はてなキーワード: 社会科とは
燃やすという単語もそうだが、オタクやアンフェミども、真面目に教養がない。
大学レベルの社会科の知識がない。どころか、中学生レベルでも怪しいやつしかいない。
本も読まないから下手したら小学生レベル。亜種で論文だけ読んでるが社会科の知識はない基礎なしタイプもいる
彼らの意見のほぼ全てが、検索避けをしましょうとか推し活のタグの使い分け?とかそういうレベル、いわゆるオタク文化のローカルルールにすぎず、常識がない
法や社会科や倫理といった実社会のルールや学問からはとんでもなく遠い床屋談義ばかりで驚く。そらツイフェミと会話なんかできるわけない。
一般女性ツイフェミは大学で授業を受けたり学術的なジェンダー本をよく読んで勉強熱心だし、そもそも大学教授や研究者がツイフェミの走りだし
いわゆる女性蔑視的な法クラや学者先生はまだ会話できるだけマシなのだが、古代人は女性が採取をし男性が狩をしていたという説やフロイトを見てもわかる通り、大昔の女性蔑視に染まった学説を支持していたりするだけで、批判の対象とはなれど、デタラメを言っているわけではない
1 戦国時代終了
15 江戸幕府終了
→その他
の順だと思うんだが、学校の授業だと家茂の暗殺はサラっと触れて終わりで、その代わりに家光・綱吉・吉宗をやたらクローズアップするから違和感すごいわ。
政策にしたって日本の政治経済史として重要な事柄について中身の解説もせず「生類憐れみの令」とかを名前だけ覚えさせてキャッキャッしとるやん?
理科や数学の授業で習ったことについては限られた枠の中で詰め込むならベストの内容だったと思うんだが、日本史に関しては無駄な寄り道する割には大事なこと教えて無くねと思ってしまう。
丸暗記の受験勉強に教科書まで乗っかって、丸っと暗記科目に成り下がっていた印象が強い。
それでも意味のある部分をひたすら覚えさせて真剣に学ぼうとしたときの足がかりにするつもりなら分かるんだが、「歴史を好きになって欲しい」みたいな助平心からかおもしろエピソード必死に紹介してたのがアホっぽいなと。
人類が少しずつ人間らしくなっていく過程を追うのが面白さじゃん。
神が皇帝を定め、皇帝が己の人民となるを認め、皇帝は神に祈りを捧げることを仕事にするクソバカの時代から少しずつ科学的で文化的で人道的に変わっていくのをマイルストーンを辿って追うのが面白いわけじゃんか。
他の科目は頑張ってた。
私にとっては足尾銅山といえば足尾鉱毒事件と田中正造であった。小中学校の国語と社会科でダブルで(ひょっとしたら道徳を含めてトリプルで)足尾鉱毒事件と田中正造について学んでいたので、足尾銅山の鉱山見学施設でも当然のことながら、そうした足尾銅山の明治近辺の負の歴史は重点的に扱われていると思っていた。ところが、鉱毒事件が無かったことになっていたというのは言い過ぎにしても、施設内部の展示でそこら辺のいきさつは非常にあっさりとした扱いであった。基本的に足尾銅山における銅採掘が江戸時代から明治大正昭和の日本の発展に対して如何に寄与してきたのかというポジティブな面を中心に打ち出していた。
私は恥ずかしながら知らなかったのだが、古河電工や富士通に代表される古河財閥グループの成り立ちが、財閥初代の古河某氏が渋沢栄一と組んで政府から足尾銅山の払い下げを受け、近代化に成功したことがきっかけだということである。想像するだに、いまでも古河グループの聖地ともいえるのが足尾銅山なのではないか。鉱山見学施設のすぐ近くでは、古河財閥の迎賓館が今でも有料で観覧できる。東京で言えば、鳩山会館や岩崎邸のようなセンスのいい明治風の洋館で、そこは今でも古河グループの研修に使われてたりするらしい。内部には古河グループのポスターが各種貼られていて非常に味わい深い。
足尾銅山が負の記憶の象徴であるというのが事実である一方で、ここが日本の近代化や一企業グループの発展において非常に重要な役割を担ったというのもまた事実であり、複雑な思いを抱えながら、自分も少しまた大人になったなあと感じた(実年齢はもうだいぶ中年だが)。
私は、東京大学法学部の人間なので、理学部数学科の研究科長のたけしさんとかすじさんとか、法学部長等とは仲が良いが、はっきりいって司法界の人間とは何の関係もないので
新原康伸とか、荻原由香子とは全然仲が良くない。それとですね、私が興味があるのは、学校長とか教頭とかですかね、南方小学校はなんていうんですか、教頭が枯葉で、教員が
クソガキで、事務員がよく分からない女ですので、しかもあそこは平成19年に周辺住民から追撃されて一度消滅しているので、実質は、ぷちくら幼稚園に改変したと思っていたけど
最近通らないのですよね。延岡小学校も同じだと思いますが、ぷちくら小学校になったと思っていたけど最近通らない。あとなんですかね、私はもうその辺が飽きたので昔のことを検討
しているのですが、平成10年に、西階中学校に、上村みつぽっていう教頭とか、家高清っていう校長がおったと思うんですね。現在の校長は城戸勇司で体育教員ですが、今の
西階は終わってるので。教頭はしらちゃんではなかったか。家高清と城戸は同僚で、家高清は、むかばきの家でまだ健在って言ってましたが本当か分からないですね。次に分からないのが
村上みつぽとか家高清が校長だったときにいた社会科教員の加藤恵子ってまだ延岡にいるんですかね。加藤恵子のクラスにいた絵理とかね、マッドサイエンティストになるとかいって西階の
階段で数学の本を読んでいたデブとか、鉄棒ばかりしていて俺からNintendo64のソフトを借りた男もいたけど10年以上音信不通なんですよね。
前田記宏 昭和58年生まれ。知能指数もなくそもそも勉強も好きではなかった。母親はクズで父親は家庭内暴力。父親の方は三流大卒で、就職後に1年だけ真面目に働き
それ以来40年間横領で暮らしてきた。平成10年頃から頭角を出現し突然勉強すると言うようになり教科書を引っ張り出してきて勉強したら成績がどんどん向上して
学年7位で卒業した。同級生には鴨林郁美などがいる。3年時の担当教員は社会科の加藤恵子、平成11年に延岡西に入ると、平成12年1月の進研模試で
偏差値85、代々木ゼミナール全国模試で全国7位。平成12年からZ会の添削を開始するが、添削者から数学への興味関心が凄いと絶賛されるも、
平成14年に里見拓士が数学の講師をしている北予備に入り、里見拓士から数学を教わり、田辺の難関大数学も聴講していた。難関大英語の三川先生の講義を
受験後にセンター試験で640点を取り、平成15年の東大文科一類前期試験を受験して合格。亡くなった岩佐哲男の仏語を真面目に受講し、法学部の全単位を
黒羽刑務所では、国際数学オリンピックの問題に取り組み、無限降下法を発見、編み出して問題に適用し、組み合わせの難問を解いた。
他方、幾何学の難問では、自分のやり方では到達不可能であると言明。後日、同問題は、相似変換の存在をパスカルの着想により解くと教えられたとき、驚愕したと
語っている。
昭和58年生まれにとって、生まれた当時、誰も板橋区などを知らない。特に九州で生まれた場合、昭和58年生まれだと全く精神的に成長していない3,40代が多いため、
その時代の当時に板橋区と言われても認知できなかっただろう。昭和58年当時に延岡市の団地で生まれた者たちは、ぼんやりしていただけで、板橋区民など全く知らなかった。
延岡市の人間が、どうやら東京には滅茶苦茶頭がいい、偏差値が高い生徒ないしは規模の大きな公共学校が存在しているらしいし、全国模試などで高い成績を連ねるのは
東京都に存在する学校の生徒であるとして、九州の3,40代に認識されるようになったのは平成10年頃だ。延岡市の西階中学校では、社会科の加藤恵子が、君たちは
そういう者たちと戦っていくことになる、などといって鼓舞するようになり、平成11年になると延岡西高校の井上修二が、君たちは、大阪府や東京のそういう英才教育を受けた人間ども
と戦っていくことになると言って、第一学年の生徒が発狂していた時代でもある。全国模試の成績表はおしなべて東京都の学校の生徒ばかりであり、延岡市の生徒の模擬試験成績は
1つもランキングに掲載されないといった状況。そうした中で全国的な受験競争が展開された。平成14年に福岡の東大模試で、順に、AAABBB判定で、文科一類に入った私は
平成19年9月28日に法学部を卒業した。しかし、警視庁警部補の丸尾英介も知ってのとおり、当時の法学部は爆死し、そのまま田舎に帰された。当時、都営三田線で板橋区に
いくこともできたが、私は、北区や、本駒込や調布などに住んでいたので当時、板橋区にいくことはなかった。板橋区には、最近、ヴェルス学園などの数学専門の私立学校が惨事になっている
ようだが、かつては、国際数学オリンピックなどの権威として猛威を振るっていた校長が、森脇のように危険化していたり、ないしは、そういう校長はおしなべて、座ちゃんになっているような
感じだ。井上修二が鼓舞していた時代ないしは、平成17年以前の、日本の首相は、小泉純一郎で、東京都全体はまだ今のように醜悪な文化は発展しておらず、知的でレベルの高い
真犯人は、prantan。 2006年頃にTwitterで何を言っていたかというと、高度に完成した社会は現実と見分けがつかないとか、さて死んだ人のことはなんとかといって平成18年から
着々と計画が進行した感がある。 安倍晋三就任は 9月21日だし、増田の開始は、 9月24日から。
で俺がこいつを、平成20年11月30日に殺して、延岡に帰った。 prantanっていうのがどの辺に住んでるかは分からないが多分、マンションの5階辺りだと思うが全然分からない。
それからなんていうか点滴になった弁護士のバルカスはどうなったか分からないし、後は日想館のあれもどこに行ったのか分からない。
多分そういう奴らは崩壊したから、2ちゃんねるとかに行ったと思うが。増田でいくら言っても出てこない奴って基本、子供に戻って、2ちゃんねるにいると思うんだよな。
ツイキャスで、金バエとか、デリヘルの店長がきれていた時代が平成28年頃あったけど、三宅雪子はツイキャスで顔面放映自慢だけ。
ぷちくらは、平成28年頃にツイキャスにいたけど、ざーちゃんとかがどんどん参戦してくる感じ。
39歳東大男って殺し合いになった挙句にどうなったか分からないし、リバージュシティの5階って基本、犯罪者がいるからね。リバージュでなくても、東京のどこのマンションでもいるわけだが。
後は全然分からん。スタディサプリのきもいとか、社会科のガイチもどこにいるかわからんしね。
『発売日に買って速攻で消費してすぐに売れば半額ぐらいになるので、発売日にすぐに買って売っている層』が全く計算に入ってないんですよね。
この層は中古取引が一切不可能になったらセールで半額になるまで買わないと思いますし、その頃になったらブームも過ぎているわけですから結果として『本当に興味があるごく一部の作品』しか手を出さなくなるでしょうね。
つまり、この層に限って言えば中古販売がない世界での購入数は半数未満になるということです。
ここでまさかの「ショップに売れるかどうかの話であって、買う人間は関係なくない?」という信じられない事を言い出す人がいます。
そのレベルの人に上手く説明出来るか自信がありませんがちょっと頑張りますよ。
まず中古屋というのは『中古でも安ければ買いたいと思う人』をターゲットにした商売です。
もしも買う人が一切いなくなった場合、中古屋という商売は成立しなくなります。
なぜなら商品をお金を払って仕入れているのに、それをお金を払って買ってくれる人がいないのですから。
ちょっとズレた喩えにはなるんですが、三店商法をイメージすると回転速度が非常に早いので分かりやすいと思います。
『パチンコ屋の近くに存在するパチ屋の景品を買ってくれるお店』は、パチンコ屋が最終的にその商品を買ったときと同じ値段で引き取ってくれるから成立しているわけです。
もしもパチンコ屋がパチ屋オリジナルグッズを買ってくれなくなったら、いくら店主が『パチ屋グッズが物凄く大好きでその取引を生業にしている変態』だとしても、商売が成り立ちませんよね流石に?
そうしてそのお店が「もうパチグッズは買えません」と言ったら、お客さんはパチ屋に通い詰めて銀玉とパチグッズを交換しようという気がなくなってしまいますよね?
まあ中には「とにかく俺はひたすらパチンコが回せればいいから、玉入れて玉が出てくるなら満足だよ」って人もいるんでしょうけど、そこそこの数の人がそのパチンコ屋をもう利用しなくなると思います。
つまり、最終的にパチグッズを引き取ってもらえる見込みがあるからパチンコをしているお客さんは、パチグッズの引き取りが渋られるようになったらパチ屋に来なくなるということです。
そしてパチグッズ引取店がなぜパチグッズを引き取るかといえば、最終的にそれを引き取ってくれるお店が存在するからなわけです。
三店商法の場合は最後に引き取るのは元のパチ屋ですが、中古屋の場合は将来的に見込まれる中古購入者となります。
さて、もしもこの中古購入者がいなかったら、中古屋さんは成立しますか?
確かにブックオフで買うことが直接的に作者にお金を流すことにはなってません。
ですが、かなりシンプルな形での間接的な関わりを持って、結果として作品の流通部数を高めることに貢献しているわけです。
「中古屋で買ってるやつは1円も業界に払ってない」という考え方は経済の仕組みが理解できてないおバカの戯言であると分かって頂けましたか?
そもそも直接作者にお金を払ってないというなら、漫画雑誌を買っているだけの人達が最終的に原稿料という形で作者にお金を渡しているという仕組みさえも頭の中で崩壊してませんか?
というか、印税という形で間に本屋や出版社を挟んでいる時点で既に「直接作者にお金を渡しているわけではない」という点では同じですよね。
本当の本当に作者にお金を渡してるのなんて同人誌即売会ぐらいですよ。
大抵は経済の大きな仕組みの中で色んな税金や手数料が引かれたあとにデジタルな数字となって銀行口座に振り込まれるお金の極々一部になっているだけでしょう。
普段がそうなら今更数段階間接的な関係を経由しても正直誤差みたいなもんじゃねって気がしません?
こうなんていうんですか、裁判官とか最近の警察官ってかなり偉そうにしているわけですが、なんであんなに偉そうなんですか、あのトラックに乗ったおっさんとかいるじゃねいですか
それ以外にも、社会科のガイチとか。 でもあんなの、東大生とかがちょっとネタ晴らししたら終わると思うんですよね。仕事で使ってるだけで最初から知ってる奴がやってるだけで、
ほとんどの人は全然知らんし出来ないていったら終わるわけじゃないですか。なのになんであんなに、出来ることがすごいとかウザい風潮になったのですかね。
例えば、斎藤秀司って別に、自分でやったわけじゃないじゃないですか、数理科学研究科に本が置いてあってたいていの技術パターンはそこに書いてあるんでそれを参考にしながら
訓練を受けて、出来るかできないかよくわからないような、もどきになったのが秀司だったり志保子だったりするわけですね。また宮岡洋一先生とか。だからその、技術パターンを最初から
知っていてできるかできないかよく分からないような仕事人が使ってるだけでそれ以外のバカはやることすらできないことが10年前からずっと続いているのですがなんなんですか?
株を一度も買ったことのないやつ、そして株を買おうとしていないやつとは、とにかく投資の話が意思疎通不可能レベルでできないことが多い。
とりわけ知識に深い断絶があり、そのせいで会話できているようでいて完全に会話不能な状態になっていることがあるのだ。
だいたいこのような形だ。偏見がかなりあり、知識も極めて少ないが、逆に「株をわかっている」と思っているような状態である。
というように回答を返す。わかる人にはわかるが、特におかしなところもない完全に親切な発言だ。
大抵の答えは次のようになる。「でもそれだと儲からないんじゃないですか?」
自分は「5000円だと全然儲からないけれど、とりあえず始める分にはそれで試すといいかなーと思うんです。『へー、株とか会社ってそーいうふうになってたんだ』ってわかるし、向いてないなと思ったらやめるとかもできますし。額ならあとで増やせますよ。社会や経済や会社のしくみについても勉強になりますよ」と答える。
大抵の相手はここで興味を無くす。「あー、やっぱり金持ってないと儲からないんですね?」「でも要はギャンブルじゃないんですか?」というふうに言われる。
自分は「ギャンブル的な考えでやるのは投機ですね。その会社が伸びると考えたり、応援したりする気持ちで買うのが投資です。とにかく買ってみるのが一番理解早いんですよね」と答える。
しかし、これが伝わったことがほとんどない。投機ではなく、「投棄」とか「トーキ」とかのように聞こえているのかもしれない。「投機っていうのは、タイミングだけを見て株などを短い期間内で売ったり買ったりするやつです」と伝える。
ここあたりから「難しそうですね」という扱いを受けて、相手は引け腰になり、会話不成立になる。その後「とりあえずやるのが簡単で一番わかりやすいし、払った分しか損しない」と言っても、一向に耳を傾けてもらえない。
もしかしたら「5000円出したらすぐにノーリスクで3万円ぐらいになる」というように考えられていたのかもしれない。
実際には「株が難しい」というよりも、株のことを何1つとして知らないのに「自分は株のすべてを完全に理解している。要はギャンブルだ」というように思っていることによって、「株=ギャンブル」が成立しないような言葉や投資関連の言葉を伝えられたり、考え方を言われると、理解不能の混乱状態になるようなのだ。
めんどくさいのは、株はもちろんギャンブル的な側面も強いため、株で損した得したというのは明確に出る。だからある意味「株はギャンブルでもある」といえる。
だから「ギャンブルじゃないってことは確実に儲かるってことですか?」と聞かれることもある。しかし確実に儲かるなんてことはないので、そうではないと伝える。これがまた「株っていうのは要はギャンブル」説の強化に繋がっている。
彼らは、株というものを「ギャンブルの一種」という形で完全理解してしまっている。実際そのような考え方で投機をしている人間も多いので、それと見分けがつかないし、つけようという気も起こらない。
「株がギャンブルであるならば、危ないのでやめよう」「株がギャンブルでないのなら、確実に儲かるので始めよう」という二元論的な考え方をしているように見えている。そこに社会・会社・経済・証券の概念が無い。
習っているのだが、それが今の世界経済の中心地だということを全く理解していない様子だ。そしてそれは金持ちたちのやることだと考えている。自分たちには何も関係のないことのように捉えているようなのだ。
しかし、「株は危ない!」と言っているが、自分が働いている株式会社は別に危なくないと思っている人も少なくない。
このようにして、投資の話が一気にできなくなる。他のことはすべてギャンブル用語に聞こえるようなのだ。
投資家のことを「投資は金持ちしかできない」「金持ち向けのギャンブルで勝っている金持ち」のような観点で見ているようだ。
無理して投資に興味ない人に投資の話をする必要もないが、全く意思疎通が困難なので、感覚としては陰謀論者と話しているようになってしまう。
ちょうどトラバの中にもいるが、「自分は株というもの・株の売買というものを完全に理解している」というふうに思い込んで話している人が多いのだ。投資しないという意思決定自体は尊重する。
自分は質問に聞かれたときに、簡単な始め方と、簡易的に社会・経済・会社の権利・株式の話を丁寧に伝えようとしているつもりだ。
しかし質問者側が「そういう難しいのはいい。とにかく今すぐ確実に儲かる方法を教えて」という形で来るので「そういうものではないですよ」と言う。
そうすると質問者側は「やっぱりギャンブルなんだ」という信念をさらに強固にし、こちらはただ嫌な気持ちにさせられただけになるという話だ。また、自分は長期保有の投資家である。
https://anond.hatelabo.jp/20230503204955
https://anond.hatelabo.jp/20230508191146
これらを受けて増田が思っていることや増田の実体験をちょっとだけ書くね。ちなみに増田は富山(富山市ではない)出身30代未婚子なし女です。現在は都会で一人暮らしをしています。将来めっちゃ不安だけど自分で蒔いた種だし、なるべく迷惑かけずに死ねるように頑張りたいなと思いながら生きています。
ちなみに雪かきは男女ともにやっていたよ!何なら男性の方が屋根の雪かきとかタイヤ交換とかやらされがちな傾向があって大変だったのではって増田は思うよ。そんな感じの性別による役割分担がはっきりしている傾向はあったんじゃないかな。それが富山県ならではなのか、そうでないのかは増田には判断つかないですが。
社会科の授業で、「持ち家率上位!」「共働き率上位!」「貯蓄率上位!」という話は聞かされた。実際に教師やそれ以外の大人の富山県民も、こうした点で他の県より優れている!(だから富山は住みやすい!)という気持ちを持っている人が多数だったと感じている。
増田が思うに持ち家率が高いのは土地が安いから、貯蓄率が高いのはただ単に県内にお金を投じて遊んだり買い物したりしたいと思える場がないからで、それらが合わさってじゃあ広い家を買って住もうとなるんじゃないかな。そもそも増田の周りは三世代同居のお家が多かったから、祖父母が先祖代々の土地を持っているのが前提なのかなとも思ったり。
共働き率が高いのは、今はどうかは分からないけれど、増田が子供の頃は父が正社員、お家の大黒柱で母がパートという家庭ばかりだった。増田は必ずしもこれが『女性にとっての働きやすさ』には繋がらないと思っていたし、富山で就職しなかった理由の一つもこれだった。
冬の富山県では雪が降る。めっちゃ積もる。だからこそ水不足とは縁がないので、悪いことばかりでもないんだけど。
増田が通っていた小学校は、増田の家から子供の足で歩いて20分くらい。小学生、特に低学年にはまあまあ厳しい道のりだ。雪が積もっていればもっと時間がかかる。時には吹雪いて目の前に来ている車すら見えない日だってある。
そうなるとどうなるか?親が車で送迎をすることになる。そしてその親の9割は母親だ。幼稚園・保育園を卒業したからといってお迎えがなくなるわけじゃない。
中学校になると小学校より更に校区が広がる。自転車で片道30分近くかかる道を登下校することになる学生もいる。自転車で30分かかるような距離を雪の日に毎日徒歩で登下校するのは、出来なくはないがまあまあ厳しい。スクールバスなんてものはない。だから結局、中学でも親の送迎がある。もちろんこれも母親と思しき軽自動車ばかりが校門前に並ぶ。
高校になると送迎から解放されるか?そんなことはない。自転車で通える範囲の高校に通う学生は多い。中学と同様、自転車で片道30分もかかるような人だと、雪の日の送迎はほぼ確実になる。
電車で通う学生はと言うと、大半の学生は自宅から駅までの距離がやっぱり遠い。中学から家の比ではない学生も沢山いる。そんな学生達の行き帰りの足になるようなバスはない。結局、駅から自宅までの送迎の車が駅前に並ぶ。…やっぱり軽自動車が多め。
こんな感じで冬の間、ずっと子供の送迎問題が出てきてしまう。子供が免許を取れる18歳になるまで。…そんな環境で、送迎を主に担う人間に重い仕事を投げられるか?管理職になれるか?…無理じゃね?はい、綺麗なマミートラックの出来上がり!
実際増田が中学生や高校生くらいの頃は、母がパートを中断して送迎して、その後また働きに行く姿を見て、あっこれ増田の存在が母のキャリアの妨げになっているな…ってめちゃめちゃ思ってた。ごめんよお母さん。
雪でも歩いて帰れって?毎日1時間以上かけて?部活の後に?その後たっぷり課題と予習復習もやらなきゃいけないことを考えると学生的にもマジで無理ゲーなんですよ。特に増田は体力ないのできつかった…富山の雪って水分含んでるからめちゃめちゃ体に張り付いて体力奪うんだ。それで寒いからってスカートの中にジャージ履いたら先生に怒られるしさー。
父親は父親で責任のある仕事に就いて毎日がっつり残業していたので、こういう急な送迎とかは無理でした。そのこと自体もかなり問題だとは思ってるよ!男性ばっかり長時間労働させられてたってことだし。
雪国で田舎で公共交通機関とかがしっかりしてないとこうなっちゃうんですよね。車がないと生活できないってことは、車を持てない子供の日常にも、子を持つ親の日常にも、それぞれ支障が出るってことだと増田は思います。
こういう状況を何とか出来ない限り、あの環境で家庭持って子供作ろうとは思えないなー。東京でも家庭持ってないけどな!ガハハ!!
子どもの送迎で時間が奪われがち、送迎を担う者の働き方が限られがち、以外にも車がないと生活できない土地について思うことがある。
まず信号機が少ない!!横断歩道も少ない!!これによって何が起こるかと言うと、大人も子供もおじいさんもおばあさんも、みんな等しく信号機や横断歩道のない場所で急に飛び出してくる。
車の数も少ないし田んぼばっかりなので見晴らし自体はいいんだけど、それにしたってあんなに急に人が出てきたんじゃ避けられないよー!みたいなシチュエーション、親の車に乗っていた時にも何度か遭遇した。今はドライブレコーダーとかあるからましになっていたりするのかな。
そんな感じの道が大半な一方、ここは交通量多いでしょ!とかここは見晴らしよくないでしょ!みたいな道路も信号機がついてなくて、対向車やバイクや人が急に出てこないか怖くなっちゃう道も沢山ある。
車がないと生活できないのなら、車で普通に走っているだけでも加害者になりかねないような危険な道路には対策を打って欲しいよ。予算がないから無理なんだろうけど。
クラスで何かを決めるときは、全員が納得しないと進めてはいけないというルールだった。
その結果、全員に納得が得られるまで、何回も同じことでクラス会を開くことになる。
だから、そのクラス会は放課後に開かれることになるわけで、その教師の頃はしばしば、
うちのクラスだけ放課後に、全員でクラス会を開いて帰りが遅くなるということがあった。
これが、生徒の迷惑も考えず遅くまで残しやがって、本当に面倒な教師だったなぁ…
というひとつの思い出で終わればよいのだが、そのクラスの中でも、私だけは違う感情を持っている。
つまり私は、むしろ主体的に、クラス全員を遅くまで残してしまっていたのであり、
どちらといえば、そのことを責める側ではなく、責められる側だったのだ。
そのことは当時、本当に苦しかった。
その教師の理想は美しかったし、否定したいとは今も全く思わないのだが、
残念なことに、その実現コストは、クラス委員である私ともう一人に丸投げだった。
クラス全員から見れば、放課後に居残りさせる主体は、教師じゃなく、私たちクラス委員だったのだ。
いや、苦々しい思いをしたのはそれだけではない。
教師自身は、クラス全体の意見をまとめあげようともしなかった。
それは当然、クラス委員である私たちに丸投げということになる。
私も、授業合間の休憩時間を潰して説得に回ったりした。
教師は一応、生徒自身が決めるというプロセスが大事なので自分は介在しないのだ、みたいなことを言っていたが、
その美しい理想の代償を、クラス委員という特定の生徒に押し付けるのは違うだろうと毎回思っていた。
誰もが納得できる意見の実現という理想をさも美しく語るたびに、その実現方法を具体的に示せよ!
社会科の教師なんだから、その歴史からなんかヒントをくれよ!と思っていた。
(そう、その影響で、個人的には、歴史の授業(というより、「歴史」という概念自体)が大嫌いだった。
その教師が教えた「歴史」というものが、困っていた私にはなんの役にも立たなかったからだ。
だから、「歴史」を学ぶことで、人を困らせてしまう何かが生じるんだとさえ思っていた。)
いや、その理想の押し付けで一番許せなかったことは、まだ別にある。
それは、反対意見を封じるのはいつも私の役目だった、という罪の意識を与えたことだ。
その教師としては、長々とした話し合いにより、賛成でも反対でもない第三の素晴らしい意見が生まれるとでも思ったのだろうが、
私には、反対意見をしっかり聞いた上で「それでもみんなが言うから…」と言うだけの拙いやり方しかできなかった。
それはもちろん、私に意見の調整能力が無かったのが一番悪かったのだが、それを上手くまとめるヒントみたいなものは、教師側からちゃんと示してほしかった。
そのせいで、「なんで、意見を無理やり押し込めるようなことしかできなかったのだろう」といった罪の意識が残ってしまったのだ。
その相手には、私の拙さで、意見をないがしろにしたことを未だに申し訳なく思う。
そして、その意識が今度は、私に反対意見を言うことをためらわせてしまうわけだ。
かつてはそれを無理やり妨げた方の人間である私が、それを言っていいのだろうかという意識。
また、先述のとおり、反対意見を調整する人間にかかるコストを考えることで、さらに反対意見をためらってしまう。
といった感じで、多数決ではない方法論や調整方法を指導しなかった教師のことを思い出すと、未だに腹がたってしまう。
社会の教師でもあるので、そのような社会的理想を持つのは構わないし、今の私はそれが正しいことだと理解できるわけだが、
その思想の実現によるコストを、特定の生徒に押し付けるべきではなかったと思う。
その結果、自分が反対意見を言おうとすると過去の罪やそのコストを考えてしまい、ためらってしまうようになった、というお話でした。
32歳男性、178cm57kg、独身、童貞、都内一人暮らし。飲まない吸わない賭けない。
高卒(大学中退)、正社員勤続5年、額面年収270万円、残業代なし、ボーナスなし。
異次元の少子化対策などとほざいてるが、適齢期の弱者男性からしてみたら子供どころか結婚などしたくてもできん。婚活に行こうとしても年収で弾かれるし、そもそも自分の生活だけでギリギリ。
転職した頃じーちゃんに「お前今いくらもらってるんだ、30万くらいはあるのか」って言われた時には「まぁそんなもん」って余裕ぶって答えたけど余裕のウソ。それどころか5年経った今も全然変わってない。月30万も貰える奴の顔を見てみたい。人間かよ。火星人じゃねーの?
何年働いても給料は雀の涙みたいな上がり方だし物価はバチクソに上がっていく。権力者どもはスーパーの精肉コーナーでため息つくことあるか?ねーだろ?大学生のとき豚肉100g98円で買えたのは幻かなにかだったのか?俺にとって肉は超高級品なんだよふざけんな死ね!
総裁選で令和の所得倍増計画って聞いたときにはちょっとええやんって思ったよ正直。でも気づいたら金融所得倍増計画になっててクソやんってなったよ。騙しやがってボケが死ね!
Nisa非課税?知るかふざけんな死ね!投資したくてもそんな金なんかねーよボケ!貯金だってロクにできねーのに投資に回す余裕なんかあるか生きてたらそれだけで終わりだわふざけんな死ね!
増税された消費税は社会保障に使われますとか大ウソつくな死ね!今までそうやって法人税と所得税下てきたろふざけんな死ね!昔のほうが社会保障充実してたじゃねーかよふざけんな死ね!昭和はサラリーマンの医療費は窓口負担1割だったらしいし厚生年金も60歳からもらえたらしい。ついでに定期預金にぶっこんでおくだけで勝手に金が増えたらしい。ナメてんのかよ人生イージーモードじゃねーかふざけんなそんなんでよく今の若者はやる気がないとか言えるなジジイ共全員死ね!
働き方改革とかふざけんな死ね!働く時間を縛るんじゃなくて働いただけちゃんと会社に残業代を出させろ!額面で22.5万円で月260時間働いてんだぞ?時給900円やぞ?手取りにしたら時給700円だぞ?ナメてんだろふざけんなよ死ね!
財務省のお偉方はさらに増税でここからむしり取りたいらしい。生きてけんわふざけんな死ね!増税にしか目がない岸○とその他国会議員と官僚は全員手取り18万で1年生活してみろ!そして全員死ね!
電気代死ぬほど値上げしやがってふざけんな死ね!なにが節電チャレンジだふざけんな死ね!インフラを満足に提供できない時点で日本も後進国なんだわ。後進国に支援してんじゃねぇふざけんな死ね!
偉い人いわく増税は国民の責任だそうだ。発言を修正しようがどうしようがテメーがそう思ってるって丸わかりになったんだよふざけんな岸○死ね!俺が中学生の頃社会科の教科書で人口ピラミッド見たぞ?将来の日本はこうなるって書いてあったぞ?国は20年何やってた?2回も消費増税しやがったよな?ふざけんな死ね!金ないやつからさらに金巻き上げる気マンマンじゃねーかふざけんな死ね!
復興税ってなんだよふざけんな死ね!震災とかもう10年以上前やぞ!そもそも復興の資金くらい国債使えよ死ね!震災だから増税するなら少子化だから増税も当然ってか?ふざけんな死ね!
なにが少子化対策だ俺に結婚させる気ねーだろ官僚全員死ね!国会議員全員死ね!日本死ね!
プーチンが核ミサイル発射して日本が滅びたら大喜びしながら一緒に死ねるわ。適齢期で結婚意欲もある人間を放置しやがって、クソ国家ふざけんな死ね!
------------------------------------------
成人してから選挙で投票しなかったことはない。税金高杉って終始ブチギレてたけど同じこと言ってる立民参政れいわ共産みたいなクソ売国政党に入れる気も微塵もなくて正直クソの集合体。
自民党の偉くて頭が固い人たちが消えてもしなにかが変わって生きやすく、結婚しやすく、子育てしやすい日本になったとしてもどうせその頃には俺はジジイだ。
子供の頃は今くらいの歳になったら当然結婚をして親と同じように子供を育てるようになるもんだと思ってた。20代はがむしゃらに働いてきたけど給料なんてろくに増えなかったし、30代になってもまるで20代と変わらない。
今からから親と同じように結婚して家も車も持って子供を2人も育てるなんて宝くじに当たらないと無理だ。何百万分の一とかもう普通に無理ゲーだろ。いつから人生はこんなハードモードになってしまったんだ。
https://i.imgur.com/m4hvhFW.jpg
https://i.imgur.com/ROjYkp7.jpg
・数学一点特化型人材は東工大という日本最上位クラスの国立大学への門戸が開かれているが、国語や社会科科目一点特化型人材につおてはそういうルートがない
・国語が壊滅的な理系でも一流国立大学に進学することは十分に可能だが、数学が壊滅的な文系は絶対に一流国立大学に進学することは叶わない
・センター試験の現代文は東大合格者ですら平均得点率75%であり、難しい年は灘高校ですら平均7割に満たない博打科目であるが、理系は数学で十分リカバリーできる
同じテーマとキーワードを与えて、あなたは社会科の先生ですよ、ってプロンプトを与えたGPT4ちゃんに書いてもらったのがこちら。
第一に、人口減少が進む中で、地方創生におけるテクノロジーの活用が重要となる。地方インフラの維持コストが高騰し、労働力も減少するため、地方自治体はデジタル化やロボット技術を利用して、サービスの効率化や地域活性化を図るべきである。こうした取り組みにより、地方都市の発展が加速し、都市部との格差を縮小する可能性がある。
第二に、労働力の減少に対応するため、柔軟な働き方や多様なキャリアパスの推進が求められる。企業はテレワークやフリーランス、兼業などの働き方を積極的に導入し、労働市場の活性化を図ることが重要である。また、教育機関や政府は、人々が終身学習を通じてスキルを磨き、多様なキャリアを築くことができる環境を整備するべきである。
第三に、高齢化社会において、持続可能なまちづくりが重要となる。例えば、バリアフリー化や地域の交流拠点の整備により、高齢者が活躍できるコミュニティを創出することができる。また、エコシティのコンセプトを取り入れた都市計画により、環境負荷を低減し、地域の資源を活用した持続可能な発展が実現される可能性がある。
これらの取り組みは、人口減少と高齢化が進む中で、社会や経済にポジティブな影響をもたらすことが期待されます。個人や企業は、これらの問題に対処するために革新的なアイデアを生み出し、適切な対策を講じることが重要です。さらに、政府も協力して持続可能な社会を実現するための取り組みを進めるべきです。
日本人ってどうしてこうもアホなんだろう
義務教育を本当に受けてるのか?
社会科目や近代史現代史をかなり軽視してること、人権ではなく道徳(笑)の授業をしてしまうこと、国語の授業も政治を変えたヒーローとか社会問題を解決した話とか差別と戦った法廷のヒロインとかをやらない、平等や政治に関わる社会そのものの話はせずに、
ぼんやりと川で梨を追いかけるカニがぷかぷかしただの、子供が網膜に光の陰影を焼き付けて戦争の悲惨さを説いただの(戦争が起こった原因や宣戦布告もなしの先行攻撃を仕掛けたことや戦争を起こした人や自国の戦争犯罪についての具体的描写はなくノータッチ)
こんな教養レベルでは幼稚園児と同じなんで社会問題について語れる段階にいないんだよな。義務教育が義務教育として必要な役割を果たせていない。
数学ができても社会がわからない。英語を学ばせても結局日本語しか読まない。どころか、帰国子女の英語を「カッコつけてる」「イキってる」って笑い出す始末
相当やばい