はてなキーワード: 使役とは
いや失礼だけどマトモな男なら迷わないだろ……… 訴訟リスクなんてありとあらゆるところにあるし、女性だけピックアップするのがもう性差別的だ。訴えられたりゃ戦えばいい。冤罪で信じずに離れていく知人なんてロクでもねー、最初からいない方がマシ。冤罪自体は民主主義のコストだから不満を抱え必要な反抗をしつつも、コスト自体は飲み込むのが器。
ピーチ姫 v.s. マリーザ の話は、ユーザーが短期的に求めてるものとは真逆の選択肢を取る勇気の話だと思うね。ゲームを通して社会全体の性を作り上げていく積極性。カプコンにはできた。任天堂もピーチ姫は引き継ぎなのでよしとすれば、全体的にはやれている。中小メーカーが隙をついてステロタイプ女らしさを使役して人気作を作れば台無しになる構図は、発展途上国の二酸化炭素排出と相似。
こんな意見を見て、とても長いため息をついた。
フェミニストが女は脱ぐなと言っている、とかいう誤解? は度々目にする。
彼らは言う。
「SNSで声を上げてる女たちの意図は、要するに『女は脱ぐな』だろ?」
…と。
違う。そうじゃない。
女は抑制的でなきゃダメとか、自我を主張しちゃダメで、男を後ろで支えるべき、のような、古い家父長制的男性優位主義に負けずに、女が自分の性を自由に謳歌するのは、もちろん応援する。
女性個人が所有する女性性を、まるで看板娘のように使役するのは性的モノ化だ。
だいたいそういう企業って男女平等にタレントを打ち出してたりはしない。
女だけ。
男は求められてないから、などとユーザーのせいにして、雇うにしても女ほどのルックスは条件にしてなかったりする。
たまに男女平等はとっくに達成されてる、なんていう人を見かける。
本当にそんな理想が実現してるなら、女は薄っすら好かれて男は薄っすら嫌われる、とかいう戯れ言は信じられてないはず。
だけど現実には、女性像ばかりが一方的に選好され、消費されて、「目の保養」として使われてるよね。
精査して
完成したMVを社内プレゼンしたけど、評判はおおむね良好だったよ。ただ、嫌味を言う役の先輩から、
「大航海時代はちょっとイメージ悪いんじゃない? 大航海時代にアメリカに到達した人たちがサルだか原人だかを使役しているみたいで悪趣味と思う人もいるんじゃないかな」
「いや、曲はいいと思うんだけどね。ただ、歌詞のほんの一部にあるフレーズからサルみたいなのを登場させて、しかもメインに据えるのはちょっと違うんじゃないかなと思うよ」と言うと、会議が少しざわついたよ。
子会社に出向してそこの課長になるけど、そのいきさつを説明するよ。守秘義務があって詳細は書けないから、わかりにくい説明になると思うけどごめんね。
うちの会社は、商品の開発や製造以上に広報・宣伝に主力を置いた会社なんだよね。自分で言うのもなんだけど、私は広報・宣伝部門の係長だから出世コースに乗ってたんだよね。それで、つい直近までは、商品プロモーション活動の一環として楽曲のタイアップを広告代理店に依頼してたよ。
それにしても、広告代理店の人は優秀だね。どんな曲が作りたいですかってヒアリングを受けて以下のように要望を出したら、その通りの曲を作らせちゃうんだもん。
明るく楽しくポップな雰囲気で。具体的には、ホームパーティーでBGMとして流すのに相応しい曲だとなお良し。
炭酸飲料の炭酸感を、歌詞や効果音でさりげなく散りばめてほしい。
露骨に会社名や商品名が出るのは避けたい。タイアップとは関係なしに曲単体でも魅力のあるような曲にしてほしい。
アーティスト(歌手)やレコード会社にはあまり詳しくないので任せる。
完成した曲を受け取った時にはレコード会社の人と歌手に会えたよ。歌手はぱっと見でホストっぽい雰囲気の人だったけど、真面目で礼儀正しい好青年だったよ。事前に見ていた公式WebページとかYouTube動画と雰囲気が全然違ってギャップはあったけれども、要望通りの曲を作ってくれたのも納得だったね。
それでそのままMV(ミュージックビデオ)はどうするかって話をしたよ。MVの作り方なんて全然わからないから任せるつもりでいたけど、レコード会社の人から、
「基本的にはホームパーティーの場面をメインで行こうと思います」
「衣装や小物などにも、御社のイメージカラーを入れるつもりです」
とか言ってくれたよ。タイアップする当社への配慮が完璧すぎて思わず苦笑いしちゃったけど、これなら全面的に任せて大丈夫だと思ったよ。
完成したMVを社内プレゼンしたけど、評判はおおむね良好だったよ。ただ、嫌味を言う役の先輩から、
「大航海時代はちょっとイメージ悪いんじゃない? 大航海時代にアメリカに到達した人たちがサルだか原人だかを使役しているみたいで悪趣味と思う人もいるんじゃないかな」
って言われたのは、今思うとターニングポイントだったけどね。でも当時は、曲を社内プレゼンした時に文句がなかったのだから今さら蒸し返すなよ、としか思わなかったよ。だから、
「大航海時代が舞台なのは曲の内容に沿っていると思いますけれどもね。それに、以前曲を聴いてもらった際は特に反対意見などなかったのですが、ここで曲の是非を問うのですか?」って反論したよ。そしたら先輩は、
「いや、曲はいいと思うんだけどね。ただ、歌詞のほんの一部にあるフレーズからサルみたいなのを登場させて、しかもメインに据えるのはちょっと違うんじゃないかなと思うよ」と言うと、会議が少しざわついたよ。
でも、ざわついたのは先輩の発言に納得をしたからではなくて、「また、面倒ないちゃもんを付けたよ」などと多くの人が思ったからなんだけどね。会議なんて、何かを決める場ではなく、決まった事を確認する場なのは常識でしょ。決まった事を蒸し返すなんて普通ありえないでしょ。それで、上司たちが以下のようなことを言って、ようやく先輩は矛を収めたよ。
部長「曲名からして大航海時代が舞台だから、登場人物の服装や振る舞いから征服のイメージが付いてしまうのは仕方ないんじゃないかな。どうしたって血なまぐさい印象の拭えない時代だけれども、それを言ったら日本の戦国時代だって同じようなものでしょ。それでも戦国武将は老若男女に人気のキャラクターなんだからいいでしょ。今でもドラマ化されたりして……ちょっと前だと家康だったよね? だから、戦国武将と同じ時代を生きた大航海時代の偉人だって、人気キャラクターとして扱うのに問題ないでしょ」
次長「いわゆるアンチだとか、うがった見方をする人はどうしても出るけど、こんなことまで気にしていたらきりがないですよ」
部長「今後のプロモーション活動のスケジュールも決まっているから、ここであえてストップをかけたらそれこそイメージが悪くなるよ。コストや時間を余分にかければMVを作り直させることはできるけど、こんな些細なリスクを気にしてプロモーションを中断してイメージを悪くしたら本末転倒だよ。だから、もうこれでいこう」
こんな感じでMVが社内で承認されたから、広告代理店とレコード会社にOKを伝えたよ。もちろん、先輩がいちゃもんを付けたようなことは伝えてないよ。社内でも評判だったとか、当たり障りのないことしか言ってないよ。
それで予定された日にMVが投稿されたけど、すぐに削除されることになったよ。原因はMVが差別的な内容が含んでいるとのことで炎上したから。まさか先輩の言う通りになるとは思いもしなかったよ。まあこれも仕事かと思って戦後処理(?)をしていたけど、その翌日に部長から直々に呼び出されたよ。そこで部長に言われたのが、
「例のMVについてだが、当社としては事前に把握していなかったと発表することが決まった。その他のプロモーション活動は、人員を再度割り振って継続することにする。君はひとまずは待機してくれ。しばらくしたら今後のことを伝える」そう聞いて、全てのことに納得のできなかった私は、
「曲作りに最初から関わっておきながら知らんぷりはどうかと。当社としても謝罪文を出すべきです。そうした対応も私の仕事だと思いますが、なぜ人員の振り直しを?」と反論した。
「MVに関しては広告代理店の計らいによってレコード会社が気を利かせてくれたよ。まあ、当社の立場を考えたら、つまりウチが金を出していることを考えたら当然のことだろう。この件に関しては決定済みだ。だから、MVに関してはWebにアップロードされるまで知らなかったと答えるように。絶対にだ。いいね」
「……はい、わかりました」自分の仕事を全否定されたことと、知らなかったと嘘を付かなければならないことに衝撃を受けたよ。けれども、上司の指示に抗う術もなかったので従ったよ。
「わかってくれてありがとう。だが、社外への言い訳とは別に、社内の対応として担当者に責任を負ってもらわなければならない。それもわかるね」
「責任……ですか。わかりました」
(なんで私が責任を!? 会議の場で全会一致で決まったことなのに! 反対意見もあったけどそれに抗って積極的に承認したのは部長じゃないですか!)
そんなことを思ったよ。というより、今でもそう思っているけどね。まあ、それを口に出すつもりはなかったけどね。
「君には責任を負ってもらうとは言ったけど、つまりは人事異動ってことだ。ちょうど君はプロジェクトから外れているから、手続きはスムーズだ。異動先では管理職としての経験を積んでもらうけど、わかるよね?」
部長からそう言われたよ。私がこのまま順調に広報・宣伝部門の係長を続けたとして、管理職になれる(課長に昇進できる)のは2~3年後のことだよ。だから部長の言う管理職ってのは、当社の管理職ではなくて子会社に出向してそこで管理職をやるってこと。それでも、子会社への出向とはいえ管理職になるなら栄転になるんだけどね。ただ一社を除いては。その会社は……
「……ボトルズですか?」
「そうだ。来月からボトルズへ出向してもらうよ。そこで君は課長だ」
ボトルズとは自動販売機へのドリンク補充(ボトリング)を事業とする当社子会社の通称名だよ。平均年収は当社グループの中で最も低いから、さらなる異名として「ボトムズ」とも呼ばれているよ。つまりは最底辺(ボトム)の仕事ってことだね。そこでの課長の仕事は、自動販売機補充員の管理。つまりはエリアマネージャーみたいなものだよ。基本的にエリアマネージャーたる課長自らが自動販売機に補充することはないと言われているけど、慢性的に補充員不足で課長自らが補充をしているといううわさもあるよ。そうなると勤務時間も必然的に長くなるけど、悲しいことに課長は管理職だから超過勤務手当(残業代)が一切つかないんだよね。これもまた「ボトムズ」と言われる所以なんだよね。
私は広報の仕事を続けたかったのに。大卒後の就職先として広告代理店やテレビ局といった大手メディアに希望しており、それらの会社には落ちたけど、それでもなんとか清涼飲料水業界のトップクラスで広報に強い会社に入社できたのに。入社して10年以上も広報担当として前線に立ち続けていたはずなのに。いったいどうしてボトリングなんかやる羽目になったんだ……。
子会社に出向してそこの課長になるけど、そのいきさつを説明するよ。守秘義務があって詳細は書けないから、わかりにくい説明になると思うけどごめんね。
うちの会社は、商品の開発や製造以上に広報・宣伝に主力を置いた会社なんだよね。自分で言うのもなんだけど、私は広報・宣伝部門の係長だから出世コースに乗ってたんだよね。それで、つい直近までは、商品プロモーション活動の一環として楽曲のタイアップを広告代理店に依頼してたよ。
それにしても、広告代理店の人は優秀だね。どんな曲が作りたいですかってヒアリングを受けて以下のように要望を出したら、その通りの曲を作らせちゃうんだもん。
完成した曲を受け取った時にはレコード会社の人と歌手に会えたよ。歌手はぱっと見でホストっぽい雰囲気の人だったけど、真面目で礼儀正しい好青年だったよ。事前に見ていた公式WebページとかYouTube動画と雰囲気が全然違ってギャップはあったけれども、要望通りの曲を作ってくれたのも納得だったね。
それでそのままMV(ミュージックビデオ)はどうするかって話をしたよ。MVの作り方なんて全然わからないから任せるつもりでいたけど、レコード会社の人から、
「基本的にはホームパーティーの場面をメインで行こうと思います」
「衣装や小物などにも、御社のイメージカラーを入れるつもりです」
とか言ってくれたよ。タイアップする当社への配慮が完璧すぎて思わず苦笑いしちゃったけど、これなら全面的に任せて大丈夫だと思ったよ。
完成したMVを社内プレゼンしたけど、評判はおおむね良好だったよ。ただ、嫌味を言う役の先輩から、
「大航海時代はちょっとイメージ悪いんじゃない? 大航海時代にアメリカに到達した人たちがサルだか原人だかを使役しているみたいで悪趣味と思う人もいるんじゃないかな」
って言われたのは、今思うとターニングポイントだったけどね。でも当時は、曲を社内プレゼンした時に文句がなかったのだから今さら蒸し返すなよ、としか思わなかったよ。だから、
「大航海時代が舞台なのは曲の内容に沿っていると思いますけれどもね。それに、以前曲を聴いてもらった際は特に反対意見などなかったのですが、ここで曲の是非を問うのですか?」って反論したよ。そしたら先輩は、
「いや、曲はいいと思うんだけどね。ただ、歌詞のほんの一部にあるフレーズからサルみたいなのを登場させて、しかもメインに据えるのはちょっと違うんじゃないかなと思うよ」と言うと、会議が少しざわついたよ。
でも、ざわついたのは先輩の発言に納得をしたからではなくて、「また、面倒ないちゃもんを付けたよ」などと多くの人が思ったからなんだけどね。会議なんて、何かを決める場ではなく、決まった事を確認する場なのは常識でしょ。決まった事を蒸し返すなんて普通ありえないでしょ。それで、上司たちが以下のようなことを言って、ようやく先輩は矛を収めたよ。
こんな感じでMVが社内で承認されたから、広告代理店とレコード会社にOKを伝えたよ。もちろん、先輩がいちゃもんを付けたようなことは伝えてないよ。社内でも評判だったとか、当たり障りのないことしか言ってないよ。
それで予定された日にMVが投稿されたけど、すぐに削除されることになったよ。原因はMVが差別的な内容が含んでいるとのことで炎上したから。まさか先輩の言う通りになるとは思いもしなかったよ。まあこれも仕事かと思って戦後処理(?)をしていたけど、その翌日に部長から直々に呼び出されたよ。そこで部長に言われたのが、
「例のMVについてだが、当社としては事前に把握していなかったと発表することが決まった。その他のプロモーション活動は、人員を再度割り振って継続することにする。君はひとまずは待機してくれ。しばらくしたら今後のことを伝える」そう聞いて、全てのことに納得のできなかった私は、
「曲作りに最初から関わっておきながら知らんぷりはどうかと。当社としても謝罪文を出すべきです。そうした対応も私の仕事だと思いますが、なぜ人員の振り直しを?」と反論した。
「MVに関しては広告代理店の計らいによってレコード会社が気を利かせてくれたよ。まあ、当社の立場を考えたら、つまりウチが金を出していることを考えたら当然のことだろう。この件に関しては決定済みだ。だから、MVに関してはWebにアップロードされるまで知らなかったと答えるように。絶対にだ。いいね」
「……はい、わかりました」自分の仕事を全否定されたことと、知らなかったと嘘を付かなければならないことに衝撃を受けたよ。けれども、上司の指示に抗う術もなかったので従ったよ。
「わかってくれてありがとう。だが、社外への言い訳とは別に、社内の対応として担当者に責任を負ってもらわなければならない。それもわかるね」
「責任……ですか。わかりました」
(なんで私が責任を!? 会議の場で全会一致で決まったことなのに! 反対意見もあったけどそれに抗って積極的に承認したのは部長じゃないですか!)
そんなことを思ったよ。というより、今でもそう思っているけどね。まあ、それを口に出すつもりはなかったけどね。
「君には責任を負ってもらうとは言ったけど、つまりは人事異動ってことだ。ちょうど君はプロジェクトから外れているから、手続きはスムーズだ。異動先では管理職としての経験を積んでもらうけど、わかるよね?」
部長からそう言われたよ。私がこのまま順調に広報・宣伝部門の係長を続けたとして、管理職になれる(課長に昇進できる)のは2~3年後のことだよ。だから部長の言う管理職ってのは、当社の管理職ではなくて子会社に出向してそこで管理職をやるってこと。それでも、子会社への出向とはいえ管理職になるなら栄転になるんだけどね。ただ一社を除いては。その会社は……
「……ボトルズですか?」
「そうだ。来月からボトルズへ出向してもらうよ。そこで君は課長だ」
ボトルズとは自動販売機へのドリンク補充(ボトリング)を事業とする当社子会社の通称名だよ。平均年収は当社グループの中で最も低いから、さらなる異名として「ボトムズ」とも呼ばれているよ。つまりは最底辺(ボトム)の仕事ってことだね。そこでの課長の仕事は、自動販売機補充員の管理。つまりはエリアマネージャーみたいなものだよ。基本的にエリアマネージャーたる課長自らが自動販売機に補充することはないと言われているけど、慢性的に補充員不足で課長自らが補充をしているといううわさもあるよ。そうなると勤務時間も必然的に長くなるけど、悲しいことに課長は管理職だから超過勤務手当(残業代)が一切つかないんだよね。これもまた「ボトムズ」と言われる所以なんだよね。
私は広報の仕事を続けたかったのに。大卒後の就職先として広告代理店やテレビ局といった大手メディアに希望しており、それらの会社には落ちたけど、それでもなんとか清涼飲料水業界のトップクラスで広報に強い会社に入社できたのに。入社して10年以上も広報担当として前線に立ち続けていたはずなのに。いったいどうしてボトリングなんかやる羽目になったんだ……。
「ごめんね」
それは一番難しい言
大人になる途中で
僕は言えなかった
こんな歌詞なんだから、なんか悪いことしちゃった人間のモチーフなんだろ。コロンブスってのは。
ドラえもんの、独裁者スイッチの回、ああいうのも今はダメなんだろ。
アウシュビッツの遺族くらいはまだ生きてそうだしさ。
コロンブスくらい昔になると、皮肉に使うくらいいいんじゃないかって思うけどさ、その辺、皮肉でも許さんって感じる人もいるんじゃないかなって思うよ。
俺だってなんかやだもん。
東条英機が辮髪を使役したりは当然嫌だし、逆に東条英機がバカを演じたりも嫌だし、東条英機が謝罪したりするMVもなんか嫌だし。
まあでも、騒いでる人らは、ポリコレ棒で叩きたいってのが5割くらいあると思うよ。
知らんけど。
関わらんのが一番。どうせ聞けないし、みれないし。
コロンブスが一方的にピアノのレッスンをしてるんだからあのシーンの優劣ははっきりしてるだろ?
お前が取り出してきたピアノのシーンだけじゃなくて乗馬でもそうだよな
コロンブスたちは教える側で使役する側、猿は教わる側で使役される側なんだよ
つまりコロンブスたちは物質的には豊かでもモノを知らない猿を教えて指導してあげる立場なわけだ
植民地支配を正当化するために当時から利用されてたのと同じ構図だよな?
そういう構図を楽しげに描くことが結果として美化になったってことだ
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
文化的な生活をしてるサルに似た人たちを、劣ってると決めつけて一方的に使役したりしたけど、最終的には融和しました。って、西欧中心主義でも植民地支配の肯定でもなく、むしろ皮肉だと思うんだけどな。
日本人がコロンブスに扮してが叩かれるならわからんでもないけど。
やっぱ、白人が黄色人種の格好したら、あるいはその逆とか、絵になるよ。
中国の皇帝(でも金髪)の命を受けて、チョンマゲと弁髪(でも2人とも白人)が大船団で出発!
インドネシアやスリランカの土人たち(でも金髪)と飲めや歌えやをしながら、大航海。する気になればヨーロッパの船団なんてまとめて撃破もできたのに、どこも征服しないで、呑気にアフリカでゾウやキリンを狩って帰る。
ちょっと知ってる人にも「それ本当にコロンブス自身がやったことか?」と疑問に思うことまでコロンブスのせいにしている人も目立つ
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/f38d0dacb278645cdec06fd702e741790db2cbb0
このうち確かにコロンブスがやったことは一番上、原住民の奴隷化だが、
コンスタンティノープルを陥落させたマホメッド二世とかも敗者を奴隷にしてないか?やったろうけど今のコロンブスほど悪し様に言われてないだろ。
残りはコルテスやピサロなど、他のコンキスタドールがやったことだし
疫病の蔓延はコロンブス自身が意図してやったという記録は今のところ見えない。
北米制圧の時の入植者がわざと疫病がついている毛布を原住民にやったという記録はあるが、それはコロンブスではない
ちなみに当時、新大陸におけるスペインのコンキスタドール全体所業は確かに当時の水準においても悪行と呼べるものだったようで
ラス=カサスという神父が『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』という書面で告発し改善を訴えてる
http://www.stampmates.sakura.ne.jp/Gv-eLasCsas.htm
で。じゃあこのカサス神父がコロンブスのことをどう思っているのか?
そこは概ね好意的なもので、むしろ事あるごとに肩を持っているような面が氏の著書『インディアス史』に記載されているようだ
ここらあたりのポストが参考になるかも
というわけで、どうもコロンブスは後続のコンキスタドールの悪行やらその後の北南米原住民を襲った悲劇やらの
日野 ファンミ とTwitter(X)で検索すると「どこ?」とか「地方」とか言われていますが、東京です。
新宿には電車で30分強、多摩や高尾寄り、八王子出身の芸能人たちからなぜか「日野は八王子のモン!w」と、使役されている可哀想な街です。
日野市は駅前の物件こそ高いですが、かなり田舎で、基本住宅街です。
さて、本題です。
ヒプノシスマイクファンミーティング中王区にて利用される煉瓦ホールは、地域の幼稚園児から中学校までが利用するホールとなっています。
(すぐ近くには日野市役所がありますので、住みたい!と思ったら是非駆け込んでくださいね)
中王区推しの皆様には心苦しいお話になりますが、こちら電車からのアクセスがちょっと大変です。
もうひとつの駅の豊田駅からは住宅街を縫うように歩き、坂を登って、交通の激しい道路を渡る必要があります。
日野駅でなんらかのトラブルが起きた場合のみ、豊田駅から向かうようにしてください。
アフターと言いますか、その後「ちょっとお茶しませんか?」と出来る場所があんまりありません。
はま寿司でよければお寿司を食べながらお喋りしてみてください。
私自身、煉瓦ホールにも市役所にもはま寿司にもお世話になりましたので、中王区推しの皆様、中王区の声優の皆様には、「なんもないけどいい所じゃん!」と思っていただけたら嬉しいです。