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2021-05-11

まれ境遇しんどい

 高校に入ったあたりからようやく露見した私の頭の悪さとか、ただのうっかりでは済まされないくらいのだらしなさとか、そういうのから目を逸らしたくて鬱のふりをしてたら成績がガタ落ちして地元私立大学に進学した。高校入学を機に“親ローン”で買ったロードバイクはたまに使うくらいで、普段居間に繋がった和室で埃をかぶっている。それなりに勉強はしているつもりだけど、気を抜いたら課題をすっぽかして留年するんじゃないかみたいな不安で心がいっぱいになって、それで課題も手がつかない。馬鹿じゃないのって感じだけどマジでストレスを感じている。

 最近ほんとうに生きるのが辛い。不自由なく暮らし学校では周りのバカさ加減に辟易して、家に帰れば疲れ切った母を眺めながらTwitterしたりご飯を食べたりしてて、公然と不幸を嘆いたりできないことに息苦しさを感じてふと死にたくなったりする。疲れたからタクシーで帰ろうみたいな感じかもしれない。親を愛しているはずだし向こうもそのつもりだと思うけれど、自己愛が足りないとかうまく認識できてないとかで全部が台無しになっている。

 あと孤独を感じる。友達はいない。一人もいない。小学から10年くらいの付き合いになる(中学でありがたくも学習塾に通わせていただいてたら再開した)おにゃのこLINEしたりするけど、常に向こうからしかけてきて向こうからおやすみ挨拶がくる。おれは相手との距離を測りかねてて自分からしかけられないし、彼女に抱いている好意も「唯一付き合いがある同年代人間」とか「10年来の知人」とか、そういうタグに対する執着なのかもしれないし重すぎてキモがられそうだから恋愛成就など夢のまた夢に過ぎないのだと思う。

 とにかく、家族団欒の中だろうと携帯に照らされた布団の中だろうとこの孤独感が全てを台無しにする。それだって日々の生活からようやくほじくり返して見つけ出したちょろい悩みみたいで人に吐露できるものでもない。ちっぽけなTwitterでさえ真面目なトーンでは話せないくらい。

 異常独身男性ってこういう人間ちょっと煮詰めた感じなの? 親が死んだらとうとうダメになって風呂桶で煮こごりになったりするのかもしれない

2021-05-08

動画配信サービスが苦手

タブレットとかで見る映画が苦手だ。集中できない。

映画を見れないわけじゃない。この間のエヴァを見に行ったときは長時間であるにもかかわらず、かなり没入していた。

けれどあれは映画館パワーがすごいからでもある。真っ暗な中で大音量と大画面、椅子に座り身動きの取りづらく他の行動を取らせず、映画に集中させるための取り組みがしっかり出来上がっている。

タブレットはだめだ。持ち運びできるし、トイレでも居間でも何なら外でも映画が見れる。その自由度が駄目なのだ。たやす目線を外し、ちょっと思ったことをそのタブレットで調べたり、ジュースを取りに行ったりできる。誘惑が多すぎる。逆に通勤時間中のほうが身動きが取れない分集中できるまである(ただたいてい眠いので無理)。

専用の部屋を設けるなり、でかいテレビを買うなりすればいいのだろうけれど、そこまでして映画を見たいタイプ人種ではない。

とはいえそうして自分を甘やかし続けてきた結果、最近は1時間ドラマや30分アニメすらまともに見れなくなりつつある。目を離すことを許されたゆるいバラエティ系のYoutube動画を横で流して過ごしているような有様だ。

何か低予算でなんとかできる手段があれば教えてほしい。

2021-05-03

テレビが主役でない家庭で

思い返せば、ちょっとまえは自宅の娯楽の王様テレビで、家族暮らしいたころは、テレビのある部屋に集まって過ごしていた。見たい番組がなくても、とりあえずそこに集合していた。誰かのお目当ての番組を一緒に見たり、ただただ流されている番組を見たりしていた。

配信が主流となった今は、みな、自身デバイスで見るから、どこかにまらない。テレビを一緒に見るのが相当特別な過ごし方になったように感じる。それも録画を見るのではなく、放送を一緒に見る。最後にそれを経験したのはいつだろうか。

テレビ番組はまず録画してしまう。配信で見られればもっといい。見られなかった番組は、それで終わりだ。それを見ようと努力しない。次から次へと見たい動画がある。少々の見逃しは、見逃しの山に埋もれてゆく。見逃したな、と思うだけで終わる。

テレビ番組特番、長い番組も見ていられなくなった。録画する気にもならない。

そんなにテレビ番組をみない。twitterトレンドになってるのをみると、関連ツイートをみて満足する。大勢で長時間収録して、編集したテレビ番組の見たい部分は一瞬だ。もしくは、その感想文を読むだけで満足できる。

今は居間がないんだ。という、ダジャレタイトルにしようとしてやめた。

子供の頃、居間テレビ11PMとかトゥナイトを一番小さい音声で観ていると、

なぜか寝たはずの親が居間のドアを開ける不思議

2021-04-30

「本当にひどい宿なんです。僕は今、訴訟しようと思って通ってるんですよ」

私は彼にこの民宿のひどさを見せてもらうために連れて来られたらしかった。この民宿の部屋のひとつひとつ昔ながらの昭和っぽい台所と畳の居間と狭い風呂がついていた。部屋の風呂以外にも一階には温泉があり、食事のための大広間があった。

しかにひどい部屋だった。掃除はもう何年もされていないようで、台所食器棚には宿泊客が置いていったのであろうインスタントコーヒーの瓶には、指先ほどの深さの真っ黒に沈んだ粉とともに、何故か水が入れられたのか瓶の半分ほどの嵩まで水が溜まっていた。台所シンクは水が流れず、ワカメがたくさん漂っていた。私はここに居るのがゾッとしてきたのだった。

風呂場は小さく狭かった。濡れた床に足を置くと、ぬめりなんてないのにぬめりが足につく妄想がどんどん肥大していってしまって、足のつま先をぎゅっと丸めた。

「だから僕はこうやって証拠を集めているんです」

そう言う彼の表情はなんだか活き活きとしていた。

すると、部屋のドアが勝手に開いて、おばあさんがなにか喧嘩腰に彼に話しかけていた。私にはよくきこえなかったが、彼らの話し方はおおよそ宿の女将と客の会話とは思えない喋り方で、さながら親子喧嘩のようだった。


私は目が覚めると、もう朝だった。

朝は朝食を食べた後、10時にはチェックアウトしなければならない。私は、玄関カウンター食事のための大広間が一体になった一階へ足を運んだ。

大広間には、畳の床が一段少し床が高くなっていて、古びた定食屋のように小さなブラウン管テレビ天井付近に設置されていた。

今日チェックアウトなんですが」

私がそう言うと、チェックアウトの準備をすすめるとともに朝食を案内してくれた。

この旅館の不潔感からして食事をとるのは気が引けたが、朝食は意外にも美味しそうな見た目だった。

大広間には、想像に反して若者が多くいた。私は朝食の後に温泉に入ろうと思って、浴場を下見しようと思った。すると向かう途中の縁側にも若者がたむろしていた。そこには私を連れてきた男も駄弁っていた。

「ほんと、この宿最悪だったでしょ?」彼は私に気づいて話しかけてきた。

「俺、奢るから

「この宿いくらなんですか?」

「一泊、二万円」

その値段の高さに私は驚いたが、彼が平然とその値段を言うのと、仲間たちと楽しそうに歓談するのをみて、私は驚いていないふりをした。

彼はまだしばらく連泊するようだった。

宿をあとにすると、あまり親しくなかった同じサークルだった後輩の大学生たちがバイクでこの宿にきていた。

どうやらこの宿は若者に人気らしかった。

2021-04-29

年寄りネット問題

時々話を聞いていたが、ついに私の叔父もなってしまった。

まり陰謀論信者である

60代だが、今でもスマホは使わずガラケーを使っていてテレビ番組が大好きなようなアナログ人間だった

便利だからと娘(従姉妹)にiPadを渡され、それで写真を撮ったりして日々良く使うようになった。


そこで出会ったのがyoutubefacebookである

facebookで懐かしの友達に会ったのか、のめり込むようにハマって行った。

結果どうなったか、2年前から様子がおかしくなり始めた。


トランプ正義であるディープステートはなどと会うたび力説してきていた。

去年は新型コロナビルゲイツが作ったとか、アロマコロナは防げるからマスクはいらないと言い出してレモン臭のアロマ唐揚げにかけていた。


本人のFacebookを見ると、友人数が300人以上になっており、

その中で友達数が多い人をGoogle検索にかけてみたところマルチ界隈の有名人物であった。

そしてその人物関係しているマルチにどっぷり嵌まり込んでいた。

なんでも毎晩勉強会というミーティングがあるそうだ。

また都度あるごとにFacebookのMessengerで陰謀論を説くyoutubeチャンネル動画が送られてくる。


Youtubeおすすめ機能Facebookの閉鎖性が完全に悪い方向に働いている。

しかも今までテレビ番組しか見ていなかったような免疫抗体0である

ピーヒョロロとなるISDN、嘘を嘘と見抜けない人でないと難しいとひろゆきが言ったネオむぎ茶からネットに接していた自分から見ると、

なんだこれは。。。という状況なのだが、もう元に戻すのは正直難しいと思う。


twitterも昔の2ch批判するという作用がまだ働いている。

それが今のFacebookyoutubeでは全く機能していない。

完全にコミュニティに閉じてしまっている。

これはどうにかして貰わないと、これからこのような人がどんどん増えると思う。


なぜなら、その叔父の元いた友人の5%ぐらいはマルチ勧誘の結果入ってしまった。

10代がアムウェイに引っ掛かるのならばまだ理解できるが、

なぜ私の2倍以上生きている人たちが次々引っかかるのかが理解できない。


本日、久しぶりにその叔父の自宅に行ったところ玄関からトイレ芳香剤のような匂いが漂っており、居間ではジンジャー香りが漂っていて喉が痛くなった。

そろそろ縁を切りたいが、

コロナがおさまったら来年正月にでも宗教にハマった叔母と対面させて妖怪大戦争元旦から眺めたいとも思ってしまう。

2021-04-28

首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

これも結構前の話になる。

「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。

そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。

内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。

あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。

ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。

当時の俺は大学入学したての、ピカピカの一年生でした。

兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校レベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学

その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。

あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。

オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラシマシです。

しか高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。

職場学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなた引っ越ししまいましょう。(経験則

そんなこんなで深夜までゲームやらアニメうつつを抜かしては、中途半端時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。

気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。

それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元カラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋立ち読みしてたり。

入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。

何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。

大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。

夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。

そんなんで仲の良い友達全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設ビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。

いや、完全に余談でした。すみません

とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。

話を戻します。

俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。

自分ママとパパと話すけど、ふたり全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。

そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。

そんなこんなで気付いたら第一父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。

第二の父親は、俺は子供ながらに「良い人」だと思った。

そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。

一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。

仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。

多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?

中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホント幸せだったと思う。ボンボンボンボンで、当時Xbox360COD4ネット対戦してたの俺だけちゃうレベルで。

母親も、その時が一番楽しかったんじゃないかな?

俺も兄貴母親父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。

で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。

これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います

首の回らないレベル借金も抱えることになったと。

そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから

ベロンベロン状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。

うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。

そんな紆余曲折を経る中で、第二の親父が俺に放った言葉

「お前なんて、オレの本当の子供じゃねえんだからな?」

この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます

しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。

酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。

それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。

そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。

第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。

こっからはもう蛇足なんで、ちょっと飛ばし飛ばし

小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学ダメになったのか、不思議だなぁ。

母子家庭あんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。

大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分自分を戒めたりもして。

そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。

深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親ワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。

で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。

無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります

うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。

思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。

とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります

「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。

ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。

なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。

なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。

そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。

俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます

えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。

正直ワインときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。

「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります

人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。

マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。

未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。

しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。

首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります

未だに後悔しています

あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。

母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。

兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。

でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。

母親自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。

救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。

ある日、大学に行った。四月の上旬。はっきりと覚えてる。

ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。

なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。

ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。

凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。

首にかけているスカーフ素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。

抱き抱えた母親身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。

「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。

そして震える指でスマホをうって、まず兄にコールした。

兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。

しかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。

ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」

と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。

家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。

俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、

待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。

でも本当に現実現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。

ここではどうにもならないから、と救急車に乗り込んだ。

ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。

俺「こんなんなっちゃったな」

兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」

俺「そうだなぁ」

こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています

ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。

確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。

翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまたことを覚えてます

そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます

そしてずっと病院に居るわけにもいかいから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。

三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。

母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます

からない、本当に今でもわかりません。

あのワインの日から自分に何が出来たかをずっと考えています

間違いなくサインとなっていたあの日ちょっとでも行動を起こす勇気自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。

2021-04-22

壁を塗るか壁紙を貼る

玄関の床を貼る(上から。痛んでいるので)

玄関の庇の後の塗装★

テラス屋根をつける工事

押入れの襖を、プラダン張ってその上に壁紙を貼るなどする

(前に分解してふちの木の部分にプライマー、+ペンキ)

二階の部屋の壁をどうするか。

キッチンの床を貼る(上から

居間の網戸をつくる

玄関横の洋間の壁を貼るか塗る

玄関の横の洋間の床を貼る(上から

二回押し入れの収納スペースを作る

階段上の天井を貼りなおす

玄関天井を貼りなおす

トイレの壁を塗る

タイルをなんとかする

都市ガスにするかオール電化にするか

玄関ポーチ石畳など貼れたらはる

エアコン夏までにつける

CDや本を売る

着物の類を売る

父と母の位牌

父の遺骨、

本山納骨に行きたいけど自粛どうなる

★部分は

プロに依頼中

身体を治すのはこのあと

🐈)))大丈夫からね。出来るはず。

2021-04-19

隣の部屋の足音が気になる。

隣の部屋の足音だとか、ドアをバタンと閉める音だとかが気になってしょうがない

うちのアパート路線の近くに建ってるから電車の音も聞こえてくるのだが、それは別に気にならない…

足音は、ネットに転がっているような揉め事の目を覚ますレベル騒音でもない

大家に言うほどでもない、のかも・・・しれないけど気になる

1Kの狭い部屋で何をそんなに歩き回るのだ・・・

前の住人は静かでよかったなあ。

また足音が聞こえるなあ。

この低音で響く感じ、かかとで着地してるんだろうなあ…

それにしたってドゥンドゥンドゥン・・・って鳴らさなくてもいいじゃない・・・もう少しゆっくり着地しておくれよ

ドウンドゥンドゥン…今度はキッチンに移動したのかな

ドゥンドゥンドゥン…居間に戻ってきたのかな

音がしなくなった、死んだかな?

 

 

 

 

ドゥンドゥンドゥン…

2021-04-06

育児ソフホーズする

女が出産したら父母子ともども「家族寮」に強制収容

各階に育児ルームがあり、24時間いつでもどんなときでも預けられる(ただし三日連続24H預けたら里親制度適用、外部への養子手続き可能となる。捨て子も安心

女は出産一か月後から強制労働、男はいわずもがな

食堂ではチケット制の食事が一日三食提供居住者料理と洗い物なし、そこそこ旨い和洋中の病院食みたいなメニューから好きなものが食える

大浴場では男女に別れて入浴、ときどき温泉の素が入ってる

家族寮で過ごす大人子供はみんなタイプが同じダサい長袖ワンピースを着る。男もスカート

ダサいワンピースを中心にコーデするよう誘導し、特殊素材服のオシャレは阻止する。みんなダサい。ぽんぽんついた三角ダサい帽子支給される。

洗濯物はランドリー袋に入れておけば毎朝回収してくれる、夜になったら洗濯後のランドリー袋が置配箱に入ってる。パンツも洗ってくれる。

居住部屋は洗面台と簡易シャワー室とトイレ付きの2LD(台所なし。料理したければ居間オーブンレンジか卓上コンロかホットプレート使え)

まるで和室ビジネスホテルのような我が家子供が五歳になるまで強制収容される。

食事(買い物、料理食器洗い)、入浴(風呂掃除)、育児を大幅に削減し、みんながハッピーになれる育児ソフホーズ

2021-04-05

anond:20210405143006

ブレーカーがおちてたっぽいw

なぜか東京行く前と行って帰ってからの配線が変で

前と違ってて。

キッチン単独、私の部屋も単独のはずだったのに

何故か手前の部屋とキッチン居間電気配線が同じに???

どうしてこうなってるの

これを避けるための増設だったのに。

なななんと

コンセントショートしてしまいました><

湯沸かしポット

炊飯器

レンジ

同時

こたつ

PC電源

これが柱をはさんで居間キッチンに3つずつあるコンセント

ごはんは途中でリセットされちゃうから時間0分からなっちゃうし

テーブルタップは全部通電確認できたので、コンセントのほう

しか

居間キッチン両方工エエェェ(´д`)ェェエエ工

一番使ってるほうなんだけどー。

テーブルタップはとにかくたくさん持ってるので(買ってる)

いくらでも延長コードで持って来れるんですが

一番頻度の高いコンセント回りなので

ショック。

家電店さんにお願いかなぁ🐈あああああ。

2021-04-04

ねこが21歳になろうとしている

追記

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700764641346911234/comment/ifttt 増田のほうが寝かしつけられている……

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700764641346911234/comment/ardarim 増田を寝かしつける猫。いい増田出会えてよかったね

ちょっとまって!!これって増田が寝かしつけられてたの?そうだったの?でもたしかそうかもしれない……。こんどお礼を伝えておきます

また、その他のみなさまにつきましても、いつもあたたかコメントありがとうございます

https://anond.hatelabo.jp/20200620124348

https://anond.hatelabo.jp/20201224131256

増田からも、みなさまとみなさまが愛する生き物たちがこれから幸せにでありますうご祈念いたします。また春が来ますね。

追記終わり)

拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこ20年前の9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月誕生月ということにしているので、なんとあと2ヶ月で21歳ということになります。この一年でかなりまえ足あと足が動きづらくなったご様子ですし、耳もだいぶんと聴こえづらいように見受けられますが、いたって元気にこの冬を越えられたことをことほぎ、増田駄文をしたためたいと思います

20年以上続いたねこ一匹ひと一人の生活ですが、とくにここ一年続いているリモート勤務のおかげでねこ増田との距離感も随分と変わったように感じます彼女にしてみれば、昼夜問わずとにかく要求すれば何らかのリアクションが返ってくるのが心地よいのでしょう。もはや、自分がいま大声で要求しているものご飯なのかおやつなのかだっこなのかブラッシングなのかよくわからなくなったけどとにかく早くしろ、その前にとりあえずおまえの膝のうえにのせろ。といった感じのことも増えてきました。とは言うものの、高齢猫はまず食べてもらうことが大事。頻繁に変わるご嗜好の様子を見つつ、療養食の縛りも外しておやつ用の高齢猫用かつおぶしとかエナジーちゅーるなどもご用意して順次お出ししているわけですが、相変わらずモリモリとお食事を楽しまれているご様子でひとまずはほっとしています

さらなるQOL改善にいささかなりとも貢献するために、日々アマゾンで「高齢猫 ウェットフード」で検索しながら、次は何を召し上がっていただこうかと悩むのですが、そんななか

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/B0756ZDVZL/

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/B003O8NMSM/

こちらのようなレビューを読むと、とてもつらく、いたたまれない気持ちになったりします。それと同時に増田そば平穏老いてゆくねこがいて、ともに時を過ごせていることをとてもうれしく感じたりもしています

もう一つ変わったことといえば、10年ぶりくらいに夜間、増田のふとんに潜り込んでくるようになりました。右の脇に滑り込んで、肩にまえあしをのせてねこのひたいを増田の頬にぐいぐいと押し当てくるわけです。ねこのひたいは狭いといえどふわふわもふもふで心地よいのですが、鼻先があたると湿って冷たいし鼻水でずるずるになるので増田との間で角度の争いが毎夜発生したりもします。

増田はこれまで積み上げてきたねこ経験からねこもっとも心を許した振る舞いとは、くびの力を抜いて頭を持たれかける姿勢を取ることだという説を唱えています実家ねこ増田のひざの上には来るのですが、力を抜いて増田のひざにあごを預けるまでには小一時間じっとしている必要があります増田ねこはたぶんめんどくさいとかしんどいかいった理由で、もはや抱えるとすぐ脱力するのですが、それでも肩の上にかかるねこのあたまの重みは増田にとってかけがえの無いものです。問題は昨年末から増田の右肩がひどい四十肩になってしまたことで、それはもう地獄のような夜でした(そして左肩には決して来ようとはしない)。耐えたけど。

なお、増田が寝付くと居間自分の箱に戻るようで、夜中ふと目を覚ますといつの間にかいなくなってたりします。なんとなく寝付けなくてぼんやりスマホなど眺めてると、それを察して寝室に戻ってきたりもします。耳はだいぶ遠いはずなのですが、なぜ増田の目が覚めたことがわかるのかとても不思議です。

先日、とあるテレビ番組温泉旅館に住む24歳になる看板猫の姿を拝見しました。毛皮の色こそ違いますが、密度が薄くなったコートのぼさぼさ加減、手足を曲げずにふらふらと、でもかくしゃくと歩く姿、ちょっと曇った瞳、ぎにゃあとしわがれた大声を出し旅館のおかみさんブラッシングを所望する姿など、まるで我が家を見る思いでした。ちょっとまって、あと3年これ続くの正直大変じゃない?と思いつつも、できる限り永く幸せに過ごしていただきたいとも思うのです。

世の中には幸福ねこも不幸なねこもたくさんいる中で、増田はたった一匹のねこと過ごすことしかできず、世界平和をかなえるには全くの無力なのですが、それでも運良く増田がさずかった「一匹のねこを終生幸せにする権利」を最後まできっちりと行使していきたいです。そんな所信表明をしたところで今回の報告を終わりたいと思います

2021-03-25

義母の命日も近いので三男夫婦のことを書こうか

※凄く既女な愚痴です、すみません

4年前、私たち夫婦と同居の義母脳梗塞で倒れた。

義母農業を営んでいて、いつもなら絶対家に顔を出す時間に帰ってこなかった。

もしかして、と思い探してみてもいない。

そして、家から離れた畑の、かなり見通しの悪い場所発見した。本人が言うには、5時のゆうやけこやけが流れた瞬間にガタッときたと言ったから、もう1時間は経っていた。

私は救急車に付き添いで乗り、夫に連絡を取り、病院でおちあった。

今夜が山です、と救急医が言ったので、夫は弟2人と連絡をし、私は車で帰宅した。

眠れない夜を過ごした明け方意識が戻った、話せる状態ではある、とLINEが入った。

朝一番新幹線我が家にきた義弟が、おかあの容態はどうなんだと詰め寄るので、病院に連れて行った。

次男はその場で泣き崩れ、三男は無言で神妙な顔をしていた。

で、ここから問題が生じた。

義母も含めた私たちのかかりつけの病院入院承諾書には、もし患者入院費が払えなかった場合の、同居家族以外の連帯保証人保証人の2人が必要だったのだ。

次男は俺が連帯保証人で構わんよ、と二つ返事で署名捺印したが、問題は三男だった。

三男の妻、私から見ると義妹は、中流よりちょっと上というか、わかりづらい例えをすると子供の服を西松屋ではなくアカチャンホンポで買うような人たちである

それに、私(たち)の名字を使う代わりに、資金とローンを出しあって二世住宅に住んでいて、まあ、事実上婿入りなのだ

なので三男は、義父さんに許可取ってみるわ、と電話をしてみた。すると

「そんなことをする病院など聞いたことがない、写真を送れ」

と言われる。

三男が言われた通り送ると、それでも納得いかないのか

「娘をそっちに遣るからそれまで何もするな」

と言われたようだった。

私はとても気が短いので、んなことしとる間があったら義弟らをはやいと義母に合わせたいんだが、と奥歯をギチギチ言わせていた。

2時間くらいで義妹到着。全員揃ったか病院に行き、夫と義母に会った。

次男はその場にうずくまり、三男は固まって神妙な顔で、義妹は涙を流していた。

そして主治医説明で、義母発見が割と遅かったので、後遺症の残る可能性が高いだろう、と言われたと夫が言うと、皆再び同じ反応をした。

さて帰ろう、と病院を後にしようとすると

「まだ待って!」

と義妹が言い、相談員のところに行こうと言う。

義妹は看護師なので、まあ腑に落ちない点でもあるのか、と私は思ったし、何故かまでは知らないが皆義妹について行った。

そこで義妹が相談員質問したこと

義母がいつ頃退院するのか(昨日入院したばかりだが)

入院費用は幾らぐらいか?(今からかよ)

義母が完全に治る見込みはあるのか(主治医が難しいって言ってたじゃん)

・治らなかった場合手帳社会保障などはおりるのか(後遺症の度合いによらないか?)

と、心の中でツッコミを入れながら

「あ、これは火の粉を払いたいんだな」

とさすがに気がついた。てか全部入院2日目にする質問じゃないだろうが。

で、家に帰ったら、今度は三男が夫婦

「この家の保険財産になるものを全部出せ!」

と言ってきた。

これを聞いて2人を引っ叩きたくなったが、夫が私の服の背中を引っ張り

「お前、部屋でジッとしてな」

と言われた。夫はこういう時に私が激昂して何を口走るか、何をしたものだか分からないのを知っていたから。

そして色々な部屋で色々な棚を探す音に耳を塞いでいてどれくらい経っただろうか。夫が

「おぅ、もう出てきて大丈夫だぞ」

と言ったので出てきたら、居間で義祖母アクセサリーケースを品定めしつつ

「金になりそうなもんはねーな」

と言った三男の頭を後ろから殴って、全然大丈夫じゃない、と夫に平手打ちを喰らわせたくなった。

その家探しも無駄ではなかったのかもしれない。

義母入院保険に2つ加入してることが判明し、半年間は一定額が保障されるのがわかったから。

そして保証人のことは私が実の弟に頭を下げることで決着がついた。

「うちよりも親類縁者が多いのにどうして僕に飛んでくるのかは知らんが」

しろいからなんだよ!!

そして話は飛んで、年も跨いだ頃、どうしても最後入院費が10万円足りない計算になった。

長男である夫が、俺が4万払うから、お前ら2人で3万ずつ折半して払ってくれないか?と頼んだ。

三男は嫁が払えない、というから申し訳ないが払わないと言う。

次男はその頃事業破産宣告間近とかなんだかで、三男に乗っかり払うのを渋った。

私は怒りに怒ったし、夫もここまでくると堪忍袋の尾が切れたのか、次男は俺が怒ったは逆らえないヤツだから、お前は三男をやれという。

こいつが全ての元凶だろ、と思い、義妹に電話をかけ、私たち長男夫婦は、同居してる身だから見舞いや着替えの交換、リハビリ見学介護認定も同伴して、あなた方より入院費も多めに払ったというのに、何故そんなにも金銭的なことへは手をださないのか、と。

すると

「あのですね、私たちは3000万のローンが残っていて、福祉に頼っていられる身でもなくて、子供もあと1人欲しいからカツカツなのに、その上3万なんて払ってられないです!あなたたち持ち家持ち土地でしょう?それ、あなたたちが自分お金で買ったものでもないでしょう?収入だって、今まで義母さんの分があったんでしょう?逆に、なのに何で私たちに払えって言うんです?!」

かに障害年金もらってますけど、年間80万くらいでして。一家の服は全員ユニクロでして。持ち家持ち土地とはいえ固定資産税がかからない程度の資産価値しかない場所にありましてね…?

もう何もかも言う気が失せ、わかりました、こちらで払いますので、と電話を切った。

直後に

お金のことばっかり言ってごめんなさい」

絵文字付きのLINEが飛んできたけど、払いますって文言は全くなかった。

結局、私たちが7万円負担して入院費を全部出し切り、その後祖母退院してきて、自宅介護生活が始まった。

そしてその数ヶ月後のお盆に、三男から何かの連絡で私に電話があり、その時、ついでのように

「ああ、娘が幼稚園入園たから、嫁が休みを取りづらくなったから、これからは俺だけで帰る時は帰省するわ」

と言い、あーもうホント交流絶たれたわーいやもういいわあそんなんと顔合わせたくもないし、とまた奥歯をギチギチ言わせた。

これを夫に話したらば、深いため息をついたあと、スマホを渡した。

そこには、Facebookで3万円を渡さなかった家族が、あの後の日付でアメリカディズニーランド幸せそうな笑顔ピースサインを出している写真

「お前に見せたら何するかわからんから黙ってたが、俺ら、ことごとく馬鹿にされてるよな」

と、いつもは冷静沈着ではあるものの穏やかな夫の目が、光の代わりに怒りで満たされていた。

2021-03-18

anond:20210318083923

俺は兄貴の部屋にあったのも呼んでたし居間にあったマンガ日本の歴史中国の歴史勝手に読んでた


自分で買う発想が出るまでは周りにある物を読むから環境作りって大事

東大学者の親は図鑑を揃える。

2021-03-14

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第10-12

anond:20210314001312

ネタバレ

10ボヘミア地方プリッツ庭園 実況

ゲーテ(歌)「ようこそボヘミアへ」

謎の女(歌)「ようこそボヘミアへ」*単純な輪唱でなく

!謎の女は通訳役だったの⁈天才すぎる上田先生。謎の女無駄に歌うまいなぁ。ふた言ほど通訳した後はハミングに切り替えて実際は通訳していることを表現しつつ、劇中のゲーテベートーヴェン普通に会話をする。

この発音自分が知ってる発音と違うー。

ゲーテ「ほんとうにあなたの歌うべきことを歌っていますか」「まだ見つけていない真実がある。そんな気がします」

実際はベタ褒めだったようだけど、なるほど。

有名なエピソードきました。劇中では皇帝皇后カール大公ドル大公メッテルニヒもいたけれど、史実で目にしたのは皇后マリア・ルドヴィカとその取り巻き

皇后史実では1807年に2番目の妻マリア・テレジアが亡くなって、1808年にマリア・ルドヴィカになっているけど、劇中では千風さんが通しで演じている。だからこそ配役の名前も「オーストリア皇后」でぼかしてるんだな。

謎の女「過激なことを言わないで」

ゲーテ「(ベートーヴェンがまだ拷問も投獄もされていないのは)ナポレオンのおかげだ」

青木やよひ氏の著書によると、ゲーテベートーヴェンを直接諌めるようなことはしていなかった。

ベートーヴェン「奴は、負けない」

ナポレオンを完全に否定しきれていないというのは、かげはらさんの記事と同じ。

ベートーヴェンあなたには、失望しました」

実際はその後和解してた模様。

1812、1814。

葬送行進曲は、若干不吉さを増すオリジナルパートが加えられているか

流刑地はセントヘレナ島百日天下は飛ばされてる。

10場まとめ

11場 実況

A ウィーン会議

百日天下飛ばされたけどウィーン会議きたなあ1814年、退団の煌羽さんがメッテルニヒだしな。

青木やよひ氏の著書では、ゲーテナポレオン後継者メッテルニヒ見出したとも言われるらしいが、イェナ大学監督官の職を固辞。それは事実上監視であることを察知したからでは、と書かれている。これや。

メッテルニヒ音楽はただ美しく、民衆を慰めよ」

あぁ、上田先生京大講義パンとサーカス」だ…。

ふむ、ベートーヴェンの2歳下。彼の窮状を救うようメッテルニヒに訴えたという話を見かけたからそれ絡みかなあとも思ったけど、単純に宮廷側。(なおサリエリ も、ベートーヴェンの《ウェリントンの戦い》1813の演奏会打楽器だかで出演という話もあったけど、単純に宮廷側の模様。)実際ロッシーニウィーン会議はいなかった、かな。ウィーンロッシーニ人気が吹き荒れるのはウィーン会議後か。

テレマン会議は踊る

されど進まず。

実際は何曲か作曲して大活躍だった模様。

監視社会。

史実ではゲーテはテプリッツの時点でベートーヴェンの耳のことを知っていたよう。

メッテルニヒ「彼らはただ腹を満たし、あたたかいベッドで眠りたい。そのためなら革命大義も唱え、それでも不満なら変節して皇帝を支持する。彼らにとっては、革命でも、皇帝でも、音楽でもいいのだ、楽になれたら。さあ曲を書きたまえ、国民が日々の憂さを忘れるような」

痛烈。

謎の女「イギリスへ行きましょうよ」

お?

ベートーヴェン「なぜお前が俺の心配をする?」

うん。家政婦と通訳するうちに情が湧いたのかな。

ベートーヴェン疫病神。失せろ!」

ああ、才能から疫病神に戻ってしまった。

ウィーン会議で《運命》か!

「ほんとうに、聞こえてないのか」

「彼は終わりですな」

映画『不滅の恋』ではピアノ協奏曲第5番が崩壊し、アンナマリー・エルデーディが助けるシーンがあるけど、曲がなんだったにせよこんなことあったのかな。

去っちゃうのー⁈最後まで援助してたルドル大公も。とことん追い込むやつね。

B 過去の幻影

夢白さん美しい。耳が聞こえない怖さを感じたシーンはこっちだったかな。

11場まとめ

12ブロイニング家の居間 実況

おう、帰るんか。ほんとは一回も帰ってないらしいけど。

3拍子かと思ったら4拍子。オリジナルか。

  • レオノーレお産で死亡

おおーー、うーん、これもとことんベートーヴェンを追い込む設定か。実際はベートーヴェンより後に亡くなってる。じゃあさっきベートーヴェンに話しかけたエレオノーレは過去の幻影というよりも天国に行く前だったか

さな炎の健気さ、好き。

プリッツから戻った1812年の秋から6年ほど、"傑作の森"期を抜けたベートーヴェンはまた孤独期に入る。《ウェリントンの戦い》やウィーン会議での成功も彼にとってはなんでもなかった模様。交響曲については1812年7番、8番ときて、次の9番1824年完成までは10年以上開く。

不滅の恋人Aとの破局ナポレオン失脚、急激に悪化する耳(1812年時点ではまだ道具に頼らずとも会話ができていた)、パトロンたちが亡くなり経済的に困窮。甥カール親権問題なども。これが劇中では、ナポレオン失脚は同じとして、ゲーテとの決別、難聴を暴かれ演奏会で失敗、ルドル大公も去り(パトロンがいなくなるという点では一致)、そしてロールヘンの死(不滅の恋人との破局にあたるか)、になってる。

12場まとめ

最後の(最初の?)よりどころであった救済の記憶大事な人も失う。

父に母との仲を取り持つように頼まれたが無理だと断った話

これでおそらく私の育った実家はめちゃくちゃになるのだろうなと予想している。

 

母は敵がなければ生きていけない人だった。

母の幼い頃は、それは妹である私の伯母だったという。二つ年上の伯母は母とは折り合いが悪い。私が見ていても顔を合わせるたびによそよそしさがあったし、ごく最近あった親戚の葬式で同じ場所にいたときほとんど顔も合わせず会話もしなかった。

叔母は要領が良いため、母は自分が使われているように思えたのだろう。

 

私が小学校低学年の頃は、母の敵は私だった。

ちょっとしたことで怒られて家の外に出された。

うちは東北の雪深い地方だ。寝ずに外で反省していろと言われ、ダウンジャケット一枚で外に出て立たされた。アパートの他の階の人たちが憐れむような目を向けてきていた。翌朝は足の爪の色がおかしくなった。

かになにか言われたのかベランダに出されるようになった。寒さで足踏みをするとうるさいといわれた。

 

私が小学生高学年の頃は、母の敵は同じアパートの上の階の人だった。

洗濯機の水を溢れさせて我が家にこぼしたその人を、母は何度も責め立てた。傍から見ていてどちらが被害者でどちらが加害者かわからないほどに責め立てていた。我が家アパートの二階で、母の声は大きい。そのため母が玄関先でその人を責め立てるたびに上の階へ行く人が気まずそうに階段を昇っていくのを見ていた。

とはいえ、その人は二回洗濯機の水を溢れさせた。しかも初回の一ヶ月後だった。

 

私が中学生になった頃は、母の敵はまた私に移った。

理由は何だったのか覚えていないが母は私を無視し始めた。

なにか話しかけても無視される。食事は出してもらったし洗濯もしてもらった、ごく一般の家庭である世話はしてもらったが、会話だけは完全に無視された。何を話しかけても無視された。そのくせ授業参観の提出物などを出さずにいれば独り言の体をとりながら文句を言われた。しか文句いくらこちらが否定理由を口にしても無視された。一方的文句を言い、気が済んだら母は自室のドアを閉めた。

 

そして私が大学生になった頃から今まで、母の敵は父だ。

何が原因だったのかは知らないが、母は父を無視し始めた。具体的な内容は、私に行った会話無視食事を作らない、洗濯をしないなど一切の父に関するあれこれをしなくなった。父は自分シャツアイロンを掛け、食事を作り、洗濯をするようになった。

母は父がいる部屋に立ち入らない。父が居間にいるとき自分は不機嫌ですよと伝えるように勢いよく自室のドアを閉め、なかでわざとらしくこちらに聞こえるように邪魔者がいると言う。他人不快感を持たせたいのだろう。

 

こんな母との仲を取り持つように父にいわれた。

父は、私が大学生になって二年目ぐらいで単身赴任をしていた。それが3月定年退職となり、実家に帰ってくる。今までは単身赴任からこの程度で済んでいたし父がなるべく母を怒らせないようにしていたし長時間いなかったからなんとかなったが、実家に戻ってくれば今度こそ真正から激突するのは間違いないだろう。

 

正直に言って、無理だと思う。

母親性格上誰か敵がいないと生きていけない。この先も新たな敵が現れない限り、父が敵と認定され続けるだろう。

しかし、私が見ていて母は一体誰の稼ぎで暮らしているつもりなのだろうと思う。こういう言い方はいろんな箇所から怒られそうだが母は養われている立場だ。私の記憶にある限り四半世紀専業主婦をしてきた。最近では自分趣味活動費を稼ぐためにパートをしているが、少なくとも四半世紀はただの専業主婦だ。

ネットの言説を受けて専業主婦給料をもらうべきものすごい金額分を働いていると言っているが、母は高卒専業主婦である

物事に順番がつけられず、私が夕食を完成させるのと母が回していた洗濯機が止まるのが同時だった場合洗濯を干すのを優先して「人のために働いていたら夕食が冷めていた」と恨みがましく言う人である。だったら洗濯物後に回せよ、そのなかみシーツと枕カバーじゃねえか。朝までに乾かなきゃならないものですらないだろ。しかも飯食うの早いから後回しにしても全然濡れたままだろ。ていうかそのぐらいなら全然良いんだけど、掃除機かけるのが忙しいから飯はあとにした、冷めてるって言われたときは流石にムカついた。掃除機こそあとでもいいだろ。今住んでるの一軒家だし時間まだ19時代だが?

基本的にごめんなさいが言えず、外面はある程度良いらしいが、私の弟とは年に一度程度つかみ合いの喧嘩を起こす母である。弟は部活サッカーしてる身長180overなんだがお前は自分の体格を理解してるのか?

離婚するなら自分慰謝料をもらうほうだと豪語する母である伝説92ほどじゃないがどう考えても夫婦生活破綻させてるのはお前なのに慰謝料をもらうと言い張っている。

こんな人が反省するのは無理だし、仲を取り持つの不可能だろうし、性格が今更矯正されることもないだろう。

 

私は確実に実家のなかがひどい具合になるのが想定できていたので半年前に実家を出ている。こんな私に言わないでほしい。

一年から父にはもっと母と話をしろと言ったが母が父を無視している状況のため話し合いはできず、その実家の状況と一年後の状況を想像した私は体調を崩し、体重が約10キロ落ち、このままだと確実に精神と肉体両方を壊すと思い実家を出た。この状況下でも転職先が見つかったのが僥倖だった。

ついでにいうなら涙が止まらなくなる・食事に興味を持てなくなる・趣味が一切楽しめなくなると典型的な鬱の症状が出ている私に、母との橋渡しを頼み、母の住民票を撮ってきてくれと頼むのが父である。私は仕事してるんだが。どうやって区役所に行けっていうんだ? 昼休みに行ける距離じゃないんだが?

そもそも実家を出ている私がどうやって取り持つんだ。

 

せめてまだ実家にいる弟に言ってほしいが、弟は弟で親のどちらとも口をきかない。父の入った後の風呂には入りたがらず、父と一緒に洗濯物を洗わないでほしいという思春期女子中学生のような可愛い可愛いである。私とは年が離れているため目に入れても痛くないし、弟が実家にいたくないというなら私も手取り18万だが弟をこっちに呼び寄せてもいいと思っているぐらいに可愛い可愛いである

とはいえ、この家のなかで母と一番気性が似ているのも弟だ。母とつかみ合いの喧嘩を起こすぐらいにぶつかったら面倒になる。仲を取り持つどころではなくなるだろう。

弟は母と気性が似ていながらもそれを抑え込む術を理解しているので基本的に親とは口を利かないのだ。賢い。家の中でどうすればつかみ合い殴り合い怒鳴り合いの無駄なやりあいをしないか理解している。忍耐力もある。可愛い

  

正直もう実家に関わりたくないんだが、でも親が熟年離婚して実家がなくなるのも嫌なんだよな。これは完全に自己中心的な考えだけど帰る場所ってあってほしいというか、うまく説明できないんだけど実家存在しててほしいし、もし離婚された場合建物がどうなるのかとかそこらへんの面倒くさいのに絶対私が呼ばれる。面倒なので上辺だけでもいいからなんとか暮らして欲しさがある。

父はどうせだったら定年退職後の再雇用単身赴任をするつもりだったらしいが金銭的に無理だろうと諭したのが私なので一応責任はあるといえばある。精神の安定か、金銭的な安定か、そのどちらかを天秤にかけさせて金銭の安定をとらせたわけだ、私が。

つーか金はあるんだよなあ、年収1000万ってなんだよ。私が一人暮らしになるとき保証人である父親年収欠かされたんだけど1000万ってなに? 私はその1/3以下なんだけど? それ知ってたら貯蓄もあるんだから単身赴任でもなんでもしてろって言ったかもしれないけど、それにしたって問題先送りしてるだけなんだよな。

 

母親性格が悪い悪いと言っていたが、父も良いわけではない。上記に書いたとおりの私が小学生の頃や中学生の頃に無視されたり何だりあった頃は、父は私を家にいれてくれるわけでもなかったし、母に喋るように働きかけてくれるわけでもなかった。事なかれ主義なのだ

から私が見捨てても問題ないと言えば何も問題ないんだけど、どうしたらいいんだろうな。

 

かいてみたら少しは頭が整理できるかと思ったが、やっぱ無理だわ。

幼い頃に母から受けたのは教育のためとはいえ虐待だと思っているし、その時に助けてくれなかった父親も恨んでないといえば嘘になる、でも実家は残ってほしい、なんで残ってほしいのか言われてもうまく説明できないかダメなのでここもうちょっと自分でしっかりと掘り起こしたほうがいいんだろうけど、とにかく嫌なんだ。おそらくも間違いなくも自己中心的理由から自分で見つめ直したくなくて逃げてるだけなんだろう。

だとしても仲をとりもちたくないし、でも離婚はしてほしくねーわ。

親のことは親で決めろっていいたいんだけど母親があの調子父親の話全然訊かないままならそれもどうにもならねーし、もうどうしたらいいんだよ。

一回は無理だって断ったんだけど、きっとこのあとまた言われるんだろうな。平然と私に頼んでくる父親性格上そうなると思う。いやだな。

2021-03-11

親の言葉という呪縛から逃れるにはどうしたらいい?

私は結婚するまで、父にモラハラを受けていた気がする。

気がするのは、それはモラハラだと断言されても、そうなのだろうか?と自信がないから。

高校生の時、元々両親が不仲なのが更に激化して、余波を受けて私まで体調不良に陥り、頭痛胃痛、目まいなどで学校を休むと

気合いが足りないんだ」

検査で何の異常もないと判明すると

「そらみろ、お前は病気じゃない、病気になりたがってるんだ」

と勝ち誇ったように言われた。

それでもしんどいものしんどいので、苦しかったり、食欲がなくて食事を残すと

世界で一番自分が苦しいと思いやがって!」

と殴られた。

そんな中でも大学合格し、第一志望は実家通いには遠すぎる距離だし、もうこんな家出て行きたいという気持ちが大きかったか一人暮らしをしたいとダメ元で聞いてみると

「お前みたいな意思の弱いが一人暮らしをしたら、男に公衆便所扱いされて、毎日のように別の男にやられるからな」

と言われて、説得は無理だな、と第二志望の自宅から通える距離にした。

その頃に学校パソコン室や、後に携帯電話2ちゃんねるを読むのに没頭するようになった。

話題とか内容はあまり関係なくて、たとえばスレの中に異質というか、皆が賛成する流れの中に反論して、ボコボコにされるレスを見て

人間なんて何を考えているのか分からない。お前に優しくしてくれる奴は甘やかしているだけの、お前に無益人間だ」

というのを思い出して、これが真の、本当に剥き出しになった人間の姿で、私はこの中では叩かれて滑稽に見える側なのだ、ということで安心するのだ。

そんな日々が大学生の間中続き、当然友達も一人もできないまま卒業し、何となく就活して内定をもらった小さな会社に入った。

そこは何らかの過去がある人が多くて、任侠から足を洗って、という方もいたけど、先輩や上司はとても優しくて、家にいるより会社にいる時の方が気楽で楽しかったし、仕事自分に向きだったから、褒められることも多かった。

そんな私の態度を察して、父は今度は

「お前は職場に恵まれたと思った方がいい、他の場所では能無しになって笑われるのが目に見えてるからだ。そこになるべく長くい続けろ、それしか生きる道はない」

と言ったが、当時の私の気持ちとしてはそんなことはもう分かりきっていて、ここまで社会的に弱くてスキルもない私にはしがみついてでもここにいるしかないと、とうの昔に思っていたことだった。

淡々と、時々は父の言葉に揺さぶられながらもその会社に勤めて、良く来る取引先の若い男性と付き合うようになり、結婚することになった。

結婚のご挨拶がしたい、と彼が言うので、あの父親結婚の報告などしたらたまったものではない、と思ったが、しないならしないでまた何か言われるのもなと思い承知した。

最寄り駅で待ち合わせ私の自宅まで行く道すがら、私が震えて顔が青ざめているのを見て、彼が

大丈夫だよ、君をくださいとか言わないって。結婚しますって言うだけだから

と励ましてくれたが、暗い未来しか見えない。

玄関を開け、母が2人でいることにギョッとして、でも居間には通してくれた。

母は、父に日常的にもっとひどい言葉を言われて、誰とも会話をしない人だった。

そして私の両親と我々で対座して、彼が、娘さんとお付き合いをしていて、今度結婚しようと思っています。と言うや否や父が私の頬を思い切り平手打ちして

「楽しそうに会社に行っていたのはこういうことか!この売女!!」

と仁王立ちになり、私の胸ぐらを掴むのでブラウスが破けた。

彼がそこに割って入り、私の手を取って玄関に走って家を後にした。

行ったことはないが彼の家に行くしかなく、途中で破けた服を買い替え、とりあえずは一緒に住もうと言われた。

そこから一緒に住むための色々なことを二人でして、最近入籍をした。式はしないことになった。

ただ最近問題がでてきた。たとえば食器洗いをしている時に、洗いあげたものにまだ汚れが残っていたり、冷蔵庫の中でいたませてしまった野菜を見つけると、父の声が聞こえてきて、どうしたらいいのかわからないとか、そういうことだ。

あとは、休みの日にすることがなくてぼんやりしたり、夫がお菓子お茶を一緒に持ってきてくれると、嬉しさではなく、いたたまれなさを感じてしまう。私はそんなことをされるべき人間ではないのにと。

昨日も、私が休みの日で、真っ暗な中でぼーっとしていたら、夫が帰ってきて、とても不思議な顔をして

「何でいつも暗くなってもあかりをつけないの?」

という、素朴な疑問だとはわかっているのに、恐怖で慌ててあかりをつけた。

この陽の当たるところに住んでいた夫は、泥の川を見ろと言われ続けて俯くしかしていない私のどこが好きで結婚したんだろう?いつ見捨てるんだろう?

2021-03-10

DNA鑑定、しとけばよかった

初めての子出産してすぐ夫が事故死した。享年31。悲しかった。産まれたのは娘だったけど夫の面影はあまりない。性格はたまに似てるんだけど。娘はやっと6歳になったけど、最近むしょうに寂しくてDNA鑑定とかしとけばよかったと思った。

死んでしまうと戸籍は除籍されるし住民票からも消されるし、電気やガス、何を契約しても夫の名を書くことは無くなる。それが寂しくて。「夫の名前が載っている公的機関が残してくれた明るい証明書」みたいのが欲しかったなと思った。死亡診断書だけなのは悲しいなって。

夫がいきなりこの世から消えたのがかなりショックだったのか、結婚して今まで夫と一緒に生活してたなんてことも全て夢じゃないかと思った。子供もいるのにね。この子も本当に夫の子かなって、不倫してないし確実にそうなんだけど、何か全てに現実感がないんだ。


「出生児〇〇は、99%以上の確率で夫〇〇と妻〇〇の子である。」みたいなことが書いてあって可愛い赤ちゃん写真が貼ってある、居間にも飾れそうなフォトフレームみたいなの需要いかな。もう何を言っても遅いんだけど。誰か作ってくれないかな。私が知らないだけで、どこかにあるのかもしれないね

2021-03-05

にじゅうねんぶり!くらいに、ヘッドフォンを使った(買った)。

いい。。。

かい音までよく聴こえる。いままでは埋もれて聴き逃してたアレンジセリフ発言がわかって、嬉しい。。。

(近くに居る人に気を遣わずに聴けるのもいい)

・・・調子にのって作業用BGM集やop集やラジオ神回梯子して聴いてたら、いつの間にか居間に独り遺されてた。

2021-03-04

地面や床に荷物を置くのをやめて欲しい(ルンバ目線

私は別に完璧主義ではないけれど、本当にやめて欲しい。シンプル邪魔

まず地面はペットの毛やら誰かの毛とか目に見える形でも既に汚い。第一普通に考えて何もしなくても勝手ホコリは積もっていくわけで。

最近の部屋や家具ルンバのことも考えた配置になってることは多いけれど、それでも誰かがこぼした食べカスとかを意図せずにまき散らす事はある。

そのゴミ荷物の下とか、壁との隙間に入るじゃん。汚くない?

週末の居間とか寝室はホコリと毛でひどいことになっているのになんの抵抗もなくリュックを置ける人の神経がわからない。ほんとか嘘かは知らないけどスプーン1杯のホコリにはダニが500匹いるらしい。じゃあリュックの下にだっていっぱいいるじゃん、リュックの後ろダニだらけじゃん。床にはダニ以外の虫もいっぱいいるわけだし。

そういうどこでもカバンを置いちゃう人て、フローリングの上とかにも房のついたラグとかを敷く。特に学生。そういう人は多分何も考えてないのだと思う。ブラシに巻き込むこととか考えずにいろんなところに邪魔ラグを敷く。フローリングは硬くて冷たいもんね。確かにラグだけでもオシャレにして個性を出したいなどの理由があるのはわかる。でもそれなら余計な飾りがないとか乗り越えやすい厚みのラグがあるんだからそれを敷いて欲しい。

同じ理由スーパーとかで籠を床に置いちゃう人。自分同業者ポリッシャーなんかから見ると業務妨害だろうによく床におけるな、と思う。もう見るから邪魔場所に置いてる人もいる。重くて持っているのが辛いならカートを使えばいい。そういう人見ると、すごい偏見なのは承知でお掃除ロボへの思いやりがないのかな、その意識ブラーバ買おうとしてるの…?と思ってしまう。カゴなんて重ねておいておかないと障害物でしかないじゃん。お掃除ロボの進みやすさなんて考えてないんだろうな…

学校で「床から1cmの高さはもう壁と同じ」だって習った。だから私は正直部屋を見た時に沓摺りが1cmもあったら引いちゃう。そこに自分バンパーやブラシとかアタックさせたくないし。バーチャルウォールがない状況下では仕方ないから進もうとするけど、見るからに乗り越えられない高さなセンサーで察知して避けさせてもらう。買い物の袋とかをどうしても、どうしても床に置かなければならない状況になった場合は紐状のものとかはみ出てないかチェックして巻き込み事故が起きないようにしてほしい。絶対倒れて中身が床にぶちまけられないようにしてほしい。

コロナになってからルンバナイズについて考える人が増えたし、いろんなお掃除ロボが今まで以上に清掃をしてくれている。みんなこまめなブラシメンテナンスをする様にもなった。

まぁ、邪魔なのは掃除ロボじゃなくても同じ、人間掃除機でやっても同じくらい邪魔、と言われてしまったらそこまでではある。部屋の中モノだらけだし、完全ミニマリストなんて日常生活じゃ不可能だし。人間だって寝転がってりゃ障害物だし、ネコだって邪魔だしなんなら上に乗るし。この考えは一個人意見しかない訳だから気にしすぎても仕方がないのもわかっている。でも邪魔からってルンバナイズをあきらめていい理由にはならないと思う。

床に邪魔荷物を置くことで、せっかく高い金出したお掃除ロボが仕事できない現状は、みんなの「(例えコロナひきこもりだったとしても)掃除しよう」という努力を無碍にしているな、と思う。

anond:20210303214900

2021-02-28

anond:20210227183402

https://togetter.com/li/1473872

これ思い出したわ 夫婦別姓を選ぶほど姓にこだわっている家庭の姓に関する約束なんてマタニティハイであっさり吹き飛ぶだろうね

2021-02-20

anond:20210219194916

母方のいとこの家にあそびにいったら暮しの手帖居間にずらーーーーーっとならんでてうらやましかった

父方のいとこの家にあそびにいったらグイン・サーガが押入れにずらry

そんな私もいまでは自炊

ウィーンちゃんうぃーんがちゃん

けっこう大変だけどね

anond:20210218230048

うちには子どもがいないんだけど、私の趣味で、児童文学を読むことがたまにある。

壁井ユカコの「五龍世界(ウーロンワールド)」という中華ファンタジー作品(ポプラ文庫ピュアフル)に、遊郭が出てくる。

ざっくり書くと『籠に囚われた女性が芸を売り、夜には嬌声をあげる場所』と言った表現がしてあったと思う。

今、本が手元にないので記憶を頼りに書いている。

他にも、小学校図書室にありそうな本に、遊郭が出てくるものがあれば、親御さんたちがお子さんに説明するとき参考になるかもしれませんね。

もしくはすでに本を読んで知っているかも。

ちなみに自分子どもの頃、親が居間で見ていた「吉原炎上」の、花魁自殺するシーンを見て、遊郭=女にとっての地獄 なのだなあと学習した。

2021-02-10

今日はもう明日起き上がれなくてもいいから出来る限り頑張ってみる

鬱々といろんなことができなくなっててまずいんだけど、駄目すぎて病院にいくのもしんどい申し訳なく躊躇われる。

先生に診察を受けてる後ろを看護師人達がちらちら通るが、皆お前みたいなやつが来るとか迷惑なんだよなと思ってるとしか思えない。受付の人にもきっと嫌がられてる。待合室の患者の人たちの中にもちらちら見られたりする。

今は受診が増えているかもだし、日常を這うようにしていて病院に通う自体時間エネルギーもやりくりが厳しい。病院にいったあと一週間は落ち込んで日常がしんどくて家が荒れることを考えるとつらい。通院してたけどそれの積み重ねでしんどくてしんどくて逃亡の繰り返しでどうしようもない

なんとか洗濯して、なんとか干して(出来ないときが増えてきた)、なんとか取り入れて(同上)、なんとかしまう(できないときのほうが多い)。嫌々ながらなんとか買い物をして、休み休み雑にしまう。(しまえない時が増えてる)

どうにかして皿を洗い(ためがち)、なんとか食事を作り(惣菜が好きでない)、家族にどうにか少しは頑張って頑張って食べるようにすすめては結局かなり捨てる。

ゴミ捨てはゴミを捨てにいくのがつらい。早くに捨てにいくのも遅く行くのも見張られてる気がしてつらい。そもそも玄関ドアから出入りするのからして消耗する。

ぎりぎりの時間だと人がいるのがつらい。鉢合わせると長時間落ち込んでつらい。

風呂は湯船は洗ってないと気持ち悪くて入れないのにやっとこさ決意して夜遅くに湯をはる直前に洗う(そのせいでゆっくり入れないし風呂を諦め臭い頭で最悪の気分が亢進し翌日をますますダメにすることも珍しくない)。

部屋掃除掃除機だけはなんとか週3回くらい、居間台所寝室廊下だけかけてる。片付け辛いのに片付けするの自分だけでつらい。つらくて手助け頼んだらますます辛くなって茫然としたからまたあんなつらいのたえられないからなんとか身動きするところだけなんとか。どうしようもない駄目すぎる  

だけど今日今日夜には消えてなくなれると思って頑張ってみようと思う。

 

ゴミ出し(遅いかダメかも)

洗濯

布団を上げて掃除

早い時間風呂掃除

早い時間に皿洗い

銀行にいく

買い物する

電話用事を三件済ませる 

夕食を夕方までに作っておく 

積み上がったものをなんとか分ける 

居間段ボールゴミをまとめる

明日ゴミ出しを今日の夜風呂前にする  

 

つらい 

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