はてなキーワード: ペーペーとは
機嫌悪いなとか、明らかに今ムカッとしたなとか、絶対俺信用されてないなとか、嫌がってるんだなとかがめちゃめちゃにわかりやすい人がいて、どうしたらいいのかなって思ってる。
仮にAさんとする。
Aさんはうちの会社内では在籍も長いし、リーダー的な役割をやってたこともあるわりと年上の人。
言い方が感情的であることはともかく、言ってる内容は正しいことが多い。
だけどとにかく棘があるし、明らかに感情が乗っていて、正誤より先に「怒らせた!」と思ってしまうような言い方をする。もしかしたら本人は気を使ってるつもりでもその言い方しんどいぞってときがわりとある。
その上、Aさんはネガティブ気質っぽくて、相手の言動を勝手に悪い方に解釈するのでかなりつらい。
特に一回相手を敵認定した相手からの言葉は全部悪く解釈してしまうので、ホントはそんな意図がない言葉でも攻撃されていると受け取る。
Aさんは、棘はあるけど基本的に正しいことを言うし、いろんなことに気づいてくれるので、むしろ俺みたいなペーペーとは比べようのないくらいはるかに変わりがいない人なのに、異様に自己評価が低くて、そのせいで周りも傷つけてしまっている。
最近は、前はすごく仲良さげだったし仕事でも円滑にやってた人ともなんか空気が微妙なので周りは尚更しんどい。
(ただ、これは周りから見てる分にはAさんじゃない方の人がやらかした割合がでかいとは思う。とはいえ信頼を失うほどの内容ではないのにそれ以降明らかに心のシャッターが降りたのがちょっと怖かったし、じゃない方の人がそれを明確に感じとって萎縮してるのでどんどん悪循環になってる感がある)
コロナが蔓延するよりも前には何回かその人ら含めて飲みに行ったこともあって、普通に楽しかったけど、Aさん普段から信じられないくらいネガティブなんだよな。本人には絶対言わないけど、生きづらそうな人だなって思った。
言い方気をつけてくださいねとか言えるわけないし、まじでどうしたらいいんだろう。
どうにかしてもうちょっと自分にも他人にもゆとりを持ってほしいんだよな。
Aさんのことみんなはめっちゃ評価しててすごいって思ってるのに、Aさんは周りをはねつけてる状態になってる。
Aさんは正しいのに、Aさんがいることでみんなが萎縮してしまう。でも絶対Aさんの方が正しいこと言ってるので反論とかないんだよな。
どうしたもんかな。
今の会社に転職してから初めての後輩が出来たんだけど、それが自分よりひと回り年上の人だった。
その人、物腰も柔らかいしとても良い人なんだけど、確認不足でした、認識不足でしたって謝ってるのを何回も何十回も聞いたし見たし言われた。
小さな会社だから1人のミスでみんなが困るし、フォローするのも大変だし、お客さんにも迷惑かけちゃうし、確認不足だったと思うなら、それを何回も繰り返してるのになんで最初から全部周りの先輩にやり方聞いて失敗しないように行動しないのか不思議でたまらない。
うちの会社の先輩はみんなすごく優しいし、聞けば丁寧に教えてくれる。
でもそれに甘んじて謝り慣れちゃってるのでは?と最近感じる。
謝ったらみんな大丈夫だよ次から頑張ろうって言ってくれるから、失敗しても謝ればいいみたいな。
そうじゃなくて、失敗しないように努力をして欲しいんだけど…あなた私よりひと回り年上でしょ?しっかりしてよ…と思ってしまう。
先輩は謝ったら許してくれるけど、お客さんは許してくれない人もいるだろうし、これからこんな事続けてたら顧客が離れる原因にもなると思う。
うちは本当に少人数の事務員さんでやってるからもちろん社歴の長い短いはあれど役職のついた「直属の上司」がいないので、誰もその人と面談して「どこがわからない?何が苦手?どうやったらお互い改善していけると思う?」って聞く人がいない。
もちろん私は思うけど、ひと回り年下のペーペーの女だからそんな事言う立場じゃない。
(面談はあるけど、一緒に働いてる人が現状をわかって寄り添って、というよりは経営陣への報告みたいになってしまう。)
私は生意気だし後からクレームとか後処理のお鉢が回ってくるのも嫌でガンガンその人にここ違う、これやった?ここ確認した?これの事?って聞いちゃう。
でも本当は自分で出来る様になってほしい。
その人が休みの日にお客さんから書類の内容違うって電話入って、全部私が作り直して送り直して…とか、もちろん私も失敗する時はたくさんあるし、みんながそれをフォローしてくれてとても感謝してるから、私もある程度のフォローはしてあげたいと思ってるけど、なんだかな。
その人が入ってすぐは仕事であっぷあっぷになってるのが目に見えてわかったから、本当は自分の持ってる雑務とかでやって欲しい事あったけど、可哀想だし仕事下ろせなかった。
2ヶ月、3ヶ月、まだまだ新人だし仕方ないと思った。
それでずっと仕事に慣れるの待ってたけど、でもそろそろ、まだ、ダメ?
あと自分が困ってること、業務で改善した方がいいこと、自分から発信しない。
このままじゃ辛いだろうに、どうしよう何やってんだろうグルグル(涙目)って感じだから、生意気な私はミーティングでこう言う事でこの人困ってますよ、改善した方いいんじゃないですかって言っちゃう。
でも本当は自分で言って欲しい。
自分で言って欲しいな、やって欲しいなってこと、私は一回やってみせて次からこうしましょうね、そしたらみんな助けてくれるからって言うんだけど、「自分発信して欲しい」ってこと、あんまり伝わってない気がする。
人には得意不得意があるし、仕事のスピードも違うし、苦手分野も得意分野も違うし、私にはないその人の良いところ沢山あると思う。
だからあんまりこの人仕事できないな…みたいなクソ生意気な評価を勝手に下して思ってしまう自分もなんだか性格悪くて嫌だ。
その人が普通に仕事抜きでおしゃべりする分には良い人な事はわかってるし。
社長や先輩が私が頑張ってることを評価してくれてるのも、お給料に反映してくれてるのも、その分その人より頑張らないといけない事もわかってます。
でも、なんだかな、私よりひと回り年上だよね。私より社会人経験も長いよね。だから、そろそろちゃんとして貰えないでしょうか。ダメでしょうか。
そうそう、だから私はウェブ拍手置いた そんで見事に嫌な言葉入れられて萎えた おもろ
ちなみに匿名感想箱を置こう、と決めた時にマシュマロを選んだのは、何のことはない、流行っていたからです!
大体あっててすごいな、と思った。私が創作をはじめたのはそのカプからだったしほぼほぼ高校生みたいなもんだったよ
でもネガティブな反応が欲しかったわけじゃないけどね マシュマロって送った言葉が弾かれる基準が曖昧だから、向こうが褒めてくれてるのに届かなくて返信できないのが嫌だな、と思ったんだよ 別に批判も中傷も受け入れたかったわけではない…やっぱり殴られたら痛いので…
そもそもマシュマロってサービスがでてきたのも最近だしリリースからわりとはやいうちに有料オプションできてるんだよな(マネタイズは早いほうが良いよそりゃ)
マシュマロサービスリリースが2017年11月27日(引用ありがとう)、有料会員は2019年9月頃にはじまってるね
個人の意見としては2年というのは割と長いんだけど 企業サービスとしてはまあ早いんだろうね
その話が全部本当ならあんた(怖い系ハピエン厨名乗ってる横増田ね)のいう最盛期ってたった数ヶ月なんじゃねえの 今でも高校生で有料オプションつけられないカードもてない人みたいなこというんだな
最盛期って何の話…?って関連するところ何回も読み返してしまった そんなこと書いたっけ?と思ったけど私が一時期作品書いてマシュマロ貰ってた時の話か?(最盛期?笑)
たった数ヶ月っていうか普通に数ヶ月だな 正確には一年半ぐらい?そんなに長いこと私がやってたように見えたなら申し訳ない ペーペー最下層同人オタクの過激派ハピエン厨です
クレカは持ってるけど待っていても来ないもの(作品をあげてないから当たり前)にお金が払えるほど潤沢な資金は無いよ…推し以外のガチャにお金注ぎ込まないのと同じ感覚
でも本当にそんなハピエン厨なら、増田(バドエン厨の創作投稿ばっかり)にこないだろ
今まちがって迷い込んだんだとしても今後はこなくていいとおもうよ
びっくりだよ
増田ってバドエン好きの創作投稿置き場だったの?本日最大の驚きだよ
私はオタクのお気持ち長文を探す為に増田を開いてるぐらいにはオタクのお気持ち長文のファンだから
読んできたお気持ち長文の数には自信があるんだけど
バドエン好きの投稿だって思ったことって…今回ぐらいしか無い…嘘…見逃してる…?だとしたらかなりショックなんだけど 良かったらバドエン好きの投稿だなって思ってる増田を教えてくれないかな?手間だと思うけど 本当に楽しんでるので…良かったら…
ちなみにハピエン厨だけどバドエン好きのお気持ちを読むのはとっても好きだよ!そこにハピエン厨とバドエン好きの区別はないんじゃないかな、と個人的には思う
※知的障害を持つ子供と親について、またそういった子供を産むことや育てることについて、比較的マイナスな内容です。不快に思う方もいると思いますので自己責任でお読みください。
インスタのおすすめ欄を見ていたら、軽度の知的障害を持つ娘を小学校の普通学級に通わせてるお母さんの投稿が出てきた。その子はクラスで孤立していること、授業の指示を理解できていないという報告をサポーターの人から受けたらしく、学校に行って状況を改善するよう話をしたいという投稿だった。
これを見て、ふと小学校の時に同じクラスにいた知的障害を持つ男の子のことを思い出した。その子、Aくんは、授業中、授業に関係ないことを唾を飛ばしながら話し、正面を向いて座れないのかいつも横向きに座っていた。国語はからっきしだったが算数が得意で、足が早くて、ドッヂボールが好きだったと思う。正確に覚えていないけど、小学校までは普通学級で過ごして、中学は支援学級に通っていたはずだ。
当時の担任の先生は、大人になった今考えても非常に真摯に生徒に向き合ういい先生だった。私も当時3ヶ月ほど入院したことがあるのだが、他県の病院にいた私のもとへ平日の放課後にお見舞いに来てくれるような先生だった。何を話したかは覚えていないが、クラスの皆に手紙を書かせ、きれいに製本し、お花と私の好きだったキャラクターの小さなぬいぐるみと共にプレゼントしてくれたのを覚えている。その先生はAくんにも目をかけ、目に余るようならば厳しく叱ったりするものの、しかし他の生徒と良い意味でも悪い意味でも同じように接した。そのため私たちもAくんのことについて「変わった子だな」とは思いつつ、Aくんが障害を持っていることは成長するまで知らなかった。察している子もいたかもしれないけど、少なくともあらゆることにおいて「障害があるから」ということを理由にしない先生だった。田舎の学校なので、私も含めクラスメイトたちはなかなかいい子ではなかったけれど、注意することはあれど、強い言葉で怒ることはしなかったし、ましてや手をあげることは一度もなかったから、幼いなりに先生を尊敬していた。
その先生が、唯一大きな声を出して、たった一度だけ、されど一度、手をあげた相手がAくんだった。詳しいことは忘れてしまったけれど、Aくんの腕を掴んで廊下へ連れて行こうとする先生の目がなぜか潤んでいたのは覚えている。
ところで、私は小学校から歩いて子供の足で30〜40分ほど離れたところに住んでいた。家が遠いので、近くに住む幼馴染と一緒に登下校していたのだが、幼馴染のクラスは私のクラスに比べて帰りの会が終わるのがかなり遅かった。そのため、私はよく廊下で幼馴染を待っていたのだが、ある時、ふと忘れ物をしたことに気づいた。幼馴染のクラスはまだ終わらなさそうだったので、自分の教室へ取りに戻ることにした。教室の電気がついていたので、先生に挨拶しようと思って教室を覗き込めば、先生と誰かのお母さんらしき人が話しているのが見えた。特別聞き耳を立てたわけじゃないが、ドアが開いていたので声が聞こえてきた。Aくんのいることでクラスのみんなに迷惑をかけている、Aくんのことを叩いてしまう、先生にも手を出させてしまい申し訳ない。そのお母さんは泣いているらしく、当時小学校の低学年だったけれど、これは聞いちゃいけない話だと思い急いで戻った記憶がある。
それからしばらくして知ったけれど、その女の人はAくんのお母さんだった。実は私はAくんと6年間同じクラスだったため、私の母とAくんの母は面識があった。私が小学校を卒業してだいぶ経った後、母が酔った時に聞いた話だが、Aくんの母はAくんのことについてかなり思い詰めていたらしい。
Aくんの母は、Aくんを一人で育てていた。私も私の母も、小学校から中学までの9年間、Aくんの父親も、Aくんの祖父母も親戚も見たことはない。働いていたようだし、もしかしたら離婚していたのかもしれない。Aくんの下にいくつか年の離れた妹がおり、それでもAくんのことでクラスに迷惑をかけてしまうからと、学級委員を引き受け、PTA活動にもかなり積極的に協力していた。そういえば、学期末にAくんのお母さんからクラスのみんなにお礼と言って高そうなお菓子をもらった気がする。とにかく、Aくんのお母さんは周囲の子供や先生、保護者に常に頭を下げていた。授業参観も懇談会も行事も、常にAが迷惑をかけて申し訳ない、と言っていた。母は詳しく話さなかったが、AくんとAくんのお母さんについて、冷たい言葉を浴びせる保護者もいたらしい。私は特別Aくんと仲がいいわけではなかった(そもそも性別が違うので一緒に遊んだりはしなかった)が、Aくんのお母さんは授業参観等で私に会うといつも疲れた笑顔で「いつもありがとうね、Aが迷惑かけてごめんね」と頭を下げた。小学生の私は、大人の女の人から頭を下げられることなんてなかったから、なんだか不思議な気持ちがした。
私は現在20代になり、友達との会話も、結婚や子育てについての話題が出るようになった。特に仲良い友達は子供好きで、最近お兄さんの子供が産まれたらしく、自分も結婚して早く子供欲しい、そのためには彼氏を見つけなきゃね、と笑っていた。私に子供ができたら、自分の子供と遊ばせよう、と。
彼女は当たり前に自分の子供が健常児であると信じており、私の子供もそうであると思っている。私もそう思っていた。でも、Aくんのことを思い出すと、もし自分の子供が知的障害を持っていたら、と考えてしまう。わたしは、自分の子供のために尽くせるんだろうか。Aくんの母親のように周囲に常に頭を下げ、言うことを聞かずに周囲に迷惑をかける子供を躾け、周囲の心ない態度にも耐えることができるんだろうか。私がもっと人間的に成長すればできるのだろうか。今の私よりはるかに人格者だった担任の先生ですら、手をあげたのに?
子供は可愛いと思う。昔は苦手だったのに、今は赤ちゃんをみると思わず笑ってしまう。自分が産むのは痛そうだし怖いけれど、好きな人の子供を産むのは素敵だとも思う。でもそう思えば思うほど、もし障害を持っていたらと考えてしまう。その子の父親となる人は、私の両親は、友達は、理解を示してくれるだろうか。一人で育てることになるとしても、私は自分の子供を育てられるんだろうか。もちろん健常児でも同じ不安はあるけれど、障害児なら尚更、自信がなくなっていく。
知的障害の子供を捨てる方法はないらしい。親や親戚に育てられる環境があるなら、施設にはそう簡単に入れないという。産んでもし障害児だったら。もしくは、産まれたときは元気でも、後天的に障害を抱える可能性もある。そうなったら多分、私は捨てる方法を探してしまうかもしれない。子供を育てられる自信がないのはもちろん、わたしはAくんの母親のようにはなれないしなりたくないと思ってしまう。
こんなことを考えている私は多分子供を産む資格はないし、年齢的にもまだ産む予定はないが、子供を産んだ親は皆こういう悩みを乗り越えているのかな。それとも私の友達と同じように、自分の子供が健常児でないなんて想像もしていない?
ネットで検索すれば綺麗事は沢山出てくる。色々考えて、乗り越えて、幸せに暮らしている家族だってたくさんいる。だけど、自分が母親になれるような年齢になってから、Aくんの母親が忘れられない。優しい人で、でも小学校の後半は、子供の目から見てもやつれているのがわかった。彼女はどんな気持ちで、私たちと関わっていたのだろう。
Aくんと母親が今何をしているかは知らない。ただ、Aくんが楽しく過ごせて、あの母親がもう頭を下げなくていい生活をしていたらいいと思う。
1/27 1:22
注目エントリに入ってるのを見てビビり、タイトルがあまりに露骨だなと思ったので変えました。本文も誤字直したり付け足したり。
本文に書いたように、どんな子供であっても自分の子を捨てるかもなんて考えをしている時点で私は子供を持つ資格はないと思っています。私の子がどうこうというより、障害を持っている子供とその周囲について、実際に見たことを思いだして、世の中の人はどう考えているのかなと疑問に思い書きました。不快な思いをした人はすみません。問題があるようなら消します。
1/27 13:48
起きたら人気エントリに入っててさらにビビりました。たくさんの反応ありがとうございます。
編集でタイトル変えても別のところ(ブックマーク?)では変わらないんですね。増田に書くのが初めてなので知りませんでした。消さなくて良いよと仰る方が多く安心しましたが、一部タイトル含め不快な思いをしてしまった方もいるようで、配慮が足りず申し訳ありませんでした。
私は親になったならばその子がどんな子供であれ幸せにする責任があると思っているので、福祉の充実も含め、親が二人(もしくは一人)で育てていかなくてはいけないという体制がもっと良い方向に変化して欲しいなと思っています。勿論今も私の子供の頃に比べたら支援等かなり良くなっていると思うのですが、やはり世の中のお父さんお母さんでそこまで考えて産んでる人は少ないと思いますし、それこそ私の友人のように健常を前提として子供を産んだ親や、子供が産まれた後なんらかの事情で障害を抱えた場合、すぐに「それでも我が子だから頑張ろう」と育てていける人ってかなり少ないと思います。これはもちろん健常児の場合も同じで、健常児だから楽というわけではないことは承知しています。ただ、親が正直しんどいと思った時、育てるか捨てるかという二択ではなく、少しでも子育てをお休みしたりできるシステムがあれば、親になりたい、もしくはなりたかったけど、という人も子供を持ちやすくなるしいいと思うのですが、これは子供からしたら親と離すなんて可哀想、という意見も出そうですし難しいのかな。まとまってなくてすみません。
同じような不安を抱えているよ、と書いてくださる方が多くて嬉しかったです。また厳しい意見もありがとうございます。実際に体験した話もそうでなくても、皆さんから意見を読むことで、自分の中のモヤモヤしたものや記憶が整理されていく気がします。私はまだ社会に出たてのペーペーなので、まだ結婚出産といったものはぼんやりとしたイメージしかないのですが、どんな選択をしたにしろ、自分も、産むとしたら自分の子供も、幸せであるように全力を尽くしたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
よくある「未経験はSES・受託に行くべき」という理論を否定したいと思います
自社に行った方がキャリア的にも幸福度的にも良いよって話をします
「行けるのであれば」という前提付きですが
偉そうなことを言いながら、私は未経験から自社開発の企業に入って1年ちょっとくらいのペーペーです
別にエンジニアであれば職には困らないし、傾いたら転職したらすればいいだけですよね
そもそも会社に依存しない人材とやらになりたかったのではないですか
技術以外の作業をやることはあっても、自社のサービスに関わることなので普通に楽しいですよ
受託に行った人も、顧客との調整とか仕様書の作成とか、技術に集中できないって嘆いてる人が多いです
SES・受託もピンキリなのに自社にスコープ絞るのはおかしくないですか
A大学は偏差値高いけどピンキリ、B大学は偏差値低いけど頭の良い人もいる、みたいな理論ですよね
こういうのは確率で判断すべきで、私の観測範囲では有意義な経験を積めている人の割合は自社>受託>SESです
そうかも、やることは多いです
ただ、納期や仕様の調整がききやすいので、精神的には圧倒的に楽です
これはあります
ただ、受託も普通に週末に仕事してる人は多いので、IT業界全体がそうであるだけな気がしますね
これもあります
それがどうしても耐えられないなら辞めても良く、でもそこで経験したレベルの高いことは後のキャリアに活きます
サービスに興味を持てるかどうかは、企業に入る前に判定ができますよね
また、色々な機能を実装するので、特に今のところは飽きてないです
でも、これは豆知識なんですが、エンジニア目線でみれば受託で経験できる言語って一つだけだったりするんですよね
「色々な言語を経験したい!」って言って受託に行った人は、結局一つの言語でしか開発をしてない人が多いです
ある程度の経験を積めていれば、仮に一つの言語しか経験がなくても、新言語の習得にはそこまで時間かからないと思います
自社もサービスが一つというだけで、色々な機能開発はするのでm、色々なプロジェクトを経験できますよ
色々な現場に行きたいなら、そもそもフリーになって業務委託を結んでもらうでよくないですか
未経験はポテンシャルをみてくれるけど、経験者ってスキルをみられるじゃないですか
せっかくポテンシャルあるのに、中途半端な企業行くとまともな開発経験を積めません
その状態で転職をして、「スキル見せて」って言われたら絶望ですよね
テスターとかコールセンターとかエクセル職人とかって開発経験っていうんですか
SESに行った人の中で、まともな開発経験を積めているケースに遭遇したの、2割くらいなんですよね
SNSで「自社開発&受託開発の企業に受かりました!」って言ってる人いますよね
これは豆知識なんですが、実は「自社開発&受託開発」って言ってる企業に入ると、基本的に受託開発しか経験できないんですよね
自社開発に関われるとしても数年後とかで、その頃には転職考えてますよね
自社開発をエサにしてる分、タチが悪いなって思います
SNSでは大声で言わないかもしれないですが、エンジニアに直接聞くと、「行けるのであれば自社の方が良いよ」って答えてくれます
それは誰が言ってますか
どこかの企業の人事とかが言ってませんか
人事と、同じようなキャリアを歩んだであろうエンジニアの、どっちを信じますか
私もとても苦労して、なんとか内定をもらえました
頑張りましょう
俺を22・23のひよっ子だと舐めてるとしたら、すぐ評価変えたほうがいいぞ。俺は、その場その場で合理的にサボったり、真面目にやったりをやってる人だからそこらへんはちゃんと分かったほうがいいぞ?(ムラがあって使いにくい?いや、シグナルを送るためにわざとやってるんだから、読み取れよ)
つーか、個人的に言うと、社会舐めてる若者は好きだけど、結局のところ何者かになろうと思ったり、志した時に「段取りを踏まないとそうなれない」ってことを知らないまま社会舐めてるガキは大っ嫌いなんですよ…。自分の若い時も含めてですが
とかなんとかいう人多いから言うけど、それ入り口の広さとのトレードオフやからね?
男なんて20代前半で学歴もなく体も強くない時点で、底辺の仕事するか病んでオタクっぽいところに行くかしかないわけだが、そうなりたいわけ?舐めてる
吉本の会見…「僕の悪いところなんですけど」連呼になってるの…バイトやペーペーのだったら殴られるやつじゃん。
見てるけど書いてないのもある。たとえば『おちフル』とか今週もえっちだった以外に書くことある?
『いわかける!』の絶妙な懐しさ(オブラートに包んだ表現)については言語化ができていないから書けないし。
こわい。
わかっているはずなのに何もわからなくなったのがこわい。
なんなの?視聴者にも梨花ちゃんの気分味わわせてやろうってこと?
うわあ、今度は魅音と詩音がわかってるはずなのにわからなくてこわい。
このアニメこわいよぅ。
展開がやたらスピーディーな割に話がふわふわしないのは、最初から高専という足場になる組織があって、主人公より上にちゃんと強い人がいて、でも人手不足なので主人公たちペーペーも危険な現場に駆り出されますという、安心感と緊張感が適度にある状態ゆえかな。
まあここ何年かの能力バトル少年漫画のヒット作はだいたいそういう構造してる気もするけど。主人公がなんとか学校やなんとか隊の下っ端になって、組織のトップや実力者に一芸を認められつつ成長するような。
設定の多さに溺れている。
隠したい設定の多さ(主に夜叉姫の出自=前作キャラの今)のせいで前作から今作に至るまでの話の説明が雑になっている。それに最初に『犬夜叉』の後日談やって続編アピールしたのに反して二世感の薄い内容で混乱している。冥加以外あまり絡んでこない……。
一方説明したい設定の多さで展開がまどろっこしい。状況を複雑にしすぎ(時代超えて生き別れの双子が片方記憶無くして再会とか、視聴者はご存知の血縁関係を作中キャラは知らないとか……)。もろはの説明台詞、多過ぎ・長過ぎ・尺取り過ぎ。
そのせいで夜叉姫が組んで妖怪退治するフォーマットに入るまでが、長い割に中身が薄く、つまらない。
どうも第1話見て自分の中でハードル上げすぎたかもしれんな。なんのかんの言っても、これは全編アニオリ展開。犬夜叉GTだ。GTには好きな部分あったけど、こっちはどうなるかな。
今回は廃校の危機を背負ってないから、無理に団結せずに個人の好きを追求していくんだな。アプリゲー出身というのもあるだろうけど、過去作とはずいぶん方向性が違っている。
でもね、あの、全員ソロじゃなく、デュオとかトリオでやってもいいんじゃないでしょうか……おなまえおぼえきれない。ゲームはずっと名前出てるだろうからいいけどさぁ。学年も分かんないし、そもそも当番回来てない子は名前すら分かんない!声で判断するしか……素の声と役の声違いすぎて分かんない!あれわんわん王国の人なの!?
ミコちゃんが偵察隊の操縦士を看取った翌週にパンパンパパパンしたときの、ネット上の雰囲気……『はいふり』で女子高生のゆるふわ海上孤立ライフと緊迫した実弾使用ガチ海戦の両方を見せられてブチギレまくる人が大量発生したときと同じだ!受け入れてるヤツは異常みたいな空気になってるところまで!頭RATtかよ。あれから4年だぞ。ココちゃんでさえ劇場版で立派な姿を見せるようになったというのに、何で揃いも揃って成長がねえんだよ。
何が言いたいかというと、OPアニメがギャザウェイ→エンブレムを筆頭に露骨すぎるバリコンテなのにフォロワーかな?とか抜かして大張正己本人の仕事と気づけなかった俺と同じくらい素人なお前らは、黙ってアズズちゃんかわいい!しとけってお話です。
さん、はい。
OP聞くだけで泣く。芳佳ちゃんが頑張ってるだけで泣く。静夏ちゃんが頑張ってても泣く。
泣く。
情緒が壊れている。
自分からCGアニメ見といて「CGは作画に勝てない」的な話するのもなんだけど。
テレビアニメ本編のCG美少女ってモデリングや動きが作画比で微妙(特に髪の毛の表現)なのに、表情もかたくて台無しになりやすくて、たいていそこを声や「CGの中の人」でかわいさを補ってるんだよね(えー、先生は、『計算中』のみゃーこは動いて喋るとバツグンにかわいいので、毎週スタジオで動いてほしいと思っとります)。
『D4DJ』はキャラの感情をオーバーな表情で表現してコロコロ変えることで美少女をしっかりかわいくしてる。それが許される作風って強みだよなぁ。もちろん相応に手間もかかってんだろうけど。でもりんくが飯食ってるシーンはだんだんごまかし利かなくなってきそう。第2話のセロリちょっと怪しかった。サンジゲンがんばれ。
音楽は分からん。『関ジャム』クラブDJ特集はやく。やくめ。って本気で思っている。
そもそもDJの認識が完全に『押すだけDJ』。アニクラ文化?には縁が無かった。放送前からやってるアプリゲーの良し悪し、『電音部』と比しての作曲家の強弱論争にもついていけない。
作中で流れる曲のリミックス?も、良し悪しがぜんぜん分からない。テンポやたら早くしてるのはiwaraとかマイクロビキニオイリーダンスDVDのBGMがだいたいそんななので、踊るのに向くんだろうなとは思う。
見た目と設定だけはシリアスだったけど、「だけ」だった。ダメな部分は最初からダメなので、コロナ禍を言い訳にできない。
周囲や状況に流されるだけの脇役主人公。敵機の販促踏み台用ライガー。でも決戦だけは主人公補正とポッと出の外付けパワーで主役になって大勝利!説得力が無い。
作中の悪いことは全てヨゴレ役で良い所一切無しのシーガルとランドに押し付けて、味方と味方になった元敵はみんな悪くないことにする。よって帝国軍がZ-Oバイザーでゾイドの自由を奪っていることは不問。またヨゴレ役キャラはどこまでも貶めていいものとする。
最初から最後までこれ。他にも存在意義無しヒロインとか、タイムスリップ設定が無闇に複雑で分かりにくいとか、レオの問い掛けに無反応なライガー怖いとか、指摘していたらきりがない。コロナのせいにできるの、せいぜい液体金属マン行方不明くらいだろ。
褒めるのだって最終クールになると、最終回のシンゴジラビームで有象無象が死ぬシーン良かったね!が限界。
今YouTubeでやってる続編『ゾイドワイルド戦記』は月に3分程度のWebアニメ。パケ裏のストーリーハイライトだけをアニメ化したような感覚。尺が無いぶん余計なことできなくて、ボロも出ない。良いことだと思う。
大学時代にプログラミングをかじったら楽しくて、これを仕事にできたらいいなと考えて IT 業界を志望し、
でも Goole とか Amazon とかのイケてる企業に入る実力も到底なかったので、とりあえず大手の SIer に入った。
研修を終えて某大企業に常駐して働くことになったが、労働環境はひどいものだった。
IT ベンダが集まるベンダ部屋みたいなところにぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
PC のディスプレイは当然 1 枚しかなく(プログラミングするには 2 枚ほしい)、メモリも足らず、
セキュリティの問題からネットには繋がらなかった。何か調べるときは自分の携帯を使う必要があった。
新卒でもいきなり下請け企業のメンバが下についたが、ペーペーの私から見ても信じられないくらい能力が低く、その人たちのフォローでも時間が取られた。
そうでなくてもプロジェクトは山火事のように燃え続けていたため、仕事量はあまりに多く、だいたい毎日終電まで働いていた。
実際の残業時間は当然のごとく毎月 120 時間をゆうに超えていたが、法律上申告できない部分はサービスとしていた。
ある時、客先のマネージャーに、「このタスクいつ終わるんだ?」と言われ、
私は「(無理して)2週間くらいです」と答えた。 1 週間でやれ、と言われた。
私に残された手段は、1 日で 2 日分働く以外になかった(当時はいい子だったので、バックレるなど考えられなかった)。
終電ではなく逆方向の"始発で帰る"ようになった。シャワーだけ浴びに家に帰って、1 時間くらい寝てすぐ出勤した。
それでも 1 週間ではタスクが終わらず、そいつからは罵声を浴びせられることとなった。
なぜこんな頑張っているのに怒鳴られなければいけないのかと、その日は帰りの終電に乗りながら世の中の理不尽さに泣いた。
数年経って、たまたま割と余裕のあるプロジェクトに移ったので、積もりに積もった会社への恨みを晴らすときだと思い、転職活動をはじめた。
(ハードすぎるときは転職活動をする余裕など到底ないのが皮肉なものである)
自身の技術力が磨けそうで、魅力的なプロダクトを作っていそうなスタートアップ企業を受けて、内定をもらった。
辞めると言ったときには偉い人たち含め、いろんな人から引き止められたが、聴く耳は持たなかった。
(皮肉なことに、上記の厳しい環境でも死ななかった経験からサイヤ人のように戦闘力が高くなっており、評価が高かったらしい)
スタートアップに転職し、前みたいなひどい労働環境はなくなった。
同僚も概して優秀だし、給料も残業がない分は下がったが、もともとそんな金は必要ないので問題はない。
しかし、今となっては SIer はそこまで悪くなかったかもしれない、と思ってしまう。
なぜかというと、今の会社のプロダクトがあまりにクソだと知ってしまったからだ。言ってしまえば "この世に必要のないもの" だった。
現在の弊社が掲げる誇大広告に騙され、入社して内情を知るまでは見抜けなかった。うかつだった。
この世に必要ないプロダクトを作るのは苦しい。自分が世の中に貢献しているという実感が持てないから。
ベンチャーなので営業にも行ったりもしなければならないのだが、その時に「うちの製品は素晴らしい」と思ってもない嘘をつかなければいけないのも苦しい。良心の呵責を感じる。
SIer にいた頃を思い返してみると、作っていたものは世の中に明らかに価値を生み出している大企業の、明らかに必要なシステムだった。
もちろん、SIer だって世の中に必要ないシステム(誰にも使われないシステムとか)を作っているケースもあるのを知っているが、概して数は多くないのではと思う。
今の会社も黒字化など到底無理そうなので、潰れる前に転職しようと思っているが、SIer に出戻るのも悪くないかなと思わないでもない。喉元過ぎれば熱さを的なやつ。
まぁ SIer よりも外資のイケてる企業に行けるならその方が良いし、誰かいきなり 10 億円くれたりしたらもっと良いのだけど。
プログラミングしてて、ある条件のときだけ処理をしてそれ以外は初期値を返す様な関数を作るとき、俺はif文で関数の中身全体を括ってしまう。その方がどんな条件のときに処理をするのかが分かり易いから。
これだったら処理をしない条件をifに書いてその中で初期値を返し、それ以外のところはネストを浅くした方が読みやすい、と言うのがレビュアーの主張だ。
まぁ俺はペーペーだしレビュアーの指摘なので、ド・モルガンの法則を使って処理をしない条件を書くのだけれど、使ってる言語がPHPなこともあっていまいち!の効力を信じきれないし、処理をしない条件を書かれるより処理をする条件を書いた方が読みやすいと思うんだよな。
ネストが浅い方が読みやすいってのは、ループ文のネストだったらまだわかるんだけど(ループ文のネストは処理時間的にも避けた方がいいし)if文でそれを言われるの(3重くらいになってたら言われるのも仕方ないが)あまり納得がいかない。
しかもそのために処理をする条件の逆条件を書くの、スッゲー分かりにくくない?
この世界じゃまだペーペーですが「信用」について語らせてください。
金を貸す・借りるというこの業界でとても重要なワードのひとつです。
昨日、そういえばツイッター社って、どうやって収益上げてこんなシステム維持しているんだろうという話になりました。ツイッターは個人情報の宝庫ですから、そこから無数のカテゴリーのビッグデータを吸い出して、それを情報として売っているんじゃないですかという説に一同納得。
これは大学で教鞭も執る某・仏文学者さんによる3年前のツイートです。結構バズりました。
この発言、みなさんどうですか? 私はひっくり返りました(笑)。
結論から言うと私はこのツイートひとつで彼への「信用」がゼロになりました。
私が培ってきた職業倫理的に言語道断な認識・論考・発言だからです。
Twitter社のランニングコストに着眼したのはまだいいです。
しかしそれを開示資料にも目を通さず、無根拠に収益源を推測し、
私の業界からすると「こんな顧客はイヤだ!」の筆頭格です(笑)。
「無数のカテゴリーのビッグデータを吸い出して」という書き方からも、
大学教授を務め社会に出る直前の学生を指導していると思うとゾッとします。
面接に来た学生が「この先生の研究室で思想を学び…」とか話し始めたら、
正直「ウッ………」となりますし、もしこんな話の進め方をする経営者がいたら、
「社会的通念の共有ができない要注意人物」として上と共有すると思います。
ただ「無知であること」、「間違うこと」だけで信用がゼロになるわけではありません。
「裏取りができることの存在を知りもせず」「残りを憶測で補完し」「他者に危害を与える」ということ。
このトリプルパンチを無自覚に行っていることを示す上記ツイートが、
私の中で「信用」の失墜、及び今後の回復も絶望的であるという判断に至りました。
今金融商品の取引は1000分の1秒単位でアルゴリズムが行っています。だから、経営者たちは当期より先のことは考えなくなりました。
という荒すぎる暴論を前提根拠として国や政府を論じる記事がありました。
「信用」のルールを放棄して経営者や金融業界を愚弄する記述だと思いました。
ルーツとなる家庭や文化も異なる他者同士が力を合わせる社会の中では、
「信用」のルールに基づいたコミュニケーションが建設的なゴールへの必須条件であると、
ペーペーながら会社勤めの経験とこんなツイートのおかげで学んだ、というお話でした。
(余談)
医者数年目のペーペーが医療に関して偉そうに語るのは、医師の大多数の先輩方からしたら生意気以外のなんでもないと思う。が、いくつか病院を移動して研修する中で思うところがあったのでここで吐かせてくれ。
一般的に医学部5,6年生になると、初期研修2年間を過ごす病院を自分で探して見学、面談をするようになっている。今は市中病院志向が強く、大学病院はあまり人気がない印象。どちらも一長一短があるので、自分が求める研修のできるほうを選べばいいと思う。
まずは、医学生がよく気にするが、ぶっちゃけどこでもそんな変わらんっていうポイントを書いていく。
よく聞くのは、ハイパー・ハイポという評価軸。忙しいか暇かという意味だ。先生によっては、医師人生で最初の2年間での経験は大きいため忙しい病院で多く経験を積むべき、と言う人もいれば、自分で勉強できる時間を取れる研修が良い、という人もいる。これも当人が医師としてどういう研修が良いか、というところによるので、一概には言いにくい。実際働いてみないとどちらが向いているのかわからないし。
あと、給料がいくらもらえるか。これもその人の価値観で選べば良い。給料の高い低いと研修病院としてのレベルの高い低いには、そこまで関係がない気がする。
他には手技ができるかどうか。ここも医学生としては結構大きなポイントとして思う人が多い。が、研修医ができる手技なんて内科医・外科医になったらいつだってやる機会がある。CV、Aライン、ルンバール、マルク、挿管。パッと思いつくのでそんなところだろうか。むしろ思うのは、手技ができることを売りにしている研修病院に、その指導体制も整っているかは全く別問題という点である。まともな先生ほど、侵襲的な手技は必ず監視する。その時怖い指導をする医師もいるだろうが、指導があるだけ本当にありがたいと最近思っている。
で、結局なにが言いたいかって言うと、働くスタッフの意識が高いか低いか、レベルが高いか低いかで選んだほうがいいよ、という話。
意識が高いというのは、知識でマウントを取るとか、やった手技の数や経験の早さで競い合うということではない。患者に対して前向きかどうか、だ。特に、コメディカルの人々が、だ。
高齢者が入院した際、DNARを取得することはよくあることだ。だが、DNARは急変して亡くなった時の免罪符ではない。治療がそれなりに奏功していたのに突然呼吸状態が悪化して亡くなることは確かにある。だが、それを高齢だからという理由だけで片付けられてしまっては、治療方針を日々検討して最善を尽くしてきた身として正直やるせない。DNARはあくまでも、終末期に際して人間としての尊厳を尊重するために、胸骨圧迫や気管挿管をしないというだけに過ぎない。必要な治療を放棄したりおざなりなケアをしたりするために取得するものではない。
それすら分かっていないコメディカルが中にいることがある。ただ急変時の仕事を減らすためや、患者家族との後々の衝突を避けるためだけに取得していると思い込んでいるやつがいる気がする。治療の見込みがあって進めているのに、はなから緩和みたいな対応されると腹が立つ。DNAR取得は急変したときに延命措置をしないで夕方の申し送りを時間通りに始めるためのものじゃないんだよ。定時に帰るよりことよりも目の前の患者に向き合うことを考えろ。
この意識の高い低いは、自ずとレベルの高い低いにつながってくる。いわゆる三次救急病院でER研修をした後に、二次救急病院で当直をすると、看護師のレベルに本当に差があることを強く感じる。もちろん人による、し、私が研修した病院がそうだっただけの可能性はある。だが、三次救急の病院で研修をすると、看護師の当たりは強めかもしれないが、助けてくれるという安心感が間違いなくある。患者を見てるし、必要な道具がすぐ出てくるし、無駄話しないし、助言をくれるし、看護師同士で勉強している。三次救急病院で研修医生活を送った人は、二次救急病院に行った時にそのレベルの高さを実感すると思う。これはICUなどの急性期病床もそう。
で、愚痴をいろいろと書いたが、医学生が研修病院を見るときにそのレベルの高さを見るのに何を見たらいいか。一つ思いつくのは、カルテを見せてもらえるなら、看護記録を見ることだ。対応した時刻と実際に記載された時刻のラグが少なくて、こまめに書かれているかどうか。
あとは、実際に病棟を回ってみて、スタッフが無駄話をしていないか。どこどこの職員がどうこうだとか、あの先生はどうこうだとか、そんなどうでもいいことをたらたら突っ立って喋っているやつがいるところはだらだらと仕事をしている。もちろん、雑談はコミュニケーションとして重要である。が、それが明らかに無駄になっているところは見ていたらなんとなくわかる。かもしれない。
あと、見学に行くとERを見ることが多いだろう。その時、来ている患者の症例を見ることに目が行きがちだが、そこで働くスタッフの機敏さを見たほうがいい。おそらく、基本的に三次救急が機能している病院のERは概してレベルが高い。二次病院はまちまちな印象。だが、特に、救急車が入ってきてスタッフがすぐ来るか、医師の指示にすぐ対応するか、バイタルはすぐ取るか、患者が見える範囲にいるか、そういうところを見たほうがいい。
忙しい病院は、walk in と救急車の患者対応が多すぎてスタッフの手が回らないことはある。それはどうしても仕方ない。だが、僕が驚いたのは、だらだらと雑談するスタッフのいるERもあるということ。それでもって一晩に大した数を見てない割に、ほら、うち忙しいでしょ、という顔をする病院は実際にある。それは患者対応で忙しいのではなく、スタッフの対応が遅いから仕事が溜まってるだけだ。