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はてなキーワード: 居間とは

2024-03-19

新しいゲーム出ても安くなるまで待とうという気持ちが強い

結婚して子供もいるので居間テレビを独占するのが難しいお父さんです

なので独身時代の様に2chスレ読みながらみんなと同じスピードで進めてくリアル感は無くなったしリアルでは「○○どこまで進んだ?」なんて小学生時代の会話も無くなりました

取り返しのつかない要素を後から知って2週目は攻略サイトを見ながらというやり方からある程度時間経ってから始めて情報が一通り揃ってる中で取りこぼすことなく1回クリアするやり方になりました

新品を定価で買う事にメリットが無くなり、興味があったゲームワゴンとか聞くと嬉しくなったりもしま

とりあえずユニコーンオーバーロードと百英雄伝は安くなるのが楽しみ

ちなみにプリンセスメーカーは発売日に買うと思う。というか予約済み

2024-03-13

anond:20240313222014

馬鹿だな、最近居間勉強させるのが中受の常識なのに。9年くらい早いぞ

2024-03-10

幽霊がいるのかもと思った理由

安い物件探してて、1軒だけ幽霊出ると言われた物件を見せてもらった。

入ってすぐに居間の壁スイッチ勝手に入る音がしたんだけど、スイッチは動いてなくて、不動産屋がいつもこうなんですよ~と言った。

電気屋さんに電線スイッチを交換してもらって検査しても異常なしで、家に人がいると家のどこかのスイッチが入る音がするらしい。

帰り際に玄関スイッチからも音がした。

それと家にいるときにずっと子ども廊下か隣を走るを音がしてた。全室独身ワンルームなのでおかしいと思ってたんだけど、不動産屋の人は気にしないでくださいと言った。

2024-02-26

2歳児のドラえもん認知

週末に居間ユリイカ1月号を読んでいたら、遊びに来ていた2歳の甥っ子に取り上げられた

硬い紙でできた厚い本をパラパラとめくっては楽しそうにしていた

私が絵のあるページの方がいいかと開くと、パラパラと風を起こすようにめくり繰り返す所作がただ気に入ったらしく絵を見たりはしていなかった

顔に近づけすぎたり、紙で手を切らないように眺めていたら、「読み聞かせ」と言ってきた

詩か追悼文かpanpanya評論しか載っていない雑誌家族の前で甥っ子に音読する気はしなくて困っていると、

さきほどCMか何かを見て「どりゃぇもん」と彼がつぶやいたのを思い出した

からのび太宇宙開拓史』の漫画版を持ってきて、甥っ子に差しだした

今度は絵ばかりの漫画なので、甥っ子は指差しをして、「こえだえ?(これ誰)」と繰り返し聞いてくる

ジャイアン、それはスネ夫。それもスネ夫だね。それはのび太。それは中学生」と答えた

なんか先ほど、「どりゃぇもん」と言っていた割には薄い反応で、カバーをめくりとって遊びだしていた

そのあとでPCを触っていたら、「ピぽピぽして」というので、キーボード操作して、サブスクドラえもん検索して、ドラえもん1話分見せた

適当に選んだ、ドラえもん風邪を引いてドラミちゃんが看病しようとする回

彼は私の足の上に座っていたので表情は見えなかったけど、「こりゃがどりゃぇもん!」と楽しそうに言った

「これもドラえもんだよ」と先ほどの『のび太宇宙開拓史』を指さすと、ぶるんぶるんと頭を振って否定をされた

甥っ子にはまだたいして言葉も通じないし、どこまでの思考能力があるのかは知らん

から、彼の言葉動作意図が「アニメで動いているのが僕が見たかったドラえもん」という指摘なのか「この漫画キャラドラえもんではない」という直接の否定なのかはわからない

しか漫画版と今のアニメドラえもんは、頭の形や色見が違うなと思いつつ、「F先生ドラえもんドラえもんじゃないわけないけどな」という気持ちがムクムク浮かんできた

わさび声のドラえもん原作に近い生意気さと友達感を増しているとどこかで読んだなと思いつつ、注射を嫌がり、ドラミちゃんから逃げ回るドラえもんを二人で眺めていた

これが彼の好きなドラえもんなんだなと思いつつ、私も大山のぶよ声の保護者っぽいドラえもんと、『のび太の創生日記』みたいな入り組んだ話が子供の頃から好きだったんだよなとか考えていた

2024-02-19

anond:20240219200218

いい方法を思いついた。

嫁の無視が始まったら寝室でも居間でもトイレでもいいから一人きりで大声で嫁を非難しまくる。

「ふざけんなコラア!!」「無視すんなコラア!!」とかを近所から苦情が来たり警察呼ばれるくらいの声量で叫びまくる。

何がしたいかというと嫁の理不尽にはこっちも理不尽で対抗することをやる。

嫁とか警察に何か言われてもあくま独り言からで逃げろ。

嫁が無視するのが得策でないことを悟ってやめるまでやれ。

理不尽には理不尽しかない。

これで行け。

2024-02-10

俺の実家は広い

なぜかみんな裏玄関を表玄関と間違える。

 

でも個人の部屋は狭い。俺の部屋は4畳もない。

その癖客間や居間は異様にでかい

設計した奴の、家は住む人のためではなく来客のためと言う思想が透けて見える

2024-02-07

モラハラ妻になりたくない

モラハラ人間は気分で物を言う。

人の行為から嫌な思いをした時、相手に正当な理由があるかどうかは関係がない。

いか自分が正しくて、相手が悪いかをこじ付けて捲し立てる。

機能不全家庭で22歳まで育った自分がこの世で一番軽蔑している人間モラハラ父(メンヘラ)で間違いなく、モラハラを大層憎んでいる。

予測できない沸点で怒りだしロジックで会話ができず、論点をずらし、被害者意識が強く、プライドが高いために虚偽の事実を作り上げ会話が成り立たない、モラハラテスト100点満点の父が恐ろしかった。

同居していた頃は会話が発生しないよう物音を立てずに生活していたし、居間で会うのを防ぐために母親が用意してくれる夕食以外よく飲食を抜いていた。

親元を離れて2年、未だ同居する父親に激昂される夢をみる。

父親から受けた影響で唯一良かったことはゲームneedy girl overdose(ニディガ)でのあめちゃん対応完璧にできることだけ。

そんなにモラハラを受けて、憎んでいるのに、その血を感じることがある。本当に自分が怖い。

正当性相手にあるのはわかっていて、自分の許容の狭さが問題不快感を感じているという自覚はあるのに相手を責めて居た堪れない気持ちにさせて有意に立ちたい。自分の思い通りにしたい。そんな気持ちになることがよくある。

現在同居しているパートナーがいる。

彼はゲーマーで、同居する前は仕事終わりの時間の半分以上をボイスチャット機能があるオンラインゲームに費やしていた。

同居を決めた際、ゲームで週に何回かうるさくするが良いか?という条件に私は承諾した。

やりたいことを人によって制限されることは自分も耐えがたい。モラハラ父という存在で行動範囲が狭まった経験があるものとしても、絶対尊重されるべきだと考えたし、今もそう思っている。

なのに実際目の前で見えない相手と遊んで楽しそうに大声で談笑する横にいると、声量に対する不満、自分と共用の空間で一人楽しそうな様子に対する寂しさ、疎外感を感じてしまう。

モラハラの突然の激昂に対して、他人の状況に対する理解が足りないか自分の面倒が見れないんだ、と思っている私は、

声量に対する不満

→会話が聞こえづらいとボリューム上げるし、それに伴って声が大きくなるのは通話あるあるだよね。

自分と共用の空間で一人楽しそうな様子に対する寂しさ、疎外感

自分も同じように何かに没頭すべき。

自分を納得させようと試みたが、くそうるせ〜〜〜と、思った。

私がくそうるせ〜〜〜と思ったことは過去に伝えてしまったので(言わなきゃよかった)、「毎度うるさくしてごめんね、やらせてくれてありがとう」と終える度に伝えてきてくれる。

優しい…自分だったら最初許可とったし文句いわんでよくらい思う。毎回感謝も言わない。

ここからやばい

優しい気遣いができる人だから彼は「ごめんね」「ありがとう」と言ってくれるのに、

「ごめんね」「ありがとう」と言われたということは「許容している私が優位な立場である」「相手自分に非があると思っている」ため何を言っても良い。

というクソモラ方程式が脳を支配し、さっき感じた許容予定・許容範囲の不満が顔を出し始める。

冒頭で挙げた、「相手に正当な理由があっても自分の不満をぶつける」「いか自分が正しくて、相手が悪いかを語る」この思考が止まらない。

直接的に怒る、責めるが悪いことはわかっているから、ノイズキャンセル機能ついたイヤホン買おうかな…とかわざわざ言って、気にさせるようなことを言う。

そんなのサイレントで買えば良いのに。

こんなこと言って萎縮させて、そんなん自分が一番嫌いな個人の行動範囲を狭める行為のものじゃん。

最悪すぎる。

言ってる間も言いたくない!父みたい!って思っているか意味がわからない。

実際、高校生の頃友達実家に泊めた時、父は「楽しいだろうからいくらでもうるさくしていいからね!」と理解のある良い父親ムーブをしたが、夜結局うるさいんだけど?と私に怒っていた。

完全に一致。泣けてきた。

親元を離れてADHDの薬もメンタルの薬も飲んでるのに父親を遠ざけられない。

助けて〜

2/7 9:45追記

ずっと今までこういうの誰も見ないnoteで書いてたんだけど、ここで書いたら自問自答して煮詰まってた事に意見感想反応もらえるのがうれしくて返信してます

自分本位の文章に反応くれてありがとう

2024-02-05

子どもの頃寂しかたことを思い出した

最近婚活を始めた。

担当カウンセラーといろいろ話して、他人との接し方や自身が極度の寂しがりであることについて、母に対して寂しかった思い出がたくさんあることが影響してると言われ、腑に落ちたところがあるので、寂しかたこと嫌だったことを書き出してみる。

母は優しいけど、お母さんみたいな感じではなく、性格子どもっぽくて面倒見も良くなかった。

保育園のお迎えはいつも遅くて、しーんと静かになった教室先生とお迎えを待っていた。

小学校時間割を一緒に揃えてくれたことはなかった。勉強机は買ってくれたけど、「勉強机は必要ない。居間テーブル勉強すれば良い」と言ってたのを父が説得して買ってくれたらしい。

彫刻刀は学校からのチラシで選んで買えば良いのに、「3本くらいあれば良い」という理由市販のものを買ってきた。結局、それだけでは足りずに買い足すことになった。恥ずかしかった。

小5くらいから歯並びが気になり出して、母に矯正したいと言ったけど、矯正させてもらえなかった。

中学生ときインフルになって休んでて、最後のぶり返しみたいなので嘔吐したことを言ったら「長く休んでるからそうなる」と言われた。

高校生とき大学受験が上手くいかなくて落ち込んでたら「落ち込んでても仕方ない。前向くしかない」と言われた。落ち込んでること、少しでも受け止めてほしかった。

社会人になって、仕事が忙しくて勇気を出してそれを相談した。「完璧職場なんかないよ」と言われた。なんで、この人は何も受け止めてくれないんだろうって思った。

現在一人暮らし10年目で親からも自立してるけど、寂しがりやなので精神的に自立してるのかは分からない。

しかたこと、受け止めてほしかたことたくさんあったし、20代前半のときは昔を思い出してモヤモヤしてしまうことがたくさんあった。最近は、それも許せるようになってきたけど、幼少期の寂しい思い出はずっと心のどこかで引きずってるんだと思う。

この先も。

2024-01-20

anond:20240120113354

熊は怖い

こんな記事を今朝読んだ

https://news.yahoo.co.jp/articles/6f662260dc9eea546005b90ad67df24ea7e689a7

「腹破らんでくれ! 喉食って殺して!」臨月の妻を居間に引きずり出し…巨大ヒグマが見せつけた“執拗な残忍さ”

2024-01-15

居間は動けない、それが定めだけど、諦めはしない、もう目覚めたか

寒いよ~

2024-01-04

anond:20240104094839

キッチンの床を治す

他の部屋の床を治す

居間の畳を張り替える

全部は無理だろうなー

どれかひとつ

2024-01-03

anond:20240103202832

親戚もきてるのに部屋でピコピコしとらんで、早く居間にこいよ。

2024-01-01

居間は動けない、外が寒いだけど、

諦めはしない、地震で目覚めたか

2023-12-29

アイヌ民話時代の先を行っていて好き

ペナンペとパナンペいう若い男がいた。

  

ペナンはいつも、僕と結婚してくれる女の子がいたらいいなあ、と思っていた。

そんな彼の様子を見ていた男友達のパナンペは、ある時ちょっとからかってやろうと思って、

河で体をよく洗い、魔法で素敵な美少女に化けた。

そして、ペナンペが仕事をしている留守に家に入って、掃除洗濯なんでもこなし、美味しいお料理を作って待っていた。

ペナンペは感激して、美少女食事をし、彼女を布団に連れ込んだ。

すると美少女は笑って、手を叩きながら家の外に飛び出し、男の正体を現した。

うわペナンペは怒ったが、パナンペは笑い続けた。

  

しばらくしたある日、パナンペが家に帰ると誰もいないはずの自分のうちから煙が出ている。

そっと窓からのぞくと、美少女に化けたペナンペが掃除を済ませ、食事の支度をして、自分を待っている。

ナンペは内心で笑いながら、気付かぬ振りでペナンペと食事をした。

そしてペナンペを布団に連れ込むと、やはりペナンペは笑いながら逃げ出した。

が、その時ペナンペよりも強力な術者であるナンペが、ペナンペに術をかけた。

すると、ペナンペは身も心も女となって、へたへたと居間の床に座り込んだ。

ペナンペは本物の美少女として、パナンペの妻になり、夫婦として末永く暮らしましたとさ。

めでたし、めでたし。

2023-12-24

お見合いの話になると、なんでそこに父親は含まれないんだろうな

当時はそれが当たり前だったけど、今考えるとおぞましい気もするし、意に沿わぬ結婚をさせられて子を産まされ、稼ぐ力を奪われて自立もできなくなったことを呪いながら人生を終えた女性も多かったと思うが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4746858782856212399/comment/matone


こういう話が出るけど、なんでそこに男は含まれないんだろうなって思う。


俺の父親はクソだったけど、お見合い制度被害者だと思うよ。俺とか俺の兄弟とかを育てるために金も時間も全部奪われた。



俺の父親は人とコミュニケーションをとるのが苦手で怒りっぽく酒飲みの典型的カスだったけど、


音楽やら車やら服やらスポーツ観戦やら読書やら、いろんな趣味を持ってて、たまに口を開いてその辺の話を聞くと色々蘊蓄を語ったりしてまぁまぁ面白かった。


でも親父って、それらの事に時間や金をどれだけ使えたんだろうなって今、俺が大人になって仕事し始めて、改めて思う。


俺がガキの頃は、俺達が寝るまで帰らなかったなんて毎週のようにあったし、ひどい時は1週間のうち、2,3日しか家に帰らないなんてこともあった。


警察関係で働いていたか仕事ではずいぶんキツイものも見聞きしたらしい。


家に帰っても物置みたいな一室で何かやってるか、居間で黙って酒を飲んでるかだけで、親父の居場所なんてなかったし、


金も、俺達兄弟はみんな大学に出たから、かなりの部分はそっちに持って行かれたんだろう。





俺の父親がクソなのは間違いないけど、そうさせたのは俺や俺の母親であって、もしお見合い結婚圧力が無ければ、人に怒鳴ることも酒を飲み過ぎる事もなかったんだろうと思う。


子供世間体を盾に、意に沿わぬ仕事をさせ時間金も奪われ、司法制度関係からそれらを投げ捨てても金は戻ってこず、やりたい事なんてほとんど出来ずにただ金を吐き出すだけの存在にさせられたんだよ。


そしてその苦しみすら矮小化されたり、なかったことにするなんて許されるわけないだろ。

彼氏を欲しいと思ったことがない理由

母親気持ちいから」

私の母は、本能のままに生きている。

考えることと、我慢することが苦手。思ったことはすぐに口に出す。

私が子どもの頃、授業参観に来た母は同級生男子ばかり見ていた。○○君がかっこいい。授業の感想はそれだけ。

当時私は学年一のワルに好かれて、毎日送られてくる下ネタメール辟易としながら神経をすり減らす日々を送っていたが、母は変わらずいい子いないの?彼氏欲しくないの?と言っていた。早く孫がほしいとも言っていた。もし赤ちゃんができてもお母さんが育ててあげるから、なんて言っていた。

ある日、私が居間でくつろいでいると、母がドタバタと帰ってきて、「聞いて聞いてー!外で野良猫エッチしてたー!!」と興奮気味に話してきた。野良猫交尾に、この人は何をそんなに興奮しているのだろうと冷静に思ったのが半分、あとはとにかく気持ち悪いという生理的嫌悪感

それは高校以後も続く。

高校で学年一のワルに好かれて取り巻きと共に囲まれ神経をすり減らす日々を送るなか、母は変わらず授業参観が終わると○○君がかっこいい。あのかっこいい子は誰?とニヤニヤ顔でそんな話をした。

恋バナがしたいー!なんて言われたが、すでに母に対して積もり積もった生理的嫌悪感があったため、好きな人ができても隠し通した。

中学生の従妹に彼氏ができたと聞いた時、母はニヤニヤ顔で「高校生になったら、一線超えちゃうよね~」なんて言っていた。

母が気持ち悪い。すぐに性的なことに結び付け、それを顔にも口にも出す母が気持ち悪い。

から、もし彼氏ができたら、隠し通さなくちゃいけない。

どうやって?

無理。どうせバレる。

面倒くさい。

じゃあ、いらない。

こんな思考になってしまう。

好きな人ができた時は、好きな人と付き合いたい欲>母に対する気持ち悪さ

となるけれど、好きな気持ちが小さくなった時、突然気持ち悪さが勝って、そして消える。

まして、好きな人もいない状態彼氏を欲しいと思うことは、まずない。

この気持ちを消したい。気持ち悪いと思う感情を消し去りたい。

直母精神年齢はとても低いと思う。私はそんな母の精神年齢を大きく上回り、なんとも思わない境地にいかなくてはいけない。

だけどまだ到達できない。

母は自分のことを「普通」と思っており、私のことを「変わっている」と思っている。

変わっているから、彼氏もつくらないし結婚もしないんだ。早く孫が見たかったのに、思い通りにならない。

母の言葉の端切れを繋ぎ合わせると、こうなる。

こんな風に書いたけど、私は母のことが好きだ。

愛情をもって接してくれる母のことが好きだ。

から、こんな文章はただの愚痴だ。とりとめのない愚痴だ。

放っておいてほしい。干渉しないでほしい。私が恋愛しようと、性的関係を持とうと、ニヤニヤ顔でニヤニヤ声で詮索しないでほしい。

これが本音だが、他人のことは変えられないので自分が変わるしかない。

補足。性的なことに関する嫌悪感は全くありません。母に対する気持ち悪さだけなので、誤解なきよう。

2023-12-15

anond:20231214120305

わかる。女だけど生殺しだと感じてた。好きな人がそこで寝てるのに。

寝室は一緒だから、先に夫が寝てると苦しくなるんだ。

同じ布団にもぐりこんだら起こしてしまって可哀相だから、それはできない。

から、夫が先に寝室に入った夜は、眠くなるまで居間時間を潰してから寝てる。

そんなに自分が性欲過多だとも思わないんだけどな(夫より多いのは間違いないが)。

過剰ならとっくに外で済ませてる。

月に一回あったら人生どんなに幸せだろうって思う。

夫とするの、好きだったんだ。他の人は(少なくとも婚姻中は)考えられない。

2023-12-07

anond:20231207112406

🍊「…居間は動けない、それが運命だけど、諦めはしない、もう目覚めたから…zzz…」

2023-11-29

骨が割れ31日目

昨日は家族インフルにかかりそれがうつった自分がついに高熱でダウン

2日間家族の夕食をつくらなかった(朝昼おやつはなんとか作った)

昨日はもうだめだ、子供と夕食おねがいと寝て、3時間寝て居間に行ったら…

まだ治りきってない子供カップヌードル冷凍ギョーザ電子レンジ加熱したもので夕食にしたと。

自分がダウン宣言してから買い物に行ったのに…?チキンステーキをオーダーしたらチキンステーキと油っぽいスパゲッティを一つのトレーにセットした冷凍食品

しかに昨晩、美味しいねと食べたが油っぽいものしかトレーにないとか40℃近い熱でダウンした中年にそれはな、無理よ…

すごい食べたい、また後で絶対貰いたいが今は無理と炊飯ジャー放置され固くなったご飯をオーダーした天野ドライフリーズ味噌汁で煮て卵とじ雑炊にしたがいつもの三分の一しか食べられず。

玉子一個もタンパク質取れなかったので頑張ってアイスヨーグルトと小さいみかんポカリスエットと、呪いに(と塩分足りない気がした)塩ひとつまみと水を一杯.

症状が辛くて市販品のアセトアミノフェン入り風邪薬飲んだがもうすでに40度を超えて次に届きそうな体温に恐れ慄いて普段使いイブプロフェンを追加。アセトアミノフェン900mg イブプロフェン300mgで六時間ぐっすり寝た。怪我してから初めてだし普段でも子供気にしてるからめったに無いことだ。

でも今また熱は37.9℃

怪我したとこが痛む

ぐっすり寝てる間動かしてシマッタノカモ

2023-11-22

父は50代の頃に癌で亡くなった。秋ごろに入院して、翌年の2月まで、母が看病した。

僕は当時中学2年で、そんな重い病気とは全く思っておらず、そのうち治るんだろうと軽く考えていた。

母がピリピリしているのも看病に疲れているせいだと思っていたし、石油ストーブの上で父のためにと毎日変なキノコアガリクス)を茹でているのも、なんか大変だなくらいに思っていた。

ある日、居間で母の荷物に紛れた「ガンを告知された家族」みたいなタイトルの本を見つけたこともあった。いやいやまさか、と何度か一人で口にして、そのまま見て見ぬ振りをした。

雪の降った夜、寝ているところを起こされ、親戚の車で病院に行った。

病室の父はいろんなチューブにつながって、機械的リズムで呼吸していた。

取り乱した母が声をかけてやれと僕に言う。意識のない父に言葉をかける意味がわからず、しかし母の手前無視するわけにもいかず、お遊戯会のような棒読みで何度か父に呼びかけた。何の茶番だと思った。

医師機械を止めるので、最後にもう一度声をかけろと言う。それで伝わるなら、機械を止める必要があるのか?と疑問に思った。

その後、色々な手続きを待つ間、窓の外を眺めていた。

病院の外は雪が積もっていて、オレンジ色の街灯が薄暗く照らしていた。

もう20年以上も前のことだ。

特に理由はないけど、さっきふと、あの頃母はとても不安で、怖くて、藁にもすがる思いだったんだろうなと急に思い至った。

我が母ながら本当に立派な人だ。

こんな自分しかないことを申し訳なく思うが、それでも感謝している。

2023-11-16

あなた今日もよく目覚めました。

しかし、ニュースなんか見るのはやめましょう。

ニュース世界戦争事故災害犯罪に巻き込まれ被害者たちを伝えます

でも、あなたには関係ありません。

あなたには関係ないのです。

ニュースあなたより悲惨な目にあっている人たちを押し出してきます

すべての心ある市民はあまねくこれを知る義務があるとでもいいたげに押し出してきます

ですが、あなたあなたで大変なのです。

心優しいあなたは、自分より悲惨境遇の人たちに心を痛め、自分のことを二の次に考えます

あなたは、その優しさであなた自身をいたわるべきなのです。

寄付をするのはお金持ちに任せておけばいいのです。

世界を知るのは世界を変えることができる立場の人に任せておけばいいのです。

ニュースなんて見るな!

牧歌的生活想像してごらんなさい。

薄っすらと大地を照らす日の出と共に目覚め、高原の涼しく清らかな空気を吸い込むのです。

居間ゆっくりと温かい飲み物を飲むのです。

そう、この生活ニュースを伝えるメディアなんて入り込む余地はないのです。

旅館に泊まったあの日を思い出してください。

あなたあなた人生を取り戻していたのです。

あの時間を今も取り戻すのです。

anond:20231116002937

うわー

小学校入学直前まで短期間だけ住んでた、石垣の上に張り出したような借家をおもいだしたわ

火力発電所建設拒否電気代少額払い運動してたら停電させられて&でも建設されたので公害から逃げるために山間部へ転居したんだが話がついてた引っ越し先の大家が土壇場で嫌がってナシになり伝を辿ってなんとか廃校舎の宿直室を貸してもらえることになり、それがスゲーとしかいえないボロ屋だった

(ちなみに本来の転居予定先にはその後に電力会社関係者引っ越して来たらしい)(という事情は成人してから知ったが中学生時代はその社員の子からイジメられてたわ)

玄関から入ったらいきなり土間で冷暖房も無いそこで炊事とテーブル椅子食事、上がってすぐは板の間で書斎ポータブルトイレ、で次がやっと畳の敷かれた居間だが蒲団を敷いて寝室にしてて、その果てがガラス戸で何故か解放できて下が崖だった…(なんだったんだありゃあ)

風呂玄関から出て別棟の五右衛門風呂さらに宿直室だから便所は校舎に行く途中にあった、だからポータブルトイレ置いてた(でも臭いあんまり貯められないか日中は校舎側を使うように親から言われてた)

建てられてた下の石垣から時々ヘビがアタマ出してるのが見えたりしてたわ、室内でムカデを見たのもその家が初めてだった、あとは隣接してた廃校舎と廃講堂には悪ガキだったので近所の同年代といっしょに入り込んで放棄された物品を漁ったりしてた、傷んだ木造マジで危険だったからか校舎の二階への階段と講堂へ渡る廊下は壊されて歩けなかったが幼なかったので立体的によく理解できず当時ときどき騙し絵みたいな夢をよく見てた

2023-10-31

なんで月に数枚絵描くだけの奴が年収千万とかなんだよ

俺はアラサーサラリーマンで月の手取り20ちょっと

俺も中学生くらいの頃は絵とか漫画描くの好きで、親に隠れて描いたりしてた

しかしある時成績が下がったというのを理由に親に部屋を勝手にあさられ、自分のヘッッッッッタクソな絵を家族みんなが集まる居間に広げられて

「こんなもん描いてるからお前はだめなんだ」とボロクソに言われた

その時の恥ずかしさや恐怖が頭にこびりついていて、今でも絵を描こうとするとフラッシュバック不安感が襲ってくる

俺も絵を描くことを続けていれば、もしかしたら月に数百万fanboxとかで儲けていたかもしれない

だが俺の身体最後まで絵を描ける身体ではなくなってしまった

ちょろっと絵を描いて美味いもん食っていいとこ住んでる奴らがほんとうに羨ましい

勉強さえしていれば、ある程度の将来は約束されているなんて思い込みだったな親父

お前の息子は勉強の才能もなかったから、絵をやめさせて勉強させても成績なんて変わらなかったな

まり絵をやめさせようがなかろうが、最悪でも今と同じくらいのとこにはおさまってた可能性が高い

あんたはただ、息子の可能性を摘み取っただけだったな

っていうかそういう扱いが嫌で、転職と同時に地元から逃げ出されちまったな

地元では有名な企業に入ってくれたし、あとは結婚でもしてもらって、家を継いでくれればとでも思ってただろうが、ザマァねぇな

たか絵描き嫉妬して、親に責任なすりつけるようなクソになっちまったあんたの息子は

あんたから離れた今でも、俺は絵が描けねぇよ

2023-10-14

中学とか高校サボってみたかったな〜って思う。部活サボって高尾山行ったり多摩川下って海を目指した青春原風景が今も輝いてるように、宝物のような思い出になって気がする。

でも過去自分に「サボってみたら?」って言っても「嫌な事は都合よく忘れて美化か。毎朝居間流れる朝ドラのオープニングに条件反射吐き気を覚える感覚を忘れたのか。そりゃあ後になって浸れるかは分からねえねけど、サボった所で浮ついた気分もそこそこになんだか物足りないばっかりで、家に電話が来ないかヒヤヒヤしてばっかりだろ。翌朝起きる事を思いながら後悔を抱いて寝るだけだろ。下らない青春ノスタルジーは本当にウザい。ティーンエイジャーエアプかよ。今を生きている他人自分の後悔を押し売りするな。自分までそんなつまらない人間になってしまったのか。死ね」とそう言われる気がする。

というか今でも心の中で鮮明に保持しようと努めてる当時の感覚がそう言ってる。

懐古にすがる事を予見、危惧して卒業した瞬間に制服を捨てた自分は、可愛げはなかったけど正しかったのかもしれない。

10代の感性経年劣化して、思い出に浸ろうと高校制服に袖通してみよっかな〜なんて思った時にそう思ったりする。

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