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2020-07-08

どうやら私は害悪らしい、旬ジャンルとの関わり方について

女性向けアプリの旬ジャンル2020年七月現在ツイステッドワンダーランド」がきっとそれに当てはまるだろう。有名絵師がこぞって絵を描き、いつもグッズだのカード絵だのトレンドに入っている。私も最初はなんだなんだと遠巻きに見ていたが好きな文字書きさんがハマったことによりやってみるのかとダウンロードした。そして普通にハマった。ぬるぬるキャラが動くし、バトルとリズムゲームの二種類があって「これはハマるなぁ」というようなもの。なによりキャラ設定が素晴らしい。「エモい」を突いてくるゲームだった。

すぐに沼にドボンと落ちて、ズブズブと深くまで沈んでいった。同じヲタクなら分かるんじゃないだろうか、あの新しいジャンルにハマってすぐの楽しさ。それを味わっていた。

ずっとFGOをやっていたが少し離れ気味だったこともきっとここまでハマった一つの要因であると思う。(ジャンルを降りた訳ではない。今もゲームを続けている)

だけど、周りにツイステをやっている人は居てもここまでハマっている人がいない。同じ温度で楽しむ人がいないのは寂しかった。贅沢だと言われるかもしれないけど「ウンウンそうなんだー」よりも「そうだよね!そうだよね!わかるよその気持ち!!!」と言って欲しかった。

から新しいTwitterアカウント作ってみた。きっと多くの人が同じことをしているだろう。

言っておくと私は絵も文章も描くオタクである。周りの人に自分創作したものを見てもらいたかったし、前述したように周りの人と推し感想、興奮を分かち合いたかったのだ。身内との鍵垢と交換垢しか持っていなかった私にとってそれは新しい試みだった。それだけハマっていた。

きっと最初の一ヶ月は楽しかったと思う。ある程度仲のいい相互さんも出来て、その人達お話して……。TLは好きなものに溢れてたし嫌なことなんて何もなかった。現実の友人がみな全体公開のTwitterを利用してヲタク活動している理由もわかった気がした。やはり同じ趣味を語れる仲間はいものだと思った。その時には沢山のことで炎上していることにも全然気がついていなかった。

だが、暫く経ち関わる人が増えてくると楽しいだけの感情ではなくなってくる。まぁ増えてくると言っても相互さんが100人程度、これで満足だった。

きっかけはなんだっただろうか、きっとトレパク炎上だったんじゃないかなと私は思っている。簡単に言うと私の好きな人気の絵師さんにトレパク疑惑が浮上しすぐに垢を消した件だ。擁護するファンとトレパクを許さない人たちにより酷い炎上となった。

私の推しを描いている方だったし、素敵な絵柄だったので毎日更新されていないか確認するぐらいには好きだったのでそれはもうショックだった。別に擁護するつもりはないが推しカプの頂点にいるような人が炎上して何の弁明もなく垢消し。好きだっただけに悲しい。同じようにショックな人、いるんじゃないだろうか。

弁明もせず垢消しなんてトレパクを認めているようなものだし、もし本当にトレパクをしていたなら謝罪して、もうしませんと言えばよかったのに。一番嫌な行動をとられて悲しかった。だからこの思いを短い文にしてツイートした。

すると想像以上に私のツイートを見た人は多かったらしく相互さんみんなが同じようなツイートをし始める。こんなに広がるとは思ってなかっただけに驚いた。

ついにはツイート垢を消したトレパクの絵師さんのことを許せないと言い出す相互さんが現れた、こんなに周りの人を騙して悲しませるなんてなんて酷いんだ!と。その相互さんの怒りのツイートの量はTLを埋め尽くすほどだった。それは正直言い過ぎなんじゃないかと思うほどキツい言い方だったし、過激だと思った。そこまで言っていいのはパクられた当人だけじゃないかなと今でも思っている。表現する力が足りなくて申し訳ないのだが本当に過激だったのだ。私の先ほどの悲しいですツイートにもその人から「そうですよね!わやり直せたのに!!」とリプが来た。そこまでいつも話をしない人なだけに驚いた。

貴女、こういうときには反応するのね」とも思った。私は周りが荒れていくのを見て先ほどのツイートを消した。自分コメントで周りがその炎上していることに気がつき荒れていくのは見ていられなかったのだ。怖かった。言わなければ良かったと思った。

怒りのツイートをしていた人は結局、擁護する人と言い争いになっていた。正直騒ぎたかっただけなんじゃないかと思う。ミュートした。

トレパク垢消しのショックは吹き飛んでTwitterの恐ろしさとモヤモヤけが心に残った。

二つ目ネタバレの話。

公式Twitterよりも先に雑誌にそのイベントカードイラストが乗った日。相互RTでどのキャライベントカードになるかを知った。予想外の編成だっただけに「◯◯はいると思ったのになー、違ったのか」とツイートした。それから時間ほど後、TLを見てみるとネタバレ注意換気で埋まっていた。

しかった相互さんが「あぁ、みんながネタバレを踏んでしまった!許せない!!!」ととっても怒っていた。「◯◯さんも踏んじゃってる……大丈夫ですか?」「間接バレ多すぎ!!!」「相互さんにRTするような人はいないと思うけどね」「自分踏んじゃった!!」などなど。

その中にはあ、これ私のこと言ってるなと思われる文もいくつかあった。(過剰かもしれない)

私はネタバレ大歓迎だったのでそんなにキレるのかと驚いた。私の文は間接ネタバレになるらしい。別に誰が出るとは言ってないのにこれすらも駄目なのか。そういうことにこの業界は敏感に反応しすぎだとも思った。それに私は自衛してくださいとちゃん概要欄に書いている。それを見た上でフォローしたのだからそんなことで怒るのはどうなのとも。だけど大事にはしなくないので大慌てでツイートを消してすみませんでしたと謝罪した。すると、その人から空リプで「◯◯ちゃんえらい」と言われた。別にその言葉が欲しかった訳ではない。またモヤモヤした。

後日、新しいイラスト広告がやっぱり公式Twitterよりも前に東京駅に飾られる。怖くて流れてきても知らないふりをしたけど、やはりその人はネタバレが流れていると言って回っていた。わたしモヤモヤは増大する。

三つ目、ウツボ料理の話。

また炎上した。次はウツボ料理キャラ遺影を並べて撮った写真での炎上。沢山のキャラ名を並べて検索に引っ掛かりやすいようにした注意換気ツイートが流れてくる。

だが、読むとそんなに悪いことをしているようには見えなかった。パネル前で土下座したわけでも缶バッジを奪いとったわけでもない。キャラ名を挙げて検索に引っ掛かるようになこともしていない。自衛してくださいとも書いてある。まぁ、勿論フォロワーが多いか拡散されやすいと考えてほしいし、死ネタリョナの延長だとしても遺影気持ちのいいものではないので公共の場でやらないでくれとも思う。(周りで食べていた人は驚いたし引いただろうし、「あれがツイステ……」と思っただろう)

だがそれ以上に私は捨て垢でわざわざ拡散できるように沢山のキャラ名をならべて注意換気する人の方が嫌だった。何故晒しあげる。本人はこの業界モラルを守りたいのかもしれないが多くの人に拡散して炎上させたいようにしか見えない。

そもそも私自身その注意換気がなければ知らずに済んだのに。民度という現実を見なさいといわれたらそれまでなのだが、やはり知りたくなかった。

そのことを文章にし、ツイートをした。するとすぐに知らない人からRTされる。なんでだろうと思ってその人を見に行くと同じようなことを呟いている人を何人かRTして「これだから旬は……、自衛してくださいでは済まないんだよ」みたいなことを何度かに分けて言っていた。その人からすれば私は害悪らしい。旬ジャンル蔓延害悪。ほーうなるほど、ショックである。全てその通りだ!とは思えなかったけれど、害悪から前述二つであんな思いをしたのかと納得もしてしまった。それに、なんでもかんでも投稿し過ぎるのがいけない。

害悪を辞めたい。これから気を付けようとも思った。

そして最後、先日のメンテの件。メンテが大幅に延長したにも関わらずビックリするほど補填がショボかった。流石に今回は……と思っていたのに詫び石が一つもないのだ。正直まじか!と思った。前述したが私はFGOにいた人間である。だから詫び石くれーー!というくらい当たり前だと考えて(言い訳です)公式のリプ欄ではなく普通に自分ツイートとして「石ないのか、すごいなぁ()」と呟いた。するとあまりさな相互さんがすぐに「石をせびるな」「それは乞食課金しろ」と呟く。深夜で人も殆どいないので、あぁ、私のことなんだろうなとすぐに分かった。乞食という文字結構私の心に刺さった。別にそれぐらい言わせてよとも思った。不誠実だと思った公式対応に軽い文句言ってはいけないのだろうか。なんで周りは何も公式に思わないのだろうか。私の気にしすぎ?悪く言ってくる人をブロックしてそのまま知らないふり見てないふりでやっていけばいい?毎回ブロックミュートで対応していくべきなのか?

だけど知らない人からも叩かれた私だ。私の性格やあり方がいけないように思えた。そうならばやはり害悪なのかもしれない。そう考えると辛かった。推しを周りの人と語るのは楽しい。だけどそれ以外に辛いことが多すぎて、害悪になる自分が嫌でTwitterから離れようと決めた。まぁ逃げたとも言う。

Twitterから離れてみると気分はグッと楽になった。とりあえずと気分転換のために買ったバランスボールを膨らませながら私はこの文を書いている。うん、害悪になるくらいならこっちの方がよほどいい。(Amazon配達速度は素晴らしいですね)キャラは相変わらず好きなのでツイステはひっそりこっそりボチボチとやっていこう、そう思った。

2020-07-05

2日後に猫を見送った

anond:20200607214557

2日後の早朝、猫は旅立った。

5時に起きた時にはもう息をしていなかった。

猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。

夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。

前日は猫と一緒に過ごした。

シッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。

鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。

ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。

猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。

顔をこちらに向けたり起き上がろうとしたりと意識はあった。

口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。

猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。

夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。

猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。

19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。

夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。

夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。

猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。

私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。

亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。

そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。

夫は猫に突っ伏して泣いていた。

猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログペット葬儀の事を少しずつ調べていた。

近くのペット葬儀をしているお寺に個別立会の予約をした。

棺は大きめのダンボール箱を買った。

猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。

棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。

寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。

線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。

供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。

他にも何枚かPCスマホから探してコンビニプリントした。

スマホに変えてから写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。

猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。

6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。

猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。

夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。

亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。

猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。

お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイ身体ですね、珍しい模様だと言っていた。

お経の後、小さなケースに遺髪を納め最期のお別れをした。

猫を見送り火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。

の子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。

火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。

よく晴れた日で、夕方でも少し蒸し暑いくらいだった。

猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社駐車場だった。

猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーラブラドールテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。

病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。

性格も犬みたいな所があった。

猫はひょっとしたら狛犬神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。

神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。

二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。

腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。

4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。

白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。

初七日を過ぎてから、小さなおりんと骨壺カバーを買った。

お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプション遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。

仏壇ガラス扉付きラックDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。

四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪毛玉を飾った。

気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。

毎朝仏壇ごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。

夫は必ず猫におはようと声を掛けている。

私は流し台と洗面所水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。

お世話になった病院挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。

猫のいない生活はとても静かだ。

そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。

特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。

いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。

猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。

5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。

ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。

爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。

猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せ感触

うれしくて猫をたくさん撫でた。

猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。

猫は思い出を作りたかったのかもしれない。

お別れが近い事をもっとから知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。

私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。

小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。

実家最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。

その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。

積極的治療緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。

動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。

その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。

猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。

猫は欠かせない大事存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。

でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。

いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。

今はネットニュース保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。

開封ごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。

前の投稿ブクマブコメありがとうございました。猫は強く生きました。

みなさんの猫達が幸せ長生きできますように。

2020-07-04

オッチャンのかおりがした日

どこにも書くところが無いので、ここに書く。

私は出張である

全国に出張するので各所でいろいろな人と会う。

公私ともに会い、特にとある地方都市に行く際に、この数年はオッチャンに会いに行っていた。

オッチャンは、私のじいちゃんの弟である

小さいときから遠方にいるにも関わらず、可愛がってもらっていた。

大人になって今の生活をするようになった時、オッチャンは既に90歳近かった。

その都市に行くときは声をかけ、オッチャンを連れて飲みに行っていた。

なんだか、近い将来、いなくなってしまうような気がして。

徐々に足元がおぼつかなくなって…年齢を考えたら当然なのだけど。

それでも2軒はハシゴして、1軒目はおごってもらって、2軒目はおごって…みたいな感じで、楽しくやっていた。

とても元気なオッチャンだった。

携帯を持たない人だから、日程が決まればオッチャンの家のFAXを送っていた。

手描きで「このホテルに泊まるから、XX日の〇〇時に会おう」と、毎度送っていた。

いつもそうしてたのに、ある日、見知らぬ電話番号からしか携帯電話の番号から電話がかかってきた。

『今回は行けないのさぁ。帯状疱疹にかかっちゃってさぁ。歩けないんだあ~。情けねえよ…。』

と気落ちした声が聞こえてきた。

「良いよ、元気になったらまた行こうよ。ところで、携帯持ったの?」

と聞くと、

『これは息子のさぁ。ごめんなXXちゃん!またな!』

これが元気なオッチャンとの会話の最後になった。

それ以降は数年かけて徐々にボケていくオッチャンとのお付き合いになった。

ある日はオッチャンの家で、ある日は入院している病床で。

自分の子供を弟と間違ってしまうような段階にあっても、不思議とオッチャンは私のことは理解できたようだ。

その時は、飲みに行けないなら挨拶だけでもと、アポ無しでオッチャンの家に行った。

運良く会えたこの時、足は動かないが頭はハッキリとしていた。

それからは居るか居ないかからない家にとりあえず寄るようにしていた。

会えなかったら「行ったけどいなかったわ。またな!」とFAXを送っていた。

亡くなる直前に寄った際、オッチャンの家のインターフォンボタンを押すと、知らない女の人が出た。

彼女はオッチャンの娘だった。

初対面だった。

実は、オッチャンの子供とは面識がなかったのだ。

彼女は開口一番、

『うちの父はもうだめです。もう、誰もわからなくなってしまいました。』

と言われたので、それでもいいよ、どこにいるの?と聞くと、

『〇〇病院のXXX号室です』

と回答があった。

不安を抱えながらも、すぐに病院に行き、教えてもらった病室に行った。

そこにいたオッチャンは痩せて、骨と皮だけになって寝ていた。

ペシペシ叩いて、

「おい、オッチャン、わかるか?くたばっとるな?」

と声をかけると、オッチャンは嬉しそうな顔をして、

今日はどうしたの?いやー、えらいところに来て!』

と言った。

仕事や。おっちゃん、今度飲みに行く言うて、こんなトコおったらあかんちゃうんか?ホンマに行けるんか?」

あかん、もうあかん。もう、一緒に行けないのさ。ごめんなあ』

そんな話をしていると看護師さんが来て、

『え、笑ってる?話ししてる?XXさん、この人だれ?来てくれて、そんなに嬉しいの!?良かったねえ!』

『お姉さん、この子はな、ワシの甥っ子さー、大阪にいるんだあ、大阪から来たんだよう』

嬉しそうにしているオッチャンと、それを見て喜んでいる看護師さんを見て、今は関東に住んでいるとツッコめずに黙っていた。

それから数ヶ月でオッチャンは亡くなった。

ちょうどコロナの時だったから行けず、今になって行ったのだ。

家に行って、生前好きだったビールを置いて。

一応拝んで。

遺影に「これでも飲みなよ。またな。」と言って。

そのままオッチャンの子供達と飲みに行った。

彼らの話を聞くと、こうだった。

最後病院で会った時には既に誰が誰かわからない状態だった。

認知症が進んで、笑うことも起き上がることもできなくなっていた。

・なのに私が行ったら、私のことを分かっているし、起き上がるし笑ってるし、病院入口まで見送りに行くし、と信じられなかった。

看護師さんに、あんなに楽しそうに会話をしていたのは不思議だ、奇跡のような話だ。と言われた。

こんな内容を不思議だ、不思議だと真剣な顔で言われ、こちらも何だか不思議な気分だった。

そんな不思議な気分になっていた時、オッチャンの子供のふとした仕草が、オッチャンとリンクした。

【ああ、オッチャンはいないけど、ここにいるんだ。この人はオッチャンじゃないけど、やっぱりオッチャンの子供なんだ。】

そんな事を考えていると

『XXちゃん、いままで挨拶しかしたことなくて、実際のところは初めて話ししたけど、楽しかったよ。また声かけてな、飲みに行こう!』

と言い、去っていった。

その姿がオッチャンに瓜二つだった。

なぜだか今更、「ああ、本当にオッチャンは死んだんだ」と、涙が溢れてきた。

涙をハンカチで拭きながら、鼻水をマスクで隠しながら、さっさとホテルの部屋に戻った。

オッチャンが繋いでくれたこの縁は、大事にしなくちゃならないなと、思った。

2020-06-18

3年前、祖父が亡くなった日の日記

じいちゃんが旅立って6日が経った。

お葬式が終わって2日が経ち、数日前までに比べてじいちゃんが死んだんだという実感が湧いてきた。

昨日まではじいちゃんがいないということが信じられなかったし、じいちゃんがいないことが当たり前になることが怖かった。


じいちゃんが亡くなる直前の土曜日に会いに行った時は、意識もしっかりしているように見えてまだまだ生きられるんじゃないかと思った。

その前の週にお見舞いに行ったときはすごく苦しそうにしてたから、元気な姿を見て安心できた。

から24日に病院からじいちゃんが亡くなりそうという連絡を受けた時はとても信じられなくて、全然実感がわかなかった。

通夜葬式遺影になってしまったじいちゃんを見て、やっとそれを実感できた。


じいちゃん葬式中はパパの葬式のことをすごく思い出した。

パパの葬式ときにはじいちゃんスーツを着て出席していて、

どんな顔をしていればいいかからなくて、ふざけて笑ってた私と弟に、何笑っとるんだぁ〜と一緒に笑いながら声をかけてくれた。


通夜の日の夜は、じいちゃんがいなくなってしまたことが寂しくて寂しくて仕方がなかった。

翌日の葬式で、出棺するときにおじさんがじいちゃんによく頑張ったねと声をかけているのを見て、また泣いてしまった。

お葬式が終わって、疲れたママと二階で寝ていたら、窓からみえるすごく空が青くて、おじいちゃん24日の日に置いて、自分だけこのまま未来に進むことが寂しくてしょうがなかった。


翌日、弟とママと土岐のアウトレットに行った。

家族と居られる時間にも限りがあると思うと、やっぱりなにか思い出をつくっておきたかった。土岐は生憎の雨でつまらなかったけど、3人で居られる時間ができてよかった。

その日の夜、みんなが寝てから1人で車庫にある古いアルバムを見に行った。

じいちゃんとばあちゃんとパパとおじさんの思い出が残っていて、私がじいちゃんと一緒にいた時間なんて、じいちゃん人生のほんの一部だったんだなと思った。

じいちゃんが長くないかもしれないという報せを聞いた時、私はママ延命措置をしてほしいと伝えた。

ママやばあちゃんは、じいちゃんはそれで楽しい延命措置なんて必要ないと言って、その時の私はその意見は冷たいんじゃないかと感じた。

正直、正論だということは頭でわかっていたから、余計に悔しくて、そんなテンプレ正論じゃなくてもっと本気でじいちゃんのことを考えてほしいと、悲しい気持ちになった。


じいちゃんが死んでからばあちゃんが気になってしょうがなくなった。

ばあちゃんも数ヶ月前に比べて、最近はベッドで寝てる時間が多い。認知症も進んでいる気がする。

昨日と今日はばあちゃんに色々声をかけてみた。腰が痛くて座っていられないから寝ているらしい。舌に口内炎もできていた。

そんなばあちゃんをみてたら、じいちゃん延命措置はしなくても正解だったかもしれないと思い始めた。

胃に直接チューブをつなげば食べ物を流せるけど、口の中に常に管が通ってるなんて異物感がすごいし苦しいだろうなと思った。

私はばあちゃんにもじいちゃんにも長生きしてほしい。

でもやっぱり人には寿命があって、周りがどれだけ手を尽くしたって無理な時は無理なんだと思う。

ばあちゃんに昨日、東京オリンピックまで生きようと声かけたけど、首を横に振られてしまった。ばあちゃんは以前から自分長生きをしすぎたからということをよく言っていた。


ばあちゃんの痛みが少しでも和らいで、穏やかに残りの時間を過ごしてほしい。

ここ2週間くらいずっと雨だったけど明日からはやっと晴れるらしい。腰痛の人は雨の日に腰が痛むと聞いた。

から晴れたらまた数ヶ月前みたいに、庭を散歩くらいはできるようになってほしい。


ばあちゃんの痛みが楽になりますように。

ばあちゃん東京オリンピック閉会まで元気で生きられますように。

パパとじいちゃん私たち家族最期まで見守ってくれますように。

2020-06-17

anond:20200617185732

2005.03.13 Sunday

いかりや長介さんの一周忌

2004年3月に死去したザ・ドリフターズリーダー俳優いかりや長介さん(享年72)の一周忌法要いかりや長介さんを偲ぶ会」が12日、都内ホテルで行われ、生前親交のあった芸能人、知人、親族ら約700人が出席。故人を偲(しの)んだ。

桜の花で飾られた祭壇の遺影は、葬儀の時と同じ99年のテレビCMウッドベースを奏でる姿を撮ったもの。「1年って本当に早いと思います。でも、長さんが向こうに行ったことが信じられない」。発起人を代表した加藤茶あいつのように、ドリフターズメンバーは一様に「まだ、どこかで生きている気がする」と口にした。

この日は4人のメンバーがそろって献花。「まだまだドリフターズ解散しません。4人でドリフターズコントをずーっと続けていきたい。バカを貫いていきたい」(加藤)と“ドリフ続行”を、天国リーダーに誓っていた。

2020-06-09

自分遺影いらすとやにしたい

本当は免許証写真いらすとやにしたいけどさすがにそれは無理そうなんで、

自分が死んだ時の遺影いらすとやにしたい。

無理かなあ?

法律にはひっかからないと思うけどなあ?

葬儀屋の人次第かなあ?

2020-05-28

こんな御時世ですから

黒澤明「生きる」を是非ご覧になって頂きたい

市役所市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民陳情市役所市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。

ある日、渡辺体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分人生意味を見失った渡辺は、市役所無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコダンスホールストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。

その翌日、渡辺市役所を辞めて玩具会社工場作業員転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。

それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザから脅迫にも屈せず、ついに住民要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園ブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。

通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。

2020-05-23

遺影🤘(👁👄👁)🤘いえーい

(👁👄👁)

2020-05-12

伴侶を失ったおばあさんが身綺麗にしだした

近所に長い間病気で寝たきりだったおじいさんがいたんだけど4年前に亡くなった。

当初つきっきりで看病をしていたおばあさんはショックで寝込んだり入院したりで、

いつ後を追ってもおかしくない位に気落ちしていたんだけど、半年経った位から

次第に明るくなり白髪だらけでボサボサだった頭も綺麗に染めてパーマをかけ、

すっぴんだった顔もバッチリ化粧をし、地味な色合いだった服装もこじゃれた華やかな色合い

になってすっかり別人のようになり「彼氏でもできたんじゃないか」と近所で噂になっていた。

ある日、私と母が犬の散歩をしていると道端でおばあさんに会い「お茶でも飲んでって」と家に呼ばれた。

その時に母が「最近明るくなったよね」と言うとおばあさんは「そうなの!これ見て!」と

旦那さんの遺影が飾られている仏壇から手紙を取り出して見せてくれた。

それは遺品整理の時に見つけたと言う旦那さんから最後手紙との事で

非常に丁寧で柔らかい筆跡で「僕はあなたより先に行きますあなたには本当に迷惑をかけた。

僕はあなたの明るく溌剌とした笑顔に惹かれ結婚を申し込みました。

どうか僕が死んだらあの時のようにいつも明るく元気でいて下さい。

存分にお洒落をして沢山遊んで笑って下さい。僕はあの世からあなた笑顔を見ています

だいたいこんな内容

「読んだ時、嬉しくて嬉しくて…だからしょげてられないって思って月に2回美容院行って、

なるべく綺麗にして外に出るようにしてるの」とニコニコなおばあさん、

そして涙腺崩壊の母。私もウルッと来た。

これだけだとしんみりした話なんけど、衝撃だったのはその後。

元々旦那さんは野球をやっていてそこで知り合ったとの事で

「夫の好きだった野球を観に行こう」とちょくちょく野球観戦に行くようになり、

そこからサッカー観戦、バスケ観戦、バレー観戦ととにかくスポーツ観戦ばかりをするようになった。

もう80歳過ぎてるんだけど、出かけているうちに体力ついたらしく見る度に姿勢が良くなっていた。

兄はサッカー場で2度、私は野球場で5回くらいユニフォーム着て

地元チーム応援してるおばあさんに会った。

しかも「このバッター、去年は盗塁○個だったけど今年この時期でまだ○個じゃ心配ね」とかサラリと詳しい。

そして今年、東京ドームで行われたWBC試合の時に青いユニフォーム着て

観客席ではしゃいでる姿がTVに映っていて「何か1人で行ってるっぽいぞ!」と近所中で話題になり、

「次はイタリアでACミラン試合が観たいの」とどんどんとアクティブになって行くおばあさんに

衝撃を受けた。

2020-05-01

anond:20200501014246

アホやなお前。

今は国民特に都民は全員が感染者として生きなければならない。

まりどういう事かと言うと明日明後日あたりに発症してそのまま入院からの死亡もあり得る。

外食して自撮り出来るのは今日最後かもしれない。今日写真遺影になるかもしれない。

それでもあなた自粛するの?

私は少なとも今日まで元気に生きてたって言うのを残すためにインスタにアップする。

2020-03-21

anond:20200321010302

タイトル別に疑わなかったな

タイトルで何気ない日常描写が貴重なもののように見えるのは

別に新しいとは思わなかったけどど)面白いテクニックだと思った

日常描写に死の影でアクセントをつける手法としては

平和な家庭の描写しかないんだけど

亡くなった家族がいて遺影が置いてあるような演出とか思い出した

2020-03-16

ヒートショック ヘルニア

Alright!(死亡確認)

ヒートショック ヘルニア! さあみんなで(肺!廃!)

ヒートショック ヘルニア! 花捧げよう(故人に)


それぞれの胸 芽生え始めてる(疾患が)

心の臓(Fly!) 少しずつ(High!) 肥大(おお)きくなったよ 


赤白黄色 膨らむ蕾(血栓)は

全部違う 色だから 輝いてるね!(レントゲンで)


思いやりで育った(ヒートショック ヘルニア!)

その笑顔は 枯れない(遺影で)


Alright(葬儀の日取りが)!

ヒートショック ヘルニア! さあみんなで(腰!首!)

ヒートショック ヘルニア! 花咲かせよう(故人の思い出話に)


いつもみんなの近くにいる(ヘルパーが)

一緒にきれいな心の花((血圧が)HIgh! HIgh! HIgh! HIgh!)

咲かせ続けよう!(お悔やみ花を)

あるニュースが忘れられなくて、精神疾患罹患していた私の話

3年前に亡くなったある方のことが忘れられないでいます。私は彼女の顔も名前も忘れられずにいます遺影に映る彼女笑顔が、何かをしているときにふと、私の脳裏をのぎります

私は3年前、あるニュースを見ました。それは世界中にあふれる悲しいニュースひとつにすぎなかったはずなのです。彼女のことは何も知らなかったのですから。それはとても痛ましい事故でした。その事故について思い出すことは私を絶望の底に落とします。いまでも彼女のことを思うと涙が出てきます。心の奥が激しく痛み、ただ息をすることだけでも苦しくなるのです。

彼女は苦しんで亡くなりました。その瞬間、暗く狭い場所彼女が何を思っていたのか、私は知ることはないでしょう。彼女自分はもうすぐ死に、ここから出られることはないと悟ったときの苦しみは、どれだけ大きなものだったのでしょう!私はそれを想像するだけで、私の一部も死んでいくように思います

私はこの事故について、ほとんど誰にも話していません。親しくしている友人のうち数人と、愛する家族は、私がその事故のことを知って悲しんでいると知っています。ただ、それは事故の数か月後のこと。今でも私がそれを思い出し、泣いていることなど、彼らは知りません。そもそも私が言っていないのですから、知るはずもないのです。

彼女が亡くなってから、私は学校に通えなくなりました。一日中寝ていることしかできない日も、泣き明かした夜も、たくさんありました。何度か私は命を絶とうとしたこともあります。高い橋の上で(ご存知のとおり、ゴールデンゲートブリッジは有名な自殺の名所です)私は失望し、泣くことすらできずに、そこにいました。警察が私を助けたので、幸い、私はいまもなんとか生きています

こんな状況が続いた、1年半が経ったある日、私は家族の勧めで精神科に行きました。精神科で処方された薬を規則正しく服用していましたが、症状はあまり改善しませんでした。最初主治医に対し、ただ症状だけを言っていました。気分が落ち込むことがあるとか、眠れない日があるとか、そうかと思えば寝ていることしかできない日があるとか…。主治医は黙って私の話を聞いてくれました。いくつかの抗うつ薬抗不安薬を服用していましたが、症状がいっこうに改善しないため、私はついにその痛ましい事故のことを打ち明けました。

事故のことを打ち明けたところ、私はPTSD(Post-Traumatic Stress Disorderの略。日本語では心的外傷後ストレス障害と略されます)と診断されました。現在も私はこの病気で闘病しています

私の国では、この病気に対する認知は進んでいます。帰還兵たちのための相談ダイヤルもあります。私は、日本では地震きっかけに認知されていると聞きました。ただ、私の1番大事友達が住んでいるイタリアでは、残念ながらそうではありません。イタリア人の多くは、心的外傷後ストレス障害というものが何なのかも知らないようで、うつ病不安障害の下位分類とみなされることもあるようです。

この文章は、私の経験です。彼女が亡くなった事故も、私の闘病も、実際にあることなのです。

私は独学した日本語でこの文章を書きました。私の文章はあまり上手ではないと思います:/

私はこの病気で非常に苦しみました。私は日本イタリアでも、私の国のように理解が進むことを心から願っています

そして、この瞬間もトラウマと戦っているあなた未来に、少しでも素敵なことや素晴らしいことがあるように、心から祈っています。抱擁とキス

2020-03-01

初めて立ち会った臨終

anond:20200228142823 の後

備忘。看取ってはいないが「臨終」は本来死の直前を意味するらしいので合っているはず。

身内(祖母)が今日未明に逝った。最終的な死因は肺炎だがコロナかどうかは検査されていない。

いよいよという事で特養から病院搬送され、危篤ということで家族が呼ばれたので様子を見たが既に酸素吸入で何とか生きている状態。入所以降初めての対面だったからかあまり驚きもせず、こうなると完全に呼吸しているだけの機械だなと思った。声を掛けようかとも思ったが他に人が居たのでやめた。

今朝行った時は死亡確認(家を出る頃には心停止していたらしい)後で、病室に入ったら心電図オール0の表示と一緒にアラームを鳴らしていたのはぎょっとした(もう鳴らす必要無いんだけどなとか、**波測定不能とか出ているのを見てそりゃ死んでるからなあとか思いながら)。前日とは呼吸してるかしてないかの違いだが、顔に触れてみるとまだ少し暖かった。目に涙が浮かんでいたが、苦しかったのか単なる死亡後の変化なのかは判らない。目の前にあるのはもう人間を終えた物なので自分の為にしかならないが「お疲れ様でした」と一礼した。これは息のある間に言った方が良かったなと少し後悔したが、どっちにしろ聴こえていなかったかもと思うのが僅かな慰め。誰も居なかったので写真に残そうかと思ったが、流石に良心が許さなかったのか結局やめた(十分印象に残った)。腐食が進むので冷房を入れると看護師が言っているのを聴きながら確かにものだしなあとかアホな事を考えていた。

祖父の臨終にも立ち会った筈だがよく覚えておらず多分遺体を見ていない(遺骨だけ)ので、人の死にはっきり立ち会ったのはこれが最初。さっきまで元気に接してた人が無残な形で死んでしまったとかだととても悲しいのだろうが、自分の中で祖母は既に死んだも同然に考えていたのでそうでもなかったのかも知れない(落ち着きはしなかった)。自分の中の祖母認知症になった後ではなく自転車に乗っていた頃のままでいい。尊敬できる人間ではなかったが。嫁姑関係だった母は色々苦労したと思うが心情は如何程だろう。

今日中に死にたいと書いてたができなかったので諦めてやる気も起きず。臆病者なので結局まだ生きるんだろう。でもそれで数年生きて来てやっぱりあの時死んでれば良かったと後悔したし、数年後祖母遺影見ながらまた後悔してるだろうと思っている。

2020-02-28

anond:20200228171408

遺影といえば必ず高島忠夫のイェーイ!って言うやつでてくるけど

うそう言う人っていないよな

2020-02-05

韓国人日本人差別が浸透してると思うのは俺だけ?

ドイツ人を見たらヒトラーの子息とみなすみたいな差別行為が当たり前になってるじゃん

から自分たち犯罪者であることを棚上げして日本過去戦争犯罪を結びつけて差別出来るわけで…

みんな忘れたかもしれないけど、だからワールドカップドイツ語選手遺影写真に入れたり、日本に対しても震災揶揄してお祝いしたりする

普通に日本差別がまかり通ってるのが韓国社会なわけだけど、そのことに対する批判はないわけ?

それとも日本人が差別されてることに関してはタブーなの?発言しない自由(笑)行使してるの?

2019-12-25

死ね」の丁寧語

「てめえの戒名を考えとけ」

あなたの位牌をご用意あそばせ」

「君の火葬場を予約しろ

なんかある?


追記

いい保険を紹介いたしましょうか?

路線としては好きだが、少々わかりづらい。生命保険ということを強調できれば〇。

遺影撮影はお済みですか?

紛争地帯で人々のために働く生き方もあると思いませんか?

骨壺の中でお休みなさいませ

一段高いステージへお進みください

この辺が良かったですね。なお、ブコメ

pptppc2 増田の例はオブラートに包んだ表現とか粋な表現みたいな例であって(月が綺麗ですね的な)、丁寧語とはまた別に感じる。

トラバでも

なんか「丁寧語=間接的」だと思ってるバカ紛れ込んでない?

という趣旨を全く理解できてない馬鹿が紛れ込んでるけど、こういう方々のために香典をご用意しましたのでお納めください。

後何人か明確な指摘があったけど、こっちから殺すような表現ダメ。そこがわからない人には二階級特進してもらいますね。

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