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はてなキーワード: 世俗とは

2018-06-07

anond:20180607082522

「今文学作品として評価され教科書に載っている○○も、当時は世俗的、扇情的として文壇から黙殺され当局から取り締まりを受け…

2018-05-31

anond:20180531093447

アフリカ裸族とかそんな感じだぜ。そこは居住空間すらも丸見えの世俗から隔離された集落だったけど、隠すという発想がないから誰も恥ずかしがってない、当たり前って感じ。むかし世界まる見えTV見たわ

2018-05-29

過去駄文

私はどのような人間になりたいのだろう。

学問にばかり興味があり、それにのみ没頭するのは何だかまらないように感じる。

世俗のことに囚われてばかりも薄っぺらいから嫌だ。

自分のことを、何かの啓発本に載っているような「目的をもち人生の充足を感じる人間」に落とし込むのは嫌な気がした。

それは、いわゆる青臭さであり、第何次かのイヤイヤ期であるのかもしれない。

何回イヤイヤ期を経れば私は幼子から大人へと進化するのだろう。

いきなりその飛躍を求めるのは、あまりにも不自然だろうか。

万物に秀でたいのか。

かに劣等感を持ちたくないのか。

そのためには、全てにおいて人より上でなければならないのか。

あれでは勝てないけど、自分にはこれがあるからいい、とは思えないのか。

自分は嫌に幼い。

そのくせ妙に大人ぶる。

賢そうに振る舞おうとする。

それが無様だ。

しかし、周りに賢いだの秀でているだの思われるのが常であるような気になっている。

実際今まではそうだった。

しかし今や自分は○大生だ。

周りの方が圧倒的にレベルが高い。

生半可、半分もないだろうと思うほどの気持ちと、かけらもない努力の量で、学者になりたいなどとほざく。

そのことへの罪悪感。

切迫感。

そしてそれから逃れるように現実逃避

自分には、この道しかないように思われるのに。

学者になりたいという人間は、皆勉強が好きで、得意で、積極的に動けて、自分はこれが得意というある程度の自負があり、しかし自負が誇大にならぬよう、常に自分がその分野ではどこに立っているのかを弁えている。

本当か?

と、思っているからこのざまだ。

自分選択肢は、まだ残っている。

義務だの破棄だのしいるから、ないように思ってがんじがらめだ。

自分の速度でいいから、進まなくてはいけない。

背伸びした速度では、何も身に付かず結局遠回りだ。

一冊でいい。一章でいい。

本を読み進めるべきだ。

音楽聴いてもいい、途中で休憩して遊んでもいい。

結局自分に課しているのは自分で、責めているのも自分で、脅しているのも自分しかない。

誰もお前に正しいことは教えてくれない。

適切なもの提示してくれない。

トライアンドエラーしか、それは分かり得ない。

これもまた、やる気になるおまじない程度で、自分の期待を裏切るのかもしれない。

それでも進まなくては。

進むことであり、伸ばすことはついてくることだ。

自分は成長しない人間かもしれない。

才能などないかもしれない。

可能性などハナから無かったのかもしれない。

それを神様が選んだだの、自分特別人間だだの言うのは、いい加減やめてしまえ。

結果だ。お前の考える物語は、見てきた物語は、後付けの、それの説明しかないんだ。

そんなものがはじめからあるのではない。

そう思うしかない。

2018-05-11

anond:20180511035020

主張はわかるけど、さすがに、昔の旧帝大文学部哲学科みたいに「卒業しても、就職先と無縁だけど、ここでは、きちんと勉強できるぞ」

と言われて、「そうなんだ、純粋世俗出世無関係勉強のための存在なんだね」と納得できる人って、少ないだろ

まあ、仕方ないのかもしれないけど

2018-05-10

anond:20180510165609

さとり世代若者カルチャーにおいて、もはやガチャというのは、商品提供する手段ではなく、体のいいお布施認識されている。

商品の取得にこだわりを抱いたままガチャへ赴く人は、煩悩払拭できてない世俗的な人間であるとみなされる。

ただし、既にさとりを開いている人間も表面上は、ガチャ一喜一憂し、まるで平凡な人であるかように振る舞い、日常光景を崩さないように「気遣い」しているので、気をつけねばならない。

2018-05-07

グレンラガン劇場版を見た。

すっごく良かった!

「これだよ、これ」なんて言うもう感嘆するような吐息自然とあふれ出てきてもう大満足。

見終わった後の余韻も最高。

そして感慨深いこの気持ち

学校道徳の授業にはもうこれを流せよ。

何が悪で何が善であるか云々よりも、それ以上に大切なものがあるってことを教えてくれるのだから

自分探しインド行くやつはもう黙ってこれを見ろよ。

自分自分他人には決してなれないという、自らの信念を持つことを教えてくれるのだから

世俗に疲れてお寺に禅にしに行くやつはこれを体感しろよ。

この作品こそまさに、「不立文字」たる概念真摯に教えてくれる作品なのだから!!

2018-04-25

anond:20180425103114

そもそも消費傾向だけでオタク定義するのがエヴァンゲリオンのヒット以降に出てきた歴史の短い経済学ベースの浅い分析しかなくて

オタクという言葉世俗的な運用としてはある種の特徴的な容姿発達障害傾向を併せ持つ人々を指していたはずだった

ところがなぜか経済学一派の定義文化的な主導権までをも握ってしま

自称オタクがそれこそ自称アダルトチルドレン自称発達障害自称メンヘラみたいなものと同様に出現してしまったのが

今のオタク定義議論の捻じれを生んでしまっていると思う

から容姿キモい発達障害傾向の女なんていないでしょ?っていう意味で言っているのだとしたら

そういう女性存在するけど数が少なくて目立ちにくいため

言いたくなるのはわからなくもない

2018-04-23

DNSブロッキングっていじめだよな

あいキモいよな、無視しようぜ無視」「へへー、仰せのままに」

って手法、とっても日本的だと思います

・・・・・・ってくらい、属人的世俗に塗れた手法に成り下がってしまった気がする。

2018-04-18

anond:20180418172216

イスラエル 出生率」でググって出てくる記事では、

https://wirelesswire.jp/2018/01/63045/

それでも出生率が増加する理由は、二つ考えられる。一つ目は、ユダヤ人は子孫繁栄してゆく家族を築くことをとても重視しており、家族仕事よりずっと大切だと考える人が多いことである

二つ目政治的理由であるイスラエル民主国家であり、現在二十数%のイスラエルアラブ人口が過半数を超えればユダヤ人国家ではなくイスラム国家となってしまう。したがって、たとえ世俗派のイスラエル人であってもユダヤ人口増加率がアラブ人口増加率を上回らない限り、ユダヤ人国家は存続できないという恐怖観念を抱えているという。

とある

後者理由はわりと納得感があるが。

2018-04-07

下方婚をしない女は途上国ではどうなっているのか

宗教が強い途上国ではコミュニティ強制力結婚

一方、世俗的な途上国では金持ち外国人結婚しようとする。

貧乏自国男を振り切りとにかく外国人区画に出入りする。

外国人結婚すればアガリ。

メキシコ人アメリカ人の主人の子どもを孕み子どもアメリカ人にしようとする。

シンガポールではそれを防ぐため主人の子を孕んだマレーシア人国外追放にしているほどだ。

そんな経済状況でフェミニズムなんぞ見る影はない。

日本の行く道だな。

2018-04-05

大相撲女人禁制

伝統を建前として既得権的な物を守るための生臭いまりだと思ってたけど

今回の件でわりとガチ信仰だったんだとむしろ見直した。

これは世俗価値観押し付けずにちゃんと守ってあげるべきだと思う。

人が死にそうな状況でまずそっちに頭がいって大慌てでお清めするとか

本気の信仰じゃないとできないじゃん。

anond:20180405111617

坊主なら世俗関係を断って何年も過ごすわけだから

そりゃ女を見ればどうにかなっちゃっても同情すべき点はあるんちゃうかな?

2018-03-25

瞑想出会えて感謝しています

買い物や町を歩く、電車等の交通機関を利用する

ありとあらゆる機会で私に対する悪口を聞きます

世俗の人たちは聞こえるか聞こえないかの音量の声でお互いに悪口を言い合っているようです

私に対してもまず悪口をいい、次に喋れと言ってきます

その時私には怒りが生じますが、無我と言い聞かせることで忍耐、つまり冷静であろうとしています

ただ未熟なので時々怒ってしまます

大体同じことを世間様に申し上げるのです

「私を嫌う世間の皆様が幸せでありますように。私に悪口を言いたければ言ってください。ただし私はお付き合いいたしません。皆様が幸せでありますように」と

昨日駅のプラットフォームであまり悪口を言われたので大声でこのことをお伝えしました

ありとあらゆる機会で悪口を言われるというのは

具体的にどういう事かと申し上げます

例えば昨日の行動において記憶に残っている範囲では

数年ぶりに行った眼医者で処方された目薬を受け取るために薬局に立ち寄った際

そこでの薬剤師笑顔で応対してくれながら「出たなこのボンクラめ」「これだけ言うのにまだ黙っているか」とおっしゃってました

数年前の私はおそらく無自覚にこの方を不愉快にしていたのでしょう

買い物に行くため原付運転時、信号待ちで左端で待機した時、道路中央で先に待っていた中型バイクに並ぶ形になった際

信号バイクが発進時に「殺すぞ、クソ」とおっしゃっていました

から来た私が並んだのがこの方は気に入らなかったのかもしれません

あとこれは女性の方、若い方に多いですが電車に乗り込むと「気持ち悪い」「消えろ」とおっしゃっていました

これまで何年もの彼らの攻撃を少しずつまとめてみると

悪を為さず善行を積むという生き方は私には生意気だと世間の方は非難したいようです

我々は世間の厳しさの中(悪口を言い合い苦しめ苦しめられる世界)で必死に生きているのに

お前は大した社会貢献もせずに楽に生きようとしていると

ずるいというのが世間の方々の言わんとしていることのようです

何の不安苦痛もなく出かけ行動できるのが当たり前だと思っていました

ですがそれは恵まれ子どもが甘受できる特権のようなもので実際は今体感しているのが現実の姿なのかもしれません

私はとても恵まれていたのでその特権子どもを過ぎた年齢になっても与えられていた、言い方を変えれば甘やかされ、守られていたと考えられます

大人と呼べる年になっても制約なく、つまり悪口を言われることなく行動できる人間は、世間に染まり悪口を言い言われる輪に参加しているタイプか、悪口を言わせないだけの貢献をしているタイプ暴力を盾に自身を守っているタイプなんでしょう

1番目と3番目は耐えられません

そして2番目は私がそうあろうと精進したところで彼らは認めません

私の結末がどうなるかは分かりませんが、現実的に考えて現状のまま生きながらえるか私が世間に屈して悪口に身を落とすか、絶望して自殺するかのどれかなんだと思います

別に私は潔白だとか世間は醜いだとか間違っているとかそんなこと主張するつもりは全くないです

きっと何千年もそうやって社会はまわってきたんでしょうから

ただ欲を言うと気に入らないならさっさと殺してくれればいいのにと思います

結末の選択肢の中に現状のまま生きながらえるというものが入れれるようになったのは瞑想仏教の教えのおかげです

以前の私なら悪口に対し恐怖しパニックになって震えて自室に籠もることしかできなかったでしょうから

仕事一生懸命し、家事をきちんとし、他者の世話もそれなりにできるようになったのは慈悲の瞑想ヴィパッサナー瞑想のおかげです

2018-03-17

ここ最近良く思うのは、やっぱり金がほしい

自分は生きる事から解放される自由まではまだ求めていない世俗人。

から金を得る必要がある。

金があれば自由時間もっともっと手に入れられる。

仕事するのも自由

しないで読書鬼ごっこしてるのも自由

ああ鬼ごっこ良いなあ。

そして夕ご飯になったら家に帰って、そしたら美味しい料理が待ってるんだ。

そうやって死ぬまで暮らせる程度のお金がほしい。

それだけなんだ。

100年後や200年後、ロボット産業の発達でそうやって生きていける人が大半になるのかなあ。

うらやましいな。

[] #52-4「カカオ聖戦

ところかわって兄の俺は、相変わらず家で世俗にまみれない快適な時を過ごしていた。

しかし、そんなひと時を邪魔するインターホンが鳴り響く。

俺は重い腰をあげると、しぶしぶ玄関に向かった。

念のため、覗き穴から来訪者を窺う。

わずため息をついた。

そこから見えたのは弟だったのだ。

やれやれ、どうやら鍵を忘れて出て行ったようだな。

「弟よ、戦果は如何ほどだったかな?」

ここで深く考えずにドアを開けてしまったのは、我ながら迂闊だった。

覗き穴ごしからは気づかなかったが、肉眼で至近距離ともなると一目瞭然である

弟ではなく、弟に変装したドッペルだ。

バレンタイン……」

そう言うとドッペルは、おずおずと俺の前に箱を差し出した。

やたらと煌びやかなラッピングに対して、箱そのものデザインはひどくシンプルである

言葉が少なすぎて確信は持てないが、バレンタインと言っていたのでそういうことなのだろう。

俺はこの箱の中身、ひいては“意味”を考えていた。

気がかりなのは、いつも以上に挙動不審のドッペルだ。

手元にある少ない情報から可能な限り推察する。

答えはすぐに導き出された。

これは弟のチョコばらまき作戦の一つで、俺も候補に入れたってわけだ。

だが、弟の思惑を俺は知っているので、普通に渡しても受け取ってくれるはずがない。

そこでドッペルを介した。

俺は見分けがつくので、ドッペルだと気づいてチョコを何の疑いもなく受け取る。

これが罠なのだ

弟に変装したドッペルは、後に俺にはチョコを渡していないとしらばっくれる。

そうなると、俺の受け取ったチョコは弟から貰ったという扱いにされてしまう。

そして、俺は弟に高いものを買わされる、と。

随分と回りくどい真似をしてきやがる。

だが、所詮ガキの浅知恵だ。

この作戦には致命的な欠点がある。

「ドッペル、これを受け取る前に確認しておきたいことがある」

「な、なに?」

「いま、お前は弟の姿に変装しているが、弟ではない。ドッペル、お前が俺にくれるんだよな?」

なんてことはない、事実確認だ。

ただつき返すだけでは弟への報復にはならない。

モノは貰う、だがお返しはしない。

しなくていいように、弟があげたなどという可能性を完全に無くす。

「う、うん」

「よし。念のため、包みにお前の筆跡で書いてもらえないか? 『マスダの兄ちゃんへ、ドッペルより』って」

言ったとおりのことを包みに書いてもらい、俺は粛々と受け取った。

その箱の中身がチョコではなく、ケーキだとも知らないで……。


…………

ところ変わって弟のほうでは、タオナケとの熾烈なチョコ押し付け合いが始まっていた。

私、女だけどチョコが欲しくないわけ?」

「欲しいよ。ホワイトデーに何も返さなくていいならな! そういうタオナケこそ、俺から貰っておけばいいじゃないか

私、女だけどお断りよ! ホワイトデーによこしなさい!」

戦いは拮抗していた。

タオナケには超能力があるが、「念じると5回に1回、無機物破壊できる」というもので使い勝手が悪い。

下手に弟のモノを壊せば、お返しどころではなくなる可能性がある。

弟はドッペルを身代わりに有耶無耶にするとは言っていたものの、あくまでそれは最終手段だ。

それにチョコ押し付け合いごときで、仲間にそんなことはしたくない程度の情はある。

そもそも互いがチョコを欲していない時点で、この勝負不毛しかなかったのだが。

そのことをミミセンが指摘するまで、二人の戦いは続いた。

(#52-5へ続く)

2018-01-31

いただきます」教の功罪

職場でお昼ご飯を食べようと思って、コンビニ弁当を前に、

無意識に「いただきます」ってつぶやきながら合掌していたのだけれど、

だんだんこのルーティーンが不思議ものに思えてきた。

「合掌」は宗教的動作として、(特に外国人から見たら)なかなか強烈なヴィジュアルだと思う。

もっとも私は無宗教で、別に特定の神に対して祈りを捧げていたわけではない。

弁当調理した工場の人や、食材生産に携わった農家や、食べられるために死んだ生き物に祈ったのだろうか。

幼稚園小学校では、だいたいそんなニュアンス動作として教え込まれたような気もする。

「お残し」という戒律破りをすると、

どんな悪党でも、心のどこかで多少は彼らに対する罪悪感にさいなまれるわけで、

やはり強固な宗教的モラルとして、私たちの心に定着している。

もちろん宗教的であることと世俗的な合理性矛盾しない。

現に「いただきます」教は、いまでも食品ロス問題への効用があるはずだ。

しかしこの「いただきます」教には、少なからデメリット存在するように思う。

たとえば、

①「いただきます」教の原理主義教諭による、なかば拷問的な完食の強要

食品生産者への盲目的な礼讃により、消費者が「買わない」「食べない」という意思表示を示すことの困難(昨今のウナギ問題など)。

公教育の場で「合掌」を強要することの宗教的中立性の問題

などなど、色々思い浮かんでくる。

私たちはいま一度「いただきます」教の功罪を考えるべきかもしれない。

2018-01-29

もう5chで調べることもないなと気付いた

世俗的な趣味も無くなったし

自分を(5chにいるような集団より)信頼できるようになった

というか素人集団が下す判断いかに信用出来ないか判った

そろそろ本体ブロックして良さそう

2018-01-28

ハッカー情報処理専門家

優秀なハッカーは高度なセキュリティを打ち破り誰かが作ったシステムを乗っ取ることができる。それだけの能力があれば人生をハックして金持ちになったりいい女と付き合ったりしても良さそうだがそんな話を聞いたことがない。やろうと思えばできるが世俗的な成功に興味がないのか

2018-01-12

人外IT

不幸の手紙、不幸のメールと来て最近は不幸のLINEらしい。

すごいな、化け物や妖怪の類いも最新技術に付いていけないと存続できないってことか。

ということは貞子も最近活動拠点Blu-rayYouTubeに移してるのかな?

そろそろ妖怪界隈のSEとかも登場してるのかな?

(追記)

指摘によると貞子の性質的に現代技術への汎用性はかなり高いようで…怖くてリング完走できないもので…。

言われてみれば都市伝説ではインターネット拠点活動してるモノが既にいますね。

と言うか都市伝説自体情報化社会の末に語られるようになったとも言うか。

存続のために世の中の流れに乗らざるを得ないのか、人の世俗の移り変わりと共に語られるモノが変容していくのか。

どれだけ技術が発展してもそういうモノもきちんと憑いて来るものなんですねぇ。

2018-01-10

anond:20180110001543

未熟ゆえ世俗との繋がりを絶つ、山籠り、行乞等昔から普通に実践してた人間はいるよね。

高校野球だって強豪は全部寮

2017-12-19

太行の劉鴻訓

太行の劉鴻訓は世俗を気にしない闊達若者だったが

呉三桂の乱に従軍し生き残るも故郷が焼けてしまったと聞き長沙暮らしていた。

清貧生活で金が溜まり嫁を貰おうと考えていた時、人売の老婆が連れていた歳十三、十四ほどの容貌美しく芸達者な白梅という少女一目惚れしこれを買った。

家に連れて帰り酒を酌み交わすと蝋のような白くなめらかな肌が朱に染まり、その香りがたまらず劉は白梅の手を取り床に入ると隠し所をまさぐるとそれが男だったので劉は驚き問いただすと

「あの老婆は孤児を飾り芸を仕込み売るのを生業としている女で僕は狐でみめよいものからあなたはぺてんにひっかかったのです」

と言われ劉はがっくりとしていると白梅が出ていこうとするので腕を取りそれをさえぎり言った。

「私は君に惚れて買ったのだからここにいて構わないし、妻と言っても誰も疑わないだろう」

白梅は顔をあからめて座り、劉は同衾を求めるも白梅処女のようにつつましく言葉遊戯に触れるとさっと恥じらって壁を向いてしまう。

あなたはいい人だと思ったのに断袖の癖があっただなんて、僕は狐ですし、禽の習い、獣の好みではありませんか」と怒って出ていってしまった。

劉はこれっきり会えないのかと落ち込んでいたが、しばらくして白梅がまた現れたので劉は喜び夫婦になることを望むと白梅は「交わらずとも親しくなることはできるでしょう」と言うも

劉は「そういう癖は元々なかったのに君は夢にでも出てくる、君以外何もいらない」と言い、蕩かすようなことを言ってまとわりつくのでまた出ていってしまう。

劉は何もかも失ったかのように鬱々としてついに病気になってしまった。

白梅がまた訪れて臥せる劉を見てはらはらと涙を流し、

「本当は僕もあなたを愛しているのですが、男同士は禍をもたらすのでしなかったのです。暫くの間時間をください。」と薬を劉に飲ませ去っていった。

劉の病気回復したが、心は寂しさにあふれたままだった。

一年経ったある日壮麗な御車と麗しく着飾った白梅が現れた。聞くと

「峨嵋山の神仙を頼り、女になる術を学んでいたのです。あなたと一緒にいるためですよ」と白梅は言う。

劉は涙を流し喜んだ。劉の家は富みその夫人は美しくよく働き琴の音は皆を穏やかにさせた。

どこの名家の娘が降嫁してきたのだと街で噂されたが、誰も白梅を狐で男だとは思わないのである

2017-10-29

127 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 15:04:59.86 ID:Jc3EswWr

宗教ってなんなのかと言えば不条理教義を受け入れることで思考停止をして心の安らぎを得るってこと

逆に世俗主義理性主義は条理の通りに好きに生きられるけど存在不安死の不安を抱え続けること

世俗的だから良い寛容だから良いって話ではない

理性では心は救えない

128 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/10/29(日) 13:41:18.29 ID:tkS6/B6P

>>127

世俗主義理性主義というのも、一見条理に生きているようで、すぐにあちこちぶつかる壁に

目をつぶりながら、ごまかしごまかしって人も多いけどね

少なくとも、自分を支える物質安心要素ががたつくと自分も信念もあっという間にがたつく

しかもその物質安心要素も、自分が思っているほど自分共同体の手で獲得されたものではなく

恩寵しかなかったりする

こう考えると、宗教的人間のほうが条理に生きているともいえる

ただ目に見えない、言語しづらい世界だけに、それを表現するとプリミティブに過ぎることがある

すべての宗教ストーリー時代民族を超えて受け入れられるものでもない



2chレスがためになったと思ったのははじめてだ。

2017-10-19

映画パターソン』についての感想

http://paterson-movie.com/

日常ルーティーンの繰り返しだ。

ただし、詩人の目を通すと、そのルーティーンは、シラブルに分解されて、音韻を持ち始める。

詩の律動で切り取られた何気ない日常の美しさは、何者でもない私達の日常可能性だ。

私はそのようにこの映画の美しさを理解した。

主人公の男はアメリカの片田舎に住むバス運転手

男は詩を愛し、誰に発表するでもない詩をノートに書き留める。

控えめで、寡黙。

一見すると、仕事は単調で、

生活に彩りは乏しく、時代から取り残された男という印象すら持つ。

映画その男の1週間を追う。

映画を見た後の彼の生活の印象は、その外見上の説明から想像する様子とはまるで異なる。

映画カメラは、彼の生活を描くのに、

同じカメラワークを使うことを慎重に避けているように感じた。

そのおかげか、彼のモノトーンなはずの1週間には決して同じ日はなく、

毎日の反復によるリズムの中に、小さなアクセントが隠され、

映像全体から音韻の繰り返しのような心地よさを感じる。

宙に浮いた謎掛けのように繰り返し用意された双子モチーフは、

そのまま、詩韻の映像表現であるように私は理解した。

男はやや風変わりではあるが、決して孤独ではない。

世俗から切り離された孤高の詩人ではなく、

彼は生活者目線で、等身大生活を愛している。

彼の愛するパートナーは、愛と尊敬にあふれているが、

スマートフォンタブレットを持ち、テレビ通販ギターを買ってしまうような

世俗の人として描かれる。

彼の彼女に対する、少し戸惑ったような視線の奥底には

蔑みでもなく、諦めでもなく、あるいは赦しのような高みに立った者の視点ではなく、

ただ、優しさと理解が溢れている。

彼女存在は、彼が世界をどう受け止めて、愛しているか象徴であるように見た。

彼はそれに居心地の悪さを感じながらも、否定せずに受け止め、

彼の方法で愛している。

それは男の世界の把握の仕方であるように思えるし、

彼の詩には、その把握の仕方が反映されて、

生活者の、優しい視線が溢れているし、

それは詩としてのこの映画全体にも同じことが言えるように思えた。

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170828190132

それこそが、神があなたに与えた試練なのではないでしょうか?

信仰に生きるか、世俗に流されるままに生きるかが問われています

2017-07-09

女のハイヒールと化粧は、有害表現があるマンガと同じ (ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。の続編)

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

https://anond.hatelabo.jp/20170518235031

↑これの続き。

  

少年ジャンプ漫画『ゆらぎ荘の幽奈さん』が炎上しているのを見て、私はハイヒール・化粧を滅ぼすべきだという気持ちを新たにした。

この件に関して、リベラル側の主張は、「セクハラ肯定的に描いた漫画子供に見せるべきではない」というものだった。

私もこれに賛成である。もちろん表現の自由があるので、ああい有害表現のある漫画発禁にしてよいとは思わないが、ゾーニングをして子供の目が届かない場所に置くという配慮必要だろう。

  

そして、これは化粧・ハイヒールについても同様のことが言える。

私は化粧・ハイヒールのような有害物をゾーニングするべきだと思っている。

「女は化粧・ハイヒールを好むのが自然だ」「化粧・ハイヒールを使えば美しくなれる」というイメージ子供に植え付けることは、大変に有害だ。子供にそういうものを見せるべきではないし、もし見せるとすれば何らかの教育的配慮必要だ。

  

女性の中には、たしか自分で好んでハイヒール・化粧を選ぶ人たちも多い。

一方で、それを女性スタンダードだとして強制する空気もある。

仮にハイヒール・化粧そのものには罪がないとしても、それが同調圧力となっていて、すでに実際の人権侵害が起こっているのである。このファッションの愛好者たちには、社会的責任を取らせるべきだろう。

  

もっとも、化粧・ハイヒールを楽しむことは、一応は表現の自由幸福追求権に含まれるのであって、その権利を奪ってはいけない。

しかし、なぜ子供が見ている場所でそれをやってみせる必要があるのか? なぜ女性たちを縛りつける同調圧力を作ってまで、公共の場所でそのファッションをする必要があるのか? 私はこの不正義に怒っている。

どうしてもやりたければ、愛好者だけが集まる場所を作って、そこで存分にハイヒール・化粧を楽しめばいい。なにも完全に規制しろというのではなく、時と場所をわきまえてくれというのが私の主張だ。

  

  

  

リベラル大衆代弁者から、正しさの追求には耐えられない

リベラルの何がクソなのかというと、あいつらはラディカルな左翼とは違って、やっていることが世俗的すぎるし、大衆の味方をしすぎている。

例えば彼らが主張している「ポリティカル・コレクトネス」は、あくま現代大衆が受け入れられる程度の正しさである

それは大衆の好みを忖度しまくった上で構築された概念であり、本当の意味での正しさではない。

  

例えば先日のニュースで、アメリカディズニーランドの『カリブの海賊』のアトラクションで、花嫁オークション人身売買)のシーンが女性差別だとして中止になったという報道があった。

はてなTwitterで反応を調べてみると、案の定リベラルはこれを好意的に受け止めたようである

言うまでもなく、女性差別エンターテイメントとして消費するのはポリコレに反するからディズニーランドの今回の判断進歩だと見なすことができる。しかし、本気で正しさを追及するつもりがあるならば、「差別から目をそむけるな。差別について学習する機会を奪うべきではない」という意見になるはずだ。

これに対して、リベラルはきっとこう反論するだろう。

  

ディズニーランドは娯楽施設であって、差別を学ぶための学習施設ではない」

エンターテイメントなんだから、正しさを過度に求めてはいけない」

民間企業なんだから運営方針自由に決めてよい」

  

これはまるで、表現の自由戦士オタクどもが必死になって、有害でおぞましいアニメ漫画正当化するときに使っているロジックのものである

まりリベラルにとっては、オタクのような異端者は弾圧してよいが、ディズニーランドを楽しむのは大衆権利から擁護しなければならないというわけだ。この恣意的基準によって構築されているのが「ポリコレ」だ。

リベラルが言うところのポリコレとは、大衆の好みを反映し、せいぜい大衆利益を損なわない程度に追求すればよいものであるらしい。だからディズニーランド廃園に追いこめ、廃園しなくていいが年齢制限を設けろ、というような話には絶対にならないのである

  

  

  

なお、ディズニーによくある「お姫様プリンセス)」を美化する物語も、私は有害だと思っている。こういう物語身分差別正当化しているし、労働者庶民を軽んじすぎていて、そのことが民主主義の妨げになりうる。

これは子供に悪影響を及ぼすだろう。リベラルはこの点に関して甘いので、私のようにこれを有害表現だと断罪してみせることはない。それどころか、恥知らずにも『アナと雪の女王』を絶賛している始末である

このことからも、リベラルの唱えるポリコレというのが本当の正しさを求めているのではなく、普通大衆が受け入れられる程度の保守的道徳観に基づいていることが分かる。

大衆は、例えばオタクのような異端者が腐臭を放っていることを我慢できないくせに、自分たちいか腐臭を放っているか無自覚だ。リベラルはこの大衆を代弁している政治勢力なのである。ゆえに、リベラルは、大衆に過度の負担を強いるほど厳格なやり方で正しさを追求することには耐えられず、「ハイヒール・化粧を規制しろ」という私の主張には反発するのである

  

リベラルLGBT権利擁護するとき姿勢を見ても、このことは一目瞭然だ。

彼らは「同性婚を認めるべきだ」とは言うが、「結婚制度を粉砕しろ」とは言わない。

結婚などというのは、個人主義を抑圧している封建主義産物であるが、リベラルあくまでも大衆利益であるところの結婚制度を維持しようとする。その上で、そこに同性愛者を取り込もうとしているのである

これはまさしく、大衆利益を損なわない範囲内で正しさを追求していることの証左だ。大衆には過度の負担をさせないという原則リベラルにとってこれが一番重要ことなのだろう。

ゆえに彼らがやろうとしているポリコレの追求とやらも、ことごとくこの原則を基盤にしたものになっており、ひどく不徹底なのである

  

  

  

追記。

ちょうどホットエントリ増田があったので、私もそれにかこつけて追記を書きました。

  

リベラルが唱えるポリコレに「童貞」は想定されてないよ』

https://anond.hatelabo.jp/20170709194257

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