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2017-10-16

布団が丁寧に畳まれていて清々しい気持ちになった。自分親族はこういう丁寧さを持つ人だ。

と思った矢先クソ亭主がアニメ観つつ居間に寝転んでたら誰だって殺意沸くでしょ。それも分からないオタクばっかなんだな。

2017-09-25

猫が好き

だけど、飼うことはできない。

・嫁が猫アレルギー

旅行に出かける時は預けなければならない

・家がボロボロになる(爪とぎ)

・家がめちゃくちゃになる(収納していないもの責任自分に有るが)

・衣類(洗濯物)に猫の毛が付着する

・猫臭、猫のトイレ臭が家の中に滞る

・猫の医療費、食費が嵩む

ま、最後医療費、食費は何とかなるとしても、それ以外でどうにかなるとしたら

かたずけをしっかりしておく事だろうか。

義理の兄は、姉が猫を欲した時に、居間廊下階段の壁のほぼ全てを、

から1mほどの高さまで板を打ち付けて、爪とぎ対策をしていた。

襖なんかはどうなっていたかからない(たぶん引っかかれていたと思うが、俺が訪ねる時はいつも仕舞われていた)。

俺はそんな事はしたくないし、めんどくさくてできない。

多頭飼いしている人を知っているが、全ての衣類に毛が付着しているし、臭いが凄い。

バスタオルや毛布なんて、その家でシャワーを浴びたいと思わないし、寝泊りしたくないほど。

ま、一番最初の項目で、飼えないんだからあれこれ考えてもしょうがいね

こんな事を考えてるだけで、猫を飼う資格が無いのかもしれない。

2017-09-20

anond:20170920062717

夜中に目が覚めた後、「寝てなんかやらないぞ!」モード突入され、「やれるもんならやってみろ」モード突入した自分居間で娘を遊ばせながらうとうとしていたことがあったけれど、そういうやつなんだろうか。

2017-09-16

父を愛することが出来ない

 父は貧しい個人商店長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。

 専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。

 理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。


 子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である

 私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。

 その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。

 子供にも音楽やらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。

 そう、理解はしている。理解はしているのだが。


 家族食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である

 テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。

 そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらオヤジギャグ飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。

 そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である

 体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピング無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。

 酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。

 私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動アルバイトで、なかなか帰って来なくなった。

 父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。

「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」

 何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間宿題をやった。


 父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能けが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。

 立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう

 きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。

 分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分失望する。


 食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。

 だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。

 父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。

 そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払い視覚インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らし正気を保っていられるのだろう。

 こんなことは誰にも言えないから、ここに書く。

 私には、父を愛することが出来ない。

2017-09-08

母が喫煙していることを知らないふりを26年続けている。

実家風呂場がヤニ臭くてどうしようか困っている。

 

父方の祖父母が古い感覚の人で、

「女がタバコ」なんて絶対に無理な人だったからだろう。

 

あと父方は結構資産家で、

母親はニシナ出身というだけで結婚時にいろいろ傷つくことがあったらしく、

ういういざこざになるような種は隠しておきたかったんだと思う。

 

幼い私が「お母さんはタバコを吸っている」とポロッと言うのを避けるためか、

あるいは父親にも隠しているのか、

とにかく母親家族に隠れて風呂場でタバコを吸っていた。

父親と妹がそれを知っているのかは知らないけど、

私は幼稚園の頃に偶然タバコの入ったポーチを見つけて知った。

 

母親が隠したいなら……と思って、誰にも言わずに26年間生きてきた。

でも、実家を出て気づいたことだけど、

 

実家風呂場がヤニのせいでずいぶんと傷んでいる。

 

毎日暮らして使っていると気づかないものだけど、

相当ヤニ臭い

 

住み始めて30年経って、汚れやニオイ度が増す速度が加速したことも関係していると思うけど。

 

家を出て4年も経つと、もう実家香りも相当自分とは離れてしまっていて、

帰って風呂に入るたびに、「クセえし黒い。お風呂タイムが辛い」と思う。

そりゃそうだろうな。換気扇があるといっても……という感じ。

(ちなみに父親普通に居間タバコを吸っている)

 

でも、それを母親に指摘していいものなのかが考えさせられる。

26年ずっと言わなかったのは、「母親私たちにそれを隠したいなら」と思ったからだ。

正直、「もう、祖父母も死んだし私たちも成人したし堂々と吸ったら?」と言いたいけれど、

言っていいものなのかどうか悩んでいる。

2017-08-26

嫁が時計を置きすぎる

気がついたら家の中が時計だらけになっていたので数えてみた。

まず玄関に2つ。家に入った瞬間目に入る位置に掛け時計がある。次に靴を脱ぐ時に目に入る位置。これは外出時用だろうか。

廊下にも掛け時計がある。これは必要なのか?トイレは手洗い場と男女別に1つずつ。

脱衣所にも当然ある。風呂にも防水の物が2つ。これは座る所と風呂に浸かっている時に目に入る所に配置されている。

居間東西南北に掛け時計さらソファの側には置き時計。俺はここをくつろぎの場だと考えていたが、とにかく時計が目に入って嫌になる。

台所と食堂にも東西南北の掛け時計。台所の窓にも置き時計があった。

寝室は目覚まし時計が2つと掛け時計が2つ。

自室と子供部屋は除いても合計23個。これにレコーダー等のデジタル時計も足すとさらに増える。

時間ルーズなのよりは良いんだけど、ここまで時間を気にすると疲れないのかなと思う。

2017-08-22

テレビってもうシステムコンテンツ局面不要だよな

今時さあ、放送ってシステムって言うまでもなく時代遅れじゃん。

見たい番組が仮にあって、その放送時間自分テレビの前にいるなんて、もうありえないし、いちいち録画してまで見るなんて本当昭和産物だと思う。

うちの家族は誰もテレビを見ないか居間はガランとしているよ。

ここまではもう既に既成概念化すらされていると思うんだけど、システムに加えてコンテンツの内容も最近やばいよね。

インターネットネタを流用したり、スポンサー都合で報道規制があったり、視聴者視聴者主観にそぐわなきゃ即苦情。

火病って韓国人特有だと思ったら日本人もがっつり感染されてんじゃねーか。

このシステムコンテンツの両局面が壊滅的に加え、モンスター火病視聴者による制約が加わってもはや息してないと思うんだけど。

2030年くらいまでにテレビってもの存在がこの世からなくなるってことはないのかな?

別に誰も困らないよね。

2017-08-02

家族と会わないようになってから5年以上の月日がすぎた。

  

元々仲が悪いわけではなかった、仲の良い家族ではなかったが、最初は連絡をとりあっていた。

しかし家を出て少しずつ世間のことを知るにつれ、自分の家は何かおかしかったのではないか、それが気になりはじめると家族と接することが苦痛になり、帰省しても家族とはほとんど何も会話をしなくなっていた。帰省している間の一週間が苦痛でたまらず、それからは一度も帰省はしていない。顔もみていない。

  

日頃耳にはいるような、酷い暴力精神的な攻撃があったわけではない。

ご飯はたべさせてくれたし、学校にもいかせてくれたし、倫理的に何か問題があるわけじゃなかった。漫画を買うこともアニメをみることも許されていた。

しかし両親は私が中学生のころから毎日ケンカをしていた。

父親仕事から帰宅すれば瓶ビールを飲みながら野球を観る。嫌いなチームが勝っていると機嫌がわるくなり家族に当たった。そして母も不機嫌になり喧嘩をした。

毎日そんな漢字だったし、子供テレビをみたいといっても、バラエティ歌番組の類は、アホらしい、馬鹿らしいといってすぐにチャンネルを変えられ、見せてはもらえなかった。自室でテレビをみることやゲームをすることは許されていた(そういうところは子供に甘かったとおもう)ので、自室にこもって姉妹と遊んでいると、「なんで居間におらんのじゃ」と不機嫌になって怒鳴り散らした。

母は母で、そんな父親馬鹿にしていた。よく父親がいない時間に、私達子供に向けて、父親や父方の祖父母の愚痴をいっていた。その頃は母親の言うことが正しいと思い込んでいたので、ますます父親へ対する反感は強くなり、私は喋らなくなった。

しかし母は子供のこと馬鹿にしていた。

真面目に話をしようとしても、勝手に話の内容を想像して先回りしてゲラゲラと笑った。そのうちそれが嫌になって母に対して真面目に話をすることをやめた。(後日親戚から聞いた話だが、どうしてあの子帰省しても何も喋ってくれないの、と泣いていたらしい)

そんな感じだったから、父母は別々の部屋でねていたし、夫婦同じ寝室で寝るなんてドラマの中だけのことだとおもっていた。

友達の家へいくと、喧嘩をせず、まともに会話をして、子供の話も最後までちゃんときいてくれるお父さんお母さんが羨ましかった。

  

そんな思いは子供の頃からあったのに、家を出るまでは気づいていなかった。

中学生の頃、学校へいきたくない辛い時期があったが、そういうことは許されない考え方だったので父親から殴られた。母親からも叩かれた。

偶然平日休みだった父親は、母親が不在の内に私をビニールロープで後ろ手に縛った。床に転がして身動きできないようにした。母親が帰ってくる前に切ってくれたが、今思えば多分いかがわしいビデオかなにかに影響されて、一度やってみたかったんじゃないだろうか。(小学生の頃、私と姉妹と一緒に寝ている部屋で父親いかがわしいビデオをみていたことも思い出した、途中で起きて私が気づいてしまったが寝たフリをして必死に気づかないフリをした、そっち方面での父親に対する嫌な思い出はたくさんある)

縛られた話を何の気なしに友人に話したら驚かれ、そうしてはじめて、うちは普通じゃないのかもしれないと思い始めた。

そうやって考えるから嫌な思い出ばかり思い出してしまうのかもしれない。いい思い出だってたくさんあったはずだ、私が不機嫌にずっとだまって話さなかったせいで、両親は仲が悪くなってしまったんだろう、そういうこともわかっている。

  

ここ数年間は親から電話がかかってきても出ないようにした、毎年送っていたお中元お歳暮も送らなくなった。ただ、ずっと実家にのこっている姉妹だけはLINEで連絡を続けていた。

しかしその姉妹視野が非常にせまく、冗談の通じない性格で話すのがだんだんつらくなっていた。そのうち既読して放置するようになり、ある日「お前って都合のいいときだけ家族を利用している冷たい人間だよな」と怒りのLINEがきた。そう思うんだったらそれでいいよ、と返した。

それきり一年近く、家族とは連絡をとっていない。

  

ただどうしても、保証人や緊急連絡先では家族登録しなくてはならなくなる。先日親しい友人の名前かいておいたら、やはりここは家族でないと…と訂正をさせられた(それはそうだ)

今は結婚を考えている相手がいて、近々そちらの御両親に挨拶しにいくつもり。

しかしそうなると、私の両親にも挨拶を…となるだろう。それをどうしたらいいか悩んでいる、彼は事情をしっているが、彼のご家族は納得されないだろう。しかし親には会いたくない、そのためにお金もかけたくない、でも世間的にちゃんと話はするべきだ、でも……と、そういうことをずっと考えていたら、突然ふと書きたくなったのでここへきた。

どうしてこんなに世の中はめんどくさいのだろう。

  

思うままに書いた。まとまりもなく、終わりも唐突文章だが書捨てたい。

2017-07-18

シャトルシェフカレーを煮込んでいる

まずフライパン手羽元を焼く。その間に玉ねぎにんにくショウガをみじん切りにする。

手羽元に焼き色が付いたら取り出して、出た油で玉ねぎと薬味を炒める。まず強火で5分。火を弱めてもう10分。台所めっちゃ暑いけどがまん。

ねぎたぬき色になったらトマト缶とカレー粉を投入。ペースト状になったらここでシャトルシェフの登場。カレーペースト手羽元と水と塩とローリエを投入。おまけにレンズ豆を少々。中火で10分煮込んだら、外鍋に入れて4~5時間放置。今ここ。さっきまで暑かった分、冷房の聞いた居間仕事しながら出来るのを待ってる。

あー早く食べたい。まだかな。まだかな。

2017-06-29

猫ってノミ繁殖するとノイローゼみたいになるんだな

俺になついて、うざいくらいまとわりついてたのに、あんまり寄り付かなくなった。

なぜか台所で飯を食ってるときだけ膝にのってくるけど、それ以外はよりつかない。

家具の隙間とかテレビの裏でじっとしてるようになったけど、それもなくなって、居間や寝室には入らなくって、台所か玄関しかいなくなった。

抱いて寝室に連れて行っても走って逃げる。

仕事から帰ると、玄関ゴロゴロしてお腹を見せて可愛さアピールしてたけど、お迎えもなくなった。

朝は明るくなるとベッドに起こしにきてたけど、それもなくなった。

すごく体を痒がってたから、日曜にノミの薬をつけた。

今朝起きてベッドの上であぐらをかいてぼーっとしてたら、猫が駆け寄ってきて膝に乗ってきたわ。

2017-06-27

[]2017/06/26

家についたのが22時過ぎ

風呂はいってメシおわったのが22:45

それからネットして23時半くらい

そこからグラビティデイズ2はじめてクロウクリア

箱舟防衛はキレそうになってぐぐったら難易度かえられるとしってイージーにしたらクリアできた

なんかキトゥンよりもクロウ操作しづらいわ・・・

重力キックホーミング性能も低くて、まっすぐむかってたのに敵がちょろっと動いただけでスカるし

なんとかクリアできてよかた・・・

クリア後に1を起動しなおすとカメラが荒ぶらないし、すごくスピーディーに移動できて驚いた

やっぱり操作性すげー悪化してるわ2・・・

それから2時半くらいになって次何しようかなと思ってバイオ居間からやるのはストレスまりそうだなと思ってホライゾンをはじめてみた

すげーグラフィックれい

その反動PS4がめちゃくちゃうなってて壊れそうで怖いけど。。。

ムービー操作の差がないのはすげえや

草のグラが荒いと思ったけど、ここがPC版とかならきれいになるんだろうな

最初のメインクエを1つクリアした(草に隠れながら人を助けるやつ

なんか映画みたいね

2回ぬいた(ホライゾン関係ない)

月曜から2回もぬいちゃってしかもこんな夜更かししちゃって大丈夫かなと思ったけどしゃーない

2017-06-22

朝のウルトラマン

TVKで毎朝ウルトラマンダイナやってる。

4才の息子はウルトラマンのことしか考えてない。

朝7時前に起こしても絶対に起きないし、無理やり居間に運んでもダッシュで布団に戻ってしまう。

でも7時を過ぎてウルトラマン見ないの?と声をかけると一人で起きてくる。

ごはん最中視線ウルトラマンから離れない。

食べないとチャンネル変えるよというと、一口食べてまた固まる。

言っても食べないのでチャンネル変える。

また一口食べて「ウルトラマン!」と叫ぶ。

ご飯食べない怪獣だなというと「僕ウルトラマン」と言いながらまた少し食べる。

24分にエンディングが流れるが、半分も食べていない。

意地悪したくなり、怪獣扱いして「テヤ」「トゥ」と言いながら息子を攻撃する。

やりすぎると、べそをかきながら嫁のところへ行き「僕ウルトラマンだよね、お父さんが怪獣扱いする」と言いつけに行く。

食卓平和は来ない。

2017-06-19

父の日に、高校生の娘とカービィオーケストラを観た親父の内緒日記

 彼女小学生だった当時、サンタさんが届けてくれた「毛糸のカービィ」を期に、カービィ沼に填まり始めた娘も、この春から高校生になってしまった。表現が「なってしまった」と残念形である点は父親共通ではないだろうかと思う。

 一軒家で物置になってる部屋が3つほどある我が家なので、ちゃんと整理すれば子供部屋が作れるんだが、(ギャグではないが)今は居間彼女の部屋となっていて、ピンク色をした球体が増える一方である

 高校生にもなると父親と出歩きたがらなくなるという風評を耳にするので、いつ我が身に降り注ぐことになるか心配で仕方ないのだが、そんな娘にせがまれ大阪までカービィオーケストラを観に行くことになった。会場は別であるものの、そう遠くないところで「プププトレイン」という物販イベントも開催されていて早い時間から並びたいという。

 関ヶ原のあたりで車の調子が異常になるというアクシデントに見舞われつつも、米原駅前の打止め駐車場に車を捨て置き新快速で入阪を果たし、物販イベントの会場である毎日放送の社屋へ移動する。

 ところで米原に着く前、助手席の娘に電車時間検索を依頼したところ、「14000円もかかるんだって、どうしよう!」って困惑していて、聞けばマイバラがマエバラに聞こえたらしく、千葉前原を起点にしたせいというオチだったんだが、中部地方に住む身として交通の要所たる米原くらいは覚えなさい。

 開店(入店)まで90分くらい待つ羽目になったが、何とかお目当てのグッズが手に入って娘は御満悦の様子。それはそれでいいんだが、会場に多数潜伏しているらしいカービィクラスターフォロワーさんを見つけようと、手にしているタブレットからメンションを飛ばしているのは画面を見ていない私からでも分かり、それがまた不安で仕方ない。

 キリがないので「オーケストラに間に合わなくなるぞ」と引き剥がし地下鉄に潜る。本町が最寄駅なので、梅田から御堂筋線で2駅だ。

 工夫すれば近い出口まで地下で行けるみたいだが、後ろ寄りの車両に乗ってしまったことに加え土地勘もないため、自動的に出口④に排出される。ちょうど娘と同じくらいの女の子が一人で駅員に道を尋ねていたので、「おまえの同業じゃないのか」と耳打ちすると「ちょ黙って」と叱られた。娘からカービィの映ったスマホの画面が見えたらしいので、同業であることは確定なはずだが、見ず知らずの人に声をかけること(相手からみたら声を掛けられること)自体が「不審者」という認識らしい。

 とりあえず、その女の子が先行したので、距離を置いてついて行くわけだが、中央大通りを横断することな彼女左折してしまう。「おーい、そっちじゃないぞー」と大声を出そうとするも、またや娘に制止される。今どきの若者心理構造昭和世代には理解し難しい。

 開演の30分も前に着いたんだが、会場前の公園に入場待ちの列が既に何重にも出来ており、「開演まで30分も前」じゃなく「開演まで30分しかない」に変わり、付近ランチを取る作戦未遂に終わった。

 昭和世代お節介焼きとしては、さっきの女の子が気にかかるところだが、スマホがあるのだから徒歩ナビできるだろうし、道に迷いながらも辿り着くというのも後になれば良い思い出になろうと、自分を納得させる。

 一応は今回のコンサートに備えて過去ゲームを予習しておくべく、2週間ほど前からゲームボーイを手にして夜な夜な挑み、なんとか初代と2はコンプリートしておいた。2の最後デデデをどうしても倒せず娘に攻略法を聞くと私がコピー能力という機能を使っていなかったせいだったことが判明。つまりデデデよりも前のボスまでは全て吸って吐くだけで倒してきたということになる。

 オーケストラの内容については、語れるほどの知識を持ち合わせていないので割愛するが、幾度かコックリしそうになりかけたということは内緒である。たぶん気がつかれていまい。

 初めてお目にかかったカービィ父親たる桜井氏は私の同じ歳か一つ年上くらいの、ほぼ同年代の方で、初期のカービィプログラミング上の技(メモリー節約術)を講話して下さった。PC-8001mk2からパソコンに触れていた私にとっても、その話は非常に懐かしいものがあり頷きながら聞いていた。ゲームボーイは背景との重ね合わせ処理をハード側でやってくれていたようだが、それを手動で(マスク用のビットマップ用意した上で)やっていた世代からするとちょっと羨ましい。

 コロコロカービィだったっけか、カセットの中にモーションセンサーを内蔵した型破りゲームゲームボーイアドバンスで遊びにくいということで、娘に頼まれICの天地反転をやってあげたが、最近ゲーム筐体ではあーいう着眼が不可能になっている点、21世紀になって失った物の一つに数えられる気がしてならない。

 アンコールが終わりウルウル感動している娘の横顔を見ていると、それだけで幸せな気分になるものの、会場を出たら、先ほどの物販イベントと時と同じようにメンションを飛ばし始め、父親としてはなかなか辛い。女性フォロワーさんはともかく、男性フォロワーさんにまで「会いたい」は自制してほしいと父親としては強く要望したいが、中学4年生と言っていい田舎の天然系女子高生が納得する説教を垂れる自信もないので、眼球の隅で監視するに留める。

 昼夜2回公演の夜の部を待つ人が会場に吸い込まれから公園は落ち着きを取り戻し、先ほどまで長蛇の列だった撮影向けオーケストラ看板の周囲は片手で数えられる人しかいない。看板をバックに記念写真を口実に公園から踏みだし、乗じて地下鉄の駅に足を向かせることに成功した。

 さて、これからどうするか。娘としては難波心斎橋あたり徘徊したいみたいだが、強い希望はないようなので、父親が主導権を握る。ずばり、海遊館だ。結婚前に嫁と来たことがあるが、今度は娘を海遊館に誘う。

 大阪港駅から随分と(15分くらいだが)歩くのは予想外だったが、特徴ある外観は20年以上たった今でも鮮明に覚えていた。

 館内では、タブレットを使って水槽の中を撮る娘 を撮る父親、の構図であったが、傍から見て親子に見えたかどうかは興味深い。(年の離れた兄妹 もしくは カップル くらいに見られていたのだとしたら嬉しいところだが、さすがにそれは自惚れすぎか)

 エイサメに触れるコーナーでは、一瞬だけ小学生に戻った娘を見れた気がする。

 見て回るのに2~3時間かるという前評判とは裏腹に1時間ちょっとで退出。母親への土産を買うというので「あいつはジンベエザメが気に入ってる」と助言してやったが、これは感謝されてよいと思う。ただし支払いは私だ。

 まずは梅田に戻るわけだが、朝から食べ物を全く口にしていないことに気がつく。

 もし米原に置いた車が動かないとなったときに備えて、車が使えずとも終電まで家に着ける時間を逆算すると、あまりゆっくりしていられないのではあるが、駅ビルの中の「カフェ ラ・ポーズ」で少し小腹を満たす。なぜその店であるかの説明割愛するが、嫁とはファミレス定食屋ばかりで、いわゆる「カフェ」には行ったことない気がする。

 20時台の新快速は朝と違って凄い混んでいたが、長浜行きのその電車米原に近づくにつれて空席が目立つようになる。「駅に着いたら運転なんだからパパは寝てて。起こしてあげるから。」と最初は気丈だった娘だったが、草津差し掛かるよりも前にウトウト始め、ついにはオーケストラの続きを見始めてしまった。長浜まで行っちゃうと後がないのだが。

 「絵師は幼い頃に頭を強打している」みたいな都市伝説を耳にしたことがあるが、この娘も小1の時に家族での登山中に滑落した経験が幸いしてか、今は絵師の端くれをしているようだ。一ノ越から黒部平に向けてタンボ平を下山中、先頭でハシゴを登っていた娘があと数段のところで手を滑らせて崖側に転落したのだ。学生時代から山をやっていた私はとっさに死を覚悟し、気を失いそうなくらい動転したが、落石の音が止んだと同時に泣き声を発してくれたのだ。1ミリたりとも動くな、と声をかけて落ちていった場所に近づく。ちょうど2階建の屋根から落ちたくらいの高さだったが、付近鋭利ガレが窪地を埋め尽くしていて、重登山靴を履いてるからこそ何とか歩けるような状態。そんな中に半畳だけ、あきれかえるほど平らな岩があって、その平らな岩の上に娘が倒れていた。これまでに見たことのない巨大なタンコブを額に作っていたが、出血もないしタンコブが出来るのは大丈夫証拠でもある。平らな岩がなかったら、落ちた場所が50cmでもズレていたら、尖った岩々が確実に娘の頭蓋骨を叩き割っていたはず。

 黒部平ロープウェイの駅まで1時間ほど負ぶって下山大町病院CTで異常なしを確認。翌日は包帯を巻いたまま登校し、そのまま9年間無欠席を続け義務教育期間皆勤賞を得るに至ったが、あのとき奇跡が起きてなかったら、いまこうして電車に乗ってることもなかったのだと思いふけっているうちに長浜行きは米原駅に滑り込んだ。

 駅に置いた車は何とか動きひとまず安堵だが、また調子が悪くなるといけないので、深夜の名神トラック並のスピードで。そういえば、嫁と結婚する前は、やたら高速をゆっくり走っていたなぁ。いまなら2時間のところを当時は3時間かけて。

 

 15年の中で、今日ほどに幸せ父の日はなかったように思う。カービィありがとう。なぜか感謝したい。

2017-06-15

うんこできない

パートナーが自宅にお客さんを招くタイプ仕事をしている。

私が息を潜めている居間からトイレに行くためには、必ず仕事部屋を通らなければならない間取りだ。

お客さんに「ちょいと失礼」はまかり通らないと思われる。

便意の波動狭間で気を紛らわすためにこの文を書いてるけどそろそろヤバい

もういっそここで、いや、音と臭いを出さずに漏らすのは無理だろうし。あと30分かー。

2017-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20170603235839

いろいろと耳目を集めそうなことはいうけど、どれも想像を超えてこないというか、当事者じゃないとわからない実感のようなものが見えてこないよね。例えば食品業界ブラックで、「本部勤務のはずが店舗の穴埋め要因にされて皿洗い」なんて実際に勤めてなくても書ける。「EDで別居して離婚」なんて恋愛したことな中学生でもわかるじゃない。そうじゃなくて「業務食洗機のアレが」とか「別居間際の夫婦独特のやりとり」みたいなものが一切存在しない。業界あるある未満なんだよね。嘘かどうかというより、本当だとしても踏み込みが足りない。なんであれをみんな信じてるんだ!?と思うのは本当によくわかる。

ブックマークが多いこれとか本当にひどい。

密室に閉じ込められています

http://delete-all.hatenablog.com/entry/20100116/1263631581

「部屋のドアが壊れてしまってでられない、恥ずかしいか家族が帰ってくるまでにどうにか脱出したい」という内容なんだけど、なんでそうなるのの連続

全部に突っ込んでたらキリがないかひとつに絞るけど、一番わかりやすくひどいのは家族が帰ってきたのに助けを求めないこと。

>>家族が帰途に。彼らには近況を教えていないからもう脱出したと思っているのだろうな…。こちらは戦場だ!家族にこの姿(発掘した母の虎柄コートケミカルウオッシュジーンズを着用)を見られたくないし、夕食会に誘われず、救出までされたら…、それじゃ、僕があまりにも惨めじゃないか…。<<

そうか?

いや、実際に「意地でも自力脱出したい!」みたいな心理はわからなくもないし、なんなら「せっかくネットで盛りあがってるお祭りもっと楽しみたい」という気持ちもわからなくはない。でもそれを一切書かずに「あまりに惨めじゃないか」の一言で済ませてしまう神経がわからない。それはうんこを漏らすよりも大事ことなの?

おそらく言われているように、完全な嘘ではなく、事実を盛って盛って盛って書くタイプなんだと思うんだけど、本当にそれは嘘じゃないのか? ネコにひっかかれたことを、ライオンに噛まれたうえにライオンが「あんまりおいしくない」と言ったとするのは嘘じゃないの?

面白ければいい」ってのもひとつ意見だが、その面白さは「事実である」ことに立脚してこそじゃないか? 同じ文章を初めから創作だと思って読んでも面白いか?

書くのはいいけど、それが受け入れられるのが信じられないという気持ちはよくわかる。

2017-06-02

生活リズム家族と揃えない弟に苛立つ

学生で、不規則生活リズム

基本的に何時に帰るか連絡はしない。

日付も変わる頃に帰ってきて、ひとりで勝手に好きなものを食べてそのまま居間で寝る。

帰ってこないこともある。もちろん連絡はない。

家族の中で家を出るのが1番遅い日は、お昼を食べたあとの食器を出しっぱなしで出かけることも。

風呂に入らず居間で寝るのも不潔感があるし、何より食器の片付けをしないのが理解できない。

家族みんなで住んでる家を汚さないでほしい。

どんなに片付けろ、出ていけと言っても全く聞かない。

自分は正しいと思いこんでいて、もう教育し直すことも難しい。両親も諦め気味。

どうしたら改善してくれるのかもうわからない。

2017-06-01

どうせ父親にとって子供電気代をひたすら食い潰す虫でしかない

世間体子供を産む親ほどクソなものはない

小さい頃から家族自分の思い通りに動かなかったり、神経質で下らないことで直ぐにキレる父親だった

稼ぎはいい癖にケチで、たまに喋ったと思ったら電気代が高い電気を消せとかそんなことしか言わない。ちなみに自分にだけは甘くよくアジア旅行とか1人でしている。

家族はいつも電気をちゃんと消している(寧ろ居間明け方まで寝落ちするから父親の方がよっぽど電気無駄遣いしている)のに、家族をちゃんと見てもいない。家の手伝いをしろ電気を消せ、何もしない癖に、自分を偉く見せたいのか小言ばかり言う。

私含む姉や家族のが酔っ払って寝てばかりいて米も炊けない父親よりよっぽど家事をしている

母親は私が小さなから「お父さんの言うことは無視すればいい」と言っていた。父親がいなくなると今でも父親愚痴を言う。離婚しない理由は金以外無いんだろう。

父親に度々私立学校に入れてやった、学費凄かったんだぞ!なんて言われる。

一方母親は私が嫌がっても(まあ後半は乗り気になったのだが)私立への受験勉強をさせた。両親で意見統一してくれ。

私も父親理不尽なんて無視しようとしたが、小さなからグサグサと父親言葉が棘のように刺さって抜けない。ふとした時に思い出して、その度に嫌な気分になる。

父親は何か不満を言われるたびに「ここはお父さんの買った家だ!」とか「お父さんの買ったテレビだ!」とかずっと言ってきた。ちなみに土地は母方の祖母の物である

家族から何を言われても直そうとしない。酒を飲むと暴言を吐くから控えてと言っても、いびきがうるさくて騒音レベルなのに居間で寝るのを何とかしてと言っても、小鳥家族許可なく衝動買いするのをやめろと言っても何も辞めない。暖簾に腕押し。

一度ゲンカして、「そんなに金の事ばかり言うならなんで子供なんて産んだんだ!」と言ったことがある。

そしたら父親から返ってきた言葉は「勝手に生まれてきたんだろ」である

それを言われて以来、私はいつも自分が生きている意味がわからなくなってしまった。

そもそも人生は辛い事ばかりだし人の地雷をいつ踏み抜くか分からなかったけど、なんとか犯罪も犯さずちゃんと進学もして人並みに生きてきたのに、こんなことを言われてしまった。辛い中なんとか生きてきたのに、そもそもまれて生まれなかったなんてあんまりだ。恐らく、父親はなんとなく、世間子供がいない夫婦は変だとかそんなことを思って作っただけだ。

こっちだってまれたくなんかなかったのに。

勿論、親のために生きてるわけじゃ無いなんて、こんなこと言われたくらいで気にしすぎるなんて馬鹿らしいなんて分かってはいる。けれど、分かっているのに忘れられない。

父親のおかげで結婚しようとも思わなくなった。家族仲が悪いと結婚生活など苦痛しか思えなくなる。四六時中常に仲が合わない人といるとか最低の人生だ。子供いるとか気軽に離婚もできないし。因みに母と父が結婚した理由お見合いからなんやかんやあったらしい。

友達結構結婚したがってるんだよな、凄いなあ。皆私みたいに必要以上に人に怯えず心を開いて接することが出来るからだろうな。

自立も考えたが、どっちかって言うとなんだか疲れた。なんか疲れただって何をするにも何かに怯えている羽目になるんだ。

姉いるんだし、一人っ子で止めときゃあ良かったんだよなあ金食い虫扱いを小さなからするんだったら……

2017-05-28

ユリをもらってきたので

居間の中がユリ香りが充満している。

結構匂いあるのね。

2017-05-07

椅子ひとつで家庭は壊れる

アパートの6畳の居間に不似合いなエコーネスストレスレスチェアがある。

俺が独身時代に買った最高に座り心地のいい椅子だ。

本来であれば、結婚時に捨てなければいけなかったのだが、

一回でも使ってしまうと、この椅子のない生活は考えられない。

値段もそれなりなので、捨てそびれてしまった。

夫婦関係が破たんしたのはこの椅子によるところが大きい。

基本はこたつ座布団生活している。

どちらかがこの椅子に座ると、心理的上下関係が発生し、

椅子に座っていない方は抑圧されている気分になる。

次第に妻は居間に近づかなくなり、台所か寝室にいるようになった。

子どもができてからさらに状況は悪化している。

二人の子どもは常に椅子を取り合い、居間にいたくない妻は、

子どもとも一緒に食事をせず、台所で立って食べる状態になっている。

夫婦仲はとっくに冷え切っている。

いまさらこの椅子を捨てて、二人掛けのソファーを買っても

二人で座る状況が想像できない。

10年前に捨てればよかった。

ワガママ独り言

つい数時間前にこの匿名はてなダイアリーというサービスを見つけ、

ブログも初めてで日本語力もないし

自分が今から書くことはワガママだと分かっていながら書くから

イラっとしたらすぐ引き返してほしい。

私は北陸の某県に住む高3女子だ。

県内ではトップ10くらいに入る謂わば進学校に通っている。つまり受験生だ。関東大学第一志望で、滑り止めも関東大学にする予定だ。

家族構成は父、母、兄、私の4人家族だ。

兄は東京専門学校に通っていて、某大手企業内定が決まっている。長期休暇には必ずうちに帰ってくる。

我が家は私が幼い頃から仲が悪かった。

私が小2か小3の時は離婚しかけた。

父と母は見合い結婚で、周りの友達の両親の様に恋愛結婚じゃないから、元から愛なんてものはなかった(と思っている)。見合い結婚全てが愛がないと思ってるのではない。

離婚しかけた時はまだ私にとっては家族は大切な存在で、離婚してほしくなかった。兄と私がいるからということで離婚はせずに済んだ。

小6くらいから少しずつ嫌な場所になりつつあったけど、中2くらいまでは家は好きな場所だった。中3からは完全に嫌な場所になった。

兄が高校入学した小6の時から、母が兄を甘やかす様になった。周りの大人にそれを言うと、そんな事ないと言うが、今でもそう思っている。

小6の最後の方〜中2の間に、父もよく分からないことで機嫌が悪くなるようになり、私や母の悪口を大声で、目の前ではないけど聞こえる様に言うことが目立ってきて、父も母もだんだん嫌いになり、中3で完全に家が嫌いになった。

えこひいきや怒られることだけで家族が嫌になったのではない。

私はライブ参戦、観劇イベント参加が趣味で、アニメ女性アイドルグループ舞台俳優も好きなオタクである

両親が典型的昭和人間なので、オタクは歩く公害ライブ舞台等の形の残らないものお金無駄アニメマンガ子供の見るもの という考えだから、私とは本当に考え方が合わない。

ライブ観劇イベントも何回か行ったけど全然回数的に満足していない。

こんな田舎に住んでるから私自身が田舎者からライブ等に満足に行けなかった。

からえこひいきする母を、怒って一人で騒ぐ父を、自由にさせてくれないしこんな場所に生んだ両親を、自分の生まれ場所を、憎んでいる。

中3の高校受験の時、今通っている高校に入りたかったので、それを両親に言うと、父は好きにしろと言ったが、母は距離問題や私が合格しないだろうと思って、兄が通った高校を勧めた。

兄の母校は、正直に言うと私が通っている高校よりレベルが一つ下で、センター試験は学年の半分くらいしか受けないし、専門学校に行く人もそれなりにいる。そういう高校やそういう進路が悪いのではない。けれど私は可能性があるのに安全からと一つ下のレベル高校に行くのは嫌だった。厳しい世界だけど頑張っていこうと思って今通っている高校受験した。

成績が芳しくなくても、私は中3の時の決断は間違ってないと思っている。楽しい仲間、憧れの先輩、課題の量は鬼だけど親身になってくれる先生…どれを取っても私は私の意志を貫いて良かったと確信している。

今に至る経緯がとても長くなってしまったが、ここからが本題だ。

GW中に母は実家(県内)に帰り、父は稼ぎどき、兄は帰省してきてうちにいる。

GW前に母からスタバを奢ってもらい、父から直接「稼ぎどきだから協力してくれ」と言われていて、家事を頑張るつもりだった。勉強もそれなりに頑張るつもりだった。

五月病もあって、こころが少ししんどかった。

そんな時に不慣れな家事。でも一つ疑問があった。

なぜ帰省してきている兄は家事をしなくて良いのか?

これを父に尋ねたら、女だからと言われた。戦前かよ。男尊女卑かよ。

確かに不慣れだからやる必要はあるのだけれど、それなりに出来るし、兄がやらなくていい理論は成り立たない。私だって受験生だし勉強したい。成績悪いからそれなりに焦りだってある。

時間ないのに家事やって、でも文句言われて…少ししんどかったこころがどんどんボロボロになって…家事やらないと誰もやらないからやるしかないし…

こんなことを考えて、少し家事ストライキしたら兄から「おい、家事やれ」と言われた。私はおいなんていう名前じゃないし、兄がやればいい。そう思ったが口にしなかった。

家事ボロボロになった私のこころ勉強する元気はなかった。この気持ち家族全員に理解してもらえないのだが、家事がいい気分でできていたなら勉強もいい気分で始められた。確かに私は段取りが悪くて、家事時間かかるし勉強家事の前に済ませておけば良いのに、昼間はゆっくり寝てダラダラしていた。でも、メンタルボロボロの時に早く起きて勉強しようという気分になれない。新しい一日が始まってしまった、また連休無駄にしてしまった、また家事をしなければいけない…こう考えたら現実逃避としてまだ寝ていたくなる。だから昼頃まで寝た。昼からでも勉強すれば良かったのだが、憂鬱すぎてそんな気分ではなかった。そしてまた家事を嫌々やり、また一日を無駄にした。

やっと母が家に戻ってきた。私は全てに投げやりになって、居間で寝ていた。昨晩の洗濯物が洗濯機の中に入ったまま、干していなかった。母が兄にそれを言うと、「いや、妹がやらなかったし…」と言った。私は昨晩、兄に洗濯機を回す様に頼んだ。心の中で、兄が干してくれるか試していた。干してくれなかったし、私のせいにした。どうして全て私がやらなければいけないのだろう。ここで私は怒りを我慢できなくなり、掃除中の母に当たってしまった。

受験生の娘を置いて実家に帰るなんてひどい。なぜ兄は好きな時に出ていって好きな時間に帰ってきて、家事もやらなくて良くて、どうして周りもそういう空気を作るのか。どうして私のことは誰も考えてくれないのか。私だって忙しい。家事していた時間を返してほしい。

こう母に言った。

母は、何が受験生だ。自立するのに家事必要だ。お前の学力で受かる大学なんてない。もう遅い。私のありがたみを感じろ。お前は段取りが悪い。

と言った。

母にはありがたいと思っている。だが、大学受験経験したことのない人にもう遅いなんて言われたくなかった。まだまだ伸び代はある。これから頑張れば絶対第一志望は受かる。私はこう信じて勉強している。

やはり母も兄が家事をしなくて良いと言い、受験についても口を突っ込まれて、私は爆発した。勢いで食器棚ガラスを割った。私はもう家事なんて一切しねえよ!飯もいらねえ!と言い捨てて自分の部屋に行った。

からこの時から家事を一切していないし、ご飯も食べていない。あほらしいのは分かっているけど、食べたら負けだと思っている。私は絶対に負けない。どうなるか知らないけど絶対に食べない。

兄が私の部屋に勝手に入ってきて、勝手にべらべら何かを喋っていった。その中で私は不幸せだと言った。私は自分意思で不幸せになっているのではない。家族全員が私を不幸せにしている。そう言ったら、いつか俺の言った事が分かる日が来るよと言って私の部屋を出て行った。いつまでも勝手な人で本当に腹が立つ。

父は何も言わなかった。居間では何か言っていたのだが、聞きたくなかったから聞かなかった。私のことは本当に呆れたのだと思う。

母も何も言わなくなった。

すごくワガママだと思うが、これからどうしたら良いのだろう。

何も食べていないから頭が痛くて、文章書くのもやっとだ。だからご飯を食べたら絶対楽になれる。

でもあんなことをして、あんなことを言ったのだから食べる資格なんてないと思っている。

本当にどうすればいいかからない。

これ以上のことばが思い浮かばない。どうすればいいのだろう。

乱文失礼しました。

どんな批判のことばでもいいので、何かコメントもらえたら幸いです。

2017-05-06

父親にいなくなって欲しいと思う娘は罪ですか

物心ついた時から、私の記憶の中にいる父は、私のことを怒鳴りつけていた。

「お前が生意気から

「お前が泣き虫から

「俺の邪魔をするんじゃねえ」

そう言って怒鳴られていた。

今日もまたそうだ。

畳んだ洗濯物や、アイロンをかけたワイシャツを彼の部屋に運んでも、ゲームに興じている彼は

「話しかけんじゃねえぞ」

と怒鳴る。

こんなだから、私は、父親というのはいつでも子供に対して怒鳴り散らしている存在なのだと思っていた。

だけど、みんなの父親がそうではないのかもしれないと気づいたのは最近のことだ。

大学の友人との会話の中の出てくる父親は、もっと優しくて、気が利いて、少なくともすぐキレて怒鳴る人間ではなさそうだった。

そうか、そういうお父さんもいるのか。

信じられなかった。

片道2時間の通学がどうにも辛すぎて、どうか一人暮らしをさせてくれと懇願したが

「それぐらい通える」

「お前の根性がないからだ」

「そんな無駄な金はない」

と言われて、家から出してもらうことは叶わなかった。

DV暴力だけでなく、言葉暴力も入るらしい。また、極度に束縛するのも、DVの傾向としてあるようだ。そしたらこれは、DVなのだろうか。

そんなこんなで、私は、父親のことが好きではない。いつ怒鳴られるのかとビクビクしながら、父親用事がある時は話しかける。何かやましいことをしているような、嫌な緊張感の中で、胸が締め付けられる。ちなみに、普通の家庭では、気楽に父親に話しかけられるらしい。

老後の世話なんてごめんだし、早く縁を切って自由に生きたいと思う。

今は機嫌よく、居間コーヒーを飲んでいる。声を聞くのも嫌だ。私は自分の部屋がないので、居間の隅で縮こまっている。もうすぐ60歳で、こんなにどうしようもない人間がいることが理解できないし、耐えられない。早く解放されたい。なぜ、母が離婚しないでいるのかが疑問だ。私は何があっても、専業主婦にはなりたくない。こんな男に捕まって一生を過ごすなんてまっぴらごめんだ。

2017-04-11

不安過ぎて先に進めない。

5年つきあった人と結婚した。

付き合ったりお互いの家を行き来するのはよかったけど

同棲するのに,一人の時間がなくなるとか

色々な習慣が違うのが恐くて不安だった。

顔合わせをした。

結納は向こうの親がしたがらなかった。

うちの親は何もいわなかった。

うちは父親と疎遠な姉しかいない。

向こうは祖父母,両親,弟まで出てくるという。

妻を亡くし,疎遠で姉が出てこない

独りぼっちの親父を採点されているようで不安になった。

同棲してから婚姻届を出すのも恐かった。

名字がかわる手続きとか,実家とのつながりとか

何よりも,付き合いが淡泊で,親族の少ない実家に比べて

いつも居間家族みんなで揃っているという義実家

絶対になじめないのが不安だった。

結婚式を挙げようとしている。

うちの親は報告をすると,いやなことだけ端的に言う。

義親は,何でも良い好きにしなさいと言うけれど,報告をすると後出し文句を言う。

何を決めるにも,両方の祖父母,両親,弟の許可がないとできない。

旦那はそれが当たり前のようで何も言わない。

家族から」という。

年賀状義実家から届いた。

「うちにとって初めての娘」と言われた

「うちの味を覚えてもらわなきゃ」と言われた。

私の「うち」は,病気をして一人の父と犬が待つ,あのもの悲しい家だ。

わいわいと家族が全部出てくる家ではない。

よく言うけれど「家」と結婚したんじゃない。

そして今度は「次は孫が増えるね」といわれた。

増える予定も見通しもない。むしろやっと二人で計画を練っている。

まさか「孫」とやらも全員の許可をとる必要があるのだろうか。

不安になってきた。

フィーバーかいう,可愛い名前をつけてごまかしているだけの

おんぎせがましい押しつけがあるときく。

性別名前,着る服,おむつがどうこう,病院はどこ,

全部言われるのではないか

不妊だと勝手に悩まれて,子宝寺のリストを送ってきそうで不安だ。

不安不安不安過ぎて,ついに不安神経症なのではと職場で言われた。

昔はこんなに不安そうにしてなかったのにね,と。

自分は変わってしまったのだろうか。

あの(私からみたら)大家族の波にのまれて。

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410135233

しかしたら、その人物はある種の暗闇恐怖症なのかもしれない。

トイレバスルーム居間電気を消して暗くしておくと、

そこに異形のモノが入り込んでしまう。

入り込まれた後に、電気をつけると、驚いた異形のモノが家人を襲うかもしれない。

そんな妄想が常について回るので、

暗いトイレ電気をつけるのが怖い。

使い終わった後のトイレ電気を消しておくのが怖い。

本当に怖いから、何度言われても電気はつけっぱなしにしてしまうのだけど、

理由説明してもバカにされるのが分かってるので誰にも言えない

2017-03-31

就活について覚えていること/考えていたこ

 自分就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子ものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。

 予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽荒井由実セカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなもの演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポ音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。

  *

 就活はいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費支給されるとき新幹線飛行機LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないとき夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸三宮とか東京蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。

 就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京一極集中したメディア広告出版関係企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいか交通費破産せず就活を乗り切るかはひとつ重要テーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイト提唱する標準的エントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西関東への移動はそれなりに負担で、特に東京会社選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。

 夜行バスが発着するのはたいてい新宿西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿ビル街を歩くと時々そのことを思い出す。

 支給される交通費収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東実家や知人のところに滞在しながら、東京会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡東京間の交通費申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡会社大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社から内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一安倍政権ときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場氷河期を迎えた(らしい)。もし自分大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部とき受かったところには受かっていなかっただろう。

 職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたもの自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機矛盾なく有効に繋げる作業会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビみん就サイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人自分矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分なかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。

  *

 先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。

 夜行バスに乗っていたとき自分にとって、海外旅行宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのとき自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口ネットカフェに泊まったりから歌舞伎町銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路浮浪者排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。

 去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月ラッシュのなかを新幹線実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分お金大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。

2017-03-21

久々に本格的なかなしばり来た

ここまではっきりとしたかなしばりになったのも久々だったので意気揚々とまとめたい。

この日は嫁さんが子供を連れて実家に戻っている日だった。

ふと一人になった寂しさからなかなか寝付けず、遅くまでお酒を飲んでしまったことも関係しているのだろう。

何となく不安気持ちが消えないまま、居間ソファに掛け布団だけを持ってきてテレビを付けたまま眠ることにした。

古い友人と対戦ゲームをしている夢を見ていたと思う。

勝負に集中する局面で、急に3歳の娘がドタドタと走り回り集中力が途切れて苛立ちを憶えた。

娘をたしなめてゲームに戻ろうとするも、相変わらず頭の上ではドタドタと娘が走り回っている。

そこで意識が戻り始め、それが夢であることを思い出し始めるも、頭上で走り回る娘は相変わらずドタドタと走り続けていた。

しかし、今日が一人の留守番だと気付いたと同時に、身体から一切の自由が奪われていることを自覚した。

久しぶりのかなしばりだ。これほどまでに身体うごかないものはこの家に来てからははじめてだろう。

不思議なことに、過去幾度かのかなしばりになったときも目だけは開くことができた。

そして、大抵の場合身体に力を入れれば少しずつであれば動くこともできた。

相変わらず頭上で何かがドタドタと走っている中で、まずは目だけを開こうとする。

早朝のニュース番組アナウンサーが喋っているのが目に入った。

次に身体を動かそうとする。しか今日に限っては身体を動かすことが全くできなかった。

画面に映るアナウンサーが話し続けるのを眺めながら、なんとかして身体を動かそうといろいろ試してみようとする。

すると足音が去っていくのがわかった。

こうなれば解けるのも早いはずだ。

そう思った時、上半身が少しずつ、しかしかなりの重量を感じさせながら起き上がって行くのがわかった。

足先にはこどもたちのおもちゃが散乱しているのが見える。

金縛りが解けたら最初にすることはおもちゃ掃除だ。そう思った時、両肩を何者かに掴まれ再びソファーにばたりと倒されてしまった。

見開いた目に、再びテレビの中で話し続けるアナウンサーけが映る。

その瞬間、身体自由が完全に戻ってきたことがわかった。

かなしばりが解けたのだ。

慌てて足元に目をやると、そこにおもちゃなんてものはなかった。

そりゃそうだ。こどもは嫁さんの実家に行っているのだから

眠る直前まで飲んでいたお酒の入ったグラスと、メガネスマートフォンテーブルの上においてあるが分かった。

相変わらずアナウンサーニュースを読み続けている。

最初に目に入ってきたアナウンサーと同一人物だし、格好も同じだ。

から、始めに目を開いた時は確かに目から周囲の情報が正しく入ってきていたはずだ。

ならばどこからがまた夢の中で、どこから現実なのだろうか。

寝ぼけた頭でしばらく考えてみたが、結局はっきりとはわからなかった。

暗いニュースばかりを重たい口調で読み続けるニュース辟易し、できるだけ明るい雰囲気番組チャンネルを変える。

まだ2時間は眠れるだろうと再びソファーに横になるが、結局30分刻みで夢を見ては目が覚めるを繰り返しながら身支度の時間が来てしまった。

こんな言い方はおかしいが、かなしばりのキャリアはなかなかに長い。

幼くは幼稚園の頃からだし、それから思春期の間はかなりの数、かなりのバリエーションで遭遇した。

一時は自分に対して霊的な能力を本気で疑ったほどだ。

しかし、覚醒している間にはほとんどと言っていいほど何も起こらなかった。

たまに何かの存在を感じるようなことがなかったわけではないが、それを感じたところで何かが起こったこともなかった。

結局、かなしばりなんてものは疲れなどが原因で偶発的に運動系統の異常が発生して、意識命令不具合を起こす程度のものなのだろう。

しかし、知覚において存在しない物の実在を感じられることはとても興味深い。

これも恐らく動物が捕食者から逃れるための本能なのだろう。能力は臆病であったほうが生存につながるというものだ。

そんな話を帰ってきた嫁さんにしてみたところ、いつもは軽く聞き流すくせに急に青い顔をしはじめた。

聞くと、今朝目が覚めた時に娘が泣いて泣いて仕方なかったらしい。

理由を聞くと、パパが寝ている横でおもちゃで遊んでいたら、うるさいことと散らかしてしまったこととでこっぴどく怒られて、その瞬間に身体が動かなくなる夢を見たとのことだった。

そういえば娘が生まれからかなしばりにあったのは初めてかもしれない。

同じ境遇で過ごしているとこういう部分も似てくるものなのだろうか。

思考とはつくづく不思議ものだと唸った、本当にウソのような実話である

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