はてなキーワード: うつつとは
https://anond.hatelabo.jp/20220621150930 を書いていると好きなエロゲソングを沢山思い出した。数が多いので作編曲者ごとに分類する。
さすがに作編曲者までは記憶していないのでWebで調べながらまとめる。YouTubeに公式がアップロードした音源があればURLを書いておく。
書式は、
音楽のことを知らないので客観的には変なことを書くと思うが、わたしがこう思った、わたしがこう感じた、は事実なので気にせず書いておく。
その他の好きな曲は、[見上げてごらん、夜空の星を]Winter Diamond、[空と海が、ふれあう彼方]Step into the Ocean
その他の好きな曲は、[ウルトラ魔法少女まなな]Blue Planet、[空と海が、ふれあう彼方]Step into the Ocean、[初恋サクラメント]青空の約束
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[失われた未来を求めて]Salut.soleil!
その他の好きな曲は、[WHITE ALBUM2]心はいつもあなたのそばに
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[夜が来る!]A night comes!、[大番長]Dash! To Truth、[大帝国]The Day Takeoff
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[銀色、遥か]夢の季節へ、[銀色、遥か]銀色、遥か
その他の好きな曲は、[素晴らしき日々 ~不連続存在~]ナグルファルの船上にて。
その他の好きな曲は、[彼女のセイイキ]冬に咲く華、[ちいさな彼女の小夜曲]マリンブルーに沿って、[ちいさな彼女の小夜曲]キスのひとつで
今日も朝からやる気おきない。やる気レス。折り畳み自転車のタイヤ交換時期といえばそのシーズンだよなって気がしていろいろと調べてしまう。チューブが仏式なので入手性悪いのかと思ったけどそうでもないというかチューブを米式にすることはリムに空いている穴が小さいから、ドリルで拡げる必要出てくるってことか?仏式チューブって米式の約倍か。この際ドリルで穴拡大?ミニベロにはこれからそんなに乗らなくなるっということを考えると、穴は広げる不要か?とかなんとかまた仕事に関係ないことに・・・うつつをぬかしてしまう。いかんいかん。ダメ
明日までの〆切とかいう書類があるので、さすがに今日なにかをやらないとまずい。ということで白紙を目の前においてごちょごちょ手書き(下書き)。ブレストした。使えない断片が大半となってしまう。これはいつものことだ。若い頃はブレストをテプラでやっていたけど最近は面倒に感じる。紙に手書き。しかし、まあ採用されない断片であふれかえる。いかに平時に何も考えてないかってことだよな。今日の寝る前もしくは明日の起床直後にお清書か?
こういう書類に対する苦手意識は、もうかれこれ・・何年だ?どうしていまだに解決しないんだろ?この前のときうまく書けたので最終的解決か?こういう風に勘違いしたのが馬鹿だった。そう。同じネタを続けているとマズイんじゃないかと思って新ネタで勝負しようとしたけど、そこで時間不足で〆切ってなっちゃう。同じようなネタを引っ張ることとしよう。
それにしても今のやる気レスモードはいつまで続くんだ?連休になぜか雪山登山をしてしまい、その疲れが残ったまま連休明けとなる。やる気レスモード継続中。妻から頼まれているあの件が解決すれば少し やる夫となる?回復基調?どうなんだろう?
小さい頃はほぼ毎日悪夢にうなされており、寝るのが恐怖だった。押し入れで寝てみたり、ぬいぐるみと寝てみたり、友だちが旅行土産でくれたリーンと澄んだ音が鳴るペンダントを着けて寝たり、色々試したが悪夢からは逃れられなかった。恐怖のあまり夢の中で気絶して目が覚めるため、ぐっしょり寝汗をかき、恥ずかしながら夜尿症もあった。悪夢が避けられないなら、なんとかして夢から脱出するしかない。夢の中で「これは夢だ!これは夢だ!」と念じながら目を閉じて開いてみる。ひたすら訓練していると、全然ダメなときもあればただ違う悪夢に移行することもあったが、中学に上がるか上がらないかの頃には、7〜8割くらいの確率で成功するようになった。成功率を上げるコツは、寝る前に、天井や部屋の風景を記憶すること。夢の中で目を閉じ、それらの風景を思い浮かべながら目を開けると、成功することが多い(と思っているだけで、実際はとてもリアルな風景の別の夢に移行している可能性はあるが、悪夢から脱出できているなら成功とカウントする)。
高校卒業後、一人暮らしを始めた。歳を重ねたことで精神が安定したのか、勉強してバイトしてどっと疲れて深い眠りにつくようになったからか、気楽な一人暮らしでリラックスできたからか、悪夢を見ることは大幅に減っていった。当然ながら憂鬱な夜もあり、その日はほぼ確実に悪夢となるが、この歳にもなると慣れてきたもので、9割ほどの確率で悪夢から目覚めることに成功する。そこで気づいたのだが、眠るのは楽しいというか、幸せだ。目が覚めるとよくわからないが頭がスッキリしている。パソコンの不調が再起動で直るのも人が眠るのも同じ仕組みなんだろう。布団に入り、あとは寝るだけだと思うと、ほとんどの日は楽しい。しかし、残念ながら楽しい夢から”覚めてしまう”ことも増えてきた。夢から覚める訓練をしすぎたからか、夜通し眠れた試しが無い。えちえちな夢にて、いざ…と思った途端に、後頭部が天高く吸い上げられるような感覚に襲われたが最後、目が覚めてしまう。そのときは、悔しくて悔しくて、何度も歯を食いしばった。
その日も、えちえちな夢の最中に天へ召される感覚があった(”昇天”していないにもかかわらず、だ)。完全に意識は覚醒してしまったが、あまりに悔しくて目を閉じたままえちえちな夢の続きを妄想していた。この状態を”夢うつつゾーン”とする。ここ夢うつつゾーンでは、意識は一応覚醒しているので妄想は続いており、身体も動かせる…と思っているのだが、実際には身体は眠りについているようで、”意識の中で体を動かしている”状態になる。具体的にいうと、実際にはちんちんに触れていないのだが、触っている(触られている)と脳が勘違いしており、その感触も非常にリアルである。しかも、実際に触る(触られる)よりも遥かに感度が高くなっており、異常に気持ち良い…あれ…これヤバイかも!?……と目が覚めると、あれこそしていないものの、我慢汁がすごいことになっていた。童貞時代にこの夢うつつゾーンの快感を覚えたことでしばらくどハマりし、初の対人行為の機会に恵まれた際、「良いは良いけど、期待してたよりは…」と勝手に失望してしまった。相手に申し訳ない。
数年後、そういったことをする相手もおらず、Twitterで素人のハメ撮りを漁っていたら「脳イキ」している女性を見た。そういったジャンルのAVがあるのは知っていたが、白目とか絶叫とか全く興味が無いので完全に無視していたジャンルだ。しかし、その動画はそれらのイメージとはあまりにも違っていた。俺が夢うつつゾーンでえちえちタイムを楽しんでいるときの感覚と、その女性のイキ方が、妙にシンクロするというか、親近感しか無いのだ。動画では、散々イカされた後、簡単な催眠術のようなものをかけられた女性が、おもちゃも何も無しにしばらくイキ続けていた。催眠術(笑)演技(笑)と、大半の人が思うだろうが、あれはおそらく本当というか、俺の知っている夢うつつゾーンと同じ…。いつものあれが、まさか脳イキと呼ばれるものだったとは。とゆーか、夢うつつゾーンにいながらも他者の性的介入がある状態なんて、そんなものは、気持ち良すぎるのではないだろうか?羨ましくて羨ましくて、歯を食いしばりながらシコった。
この経験を踏まえ、今自分が覚醒しているのか夢うつつゾーンにいるのかきちんと把握したいと思うようになった。夢うつつゾーンギリギリの所で実際に手を動かしてシコれたら、さぞ気持ちいいだろうからな。目を閉じてうとうとしつつ妄想しつつ全身に神経を張り巡らせていると、眠りにつく前はまず四肢の感覚がなくなると気づいた。この状態で手を動かす(と思い込んでいるだけで実際には動かせていない)。ちんちんに触れると───感度3000倍。というのは言いすぎだが本当に気持ちよくて仕方がない。もうこのまま目が覚めなくてもいいとすら思ってしまう。この、四肢の感覚がなくなったかのような感触に気付けると、脳イキへの道は近い。電車で疲れていつの間に半分寝てた!なんてときがあるが、俺調べだとあのときは結構四肢の感覚がなくなるくらい気持ちよく半寝できているので、ぜひ一度意識してみてほしい(当然だが電車で脳イキ試すのはやめてくれ)。
昔はよくうさんくさいテレビ番組で芸能人が催眠術にかけられていたが、多忙で睡眠不足な人が催眠術にかかりやすいというメカニズムは今となっては理解できる。ああいうのの中にも、マジで一瞬かかってる人は案外いるのかもしれない。つまり俺が言いたいのは、脳イキを手伝ってくれる店があれば教えてほしいってことと、同じようなことをしている同士とか睡眠不足の人とかは催眠術かかりやすいだろうから気をつけていこう、ってことだ。
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
未完成のセーターとかかけまして、文字の強調と解きます→どちらも編みかけ/網掛けでしょう
凍死神託
紅蓮グールド
今どこ?/イタリアに至りました/おシエナい/ナポリ葉掘り/信用をおトスカーナ/取り柄ステていいの?/サンジミアーノ惨事見あの
レンジ老婆
手をこまねくコマネチ
ジングルベルジングルベル駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
非売品のシナモン
ブルシットバルドー
あんぐり口を開けて怒る(angry)
人を殺めたゲシュタポ→下手タポ
お魚くわえたドラレコ
政調と分配
ざらにあるアパレル
スロバキアのクソガキ嫌
当方見聞録
当たり前ロマ二
He developed cancer because he had eaten too many crabs.
カルチェ羅漢
What is your New Year’s resolution?
I’d like to buy a 24 megapixel camera.
I had a Japanese breakfast in the morning, which made me had diarrhea, because it’s incontinental.
同時に笑う人々→一斉にやけ
とかや列島
What do you call a Roman emperor
What do you call an ethical country? Humanitalian
みすぼらしい・ダーダネルス海峡
銃では太刀打ちできない
野蛮ギャルド
What do you call a prominent environmental activist ?
Glitter Thumberg
What do you call a cake that is often stolen? Stollen
匍匐/葡萄
Large part of Rajput
酒とメーデーの神
改善ハワー
ぼったくる魚→ボラ
ドイツ語の独学
色々なところにいる魚→ホウボウ
比類ない地鶏
当たるもユッケ
茨城の道
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
未完成のセーターとかかけまして、文字の強調と解きます→どちらも編みかけ/網掛けでしょう
凍死神託
紅蓮グールド
今どこ?/イタリアに至りました/おシエナい/ナポリ葉掘り/信用をおトスカーナ/取り柄ステていいの?/サンジミアーノ惨事見あの
レンジ老婆
手をこまねくコマネチ
ジングルベルジングルベル駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
非売品のシナモン
ブルシットバルドー
あんぐり口を開けて怒る(angry)
人を殺めたゲシュタポ→下手タポ
お魚くわえたドラレコ
政調と分配
アパレルなんてざらにあるよ
スロバキアのクソガキ嫌
当方見聞録
当たり前ロマ二
He developed cancer because he had eaten too many crabs.
カルチェ羅漢
What is your New Year’s resolution?
I’d like to buy a 24 megapixel camera.
I had a Japanese breakfast in the morning, which made me had diarrhea, because it’s incontinental.
同時に笑う人々→一斉にやけ
とかや列島
いつになったらという期限の話をすると、明確に変わるのは親が死んだらです。
オタクに対する抑圧というのは世間から行われるわけですが、往年の全方面から全力殴られ放題の時代に比べれば新聞からの抑圧が減り、ニュース番組からの抑圧が減り、ワイドショーからの抑圧が減り、お笑いからの抑圧が減り、となりました。なった…よね?
まあそうするとリアルの人間関係の抑圧の比率が高まってくるわけです。
40代や50代のオタクはまだ親やおじおばが元気にチクチク毎日言ってきます。まだ結婚しないのかきちんとした職(公務員、銀行、農業、建設、重工業などを指します)に就かないのか家はまだ買わないのか俺たちの若いころはうんぬん。そんな絵なんかにうつつをぬかしているからダメなんだうんぬん。
(35過ぎたら結婚の可能性なんてもうほぼゼロまで激減だっていうのにな!ITだってちゃんとした仕事です!家なんて中学生のころに紙屑になってたじゃん!)
親やおじおば世代はもう職場を離れたりして人間関係が更新されない傾向にあり、歳を取って新たな価値観もインストールされなくなっていき、50歳や60歳ぐらいの常識、世間知から更新されていません。
つまり20年前やら30年前やらぐらいのテンションでずっとずっとチクチクやられておりまして、20代や30代の人が屈託なくオタク活動しているのをうらやましいなーとみることはあってもアラフィフの気持ちがそこまできれいに晴れることは難しいのです。
経済的な正論故に貧困者の救済が起きるし、選挙でも勝ち得るんだ。
くだらない見たこともない性的マイノリティーなんざにうつつを抜かしても絶対勝てん。
何より財政出動や金融緩和をしても、その後消費税を上げてて叩き落とす未来が見える。経済を自律的に動かしていくためには経済をこうすれば整えられると訴え、そして勝つことが必要だ。
それから、2012年アベノミクスで、人手不足倒産がチラホラ起き始めてただろ。消費税増税をしなければ、賃金上昇や待遇上昇の波は貧困層にも届いていた。
最悪のシナリオとやらも、産業が衰退して外貨が稼げなくなる未来だというのを認識しないとならない。財政破綻やハイパーインフレだろ?どちらも外貨を稼げなくなり外貨借金漬けになった国の話だ。
その上で自民党だとまた消費税増税で叩き落とす未来が見える。そこで、貯め込む場所から税を回収して、一方で設備研究投資については減税して、経済を良くすることが求められる。野党側が消費税増税だと経済を叩き落とす、取るなら所得税、法人税、金融所得だと訴えてこそ消費税増税による墜落を防げる。
すげえ自分語り。
元々エレクトロニカが好きな人には非常に有名な話で、「この人音楽はめっちゃいいけど人間はそれ以上にカスだな…」というのはコーネリアスについて話せば一度はする話である。
ただ、これまではコーネリアスの曲を聴いてからこの話を知るパターンが多かったので話を知った人がモヤモヤイライラして終わってはいたが、
今回は曲を知らない状態でこの話を知る人が多いのと、何より悪目立ち続きのオリンピック関連ということでもう何重にも炎上のブーストがかかっている。
実はそうでもない。私は小山田圭吾という人間は心底好きではないが音楽は確実に良いと感じている。
そのため、単純に「いい作品を作るけどカスな人」という認知的不協和の塊みたいな概念について話したいだけだ。
この手の話のときに必ず上がるのが「作者と作品は別」という話だ。
これに関しては、私は「理想として別で考えておきたいが、現実として別けることが難しい」というスタンスである。
なぜなら、芸術作品というのは例えばコンセプチュアルアートでもない限り作品そのものを中心として捉えなければならないからだ。
その作品の世界観に内包されるものだけが語りうるもので作品の評価として正当なものであり、
ここで「でもその人過去に人殺してるんですよ」で作品単体の質が下がることはない。
人を殺している人の絵が下手に見えるというのはただのバイアスでしか無く、
これがまかり通り始めると人種や性別によって作品の評価を上げ下げする輩が出始めるからだ。
現実として「気にする」し、そういったエピソードを聞くと「良くなく見える」のだ。
これは我々が人間という生物である以上逃れられない現実である。
人間である限り、感情を無視した論理は全て現実を無視した夢うつつの戯言でしかない。
そこで私がどう考えたかというと、現実だから正とするのではなく、
これを人間の不具合として捉え現実だが正ではない出来事として捉えることで、
「作品が良いのに人間がカスなときに感じる気持ち悪さは人間の機能だが、社会が発展したことで不具合を引き起こす確率が高くなっている」
と考えることにした。
気持ち悪さを反射的に解消するのではなく、分析して理解することでじっくり気持ち悪さを分解して次のダメージを抑えることにしたという感じだ。
何故なら「悪い人が作るものは良くあってはならない」というのはそれはそれで現実逃避だからだ。
現実として、悪人にも正しいことはできるし、被害者やいい人でも間違ったことや悪いことはする。
その人の属性で行動の善悪が決定すると考えたり、気持ち悪いからという理由で無いことにしてしまうのははあまりにもルサンチマンをこじらせすぎている。
私は小山田圭吾の作品がメチャクチャ好きだが同時に彼という人間は全く好きではなく、
いつか本気の後悔と報いを受けてほしいな~とは思っていた。
なぜなら私はそもそもいじめ被害者であったためだ。そのため、高校のときにこのエピソードを知って大変狼狽したものである。
願わくば人生に覆しようのない瑕疵がつき、その傷跡を残りの人生で眺め続ける羽目になりますようにと…。
しかし、改心までは願うべくもないが、今回は最大級の規模でそれが叶って多少溜飲が下がり、いつもより気持ちよくコーネリアスを聴けている。
昔から個人的に、日本語のカタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説、映画、漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくまで個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝ります。すみません。
日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内の作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。
海外のSF周辺の作家や作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きである。ものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編『魔法を売る店』も好きである。SF作家の視点から「魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバート・シェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である。
日本を含めて世界的に『ハリー・ポッター』シリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズが劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画のジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法の世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズ』シリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。
「剣と魔法」系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビやビデオで観た『アルゴ探検隊の冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである。
『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才でモテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリザリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリザリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長があんな依怙贔屓をするような人間だから、スリザリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリザリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえ、ギリシア神話の英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公に理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。
LoTRが苦手なのは、正義の側のキャラクターは白人がベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしてダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種のイメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物を相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。
こんな感じでカタカナ・ファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルク』である。
外形的には、人知を超越する異形の存在や怪物、魔法などが存在する世界を舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語のファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターやLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」である。ハリー・ポッターやLoTRのファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。
ゴットハンドの名前(スラン、ユービック、ヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将の名前(ボスコーン)からは、作者の原体験にSF作品が有ったことは想像に難くない。だから、ベルセルクの物語世界では「魔法のような人知を超えた事象が存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家がSF的視点から「魔法が存在する世界を舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。
少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢の卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンのコント「スーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議な世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから、不思議な世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである。
話を戻すと、『ベルセルク』の物語は魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公のガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンドが召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルクの物語における魔法や人知を超えた異形の怪物のほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力や人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドーと養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである。
それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンドを召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分の王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラでドリーム状態を実現した、ハンサムな野比のび太」である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから、主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である。
こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロ、ファルネーゼ、セルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士や魔女による魔法的サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態で物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナ・ファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。
長い長い時を経てキャスカが正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太の物語を、作者は描いてくれる。長期間の休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。
私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身のペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。
このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家や作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。
人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズを引用するぐらいしか出来ない。
「風が、旅の終わりを告げていた」と。
これも結構前の話になる。
「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。
そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。
内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。
あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。
ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。
兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。
その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。
あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。
オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラマシマシです。
しかし高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。
職場と学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなたが引っ越してしまいましょう。(経験則)
そんなこんなで深夜までゲームやらアニメにうつつを抜かしては、中途半端な時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。
気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。
それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元のカラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋で立ち読みしてたり。
入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。
何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由な大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。
大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。
夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。
そんなんで仲の良い友達も全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設のビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。
いや、完全に余談でした。すみません。
とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。
話を戻します。
俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。
「自分はママとパパと話すけど、ふたりは全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西の実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。
そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。
そんなこんなで気付いたら第一の父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。
そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。
一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。
仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。
多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?
中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホントに幸せだったと思う。ボンボンもボンボンで、当時Xbox360でCOD4のネット対戦してたの俺だけちゃうかレベルで。
俺も兄貴も母親も父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。
で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。
これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います。
そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから、
ベロンベロンの状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。
うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。
この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます。
しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。
酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。
それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。
そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。
第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。
小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学でダメになったのか、不思議だなぁ。
母子家庭であんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。
大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分で自分を戒めたりもして。
そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。
深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親がワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。
で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。
無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります。
うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。
思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います。特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。
とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります。
「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。
ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。
なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。
なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。
そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。
俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます。
えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。
正直ワインのときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。
「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります。
人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。
マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。
未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。
しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。
首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります。
未だに後悔しています。
あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。
母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。
兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。
でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。
「母親が自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。
救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。
ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。
なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。
ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。
凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。
首にかけているスカーフは素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。
抱き抱えた母親の身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。
「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。
兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。
もしかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。
「ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」
と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。
家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。
俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、
待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。
でも本当に現実を現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。
ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。
俺「こんなんなっちゃったな」
兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」
俺「そうだなぁ」
こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています。
ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。
確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。
翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまったことを覚えてます。
そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます。
そしてずっと病院に居るわけにもいかないから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。
三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。
母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます。
わからない、本当に今でもわかりません。
あのワインの日から、自分に何が出来たかをずっと考えています。
間違いなくサインとなっていたあの日、ちょっとでも行動を起こす勇気が自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。
最近、競馬のゲームアプリが周りで流行っていて、少なくとも私の周りでは猫も杓子も競馬にうつつを抜かしている。少し前までは精を込めて米を作っていた様な気がするが…やはりギャンブルは恐ろしい。
冗談はさておき、最近みんなが競馬に夢中になっていて、ひどく疎外感を感じる。当然周りからもアプリのインストールを勧められるのだが、どうにも気が進まない。そもそもゲームアプリはあまりやっていない。今やっているのは、パンを焼くゲームと、クッキーを焼くゲームくらいで、有名どころのアプリはほとんど入れておらず、ここ数年は専らswitchやプレステのゲームばかりやっている。
疎外感を感じている割には、あまり昨今のゲームアプリにやる気を見いだせないのはなぜだろうと考えてみて、おそらく「一番になるのが難しいから」だろうと結論づけた。
負け続きの人生だったからか、「一番」というものに強い執着を抱いている気がする。ゲームにしろ他の趣味にしろ、一番になれるものは、可能な限りなっておきたい。幼少期にあまりゲームを買ってもらえず、一つのゲームを隅々まで遊び尽くていたのにも関係があるのかもしれない。ゲーム中にライバルとなるプレイヤーが存在しようがしまいが、「一番」をとりたいというのが心情だ。
ハード機器のゲームで一番を取るのは、例外もあるかもしれないが、毎日ログインしたり、限定キャラのために周回を重ねる必要がない分ゲームアプリよりは簡単だろう。物によっては莫大な時間を要するケースもあるだろうが、ハード機器のゲームでは一回きりの努力で済む。イベントの度に努力を求められるのは大変だ。正直言うとさっさとテッペンとって次に行きたい。
まとめると、「大抵のゲームアプリはどんなに時間を費やしたり課金をしても一時的にしか一番になれないのでやる気が出ない」という事になった。これはオンラインゲームにも言えることで、めまぐるしく環境が変化する対人ゲームなども苦手だ。