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2022-05-23

anond:20220522220552

それは、宗教には実用性が無い、と考えるのが誤りで。

たとえばイスラム教の内容ってのは、当時のアラブ砂漠で生きるための実用性の塊なんだ。

我々に身近な仏教も、メンタル維持とかに実用性があるから、いまでもバンバンに利用されている。

 

でも改変要素がないから、進歩もなくて、時代遅れになったり、含まない領域が広くなりすぎて現代人にはあたかも役に立たないかのよう見えたり、するわけだ。

19世紀科学ではスマホが作れなかったけど、今は科学は変わったから作れる。

2022-05-17

anond:20220517113920

望月ブログに例として挙げられている19世紀数学高木近世数学史談」の後半の楕円関数論や、岩澤「代数函数論」の序文の内容)を分かりやす解説できないような人が、現代代数幾何・数論幾何解説をするなんて不可能だよ

2022-05-09

anond:20220509153502

形式的に州の権限を持ったとして、アングロサクソン国家日本人を真っ当に扱ったかどうか。

19世紀アイルランドみたいに、併合飢餓・大量移民の三本立てで人口激減の可能性もあったのではないか

2022-05-06

今のドラえもん2112年まれだけど、初期の頃は2012年まれという設定だった。当時の基準で考えても2012年あん未来が成し遂げられるというのは無理があるのでは?と思うかもしれないが、ここにトリックがある。初期の頃のドラえもんでは現代の年がすべて昭和表記されていた。この昭和表記曲者で、作中のカレンダーを拡大してみると昭和44年(1712年)と書かれている。つまりドラえもんにおける現代は1712年で、未来2012年というカラクリになっている。1712年の時点でテレビも車もある世界線から2012年に猫型ロボットが開発されても不思議でないわけだ。こちらの世界線ではハーバーボッシュ法が数百年早く発明されている。この違いは大きい。多数の餓死者を出した14世紀半ばから19世紀半ばの小氷期化学肥料の力で乗り越えられるからだ。それにより人類は足踏みせずに済んだ。

2022-04-18

anond:20220418065352

絵画 19世紀 とかで調べたんじゃね しらんけど

anond:20220417160109

母性の喜び》

ジョン・ウィリアム・ヘインズ

19世紀後半 - 20世紀

ヨハネ・パウロII世美術館所蔵

・・・でいいのかな。

素敵な文章で、画像を見に行って、また読んで、またもう一度じっくりと時間をかけて見てしまった。

後でもう一回またみて、自分も湧き上がってきた感情を書き留めてみようと思う。

素敵な文章を読ませてくださってありがとうございました。

2022-04-01

>かつては新聞紙上でも戦前は溢れんばかりに決闘報道が行われており、イギリスの『タイムズ』紙は1831年から1895年8月までに805の決闘報道している。が第一次大戦は大量殺戮戦となり、決闘文化は衰退し、戦後は死者が出たり、よほど特殊決闘でない限りほとんど報道されなくなっている

決闘19世紀後半以降は大半の国で禁止されている

 

ウィル・スミス事件は平手打ちだったが、メディアのはやし立ては変わっておらず、現代決闘は同情票の多少で勝敗を決めるがごとくだ

しかダニエル・デフォーウォルターリップマン存在組織的言論操作可能であることを示しているし、イギリスのタヴィストック人間関係研究所ロックフェラー系)などの関与も考えられなくはない

さておきクリス・ロック擁護すれば差別ジョーク助長されかねないが、あのジョーク差別解消という公共の福祉に反する罪にあたるだろうか

一方「将来起こりうる危険リスク判断」は行政議会研究所役割で、司法は「具体的な被害実態」や数字がなければリスク判断をしない

昔は「カトリック神父」が倫理を説いて被害リスクを低減しようとしていた(ただ性的虐待農地独占などの腐敗はあったらしい)

ユダヤプロテスタント」が復権聖書原理主義になってから善悪判断法律に基づき法曹が行うようになったものの、魔女裁判や四番崩れが発生した(ポピュリズム行政司法

法曹官吏はたいがい法律成立過程にも関わっていようもの

 

さて日本国憲法などは官吏裁判官地位を相当に保護しているが、それが正しいだろうか

また、司法権という武器を持つ法曹は、法律を作る議員になれる「文民であると言えるだろうか

四番崩れを合憲化しうる、独立憲法裁判所をもたない司法制度は正しいだろうか

 

主権たる人民合意形成過程操作するため、騒動を引いて見る人(斜めではない)

2022-03-28

アルメニア人歴史悲惨すぎる

anond:20220328134426

1800年代半ば、アルメニア民族主義の萌芽

オスマン帝国におけるアルメニア人は、中央政府共存共栄する共同体であった。

19世紀に入ると、カトリックへの改宗などを通じて西欧諸国庇護を受け特権享受する

アルメニア人が現れ、ムスリム住民との間に軋轢が生じた。

さらに1803年~1815年のナポレオン戦争により西欧において民族主義高まると、

アルメニア富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めた。

 

1878年ロシアによるアルメニア民族主義支援

1877年露土戦争で、ロシア帝国勝利南カフカスアルメニア居住地帯の北東部占領

ロシア帝国アルメニア系のイワン・ラザレフ中将に、

ムスリムアルメニア人の離間を目的とした任務に当たらせた。

ロシアオスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年サン・ステファノ条約

オスマン帝国東部の六州におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革実施約束させようとした。

 

アルメニア民族主義政党の勃興

ロシアという後ろ盾を得たことを機に、オスマン帝国領内でアルメニア民族運動が盛り上がり、

帝国外ではアルメニア民族主義者によるアルメニア独立目標とする政党が結成された。

やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う者も現れた。

露土戦争ときアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評ムスリムの間で広まり

アルメニア人を国内にありながら外国と通謀して「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。

 

1894年オスマン政府による「暴動鎮圧」としてのアルメニア虐殺

1894年アナトリア東部のビトリス県でムスリムアルメニア人の大規模な衝突が起き、

オスマン政府正規軍非正規部隊を動員して衝突を鎮圧し2万人の犠牲者を出した。

アルメニア政党はこれを国際世論に訴え、西欧諸国オスマン帝国批判

1895年1月、英仏露の列強は共同でアナトリア東部行政改革案を提示して、その履行をオスマン帝国要求した。

オスマン帝国はそれらの要求を受諾するも、履行しないため、アルメニア人による履行要求デモが行われた。

デモに対して「外圧を笠に着た横暴」と感じたムスリム民衆が激高しアルメニア人を襲撃。

富裕層アルメニア人はオスマン帝国から西欧諸国に逃亡した。

 

アルメニア民族主義政党による暗殺未遂

1905年7月21日アルメニア革命連盟爆弾によってアブデュルハミト2世暗殺を試み、

護衛26人が死亡、アブデュルハミト2世は軽傷で済み失敗に終わった。

 

1909年アルメニア虐殺

アルメニア人15,000-30,000人がムスリム住民虐殺された。

 

1915年頃、第一次世界大戦時のアルメニア虐殺

オスマン帝国同盟国側、ロシア帝国連合国側で第一次世界大戦に参戦した。

オスマン帝国内のアルメニア人がロシア軍に参加したり、

オスマン帝国に対するゲリラ活動を行ったりしてムスリム殺害された。

これに対してオスマン帝国イスタンブールアルメニア系の著名人たちを逮捕追放し、

著名でないアルメニア人たちをシリア砂漠に徒歩で強制移住させる虐待を行い、

60万人から80万人のアルメニア人たちが強制移住等の迫害により死亡した。

 

1918年3月ムスリム虐殺

1918年3月アルメニア革命連盟が、アルメニア虐殺への報復として、

バクー現在アゼルバイジャン首都)にて3,000-12,000人のムスリム虐殺した。

 

1918年5月ロシア帝国崩壊アルメニア第一共和国建国

ロシア帝国崩壊により民族主義的な社会主義政党アルメニア革命連盟を中心として

アルメニア第一共和国建国建国された。

 

1918年、同時期に建国された隣国アゼルバイジャン領土めぐり戦争になる。

 

1918年、同時期に建国された隣国ジョージアとも戦争になる。

 

1920年アルメニアソビエト社会主義共和国になる

アルメニア第一共和国が倒れアルメニアソビエト社会主義共和国というソビエト連邦構成共和国になる

 

1924年1月レーニン死去。スターリン時代

スターリンによる教会迫害政策が始まる。

160人以上の司祭逮捕され、そのうち91人が銃殺された。

1938年4月6日大粛清の一環としてホレン1世殺害され、8月4日エチミアジン総本山が閉鎖された。

1936年アルメニア人口を70万人まで減らしてグルジア併合することを目論んで、アルメニア人をシベリア強制移住させた。

その後、ソ連大祖国戦争疲弊

 

1946年スターリンによる帰還優遇キャンペーン

スターリン戦争によって疲弊したアルメニア経済復興を期待して、アルメニア人口増大と労働力強化のために、

キプロスフランスギリシャイラクレバノンシリアなどに散っていたアルメニア人をアルメニアに帰還させるキャンペーンを開始した。

帰還者には食品券やよい住宅などの優遇措置が与えられたために、在来アルメニア人との間に衝突がもたらされた。

また、帰還者の話すアルメニア語(西アルメニア語)と、従来のアルメニア人の話すアルメニア語(東アルメニア語)と分岐していたため、

帰還者の話すアルメニア語が侮蔑対象となった。

 

1980年代ゴルバチョフ時代

ソ連アゼルバイジャン編入したナゴルノ・カラバフ自治州アルメニア住民多数派)が、

ナゴルノ・カラバフの「アゼルバイジャン化」を懸念し、同地とアルメニア統合を求める運動を開始。

 

1988年2月スムガイ暴動

1988年2月29日にアゼルバイジャンスムガイトで発生した民族暴動

市内の路上アパートで、アルメニア住民に対するアゼルバイジャン人の群集の襲撃事件が発生し、

アルメニア人26人が死亡した。この事件の後、全てのアルメニア人が町から脱出した。

 

1988年12月、アルメニア地震

アルメニア大地震が発生。死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る。

震央に近い地域高層建築物ほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。

 

1991年アルメニア共和国建国

ロシア帝国領におけるアルメニア共同体ソビエト連邦から独立してアルメニア共和国誕生した。

 

それからずっとアゼルバイジャンと、ナゴルノ・カラバフ自治州を巡って戦争してる

アルメニア人の歴史を見てるとユダヤ人に似ている気がするのだけど

イスラエルアゼルバイジャン軍に武器供与するなどアゼルバイジャンの味方らしい

そして日本トルコの海底トンネル事業大成建設が参画してたりなどトルコ蜜月

アゼルバイジャントルコと仲が良いのでトルコ親日からアゼルバイジャン親日らしい

アルメニア人の味方をするのは今のところロシアくらいしかない

しかウクライナ戦争のためにナゴルノ・カラバフ自治州からロシア軍は撤退してしまった

2022-03-27

なぜ、味噌汁赤味噌を使わず白味噌を使うのか

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

白味噌の登場により、従来の味噌赤味噌もしくは豆味噌不名誉な再命名レトロニム)を受けることになった。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえ続けてきただけのことだ。

そうした時代においては、食糧生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。

製造コストにおいても赤味噌白味噌とで大きく差が出る訳でもない。

事実赤味噌価格白味噌に比べて特段高価なわけでもない。

江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキュー八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省であるGHQ占領前は宮内省だった。]

ちなみに八丁味噌とは伝統ある豆味噌商標だ。

八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である

しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。

しかも、農林水産省地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。

こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌一般に話を戻す。

今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。

おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なもの金山寺味噌がある。

しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本食文化において汎用的なありかたといえよう。

やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌赤味噌であるべきだ。

単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。

主食である米飯甘味には、赤味噌もつ大豆の旨味が合う。

米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。

米は最上主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。

しかし、米だけを食べて人間は生きてはいけない。

かつて白米ばかりを食べていた江戸町人江戸わずらいに罹ったという。

江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である

カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれ社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。

似たような例は海外にもあり、19世紀アイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧ジャガイモ依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気蔓延していたという。

ちなみにジャガイモ原産地南米ペルーだという。

では、ジャガイモ主食とする南アメリカ大陸でも脚気蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。

摂取カロリーのみを目的として食糧ジャガイモ依存した近世北欧は、さながら白米の生産流通を高度化して脚気患者蔓延させた江戸時代日本に近しいものがあったのだろう。

ちなみに、野菜穀物栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミン摂取している。

イヌイット伝統的な発酵食品キビヤックがあることは有名だ。

アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤック悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。

南米イヌイットの例から伝統ある食文化には食糧生産カロリー摂取効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。

日本においては、まさしくそれは赤味噌であると断言できる。

もちろん、食糧生産効率性向上によって生まれ白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。

それにしても、白味噌白味噌文化否定するつもりはないが、白味噌味噌汁は白米の飯に合わないだろう。

米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスライスを組み合わせたライス定食ではないか

そのような脚気精神産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。

米は甘く、大豆は旨い。

米はカロリー摂取に優れ、大豆たんぱく質ビタミンなどの栄養に優れる。

米と大豆はどちらも日本食生活に欠かせない食品である

双方の象徴米飯と赤だしの味噌汁だ。

そこに、白だし味噌汁が入り込む余地はない。

味噌汁よ、赤味噌であれ。

2022-03-26

創作世界は既にオマージュ時代に入ったよね

19世紀20世紀で良質なものが大量に作られてしまった

しかもそれにアクセスやすインフラもできてしまった

独創性を出しても誰かに被るし大体それはかなわない高い壁だ

創作の良いアイディアというのは無限ではない

ジャンルは一時代で大体試されてしま

そうなったらオマージュした方が色々早い

そもそもインプット自体がどうやっても創作物になる

創作物のインプットを行わずガラパゴスのまま成長できるほど現代は甘くない

 

あるジャンル流行る初期というのは、別ジャンルオマージュから始まることが多い

例えば映画ドラマ音楽を吸収してアニメを作るとか

そういう消化作業は新しさを生む

そのジャンルが育つと、同ジャンルを吸収して同ジャンルを作るという流れになる

こうなると最初に居た人の一部は出ていく、別物になったと、オマージュ先がちらついて目の前のものに集中できない

そういう第二世代ジャンル危機だと思っていた、90年代後半くらいからはそういうのが多かったと思う

今は「どのジャンルもほぼ第二世代以降」という創作三世代だと思う(これ第四の方がしっくり来そうだけど)

 

三世代は中年以降にとっては厳しい時代

何を見ても「あれっぽい」となる

新ジャンルですら「ああ見たこういうの」となる

逆に若者消費者は楽しそうだなと思う

良いと思ったコンテンツは何らかのオマージュであり、オマージュの枝を辿っていく作業はエキサイティングだろう

若い創作者にはもちろん苦しいだろう

オマージュしても地獄、しなくても地獄

ただ売れようと思わなければ楽しいと思う

2022-03-18

anond:20220318181155

あの国言語をまとめて近代国語教育の枠組み作ったのが日帝なので···

日本語でやった言語近代ソフトをそのまま朝鮮でもやったんよね

語彙に至っては類似って言うかただの日本語

うーん若干雑だな。もうちょっと詳しく言うとな

語彙は漢語由来で共通しているのと、19世紀以降に欧米日本韓国で定着したものがある。

文法中世にさかのぼっても一致しとるな。

2022-03-05

プーチン思考19世紀だってバカにしてるのに20世紀にとどまってるみたいだけど今は21世紀だぞ

ahttps://anond.hatelabo.jp/20220305124447

周りがウクライナにやってる支援だってウクライナを救うため」じゃなくて「次のロシアを生み出さないため」の施策なんだよな。

ロシアを誰も碌に止めようとしないのをみて調子に乗るんならこういう痛い目にあうぞ」ってやってるだけ。

ウクライナ蹂躙されてて誰も直接それを止めようとはしない現実は何も変わらない。

いや、ニュースちゃんと見てる?

ああ、お前も徹と一緒で「直接」っていうところにこだわってるのか。

直接宣戦布告して軍隊送らないと戦ってることにならないって理解なんだな。

お前みたいな反応を見てると

今回の議論がこじれてるのは20世紀に取り残されたおじさんと21世紀に進んだ人間の戦いなのかもって思ってきた

anond:20220305020931

西欧は参戦こそしないものの、確かに熱烈にウクライナを支持してるよね。

これって、ウクライナ徹底抗戦が、フランス革命以降19世紀欧州市民による君主制に対する抵抗歴史記憶を呼び起こしてる気がするんだよな。

ギリシア独立の時の熱狂にも似てる。

あの時はドラクロワがキオス島の虐殺で今で言うフォトジャーナリズム役割を果たし、バイロン義勇兵で参戦した。

背景には古代ギリシア西欧民主主義の源流と見るブームがあり、オスマン帝国と戦うギリシアペルシアと戦ったアテネを重ねたんだろう。

2022-03-03

戦争映像

どちら陣営から残酷動画SNS

流れてくる

人種差別とかも。

もう誰が正しいとかクソにもならん。

世界は、まだ19世紀から20世紀世界

生きてるんだなと感じる。

とりあえず銃を置け。

2022-03-01

経済破綻すれば戦費をまかなえなくなって戦争が終わるという幻想総力戦時代がやってくるまでは多くの学者政治家軍人もそう思っていたので、現代でも普通の人がそう考えてしまうのはあまり責められない。

近代戦ではあまりに高価な兵器や膨大な弾薬が消費されるので、どのような大国でも1年もすれば戦費負担に耐えられなくなる。これから戦争は極めて短期間で決着がつくだろう」のちに「短期幻想」(Short War Illusion)と呼ばれる思い込み19世紀末~20世紀初めに欧州では広く信じられていた。


現実には、国家がその意思を示せば経済のすべてを統制下に置き、ほぼ無制限資金調達して戦争継続することが可能だった。第一次大戦で最終的にドイツ国民生活破綻して降伏に追い込まれたが、それは金融財政面ではなく、食糧など生活必需品自体が欠乏するに至ったか

2022-02-28

憲法9条で「平和になる」のか(メモ

おそらく、9条で「平和になる」という主張の背後には以下のような前提があるのではないか


日本けがアジアで)他国侵略するポテンシャルを持つという前提

 日本9条によって戦争放棄をすれば直ちに東アジア平和になる。憲法制定当時なんかはまじめに日本の再侵略が各国に懸念されたと聞いたことがある。

 他の国が日本侵略しないという前提に立つので「お花畑」な発想だが、確かに日本首相プーチンみたいにならないという保証別にないし、武力紛争ベトナム戦争とか)に巻き込まれない口実になったし、日本が緊張をエスカレーションさせることがないので一定意味がある(あった)。ただし、それは結局冷戦から最近までの間で日本が直接の脅威に直面しなかっただけかもしれないので、今はどうなのかな?と思う。

世界中のすべての国が9条を取り入れることが目指されていて、今はその途上にあるという前提

 今はすべての国が取り入れているわけじゃないけど、今後世界すべての国が9条を取り入れたら侵略戦争はなくなる。日本9条を通じてそれを実施している。という発想。

 9条は元々1928年不戦条約ケロッグ=ブリアン条約)の流れを汲むと言われているし、他国憲法国連憲章にも戦争放棄規定があるので、系譜としての流れではこの理解は正しいような気がする。

 ただし、侵略戦争するような国の政府憲法を守るのか、守らなくていい理由でっちあげるんじゃないかという現実的問題がある(国内の説得とかがとても大変になるので、9条がないよりもだいぶましなんだと思う)。

交渉や国際裁判であらゆる法的紛争解決可能であるという前提

 17~19世紀ヨーロッパとかでは、保守的あるいは「普通の日本人」の人でもドン引きするような理由簡単戦争が行われていた(アヘン戦争とか)。

 さすがに不毛なので、話し合いとか裁判とか調停とかが戦争の代わりに使われるようになった(極端な例だけど、時代時代なら調査捕鯨を巡って日本オーストラリア戦争していたかもしれない)

 民事っぽい争いはともかく、今回みたいな政治的に高度な争いでも裁判とか交渉解決できるのかという論点があったが、9条的にはこれはYesという立場(あるいはその決意を示すもの)なのではないか

 実際、あらゆる争いに法的な側面はあるので、それを解決することは争いの全体的な解決に役に立つよと国際裁判所は指摘しており、一理はあるかもしれない。

 でも、個々の利害についての法的紛争ではなくて現状の国際秩序のものが気に食わない国が現れた時(ナチスとか)どうするのかという問題がある。

結論:①~③が現在でも当てはまるのかはよくわからない。ただ①との関係では、9条日本改正した場合には、思ってもみない強烈な反応(とそれを口実にした反日的政策)が生じるかもしれないと思うし、②③との関係では国際法規定国連憲章2条4項)とそこまで変わらない9条改正することで何がしたいのか、プーチンみたいなことがしたいわけじゃないのなら結局名前を「軍」に変えたいだけなのか、いろいろ詰め切れていない防衛法制をなんとかしたいのか(それは9条を変えることでできるようになるのか)といったところを詰めないと結局意味がないような気がする。

19世紀に戻ったというけれど、誰もその時代を直接見たわけじゃないような。

2022-02-25

anond:20220225204429

19世紀まではアフリカまで植民地作りまくってたんやで。

現在ではそんな侵攻能力統治能力もないし、集団安全保障でどこかの時点で大国との戦争になるので抑制がかかるが。

2022-02-24

ハプスブルク家王子様が、第一次世界大戦後にウクライナ建国しようとしてナチスに接近したという話めっちゃ面白い

ウクライナ歴史について語っている「赤い大公」という名前の本を読んだ。

てっきりスターリンの話かと思ったら全然違って、本書の主人公の名はヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクという。

彼はウクライナ王になろうとして策謀を巡らしたり、ナチスへの接近と寝返り、そしてソ連に捕らえられ獄死するという壮絶な人生をたどった。

彼は中欧に長らく存在したハプスブルク君主国皇族の一人にして、ヒトラースターリンのはざまでウクライナ国家建設を目指した数奇な生涯を送った人物である

民族主義が活発化した19世紀後半から20世紀ヨーロッパ、そこにはハプスブルク君主国という多民族帝国中欧存在していた。

ハプスブルク家の皇族の中には帝国諸民族民族自決を進めつつ、そこをハプスブルク皇族をおくりこんで君主として支配するという事を考えている者もいた。

その流れの中でヴィルヘルムは帝国領内最貧民族とされていたウクライナ人の自由独立支援することを選ぶ。

彼はやがて自らの名もウクライナ語で「ヴァシル・ヴィシヴァニ」と名乗り、ウクライナ民族国家を作らせ自らをウクライナ王とする国家建設を目指していく。

そして、第一次世界大戦ではハプスブルク君主国陸軍将校として参戦し、その時にウクライナ陸軍兵士国家建設のための指導を行っていく。

一度目の挫折

WWⅠ後はウクライナ独立させようとして策謀を巡らせるも失敗し、パリへと逃亡。

その後パリでも色々と陰謀を巡らせる。

しかし野望は大きくとも実務能力に乏しいヴィルヘルムはパリで自堕落生活を送り続けたあげく、詐欺事件連座してパリから逃亡するという体たらく

ナチスドイツへの接近

そんなヴィルヘルムはソ連排除してウクライナ独立国家を打ち立てようと考え、ナチスへ急接近していく。

しかし結局ナチスからも離反していき、今度はイギリス情報部でスパイ活動をするようになり

第二次世界大戦期にはドイツ戦後にはソ連情報提供するようになっていく。

スパイとなったヴィルヘルムはソ連から逃れることはできず、戦後ウィーンソ連軍に逮捕された。

ここでネット民なら「なるほど、シベリア送りだ」となると思うかもしれないがスターリンはより残虐だった。

1948年、ヴィルヘルムは彼が王となろうとしたウクライナキエフの獄舎で結核のために死去するという数奇な生涯を送った。

ハプスブルク家がウクライナ建国のために奔走するというのがすごく面白い

民族自決君主政を同居させるというアイデアを抱き、独立したウクライナ国家建設を目指しつつ

民族主義全体主義が高揚するヨーロッパの中で右往左往し続け、ファシズムにまで接近したり

その過程で突如反ユダヤ主義になってみたりしたヴィルヘルムの生涯はかなり面白い

ヴィルヘルムがかつて進めていこうとした「ウクライナ化」は

その後のソ連苛烈ウクライナへの制裁もつながっている一方で

民族自決精神ウクライナ人に植え付けたという意味重要であり現代ウクライナの動きに対して何らかのつながりがある。

というような話を掘り下げてゆっくり解説動画にしてみようと思うんだが需要ある?

2022-02-22

1分でわかるウクライナ歴史

16世紀ポーランドなんや荒野に『コサック』っていう連中が住み着いてオスマン帝国を襲撃して略奪しとるわ…怖…」

ポーランド自治を認めたるからワイらのためにオスマン帝国と戦ってくれや」

コサック「やったりますわ」

1648年:フメリニツキーポーランド貴族どもが横暴やからコサックのみんなを集めて独立するで!」

→「ヘーチマン国家誕生現在ウクライナ中部あたり)

1654年:フメリニツキー同盟しとったクリミア国に裏切られたから、ポーランドに対抗するにはロシア保護下に入るしか無いわ…」

ロシア共通先祖から分かれた兄弟がまた元通りひとつになれたんやね(にっこり)」

ロシアウクライナ共通の源流にキエフ大公国があり、ロシア的には「生き別れの弟が兄を慕ってやってきた」みたいに受け取ったらしい

1656年:フメリニツキースウェーデンに対抗するためにポーランドロシア同盟結んだんやて! ほならスウェーデン同盟してまた独立や!」

1657年:フメリニツキー「と思ったけどワイはこれまでや…ほな…」→死去

1667年:ヘーチマン国家「フメリニツキーが死んだら内戦続き、結局はポーランドロシアに分割されてしまったやないけ…こらあかんわ…」

→以降、ポーランド側は「右岸ウクライナ」、ロシア側は「左岸ウクライナ」として統治され、徐々に自治権を奪われて滅亡。

1783年ロシア帝国「ワイら上り調子で『ロシア帝国』名乗らせてもらってます。そんでオスマン帝国に勝ってクリミア半島も併合したったで!」

オスマン帝国支配下にあったクリミア・ハン国がロシア帝国に併合される

1793年ロシア帝国「かつての強国・ポーランドも虫の息や。戦争に勝って右岸ウクライナをもろたで!」

1853年ロシア帝国「オスマン帝国戦争してたら何故かイギリスフランスとも戦うはめになってしまったで!」

クリミア戦争開始

ロシア帝国「クリミア戦争ほとんど負けやった…ワイらは遅れとるわ…」

19世紀ウクライナ「周りの国は民族主義とか国民国家とか盛り上がっとるみたいやで…ワイらもそろそろ『コサック国家』の復活を目指すべきちゃうか?」

1917年ロシア帝国「第一次大戦では敗色濃厚…何もかもうまくいかんまま共産主義者どもにやられてもうたわ…ほな…」

二月革命十月革命帝政ロシア終了→ソビエトロシア樹立

1918年ウクライナ「うおおおお!!! これを機にワイらは独立するで!!!

ソビエトロシア「許しまへんでー」

ソビエトロシア勝利ウクライナ傀儡国家

1922年ソビエトロシアソビエト連邦っちゅうのをつくるんでウクライナくんも参加してくれや」

1932年ウクライナ「作った小麦がぜんぶロシアに奪われて飢饉ヤバいねんけんど…」

→「ホロドモール」と呼ばれる飢饉で数百万人が死亡

1941年ウクライナ「ワイらの国が戦場になって国民が死にまくっとんのやけど…」

独ソ戦で1000万人前後が死亡

1986年ウクライナ「ワイらの国に建設された原子力発電所が爆発したんやけど…」

チェルノブイリ原子力発電所事故

1991年ウクライナソ連崩壊した! ついにワイらが独立するときが来たんや!」

ウクライナ独立

2004年ウクライナ独立したとはいえ未だロシアの影響は大きい…EUに加入すべきやないか?」

ウクライナ大統領「でもワイは親ロシア派やねん!」

ウクライナ不正選挙やろ!」

親ロシア派当選した大統領選への抗議運動が盛り上がり再選挙で親EU派が当選オレンジ革命

2010年ウクライナ「あれからEU派は内部抗争でグダグダしとるで…今回の大統領選はどうなるんや…」

大統領選で親ロシア派当選

2014年ウクライナ大統領マジで経済ヤバいんや! EUよりも今はロシアから融資をもらっとこうや!」

ウクライナ「は? なんでEUとの協定拒否すんねん!」

→大規模な反政府デモが勃発して大統領が逃げ出す

ロシア親ロシア派が多いクリミア半島は『もうロシアに入りたい』言うてまっせ」

ロシアクリミア派兵

クリミア「ワイらはウクライナから独立してロシアのお世話になりますわ」

2022年ウクライナ「ずっと小競り合いが続いてるしヤバいやろ…NATOに入らせてくれや…」

ロシア「許しまへんでー」 ←いまここ

2022-01-27

タイムスリッパ🩴増田です。Valentino の帯(kimono-belt)ハイヒール踏み歩き広告事件を見て思ったこ

タイムスリッパ🩴増田です

Valentino(ヴァレンティノ) が 2021年3月末頃にやらかした『帯(kimono-belt)踏み歩き広告』が

約1年後の2022年1月末になって今更気になったので思った事をいくつか

悪気はなかったー・キャンセルカルチャーガー・自由表現なんちゃらの逆張りは今更どうでもいいです

西陣織工業組合博多織工業組合正式に抗議を出しているのが全てだと思います

クリエイターなら文化尊重以前に自分以外のクリエイター作品に敬意を示す"フリ"くらいはしましょう

「襟を正して反省示せ」 ヴァレンティノ「ハイヒール着物の帯踏む」CMに抗議 京都和装団体社会地域ニュース京都新聞

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/541075

 

西陣織工業組合舞鶴一雄理事長は「職人が汗水を垂らし、命を懸けて作ったものを踏まれてどう思うか。ものづくりをされている方へのリスペクトを示してほしい」と述べた。

 

Valentino の帯(kimono-belt)ハイヒール踏み歩き広告事件を見て思ったこ

コロナ世界が一つになったりするなという自然からメッセージ

グローバル資本主義はもう限界です。

そもそも世界が一つになるということは差異がなくなるということです。

どんな文明文化も一緒くたになってごちゃ混ぜになって、

それを評価する指標がカネだけになってしまう。

差異なきところに価値は生まれない。

秘すれば花とはよく言ったもので、19世紀ジャポニズム現代日本文化の消費は様相が全く違う。

日本もどうせ衰退していくんならグローバリズムに塗れて画一的な衰退をするより、

移民が増える、文化が変容する、拠り所がなくなって苦しむ、一部は原理主義者になる、共同体内で共有できる価値尺度がカネしかなくなる)

自分たちだけの滅び方を模索していきたいものです。

それは美しいものになるはずだから

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