はてなキーワード: 対象外とは
以下に、春画が黒人奴隷がいない証拠として全く使えないと言える根拠を示します。
春画は主に性的な内容を描いたものであり、当時の社会全体の風俗や現象を網羅的に描写することが目的ではありません。したがって、春画に特定の社会現象(この場合は黒人奴隷)が描かれていないからといって、それが存在しなかったという結論にはなりません。
春画の制作は、作家の意図や興味、そして市場の需要によって影響されます。作家が描く題材は限られており、特定のグループや現象が描かれていないことは単にそれが作家やその時代の市場の興味の対象外だった可能性があります。
黒人奴隷の存在や非存在を証明するためには、春画以外の歴史的記録や文献も考慮する必要があります。交易記録や外交記録、他の文学作品や絵画など、多角的な証拠が必要です。春画だけを根拠に結論を出すのは歴史学的に不十分です。
江戸時代の日本は鎖国政策を取っており、外国人の存在自体が非常に限られていました。その中で黒人奴隷がどの程度存在していたかは、他の歴史的証拠を基に慎重に検討する必要があります。春画に描かれていないことだけでは、その存在や非存在を判断することはできません。
結論:
春画が黒人奴隷の存在を示す証拠として不十分である理由は、春画のテーマと目的、描写の選択性、他の歴史的記録の必要性、そして当時の社会的・文化的背景にあります。春画だけを根拠に黒人奴隷制度の存在を否定することは、歴史的な検討として不適切であるため、春画が黒人奴隷がいない証拠として全く使えないと言えます。
女にも性欲はあるけど、いついかなるときでも性欲オンってわけじゃないし、現実問題として世の男の過半数は対象外でしょ。誰でもOKって聖母みたいな人はそんないない。
女の性欲って「スタバで新作出てるから飲みたい」「疲れたからなんか甘いものがほしい」みたいな感じかもしれない。常に渇望してるわけじゃない。好みじゃない味の缶コーヒー出されても飲みたくないし、飲みたくもないものをわざわざ飲んで太りたくない。
一方、男の性欲は「むちゃくちゃのどが渇いててなんか飲みたい」みたいな感じなのかなと思う。個人差はあるだろうけど。
世間には「男はムラムラ来るから性犯罪を許容しろ」とか言う意見も多く、そういう意見の人から見ると性犯罪は飢えた子供がパンを万引きするような同情に足りる犯罪なんだろう。そのへんは男と女でわかりあえない。
女にありがちな「性欲はあるけど相手は選ぶ」「いつでもどこでもやりたいわけではない」「エロ表現は好きだけどフィクションだから興奮するのであり自分がやるのは嫌」ってスタンスは男にはなかなか理解されづらい。
エロ動画サイトの女性人気ジャンルが痴漢という記事を見て「本当は女さんも痴漢されたがってるんじゃん、イケメンになら痴漢されてもいいんでしょ」とか言うヤツが普通に湧く世の中だし。
実際、食欲に置き換えたら「お腹空いた」っていいながら食べ物は選り好みして嫌いなおかずは捨ててるのと一緒だし、ギルティだと思われても仕方ないのかもしれない。
そりゃ、女だって、好ましい男性にチヤホヤされるのは楽しいことだと思う。
でもさ、実際に女が性的にオープンなスタンスを取れば取るほど、ターゲット外のキモいクズがグイグイやってくるし、それを避けると恨まれて加害のきっかけになるって現実があるじゃん?
男の性欲がある程度無差別なものであるとするなら、選り好みがある性欲って一種の差別って取られるから、差別者として攻撃を受けるリスクは常にあるんだよ。
サークルクラッシュ現象はクラッシュされた男のほうが被害者意識を持って語ることが多いけど、サークルクラッシャーだと言われる女はそうやって加害者として非難されて恨みに思われるわけだから良い体験とは言えない
なので、増田はおっさん説あるけど、もしかしたら高校生か大学生、それも中学時代にモテずに高大デビューした子かなと思った。まだ夏休みにもなってないから今が一番楽しいときだよね。
昔、これぐらいの時期にビアガーデンでサークル合同飲み会をしたときに、ミニスカートでパンツ丸見えで座ってた目つきのおかしい女の子がいたのを思い出したけど、そういうタイプだと思ったら合点がいった。
短いスカートなんて履いたことないから、足をとじて座るとか所作がわからないんだろうね。
ASD傾向あって女子コミュニティに馴染めなかったメンヘラビッチってそういう感じ。
ちょっと前にも、セックスボランティアやりますっていってどうしても無理な男を断ったら晒し者になった女の子いたよね。
女が「私性欲ありまーす」「ミサンドリーのフェミとちがって男の性欲に理解ありまーす」って公に主張することって、本当に何のメリットもない。(本当に誰とでもセックスできる人以外は。たまにそういう逸材はいる)
「性欲はないんだけど、不思議とあなたとだけはセックスしたい」っていうほうが男からもありがたがられてお得という現実がある以上、処世術的にそういうスタンス取ってる女が多い。
そういう一般的な女性のサービストークと、ガチミサンドリーの本音が両方「女には性欲ない」って同じ意見になってしまってるから、いろいろややこしい。
棒取ってないトランス女性が女湯に入ってくるのは完全に反対派なんだけど、
レズビアンと一緒に女湯に入るのも何か嫌だわ、て最近思うようになった。
そりゃレズビアンが皆、女性全体を恋愛対象として見てるわけじゃないだろうし、私なんか対象外の人が多いだろうとも思うけど、
女体に性欲を持てる人と一緒にお風呂入るっていうシチュエーションに違和感を覚えるし、嫌だなーと。
銭湯とか温泉って、「互いの肉体に性的魅力を感じない者同士」で利用するものなんじゃないの?て思う。
まあ同性愛者かどうかなんて見た目でわからないし、自宅の風呂が壊れたとき以外は使わない気でいるけど、何となく寝る前に気になったから吐き出させてもらった。
雑記。これがダメだとかやめさせたいという意図はなく、自身の思っていることをダラダラ書いてみる。あちこちに話がいきそうなので後で整理するかもしれない。
具体例として生成AIの話をしているが、本題は全くそこではなくて議論、別意見の人々が話をすることの難しさについて。
フォローしている人にイラストレーターや趣味で絵を嗜む方もいるので無縁というほどではなかったが、皆その話題を意図的に避けている雰囲気はあり、私も実際のところ思うところがあり話題に挙げるのは避けていた。
※ちなみに今記載した生成AIの話題というのは主に、人間のキャラクター制作周りの話が多い。動物、背景、文字、音楽etc…、これらは対象外なのか。そこについてもいつか書きたい。
なぜ避けていたかというと自分が色々表明したとしても今のところは、別の意見を持つ人との喧嘩の種にしかならないと思ったからだ。
誰からでも意見を受け付ける環境で意見公開をやるなら解決はせずとも喧嘩はせず建設的な議論がしたいと思っているからだ。
前提として、これはインターネットに限った話では無いが建設的な議論というのは成立が難しいと私は思っている。
今、「私は」と書いたが、これが議論や話し合いを始める、やる上で最も大事だ(と私は思う)
例えば何かの事象に対して、賛成を表明する人と反対を表明する人がいるとする。
SNSにはそういう気軽さがあり、良いところでもあり悪いところでもある。
そうするとなんとなく「賛成派」「反対派」になっていく。
目には見えないし誰もそのタグを改めて名乗っているわけではないが、この2つに大きく分けられる。ように見える。
話を聞いてみると賛成派の中にも条件付きで反対の人がいる。
反対派の中には過去の強烈な体験で絶対に反対だと決めている人もいる。
賛成派の中には反対派の中の1人に個人的な恨みがあり、その人を否定することにこだわる人もいる。
反対派の中には個人の思いとしては賛成で、でも反対になったほうがより生活が豊かになると考えている人もいる。
こんな風に蓋を開けてみると、全員意見は異なるのだ。あえて言い切ると、1人として完全に同じ意見の人は存在しないはずだ。
賛成派、反対派とひとくくりにしたい場合は議論前にその議論用のルールを決めておかないとただ話があっちこっちに飛び、喧嘩になるだけだ、と私は思う。
議論用のルールというのは例えば今回私が見かけている生成AIの話でいえば
・イラストレーターの需要低下の問題に対してだけスコープを絞る
などだ。
またこれは相手に同意を得る必要があり、「今私が話してるのはイラストのことだけでテキストの話なんてしてませんけど」と一方的に土俵にラベルを付けるのは私は不誠実だと感じるので避けたほうが良いと思う。
明らかに相手が話していない範囲のことを持ち出して意見を投げ返すのもこれもまた勝手なルール設定だ。名前思い出せないけどそういう詭弁の種類があった気がします。詭弁、気を付けたい。
「絵描きは全員苦労して絵を練習したことがある人々という前提で話を進めますが……」みたいなのはおかしい。そういう小説を書いて全員にそういう要素を付与することは可能だが、現実においては自分が勝手に考えたルールに人を押し込んで事実を曲げることはできない。
このことから「自分はそう感じている」といった方法でのルール設定は事実に則していない可能性が高いのでなるべく避けたほうがよさそうだ。
ここまで書いて思ったが、まずここまで書くにあたって前提として自分のことを書き忘れていた。
自分語り乙かもしれないが、自分語りしてもらったほうが何かを話し合おうという時は必要な情報になってくると思う。
もちろんいらない情報もある。語りたくないものも無理に語る必要はないがその代わり後出しに対する批判への覚悟は必要だろう。
でも何を書けばいいかなんてわからないよね。どちらかというと相手にも何らかの事情があるだろうと考えたうえで決して相手のことを決めつけないことのほうが大事かもしれない。
私について
・人体が描けず練習が続かないので自分の身体や購入した商用可のポーズ集をトレスすることが多い
・簡単なプロンプトを用いてAIでイラストを生成したことがあるがSNSに投稿したことはない。
・生成AIの技術についてはポジティブな気持ちを持っているが良い悪いときっちり決められるものでないと思っている。
・悪意を持って(持たず不可抗力だとしても)他人を不愉快にさせた場合、それは技術の問題ではなく個人間や法の範囲で解決すべき問題だと思うが、「技術が無ければ起きなかったこと」でもあると思うし、技術が新しく法を調整する段階にあるのであれば「法が無いからOKか」には懐疑的な気持ちがある。
・テキスト生成は?背景イラストは?など法整備するならば考えることは膨大だと思っている。
これが私の前提条件。
長く書いてしまったが、要は生成AIの話題に関しては考えあぐねている。
今そこで苦しんでいる人のために、と言われてもだ。
物事には多面性があり、誰かが被害を受けていたとしても、救われている人もいる。
というかそもそも私は「誰かが傷付いているかいないか」だけを判断にして生きていない。生きている人もいると思う。それは私には到底想像もつかない難しい生き方だ。
話を戻す。
大きく賛成派、反対派と分けて話を進めるのは私は建設的でないと思う。
意見を表明することは何らかのヒントにもつながるかもしれないが、それはあくまで個人の表明だ。
個人を〇〇派として括ることの弊害だと思うが、それ関係でよく私が変じゃないか?と思うのが、
Aさんという反対を表明している人がいて、
Bさんという反対を表明している人がいて、
先にも書いたように細かい条件は全く異なっているのにBさんが行った発言をAさんに対して「この間は〇〇と言っていたくせに、ダブスタだ!」という人をそこそこ見かけることだ。
挙げ句の果ては
「同じ反対を表明しているのだからBの言動を改めさせなさい、そうでないなら同意見ということだ」などとAさんが言われていることだ。
こうなる人がいるのは理解できるんだが体感多いように感じる。本当に私の偏見による体感で、そんな人ほぼいないというならよいんですが…。
部活動とか会社とかそういう組織に所属していて、それに対していち部員、いち社員が所属のイメージを損なわないように気を付けるのはそもそもルールとして設けられていることが多いから理解できるが、SNSにおいてたまに見かける連帯責任、これはおかしいとは思う。
本人が「私は連帯責任を負います」と言っているならいいが……。
私が思っていて吐き出したかったことは正直なところ、これだけかもしれない。
今話しているのは反対しているAさんであって、反対しているBさんではないということを意識しないといけない。
俺と同類のみんなー、定額減税の4万円みんな何に使う?
これさー、景気刺激するがわがちゃんとした用途考えるのサボってるだけなんで、もらった月かそのへんで消費して、景気を刺激する業務の委託なんよ。お金くれるだけなわけじゃなくて。
たかだか4万円で生活の足しにならんわーじゃなくて、ちゃんと4万円消費を増やさないといけないの。
いや借金返すのはまあ先にやれなんで置いといてくれ。生活苦しい向きは毎月3千円栄養とれとかそういう話で対象外な。昔だと栄養とか滋養っていうとタンパク質と炭水化物のことだったと思うんだけどいつのまにかビタミンとミネラルのことになってたよね。なんでだろうな。
いやそういう話じゃなくて。コロナで10万円くれたとき真面目に考えてなかったなあ。ちゃんと10万円使わなくちゃダメだった。
いやそういう話は今はいいや、今何買うかなんだ。
最初思ったのがsteamでゲームいっぱい買うかーとかquestのストアで買うかーとかなんだけど、これ洋ゲー買ったら国内消費全然刺激されないよな。駄目じゃん。反政府主義者の人におすすめ。
外国の株とか債券とか買うのも同じだな。自分だけ良ければいい感じ出てとても良いと思います。中韓ソシャゲもそうか。もともとやってないけど俺。
steam deckやquest3も買いたいんだけど、国内小売通すならちょっとマシだけどそんなに改善されないな。gpuとか明らかに輸入品なもの買うのも類似。iphoneとかmacとかもな。国内に残るの4分の1ぐらいか?パソコン実物系は大体みんなそうだよねえ。
国内ソシャゲのガチャ回したり国産ゲームをsteamで買うの、手数料が外国に何割か抜かれるけどまあまあ良いかな。3割ぐらいだっけ。国内に7割残ってだいぶ良くなってきた。
国産のもの買うったってなー。うーん。車やバイクやらは価格帯が全然違うんでなあ。ヘルメット買うか?うーん。
食品で贅沢するのはできるんだけど、後で腹のまわりに後悔が残るんよね。
旅行はありかもしれないけど、俺旅行たいして好きじゃないのよね。
PS5とかswitch買うか?今買うのか?今かー。
本とマンガとDLSiteとFANZAだな。国内の人の頭の中から出て国内の業者が販売しているコンテンツ。
というわけでDLSiteとFANZAで豪遊しました。あとで本屋でマンガも買うわ。Amazonだとアメリカにちょっといっちゃうからな。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83
残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。
長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。
東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校の教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。
それから東大を意識するようになって、現国の問題で毎回おもしろい文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機で東大を第一志望にし始めた。
高校は私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金も支給されていた。
学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ。
大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?
父親のギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親が非正規雇用で働き始めていたというのが数年前からの我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。
自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉・存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。
A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃんと免除される保証がどこにあるの!?)、格安の学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。
給付型奨学金も地方のしょうもねえ高校に全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。
自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金は勘定から外していた。
募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生に自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?
地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。
制度が存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。
結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体に同意を得たのは高3の12月。浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一の目的に変わっていた。その上で大学でおもしろそうなことを勉強したかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。
無事に受験できて、合格した。合格したからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。
翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。
大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?
こんな感じ。臆病な自尊心で合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。
ていうかみんな発言がちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。
慣れない電車通学、週20コマの授業、母親の言葉のフラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師が震災のサバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。
毎日何とか自殺を先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろい講義を聞いている時だけは生きている感じがした。
そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。
2年生になって少しメンタルが回復してようやく友人ができた。ようやくふつうの大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。
優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身のゴリゴリ強者ではなく、地方の中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親が教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。
仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除、家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。
毎年授業料免除のために母親の源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親の年収は200万に満たない程度である。たまに母親も仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。
ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたから給付型奨学金に応募できた。
3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験も留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつうの東大生がやるものなので。
自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学・図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分はふつうの東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。
考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年をぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費と授業料。
特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。
しかし留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除の対象からは原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。
結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。
「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。
成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内のカウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。
院進後は授業料免除も奨学金も復活し、博士課程では生活費と研究費付きのプログラムに採用してもらえたから何とかなった。
博論書けない無理とふつうの院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと、生活費のあてがないこと、研究とアルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。
彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しかも授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。
それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。
しかし、自分の人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。
これがいかにして地方の母子家庭出身の女が東大で博士号を取ったかだ。要するに学力と幸運に恵まれていたから。
高校、民間の公益財団法人、東大の奨学制度、博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者の感想。
生まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体は最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。
学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。
博士課程の最後の一年がふつうの東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活が保障されていても勉強や研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。
もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除からも奨学金からも対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。
授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争的資金はクソ。
しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生のアルバイトで賄える範囲に授業料を下げるべきだとさえ思う。
第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票、アルバイト先・RAの先生に書いてもらう収入関係の書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親は書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分・家族の書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?
第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料が免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料を免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。
第3に、高い授業料を払う層と授業料を免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構の崩壊。
第4に、親との折り合いの悪い人々が制度の狭間に陥る。学部生の場合、独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親からの仕送りが全く存在せず、世帯からの恩恵を全く受けずに自分のアルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料の免除の対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援が必要な学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。
第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。
他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。
高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しかし学歴を理由に彼ら彼女らが下に見られること、さらに生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学に入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。
結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。
ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83
ちなみに税額控除対象。政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度が税額控除だ!
理想を実現するためには金がいる。金も出さないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。
6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。
この数字が増えることを楽しみにしている。
治験のほとんどが成人女性を対象外とするのはむしろ女性への配慮ってかなり前に論破されてたネタだよね。でもこう言うネタはこすり続けるのが大事なのでその姿勢に高評価です👍
歯生え薬の治験、物凄く期待していたのに、
最初の治験は「30歳以上65歳未満の男性、臼歯(奥歯)の欠損・欠如1本以上の者」で、
その次の治験は「2〜7歳で4本以上の先天欠如歯に該当する方(こっちは性別の限定無し)」
酷くない?
歯という人体において替えの効かない重要な分野において成人女性だけをあからさまに除外し、その理由の説明もないなんて、人権侵害にも程があると思う