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はてなキーワード: 叱咤とは

2019-10-03

anond:20191003115635

煽り上手になると部下を叱咤激励して育てるのが上手になるし、耐性があるとクレームに冷静に対処できる

2019-08-14

叱咤4激励6のママがほしい

家事とかやってくれなくていいんだ。

そういう面倒なことは自分でやるから

ただね。

酔って帰って、化粧を落とすとか入浴とかそういう最低限のことすらやる気がしない時、

「こんな所でダラダラしてないで早くお風呂入って寝なさい」って叱ってくれたり、

疲れて、精神的にダメージを受けて、帰宅して何もする気になれない時、

今日も頑張ったね。いっぱい不安なことはあるだろうけど、あなたなら絶対大丈夫だよ」

って否定せず駄目な私を丸ごと受け入れていたわってくれて(だっことかしてくれるといいな)、

家事とか入浴とかやるべきことをちゃんとやるように優しく諭してくれて、それができたら、

「つらいときでもちゃんとできてえらいね」って言って(なでなでして)くれたりする

ママがほしいなあ。

家政婦みたいに家事やらなんやらを何でもやってくれなくていい。ただ、駄目な私を受け入れて、時に叱ってくれたり励ましてくれたりするママがいてほしいと思う時がある。

そのママに私から差し出せるものなんてないから無理なのはわかってるけど。

2019-08-11

理想男性としての(空想の)オネエさん

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190810143013

男性化された偉人が(多分)いないことにぞっとする”

この増田ブクマ読んで「女性は性転換が嫌いってことなのかな。」て疑問みて思ったんだけど

女性向けの作品だと確かに肉体的な意味男性女性になったり女性男性になったりする作品はそんなないと思うんだけど

(過去因縁で肉体が変わってしまSF的な戦闘ものとか魂が入れ替わるみたいな作品は読んだことがあるし多いと思う

あとトランスセクシュアルを扱ったテーマのものも多いけど、この場合元増田の思ってるものじゃないよね)

最近よくみるタイプとしては「オネエさんと恋愛する、あるいは友人関係になって仲良く暮らす」類型作品結構ある

性格や喋り方が女性的だが実際にはシスヘテロである男子との友情関係からさら恋愛に発展するタイプとしては

「やわ男とカタ子」「オネエな彼氏ボーイッシュ彼女」「オネエ失格」「旦那さんはオネェさん」などがあるし

性自認男性恋愛対象が男性のオネエと女子友情を育んだり一緒に暮らしたりするようなタイプとしては

ハルとアオのお弁当箱」「オネエさんと女子高生」「オンナノガレ!」などがあって

あと読んだことのない、読んだことあるけどタイトル忘れてしまった作品なんか含めると相当数ある

「オネエ男子」「漫画」で検索するとたぶんかなりの数が出てくる


ほのぼのだったりシリアスだったり作風は様々だけどこれらの作品にわりと共通する部分としては

そのオネエさんに料理を作ってもらう(当然とても上手い)、仕事で落ち込んだときアドバイスをもらう、

ファッションについてレクチャーしてもうらう、その他精神的、肉体的ケアに関する部分をオネエさんが担っていて

女性主人公癒したり叱咤したりしてくれる的なシーンや要素が多い

(これらは主人公社会的に見て欠点の多いいわゆるダメ女子場合で、そうでもない場合には

オネエさんがしてくれるその同じことをオネエさんの方にもしてあげる互いに共通点を見出す楽しさ、嬉しさ等が描かれる)

そのうちにだんだん自信を持って対等の関係になっていったり互いに変化が起きたりするそんな漫画が多い

もっとストレートタイトルでは「「ジェンダーレス男子に愛されています。」というのもあって

これに出てくる男の子はオネエとはだいぶ違うけどとにかくかわいくて完璧にオシャレな性別を置き去りにしたような子に

とにかくべたべたに愛されるあんまりとりえのない「普通女子」、

というこれらの漫画に見られるような願望のすべてを煮詰めたような作品で(とても絵がかわいい)

なんとなく女性フィクションに求める男子像の理想としての完成系をみるような気がする

オネエさんはオレ様系男子の様に高圧的威圧的にならず「オネエらしく」主人公を諌めたり納得させてみせる

怒られても怖くない、「オネエ」という要素に裏打ちされた知識生き方から叱咤されることによって

納得できる支配されていないその感じが求められているのかなって気がする

フィクションにおけるオレ様系男子否定するものでもないし好きな人ももちろんいっぱいいると思うけど

「凪のお暇」のように支配的に扱われるモヤモヤ言語化して描いた漫画最近結構出てきてるので

そういう空気の中でオネエ系男子漫画も爆発的に増えているのでは、という気がする


前に増田で女だってママが欲しいんだよ!みたいな記事を読んだけどそれだよなあって思った

女性自分を愛してくれるベタベタにやさしい「男のママ」が欲しくてそれがわかりやすい形で

男性の肉体を持ってるオネエに愛される」に結実するのかも、とちょっと思った

個々の作品ではもっと深い個人個人としてのキャラクター葛藤なんかが描かれたりしてるから一概には言えないけど

こういう需要というかこういう男性像に憧れたり枯渇したりする気分が根本的にある気がする

それと同時に「互いにジェンダーにとらわれないで誰かと愛し合いたい、知り合いたい」という枯渇もものすごく感じる

から肉体としての男体化、女体化という部分にそんなに重要性がない感じがする もちろんそういう性癖作品は別として

これはむしろ少女漫画ではかなり昔から描かれてきた主題だなと大島弓子作品名香智子作品他を思い出しても感じる部分で

最近というかこういうテーマのものは昔からちょくちょく見かける やまだないともそんな感じの描いていたし、

榛野なな恵先生も「ダブルハウス」という作品で(癒しとしての、ではない感じのかなり誠実なつくりの作品を)描いていた

「男でも女でも誰かを好きになったら その人の前に心でひざまずかなきゃならないものよ」

というのは上記の「ダブルハウス」の中でのセリフだけど

こういうことを言外に言いたくてオネエ男子との恋愛漫画は今でも続々と作られるのかなとなんとなく思う

こういった作品が「現実のオネエにクソ失礼だろ!」という向きも周知されてくれば当然出てくるものと思うけど

フィクションの中に理想をぶちまけることに関しては男性女性もそんなに変わりはないのだろうな、という感想を今のところは持っている

2019-07-05

[]手塚治虫「壁(ブラックジャックより)」

超久しぶりにBJ感想書くぜ

今週のチャンピオンの復刻連載にのってたか

あらすじ

重病だけど普通人生を送りたいと考える中学生主人公

自暴自棄になりかけていたときBJと遭遇するも、

内科病気はどうにもならないと言われるが、叱咤激励され、がんばろうと決める

その後、受験成功して当初の余命より長生きはするけど、やっぱり死ぬ

最後主人公の元担任BJとすれ違い、主人公は満足してたと伝えるが、

BJは「冗談じゃない、死んで満足なやつなんているもんか」と言って去る

表題意味は、作中にてヒロインが言う次のセリフ

「なんだか人生ってすぐつきあたる壁だらけみたい・・・

「のりこえてもいくらでも前に立ちはだかってるって感じ・・・

「きっとえんえんと壁が死ぬまでつづくのね・・・・・・それが人の一生なんだわ」

「ぼくなんか一年たったら壁は一つだけ・・・それでおしまいなんだな」

感想

この話をチョイスする編集部?が渋すぎるわ・・・

もっと有名でキャッチーな話なんていくらでもあったろうに

子どもから大人まで、読んだときによって受ける印象が変わってきそうな話だった

・・・編集部の壁さんにもかけてるんだろうかと少し思ったw

あ、BJは手術しなかったけど、こころの手術をしたんだな、とふと思った

ヒロインのルピちゃんかわいい

今でも通用するかわいさ

2019-06-25

anond:20190625150823

字下げ増田法学のみならず数学自分叱咤激励しつづけるつもりなのだろうか

主語がないので迷惑だが

2019-06-17

Twitterに多い病気障害その他不幸の実話(漫画)って大体

理解のある旦那恋人が出てくるんだけどなんでだろうね

やっぱその程度の支える人がいないと漫画とか文章昇華できないのかね

「よし、漫画にしよう…!」という域に達しなかった屍の山みたいなのがあるんじゃないかって思っちゃうんだよね

先月会社の同期にグループLINEで「あい躁鬱病からおかしいwwwww」って書かれて

うーわキッツ…なんかもうイライラして咄嗟に出てくる言葉がそれって怖、呼び方も古いし診断降りてないし双極性にも幅があるのに精神疾患全部一括りに入れてるんだろうなあ…しんど…って。

ちょうど座間とか息子殺しとか某議員診断書提出とかあったから頭おかしいとか絶対精神病だろとか不良品だなんだ色んな言葉が散らかっていて、一緒にしちゃいけないと頭でわかっていても1つにまとまって殴りかかってくるわけで。

「ああ私は現場がしんどくて半日ばかし部分的身体が動かなくなって数ヶ月休んだだけで精神病ってカテゴリで一生間接殴打されていくのか」と憂鬱になった。テレビはとっくの前に切ってる。それでも記事となって目に入ってしまったけど。

それに伴い現状を知ってほしい〜〜と漫画が流れてきたけどやっぱりいるんだよなあ、理解者。

家族もそんなに心配かけたくないし重たい話のためにわざわざ周りに声をかけるのは気が遅れるし、乗ってくる奴がいてもただの面白サンプルとしか思ってなさそうだし、どんな拍子で傷つくかわからないし先生は2週に1回だし

全部話してたら相手が潰れるから使い分けてると思うけど、それでも自分をほぼ確実に肯定してくれるひとがいますって超でかいじゃん、十分じゃんとか思っちゃう。8ページ目ぐらいに出てくるのほほんデフォルメあいつくれよ。いつも離れず後ろに書き込まれてるあいつ。途中から「この病気はこう大変なんです」じゃなくて「こんなに支えてくれるひとたちがいるんです〜」とアピールしてるような気になってくる。んなわけないんだけど。やっぱそういう存在がいないと救いがなさ過ぎとかシビアすぎて商業化できないのかな。そんなの売れないもんね。

バカバカと割り切れと言われたし当然自分にも言い聞かせつつ、未だに2日に1回以上は思い出す。1人で処理してる。薬も適度に飲みつつ。

相手は覚えてないだろうね。そういや身体が動かなくなる前の週かな

現場厳しいから異動したい、人間的な生活の遅れるおすすめの非現場教えてくれ」と尋ねた時も「知らん。非現場しんどいからそんな異動をするなら辞めた方がマシ」って1時間ぐらい叱咤されたな。あのとき私が飄々としてたから後から躁だと思ったのかな。数ヶ月して非現場普通に働いてるのが気に入らないのかな。病んだ人のイメージにそぐわなかったのかなあ。「切り替え早すぎ」みたいな。

そりゃ話すころには頭の中でまとまってるしオチもつけるし聞ける程度にはユーモアも挟みますよ。にしても休んでる間も誰とも連絡してないのに内示すぐ広まって気持ち悪かったなあ。死んでおけば良かったのかしら。死なないけど。

しかし私学の雄、院卒、海外留学マスコミ勤務

一般的には結構フィルターがかけたつもりなんだけどこれでダメだったから、どこまでのひとが同じようなことを言えちゃうのか全く見分けがつかん。それを探るのもしんどいし、そういうことがあるかもと前提にして態度や発言に細心の注意を払うのも無意味な気がする。

さて、寝るか。

2019-05-17

anond:20190517164516

フラットにやれるならともかくそういうのは99.9%ネガキャンやん。攻撃以外のなにと取ればいいのか。叱咤激励とでも言うんか?

2019-05-07

anond:20190507172326

俺には影響があった

影響があったのは事件後でそれ以前はコメントを見たけど誰かが適当に書いてるんだ程度の感情

裏に激烈な停止合戦があるなど知らなかったし興味もなかった

赤穂浪士の乱のごとくhagex撃破したニュースを見て初めてhagex叱咤

低能先生というウォーリアーいたことを知ったのだ

殺人をしなければ彼は俺にとってはただの独り言増田だった

anond:20190507135914

まて、元増田は「辛口レビューなんて頼んでもいないのにすんなよ!」って書いてあるか?ないよな?

それに対してお前のレスは「なら…」になってないんだよ。同じ論理が通るんだったらこれもこうだろうっていう言い方してるけど、同じ論理存在してないんだよ。わかるか?これが論理的じゃないっていう一つの例だ。

おまえのようにわけのわからん言い返しをしてこられても、周りはポカーンとするだけよ。自分では鋭いこと言ったとか思ってる可能性もあって、よっぽど厄介だな。その訳のわからん俺様論理で部下とか家族叱咤してたりしたら本当に最悪だよ。頼むから自覚してくれ。

2019-05-02

クズクズから脱却するには

トラウマスイッチが入ったので吐き出す。


何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ

そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズクズ、それがわたし


小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。


中学校から片鱗が出始めた。仮病を使って休む日が出てきた。

合唱コンクールピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。

すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろカス」と揶揄された。

「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズ思考だったんだと思う。


高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校しか入れなかったのも原因の一つかもしれない。

だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。

夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。

テスト一夜漬けで、英語赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。

そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。

部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。

「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」

重々承知してるけど、体面を気にするクズから来るしかないんだ。ごめんなさい。


大学もっとひどかった。日によって代返を使うようになった。

サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミス奇跡的な逆転負け。

後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。

趣味小説電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。

他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。

研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。

ゼミ論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃え時間が終わった。

それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。

最終的にドクターの先輩から炎上商法」「ゼミ質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。

修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。

修論とは別に論文化で必要データなんかも、わたし責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。

社会人としては0点どころか評価フィールドに立てやしない。

正真正銘クズクズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。


そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。

研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。

しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズクズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。

それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。


そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。

全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手トラウマ負ってるだけなのだけれど。

実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。


藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。

どうやったらクズから脱却できるのか、増田の誰か、教えてほしい。教えてください。頼む。

2019-04-25

大企業タコボスキル、詰んだ

おっす、おら大企業

学部卒勤続10年32歳の中堅サイヤ人だ。

ひょんなことから地元へのUターンを画策してるんだが、転職活動きっつー。

研究開発一筋10年のキャリア、弊社でしか通用しませんです!という現実を突きつけられ途方に暮れています

ブクマカ及び増田の諸兄におかれましては、何か叱咤激励罵詈雑言お願いしたく(ちなみに日立社員ではない)。

そもそもね、おらの地元にゃ同業や関連事業研究開発拠点などない。それは仕方ない、地元悪くない。

やむなしやむなしと、経歴・スキルを生かせなくもなさそうな求人ポチっとな→「ここに年収550万円の求人があるじゃろ?福利厚生も良いぞ」…きっつー、年収大幅ダウンかつ良いと言ってる福利厚生も現職対比悪化。甘えんな希望するのは私の自由だ。

…くっ、未経験職種でも頑張ります!→「ちっす、年収400万~っす!」→ははは、そだよね。

お!未経験可!しか年収700万円!→「初任地選択可、全国47都道府県転勤」「きみもツーブロゴリラ契約して不動産を売ろうよ☆」→はあああああ?????死ぬ

地方年収低すぎ今すぐ死ぬ!って話じゃないのよ。要は大企業タコボスキルしか身に付けてこなかった人間≒俺!は、一蓮托生の思いで現職にコミットし続けるしかないってことよ。昔はそれでよかったけれど、今は45歳でご退場なディストピアなわけで。

このあと益々タコツボに深くハマる未来が見えているのに、のほほんと過ごしていきたくないのですよ、私は。

自分が築きたいキャリアに合っていて、かつ、この年齢で未経験OK会社にどうにかこうにか潜り込み、レベル上げて地元企業地方支社を物理で殴って再転職、がベターしらねぇ。

なお、地元Uターン拘らなければ良いのでは?と思われるかもしれませんが、家庭の事情で拘りたいのです。

2019-04-24

両親学級に妻と参加してきた

うちの妻は元々の食が細かったこともあり、思うように体重が増えていない。

医師は「エコー問題ないし、個人差があるから気にしすぎないように」と言ってはくれているが、

妊娠6ヶ月にもなってお腹の目立たない妻を見て、「おなかの赤ちゃんちゃんと育ってる?」などと心無い言葉を投げかける親戚もいた。

そこに来て先日の両親学級である

妊婦体験時間で、着衣でもひと目で妊婦と分かるお腹を抱えた奥様方が、こんなに重いんだよ、大変なんだよ、と腹に重りをつけた夫を叱咤している。

しかし私も妻もなんだかバツが悪く、いたたまれない気持ちでいた。だって、妻の体重はそんなに増えていない。

割り当てられたその重りをつける気にもなれず呆けている私達を、助産師が目ざとく見つけて近づいてきた。

どうしたの

なにやってるの

まずはお母さんが自覚を持たないと

もうちょっとたらこのくらい抱えなきゃいけないんだから

妊娠初期と勘違いしたのだろう。これから起こる体の変化について滔々と説明を始めた助産師は、私の手から重りを奪い取り、妻に押し付けた。

ありがとうございます、やってみます、と受け取る妻の手が震えているのに気がついて、こみ上げてきたのは怒りだった。

私は重りを奪い返して装着し、その場で腹筋をして見せた。たしか、重さなんか問題じゃない。7kgくらい楽勝だ。というようなことを言った。

皆の注目がこちらに集まった。吃音もちの私は元々目立つのが苦手で、とたんに恥ずかしさがこみ上げてきた。

怒りとか、悲しみとか、恥ずかしさとか、色んな感情がないまぜになって、泣き笑いで、自分が何を言っているかもわからないような感じになってしまった。

重さや大きさなんて関係ない。自分ではない命をそこに抱える責任プレッシャー、辛さの話をしたかったが、うまく伝えることができなかったと思う。

大丈夫から、もう帰ろう。と手をひく妻のおかげで我に帰り、私達はすごすごと退散した。

なんとなく早足で保健センターを離れた後、手をつないで川沿いを歩いた。

双子を乗せたベビーカーとすれ違った後、妻は、帰りにスーパーに寄って帰ろう、と言った。

ごめん、と謝る私の手を、何も言わずやさしく握りなおした妻の手は、もう震えていなかった。

anond:20190423101547

2019-04-21

食品企業職人世界

まず大きな組織になると長く場に勤めた人が実権を握り権力をかざすイメージがあった。昨晩、Aさんという職人に会う機会があったので飲みに誘ったついでに聞いてみた。

だが意外回答、新参や部外から怒られる(?)事もしばしばあるらしい。Aさんも権力もあり班の仕事を仕切る立場であり社長にも発言力もあり賞状も得ている。

言っちゃ悪いけどヤクザの組員みたいな顔つきで、その班を完全に支配している風貌だった。

最初は酔っているのかと思ってだが派閥争いやら臭い話が匂ったのでそれ以外聞くのはやめた。相手暴力団だろうとキレて胸ぐら掴んで叱咤激励する謎のパワーが『働く』という行為に発生するらしい。(正直わからん

まあ会社職人界によって異なるが経験や実績で権力や実権が握れない可能性もあり正攻法正論じみて仕事しても、よくわからんから滅茶苦茶に怒られることも多いのだ。色々と記事をまとめている途中だが本当に働くのは難しい…

2019-04-11

anond:20190411115252

甘えも然りとはいえ仕事を任せないというのも然り

そういう短絡的で努力の足りない連中に品質の低いもの自由な発想で作ってもらっても

仕事として成り立たないので出ていってろと言っているのだから氷河期にもなろう

からといって任せると外国人いれようやとか税金いらんことに使おうやとか

消耗消費が有意義だし経済まわしてんだろとか言い出すわけで

それを経済経営を教えてなかったし学びに痛みが伴わないと慎重さにかけるとしても

我が子可愛さでなぐるなほめろで痛みも知らず責任必要業務に直面すると

だれかに任せようとして結果働きもしなくなる

外国のように無法地帯が発生したり低い品質を使いまわす貧乏人が大半をしめたり

事業主虚業で人気商売がほぼ同率の富裕層になるなどあるだろうけど

もうこれまでの時代人間も滅んでいくのだしそういうノリで

すきな自国謳歌してもらったらいいんじゃないの?

叱咤して品質を保ってもらいたいのはもう老齢のたたき上げだけだよ

自分たち幸福時間がおわるのはつらいし日本安全な国でなくなるのはおしいが

それも作ったはいいが伝えられなかった諸先達の責任だしな

2019-03-24

Happy birthday

だいぶ年下の同僚の誕生日に、おめでとうと言った。本人がこの日が誕生日です!!とめっちゃアピールしていたので、気楽におめでとうを言うモブの一人としてである24歳になったそうだ。

24歳か。たった一歳の違いだけど23歳よりも大人って感じだよね」

と私が言ったら、

「いやいやいや、いやー、遂に24歳になってしまいましたよ、あっという間っす!」

と彼は言った。

高校卒業したら時間の流れがもう本当に速くって、そうこうしているうちにこんな歳になってしまいました」

月並みな事をいうと、三十路になったらもっとスピードアップするからね。そりゃもう怒濤のごとくに。今年だってつい最近正月になったかと思ったのにもう3月も後半に差し掛かってますよ」

「俺も気付いたら30になっちゃってるのかなぁ」

「そうだね、きっとね」

私が24歳の時、歳上の人達若いんだから可能無限大もっと日々を大切に生きろと叱咤激励してきて、それが出来ない私って無能なのかなぁと思って一人で落ち込んでいた。

けどやっぱり、若くたって中々自分の力で道を切り開くなんて難しくって、否応なしに遅い来る奔流に流されてあっぷあっぷしているうちに、いつの間にか歳を取ってしまうというのは普通なのかもしれない。それはべつに責められる事ではないのだろう、と思いたい。

目まぐるしい日々だけど、いいことあるといいよね。

2019-02-16

anond:20190214022914

その意見には同意します。

元増田のように他人の無害な性格から有害性を見出すことに必死ものはそれが叱咤激励のつもりでも許すことはできません。

ただ、彼女が屍肉の亡霊というのは困ります。亡霊でもちゃんと生きていて欲しいです。

2019-02-13

許斐先生Twitter始めてから

許斐先生Twitter始めてから盲信して崇めてる人ばっかりになってつまらないよね。

っていう呟きを見てしまってイラときた。

「昔はみんなたしけ(笑)って言ってたのに最近はそういうの言えない。昔のTwitterは楽しかった」

オープンアカでそういうのよく言えるなと。

「たしけ()」呼びとか空耳テニミュとか、楽しみたい人は楽しめば良いよ。

馬鹿にするような呼び方違法アップロードして笑いものにするのは正直不快だったけど、それも先生が拒んでないなら良いよ。

好きにすればいい。

でもその「おふざけ」を私たちにまで強要しないでくれ。私たちにまでたしけ()呼びを強要しないでくれ。

去年のサマバレやディナーや、最近だとカップヌードル関連のこととか、先生言動不審に思うこともあるだろう。

先生ファンである私でも「そこはちょっと別の言い方した方が良かったんじゃないかな」と思うことは時々ある。

でも人間って完璧じゃないでしょ。

私たちは今までテニスの王子様にたくさんのものを貰った。色んなハッピーを貰ってる。

99のハッピーを貰っておいて、1過失があったら「こんなことをするコンテンツは信頼ならない。もう嫌い。でも今まで関わった時間がもったいなくて腹立たしいから黙って離れたりなんかしないで叩いてアンチ活動する」っておかしいよ。

そこは「今までありがとう。ばいばい」か「そこは訂正した方がいいよ!」となって欲しい。

先生批判するなとは言ってない。

たしけ()呼びも空耳も好きにすればいいし、先生批判作品批判も好きにすればいい。

でもずっと黙って我慢してた私たちが「実はたしけ呼びも空耳も嫌いなんだ」って呟くことくらい許して欲しい。

「昔はみんな楽しくたしけ()って呼んでたのに」じゃなくて「ふざけた愛称でもそこに何がしかの愛があるのは分かっていたから黙って我慢していた人が我慢せずに済むようになった」だけなんだよ。あなたの楽しさは誰かの我慢の上に成り立っていたものなんだってことわかって欲しい。

極端な例えになってしまうけど、18歳まで優しく厳しく健康的に育ててくれた親が18歳の誕生日に「選挙権持てたね!じゃあ次の選挙山田さんに投票して!お父さんが世話になってるから!」と言った時に『選挙違反だ。こんな親に育てられて恥ずかしい。こんな親嫌いだ。こんな親とは二度と連絡を取らないし、選管通報してSNS晒して他の知り合いにも教えて社会的バッシングして孤立させよう』って発想にならないと思う。

悪いところは注意しようor考え方が合わないかちょっと距離をおこうorそこは賛同できないけどこれまで受けた恩は返す。というあたりが妥当でしょ。

2~3年の通り過ぎて消えていくコンテンツじゃないんだよ。約20年お世話になり、またこからも続いて欲しいコンテンツの生みの親なんだよ。

貶し愛みたいな愛があるの分かるよ。私はそれをしたいとは思わないけど、そういう身内ノリ的なもの楽しいことは理解出来る。

ただ、貶し愛ストレートファン心理より上だとは思わないで欲しい。もちろんストレートファン心理貶し愛より上ってこともない。ただ愛の表現方法が違うだけだ。

「たしけ()って呼ぶ人がいなくなって窮屈」「駄目なことをしても擁護意見ばっかりで反吐が出る」

そう思うのは自由だけど、どうして呼ばないのか、どうして擁護意見が多いように見えるのか考えて欲しい。

もちろん盲目的に許斐先生を盲信して先生がおっしゃることは100%正しい!とか言う人もいる。そういう人はどうかと私も思ってるよ。

でも、ただ「貶し愛が得意ではない」「悪いことは悪い。毎日美味しいご飯を作ってもらってるのに味噌汁の味が1回濃かったくらいでちゃぶ台ひっくり返すみたいな恩知らずなことをしたくない」という人の方がずっと多いと思う(私の周囲の体感しかないけど)

今日味噌汁は味が濃いね。次から気を付けてね(指摘)とか、お湯少し足していい?(サポート)とか、味噌汁作るの苦手ならインスタントも美味しいよ(作品外のことは編集その他に任せる提案)とか、そういう当たり前の意見が突飛な熱烈信者アンチに押されて見えなくなってしまっている。

例え話が多くなってかえって分かりづらくなってしまたかな。

要は

(1):たしけ()呼びが許されなくなったわけじゃない。我慢していた人たちが嫌だと言える世界になっただけ。呼びたければ呼べばいい。これ以上こちらに我慢を強いないでくれれば良い。

(2):20年も世話になってるコンテンツには多大な恩がある。一緒になって叩かない人を全て一律に『盲信的な擁護』と思わないで欲しい。間違いに対する対処は指摘や叱咤解決提案、今後の動向見守り等が妥当だと考えているだけ。

ということが言いたかった。

商売なんだから完璧を期すのは当たり前」

ミスしたら批判だけでなく叩きも甘んじて受けなければならない」

そういう考え方ももちろんあるだろう。

そうじゃない考え方もあること、知って貰えたらいいな(と思って書いたけどこれをその人たちが見ることはなさそうだなぁ。まあ、テニプリに限らずどのコンテンツでも言えることだと思うので目に止まった誰かの思考材料になれば幸い)

2019-01-31

日本ジョブズが生まれないのは〜」という発言を浅いなと思っていたが浅いのは俺だった

ジョブズってプロダクトをブランディングして売った人なのよね。

まり掲題の発言意味するところは、実はブランディングの人とか戦略の人に向けての叱咤激励だったのだ。

的はずれな発言で浅いなあと思っていたが、そう考えるとしっくりくる。俺が浅かったと言わざるを得ない。

んでさらに思うのは、日本には未だ見いだされていないウォズニアックがゴロゴロいるのではないかということだ。

Maker Fairや各地のハッカソンイベントをみても、楽しみながら高度に技術的なことをやっている方々がこんなにいるのかと思わされる。

これはジョブズ役割をやりたいと思う人には好機なのだと言えるかもしれない。

ぜひブランディングの知見や事業戦略日本のウォズニアックを発掘して欲しい。

以下は別に参考文献ではない:

https://growth-next.com/blog/13739

2019-01-30

絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話から1年

1990年生まれ現在28歳のグラフィックデザイナーです。

絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、最近になってまた戻ってきた話を1年前、はてな投稿しました。

あれからちょうど1年経ちましたので、改めてまとめようと思いまた記事を書いています

あの記事を書いたあと

https://anond.hatelabo.jp/20180130030322

1年前、この記事を書いた後、思った以上の反応がありとても驚きました。

まさかあんなにコメントが頂けるとは思っておらず、戸惑いつつも全て読ませていただきました。

応援叱咤激励のコメントをくれる人。

私と同じように、夢を追っていたけど諦めた人。

オススメの本を教えてくださった人(全部読みました)。

全てが嬉しくて、おそらくこの記事コメントがなければ、この1年絵を描けていなかったかもしれません。

1年間でやったこ

1年間何をしていたかと言うと、とりあえずは具体的な目標を立てようと思い、

絵のアカウントツイッターで作り、

ピクシブ投稿したりpawooに登録したり、イラスト雑誌投稿したり

開催されたコミティア全てに新刊を携えて参加したりしました。

特にコミティアでは、本を出すため仕事の合間を縫ってちまちまと絵を描き、帰宅後すぐ絵を描く日々が続きました。

それでも枚数が少ないためどうにか本の形にするために考えたことは、文章を添えることでした。

から絵を描く以外にエッセイのような文章を書くのが好きで、

作詞作曲も好きでよく詩を書いていたことを改めて思い出し、

絵を描くのをやめてからもあまり自然昇華活動として行なっていたために、

自分が文を書くのが趣味ということにも気付いていませんでした。

昔、文章を書いていて同級生にとても馬鹿にされた経験があり、ずっと表には出していなかった趣味でもありました。

人の目を気にしすぎていたことに気づく

思えば長い間、人の目を気にして何もできなくなっていました。

ダサい」「意味わかんない」「下手くそ

そう思われるのが嫌で、自分をずっと殺していました。

それは絵だけじゃなくて、文章も詩も、着る服も選ぶ小物も言動も、全てそうだったように思います

目立たないように。ダサいと思われないように。だってそれは何よりも恥ずかしいことで、

本当の自分を少しでも出してしまってもしダメだった時、自分の全てを否定されたような気分になり、傷つくのがわかっていたから。

せっかく恥をかくんだ、どうせなら徹底的に自分が好きなことしかしないでおこうと思い、

知り合いには誰にも見せないようにしながら、好きな題材で絵を描き、好きに文章や詩を書いて絵に添えました。

仕事では「ダサい」と思われるのが嫌で徹底して自分の好きなものを殺して作ってきましたが、もうこの際だと、好きにデザインしました。

普段絶対使わないけど実は気になっていたフォント無駄だらけの装飾。自分に浸った言葉の羅列。普段絶対言わない主張を書いた文章。…

とにかくもう誰の目も気にしないように気をつけながら、自分の好きを探すことからはじめました。

でも2018年は好きなことをやる、と決めたからと、

もうどうにでもなれと思いながら迎えた初コミティアの日。

初めてコミティアに参加して

同人イベントサークル参加すること自体が初めてで、それだけでも緊張していましたが、

自分の好きなことを全てさらけだした本をスペースに置いて、

不安で吐きそうになりながら、一人でポツンとお客さんを待ちました。

こんなにたくさんの人が居る中、自分の絵なんて、見てくれる人が居るのだろうか。

1冊でも売れるだろうか、いや、1度でも手にとってもらえるんだろうか。

今日、誰も来なくても、誰にも見てもらえなくても全くおかしくないな。なんて、ずっとぐるぐる考えていた気がします。

会場後30分くらい経っても人が来ず、ずっと一人で、泣きそうになりながら机を睨みつけていたら、

ひとりの女性が本を手に取り、しばらく眺めた後

「これ、1冊ください」と、お買い上げくださりました。

あの瞬間のことを多分私はずっと忘れないと思います

いただいた300円を、しばらく、見つめて

人生で一番 一番尊い、大切な300円だと思いました。

生業であるデザイン仕事では、時には1、2時間作業で5万円稼ぐこともあります

その日私が出した本の作業量は、何十時間とかかっていて

時給換算すると本当にちっぽけなものでしたが

私はあんなに大切な300円を今後も知ることがないと思います

あんなにたくさんのサークルが居る中、私のサークルを見てくれたこと。

お金を出していただけたこと。それがどんなに奇跡か。

涙をこらえながら、何か、今までの全てが溶けたような感覚になりました。

絶対に愛されないと思っていた自分を愛してもらうこと、そんな奇跡を、

創作を通して味わえたことが、とても有難く思えたのです。

その後も、たくさんの人にお買い上げいただき、とても好きな絵柄ですと言っていただいたり

次のサークル参加では文章が好きですと言っていただいたり、

その次の参加では知らない方から差し入れをいただいたり、

ツイッターではとても好きな絵描きさんと相互フォロワーになれたり、

今までの私では絶対に味わえなかった世界が広がり、

しかもそれは、取り繕った私ではなく、全面的自分さらけ出した正真正銘の私としての結果で

初めて自分を許せたような気持ちになりました。

1年前の自分を振り返って

そして、1年前に書いたあの記事今日読み直して、

随分この1年で、自分が変わったことを感じました。

もう好きなことを殺さなくて良いこと。自分を出しても怖くないということ。

人と比べなくなったこと。劣等感がなくなったこと。

自分の作るものは、自分だけのものであるということ。

良い意味で、作り続けなければいけないという強迫観念がなくなったこと。

自分を認めてあげられたこと。

今まで自分スタートラインにすら立っていなかった事に初めて気づきました。

戦わない。比べられる土俵に上がらない。向き合わない。そうして自分を守ってきたつもりだったけど、

そのことで余計に自分を怖がらせていたのだと思います

裸になって、真正から「作ること」に向き合い続けたこの1年間で、

「誰か」と比べる必要は全くないこと。自分のことだけ見つめて良いこと。何も怖くないということを知りました。

一歩を踏み出す勇気さえ出せれば、全然違う世界が広がっているということを知りました。

多分それは絵だけじゃない、全てが、少しずつ変わっていくのを感じます

1年前に比べて、驚くほど自分に対して穏やかになったことを実感しています

これからどうするか

これから人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。

どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。

1年前こう書いた私へ。ものは、作りたいときに作ります

もうこのことでは全く悩まないようになりました。

恐怖に飛び込んでいくのはとても勇気必要だったけど、

勇気を出してよかったと、この世界は見えていなかったと思います

「本当の自分」を好きと言ってくれる人がこの世に1人でもいれば

きっとずっと私はものを作れるし、

そしてそれが自分自身であっても良いんだと思います

改めて、1年前コメントをくれたみなさま、本当にありがとうございました

みなさまからコメントがなければ、ここまで勇気を出せなかったと思います

これからは気の赴くままに、頑張ったり頑張らなかったりしながら

創作自由に楽しく末長く続けていければな、と思っています

挑発してくる生徒にキレて殴ったら免職

仕事をしない部下にキレて叱咤したら炎上

怒りはSNS時代リスクです

タバコを吸って落ち着きましょう

2019-01-26

ファザコンだってことに気づいた

アラサーになって、ようやく、ファザコンであることに気づいた。ネットでぐぐってみたところ、隠れファザコンというやつらしい。もやもやしてまとまらなかったので吐きだす。

父親との仲は、悪くはないけれど良くもなかった。思春期の頃には、父親のような人とは結婚しないと何度も強く思ったことをよく覚えている。父は機嫌が悪くなると物にあたり怒鳴り散らす人だった。日曜の朝は母親叱咤する父親の怒鳴り声で目覚めるなんてこともあった。口答えすると、誰のおかげで飯食えてると思っているんだ、その服は、この家は。そんな口を聞くなら、今すぐでていけと、当たり前の生活を、当たり前に享受できない気分にさせる人だった。今の生活の安定はみせかけで、父の気分ひとつで崩れてしまうんだと感じさせる人だった。きっと、そんなことはないのだろうけど。頭に血がのぼってしまうと、もう手がつけられなかった。

母には、50キロを超えたら女じゃないか離婚すると平然とのたまう人だった。女は賢くなったら面倒くさいから、だしても短大まで、という人だった。一昔前の日本男性はみんなこうだったんだろうか。身の回りの友だちの父親とは、ちょっと違うように思えた。

10代の頃から恋愛対象は、年上の男性だった。それも、ひとつふたつではなくて、ひと回り以上も年上の人を好きになることがよくあった。そのことに違和感を感じたことはなかった。同級生子どもっぽく思えたし、そもそも恋愛に慣れていなくて、惹かれる人がたまたま年上なのだと思っていた。けれど、アラサーともなれば、どんなに鈍かろうがさすがに、年上を選り好んで恋愛をしていることに気づく。あと、ひと回りも上の男性は無理、っていう子が多いことにも気づく。

あれ、わたしってちょっとおかしいんだって、ほんとうに、アラサーにもなってようやく気がついた。自覚がなかったことが恥ずかしい。

ファザコンは、父親のことが大好きで父親のような人を求めてしまう人だと思っていたけれど、理想父親の姿を異性に求めてしまう人も同様にファザコンということを知った。確かに、今まで無条件に甘えさせてくれる人、穏やかで怒らない人とばかりお付き合いしていた。

なんで最近になってようやく年上好きを意識することになったかというと、アラサーともなってくると、相手の年齢も、かなりイイ歳になってくるわけで、そうなってくると、四十路だろうが五十路だろうが、子どもっぽい人はずっと子どもっぽいということがわかったから。

別に年をとっているからといって、それだけ大人であるわけではなくて、ただ単純に年をとっている(あるいはとってしまった)という人もいるのか、と。わたしも良い年の取り方をできているわけではないので、どの口でいうんだ、という話なのですが。

ある程度の年齢に達すると、ここまできてしまうと、精神成熟度は、年齢じゃなくてその人の資質だとか性格だとか積んできた経験によるんだなって思った。じゃあ、年上とわざわざ付き合う理由って何?と考えたところ、わたしは甘えさせてくれる父親を求めていたんだって気づいた。気づくのが遅い、遅いよ…!

なので、これからは、年齢を気にせずに恋愛できたらとおもう。でも、オジサンちょっと弛んだお腹まわりとか、緩んだ肌の質感だとかは、相変わらずどうしようもなく愛おしく思ってしまうわけですが。これはもう性癖ですよね。でも、同じくらいの年でもいずれはお互い、オジサンバサンになっていくわけなのだから、熟す楽しみがあるのは、それはそれであり。

2019-01-19

叱咤激励プリーズ

なんにも やる気が 起きなくて

それでも 焦りは やってきて

勉強しなきゃと 思うけど

一晩 動画を 見てました

無意味で つまらん 動画です

朝は すっかり 寝坊して

家族の 期待が 重くって

今年も センター 逃げました

センター試験を 逃げました

願書は 一応 出したけど

受かるわけない バカから

昔は 何も しなくても

毎回 100点 とれたのに

20歳 すぎれば ただの人

過去問 やっても 80点

調子が 悪けりゃ 65

明日は 心を 入れ替えて

数学だけでも 受けとくか

いやいや ダメだ もうムダだ

受験票すら どこへやら

明日から もいちど 受験

ああ 来年も 受験

このまま 一生 受験



(この世からセンター試験がなくなればいいのに)

2019-01-17

自分で選んだことじゃん

なるべく言わないように気をつけたいと思っている言葉が、「自分で選んだことじゃん」ってやつ。

個人的体験に紐付いてこの言葉をあまり言いたくないと思ったので、簡単自分語りから始める。

僕は自宅から勤務地までがそこそこ遠い。県を一つまたいで、ドアtoドアで2時間半弱といったところ。

朝は早いし、必ずしも早く帰れるわけでもないので、必然睡眠時間が短くなる。

睡眠時間が短くなると頭は働かないしメンタルの方は弱ってくるしで、泣き言を言いたくなる。

職場まで遠いか寝不足でつらい、と言うわけだけれど、そこで出会ったのが「自分で選んだことじゃん」という言葉だった。

何も間違っていない。間違っていないんだけど、それを言われると本当に立つ瀬が無い。口をつぐむしかない。愚痴くらいは言わせてほしい。

このある種の自己責任論はとても息苦しい。何も言えなくなってしまうな、と思う。

自分の外部の環境に原因を見出し自分は悪くないと言いたくなることや、改善したいからこそ自分の外部の原因を探すことだってあるのに、自分内面問題にされてしまうと、甘んじてこの辛さを全て引き受けなければいけないような気持ちになる。

つらいことや失敗があったときに、自分でね、これは自分責任だって自己帰属するのはいいんです。

他人に言われると、何も言えなくなってしまうんです。

ましてや疲れているときなんかは正常に思考が働かないのだから自分責任他人責任環境責任、などをきちんと分けて考えることなんてできやしないんです。

そんなコンディションで「自分で選んだじゃん」なんて言われると、それを無条件に受け入れざるを得ない瞬間だってあるんです。

ということで、自分が嫌だったことはなるたけ人には言わないようにしよう、の精神で、「自分で選んだことじゃん」をなるべく言わないようにしよう、言うにしても状況をきちんと考えようと思ってるよ、って話でした。

この言葉で奮起できるパーソナリティの人や、状況なんかもあるんだとは思うんだけれど、叱咤激励にならないんだとしたら建設的な声かけには微塵もならないような気がしている。

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