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はてなキーワード: 十人十色とは

2017-11-07

ぼくはそれで良いが。

ぼくはそれで良いがそれを認めてしまうと

あなたがぼくと同じ立場の人にも同じことをしてしまう。

ぼくと同じ立場の人と言っても考え方は十人十色だ。

人それぞれ接し方を変えれば良いが

人はレッテルを貼って簡略化しようとする。

からぼくが認めるとこのレッテルにはこういうことをしとけばよいとなる。

ぼくは受け入れてしまって良いのだろうか。

2017-10-23

中学から友達フレネミーだった話

 「フレネミー」という言葉をご存知だろうか。

アメリカ大人TVシリーズセックスアンドザティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。

かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。

 私は最近中学時代からの友人Aをこれを理由音信不通にした。

Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。

ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。

そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。

私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤストレスをためながら、でもどうしていいかからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。

 初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。

穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミー普通関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。

 Aとの付き合いは長い。中学高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。

大学は私は東京、Aは地元大学へいき少し間疎遠になった。

ある日、中学同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。

専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。

 大学卒業後、Aは地元社会人になり、私は地元にはもどらず東京フリーターをしながら資格勉強をしていた。

Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。

私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから東京で改めて学生をすることにした、初上京から色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。

私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。

 夏にAが上京しまカフェで会うことにした。

私の電車人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。

彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。

でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。

 諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。

夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。

私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。

 この頃はAのこういう行動に対して「東京生活ストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。

これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自大人になっていなかった。正直このとき違和感を信じていれば、と今でも思う。

 私はAをよく遊ぶグループ趣味グループ習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。

Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。

18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。

春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキークリスマスパーティー忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。

 冬のある日、お台場イベント大人数で遊びにいくことになった。

駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。

周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。

このときもしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。

その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。

 そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。

なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。

新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分人間として未熟なんだと落ち込んだ。

 その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。

私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデン伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。

Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたか自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。

私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。

この頃になるとAの髪型服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。

 私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。

しかし、最初に色々な自分コミュニティにAを紹介したこからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。

どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。

 Aの他者に対する暴言ますますひどくなり道端で「あんデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。

私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。

 この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達コミュニティを乗っ取られる」と検索たことがあった。

ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分モヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。

 段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。

何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデン工芸品も全部売り払った。

不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからラインはパッタリと途切れた。

 Aに真似されるというのが、大げさだが自分アイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。

同じ趣味教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。

 Aはその後も私の友人達遊んだ様子などをSNSにアップしていた。

最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。

なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。

28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。

 春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。

久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。

しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。

マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女大手アパレル企画をしている人でいわゆるキャリウーマンだ。

しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。

バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。

 ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。

私は「子供ぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。

話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議感覚だった。

 18歳で初めてきた東京最初友達も知り合いもいなかった。

大学でできた友達大学の外でできた友達フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。

それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリーカバンをもっているAがいる違和感

 話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。

Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。

Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。

 「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。

人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分直感違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。

子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分テリトリー必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。

そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。

 決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女コミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。

私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。

 Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達遮断する影のようだった。

私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。

今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。

決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。

 Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。

私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。

 Aとの関係は綺麗には切れない。

自分所属しているコミュニティ彼女もまたしっかり根を下ろしているか共通の友人が多い。

でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。

友達結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。

そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。

周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。

 夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。

前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。

自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。

ずっと付きまとっていた違和感がなくなって、孤独感が消えた。

 「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。

今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。

「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分しんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。

 時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。

しかしたらずっと先の将来でまた友達になっているかもしれないし、もうこのまま会わずに終わるかもしれない。

 長文&駄文失礼しました。

2017-10-08

anond:20171006180248

元増田価値観では、話盛り上がらなかったし、相性は合っていないと思った。

相手男性価値観では、話は盛り上がっていたし、相性は合っていると思った。

人の考え方は十人十色。ただそれだけ

互いが話が盛り上がったと思ったし、相性が合っていると思える人に巡り合うと良いですね

2017-09-17

大喜利とは何なんだ

現時点(9/17 7:25)のスター獲得上位ブコメ

不正解ワロス

○と文字数が合っていない。

他はみんな○に1文字ずつ当てはめているのに、それを無視してスタートップだ。

しかし、○が1文字というルールは明示されていないので、一歩譲ってこれはよしとしよう。



大正ロマンス」

しかし、これはお題が変わってしまっている。

「不」→「大」確かに字の形は似ているが、違う字ではないか

他のブコメの中には「歪」と解釈しているものがあったが、これはよい(もし笑点なら、ずる賢い小遊三師匠あたりが出しそうな答えだ)。

試験問題で「一( )一( )」という問題が出たとしよう。

みなが「一喜一憂」「一長一短」「一朝一夕」などと書いている中で、線を書き足して「一日千秋」「十人十色」と答えているようなものだ。

さらに、「大正ロマン」は聞いたことがあるが「大正ロマンス」という言葉は聞いたことが無い。

自分無知を疑ってGoogle先生に聞いたら、やはり「もしかして 大正ロマン?」と、俺がバカにされた。

これらは大喜利として許されるのか。

こんなにモヤモヤするのは、まんまと術中にはまっているのだろうか。悔しい。

https://anond.hatelabo.jp/20170915185159

2017-09-08

旦那ちんこ揉みたい

平日の真っ昼間からお前は何を言っているんだとツッコまれそうな話をしてごめん。

でも言いたい。

旦那ちんこ揉みたい。非勃起時のふにゃふにゃなちんこが揉みたい。

あの触り心地、良いよね。延々とふにふにしていたい。

先端をつんつんぷにぷにするのも好き。

玉袋を揉むと中身がころころ動き回って楽しい

お腹が痛すぎて世界よ滅べと呪う程度には荒んでいる私の心を癒す為に揉みたい。

別にちんこけが好きなわけじゃないよ、旦那のことはだいたい全部好きだよ。

今はちょっと痛みで思考が迷走してるだけで、ちゃんと愛はあるよ。

……誰に何の釈明をしているんだ私は。

とりあえず疲れたから早く帰りたい…



9/8 22時頃追記

思った以上に反応があってびっくり。共感してくれる人もいて結構嬉しい。

とりあえずいくつか気になったものへ返信を。

>すぐ硬くなっちゃうと困るからEDになった方がこの増田幸福度があがる??

旦那セックスしたい、抱かれたい」という欲求も人並にあるので、EDになられるととても悲しい…

>触り心地は十人十色ですね

マジで?!個人差があるのは大きさや形状だけじゃないのか、また新たな知識を得てしまった。

>玉を揉むのは危険です

オッケー分かった、今後は竿だけ揉むようにするわ。ありがとう

>フニャちんくん

存在は知ってたけど、所持しているのを万が一誰かに見られたらと思うと中々買う決心がつかない…

2017-08-25

ムック蔓延る糞ラルオタが本当に気に入らない

ムック、というV系バンドがある。

1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。

そしてその世界観を自ら打破し、ロックテクノメタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーイベントに勤しんでいる。

私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。

もう十余年もムック音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐ライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活従事する日々。

長らく夢烏(=ムックファン呼称ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファン卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。

しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である

何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。

そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。

しかし、ここ数年、本当に心の底から気に入らないものがある。

それは新たに取り込んだ、とあるファン層だ。

2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。

このリリースきっかけに、あるバンドファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。

ムックと同じ事務所所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielファンである

このシングルにはラルクギタリスト、Kenが楽曲プロデューサーとして参加している。

日頃ラルク活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムック音楽に興味を持ったのだ。

ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである

幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース作曲編曲等々多方面マネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー技術的な部分からから、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。

メンバーファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。

なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。

リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキル要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。

そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。

さて、そんなムックが、よそのアーティストプロデュースを頼むだなんて。

当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。

実際楽曲のものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。

しかしそのシングル曲が含まれアルバムツアーからライブ公演に違和感を覚えるようになった。

アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色悲鳴が上がる。

これまでもイントロ悲鳴が上がる場面は多々あった。

V系というジャンル柄、ファン盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源だんだん演奏頻度が下がる。

そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。

しかし、「アゲハ」と「空と糸」はリリースされたばかり。

何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれ可能性は非常に高い。

にも関わらず上がる、「黄色い」悲鳴

別にレア曲でもあるまいに。

私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。

その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。

あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ

早めに着いた私は、グッズ販売待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。

V系のファンバンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。

ムックチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」

Kenちゃんゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」

先の台詞は百歩譲って許そう。

いくら盲目に、宗教的バンドを愛するバンギャと言えども、複数バンドファンを掛け持ちする事はザラだ。

特に本命バンド活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。

そして本命バンド比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。

ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。

しかし猫も杓子も二言目だ。

貴様は何のバンドライブに来ているんだと。

ムックを観にチケットを買ったのではないのかと。

そう言うのならばKenソロライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックラルクの片鱗のみを求めているのかと。

音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。

それでもムック純粋ファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムック本命バンド自分からすれば侮辱しか思えない発言だった。

気持ち分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。

しかムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。

その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブゲストで現れるようにもなり。

気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。

先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。

以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつから露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近ムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。

ムックのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。

しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色悲鳴

チケットファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット

ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈

そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。

何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識

何かにつけ「ラルク」「Kenちゃん」「ラルク」「ラルク」。

そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。

私のような存在老害と呼ぶのだろう。

もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。

それでも、メンバー間のトラブル修羅場があったからこそ生み出された過去楽曲パフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。

V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。

バンド運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージミスしたメンバー段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎ヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。

先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。

元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうである押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。

昔の楽曲も好きだけれど、暗いか最近の曲の方が好きだなどと抜かす。

汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。

繰り返すが、私は単なる老害なのだと思う。

ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。

ムック本命バンド人間もいれば、他のバンド本命だという人間もいる。

必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。

十人十色千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。

からこそ、ファン同士でも理解のし合いが必要だと思う。

とりあえず、これからムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。

それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。

あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。

さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそ小学生夏休み工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。

それもラルクソの文化男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。

ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。

せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。

何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。

万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支え気持ちいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。

ボーカルベース辺りが分かりやす誤爆やらかさないかな。でも周りの大卒が止めちゃうか。

本当に頼むからラルク活動再開してそのまま一生休まないでくれ。

2017-07-26

傷ついたおっさん

おっさんなら子供ぐらいいるでしょ…え?結婚もしてない?30年以上も生きてて?え?今までなにしてたの?

みたいな謗りを遠回しに受けて傷ついてるおっさん

大丈夫だよ人生十人十色だよ

2017-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20170718112636

政策を右か左か、AかBか決めるときに一番権力を持つのって、そのテーマを設定する力のある、つまりマスコミなんだぜ

からインテリは、自分が決めた舞台対立構図を煽りやす二大政党制を求める傾向がある

でも二択じゃリスク大きいじゃん

人の考えは十人十色増田11人いる!(←言いたかっただけ)

2017-06-11

十把一絡げにしか考えられない脳みそほどトンチキではないでしょう

十人十色ってどういう意味だか理解しているか

2017-06-03

人一人が十人十色なら結婚生活は二十人百色だと思うが

なぜか結婚生活には判を押したような結果を求める奴の多いこと多いこと

2017-05-28

ひとりの人間として向き合う方法

「○○なんだから××して当然」と思う癖をやめたい。

「夫なんだから

「先輩なんだから

「私より年上なんだから

大人なんだから

その人のポジションというか、枠に当てはめて考えてしまう。

そして、××して当然という自分の固定概念押し付ける。

人間関係なんて十人十色で、同じものなんてないのにな。

ひとりの人間として、人と向き合いたい。

2017-05-15

喧嘩嫌い。言い争うのも嫌い

ツイッターで時たま暴言誹謗中傷してるツイートRTしてる人がいて

胸糞悪いというかしんどくなる。

たまにツイートでリプやりあってるの見て自分の主張ばっかりで相手の主張を否定してんのみて

心臓がギュってなる。

考え方や思想なんて千差万別十人十色なのはわかってるんですよ。

相手の考え方を否定したらそりゃ喧嘩にもなりますって。

それもツイッターで。そして喧嘩は拡大していく。

自分なら「そうですね。そういう考え方もありますね。ごめんなさい」ってなっちゃう。

倉橋ヨエコの夜な夜な夜なの歌詞にある「喧嘩するより謝る方がいい」ってやつ。

やっぱものさなのかなぁ。

2017-05-01

26歳のわたし東京タラレバ娘

同棲を始めて半年が過ぎた今、家での暇つぶし目的に久々に漫画をいくつか買った。

そのうちのひとつが「東京タラレバ娘」だったわけであるが、この漫画、ひどく情緒不安定にさせられる。しかし、中毒性があって、読むのを、考えるのをやめられない。恐ろしい漫画である

二十代前半の頃、足を使った芸能人の追っかけをしていたわたしは、時折ふと自分未来不安を感じて、アラサー友達と集まるたびに将来どうするのかということを話していた。

とてもかわいくて、若い頃に、そのかわいさを使って当時の推しの関係者身体を張って繋がり、なんかうっかり付き合ってしまったY子ちゃんから、言われた一言が印象深い。

わたしも25くらいからすごく悩み出したよ。そういう年なんだよね。もうおたく辞めようと思って現場控えたこともあるし、彼氏も何人か作ったよ。けど結局今ここにいるから、もう諦めてるかな」

Y子ちゃんとは水面下で繋がり、業界人的な芸能人的な人たちの集まりなどにたまに一緒に行ったりする仲だった。

普通にご飯を食べたり家で遊んだりしたこともあるが、当時はお互いに、このコネを使ってなんとかもっと状況を改善できないか(繋がり的な意味で)と必死だったので、どこか浮ついた心でそんな話をしていた。

当時まだ二十代前半だったわたし漠然とした不安はぽっかりと宙に浮いて、「誰しもそろそろそんな不安を抱える年頃なのだな」という程度に、結論を伴わず据え置きとなった。

ぼんやりと生きている人にも、堅実に生きている人にも、平等時間は過ぎる。

気付いたらわたしアラサー入り口に立ちつつあった。

その頃と状況はうってかわって、わたしはもうレコーディングスタジオリハーサルスタジオの前で立ち続けることをかなり前に辞めていた。

まりにも辞められなくて一時期は、当人に「好き過ぎてやめられない、つらい、もう辞めたい」とメンヘラ気味に相談したこともあったが、ふとしたきっかけにダメ男に引っかかり、そのダメ男から立ち直るためにまた別のダメ男に引っかかり、今に至る。

趣味に思い詰め過ぎて、恋愛ごっこ以下の付き合いばかりになっていたわたしにはそれはちょうどいい荒療治で、すっかりほとんどおたくからは足を洗って、澄まし顔で二人暮らしマンション職場の往復の毎日を送っている。

けれど、漠然とした不安は、消えることはなかった。

世間的にはもう結婚して子供がいてもおかしくない年齢である

けれど、今後の数十年、もとい生きている間の時間方向性を決定するには、わたしの中身は子供過ぎた。

これまでせいぜい大した選択しかしてこなかったのだ。

内申点が足りないか適当私立高校に進学する、三年先までの未来を決めた。

特に就きたい仕事がないから通える範囲で一番偏差値の高い大学に進学する、四年先までの未来を決めた。

転勤なく関東圏で就職して職歴をつけたいから、とりあえず社会人スタート地点という数年分の未来を決めた。

たまたま就職に関しては特に問題もなかったので定年まで勤めようと考えているが、それは今の日本を考えれば本当に運が良かっただけだと思う。

わたしはたった26年生きてきた人生の中の経験だけでは、どれだけ振り絞っても、結婚するという未来に向かって大ジャンプを決められない。

一方で、この26という数字28、30、そして、33になったところで、特に何か特記するような経験を得られるわけでもなく、それこそ「タラレバ」のように、26のあのとき決断していれば、28のあのとき、30のあのとき、というふうに、得られるのは、数年先の未来からの後悔だけだということはなんとなくわかっている。

特に彼氏になにか大きな問題があるわけでもないが、特別「このひととなら絶対幸せになれる」という保証があるわけでもなかった。

そんなの当たり前である。そんな人間はどこにも存在しないのである

しかし、大義名分のようなものをもって、結婚するカップルもいる。

初恋同士の結婚は、結局旦那社会的地位年収がそれほどなくても「やっぱり二人は結婚しなきゃね!」と持て囃される。

当人同士だって、今更別れて条件のいい相手結婚しても絶対死ぬまでに数えきれないほど「やっぱりあのとき初恋の人と結婚していたら」とタラレバするだろう。

公務員同士の結婚などは、また違った意味で持て囃される。

「堅実ね」と親世代から大プッシュな上に「公務員か〜、安定してていいね」と女友達からも絶賛である

こういう客観的な要素で他人からプッシュしてもらえる結婚を少し羨ましいなと思った。

もう26されど26である

大卒だとまだあまり結婚している友達は少ない。SNSを見れば飲み歩く女友達に溢れている。みんなきらきらした独身謳歌している。

絶妙な齢なのだと思う。

幼稚園の頃のように無垢ではないから、「結婚してお嫁さんになる」ということを「幸せ」とまっすぐ結びつけられない。

結婚して、子供を産んで、子供大人になって、結婚して、孫が産まれてという当たり前の幸せを送ることがどれだけ困難なことか、知識だけでは知り過ぎていた。

何組に1組が離婚する世の中だとか、統計上では、片手で数字を数えられる子供ならわかるような算数なのに、

その原因は十人十色で、こうがこうである、ゆえにこうである、というような明確な条件下に成立する結果ではない。

それなのにまわりは、アラサー女子に「次はあなたの番ね」などと軽々しく声をかける。

二十代前半の頃に、鼻で笑ってかわしていた言葉となんら違いはないはずなのに、もうあの頃のように軽やかにかわせない。

それほどまでにわたし背中には、知らない間に、生きていくには無駄ないろんなもの(一種の保身のようなもの)が住み着いていた。

最近結婚したアラサー事務さんに結婚するのか、と聞かれて、「しようって話になってるし、するんだろうと思うんですけど、漠然とこれでいいのかなって不安です」みたいな話をしていたときに、

結婚ってまわりに言われたからするもんじゃないよ、自分たちで決めてしなきゃ」と言われた。

しかにきっとその人はまわりに結婚を急かされても大事大事に愛を育んで、自分たちタイミング結婚したに違いなかった。

「どうして結婚しようと思ったんですか」と聞いたときに、「ずっと同棲してたからこの人とするんだろうなと思ってた」と言われた返事がわたしには眩しかった。

わたしは、すぐ結婚してくれない彼氏同棲し続けていたらメンヘラ拗らせて酒飲んで泣いて吐いてを周期的に繰り返すくらいには弱いだろうし、たぶん別れて婚活する選択をとるだろうと思う。

そのひとはわたしにはない強さを持っていた。

わたしは今、そんな強さを持ち合わせていない。

好きだからずっと一緒にいたい、という気持ちと、結婚するということとの間に乖離があって、その重さの違いに戸惑う。

家族になる、ということはわたし一人が失敗しないようにコントロールできる範囲を超えていて、絶対的な自信を持てない。

けれど、持たなければいけないのだ、きっと。

もしこの人と結婚したら、とか、結婚しなければとか言っている場合ではないのだ。

制服を着ていた頃、「マリッジブルー」という言葉意味理解できなかった。

結婚しようってなるなんて、幸せ絶頂じゃ

ん、なのになんでブルーになるの、と純粋に疑問だった。

きっとつらつらと書き連ねた言葉たちは、一言でいうと、一種マリッジブルーなのだろう。

けれど、16の頃のわたしは知らなかった。

簡単英単語たつを組み合わせた数文字カタカナが、こんなにどす黒く、深く広く、心細いことを。

そして、タラレバなどと女友達とあれこれ言い合っても、決してそれは薄れはしないことを。

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170425184159

ニコ生に出た際、私が出るたびに書き込まれる『絶対に許さない』って言葉、止めてもらいたいんですが、どうしたら良いんですかね。

手紙で送られてきたりもします。

ブログコメント欄廃止してもあまり意味がなかったのかもしれません。

私が何かしましたか理由もわからない。

言わないと伝わらないようなので、はっきり言いますね。

皆さんは遊びでやってるのかもしれませんが、私は気分が悪いのです。

何年も前からその状態が続いて、放置してれば飽きるのかと思いましたが、そういうわけでも無い。

悪気や悪意が無いし、相手も見えない状況ならなんでもやっていいっていうのは違う。

相手友達なのか、見ず知らずの他人なのかという、関係性でも意味合いは変わってきたりしますが。

大人子供も改めて、言葉の大切さを考えて。

もし自分が言われたら、やられたら、どう思うのか。

相手立場にたって考えることを忘れないで頂きたいです。

そうすれば、もっと諍い無く生きていけるんじゃないかって。

思いやりを忘れずに。

悪者をつくる事は簡単ですが、そうじゃなく、相手の状況や立場思考を表面的ではなく、理解しよう、汲もう、受け入れよう、その努力をしよう。

相手の顔が見えない、感情がよめないネットからこそ、よりそれが必要だと思います

相手に面と向かって同じ事がいえますか?

これって意外と重要ポイントじゃないですか?

お互いにそれが出来れば、もっと素敵な世の中になると思います

キュアメロディを通じて改めて私が感じ、伝えたかった事の一つです。

考え方は十人十色ですが、少しでもそれを理解してくれる方がいることを私は信じています



http://blog.excite.co.jp/amisketch/17936796/

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170415230107

追記:

とりあえず直接の疑問について。

そもそもそんなすぐバレる事確実な犯罪を何故犯すのか、って事になるんだけど。

ん。だから前文で「ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが」と書いている。合理的判断すればリスクに見合わない行動であっても、時として人はそこまで完全に自分自身を理性下に置くことはできない。だからこそ間違いが起きる。

殺せばバレないと思ってた?でもそれにしては証拠残しすぎ

口封じや事件の隠匿を狙った殺人効果的だ、という話はしていない。ただ、罪を犯してしまった人の心理として、明日捕まるのと1週間後に捕まるのでは、そこには越えられない壁があるという話に過ぎない。そのまま被害者目撃者)を放っておけば、短時間で捕まってしまうだろうと考えた加害者が、事件発覚を遅らせるためさらに重大な犯罪に手を染める、という心の動きはそこまでおかしものではなかろう。…それが頭の悪いものであっても。

証拠を残しすぎなところを見ても、計画性の薄いかなり衝動的な犯行であったが故の悪あがき(殺人死体遺棄)であったように思う。

あと、なんというか、ロリコン得体のしれない理解不能ものとして犯行動機を探るよりは、鉄道車両痴漢が発生するプロセスから紐解いた方が理解やすいんじゃなかろうか。

痴漢というのは、狭い車内に沢山の人が乗り込む満員状態によって引き起こされる。これは多数の人間同士が密着することによって、誰の身体が誰の身体に触れているか判断がつかない状況が生じているせいだ。こういった状況下で気が大きくなる心理というのは、容易に理解できるかと思う。匿名ブログサービスからついつい余計なことを書き込んじゃう心理は、自分が今味わってるそれだ。

幼児を狙った性犯罪誘拐がセットになるのは、成人女性に比べて単独でいる時間が少ないせいというのが主な理由だろう。あと運びやすさ。性犯罪殺人強盗に比べて犯行にかかる時間が長い。故にターゲットを人目につかない場所まで誘導誘拐する必要が出てくる。人気のない夜道を歩く女性や、一人暮らし女性宅が狙われやすいのは、犯罪者からすれば自明の理だ。

からこそ幼児を狙った性犯罪の多くが、身内や近しい人間犯行となりやすい。妻の連れ子や、学校や塾の教え子などは長時間密室ふたりきりになる機会が生じやすく、また社会的立場により口封じがし易い(自分我慢すれば母親が悲しまない等)環境も整っており、多くの悲劇を生んでいる。

今回の件も、たまたま相手誘導のしやすい子で、かつ目撃者のいない空間が整っていたからこそ魔が差ししまった、という単純な話ではなかろうか。

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なんというか、こんな的外れロリコン分析を真に受けちゃうのかと驚かされる。

性犯罪にかかわらず、殺人副次的ものである場合加害者の心の動きというのは、だいたいが口封じのためだ。

今回の事件でいえば、ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが、徹頭徹尾パトスに駆られた人物という犯人像は、いくらなんでも現実的ではない。逮捕された容疑者男性が実際に犯人であるなら、亡きロバートKレスラー苦笑いしそうな心理分析必要なく、「顔見知りに近い人物による犯行がための目撃者被害者)の殺害」で説明は事足りる。というか地理的な要素をまず検討するってのは、殺人事件捜査では基本じゃなかろうか。

無論、増田友人が想像するような犯罪者がいないわけでもないだろうし、上記の分析仮定仮定を重ねたものだが。

いずれにしても、ロリコンがすべて同じような理想を抱いているという増田友人の言は、暴論にすぎる。あまりにもモヤモヤするので、ロリエロマンガについての個人的な分類を語りたくなってきた。

ロリエロマンガは大雑把に2つに分類されると考えられる。

リアル系ファンタジー系(仮称)だ。

それぞれの特徴を説明する前に、身体的にも精神的にも経済的にも未熟な幼児を性の対象とするということがどういったことか、改めてざっくりと説明しておきたい。

相手苦痛・損害を与える、だ。

当然ではあるが、だからこそ幼い子供は法によって保護されている。

ロリエロというジャンルを捉えるなら、まずここが出発点といえるだろう。

リアル系の特徴

これは現実的シミュレーションを含んだもののことだ(リアルだとは言っていない)。上記の点により肉体的・精神的な苦痛を伴ったり、救いのない展開や、レイプ児童売春性的搾取といった犯罪的な要素がついてまわる。

また、リアル系の傾向はストーリーだけではなく、絵柄にもその傾向が見て取れる。

それらの特徴を内蔵的と仮称する。

内臓的絵柄とは、人体デッサンにおいて、皮下の骨格や内臓といったものをしっかりと踏まえた、解剖学的な正しさを感じさせる絵柄のことだ。かなりざっくりと説明するなら、ごつごつとしていたり、あばらを描いていたり、目の大きさが現実的サイズの絵柄のことだ。

こういった身体的なデッサンの人体は、苦痛表現するのに適しているのだろう。猟奇的作風作家にも多い傾向だ。

LOたかみち氏の爽やかな表紙に反して、こっち系の作家が多い。というか、町田ひらく氏といったこっち系のドきつい人がいたりするので、リアル系が苦手な人には正直、キツイ

キツイ

ファンタジー系の特徴

ファンタジーといってもRPG世界といった意味ではない(お約束)。現実リアル)の対義としての非現実ファンタジー)だ。どうしても犯罪臭はあるもの苦痛や鬱展開はほとんどなく、概念としてのロリを具現化させた存在と戯れる傾向にある。

そのため絵柄の特徴もリアル系内臓的なものとは対照的スキン的絵柄となっている。具体的には、きめの細かい肌触りや柔らかさといった表層の部分を重視する人体デッサンのことであるつるぺたという表現死語化してひさしいが、要はあんな感じだ。

LOでこっち系といって思い浮かべるのは阿骨打先生だ。個人的トップに入る好きな作家だが、死亡説が囁かれるくらいには寡作な方である(そうなる事情も分かるので複雑だ)。

余談だが、熟女エロマンガの絵柄の特徴は肉的だ。

ロリエロマンガは出発点が出発点だけに、分類がはっきりしているジャンルだと感じる。

が、近年はスキン的絵柄のリアル系ストーリーみたいなハイブリッド型の作品じわじわと広がってきている。クジラックス氏の例の作品あたりが起点だろうか。

ともあれ、人の性的指向なんて十人十色から惹かれ合ったりするわけで、一口ロリといっても、それのどこに着目するかは人それぞれなのだ。と書いたら急に口調がアライさんみたいになってしまったのだ。

フェネック、もう終わるのだ。

2017-04-09

2017年アニメ感想

やっと見終わった

アニメはこれからチェックする

セイレン

宮前先輩派

鹿ではネコ科には勝てなかったよ

チェインクロニクル

黒に来るが楽しかった

エロ担当があっさりで不憫

原作ゲームキャラクター世界観踏襲したままアニメならではの独自なことをやる手法としてダブル主人公というのはおもしろアイディアに思えた

けどけもフレも同じか

自分が知らなかっただけでさほど珍しい手法でもないのかな

この素晴らしい世界に祝福を2

1期同様おもしろ楽しいのだけど、宗教ネタでいじるのはちょっとどうなんだろう

ゆんゆんかわいい

ハンドシェイカー

手をつないでいる男女(同性同士でもいいけど)を見たらもしやハンドシェイカーかと身構える楽しみを覚えてしまった罪深い作品

こちらは手をつなぐ相手がいないか部外者なんだけどね

新居昭乃がいいアクセントになってた

OneRoom

主人公視点カメラ盗撮視点カメラとを交互に見せることでそこはかとなくいかがわしい雰囲気演出することに成功していたと思う

ミュージシャンの夢破れて田舎に帰るのがいたたまれなかった

政宗くんのリベンジ

人間関係とかテンプレではあるんだけど、テンプレなだけに安心して楽しめた

それだけに尻切れトンボ構成が残念

剣山 叡智への資格

1期目とは雰囲気が変わったような気がしたけど、これはこれでおもしろ

とくにおっさんがいい味出してた 水車小屋もよかった

心を試される試験では日本マンガアニメだと主人公がウジウジ悩みそうなところを、この主人公は弱い奴らのことなんか知らねーって言い切ったのがスカッとした

ニコニコで見ていたのでオープニングの馬に毎回つっこまれていたのだけど、まさかその馬が話の中で回収されると思わなくて素直に驚いた

神々の記(ニコニコ配信されていたからここに入れておく)

森川智之劇場

かわいい方向に寄せた森川智之というのは案外貴重なのではなかろうか

AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-

ひとくちに「オタク」といってもその中身は十人十色ということがよくわかるし、その多種多様な「オタク」をまるっとまとめて飲み込んでいたのが秋葉原という街なのかもしれない

得意分野だけではなく得意ではない分野でもそれなりに知識カバーできるような総合的なオタクのための作品なのだろうと思う

自分にはわからないネタも多かった

小林さんちのメイドラゴン

小林さんがイケメンすぎる

エルマの活躍をもう少し見たかった

スクールガールストライカーズ

途中の息抜き回かと思っていたおむすびころりんの釣りの話とかバレーボールゴレンジャー)がちゃんと結実する構成個人的な好みにどんぴしゃ

少し前に伏線が回収されればおもしろくなるわけではないといってた増田がいたけど、回収されることそのものおもしろさというものもあると思うんだ

ガヴリールドロップアウト

かわいいし笑いもおもしろくて抜群の安定感ではあるのだけど、なんというか全体的に隙が無い優等生みたいでどこか部分的に褒めるというのがむずかしい

得点は高いけど部門別にすると2位とか3位とかになっちゃうような器用貧乏みたいな感じ

けものフレンズのヒットを考えるときの補助線は人間ごっこじゃない気

https://animeanime.jp/article/2017/04/08/33387.html

読んだ。

もちろん作品の受け取り方は十人十色だと思うし書いてらっしゃる考え方も面白いなぁと思うのだけれども。自分自身がそう感じたかと考えると、若干もやった。なのでぐだぐだ考えながら書いてみる。上手に整理できるかな

自分自身作品全体を通して見た後に強く心に残ったのは「今までにない関係性の余地」みたいな物だった。もっと言うと「今までにない関係性に対する希望」みたいな物だ。少なくとも自分にとっては、この「関係性に対する希望」こそが、この作品作品世界を好ましく思うポイントになっている様に感じた。

ロードムービー的な展開を通じて各ちほーのフレンズ達と丁寧に向合い、都度好ましい関係を結び続けて来たかばんちゃんが、何よりも大切に考えていたのは「関係性とその記憶なのだと思う。自身出自も含め一切の記憶を持たないかばんちゃんにとって、唯一財産と呼べる物は「フレンズ達との関係性とその記憶なのだろう。だからこその11話の自己犠牲だ。そしてそのかばんちゃんの意志に対して、各ちほーで「関係」を結んで来たフレンズ達も同様の判断を下した。その結果が12話の全員集合だ。

友達との想い出を守る」など直球にも程がある。がしかし多くの視聴者はこのシーンで盛り上がった。少なくとも自分は年甲斐もなく震えた。なぜか。勿論中盤までの展開との落差等見せ方の巧さもあるだろう。がそれだけではない。このシーンはかばんちゃんとフレンズ達が、種の境い目を超えて最優先事項と位置付けた「関係性」が全肯定され「群れとしての強さ」を発揮するシーンなのだと思う。

通常「群れ」とは同一種によって形成される物だが、この作品世界ではこれが種の壁を越えて形成される。これを可能にする仕掛けこそが「フレンズなのだと思う。フレンズは各々種としての特性を残しつつ言葉を介し意思疎通することが出来る。この特性は「ヒトのフレンズであるかばんちゃんにも同様に適応される。そう。かばんちゃんも「ヒト」ではなく「ヒトの特性を残したフレンズなのだ。かつて何者であったかを問わずフレンズである事によって、フラットに、各々の特性を活かしながら「かつてない、種を超えた関係性」を結ぶ事が可能になる。そしてそれが正しく力を発揮する「けものはいものけ者はいない」たつき監督がつくり出したかったのは、そういう世界なのだろう。

そういえば一昔前「絆」という言葉がもてはやされスグに消えた。当然だ。実生活では会社でも学校でも家庭でさえも他者との「絆」を疑い無く信じ抜く事は難しい。ともすれば裏切られ傷つけられてしまう。それが現実だ。ヒトは大人になるにつれ、その難しさ理解し欲しながらも諦め忘れて行く。「関係性の力を信じさせる」という事は、だからこそとてつもなく難しい。「世界ひとつだけの花」と歌った人気グループ解散した。作り物のおとぎ話の中でさえもこれを破綻無く成立させる事は困難だ。生半可な事ではこの困難を乗り越えヒトに希望を感じさせる事は難しい。

この困難を乗り越え、説得力のあるおとぎ話をつくるには相当な技量必要になる。それこそが「クリエーター技量」という物なのだろう。が。たつき監督は「フレンズ」という仕掛けを通じてこのおとぎ話を成立させた。「癒し提供したい」という趣旨発言があったが、それは「癒しっぽい気分の提供」では無く「関係性に対する希望破綻無く魅せる」という事なのだろうと自分は受け取った。細かく指摘すれば綻びの芽もあるのだろうが、それでも相当の精度で「おとぎ話」を成立させた力量はとんでもない物だと思う。どうして今まで世の中に出て来なかったのか不思議でならない。これから先どんなおとぎ話を語ってくれるのか。もう本当に楽しみで楽しみでならない。

あれこれ考えながら書いてたら、たつき監督を讃えて結ぶ感じになった。けど。まいっか。

2017-04-05

けものフレンズは素晴らしいらしいが

けものフレンズは素晴らしいらしいが

ちょっとでもケチつけた意見キーキー嫌味や上から目線排除

しようとするアホな奴らをはてなでも沢山見るから

そんな他人に狭量な奴らが十人十色で素敵な作品の素晴らしさを語るなんて滑稽だし

そいつらは流行りに乗っかっただけで自分が素直にいいと思ったわけではないんだろうな~と思う。

2017-03-15

私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。

 私はかつて差別主義的なケモナーだった。

 ご存知のようにケモナーには様々な派閥存在する。

 メスケモ派、オスケモ派にはじまりマッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……

「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限ケモナーを造った」

 とは近代日本における先駆的ケモナー福沢諭吉名言である

 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、

 同時に細かな嗜好の違いによる派閥対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。

 そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語所与のものとして生きるようになっていた……。


 私もそうだった。

 私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者排除差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。

 派閥意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2ch晒した。

 なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミストである

 サイバーコネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。

 「ニンゲン身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。

 彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。

 なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。

 多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。


 中道過激派秘密ケモナー警察あいだで流行ったジョークにこんなものがある。

 「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。

  ”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」

 私も彼らを憎んだ。

 でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。


 

 現代ケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。

 一見それは理性的合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。

 だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである



 だが忘れもしない2017年の某日。

 私は『けものフレンズ』を観た。

 もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。

 しかし、一種社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間無理解を忠実バラなぬ」という一種義憤から、けもフレを鑑賞したのである


 最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。

 だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、

 画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。

 のみならず、こう思うようにさえなっていた。


「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。


 ケモナー一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。

 同胞たちは自分たちの好きなものカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。

 ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?

 それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――


「姿かたちも十人十色からこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所

「飾らなくても大丈夫」な場所

 それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?


 蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。

 すべての教えは『けものフレンズ』のなかにあったのだ。 


 私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。


 灰色廃墟が広がっていた。

 だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。

 地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。

 こんな穏やかで静謐時間はどれくらいぶりだろう?

 まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。


 私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。

 そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。

 老人はあきらかに”レベル2”であった。

 ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。


「きみも、観たのかね?」

 そう老人は問うてきた。

 私は無言で頷いた。 

 頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。

 涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである

「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」


 老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。

「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。

 高らかに笑い、笑えば、フレンズなのだ

 喧嘩してすっちゃかめっちゃかしても仲良しに戻れる」   


 そうとも、と老人は私の肩を叩いた。

 ここが、われわれのジャパリパークなんだ。

 われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。

 まっさら状態で。

 だから、ここからはじめよう。 

 本当の愛は、ここにあるのだよ。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302221902

私は発達障害当事者ADHDと自閉スペクトラムの混合型、グレーゾーン)なのですが、この

自分理解していることは他人理解していて当然だと考え、そうでなかった時は怒りを露わにする

すごくよく解ります。話がかみ合わず物事が進み、気づいた時には誤解・勘違いによるトラブルが発生、という事が多々ありました。だから、怒りを露わにするときは、「何で理解していないの?」というよりも「どこかですれ違っていた、日本語齟齬に気づかぬままだった事になぜ、お互い認識のすり合わせが出来なかったのか」という恐怖感でいっぱいになりますトラブル発生した時のトラウマを抱く人も少なからずいるんじゃないかな…。勿論、「怒りを露わにする」(暴言や大声、ヒステリーって事だよね。)なんて、いけないと思うけど…。

因みに、注意点ですが…。発達障害十人十色、各々多種多様障害を持つので箇条書きにあった通りに当てはまらない障害者も中にはいます。羨ましい(笑)

2017-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20170301180026

death6coinではありません。

無駄羞恥心を燃やして捨てました。

作品に対する悪意はありません。

痔を悪くする増田がいたらごめんなさい。

Welcome to ようこそアナルパール

今日もズッコンバッコン大騒ぎ

アー!イクゥー!

ズボズボとほじりほじれば アナルパー

アクメして すっちゃかめっちゃかしてもマジイキー

アナパは居ても エネマグは居ない

本当のケツはここにある

ほら 君もパールつないで大冒険

(ワン・ツー・スリー)

Welcome to ようこそアナルパール

今日もズッコンバッコン大騒ぎ

姿かたちも十人十色 だから引かれ合うの

割れ目の中に 指をそっと重ねたら

はじめまして

君をもっと知りたいな

ファー ファーーーーーーー!

ララララ ララララ

Oh, Welcome to the アナルパール

ララララ ララララララまれケツ穴

ララララ ララララ

Ohh, Welcome to the アナルパール

ララララ ララララララ 素敵な快楽

ようこそアナルパール

http://anond.hatelabo.jp/20170301120502

death6coinです。

無駄な対抗心を燃やしてみました。

作品に対する悪意はありません。

気を悪くする増田がいたらごめんなさい。




Welcome to ようこそはてブパーク!

今日も喧々囂々大騒ぎ

就!業!

高々と煽り煽れば触れんズ

コールしてすっちゃかめっちゃかしたら非表示

手斧はあっても手負いは居ない

本当の悪意ここにある

ほら 君もブクマ繋いで大暴言

(ワン・ツー・スター)

Welcome to ようこそはてブパーク!

今日も喧々囂々大騒ぎ

左右 仇も十人十色から非難し合うの

アイコン横にカーソルそっと重ねたら

はじめまして

君をもっと知りたくない

非ー!表示!

ララララ ララララ

Oh, Welcome to the Underground

ララララ ララララララまれオフ会

ララララ ララララ

Oh, Welcome to the はてブパーク!

ララララ ララララララ 素敵な人たち

ようこそはてブパーク!

ようこそはてなパーク

Welcome to ようこそはてなパーク!

今日もドッタンバッタン大騒ぎ

うー!がぉー!

高らかにIDコールすればフレンズ

メタブしてすっちゃかめっちゃかしても仲良し

非表示は居ても垢バンは居ない

本当の愛はここにある

ほら 君も雑なdisりで大炎上

(ワン☆ツー☆スリー☆)

Welcome to ようこそはてなパーク!

今日もドッタンバッタン大騒ぎ

思想 アイコン十人十色からどつきあうの

お気に入りボタンに指をそっと重ねたら

はじめまして

君をもっと知りたいな

うー!がぉー!

ララララ ララララ

Oh, Welcome to the はてなパーク!

ララララ ララララララまれ友達

ララララ ララララ

Oh, Welcome to the はてなパーク!

ララララ ララララララ 素敵な隔離

ようこそはてなパーク!

2017-02-12

ようこそアカデミーアへ!

ウェルカムようこそアカデミー

今日もどったんばったん大騒ぎ!

ウホホホッウホホッウホホホ‼  うー!がぉー!

高らかに学位とったらポスドク! (ポスドク

サドクしてひっちゃかめっちゃかしても仲良し! (ふっふっふー)

任期付きはいてもパーマはいない本当の闇はここにあるー

ほら君も手を繋いで大冒険 (3回目の契約更新

ワン・ツー・スリー!

Welcome to ようこそダイガクゥー!

今日もドッタンバッタン大騒ぎ!

得意分野も十人十色から魅かれ合うの

任期切れ空に 指をそっと重ねたら

はじめまして

君(ボス)をもっと知りたいな!

ララララ ララララ Oh, Welcome to the ドッポウゥ! (独法

ララララ ララララララまれポスドク

ララララ ララララ Oh, Welcome to the コッッケェン! (国研)

ララララ ララララララ 素敵な転職ゥゥゥ!

ようこそアカデミーア!

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<あらすじ>

突然、記憶喪失状態でジャパリパークに現れた「しんそつ」。最初出会ったピペドラッキージョキョウ(任期付き)と共に、様々な場所で様々なポスドクの助けを借りながら、自分の職位を知るべく「面接」を目指す。

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ボス「モンカショー ノ チカラ デ スベテ ノ ポスト ハ ニンキツキ ニ ナッテイルヨ」

2017-02-03

クローン

私はキャバクラのボーイをしていた。

キャバクラ風俗にも、微塵も興味はなかった。やりたくて始めたのではなく、社用車の貸与とそこそこの給料という条件がおいしかたからだ。

私は当時、マイカーを持っていなかった。

地方都市キャバクラ

一応、申し訳程度に“北○○(地方名)最大規模”などとする繁華街だったが、そこで私は繁華街というものを知った。

私の疑問は、客も、そして繁華街に勤務する側の人間も、なにか申し合わせたように「全く同じような人間ばかりだった」ということだ。

好きなものパチンコ/パチスロソーシャルゲーム、安い酒、あとは女。女と言っても、キャバ嬢

音楽EXILE(三代目ナントカ)、BIGBANG、あとはドン・キホーテにおいてあるパーティーMIXとか銘打ってあるDVD/CDトレンドとされていた。俗に言うEDMというやつだったか

キャストのほうは女というのもあってか、ギャンブルにハマるのはそうはいなかった。あくま経験があるというだけというのが多かった気がする。

しかソシャゲへ力の入れようは尋常じゃなかった。俗に言う廃課金な連中が大半を占めていた。待機席でスマートフォン操作しているときに、他にやることがないのだ。

これを仕事のない休みでもやっているというのだから凄いものだ。よくレバーボタンもなくゲームハードでもないスマートフォンとそこまでにらめっこしていられるものだと感心してしまった。

音楽に関しては先述とほぼ同じだが、そこに西野カナ加藤ミリヤが入ってくる感じだった。むしろ、その占める割合が高かったかな。

繁華街を歩く人間は、格好も画一化されていた。

半袖のポロシャツの襟を立て、その下にアンダーアーマーのようなボディスーツ状の長袖Tシャツを着たり、白パンをロールアップしてデッキシューズを履いたり、クラッチバッグを持ったり。

スポーツメーカーロゴが多数プリントされたセットアップジャージを着てるのもいた。あと、4~5年前に一部地方都市流行った(のか?)とされるオラオラブランドの服とか。

他には、汚い作業着姿を良しとする風潮もあったと思う。俗に言う現場仕事建設系が大部分を占めていた。

私がこれまで見てきた客や、そこそこに入れ替わるキャスト他店のボーイ陣は“みんな同じだった”。

誤解を招きかねない表現だが、再三言わせてもらう。“みんな同じだった”のである

人間十人十色千差万別…などと言えればどれだけ良かっただろう。ジョン・ライドンもそんなようなことを言っていた気がする。

だがそうではなかった。現実は類は友を呼び、似た者同士で密集していた。繁華街を歩く者は、一様に同じ形態となっていた。まるで、その枠からはみ出せば何か刑罰でもあるのではないかという様に。

はいからか、彼ら彼女らを「クローン」と呼ぶようになった。

そんなクローン工場毎日眺め、クローン相手をするのにも嫌気が差してきた私は、マイカーも手に入ったことだしと職を変えることを決めた。ボーイを初めて3年が経とうとしている頃だった。

私は職を変えた。もう間もなく一ヶ月が経とうとしている。とある自動車メーカー本社製造工場に勤務している。

ボーイをしている頃は毎日精神的な疲労との戦いだったが、ここではそれが皆無だ。給料はボーイ時代の1.5倍。生活への潤いは破格のものだ。

土日休みで、月に2度の休日出勤と、1時間ほどの残業が2週間ぶんほど存在するが、嫌なら断れる。残業代はもちろんきちんと出るし、そもそも休出残業強制ではない。有給もある。

労働環境においては飛躍的な向上を果たしたと言ってよいだろう。キャバクラのボーイの頃の労働環境は、お世辞にもそこまでよいものではなかった。

唯一の悩みは、他の労働者だ。幸いにも、人間関係には恵まれている。…恵まれているのは間違いないのだが。

休憩時間中、喫煙室や休憩所で他の労働者が口を開くと「パチンコ/パチスロソーシャルゲーム飲み会キャバクラ」。話題の内容は、100%確実にそれだということ。

クローンの幻影は、まだそこにある。

(追記)

とりとめのない書き方をして申し訳ない。愚痴も込んでしまい、書くべきものがぶれてしまった。

私が傍から見て、彼ら彼女らと同じ人間であるように見える…というのは実に客観的で納得がいくのだが、気になるのはそこではない。

なぜ「人間がこうも画一化される」のかだ。それが最も疑問に感じてならない。

十人十色」「千差万別」と「類は友を呼ぶ」「似た者同士」は相反するものだと思うが、どうしてこうなっていくのかが。

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ようこそ ゲスト さん