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2019-06-08

anond:20190608011029

自覚ある。父親が18の夏に自殺したのだが、それから時が停まっている気がする。

もう20年以上経つのに。未だに遺影が飾れない。

2019-05-17

父方の祖母が亡くなって、久しぶりに帰省した。

進学で早々に家を出てしまったけど、同居の祖母には色々と世話になったので、過去に何度か医者に「いよいよ危ない」といわれた時には慌てて帰省していたけど毎回持ち直していたので「お前の顔が見たくてだ」なんて笑っていた。

最後は自宅で面倒を見ていた祖父と父に看取られて亡くなったそうだ。

人が死ぬってあっけないんだな。

虫の知らせもなかったし、夢枕に立つなんてこともなかった。

このご時世に大往生というには早いけどそれなりの歳だったはずなのに、社交的な祖母を偲んで集まってくれた同年代祖母の友人たちはまだまだ矍鑠としていたので、ますます祖母が死んでしまったのが不思議に思う。(祖母より先に死んでる祖母の友人もたくさんいるんだろうけど)

祖母遺影は成人の記念に写真館で撮った家族写真にした。

家族の誰よりもいい笑顔で写っていたその写真を、藤色の着物を着たように加工してもらった。当時のデジタルデータが残っていたせいもあるのかわからないが1時間せずに出来上がったのにはびっくりした。

写真からいつもの笑い声が伝わってきそうだ、なんて弔問客からも評判が良かった。

祖父含め家族全員が身内で葬式主宰するのが初めてで、いろんなどたばたがあって、今こうして帰宅するまで全然悲しむ余裕がなかった。

今になってもう会えないのか…と悲しくなってきた。

とはいえそう頻繁に会える距離でもないし、人の望み通りには生きられないし、都度都度悲しむしかないんだろうな。

母方の祖母からは「赤飯を買って食べろ」「これは嫁の実家のつとめだから」と千円札を握らされたのだけど、ちょっとボケ始めているせいもあってどういう謂れのある行為なのかがはっきりしない…

母親は「精進落としの赤飯は聞いたことあるけどそんな決まりは知らない」らしい。

そういう田舎の話ももっと聞けたら楽しかっただろうけど、もう遅いし、人生には限りがあるし、もっと優先したいことがある。

生きてても死んでもいろんなことがあるんだなー

2019-05-06

[]【3】2019 春、韓国釜山・光州

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anond:20190506091403




3일



3日目

5月、1980 - 2019


日本でいうところの令和2日目。

光州の朝は晴天だ。

香港で見た夢は習近平麻生太郎が出てくるというぶっ飛んだものだったが、光州で見たのは同僚に「韓国旅行どうでした?」と聞かれて「良かったよ」と答えるという現実的ものだった。

今の所、インプレッションは上々だ。

今日はまず光州で起き、映画タクシー運転手」のテーマにもなった民主化運動記念碑が立つ、5.18記念公園に向かう。


オシャレだが簡素hotel stay 53では朝食もない。

行きすがら何か食べようと、街を歩くが、朝9:30の光州では空いている店もまばら。歩いている人も多くない。

やっぱりノンビリした街だなぁ。


見かけたカフェ今日最初の客として入る。

10代-20代前半の女の子レジにいた。

コーヒーチョコレートケーキを注文。

札を渡すと、彼女ちょっとレジ前でモタついた。

韓国ではキャッシュカードやT-money、普及中のバーコード決済でキャッシュレスが進んでいるという。

若い子は現金の扱いに慣れてないのかもしれなかった。


カフェを出て、5.18記念公園に向かう。

光州の街は人口で言えばちょうど京都市と同じくらいなのだが、緑が多さと人口密度の薄さを考えると、札幌市の印象に近い。

釜山で少し感じた大気汚染も、ここではあまり感じない。


しばらく歩くと公園に到着した。

民主化運動聖地というが、緑豊かな市民の憩いの場という感じで、丘状の公園の中腹にある人場では、設置された宙に浮いて足踏みをするタイプ運動器具でオバちゃん健康づくりに励んでいた。

予想外に日常的で平和光景に少し驚いたが、公園グルリと一周すると、3人の男性が宙に手を伸ばす民主化運動モニュメント出会った。

筋骨隆々としていて、さすがにちょっと理想化されてるんじゃないかと思ったが、その自由を求めて闘う表情には迫力があった。

モニュメントの裏に地下に進む階段があったので、降りてみる。

中に入って一瞬目を見張った。

地下の空間には一面にハングル名前が書かれていた。

この闘争で亡くなった人か。

平和光景の地下に、この日常を目指して亡くなった人たちの記憶が眠っている。


さすがに空腹になったので、近くの店に入ってソルロンタンで昼食をとる。

食べようとするとオバちゃんが丁寧に塩と胡椒を取ってくれる。

そうか、自分で味を調整するタイプか。

オバちゃんの指摘は優しく控えめな感じだった。

ネルギッシュな印象のある韓国人だが、光州の人はどこか柔和な感じがする。

8000ウォンを支払い、歩いて行けそうなカラフル集落、「青春発散村」に向かった。


20分ほど歩くと、川沿いの坂道カラフル集落が出現した。「青春発散村」だ。

坂道に張り付くような民家がカラフルペンアートで彩られている。

光州は民主化運動聖地であると同時に芸術の街でもある。

らしいと言えばらしいのだが、パステルカラーの家々ではどう見ても普通に生活が営まれており、どでかい少年コンクリ像のすぐそばの家から小学生程の少年が飛び出してくる。

学習塾か何かだろうか?

生活の場をカラフルに塗ってしまう行動力はスゲーなと思う。

メルヘン大盛りの集落少年時代を過ごしたあの子達は、どういう記憶でこの日々を振り返るのだろう。


路線番号518


当初の予定には無かったが、時間的に間に合いそうだったので、光州事件犠牲者眠る5.18民主墓地に向かう。

郊外、というか山の上なので、バスで行くしかない。

外国の市内バスは何が何だかからないのだが、このバスに限っては間違いようがない。多数の路線の中でただ1つの3桁ナンバーズバリ518なのだ


しばらく待ってやってきたバスに乗って市街を離れ山道を行く。

45分ほどの乗車で、バスは5.18民主墓地に到着した。

緑豊かな山の上に、モニュメントが建っている。

天を衝く槍のようなその下に、民主化に立ち上がって倒れた人々が眠る墓があった。

墓に近づくと、それぞれに小さな遺影が添えられている。

実際に顔がわかると、心に迫るものがあった。


しばらく墓地を見た後、構内の写真館に向かう。

民主化運動歴史写真があるのかと思ったが、全く違った。

仄暗い空間を見渡す限りの壁一面に、額に入った遺影が並べられていた。


下山バスに乗りながら、夕食について考える。

歩いたし、衝撃も受けたので腹も減っている。

コーヒーでも飲みながら友達SNSで話そうかと思ったが、夜に早い光州のこと、急がないとまた行きたい店が閉まってしまう。

バスを降りてすぐに光州松汀駅に向かった。

光州最後の夕食は、全羅南道名物トッカルビだ。


途中、T-moneyカードチャージしよう思ったが上手くいかない。

呼び出しボタンを押すとオバちゃんが現れた。

携帯翻訳でなんとか状況を伝えると、韓国語で説明してくる。

身振りぶりで行き先を示すと、切符の買い方や乗るべきホームまで教えてくれた。

相手が何語だろうと自国言葉で臆せず押し切るのは、万国共通のオバちゃんフォームなのかもしれなかった。

俺は一体この旅行記で何回「オバちゃん」というワードを書いたのだろう。


オーダーストップ前にたどり着いた「ビッゴウル トッカルビ」

トッカルビとはハンバーグ風の焼肉料理だ。

店に入っても日本メニューなどは無かったので、壁のハングルを指差して注文、相手はもちろんオバちゃんだ。

やがて、10皿ほどの小皿おかずと、牛モツ煮込みスープ、山盛りの青菜がやって来た。

すごい光景だが、まだメインのトッカルビは来てない。

やがて焼きたてのトッカルビがやって来た。

小皿キムチなどをつまみながら、トッカルビを青菜に包んで食う。

トッカルビは肉の味なのか、一緒に練りこんだ調味料の味なのか、少し甘い。

いい意味で見た目通りの味がする。

そしてキムチは辛い。

全羅南道キムチは辛いと聞いていたが、辛さのアタック力が日本で売られているキムチとは違うし、もっとシンプルな味がする。

韓国からしたら、日本キムチは辛くない上にしつこく感じるだろう。

テーブルに乗せられた料理は一瞬圧倒されそうな量だったが、空腹のためか、ついでに頼んだビール作用かどんどん食い進めることができた。

食の都といわれる光州、これだけ食えば上出来だ。

夜が明ければ再び高速バスに乗り、釜山に戻る。


【4】2019 春、韓国、釜山・光州  4日目|「強者の韓国」と「弱者の韓国」 へ >>

2019-04-22

anond:20190422013432

明日ちょうど通夜から参考のために忘れがちなことを記しておく。

最近遺影に困らないぐらいやたら写真を撮る世の中だからまり心配しなくていい。

通夜までは喪服でなくていい。彩度が低く動きやす正座していて苦にならないものを選べ。黒いエプロンが1枚あるとよりよい。

弔問客が来るような家だったらお産レベルでお湯をガンガン沸かせ。茶っぱがなければ買え。ポットは1台では足りない。弔問客に出すお茶に使う。湯のみが空いたとみるや注いで回れ。間が持つ。

それにともなって茶菓子ガンガン買ってこい。客が食べるかどうかじゃない。テーブルに茶しか出てないのは気まずい。とりあえず隙間を埋めとけ。

おすすめまんじゅうせんべい、おかき、洋モノならマドレーヌ、小袋のバームクーヘン。とにかく個包装のやつがいい。裸の大福とか団子とかケーキ類はやめておけ。日持ちもしない。

大皿で出すと減らないので茶托ぐらいの小皿まんじゅうorマドレーヌorバームクーヘン1個と煎餅とおかきあたりを合計4〜5つぐらいにして各自の目の前に置け。茶も置け。

残ったら持ち帰らせろ。後の客に流用もなんかあれでめんどうだし自分で食べるのもなんかいやだ。持たせるための小さいスーパーの袋みたいなのも買ってこい。

客に全部出してしまう前になんかサラダボウルぐらいの皿にそれっぽく盛れる程度にとりわけておけ。あとで祭壇に飾る。

果物もやっぱりサラダボウルへ収まるぐらいに3種類ぐらい買っておけ。やっぱり祭壇に飾る。

祭壇に飾るものの可不可はないらしい。好物を備えてやれ。

弔問客の年寄り連中はいっそほっておいてもいい。だいたい勝手に盛り上がる。

困ったらボケてるようでボケてないばあさんを捕まえろ。頼れる。

飽きた。あとは農協葬儀屋に聞け。もう全部やってくれる。神。いや仏。

ちなみにバファリン10錠ぐらいじゃ上記全部必要いからとりあえず泣き喚いておけ。助けを求めろ。

2019-02-19

遺影

自分の時は少なくとも50代の写真を使って欲しいなあ

2019-02-16

実録:遺影でイェーイ🍺 anond:20190216003651

なんかのドキュメンタリーでイェーイやってる遺影見た気がする

・・・が見つからんかったので

遺影だけにイエーイ」酒好きの祖父遺影に対する周囲の感想が深い「悲しんで送り出すよりも笑顔お疲れ様って送り出してあげるほうがいい」https://togetter.com/li/1264883


先日祖父が亡くなりまして、お通夜に行ってたんですけど、普通遺影って免許写真みたいなやつだが、酒好きのじいさんの遺影は「🍺(・∀・)✌︎」こんな感じのやつであまりにもインパクト強かったから思わず遺影だけにイエーイ✌︎ってか」ってボソッって言ったら母親がブフォッって噴き出した。


ちなみにこの遺影見る人みんながいいねって言ってくれた。お経をあげてくれた住職さんにも「いい写真だなあ~……」って言われたし、霊柩車運転手にも「この仕事して30年近いですけど、今まで見た遺影の中でも三本指に入るくらい良いですね」と言われた。

何で遺影っていまだに写真なの?

お墓だって機械化する時代なのに・・・

動画にして「イエ〜イ!✌🏻」とかやったほうがイマドキっぽくてよくない?

無くはないみたいだけど、全然話には聞かないよね・・・

2019-02-15

ファザコンの話

 三行でまとめると、

  私はファザコン

  ワンオペ育児

  ハンバーグが食べたくなる呪い

 

 ここから本文。

 

 一番近い街までバス電車で二時間弱。小さな田舎町で私は育った。両親が結婚して八年目にやっと授かった一粒種。それが私。親戚の集まりに顔を出せば、私がどれほど両親に喜ばれて生まれてきたか、酒を飲んだおじちゃんおさんどんをするおばちゃんが教えてくれた。

 父のことも母のことも大好きで、反抗期も無かったと思う。年の割に身長も高くてすらっとしていて外国の人みたいに鼻が高いと父のことを思っていて、ファザコン気味だったかもしれない。

 母は私が高校二年の時に他界した。父は憔悴しきっていたが、ひと月もしたら「私を立派に嫁に出す」と母の遺影に誓ったのだと、仕事子育てに精を出し始めた。今までしたことのなかった料理もしてくれた。私も手伝ったけど、意外に器用な父はあっという間に料理上手になっていった。

 その後、私は大学に通ってそこそこ良い会社に入ることが出来て、三十の時に結婚退職一年後に出産

 今は実家から時間弱の一番近い街で、夫と三つの息子と暮らしている。

 

 ファザコンだと言ったが、夫は少しだけ父に似ている。けれど、それは容姿だけの話で、中身は全く違った。

 夫は、いか結婚生活が窮屈かということを会社愚痴っているらしい。同じ部署新人女の子に鼻の下を伸ばし、後輩に向かって「結婚早まったかなあ」と真顔で言うのだという。夫と私は同じ職場出会ったので、同僚伝いに私に伝わるって思わないのかなあ。そういう浅はかさも父とは違うと思う。

 子どもが生まれたら父のようになるのかもという気持ちも少しあった。期待値は60パーセントぐらい。けれど、まぁもちろんそんなことはなかった。すぐには変わらないけど次第に父になるものじゃない?そう思ったけれど、三年経っても変わる兆しはない。朝は遅いが出かける直前まで寝ている。夜遅く帰ってきて夜食を食べて風呂に入ってゲームを少しして寝てしまう。休日ゲームか、趣味バイクの集まりに出かけてしまう。

 増田では家事に協力的な男性をよく見るのになあ。おかしいなあ。

 

 昨日、私たちが住む街で行われる講演会聴くためにと父が田舎から出てきた。講演会後にはうちに一泊して帰ることになっていたので、講演会を聴き終えた父を駅に迎えに行った。

 “父と夫は同じように体格が良い”……ずっとそう思っていたのだけれど、およそ一年ぶりに見た父は、駅の人混みの中でずっとずっと小柄に見えた。私と息子を見つけて笑う顔は昔のままだったけれど。

 夫くんは俺が泊まることを嫌がってないか、嫌ならホテルに泊まるぞ、と確認されたけど、「今日も帰ってくるのは日付が替わった頃だし、明日休みだけど友達と遊ぶって言ってたから」と答えると何か言いたげにしつつも父は黙りこくった。

 マンションに帰って、夜ご飯に作ったハンバーグを父と息子と私の三人で食べた。楽しかったなあ。息子は、久しぶりにじいじに会えて喜んで興奮して、夜はなかなか寝付かなくて参ったww

 

 さっきね、父をバス停に送ってきたんだ。外面だけは良い夫も一緒にさ、息子を挟んで親子三人手を繋いで。父はボストンバッグを持って私の傍を歩いてた。夫は父を見送ったら友達と遊びに行くつもりだったけど、父のご機嫌取りをしているようで、父が言うことに「へぇ、そうなんですか~!知らなかったです!」と大げさに相槌を打ってた。

 バス停が見えてきたところで、父がぽつりと呟いた。

「○○(私)はハンバーグが好きなんだ。××(息子)も好物なんだね」

 夫はそれまでと同じようなテンションで「そうなんですか~!」と相槌を打った。ばかだ。

 それを聞いた瞬間に、父とバチッと目が合った。何か言いたげな気がしたのは気のせいじゃなかったと思う。

「君が羨ましいよ。一人で食べるご飯は味気なくてね」

 父は夫にそう言って、バスに乗った。

 

 息子がお昼寝をしている今これを殴り書きしながら、なんだか涙が出てる。

 父は今日実家で、母も私もいない実家の一軒家で、慎ましやかな夕食を一人で取るのだろう。

 父が一人でご飯を食べていて、私は息子と二人でご飯を食べる。

 結婚制度ってなんだろうなあ。

 私を大事にしてくれた父を、私も大事にしたいのだけれど。

2018-12-25

anond:20181225135942

ちなみにここで当事者の絵とか証言とか全部見られる

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/

遺影とかもデータベース化されてて(これは多分現地じゃないと見られないが)かなり面白かった。

2018-12-22

父が亡くなった

末期ガンだった父が亡くなった。

今日火葬してお骨を拾ってきた。

骨になった父は思っていたより脆く、小さく、まるで闘病の痕が残っているように見えた。

父の死を嘆き悲しみ号泣する一方、あまりに実感がなくて「あの棺に入って焼かれたのは本当にお父さんだったのかな?」なんて思うこともある。

でもやっぱり遺影や骨壺を見ると父が亡くなったことは紛れもない事実で、また涙が止まらなくなる。

母は色んな手続きがあったり来客への対応で忙しく泣く暇もないが、時々思い出したように泣き始め発狂寸前にまでなることもある。そんな母の姿を見るとまた私も泣いてしまう。

お父さんなんで死んじゃったの?

私もやっと成人したとはいえこれから女2人で生きていくの大変なんだよ。

まだまだお父さんに甘えるつもりだったよ。

これから一杯親孝行するつもりだった。

からタバコ吸うのやめてって言ったのに。

仕事なんか放り出して病院行ってってあれほど言ったのに。

文句も言わず真面目に働いてたお父さんがこんなに早く死ぬなんて酷すぎる。

今まで何にも言ってこなかったお父さんの親戚なんて、お父さんのお葬式で急に口出しし始めて、あまりに酷くてお母さん泣いちゃったんだよ。

お父さんのせいで、お父さんが大好きだったお母さん泣いちゃった。

犬たちもなんでお父さん居ないのかなあって寂しがってるよ。

どんな姿でもいいから戻ってきてよ。

会いたいよ

本当はお父さんのところに行きたいけど、今私まで死んだらお母さん本当におかしなっちゃうから我慢してる。

こんなこと言ったら怒られるけど、成仏なんてしなくていいからずっと私とお母さんのそばにいてよ

2018-10-21

先日家族写真を撮った。

家族写真と言ってもたいそれたものではなく、テーマパークなどで記念に撮る簡単ものだ。


私の実家九州田舎にあり、私は高校卒業九州を出て本州へ。

当時は都会へのあこがれと、将来やりたかたことがありその勉強がしたくて九州を出ることを決めた。

しかし当時の私は反抗期真っ只中。親から逃げたかった気持ちも正直あった。

進学後、そのまま就職して、いつか九州に戻れたらという思いのまま1,2年程経った夏のある日、母から連絡があった。

母方の祖父が亡くなったという連絡だった。

丁度帰省する1週間前の事。

このタイミングで帰ってしまうと長期休暇中帰ることができなくなり、

トンボ帰りにもなってしまうので父と母の判断葬式には出席せず、帰省後お線香を上げに行くことになった。

今でもその時のことを覚えている。

ショックで、悔しくて、悲しくて、どうして自分はすぐ駆け付けれるところに居ないのだろうと仕事中何度も泣きそうになった。

流石に泣くと仕事に支障が出るので頑張って耐えたが、帰省し、祖父遺影を前にすると耐えることが出来なかった。

本当に死んだんだ。と実感してしまって。

祖父は無口で、厳しい人だった。よく私とも喧嘩をしていたのだが、その分たくさん可愛がってもらった。

春先に会いに行ったときは元気で、まだ仕事も現役だったので本当に突然の訃報だった。

この夏もまた会いに行って皮肉を言い合うんだと思っていたのに。

人の死ってこうも突然なんだな、と始めて実感して、またこうやって駆け付けれなかったときはと考えると怖くなった。


元々転職を考えていて、この出来事が後押しして決心。

これから半年後くらいに会社を辞め、九州に戻った。

今もまた、実家を出ているがそれでも九州内なので実家に帰るのも容易で、また両親がこちらへ来るのも容易だった。

そして、先日両親が遊びに来てドライブに行き、冒頭に戻る。

本来私は写真に写る事が苦手で、記念撮影なども避けるのだがこの機会を逃したらまたいつ撮れるかわからない。

そう思うと「別にいか~」と言ってる父母を引き留めて写真を撮ってもらった次第。

後悔してからでは遅い。というのは祖父の事で思い知り、もっとたくさん撮っていたらよかったなんて思わないよう、これから写真は撮っていきたいと思っている。


お父さん、お母さんどうか長く元気でいてください。

次は私から家族旅行をプレゼントしたいな。

2018-10-07

大塚国際美術館に行ってきた

といってももう一月くらい前の話だ

ツアーに丁度都合が良いのがあって、両親や妹と一緒に行ってきた

話には聞いていたが、確かに広い

なんでも山を一つくり抜いて作ったらしい

まるで要塞みたいだなと思った

入り口のすぐ近くにとりあえず見ておきたかった「システィーナ礼拝堂」の完全再現コーナー(システィーナホール)がある

なんとなくオードブルとして、でかいステーキが出てきた気分である

本物とは違うというのはあるのだろうが、それでも迫力は圧倒的だ

写真撮影可のコーナーなので、スマホ写真動画も取ってみた

から見た感想としては、ああいう大きな展示を撮影する際は動画の方がよさそうだと感じた

写真ではズームすると細切れになってしまうし、引いて全体を移すとあんまり撮影する意味がない画になってしま

一つ上の階に登ると現地では見れない、側面からの鑑賞もできる

見る位置が変わるとかなり印象が変わるので、行った際はぜひそこからの眺めも見て欲しい

フラッシュを焚かなければ、写真撮影はほぼ自由

名画の前にならんで記念撮影というのはなかなか無い機会なので、思い出作りに良いと思う



これは大塚国際美術館ならではの体験だと思うのだが、あそこでは名画に酔うという経験ができる

陶酔するといった意味ではなく、車酔いとかそういう感じになる

国立博物館企画展などでメインを張るクラスの名画が、ずらっと並んでいるせいだ

昔、ベルリン国立美術館展で「やった! ついに本物が見れたぜ!」となった、レンブラント工房)の「黄金の兜の男」という絵がある

辻邦生の風の琴という名画から連想して作られた短編集があるのだが、その中で気に入っている話の一つがこの「黄金の兜の男」を主題にした話だから

まあ研究の結果、レンブラント本人が描いた絵じゃないと判明したらしいが、そんな事は関係なしに気に入っている絵だ

その個人的思い入れの強い名画が、レンブラント工房)の作品が集められた部屋では、割と脇役的なポジションに置かれている

まあ仕方がない

有名な「夜警」を始め、レンブラントとその弟子たちによる代表作が、さして広くもない部屋にぎっちり詰まっているのだ

まるで完食したら賞金が貰えるタイプのドカ盛り料理を、3人前くらい目の前に並べられた気分である

もちろん、全てレプリカから本物から感じるほどの迫力は無い

が、それでも絵の凹凸まで再現されたレプリカには、本物の何割かの迫力は備えている様に思えた

そういうコーナーがあの広い敷地に一日で回りきれない位あるのだ

名画の見過ぎで目と心が疲れるという貴重な経験ができる機会は、なかなか無いのでないかと思う

正直、めっちゃ疲れる

見るものはたくさんある、いやあり過ぎる

上がったテンションそのままに、次から次へと見ていくと、あっという間にバテる(バテた)

途中で程よく休憩を取りつつ見ていくのが良いと思う

その為に椅子がいたるところに設置されているのもありがたい

個人的には1F(エントランスがB3Fなので実質4階)にある、ピカソの「ゲルニカ」を飾っているところが休憩場所としていい感じだった

ゲルニカを前に休憩というのもなんだか変な話だが、実際そうだったのだから仕方がない



広い館内を歩き回っていると、当然ながらだんだんお腹も空いてくる

うちの家族は今年に入ってオープンしたという「カフェ・フィンセント」(http://o-museum.or.jp/smarts/index/502/)で昼食を取った

ゴッホテーマにしたカフェなのだそうだ

「まあ美術館カフェだし、味はそこそこでお値段マシマシなんだろう」とたかをくくっていた

ローストビーフサンドイッチ」×2と「ひまわりサラダと季節の野菜スープ」を注文し、大して待つこともなく渡されたブザーが鳴った

一見した感想は「あれ? 量、多くない?」であった

ローストビーフサンドイッチ」は、そのまんまローストビーフを挟んだサンドイッチ

普通に美味い

さらポテトチップス徳島名産であるすだちもついてくる

このポテチすだちの組み合わせが想像以上に美味かった

ひまわりサラダと季節の野菜スープには小ぶりなパンも付いてくる

サラダ自体ローストチキンと、ポテトサラダひまわりの種などを組み合わせたボリュームのあるもので、それにスープパンも付く

一般サラダ系のメニュー女性など少食の人向けというイメージだったが、これは成人男性でも普通に満腹になる量だった

女性場合は一つのメニューを二人でシェアする、といった食べ方の方が良いかもしれない

足りなかったら追加で注文すればいいだけだしね

うちの家族は利用しなかったがB2Fにもカフェがある

そちらはカレーを注文する人が多いのか、カレー匂いが凄かった

カレー匂いが苦手な人や、腹が減っている時にはちょっといかもしれない

1Fにはレストランもある

こちらは和食系のメニューも扱ってるみたいだった

食事関係については美術館としては、かなり充実している方なのではないかと思う

周辺にお店などが無いというのもあるんだろうけどね



ミュージアムショップでの買い物を済ませ、入り口に戻ってきた辺りで親父とも話題になったのだが、陶板印刷という技術はやはり面白い

様々な理由から本物を鑑賞する事が難しい作品、焼失などで既に失われてしまった作品をあれほど精巧再現できるのだから大したもの

1Fではキトラ古墳壁画再現する作業の様子や、実際に再現された壁画の一部なども展示されていた

また入り口付近には大塚グループ総帥(ここだけ聞くと大塚悪の組織っぽい)であり、この美術館の初代館長でもあった大塚正士氏の写真も飾られている

要はこの美術館を作った気合の入った金持ち爺さんの写真なのだが、これを見ながら親父と「うちの爺や婆の遺影をこれにできたら良いなぁ」という話になった

この陶板に印刷された写真というのは非常に劣化に強いのだそうだ

俺の祖父は亡くなってそろそろ20年近く経つのだが、その間に2回ほど遺影を作り直した

普通写真ではどうしても日焼けして、だんだん色が薄くなってしまうのだ

数年前に亡くなった祖母遺影もそろそろ作り直す必要があるだろう

とはいえ「(制作費が)結構するんだろうなぁ」となり、その話は流れた

実際のところいくらくらいするものなんだろうか



総じて言えば、てんこ盛りの美術館だった

絵画だけでなく、壁画彫刻など展示品は多岐に渡る

レプリカではあるものの、その一つ一つが名画、名品ばかりだ

正直なところ、ここまでてんこ盛りだと成金趣味的なものを感じなくはない

だが、成金趣味だとしても相当気合の入った成金趣味だと思う

他の美術館では体験できない事が色々できる

母と妹はコスプレ撮影にもチャレンジしていた

両親や妹も疲れたが大満足という感想だった

貴重な体験ができて、非常に良い家族旅行になったと思う

anond:20181006221153

なるほどねー。増田さんは年取らないので良いね。(∩´∀`)∩【遺影】イエーイ

2018-09-28

anond:20180928210555

一人でイキたい

イキたくない

一人でイキたい

イキたくない

凹! 遺影

だけど喪女

なりたくない

どうすればいいんだ

この膣

2018-09-15

anond:20180915095410

少なくとも遺影に関しては理想肖像CGで作られるようになるだろうから大丈夫かと

今でさえかなり加工されているし

写真が残ってない

ガラケー時代から携帯デバイスも機種が変わると写真は引き継がず

スマホに変えても安いアンドロイドは完全初期化

iPhoneに変えたここ2年ほどの写真があるだけ

そもそも風景や親戚の子供の写真くらい

カメラで撮ってプリントアウトするような機会はほとんどない

ふと今自分が死んだら遺影はどうするのか?

と考えてしまった

学生時代のものすらない

2年ほど前にお見合いサービス写真屋で撮ったやつくらいしか

まともなものがない

しかあんな目いっぱい笑顔婚活してます!みたいな写真遺影になるのは死んでも嫌だ

別に死ななきゃいいんだけど

一度きちんとした写真撮っておこうかな

2018-09-13

いつになったらこどもできるかな

母が亡くなってから1か月が経った。

夏コミサークル参加ホテルに前泊してる、その日の深夜に「母が亡くなりました」と父からLINEが入っていたので、起きて身支度をして、人の流れに逆らいながら国際展示場駅を後にした。

結婚して3年が経った。

子どもが欲しいと思ってから2年4カ月、不妊治療をし出してから1年4カ月。今日また生理が来た。腹が痛い。

母がガンになったのは4年前のGWだった。

母のために孫の顔を見せたいと思ったが、最後までかなわなかった。

不妊外来先生に、母のガンがいよいよ末期であと3か月しか持たないかもしれない。高額でも問題いから、確率が一番高い方法を取りたい。体外受精がしたい。と言ってみたけれど、「年齢的にもまだ今はやる時期ではない」といわれて子宮内体内受精しかしていない。

母の主治医最後に予告していたとおり、母はちょうど3か月で逝ってしまった。

亡くなる10日前まで、自分トイレに行けたし、話もできたし、奇跡的な元気さだった。最後最後まで「何言ってんの、治すに決まってるでしょ」と完治を疑わず、「最期に言いたいことは、伝えたいことは」みたいな雰囲気にはできなかった。どう見たって治らないということが分かったところで、「信ずれば治る」と、信じて疑わない本人に「絶対治らない」とは言えなかった。でも無理やりにでも、生きてるうちに「あなたの子供に生まれることができてよかった、素晴らしいお母さんだった、あなた子育てをしたかった」とか、直接伝えられたらよかったのかなあ。

物心ついてから親族が亡くなるのは初めてだったので、人が亡くなった後の流れをよくわかっていなかった。

実際は、病院でお風呂に入れてもらい、服を私服に着替えさせてもらい、葬儀場に運ばれ、エンゼルケアをしてもらって、棺に入れてもらったみたいだった。

自分がいない間に葬儀場の予約から式次第から至るものが準備されていて、香典返しには母の名前印刷されているし、遺影だって古い写真を取り込んでトリミングしてぼかしていい感じに作ってくれていたし、お花もたくさん飾られていて、この業界スピード感があるなあとか、親族多くてありがたいなあとか思った。

亡くなってから再開した母は顔がふっくらしており、スターみたいなヘアスタイルと、普段とは全然違う化粧をしていて、なんだか別人みたいになっちゃったなと思った。

親戚がおおいうえにみんな近くに住んでいて仲が良いので、告別式だというのに結婚式かと思うような設置をいとこたちがしてくれた。当日来た方がメッセージカードカラーペンコメントを書き入れて、模造紙に貼り付けられるようにしてくれたし、旅行写真を飾り付けたり、色紙を持ってきて寄せ書きを作ったりしてくれた。

通夜から葬儀まで一夜あったというのに、こちときたら手紙の1枚もこさえることをしなくて、葬儀場の遺族控室は大きな民宿みたいだなとかのんきなことを思いながら過ごしてしまっていて、反省した。

通夜葬式で450人くらいの来場者数があった。葬儀場に入りきらない人数で、改めてすごい主婦だなあと思った。自分葬式にはどれほどの人が来てくれるんだろうな。

葬儀が終わって、香典のまとめやお返しも終わって、納骨はまだだけど実家にいる理由もなくなったので、実家からは遠い自分の家に帰ってきて3週間くらい経った。

1か月前の今頃はこういうことをしていたなと思うと、夜泣けて寝付けなくなってしまうことが増えた。こういうのは直後より、少し時間を置いた方が来るものがあるんだな。

母が亡くなった直後というのは、覚悟があったからかもしれないけどあんまり絶望みたいなのはなくて、悲しいけど失意のどん底っていう感じでも無い状態だったから、葬式の翌々日は普通に仕事をしてしまった。その後はなんだかんだしばらく休みをもらったけど家族も同じように割と元気で、淡白かなあと思ったけど、どうだろう。

しばらく帰省していた間におばあさんと朝ドラ見ていたので、今でもお昼に見ている。

そしたら主人公の母もガンになっちまった。は~~~よくある話ですわなほんま

それで寝付けない日が増えてきたなというとき生理ですよ。

は~~、な~~にが「治療やめたら案外すんなりできることもあるしね」じゃ

母が亡くなったから転生してくるみたいなオカルトにもちょっと期待したけどそんなことはなかったわ。

朝ごはん食べてなかったから昼にご飯作ったけど、口に飯を入れたら味覚からいろんな感覚が刺激されて泣けて泣けてのどが絞まってものが飲み込めねえ。

は~~~せめて早くこどもできねえかな~~~~~~

なんて仕事さぼって文章殴り書きしてたらだいぶ気持ちが落ち着いてきた。

チラシの裏です。

2018-08-25

anond:20180825053215

子どもが小さいころに描いてくれた「パパ」の絵の刺青

飼ってた犬の遺影代わりの刺青

彼氏誕生日刺青

ひじの傷をカバーラップした刺青

目の下にぽくろ代わりに入れた刺青

 

そういう刺青反社刺青区別しないで偏見を持つのおかしいと思うよ

2018-08-20

冷やし担々麺

自分が昔住んでいた街に、安くて速くて量が多い、店内は暗い感じのこじんまりとした中華料理屋があった。

自分最初訪問した時は流行ってるとはいい難い。主人が一人で捌ける量の常連がいるような店だ。

 

店主はメニュー開発が好きなのかいろんなメニューを季節限定提供していた。

その一つが冷やし担々麺だった。

その店は、細麺のちぢれ面に、濃厚なゴマダレと、ラー油。そして、麺の上にこんもりもられたキャベツの千切りと肉味噌といった感じの冷やし担々麺だった。

一人暮らしで、肉より野菜のほうがコスパが悪いことを知り、野菜ほとんど食べない自分にとって、まるでその冷やし担々麺は夏を健康的に乗り切るオアシスのようなものだった。

 

この店との出会いは、入社したての自分ランチに誘ってくれた社長が連れてきてくれた。社長もこのお店の常連だった。

ちょうど引っ越しをした場所から徒歩で2分、会社からは徒歩で10分というアクセスの良さで自分はよくこの店に通った。

顔も覚えられて、着席すると水を持ちながら「いつもので?」と聞いてくる。いつものというのは担々麺+ライスのセットだ。ここの担々麺は酢が聞いて一度食べたらやみつきだ。

 

冷やし担々麺は、自分が店主にポロっと言った話だった。

店主は、カウンター越しよく話しかけてくれた。自分ポロッと「最近名古屋の方では冷やし担々麺っていうのが人気らしいっすよ。一度食べてみたいっすわ~」と言ったことがきっかけで店主なりにいろいろなレシピをみたりして作ってくれたのだった。

店主はメニューに出す前に「つくってみたんだけど、どう?」と無料で一回食べさせてくれた。初めて食べたから他のと比べられないけどとても美味しかった。

特に野菜がたくさん乗ってヘルシーだった。これでライスとセットで600円なんだから信じられない。自分毎日のように冷やし担々麺を食べた。

 

その冷やし担々麺が夏の定番になって2年目だったか

メディア取材がきて、店は大繁盛、担々麺が美味しいお店と話題になった。自分も大繁盛して嬉しかったが、流石に平日に待機列に混ざるわけにもいかず、土日の人が収まってきた時にまだ昼を食べてなかったら行くぐらいになっていた。

それからどんどんと自分はその店に行かなくなった。店の雰囲気落ち着けなくなったからだ。

 

それから転職をし、社長に報告したら「最後に一回いっておくか!」とそのお店で送別会を開いてもらって、引っ越しをした。

今年の8月入った頃に店主が倒れた。そしてそのままお亡くなりになった。

社長からその報告を受けたとき、お世話になっていたか葬式ぐらいは…と思ったがやはり距離的に厳しいこと、お盆前の仕事の仕上げがあり行くのは難しかった。身内でもないか有給も取得しにくいし。

そして、このお盆実家に帰った帰りに、香典を渡して、仏壇を拝ませたもらった。

前の会社社長に連絡を取り、じゃぁ家まで車で送っていくよと送ってもらった。

店主の家に行くと奥さんがいて、香典を渡し、お店の方は、段々と人が増えていたので従業員を増やすために息子に戻ってきてもらい引き継いでいた、今はバイトを何人かいれていて営業はできるという事で営業はしていた。

お店の方に行くと前よりは落ち着いたものの、待機が2組ほどいるようだった。社長待機列はいった。

 

店内は息子さんと、女性店員一人が切り盛りしているようだった。

女性店員が注文を聞きに来る。社長はいつも担々麺ライスだ。

自分メニューをひと眺めして冷やし担々麺ライスを注文する。

5分も待たない内に運ばれてくる。提供スピードは相変わらずだ。その冷やし担々麺をみてびっくりした。

 

キャベツがのっていないのである

 

あれ?おかしいなって顔をしていると、社長は思い出したようにいった。

増田くん、よく店長野菜が高い高いって話してたよね。店長ね、増田くんが注文するとき、なんでも野菜多めにしてくれてたんだよ。俺も冷やし担々麺何回か食べたこと有るけどキャベツ盛りは増田くんの特別オプションだったんだ。」

 

その話を聞いた瞬間、涙がボロボロとでてきた。

遺影を見たとき、いっつも笑ってる店主の顔が見えたとき、その写真が動き出して「いつもので?」といってきそうだなと思ったが涙をこらえた。なんというか、実はどこかにいて、店主と社長がドッキリでもしかけてるんじゃないかって思ったぐらいだ。

社長のその話と、キャベツが盛られていない冷やし担々麺を見たとき、「あぁ、店主は本当に居なくなったんだな」って実感をした。

それをみた社長も泣いて、笑っていた。

キャベツの乗っていない冷やし担々麺の味は、全然からなかった。わからなかったけど、代わり映えしないようにおもえて安心する味だった。

 

無理言ってでも葬式に出ておけばよかった。

そんな後悔しても遅いんだけどね。

あぁ、せめて、店主に冷やし担々麺レシピ教えてもらえばよかったなぁ。エビチリ麻婆豆腐青菜炒め、いろんな中華料理レシピを教えてもらったんだけど、なんで冷やし担々麺ゴマダレは聞かなかったんだろうな。

2018-08-15

anond:20180815192300

駐車違反警察裁判所に丸投げする

これわ分かる

どうでもいいような微罪は他人任せでいい

あとは組織犯罪やくざだな

これも個人では勝てないから仕方ない

んでも一般人加害者レイプ虐殺は違うじゃん

届かない雲の上にいない犯人の罰をなんで他人に投げる

遺影をもって裁判所でそれっぽいポーズをして演技してるようにしか見えない

2018-07-30

おばあちゃんが亡くなった

先週、祖母が亡くなった。

すっごい元気で倒れたその日も外に出かけてたくらいだったのに、急にいなくなっちゃった

通夜お葬式も出てきたのに、まだ信じられなくて、何となくスマホで撮った遺影写真眺めて、まだ生きてないかなーって思ってる。

いつでも会える距離だったのにほとんど連絡しなかったこととか、自分のことをすっごい可愛がって周りに自慢してくれてたこととか、

もっとこうしてれば・・・が残って受け入れられてないのかなと思ってる。

こんな状況誰もが経験してるありきたりなものだし、時間解決する問題だとわかってるんだけど、はてなーはどうしたの?みんなの思い出とか経験談が聞きたい

2018-07-27

anond:20180727130220

進めた中心人物達はイベント後、東京裁判死刑にせんといかんな

傍聴席には死んだ参加者達の遺影を持った遺族が…やりきれんな

2018-06-25

Hagex遺影記念写真を取るはてなー

どいつもこいつも思い出話のふりした自分語りアクセス稼ごうとしててヘドが出るぜ。

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