はてなキーワード: 信徒とは
自分自身は特に仕事もできずのうのうと生きている人間なんだが、仕事に一生懸命でキラキラ目を輝かせて働いている人を見ると居心地が悪い。
何というか仕事そのものに対する熱量が高過ぎてぱっと見怖く見える
もちろん、仕事にやりがいをもってやれる人はカッコいいし尊敬するんだが、そういう人と会話するとなぜか別の次元に居る人見たいな感覚に襲われて逃げたくなる。
言い過ぎだけどクトゥルフ神話的な上位存在に対する恐慌状態って言えばわかるか?
もっとわかりやすく言えば、熱心な信徒に宗教勧誘受けているような感じ。怖くて逃げたくなる。
じゃあ逆にダウナーな感じで仕事できるやつを見るとそれはそれで接し方がわからなくて怖い。何考えてるかわからない。
話してる最中にいきなりぶん殴ってきそうな気がする。コンサルの人間とか結構多い。
これが仕事できないという自覚から来る逃げなのか、特定の特質をもってる人間が現代に適応できてて、そんな人間とはウマが合わないから逃げたいと感じているのか。
個人的には、20代の頃に正社員でバリバリ働いていたらヘッドハンティング業者の目に留まって、面談中に「どんな形で仕事したいですか」と質問されたときに「責任所在が明確で、その中で全力で仕事したい」と答えたら、
「あなたの条件を満たす雇用形態はアルバイトしかないので、アルバイトを探してください」と言われて、こんなこと言い放つ人間がヘッドハンティングで高給貰ってるのかと思うのと、なんか自分の人生否定された気がしてこいつらは敵だと考えたのかもしれない。
もう昔話になってしまったが、南米ペルーでテロリスト集団による在ペルー日本大使館人質籠城事件が起きたことがあった。
当時、テロリスト集団とペルー軍・警察との交渉において仲介者となったシプリアーニ大司教は、オプス・デイの一員である。このオプス・デイとは、トンデモ映画『ダ・ヴィンチ・コード』のせいで秘密結社か何かのように誤解されてしまったが、ざっくり要約すればカトリック内の保守的聖職者・信徒のグループである。
中南米は、確かにカトリックの勢力圏ではあるが、ここは解放の神学が大きな勢力を成す地域でもある。この解放の神学は、これもざっくり要約すればカトリック内では革新系勢力であり、左翼思想からの影響を受けているとされる(キリスト教カトリックの皮を被ったマルクス主義と見做す立場もあれば、それを誤解だとする立場もある)。
ペルー日本大使館人質籠城事件においてシプリアーニ大司教が尽力したのは、単なる人道支援としてだけではなく、革新系の解放の神学が大きな勢力を成す地域において、オプス・デイのような保守系グループがイニシアチブを獲得するという狙いもあったと考えられる。
UCANのことを、左派政党・政治家・運動家に対して批判的であることから、短絡的に統一教会(世界平和統一家庭連合)の回し者と考える無知無教養な人間がはてブには見られる。しかし、上記のカトリック内部での保守・革新の勢力争いを知っていれば、統一教会(世界平和統一家庭連合)とは独立に、左派政党・政治家・運動家に対して批判的な立場の意見がカトリックから出てくることは不思議でも何でもないのである。
近辺のカトリック教会に、相談したり情報を提供したりすると良い。
信徒になれと言っているわけではない。別に信徒になる必要も義務も無い。
カトリック教会及び信徒は、疑似キリスト教系カルト宗教に対して批判的であり、カルト宗教と闘争する動機が十分にあるのだから、それを有効的に利用すれば良いのである。「未成年女性保護活動をしていたプロテスタント系の牧師が、覚醒剤取締法違反で逮捕されるような事件が起きましたが、彼らのような人たちに未成年者や女性の保護活動を任せておいて、大丈夫なのでしょうか?」と問い合わせれば、カトリック教会として立場的には捨てずに置けないし、対抗意識もあるので、後は勝手に頑張ってくれる。こちらは高みの見物でよい。
統一教会(世界平和統一家庭連合)は、韓国で生まれた疑似キリスト教系のカルト宗教である。
韓国に限らず、現在の疑似キリスト教系のカルト宗教は、大半がプロテスタント系/非カトリック系から生まれたものであると言って過言ではない。
日本国内における弱者救済名目のビジネスについて、疑わしい点を報じたUCANは、カトリック系通信社であるが、カトリックは一貫して、統一教会(世界平和統一家庭連合)に対しては批判的な立場をとっている。一口にカトリックと言っても、オプス・デイのような保守系の集団から、解放の神学のような革新系の集団まで、カトリック内部でスペクトルを成してはいるが、統一教会(世界平和統一家庭連合)に対して友好的・親和的な教会や信徒集団は皆無と言ってよい。
したがって、今回の報道は間違い無く、統一教会(世界平和統一家庭連合)とは関係ない動きと断言できる。
カトリック系通信社を統一教会(世界平和統一家庭連合)と混同するような無知蒙昧な人間が、所謂「はてサ」である。そのような人間たちが「暇アノン」という珍奇な造語を弄んでいるというのは、実に面白いことである。というのは、造語「暇アノン」の元ネタである「Q-アノン」は、その発祥の地である米国では、当に「プロテスタント系カルトに毒された人間たち」を指して生まれたからである。
「暇アノン」という珍奇な造語を連呼する人間は、言葉の意味も知らず、深く物事を考えずに行動しているということを、自ら喧伝しているのである。無知・無教養とは恐ろしいものである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2032389
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/himasoraakane/status/1609967041854976000
UCANの正式名称は、The Union of Catholic Asian News。
1979年に設立され、アジア最大かつ世界最大のカトリック系通信社とされる。【追記】「カトリック系として最大」という意味である。誤解を招く表現で申し訳ない。
アジア地域(日、中、韓、東南アジア、南アジアなど)におけるカトリックの活動や、カトリックの関心を呼ぶであろう出来事等を、アジア圏内及び欧米圏のカトリック信徒へ伝えることを活動の目的としている。
未成年女性の保護活動に携わるプロテスタント系牧師の男性が、覚醒剤取締法違反で検挙されたことは、欧米だけでなくカトリック信徒全体にとってニュースバリューが有る。
プロテスタント系やその傍流から生まれた疑似キリスト教系のカルト宗教に対して、バチカン及びカトリック信徒は対抗意識を持っている。カトリック聖職者のスキャンダル問題に悩まされているバチカンとしては、プロテスタント系のスキャンダルを報じることは、カトリックの敵対勢力を削ぐイメージ戦略の一つとなる。
カトリック教会や信徒にニュースを提供することは、暇空茜氏側にはプラスとなり、Colaboや仁藤夢乃さん側にとってはマイナスとなるものと考えられる。
【追記】
この記事は、価値判断や暇空茜・仁藤夢乃のどちらかに与するために書いたものではない。統一教会系メディアと混同するような、一部の無知な人間に向けた説明に過ぎない。
カトリックの存在を知らずに統一教会と混同している一部のはてブは、リンカーンの写真を知らない人間と同じぐらい無知と呼ぶべきであろう。
日頃から赤旗だけが真のジャーナリズムを保ってるとか、反権力案件の文春砲は素晴らしいとのたまう連中がなに言ってんだろうね。
Granting public funds to a private entity should entail the same thorough level of scrutiny as that of angel investors scouting for promising startups.
公的資金を民間企業に供与する際には、エンジェル投資家が有望なベンチャー企業を発掘するのと同じレベルの徹底的な精査が必要である。
ちなみにタイトルはこれ。
When charity becomes business in Japan
Hosanna House scandal highlights the misuse of public funds by questionable private entities
・追記
未成年女性の保護活動に携わるプロテスタント系牧師の男性が、覚醒剤取締法違反で検挙されたことは、欧米だけでなくカトリック信徒全体にとってニュースバリューが有る。
プロテスタント系やその傍流から生まれた疑似キリスト教系のカルト宗教に対して、バチカン及びカトリック信徒は対抗意識を持っている。カトリック聖職者のスキャンダル問題に悩まされているバチカンとしては、プロテスタント系のスキャンダルを報じることは、カトリックの敵対勢力を削ぐイメージ戦略の一つとなる。
カトリック教会や信徒にニュースを提供することは、暇空茜氏側にはプラスとなり、Colaboや仁藤夢乃さん側にとってはマイナスとなるものと考えられる。
Colaboへの委託事業について東京都に対する監査請求が認められて、担当部局に対して会計精査などが不当であるという勧告が出たことは、東京都民ならず国民全体にとってもニュースバリューとしては大きいだろう。
勧告対象が東京都であるとしても監査請求問題を報道することは、Colaboや仁藤夢乃が含まれる勢力を削ぐイメージ戦略のひとつとなってしまうのだろうか。
赤旗が都民や国民全体に監査不当勧告のニュースを提供しないことは、暇空茜側にはマイナスとなり、Colaboや仁藤夢乃側にとってはプラスとなるものだからなのかという疑念がわいてくる。
東京都がColaboへの委託事業において不当な手続きをおこなっているとする監査勧告は、赤旗の理念に照らせば本来であれば東京都の指導監督責任を徹底的に追求するべきことではないだろうか。
ましてや元東京都議会議員自らの告白によって、東京都の指導監督に柔軟性を持たせるように問い合わせていた事実さえあるのだ。
Colabo側の声明によれば東京都の指導に従っておこなっていた委託事業で不正疑惑を騒ぎ立てられているのだから迷惑な話のはずである。
支える会は、東京都の指導監督能力の低さ故に女性支援活動に支障をきたしていると都庁前でデモを行うのが筋ではないのか。
赤旗は東京都の指導監督能力の低さを追求することで改善をせまり、女性支援事業を維持発展させる責務があるのではないか。
しかし、この解説から推測してみると、カトリック系メディアがプロテスタント系攻撃のために報道の自由を行使しているのならば、赤旗はColaboや仁藤夢乃やそれらが含まれる勢力を守るために報道しない自由を行使しているということなのだろうか。
結局党派性かーい
これまでに反ワクの人をtwitterとかで見て、ほかの発言とかをたどったときに水素水やらその他の非科学・陰謀論との親和性が高い印象を受けているの。
「とか」って具体的に何?
君はその観測で何人の反ワクを見た?
その中に水素水やらその他のウンヌン親和性が高い人は何割いた?
親和性が高いか低いかのしきい値はどこ?話題の何割を水素水が占めたときに親和性が高いと判定した?
Twitterで見た反ワクは日本の反ワクの総数においてどれくらいを占めると想定される?(Twitterをやってない反ワクはどれくらい?)
「Twitterとか」では観測できない反ワク(例えば、本屋の反ワク本を読んだ老人とか)にも同様に確からしくその傾向が見られると判断したのはなぜ?
もちろんエビデンスを重視する敬虔な科学の信徒のはずだからこのくらいの分析してからなんか書いてるんだろうし
当然数字付きで即答できるよね
興味あるからおしえてよ
■はじめに
気づかないうちに宗教団体Sの信徒になっていたので退会しました。
ネット見てたらそう珍しいことではない(Sにとっては常套手段)だけど個人的には初めてだったし、
知恵袋とかで自分と同様の状況にある方からの質問を見かけたりもしたので、せっかくなので書いておこうといった程度の忘備録です。
若干のフェイクも含めてぼかしつつ書いていますが、困っている人がいたとして
検索に多少でも引っかかることが出来ればとも思い、いくつかの固有名詞は生かしました。
増田の作法をよく知らないので、馴染まないところがあったらごめんなさい。
■宗教団体Sを知る
遠方に住んでいる友人から連絡があった。
私が転職したことを友達伝いに知って数年振りに連絡をくれた。嬉しかった。
近況報告をする中で、通っているという宗教団体Sについて熱く教えてくれた。
電話で何十分と教義を語る友人の熱意には驚いたが、私は宗教全般にそこそこ興味があったので、
その時点でSという団体名すら知らなったものの、友人の話をフンフンと聞いていた。
■友人と会う
しばらくして、友人が私の暮らす地方に遊びに来るという。
たまには日常を離れたいだろうし、そうした先に私の暮らす場所を選んでくれたのが嬉しかった。ここは良いところなのだ。
友人がこちらに滞在している間、ちょうどSで盛大に護摩を焚く行事があるので、
ぜひ当地にある分院に立ち寄って参加したいという。
■集会に参加する
久しぶりに対面した友人と施設に向かう。
清潔感のある施設の中に入るやいなや、教団の建物や教祖一家の写真、彫像が各所にあり、友人がいろいろ解説してくれる。
集会ができるようなスペースに通された。祭壇などがある空間にスクリーンがかかっている。……スクリーン?
結局、護摩とは本拠地で焚くもので、そこから離れた当地ではネット中継を見守るということだった。
複数(ドローン含め10台はあるか)のカメラが効果的に切り替わって飽きさせない。
世界各国から本拠地へと集まった何人もの信徒の名前のテロップが即座に入る。
離れたところにいるらしい合唱隊やオーケストラの生演奏も映る。
厳かに登場した教祖の姿に、故人である始祖の過去の映像が重なる。始祖の生前のスピーチも流れる。
大きなスクリーンに投影された映像は常に高精細で、乱れることが一切ない。
中継でありながらも綿密かつ予定調和的に作りこまれた映像にどことなく「ゆく年くる年」感を覚えながら、
音楽隊はどんなメンバーで構成されているのか(職員?一般の信徒?)とか、ボンヤリ考えながら、
厳粛にこなされる儀式の数々を相席食堂の千鳥の気持ちで見守っていた。
■お浄めを受ける
Sについてネットで軽く予習していたがこれについてはよく分からなかったので尋ねると、
短冊形の用紙にお願いする内容を記入する。
お浄めが結局何なのかよくわからなかったけれど、一つのお願いを500円で聞き入れてくれるというなら、
お賽銭や社会科見学のお礼のつもりで浄化してもらおう。ついでに知人の商売繁盛の祈願もしておこう。
友人も短冊形の用紙に色々書き込んでいた。
寺社で御祈祷を受ける時も同じような内容を書くので、こんなもんだろう。
友人の名前やSでの所属情報などを書く欄もあったのでそこは友人に記入をお願いした。
カウンターで用紙を渡し、お浄め、商売繫盛の祈願代として1000円を払う。それとは別に1400円かかるという。
ん?聞いていなかったけれど、お金を払うカウンターで突っかかるのも嫌なのでとりあえず払っておいた。
対応してくれた職員さんは気のいい人でお菓子をくれた。今はこの地域に勤務しているが全世界に転勤があるらしい。大変だ。
施設に入ったときに「お帰りなさい」と言われたのも、そういうアットホームな雰囲気づくりに一役買っているのだろうか。
■帰宅する
帰宅後、控えの用紙を改めて見てみる。
「精進願い」と書かれたその控えを見ると、追加で払った1400円の内訳が「登録費」と年度末までの「会費」だということが分かった。
え、私、登録されてる?会費、払ってる?つまり信徒になったんか??ここで初めて気づいたのだ。
友人に連絡を取って確認してみると「この用紙を提出したことであなたは信徒になった。説明足りてなくてごめんね、退会はいつでもできる」とのこと。
本人確認もなく、押印もなく、教団の教義やルールの説明も、意思表示の機会もないままに、どうやら私は信徒にカウントされる存在になっていたらしい。
私は「こうした大事なことは、まず家族との話し合いが必要」「自分のスタンスとは合わない」とそれとなく退会の意思を伝えるも、
友人からの返事は要約すると「あなたの気持ちは分かった。けれど、ここは様々な考えの人を受け入れるから大丈夫」と。
……もう何を言っても通じないと思うから、説得や議論はやめて、ほとぼりが冷めてから退会しようと決意した。
自分一人で解決しても良かったが、万一後から家庭内トラブルが勃発しても嫌なので家族に顛末を話すと「ちょっとそれはどうかと思う、賛同できない」と。そりゃそうだ。
しばらくしてから友人に退会すると伝えたところ、すぐに退会に必要な手続きを教えてくれた。
■退会する
先日お菓子をくれた気のいい職員が居たらちょっと気まずいので、その人と会いませんようにと思いながら向かった。
施設に入ると、数名の信徒が談笑していた。こちらをちらりとも見ず、挨拶もせずといった感じで、こんなもんかと思った。
平日の昼間という時間帯のせいかもしれないが、初めて行った日のように「お帰りなさい」と言ってくれる人もいなかった。
前回友人が精進届けを取ったのと同じ棚から退会届を出し、書けるところだけ書いた(ID、部会名などは空欄。氏名や住所のみ)。
望みも空しく対応してくれたのはあの気のいい職員だったので、なんかごめんよ、と内心思いつつ提出すると、
職員は退会届に受領印を押し、「はい、大丈夫ですよ~」と控えを渡してくれた。
こんなもんかと思った。施設に入ってから出るまで5分と掛からなかった。
■あとがき
結果、入会もあっけなければ、退会も超あっけなくできた。
信徒や職員にとって、こうした形で入会・退会する人の存在は珍しくもないのかもしれない。もう少し引き留められるものかと覚悟していたのに。
新興宗教では珍しく信徒が増えているというS。個々の宗教的バックボーンを否定しない(他宗教の行事参加OKなど)教義で
信徒を増やしているのかと思っていたけれど、こりゃ増えますな。
それにしても、入会させた人数で信徒としてのランクも上がっていくらしいのに、すぐ退会してもノーカンにはならないのだろうか?
入会~退会の渦中にいた時は正常性バイアスが働いて
「友人だって騙そうと思って私を入会させた訳ではないのだ」と信じていたけれど、
時間が経った今、友人の態度は誠実なものではなかったと思うようになった。
施設に行く前に「こんな田舎で護摩が直接見れるのは楽しみ」と言った私に
「友人がわざわざ私の居住地に来る(当地はお互いの出身地ではないので、私以外に知人も居ない)」、
「私の運転で観光地をまわる予定」という中で「お寺に行きたい」と言われたら断りにくく。
友人には「退会届け出したよ」との事後報告もしていないし、
「退会届け出したんだね」との連絡も来ていない(知らないはずもないと思うんだけど)。
今後、よほどのことが無い限り、私から連絡を取ることはないと思う。
入会~退会の間の約半月、Sからの連絡(郵送物、電話、集会への参加呼びかけなど)が
一切無かったことにはほっとした。もしかすると、もうしばらく経っていればIDカード等が届いたのかもしれない。
ネット情報によると、退会届けを出さずともフェードアウトしてSに関与しないことは可能だが、
導き親(今回のケースでは友人)が自分の費用も年度ごとに払うのであれば会員は継続されるらしい。
もし私のように意思とは関係なく入会してしまった人は、モヤモヤするくらいなら退会届けを出しても良いかもしれない。拍子抜けするくらいあっさり退会できる。
ただ、導き親と頻繁に会う仲だったり、悩みを抱えていたりしたら私も退会を躊躇ったかもしれない。
でも、なーにがお救け、導き親じゃ。救けてくれとも導いてくれとも頼んでなんかないんじゃ。