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はてなキーワード: 僥倖とは

2024-07-25

anond:20240724223646

クズ野郎に行く人から恋愛対象として違和感持たれる増田は、本物のいい男なんだろうな、おめでとう

告白されたから俺の方が立場が上」みたいな傲慢さが感じられず、ただ僥倖への驚きと感謝に満ちた文章から善性が伝わってくる

 

クズ男に行く人については増田問題ではないんよ

家族や初彼氏などからモラハラDV受け続けてバグった個体で、経験則からの単なる反応にすぎない

 

振られ続けてたってことは、好きになった人と向き合って異性慣れしてたってことだし

まともな身だしなみは、それが自分の「普通」になり周りもそう認識して初めて威力を発揮する

どっちもチャンスを掴むための準備として機能してる

無駄ことなんて一つもないよ、よかったな

2024-07-06

きのう、近所のスーパー牛タン1本まるごと4000円が割引で半額2000円になっていた。

インフレで何もかもが高くなる中でこれは僥倖と、迷うことなく買ってしまった。

タン元は分厚く切ってステーキに、タン先は薄く切って焼肉に。

2024-06-19

人生失敗したので

ここから起こる悪いことは当然のこと

ここから起こるいいことは僥倖

覚悟が決まるとはこういうことか

2024-06-16

anond:20240616065334

まあそれが普通の反応だと思う。

けれどもこの手の傷を心に持ってる人っていうのは一生ひきずるものだし、本人にもそれはどうしようもないことだろうから、そういう人と生涯一緒にいるってことはその傷もある程度一緒に背負う覚悟をしなきゃなんないってことで、いい試金石ならぬ試金骨だったんじゃないかと思う。

元増田はこれからしまた立ち直って婚活するときも、もしその骨を捨てることがどうしてもできないなら相手に偽らずその骨の経緯を話すべきだと思う。

その上でその覚悟をしてくれる人が見つかったならそれは僥倖なのではなかろうか。

2024-06-15

anond:20240615080014

弱者はお化粧したら強者になれるのかな…?

だとしたらそれは僥倖

2024-06-10

ウクライナイスラエルなどのブルマーオーストラリアタブー

以前見つけたヤフー知恵袋の、海外ブルマー画像google画像検索した。すると、興味深いサイトがいくつかヒットしたので共有したい。

ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566

ウクライナブルマー

https://viknaodessa.od.ua/old-photo/?kholodnaya_balka

同じキリル文字を使っているせいで、ウクライナ語で検索してもロシアサイトがヒットしてしまっていたので、ウクライナブルマーが見つかったのは僥倖だった。サイトのかなり下に画像がある。

キャプションは次の通り。

Детям нравятся игры с мячом. Фото И.С. Карпа в проспекте «Республиканский детский клинический санаторий им. Октябрьской революции», 1983 г.

子供たちはボール遊びが好きです。写真提供:I.S.大通りの鯉「共和党小児臨床療養所にちなんで名付けられた」 10月革命」、1983年

ハンガリーブルマー

https://lorincimagazin.blog.hu/2012/12/09/lorinci_fono_kistext_noi_kezilabda_merkozes

ロリンチ・フォノなる人物が、キューバから季節労働者を含めた女性に働く場所提供したらしい。そこのハンドボールチームがブルマー姿だ。8mmカメラなのが懐かしい。

そういえば以前に書いたようにオランダのチームもブルマだった。

動画単体はこちら。

ttps://www.youtube.com/watch?v=7x2D5crktPw&ab_channel=lorincimagazin

ポーランドの提灯ブルマー

https://www.edziecko.pl/rodzice/7,79318,30001614,wakacje-na-trzepaku-bez-animacji-bez-doroslych-bez-planu.html

「Wakacje w PRL-u. Gry zespołowe fot: Narodowe Archiwum Cyfrowe」つまりポーランド人民共和国の祝日。チームの試合 写真: National Digital Archives」らしい。

ドイツハンドボールブルマー

https://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html

今までドイツ学生ブルマーについてしか見てこなかった。

そして、学校バレーボールだけでなく、ハンドボールでもブルマーが、ヨーロッパの広い地域採用されていたのだとわかった。

チェコフェイスブック

https://www.facebook.com/watch/?v=1873354096289837

ブルマーが映っている動画デパートで実際に購入されているシーンを含んでいる。

To nejlepší pro školákyという文字が出てくる。「小学生にとってはそれが一番」という意味らしい。ということは、大きくなったらブルマー卒業するんだろうか? 例えばスパルタキアダみたいにレオタードに着替えるとか?

https://www.facebook.com/Socialismus/posts/%C5%A1koln%C3%AD-t%C4%9Blocvik-/4902732136491410/

こちらのフェイスブック画像もある。

オーストラリア日本人学校

https://recordsearch.naa.gov.au/SearchNRetrieve/Interface/DetailsReports/ItemDetail.aspx?Barcode=11737872&isAv=N

View digital copyをクリックするとみられる。日本国外紅白帽子を見かけると妙に感慨深いものがある。確かにイギリス日本人の稚園でも色付きの帽子を見た記憶があるのだが、僕の記憶はいい加減なので確信は持てない。1988年画像だ。オーストラリア人もブルマーはいていたのね。ウィキペディアシンガポール日本人学校でのブルマーと比べて、海外事情という意味で、興味深く思う。

ところで、このサイトでは、

Aboriginal and Torres Strait Islander people should be aware that this website and the archival collection may contain images, voices or names of deceased persons in photographs, film, audio recordings or printed material.

まり、死者の情報が載っていると先住民注意喚起している。上橋菜穂子が「隣のアボリジニ」で、オーストラリア先住民には、亡くなった人の名前を呼ばないとか、いろいろと死に対する独特のタブーがあると書いていた覚えがあるのだろうが、それに関係しているんだろうか?

ソ連レオタード

https://jp.rbth.com/lifestyle/85065-soren-jidai-syouchou-suru-syashin-30

体操選手の子どもたち」のところでは、以前アメリカで書いたロンパースーツ(anond:20221110080036)やレオタードに似た衣装が紹介されている。

イスラエルブルマ

https://gpophotoeng.gov.il/fotoweb/Grid.fwx?search=physical%20education#Preview19

ブルマービーチバレー

ttps://www.pinterest.jp/pin/811703532824057386/

ピンタレストなので詳細は不明

以上。

2024-06-08

国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-06-06

ウチの塩対応黒猫(今年の4月で13歳。震災の地より避難してきたご家庭の飼い猫より生まれし5きょうだいの内の一匹)

抱っこされるの大嫌い

とんとん大好き

夜中の3時に「ちゅ~るくれ」と云って私の足元に居座る

そんな子が今何故か、私の腰と背中の巨大ビーズクッションに挟まった状態で寝ている

こんなことしたことないのに

いつも私の足元に居座りディスプレイを眺め続ける私の太ももトントンしたり、なんなら爪を立てたりしていたのは

「ちゅ~るくれ」ではなく、「椅子の上に上げろ」という要求だったのか

※決して「膝に乗せろ」という要求ではない。本当に抱っことかが嫌いな猫なのだ。勿論膝に乗ってくるなんてことも無い

「人にくっつきたいけど、地肌に触れるのが嫌」という高度な要求だろうか?

何にせよ、愛猫に布越しにでも「くっつきたい」と思われているなら僥倖である

2024-05-24

anond:20240524112933

仮に生涯支払う住宅費が賃貸の方が1000万安く済むとしても

家賃インフレは1.2%らしいか1%計算したとて50年くらい住むなら1700万近くの増額になるぞ

それこそ物価全体のインフレもっと高いだろうから、本当に1.2%でとどまってくれるなら実質的には値下がりしてるよ。実質賃金が上がらないと言われるアベノミクス以降でさえ、労働単価は実質でプラスなんだから、長期的に物価を下回る家賃上昇なんて賃貸派には僥倖

2024-05-15

anond:20240512152055

20年前から同人やってるっていう割に、界隈のことを何も知らんのな。大手や壁のスペースにはレイヤーの売り子の一人や二人はいるのが普通光景でしょ

俺はもう同人活動から引退してるし、コロナ以降はイベントにも出てないから最新情報は知らんけど、少なくとも俺がバリバリやってた10年前でもそれは普通光景だったはず

で、イケメンには「お前の人生にはアニメ漫画なんて必要ねーだろ」だって? 勝手に決めつけるんじゃねーよ

アニメ漫画社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ」だって? これまた勝手に決めつけてるんじゃねーよ

ウザいだろうが少し自分語りさせてもらおう。俺は子供の頃からスポーツも好きだったけど、同じぐらいアニメマンガゲームが好きだった。DB星矢勇者シリーズガンダムカプコンSNK格ゲーFF、どれも大好きだった

そしてこう言っちゃなんだが、足も速くて顔もイケメンとまではいかないがまずまずで、コミュ力も高かった俺はまぁまぁ女子からモテてた。妹もいたか女子の扱いには慣れてたってのもあるだろう

そんなある日、当時大学生だった従兄弟が、たぶんふざけて俺に見せてきたものがある。従兄弟は俺にとってのオタク趣味の先輩、先生みたいなところがあって、それまでにも俺の知らない世界をいろいろと教えてくれたのだが、この時はレベルが違った

その日、従兄弟が俺に見せてきたのは「エロ同人誌」だった

それはセラムン薄い本だったのだけど、俺はめちゃくちゃな衝撃を受けた。もちろんエロ本ぐらいは見たことはあったが、「アニメキャラクターエロいことをする」というエロ同人には度肝を抜かれた。こんなもの存在するのか、存在していいのか。いったい誰がこんなのを描いたのか、などなど、混乱しながらも目が離せなかったのを覚えている

さすがに従兄弟もそれ以上は見せてくれなかったし、詳しいことも教えてくれなかった。が、その日俺は知ってしまった。エロ同人誌というもの存在

そこから俺は自力で調べて、エロ同人についてある程度の知識を得た。だいたいは捨ててあったエロ漫画雑誌からだが、そこでエロ同人通販というもの存在することも知った。コミケイベントに行っても良かったのだろうが、さすがに小学生には売ってはくれないだろうと諦めかけていた矢先に、通販という手段を知れたのは僥倖だった。通販なら顔も年齢も知られる恐れがないからだ

そして同人サークルと直接やり取りをするのではなく、とらやメロンのような会社の先駆けとも言うべき存在の「LLパレス」という店があることも知った。カタログを取り寄せてみると、そこにはまさに目くるめく広がるエロ同人パラダイスがあった

さっそくお年玉を取り崩して為替に変え、何冊かを注文してLパレに送る。一週間ほどしてからだっただろうか、送られてきたセラムンナコルルエロ同人誌に俺の興奮はMAXに達した。本当に送られてくるまで、実はまだ詐欺可能性も考えていたからだ。だがエロ同人誌は実在したのだ。ラピュタ本当にあったんだ!

そこから俺は小遣いやお年玉をやりくりして、Lパレからエロ同人を買い求め続けた。一方で俺はこんなことを友人にも話したりはしなかった。もうすぐ中学生とはいえ、こんな本を持っているなどバレたら何を言われるか分かったもんではないからだ。学校ではクラスの良きリーダーとして振る舞い、勉強にも習い事もしっかりやっていた。そしてそれは中学生になっても同じだった

しかしある日、その平穏が破られた。母親エロ同人存在がバレたのだ。

俺の愛したエロ同人誌はすべて捨てられた。いちおうこんな事もあろうかと、多少の対策はしてあったのだが、それも無駄だった。俺は絶望した

だが、同時に俺はあることに思い至った。「だったら自分で描いたらいいのでは?」と

自分で描ければ、仮に捨てられてもまた描けばいいだけだ。ノートに描けば、まさかそこにエロマンガが描かれてあるなど親の想像埒外だろう。これも捨てられる可能性を低くする

そう思いついた俺はそこからひたすら絵を練習することにした。ジャンプ系は親の監視が緩く、あっても不自然ではないため、ぬ~べ~桂正和先生マンガを参考に美少女練習した。拾ってきたエロマンガキャラ身体トレスして、顔だけ自分の描いた綾波にするとかした。そして俺は決心した。将来、俺はエロ同人作家になろう、と

高校への進学は、オナニー猿だった割には上等なところに入り込めた。何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。そしてこの頃から俺はコミケイベントに実際に行くようになった。しか未成年だとバレたら売ってくれないという不安、下手をしたら通報されるのではないかとさえ恐れていた。なので、俺はまぁまぁの外面をさらに磨くことにした。具体的に言うと「大人っぽくみせる服装」や身だしなみ、髪型や振る舞い、口調を意識するようになった

声変わりはしていたものの、さらに低く、大人っぽくしゃべる。僕とは言わない。私という。それまでも続けていた(親にやらされていた)習い事というのはある武道なのだけど、大人っぽい体格を目指して、絵の練習の合間に筋トレなどもするようにした。顔だけはどうにもならなかったので、イベントではサングラスを常に付けていた

もっとも、こんな微笑ましい努力など、当時のサークル関係者の皆様方にはバレバレで、「色気づいたガキがまた来たよwww でも可哀想から売ってやるかwww」と思われていたかもしれないが(後に自分がその立場になったから分かるのだ)、通報されることなく3年間を無事に乗り切った。そして余談ながら、こうした俺の偽装効果クラス女子にも及んだ。いや、クラスだけではなく部活や別学年の女子にもだった

そしていよいよ大学入試が迫ってきた。大学に入りさえすれば、ついにエロ同人作家としてデビューできる。それだけを信じて、嫌だった勉強も嫌々ながらにエロ絵の練習の合間に頑張った。おかげでまずまずの大学に入ることに成功した。親を納得させるために、ある程度の知名度があり、偏差値もまぁまぁの私立大学だ。実家から微妙距離で、状況次第では一人暮らしも許されるかも知れない。そんな大学だった

大学入学した俺は、せっかくなのでマンガ部とかアニメ部とかそういうのに入ろうと思っていた。中学高校と違って、ここでは昔の俺を知る人はほとんどいない(いちおう一人だけ同じ高校出身はいた)ので、外面を気にする必要はない。学友とオタク話に花を咲かせるというのも夢だったのだ。なんならいわゆるキモオタ的な振る舞いや言動を共有し実行したい。「デュフフ」とか「拙者は~ござるよ!」とか言い合いたい。そんな風にも思ってたのだ

そして俺はマンガ部の門を自分から叩いた。アニメ部(アニ研)も行ってみたのだが、そこはやはり批評とか分析が主で、絵を描く人はほとんどいなかったので、これは違うな、と感じてしまった。俺はアニメマンガは当然好きだが、分析とかはあまり興味がなかったのだ

エロ同人部というのがあればベストだったのだが、残念ながらそんなものがあるはずもなく、エロとは言えマンガを描こうとしている自分には、まだマンガ部の方が合っているのではないか。そう思って俺はマンガ部の門を叩いた

すみません。続きます。。。

2024-05-11

自称同人女釣り増田が下手すぎるから書き直してやる

アホ女のお気持ちってのはこう書くんだよヘタクソ
手本見せてやる

↓↓↓↓

女性同人イベント男性が参加していいか問題燃えている。どうやら、とあるジャンルで、薄い本頒布していた男性サークル主に、性別理由とした毒マロが投げ込まれたようだ。

はてブでもXったーでも侃侃諤諤の様相。見たところ、毒マロを送ったオタクの方を非難する意見が、大多数のようだった。

しかし。私は同人女の末席を汚す者として、あえて声を上げたい。例のマロには一理ある、と。

まず、BLとは何か――まぐわいである。男と男の。腐女子たちはみな、推し推しがイチャコラする姿を日夜創作し、楽しんでいる。

趣味を同じくするコミュニティの中で、男同士のどぎついエロ妄想を交換し合う。いわば、女子男子校女子校に非ず)の世界なのである女性自我解放できるユートピアなのだ

そんな中に、男性が踏み込んできたら何が起こるか、想像してみてほしい。

誰もが無意識に、萎縮して言動セーブしてしまう。素性の知れない異性の前で躊躇なく下ネタを言える女性は、そう多くない。

そうすると何が起こるか。

界隈の縮小だ。呼び水のように第二第三の男性が流入する可能性も高まる。そうなれば、気まずさからそっとジャンル離脱する女性が増え、加速度的に過疎化が進むだろう。

男性が次々に自ジャンル創作を始めたら、居場所を奪われた同人女は、どこに行けばいいというのだろうか?

女性の多くは、何らかの性被害経験している。かくいう私も、過去トラウマから好意のない男性自分の性欲や性癖を開示することに強い抵抗がある。逆に、男性リビドーのようなものを少しでも感じると、ドキッとして無意識に身構えてしまう。

想像してしまう”のである

できれば、女性イベントという不文律がある場に、男性が仲間として参加するのは控えてほしい、というのが本音だ。

女性専用車両は実際には女性以外も乗れるが、だからと言って男性が堂々と乗り込んできたら、どうだろうか? モヤモヤしながら席を立って離れる女性がいるのは、想像に難くないだろう。

ジャンルがそんな空気になるのは、私なら御免被りたい。申し訳ないけど。

この件について、マロ主を責める大手が目立つせいで、私のような弱小オタク意見表明の場を奪われていると感じる。できるのは匿名の場で声を上げることだけだが、少しでも同じ意見オタクの元に届けられれば僥倖だ。

男性拒否りたい自分おかしいのか、なんて自責の念かられなくてもいい。なにせ多様性()時代なのだから


抑圧された声が尊重される時代になりますように。


anond:20240510142012

2024-04-25

なろう読んで苦節十五年、やっと「そのキャラさえ出んかったらなぁ…」という感情を得られる作品に出逢えたのは僥倖なのかなんなのか🤔

きってほかの話にするのもめんどいしどうしょうかな…

2024-03-14

我が子のいじめ

去年、娘が学校友達いじめているらしいという話を聞いた。

まさかと思いつつ、本人に尋ねる前に周りから話を聞いて確認することにした。

相手は元々仲の良かった女の子で、いじめの内容はいわゆる「仲間はずれ」だった。

露骨無視や加害はしていないが、昼休み放課後の遊びに誘わないだとか、授業でグループ分けをするときメンバーに誘わない、といったような内容だった。

親の私自身、小中学生の頃に似たような経験をした。仲間はずれされたのも、したのも、どちらも経験がある。当時はそれを「いじめ」とまでは認識していなかったが、今の基準ではそうなのだろう。

当時のことはあまりはっきりとは覚えていないが、そういった経験を経て、合う友達と合わない友達区別がついていったような覚えがある。

しかし勿論仲間はずれをするのは肯定するつもりはないし、親としてもそれがエスカレートして激しいいじめになってしまう前に芽を摘んでおきたい。

でも、そりが合わないと感じるクラスメイトまでも無理やり友達として仲良くし続ける必要があるのだろうかとも思ってしま自分もいる。特に最初は接点がなくても席順が近い子と仲良くなるものだし、そこから親友になることもあればフェードアウトするように離れていくこともある。

どうしたものかと思いつつ、当時は6月下旬とかだったので2学期にも同じような状態のようだったら介入しようかなと考えていた。

そしてこれは本当に幸いなことに、夏休み明けにクラス転校生がやってきて、その子が大変な人格者だったようで、その子を中心にクラスがまとまったらしく親の出る幕はないまま終わった。

まさに僥倖という感じで落ち着いたのだが、転校生が来なかったら私はどうすべきだったんだろうな。

2024-02-24

anond:20240224001540

おお、僥倖

喜んでもらえて何より

E500でしか癒せない苦しみもある

よき声とよき物語との出会いますますからんことを。

2024-02-19

anond:20240218194552

そんな僥倖に頼っている時点でダメダメじゃん。そういうたまたまラッキーな状況がいつまでも続くとでも思ってるのか?

2024-01-11

anond:20240111020713

この手の話題になると決まって相手をその属性だと決めつける人が多いけど、

ワイはどちらかというと優生思想に染まった勝ち組東京地主リーマンなので

関東大震災が起きて東京沈没にでもならない限り

この立場にはならないぞ

じゃあおやすみ雑魚ども

ガチャUR環境の利を十全に活かした俺様と付き合えたことを僥倖と思い給え

2023-11-22

anond:20231121153555

働いて子供育てて自分時間持てるって勝者じゃん

何がだらしないの?

一日8時間以上働かないと人として駄目とか思ってるの?

意味わかんねえ

一秒も「労働」してないのに金を得ている奴も居るけど

そういう人のことどう思ってるの?

おまけに、子供が無事生まれて来てくれて良い子に育ってくれたなんて僥倖以外の何ものでもない

神に祝福されたおっちゃんじゃん

2023-10-11

香水

サロパ行けないのでサロパセット買おうかなと思いつつサロパセットは我慢したのに結局アムアージュディスカバリーセットを買いましたという話。

SNSでアムアージュの艶消しの香水瓶が綺麗だったのでノーズショップWeb Storeに行きSNSに載ってたやつの名前を調べてディスカバリーセットを覗いてたらそれが入ってて、ほうほう…と購入ボタンを見たら残り1個の表示で即購入。今見るとボトルほぼほぼ売り切れてるのでディスカバリーセットお迎え出来て非常にラッキーだった。

Made in OMANが家に来たのは初めて。ようこそ我が家へ。オマーン香水と聞くとイメージは甘ったるそう!濃そう!!!なのだが、キリアンを嗅いだ後だと全然穏やか。偏見でした。

 

SNSに瓶が載ってたのはサーチ。キャップを外そうとしただけなのにスプレー部分ごと外れて3分の2溢れて絶望3分の1残ったことを僥倖に思おう。匂い柑橘。複雑な苦みのある香りが残る。これがガイアックウッドとシダーなのだろう。ただのレモンとかユズではない、シトラス系の皮っぽい匂いがあり穏やか。

パーパス

いい匂い。としか表現出来ない…。分離しがたい不思議匂いが混じり合っている。Web Storeで香りの成分表を見たイメージとはだいぶ違う気がする。ベルガモットローズ輪郭を保つために存在しているがメインではないのでこのようになっているのだろう。他の要素が複雑に絡み合って独特な水辺の花のような清涼感になっている。

リニエージュ

ミルラとパチョリ。こういうアプローチもあったのかーという驚き。このディスカバリーセットだけなのかアムアージュが全体的にそうなのかは4つしか嗅いでないから分からないけどスパイスが甘過ぎず尖り過ぎない絶妙バランス存在していて調和キーになっている気がする。香るけど甘過ぎないのが良い。

ガイダンス

ややキリアンみ。4つの中で一番濃い甘さ。エンジェルシェアに似てるなと思ったんだけどヘーゼルナッツサンダルウッドとバニラのせいかなと。酒要素は入ってない。他の人が嗅いだら全然似とらんやんけというのかもしれない。オスマンサスとローズの気配が良くわからない…。最終的にすべてがバニラに包まれしまうのでバニラ成分があと半分控え目になったら好きかもしれない。バニラを使う時、人は躊躇というものを忘れがちなのだろうか。

 

 

現時点でペンリガンポートレート系)、ジョーマローン(モス系)、フエギア、アムアージュが性に合うなという個人的感想

 

レザー、ムスクバニラは他の香り蔑ろにしがちなので限り無く控え目であってほしい…………

2023-08-07

セクシャリティの話

LGBTQ+(これでいいかからないけど…)の話題を、いつも少しの居心地悪さと共にみてきた。

身体女、性自認たぶん女、既婚者。これで異性愛者なら、ヘテロなんだと思う。

配偶者のことは嫌いではない、たぶん好きな部類。離婚したいとか、一切ない。大きな不満もない。

現状DINKsで、それを是とする人だから結婚した。子どもがほしいとは思ってなくて、50くらいでFIREしたいよね、というので一致している。

最近自分セクシャリティアセクシャルあたりが近いんじゃないかなみたいな気持ちになる

性欲みたいなものがほぼない。性的な目で見られたら嫌悪感が先にくる。できないことはないが…くらい。女の性欲ってこんなもん?とか思ってたけど、基本下ネタも嫌いなので他の人がどうなのかよく知らない。

いっとき潔癖症なのか?と思ってたけど、性的なことのときだけなのでたぶん違う。

世間の女とはこういうものですよ、というのには全然馴染めない人生だった。未だに女がわからん。男もわからんが。でもなんかズレてる不思議チャンで許されて何となく生きてた。

これで、子ども産まないとだめみたいな話だったら、いろいろ困ったかもしれないけど、今の相手出会ったのは僥倖だと思う。とても感謝してる。

人生の道行き一人は寂しいな、と思うくらいには、誰かといたいと思うけど、そこに性的関係は求めてない、みたいな。相手がどう思ってるかはわからんが、DINKsでいたい。

なんかよくわからない話になってしまった。自分をこれと、決めたいわけじゃないけど、なんか色々考えてしまったので書いてみたかった

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

2023-05-23

退職代行という名称が台頭する前から退職代行に似たサービスを使って職場をバックレしてきたクズだが

退職代行サービスを利用する人間に対し「クズ」「社会人としてなってない」「非常識のゲボカス」「退職の申し入れや交渉くらい自分しろ」「料金の無駄」というネットでの意見をよく見かけるが、常識があってクズでないまともな社会人ならそもそも退職代行なんて利用しないのだ!

当方新卒一社目でメンタル休職ののちに退職し、その後正規非正規職を転々としてきた。そのうちクビ3件、職場バックレ4件、うち退職行使用が3件というどこに出しても恥ずかしくない経歴のクズである。こんなクズものうのうと生きている経緯と現状とお話しし、もし今の職場のことで悩んでいる誰かの参考になったら幸いだ。また、こんな開き直り底辺ゴミにだけはなりたくないという意味で皆さんの癒しになれば嬉しい。

・なんでそんなゴミなの?

1社目でメンタルをやってか以降当日欠勤しまくり、朝起きられない、寝込む日が激増し勤怠不良の積み重なった結果です。心療内科でも相談改善を試みたが現在も全快はしていない。ASDやADHD検査もしたけれど健常域と結果が出て、社会性のないウンコ健常者になってしまった。

また、性格的にもストレス耐性が低くキャパ狭なのと、コミュ障以前の人嫌いが災いし、どの職場でも基本的孤立してしまう。他人に興味がなく無関心のため、みんなでの昼食や飲み会や、職場の噂話や世間話苦痛に感じる。人間関係の難の大部分は自分の傾向にすべて起因する。勿論申し訳ないが本当に合わない職場上司同僚もいた。

退職代行(正確ではないが)を初めて使用した経緯

何社か非正規で食いつないだが、その後正社員転職した。経済的安定も目的だったが、世間体が主な転職理由だったと今では思う。仕事生産支援の窓口部隊だったが、その部署は真夜中までの対応が多く、上記の当欠癖も治らず、致命的なミスをして現場の人に怒鳴られ修復不可能なまでに信頼を損ねた。リカバリーとか善後策など考えられず、自分ミスのせいなのにパニックになり保身に走り、「もう二度と出社できないから辞めるしかない、だがもう退職を伝える勇気も気力もない。そもそも会社の人ともう話せないし顔など合わせられない。絶対に無理」という状態になった。

その際、無い知恵を振り絞り「便利屋」という単語を思いつき、退職電話などを請け負ってくれる便利屋ネットで探した。当時は2010年代中盤で、まだ「退職代行」に特化したサービス企業はなかった記憶だが、不倫の密告や興信所探偵まがいの業務をしている便利屋の中に退職電話代行というものがあり、実家母親なりすまし体調不良理由退職意志を伝えてもらった。その間は職場に連絡できず、無断欠勤していた。なお、現在退職代行ではおそらく親族パートナーなどのなりすまし設定での電話はNGだと思う。また、今も自分が依頼したような類の電話代行の業者存在するが、どちらかというと、不倫クレームの密告代行の意味合いが強い。

・使ってどうだったか

上記の当時利用したサービスでは、今の退職代行のように「利用したら最後まで会社人間とやりとりが必要なく、代行経由で連絡可能」というシステムはまだなかったが、それでも「引継ぎもせず、最低限のやりとりで会社をやめられた、逃げられた」ということは自分にとって本当に救いで、命と心が助かったことに感謝した。料金も会社の人に顔を合わせたり、謝罪をしたりという精神苦痛を鑑みれば、タダのようなものだと感じた。時を経て、退職代行会社が雨後のタケノコのように出現し世間話題になった際も、「やはり自分のようなダメ人間がこういったサービスを利用するのだろうな」という納得感があり、ニーズが形となって顕現したのだと感じた。

なお、その後2社でも業務についていけない、ミスの連発、人間関係、勤怠不良などが原因で退職代行を利用させてもらった。加えて1社もブッチしたが、その際は貯金が少なくお金ケチって自分で辞めると伝えたが、資金に余裕があったら絶対退職代行を利用したかった。

コロナ禍、そしてテレワーク普及という僥倖により長年のバックレ要因が偶然すべて解決

書いた通りなのだが、その自分で辞めると伝えてバックレた職場の次に決まった契約社員仕事が始まったとたん、コロナによるテレワーク普及が起こった。すると、長年のバックレの原因だった「朝起きられない」と「職場孤立してしまう」という問題解決してしまった。例え朝起きられなくても、始業ギリギリに起きパジャマ姿でPCに勤務開始の報告をしてちゃん業務をすれば、ひとまず出勤したとされる。そして、コロナ禍では会食なんてもってのほか職場での飲み会ランチNGになり、いつも頭を悩ませていた食事の場でのコミュニケーションと、会社での雑談自体消滅した。そのため、いつでもどこでもボロボロだった勤怠が他の社員と何ら変わりない状態になり、偶然だが仕事ぶりを評価され、現在正社員となっている。

何の努力改善もしていないのに、環境だけで社会的に助かってしまった気分だ。現在は在宅リモート半々で働いている。たまに心身の不調で起きられず寝込んでしま病欠になる日もあるが、それでも昔に比べると勤怠は飛躍的に改善した。

・バックレる人、クビになる人はいるところには結構いる

これはクビになった職場担当していた業務で実感したことだ。フェイクを入れるが人材会社就業開始するスタッフの勤怠管理業務に関わっていた。すると、自分より遥かに優秀で立派な経歴の人でも、第一印象がいい人でも、家族子供がいても、突然会社に来なくなる、無断欠勤をする、試用期間終了前に合わないと泣きながら電話してくる、まるでかつての自分のような人を結構な頻度で見た。Z世代とかゆとり世代はおろか、年代性別や家庭状況は関係ないようだ。また、勤怠不良や能力不足で試用期間終了前に雇用から契約終了にされる人も多く見た。

以前は自分のような人間ネットでは観測すれど現実ではなかなか見ないから、異端社会不適合者なのだ確信していたが、同類はいるところにはいるのだなと肌で感じた。

退職代行を使うべき人

ここで、退職代行を使ってもいいんじゃないかなと想像する人の特徴を挙げる。

①自●を企図するほど精神的に追い詰められている人:

仕事職場人間関係けが自●の原因なのなら、使ったほうがいい。できれば心身が完全にやられる前に、体力気力があるうちの利用を推奨する。一度完全に折れると、その後の社会復帰が困難になるし時間を要するためだ。ただ、増田は自●自体は仕方ないんじゃないか派なので、仕事以外にも持病や家庭の悩みや慢性的な生きづらさを抱えた人が、己に鞭を打ってまでつらい状態のまま生きる必要はないとも考えている。

自分の失敗/挫折や評判が下がることを受け入れられる人

「あの人は退職代行を使った」と噂されたり、それを知られた関係者にはある種の偏見を抱かれることは間違いないので、それが気にならない人は役職雇用形態問わず利用していいと思う。逆に自分挫折や失敗を受け入れ難い、プライドがある人はまず退職代行は利用しないんじゃないか・・・自分プライドがないので、バックレた職場の方々に対し本当に申し訳ない気持ちがあれど、二度と生きてお会いしたくないので、自分練炭自●などで死んだものと思って忘れて生きていってくださいと念じている。

退職代行を使うべきでない人

上記のように、心身が死の淵に追いやられている人はまず命を守る行動を取ってほしいが、使うとリスクがあると想像する人を列挙する。

情報ネットワークが密な田舎などに住んでいる人

増田現在都市部在住だが地方での暮らし経験している。その際近所の無職の人が外で散歩するだけで恥だから家の中にいろ!という親御さんに叱られている話を聞いたことがある。退職代行を使ったことが近所や職場に広まり、今後の就職どころか生活に支障をきたす、あるいは詰むレベルの支障が出る場合はそのリスク考慮したほうがいいのではないかと思う。

②過干渉家族と同居している人

増田退職代行を使ったのはいずれも一人暮らしの時期だ。バレなければいいと思うのだが、同居家族パートナーに知られて干渉されそうな人は警戒しておいたほうがいい。5ちゃん職場バックレに関するスレッドで、バックレ常習犯は緊急連絡先の家族の住所は電話番号はでたらめを書いておくというアイデアを参考に、増田も緊急連絡先は最寄りの水道局の住所電話番号に設定している。

職場人間関係が強固な人

①②と同じ種類だが、例えば仲間と企業したけど逃げたくなった・・・という場合人間関係にしこりを残すと想像する。現代ではなかなかないと思うが、同族の小さい企業や少人数のベンチャーなど、職場人間関係が密で後々の人間関係がトラブりそうな方も要注意だ。(辞めたあとに電話SNSなどでDMが来るとか)

・当然だけど、辞めた後の人生は誰も責任を取ってくれない

退職後に休養するのも再就職するのも自由だけれど、その後の人生責任自分以外誰も取ってくれない。中には医療福祉に繋がるほうがいいケースもあるかもしれないが、勤め人を続けたい場合はその後も工夫や行動し続けることが大切だと感じる。男女問わず経済的に頼れるパートナーを探すというのも生存戦略としては立派なひとつ方策だ。下記リンクは以前ネットでも話題になったもので、今回の趣旨とは異なるが、早いうちから行動することの大切さについては参考になるかと思う。

http://www.carpefidem.com/column018.html

環境や適性をもう一度考えてみる

職場との相性は、入ってみたら人が定着しない魔窟のようなポジションだったとか、ホワイト大企業だけどその部署だけ何故かモンスターのようなストレッサーだらけとか、運で決まってしまう要素も大きいと感じる。ただ、ある程度自分の向いてる環境や適性について検討し、判断することも必要だと思う。向いてなくて耐えられなかったら、また退職代行を使えばいい。

人付き合いの苦手な人は、できるだけ接客から離れた上流工程業務内容の企業に応募する(コミュ障も突き抜けると接客適性無双他人への関心がないのでクレーマーをしゃべる人糞とみなせるという意見もあるが、限られたエースだけの才能だと思う)とか、マルチタスクではパニックになりがちな人は定型業務メインの仕事を探すとか、お子さんや家族ケアで早退や欠勤が続いてしまうひとはフレックス制や裁量労働などで調整できる職場を探すとか、できるだけ自分の苦手に直面する機会の少ない仕事を選んでほしい。

お前が言うなが過ぎるが、テレワーク可能職場という環境面での選択肢が無かったら自分社会的に詰んでいた。また、当座の給料のためにコミュ力に自信がないのに、客先/社内問わず大量のストレスフルな交渉が発生する職場自分スキルに見合わない仕事内容に考えずに飛びついた経験が少なからずある。

増田現在「やりたくない仕事は星の数ほどあれどやりたい仕事はない」というドクズ思考で、自分にできる仕事ならありがたく精一杯やって、ダメなら逃げようというスタンスだ。

「好きなこと/やりたいことを仕事にする」は覚悟がないと危険だと思う。インドア派やオタク気質の人は、アニメーターゲーム会社エンタメ企業出版社関連企業への志向性が強い傾向だと思う(かつて自分就活病で何社か説明会を受けたことがある)が、大手でない限り土日昼夜問わず働かされ、期限納期の厳しいブラック環境職場も多い。エンタメサービス業は、みんなが楽しんでいる休み余暇の時期が繁忙期だ。また、ブラック企業はある程度公式に開示されている情報労働条件判断できる。

まとまらないが、サービスでもなんでも利用し、つらい思いをしている人ができるだけ生きやす環境で生きられるよう願う。

2023-05-15

anond:20230515195651

小室圭って母親恨んでるのかなぁ

本人の虚栄心とはいえICUに行かせてもらえたのは僥倖だったけど、その後節目節目で邪魔してくるからなぁ

2023-05-06

コロナ禍は楽しかった

言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である

5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHO緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。

自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。

日常が突如として非日常になる感覚

台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント

何気ない国際ニュースひとつとして武漢新型肺炎(当時は肺炎フォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースカットインされる、まさにスリラー映画SF漫画の導入にありそうなシークエンス

年を越して2020年武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARS新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮限定的な影響で終息すると考えていたと思う。

「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりから記憶している。

マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。

日常じわじわ崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。

生活環境の激変、ステイホーム

自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言生活のすべてが自宅に集約されることになった。

幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。

とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。

仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonヨドバシアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。

通勤という概念消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯カメラオフオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。

通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。

ハイスピードで変容していく社会

この三年間、世界コロナを中心に回っていた。政治経済は当然のこと、社会活動家族の営み、個人価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。

コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触絶対悪となった。

他人との物理的な接触特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。

飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。

国民微妙サイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。

公衆衛生経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラート東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応国民共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。

毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。

他にも、欧米諸国での大混乱や中国ゼロコロナ政策対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。

無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。

ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。

それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。

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