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はてなキーワード: 世俗とは

2018-01-12

人外IT

不幸の手紙、不幸のメールと来て最近は不幸のLINEらしい。

すごいな、化け物や妖怪の類いも最新技術に付いていけないと存続できないってことか。

ということは貞子も最近活動拠点Blu-rayYouTubeに移してるのかな?

そろそろ妖怪界隈のSEとかも登場してるのかな?

(追記)

指摘によると貞子の性質的に現代技術への汎用性はかなり高いようで…怖くてリング完走できないもので…。

言われてみれば都市伝説ではインターネット拠点活動してるモノが既にいますね。

と言うか都市伝説自体情報化社会の末に語られるようになったとも言うか。

存続のために世の中の流れに乗らざるを得ないのか、人の世俗の移り変わりと共に語られるモノが変容していくのか。

どれだけ技術が発展してもそういうモノもきちんと憑いて来るものなんですねぇ。

2018-01-10

anond:20180110001543

未熟ゆえ世俗との繋がりを絶つ、山籠り、行乞等昔から普通に実践してた人間はいるよね。

高校野球だって強豪は全部寮

2017-12-19

太行の劉鴻訓

太行の劉鴻訓は世俗を気にしない闊達若者だったが

呉三桂の乱に従軍し生き残るも故郷が焼けてしまったと聞き長沙暮らしていた。

清貧生活で金が溜まり嫁を貰おうと考えていた時、人売の老婆が連れていた歳十三、十四ほどの容貌美しく芸達者な白梅という少女一目惚れしこれを買った。

家に連れて帰り酒を酌み交わすと蝋のような白くなめらかな肌が朱に染まり、その香りがたまらず劉は白梅の手を取り床に入ると隠し所をまさぐるとそれが男だったので劉は驚き問いただすと

「あの老婆は孤児を飾り芸を仕込み売るのを生業としている女で僕は狐でみめよいものからあなたはぺてんにひっかかったのです」

と言われ劉はがっくりとしていると白梅が出ていこうとするので腕を取りそれをさえぎり言った。

「私は君に惚れて買ったのだからここにいて構わないし、妻と言っても誰も疑わないだろう」

白梅は顔をあからめて座り、劉は同衾を求めるも白梅処女のようにつつましく言葉遊戯に触れるとさっと恥じらって壁を向いてしまう。

あなたはいい人だと思ったのに断袖の癖があっただなんて、僕は狐ですし、禽の習い、獣の好みではありませんか」と怒って出ていってしまった。

劉はこれっきり会えないのかと落ち込んでいたが、しばらくして白梅がまた現れたので劉は喜び夫婦になることを望むと白梅は「交わらずとも親しくなることはできるでしょう」と言うも

劉は「そういう癖は元々なかったのに君は夢にでも出てくる、君以外何もいらない」と言い、蕩かすようなことを言ってまとわりつくのでまた出ていってしまう。

劉は何もかも失ったかのように鬱々としてついに病気になってしまった。

白梅がまた訪れて臥せる劉を見てはらはらと涙を流し、

「本当は僕もあなたを愛しているのですが、男同士は禍をもたらすのでしなかったのです。暫くの間時間をください。」と薬を劉に飲ませ去っていった。

劉の病気回復したが、心は寂しさにあふれたままだった。

一年経ったある日壮麗な御車と麗しく着飾った白梅が現れた。聞くと

「峨嵋山の神仙を頼り、女になる術を学んでいたのです。あなたと一緒にいるためですよ」と白梅は言う。

劉は涙を流し喜んだ。劉の家は富みその夫人は美しくよく働き琴の音は皆を穏やかにさせた。

どこの名家の娘が降嫁してきたのだと街で噂されたが、誰も白梅を狐で男だとは思わないのである

2017-10-29

127 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 15:04:59.86 ID:Jc3EswWr

宗教ってなんなのかと言えば不条理教義を受け入れることで思考停止をして心の安らぎを得るってこと

逆に世俗主義理性主義は条理の通りに好きに生きられるけど存在不安死の不安を抱え続けること

世俗的だから良い寛容だから良いって話ではない

理性では心は救えない

128 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/10/29(日) 13:41:18.29 ID:tkS6/B6P

>>127

世俗主義理性主義というのも、一見条理に生きているようで、すぐにあちこちぶつかる壁に

目をつぶりながら、ごまかしごまかしって人も多いけどね

少なくとも、自分を支える物質安心要素ががたつくと自分も信念もあっという間にがたつく

しかもその物質安心要素も、自分が思っているほど自分共同体の手で獲得されたものではなく

恩寵しかなかったりする

こう考えると、宗教的人間のほうが条理に生きているともいえる

ただ目に見えない、言語しづらい世界だけに、それを表現するとプリミティブに過ぎることがある

すべての宗教ストーリー時代民族を超えて受け入れられるものでもない



2chレスがためになったと思ったのははじめてだ。

2017-10-19

映画パターソン』についての感想

http://paterson-movie.com/

日常ルーティーンの繰り返しだ。

ただし、詩人の目を通すと、そのルーティーンは、シラブルに分解されて、音韻を持ち始める。

詩の律動で切り取られた何気ない日常の美しさは、何者でもない私達の日常可能性だ。

私はそのようにこの映画の美しさを理解した。

主人公の男はアメリカの片田舎に住むバス運転手

男は詩を愛し、誰に発表するでもない詩をノートに書き留める。

控えめで、寡黙。

一見すると、仕事は単調で、

生活に彩りは乏しく、時代から取り残された男という印象すら持つ。

映画その男の1週間を追う。

映画を見た後の彼の生活の印象は、その外見上の説明から想像する様子とはまるで異なる。

映画カメラは、彼の生活を描くのに、

同じカメラワークを使うことを慎重に避けているように感じた。

そのおかげか、彼のモノトーンなはずの1週間には決して同じ日はなく、

毎日の反復によるリズムの中に、小さなアクセントが隠され、

映像全体から音韻の繰り返しのような心地よさを感じる。

宙に浮いた謎掛けのように繰り返し用意された双子モチーフは、

そのまま、詩韻の映像表現であるように私は理解した。

男はやや風変わりではあるが、決して孤独ではない。

世俗から切り離された孤高の詩人ではなく、

彼は生活者目線で、等身大生活を愛している。

彼の愛するパートナーは、愛と尊敬にあふれているが、

スマートフォンタブレットを持ち、テレビ通販ギターを買ってしまうような

世俗の人として描かれる。

彼の彼女に対する、少し戸惑ったような視線の奥底には

蔑みでもなく、諦めでもなく、あるいは赦しのような高みに立った者の視点ではなく、

ただ、優しさと理解が溢れている。

彼女存在は、彼が世界をどう受け止めて、愛しているか象徴であるように見た。

彼はそれに居心地の悪さを感じながらも、否定せずに受け止め、

彼の方法で愛している。

それは男の世界の把握の仕方であるように思えるし、

彼の詩には、その把握の仕方が反映されて、

生活者の、優しい視線が溢れているし、

それは詩としてのこの映画全体にも同じことが言えるように思えた。

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170828190132

それこそが、神があなたに与えた試練なのではないでしょうか?

信仰に生きるか、世俗に流されるままに生きるかが問われています

2017-07-09

女のハイヒールと化粧は、有害表現があるマンガと同じ (ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。の続編)

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

https://anond.hatelabo.jp/20170518235031

↑これの続き。

  

少年ジャンプ漫画『ゆらぎ荘の幽奈さん』が炎上しているのを見て、私はハイヒール・化粧を滅ぼすべきだという気持ちを新たにした。

この件に関して、リベラル側の主張は、「セクハラ肯定的に描いた漫画子供に見せるべきではない」というものだった。

私もこれに賛成である。もちろん表現の自由があるので、ああい有害表現のある漫画発禁にしてよいとは思わないが、ゾーニングをして子供の目が届かない場所に置くという配慮必要だろう。

  

そして、これは化粧・ハイヒールについても同様のことが言える。

私は化粧・ハイヒールのような有害物をゾーニングするべきだと思っている。

「女は化粧・ハイヒールを好むのが自然だ」「化粧・ハイヒールを使えば美しくなれる」というイメージ子供に植え付けることは、大変に有害だ。子供にそういうものを見せるべきではないし、もし見せるとすれば何らかの教育的配慮必要だ。

  

女性の中には、たしか自分で好んでハイヒール・化粧を選ぶ人たちも多い。

一方で、それを女性スタンダードだとして強制する空気もある。

仮にハイヒール・化粧そのものには罪がないとしても、それが同調圧力となっていて、すでに実際の人権侵害が起こっているのである。このファッションの愛好者たちには、社会的責任を取らせるべきだろう。

  

もっとも、化粧・ハイヒールを楽しむことは、一応は表現の自由幸福追求権に含まれるのであって、その権利を奪ってはいけない。

しかし、なぜ子供が見ている場所でそれをやってみせる必要があるのか? なぜ女性たちを縛りつける同調圧力を作ってまで、公共の場所でそのファッションをする必要があるのか? 私はこの不正義に怒っている。

どうしてもやりたければ、愛好者だけが集まる場所を作って、そこで存分にハイヒール・化粧を楽しめばいい。なにも完全に規制しろというのではなく、時と場所をわきまえてくれというのが私の主張だ。

  

  

  

リベラル大衆代弁者から、正しさの追求には耐えられない

リベラルの何がクソなのかというと、あいつらはラディカルな左翼とは違って、やっていることが世俗的すぎるし、大衆の味方をしすぎている。

例えば彼らが主張している「ポリティカル・コレクトネス」は、あくま現代大衆が受け入れられる程度の正しさである

それは大衆の好みを忖度しまくった上で構築された概念であり、本当の意味での正しさではない。

  

例えば先日のニュースで、アメリカディズニーランドの『カリブの海賊』のアトラクションで、花嫁オークション人身売買)のシーンが女性差別だとして中止になったという報道があった。

はてなTwitterで反応を調べてみると、案の定リベラルはこれを好意的に受け止めたようである

言うまでもなく、女性差別エンターテイメントとして消費するのはポリコレに反するからディズニーランドの今回の判断進歩だと見なすことができる。しかし、本気で正しさを追及するつもりがあるならば、「差別から目をそむけるな。差別について学習する機会を奪うべきではない」という意見になるはずだ。

これに対して、リベラルはきっとこう反論するだろう。

  

ディズニーランドは娯楽施設であって、差別を学ぶための学習施設ではない」

エンターテイメントなんだから、正しさを過度に求めてはいけない」

民間企業なんだから運営方針自由に決めてよい」

  

これはまるで、表現の自由戦士オタクどもが必死になって、有害でおぞましいアニメ漫画正当化するときに使っているロジックのものである

まりリベラルにとっては、オタクのような異端者は弾圧してよいが、ディズニーランドを楽しむのは大衆権利から擁護しなければならないというわけだ。この恣意的基準によって構築されているのが「ポリコレ」だ。

リベラルが言うところのポリコレとは、大衆の好みを反映し、せいぜい大衆利益を損なわない程度に追求すればよいものであるらしい。だからディズニーランド廃園に追いこめ、廃園しなくていいが年齢制限を設けろ、というような話には絶対にならないのである

  

  

  

なお、ディズニーによくある「お姫様プリンセス)」を美化する物語も、私は有害だと思っている。こういう物語身分差別正当化しているし、労働者庶民を軽んじすぎていて、そのことが民主主義の妨げになりうる。

これは子供に悪影響を及ぼすだろう。リベラルはこの点に関して甘いので、私のようにこれを有害表現だと断罪してみせることはない。それどころか、恥知らずにも『アナと雪の女王』を絶賛している始末である

このことからも、リベラルの唱えるポリコレというのが本当の正しさを求めているのではなく、普通大衆が受け入れられる程度の保守的道徳観に基づいていることが分かる。

大衆は、例えばオタクのような異端者が腐臭を放っていることを我慢できないくせに、自分たちいか腐臭を放っているか無自覚だ。リベラルはこの大衆を代弁している政治勢力なのである。ゆえに、リベラルは、大衆に過度の負担を強いるほど厳格なやり方で正しさを追求することには耐えられず、「ハイヒール・化粧を規制しろ」という私の主張には反発するのである

  

リベラルLGBT権利擁護するとき姿勢を見ても、このことは一目瞭然だ。

彼らは「同性婚を認めるべきだ」とは言うが、「結婚制度を粉砕しろ」とは言わない。

結婚などというのは、個人主義を抑圧している封建主義産物であるが、リベラルあくまでも大衆利益であるところの結婚制度を維持しようとする。その上で、そこに同性愛者を取り込もうとしているのである

これはまさしく、大衆利益を損なわない範囲内で正しさを追求していることの証左だ。大衆には過度の負担をさせないという原則リベラルにとってこれが一番重要ことなのだろう。

ゆえに彼らがやろうとしているポリコレの追求とやらも、ことごとくこの原則を基盤にしたものになっており、ひどく不徹底なのである

  

  

  

追記。

ちょうどホットエントリ増田があったので、私もそれにかこつけて追記を書きました。

  

リベラルが唱えるポリコレに「童貞」は想定されてないよ』

https://anond.hatelabo.jp/20170709194257

2017-06-16

クジラックス問題に対する意見の法的見地から考察分析

 未成年に対し強制的性的行為を行ったとされる容疑者同人誌に影響されたと供述し、警察がその作者に「申し入れ」を行った、いわゆる「クジラックス問題」を受けてさまざまな意見が表明されている。これら議論については表現の自由を考えるにあたって当然歓迎されるべきことであるが、それらのなかには法的に根拠が薄い、もしくはないものも含まれている。そこで本稿では、こういった意見を分類して法的見地から分析を試みる。

表現の自由について

 今回の問題にあたり、前提となるのが表現の自由である。これに対し意義を唱える人は少ないだろう。もちろん大衆には表現の自由を与えるべきでないと考える意見もあるだろうし、実際そのような国家存在する。しかし、日本においては憲法二十一条において一切の表現の自由保障されている。そのため、以下では表現の自由原則として認められるという前提で議論を進める。

 さて、表現の自由については憲法言及されているものの、無制限保障されているわけではない。憲法第十二条、第十三条においては国民自由権利濫用してはならず、公共の福祉に反しない限り最大の尊重必要とするとされている。「公共の福祉」についてはさまざまな解釈があり、憲法で明確に定められているわけではない。しかし、憲法制限される場合があると定めているのは事実であり、現行の憲法上「表現の自由は無制限に認められるべき」という主張はやや難しい。

公共の福祉」の解釈

 表現の自由に制約を課す「公共の福祉」の解釈であるが、これは複数の説が存在するものの、現代日本においては社会他者に損害を与えることがない限り制約されない、という考え方が主流である。これに従うと、「未成年に対し相手意志に反し強制的性的行為を行う姿を絵や文章で描く表現」が社会他者に損害を与えるか否かというのが第一の争点となる。

 ここで留意したいのは、「自分はこの表現嫌悪感を感じて損害を受けたか規制しなければならない」という主張は成り立たない点である。ここで発生したという損害は精神的損害に相当すると考えられるが、現代民主社会において第三者を描いた表現による精神的損害というものが認められたケースはない。表現を見て嫌悪感を感じるかどうかは人による差異があり、かつその損害も限定的、見ないという選択肢提供されているなどがその理由である

 また、国によって前提となる文化は異なることから、「海外ではこの表現規制されている、だから日本でも規制しなければならない」という主張も根拠はない。たとえば熱帯地方で男女とも上半身裸で過ごすのが普通文化圏においては、上半身が裸の女性の姿を描くことを規制する意味はない。これに対して「海外では猥褻」という理由規制を行うのは文化侵略となってしまう。あくま日本における表現規制は、日本における文化背景、世俗基準として規制すべきなのである

表現に人は影響されるのか

 さて、今回の事件で大きな議論となるのは、「犯罪行為表現に影響されて人が犯罪行為に至るかどうか」という点であろう。これは過去にも多くの研究がされているが、統一的な見解は得られていないのが現状である。今回の事件においても、容疑者問題表現を見て犯行を思いついたのか、それとも元々犯意があったうえで問題表現を見て模倣したのか、はたまた自分で思いついたが「言い訳」として問題表現を上げたのか、本当のところは不明である

 とはいえ、表現人間に影響を与えることはない、とは言い切れないのも事実である。実際のところはケースバイケースで、影響を及ぼすこともあればない場合もある、というのが現実であろう。こういった状況下においては、「表現犯行の間に相関関係はなく、表現社会に悪影響を与えることはない。そのため規制できない」という主張が認められるのは難しいと思われる。

 現実としては現在未成年に対し相手意志に反し強制的性的行為を行う姿を絵や文章で描く表現」は規制されていない。それは、影響を及ぼす可能性はあるがそれはレアケースであり、表現の自由制限するほどのものではない、との意見一般的からであろう。そのため、もし今後同様の事件が頻発したとしたら、規制が認められるようになる可能性はある。

 今回の問題現実的な争点はここにあり、規制派は「社会に影響を及ぼす可能性があり、さらにそれが高頻度で発生する可能性がある」ことを、反規制派は「社会に及ぼされる影響は小さく、その頻度も小さい」ことを証明することを目指すべきであろう。

 なお、問題表現について「社会的利益にならない」ために規制を主張する意見もあるが、前述のとおり表現の自由への制約は社会他者への不利益のみを根拠に課すことができるとされている。そのため、こういった主張について法的な根拠はない。

 いっぽう、犯罪行為を描いた表現一般的には規制されておらず、漫画表現けが規制対象として挙げられるというのはおかしいという意見があるが、これについては漫画表現画像を用いるものであることからより臨場感があり影響を与えやすいため、という一定根拠存在する。ただし、より影響が大きい映像という表現方法存在するため、もし漫画規制された場合は当然ながら映像規制されることが妥当であろう。

まとめ

 今回の淫行事件については誠に遺憾であり、加害者は当然その責を負うべきである。また、これを機に表現規制に関する議論が進むことは歓迎すべきことであるしかし、その根拠となる法や慣例、文化理解せずに思い込みで主張を行っている例も見られる。表現の自由民主主義の根幹であり、軽んじてはならない。その原則理解したうえでの適切な議論が望まれる。

2017-05-21

毎日新聞だし。

って言うか、プロも含めてここで発言している人がほぼ誰一人原文読んでないってやばくないですか?個人的には偏向報道ここに極まれりだと思います

毎日新聞報道天皇は祈っているだけでよい」

議事録の原文「最初に申しましたように、天皇家は続くことと祈るという聖なる役割意味があるので、それ以上のいろいろな世俗のことを天皇義務としての役割とお考えになられるのはいかがなものか。代々続く天皇には、優れた方もそうでない方も出られましょう。健康問題のある方も皇位につかれることもありましょう。今の陛下一生懸命なさってこられたことはまことに有り難く、かたじけなく思いますしかし、一部の学者先生が説かれるような行動者としての天皇とか象徴天皇能動性ということも大切かもしれませんが、私はその考え方にさかしらを感じます。その世俗、secularの面に偏った象徴天皇役割解釈にこだわれば、世襲制天皇能力主義価値観を持ちこむことになりかねず、皇室制度の維持は将来困難になりましょう。 」

※出典:天皇公務負担軽減等に関する有識者会議http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/kaisai.html

如何でしょうか?正しいかどうかは別として、学者立場、一人の良識ある国民として、天皇家を思っての発言と受け取れるのではないでしょうか?

しかしながら、あたかも「お飾りなんだから、ただ祈ってりゃ良いんだ!」と言わんばかりの捻じ曲げた毎日新聞報道には、大きな疑問を感じます。というか、呑気に胸が痛むなんて取締役コメントしている場合ではないのでは?とも思います

陛下:退位議論に「ショック」 宮内庁幹部生き方否定」 - 毎日新聞に対するコメントが間違っている一つの理由

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c

みんな、原文読もうよ

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai3/gijiroku.pdf

最初に申しましたように、天皇家は続くことと祈るという聖なる役割意味があるので、それ以上のいろいろな世俗のことを天皇義務としての役割とお考え になられるのはいかがなものか。代々続く天皇には、優れた方もそうでない方も出られま しょう。健康問題のある方も皇位につかれることもありましょう。今の陛下一生懸命 なさってこられたことはまことに有り難く、かたじけなく思いますしかし、一部の学者先生が説かれるような行動者としての天皇とか象徴天皇能動性ということも大切かもし れませんが、私はその考え方にさかしらを感じます。その世俗、secularの面に偏った象徴 天皇役割解釈にこだわれば、世襲制天皇能力主義価値観を持ちこむことになり かねず、皇室制度の維持は将来困難になりましょう。

陛下:退位議論に「ショック」 宮内庁幹部生き方否定」 - 毎日新聞に対するコメントが間違っている一つの理由

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c

みんな、原文読もうよ

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai3/gijiroku.pdf

最初に申しましたように、天皇家は続くことと祈るという聖なる役割意味があるので、それ以上のいろいろな世俗のことを天皇義務としての役割とお考え になられるのはいかがなものか。代々続く天皇には、優れた方もそうでない方も出られま しょう。健康問題のある方も皇位につかれることもありましょう。今の陛下一生懸命 なさってこられたことはまことに有り難く、かたじけなく思いますしかし、一部の学者先生が説かれるような行動者としての天皇とか象徴天皇能動性ということも大切かもし れませんが、私はその考え方にさかしらを感じます。その世俗、secularの面に偏った象徴 天皇役割解釈にこだわれば、世襲制天皇能力主義価値観を持ちこむことになり かねず、皇室制度の維持は将来困難になりましょう。

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510090422

彼女たちは創作物一時的享楽のためのささやかな娯楽とみなしていて、なおかつフィクション現実を明確に区別できる、そんな分別のついた人間だという自負を持ってる。

多分そう。

から絵本みたいな作風のものを好んで鑑賞も、それは暇つぶしにツムツムをやるようなものであって、幼児的嗜好の兆候だなんて言われる所以はないと考えている。

ではなぜディズニー好きな女子の中にはアニメ漫画というサブカルチャーの愛好家を貶す者がいるのだろうか。

僕が思うに彼女たちは愛好家が好むアニメ漫画ラノベ等をみた際に、作品舞台設定やキャラクター描写現代日本の流俗や現代日本人の嗜好を見て取れることからフィクション現実社会世界観の違いを上手く分けることができず混乱する。

そして愛好家たちが作品世界観現実社会モラルギャップに戸惑わずに鑑賞を続けられるのは、フィクション現実社会を混合しているために違いないという判断を下しているのではないだろうか。

彼女たちは創作物に対するメディアリテラシー能力に長けていると自負しているために、自分理解出来ない物を愛好する人々を分別のない愚劣な者とみなして半ば強引にアイデンティティを守るのである

古典的名作や純文学といったアカデミックな扱いをされがちな物は、読み解くためには予備知識が多大に必要であり、理解出来ずとも自分知識不足のせいにできる。

テレビドラマ実写作品は非現実的ビジュアルなり辛いうえ、全ては俳優を引き立たせる装飾であるという鑑賞スタイルも成り立つために、フィクション現実社会の違いを意識せずとも楽しむことができる。

アニメ漫画ラノベ等を含む日本的サブカルチャーでは、基本的に、ハイコンテキスト世界観テーマローコンテクスト文法世俗的な媒体に落とし込んだ作品評価される。

サブカルに関心がなく、作品を読み解く気がない人からすればそれらはとても奇々怪界な物なのかもしれない。

ワンピース進撃の巨人ティーン向け少女漫画が、サブカル愛好家を下に見る人にも受け入れられるのは、ハイコンテキスト主題がない、もしくはローコンテクストなわかりやすメッセージで包み込んでいるからだと思う。

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170426003910

元増田です。

私は妻帯世襲反対派です。

この手の質問に対する妻帯者の言い分は以下のようになります

歴史的経緯のある宗派を除きます

1:日本の現状として仕方がない

2:日本戒律大乗菩薩戒(梵網戒)だから不邪淫戒は不倫をしないということで結婚大丈夫

3:明治5年の太政官布告僧侶の妻帯勝手たるべし」に由来する

まず(1)は寺門興隆の為とか何とかいます(建前)が、それで興隆するのは家門(本音)です。これは「寺=私有財産」と考えられていることに関連している言い訳だと思います

(2)少し専門的ですが確かに梵網戒(ぼんもうかい)は、不邪淫を説くだけで具体的なことは述べていません(梵網戒は日本仏教の中では最も依拠されているもの)。解釈時代によって大きく異なっていますが、現代のように「不倫しない」というのは、「なんで僧侶なのに妻帯しているの?」と聞かれる頻度が増した現代的な解釈だと思いますしかし宗団が依拠する経典を読むと「性交渉」そのもの禁止しているので「不倫しない」は現代的に都合のいい解釈かと思います。「経典解釈」という現状がここで浮かび上がります

(3)仏法よりも世俗法に依拠する時点で話になっていません。

以上のことから、私の意見としては「僧侶として結婚をして子どもを産んで育てて世襲させる根拠はない」です。

余談ですが、必ず引き合いに出されるチベットタイお話です。

彼らと接して話をした上で分かった程度の知識です。

まずタイでは多くの僧は還俗します。

それは短い期間でも出家することが親孝行という一面があるからです。

僧侶になったのに還俗するということは、ある意味棄教とも取れる側面があるので、それはそれで問題かと思います

厳密に戒律を一生守る僧侶日本と同様に極めて少ないと言っていいと思います

また全ての戒を守るわけではなく、多くの戒律の中から自分の守れそうなもの選択して僧侶になります

次にチベットですが、戒律復興運動が起きて「根本摂一切有部」という戒律に則っています

しかし、この戒律復興問題引き起こしまして、チベット仏教が誇る「性ヨーガ」が戒律矛盾する状態に陥りました。

そこで実際の性交渉を避けて「頭の中で性交渉を思い巡らすんだ」という修行法が制定されて、それが現代の主流になっています

問題は「チェリーボーイなのに性交渉なんて思い巡らすことできない」という修行法そのもの不安定になっていることです。

あとチベットは妻帯しないとはいますが、性交渉は行っていましたし、妻帯した仏もいると伝えています

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

新興宗教問題は、開祖(もしくはそれに近い人物)が「存命」であるということ。

まり、神ではなく神≒人を信仰しているのに近いことが問題である。もちろん、新興宗教といっても基本的に神仏を信仰しているわけだが、開祖(もしくは近い人物)が存命のため、信者に与える修行世俗的になりがちだ。

開祖1000年以上を経た宗教には「信者を増やせ」「お布施を集めろ」「新聞いかが?」「本買って」「壺はどう?」「ジハードせよ」といった世俗に近い「使命」を強要するところはあまりない。それをやれば新興宗教と変わらないからだ。

新興宗教と定着宗教の違いは、そういう意味では「布教活動が既にある程度完了しているか」「布教活動世俗と結びついてないか」「開祖(に近い人物)がまだ世間に存命か?」というのが一つの基準になる。

イエスにしても、ブッダにしても、マホメットにしてもやはり人間が神に近いところまで昇華するには1000年はかかる。池○大作や大○隆法あたりがそこに至るにはまだ900年ほど足りない。

2017-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20170319010712

オフ会はよほどのキモメンとか不審者じゃなければ

あんまり深く考えないでバカになって突っ込んでいけば友達彼女の一人くらいはできる

でもオタク系とかゲーム系ってやっぱ頭がおかしいとしか思えない人がそれなりにいるか

関わってしまうと疲れるものでもある

それが世俗を引き受けるってことなのかもしれないけどねえ

2017-02-13

[] #15-1「返し返し」

バレンタイン営業戦略から始まったらしい大衆文化は、今や欠かせない一大イベントである

そして社会に浸透したそれは、様々な側面でもって人間喜怒哀楽を彩る。


とある会社の休憩室。

午後のひとときではあるものの、今日は一風変わった様相を呈している。

職場社員たちからの、一斉バレンタインチョコ贈呈である

父はそれらを受け取ると、他にも同じ品を貰っている社員を眺めていた。

学生の頃、男たちの見栄やステータスになりえたものが、いまや社交辞令アイテムというのも、中々に感慨深いものだとしみじみ感じていたのである

ところが、こういった文化をただ「そういったものだ」といった風に飲み込めず、馴染めない人間も少なからずいる。

「うう……やはり来るのか」

同僚のフォンさんがそれにあたる人物だった。


はい、フォンさんもどうぞ」

差し出されたチョコを見て、フォンさんの顔は引きつっている。

チョコが食べられないだとかではなく、ただ「何かを貰う」という行為全般精神疲弊しているからだ。

「は、はい……ありがとうございます

それでも体裁を保ちつつ、フォンさんは社員たちのチョコを受け取る。

そうして全員に行き渡ると、社員が持ち場に戻り始めた。

それを確認した後、フォンさんはおもむろに胸ポケットに入れた手帳を取り出した。 

貰った相手名前、貰ったものを書き留めているのである

マメですねえ、フォンさん」

「覚えておかないと、ホワイトデーの時に痛い目を見ますからね」

その発言に父は軽く笑おうとするが、フォンさんの大真面目な顔と声の調子に思わず息を呑んだ。

「笑い事ではありません。これを間違えると、“お返し”の無間地獄に陥るんですから

無間地獄……」

「貰ったものに対して、相応じゃないもの相手の心象を悪くします。安いものダメですが、かといって高すぎるものホワイトデーに“お返し”したら、それを埋めようと“お返し”をしてくる可能性があります。そしてワタシはそれに対して、また“お返し”をしなければならなくなる、ということです」

父が接するようになって気づいたのは、フォンさんはこういった世俗に酷く敏感なことであった。

「うう……チョコが欲しいだなんて一度も言ったことはないのに、それを貰って“お返し”も強制される。だからこの文化は嫌なんだ」

「いやいや、フォンさん。『強制』だなんて、重く受け止めすぎですよ」

「マスダさん。心にもないことを言うのは社交辞令の基本であることは知っていますが、今この場で会話をしているのはあなたとワタシだけだ。そういった無意味な取り繕いはやめていただきたい」

「取り繕いだなんて……滅相もない。なんなら“お返し”なんてしなくてもいいんですよ。彼女たちはそんなこと気にしません」

「『気にしない』んじゃなくて、『気にしないようにしている』んですよ。そんな言葉鵜呑みにして“お返し”をしなかったら、十中八九ワタシを心の狭いケチ人間だと軽蔑する。強制ではないといいながら、その実“お返し”を当たり前だと思ってるから、そういう考えになるんだ。それは、つまり社会通念上の強制なんです!」

フォンさんは神経症気味だったが、実際問題としてその側面を父は否定できないのであった。

こういった社会通念をフォンさんに説いてきた張本人なので尚更である

事態をどう受け止めるかの、丁度いい塩梅なんて分かりはしないのだ。

(#15-2へ続く)

2017-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20170116131210

普通にネットしてるだけで目にするんだがそれはもう世俗がそうなってるから諦めろって事か?

2017-01-03

創作物というのは、全て毒薬だと思う

小説だけではないと思うよ、安吾さん

苦悩と悲哀を母体に、あらゆる形で慰めてくれるおもちゃ

健康な豚が飲むと、毒になる

病んだ者にとっては一時的に慰めてくれる催眠薬だけれども

創作ジャンルでは、沼という言い方がある

ネットコピペでは猫型の穴という文言も使われる

人はその欠落に惹かれるが、一度触れた穴は自分にも移植され

救いようのないその欠落によって、呪いのように飢えて死ぬ事となる

ミーハーな穴だけを開けて、大量供給されるあらゆる世俗に塗れて生きていきたい

個人的な痛みなど、欲しくはない

代えの効かない人生など、怖くて仕方がない

こわい、こわい

2016-12-23

ヨーロッパ朝鮮半島(2)

http://anond.hatelabo.jp/20161221223403

ウェストファリア条約前のヨーロッパは、事実としてプロテスタント国と、カトリック国に分裂していたが、その状態理念としてあるべき姿であると捉えている訳ではなかった。皇帝あるいは教皇のような、国家を超えた存在ヨーロッパ統一している状態こそが理想であり、そのために邪魔プロテスタント存在を認めることなどできず、さまざまな手段プロテスタント否定していった。その最たるもの30年戦争であったが、その戦禍はあまりにも大きく、単一権威によるヨーロッパ統一という理念は諦め、諸国家が互いに干渉せず、国家よりも上位の権威を認めない、現在国際関係の基礎がここに出来上がったのである

現代朝鮮半島状態もこれに似ているのではないだろうか。現在朝鮮半島は、事実として北朝鮮韓国に分裂しているが、決してその状態をよしとしているわけではなく、統一された朝鮮半島理想としている。朝鮮半島統一のためには戦争というオプションでさえ放棄していない、非常に不安定状態である統一を諦めるという選択肢もあるのではないか?と思うが、朝鮮半島がそれを受け入れるには、また30年戦争のような戦禍が必要になるだろうか。できれば、そのような戦禍なしに平和と安定が実現できればいいのに。

参考資料

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E6%9D%A1%E7%B4%84

この条約の成立によって、教皇皇帝といった普遍的、超国家的な権力ヨーロッパ単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国存在を前提として勢力均衡の中で国益めぐり合従連衡を繰り返す国際秩序形成された。この条約によって規定された国際秩序ヴェストファーレン体制とも称される。

ヨーロッパ統一の動きが、ウェストファリア条約によって潰えたという解釈は、国際関係論系の教科書では割と一般的記述であると思います事実として分裂していても、理念としては統一なのですよ。あと、ひとつ物事にはさまざまな側面があって、単に世俗領土獲得が目的ヨーロッパ覇権の獲得が目的と見えても、別の側面からは違って見えるということはよくある。

例えば、4℃アクセサリーを妻にプレゼントするという事象も、法的に解釈すると動産譲渡であり、経済学的に解釈すると消費であり、文化人類学的に解釈するとまた別の何かなのである。どうも、自分歴史に詳しいという自負が垣間見られる方がいるが、それは歴史の一側面でしかなく、別の解釈否定するものではないですよ。

2016-12-17

オカン視聴者選民感は異常

オカルティック・ナイン視聴者がすごいと言うより、選民感を感じさせる作りになっているなと感じる。

シュタゲもそうだったが、まず最初キャラ造形でふるいにかける。どんな人がふるいにかけられるかというと、偏屈で器の小さい人だ。煽るような表現をして申し訳ないけど、まさしくそう思うのだから我慢して欲しい。オタクにはそういう人が多いだろうから、1話切りする人が相当いただろう。

典型的なふるいだなと思ったのが、ネットスラングを多用するキャラがいること。ネットスラング日常的に触れていて、ネタ理解できる人のうち、反応は2つに分かれる。

「あーハイハイ、クッサ、そういうのマジ勘弁」みたいに受け取る人と

「あーあるよね、そういう人もいるよねウフフ」みたいに受け取る人。

前者は、どちらかというと本当にコアなネット文化理解者というよりは、にわか感がある人に多い気がする。例えば、にわかファンがよりにわかファンを叩く光景と同じ原理が働くのだろう。つまりは、自分理解であることを自負したいから、他人理解表現することを脅威と感じたり陳腐に感じたりする。肥大した自我を守るために他者矮小化するのだ。もしくは、自分では同族と思っていないかもしれないが、同族嫌悪感情。いずれにしても、器の小さい人間のすることだ。

本当に理解が深い人は、他人表現についてもどっしり構えて心静かに観察することができて、いたずらに攻撃的になったりはしない。ネットスラングへの造詣が深かったとしても、自身現実でもネットでも一切スラングを使っておらず、おくびにも出さなタイプが多いかもしれない。要するに、理解を、自己と同一化していない。自己ステータスにしないしアピールもしない。だから自己他者を「○○を理解する人/しない人」みたいに分けてマウントするようなことがない。結果として、どんな表現フラットに受け止めやすい。創作となれば尚更だ。

中高生のころなら、そういうラベリング合戦に執心して見えない敵と戦っていた人も多かろうが、ある程度おとなになると、普通はしなくなるものだ。そう言いつつもこの文章自体ラベリング合戦同然の青臭さを帯びていることについては、見逃して欲しい。私もおとなになれなかった大きな子どもであり、自己矛盾キャラなのだ

さておき、作品全体が例に挙げたようなスラングのノリで構成されているわけではない。巨乳電波系少女を出してきて、イチゲンさんに下品萌えアニメかと思わせる部分もそうだ。結局それらは、重苦しい世界観を覆い隠すための、しかもそうである必然性が後々わかってくる類の仮面にすぎないのだ。

シリーズファンであればそのことを重々承知しているので、ああいった初見バイバイ描写に惑わされることはない。けれどそうでない人にとっては、これでもかというほど辟易させる要素が詰め込んであると映る。特にマトモぶった偏屈な人ほどそう感じ、嫌悪感を抱きやすいのではないかと思う。

主人公がウザキャラで、アフィやニート属性であることもひっかけポイントだろう。これらは、現実ではネットほど非難される対象ではない。ネットの卑しい思考回路に染まっている人ほど、これらを執拗に叩く傾向がある。経済理解している一定層以上の人間なら、アフィリエイト行為自体を叩いたり嫌悪したりはしない。やり方が悪いアフィリエイター跋扈していることは事実だとしても、アフィ自体嫌悪対象にすることはむしろ危惧すべきものだ。ニートに対しても同じ。彼らは時代産物であって、自己責任論で叩くべき存在というよりは、社会が救済すべきものだという認識が基本だ。そもそも作中の主人公は悪質なアフィリエイターでも、見放されるようなニートでもないので何も嫌悪する要素がない。むしろ可愛らしいものだ。

さらに言えば、忙しく目まぐるしいテンポ伏線を匂わせる描写密度が、一般的作品比較すると異常な域にある点もそうだ。テンポについては、ネットでは早口だと揶揄される。だが視聴していくと、この作品はむしろこのくらいのテンポが相応しいように感じられるだろう。それでも時折不自然なほど早口だと感じる部分はあって、そういう不自然さがどうしても許せない人がネットには多い。けれどインタビューによると、キャストもその部分には面食らっている。制作側もそれを理解していて、1話台本の冒頭に、どうしてこういう早口演出が多用されているか解説があったらしい。そこの部分は視聴者の我々が窺い知ることのできない所ではあるが。

ともかくネットというのは悪意的な見方人間の声が大きくなりやすい。そして、クリエイティブ制作者に対する声も含め、他者への敬意や謙虚さが微塵もない罵詈雑言が並べ立てられている。そうしたもの思考汚染され、流されてしまわないためには、実際の制作者やキャストの声を聞いて、かける思いを汲み取ることが重要だ。それはどのアニメ、どの映像作品にも言えることだが、オカン特にそれが求められる作品だと感じる。

まりにも密度が濃いので、結局大風呂敷を広げただけで伏線を回収しきれないんだろ、と馬鹿にする声も聞く。しかし10話までみてきた印象としては、かなり綿密に練られている。最新話をみるたび過去話を見返していくと、膝を打つような発見、「そういうことだったのか!」がそこかしこにある。だが、「どうせ回収できない、ご都合主義だ」と侮る声を発する人を納得させることはできないと思う。そういう見方をする時点で全てのフィクションスポイルされると思うが、それに加えてオカン特有事情がある。おそらく、アニメ単体では全ての事実は明らかにならない。コミック版は12話からアニメとは別のルートに入ったという告知がされている。アニメは2巻まで出ている原作ノベル圧縮した内容ではあるが、すでにノベルの先の展開を描いている。アニメ展開に合わせたように発売日が延長→未定となっているノベル3巻もアニメとは別のルートに入る可能性が高い。つまりメディアを律儀に追っている人ほど、全容を知れるという仕掛けになりそうだ(なんてうまい商売なんだ)。

けれども裏を返せば、そのへんの事情を知らないライト層には不完全な作品と取られる恐れもあるわけだ。そういう整合性に異常に執着するアニメファンは、爆死だなんだと言うだろう。それを見越していながら突き進むスタイルは、ある意味ロック姿勢ではある。一方でそういう側面こそある種の信者ビジネスの肝だなと冷ややかに見ることもできるが、ストーリーの内容が内容だけに、楽しむことが好きなオタクならばシャレを効かせたメタ展開だと笑って受け止めるだろう。その八福神の会だか300人委員会だか分からないが、自分もそっち側に入信して、賤民には知り得ない真実に辿り着こうではないか、なんてノリにもなるというものだ。

思うに、大ヒットする作品というのは多分にカルト的要素を含むものだ。オカンにもその素地があると感じる。ラブライブしろガルパンしろエヴァでもガンダムでもいいが、ああいった作品ファン宗教的なところがある。単に作品が魅力的だというだけではなく、作品思想が込められていて、そのメッセージ性がいわば「教義」となり、観る人を感動させ、伝播の原動力となるのだ。作品を観ることで、その教義を受け取り、コンテクストを共有する。その域までたどり着いた人はまさに信者であり、選民となる。往々にしてひねくれた演出、尖った演出の数々は、その選民感を増幅させるのに有効に働く。けれど、ついていけない人には、真逆に働く。

よく、「ノリについていけない」とか「登場人物感情移入できない」という文句を言う人がいる。そういう人はおそらく、メタ感覚作品を眺めすぎている。無意識作品の向こうに作者を透かしてみていて、そうやってみる作者のことを「こいつはダメだな、こいつの作品はいけ好かない」と思っていたりする。それで作品本体をまじめに見れなくなっており、雑念がなければ感じ取れたはずの感動を取りこぼしているのではないか原作者志倉千代丸自身もおちゃめな発言をするタイプではあるが、それも一種ペルソナを演じているだけであって、硬軟かき分ける技量がある懐の深い作家であることは原作ノベルに触れると分かる。だから仮に登場人物がイタくても、キャラ造形が古臭くても、それに引きずられて作品自体や作者をイタいと思うのは間違いだ。

感情移入ができないことを問題視するのも、そもそもおかしな話だ。感情移入ができる、というか、キャラクターの(言外にあらわれる)感情が伝わってくるから感動できる、良い、というのは分かる。しかし、それが分からない、キャラ思考回路が伝わってこないかダメだ、とはならない。異なる価値観とか多様性に対するスタンスについて説教するわけではないが、はっきり言って、そういう人は、自分と近しい環境で生き、近しい感覚・行動原理を備えた登場人物が動く作品しかまともに見れないのではないかフィクションには強烈な個性を備えたキャラがよくいるものだが、ほとんどの場合、どうしてそういう性格になったのかは察せるものだ。はじめは理解しがたい性格キャラこそ、大いに想像力を働かせながら読み進め、自分には無かった思考回路価値観にたどり着く感動が得られるものだ。萌え日常系アニメキャラならともかく、脚本があるストーリーものキャラであれば、そうやって「キャラ理解する」作業はたいてい報われる。思っているよりもずっと。そういう作業を序盤で放棄して、「こんなキャラ理解できない、受け付けない、リアルじゃない」と決めつけ、あまつさえキャラの作り込みが悪い」などと作品のせいにしている人のなんと多いことか。読書や映像鑑賞は、実は読む・観る側にも作品世界に寄り添っていく想像力積極性クリエティティが求められるものだが、「消費する側」という立場になりきって選好を重ね、消費の達人になっていけばいくほど、傲慢想像力を停止した人間になっていくものなのだろう。

難儀なものではあるが、志倉千代丸作品に限っては、さらに、彼がイケメンで曲も詞もコードも書けてオタク力も高い上に金持ち、という超人的な要素があるせいで、僻みも加わってくるのかもしれない。けれども、作品を鑑賞する時というのは、そういう作者がいけ好かないだとか制作会社がどうだとか、そういう世俗的な感覚基本的に切り離しておくべきものだと思う。そういう感覚を混ぜることで楽しめるならまだしも、雑念になるのならばそれを排除する努力を(作り手ではなく)読み手側がしなければならない。それが創作に対し敬意を払うことだと思うからだ。

どうにもオカンの話ではなくネットアニオタ批判になってしまったが、これから時代コンテンツを楽しむということは、イコールネットの俗悪な風評とは距離を置いた賢明で物静かな「選民」になることだと思う。別に私のように選民意識をちらつかせて下層の民を殴ることはしなくていいが、そういう衝突もどんどん表面化していくのだろうと思う。もっと短文で動物的な形になるとは思うけれど。不快だが避けられないネット未来。そんな未来だとしても、それでも、日本アニメは「刺さる人には刺さる」方向性で突き進むのが向いていると思う。誰もが楽しめる優等生的な作品作りはディズニーあたりのお仕事。「刺さる人には刺さる」コンテンツ作りの先端を行くオカンのような作品に触れられることを私は幸せだと思う。

2016-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20161108140547

そうか。高尚なはてなーの中には俺みたいな俗物も混じっているので、せめて[世俗]とかカテゴライズして書いて欲しいな。高尚な人には低俗ものに合わせるのってキツイかも知れないけど。

2016-11-01

血糊まみれのハロウィンなんかくそくらえ from ファストフード店員

地方都市繁華街ファストフード店員をやっている。東京で言ったら歌舞伎町とか新宿とかそんなイメージ繁華街

世俗に疎いもんで、「週末と月曜は仮装したお客さんが多そうだなー」くらいにしか思ってなかった。



日曜と月曜で働いたけど、最近では仮装するのがガチな流れになってるんだね。

増田高校生ときは、お菓子交換パーティーくらいのノリだったし、

今は大学生だけど月曜日は全休だった。



本来の収穫を祝うだの悪霊を化かすだのそういう意味二の次になってるけど、まあ楽しそうだよね。

アリスだのアラジンだの、魔女やらぷーさんやらドラキュラやら警察官やら、いろいろなお化けが来店してくれて、楽しかったよ。クオリティ高かったよ。

うちのマスコットキャラクター仮装をした人の接客は、触れずにいたけど内心ニヤニヤしてたよ。

フェイスペイントした血のり付きの制服女の子が深夜に来たから、「高校生の深夜の店内ご利用はお断りしてるんです」と伝えたら、ニコニコ自動車免許を見せてくれて、

気まずくならずに年齢確認終えたの初めてだったよ。




で・も・ね。





なんで血糊だとかアザメイクとかそのままで来店するわけえええーーー??????






レジときもお客さんの顔見てるけど、一瞬レジ打ちなんかで集中した後にお客さんの顔見てぎょっとするよ。

商品渡す時にも、お客さんの顔見て店員キドキだよ。

アザもケガの跡もフェイクだとわかってるけど痛そう。

可愛いなーと思って見てたアリスは、近づいて見てみてら血まみれアザメイク。ドッキリかよ。




別に増田はぐろいものが苦手ではない。今年はサンマが豊作だ―って思いながら一匹85円の丸ごとのサンマをさばいたりしてる。

ただ、前述の通り、ハロウィン気分ではないのだ。

仮装した友達の姿見て、このメイクすごーいとか、○○ちゃん似合うーとかそういう気分ではない。

から、血糊やアザ、怪我のメイクを見ると、見たくもないホラー映画を見せられている気分になる。

わあすごいメイクだなあ、と思うよりも、なんだか気が滅入ってしまう。

第一本当の他人の怪我やアザを見たい人とかいないはずなのに、

仮装から、ホンモノじゃないから、ただの通行人に見せるのもオッケー!!!ってなんかおかしくない?

加えて、飲食店店員という使命もある。食品を扱っているから血には敏感だし、

お客さんの怪我の血がカウンター台についたら、お客さんが移動した後に除菌して掃除していたりする。

カウンター台を汚されたら、血糊でも次のお客さんのためにいったん接客の流れを止めて、拭かないといけない。




あと仮装マスク被ったまま来店して注文するお客さん。

そりゃ食べるときは脱ぐんだろうけど、防犯上大変よろしくないからお店入った時点で脱いでね。

顔が分からない人を接客するって、思っている以上に怖い。銃とか出てきそうで怖い。





そんなこんなで疲れてバイトを上がった。もうハロウィンに外に出るとかこりごりだ。うんざりした。

次は大人しくバイトを休んで家に籠ろうと思う。

でも、書きながら、来年はうちもハロウィンコスプレして接客すればいい気がしてきた。

お店の制服一種コスプレだよね。血まみれ制服を着た店員が売るファストフードを食べたいお客さん、いるかな。

2016-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20161022030419

市場経済科学技術が発展していないと、欲望を追求しようにもすぐにリソース限界に達しちゃうでしょ。

からほとんどの前近代までの文明は最盛期までは世俗的・現実的でも、限界に達した後は抑制的・神秘主義的傾向に変わる。

2016-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20161013070634

讃美歌や労働歌というのは、今でいえば懐メロ名曲と言われるものを何十年もずっと歌い続けていたようなものだし、

酒場の歌や演奏も似たようなものだろう。

いや、作曲家すごーくたくさんいて、宗教曲も世俗曲もどんどん新曲作られてたよ。

1人で何百曲も書く作曲家だっていたし、有名無名合わせて一時代に何百人と作曲家はいたから、新しい音楽はいくらでも溢れていた。

から伝わる民謡だとか、伝統的なグレゴリオ聖歌ばかりを延々歌ってたわけじゃなくて、その時代作曲家がその時代に作った音楽普通に歌われていたんだよ。

現代との人口からすれば、そこまで少なくもない。

 

次々と新たなヒット曲が生まれていた状況のほうが

当時の音楽パトロンが大枚はたいて作曲家に書かせるものだったから、そりゃあ確かに"ヒット曲"なんて概念存在しなかったね。

流行歌というものはその時代にはもうすでに確かに存在したけど。

2016-08-09

世俗習俗となっているEM

EM効果科学的に証明されていようがいるまいが関係ない。

EM存在し、その効果を信じる人々の信仰は誰にも排除できないのだ。

EM老人会婦人会町内会といった市井の人々の素朴な信仰なのだ

彼はらEMで金儲けをしようとしているわけではない。純粋善意で、EMの啓発を行っているのだ。

そこにいくら非科学的だ、オカルトだと正論をぶつけたところで、彼らには通じない。

彼らにEM非科学性を信じさせるには、一つの方法しか無い。彼らにEM科学的に万能だと信じ込ませた人から否定言葉だ。だが、それは絶対にありえない。

もはや彼らにとって、EMは、それぞれの地域にある鎮守稲荷天神観音といった世俗習俗文化と同一のものになっているのだ。

はたして地方の小さな自治体が、その素朴な信仰を無下にできるだろうか。

幼稚園保育園、小中学校は、地元と密接に関わらざるを得ないのだ。

地元婦人会老人会町内会との良好な関係が、そこに通う児童生徒の教育・養育環境に大きな影響を及ぼすのだ。

EMを苦々しく思っている役場担当もいるだろう。

だがしかしEM公然否定することはできない。

EM否定地域コミュニティ否定に繋がるようになってしまったのだ。

はいえ、公にEM肯定することもできない。

EM肯定的意見ネット流出させてしまえば、袋叩きに遭ってしまうからだ。

EM宗教的だ。だが、宗教として認識されていない。

EM宗教だと、広く認識されていれば、役所人間公然排除できるのだが。

実は、EMの正しい使い方というのがあるのかもしれない。

将来、ある条件下において、EMに含まれる菌の相互作用で、ある効果を発揮することが解明されるのかもしれない。

しかし、その解明されたものは、彼らにとって、もうEMでは無いのだ。

彼らにとって、EMとは、曖昧模糊とした存在でありつづけなければならないからだ。

このような存在になってしまったEMは、健康生命への危険性が立証されない限り、その存在否定することはかなわないだろう。

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