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はてなキーワード: 外套とは

2019-07-18

anond:20190713122155

ゴーゴリの『外套』。

取るに足りない、誰からも顧みられないような人間であっても、ただ外套を新調するだけのことであっても、そこには驚くほど鮮やかで劇的な人生を見いだせること、全幅の敬意に値することを証明した傑作中の傑作。

50ページほどの短編で、しか青空文庫にもあるので、ぜひ読んでみてほしい。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000207/files/357_22446.html

2019-02-18

この間、真昼間の7-11の前にちょっとヤバそうな若い奴がいた。

こ汚いコートというか外套という言葉がぴったりの様なものを着て

(あれなんて言うんだろう、長めのカメラマンコートの様なコート)、

にやにやしながら出入り口の所で、突っ立ったままうまい棒を食べてた。

しかも途中でぶつくさぶつくさ言いながら。

ズボンも汚かったけど、肩に掛かるより長い髪、

頭の後ろの所なんか寝ぐせではなくて、何かの汚れで固まってしまたかのように、

グジャグジャになりながらがしっと固まっているようだった

(たまにいる、多頭飼いでケージの中で飼育放置された、毛の固まってしまった毛の長い犬、みたいな)。

一瞬、ボブ・マーリーイメージしているかのようなヘアスタイルだった。

あのにやけながらぶつくさ言ってる姿が、気持ち悪かったなー。

なんだったんだろ。

2018-10-22

anond:20181022181451

言及どうもです。

彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?

『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。

から、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。

そう、そこなんだよね。

俺が「怪獣映画を見ること」を苦に感じたことないように、彼らにとって

『新しいことを知ること』はまったく苦じゃなくて、むしろ何よりも楽しいことなんだろうな。

から知識毎日のように流し込んでも頭でっかちにならずに教養として心身に身に付くのだろうな。

彼らにとってはソルジェニーツィンを読むのもゴジラを観るのも同じ『新しいことを知ること』なのかもしれない。

コンプレックス邪魔になるのは、良く理解できる。

自然体で「philosopher(=知恵を愛する者)」として振る舞えてる人達への劣等感や羨望みたいなのは正直あるよね(笑)

ああ、彼らには「おし、勉強するぞ!」って喝を入れる感覚すらなくてこれが自然体なんだ!って気付いた時には震えたね。

多分、「地下室の手記」を読むとハマると思うが、それが上のような態度を身につける為に良いのかは、考えてしまうところ。

実はこの土日で奮起して古本屋で有名な哲学書やらロシア文学をしこたま買い占めてきたよ(笑)

地下室の手記」はなかったけど、カラマーゾフの兄弟罪と罰は買ってきた。

ソルジェニーツィンも何冊か買ったし、デカルトやらカントやらあるだけ買ってみた。

古本屋の店主はすげえ偏屈そうなオッサンだったが、購入ラインナップを見たら笑顔になってた。

何度もお礼を言って店を送り出してくれた。彼も「philosopher(=知恵を愛する者)」なのかもしれない。

手始めに薄いゴーゴリ外套」を読んだけど、思ったより易しくてすぐ読了した。

すっげーヘンテコな話だったけど、不思議な後味が残って楽しめたよ。どんどん読むぞ。

2018-01-23

伊勢丹蚤の市ドライフラワーを前に、梨木香歩さんの小説また読みたいなとつらつらあらすじを思い出していたら、時間を忘れた。

どうやって家に飾りつけようかとインスタを流しながらドライアイスの道を滑るように帰ってまだ決まらない。

何かの映画で見たポスターを奥に飾り紐で吊り下げるのはどうだろうと決心がついて、机の引き出しを探すが画鋲も押しピンもなかった。

その代わり石膏がついたままのネジが一つ。

思い返せば文房具店に足を運んだのは二子玉川高島屋最後か?

...十二年前だった。家族がまだいた頃だ。

男やもめも過ぎると、画鋲がないことにも気づかないらしい。

JRシステムの壁掛けカレンダー新年会二次会の景品だから無理と毎年うっすら諦めて、今年も諦めたことを思い出した。

部屋干しの外套がかかったままのカーテンレールが決して動くことがないように

壁紙もまた気づけば日に焼けた色もそのままに空白のまま。

それもイメージフィルタをかざせばわからないし、何もない壁につけた机の上は写真台にちょうどいい。と思っていた。

武蔵美の人の迷著「線の稽古 線の仕事」に従えばどんなキャンパスにこの壁はなるのか。

白い壁を前にまた時間を忘れた。歳とった。

2017-11-22

ラノベの影響

実は未だにマントに憧れている

日常で装備するのはオカシイだろうか

スーツ着て外套にすれば誤魔化せるだろうか

2017-10-29

anond:20171029092821

常とう手段

けん制

「套」は、被せるとか覆うという意味外套など

転じて、同じことを重ねる、繰り返すとかそんなイメージ

「牽」は、引っ張る、引きつける

牽制なら、引きつけて制するということ

2017-04-03

雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。

静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。

世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜ライトアップをしている。

知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。

ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。

椅子に近い座椅子腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。

感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。

世田谷妙法寺おるんやけど、泣けるくらい素敵な枝垂れ桜。

お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。

素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼

その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。

じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。

ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い

照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。

延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。

RainyMoodみたい、眠い

寝た。

羽織ったままだった外套背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい

先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。

見た。立った。帰る。

最後まで既読は付かなかった。

夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、

ほんとに見てないのだろう。

今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。

帰りは一段と寒さが増していた。

2016-01-09

[] 釣れない増田

春の日差しには程遠い、寒さに震える増田の民は、暖を取ろうと灼炎鳥(ホッテントリ)の確保に勤しんだ。

しかし灼炎鳥を手に入れることのできるのは、ごく少数の選ばれし増田のみ。ここ最近では増田11人衆を名乗る一部のエリート集団が灼炎鳥を独占しており、多数の貧しい増田民は身の凍る思いで湖に釣り糸を垂らしていた。灼炎鳥は湖のなかを泳ぐ鳥であり、釣るものからだ。

「はぁ……やはり釣れんか……」

老人は深い溜息をつく。幾数年を生きながらえた経験と勘こそが老人の武器であったが、如何せん彼の紡ぐ文体は堅苦しすぎて、ブクマカ鳥たちは喰いつかないのだった。

「おじいちゃん、おじいちゃん」

今年で五歳になる孫娘が、老人の外套を引っ張った。

「エサの主語が小さすぎるんじゃないかな。主語を大きくすれば、ぜったい釣れるよ」

老人は目を細めて微笑んだ。嗚呼なんとこの子は聡明なことだろう。

さっそく釣り針に特大の主語を括りつけて、湖面へと釣り竿を降ろした。

人類はどうして分かり合えないのだろう》

老人の取り付けたエサにはそう書かれていたが、あまりの辛気臭さにブクマカ鳥たちは皆逃げ出してしまった。主語が大きい警察バードさえも逃げ出す始末だった。

繰り返すが、増田世界では鳥が水のなかを泳ぎ、魚が空を飛び回るのである

「やはりワシにはもう駄目なようじゃ」

老人はまたひとつ溜息をついた。

「おじいちゃん、こんなエサはどうかな?」

孫娘が小さな手で差し出したソレは、淡いピンク色でハートの形をしていた。

老人はかぶりを振る。

「いやこれはワシには扱えぬ。それは《ジェンダー論》の釣り餌じゃよ。ワシは30歳を過ぎた童貞じゃから、その手の話はさっぱりなんじゃ」

孫娘は首を傾げて、それじゃあ私はいったい誰からまれたのだろうと疑問に思った。

「じゃあこのエサは?」

孫娘が次に持ってきたエサは、本の形をしていた。けれど老人はやはり首を横に振った。

「これは《ライトノベル論》の釣り餌じゃな。ワシが最近に読んだライトノベルは、スレイヤーズブギーポップは笑わない涼宮ハルヒの憂鬱とらドラ!灼眼のシャナキノの旅・扉の外・断章のグリム人類は衰退しましたミミズクと夜の王とある魔術の禁書目録僕の妹は漢字が読める僕は友達が少ない俺の妹がこんなに可愛いわけがない、くらいじゃ」

「良かった! じゃあおじいちゃんでもライトノベルは語れるんだね!」

「いやいや、昔はライトノベルを語るにはこのくらい読んでおけば十分だったんじゃが、今ではそれでも駄目なんじゃ。ラノベ警察に捕まるか、ラノベ天狗に仕留められるのが相場じゃのう……」

「ふぅん、つまんないの」

少女は岸に転がっていたバケツを蹴っ飛ばした。今日も一匹たりとも釣れはしなかった。

少女は湖の底へ向かって大声で叫ぶ。

「雑なラノベ語りだと他者ブログ批判する暇があるんだったら、自分の好きなライトノベルの一冊でも全力でおすすめしやがれ! バーカバーカ! あっかんべーだ!」

「ああ!! いかん!!」

老人は咄嗟に立ち上がった。だがすべては手遅れだった。

燃えさかる一匹の鳥が、孫娘の足を掴み、湖の底へと引きずり込む。

気がついたときには、老人ひとりだけが取り残されていた。

2015-09-19

色々な瞑想まとめ

~ānāpāna-sati(安般念)によって紹介されている呼吸瞑想

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

~Maha-satipatthana Sutta(大念住経)の瞑想方法

"And how does a monk remain focused on the body in & of itself?

では、比丘たちよ、比丘はどのようにして、体そのもの気づきを保ち続けるのでしょうか?

"There is the case where a monk — having gone to the wilderness, to the shade of a tree, or to an empty building — sits down folding his legs crosswise, holding his body erect and setting mindfulness to the fore [lit: the front of the chest]. Always mindful, he breathes in; mindful he breathes out.

ここにある比丘がいます — 彼は森へ行き、木の陰へ行き、あるいは空家に行き — 腰を下ろして足を組みます。背をまっすぐに伸ばし、そして気づきを(胸の)前部へと向けます。そして、常に気づきをもって、彼は入息します。気づきをもって、出息します。

"Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.' Just as a skilled turner or his apprentice, when making a long turn, discerns, 'I am making a long turn,' or when making a short turn discerns, 'I am making a short turn'; in the same way the monk, when breathing in long, discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long' ... He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知ります。「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練します。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練します。あたかも熟練したろくろ工、あるいはその弟子が、ろくろの紐を長く引っぱれば、「私は紐を長く引っぱる」と知り、紐を短く引っぱれば、「私は紐を短く引っぱる」と知るように。これと同じように、比丘が長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります・・・「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or externally on the body in & of itself, or both internally & externally on the body in & of itself. Or he remains focused on the phenomenon of origination with regard to the body, on the phenomenon of passing away with regard to the body, or on the phenomenon of origination & passing away with regard to the body. Or his mindfulness that 'There is a body' is maintained to the extent of knowledge & remembrance. And he remains independent, unsustained by (not clinging to) anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

このように、比丘は内部から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、外部から体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、内部・外部両方から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、比丘は体に関する現象の発生に気づきを保ちます。体に関する現象の消滅に気づきを保ちます。あるいは、体に関する現象の発生と消滅に気づきを保ちます。あるいは、比丘の「体が存在する」という気づきは知識と想起の範囲で保たれます。そして比丘独立を保ち、世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when walking, the monk discerns, 'I am walking.' When standing, he discerns, 'I am standing.' When sitting, he discerns, 'I am sitting.' When lying down, he discerns, 'I am lying down.' Or however his body is disposed, that is how he discerns it.

さらに加えて、比丘が歩いているとき、この比丘は「私は歩いている」とはっきりと知ります。立っているとき、この比丘は「私は立っている」とはっきり知ります。座っているときには、「私は座っている」とはっきりと知ります。横たわっているときには、「私は横たわっている」とはっきりと知ります。あるいは、体がどのような状態になるのであれ、はっきりとその状態を知ります

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものを内部から、あるいは外部から、あるいはその両方から気づきを保つ方法です。そして・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when going forward & returning, he makes himself fully alert; when looking toward & looking away... when bending & extending his limbs... when carrying his outer cloak, his upper robe & his bowl... when eating, drinking, chewing, & savoring... when urinating & defecating... when walking, standing, sitting, falling asleep, waking up, talking, & remaining silent, he makes himself fully alert.

さらに加えて、比丘が前に進むとき・戻ってくるとき、この比丘自身に完全に注意を払います。何かに目を向けるとき・目をそむけるときも同様に・・・手足を伸ばすとき・曲げるときも同様に・・・自分外套コートなど)を運ぶとき自分の上着・お椀を運ぶときも同様に・・・食べるとき、飲むときに、噛むとき・味わうときも同様に・・・排尿するとき・排便するときも同様に・・・歩くとき、立つとき、座るとき、眠りに落ちる時、起きるとき、話すとき沈黙するとき比丘自身に完全な注意を払います

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。あるいは体そのものを外部から・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。

2015-09-11

外套青空

坂口安吾外套青空」を読んだ。描かれているのは、低俗な魂を持った女の肉体に抗えない男の本能というアンビバレンスである

キミ子が夫の生方を「純粋だけの人」と呼んだとき主人公落合憎悪を込めて「そんな人間がいるものか!」と叫ぶ。彼は純粋な人、理性のみの人間に憧れているのだが、自分がそうではないことも知っているのだ。だからそそう叫んだのである坂口ロマンチシズムである

外套青空は、ともに肉欲の記号である。キミ子との性交が、これらを肉欲と結びつける。だがなぜ外套青空なのか。理由は定かではないけれど、おそらく単に意外だからではないか、と思う。本来関係のないものが、キミ子の肉体によって強烈に接続される。その特異性故に、落合はキミ子から離れられないのだ。思えば、坂口の書く女性は皆、低俗な魂を持ちながら「何か」を持っているのである

2015-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20150730192651

田舎おっさん認識なんてそんなもんだろう

「おら東京さ行ってべこ飼うだ」の時代のまま時が止まっている。

大学なんてものは、外套学生帽で「○○帝国大学の××です」とか言ってるような世界だと思っているだろう。

2015-04-06

ヴィパッサナー瞑想とはなにか

瞑想とは何か・・・上座部仏教徒にとって、瞑想とはなにかというテキスト的な役割を果たすのは清浄道論です。しかしながら、より実践的な瞑想方法を学ぶためには他の仏典が参照されることもあります。今回は清浄道論でない仏典を参考にしつつ、より具体的に、瞑想とはどんなことをすればいいのかを見てみましょう。

さて、ヴィパッサナー瞑想の詳しい紹介に入る前に・・・そもそも、ヴィパッサナー瞑想はなぜ行われるのでしょうか。それに関して、例えば古代仏典であるMaha-satipatthana Sutta(大念住経)にお釈迦様の言葉があります

以下はブログ多摩丘陵林住記様による和訳版より抜粋

比丘たちよ、ここに一つの道がある。その道とは、人々を清め、悲しみと悲泣を乗り越え、肉体と精神の痛みを滅し、聖なる道を得、涅槃を観るための唯一の道である。それは「四つの念住」である

・この四つとは何か ? 比丘たちよ、比丘は、努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「身」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)身であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「受(感覚)」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)受であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「心」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)心であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「法(ダンマ)」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)法であると絶え間なく知覚して住むことである

すなわち、ヴィパッサナー瞑想をすることによって、知恵(insight あるいは understanding)が強まり、「自身」という存在をより正しく知ることができるのです。そして、その道を極めることによって、最終的には悟りすら得られる瞑想です。

それでは、ヴィパッサナー瞑想とはどんな瞑想なのでしょうか。ヴィパッサナー瞑想・・・といったときに、もっとも有名なのが呼吸を対象とする瞑想です。この呼吸瞑想はどこで紹介されているのかというと、やはり古代仏典である、ānāpāna-sati(アーナパーナサティ)に記されています。このānāpāna-satiは、日本では安那般那念という名前で知られています

wikipedia - 安那般那念

Anapanasati Sutta(Thanissaro Bhikkhuによる英訳版)

さて、安那般那念の該当部分を見てみましょう。ここにはこう書いてあります。(以下はwikipediaから抜粋

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

これは呼吸瞑想を紹介する部分です。

しかし、瞑想について具体的に紹介しているのはānāpāna-satiだけではありません。Maha-satipatthana Sutta(大念住経)にも瞑想方法が紹介されています。ここには呼吸瞑想以外の瞑想方法が紹介されています。それを引用してみましょう。以下は英訳版Maha-satipatthana Suttaから引用と、私による(英文の)和訳です。

"And how does a monk remain focused on the body in & of itself?

では、比丘たちよ、比丘はどのようにして、体そのもの気づきを保ち続けるのでしょうか?

"There is the case where a monk — having gone to the wilderness, to the shade of a tree, or to an empty building — sits down folding his legs crosswise, holding his body erect and setting mindfulness to the fore [lit: the front of the chest]. Always mindful, he breathes in; mindful he breathes out.

ここにある比丘がいます — 彼は森へ行き、木の陰へ行き、あるいは空家に行き — 腰を下ろして足を組みます。背をまっすぐに伸ばし、そして気づきを(胸の)前部へと向けます。そして、常に気づきをもって、彼は入息します。気づきをもって、出息します。

"Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.' Just as a skilled turner or his apprentice, when making a long turn, discerns, 'I am making a long turn,' or when making a short turn discerns, 'I am making a short turn'; in the same way the monk, when breathing in long, discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long' ... He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知ります。「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練します。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練します。あたかも熟練したろくろ工、あるいはその弟子が、ろくろの紐を長く引っぱれば、「私は紐を長く引っぱる」と知り、紐を短く引っぱれば、「私は紐を短く引っぱる」と知るように。これと同じように、比丘が長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります・・・「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or externally on the body in & of itself, or both internally & externally on the body in & of itself. Or he remains focused on the phenomenon of origination with regard to the body, on the phenomenon of passing away with regard to the body, or on the phenomenon of origination & passing away with regard to the body. Or his mindfulness that 'There is a body' is maintained to the extent of knowledge & remembrance. And he remains independent, unsustained by (not clinging to) anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

このように、比丘は内部から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、外部から体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、内部・外部両方から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、比丘は体に関する現象の発生に気づきを保ちます。体に関する現象の消滅に気づきを保ちます。あるいは、体に関する現象の発生と消滅に気づきを保ちます。あるいは、比丘の「体が存在する」という気づきは知識と想起(注1)の範囲で保たれます。そして比丘独立を保ち、世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when walking, the monk discerns, 'I am walking.' When standing, he discerns, 'I am standing.' When sitting, he discerns, 'I am sitting.' When lying down, he discerns, 'I am lying down.' Or however his body is disposed, that is how he discerns it.

さらに加えて、比丘が歩いているとき、この比丘は「私は歩いている」とはっきりと知ります。立っているとき、この比丘は「私は立っている」とはっきり知ります。座っているときには、「私は座っている」とはっきりと知ります。横たわっているときには、「私は横たわっている」とはっきりと知ります。あるいは、体がどのような状態になるのであれ、はっきりとその状態を知ります

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものを内部から、あるいは外部から、あるいはその両方から気づきを保つ方法です。そして・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when going forward & returning, he makes himself fully alert; when looking toward & looking away... when bending & extending his limbs... when carrying his outer cloak, his upper robe & his bowl... when eating, drinking, chewing, & savoring... when urinating & defecating... when walking, standing, sitting, falling asleep, waking up, talking, & remaining silent, he makes himself fully alert.

さらに加えて、比丘が前に進むとき・戻ってくるとき、この比丘自身に完全に注意を払います。何かに目を向けるとき・目をそむけるときも同様に・・・手足を伸ばすとき・曲げるときも同様に・・・自分外套コートなど)を運ぶとき自分の上着・お椀を運ぶときも同様に・・・食べるとき、飲むときに、噛むとき・味わうときも同様に・・・排尿するとき・排便するときも同様に・・・歩くとき、立つとき、座るとき、眠りに落ちる時、起きるとき、話すとき沈黙するとき比丘自身に完全な注意を払います

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。あるいは体そのものを外部から・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。

基本的には上記がヴィパッサナー瞑想だと考えればよいでしょう。このヴィパッサナー瞑想近代指導者たちに、さまざまに解釈されています

注1 ここで、「想起」という言葉は「思い出す」という意味です。

http://surleconomiejp.blogspot.jp/2015/04/blog-post_5.html

2011-11-18

別れ 井上靖

河北省の京漢線・元氏駅の土間で、私はアンペラの上に仰向けに倒れていた。銃一挺を抱くように持ち、外套を頭から被って、眼を瞑っていた。

この何日か、衝心性の脚気の発作が烈しくなったため、今朝、雪の中を南下、行軍して行く部隊と別れて、この元氏駅で北上して行く列車を待っている。列車に石家庄駅まで運んで貰い、そこで下車、最近設けられたと聞く石家庄野病院入院する。

──これが自分が選んだ自分を生かす、ただ一つの道であった。これ以外、生き得る方法はなさそうであった。部隊の軍医も、看護兵も、また同じ意見であった。

私が仰向けに倒れている元氏駅には、中年歩兵上等兵駅長として、これまた一人、アンペラの上に胡坐をかいたり、そこらを歩き廻ったりしている。駅長と言っても、他に駅員が居るわけではなく、ただ一人、駅に配されている。

一日に三、四本入って来る軍用列車を迎え、送り、それをどこかに、電話で連絡するだけの仕事を受持っているようであった。

夕方、彼は病兵の私のために夕食の支度をして、飯盒と罐詰を持って来てくれた。その時、二人は初めて、壊れかかった石炭ストーブに手をかざしながら、言葉らしい言葉を交した。

──夜、七時過ぎには、一応列車は来ないことになっているので、七時になると、俺は俺で、そこらの壕に入る。壕の方が、幾らか寒さは防げる。お前さんも、好きなようにしてくれ。このまま、ここに居たければ、ここに居ればいい。

──ただ、どこへ行ってもいいが、臨時の列車が来ないものでもない。臨時であろうと、なかろうと、上りが来たら、お前さんは、それに乗ることだ。おとなしくしていたら乗れない。しがみついてでも、乗っちまうことだ。

──そうしないで、こんな所でうろうろして居てみろ。お前さんの場合は、いいところ三日で、まあ、お陀仏だな。

そんなことを喋っている時、遠くに銃声が聞えた。

──ああいうのは、大丈夫毎日、今頃になると、撃ってくる!撃たしておけばいい。近寄っては来ない。だが、すっかり昏れてしまうまでは、線路の向うには行かない方がいい!

駅長は言った。

いつも、お前さんはここに一人か、と私が説くと、

──ここに来て、まだ五日ほどだ。咋日までは、自分の隊から離れちまったのが、四、五人、ごろごろしていたが、それぞれ、みんな、昨日のうちに、列車で、前線の己が部隊へと向った。すると、替って、今日はお前さんがやって来た。病人でも、まあ、居ないよりはましだ。

実際に、病人であろうと、なかろうと、居ないよりはましであるに違いない。こんな大平原のただ中の、ちっぽけな駅に、一人で置かれたら、気でも狂う以外、どう仕様もないだろうと思う。

結局、夕近くなると、二人は駅の小さい建物から出て、その横手に掘られてある帯状の、細長い塚の中に入った。かなり深く掘られであるので、待合室に居るより、寒さは多少ましだった。

それに、列車が来れば、すぐその音が響いてくるので、そこから直かに、ホームに上って行けばよかった。

二人は、それぞれ、壕の中に己が寝所を造り、身を横たえて、外套をかぶった。いつか、雪はやんでいる。どれだけの時間が経ったか、知らない。

──おい、起きろ。

その声で眼を覚した。

──夕焼がきれいだ!こんな夕焼は、めったに見られるものではない。こんな所に、ばら撒かれていればこそ、こうしたものにも、お目にかかれるというものだ。まるで、天の火事だ!

私は黙って、夕焼を見ていた。駅長が騒ぐだけあって、西の空は真赤に焼けただれ、それが大きく拡がっていた。確かに、今までに見たことのない、壮大な天の火災であった。今朝、別れた部隊は、どこで、この天空大火災を見ているのであろうか、と思った。

それから、また眠った。

その夜、十一時、北上する臨時の貨物列車が入って来たので、壕を飛び出した。いつからか、また雪が降っている。待ちに待った列車に乗り込もうとしたが、容易なことでは乗り込めなかった。雪をかぶった無蓋貨車で、どの車輌にも、やたらに梱包が積み上げられてあり、何人かの応援でもない限り、そこに身を移すことはできなかった。

駅長はホームを駈け廻り、私を乗り込ませる車輌を物色し、自分も半ば、それに乗り込むようにして、私を引き上げたり、押し上げたりして、どうにか私を、車輌の一つに乗り込ませてくれた。

列車が動き出してから、私は世話になった駅長名前も、所属している部隊名も聞いていないことに気付いた。気付いた時は、もう遅かった。駅長は、長い、これほど長いとは思わなかった、長いホームに一人だけ立って、手を振っていた。“孤影”とは、この時の、彼のために造られた詞であった。私もホームに向って、手を振ったが、私が手を振るのが、駅長の眼に入ったか、どうか。

私は、私の八十年の生涯で、“別れ”なるものを一つ選ぶとすると、昭和十二年十一月の、この元氏駅に於ける、深夜の駅長との別れということになる。私はある時、ある所で、ある人と別れたのである。本当に別れと言える別れを、異国の小さい雪の駅で経験したのである

2011-03-12

都内の自宅で増田見たりツイッター見たりしてぬくぬくしてるけど(回線負荷を考えて流石にニコニコは控えた)、眠るのが怖い。眠ってる間に大きな地震が来たらどうしよう。うちの強度が落ちていて次の地震で倒壊、みたいな事があり得ないとは限らない。そんな確率何億分の一だよ、と思ってる自分もいるけど、それでも不安なものは不安。誰かに安全だよって、何も考えずにぐっすり眠っていいんだよって言って欲しい

身の回り品をまとめて、靴は用意だけして、でも勿論外套は着たまま、もう眠ろう。明日、走り回らないといけないような事が起きるかもしれない。きっと何も起きないのだろうけど。

2010-08-27

発火性粉雪の相対的隠居

自分の内なる精神の中に幾つかの人格があるということは?

例えば尻尾

もし青色の瞳が覗きこんだ黒目にはあなたが。

例えば小指。

気体分子の中から触る衣服の発火現象は?

あたしとあなたのわたしはきみだから。

時計の長針が短針を引き抜く回数は?

細い指の先で触れる頬を貫く感触は?

窓の外に浮かんだ?

モノクロと白黒の違いは?

灰色ポリマーと自立型人間の値段は?

回る世界地球という大地が作られる確率は?

参画の星の下にある植物化石の生える荒涼な地平線。

レースの袖に紐が食い込む外套

灯りだけが付く神社の桟橋。

目の前の壁と後ろの壁に押される猫は?

見ようとする端子と映すカップの紅茶に。

太平と体制の違いに翼のない猪が駆けるこけし。

芥子のペンで鼠を近付ける酸。

箱の中と外の箱の他の猫。

碇が咽び泣く北斗七星

目の前を通過するHDD

アルミホイルで包まれたリンゴの蒲焼。

旅費の他に必要な電源。

ゲームゲームの違いに生まれたゲームは?

紅茶リンゴレモンに浮かぶ茶色の水は?

走る粉雪と溶ける花弁に七色の足が蹴り抜く背中ボタンは?

新緑の生い茂る深海と空を泳ぐ眼球の梱包材を掻き毟る音は?

泣いてる雑誌と笑ってる自分に生まれた冷凍腎臓は?

59 04 23 22 これらの中に隠れた子供は何人?

滴る銅と翡翠の爪から響いた雲の隙間が仲間を呼んだ時間と枠組みは?

縺れる瞳と犬の拳に浮かぶ水泡と破れた河の中腹に生える右眼は?

精神と肉体の間の電子的な制約とハイデッガの利率は三十だから。

太った烏帽子に烏が止まった地球の自転は?

電子レンジで砕けた音質の減少率は?

過疎化した惑星の中心の愛の言葉と柱に刻んだ白いあなたは?

見つけたくても見つかる昆虫は?

狂える落葉と平安の安息とが同定する世界

不揃いな中指が互いに世辞を認める小銭。

化学の履歴と表示される編集画面

戻る芳香と啜る病の鈍痛。

馨しく如何わしく禿あがる空の小指。

箪笥と炊飯の関係性に取れる冊子。

行間と行間に煌めくアスピリンの罪状は?

黒白の球に転がった頭と取れた眼球の相違は?

2009-06-25

雪の進軍 氷を踏んで どれが河やら 道さえ知れず

馬は斃れる 捨ててもおけず ここは何処ぞ 皆敵の国

ままよ大胆 一服やれば 頼み少なや 煙草が二本

 

焼かぬ乾魚に 半煮え飯に なまじ生命の あるそのうちは

こらえ切れない 寒さの焚火 煙いはずだよ 生木が燻る

渋い顔して 功名噺 「粋」というのは 梅干一つ

 

着の身着のまま 気楽な臥所 背嚢枕に 外套かぶりゃ

背の温みで 雪解けかかる 夜具の黍殻 しっぽり濡れて

結びかねたる 露営の夢を 月は冷たく 顔覗き込む

 

命捧げて 出てきた身ゆえ 死ぬる覚悟で 吶喊すれど

武運拙く 討死にせねば 義理にからめた 恤兵真綿

そろりそろりと 頚締めかかる どうせ生かして 還さぬ積り

2009-02-21

ブンガク格付け

超名作

ドンキホーテ 戦争と平和 神曲ファウスト

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名作

魔の山 レ・ミゼラブル デイヴィッド・コパフィールド 

人間の絆  白鯨 カラマーゾフの兄弟 重力の虹

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良作

回帰線 赤と黒 阿Q正伝 ボヴァリー夫人 失われた時を求めて 1984年 キャッチ22

ゴリオ爺さん ガラス玉演戯 ユリシーズ 響きと怒り 城 アンダーワールド 異邦人

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佳作

怒りのぶどう 大地  世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

グレート・ギャッツビー 明暗 老人と海 夜の果てへの旅 スローターハウス5

感情教育 ハムレット 失楽園 オデュッセイア モンテ・クリスト伯

クオ・ワディス 大使たち イワンデニーソヴィチの一日 ライ麦畑でつかまえて

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ラノベ

豊饒の海 ティファニーで朝食を レベッカ 万延元年のフットボール

決壊 初恋 アルジャーノンに花束を グランド・フィナーレ 椿姫

見えない都市 百年の孤独 オネーギン オブローモフ 外套 暗夜行路

ムーンパレス 嵐が丘 ジェーン・エア 伊豆の踊り子 涼宮ハルヒの憂鬱

キノの旅 ダ・ヴィンチ・コード

2008-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20081015110318

自分の中では「あり」な順に

背広>襟巻き>>えもん掛け>コール天>>外套

かな

外套」は同音異義語の多さで損をしてるね

2008-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20081015103639

スーツを「背広」、マフラーを「襟巻き」、コートを「外套」と言うのはどうですか。

あと「えもん掛け」も

2008-06-18

本何時間もぶっ続けで読める人すげぇ!

僕なんかは精々30分くらいで集中力が途切れちゃって違うことをしたくなる。

だけど、すごい人は「小説は一気に読む方が面白いぜ」とか「確かに疲れるけど次が読みたくて仕方ないんだよ!」とか平気で言っちゃう。

確かに僕もそれについては結構なことだと思うんですけど、無理なんですよ。

図書館に篭もって文学を読みふけるのとか憧れるんですけど、30分ごとに散歩したりコーヒー飲まないとやってられない。

それを何度続けてたとしても、その上一日あたりの読書許容量が決まっているみたいで、結局一冊の文学を一日で読み切るってことを僕はやったことがなく、僕には不可能であると感じているわけです。

でも僕も「一気に読みました」的体験してみたい!

ドストエフスキーの悪霊は無理でも、ゴーゴリ外套くらいならあと少しでいけそうな気がする!

頑張り続けたいです。

 
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