はてなキーワード: 言語学とは
①
入江亜季 『北北西に曇と往け』
瀬野反人 『ヘテロゲニアリンギスティコ : 異種族言語学入門』
大前田りん 『ガケップチ・カッフェー』 『十六桜』
②
テリー・ギリアム 『バロン』 (映画、ほら吹き男爵の冒険でビジュアルがよい)
チャン・ジェヒョン 『サバハ』 (Netflix映画、諸星大二郎好きなら)
西東三鬼 『神戸・続神戸』 (エッセイだが幻想がかった筆致)
梨木香歩 『家守綺譚』 『村田エフェンディ滞土録』 (自然と風土と人と少しの怪異、といった小説)
中華SFアンソロジー 『折りたたみ北京』収録の、夏笳 「百鬼夜行街」、「童童の夏」、「龍馬夜行」 (SFと銘打ってるがファンタジー色が強い)
③
テリー・ギリアム 『テリー・ギリアムのドン・キホーテ(ドン・キホーテを殺した男)』 (映画)
イ・ビョンホン(俳優ではない) 『エクストリーム・ジョブ』 (映画)
普通の人が、これは意味を調べておくかとなるか、あるいは調べずずになんとなく吸収しても実際の意味と食い違わず使いこなせる状態になってしまうのか。
言葉を覚える時にどうやってこの二つのふるいにわけているものなのか、この基準に対する学術的(言語学的あるいは医学的(認知心理学的))な説明がほしいところ。
たとえばぴえんなんか、調べて意味を覚えて使いこなすようになったなんて野暮な人は少数派だろう。
でも本当のぴえんの意味は、全力脱力タイムスでやってたような円相場に関する経済用語の隠語かもしれない。
そんなことはつゆ考えず調べずこの言葉は本来の意味通りに使いこなす人が多いわけで、ではこのような言葉に関して調べなくてもあってるだろうと楽観視する根拠はなんなのか?
この楽観視を全てにおいておこなうと、それこそ反知性主義のような額面通りにとっては誤用になりうつ言葉にひっかかるわけで、定型発達者はある基準をもっているはずなんだよね。
代行スレにすら書けないの不便すぎ
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【板名】言語学
【スレのURL】https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1653384694/
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噛みつき方に訂正
これになんか書いたらもう3レス目になるけどな
なんというかそういう揚げ足の取り方が気になるんだよ
別に本題とは関係ないんだからスルーすりゃいいのに書き込むってのがわからん
「誰にとっても絶対的に読みやすい表記は無い」とは何度も言ってることであってお前が読めないことはどうでもいいんだがな
だけど一言絵文字もなく「読めない」なんて書いたら攻撃的な書き込みと受けとって傷つく人もいることぐらい想像できるだろ
でも一つだけ許せないことがある
ここ10年くらい止めどもなく入ってきては消え、消えては入ってきてを繰り返してるあいつらだ
同じ顔、同じ髪型、同じような曲……もういい加減にしてくれや
ほんと、これだけは日韓断交で良いと思うわ
まあもし仕事で絡め言われたらしゃーないけど個人的にはほんと鬱陶しいはよ消えろというのが正直なところ
まず、一切の才能を感じない そりゃ何年も練習すりゃ上手くはなるだろ
たまに作曲できる奴いるけど、アイドルで得た人気を土台に出されてもな判別しようがねえわ
韓国の音楽がこんな量産型洋楽もどきしかないと思われるのがわしはすごく嫌なんや
年寄りと言われるかもしれんが、2000年代初頭までは骨のあるバンドや才能あるシンガーソングライターがゴロゴロいた PSYはその最後の一角や
この前けーぽふぁんにBTSは量産型じゃない!と熱弁されたのもくっそ鬱陶しかった
まあこっちの解像度が低いかもしれんのは認めるが、基盤は明らかに量産型でありそこから逸脱した程度で量産型を否定されてもな
あれで日韓交流とか言われても風俗と同じカテゴリとしか思えん 自分は風俗業をリスペクトしてるけどな、表に堂々と出る種類ではないという意味で
ほんで日韓友好もなにも、ああいうマッシュルーム頭の韓国人男と付き合いたがるバカ女が増えただけやろ
「オッパ〜 チグム ムォ〜へ?(媚び)」しか言えないクソビッチどもな笑
留学とか就職とか高尚なこと言っとるけど何やかんやあいつらの目的は韓国男ゲットして永住ビザ獲得することやろが 物欲しそうにしてるの知っとるがな
ソウル出張行ったらナンパ待ちの日本人女がゴロゴロいるし飲み会にも謎の日本人女がいて媚び売りまくりや
韓国人男がどんだけDV多いか知ってる? 韓国政府のデータだとデート中にぶん殴られた女が8割やぞ 結婚したら豹変するしな
ツイッターとかでラブラブアピールしてるのはほんの一部やからな
結局、量産型K-POPがやったことは不幸な日本人女を増やしてるだけだぞ
あと定番だけど日本人女とくっつく韓国男って韓国のハイスペ女に相手してもらえんかった負け組やぞw
家族だと思われてないんだわw
そりゃ「本当の家族だと思ってね」と言って良くしてくれるだろう
でも裏では「あの日本人嫁が」って言ってるんだわ
よほどの親日派じゃない限りな
男も男で、韓国に過剰適応して韓国政府のスポークスマンになっとるやついるな
要するにアホ
いいですか?
いいですか? 季刊誌「Yaponesian」第3巻ふゆ号がですね!発行されました!
http://www.yaponesian.jp/topic00251.html
素晴らしい!素晴らしいことです!
2020年以降、東アジアにおける古代ゲノム研究が次々に発表され、この地域における集団の形成に関する大まかなシナリオが描かれるようになっている。
縄文人のゲノムからは、彼らがアンダマンの先住民などと類縁関係を持ち、東アジアに展開した集団から早い時期に分岐したことが示唆されているが、報告によっては異なるルーツを示唆しているものもあり、確実な結果を得ることはできていない。
しかし、縄文人の起源を、二重構造モデルが想定する東南アジアとすることは、集団形成のプロセスを単純化しすぎていることも分かってきた。
一方、渡来系弥生人の起源に関しては、最近の研究では、稲作農耕民と雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこで在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が三千年前以降に日本列島に到達したというストーリーが提唱されている。
現状では稲作の起源地である揚子江中流域の古代ゲノムデータがないので検証はできていないが、渡来系弥生人の主体を、北東アジアの西遼河を中心とした地域の集団と考えており、二重構造モデルと概ね一致している。
また、二重構造モデルが予想する渡来系弥生人の寒冷地適応は、EDAR遺伝子の大陸北東部での時代的な変化によって説明できる可能性が示されている。
先史時代において、考古学的に渡来人がやって来た可能性が高いと考えられているのは、弥生早期前半、前期末の2時期、そして古墳時代中期です。
ここでは年代が変わらない古墳中期を除く弥生時代について、年代順ではなく渡海の可能性が高い順に説明します。
もっとも可能性が高いのは前期末の前4世紀前葉で、中国東北部に起源をもつ燕の鉄器や韓半島の円形粘土帯土器が出土するようになることをあげられます。
弥生最初の鉄器は炭素量の高い鋳造鉄器で、鋳型に融けた鉄を流し込んで作る斧を代表とします。
鋳型の構造からみて、韓半島ではなく中国東北部の燕系のものである可能性があります。
また、円形粘土帯土器もやはり中国東北部に出自があることが指摘されていますので、韓半島南部だけではなく中国東北部から人がやって来ている可能性を指摘できます。
クマネズミやハツカネズミは有史以前の人類のユーラシアの移動に随伴することで現在の地球レベルの広範な分布域を手に入れた。
これらのネズミ類の歴史を辿ることは文字に記されていない人類の移動の歴史を知ることでもある。
このことを今から50年前に想起した国立遺伝学研究所の森脇和郎(もりわきかずお)は世界各地から野生ハツカネズミを収集し、米川博通氏とともに遺伝子の解析を行った。、北方系亜種のMUSはイラン北部の起源地より、1)中国西部の砂漠地帯(15000年前)、2)黄土高原(10000年前)、3)中国東北部(7000年前)、4)朝鮮半島(5300年前)、そして、5)日本列島(3000年前)へと順次東方移動したことが示唆された
本講演では、大陸から稲作を携えてやってきた渡来系弥生人が、1)どこからやってきたのか、2)どのくらいやってきたのか、という問いに対する知見を、最新のゲノム解析の結果を踏まえて一般向けに紹介しました。
渡来系弥生人の遺伝的構成についてはOsada and Kawai(2021)や機関誌Yaponesian3巻はる号で詳しく解説しているのでご一読いただけたらと思います。
Hanihara(1991)では渡来集団が東シベリア、中国東北地方およびモンゴルの集団と形態学的には似ていたと述べられています。
これまでのいくつかの東アジア現代・古代人のゲノム解析から、渡来系集団は現在の北方系東アジア人集団に近かったという結果が出ており、この予想と概ね一致します。
本講演ではさらに、考古学や言語学的証拠も考慮に入れ、3500年前ごろに遼東半島近辺に居住していたが紅山文化の中心地からは外れたひとびとが、稲作とともに朝鮮半島を南下してきたのではないかという仮説をあげさせていただきました。
次にふたつ目の疑問、どのくらいやってきたのか、という問題について、Hanihara(1991)で用いられた手法を使い、より新しい歴史人口の推定値を用いた結果を発表いたしました。
Hanihara(1991)では、日本列島の人口が弥生開始期に約7.6万人、古墳時代の終わりに約540万人という推定値が用いられています。
埴原先生は、この値をもとに計算された自然人口増加率が年あたり0.43%である、という値がありえないほど高いと考えていたようです。
この前提に基づき、Hanihara(1991)では、どれくらいの渡来人が来ればおよそ1:9である縄文:弥生の遺伝成分を説明できるかというシミュレーションを行っています。
驚くべきことは、埴原先生が当時の形態データから推定した1:9の混合率という推定値が、現在の全ゲノムを用いた推定値とほとんど変わらないことです。
渡来人和推定の方法も比較的単純でありますがエレガントなものとなっています。
年あたりの大陸からの移入数を一定と仮定したモデルでは、毎年約1500人、およそ1000年の間に約150万人が渡来し、自然人口増加率が0.2%であれば日本列島における人口増加量の説明がつくという結論に達しています。
本講演では、Hanihara(1991)の方法に基づき、歴博による新しい年代観やより新しい人口推定値を用いてその評価を行いました。
たとえば、弥生の開始期を更に600年古くすると、1500年の間に人口が59倍に増加したことになります。
その場合、年あたりの移入数の推定値は約1000人と減りますが、1500年の間には約146万人と、埴原先生による推定値とほとんど一緒になります。