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2024-06-06

anond:20240606103333

双葉山呉清源がジコーサマに入門したという。

呉八段は入門して益々強く、日本の碁打はナデ切りのウキメを見せられている。

呉八段が最近しきりに読売新聞碁をうち、バクダイな料金を要求するのも、ジコーサマの兵タン資金を一手に引きうけているせいらしい。

僕も読売のキカクで呉清源と一局対局した。そのとき読売の曰く、呉清源の対局料がバカ高くて、それだけで文化部の金が大半食われる始末だから

安吾氏は対局料もベン当代も電車チンも全部タダにして下され、というわけで、つまり私も遠廻しにジコーサマへ献金した形になっているのである。南無テンニ照妙々々。

双葉や呉氏の心境は決して一般には通用しない。

然し、そこには、勝負世界の悲痛な性格が、にじみでゝもいるのだ。

文化高まるにしたがって、人間迷信的になるものだ、ということを皆さんは理解されるであろうか。

角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化である

なぜなら、角力技術通達し、技術によって時代に通じているからだ。

角力攻撃の速度も、仕掛けの速度や呼吸も、防禦の法も、時代文化に相応しているものであるから

角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである

目に一丁字もないことは問題ではない。

高度の文化人、複雑な心理家は、きわめて迷信に通じ易い崖を歩いているものだ。

自力のあらゆる検討のあげく、限度と絶望を知っているから。

すぐれた魂ほど、大きく悩む。大きく、もだえる。

力士双葉山、大碁家呉八段、この独創的な二人の天才がジコーサマに入門したことには、むしろ悲痛な天才苦悶があったと私は思う。

ジコーサマの滑稽な性格によって、二人の天才の魂の苦悩を笑殺することは、大いなるマチガイである

太宰治情死考 坂口安吾

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2024-05-21

anond:20240521183650

もう電燈もガスも鉄道もある、道義人情仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。

このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、

アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。

正しい思想というものは、オレと大衆の優劣感のあるところから生れたものではあり得ない。

大衆の代りにブルジョアがあってもならぬ。

まり、たゞ人間キリスト原罪とき孔子生活原理に仁を見た。

ともかく人間から出発しなければならぬ。

何千年逆転してもかまわぬ

モロモロの何千年の時間、カミシモはすべてムダであったと見なければならぬ。

人間性は万人に於て変りはない。

罪人に於ても聖人に於ても変りはない。

この自覚の行われざる社会に於て、いかなるカミシモをつくりだしても、折あれば中世の群盗精神へ逆転する、それだけのものにすぎないのである

現代詐術 坂口安吾

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2024-05-19

[]

人間は、決して、親の子ではない。

キリストと同じように、みんな牛小屋便所の中かなんかに生れているのである

親がなくとも、子が育つ。ウソです。

親があっても、子が育つんだ。

親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てゝ、親らしくなりやがった出来損いが、

動物とも人間もつかない変テコリン憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。

親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。

不良少年キリスト 坂口安吾

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自然主義文学

国木田独歩氏の『源おじ』は、妻を二人目の出産で失い、残された子を水難で失い、一人で舟渡しを営みつつ老境に至るところを、ある乞食の子との縁があり、我が子と思うように世話するも、乞食からはさしたる恩も情も返されず、夢に出る内心では妻や実子に対する後ろめたさを抱えつつ、ついには乞食に去られ、舟も嵐で失い、生活にも仕事にも支えを失い、首を吊って死ぬという、救いのない話になっている。

だが、まさにこれこそ自然主義文学という感じもした。運命宿命からはみ出ようとする人間意志容赦なく飲み込む決定論世界観を感じさせる。

夏目漱石氏が言うところの「理想」を坂口安吾氏は「モラル」と呼んでいたが、それがないことに対する解釈の違いが興味深い。世間の潮流の移ろいに伴い、自然主義も興亡していったのであろう。

実はこれこれで、あなた金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、

逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。

それでおしまいです。

これは例のモーパッサン氏の作であります

最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます

軽薄な巴里社会真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。

そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります

よくせきの場合から細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、

もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。

ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。

積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、

奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬モーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまます

同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。

それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります

この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。

同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります

いくら真相穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。

文芸哲学的基礎 夏目漱石

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愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐少女が、

森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、

然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、

然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、

決して、不潔とか、不透明というものではありません。

何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります

文学のふるさと 坂口安吾

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そこで私はこう思わずはいられぬのです。

まりモラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、

我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、

そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。

文学のふるさと 坂口安吾

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2024-04-16

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私のやうに諦めよく、楽天的人間といふものは、凡そタノモシサといふもの微塵もないので、たよりないこと夥しく、

まり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、

祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。

その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。

呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。

私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、

物の道理を知らない小僧みたいな将校命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである

ぐうたら戦記 坂口安吾

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2024-04-14

anond:20240414123952

書く方には限度がないが、現実人間には限度があるから、そんなに書いたってもうだめという一線に至って悲劇が起る。

思うに彼の作品も限度に達した。

こうなって欲しいという願望の作風が頂点に達し或いは底をつき、現実とのギャップを支えることができなくなったから、

彼には芸術上の転機が必要となり、自らカラを突き破り、その作品の基底に於て現実と同じ地盤に立ち戻り立ち直ることが必要となった。

然しそれが難なく行い得るものならば芸術家に悲劇というものはないのである

オモチャ箱 坂口安吾

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2024-04-12

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自由というものは重荷なもので、お前の自由に存分の力作をたのむ、と言われると却って困却することが多い。

本当に書きたいもの、書かずにいられぬものはそう幾つもあるものではないからだ。

から通俗雑誌などから注文をつけられたり、こんなことを書いてくれと言われると、

却ってそれをキッカケに独自作家活動が起り易いもの、なぜなら、

作家自分一人であれこれ考えている時は自分の既成の限界に縛られそこから出にくいものであり、

から思いも寄らない糸口を与えられると、自分の既成の限界をはみだして予測し得ざる活動を起し新らたな自我発見し加えることができ易いからだ。

から、誰からもうるさいことを言われず、家庭のキズナを離れ、思う存分に傑作を書きたいなどとは空疎念仏にすぎず、

傑作は鼻唄まじりでも喧噪の巷に於ても書きうるもの

閑静な部屋でジックリ腰でもすえればそれで傑作が書けるというような考えは悲惨迷信だ。

オモチャ箱 坂口安吾

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2024-04-11

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まり匿名批評文士には職人根性が欠けているのですよ。

商品でなければならん。読み物でなければならん、という大事根性がなければ、

すでに職人ではないし、したがって本職ではない。

まり素人なんです。

いか文士であるあなた自身が強弁しても、あなた素人だ。

本職というものは、もっと仕事に忠実で、打ちこむものだし、手をぬくことを何よりもイサギヨシとせぬもので、

あなた方のような雑な仕事をしながら、本職の文章をアレコレ云うのはまちがっていますよ。

戦後文章論 坂口安吾

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新人というのは、職業人としての新人として意味があることで、職業人以外は余技にすぎず、

朝日新聞文化賞へ、アマチュアスポーツを加えているのは滑稽千万の話である

職業というもの尊いものだ。

なぜなら、そこにその人の一生が賭けられ、生活が賭けられているからだ。

金銭もかけられている。

から尊いので、金銭のかゝらないものは尊くない。

戦後新人論 坂口安吾

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2024-02-17

anond:20240217135027

「都ではお喋りができるから退屈しないよ。私は山は退屈で嫌いさ」

「お前はお喋りが退屈でないのか」

「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」

「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」

「お前は喋らないから退屈なのさ」

「そんなことがあるものか。喋ると退屈するから喋らないのだ」

「でも喋ってごらんよ。きっと退屈を忘れるから

「何を」

「何でも喋りたいことをさ」

「喋りたいことなんかあるものか」

はいまいましがってアクビをしました。

桜の森の満開の下 坂口安吾

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2024-01-17

anond:20240117104008

私は将棋は知らない。

けれども棋書や解説書や棋士言葉などから私流に判断して、日本には将棋はあったが、まだ本当の将棋勝負がなかったのじゃないかと思う。

勝負の鬼と云われた木村名人でも、実際はまだ将棋であって、勝負じゃない。

そして、はじめて本当の勝負というものをやりだしたのが升田八段と私は思う。

升田八段は型だの定跡を放念して、常にたゞ、相手が一手さす、その一手だけが相手で、その一手に対して自分が一手勝ちすればよい、それが彼の将棋原則なのだろうと私は思う。

坂口流の将棋観 坂口安吾

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本当の勝負というものタイムではなくて、相手自分より一米出ているから、これを抜いてでる、これを力といい、レースという。

吉岡は百米を何十歩だかで走り、そのきまった歩数で走る時によいレコードがでるというようなことを言っていたが、

そのような独走的な、又、無抵抗ものは、単に机上の算数であって、力というものではない。

レース相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである

世界新記録病 坂口安吾

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2024-01-06

anond:20240105145424

人が自らの利益のみを一方的に主張するには勇猛心がいる。

然し徒党をくんでこれを為す時には勇気はいらぬ。

隣組座、マーケット座、この組合的結合には、やっぱり善人的蒙昧がある。

他の立場に対する省察自我、我慾、罪への批判全般的情勢に就ての公平なる観察、それらのものは、もはや必要ではない。

それらのものが有るならば、人は勇気なくして我慾を主張しうるものではない。

即ち既に中世より、古代より、かゝる善人はたくさんいた。

善人尚もて往生を遂ぐ、即ち危く素懐をとげる、いわんや悪人をや。

わが罪を自覚する故に、悲愴に又勇猛心をもって悪へ踏みきる罪の子は、神前座席に於ては善人よりも愛せられるのである

現代詐術 坂口安吾

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2023-12-11

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「女とちがって男にはそうカンタンに口がないよ」

「なんでもするつもりなら必ずあるよ。ないと思うのはお前さんが怠け者だからよ。そこに気がつかないようだから、お前さんはタタミの上に住める身分じゃないんだよ。ドブの中へ消えちまう方が身にあってるのさ」

「よっぽどミミズと思いてえらしいけど、実はオレはこう見えてもシンから人間なんだ。先祖代々人間だ」

「当り前じゃないか

「それを知ってたら戻ってもらいたい。ホレ、この通り手をついてたのむ。今後は亭主風は吹かせない。お前が毎晩帰ってくると熱い湯をわかしておいて背中や手足をふいてやって、夏のうちはお前がねるまでウチワであおいでやる」

「お前さんは自分が働こうという気持がまだ起きないのだね。私はウチワや蒸しタオルと同居したくて生れてきたワケじゃアないからね」

「分らねえ人だね。そのウチワを動かすのや蒸しタオルをしぼるのがオレという人間から、ここが人間の値打なんだ。一生ケンメイにそういう値打のあることをやるから戻ってくれとこういうワケだ。分ったろう」

人間の値打は働いて女房子供を安楽に養うことだよ。ミミズはさッさと戻んな。もう二度と来ないでおくれ」

人生案内 坂口安吾

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2023-12-09

なんでもYouTubeでいい

高層マンションの一室を買わなくても、都会の夜景ライブカメラテレビに映しながら晩御飯を食べればいい

新幹線に乗って旅にでなくても、東京博多間の車窓動画を見ながら酒を飲めばいい

一晩100万円のスイートルーム宿泊しなくても、HIKAKINスイートルーム宿泊動画を見ればいい

遊覧ヘリプライベートジェットエベレスト登頂も宇宙遊泳も全部動画でいい

既に誰かがやってくれている

一体、人々は、「空想」という文字を、「現実」に対立させて考えるのが間違いの元である

私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費しているものだ。

人間自身存在が「現実であるならば、現に其の人間によって生み出される空想が、単に、形が無いからと言って、なんで「現実」でないことがある。

実物を掴まなければ承知出来ないと言うのか。

掴むことが出来ないか空想空想として、これほども現実であるというのだ。

大体人間というものは、空想と実際との食い違いの中に気息奄々として(拙者なぞは白熱的に熱狂して――)暮すところの儚い生物にすぎないものだ。

この大いなる矛盾のおかげで、この箆棒な儚なさのおかげで、兎も角も豚でなく、蟻でなく、幸いにして人である、と言うようなものである人間というものは。

FARCE に就て 坂口安吾

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2023-12-05

anond:20231205102830

まず大体に於て、人間空想も、一九四五年八月六日のバクダン以前までは、科学とトコトンのところまで、行っていた。

我々の祖先無限空想力といえども、その魔法神通力忍術のすべてをあげて、八月六日のバクダンを夢みてはいないのである

夢みることができなかったのだ。

このバクダンに至って、そのエネルギーは、ついに空想ハミダシ、空想限界を超えてしまったのである

筑紫なる梅のオトドが雷となって落ちたところで、せいぜい千ポンドバクダンぐらいのことだろう。

筑紫一国、山の狸も、池のミミズに至るまで、ピカドンという一瞬に焼けてなくなるなどゝは、誰一人、夢想することも出来なかった。

空想限界を超えるに至っては、これはもはや人間のものではなく、まさしく悪魔の兇器である

それのもたらす被害は、当然利益よりも甚大であり、今日まで戦争がもたらした効能も、

この悪魔バクダン以後は、ついに被害を上廻ることは出来ないであろう。

戦争論 坂口安吾

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2023-12-04

街コン備忘録&今後の戦略について

先日街コンに初めて参加したのでレポと今後の戦略を考える

街コンレポ

25歳、女、身長150cm体重40kg、女版チー牛(一重アデノイド顔貌)

  • 料金

1000円でお釣りがきた

男性側は7500円位

ソファ席に1対1で着席

10分程度で席替えの案内があり、男性側が隣に移動。トータルで7,8人と会話できた

席替えの前に連絡先交換するようアナウンスがある

プロフィールカードがあるため、それを見ながら会話

20代もいたが年齢が高め(30~38)な方が多かった。真面目そうな方が多い印象

事前にレポなどを見ていて『オタク』『結婚できなそうな人』が来る場所だと思っていたが、

そんなことはなく楽しく会話できた人が多かった(プロフ趣味欄に婚活と書いてある化け物もいたが)

正直イケメン出会いたければマッチングアプリの方が良さそう

反省

プロフィールカード記載内容は事前に考えておくべき

ほとんどこれを見ながら会話するので

記載内容をみて話題を振りやすい or 同じ趣味の人がいれば盛り上がれるべきか、を考えて記載必要だった

これをしっかり書いていれば話題が切れることがない

項目ごとに反省点を書いていく

会社員』と書いたがアンケートではないので何をしているか細かく書くべきだった。

割と細かく書いたほうがわかりやすいと感じた

(『SEIT関連』ではなく『銀行システム開発』など)

何も考えず適当に書いてしまったが、『努力すれば誰にでも当てはまる』ことを書いた方がウケが良さそう

笑顔が素敵な人』『一緒にいて楽しい人』『趣味を共有できる人 』etc...

『優しい人』は漠然としすぎていて微妙かな

メジャー趣味2つと何しているのかはイメージが湧くが、あまり被らなそうなもの1つを書くのがバランス良さそう

多かったのは『旅行』『フェス』『スポーツ観戦』

この項目単体だと話題が広がらないので、趣味に繋がることを書いた方がいい

プリン』→純喫茶巡りが好きで、、

ラーメン』→全国の二郎系ラーメン巡りが旅行目的、とか

カレーと書いている人に「南インド北インドどちらが好きか」を聞いたらは?という顔をされて悲しかった

アホなので『家でのんびりする』と書いたが「インドアなんですね、、」と広げようがないのでやめた方がいい

好きな食べ物と同じく、趣味に繋がるものを書く

「本...?」となり坂口安吾と書いたが、他に作家を書いている人はいなかったので

有名で最近流行っている「好きなキャラなんですか?」と質問やす漫画を書くべき(呪術フリーレン、ちいかわなど)

映画も『ハリーポッター』を書いている人がいて、話題を広げやすかった

同性の芸能人 or 漫才グループ or スポーツ選手の3択

イケメン俳優名前を書いたけど、話題として上げにくい

正直こちらも「有村架純」や「ガッキー」と書かれていても可愛いもんね、、以外の感想がなかった

  • 最近気になっていること

これも趣味の延長線上になり、デートに誘いやすそうなことを書く

ペンギン動画はまっている』→水族館いこう

ラグビー試合youtubeで見て面白いなと思った』→試合一緒に見にいく

誰が誰だったか連絡先を見ても思い出せない

ラインを交換した時点で名前の部分に年齢くらいは追記しといたほうがいいか

席移動の際や終わった後に、自分プロフィールや会話した内容を送ってくださる男性もいた

相手の目を見て、大きな声で、はっきりと話す

相手の目を見ていない、目が泳いでいるとかなり気になる

また、周りも話しているのでかなりガヤガヤしており

早口だと聞き取れず気まずくなるため会話の仕方は(苦手であれば)練習するのが無難

年齢がバラバラ

自分と同じような年齢の人と会いたかったので、20代限定など条件付きのところに参加した方がよかったか

年収などもプロフに書くわけではなく、自分から言うのも感じ悪いので強みが年収の人は『年収〇〇万円以上』の街コンに参加するべき

街コン終わってから

終わった後に予定を入れていたが「この後ご飯行きません?」と誘われたので予定を空けといた方がスムーズ

マッチングアプリに比べ街コンのよかった点


その他

男性から話を引き出そうとしてくれると好印象だった

隣の女性が褒め上手だなと思い、後で聞いたら過去キャバクラ勤務経験があったらしい

私は容姿が終わっているので、女性優位のマッチングアプリですらなかなかマッチできなかったが

今回の街コンの中では若いのと会話は普通にできるので、6人ライン交換をして4人にご飯誘われる感じだった

2023-12-03

anond:20231203133152

Vtuber雑談配信を聴きながら坂口安吾白痴を読むと濃いのが出るンゴねぇ

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貧乏の子沢山というが、五反百姓に十八人も子供がいるような日本

天然資源的に見れば取り代えるオシメにも事欠く程度の素寒貧だし、

持てる五反の畑も人里はなれて山のテッペンに近いような、

もしくは湖水の中の小島のような不便なところに孤立して細々と貧乏ぐらしを立てている。

気のきいた泥棒も、気のきかない泥棒も、そんなところへ物を盗みに行くはずがないじゃないか

しかるにそこの貧乏オヤジ泥棒きたるべしとダンビラを買いこみ朝な夕なネタバをあわせ、

そのために十八人の子供のオマンマは益々半減し、豊富なのは天井クモの巣だけ、

そのクモの巣をすかして屋根の諸方の孔から東西南北の空が見えるという小屋の中でダンビラだけ光ってやがる。

ここのウチへ間抜け泥棒が忍びこむよりも、このオヤジ殺人強盗に転ずる率が多いのは分りきった話じゃないか

もう軍備はいらない 坂口安吾

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2023-11-30

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女史達はサッソウと、勇ましく、前進、ああ、スバシイなア!

インチキ文学ボクメツと仰有おっしゃる。そう考えていらっしゃる

ボクメツの自信も手腕もおありに相違ない。

男が兵隊になって、戦争をするなんて、とんでもない間違いだ。

学問だってそうで、プレシュウズというサッソウたる学者団は女史達で、ハムレット男の子にきまっている。

世の中は出直さねばならぬ。根本から

男はボクメツされねばならぬ。

女史達とその偉大なる正義によって。

新日本万歳

インチキ文学ボクメツ雑談 坂口安吾

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2023-09-23

@user-hb9zu5sm8y 10 日前

解像度が低い。厭世的な日本人に対する理解度が乏しい。

夏目漱石こころ

芥川龍之介羅生門

坂口安吾安吾巷談 麻薬自殺宗教

滝本竜彦NHKにようこそ!』

・『女神転生シリーズ

・『serial experiments lain

最低限、このくらいは履修してほしい。

2023-06-29

同人小説ブックマークが3だった

24歳、(医療系)学生です。

女子歴18年、そのうち腐っていたのは3年弱。

初恋はBASARAの元親で、自由生き方を貫く彼とムキムキの筋肉と声が大好きだった。

彼氏と付き合って5年、どっぷり沼にハマったジャンル特になく、ゆるキャン△に憧れて一緒にキャンプをしたり、コーヒーが好きすぎて一式そろえたり…

pixivを定期的にあさりつつ適度なハッピー女子ライフを送っていた。

ただ、前のジャンルで3年くらい沼ってたもののおかげで、純文学をこれでもかと読んでいた。

もともと本を読むことが苦ではなく、小学校図書館漫画偉人伝だったり、西遊記だったり、祖母の家からパチッてきた小公女父親書斎から掠め取った司馬遼太郎坂本龍馬とか、読めそうなものはなんでも読んだ。

本に明確に感動を覚えたのは小3に読書感想文のために「アルジャーノンに花束を」を読んだ時である。そのあとはもう本屋図書館に入り浸り、上橋菜穂子獣の奏者守り人シリーズも、有川浩作品全部、高田大介の図書館魔女など有名どころのファンタジーは読みつくし中学を終えた。

高校に入るととあるゲームのおかげで、日本の近現代文学史における文豪たちの本にハマる。これが3年くらい沼ってた前ジャンルなのだが、なんだか運営側不祥事が沢山あってフェードアウトしてしまった。しかし本好きは衰えず、坂口安吾桜の森の満開の下の不気味で美しい表現と、小林多喜二の雪の夜の思想抜きの彼の生き様などを毎日触れていた。

話を二次創作に戻すと、そんなに本を読んでいたら自分も書き始めないわけなく、pixivに初めて投稿したのは2万字程度の二次創作であった。

普通以下の、下手くそが書いた、今見ると恥ずかしくてたまらないものであったが、三桁数のブックマークに喜んだ。

結局界隈を去ってしまったのと、当時の作品たちがあまりに下手くそすぎて続きを書く気が失せたのでWordデータファイルごと消してしまい、創作活動から離れていた。そのあとも時間があれば本を読んでいた。

最近卒論やら国家試験勉強やらのストレスから超クソデカジャンルキャラにハマった。そのキャラは人気がそれほど高いというわけではないが、なんせ母数が段違いすぎて沢山の素敵な作品に溢れていた。

現実逃避のために私もサクサクとしたクリスピー食感をもって1章を2万字程度を書き上げた。

どれくらいの方が最後まで読んだのかはわからないが、ブックマーク数は脅威の3であった。

確実に最初に書き上げた時に比べ文章は上達し、表現も緻密である。ではこのブックマーク数の差はなんだ??

誰かから評価が欲しいとか、承認欲求を満たしたいとか、決してそういったもののために二次創作をしているわけではないが(2%くらいある)、ちょっと悲しい気持ちになった…

比べてみると答えは簡単だった。

私が初めて投稿したのは一人称。常に主人公内面が書かれており、主人公が見えていないことは書くことができない。

対して私が今回書いた文章三人称複数キャラクターの視点に切り替わることができる。

個人的な考えであるが、二次創作一人称作品が多いと思う。つまり市場需要と嚙み合ってなかったのである

作品名+(プラス)というタグは夢主の一人称視点、つまり「私」の視点物語が進んで行き、「私」の見たこと・感じたことが書(描)かれている。その方が感情移入やすく、一体感臨場感が楽しめるのだろう。

三人称場合、いろいろな場面の出来事を書けてしまうため、キャラとの距離が遠い。実際、今回私が書いた三人称文章は2万字の字数の中で30分程度しか作品の中の時間が経過していない。多分めちゃくちゃ間延びしているし余計な描写たっぷりだ。

表現の上手い下手はあると思うが、どの人称だから優れている・劣っているというのは決してない。要はネタに合った人称を選べばいい。一人称が~三人称が~言っている暇があったら書(描)け!!!!お前がジャンルやカプを盛り上げるんだよ!!!!!!(自戒)

98%の自己満足趣味、それと2%の承認欲求で作りたいものを作ってハッピーオタクライフ!!!!!!!!

2023-03-31

今日人間の振りをする

友人の話を聞くのが苦痛

こんな自分を輪の中に入れてくれる稀有相手だというのに、その話を聞くのが苦痛で仕方がない

友人が話すことに、まったく共感できない

「あっそ、それで?」と内心思ってしま

他人感情、思い、願い

そういったものに関心を持てない、そういう特性なのだそうだ

社会」というのは、人間進化過程で獲得したものである

肉体機能でもなく、道具使用でもなく、環境を調整するための大きな武器の一つであるらしい

その恩恵に与っておきながら、私は他者共感ができない

私の世界には、私しかいない

相手を見ているようで、自分を見ているだけだから

から最後最後になって私の周りには誰もいなくなってしま

ゾッとする、こんな自分自身に、こんな人生

このままずっと生きていくのかと思うと

未来に耐えきれなくなっても、人生は続く

我々の精神なんかとは比にならないほど、現実や肉体は強い存在強度を誇る

生かされているのだ、端的に言えば

土台じたばたしても詮方ないことなのだ

認めたくないと何度繰り返したところで、何も変わりはしない

ただただ、今日も気分が悪い

吐き気のする我が人生が早く終わることを願うまでである

――「あらゆる流れから取り残されてしまった末代の私」


過去自分言葉が、予言のように、呪いのように積み重なっていく

から、せめて迷惑をかけないように

相手に合わせ、感情の伴わない言葉と表情を誂えて

隣で相手が笑っているうちにできた事は沢山あったハズだ

失敗したってちょっと恥かけばすんだチャンスを

くだらないプライドを守るために全部消費したんだ

終わってから気が付いた事は「わかってた」事にはならないよ

もう遅い 今から君にできる事は新しい出会いの準備

それができないなら 独りで生きる準備だ

きづきあきら・サトウナンキ「メイド諸君!



恋愛がしたいわけではない、結婚がしたいわけではない

自分自身に、何の価値もないと思っているから、他者にその担保をして欲しいだけに過ぎないんだろう

自分存在している意義を、居る意味を、存在必要性

結婚は勢いでするものだ」と言うようだけど、私は違うと思っている

恋愛結婚というのは、共依存的な色彩によって後押しされるものなんじゃないか

それは、もしかすると性欲よりも強いのかも知れない

生きていくことは正気ではできないから、それぞれが個別神様宗教教義でっちあげる

「互いを互いの存在意義とする」というのも、そうした思考停止の一つだ

他人迷惑をかけたくない」「これ以上不幸な人間を増やしたくない」と、反出生主義を唱えるくらいなら

そこまで潔癖になるんなら、今すぐ死ねばいいだけの話なのだ

私は、私の遺伝子を根絶やしにしたい気分になることがある

このクズ遺伝子が、罷り間違って後世に残るようになってしまうこと程、罪深いことはないと思うのだ

の子供が、この世に“理不尽に産み落とされ”地獄に落とされるのを赦してはならない

私の汚濁のような欲望のために、不幸な人間をこの世に生産してはならない

「生まれたことが間違いだった」と思うような人生を送らせる訳にはいかない

――「自分の自我にしか興味のない私は何に“生きて”いるのか」


ポルナレフ 人間は何のために生きるのか考えたことがあるかね?

人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

名声を手に入れたり人を支配したり金儲けをするのも安心するためだ

結婚したり 友人を作ったりするもの安心するためだ

人の単に役立つだとか愛と平和のためにだとか

全て自分安心させるためだ

安心を求めること事こそ人間目的

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 27巻」



全ての女は、宮崎駿にとっては、グランママーレと同じなんです。

「全ての女はグランママーレと同じように怖く、得体がしれなく、でも、強くて美して、男は敵わない。

から、一度好きになってしまったら、一生死ぬまで振り回される。それが女である」というのが、宮崎駿がこの映画の中で語っている、「女とは何か?」という考え方なんですよ。

岡田斗司夫「『崖の上のポニョ』を精神分析する〜宮崎駿という病」


 生きることだけが大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間まこと義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間義務とみるのである。生きているだけが人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。

 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

 時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから死ぬまでの間です。

 大ゲサすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは子供夢想で、学問じゃないのです。

坂口安吾不良少年キリスト

@Gesu_Masuda

2022-10-23

ロシアウクライナ侵攻の思想位置付け

 22年2月戦時ウクライナの「非ナチ化」「非軍事化」がロシア政府ナラティブだったことを覚えているだろうか。そのために『わが闘争』の本がウクライナ軍陣地跡から出土した、というような馬鹿げたプロパガンダをしていたことも。ウクライナを含めたロシア圏を西側の影響(文化的なそれを含む――LGBT排除典型から守るというナラティブであった。それが「戦争」ではなく、「特別作戦」というネーミングにつながっている。これは不戦条約および国連憲章による武力行使禁止への言い訳に過ぎないかもしれないが※、ここではそれを思想的に少し本気に受け止めておこう。

 今は違う。ロシア政府は「戦争」と言い出した。悲喜劇となっているめちゃくちゃな動員も行い、ウクライナ国内への容赦ないインフラへの打撃――戦略爆撃など、本格的な戦争にいちおう移行しつつある。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2022102300113&g=int

 では、NATOが本格的に軍事介入空爆にせよ、陸戦にせよ)すればカタがつくかと言うと、そうでもないように思われる。実は、それこそがロシア政府の望んでいる事態なのではないか上記記事では、現時点でもロシア政府が「戦争責任を負うのは北大西洋条約機構NATO)側と主張。ロシアが仕掛けたにもかかわらず、「被害国」だと訴えている。」という認識を示していることが語られている。これは、どう考えても欧米諸国に向けられたメッセージではない(彼らも、本気でこういう認識欧米諸国が認めてくれるとは思ってはいるまい)。ロシア国民に対する敗戦言い訳である。そしてNATOが本格的に軍事介入すれば、この言い訳NATO自らが裏書きすることになる。

 この戦争思想原動力になっているのは、要するにロシア民族優越主義であることが指摘されている(例:イリインの思想についてhttps://book.asahi.com/article/14612140小泉悠氏の著書やフォルカー・ヴァイスの『ドイツ新右翼』を読むと、かのドゥーギンの思想は、シュミットグロースラウム論の応用のようだ。それも結局一言でいえば自民族優越主義だろう)。他方で、この戦争敗戦の原因になっているのもロシア民族優越主義である。弱い(ということになっている)ウクライナ如きに敗北するから国民士気が下がる。士気が下がるからまた負ける。

 NATO軍事介入した場合NATOが完全に結束し続ければいずれすべての戦場で優勢となるだろうが、ロシア人は、強いアメリカと戦っているから負けているのも無理はない、と考えることができるようになる。これは1941年12月8日の状況と似ている。弱い(ということになっている)中国全然勝てず、不平不満が鬱屈していた日本人が、相応の知性あるはずの者も含めて対米開戦に快哉を叫んだ※のは、もちろん主力艦を奇襲攻撃で大破して望外の大勝を得たこともあろうが、他方で戦場での劣勢への言い訳が見つかったからではなかろうか。

※ 「一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」(坂口安吾35歳)。「みんな万歳を叫んだ」(井伏鱒二43歳)。逆に、理性を失わなかった例として、「僕達が努力しなかったのが悪かった」(ジャーナリスト清沢洌51歳)。

https://book.asahi.com/article/11852364

 戦争哲学者クラウゼヴィッツによれば、攻撃にとって最も重要なのは敵の重心(Schwerpunkt)への打撃である。重心とは、敵軍のすべての要素がそこでバランスを保っている一点である。それは戦場軍勢とは限らない。敵国首都とも限らない(ナポレオンはこれを誤った)。クラウゼヴィッツ洞察が正しければ、今回の場合ロシア民族優越主義破滅するような道筋をつけるべきなのだろう。つまり、「弱い(ということになっている)ウクライナ※がロシアを倒した」というナラティブ、これであるNATOの介入はかえって害悪になるかもしれない。帝国日本は対米開戦から3年半以上持ちこたえた。むろん、ロシア軍事力は当時の帝国日本よりもアメリカに対して不利だとは思うが、それのみならず、「中国に負けた」ことを受け入れられない日本民族優越主義者がけっこう多いことにも注意したい。このような観点からすると、バイデン大統領――彼は連邦議会議員としては上院外交委員長を長年勤めた老練政治家である――がロシアと直接交戦はしないという態度を開戦前から決め込んでいるのは、きわめて適切な対応のように思われる。さすバイ


客観的に考えればウクライナ別に弱い国ではない。中東欧では最大クラス軍事大国と言って良いのではないか? ヨリ客観的にみれば、この紛争の根源は地域大国ウクライナ地域大国ロシアの、ロシア地域圏におけるシマ争いという風に考える余地がないではない(なお、武力衝突に至った責任は大方ロシア政府にあるからウクライナ政府を非難するつもりはない)。

2022-08-30

anond:20220828231828

>なんで一般的選手権という言葉から優勝者手に入れるもの」という意味が薄れていったのか?

そういう疑問は大好物やで。でも答えを確定するのはあまりに難しいので割と無責任なこと書く。

青空文庫を『選手権』で検索したら面白かったぞ。少なくとも1920年辺りには『優勝者(の地位)』の意味で使われていた(坂口安吾織田作之助など)。それ以降の言語インパクトといっても戦争やら教育勅語やら色々あり過ぎて直接のきっかけは難しいんだが。

トリビア的な娯楽としては楽しめるかも知れない。

2022-07-15

草野球ライトはすごい

草野球って人数が足りないと

不戦敗になるから

ヘルプに入ると

めちゃくちゃ感謝される

何もしてなくても

ただ立ってるだけなのに

早朝

ライトから

ボーッと青空を眺めて

風は気持ちよくて

勝っても負けても

終わったあとのタバコビール

最高で

そこで調子に乗って

チームに入っちゃう

いろいろしんどいけど

いま「草野球ライト」を

用意できているものってなんだろう

って考えると

結局

宗教選挙祭りがつよい

伝統

正義を守る

うつくしい物語の一部として

参加するだけで

寄付するだけで

感謝される

神輿

担ぎ手が多ければ多いほど

1人の負担が軽くなる

きっと

選挙が終わったあと

ポスターをはがしにいって

帰りに立ち寄る

温泉ビール

心が弱っているときに生きる理由を与えてくる

そこで調子に乗って

チームに入っちゃう

いろいろしんどいんだろうけど

葉隠論語によると

どんな悪い事でもいったん自分やらかししまった以上は

美名をつけて誤魔化してしま

と諭しているそうだけれども

僕はこれほど堂々と自我主義を押通す気持はない』

坂口安吾

そう言うけれど

みんなそんなにつよくはない

美しいストーリー

中に

自分

落としこんでしまいたくなる

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