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2020-05-24

anond:20200524114005

安倍の素晴らしさとやらを言語化して説明できない以上貴方もそれを理解できてないのですね

それを無為に人に押し付けるなんてなんで空虚で哀れな人でしょう

2020-05-17

老害人間正しくなきゃ価値無し!」←先の時代空虚価値観だよな

真面目なだけじゃ何も得られない

2020-05-16

自分が取るに足らないゴミであるように感じる

色々な人や物事から自分自身を軽んじられているように思える。

1ヶ月くらいずっと在宅勤務をしていて、昨日自分の住む地域緊急事態宣言から解除されていて、今日病院とか美容室に行って来た

病院はなんともなかったのだけど、美容室でへんな髪型にされてしまった

自分コミュ障からうまく意思の疎通ができなかったからだろうか?でもちょっと切るってだけでなんで変にされちゃうんだろう。

何か聞かれて、答えたらいちいち半笑いで、すごく嫌だった

ずっと人と接していなかったから、表情とか声とか話し方がおかしかったのだろうか?

自分をかわいそうで惨めだなと思ってしまって、一日中涙が止まらない。

今日は一日中土砂降りで、自分もっと沈ませるために天気に嫌がらせされているように思えた そんな訳ないのは判っているけど余計に涙が出てくる。

綺麗に掃除したのに角にちょっと埃が残っていて、それを見ただけで泣いてしまった。やばいと思う。

でも、昔に、心療内科に通って安定剤でラリった兄弟受験勉強妨害され続けたトラウマがあるので、そういうところには行きたくない

一人は気楽だし、こうした状況になる前から休日はずっと家に引きこもったりしていたし、一人で家にいることそのものが辛い訳じゃない

でも、何だろう?

この1ヶ月、友達家族恋人電話したりしてたけど、いつも自分代替可能なんだという感じがしていた

自分には全然友達がいないけど、自分友達にはたくさん友達がいて、zoom飲み会はしごして忙しいと言っていた

別に自分がそうなりたい訳じゃないけど、何だか、うまく言えないけど、そうか、と思った

親は職業柄、人の微細な感情に敏感なせいか自分だんだん鬱々として来ているのを勘付いて、気を遣ってよく連絡をくれる

その気遣いも、ありがたいけど、そうやって見られているんだなと思わされて辛かった。プライドが高いから。

恋人とは、いつもより連絡を取り合おうと言ったのに、途中からそれがおざなりになった。

連絡をするたびに、体調を心配してくれたり、早く解除になって会いたい、と言ってくれるけど、なんかそれはただのテンプレ空虚な感じがした。

実際、解除になってから連絡は来ていない。自分からすればいいのだと思うけど、連絡をしたり誘ったりするのは自分ばかりで、なんか馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。このまま来なかったらどうなるんだろう。

あるとき、暗い気持ちで暮れそうな空を見ながらいつもの散歩ルートの海沿いを歩いていると、

自粛で行くところがないせいか、いつも人がいない散歩ルートに人がたくさんいて、

みんな家族連れとか犬連れとか友達同士とか恋人同士で来ていて、なんだよと思った。

自分だけの海沿いじゃないことは判っているのに。

やめとけばいいのに、H.G.ウェルズの「白壁の緑の扉」を読み返す。

中学校の時から何度も何度も読んでもうぼろぼろだ。ぼろぼろの本にも悲しくなる。

今、自分の目の前に白壁の緑の扉が現れたら、全てを捨てて飛び込んでしまうかもしれないと思う。

この本に出会った頃、自分は小さな田舎町にいて、周りを半透明のカプセルで囲まれているような気がしていつも息苦しかった。

親は干渉が強くてあれもこれもダメだと制限されて、兄弟には親にバレないようにネチネチ嫌がらせをされて、思春期同級生はびっくりするくらい残酷で、

から早くここから出て誰も知り合いのいない遠くに行きたいと強く思っていた。

一日の中で一番好きなのは、寝る前に自分好きな人間(自分キャラクターとかを考えた)だけが暮らしている素敵な世界自分設計した)で、ちやほやされまくったり、めくるめく恋をしたり、ハラハラするような冒険をするといった妄想をするひとときだった。

今は生まれ育った場所からものすごく遠い場所暮らしていて、高校までの同級生とは全て縁を切って、一人暮らしをしていて、好きなこともしている

なのに何でこんな気持ちになるんだろう。

昔の悲惨だった頃を思い出してまた涙が出てくる。ゴミはずっとゴミのままで、色々夢見て主人公みたくなろうとしても、無理なんじゃないかと思う。

バカみたいだ。自分が。すごく悲しい。

2020-05-14

[] #85-1「幻の10話」

“激動の時代”という文言は、さしずめボジョレー・ヌーボーのようなものだ。

ティーンエイジャーの俺や、その時代に実感の伴わない人間にとっては「10年に1度の出来」という評価ほど空虚ものはない。

だけどワインを飲める人にとって、やはりそれは確かな変化なのだろう。

フィレオフィッシュにはチーズが乗っている。

ヨーグルト付属していたフロストシュガーは別売りになった。

オレオ時代うねりと共に何かが変わり続けているらしい。

もちろん変わったのは食べ物だけじゃないけれど。


例えば、俺の父親が勤めているアニメ制作会社

早口言葉みたいな会社名がついているため、内外共に「ハテアニ」って略称で呼ばれている。

そんなハテアニもまた、激動の時代が訪れようとしていた。

「それでは第○○回、『チキチキ! ヴァリオリ制作委員会』の会議を始めます

総務である父の宣言と同時に、その会議は厳かに開かれた。

モグモグ

クチャクチャ

談合室に集まったスタッフたちは、拍手の代わりに咀嚼音で応える。

昼時だったので、会議は昼食と平行して行われていたんだ。

「ああ、もう! カレーの粉が溶けてない!」

そうボヤくのはプロデューサーのフォンさん。

やや神経症の嫌いがあり、この日はカップカレーうどんに苦悩していた。

ロボットAI企業を席巻しているのが当たり前の時代に、いつになったらカップカレーうどんは進歩するんだ!」

「まるでこのスタジオみたい~ってか」

「確かに未だ人材資本ですが、ハテアニだって進歩はしてますよ。労働待遇一般企業並みに良くなったでしょう」

「そこは誇るところじゃないだろ。カップ麺に虫が入ってないことを自慢する企業がどこにいる」

フォンさんに茶々を入れたのはシューゴさん。

ハテアニの看板作品である『ヴァリアブルオリジナル』、通称“ヴァリオリ”の総監督を務めている。

シューゴさんは、また同じメーカーランチボックスですか。それ好きですねえ」

「好きじゃねーよ。量も少ないし、味も好みじゃない」

「じゃあ、なんでそればっかりなんです」

使い捨ての容器と箸が付いているからだ」

シューゴさんはアニメ制作以外に労力を使いたがらない。

食事満足度二の次で、“食べるのが楽かどうか”が基準である

彼にとっては絵コンテを描きこむことよりも、洗う食器を一つ増やす方が遥かに負担なんだ。

「では食事をしながらいいので聞いてください。三回目となるヴァリオリの完全版制作について……」

から見ると緊張感に欠ける光景だが、ハテアニで働く者達からすれば日常茶飯である

何度もやっている会議で、内容の想像がつくので昼食の合間で十分なんだ。

この日のスタッフたちも、そのつもりで高をくくっていた。

しかし父から告げられた言葉によって、場の空気は一変する。

「今回は特典の一つとして……第2シーズン“幻の10話”を追加しようかと」

シューゴさんとフォンさんの箸が止まった。

次 ≫

2020-05-07

死ぬことばかり考える

ずっと眠りたい。起きるのがつらい。

起きている時間の全てが空虚で、苦痛で、無意味だ。私が生きている事は誰にも良い影響を与えていない。私は無価値だ。

どうしてみんな、生きてるだけでいいって言うんだ。無責任すぎる。どれだけ私が無価値かわかろうともしていない。

先をみても絶望しか見えない。泥の中でもがいて生きても、苦しい時間が延びるだけだ。

絶対幸せになれないのはわかっている、今すぐにでも終わりにしたい。

おやすみおやすみおやすみ

どこに行って死のうか。どこに。どこに。

2020-05-06

維新吉村小池百合子が有能に見えるって異常事態だよな

安倍内閣ってなんか進次郎ポエムのような空虚存在である気がしてきたわ……

anond:20200506015719

飽きたってか元々大して面白くないことに気づいただけでしょ。今まで目新しさだけで持ってたようなもんだし。

なんていうかやっぱり素人なんだなっていうのが節々に見えて辛いわ。ゲームやってんのなら編集入って見やすくなったゲーム実況観るし、雑談ならラジオの方がよっぽど作りとして面白い。企画逆立ちしてもテレビどころかネットテレビの足元にも及ばないレベルだし。

なんていうか関係性や内輪ノリで持ってるコンテンツから、そういうのに興味がないとマジで品質なんだよな。内輪ノリからハマると面白いんだろうけど、いったん正気に返ってちょっと遠くから見ると低品質空虚って気づいてむなしくなるだろ。

別に居酒屋おっさんとかがだべってるのの延長線上だからそれ自体が悪いとは言わないけど、いくらVにハマってもそれっぽい雰囲気を出してるだけで隔絶されてるから関係性が築かれることはないかマジで虚無の時間だけどな。

2020-05-04

安倍さん人間味を感じない

どうしてもあの政治家口調で喋ってるところしか想像できない

意味のない質問だよ」みたいな発言をみるに結構俗っぽいのかもしれないと頭では思うんだけど、じゃあそういう口調で喋ってるところを思い浮かべられるかっていうとうまくいかない

なんつうか空虚なんだよな 何喋ってても自分言葉じゃない感じがする 

自民党なら麻生ちゃんとか、旧民主党なら鳩山ちゃんとか、彼らならプライベートの口調が想像できる 麻生ちゃんは横柄なクソじじいぽいし、鳩山ちゃんはわりと丁寧に喋りそうな気がする 外国で言うとトランプさんなんてほぼ素に見えるし、ジョンソンちゃんなんかもまあ面白おじさんなんだろうと思える

安倍ちゃんわからん どういう人間なんだ?マジで くつろぎ感を出してきてたステイホーム・クソ動画でさえ作り物感がすごかった 人格をどうしても感じられん

2020-04-27

死にたい人と勝手にくたばれと言えない私

TwitterFFFFによく「死にたい」「永遠に眠りますetcという人がいる

FFが頻繁に「○○さんを助けてください😢」とか言って引用RTするから目に入る

死にたいと言うのは自由

声を掛けた方が良いのか、でも一度話かけてしまうと毎回「死にたい」のつぶやきによしよしヾ(・ω・`)しに行かなきゃいけないんじゃないか、よしよしされたくてこれ見よがしに「死にたい」とつぶやいてるのではないか(少なくとも1年前から「今から死のうと思います」とつぶやいてる)、色々思う。下書きに空虚言葉を並べてみるけど結局消して、見なかったことする。

偽善者なのに偽善者にもなりきれないし、「死ぬつもりないのに死ぬ死ぬ詐欺するの迷惑なんでやめた方がいいですよ^^」なんて無神経な言葉をいきなり他人にぶつけるわけにもいかない。本当に死なれたくないし

心の底から善人になれたられたら良かったのにな。。。

2020-04-23

合唱をやめた理由

前置き

ふと、社会人デビューする前にこれを吐露しておくと肩の荷が下りる気がしたので下ろしておくことにしました。推敲は一切しないので悪しからず。

本題

自分小学校の時、音楽の授業での合唱に何故か強いモチベーションを持っていた。確かあの時はパヴァロッティ演奏ビデオを見たり、ソプラノ歌手のものを見たりしたか記憶してる。それでもって家に帰るや否やソプラノ歌手の声真似をしようとしていた。声が変わるとそれは厳しくなって少し苦悩はしたが、声は大きかったことと中学に混声の合唱部があったこともあって真っ先に合唱部を選択した。

中学で3年テノール(バリトン寄り)を歌い続けたのは自分にとって一番長合唱経験になっている。

高校に入るとき自分は先行き不安定な歌で身を立てる訳にはいかないだろうから、と合唱から距離を置いて勉強に勤しもうとした。が、これにいくつかの失敗を伴った。

合唱から距離を置いた結果中学合唱時代の同期達と疎遠になった自分は荒れた自称進学校で格好のストレスのはけ口だったようだ。合唱に勤しみすぎたのか、自分には頼れる人間合唱部の同期の他にあまり多くはいなかった。それどころか一部の同期には大分冷たい目を向けられていたように今は思う。ただその一方人数合わせに先輩に呼ばれて一度だけステージに立ったこともあった。

高校を出る頃から今まで、自分合唱から距離を置くべきだったかどうかについては結論が出ないままでいる。そしてこれからも出ないと思う(こういうことを吐露たかった。)

2年を経て上京して、大学に入った際、大学グリークラブ一曲入学式で歌っていた。ゆるそうな雰囲気を感じてここならやっていけるかと思ったが、ここで思いのほか高い壁に当たった。ミサの聖句の一つ一つが余りにも自分にとって重い物になっていた。かつて中学の頃は文章意味を追いかけて、恐らくは絵本程度の世界を思い浮かべることが限界だった。大学に入って、あまりにもミサの聖句は苦しいものだった。半年持たなかった。

それから翌年、中学の同期と後輩に呼び出されて歌った。これは昔ともに歌った人間も居て勝手も分かりよかったのだが、やはりミサの聖句は重かった。しかミサが一番ウケがよかったのも事実だった。結局、1年半ほどたったところで仲たがいしてしまい、それっきり今に至る。

ミサ

結局自分にとってミサは何だったんだろうか。家は浄土真宗本願寺派日蓮宗の両親の下に生まれ、それなりに二人とも経を唱える程度のことはし、自分もさせられた。そんな家で育った自分にとって、若いころはミサはもう一つ、どこか別のところで誰かが信じている神の姿を描こうとするものだったように思える。つまり、そこに神は、自分の中では居たように思う。

しかし、恐らくは不登校と化して自傷まがいなこともやっていた(出席日数もギリギリだった)高校時代辺りが節目だったかもしれない。

大学時代に歌うミサ自分にとって余りにどう歌えばいいかからない、そんな曲だった。旋律を美しく仕上げることは、特に死ぬほど練習した中学時代の勘が多少なり働いてくれる。でもそれだけだった。曲が自分たちを支えている。しかし支えられる自分が何も描くことが出来ないような空虚感があった。神はもう居なかったように思える。

それなりに人を信頼して生きていた中学時代、人を信頼しなくなった高校大学時代ではあまりにもミサに対してモチベーションが違った。

追記

1日経って、やはりある程度肩の荷が下りているのを感じているところです。

思いのほか拙文を人が見ていたので幾分かの追記をしておこうと思います

想像にお任せします(汗)

グリークラブ=聖歌隊なんだから今思えばバカをしたなと思っています

ではないんですがかなり出身校に偏りがあり、出身中学から90人程度、ほかの中学10~30人程度の塊で進学して来ている人が殆どで、既にその中でコミュニティ存在しているというのが実情でした。後東〇予備校に9割の生徒が通っていて、金銭事情でそういった所に所属しなかったのも大きいかもしれません。

今の自分思想無神論に寄っていて、神を熱心に信仰している他人不思議に思えてしまうのです。

それに、ミサはKyrieなどがそうですが、「私はあなた(神)を讃えます」みたいな内容、つまり信仰告白歌詞に含む曲が多い以上それを非キリスト教徒が歌うことに疑問符を隠せないでいます

  • 自分の興味関心が次第に浮かび上がり来る人生と感じた。歌や信仰について現在どういう距離に置いているのか解らないけど、人生の中で少しずつでもそれらに対し思考したり思考する様な材料のある環境にあってほしい。

言われてみると、合唱と神というスコープを通して興味関心が少しずつハッキリとしてきた人生かもしれません。少なくとも信仰無神論寄りになって、クラシック合唱からは足が遠のいているのが実情ですが、時には歌を歌う人、神を信じる人の気持ちを感じる機会を得られればと思います

ミサの項は特にデスノートですね

1年くらいたって見返したら椅子から転げ落ちているか

2020-04-21

あのさぁ!人生くんさぁ!ゴミからって辛酸舐めてもらったら困るんだけど!?

序盤が空虚だった分大人になったら幸せにするぐらい出来るよねぇ!俺の指導が悪かったのかなぁ!

2020-04-17

anond:20200417011654

さすがにそんなことはないよ。性欲とかくっついていたい欲とか本能的な部分がかなり満たされるし、やったあとも別に虚しくはならん。セフレ空虚に思えるくらいロマンティックな世界に生きていられるのだとしたら、それは多少羨ましくはあるが。

2020-04-15

元ホス狂いがわけあって友人からもらった金でオンラインホストを利用してみた

タイトルの通りですがレポしていきます

※このエントリホスト遊びを推奨するものではなく、また、現在の状況をふまえた勤務方法肯定するものでもありません。

 実際に利用してみた感想ですので気になっている方は参考程度に、興味のない方はそっとブラウザを閉じてやってください。

というわけで、生粋のフッ軽オタクである私に同人誌の売り上げという臨時収入が入ってしまった。

しかし行く予定だったライブはすべて中止。臨時収入を使う場もない。

生きがいを失い部屋で一人空虚を見つめる日々にあるLINEの通知が届いた。

オンラインホスト はじめました」

冷やし中華か。

いつかいった初回で登録した公式LINEからメッセージだった。

流行りのZoomを使い、お気に入りホストと顔を見ながら話ができる。

……楽しい!?!?それで楽しいの!!?

ホストクラブってその箱の雰囲気もあって楽しい(当社比)ものじゃない!

いくら顔が見れるからと言って通話じゃねえ~……




へぇ~初回プランもあるんだ~~




2500円……


「先日いただいた同人誌の売り上げ、オンラインホストに使ってもよろしいでしょうか。レポはしっかり書き上げますので」

『よかろう』




さすればと秒速で購入画面までいき決済を完了させてしまっていた。

ちなみに元ホス狂いを名乗っていますが全盛期はもう5,6年前ですでに姫は引退しています

(たまに初回に遊びに行くのは内緒だぞ☆)

注文画面をよく見るとオプションにはホスト用のお酒を注文できたり、シャンパンクリスタル系のボトルを卸すこともできるようだ。

これは……担当のために営業していなくとも売り上げを作ってあげたい姫には最高ではないか!!

私は基本的に卸した酒は自分が飲みたい(シャンパンコールもビンダされるのも好きじゃない)ので使うことはなさそうだけれど。

とにもかくにも、普通の初回と違うことだらけなので若干緊張しながらも予約時間まで待つことに……


ちなみに仕組みとしては

初回の場合30分2500円で通常の店舗の初回と同じようにいろんなキャストが代わるがわるお話をしてくれる。

購入後は予約した時間までにメールが届くので、そこに記載されているURLから専用のZoomミーティングに入室する流れ。

今、書いてて思ったけど30分2500円って初回にしては割高すぎて笑う。

大箱の初回単価かよ。酒も自分で用意しなきゃいけないのに。

(ちなみに今回は43分くらいでZoom仕様上通話が終了しました。その後メールで新しいURLがしっかり届いたので初回全員回るまではお話できる感じかな。そう思えばまぁ普通…いやちょい高いわ!)


前置きはここまでにして実際に通話での対応のレポに移ろうではないか

相手してくださったキャストの方々のレポをしてしまうと某ホ〇ラブのようになってしまうので

ここではシステムとその雰囲気についてだけ……(ほんとは一人ずつレポしたいけど!!)

通話がつながって最初マネージャー(内勤さん)が簡単説明をしてくれます

説明といっても、これからいろんな人きまーすくらいの。

そこからキャストの方が一人ずつカメラの前にきて接客開始!

多分あっちもこのシステム始まったばっかりで戸惑いはあるんだろうなと思いつつ…

会話の内容はまじで普通の初回とほぼ一緒!(てかまぁどこも話すことは一緒か)

名前なんて言うの~?からはじまりそれぞれが話したい事をじゃじゃーっと話してくれます(適当)

話してて気づいたんだけど、今の主要キャストってみんな私より年下なのよね…

そりゃそうよね…ふふ……BBA階段上る…私はまだ…シンデレラよ……

普段の初回なら店の雰囲気とかお酒もあるけれど、オンラインだとかなりキャストの話術が試されるなぁ…とハラハラしましたが

約40分楽しませていただきました!!

前述したとおりZoom仕様で40分で通話が切れてしまうのでそこだけ難点かな。

5分後くらいにメールで新しいURLが送られてきたけど、ごめんなさい気付かなくてそのまま終了にしてしまいました。

正直これが平常運転後の来店につながるか、と言われると微妙かもしれないけれど

もう暇で暇でしかたない女の子が、実はちょっとホストって気になってたみたいな好奇心お話してみるにはちょうどいいコンテンツだと思いました。

あとは担当と会えないと死んじゃう姫、卓被り絶対さなマン担当の売り上げとにかく上げたい姫にももちろんおすすめですね。

というかプラベでLINEし続けるより担当と姫にとってはいいんじゃないかな…

無給で姫と先の見えない連絡取るより、直接顔見て話したいし~って口実で売り上げもとれちゃうしね☆


あ~!かわいかったあの子

今日も出勤入ってるのかなぁ~?(CV:石川梨華)

2020-04-12

また空虚日曜日を過ごしてしま

皆さまわたくしめの尻を力強く叩いて下さい

2020-04-06

anond:20200406144915

そして自分だけ生き残ることに空虚さを感じて墓から先には物資を持っていけないことに愕然として伊達直人になるんだな

2020-04-05

故・佐々淳行氏の記事を読んで安倍政権はもうダメだと思った

正直、ちょっと前までは「とりあえず安倍政権でいいっしょ。野党には任せられないし」と思っていた。

もちろん、森友問題も、桜を見る会も知ってはいるけど、多かれ少なかれ、どの政権でも起こりうるんじゃないの?

ぐらいの感想だったし、そもそも民主党分裂して、ひっついて、今何党が残ってるの?

(そういう意味ではれい新選組とN党については党名は分かる。投票はしないけど)

自民党に傾倒しているというよりは、野党にまともなのがいないという消極的自民党支持者。と自分認識している。

でも、もうダメだ。そう感じたインタビューがある。

天災人災に変わった——」危機管理プロ佐々淳行の教訓〈1995年 阪神・淡路大震災〉 2020年01月17日

https://www.chichi.co.jp/web/20181011sassa/

佐々淳行氏へのインタビュー記事の再掲なのかな。阪神大震災から25年の節目として掲載した記事だろう。

そこに、こんな一節がある。

-----

〈佐々〉

今度の震災悲劇は、菅さんに優秀な下士官がいないことです。

(中略)

これも大切な教訓だから申し上げておきますとね。阪神・淡路大震災の時、首相村山富市さんも官房長官五十嵐広三さんも

地元出身土井たか子さんも、社会党の面々はガバナンスという点でまったく駄目だった。自衛隊憲法違反から災害の救援に

来るなという話でしょう。

(中略)

天災が途中から人災に変わったんです。

-----

この記事より前にも佐々氏が同じことを言及しているのを記憶している。そのときには

「災いは政府の弱いときにやってくる」

という話だったと思う。

(今回の新型コロナウィルス騒動日本だけでなく、世界規模のものから当てはまらいかもしれない。)

政府ちゃんとしていないから、災いが襲ってくるのか、

災いが襲ってくるタイミングが、政府脆弱タイミングなのか。

災いに人格があるわけじゃないが、近世のそれは、阪神淡路大震災社会党)、東日本大震災民主党)と非自民政権時に発生している。

自民政権という表現ではなく、政権自体脆弱な時に発生していると見たらどうなるのか。

佐々氏の指摘があっているなら、今の安倍政権脆弱ということなんだろう。もう任せられない。

マスク2枚について、官僚フォローしているのが出回っているけど、もうどうでもいいわ。

空虚だわ。

結論も何も無いので、どうやって文章を閉めようかと思っているのでSODの無料配信見ることにします。

anond:20200405091814

完全に言い負かされて空虚煽りしかできないフェーズに入っているのでもう終了

2020-04-04

失ったものの大きさに気づく

今日も何もできなかった。昨日も、一昨日も、先週も、先々週も。

部屋は乱雑に散らかり、湿った匂いを振りまく。堆積する洗濯物と本。傍らにあるピアノは、厚い埃に覆われている。

風呂に入るのが途方もなく億劫に感じる。食後の歯磨きをする腰が重い。それだけじゃない。出歩かない日に着替えをしないのはもともとだけど、爪も伸びるままだし、日課の朝洗顔おざなりになったし、ある日目についた眉毛は気づいてから2週間そのままだ。

やらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことはそれに輪をかけてたくさんある。先方へのメールアポ取り、日課ピアノ練習、チームの作業TOEIC勉強、部屋の掃除勉強ならプログラミングもやらなきゃいけないし、他に溜めている仕事もある。全て進行していない。現状を鑑みてできないはずがなく、単純にサボっているだけとしか言いようがない。毎日惰眠を貪り、空いた時間起きることもなくゴロゴロし、ギリギリ体が動くとき思い出したように少しゲームをして、ただ夜が更けるのを待ち、空が白み始めた頃になって、今日も何もできなかったという後悔・自己嫌悪とともに眠りにつく。そんな毎日を過ごしている。どう考えてもサボっている。

そう。できないのではない。やる気になれない。もはや自分が頑張ることに意義を感じない。今の頑張りが明日につながるようには、到底思えない。今頑張ることは、明日含み損を減らしこそすれ、すでに抱え込んだ大赤字を解消してくれるわけではない。雪だるま式に増える借金の、無限に膨らみ続ける利息に押し潰される人生しか思えない。

誰も助けてくれない。おそらく、自分明日を気にしてくれる酔狂はどこにもいないのだろう。自分過去に目をかけてくれた人もほとんどいないから。私はこの数年間、日々硬直と停滞が進む体と神経に抗いながら、ボロボロになっていく心を誤魔化しながら、それでもできる範囲で実績を積み上げてきた。だとしてもそういうことなら、その実績はハリボテだし、ひいては自らの人生も廃棄寸前の見切り品しかなかったということだろう。そうではないと言える証拠は乏しいが、そうであると言える状況はいくらでもある。

どうしてこうなってしまったんだろう。どこかで道を間違えたことは分かっているが、どこかを修正してもこうなる未来から逃れられない気がする。

こんな状況だから……というわけでもないが、『恋する小惑星』というアニメを観た。『恋する小惑星』に登場するキャラクターたちは、与えられた問題に対して先送り的な解決法を見出しているシーンがいくつかあったように見受けられた。

正直、はっとさせられた。誰に限った話でもない、みんな明日に対する無力感は持っているし、それを根本的に解決する力を持っていない人だっている。でも、自分の周りにいる誰かが受け入れてくれるなら、明日意味生まれる。明日に何かあるなら、今日頑張れる。関係によって、問題をうやむやにしてしまうことで、多くの人は救われる。私にも、そのような光景があったならば。

いや、違う。私にも確かにあったのだ。単に選ばなかっただけで。選ばぬことを選んでいるうちに、一向に姿を見せぬ青い鳥を探し求めているうちに、褒め言葉や励ましは全ておべんちゃらに聞こえるようになり、損得勘定によって物事判断するようになり、快晴の空に思いを馳せる心の余裕が追いやられ、やがて慈しみの関係絶滅したのだ。それからのことは、語るに及ばず。私は、自分の逃した魚がどれほど大物だったかを、この段になって初めて悟った。

しかし。だからといって、だからといってどうすればいいのだ。もはや人と話していても言葉が通じている感触がない。失われた関係も、捨て去った機微も、粉々に崩れたパーソナリティも、もう戻っては来ない。軌道修正するにも、燃料の残量は少ない。気づいたところで、目の前にそびえる借金が消えてなくなるわけではない。

価値のない人間の行動に、価値は見出されない。価値のない人間言葉は、空虚のものだ。価値のない人間との関係は、価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない

詰んだ。来ないかもしれないかもしれない明日に、望みをかけて耐え続けることに何の意味があろうか。どうして誰かの代わりにもなれない欠陥品なのに生きていかなきゃいけないのだろう。これから何年、督促状でできた蟻地獄に耐え続けることになるのだろう。

存在しないと分かってもなお、私は銀の弾丸を探し続ける。生きている感覚がない。きっと4割位死んでいる。

2020-04-03

クソ雑魚チキンメンタルものを作っていると、上手いクリエイターの経歴を調べるのが病的に怖くなってしまう。

なぜなら、大抵の場合自分のように欠陥と空虚だらけの人生などではなく、中身の詰まった「クリエイターとして正しい」人生を送っているからだ。

そうして、「やはり俺とは別世界人間なのか」という確信を深めてしまうのが怖くて、迂闊に上手いクリエイターの経歴を調べられない。

こういった個人的ストレス回避反応を捨てられないクリエイターはまず間違いなく一生いいものを作れない。なぜなら、重要な場面で必ず個人感情を優先して自ら成長の機会を逃すからだ。

そこまで理解していても感情を完全にコントロールするのは難しい。一度こうやって文章に整理して吐き出すことがなんとか打開のきっかけになればいいが。

2020-03-30

勇者末裔ってなんやねん

ダヴィンチコードアサシンクリードキャラクターが由緒ある末裔だ、みたいな話を聞かされる筋書きがあるんだけど、アサクリはまだ能書きが少しは理解できるとして(それでもだいぶ無理がある)、ダヴィンチコードの女に至っては現代にアレの子孫が生きて何をするんだという空虚感がすごかった。私はアレの祖先ですって、かつて昭和南北朝時代天皇の子孫なる人物を名乗った人がいたらしいけど、その力の無さと同じ感じ。多分言ったところで相手にもされない。要するに現代に生きる要人勇者末裔に対する必要不可避な要素が欠けまくってんだよね。実はある人が過去タイムスリップして人類祖先になった、みたいな必要性。この人がいないと人類滅んじゃうみたいな危機感

アサクリも4あたりから諦めちゃったのか、大筋では敵対するアブスターゴ社の体験施設で遊興する仕様になってきている。それがまた平和光景で、こいつら倒す意味ってあるの、という疑問が噴出してくる。一応ユニティあたりで3までの魅力の全くない主人公の身をなげうった行動に感動したスタッフが命がけで行動するんだけど、それ自体意味あんのかという感じ。大雑把に説明すると宇宙人文明をもたらしました系列の話で、その連中が陰謀の中心にある。だけど人類つんならもう陰謀に乗っかったほうが得してないか、という感じで。結果的に超絶マイノリティ主人公サイドは、既成事実として形成された現代という時間からすると非常にずれきった感性で動いている。

もとK-1武蔵選手祖先が新右衛門さんでした。だからなんやねんみたいな。

すごい、という酒のネタしかならないわけです。新右衛門さんの威光もキャリア現代ではまるで無意味という。ここを解決してないとお話間抜けになるんだと思った次第。

2020-03-18

大学卒業を迎えて感じたこ

卒業式は中止になってしまった。

からといってそれがとてつもなく残念だとか、憤懣やるせないなどと思ってはいない。

ただ少し思うことがあるとしたら。

「終わりよければすべてよし」なんて言葉がある。

皮肉なことに、最後区切りとなるイベントが中止になったこの状況は、さきほどのフレーズを真に受けるのあればあまり好ましくないだろう。

そう、別に落胆しているとか気落ちしているとか、そうではないのだけれど。

そう、ただね、あいまいに流れていってしまっていつのまにか社会人というのが、ちょっと味気ないなと、寒々しさを覚えているという具合なのかもしれない。

いわゆる「卒業感」というものを感じられないじゃないか

そして私は今、「卒業感」なる感覚を身に染みて感じている。

学位記を受け取りにいったり、同期とごはん食べに行ったり、後輩とお話ししたり。

そんなことをしているうちに、唐突に寂しさが押し寄せてきて。

ああ、この感情は知っているよ。

例えば、にぎやかな祭りが終わって人がまばらになった時の喪失感

例えば、遠い親戚の家に夏休み訪問して、食べたり飲んだイした後、見送られながら帰りの新幹線に乗る時の空虚感。

そういう類の感情で、それをもっと大きくしたような感覚

だって大学卒業たらみんなばらばらになって、今度いつ会えるのかもわからないんだよ。

今はSNSがあるからなにかしら繋がり続けることは簡単だけれど、でもリアルで合える頻度は減る。

それになにより、向き合う大賞が、変わってしまう。

今までは同じ大学で、学習とその先の就職という共通する目的があった。

でも、これからはみんな、違う場所で、違うことをやり、目指すべきものも変わるのだろう。

そう思うと、お祭りとか遠い親戚の家を離れるよりも格段に、寂しいと思うのかもしれない。

寂しさだけではない。

充実感と感謝気持ちもある。

「当たり前が尊いこと、幸せなことは、それを失った時に強く実感する」

そう、何の代わり映えもなくレポートを早く終わらせたいと投げやりになっていた時も。

何気なく友人と夜ご飯食べに行くのも。

一緒に勉強を教えあったり遊びにいったりした日々も。

当たり前のように流れていったことが、とても幸せで充実していたんだなと、改めて思うんだ。

から感謝してるよ。

綺麗なことだけではなくて、いろいろないざこざとか、投げ出したいこととかあった。

えれど確信している。なんだかんだいって、私たち学生をしていたと、いとおしめるんだって

みんなはどうなんだろうと、考えてしまう。

もう大学にいくことはないのだと思うと、とてもセンチメンタルな気分になってしまう。

そして、私の友人たちは私と同じようなことを感じているのかと。

別に友人たちとは社会人になろうとも、気兼ねなく遊べばいいし、それができるとは思っている。

ただね、別々な企業という対象に向かって、別々な歩みをすることがまだ想像できない。

から怖いのかな。

不安なのかもしれない。

これまでと関係性が変わってしまうかもしれないことが。

私の交流関係が狭く深くだから、だからその関係性に卒業という火種が加わるのを恐れている。いや寂しいだけかな?

友人たちも同じようなことを考えているのかな、そうであってほしいと私の強欲な部分がささやいている。

でも、ね。人は、関係性は、環境は、変わっていくものから

社会人になろう。

そして語り合おう、今までのようにね。

最後私自身に対しても、同期たちに対しても言おう。

He who would learn to fly one day must first learn to stand and walk and run and climb and dance; one cannot fly into flying.

2020-03-15

なぜ安倍首相プロンプター仕様非難されるのか

安倍首相記者会見で度々プロンプターを使用していることが、度々非難されている。

これだけきくと「なぜ文明の利器を使用するのが悪いのか!不当な非難だ!」と思われるかもしれない。

しかし、このプロンプターを使って記者会見を開いている姿が、まさに安倍総理らしいポーズなので非難されるのだと思う。

文字が浮かんだプロンプター越しに、カメラの方へ演説をする。

そう、安倍総理及びその政権基本方針はこの「ちゃんと頑張っているポーズをとること」だからだ。

この非常時に記者会見を開き、如何にも今伝えるべきことを国民に向かって堂々と話してゆく。

安倍はしっかりと仕事をしている」と思われるようなその姿こそがまさにプロンプターごしに話す姿に象徴しているところだ。

これが示すものは「立派に仕事しているアピール」だけではない、

記者会見という場においても、予め決まった原稿を読み、事前に示し合わせた質問を取り上げ、事前に用意した質問への回答をただただ読んでゆく。

総理自らの言葉ではなく、誰かの書いた原稿を、わざわざ人を集めて読んでゆく。

しかもその内容には、今後の金融政策国民生活への補償などの話はなく、ただひたすらに、自粛しろ、あと2週間が山場だ、などなど身の少ない言葉ばかり。その空虚な無策を延々話してゆく、その姿が今まさに批判されている安倍政権の姿そのものだと言える。

さらには2月の緊急会見に至っては質問すら受け付けずに即座に帰宅する始末。

プロンプターがここまで非難されるのには、長い長い不満がたくさん詰まっているというわけではないか

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-05

anond:20200305061410

アートっていうのは手偏の漢字すべてだよ

人がなにか加工したものアーティフィシャルの語源

まあここでは日本人の大好きな「芸術」つまり狭いアート限定しておこう

術というのも行の部分で両手をつかっている状態を示す形象文字にすぎないんだが

日本人芸術といえば茶道みたいに(意図理解しなければただ空虚笑い種しかみえない)

儀式セレモニー)として奉ることが正当だとおもってるから

 

中世アートだってコンテクストはあり、空気読めない作者は

ミカン農園股間じわのついたミニスカート女を立たせた絵を描いたごとくにさんざんに怒られた

たとえば受胎告知というタイトルなのに聖母マリアらしき女性が青い服着てない、天使百合の花もってないなどは

いくら上手くてもけちょんけちょん、「なに考えてんの」「おまえ破門な」だ

 

しかるにこういったコンテクストによる価値づけは日本人卑近唾棄すべきとおもっている

フェミニスト価値観のほうがずっと自分の頭や感性をつかってる分芸術に近い

無知日本人は「自分が知らない・理解できないものから無条件にえらいものだろう」と奉るへんなアニミズム癖がある

二次元スカートはいてるからエロくなんてありませ~ん」もその派生

そうだな二次元萌え絵でまつ毛ばっさり深海魚あるいは0歳児みたいなデカ目に描かれてるのは神秘的で素敵だな

そして作者側もこれに積極的に乗っかっていくw

現代アートにあふれる「無題」w 

どうして無題か聞いても「おれ頭悪くてかっこいいタイトル書けないから」w

マクドナルドでふとおもいついたくだらないアイデアを発展させたものだとは

知らせない方がかっこよくみえるだろうという中二病同士のじゃれ合いw

 

漫画でゲジヒトだのノイシュシュヴァルツシルトだのドイツ語流行るのもドイツ語中学校選択できないからだ

ドイツ語がすらすら読める人にとってはなんで冠詞つけねえの変化させられねえからかなプゲラなのに

 

まあしょうがないよ 前沢氏だの麻生氏だのお金もちで芸術理解ありそうな人だってたいした基準で選んでるわけじゃない

日本にはまともな批評ができる芸術批評家がいないのだ

民衆芸術としてのアニメ映画でいいよもう

2020-03-01

anond:20200301075319

まあ誰がやったところで強制なんかできないんだからああして「お願い」するしかないんだけどな

空虚を望んでいるのは我々国民の方だよ

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