はてなキーワード: オリエンタリズムとは
日本除くアジアのやつはほぼ漏れなくそうだし、欧米のもドリトスとかハリボーとか見慣れたやつ以外は食指が動かない。輸入食品置いてる店行っても、逆オリエンタリズムめいた物珍しさこそ感じても味への興味にはあんまり向かない。
なんなら国内メーカーのやつでも、名のあるメーカーのデザインに金をかけているであろうパッケージだったり、そうでなきゃ慣れ親しんだものでなきゃあんまり手を伸ばす気になれない。よほど中身のモノが好きじゃない限りは。
シンプルに保守的な所はあるんだろうけど、それ以上の何かもある気がする。土産モノで海外のお菓子もらったりすると、その場で食わない限り永久に放置しがち。土地ごとの根本的な好みの違いって、ローカライズされたエスニック料理屋なんかよりこういう身近な所にこそ出るんじゃないかって思う。日本のご当地風味も所詮は大枠を共有しながら泳ぎ回ってるだけで、やっぱり国が違えば枠ごと変わってしまうのかもしれない。
でもスーパーでたまに置いてあるレイズはなんか妙に魅力的に見える。過剰なような無骨なような、メリケンな感じとしか形容出来ないパッケージを見ると、ジップパーカー羽織った奴がカートを引いてる洋画のスーパーが頭に浮かんでくる。
結構いい値段する割にはちょっと柔らかめの堅揚げくらいな感じでまあ普通に美味しいくらいなんだけど、たまにハーゲンダッツを買うような感覚で食ってみると美味い。この時ばかりは背面で浮いた様子の日本語ラベルの紙シールもなんだか魅力的に見える。
オリエンタリズムっていうのがあってね
Twitterで定期的にバズっている、非常識で男尊女卑の思考で凝り固まった九州男児を成敗するスカッとジャパンなストーリー
それに追随するように湧く、九州は知能も低く昭和の価値観で止まっている地獄のような場所というヘイトスピーチ
なんなんだよ、Twitterで書かれる一個人の事象で地域を括って偏見と差別を振りかざさないでよ
確かに、男尊女卑の価値観が未だ続いてる地域かもしれない、自分だって疑問を抱いて苦しむこともあった
だけどそれを見た"九州より優れてて賢くスマートな都会人"が知ったような口で九州を侮辱されると本当に頭にくる
一緒にするなと偉くて賢い人に怒られそうだが
黒人が黒人コミュニティで自分達のことをニ●ーと呼び合うことを是とし
白人がそう呼ぶことへ怒り差別とする気持ちが少しわかる気がする
女性の差別は反対するのに嬉々として地方を差別するリベラルな人々、自称フェミニストたちはその構造のおかしさに気づいていない?
大学生の頃、ジェンダー論とフェミニズムを少し学んでその思想に助けられたのに、ど田舎九州に住む野蛮人は死ね、と刃を向けられた気分だ
差別反対を表明する人たちが平気で田舎差別しないでよ、味方じゃなかったの?
データや統計に基づいて論理的に問題提起しているのならありがたいが
Twitterで蔓延る九州の男尊女卑エピソード、結局一個人の出来事を大きく取り上げて"九州男児"ってわかりやすくかつラベリングしてバカにしてるだけじゃないか
挙句の果ては"会ったことはないけど娘が付き合ってるのが九州男児で〜今すぐ別れなさいって言ってるんだけど〜…"と
あの、実際に会ってないんですよね?彼を"九州出身"というフィルターだけ通して見て
娘さんが選んでお付き合いしてる人を無碍にしていいんですか、あなたは娘さん自身を信頼してないんですか
会って嫌な思いをして不安になるなら分かるけど…イメージだけで差別するなんて稚拙すぎませんか
九州の女性や男性が問題提起してるなら何も思わないし、建設的に話し合えたらいいって思うよ
Twitter賑わせてるのは九州に住んでない人が簡単に殴れるターゲットとして九州人を揶揄して遊んでるようにしか感じない
でも、祖父母を見てたら簡単に"九州は男尊女卑の遅れた土地"って切り捨てられないよ
祖父は昭和一桁年生まれだが、掃除洗濯は勿論するし、魚を捌いて刺身を拵えてくれた、祖父の作るだし巻き卵は甘くて美味しくて大好きだった
祖母は祖父の創業した小さな会社で経営方針を大きく改善して指揮をとっていたし、祖母の判断で不動産の投資と運用を行なっていた
伯父だって、正月には料理を奮って作ってくれるし、帰省の際は祖父母のためにいつも食事を作ってる
優生思想?帝国主義??関東圏内に生まれなかった、本州からも離れた九州の"土人"は平気で侮蔑していいの…?
Twitterで"模範的なモラルを持つ人"と挙げられがちな欧米のエリートと関わったことあるけど、強烈なレイシズムとミソジニーを感じたよ
パリ第一大学を卒業した自称フェミニストのエリートフランス人だったけど、店で料理をサーブしてくれた女性が親切だったことをあげて「自分は白人だから優遇してもらえる、日本人は白人が来てくれて嬉しいからね」って平気で言ってたし
「男女の友情なんてない、男は女とヤリたいから親しくするだけ」と吐き捨てたよ
東京生まれ東京育ちの早稲田大学卒業の男性、女性をモノのように扱ってたよ
彼らを一括りにして都会の男はミソジニーのレイシストだ!と言うつもりはありません。
もちろん、九州にだって嫌な価値観の人らがいるよ、嫌な思いもした
でも「女性」で一括りに差別され悲しい思いをした人たちが、「九州」を一括りにして侮辱していいって思えないよ
#さすが九州とか、#Q州のハッシュタグで綴られているツイートがあまりも粗雑で悲しくなる
それに私が出会った中で1番ジェンダーに対してフラットで女性を尊重してくれると感じた男性は九州生まれ九州育ちだった
九州の文化や風習が男尊女卑を増長してる論を語るならば、もっと冷静にデータと分析を持って問題提起して欲しい
そのような方が九州男児を過剰に否定し拒絶する気持ちも理解できる
でも、そのラディカルさが手を取り合うべき人同士の分断を産んでしまうことに深い悲しみを覚えている
出身地は選べないのに
フェミニズムとオリエンタリズムを一緒くたにして出身地における差別をしないでください
あえて、"都会の人"と再三括りましたが、都会の人が皆九州を差別してるとは思っていません
沢山の反応をいただいて驚いてます。共感、疑問共にいただけて嬉しいです。
まとめると、男女差別に反対しながら地域差別を肯定しないでほしいということです。
しかし、それに対しての抗議の声が自浄作用として働けば良いですが、地方や特定地域への蔑みと差別が内面化したものが多いことが悲しいのです。
男尊女卑の反例として私の家族を挙げてますが、それが九州の価値観だと一般化したいわけでもありません。
ステレオタイプなイメージで、特定の地域を括り侮蔑することは差別を助長するのではないかと思っています。(これは九州に限ったことではないです)
地方と都市、男女、老若、貧富、さまざまな属性を無数に分けることができますが、属性に対する決めつけは差別の始まりになる危うさがあるのではないでしょうか。
そもそも、あいつらが焼いてるのってオナニーのネタですらないしな。
これ全部、オナニーのネタですらない、ただの全年齢向け表現だから。
本当にオナニーのネタ、つまり性器や乳房や肛門が露出してるような広告だったら、まあ規制されても仕方ないかと思わなくもないけど、たかだかこの程度の表現に、UN Women日本支部やらフェミニスト議員連盟やら立憲民主党の元議員やら共産党の地方議員の皆さんやらが噛み付いて、ゾーニングだの性犯罪を誘発だのと言ってきたわけで。
で、UN Women日本支部は結局、国連加盟国である日本に対してアンステレオタイプなんちゃらの規約は公開してないんでしたっけ?
フェミ議連の人たちは集められた署名にノーコメント貫いたんでしたっけ?
ふざけんなよ、お前ら。
なんでこれで俺たちがお前らを支持すると思ってるんだ? 俺たちが支持できない以前に手続き的正義すら満たしてねえじゃねえか。
立憲民主党はまだいい。個々の議員の自主性が高く、いくつも派閥みたいなのがあって、上意下達とかが機能してない分権的な党だから、栗下善行前都議とか、藪原太郎武蔵野市議とか、そういう表現の自由を掲げる政治家や、枝野幸男代議士みたいな本来の意味でのリベラリストを支持すればいい。問題なのは共産党、お前らだよお前ら。民主集中制で上意下達の党で、これだけ多くの議員が萌えバッシングに血道を上げてんのは、もう党の方針がそういうことだって見做していいんだよな? 吉良佳子参院議員が選挙前に言ってた表現規制方針も、つまりそういうことなんだろ? 池内沙織元代議士みたいなひと目で限界フェミだとわかるやべーやつと違ってマトモそうだなと思って入れた俺の一票を、表現規制に使いやがって。党所属の地方議員たちによる温泉むすめや撮影会への執拗なバッシングを党中央がなんも諌めてないってことは、要するにそういうことなんだな? 地方選挙で入れ続けてきた票を踏み躙りやがって。俺は一度も自民や維新や公明に入れずお前らに入れ続けてきたのに、とんだ恩返しだよ。外交や防衛ではカスだけど俺たちの生活を守ってくれたり腐敗を追及してくれることを期待して入れてたのに、俺らの趣味を攻撃しはじめたりずさんな会計をしてた団体を庇いだすならもうお前らに見るべき点なんて欠片もないんだよクソが。趣味も生活の一部に決まってんだろーが。どんな高給になれても趣味を十分に謳歌できないならそれは豊かな人生じゃねーんだよクズ。趣味人にとっては趣味弾圧党より増税党の方がまだマシに決まってんだろバーカ。
ほんと、独身男性として「現在の」共産党に入れることは肉屋を支持する豚と同じでしかない。はやくフェミと手を切って男女問わずすべての庶民の厚生に資する党に戻ってくれ~~~~~~~~~。
それに性的興奮を感じる殿方がいる理論すげーな。たとえば大概の異性愛者男性にとってある程度の性欲をそそられるであろうピーチジョンの広告は当然アウトだし、手フェチや足フェチや首筋フェチの存在を考慮すると普通の婦人服の広告も駄目だし、ゲイを考えると男性を起用した広告も規制されるべきで、ズーフィリアがいるから動物もセーフじゃないよな。子供を使った広告? 論外だ論外!
薄味が好きなものとしてはそこはかとない情緒があるものをエロくないって言い張るの相手の土俵に自ら乗ってるような危惧があるんだよな。別にオナネタにしてもいいだろ
「性的」って言葉、濫用されすぎて無意味になりつつあるから「広い意味で生殖や性愛に関わっているので性的」「異性愛者としてつい目を惹きつけられてしまう程度に性的」「子供に見せられない程度に性的」「勃起する程度に性的」「公共の場での掲示が制限されてしかるべきほどに性的」「法で禁止されるべきほどに性的」みたいに「どのくらい性的なのか」を意識して喋ってほしいんだよな。たとえばpixivのガイドラインではキスや抱擁は「軽度な性的描写」だけど、これを性的といって排除する人はいないだろう。美少女を使ったポスターの類も、多くは「異性愛者としてつい目を惹きつけられてしまう程度に性的」だろうけど、「公共の場での掲示が制限されてしかるべきほどに性的」ではないわけで、そこで後者の意味で性的じゃないだろって言ってる人に対して前者の意味を持ち出して「オタクはしらばっくれるな」とか言われても困るんすよね、的な(「性愛の対象として魅力を感じる程度に性的」をアウトとするなら、多くの異性愛者女性が性的に魅力を感じるであろうイケメンを起用した広告なんかは全部性的だからアウトってことになる)。
オナニー云々とか全年齢云々って関係あるの?sexual objectificationをやめろという話しか普通されていないと思うのだが。
sexual objectification(性的モノ化)概念、「オリエンタリズム」みたいに批評の中で用いられる分には意味のある概念かもしれないと思うんだけど(たとえば「あの展示はオリエンタリズムど真ん中だよね~」みたいな展評はいくらでもあるけど、それで展覧会がキャンセルされたり抗議のお電話とかが来たりしないので、いい塩梅の使われ方をしていると思う)、展示・発表の場を狭めるために用いるとするならファジーすぎてまったくお話にならない。厳格に「モノ化」概念を適用するなら、そもそもオタクが愛好する美少女の多くはそれぞれの作品内で人格や主体性を持った存在として扱われているんだから何ら「モノ化」には当たらないし、何らかの道具として使われているから駄目だという広い意味での「モノ化」概念を採用するなら羽生結弦を起用した献血ポスターだってアウトだろ。客引きに宇崎花を使うのはモノ化だけど羽生結弦を使うのはモノ化じゃない、なんて理屈が通ると思ってんのか?(個々の作品の背景を知らなければ単なる美少女の絵にしか見えず主体性を窺い知れない? スケートに興味がなければ羽生結弦のポスターだってただのイケメンの写真であって何ら主体性は見えてこないだろ?)
いかにも保守派が言いそうな決め台詞でニッコリしちゃった。ゾーニングされてる県営公園での水着撮影会が公序良俗に反するというなら、ゾーニングされてる愛知芸術文化センターで天皇の写真を焼くアートも公序良俗に反するよな? もちろん俺は表現の自由戦士だから、あいちトリエンナーレへの妨害は許せない、特に河村たかし市長のような公人が潰そうとしてたのは表現の自由の危機だ、って思うけど。
その理屈なら、作中で明白に成人(当時)を迎えて酒も飲んでる宇崎ちゃんは何も問題なかったはずだし、VTuberや温泉むすめが叩かれたのは何だったの? ってなるでしょ。
だいたい、「非実在であっても未成年を性的な目で見てはならない」という規範は存在しないからね。たとえばテニスの大坂なおみ選手は、設定上は中学生である越前リョーマを「My husband」と公言してるけど、何も叩かれてないでしょ。仮に越前が実在の人物だったら児童婚で一発アウトだけど、越前は非実在なんだから性的な目で見てもいいんだよ。
男性が自慰行為できるかはどうでもいい。「男は接待される側で女は接待する側」「女の接待にはエロがつきもの」という思想が見えるから批判している。男性向けゲーならいいけど公的に出すなら女も客なんだから。
女性向けイケメンゲームが献血ルームとコラボしたこともあるし、岩手県がリンゴを美男子の姿に擬人化して話題になってたけど、ああいうのに対して男も客なんだぞ男を無視するなって怒ればいいの? 女性向けコラボ全部ダメになる自爆攻撃仕掛けてる自覚ある?
「全年齢向け」の線引きが違うから話が平行線 保育園前に置いたら炎上必至な性的描写ばかり 18禁漫画の手法を全年齢向けにしないでくれよなーって話 「あのお姉さんの漫画読みたい」って3才が言ったら困るのばっか
3歳児に見せたくない、が基準なの? すごいね! 『鬼滅の刃』も『名探偵コナン』も『島耕作』もゾーニングしなきゃね! 少女漫画もけっこうゾーニング対象になっちゃうね! レイプされた女の子が心の傷を負いつつも立ち上がる描写がある『生徒諸君!』とか、最後にアンドレ・グランディエの妻に……なる『ベルサイユのばら』とか、言うまでもない『あさきゆめみし』とかも、3歳児にはまだ早いからゾーニングして公共空間からは排除しようね!
たとえば男性モデルの水着撮影会なんてあまり聞かないし、女性を好きに見る対象にしたいとの底意が見え見え。男女の権力差をはっきりと作ってるわけだ。
男性モデルの水着撮影会、やりたい女性が大勢いるならやればいいと思うよ! 誰にも禁止されてないんだから好きに開けばいいんじゃないかな! もし自民党の県議にイチャモンつけられたら表現の自由戦士として連帯するから教えてくれ!
無関係な外交等をわざわざ貶してる時点で元より反左派では。性的消費風潮への批判=陽キャのオタ見下しコンテンツについてぶつくさ言うのと同じだと思うがね、それも「快不快で文句を言うな」で済ませるのか。
前段、反左派だと共産党に投票しちゃいけないの? 言ってる意味がマジでわからないんだけど。外交・防衛政策のクソさと庶民の生活向上とか教育とか医療とかそういった方面での政策とを天秤にかけて後者を選んでただけなんだけど、そういう消極的な支持者はお呼びじゃなかったってこと? ふーん。左派に忠実な支持者だけで頑張ってくださいね、どれだけいるか知らんけど。
後段、本当に「ぶつくさ言う」程度だったら別に何も言わないけど(誰しも嫌いなコンテンツはあるし)、議員連盟やら国連機関やら元衆院議員やらが圧力かけるのが「ぶつくさ言う」になるわけ? そんなら河村たかし市長があいちトリエンナーレに「ぶつくさ言う」のも、自民党のセンセイ方が歴史教科書に「ぶつくさ言う」のもアリになるじゃねーか。次からは右派の政治家が表現に「ぶつくさ言う」のを咎めないであげてね!
弱者男性問題ってオタク差別問題の延長なんだと思う。増田も趣味人(=オタク)の問題であり、独身男性(=モテない)の問題だとしている。オタクって弱者なのかなあというのがなんかずっと疑問としてある
ちょっと前までは「もうオタク差別なんて残ってないやろ。いい時代になったなぁ」と思ってたけど、ここ数年の左派野党の狂乱っぷり見てたら「オタク差別、まだあるじゃん……」って真顔になっちゃうよね。弱者かどうかは知らんけど明らかに蔑視があるっしょ。
昨日スーパーポテサラアニメおすすめしたけどお前ら見とるんかって思ったしこのチャンネルマジおもろいから是非観てほしいけど私はスーパーポテサラアニメ本人じゃないからステマでもダイマでもないしただここの住人は年齢的に私の親と同世代でガンダムとかハンターハンターとか好きそうやから言ってるだけやけど私はそれわからんから以下のネタで笑ったんやけど。
【アニメ】もしもマネーの虎に新海誠監督が出ていたら…【衝撃の南原社長登場】
https://www.youtube.com/watch?v=NDs_M7cN1sk
岸辺露パンは耳をすまさない Part.1『岸辺露パンがやって来る!』
https://www.youtube.com/watch?v=JaFe2v7BkCY
岸辺露パンは耳をすまさない Part.2『岸辺露パン、杉村ペッシに出会う』
https://www.youtube.com/watch?v=c2FVi_DfalU
新海誠とジョジョはわかるから笑ったけどマネーの虎って番組は世代やないから私はわからんしでもつべの動画でおおよその雰囲気は把握して昭和世代はひでえ番組作ってたんやな思って見てたけど今のテレビがつまらんのはこういう暴力性を剥ぎ取った結果かもしれんしこれは悪しき大衆性に染まった日本の現代美術と時代を超え倫理や法律を超越した欧米の現代美術の歴然たる差に似てる気がするし私の一番好きな芸術家のアンディ・ウォーホルが未だに現代美術のトップに君臨してるのは高尚ぶってマスメディアを忌避する欧州の芸術家連中の逆手を取ってアメリカのマスメディアをハックしてそれを作品にも反映して有名になってしまえば二流イラストレーターでもこんな時代ではアート界で天下を取れるという汚らわしいけど疑いようのない事実にスポットライトを当ててアンチを増やしまくって急速に有名になり銃撃事件に巻き込まれたりしながらも軽薄極まりないポップアートというジャンルを人生を賭けて決まり手の一つとして浸透させて行き詰まりを見せていた旧来のアートを合法的に粛清し新たな道を開拓した第一人者として地球規模で見ればマジョリティである日本を含む新興国からもともすれば我々も成り上がれるのではと思わせるカウンターカルチャーとして支持されて未だに現代美術の王として君臨してるんやけど彼の手口を周到に模倣して次の王座に着こうとしてるのが村上隆であやつもウォーホルの手口を真似てまず日本のメディアで嫌われ者として手っ取り早く有名になりそれを欧米に輸入しつつ世界一教育が厳しいと言われる東京藝大の博士号持ちとしてアカデミシャンの肩書を振るいながら敢えてピエロとしての立ち回りを徹底しジャンクな漫画アニメや黒人カルチャーとコネクトしたりしてアウトサイダー感を出しつつもテクニカルな日本画由来のオリエンタリズム溢れる作品を発表し度々話題をさらいアジア圏では俺はニューヨークで実績を残したアーティストだぞとふんぞり返って欧米ではありえないようなハイロー交えた大規模な展示即売会を開き見事に実績を残し一方ニューヨークに帰ったら俺は世界最大のアート作品即売会を企画運営したやり手だぞと威嚇しながら独自のポジションを確立しつつその市場でしょうもない映画やアニメを作って欧米の芸術観を貶め揺るがしながら欧米人がエントリーしにくいアジア的な予備校ライクなテクニカルなアートを評価する市場をグローバルサウスに着々と拡大しつつあってそこに日本のアーティストたちも乗っかろうとしてる昨今ではあるが正直あんまりうまく行ってる雰囲気無いし最近の欧米のアートの流行はインターネット文化とそれにまつわる身体性への忌避と回帰とかめんどくさいテーマにフォーカスしてるしルシアンフロイドが描いたような人間の身体性へのトホホ感がまた再評価されてきてる感じがするけど日本が誇るぴえん文化こそフラットなネット上の美意識と肉体的な売春ODリスカ等の行為との対比で今の時代に忌避される人体の生臭さとそれに伴う肉体美の再評価的なカルチャーであるし病み系地雷メイクの平面性と人体の立体性を想起させるセルフクンニとの融合はまさに現代美術の最前線に渦巻く複雑なテーマを完結に表したものでありスーパーポテサラアニメの他にもShingo TamagawaのPUPARIAも五十嵐大介の影響をガッツリ受けててわかる人には笑えるよとか私の区切らない文体はかつて横山裕一が提唱したものだよとか言いつつもう眠いので寝るわ
生まれた時から映画は小綺麗なシネコンで観るものだった。お行儀よく観るのが当たり前だった。
少し前までは、ニューシネマパラダイスみたいに自由席、立ち見OK、持ち込んだ軽食を食べるもタバコを吸うも自由、退場するまで何回でも観られたなんて知らなかった。割と最近まで。
コロナにかこつけてか、最近は名画座も指定席入れ替え制になっているそう。
ネットでエンドロール中に立つなだの立たせろだの、スマホをいじるなだの、映画館のためにスナックを買ってやれだのでバチギレする人がいるし、その気持ちも分からんでもない。でもそういうのを見てると、昔の大らかさへのオリエンタリズム的憧れを抱いてしまう。
私はタバコの煙を全く不快に思わないし、何なら吸いたいとすら思う。気分が塞いだ日にチケット一枚で映画館に籠もれたらどれだけ良いだろう。
しかし、ガキが騒いでいれば不快にも思うだろう。私と真逆の事を思う人だって(今どきその方が)多いはず。
各々が程々に我慢する、せざるを得ない状況であればこそ、平等に映画に入り込めるのだと思う。
懐古もほどほどに、今を愛するのが良いとミッドナイト・イン・パリは教えてくれた。
太田光は1980年代の文化相対主義的ポジションにいるように見えるので、「統一教会や安倍晋三を擁護しているように見える発言」はなんの役に立たないのではないかという話。
80年代には、「熱く語る」ことから一歩引いて、生暖かく・外から見る文化があった(みたい)
60年代の「政治の季節」から70年代の「シラケ」を経て80年代、経済的な余裕(おいしい生活)を背景に
「政治はうまくいかなかったけど、そこそこ今楽しいよね。60-70年代はなんだったんだろう、ちょっと恥ずいね」という見方だったり
サイードの「オリエンタリズム」に影響された文化相対主義だったり
岸田秀の「唯幻論」だったり
もともと反省をもとにしてるんだけど、次の世代は反省無くして相対主義をかっこいいと思う
※というのは俺のことで、まぁ勝手に太田光を俺の同類にしてしまって申し訳ないw
みんなで真面目に統一教会を責めてるけど、その熱い見方ってなんか抜けてない?
真面目な信者もいるんだぜ?どうするの?
間違っちゃいないけど、多分80年代の文化相対主義がなにも生み出さなかったのと同じように
この「言説w」もなにも生み出さないと思う
以外と統一教会批判者は、現実的な献金問題や民事裁判での違法性を根拠に議論・立案している。デーブスペクターとか
話が飛ぶけど、ネトウヨと変わらないんだよな、この思考のベクトルって
極端に言うと、敵を作ってメタ的に上から目線で指摘(馬鹿)にすることが目的だから、あまり具体的な意見がでてこない
・みんなでバカのひとつ覚えみたいに統一教会批判してるけどいいの、それ?俺が指摘しなきゃ(恍惚)
・左翼って馬鹿だよね、昔は左巻きって沢山いたんでしょ。日本のために俺の出番だぜ(よだれ)
まぁ俺も、そうたいちゅぎー!(失禁)てな感じの増田なんだけど
そういう奴はたぶんイランとイラクの違いも知らないし、アプリコットは林檎の仲間だと思ってるし、英語の成績はいつも3だった。
ただ、あのベリーダンサーか?みたいな格好はディズニーのアラジン(アニメの方)の影響が大きいのかなとも思う。ジャスミン姫も結構露出した衣装だから。
ディズニーの影響かどうかは知らんが、とにかく下品な格好して(させて)アラビアン〜とか謳うな。今じゃ猫も杓子もソシャゲのキャラもVtuberも乳と腹出して、中途半端に透けた布で口だけ覆ってる。何がアラビアンだよ。そもそも千夜一夜は中世ペルシア(やインド等)が舞台でアラブ人違うし、でも下品アラビアンたちはペルシアが何かとか知らなそう。ペル語科出身の友人も「ペルシアはアラブじゃねぇーよ!」「アラビアン•ナイトぉ?クルアーン読めよ!」って悲しんでたよ。
ただ一番気に食わないのは、あのよく分からん透けた面紗。顔下半分だけ覆うくせに、なんで透かせた?!何なのあれ?誰とは言わないけど、何なん、あれ。
気に食わない。すごい気に食わない。何がアラビアンだ。砂漠に帰れ。ラクダのバカ臭い唾でも顔面に食らえ。
日本人として、恥ずかしい。イスラーム法を研究していてアラブ人やムスリムの友人がたくさんいる身からすると、彼らに日本のあの下品アラビアンを見せたくなさすぎていつも苦しい。日本人にとっての(主語大きくてごめんなさい)アラブのイメージってこんななのね、、、って思われたくなさすぎ。オリエンタリズムがどうとか論じる気はないけど、あの下品だけはどうにかならないものか。アラブやペルシアや千夜一夜やイスラームのうっすいガワだけを利用するな。
ぜひGlamourというYouTubeチャンネルでやってる歴史家がアラジンのファッションを検証する動画を見てほしい。下品アラビアンたち聞いてるか。
今のムスリムの女の子たちのヴェールの巻き方とかすっごく可愛いし、工夫されてるし、これが現代のイスラームだよなぁって思う。
とにかく、アラビアンを謳うなら(そうでなくてもアラブや千夜一夜を意識するのなら)、悪趣味で品なのないオリエンタリズムごりごりの娼婦みたいなデザインをやめろ。変な顔布もするな。腹しまえ。乳出すな。クルアーン読め。
【追記】2022.3.3
ごめん、こんなに反応来ると思わんかった。すまんな、全然放置してて。俺が言いたかったのは「アラビアン(アラブ風の)」って謳ってるなら娼婦みたいな格好せんでや、ってことだった。というのも、こないだ仕事相手のアラブ人(カタール人)と東京歩いてて、何のキャラクターかは知らんのやけど「限定イベント アラブの夜!」みたいなタイトルで若い女の子たちがそういう格好してるデカい看板に出会ってな、そのアラブ人は日本語読めるし生まれたときからムスリムやから、ちょっと怖い顔して「アラブ?」って呟いててさ。アラブって何だよってなるよね、そりゃ。ただ俺の言い方的にアラビアンナイトと宗教の面でのイスラームを結びつけるような趣旨になったのは悪かった。イスラームは宗教にとどまらない文明とか法規範の根幹なしてる広義の意味も全然あるし、アラブ人=ムスリムちゃうからな。すまんかった。あと他国の文化を部外者がごちゃごちゃ言うなってのも確かにそうだな。けど、キムカーダシアンの「Kim Oh No」騒動だとかさ、他国の文化ってやっぱりセンシティブな話題だと思うのよ。アラブ人が日本の“アラブ“を摂取して「馬鹿にされてる」って感じるのって良くないねんな。俺も海外の人が作るリスペクトされたサムライとか着物とかすごい好きやけど、例えば外国人にコウメ太夫指して「これが日本の由緒ある伝統のゲイシャだろ?」って言われたら、そいつが真剣に言ってても馬鹿にしながら言っててもやるせない気持ちになるで。コウメ太夫好きだけどな。まあアラビアンナイトに関してはもう文化の盗用とかのレベルじゃなくて「アラブ」って付けなかったら全然納得できるくらいの確立したジャンルではあるよな。あと日本って何かとエロに対する耐性っていうか寛容な向きというか、悪く言えばゾーニングがなされてない部分も多い。他の先進国の首都とかで町中にバーンって若い女の子の肌面積多い絵とか見ないやんか。まあ、ちょっとでもアラブとかアラビアンっていう言葉について心に留めてほしいなって思ってる。
あるね、民族音楽の重要なところは音律だけではなくリズムと拍子が同じ西洋音楽の土壌にありながらもそれとは異質な体系がその民族ごとにあったというところ
わざわざ東南アジアやらアフリカを持ち出さずとも、西洋音楽の主流であった欧州においてさえも認められたところ
こういう発見をした(オリエンタリズムな時代背景も追い風だったかも知れないが、それを加味してもアカデミックな空間に説得力を持たせて送り込んだ)バルトークやコダーイはやはり優秀
というわけで既存の音楽理論体系の破壊と再構築なんてのは当時の19世紀生まれの西洋音楽それ自体に含まれていたので今どきの音楽を持ち出す必要もない
今を生きる彼らは先駆者ではない
先駆者の筆をなぞって名筆などというのは真贋を見極められない愚者の意見ぞ
おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。
どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。
読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。
塩野七海がエッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしまう自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争や政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨の言葉があり、全くその通りだと思う。
未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女と童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等な社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。
自然科学的な考え方、ロジカルシンキングのマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考がそもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。
平凡社の上巻を読んで挫折。純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルトで時間とか空間とかの枠組み、基本的な概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。
この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。
エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務感から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。
自分は特定の信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分は自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。
「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分はカトリックの中高一貫校出身であったせいか、キリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめ。マッチョぶってるところはあるが。
新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教の起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。
彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンとかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分はフロイトやアドラーよりもユング派だが。
ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。
「論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素。
ただ、言語の限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。
ちなみにウィトゲンシュタインがポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。
シン・ウルトラマンの予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。
この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族は身分を入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間(白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものだから。
定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。
面白い。僕自身のスタンスとしては、日本人が海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分も外国に対する偏見や無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分はイスラーム世界やインドについて、どれほどわかっているのだろう?
どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。
「遠野物語」しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。
自分が現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいちの本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。
上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーがサウナで美青年とイチャイチャしたり、七十年代の音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。
以上。
物理的な暴力だけじゃなく、文化面で現代的な技術を教えてつええするタイプの話って、人間が潜在的に持つ庇護欲とマウント欲と共有欲求が混ざったもんだなって思う。
特によくある描写で、向こうの住人が「こんな食べ物(異世界では)見たことありません、ほぉー」みたいにやたら文化の高さに感動する。異文化バカにしてんのかなと。江戸に来た耶蘇教の宣教師みたいな鼻持ちならない感じを受ける。とにかく現代に比べて文明も文化も低いのだから現代人が圧倒的にマウントして当然という発想は白人至上主義そのものだなこれ。
むしろ疲れていた現代人が異世界に触れて癒やされる、みたいな物があんまり見受けられないのがネット的というか。価値で全てが測られる世界に生きてんだなという実感を強くする。というより、個人的にも価値こそが評価されるのは紀元前からの歴史だとは思うけど、異世界に対する価値がはっきりと提示されてない感じがするんだよね。オリエンタリズムというか、その文化に触れてびっくりみたいな。その文化に対峙したときにまず俺達より劣っているから文化伝授してやろうという描写そのものが現代人の感性の稚拙さではないかと。こういうのって宮崎駿とかから言わせると、チコの実等未見の食事が出てこないのは何なの、ということになる。土着文化に触れて異邦人が恐縮する感じもない。さながら厚切りジェイソンのようにホワイ、日本人ココガオカシイヨー、とかずけずけやってるわけで。
そこで出てくるのが対立軸。あの異邦人が鬱陶しいからやっちまおうぜみたいなガジェットもたくさん出てくる。しまいに主人公は力量差を明示して屈服させたあと和解という。違うでしょ。お客さんはあんたであって、あんたがむしろマレビトなわけです。そこでなんで力押ししてんだと。そしてその後現代的なものを伝播させて文化破壊と。
批判されている問題点はよくわかる。大学で文化人類学の授業も受けたので、筆者の視線がいかに差別的であり、フィールドワークの手法に問題があることも分かる。
だがその上で、「でもおまえホームレス支援してないじゃん」と言われた時、私には返す言葉がない。
きっとネットで「ツーリズム批判」「オリエンタリズム批判」をしている誰よりも、彼はずっとホームレスの人をすくっているはずなのだ。
あの文章のなかにある厳然とした「差別性」と、あのひとが実際に貧困者を支援している「事実」の前に、何と言っていいのかわからなくなってしまう。
我々があの記事をぶっ叩くことで、もし彼らがホームレス支援をやめたら、結局困るのはホームレスの方たちなのではないか。
「ホームレス支援で自分の名声欲と好奇心を満たすなんてけしからん、しかしホームレス支援は続くけてね」なんて傲慢ではないのか。
本来であれば、編集部であるcakesが、もうちょっと見られる文章に整えるべきだった。というのはもちろんあるんだけど、それって絶対に殴ってこない相手に矛先をそらしている行為のような気もするのだ。
あの文章は問題がある。しかし私は、批判者の多くは、あのひとよりも絶対にホームレスの方たちの役に立ってない。
どうしたらいいんだろうか。