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はてなキーワード: ドストエフスキーとは

2019-05-17

anond:20190517145628

小説なら貴志祐介の「青い炎」、ドストエフスキーの「悪霊」とか。悪霊のスタヴローギンは少女凌辱するのでろりともだちと通じるところもあるかもしれない。

成人向けゲームでは「素晴らしき日々」の一部シナリオ。「3days」は手段としての自殺だけど自殺シーンは鳥肌が立つ。「腐り姫」も良い。

漫画はあまり思いつかないけど、藤子・F・不二雄の「自分会議」とか。鬼頭莫宏「ぼくらの」ある意味自殺といえる。

2019-04-19

ドストエフスキーがもし現代に生きてたら

ツイッター国粋主義者から使わないだろうけどVKとかで百田尚樹も真っ青のネトウヨ発言連発して炎上しまくってそう

ノートルダム火災とか「ざまああああwww」とか言いまくってそう

2019-04-10

anond:20190410154453

夏目漱石愛人と入水自殺したし

三島小説で食えなかったから腹いせで日本刀持って暴れたんだよな

ドストエフスキーも生きてるときは裕福じゃなかった

2019-03-16

ラノベ読みたい

とっかかりがなくて手を出せないまま20年。

レーベルごとの特徴とかもあると思うんだけど、

ざっくりとおすすめを教えていただけないだろうか。

ドストエフスキーナボコフボラーニョ、マルケスヘミングウェイ

谷崎、内田百閒金井美恵子町田町蔵とかを好んで読みます

舞城王太郎ラノベ? 文体が好き。

2018-12-29

anond:20181227002831

この傾向、今に始まった話じゃなくて1960~70年代当時から手塚治虫梶原一騎作品でもその手の未回収ネタが残るオチ(単に打ち切り場合も)は大量にあるのだが、全体的なクオリティが良ければ文句を付けるのは野暮という風潮だった気が

それを言えば、漱石明暗ドストエフスキーカラマーゾフも未完だが、それゆえ失敗作とか駄作という奴はおらんじゃろ

投げっぱなしで良いとは言ってないぞ、ただ、完全にきれいに完結できるという発想自体が理に落ちてないかという気が

2018-12-16

世界文学ベスト100」の英米バージョンを調べてみた

文学ベスト100と検索すると、国内に限ってもいろいろなランキングが出てくる。英語圏では、ベスト100を選んだときどのような小説ランクインするのか、気になって調べてみた。

そうすると、日本と同様にたくさんの種類のランキングが出てくるが、これらをひとつひとつ紹介するのも退屈だ。

から、それなりに信頼がありそうないくつかのランキングを選んで、それらにくり返し選出されている作品名をここに挙げてみたいと思う。

なにをもって信頼があるというのかは難しい問題だが、だいたい以下のような基準を満たしているランキングだけを取り上げることにした。

英語圏文学に偏っていないこと

 英語検索しているからには、英語で書かれた小説が多くランクインするのは当然なのだが、英語圏に限らず、世界文学を選出の対象にしていることを条件とした。なので英米文学オンリーとかなのは避けた。

・あまり最近小説大衆小説を選んでいないこと

 2000年以降に発表された小説割合が高すぎたり、「ハリー・ポッターシリーズ」のような、あまりエンタメ寄りの小説を選出しているものは除外した。

 「ハリー・ポッター」が文学かどうかは知らないが、それが文学ベスト100に選ばれているランキングが参考になるかというと、あまりならないんじゃないかな。

古今東西作品から選ぼうとする意思が認められるもの

 どのランキングにしても19世紀以降の西洋文学に偏りすぎなのだが、そこはもう仕方がない。


このような基準で選んだランキングは以下の4つ。検索すればソースはすぐ出てくると思う。

ガーディアン誌による「The 100 greatest novels of all time」(いつ誌上に掲載されたのかはわからなかった)

Goodreadsによる 「Top 100 Literary Novels of All Time」(国内でいうと読書メーター読書ログみたいな位置づけのサイトユーザー投票して選出している)

・Modern Library(アメリカ出版社)による「100 best novels」

アメリカ文学Daniel S. Burtによる「the Novel 100: A Ranking of the Greatest Novels of All Time」(同タイトル書籍がある。Burtは英文学講師をしていたらしい)

4つのランキングのうちすべてに選出された作品は、ナボコフの「ロリータ」と、ジョイスの「ユリシーズ」の2つだった。ロリータすごい。

4つのランキングのうち3つに選出されたのは、以下の28作品

タイトル作者
インドへの道 フォースター
アメリカの悲劇 ドライサー
アンナ・カレーニナトルストイ
すばらしい新世界クスリ
回想のブライズヘッド イーヴリン・ウォー
キャッチ=22 ジョセフ・ヘラ
ドン・キホーテセルバンテス
失われた時を求めてプルースト
フィネガンズ・ウェイクジョイス
見えない人間ラルフエリソン
ジェイン・エアシャーロット・ブロンテ
白鯨メルヴィル
アメリカの息子 リチャード・ライト
ストローコンラッド
オン・ザ・ロードケルアック
百年の孤独ガルシアマルケス
カラマーゾフの兄弟ドストエフスキー
ライ麦畑でつかまえてサリンジャー
善良な軍人フォード
怒りの葡萄スタインベック
グレート・ギャツビーフィッツジェラルド
緋文字ホーソーン
響きと怒りフォークナー
ブリキの太鼓ギュンター・グラス
崩れゆく絆 チヌア・アチェ
灯台へヴァージニア・ウルフ
火山の下で マルコム・ラウリー
嵐が丘エミリー・ブロンテ


このうち22作品はすでに読んでいた。

けっこうそれっぽいタイトルが並んでいるように見えるが、日本ではほとんどなじみのない作家も中にはいる。ジョセフ・ヘラーとかフォード・マドックス・フォードとか。

フォードの「善良な軍人」が翻訳されているかはわからなかったが、これを除けばすべて翻訳で読むことができる。すばらしい。

12/19追記

ブコメの指摘からフォードの"The Good Soldier"(上では「善良な軍人」と訳した)は、「かくも悲しい話を…」という邦題翻訳されていることがわかった。ありがとう

2018-11-23

ドストエフスキーの「白痴」を読んだ感想

女性との付き合い方で悩み、調べたこから読み始めた「白痴

2年ぐらいかけて読み終わったので感想を書く(ネタバレあり)

まず、本筋とは関係ない文章が多過ぎる()

白痴」のメインテーマとしては、「もし当時(19世紀後半)のロシア社会に、誰からも好かれる善人で、白痴である公爵(主人公)が現れたらどのような波乱を起こすか」という筋がある

その関係公爵女性関係の波乱に巻き込まれて行くのだが、それとは関係のない話がとても多い

そのため、前半で力尽きて暫く読むのを放置してしまった()

しかし、本筋と無関係な話にも面白い所がある

個人的に筆者が人間性質考察している所がとても気に入った

ガーニャが主役になれない(?)みたいな節は未だに正しいのか判断がつかない

また、イポリートレーベジェフなど、非常に魅力的なキャラが揃っている

イポリートは前半やや厨二病掛かっていたが、2人ともこういう引っ掻き回すキャラ結構好きだと思った

ただ、最後最後アグラーヤとナスターシャフィリポヴナの互いに向けた感情がただの嫉妬に終着したのは納得がいかなかった

散々引っ張っておいてただの昼ドラやんこれ

結論

面白いけど長い

これが初ドストエフスキーなのだご何か他にオススメがあれば教えてくれ

2018-11-10

anond:20181110094912

彼が認めていたのは我々一般生活人とか、生活の知恵ですね

作品でいうとドストエフスキー柳田國男作品があたります

知恵を持っていることを馬鹿でない証としていました

たくさんの人を包括することほど難しいこともないので、個人がみとめるのは結局個人になると思います

個人を認め認められることを味わえばそれでよいんじゃないか

2018-10-22

教養の有無と人生の充実

社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。

年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。

教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。

趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心知的探求心が衰えないのだろう。

少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。

常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。

類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰人間はあまり見受けられない。

当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。

社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。

こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分コンプレックスを非常に刺激される。

教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。

姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィン著作に飛んだり。

ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。

こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、

それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。

こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からハードル高めな話をあまりしてこなくなる。

その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議感覚自分の中に呼び起こさせた。

上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)

第一、こんな何処の馬の骨分からん小僧マウンティングしたところでなんの得もない。

なんというか彼らの「知」に対する基本的スタンスは、自分のそれと一から十まで

まるで異なっていて、そのほころびに自分勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。

痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために

平易な話題シフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。

加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。

自分子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラ話題が出た際に、

第五福竜丸被爆事件からゴジラ誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ

バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波原発である

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

ありがとう勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVD解説本の購入を済ませていた。

うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。

(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)

彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。

自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。

なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力

自分のように怠惰で流されるままに生きているような人間では彼らの足元にも近付けそうもないが頑張ってみよう。

ソルジェニーツィン、読んでみますね。あ、ドストエフスキーすら読んだ事ないからまずはそこからか。

2018-06-26

anond:20180626175553

分かる。それに九州大なんて出てるんだからいくら就職氷河期でもラーメン屋アルバイトなんかする必要は無かったはずで、労働とかそういうことに向いてなかったが親や世間的な事情で渋々という感じだったんじゃないかと思う。勝手に。

正社員になって3年前まで働いていたのも、3年前までで完全に人間としてバーンアウトして何かが彼の中で「終わって」しまったということなのかもしれない。

年齢的に、大学に戻れる年齢も越えてしまったと悟ったとかもありそうだし。

流石に低能先生程のニュースにはならないだろうけど、こういう事件はこれからも増えると思う。ああ、そういやこの前逮捕された奴の愛読書ハイデガードストエフスキーだったな。

2018-06-14

新幹線小島に影響を与えたのは聖書でもドストエフスキーでもなく塩野七生だよな。

塩野七生の本が圧倒的に多いのに、なんでそこは取り上げられないんですかねえ。

2018-06-10

人物

人の顔を描いたスケッチネットで漁る。

すると東洋人がよくあたる。なんか意外だ。

西洋人の顔ももちろんあたるが、西洋人東洋人と西洋人の両方がモチーフに選ぶのに対し

東洋人の絵は、東洋人だけが描く。偏見だ。

から東洋人の絵が多く出てくることは、東洋人がスケッチを好むことを示していると思う。

つうか西洋人って絵画にあまり関心がない。偏見だ。

 

そういえばネットで漁ると世界中のひとが描いたカエサル石膏像が出てくる。

これは面白い世界中美術家カエサルに敗北した経験があるのだ。

東洋人同士が音楽の話をして、お互いの文化をよく知らないので結局ビートルズで盛り上がる、みたいな

あるいは東洋人同士が文学の話をして、お互いの文化をよく知らないので結局ドストエフスキーの話で盛り上がる、みたいな

同じ東洋人同士なのに、西洋を介してしかお互いを理解できないのは面白いようでもどかしいようだ。

2018-04-13

アイアムヒーローの考察

読み終わったあと、神様がいない世界に、ワイを放り出した。


この世界神様を信じないで生きる方法がないか模索していた。ワイは、不条理を受け入れられるほど、マッチョでもないし、自殺をするほどの勇気もない。いまのところのワイの解決策は、神様を盲信することしかできない。

不条理 - Wikipedia

自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。

盲信不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在証明されていないものを信じること。しかしそれをするには理性を失くす必要がある(すなわち盲信)、とキルケゴールは言っている。カミュはこれを哲学的自殺として考えている。

不条理を受け入れる不条理を受け入れて生きる。カミュはこの方法を推奨しているが、キルケゴールはこれを「悪魔に取り付かれた狂気」として、自殺を引き起こす可能性を論じて批判している[1]。


別に神様なんか盲信しなくても、生きていける。それは例えば順調に心理的に成長した場合だ。発達課題を克服し、欲求を順調に満たせた場合には、別に神様なんか必要なくなる。

自己実現理論 - Wikipedia

発達課題 - Wikipedia


しかし、それがどうしてもできないワイのような人間が出てくる。なぜなら、人はどうしても理屈ではわかってはいても、他人のとの比較の中で、自分幸せ定義してしまうから。もちろんこの実験では 2 の世界だと 1 ドル価値が低いから選んだんだろ。というツッコミもありますが..

次のどちらの世界に住みたいかハーバード大学学生職員質問を行いました(Is mor always better? A Suvey on Positional Concerns,Jounal of Economic Behavior and Organization

1. 自分収入が5万ドルで他のすべての人は収入が2万5000ドル世界

2. 自分収入10ドルで他のすべての人は収入20ドル世界

結果は、56%の学生が1を選びました。

高収入でも「他人の幸福は飯がまずい」人は富裕層になれない | プレジデントオンライン


から幸せになる人たちがいる反面、不幸になる人たちがいる。他者よりも優れていたいという、本来生物的な欲求も満たすことは、まずできない。社会的欲求を満たすには、人の役に立ったりするには、必ずしも優れている必要性はない。でも、他者よりも優れていないと、そういった機会は、どうしても少なくなる。

アイアムヒーローの世界には、発達課題を克服することができず、欲求を満たせない人たちに焦点が当たっている。クルスをはじめ、みんななぜこの世に生を受けたのかということ自体に疑問を抱いている人たちだ。彼らは神なった。でも、英雄は神にはならなかった。

終わり方がひどいって書いてあるけど、奇跡を起すこともできたんだと思う。誰かを生き返らせたり、あるいは敵役を殺したりして。でも、奇跡を描かないで、丁寧に現実世界で生きている英雄を写して、徐々にワイら読み手世界と近づけようとしている感じがした。

物語最後局面で誰もいない、比較されることのない世界で一人になった。なんだか急に現実に引き戻されたような気もするし、そうでないような気もする。生きることを選んだという意味において、現実世界でクルスのように生きているワイのような読者にとって、英雄hero なのかもしれない。

でも、決してなけなしで放り出したわけではない。ヒロイン2人から愛されたという記憶はでかいよな... それが読後感を与えている。ヒロインが登場しないでもそういった話は描けるのだろうか.. 難しいだろうなぁ。

ドストエフスキー罪と罰でも、ソーニャがいて、ラスコーリニコフ普通になった。結局は可愛い女の子との記憶がないと楽しくないなんて、なんだか寂しい気もする...。

そういった成功体験物語、あるいは神様と、そしてその成功体験物語神様を確実なものにするために、社会生活からの隔絶されて初めて、英雄は生きているのかもしれない。また、奇跡が起こって元の人のいる社会になったら、そういう辛い世界に戻ってしまう。

結局、我々は物語という神様から逃れられないのではないだろうか。でも、ある意味生物学的に優れている人も、そういう自分は優れているという物語の中に生きているのかもしれない。その物語も、所詮相対的ものしかない。絶対的基準ではない。

神様なんかいないんだ、という姿勢は、結局、俺はすごいんだぞ、という自分物語世界押し付けているだけで、どこか、酷い気もする。

人間は(信じたいと)望むことを信じる。

Homines id quod volunt credunt.

Homines id quod volunt credunt. | 山下太郎のラテン語入門

逃げられないというより、作るしかないのかもしれない。自分が、いま生きている世界を。ある種の不条理社会的不条理は、物語を作ることによって、乗り越えることができるのだろうか。それは自分ができる範囲でということか。

クルスくらい追い詰められた人間にも希望を与えるというのは、正直かなり厳しい気がする。クルスは神様になるしかない。普通人間ならできるだろうか。もう少し文章をまとめたい。

2018-04-10

anond:20180409235346

夏目漱石明暗)「何を今さら

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟)「そんなん100年以上前からじゃ」

モーセ旧約聖書って、紀元前から数百年かかって現在知られてる内容に定まったんだよな。わしが生きとった頃には列王紀も詩篇もなかったなあ」

2018-04-09

anond:20180409020952

地獄とは何か、それはもはや愛せないという苦しみだ」

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』)

2018-04-04

大学でこんな張り紙を見つけた

大学っていうのは本来

マルクスを読み、経済とは何かを考え、

フロイトアドラーを読み、心理学がどう発展したか知り、

ニーチェヴィトゲンシュタインを読み、人間とは何かを考え、

夏目漱石ドストエフスキーを読み映画をみてアートを鑑賞し、教養を広げる

場所のはずだ。

でも今の大学絶対にそんなもの提供しない。

学生

「俺は何のために学ぶんだ、何のために就職し働くんだ。何のために友達必要なんだ、

理想人生って何だ?世の中はどこへ向かうんだ?」

って考え始めたら、企業にとって悪夢からだ。

2018-03-22

なぜ人々は文化に優劣がないと信じてしまうのか

https://anond.hatelabo.jp/20180320195213

この記事の追記



まず、この記事を書いた理由だが

Vtuber黎明期海外オタク(と俺)の貢献を新参のVtuberファンに知らしめる事が主目的だったのでホッテントリに入って多くの人に見てもらえたのはありがたい

ブクマしてくれた人には感謝

しかし、あまりにもアクセス稼ぎ用の煽り部分に反応する人が多かったので一応増田マナーとして反論してみようと思う


支持されていたブコメざっと見た感じ、こういった意見が主だろう

世間流行とは無縁に個々の趣味を探求するのがオタクなのだからオタク世間流行を結びつけて論じるべきではない」

こういう反応はある種のオタク像を語るとすぐに返ってくる凄くありがちなテンプレート

なので、まあ、くるだろうなとは予測していたが…

(とはいえここまでなんの捻りもないテンプレート反応が支持されるのか!?

botかなにか?キズナアイちゃんなの?これが今のはてなレベルかと思うと少し悲しい…)


さておき、このオタク像は実際正しいのだろうか?

まあ、少しでも立ち止まって考えてみれば違う事くらいわかるだろう

所詮脊髄反射テンプレ反応でしかない


「今期に流行ってるアニメはとりあえずチェックする」

というのはディープライト層問わず今のオタクならかなり一般的な事だ

古い知識こそ重要だという価値観もそれなりにはあるが

それでも新しい知識を取り入れることを是とするのもオタクだろう

オタク世間流行との関係はかなり密接なものである

ブコメで支持されてるようなオタク像とはあまり乖離している


しかしなぜ世間ではこういった「オタク特殊論」のような言説が支持されてしまうのか?


そこにはなにか、彼らの中の理想像として

世間に流されないオタク

というものがあり

その背景には

文化とは個人それぞれに価値がある相対的ものであり、優劣がつけられるものではない」

「だから世間流行に流されず個々の趣味を探求するオタク尊い

といった幻想があるように思える


この幻想は他のブコメにも現れている

マウンティングをするな!」

といった声や

文化やそれを消費する人間に上も下もない!」

といった単純な反応だ

しかしこれらの反応はあまり純粋すぎるし、現実の状況からはほど遠い


文化に優劣がないというのは明らかな幻想である

文化には間違いなく優劣がある

そして文化というのはこの優劣を競うことで発展してきたものなのだ


例えばヒップホップ文化ではよくfakeという言葉が使われている

お前の音楽スタイルはfake、偽物であり俺が本物であるというスタンスを示す言葉

そこには俺>お前という優劣で競い合い

否定の積み重ねにより文化が発展していった経緯がある

(もちろん模範、サンプリングという肯定の積み重ねもそこにはあった)


文化を支えてきた批評のシーンでは優劣をつける行為は避けては通れない

評価するもの評価しないものを選べばそこには否応なく優劣がついてしま


このように文化の優劣、マウンティグというのは文化の発展のためには不可欠なものである

はいえのこの優劣はあくま個人内の価値相対的ものしかない


では文化の優劣を示す何か客観的指標はあるのか?



一つは単純に経済の話だ

「万人に消費された文化は優れている」

たったこれだけだ

ハンバーガーコーラ理論を知っているだろうか?

ハンバーガーコーラ世界一売れている、だから世界一美味い」

なるほど確かにある種の本質はついている

よし、じゃあこの指標最先端オタクになろう


amazon円盤ランキングをチェック!人気のアニメを推さえるぞ!ニコニコ100万再生!?早く見なきゃ!俺こそ最先端オタクだ!」


…なんとまあつまらない人間だろう

これじゃあ「世間に流されないオタク」が理想となるのも無理はない

単純な数字を見て勝馬に乗るゲームなんて小学生だってできる

ミーハーイナゴセルアウト

これらの言葉はそういった勝馬乗りマンへの侮蔑言葉として存在するのだろう



この単純でくだらない指標から逃れ、新たな指標を見つけよう

そして、本当に文化価値を見極めることのできる「最先端オタク」をめざすべきだ


とある例をあげよう

ドストエフスキーが生きた時代ロシア内の識字率わずか1割であった

まり当時の殆どの人々に読まれていなかったことになる


ゴッホの絵は存命中ほとんど評価されず

彼の絵に経済的な価値がついたのは死後になってからである

有名な話だろう


ではその当時のドストエフスキー小説に、ゴッホの絵には何も価値がなかったのか?

経済ゲームで言えばそうなってしま

もちろんそんな事はないだろう


文化価値指標とは何か?

それは後世の歴史に残るかどうかである

未来で参照され後世の文化に影響を与え続けるかどうか

そこに重要性がある

これは単なる経済の勝ち負けとは違う

前例のように経済ゲームで負けていたもの歴史に残ることは十分にありえるから


この指標面白い

即物的な流行り廃りに惑わされず

本当に重要文化とは何かを見極める必要がある


しかし、ただ単に「世間流行に流されないオタク」だけでは通用しない

時には経済ゲームだって乗る必要も出てくる

何が歴史に残り、何が消えるのか、その見極めは難しい

オタクとして、趣味人としての知性、教養センス

あらゆる能力が大いに試される




さて、ここでけものフレンズバーチャルユーチューバーを例に考えよう


あのブームからすでに1年

うーん…

けものフレンズがいったい何を残したというのだろう

あれって何だったの?結局スカだったよねというのが大体の人の感想だろう

とても文化歴史に残り、後世に語られるような代物ではない


バーチャルユーチューバーはどうか?

10年後、20年後100年後と歴史に残るだろうか?

まだまだ確信できるものではないだろう

しかし日々、関わってくる才能や技術更新され話題性はつきない

ここから新たなものがどんどん産まれてくる

そういう可能性を大いに感じる

少なくともけものフレンズなぞよりかははるかに後世に残る可能性は高い



去年の今頃、

けものフレンズ熱狂していた日本オタク

ほそぼそとバーチャルユーチューバー黎明期を支えていた海外オタク(俺)


今振り返るとあきらかに海外オタク(俺)達は日本オタクに勝っていたのだ

一時的にはけものフレンズ経済ゲームでは勝っていた

しかしながら、一方で海外オタク(俺)達は数字に惑わされずに歴史を見極め、本当に嗜好すべき文化とは何かを知っていた

そしてそれは歴史に残る文化の下支えとなり

最終的に勝利した

増田が彼ら(俺)を「最先端オタク」と形容したのはこういうことなのだ



オタク最先端なんか関係なく生きてるんですー」

自分が好きなことを求めるのがオタクだ!」

ちゃんちゃらおかし

所詮負け犬戯言しかない

現実直視しろはてなーよ

日本オタクは負けてるんだよ





ps

教養あるはてなーへ

ここで書かれてる論理増田個人が好き勝手言ってる事ではなく

いろんな国内外の言説の「元ネタ」の上にある事はお気づきだろう

とすれば一朝一夕反論できる代物ではない事くらいはわかるはずだ

じゃあ何をすべきかはわかるね?

そう、今すぐバーチャルユーチューバー動画を見るんだ

ちなみに増田最近オススメは…

っとやめておこう

ぜひとも君の目で見極め、「最先端オタク」を目指してくれ

2018-03-12

anond:20180312103023

だよな

著作権が70年だってそもそも著者の許可は得てなくて勝手法律で主張していることにすぎない

明快と通信する方法発明してドストエフスキー夏目漱石許可を得るまで勝手翻訳したり翻訳版を売ったりしてはならない

2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃん遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

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