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2017-11-21

anond:20171121220339

美味しいのでぜひ。ポイント食卓塩ではなくて旨味のある岩塩を使い、生姜は必ず生の生姜をすりおろすといいです。瓶詰めのではなくて。

2017-11-20

anond:20171120100004

美味しいかどうかというのと、商売になるかどうかというのは、やっぱ別だよね。

旨いのも有るだろうし、そうでないのも有るだろう。

高くても美味しければ、不定期で売れる可能性はある。

でも、毎日食卓に乗るかとなると、このご時世では想像しづらい。

結局、嗜好品みたいになって、たまーに売れる程度になってしまうんだろう。

フランスパンだって、他のパンだって同じだよね。

売れてるのはそこそこ安いパンだと思うよ。

スーパーで20%、30%オフパンなんか良く売れてると思う。

同じような物かもしれないけど、デンマークホテルで食べた、そこそこ硬いパン、美味しかったなー。

2017-11-17

レバー赤ワイン煮・60g小パック

おいしそうなたべものがずいぶん安売りしていたので買う

裏書きに「そのまま食え(加熱すると赤ワインが飛ぶから)」と書いてあったのでそのまま開封して皿に開ける


なにこの墨色の肉汁を被った黒い物体


売れない。これは売れない。税抜48円待ったなし。これ食卓に乗せるなら普通にレバー甘露煮とか買うって絶対

…食べるとわりとおいしい。赤ワインの風味がする。悪くない鶏レバーの味。月収が2万円くらい上がった気がする。しかし汁が黒い


やはり世の中外見が重要なのだなと思う。ちなみにさっき行ってまだ残ってたから3袋買ってきた。タイから輸入品らしいが目を瞑って食べれば気にならないのだ。しかし皿に残った汁が黒い

2017-11-16

童貞だけど子供がいて一緒の家に住んで夜は一巻団欒で食卓を囲む結婚がしたい

2017-10-31

義父は趣味家庭菜園やってて、毎年この時期になると芋とかかぼちゃとか山のように送ってきてたんだ。

ここ数年はもう歳で畑やめるから、今年で最後からってのが続いて、やめるやめる詐欺かよって思ってた。


そしたら去年胃がんになって、本当にやめたらしい。

じゃあもう送ってくるぶん考えて買い控えなくていいな!と、好きな品種の芋を買ったら

わざわざ買ったのを送ってきた。

買ってまで送らなくても…普通に店で同じの買えるんだけど…

しかも分量が相変わらずおかしくて、夫婦2人だけなのに10㎏の芋とか大振りのカボチャ箱に入るだけとか


毎日芋を食卓に並べるのが苦痛になってきた。

ありがたいんだけどね。

ありがたいんだけど、あたしゃ荷物の隙間に無理やり詰めてくる姑さんの炊き込みご飯のほうが楽しみだったんだよ。

どこでも買える小袋のお菓子が隙間に紛れ込んでるのを「わざわざこんなの送らなくても」って言いながら、ああ食べさせたいんだなってニヨニヨたかったんだよ。

義兄がクソで、尻拭いに多くもないだろう老後の蓄え吐き出して心細かっただろうに

わざわざ買ってまで送ってこないでよ。

帰るから!あたしだけでも顔見に帰るから!夫も孫(息子)も連れてけないけど、あたしが顔見たいんだよ。


ほんとに道悪くなる前に帰ろう。

2017-10-27

サザエさん食卓って

京大卒で商社勤めの波平と、早稲田体育会野球部出身商社勤めのノリスケ大黒柱となって、一軒家を持ち、東芝家電を買うのが幸せ、っていう資本主義象徴みたいなもんだぞ。

極めて個人的事情申し訳ないけど

人生に飽きてきたから死のうか政治家になろうか迷ってる

俺の希望適当アパートの扉ひらいたら

9割の確率リアルサザエさん食卓があればいいな、というのが希望

かい食卓を復活させるのが希望

あれにはおよそ凡人の幸福すべてが詰まってる

間違いなくあれを持たないやつが老若男女問わず無数に日本にあって

俺みたいに割り切れないのに諦めきれない孤独なやつが恐らくこのまま救われることな死ぬんだろう

からそいつの代わりに俺がそいつに温かい食卓を作る

俺はそれを想像するだけで楽しくなってきた

あとそいつから褒められたい

俺ならお前らが日々幸せに生きて死ぬことに対して心から祈ることができる

お前らが家族と温かい食卓を作り、満足してベッドで寝れる社会を作れる

2017-10-22

anond:20171022103155

約3年で離婚した原因は、妻に課した亭主関白すぎるルール

起床時にコップ1杯ずつの水と白湯食卓ドレッシングを7本用意することや

シャワー中にバスタオル洋服を準備し、帰宅したらお風呂の温度を

45度に保っておくことなど細かく指示し、

それを妻ができないと「『ふざけんな、オラッ!!』と激怒していた」と振り返った。

・・・アホすぎる。

やっぱ、金や名声目当てで近づく女がごまんといるんじゃね?

2017-10-17

義理家族気持ち悪い

基本的には普通の人たちだと思うんだけど、義理兄弟の1人が本当に無理で、徐々にその兄弟を受け入れている全員が苦手になってきてしまった。

その兄弟子供に関わる仕事をしてる人なんだけど、「子供が間違ったこと言うから泣かせてやった」とか、さも武勇伝のように食卓で話すんだよね。私だけドン引きで、みんなそれを笑ってるわけですよ。

それで、本人のいないところで「あいつは口は悪いけど実は優しい」とか話してる。その不良が雨の日子犬説みたいなのもドン引きですよ。

そんな義兄弟若い結婚した奥さんと離婚して、その話聞いた時から「これは乗り換えフラグ」と思ってたら、案の定一回り以上下若い嫁と再婚してさらドン引きしか職務出会相手。そんな直感当たらないで欲しかったと思う今日この頃

2017-10-08

自分子供のころ親や親戚に言われて嫌だったこ

子供の頃、どうしてもタコやイカの食感が苦手で、食卓に出ていたとしても手をつけていなかった。

その様子を見た大人

「こーんなにおいしい物を食べれないなんてあんたはかわいそ~!」

と言って私の嫌いな物を目の前でパクパク食べるのがとても嫌いだった。

今は結婚もし、自立して親と食事をする機会など殆どいから言われなくなったけど、今思い出してもやはり嫌いだ。

非常にしょうもないマウントを取られていたなと思う。たしかにおいしいのかもしれないけど、なんで食べれないから食べないことをああも上から目線で哀れまなければならなかったんだろう。

何より怖いのが、嫌だと思ってたはずの自分も人にそれを言ってしまいそうになること。

旦那食事をしているとき、偏食な彼に嫌味を言いたくなる気持ちを抑えて小さいころに食べれないものを食べられないのをかわいそうだと言われたことがあるのか聞いてみたら、彼はないそうだ。

こういう小さな歪みが、自分の育ちの悪さを物語る。本当に恥ずかしい。私は自分で気付けたからいいけれど、この手の小さな歪みを気づかずに抱えて生きてる人はたくさんいると思う。自分のふとしたセリフ価値観にこそそれは潜む。

自分のされて嫌なこと、言われて嫌だったことはたまにこうやって反芻すると色々な気付きがある。この感情無駄じゃない。

いつか子供ができたら、私は子供にこんな概念は与えないようにしたい。

2017-10-02

食事中の耳掃除

どんな事情があってもやっぱりうわあっておもっちゃう。文脈判断しかできないけど、食卓でいきなり耳掃除なんかされたら、病気や体質なのは気の毒だとおもうけども食事中目の前でやられたらそれ以上なにも食えなくなるかな。。。

席立って見えないところか、せめて食卓でないところ、食事をしないところでしてほしいとおもう僕は人でなしですかね?

近くにそんなひといないか想像もつかないし、耳から水が出て食事もままならない人がいるという予備知識がついてもファミレスとかで耳掃除しながらご飯食べてる人いたらちょっと不快なっちゃうかも。

2017-09-20

ご飯を食べる夫の写真

例のインスタ、幸せ象徴としての食卓風景を見せつけたい元カレ元カノなど過去の暗部があるんだろうなと思ってしまう私の心は汚れている。

2017-09-17

頼むからMSN産経ニュース

頼むからMSN産経ニュースを読んで在日朝鮮玉入れはくだらなくてあきれるばかりだなどという話を食卓で始めないでくれ

日本を牛耳るアベの陰謀で何もかもめちゃくちゃになってしまいお友達けが忖度で儲けているのだなどという話もやめてくれ

2017-09-16

父を愛することが出来ない

 父は貧しい個人商店長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。

 専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。

 理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。


 子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である

 私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。

 その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。

 子供にも音楽やらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。

 そう、理解はしている。理解はしているのだが。


 家族食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である

 テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。

 そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらオヤジギャグ飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。

 そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である

 体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピング無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。

 酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。

 私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動アルバイトで、なかなか帰って来なくなった。

 父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。

「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」

 何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間宿題をやった。


 父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能けが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。

 立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう

 きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。

 分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分失望する。


 食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。

 だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。

 父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。

 そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払い視覚インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らし正気を保っていられるのだろう。

 こんなことは誰にも言えないから、ここに書く。

 私には、父を愛することが出来ない。

2017-09-08

外道の歌だか善悪クズだかどっちだったかは忘れたけど、

~できないねえのグラサン過去話でちょっとカルチャーショック受けたことがあった

グラサンの妻が夜料理するのめんどいってことで冷食ですませようとしてたシーンで、弁当に入れる用の小さなコロッケの冷食を出してて、

弁当でなく冷食ですませるときにも食うもんなんだというカルチャーショック

弁当以外でたべちゃいかん法はないけど、あんなちっこいおかずを家でのメイン主食にするってのがどうもなあと思った

と、同時に、冷たい熱帯魚の冒頭で冷食をばんばん買い物かごに入れて、家では冷食チンしまくって、でも一応ごはんは茶碗にうつして、暗い食卓で3人でかちゃかちゃメシ食ってたのも思い出した

冷食ですませようとすると、調理の手間はないけどめっちゃお金かかるよなあと思ったシーン

2017-09-07

anond:20170907110349

自発的食事しに帰ることもたまにはあるんですが、いつもそうしてくれるわけでもないので。

まだ子供なので遊びたい盛りなんだと思います

成鳥になったら、食卓が賑やかになったら自発的に帰るとか、飼い主が着替え始めたら放鳥終了を悟ったりとか、覚えてくれるといいなぁ。

2017-09-04

あの時逃げてよかった

高校一年生の4月半ばにして私は学校へ通えなくなった。

いじめられていたわけでもハブられていたわけでもない。

家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。

食卓をひっくり返されることは日常茶飯事だった。

母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。

そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。

家庭では自然自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。

中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。

同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)

そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。

大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。

次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。

もう無理だった。

当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。

カウンセラー先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。

行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。

「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。

そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。

1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。

働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。

どう見られているかはあまり気にしないようにした。

誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。

あるとき学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。

精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。

大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。

なんやかんやで、就職もしたし、今では結婚して子供もできた。

今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。

大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。

一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本学校制度であり、高校ドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。

希死念慮自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。

当時は大人になって社会人になる自分なんて全く描けなかった。

カウンセラー先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。

この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?

追記

確かに最後の一文は余計だった。実に創作っぽく見える。

安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。

家庭環境や復学以降の流れは冗長なので省略した。

もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。

復学初日自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。

クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。

女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。

1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。

母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。

何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。

逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的もので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。

少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。

とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。

でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。

優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。

ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。

私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。

昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。

2017-09-01

きょうのうちの猫

ウンコハイが過ぎて食卓の上に飛び乗って叱られてムニャムニャ言っていた

ウンコはいつもどおりすばらしいカリントウ

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-25

私は大人気ないのだろうか

いや……実際、大人気ないのかもしれない。しかし、私は黙っていられなかったのだ。

遅くまでの仕事を終え、深夜のスーパーで買い物。ふと目に入ったのが、生さんまが二尾入ったパックだった。さんまと言えば佐藤春夫の『秋刀魚の歌』。

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。

さんまさんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いか
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんまさんま
さんまいか塩つぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし

さんまいか塩つぱいか……と呟きながら、私はそれを籠に入れた。帰宅して、塩焼の腸の苦味を味わう、その楽しさで頭が一杯になっていたのだ。

帰宅して、妻に買い物袋を渡し、私は溜めてしまっていた自分洗濯物(我が家では自分洗濯物は自分で洗うことになっている)を洗濯機に放り込んでいた。この手の食材は、普段自分料理するのだけど、今日は疲労も手伝って、ついつい妻に任せた。これがいけなかったのだ。

手が空いて、台所のガスグリルを覗いてみると、腹のところが不自然に身が割れている。あれ、こんなに鮮度が悪かったのかな……と、それ以外のことは何も考えなかった。それを皿に載せて妻が持ってきて、遅い夕食を食べようと、ふと皿の上の秋刀魚を見て、私は驚愕した。腹の中が空洞になっている!

「……これ、腸、取ったのか?」

「取ったよ」

わず大声が出てしまった。

「はぁ?何考えてるんだ!佐藤春夫の『秋刀魚の歌』も知らないのか?『さんまいか塩つぱいか』だろう?何てことをしてくれるんだ!」

最初は「は?何言ってるの?」と笑っていた妻も、私の落胆した顔を見て、自分のしたことの意味をようやく悟ったらしい。二、三度「ごめんなさい」と言ったが、それに私は返事もしなかった。いや、できなかったのだ。あの腸の苦味に、一日の疲れを癒そうと思っていた、その糸を、笑い顔でぶつりと切られてしまったその哀しみに……

無言の食卓が終わり、妻はトイレに籠ってべそをかいている。私はと言えば、ただただ疲労感に浸って、声も出ずにげんなりしていた。庶民ささやかな楽しみだったんだけど…

こんな私は傲慢なのだろうか?理不尽なのだろうか?私が悪いのだろうか?どうすれば、妻にこの哀しみを理解してもらえるのだろうか。

【後記】ちなみにこれは文学的試行かいものではなく、ただただ頭から尻尾まで実話です。つい2時間程前にあったことをそのまま書いただけ。

2017-08-24

https://anond.hatelabo.jp/20170823132510

すごく分かる。

俺はご飯とおかずのバランスなんて考えて食べていない(ご飯単体で食べれるから)けど、

おかずに対してご飯の量が少なかったりすると「バランスおかしくない?」「失敗してない?」って言われることあるわ。

聞くと「ご飯だけとか食べれないでしょw」とか言われる。

多くの人にとって食卓のご飯が罰ゲームみたいなもんだと考えると悲しいな。

2017-08-17

偏食について

自分は偏食が激しい。

詳しくは書かないが一般的料理によく使われるような食材でも食べられないものが多い。

「食べられない」というのは飲み込もうとするとえずく、最悪後で吐いてしまレベルの「食べられない」だ。

特にアレルギー等といった診断は受けていないが、幼少期からずっとそう。

よく子供好き嫌いは親の躾けが悪いという意見も聞くが、

別段甘やかされたとも厳しくされたとも思っていない。

母親料理が好きだったので食卓に並ぶ食材レパートリー豊富だったし、

基本的料理を残すのはやはりNGだったので嫌いな食材があっても頑張って食べていた。

ただ、母親の方も嫌々食べているのを見るのは辛かったらしく、

中学に上がる頃には自分の分の食事から特定食材だけ予め抜かれるようになった。

この時点で頑張って苦手なものを食べ続けることを辞めなければ、

今では好き嫌いのない立派な大人になれていたのだろうか。

ちなみに離乳食の段階で色々なものを食べさせるのが重要という説もあるが

現在苦手な食材離乳食でもよく食べさせられていたらしい。

そういうわけで、どうも理由が分からないまま

結構な偏食家として大人になってしまった。

料理を残したり、選り好みすることが人を不快にさせるのは

理解しているので、極力他人との食事は避けているし、

苦手な食べ物を人に教えることはあまりしない。

ある時は「頑張って克服しよう」と言われ、

どうにか数ヶ月ほど食べ続けたこともあったが、全く克服出来なかったので諦めた。


色々と思い悩んでいたんだけど、最近になって、食事好き嫌いってそこまで悪いことなんだろうか?と思う。

よく偏食の人間に対する意見として「わがまま」というのがある。

食事にありつけるのは有り難いことであるという前提がまずあって、

それを蔑ろにしているから「わがまま」なんだろう。

自分も流石に飢餓状態であれば目の前にあるのが苦手な食材であっても迷わず齧りつくと思う。

こういう都合の良さが「わがまま」なんだろうということは、理解できる。

要するに、食物に対する不誠実さ。感謝の足りなさ。

その前提を理解した上で、これは現代社会に対して、

食べ物がいつでも手に入る恵まれ環境で育った生っちょろい贅沢な若者意見だけど、

味覚って、視力とか、嗅覚とか、聴力に並ぶほど千差万別もので、

しか眼鏡みたいに矯正する術がほとんどない。

目が悪くても、耳が悪くても「親の教育が悪い」という人は偏食に比べたらあまりいないだろう。

(たまにいるんだろうけど)

味覚に関することだけ、家庭環境否定人格否定が当たり前になってくるの、結構辛いと思う。

好き嫌いのない人が羨ましい。


余談だけど、偏食の人間が疎まれ理由として、

人が美味しいと思っているものに対して平気で

「それ嫌い」「よく食べられるね」という言葉を投げつける人が

結構いるっていうのもあると思う。

自分たちの首を絞めているから、やめような!!

2017-08-13

古民家の台所

今日、某所に保存されている古民家を見てきた。

それは明治時代に建てられた養蚕農家の家で、普通農家の様にだだっ広い土間があるだけでなく、蚕を飼う為の二階部分があるのが特徴だ。

親戚の家が元養蚕農家なので、あの特徴的な外観の二階建の家は見慣れているが、これほどまでに古めかしい間取りの家を見たのは初めてだった。なんたって、玄関入ってすぐ右手が厩になっている。一つ屋根の下に家畜の住処があるなんて。

それ以上に目を引かれたのは、玄関から一番奥にある台所だった。

家の奥の壁に面している流し台の手前には竈があり、その前には囲炉裏があって、更にその前には大きな火鉢があった。つまり今で言うところのダイニングルーム・リビングキッチンが隣接しているというか、むしろほぼ一体化している。洗い物をする際は囲炉裏に背を向ける事になるが、煮炊きをしている間は囲炉裏ばたに居る人達と対面で話が出来る。そういう造りだった。

もし、囲炉裏ばたでご飯を食べている最中に喉が渇いたとしたら、三和土に降りて数歩で水道だ(古民家なのに何故か流しにはごく普通水道が引かれている)。あるいは台所で作業している誰かに「お水ちょうだい」といえば、はいよっとすぐにお水をくれるだろう。

私は、日本式の台所といえばもっと孤独場所、隔絶された、上は熱気がこもっていても足元は寒々しい様な場所と思い込んでいたから、あの古民家の台所の、玄関から囲炉裏にかけての大きな空間にきちんと溶け込み存在している感じを、とても意外に思ったのだ。

それで、これまでに私が見た事のある古い家の台所の様子を思い出してみた。父の実家、母の生家、祖母の生家、祖母の友人の家、夫の祖父の家。

どこも家の一番奥に台所はあって、そこは茶の間に近いもの廊下や戸で隔てられていて暗い。玄関からは覗く事が出来ない隠された場所だった。

それらで一番印象的だったのは祖母の友人の家の台所だった。

私はまだ5歳位の頃に、祖母に連れられてそのお宅へお邪魔した。祖母の友人が私たちを通したのは客間でも茶の間でもなく台所だった。

当時祖母の友人宅は増築をしたばかりで、ついでに台所もリフォームしたらしい。新しいシンクガスコンロにピカピカのナイロンの床。暗い奥まった所から戸を開けたら別世界のような暖かい光の溢れるキッチンに入るのである

広い台所の中央には作業用のテーブルはあっても食卓は無かった。その代わり、部屋の片隅にはなんと炬燵があった。私達はその炬燵に入ってお茶お菓子いただきながらおしゃべりをしたのだった。

祖母祖母の友人がおしゃべりを楽しんでいる間、お嫁さんが忙しそうに夕飯の支度をしていた。立ち仕事をするお嫁さんの足元にはファンヒーター。お嫁さんは一段落つくと炬燵に入って来た。

要はその台所は、古い家制度下において最上級の厚待遇で設えた女の園的な場所になっていたということ。家の他の部分とは隔絶された異世界なのには違いない。そこを使っていた主婦はそこを自分支配する城の様に思えたかもしれないが、自由は無い。

一方、明治時代に建てられた例の古民家のやけに開かれた台所で仕事をしていた人は一体どの様な思いで日々を暮らしていたのだろうか?非常に興味深いことだ。

年寄りの話によれば、養蚕農家の嫁というのは朝から晩まで蚕の世話にと酷くこき使われ、妊娠中でもろくに休みを与えられず、出産後はほんの数日で子供を取り上げられ働かされたものだという。

あいった開放的な台所で立ち働く人を、家族はそんなにも虐げる事が出来たものなのだろうか?それとも案外嫁は台所に立たずにどっか隅の方にでも追いやられていたのだろうか?

或いは古民家の建てられた時代女性は案外昭和現在よりまともに扱われていたのだろうか?

そんな事を考えた。

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