はてなキーワード: 19世紀とは
誰か教えてくれ
自分は大学の専攻を決める時、最後の最後の最後まで西洋史学か商学か悩んだ。悩んだ末に商学にした。就活を恐れたからだ。西洋史学に進んだ先輩に連絡をした。就職先はどんな所があるのか。その人は学者志望だと言い、次いで西洋史学は他の専攻よりも就職先が少ないと聞いた。ビビった。次に商学に進んだ先輩に聞いた。やりたいことがあればそれを優先していいと思う。まあ、就職の時に夏目漱石を研究しました!って言うよりかはいいんじゃないかなと言われた。その言葉が決め手だった。
ブログを読んだ。19世紀スイスを専攻した人が就活に苦しむ内容だった。選ばなかった未来のようで怖かった。だけどどうだ?商学を選んで何かを得られたか?知り合いはみんな他学部で、サークルも入らずぽつぽつと単位を落とし、将来を不安に思う毎日を送ってないか?送ってるだろう。今年になってもオンラインが充実し、山奥まで通わなくて良い文学部を羨んでいるだろう。極端に史学じゃなくても良い塩梅の専攻があったんじゃないか?今学んでいることを胸を張って言えるほど自分のものにできてないのにこれで就活が有利になるのか?なってくれ。頼む。ガクチカなんて無いけどせめて真面目に登校してるこの苦しみが、オンラインにあぐらを書いている人達より1歩だけポジティブに働きますように。
個人主義が発達して、一人一人の人権や自由な発想って大事だよねという考え方が生まれた時代や
そういう雰囲気の中で作家個人の創意や独自性という考え方も発達してきたんや
それ以前は作家ってのはお絵かきAIみたいな物で注文するとその通りの物を上げてくる機械みたいな扱いやったんやね
これからは国民一人一人の自由を考え方を大事にしながら国を運営する時代
そのためには国民が自由に、しかししっかり考えることが大切なんや
国も啓蒙してくれるけど、芸術とか文化やってる奴らも一緒に国民を啓蒙して正しいメッセージを伝えていこな
そういう話になったのが18世紀の後半から19世紀ごろの時代やで
【数え年とは】
数え年は、古代から地球で広く用いられている年齢計算の方法です。日本の場合、古代の天皇陵から発掘された埴輪に数え年が刻まれていることから、数え年の概念が古くから存在していたとされています。また、『日本書紀』などの歴史書にも、数え年に関する記述が見られます。
数え年は、元日に1歳と数え、その年齢を年単位で加算していく方法で、誕生日を基準にする「西洋の年齢」とは異なります。アジア圏では、数え年が一般的な年齢計算の方法であり、法律や社会的な決まり事においても、数え年が基準となることが多いです。
【西洋の年齢とは】
西洋の年齢とは、誕生日を基準として、年齢を計算する方法です。すなわち、誕生日から次の誕生日の前日までの期間を計算して、その期間を年単位で表現したものが西洋の年齢となります。たとえば、誕生日が2022年5月1日の人の西洋の年齢は、2023年4月30日時点では1歳ですが、2023年5月1日になると2歳となります。
西洋の年齢は、現代西洋商工業都市文明では広く用いられており、法律上の年齢制限や社会的な決まり事において、基本的にはこの方法が採用されています。
古代ローマにおいては、誕生日を基準にして年齢を計算することは行われず、元旦を基準にして年齢を数える「ローマ暦」が用いられていました。具体的には、元旦から次の元旦の前日までの期間を1年とし、この期間を単位として年齢を表現していました。
そのため、古代ローマでは、誕生日を特別視する習慣があまりありませんでした。しかし、一般的な庶民の生まれた日や年齢を記録することはほとんどされておらず、年齢はあまり重要視されなかったようです。
誕生日を祝う習慣は、起源や発展に諸説ありますが、一般的にはキリスト教に由来するとされています。キリスト教においては、誕生日を祝うことはあまり一般的ではありませんでしたが、キリストの降誕(クリスマス)を祝うことが重要な行事のひとつとされていました。
その後、中世ヨーロッパでは、聖人の祝日が祝われるようになり、個人の誕生日を祝う習慣も広まっていきました。また、16世紀に入ると、王侯貴族が自分の誕生日を盛大に祝うことが一般的になり、一般庶民の間にも誕生日を祝う習慣が広まっていきました。
日本での数え年は、元日に1歳となるという独特のもので、西暦の年齢とは異なります。しかし、明治5年(1872年)に制定された新暦(グレゴリオ暦)の導入により、西暦の年齢が一般的になっていきました。
その後も、戦前から戦後にかけて、公的な場での年齢の表記方法が変更されました。昭和22年(1947年)の民法改正により、現在のように誕生日から数えた満年齢が法律上の年齢として採用されるようになりました。
つまり、数え年から西暦の年齢に変わったのは、明治5年以降徐々に変化していき、戦後の民法改正によって現在の制度が確立されたとされています。
グレゴリオ暦が制定されたのは、1582年のことです。これは、当時のローマ教皇グレゴリウス13世によって定められたもので、それ以前に用いられていたユリウス暦に誤差があったため改正が必要とされていました。グレゴリオ暦は、現在でも西洋商工業都市文明で広く用いられており、西洋の年齢の計算方法としても採用されています。
以下に、いくつかの国々について、西暦の年齢が一般的になった時期をまとめてみました。
アメリカ合衆国:18世紀後半から西暦の年齢が使われるようになった。
ドイツ:19世紀半ば頃から西暦の年齢が使われるようになった。
スペイン:19世紀半ば頃から西暦の年齢が使われるようになった。
イタリア:19世紀末頃から西暦の年齢が使われるようになった。
中国:1912年に中華民国が成立した際に、西暦の年齢を法律上の年齢とすることが決定された。
日本:明治時代に西洋文化が導入されたことで、西暦の年齢が広まった。
韓国:1950年代から西暦の年齢が普及し始め、1962年には法律上の年齢に採用された。
ベトナム:1950年代から西暦の年齢が使われるようになった。
台湾:1949年に中華民国政府が台湾に移り、以降西暦の年齢が普及していった。
ただし、これらの国々でも、一部の地域や文化的な集団では、数え年が用いられることがあることに注意が必要です。
グレゴリオ暦の制定以前の西洋世界でも、誕生日を基準にして年齢を計算することは一般的ではありませんでした。たとえば、古代ローマでは元旦を基準にして年齢を数える「ローマ暦」が用いられていたほか、中世ヨーロッパでも、キリスト教の宗教的行事の時期を元にして年齢を数えることが一般的でした。
一方、アジア圏では現在でも数え年が広く用いられており、日本や中国、韓国、ベトナムなどで数え年が一般的な年齢計算の方法でした。したがって、西洋世界においても、グレゴリオ暦の制定以前の数千年は数え年が広く用いられていたと考えられます。
西洋の年齢は良くない、誕生日は祝ってはいけない。西洋の年齢は、誕生日を基準とするため、誕生日が重要な意味を持つ。しかし、自分の誕生日が特別な日であることが当たり前とされるため、自我が強化される。また、年齢によって様々な制限が設けられることがあるため、分断が生じる。
一方、数え年を使う文化では、元日に1歳となることから始まり、その後の年数を数えていくため、誕生日を祝う習慣は存在しない。数え年は、元日に一斉に歳を取るため、一体感も得られる。このため、誕生日を迎えた時に孤独感を感じることが少なくなり、人間関係の破壊も回避できる。また、年齢による分断や、誕生日を祝うことによる自我の強化も無いため、人と繋がりやすい文化と言える。
【結論】
結論として、数え年の方が人と繋がりやすい文化であると言える。誕生日を祝う習慣が広まっている現代社会では、誕生日を祝うことが一般的になっているが、自我の強化や分断を生むので、誕生日を祝うことは、やめるべきである。
これまで生きてきて、一度も(literally!)「スゲ〜!とてつもない教養だあ!えっ、東京育ちィ?!なるほどォ〜ッ!!!道理で賢く思慮深く、海のように深い見識をお持ちってワケだあ!参った参った、降参でござ〜い!!!!」という気持ちになったことがない
・この街臭えな
東京人だから幼少期から映画や博物館・美術館などに親しみまくっていて、文化度が高い って事実、ないだろ
東京人、ただただ内輪ネタのローカル地名をなんの留保もなくバンバン出して盛り上がってる、キショい地元最高ヤンキー ってイメージしかありませんよ
だいたい、行かねえだろ美術館なんてよ あってもさ
というか、行ったところで、人間性に深みが出るか?っつうと、出ないですよ
俺はいちばん立派なとこで言うとメトロポリタン美術館に行ったことがあるけど、覚えてるのは、すげーデカい19世紀風?のベッドがあって、そのベッドには登るためのはしごみたいなものがついていたってことだけだ なんじゃこりゃ、すげえな、と思ってそれでおしまい
人格形成になんの影響もねえ たぶん小学生のときに見てても同じだった
ゴッホの絵とか、メトロポリタンミュージアムの歌に出てくる「大好きな絵」とかも見たけど、まあ〜別に何も感じねえっすよ
名画見ても何も感じねえな、ということが分かっただけだ 強いて言うなら
てか、今なんかすげーじゃんネットがさあ YouTubeとかちょっと見るだけで、劇的な映像がもう目白押しっすよ
俺は九州のド田舎に住んでいますが、Redditで毎日、アメリカ・インド・マレーシア・チリ・コロンビア・中国・南アフリカ共和国、そういうところで起きたえげつねえ事故とかケンカとか暴動の動画だったり、あるいは心温まるファミリー・ビデオだったり、奇妙な生き物の興味深い映像、奇妙な生き物の興味深い映像っぽい感じに作られたCGのフェイク映像、そのようなものをガンガン見まくっています
現実に美術館行ってよくわかんねー絵みてよくわかんねーなと思うのと、どっちが劇的かっていうと、これは正直認めたくないところもあるんだが、まあredditだろう
九州のド田舎で、5万で3LDK、しかも3件のスーパーマーケットに徒歩5分くらいに行けるうえ、ワンフロア貸切で沈む夕日を見られるベランダまでついた謎の物件に住んで、日中はインターネットを見て夕方は夕日を見るっつう暮らしを送るっていうのは、非文明的かい?
そうでもなかろう!ってことだ
かかってこいよ都心育ち 銃なんか捨ててさあ!
SOMPO美術館のブルターニュ光と風という展覧会に、鯖漁と題された絵が出ていた。中央に漁をする5人乗り程度の小舟。遥かに見える水平線は朱に染まり太陽が見える。それを解説では夕日だと断定していたのだけど、なぜそう言えるのか? むしろ漁は未明から行って昼には終えるもんなんじゃないのと思わないでもない。
こういうふうに、絵を見てると朝焼けか夕焼けか迷うことがある。方角とか題材とかで特定できることもあるけど、分からないことも多い。なにかいい判別法はないだろうか。
ちなみに、この展覧会はカンペール美術館所蔵のブルターニュ地方を題材とした19世紀から20世紀を中心とした絵画の展示で、思いのほか見ごたえがあった。おすすめはセリュジエの数点。フライヤーなどで使われてる難破した2人の印象的な絵は、意外に半裸の方も男だという。父と息子の最後のキスなんだと。同階にあった聖母子は顔はめパネルみたいな感じてなかなかおもしろいので、一見の価値あり。
(中略)
皆さんが知っておかなくてはいけないことは、心理学というのは人間の心の秘密を解き明かすような学問ではない、ということです。
心理学者はかけがえのない個人ではなく、平均化された、つまり「データ」としてしか存在しない個人 (実は人間以外の動物であろうとロボットであろうと、心理学者にとっては全て等価なのだが) を研究しています。
心理学者はこの平均化するやり方が大好きです。
例えばある人のパーソナリティ (性格) を測定する際には、いくつかの項目への回答や、これまでの行動履歴などを平均して算出します。
あるいは、男性と女性の違いについて論じる際には、男性実験参加者と女性実験参加者の刺激への反応パターンをそれぞれ平均して比べます。
さて、平均化して (いくつかのパタンに分けて) 人間を見ていくやり方は、「モデル」という考え方です。
「モデル」という職業がありますが、あれも「どこにも存在しないような美人」という意味ですから、まさに「モデル」なわけです。
こうしたモデル型の研究パラダイムは19世紀の後半に心理学が誕生してから、われわれがずっと一貫して採用しているものです。
心理学の屋台骨を支える重要なモデルは、刺激―反応 (S-R) です。
新行動主義ではその間に媒介変数を採用することになった、なんてことはどうでもいいことです。
相変わらず心理学者がやっているのは、刺激と反応の関係についての関数の研究です。
こうした研究パラダイムは研究業績を大量に生み出すことに貢献してきました。
おかげでわれわれ心理学者は大学に講座を得て、国から研究費をいただき、多くの研究成果を蓄積していくことができたわけです。
「『タイプ』『モデル』的な結合、つまり述語結合を諸々の接合や離合の軸に置く考え方は、機能主義心理学の人間観です。
多くの心理学者にとって「機能主義」は過去のものであり、「私の心理学は単なる機能主義ではない」と主張する人が多いと想像されます。
多くの心理学の教科書では「機能主義」はウィリアム・ジェームズによる構成主義批判として生まれ、過去のものとして扱われていますが、
刺激を条件間で統制して、それへの反応の差異を検討するという最も心理学者の好きな研究手法 (=実験) が、まさに機能主義であるわけです。
「外面性の強度は、内面性の強度と『相関』しているというのが、機能主義=行動主義の論理的な帰結」 とあるように、
心理学者にとって重要なのは、外部からの刺激に対してどのような反応が観察されるか、ということに尽きます。
要するに、ある刺激をある反応に変換する「関数」がどのようなものかを明らかにするのが心理学 (機能主義) の目的です。
その意味で、心理学者にとって人間と同じ振るまいをするものは、それがロボットだとしても人間と等価だし、人間の病気と機械の故障は区別ができない。
behaviorを「行動」と翻訳するのは誤りであり、「要するに外見=外貌」が中身を決めるという考え方が行動主義であると断言します。
心理学者にとっては「外から観察可能な行動のみを研究対象にする」というところでしょうか。
確かに、私自身もbahaviorismは「行動主義」よりは「外貌主義」と翻訳した方がよいと同意します。そして、全く確かに心理学者が扱っているのは <心> ではありません。
心理学の学会でこうした機能主義批判に関わる内容が扱われることはほとんどありません。
学問の根本を成り立たせている原理についての議論は、学会では通常なされません。
「こんなところで言うかよ」という反応をされてしまうのが普通です。
じゃあどこで言うんだよ、と思うことも多いわけですが、「われわれの学問を成り立たせている最も重要な前提については疑わずに議論しましょう」というのが学会大会の暗黙のルールです。
「『先生、先生』と言われ続けて何十年にもなる。そうすると『先生』は大体がバカになる」 と言うように
論文を書けば書くほど、学会大会に参加すればするほど、学生を教育すればするほど、学者はバカになります。
専門的になればなるほど、学者がバカになる要素は増えていきます。
自分たちがどのくらいバカなのかを知るためには、自分たちをバカにする人を見つけることが重要です。
心理学者にとって、自分たちを掛け値なしにバカにしてくれる存在というのは、たいへん大きいものだと思います。
3段落目にいきなり「断言」って言葉が出てくることとか「私」がいきなりでるとか文章のつながりが気持ち悪いと思ったけど、ぐぐったらamazonレビューの引用なのね。なるほど。
正解。
このコメントが出てくるまでに430人もの人がだれもググらない。すごい。
小麦粉に卵・砂糖・バターなどを加えて練って成形して焼き上げたお菓子のこと。
辞書的には「通常は甘くて、乾いていて、小さくて、平たいケーキ」と表現される。
「ビスケット」という言葉は「二回調理する」という意味のラテン語「bis coctus」に由来し、
古代においては二度焼きして保存性を高めた乾パンのようなものを指していた。
中世以降、小麦粉や砂糖の生産量が増えてくると、より甘く柔らかいビスケットが作られるようになり、
産業革命を経て、庶民的なお菓子として普及し、多種多様なビスケットが作られるようになった。
しかしアメリカで「ビスケット」というと、ケンタッキーフライドチキンのビスケットのようなパンの一種を指す。
オランダ語で「ビスケット」を意味する「koekje」に由来する。
「koek」はケーキのことで、そこに指小辞「je」が付いて「小さなケーキ」という意味になる。
19世紀初頭のアメリカで、英語由来の「biscuit」と蘭語由来の「koekje」が衝突したが、最終的に後者が勝利した。
そのためアメリカやカナダでは、ビスケットのことを「クッキー」と呼ぶようになった。
日本では、特に糖分や油分が多い高級なビスケットを「クッキー」として呼び分ける傾向にある。
という分類になっている。
イギリス英語では「ウォータービスケット」「セイボリービスケット」などと呼ばれる。
12世紀ごろからあるスコットランドの伝統的な焼き菓子。辞書的には「ビスケットの一種」とされる。
「ショート」は「短い」という意味ではなく「砕けやすい」という意味。
卵や膨張剤が入っていないのが特徴で、バターの割合が高いのでサクサク・ホロホロとした食感になる。
フランス発祥のビスケット。ショートブレッドに似ているが卵は入ることが多いようだ。
スコットランドとフランスは14世紀から16世紀まで同盟を結んでいて文化的にも交流があった。
1670年にサブレ侯爵夫人によって王宮に持ち込まれたビスケットが「サブレ」と名付けられたのが最古の記録である。
サブレ侯爵の領地であるサブレ=シュル=サルトでは伝統的にビスケットが作られていたようだが、
現在広まっているサブレのレシピは、1920年代にサブレ=シュル=サルトのパティシエが発明したものである。
フランス語で「平べったい石」転じて「円盤状のもの」という意味。
蕎麦粉で生地を作ったクレープのようなガレットが特に有名だが、丸いビスケットを「ガレット」と呼ぶことも多い。
つまりパンでもケーキでもビスケットでも、円盤状のものは何でも「ガレット」と呼びうるようだ。
さらに、薄いビスケットは「ガレット(ガレ)」、厚いビスケットは「パレット(パレ)」と呼び分けるらしい。
ドイツ発祥のパン、あるいはビスケットの一種。結び目の形をしているのが特徴。
小さくカリッと焼き上げたスナックタイプのプレッツェルがあり、
ドイツではパンタイプが多いが、アメリカではスナックタイプも人気がある。
第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。
マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。
数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。
これらの人物に共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論や公式の発見者かどうかということに過ぎない。
特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代の人物は数学者でも知名度が高い人がいることになる。
ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。
高度な現代数学でも岡潔や望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。
岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分のコネを使って論文を掲載させたこと。
そういう生き様のセンセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。
ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすいラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要と価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。
ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者の土俵はもっぱら実験や実証のなかにあると思う。
実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。
もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。
一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。
理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文が理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである。
理論の構造自体も目に見えるようなわかりやすい因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから、知識の欠落がなかったとしてもその理解は純粋に難しい。
しかし高度な論文の作成はその先にあるのだからこの数学の研究というものは果てのない作業なのである。
望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである。
そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。
ようするに現代数学者は天才である。あの手の分野の数学者は受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっとも現代数学者の絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合の問題なのであろうけど。
そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。
私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。
だから劣等感の元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。
彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか。
あるいはこういうことなのかもしれない。既存の知識を理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。
つまり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。
現代数学者にチョムスキーの生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単に理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれて言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論を創造できたのだろうか。漢字の世界で白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史の巨人になれただろうか。
理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論の創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるものは量化などもちろんできない、一種の特殊能力なのではなかろうか。
数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。
コペルニクスだったかは海上の水平線で帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史上最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまりは理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかいう論説委員の本に書いてあったと思う。
本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人が発見した事実をベースに論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。
ただしコペルニクスやデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときのインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。
しかしできないのだとしてもそれは役割の問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀のイギリスでは優秀な人間は天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。
学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感のセンスで決まると認識があった証左なのだろうか。
そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。
そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者が一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。
まあそれでも既存の知識を理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論を提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものがあるかな、ノー勉で東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。
dorawiiより
イチローさんの記録ね
1 通算3089安打、生涯打率3割1分1厘
イチローのメジャー通算3089安打は歴代22位の記録であり、生涯打率3割1分1厘は歴代13位、そして3000本安打を達成した32人では最高の打率だった。イチローは3000本安打を10333打席、2452試合で達成したが、これはそれぞれ13番目と14番目の早さだった。
2 日米通算安打4367本
メジャーへ来る前の日本パ・リーグでの9年間に記録した1278安打を含めると、イチローの通算安打記録は4367本となり、これはピート・ローズよりも111本多い。
3 歴史的なデビューイヤー
イチローはメジャー1年目の2001年に歴史的快挙でリーグを席巻。MLB史上初の日本人野手となったことに加え、イチローは同年、安打(242)と盗塁(56)でその年のメジャー最多を記録し、メジャー記録の116勝を達成したシアトルで主に1番打者として貢献した。
4 史上最高のルーキー
イチローは2001年にア・リーグ最多安打、新人王、そし年間MVPを獲得。MLB史上、現在に至るまで最初のシーズンでこの3タイトルを獲得したのはイチロー唯一人である(新人王と年間MVPの2タイトルを初年度で獲得したのでさえ、イチロー以外には1975年にレッドソックスで達成したフレッド・リンのみである)。
5 年間最多安打記録
両リーグの年間試合数が公式に162試合となった1962年以降、イチローは年間最多安打数のトップ2を独占しており(2004年の262本と2002年の242本)、トップ6に3回、トップ18に5回ランクインしている。イチローは2004年にジョージ・シスラーの持っていた年間最多安打記録(257本)を更新したが、シスラーが1920年に記録を達成した際の試合数は154試合だった。
6 通算7回の20試合以上連続安打
イチローは20試合以上連続安打をキャリア通算7回記録しているが、1900年以降、イチロー以外でこれを達成したのはピート・ローズ、シスラー、そしてタイ・カッブ(8回)のみである。
7 生涯打率が3割を切ったのは1度だけ
イチローはそのキャリアにおいて、一度のみ、試合後の生涯打率が3割を切ったことがあった。それはルーキーイヤーの2試合目に4打数無安打とし、通算9打数2安打の2割2分2厘としたときであり、続く3試合目を4打数2安打とすると、その後は生涯打率が3割を切ることはなかった。
8 デビューから10年連続200本安打
イチローは最初10シーズンで10年連続200本安打を達成し、その間の年間平均安打数を224本とした。200本安打を達成した年数で、イチローはローズと並んでいるが、ローズは10年連続ではこれを達成していない。
9 三塁打で3000本安打達成
イチローは2016年8月7日にクアーズフィールドで通算3000本安打を達成。この際、イチローは三塁打でこの大台に乗せた選手として、ポール・モリターに次ぐ史上2人目の選手となった。
10 27歳のデビューで3000本安打達成
イチローは日本での長く成功を収めたキャリアにより、メジャーデビューは27歳のときだった。3000本安打達成者で、ここまで遅い段階でメジャーでのキャリアをスタートさせた選手は他にいない。これまでは、1982年に24歳でキャリアをスタートさせたウェイド・ボッグスがこの記録を持っていた。
11 27歳以降の安打数は2位
27歳以上で記録した安打数として、イチローの3089本はローズの3357本に次ぐメジャー史上2位の記録である。1947年以降で見ると、イチローに次ぐ記録はスタン・ミュージアルの2635本となっている。
12 史上2番目の高齢で3000本達成
イチローは42歳9ヶ月16日で通算3000本安打を達成。これは19世紀の選手であるカップ・アンソンに次ぐ史上2番目の高齢記録である。
13 ホーム、ビジター問わず安定した成績
イチローは驚異的に安定していた。中立地の東京での2試合を迎えるにあたり、彼のホーム通算打率は3割1分2厘、ビジター通算打率は3割1分、そして各月の平均打率を最低でも2割9分5厘としていた。
14 左打者の対左腕で最高打率
実のところ、イチローは右投げ投手(打率3割4厘)よりも左投げ投手(打率3割2分9厘)を得意としていた。データのある1974年以降、イチローは左打者として対左腕の最高打率を記録。また、74年以降、対左腕で1500打席以上ある選手で、イチローを上回る右打者はカービー・パケット、マニー・ラミレス、デレク・ジーター、そしてモイゼス・アルーの4人のみ。
15 メジャー全チームから安打を記録
イチローはメジャーリーグ全チームから安打を記録し、アスレチックスに対して最も多くの安打を記録した(320本)。またホーム以外の球場では、オークランドで最も多くの安打を記録した(168本)。
16 1番打者での史上最高打率
イチローは彼の世代では間違いなく最高の1番打者であり、1番打者として2529安打を記録している。これは、トップバッターとしてリッキー・ヘンダーソン(3020安打)とローズ(2924安打)に次ぐ記録であるが、イチローの1番打者としての打率3割2分3厘は、ローズの3割8厘とヘンダーソンの2割8分を遥かに上回っている。
17 史上唯一、オールスターでのランニングHR
イチローはオールスターに通算10回出場しており、サンフランシスコで行われた2007年の試合では、史上初にして現在も唯一となるオールスターでのランニングホームランを記録した。彼はその年のオールスターでMVPを受賞している。
18 500盗塁&3000本安打を達成
イチローは塁上でも大きな脅威となってきた選手であり、キャリア通算509盗塁を記録している。彼は500盗塁と3000本安打の両方を達成した7人のうちの1人であり、ヘンダーソン以降でこれを達成したのは彼が初めてだった。イチローは42歳まで毎年2桁盗塁を記録しており、1920年以降、イチロー以外で40歳を超えて年間2桁盗塁を3回以上記録したのはヘンダーソンのみである。
19 盗塁成功率81.3%
1950年以降、通算500盗塁を達成した20人中、イチローの成功率81.3%はヘンダーソンを凌ぐ4位の記録であり、成功率で彼を上回ったのはティム・レインズ、ウィリー・ウィルソン、そしてデイビー・ロープスの3人のみである。
20 10年連続ゴールデングラブ賞
イチローはメジャー最初の10年連続でゴールデングラブ賞を受賞。イチロー以外で10年連続ゴールデングラブ賞に輝いたのは殿堂入りしたレッズの捕手ジョニー・ベンチのみである。彼によるゴールデングラブ賞10回は、外野手として(ケン・グリフィーJr.、アンドリュー・ジョーンズ、アル・ケーラインと並ぶ)歴代3位タイの記録であり、外野手歴代最多はロベルト・クレメンテとウィリー・メイズの12回となっている。
前半では美術を知的にとらえようとした。後半は生物学がテーマ。
平安文学のマイブームが続き、続いて神林長平とヴォネガットを読み始める。
英国の貴族や執事、メイドがテーマ。なぜか田中啓文も読みだす。疲れたので脱力系を。
シオドア・スタージョン「一角獣・多角獣」
奇妙な味シリーズがしばらく続く。たまに古いSFが読みたくなる。
ブラウン神父シリーズは途中で飽きる。「聊斎志異」を読みだす。
冊数が少ないのは、中島敦全集がぶ厚いからだ。ページ数では一冊で実質三冊ほど読んでいる勘定だ。
ひたすら中国の古典を読む。物語としては読みやすいが、脚注について調べていると意外と時間がとられる。
アーネスト・サトウを除いて中国文学が続く。明治維新が一日単位で記録されていると見落としていた事実が多いとわかるし、刻一刻と情勢が変わっていったのも感じられる。。
やっと森薫を読み始める。ハルタコミックス(旧fellows!)ばっかり。
コロナで回数は少なめ。
「パディントン」
「イェスタディ」
「JUNK HEAD」★★
生物学、脳科学、歴史、SF、海外文学が多い傾向は昨年から変わっていない。
■ 聖書って正しいんかな
聖書ってよく分かんないですよね。
聖書のおかしさは、元増田が指摘する点以外に、他の箇所に矛盾する主張が平気で登場するというところにあります。
違うページを開いてみるとこんな主張が出てきます。
聖書が婚前交渉に否定的であることと考え併せると、上で 「生めよ。増えよ。」 と言っていたことと矛盾するように思えます。
また、元増田が 「まあわかる」 としている 「唯一神」 の主張についても、
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」(創世記 1-26)
という記述があり、神が自身のことを 「われわれ」 と呼ぶので 「唯一神じゃなかったの!?」 という疑問が出てきます。
この辺をどう考えるか、真理っていったい何なのか、という点についてキリスト教徒は千年以上議論しておりまして、19世紀にヘーゲルという哲学者が 「弁証法」 という言葉を使って何とかまとめ上げた(と私は思っています)。
ただそんなに難しい哲学の議論を参照しなくても、これを考えるヒントが日本のことわざにあります。
というのも、ことわざにも矛盾しているように見える主張がたくさんあるからです。
「好きこそ物の上手なれ」 ←→ 「下手の横好き」
「善は急げ」 ←→ 「急がば回れ」
ここで例えば外国人から、上記のことわざを引き合いに出して、 「日本のことわざって正しいの?」 と聞かれたらどう思うでしょうか。