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はてなキーワード: 十人十色とは

2018-02-25

真の平等などない

人類平等というけれど実際は十人十色

本当は「人類平等だとみなす」ということ

からどうしたって理想現実にはズレがある

よって「平等」といってもいろんな平等があって

どれが正解かなんて答えはない

あるのはどの「平等」が世の中でもっとも支持されているか

2018-02-21

anond:20180221195756

十人十色だろ…100人もいるのに10通りしかなかったら結構それぞれでもなくなっちゃうじゃないか

2018-02-11

あなたにとってかっこいいとは?

たぶん答えは十人十色からトラバブコメ過去最高の数字を叩き出すな。

anond:20180211024158

そうじゃねぇよ

いからお前の好きな歌書けって

書けないって事は分かってるんだろ?

十人十色、蓼食う虫も好き好き

お前の好きは誰かの嫌い

そういう事です

2018-02-10

アニメ声とは?

少女の演技に伴うある種の大袈裟さ」みたいなことを言えば昔からでしょ。

鉄腕アトム(63年版)のウランとか探して聴いてみたけど、最近アニメの声とどこが違うのか分からん

https://youtu.be/n6AmD9JgEcc

金朋とかああいう極端な声質のことを言ってんのか?

分からん

実際に「アニメ声ってどんな声?」ってアンケートを取れば十人十色の答えが返ってきそう。

anond:20180210053518

2018-02-02

今期が豊作すぎると嫁の中で話題

強烈な萌えアニメの数々

 美少女コスプレ魔法少女アニメことCCさくらの新作を筆頭に萌えを研ぎすませたアニメがこれでもかと襲い来る。ハクメイとミコチの愛らしいデフォルメ体型に君は何を思う?三ツ星カラーズに真のロリコンを感じているか?はたまたりゅうおうのおしごとにこそロリ王の波動見出したかゆるキャン△キャラは何故あんなにも生き生きとしているのか。雨上がりのように訪れる恋は男女逆ならただのセクハラではないのか。ヴァイオレットエヴァーガーデンのこれでもかと並べられたむき出しの性癖しかと見よ。萌えの形は十人十色ながらきっと誰もが気に入った萌えを見つけられるであろう萌えアニメの豊作クールだ。

二本のロボアニメ

 今期はロボットアニメが二本も始まった。これは凄い。凄いことなんだよこれは。そしてどちらも出来が良い。これは本当に素晴らしい。明るいエヴァンゲリオンことシンカリオン子供向けアニメありがちなマンネリズムに囚われまいと物語に揺さぶりをかけようとする作り手の気遣いがあって信用度は高い。なんとエヴァンゲリオンコラボ新幹線が本当に登場するというのだからそこも注目だ。ダーリン・イン・ザ・フランキスロボットアニメというよりも変態スケベアニメなのだが、作画の質は高いし世界には謎が満ち溢れSFアニメとしての意欲も強い。一見すれば作品の方向を見失わせるようなドスケベデザインや、少年少女葛藤を剥き出しで描くことによって産まれた青臭さのジェットストリームは、人型ロボットという子供じみた無邪気さとベストマッチしているのではないだろうか。

筋書きをまだ誰も知らないドラマ

 今期はオリジナルアニメが強い。さきほど語った二つのボアニメもそのオリジナルアニメである原作付きであるはずのポプテピピックも、もはや原作の枠の向こう側に飛び出ているのでオリジナルアニメと言っても問題はないだろう。あるのかも知れないが私は無いと思う。他にもいくつかオリジナルアニメとして注目したい作品がある。1つは刀使の巫女。だけど視聴を薦めるつもりはない。このアニメは余りにも危ういからだ。ストーリーはい破綻するとも知れないし、作品の作りたい絵作りもまだまだ見出しきれていない。美少女が刀を振り回したら面白カッコイカワイイぜをコンセプトに左足が沈む前に右足を突き出して水面を走り抜けている状態が当面は続くだろう。このどこに向かうのかわからない所がオリジナルアニメの魅力なのだ。どこに向かうか分からないといえば『南極』こと宇宙よりも遠い場所だ。南極に向かうのは分かる。だけどそこで何をするのかが分からない。とにかく南極に行くわけだから観測隊に潜り込むために頑張るのは分かるが、それで南極に実際行ったらなにをするのかが未知数だ。危うい。この危うさが魅力なのだバクチってのは外れるから楽しいんだよ、だ。

ゆるキャンは何故強いんだろう

 もはや語るまでもない。今期でもトップクラスアニメである女の子カワイイキャンプが楽しそう。冬のぼっちキャンプが寒そうで暖かくて季節感満載だ。皆でキャンプの準備するのが楽しそう。ただそれだけだ。それだけなのにどうしてこんなに時間が早くゆっくりあっという間にまったり流れるんだ。

ああ豊作である

 今季アニメは豊作である。これは間違いないことなんだよ。他のクール比較する必要なんて無い。今が楽しければそれでいいのだ。アニメ視聴なんてそれでいいのだ。これでいいのだ。


最後に謝っておく。

嫁なるものは俺の脳内しかいないのでこれは実質的には俺の感想だ。

まり嘘松なのだ

これでいいのだ。

2018-01-29

人間にとっての救いとは。評価について。

人間にとっての救いとは何だろう。

ある人は信仰している神かもしれないし、好きな漫画家作曲家だったり。十人十色である。救いに限らず、多くのもの十人十色であることを最近認識した。

話は大きく変わるが、私はゲームが好きだ。ゲームは私にとっての救いだし、一生を共にする存在なのは確かだ。

そんなゲームにも様々なものがある。そして、ゲームプレイしたプレイヤー達に評価が付けられる。中には「神ゲー」と言われるものもあれば「クソゲー」などと言われるものもある。

しかし、そんな「クソゲー」も多くの人には「クソゲー」でも中には「神ゲー」と感じている人もいる。そのことが実に面白い。これはゲームに限られたことではない。多くのことがこれに当てはまるのだ。

長く拙い文章を書いたが、伝えたいことは、自分他人の何かが違くても、「自分の考えや救いを大切にしてほしい、信じてほしい。」ということである

とても当たり前なことだし、今更何を言っているんだと思う人が多いと思うが、今の時代からこそ忘れたくないことだからこそ書きました。

最後にこれを読んでくれたあなたの救いを是非知りたいと私は思う。

そして、ここまでこんな拙く文章力のない文を読んでくれたことに心から感謝します。ありがとう。一週間頑張ろう。

2018-01-25

私の地雷ヲタク

なんなはてなブログ地雷女についてのブログがバズってたの私も書いてみた。

私は自分で言うのは何だがある程度穏やかな方の性格であると思う。

それでも許せない時があるしむかむかしてしま人種がどうしてもいる。

①喋り方が早口

いかにもオタクってかんじの喋り方苦手である。興奮して話したいことがあるならば、わかる。オタクもの。私もそんな時多分ある。けれどいつでも畳み掛けるような話し方は違和感しか感じない。癖になってしまってるんだろうなとおもいつつも苦手な人種。好かれると疲れることは必須なので避けたい。

②見た目が汚い

ありがちである。たまにノーブラでうろついてる猛者もいてドン引きしかない。せめておっぱいがある限りブラはつけて欲しい。あとなぜ女オタクには汚い天パが多いのか。論文でだしたらなかなか面白い議題のような気がする。

解釈違いを押し付け

知るかとしか言いようがない。

誰にだって解釈違いはあると思う。仕方ない十人十色もの思考考える人の分だけあると思うから仕方ない。でも「それは解釈違いだからやめろ!!」というツイートをみると押し付けがましくてめちゃくちゃ腹が立つ。お前の創作じゃない。私の創作だ。公式と違う点もあるかもしれないがノリと雰囲気で死にものぐるいで作ってる時なんて頭すっからかんなのでさ嫌ならブラウザバックしてほしい。

ヲタク暗黙の了解を平然破る

BL本やエッチな本は公共の場では読まない。

BLについての話は公共の場ではしない

即売会では小銭を用意する。高額紙幣は使わない努力をする。

即売会(イベント)の参加者は皆等しく参加者お客様はいない。

同人グッズはなるべく一般の人の目につかないようにする。

などなどもう当たり前のようにしてきたから何を最低限とするのかは私はもう分からない。ルールをしらないでは済まされないようなルールもたくさんある。是非とも調べてほしい。

ここまで偉そうにつらつら述べてきましたが、私が腐女子になれたのは中学の頃からの友人のおかげだと思います。綺麗にお洒落し始めたのは高校の頃に出会った絵の上手なフォロワーさんのお陰だし、化粧始めたのは綺麗なレイヤーに近づきたかたからでした。

なんだかんだ素敵なヲタクに支えられてきたので出会いってほんと大切だなと常々おもいます

最近すぐに心の包丁振り回しがちなので悔い改めて優しい人になりたいとおもいます

つらつら書き連ねて途中から何を書いてるのかわからなくなっていたので汚い文章申し訳ないです。

お願いだから電車内とかファミレスとかで戦利品読むのはやめてね。

2018-01-24

[]『King of Kings 2017』決勝に見る日本社会弱者像の変化

 初投稿HIPHOP史にも社会学にも詳しくないんで諸々トンチンカンかもしれんけど、とりあえず殴り書き。

 一応ネタバレ注意。

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 2週間くらい前のKOKを見に行きました。GADOROがだいぶ仕上げてきていたので、個人的には納得の優勝。ちなみに僕はダンジョンGADORO回とKOKを両方見られたので、もうGADOROの苦悩がスーパーハイビジョンで伝わってきたよね。いや~、持ってるよね。

 んで、決勝の53 vs. GADOROだよ。僕は53→53→53→GADOROと挙げたけど、もはやどっちの勝ちかは一人ひとりの好みで決まってくるレベルにかなり迫っていた気がしたので、割れるのはしょうがいかなと僕は思っていたし、特に判定への文句もない。一応僕は一バトルとして見続けるよう努めたつもりではある。

 問題は、このバトルに隠れている構図だ。

 しばしば「日本HIPHOPメジャー化でダメになった」という話をCOREな方から耳にするような気がするが、僕はこう考える。「HIPHOP」がメジャーに媚び始めたというよりも、「日本人が想定する弱者」の像が変容したのだ、と言うべきではないか、と。

 90年代当時(まで)は、テレビの影響力、集団動力を重視する教育いい大学・いい会社に入れば幸せになれるという信仰なんかがまだまだ根強かったはずで、それらが複合的に重なり、「安全第一人生」を至高とする日本社会形成されていたはずなのだ。そして安全を脅かす「ハミ出し者」を仲間はずれにし、自我を捨てて世間に身を委ねる則世去私イズムで多数派安心感を得ていた。

 まあ、阪神淡路大震災だのオウムだの酒鬼薔薇聖斗だのでそういった仮初の平穏にどんどん綻びが生じてくるわけだが、頑張って頑張ってみんな汚染水を除きまくっていたのだ。村上春樹の『アンダーグラウンドあとがきでも、「地下鉄サリン事件実行犯たちを狂信者だとして遠ざける我々一般市民たちも、『何らかのシステム自我を譲り渡している』という点で犯人たちと同じ翳を背負っているのではないか」という指摘がなされていた。

 そんなstandardの波に排撃されたのがB-BOYたちというわけだ。僕みたいな聞こえても即答できないWanna b-boyが語るのもおこがましいのだが、黒人文化濫觴とするHIPHOPは、90年代日本において「(虐げられてきた)俺たちだけの文化」という局地的受容がなされていたはずだ。「俺たちだけが真の音楽を知っているのだ」と互いを励まし合い、常人では知り得ない独自文化を発展させているのだとの自覚を懐きながら、Bのつくoutsiderたちは明日を生きる希望を得ていた。

 この風潮なら、GADOROより53のほうが内部からの支持は強いということになり、MCバトルでも53の圧勝ということになるだろう。GADOROは大衆の中に帰れるが、53はそうではない。身の回りの仲間を守り、決して流行に媚びない53だけが、本物のB-BOYにふさわしいということになる。

 しかし、だ。

 僕が生きている21世紀日本社会は、もはやハミ出し者が後ろ指をさされる時代なんかじゃない。一人ひとりが個性を求められるようになった、オンリーワン時代になったわけだ。

 原因は色々考えられる。個性を重んじる風潮が教育界で強まったこと、グローバル化の波が激しくなって社会人コア・コンピタンスを求められるようになったことなんかがそうだろう。

 インターネット、ことにSNSの爆発的普及はやはり大きい。一人ひとりの「リアル」に触れられるようになったことで、世界中意見を発信できることはそう難しくなくなったし、それまで皆で一括りにしていた「大衆」も実は十人十色の人の集まりであって、決して「大衆」は無機質な集合体なんかじゃないのだと、みんなわかってきた。

 まだまだ社会は発展途上だが、それでも少数派にとってずいぶん生きやすい世の中になったように思う。もちろんB-BOYだって恩恵を受けているはずなのだ

 じゃあ、社会から必要とされない恐怖と戦っている「弱者」とは、いま誰なのか。

 それはずばり「個性を主張できずにいる人」ではないだろうか。

 自分しかできないことを自分は見つけられない中で、自分の代えを周りの人が見つけてしまうことに怯えている。

 いま、日本人は「個性」に脅迫されているというのは、主語が大きすぎるだろうか。そう感じさせる創作物やら社会現象の例やらは腐るほどあるから、ここではいちいち出さない。

 確かにGADORO自身は、「社会不適合者」からスター」へとのし上がった存在なのだけど、「社会から必要とされる自分」を否定しない。

 埋没の波から、前に、前に逃げ続けて、等身大感情表現して、世界で一人だけの存在として認知されたい、という、21世紀の「弱者」たちにとって、GADOROは希望とするに足る存在なんだと思う。

 一方53は、「MASS 対 CORE」と最初バースで吐いた(合ってる?)ことに象徴されるように、電波を受信できる人たちだけを助けようとしていたと僕の目には映った。

 透明な存在として苦しむ現代人たちから共感を集めるのは、GADOROだ(僕は53も好きだけどね)。

 そんな構図がKOKでは見え隠れした。

 フリースタイルダンジョン最近何かあったようだけれど、これからHIPHOPは、社会不適合者が生き残る術としてだけじゃなくて、怯えている人たちに「個性の手」を差し伸べる術としても発展していくのではないかな、と思った。

2017-12-29

異世界シャワー」は表現として雑(雑であることが悪いとは言ってない)

JKハルシャワーうんぬんについてそれはもう十人十色の反応で見てて面白いけど、山本某の批判無理筋ってのはその通りだとしてもディティールが雑ってのは言い逃れ用のない事実だと思うんだよね。

ただ、あの物語においてそもそもそんなディティールにこだわる必要性があったのか、ディティールにこだわることでクオリティが上がるのかっていうのはある。

異世界シャワーがあるのが自然か不自然かは個人感覚しかないけど、シャワーという表現に対していわゆる現代的なシャワーからシャワー類似した異世界独自の何かの可能性の示唆まで見てるとハルシャワーを浴びる場面っていうのは人それぞれで想像する絵が違うんだろうなって感じるし、自分なんか結局その絵そのもの想像できない。

このへんのどんな絵を想像していいのか分からない、そもそも想像する必要すらないことを手抜きとか雑って言えばそれはその通りでしかない。

○○時代にはシャワーの原型があったとか、○○したら簡易シャワーなんてすぐにできるとか、そういうシャワーらしきものの話が出てくれば出てくるほど逆にシャワー一言説明をすませたのは雑だってことになる。不自然かどうかじゃなくて解釈の幅の広い単語を前振りなく出してきたって意味で。

けど、じゃあそれによって物語の本筋を理解することに影響があるかって言われたら全くない。本筋に関係ないことに説明の尺を取られてしまうとその分だけテンポも悪くなるわけで、小説特にした方がいい手抜きとか読者が好きに想像していい部分ってのはある。シャワーはそういう部分だったってだけだ。

実際あそこの場面でシャワー説明なんかされたらはぁ?ってなるだろうし。

でも、同時にそういう本筋と関係ないことがひっかかって先に進めない人がいるのもわかる。

なんか人気で映画にもなった「博士の愛した数式」って本があるんだけど、あれ興味があったけど本は手に入らなくて当時の通ってた図書館で聞いたら掲載された雑誌ならあるから貸し出してくれることになったのね。そしたら超すごい数学者記憶障害があっても数学のことだけはスラスラ解けるみたいな博士が、一番好きだったはずの素数の話をする場面でその素数定義を間違えるっていうクソみたいなミスしてたんですよ。本になったときに直されたみたいだけど。

まあ個人的にはふーんてなもんだけど、ガチ理系からはあれで完璧にしらけたという評価を頂きました。(そのほかの部分についても博士理系じゃない人間想像した理系って感じで違和感しかなくて血の通ったキャラに見えなくていまいちだったらしい)

から見たらささいなことでも、特にそういった方面知識があると、そういう些細なことこそ本当は違うのにっていう部分が気になって(まあ今回の場合は本当なんてものはないけど)話に入り込めないなんてことは普通にあるわけで、そういう観点から見たとき別にあのシャワーってシャワーである必要性は全くないんじゃないかと思うんだよね。体洗ったって話ができりゃいいんじゃない?と。

その本筋とは無関係の雑さによって顧客を逃していたとしたらもったいないと思うし、シャワーを体を洗ったと書いたところでそれこそ本筋の面白さに影響なんてないんだから、そこはそれこそそういったSFファンタジーオタクを見てきた編集者とかがアドバイスしてもよかったのかもしれないね、とは言えるかもしれない。

ただそれは「こうしたらもっとよかったかも」という話でしかないし、それが正解だとも限らないわけで、ダメな点では決してないと思う。

あとこれも本題関係ないけど「シャワーがあってもおかしくないだけの説明がある」(から雑じゃない)という反論についてはそれってあの世界は雑な世界ですと説明されていると言ってるだけで雑であることそのもの否定にはならないよなーと思う。雑であることそのもの意味があるとか雑であっても問題ないっていう反論はとてもよくわかるし同意するけど、説明されてるからセーフっていう論調は雑な説明と雑じゃない説明がある以上それだけだと雑であることの否定はできない。

2017-12-25

彼女うちわを折るとき

岡田准一さんが結婚した。

正直、正直驚いた。

事実婚のような状態にあることは積極的情報を集めなくたって分かっていた。

からこそかもしれない。

あぁ、なんで結婚の報告なんてされなきゃいけないんだろう。結婚したのはプライベート岡田准一さんなのに、芸能人としての岡田准一さんしか知らない我々にまで知らされたんだろう。

先に言っておくと私はジャニーズのみなさんが結婚することに対して好意的意見を述べまくる方である

オタクジャニーズタレント人間としての幸せすら奪うのかと言われればそれは私のスタンスではないですと返す。

もちろんオタクだって十人十色であることは言わなくてもわかるだろうが。

私は結婚したい人が結婚するのはとても幸せなことだと思うし、なんだかんだ思うこともあるけど結局生きていればよい。

しかも報告されることに対してもまあ結婚したら報告までがセットよね、と思っていた。が、今回でそれが揺らいでいる。

私も22日の夜に知った勢だったが、最初はここまで心を乱されることになるとは思わなかった。あの夜は純粋な驚きと、そして岡田担の友人の心配をしていた。

私はV6の違うメンバー担当にしている。タイプとしては割と彼だけ見ていて、彼がいるV6が好きなオタクオンリーかというと他のメンバーも好きなので少し違うとおもう。

からいきなりショックを受けることは無かった。おめでとう、幸せになって欲しい、でも友だちの岡田担のあの子はいまなにを思ってるんだろう、と連絡を待った。

比べるのはご法度なのかもしれないけど、今回は荒れようが凄まじい。(と思う)

彼の結婚を取り巻くすべてが、岡田担をはじめとするV6オタク(オタクじゃないって人はファンと読み替えて)やジャニオタ(主語を大きくし過ぎている感はある)の心を削いでいるように感じる。

自担がもし結婚発表するなら嫌な発表の仕方ランキング1位に躍り出た気すらしている。

私より数倍長い期間岡田担としてV6を好きな友人と連絡を取っているうちに、私にもくるしみが流れ込んできた。

アイドルとしての彼を見つめてきた友人の時間も思いも一晩で泡になって消えた。

いや、本当は、見ない振りしてきたいろんなことがあったのだ。その時の出来事は飲み込んだつもりでいてあの日まで生きてきた。

好きな気持ちに嘘はないけど、ずっと付き合ってきた消化できてない記憶があった。

からクリスマスイブ結婚発表で頭を揺さぶられ、全部吐き出してしまった。

彼はアイドルとしての自分を何年も何年も見続けてきた人がいることを知ってるんだろうか。誰にもこのやり方を咎められなかったんだろうか。

秘密のままじゃだめだったのか、だめだったんでしょう。仕方ない、仕方ないことだ、私たちがどうこうできることじゃない。

彼が楽しそうにしているのがいちばんだって今年のコンサートのあとに話していた友人はころされてしまったのかもしれない。

私は今それが最もつらい。

2017-11-07

ぼくはそれで良いが。

ぼくはそれで良いがそれを認めてしまうと

あなたがぼくと同じ立場の人にも同じことをしてしまう。

ぼくと同じ立場の人と言っても考え方は十人十色だ。

人それぞれ接し方を変えれば良いが

人はレッテルを貼って簡略化しようとする。

からぼくが認めるとこのレッテルにはこういうことをしとけばよいとなる。

ぼくは受け入れてしまって良いのだろうか。

2017-10-23

中学から友達フレネミーだった話

 「フレネミー」という言葉をご存知だろうか。

アメリカ大人TVシリーズセックスアンドザティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。

かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。

 私は最近中学時代からの友人Aをこれを理由音信不通にした。

Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。

ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。

そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。

私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤストレスをためながら、でもどうしていいかからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。

 初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。

穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミー普通関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。

 Aとの付き合いは長い。中学高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。

大学は私は東京、Aは地元大学へいき少し間疎遠になった。

ある日、中学同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。

専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。

 大学卒業後、Aは地元社会人になり、私は地元にはもどらず東京フリーターをしながら資格勉強をしていた。

Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。

私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから東京で改めて学生をすることにした、初上京から色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。

私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。

 夏にAが上京しまカフェで会うことにした。

私の電車人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。

彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。

でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。

 諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。

夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。

私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。

 この頃はAのこういう行動に対して「東京生活ストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。

これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自大人になっていなかった。正直このとき違和感を信じていれば、と今でも思う。

 私はAをよく遊ぶグループ趣味グループ習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。

Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。

18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。

春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキークリスマスパーティー忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。

 冬のある日、お台場イベント大人数で遊びにいくことになった。

駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。

周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。

このときもしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。

その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。

 そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。

なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。

新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分人間として未熟なんだと落ち込んだ。

 その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。

私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデン伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。

Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたか自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。

私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。

この頃になるとAの髪型服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。

 私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。

しかし、最初に色々な自分コミュニティにAを紹介したこからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。

どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。

 Aの他者に対する暴言ますますひどくなり道端で「あんデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。

私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。

 この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達コミュニティを乗っ取られる」と検索たことがあった。

ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分モヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。

 段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。

何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデン工芸品も全部売り払った。

不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからラインはパッタリと途切れた。

 Aに真似されるというのが、大げさだが自分アイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。

同じ趣味教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。

 Aはその後も私の友人達遊んだ様子などをSNSにアップしていた。

最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。

なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。

28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。

 春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。

久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。

しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。

マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女大手アパレル企画をしている人でいわゆるキャリウーマンだ。

しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。

バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。

 ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。

私は「子供ぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。

話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議感覚だった。

 18歳で初めてきた東京最初友達も知り合いもいなかった。

大学でできた友達大学の外でできた友達フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。

それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリーカバンをもっているAがいる違和感

 話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。

Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。

Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。

 「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。

人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分直感違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。

子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分テリトリー必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。

そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。

 決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女コミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。

私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。

 Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達遮断する影のようだった。

私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。

今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。

決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。

 Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。

私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。

 Aとの関係は綺麗には切れない。

自分所属しているコミュニティ彼女もまたしっかり根を下ろしているか共通の友人が多い。

でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。

友達結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。

そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。

周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。

 夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。

前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。

自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。

ずっと付きまとっていた違和感がなくなって、孤独感が消えた。

 「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。

今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。

「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分しんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。

 時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。

しかしたらずっと先の将来でまた友達になっているかもしれないし、もうこのまま会わずに終わるかもしれない。

 長文&駄文失礼しました。

2017-10-08

anond:20171006180248

元増田価値観では、話盛り上がらなかったし、相性は合っていないと思った。

相手男性価値観では、話は盛り上がっていたし、相性は合っていると思った。

人の考え方は十人十色。ただそれだけ

互いが話が盛り上がったと思ったし、相性が合っていると思える人に巡り合うと良いですね

2017-09-17

大喜利とは何なんだ

現時点(9/17 7:25)のスター獲得上位ブコメ

不正解ワロス

○と文字数が合っていない。

他はみんな○に1文字ずつ当てはめているのに、それを無視してスタートップだ。

しかし、○が1文字というルールは明示されていないので、一歩譲ってこれはよしとしよう。



大正ロマンス」

しかし、これはお題が変わってしまっている。

「不」→「大」確かに字の形は似ているが、違う字ではないか

他のブコメの中には「歪」と解釈しているものがあったが、これはよい(もし笑点なら、ずる賢い小遊三師匠あたりが出しそうな答えだ)。

試験問題で「一( )一( )」という問題が出たとしよう。

みなが「一喜一憂」「一長一短」「一朝一夕」などと書いている中で、線を書き足して「一日千秋」「十人十色」と答えているようなものだ。

さらに、「大正ロマン」は聞いたことがあるが「大正ロマンス」という言葉は聞いたことが無い。

自分無知を疑ってGoogle先生に聞いたら、やはり「もしかして 大正ロマン?」と、俺がバカにされた。

これらは大喜利として許されるのか。

こんなにモヤモヤするのは、まんまと術中にはまっているのだろうか。悔しい。

https://anond.hatelabo.jp/20170915185159

2017-09-08

旦那ちんこ揉みたい

平日の真っ昼間からお前は何を言っているんだとツッコまれそうな話をしてごめん。

でも言いたい。

旦那ちんこ揉みたい。非勃起時のふにゃふにゃなちんこが揉みたい。

あの触り心地、良いよね。延々とふにふにしていたい。

先端をつんつんぷにぷにするのも好き。

玉袋を揉むと中身がころころ動き回って楽しい

お腹が痛すぎて世界よ滅べと呪う程度には荒んでいる私の心を癒す為に揉みたい。

別にちんこけが好きなわけじゃないよ、旦那のことはだいたい全部好きだよ。

今はちょっと痛みで思考が迷走してるだけで、ちゃんと愛はあるよ。

……誰に何の釈明をしているんだ私は。

とりあえず疲れたから早く帰りたい…



9/8 22時頃追記

思った以上に反応があってびっくり。共感してくれる人もいて結構嬉しい。

とりあえずいくつか気になったものへ返信を。

>すぐ硬くなっちゃうと困るからEDになった方がこの増田幸福度があがる??

旦那セックスしたい、抱かれたい」という欲求も人並にあるので、EDになられるととても悲しい…

>触り心地は十人十色ですね

マジで?!個人差があるのは大きさや形状だけじゃないのか、また新たな知識を得てしまった。

>玉を揉むのは危険です

オッケー分かった、今後は竿だけ揉むようにするわ。ありがとう

>フニャちんくん

存在は知ってたけど、所持しているのを万が一誰かに見られたらと思うと中々買う決心がつかない…

2017-08-25

ムック蔓延る糞ラルオタが本当に気に入らない

ムック、というV系バンドがある。

1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。

そしてその世界観を自ら打破し、ロックテクノメタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーイベントに勤しんでいる。

私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。

もう十余年もムック音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐ライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活従事する日々。

長らく夢烏(=ムックファン呼称ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファン卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。

しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である

何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。

そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。

しかし、ここ数年、本当に心の底から気に入らないものがある。

それは新たに取り込んだ、とあるファン層だ。

2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。

このリリースきっかけに、あるバンドファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。

ムックと同じ事務所所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielファンである

このシングルにはラルクギタリスト、Kenが楽曲プロデューサーとして参加している。

日頃ラルク活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムック音楽に興味を持ったのだ。

ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである

幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース作曲編曲等々多方面マネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー技術的な部分からから、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。

メンバーファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。

なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。

リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキル要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。

そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。

さて、そんなムックが、よそのアーティストプロデュースを頼むだなんて。

当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。

実際楽曲のものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。

しかしそのシングル曲が含まれアルバムツアーからライブ公演に違和感を覚えるようになった。

アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色悲鳴が上がる。

これまでもイントロ悲鳴が上がる場面は多々あった。

V系というジャンル柄、ファン盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源だんだん演奏頻度が下がる。

そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。

しかし、「アゲハ」と「空と糸」はリリースされたばかり。

何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれ可能性は非常に高い。

にも関わらず上がる、「黄色い」悲鳴

別にレア曲でもあるまいに。

私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。

その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。

あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ

早めに着いた私は、グッズ販売待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。

V系のファンバンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。

ムックチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」

Kenちゃんゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」

先の台詞は百歩譲って許そう。

いくら盲目に、宗教的バンドを愛するバンギャと言えども、複数バンドファンを掛け持ちする事はザラだ。

特に本命バンド活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。

そして本命バンド比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。

ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。

しかし猫も杓子も二言目だ。

貴様は何のバンドライブに来ているんだと。

ムックを観にチケットを買ったのではないのかと。

そう言うのならばKenソロライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックラルクの片鱗のみを求めているのかと。

音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。

それでもムック純粋ファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムック本命バンド自分からすれば侮辱しか思えない発言だった。

気持ち分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。

しかムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。

その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブゲストで現れるようにもなり。

気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。

先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。

以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつから露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近ムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。

ムックのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。

しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色悲鳴

チケットファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット

ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈

そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。

何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識

何かにつけ「ラルク」「Kenちゃん」「ラルク」「ラルク」。

そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。

私のような存在老害と呼ぶのだろう。

もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。

それでも、メンバー間のトラブル修羅場があったからこそ生み出された過去楽曲パフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。

V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。

バンド運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージミスしたメンバー段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎ヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。

先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。

元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうである押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。

昔の楽曲も好きだけれど、暗いか最近の曲の方が好きだなどと抜かす。

汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。

繰り返すが、私は単なる老害なのだと思う。

ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。

ムック本命バンド人間もいれば、他のバンド本命だという人間もいる。

必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。

十人十色千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。

からこそ、ファン同士でも理解のし合いが必要だと思う。

とりあえず、これからムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。

それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。

あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。

さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそ小学生夏休み工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。

それもラルクソの文化男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。

ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。

せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。

何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。

万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支え気持ちいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。

ボーカルベース辺りが分かりやす誤爆やらかさないかな。でも周りの大卒が止めちゃうか。

本当に頼むからラルク活動再開してそのまま一生休まないでくれ。

2017-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20170718112636

政策を右か左か、AかBか決めるときに一番権力を持つのって、そのテーマを設定する力のある、つまりマスコミなんだぜ

からインテリは、自分が決めた舞台対立構図を煽りやす二大政党制を求める傾向がある

でも二択じゃリスク大きいじゃん

人の考えは十人十色増田11人いる!(←言いたかっただけ)

2017-06-11

十把一絡げにしか考えられない脳みそほどトンチキではないでしょう

十人十色ってどういう意味だか理解しているか

2017-06-03

人一人が十人十色なら結婚生活は二十人百色だと思うが

なぜか結婚生活には判を押したような結果を求める奴の多いこと多いこと

2017-05-28

ひとりの人間として向き合う方法

「○○なんだから××して当然」と思う癖をやめたい。

「夫なんだから

「先輩なんだから

「私より年上なんだから

大人なんだから

その人のポジションというか、枠に当てはめて考えてしまう。

そして、××して当然という自分の固定概念押し付ける。

人間関係なんて十人十色で、同じものなんてないのにな。

ひとりの人間として、人と向き合いたい。

2017-05-15

喧嘩嫌い。言い争うのも嫌い

ツイッターで時たま暴言誹謗中傷してるツイートRTしてる人がいて

胸糞悪いというかしんどくなる。

たまにツイートでリプやりあってるの見て自分の主張ばっかりで相手の主張を否定してんのみて

心臓がギュってなる。

考え方や思想なんて千差万別十人十色なのはわかってるんですよ。

相手の考え方を否定したらそりゃ喧嘩にもなりますって。

それもツイッターで。そして喧嘩は拡大していく。

自分なら「そうですね。そういう考え方もありますね。ごめんなさい」ってなっちゃう。

倉橋ヨエコの夜な夜な夜なの歌詞にある「喧嘩するより謝る方がいい」ってやつ。

やっぱものさなのかなぁ。

2017-05-01

26歳のわたし東京タラレバ娘

同棲を始めて半年が過ぎた今、家での暇つぶし目的に久々に漫画をいくつか買った。

そのうちのひとつが「東京タラレバ娘」だったわけであるが、この漫画、ひどく情緒不安定にさせられる。しかし、中毒性があって、読むのを、考えるのをやめられない。恐ろしい漫画である

二十代前半の頃、足を使った芸能人の追っかけをしていたわたしは、時折ふと自分未来不安を感じて、アラサー友達と集まるたびに将来どうするのかということを話していた。

とてもかわいくて、若い頃に、そのかわいさを使って当時の推しの関係者身体を張って繋がり、なんかうっかり付き合ってしまったY子ちゃんから、言われた一言が印象深い。

わたしも25くらいからすごく悩み出したよ。そういう年なんだよね。もうおたく辞めようと思って現場控えたこともあるし、彼氏も何人か作ったよ。けど結局今ここにいるから、もう諦めてるかな」

Y子ちゃんとは水面下で繋がり、業界人的な芸能人的な人たちの集まりなどにたまに一緒に行ったりする仲だった。

普通にご飯を食べたり家で遊んだりしたこともあるが、当時はお互いに、このコネを使ってなんとかもっと状況を改善できないか(繋がり的な意味で)と必死だったので、どこか浮ついた心でそんな話をしていた。

当時まだ二十代前半だったわたし漠然とした不安はぽっかりと宙に浮いて、「誰しもそろそろそんな不安を抱える年頃なのだな」という程度に、結論を伴わず据え置きとなった。

ぼんやりと生きている人にも、堅実に生きている人にも、平等時間は過ぎる。

気付いたらわたしアラサー入り口に立ちつつあった。

その頃と状況はうってかわって、わたしはもうレコーディングスタジオリハーサルスタジオの前で立ち続けることをかなり前に辞めていた。

まりにも辞められなくて一時期は、当人に「好き過ぎてやめられない、つらい、もう辞めたい」とメンヘラ気味に相談したこともあったが、ふとしたきっかけにダメ男に引っかかり、そのダメ男から立ち直るためにまた別のダメ男に引っかかり、今に至る。

趣味に思い詰め過ぎて、恋愛ごっこ以下の付き合いばかりになっていたわたしにはそれはちょうどいい荒療治で、すっかりほとんどおたくからは足を洗って、澄まし顔で二人暮らしマンション職場の往復の毎日を送っている。

けれど、漠然とした不安は、消えることはなかった。

世間的にはもう結婚して子供がいてもおかしくない年齢である

けれど、今後の数十年、もとい生きている間の時間方向性を決定するには、わたしの中身は子供過ぎた。

これまでせいぜい大した選択しかしてこなかったのだ。

内申点が足りないか適当私立高校に進学する、三年先までの未来を決めた。

特に就きたい仕事がないから通える範囲で一番偏差値の高い大学に進学する、四年先までの未来を決めた。

転勤なく関東圏で就職して職歴をつけたいから、とりあえず社会人スタート地点という数年分の未来を決めた。

たまたま就職に関しては特に問題もなかったので定年まで勤めようと考えているが、それは今の日本を考えれば本当に運が良かっただけだと思う。

わたしはたった26年生きてきた人生の中の経験だけでは、どれだけ振り絞っても、結婚するという未来に向かって大ジャンプを決められない。

一方で、この26という数字28、30、そして、33になったところで、特に何か特記するような経験を得られるわけでもなく、それこそ「タラレバ」のように、26のあのとき決断していれば、28のあのとき、30のあのとき、というふうに、得られるのは、数年先の未来からの後悔だけだということはなんとなくわかっている。

特に彼氏になにか大きな問題があるわけでもないが、特別「このひととなら絶対幸せになれる」という保証があるわけでもなかった。

そんなの当たり前である。そんな人間はどこにも存在しないのである

しかし、大義名分のようなものをもって、結婚するカップルもいる。

初恋同士の結婚は、結局旦那社会的地位年収がそれほどなくても「やっぱり二人は結婚しなきゃね!」と持て囃される。

当人同士だって、今更別れて条件のいい相手結婚しても絶対死ぬまでに数えきれないほど「やっぱりあのとき初恋の人と結婚していたら」とタラレバするだろう。

公務員同士の結婚などは、また違った意味で持て囃される。

「堅実ね」と親世代から大プッシュな上に「公務員か〜、安定してていいね」と女友達からも絶賛である

こういう客観的な要素で他人からプッシュしてもらえる結婚を少し羨ましいなと思った。

もう26されど26である

大卒だとまだあまり結婚している友達は少ない。SNSを見れば飲み歩く女友達に溢れている。みんなきらきらした独身謳歌している。

絶妙な齢なのだと思う。

幼稚園の頃のように無垢ではないから、「結婚してお嫁さんになる」ということを「幸せ」とまっすぐ結びつけられない。

結婚して、子供を産んで、子供大人になって、結婚して、孫が産まれてという当たり前の幸せを送ることがどれだけ困難なことか、知識だけでは知り過ぎていた。

何組に1組が離婚する世の中だとか、統計上では、片手で数字を数えられる子供ならわかるような算数なのに、

その原因は十人十色で、こうがこうである、ゆえにこうである、というような明確な条件下に成立する結果ではない。

それなのにまわりは、アラサー女子に「次はあなたの番ね」などと軽々しく声をかける。

二十代前半の頃に、鼻で笑ってかわしていた言葉となんら違いはないはずなのに、もうあの頃のように軽やかにかわせない。

それほどまでにわたし背中には、知らない間に、生きていくには無駄ないろんなもの(一種の保身のようなもの)が住み着いていた。

最近結婚したアラサー事務さんに結婚するのか、と聞かれて、「しようって話になってるし、するんだろうと思うんですけど、漠然とこれでいいのかなって不安です」みたいな話をしていたときに、

結婚ってまわりに言われたからするもんじゃないよ、自分たちで決めてしなきゃ」と言われた。

しかにきっとその人はまわりに結婚を急かされても大事大事に愛を育んで、自分たちタイミング結婚したに違いなかった。

「どうして結婚しようと思ったんですか」と聞いたときに、「ずっと同棲してたからこの人とするんだろうなと思ってた」と言われた返事がわたしには眩しかった。

わたしは、すぐ結婚してくれない彼氏同棲し続けていたらメンヘラ拗らせて酒飲んで泣いて吐いてを周期的に繰り返すくらいには弱いだろうし、たぶん別れて婚活する選択をとるだろうと思う。

そのひとはわたしにはない強さを持っていた。

わたしは今、そんな強さを持ち合わせていない。

好きだからずっと一緒にいたい、という気持ちと、結婚するということとの間に乖離があって、その重さの違いに戸惑う。

家族になる、ということはわたし一人が失敗しないようにコントロールできる範囲を超えていて、絶対的な自信を持てない。

けれど、持たなければいけないのだ、きっと。

もしこの人と結婚したら、とか、結婚しなければとか言っている場合ではないのだ。

制服を着ていた頃、「マリッジブルー」という言葉意味理解できなかった。

結婚しようってなるなんて、幸せ絶頂じゃ

ん、なのになんでブルーになるの、と純粋に疑問だった。

きっとつらつらと書き連ねた言葉たちは、一言でいうと、一種マリッジブルーなのだろう。

けれど、16の頃のわたしは知らなかった。

簡単英単語たつを組み合わせた数文字カタカナが、こんなにどす黒く、深く広く、心細いことを。

そして、タラレバなどと女友達とあれこれ言い合っても、決してそれは薄れはしないことを。

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170425184159

ニコ生に出た際、私が出るたびに書き込まれる『絶対に許さない』って言葉、止めてもらいたいんですが、どうしたら良いんですかね。

手紙で送られてきたりもします。

ブログコメント欄廃止してもあまり意味がなかったのかもしれません。

私が何かしましたか理由もわからない。

言わないと伝わらないようなので、はっきり言いますね。

皆さんは遊びでやってるのかもしれませんが、私は気分が悪いのです。

何年も前からその状態が続いて、放置してれば飽きるのかと思いましたが、そういうわけでも無い。

悪気や悪意が無いし、相手も見えない状況ならなんでもやっていいっていうのは違う。

相手友達なのか、見ず知らずの他人なのかという、関係性でも意味合いは変わってきたりしますが。

大人子供も改めて、言葉の大切さを考えて。

もし自分が言われたら、やられたら、どう思うのか。

相手立場にたって考えることを忘れないで頂きたいです。

そうすれば、もっと諍い無く生きていけるんじゃないかって。

思いやりを忘れずに。

悪者をつくる事は簡単ですが、そうじゃなく、相手の状況や立場思考を表面的ではなく、理解しよう、汲もう、受け入れよう、その努力をしよう。

相手の顔が見えない、感情がよめないネットからこそ、よりそれが必要だと思います

相手に面と向かって同じ事がいえますか?

これって意外と重要ポイントじゃないですか?

お互いにそれが出来れば、もっと素敵な世の中になると思います

キュアメロディを通じて改めて私が感じ、伝えたかった事の一つです。

考え方は十人十色ですが、少しでもそれを理解してくれる方がいることを私は信じています



http://blog.excite.co.jp/amisketch/17936796/

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