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はてなキーワード: 違憲審査とは

2023-11-19

anond:20231119110310

付随的違憲審査制なので具体的事件(公金支出に関する賠償請求など)が無ければ訴訟が出来ないが、そもそも具体的事件がない(国家から具体的に優遇(公金支出法令の制定)された事実)以上は公的違憲性を問う必要性自体ないんだよな。

anond:20231119102936

違憲訴訟」っていうけど日本裁判所には抽象違憲審査権は無く具体的な総称があるか、または特に法定された民衆訴訟しかできないんだけど、どういう法律構成でいけば裁判できるの?

2023-10-09

anond:20231008163610

日本裁判所抽象審査権はなく具体的な事件に付随して違憲審査をすることになる。

まり罰則が設けられ、それに違反し、起訴された段階で刑事裁判の中で条例違憲性・無効性を主張することになる。

罰則違憲無効になることと、罰則条例がセットで違憲無効になることとは話が別であることに留意

また、既に「児童虐待の防止等に関する法律」が制定されている。同法や関連法、関連命令が「子供一人の留守番」を規制していない場合はこの条例法律規制範囲を飛び越していることとなり、それが妥当かどうかを判断する。つまり条例違憲合憲かではなく、違法合法かという点で審査することになるだろう。

2023-01-06

監査請求制度大学入試にも出るし通りが良い

 地上自治体請求する権利> 1監査 2議員解職 3知事解職 4役員解職 5議会解散  

一方、裁判官忌避などは試験に出るとしても、判事に優しい判例司法試験に出るだけ

違憲審査権や裁判官訴追制度は、公民試験範囲だろうけど

違憲審査権はほぼ飾りで(却下以外の判決は3パーセントだけで)、後者は可決見込みがゼロという現実

2022-10-21

法治国家と遵法義務

 この問題は何度も世に出てきていると思うが、法治国家のことを勘違いしている人がけっこういる。

表現の自由界隈からも「法律を超えたら表現の自由はない」ってのが無邪気に言われまくってるけどさ、じゃあ、「本日から漫画を描いてはいけない」って法律ができた瞬間、漫画を描く表現の自由はなくなるの?逆なんだよ。表現の自由が先にあって、それを侵さな範囲規制が許されるだけ。

https://twitter.com/jikapan/status/1582716271023398912

これに対して

自由侵害する法律が作られたら法の手続きに基づいて侵害されないように法改正をするのが法治国家自由行使なのだ

気に入らない法律は従わないではただのアウトローしかないのだ。

https://twitter.com/serast_km/status/1583274143444652032

のほか、同様の趣旨ツイート複数見られる。

 法治国家原理は、法律法規創造力の原則国民権利を新たに制限し、義務を課す法規範は国民代表議会のみが作ることができ、行政立法してはならない※)、法律の優位の原則行政活動は議会制定法に反してはならない)、法律留保原則国民権利を新たに制限し、義務を課す行政活動は、法律によって授権されていなければならない)から成り立つ。これらのどこにも、自由侵害する法律が作られたら、法改正を待つべきであり、あえて規制に逆らうべきではない、という議論は含まれない。

※これは行政に関する原理であるというのがミソで、私人同士で新たな義務を課すのは、原則として自由である。たとえば、100万円を借りるという金銭消費貸借契約を結べば、あなたはカネを返す義務を課されることになる。それに先だって国民代表議会の授権規範必要であるというのは馬鹿げている。しかし、原則自由からこそ、社会における事実上の力関係によって一方的立場が弱い契約を結ばされるということが起きる。そこで、契約自由制限する法律が制定されたり(例えば借地借家法を思い浮かべよ)、裁判所判例法理によって調整が図られることがある。

 二番目のツイートは、法治国家を(古代中国法治国家伝統もあって)遵法義務問題と取り違えているだけで、些末な揚げ足取りではないかと思われるかもしれない。しかし、遵法義務問題として考えてもおかしい。もちろん、国法は自らに従わない者に対して制裁の仕組みを用意することが多い。刑法にせよ、行政上の何らかの義務履行確保の手法にしても。刑罰という結果を避けるために従った方がベターであるというプラクティカル議論としては意味があるだろう(事実としての強制秩序の問題)。しかし、それと服従義務とを混同するべきではない。たいていの法学者は、不正な法に対して服従する義務はないと考えているのではないか(例:ラートブルフ「法律による不法法律を超える法」)。ラズなんかは、それを超えて、一般論としては国法への服従義務などない、と言っているようだ。

 

 ただ、これは難しい問題で、誰が不正かどうかを判断するのかという問題がある。万人が自らに都合の悪い法を不正である判断すれば、アナーキーとなり、宗教戦争の再来である※。しかし、実定法にただただ服従するべしと言えば、ナチスの法にも服従する義務があるのか(事実として強制されるからやむなく従うのではなく)と言われてしまう。結局、個々の法規範に則して個別的判断する他あるまい。上記ツイートでいえば、一般論として漫画という出版様式禁止無視たからといってアナーキーに陥ると考えるのは馬鹿げているであろう。


 現代違憲審査制は、こういった正義実定法ジレンマをなるべく起こさないようにするためにある。憲法人権という形で示された一般的正義原則に照らして裁判官実定法審査し、不正な法と認定した法規範の適用拒否するという仕組みが我々の社会には導入されている。ただ、裁判官の目をすり抜けてどうしようもない実定法が作られることがないとは言えない。立法者と裁判官にさしあたって頼らずに正邪を判断する視点を持つことは、自由民主的社会市民であり続けるために必要なことである・・・自分の頭で考えた結果、おかし結論に到達する人もいるかもしれないのが頭の痛いところだが、それが自由であるということである

 悪法といえども国法に従う義務があり、悪法をただすには法改正に賭けるべきという態度は、肉屋を支持する豚と言われてもやむを得ない※。

※ひょっとすると熱烈なホッブズ主義者なのかもしれないが、ホッブズ主義者なら、本当に当該禁止によってアナーキーが避けられるのかをもうちょっと真面目に検討するのではないか

参考文献

長谷部恭男『法とは何か[増補新版]』河出書房新社2015年

おまけ:

表現の自由』は憲法保証されているので、

それに反する法律は作れません。

意味のない仮定です。

https://twitter.com/MIKITO_777/status/1582999065138036736

 こうした見解に対する批判は本文中にも書いた通りだが、この人の中では、薬事法(古い名前だ)の薬局距離制限規定が作られたことはなかったのだろう。薬事法は、自分に関連する分野ではないのか(薬剤師ではないから、違うかな・・・)。

2022-05-06

アメリカ人工中絶権を守る方法を思いついた

合衆国最高裁判所違憲審査権を認めなければよい。

合衆国憲法には、最高裁違憲審査権を有するとは「一言も書いていない」、その権限判例に基づいているが「そもそも憲法に書いてない権利を認めた判例は間違っている」ので無効である

右派判事アリートの論法適用すればこうなるな。

なので立法府、つまり議会違憲審査権は国民投票で決めるとでもしてしまえば人工中絶権維持派がアメリカ多数派から勝つ。

そんな立法違憲だ、と最高裁が言っても無視違憲判決出す権限ないので。

こう書けば判例の一切を無視して「そんなの憲法に書いてないもん」でちゃぶ台返しする右派判事論法がどんだけやばいもんかわかろうもん。同性婚避妊具の使用も、異人種婚姻すら否定できてしまう。

2021-12-28

死刑制度について思うこと

日本刑法刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。

罪名刑法保護法益
内乱77条国家対内的存立
外患誘致81条国家対外的存立
外患援助82条国家対外的存立
現住建造物放火(致死の結果を生じた場合108条不特定又は多数の者の生命身体及び財産
激発物破裂(致死の結果を生じた場合117条公共安全、人の生命
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合119条公共安全、人の生命
汽車転覆等致死126条交通安全、人の生命
水道毒物等混入致死146条公共安全、人の生命
殺人199条人の生命
強盗致死・強盗殺人故意殺の場合240条人の生命身体
強盗強制性行等及び同致死241条人の生命身体


人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要法益で、国家法益国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所収監され、これ以上他者生命危険さら懸念がなくなっている人間から刑法自体が最大限に尊重保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。

これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑禁止)に反しており違憲であるという観点から1948年死刑制度合憲判決事件において最高裁法廷違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法十三条においては、すべて国民個人として尊重せられ、生命に対する国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民権利といえども、立法制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさら憲法第三十一条によれば、国民個人生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。



「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重保護されるべき尊い権利なのか、国家従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。

(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営社会秩序の維持のために、国家施政権の及ぶ範囲に住む国民住民生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)

死刑制度を存置する国家では、「個人他者生命を奪うこと」と「国家他者生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民住民に対して法的な権力執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民住民は、国家権力執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度問題倫理ではなく力の問題還元する。

死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分死ぬから損だよ」という風に権力関係因果関係を説くことはできても、それは「人を殺してはいけない」というモラル根拠にはならないし、むしろ一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。

死刑制度廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分死刑廃止すべきだと思ってる。

2021-10-24

現行憲法下における非実在児童ポルノ規制可能か?

最近表現規制問題に関しては、建設話題というよりは香ばしい話題となりつつあるので論点を整理したい。

建設的な議論一助になれば。

 

現状の保護法益は何か?

筆者の見解児童人格権保護目的とする(個人的法益)。

似た趣旨刑法175条(猥褻物頒布罪)は社会的法益保護法益であると解されるのが専らであり、かつその規制対象実在人物描写したものに限らない(仮想創作物も含む)。

一方刑法175条に比して児童ポルノ規制に関しては重い刑罰を課しており、同一の法益保護目的にしたものと考えるのは難しい。加えて児童ポルノ規制において「性欲を興奮させ又は刺激する」かどうかの要件記載されていない。そのため、自然な考えとして当該児童人格権保護目的とする考えが生じてくるわけであり、現状においてこの点においてあまり争いはない。

単純所持」の違法化: どのように正当化されるか?

筆者の見解一般児童を性欲の対象とする風潮から保護目的にする(社会的法益保護は含まないが、拡大された個人的法益保護する)。

単純所持現在規制対象になっているが、これは児童人格権保護という観点のみから正当化できない。何故なら頒布児童への所持の告知なし、もしくはそれらを目的にせず所持している場合において、直ちに児童人格権が害されるとは言えないためである(例えば、親族の遺品に児童ポルノがありそれをそのままにした場合など)。

そのため単純所持規制根拠としては児童を性欲の対象とする風潮から保護目的にしているためと解釈される。これはいわば抽象化された個人的法益とでもいうべきものであり、社会的法益解釈できる余地があるように思えるが、これは明確に社会的法益を含まない。このことは判例としてもあり、「同条3項にいう「児童ポルノ」とは,写真,電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって,同項各号のいずれかに掲げる実在する児童の姿態を視覚により認識することができる 方法により描写したものをいい,実在しない児童の姿態を描写したものは含まないものと解すべきである」(最判令和2年1月27日

となっており、個人的法益限定されると解されるべきである

抽象化された個人的法益保護根拠とした非実在児童ポルノ規制可能か?

筆者の見解不可能ではないと思われるが、議論余地がある

海外では非実在児童ポルノ規制現実として行われている側面があり、この場合規制根拠として模倣説児童ポルノが実際の児童への虐待を誘発する)及び市場説(児童ポルノ市場形成自体を防ぐことによりさらなる流通を防ぐ)という2つの説によっている。翻って日本においては児童ポルノ規制個人的法益保護目的であるという判例がでたため、非実在ポルノへの規制を行うには2つの方法があると思われる。

1. 抽象化された個人的法益保護法益としながらも、非実在児童ポルノへも規制する旨明記する。

2. 保護法益個人的法益に加えて社会的法益も含む旨加えた上で非実在ポルノへの規制を行う。

1.は(流通するのが非実在児童ポルノである以上)模倣説採用することにより正当化されることになるが、これは違憲審査基準と合わせて考えると違憲となる可能性がかなり高いと思われる。何故ならいわゆる模倣説科学的に立証されたわけでなく、児童人格権直ちに侵害される、いわゆる明白かつ現在の危険を有しているとまでは言えない。加えて日本においては子供の入浴の写真を撮ることが一般的とまではいはなくとも受容されうるという現状がある以上、国民一般的な通念上と照らし合わせてみても違憲である可能性が高い。

2.はおそらく現行憲法下において規制理由とするのであれば最も妥当論理になると思われる。再度述べるが刑法175条は健全な性道徳という社会的法益保護することが目的であり、かつそれは合憲であるという判決が何度も出ている。そのため、同様に児童ポルノ規制保護法益は「児童健全に成長する社会」を保護するという旨を明記するのであれば、刑法175条と同様の論理正当化されると思われる(再度注意しておくがこれは筆者の見解であり当然議論があると思われる)。また、保護法益は互いに二律背反ではなく、社会的法益及び個人的法益の双方が保護されうる(下級審判決などに判例がある)。そのため、この場合であれば児童ポルノ規制個人的法益及び社会的法益双方を保護するものとして解される。

最終的な結論

筆者の見解現行憲法下でも新たな立法による表現規制正当化することは不可能ではない(難しいかもしれないが)。

筆者の個人的な(政治的要素を含む)意見

ポルノ規制社会的法益保護根拠とするのはふさわしくないと考えている。そのため、

が私の考え方である

ただ注意しておきたいが、この種の規制問題に当たってはやはり児童保護という観点重要視して欲しく思っている。表現の自由はもちろん保障されるべきであるが、児童の目に触れないための厳格なゾーニングを求めたい。自ら謳歌する自由他者尊厳を損なうことがないよう、気をつけて欲しい。

また、議論の際には建設的な議論を求めたい。相手ナチス呼ばわり、もしくは戦士呼ばわりなど持っての他である安易レッテル貼り議論口論にかえてしまう。健全民主主義は誰もが自由に参加できる建設的な議論を礎にしていることを忘れないでほしい。

2021-10-20

みんな、法学違憲審査基準ってのを勉強したらいいよ

いわゆる二重の基準論とかってやつ

合理的にそうだねって言えればいいよ〜」なのか

合理的にそうだねって言えるだけじゃなくて、実質的関連性(エビデンス)が必要だよ〜」なのかってこと

そもそもこういう発想がない人多いんだよね

合理的にそう言えるね」だけで止まっちゃう人が多い

例え話してみると

日頃から「女は働かないで家庭に入って家を守るべきだ」と言って憚らない50代の男性Aさんがいました。

Aさんはこの度、人事に配置替えとなり、新入社員採用面接面接官になりました。

ところが、Aさんが面接して採用となったのは男性だけでした。

この話を見て「Aさんは差別主義者だから女性採用しなかったんだ」というのが合理的な疑いね

でもそれ真実じゃないんですよ

いやほんとほんと

後出しで悪いけど実はAさんの職場福島原発で、今回作業員面接男性しか来なかったか女性採用しなかったわけ

ちょっと叙述の妙があってずるいと言われるかもしれないけどw

でも合理的な関連性があるかってのと、それが真実かってのは違うってのは分かってもらえるんじゃないかなって思います

「そのモデル説明できるからそのモデル真実なんだ〜」と思う人がもうずっと大杉

仮説ですから!それ仮説ですから

こういう人が何かしらの二元論にハマると手に負えないんだ

何せ二元論ってこの世の全てを説明できるからね…

説明できることと事実であるかどうかは違います

合理的関連性があることと実質的関連性があることは違います

そしてトピックに応じて合理的関連性だけで行動できることと、そうでないことがあるのだということを

よく理解して欲しいということです

終わり

2021-09-02

anond:20210902224533

日本裁判制度は付随的違憲審査制というもので、具体的な法律問題に付随して憲法論点について裁判所判断します。

そのため国からの制約がないと訴訟にはなりません。

仮に国が表現の自由を直接的に制約する法律(例えばA党を批判する表現禁止)を制定出来たとして、それによって国民権利侵害された時に初めて訴訟になります

国が表現の自由を制約する法律を作る→国民権利侵害される→その侵害法律違憲だ!との判断が出るという流れです。

話の趣旨を間違えてたらすいません。

あと憲法が当然に私人適用する事を予定した規定については書き忘れてました。

ありがとうございます

2020-03-19

anond:20200319231035

プログラム11番、国歌 斉唱

♪「まいにち まいにち 僕らは鉄板の…」

絶対君が代より面白いし良いと思う 長さだけがネック

およげ!たいやきくんを巡って違憲審査とかやるの絶対クソ面白い絶対見たい

2019-11-14

表現に対する法規制について論じる上で気をつけておきたいこと

自戒を込めて。

主張しているのは法規制か否か

「〇〇のような表現問題がある。だから法令規制すべきだ」

「〇〇のような表現問題がある。だから、そういう表現自然と減っていくといいなあ…」

この2つの意見は大きく異なる。

にもかかわらず、両者が区別されないまま、議論が進んで混乱が生じていることが多い。

意見を発信する側としては、法規制を主張しているかどうかを明確にすることが必要であり、意見を受け取る側としては、その確認必要である

また、もっと細かく言えば、以下の意見はいずれも異なる。

論点がどこにあるのか注意が必要である

・現行の法律上違法である

現行法違法ではないが、法規制すべきである

法規制すべきとまでは言わないが、自主規制されるのが望ましい

自分表現する側であれば、こういう表現はしない

・こういう表現が世の中から無くなったら良いなあ

なお、以下は、基本的法規制の是非が論じられていることを念頭においた記述である

単語定義

性的搾取」「性的消費」「まなざす」「萌え絵」「ヘイトスピーチ」などは、必ずしも概念が明確でない。

自説の中心に使う場合は、ある程度明確な定義をした上で使わないと議論が混乱する。

また、法学においては、日常用語に見えてもそれが独自意味合いを持ったテクニカルタームだったりすることがあるので注意が必要である

三段論法

三段論法論理の基本だ。

まずは丁寧に論理を追っていった方が自分論理の粗に気づけるし、相手意図が通じやすい。

また、相手意見いまいち理解できないときは、三段論法に分解して考えてみると良い。

隠れた前提が省略されているのが分かったら、どこに同意できないかが分かりやすくなったりする。

「ある表現法規制すべき」という意見であれば、多くの場合単純化すれば以下のようになるだろう。

①〇〇な表現法規制すべきである

②今回問題となっている表現は、〇〇な表現である

③今回問題となっている表現法規制すべきである

法規制合憲性について

法規制が主張されるとき、まず問題になるのはその合憲性(憲法適合性)だ。

どんなに素晴らしい法令だって違憲であれば無効である

表現に対する法規制合憲性は、原則、「①その法令表現の自由を制約し、かつ、②その制約が正当化できない」といえるか否かで決まる。

①については、保護範囲領域)と制約の有無の問題であり、②ではじめて、(違憲審査基準と呼ぶか否かはともかく)いかなる基準判断するかとその当てはめが問題となる。

2019-01-12

anond:20190112124840

下についてるのは私のこのトラバだけですが?

で?その判例違憲審査まで行ったやつあるの?

人権否定してる判決でないと言う判例は?

2018-08-14

ワイは憲法が専門じゃないんで知ったかぶり入るが、限界論については(考えるのは楽しいが)あまり実益のない議論って印象やな

限界論が問題になるケースを具体的に考えてみると、①96条自体を変更する、②国民主権原理基本的人権の尊重平和主義を変更するっていうケースやな

さらに具体化すると、①’改正発議の要件を総議員数の3分の2から過半数に下げる、②’国防軍を創設する、といったところか)

この①②の変更について、「各議院の総議員3分の2以上の賛成」があって、かつ、「国民投票〔において〕その過半数の賛成」があった場合に、裁判所限界説を盾にこの憲法改正を覆せるか、という議論限界論や

そして実際に弁護士さんが↑の戦術憲法改正を覆そうとすると次のような課題が出てくる

(1) 投票した国民過半数合憲だと判断した憲法改正裁判所が覆せるのか(裁判所審査権が及ぶのか)

(2) そもそも上記のような訴訟をどういう訴訟形態で争うのか

(3) 憲法改正限界を定める条文がないのに、限界をどう定めるのか

(4) 限界を超えたと判断された場合効果はどうなるのか

これはもうどう見ても負け筋や。(1)(2)がクリアできても、(3)でゆるゆるの規範立てられてよほどの場合以外OKってなるのが関の山やろな

(そしてその「よほどの場合」にはもはや8月革命説みたいな議論改正正当化せざるを得ない状況に陥っているのではないかと思う)

(4)に至ってはもはや未知数

憲法改正に反対するにしても、限界から出発するんでなくて、そのときの情勢に照らして国民を説得していくのが得策やろな

一応文献としては、

工藤達朗「憲法改正違憲審査」同・憲法研究(2009、尚学社)

菅野喜八郎「憲法改正行為限界」争点(新版)277頁

2018-05-23

anond:20180523203632

日本違憲審査はしないから、訴えても意味ないぞ

実際に被害があればなんとかなるかもしれんけど

2018-02-01

義務懲罰憲法改正

権利権利煩いんじゃ!

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2017-06-14

[]

公権力による法的強制力のない要請でも 表現の自由侵害に該当するのか?

e.g 政府メディア批判記事自粛要請

公権力による要請違憲審査対象になるのか?

経済的自由ではなく精神的自由制限に該当すると思うんだけれど

制限対象犯罪発生との密接な関連性を示すデータとかあるんすか?

メディア報道と「模倣犯」の因果関係は立証されていないけれど

報道では一定制限をかけている場合もあるけれど、創作にも同程度の規制必要とされるのは適切?


あのマンガ犯人ラストどんなオチだったけ?

[]

公権力による法的強制力のない要請でも 表現の自由侵害に該当するのか?

e.g 政府メディア批判記事自粛要請

公権力による要請違憲審査対象になるのか?

経済的自由ではなく精神的自由制限に該当すると思うんだけれど

制限対象犯罪発生との密接な関連性を示すデータとかあるんすか?

メディア報道と「模倣犯」の因果関係は立証されていないけれど

報道では一定制限をかけている場合もあるけれど、創作にも同程度の規制必要とされるのは適切?


あのマンガ犯人ラストどんなオチだったけ?

2017-01-12

[] H27憲法コメント

全体

◇「シンポジウム」がところどころ「ツンポジウム」に見えてわろた

設問1(1)

BC

◇同一取扱いはそもそも「区別」なの?ってところは反論で書いてる答案が多かった。

審査基準に大きくばってんされてるんだけど、残しておいていいと思う。というか残さないと規範定立が無くなってしまって(=大前提が無くなってしまって)三段論法になってないのか?という余計な疑念を持たれるかも

◇あてはめは誘導に乗っていて良いと思う

BD

◇「信条」による区別なので審査基準を厳格にという議論はしても良いと思う

◇あてはめで、目的区別の関連性が論じられてないのが気になった。目的達成のためにはDらよりBの方がふさわしい⇒Dらを採用してBを不採用とするのは目的との(合理的実質的)関連性を欠く、等。

表現の自由

◇「反対意見刑罰命令を課された」という事例ではなく、「反対意見を述べたせいで職員地位を与えられなかった」という給付の事例なので、保護範囲ないし制約の議論でやや工夫が必要

例:「意見表明を理由不採用とすることは、直接的に意見表明を規制するものではないが、不利益な扱いを受けることによって将来の表現行為を委縮せざるをえず、間接的にBの表現の自由を制約している」(139.90点、94位)

◇「『意見評価を甲市シンポジウムで述べたこと』・・・により正式採用されないことは、Bのみならず、一般に当該問題について意見等を述べることを萎縮させかねないこと(表現の自由に対する萎縮効果)をも踏まえた検討必要となる。」(H27趣旨

手段審査で裸の利益衡量論が始まるんだけど、利益衡量論を避けるための違憲審査基準なので、あんまり好ましくない?かも?(こういう説だったら申し訳ない)

手段審査基本的に①目的達成に役に立つのか、②同じ目的を達成できる他の手段はないか、という視点で当てはめていくとうまくいくことが多い。

例:「仮にBがY採掘事業に反対していたとしても、業務中は自分意見を表に出さないことを誓約されれば行政事務に支障はないにもかかわらず、Bを不採用としたことは、必要最小限度の手段とは言えない」(139.90点、94位)

設問1(2)

BC間の点についての反論がよく分からなかった。無理筋反論

設問2

BC間、BD間の議論が、唐突に当てはめが始まる感じで最初何の話をしてるのか分からなかった。軽く一行規範を書いてあげるといいと思う。

BD間の当てはめはその通りだと思う。

2016-12-19

[] H24行政コメント

第1 設問1

処分定義出すときに行訴3条2項引けるといいっす

◇「②や③は妥当しない」理由として、上位答案は以下のような事情を挙げてました。

都市計画事業決定のとき都市計画決定ときよりも詳しい図の添付が要求されている。⇒つまり都市計画決定通りやるかどうかはまだ未知数。変更の可能性もある⇒②が妥当しない

都市計画事業認可を争っても事情判決される可能性が低い⇒③が妥当しない

第2 設問2

◇そもそも裁量を認めないという主張が思いつかなかった。参考になります

◇何か読みづらかった!(俺も書きづらかったんであれなんだけど)

◇これたぶん違法論⇒適法論⇒私見っていう形で書けって問題じゃなく、私見だけを論じなさいって問題だったらここまで読みづらくならなかったと思う。俺もちょっと訓練しなきゃなと思った。

違法適法論で判断枠組みを変えると(内容の成否は措いておいて)読みづらいな、と思った。

 憲法で、原告被告で違う違憲審査基準使うのやめろみたいなコメントをよく見るけど、あれはこのせいかと思った。

 判断枠組みを争うと、「要件裁量が認められる」「認められない」「認められる」って何度も書かなきゃいけないので字数もったいないなとも思った。

◇全体を通じて「考慮すべきでない」「これを考慮することは他事考慮である」ってあるんだけど、何でだ!ってなった。条文の趣旨を引いて、条文の趣旨がこうだから、これは考慮すべき、これは考慮すべきでないってするといいと思う。

 かとぅーさんはやっぱ上手くて、例えば、都市計画法都市健全の発展を目的としていることを挙げて、経済活性化考慮していいじゃん!ってことを論じてた。

第3 設問3

◇あ、29条3項の趣旨書くのわすれた

趣旨で挙がってた考慮要素は以下。[1] 財産権侵害の重大性、[2] 公用制限としての性格、[3] 土地利用の現況の固定に当たるか否か、[4] 建築制限の内容、[5] 建築制限の期間

侵害行為対象一般的個別的かは決め手にならないぜ!って実感にあったので、「しかし、本件建築制限は~」は要らないかも?

2015-08-02

新党

「立憲民主党」(仮)という新党を誰か立ち上げてくれないかなあ。

設立目的日本近代的な立憲民主主義国家にすること。

政治的立場中道リベラル寄り)

憲法改憲派現行憲法理念は大きくは変えない。自衛隊は明記。抽象違憲審査制にする。婚姻の「両性」は「両者」に変更。

外交:基本は親米(だけど盲従は避けたい)

目標:連立に入って与党としての経験を積む→連立抜けて野党第一党になる→単独与党

その他のこと・細かいことは思いつかないので誰か考えてくれないかなあ。

2015-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20150716004440

そりゃそうなんだけど、それが欠陥なんじゃないかという話。

実際問題違憲審査権なんかまともに機能してないわけだし。

最高裁判の裁判官の任命権は内閣にあって、さら絶対安定多数場合内閣」=「議会」になってしまうのだから問題は大きい。

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