこないのであるよ。
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
ベ平連とか反原発でもなんでもいいけど、坂本龍一とか大江健三郎とかが「自分は十全に正しく批判相手は全く間違っている」という意識が蔓延しちゃって表現の不自由展みたいなことになるんでないのかな。
それらは2chのハイ論破文化にも連なって大衆化していき、TwitterやSNSでの罵倒に近い否定とも結びついてると思える。
何でも白と黒に分けられないだろうし分けられることのほうが少ないのにねえ。
人はたくさんいるのだからグラデーションを描くようにコミュニケーションしないと、すぐに破綻して断絶しか起こさないんじゃないかなあ。
まあ気持ちいいんだけどね、スパッと結論づけるのは。書いてて優越感や全能感が出るし、日々生活に忙しく余裕もないから思考停止してしまったほうが楽。
楽な方に流れるな、と言う人のほうが楽な方に流れがちで、それは今後もっともっと暴力性を持った形で現れるんだろうなあ。嫌ですねえ。