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はてなキーワード: 双生児とは

2019-04-06

赤ちゃん2人も要らなかった

妊娠わかった時は涙が出るほど嬉しかった。絶対最高のお母さんになろうって思った。

双子だったのが発覚した。

一気に不安になった。初めての子育て頑張ろうっていったけど、いきなり2人なんて聞いてないもの

不安心配、怖い、自信ない、絶対無理、そういう言葉を吐くのは許されなかった。だってみんなが「2人も授かって幸せね」「双子なんて羨ましい」「良いことなんだよ」って言うから

「嬉しい」「楽しみ」などしか言ってはいけないポジティブ感想しか言えない空気があった。双子を授かること自体奇跡で、その上で不平不満を言うなんて贅沢、みたいな。

から夫や元同僚や友達やお互いの両親や親戚、その他周囲のみんなには喜んでるフリをしながら心の底では嬉しくない、不安、いきなり2人も育てられる自信がない、嫌だ、逃げたい、そんな事を思いながら過ごした。

それからは順調に育ってくれて、出産した。

まれたばかりの時はやっぱり可愛かったから、ちょっと嬉しい気持ちが勝った。やっぱり弱音吐かずに頑張ってお母さんしようって思った。けど無理だった。

1人でも、育児がしんどくて限界だっていうお母さんは多い。初めての育児で、しかいっきに2人で、すぐに辛くなって耐えられなくなる事ぐらいわかりきっていた。

片方が泣いたらもう片方も泣く。

片方を授乳してすぐもう片方。

片方が夜泣きして、落ち着かせてるうちにもう片方も起きて夜泣き

何故か体調を崩すタイミングまでそっくり

目を離せない対象が2人で、気の休まる時間がない。働いてた時のほうが倍以上睡眠時間とれていた。

ストレスで前ほど食べなくなって体重も落ちた。周りから妊娠太りを気にしてダイエットしてるとみなされて説教

母親のせいで成長に影響させられる2人」の心配はしても、「いきなりそんなに痩せるまでに至った母親である私」は誰も心配してくれなかった。所詮私なんてその程度なんだってわかって誰かに打ち明けるのが早々に馬鹿らしくなった。そしたらみんなからの、良かれと思って投げかけられる励ましの言葉が重荷にしか思えなくなった。

「お母さんでしょ!頑張らなきゃ!」

頑張ってるよ だけど辛いんだよ

しんどいのは今だけなんだよ」

いつか楽になるならないとかじゃなくて今が既に耐えられないんだよ

双子を授かるなんて凄い幸運なんだよ、赤ちゃんが出来なくて泣いてる女性もいるんだから

そんなの知らないし少なくとも私には幸運だなんて思えない

自分のことでいっぱいいっぱいなのに、全然知らない他所女性のために我慢してないといけないの?子供ができなくて泣いてる人がいるからって気を使って黙ってないといけないの?私だって望んで2人も同時に作ったわけじゃない…

全部そんな受け取り方しか出来なくなった。

胃になにも詰まってないのに吐いたりした。

なんでうちだけ最初からこんな苦しい思いしてるんだろう、いまはもうそんな気持ちしか出てこない。

一卵性双生児って、1つの同じ卵子からできる双子なんですってね。なんでそんな生まれ方したんだろね。普通に1人の子で生まれてきてほしかった。2人もいらなかった。双子を産んで幸せなんて全然思わない。

最近特に流れるようになった児童虐待ニュース

夫が、「すぐネグレクトしたり虐待したり、自分たちの子供を大切に思えない親は軽蔑する」といっていた。「こんなに可愛いのにな」とも。わたしはもう自分たちの子供を「2人も産みたくなかった」なんて思ってしまっている。最後に2人を可愛いと思ったのはいつだっただろう。何も言えなかった。「そうだよね」の一言すら、言えなかった。

この前、初めて子供たちを怒鳴りつけた。2人いっぺんに大泣きされてパニクって、どうしよう止めないとって思ってたのに、気がついたときには「うるさい!」って口から出てしまってた。

どうしていいかからなくて、余計大声で泣く2人を無視して寝室に篭って寝た。

ごめんねとかより、夫が帰ってくる前で良かった、誰も見てなくて良かったって気持ちが勝った。

帰宅した夫には体調が優れなかったって嘘ついた。夫に心配されたとき嬉しいと思ってしまった。2人を放置した事への申し訳さより、周囲のみんなと違って夫だけは「私を」心配してくれているんだっていう嬉しさが上回った。

こんなんじゃやっぱり軽蔑されて当然の親なんだろう。

何が最高のお母さんになろうだ。

普通奥さんじゃなくてごめんね。

離婚したくないし、夫を愛しているから、嫌われないためにこの悩みは絶対相談しない。したくない。

だけど、それでも、もう疲れた。2人もいらない。なにも嬉しくない。猫とかみたいに、誰か欲しい人に片方あげれたらいいのにって何度思ったことか。

あと、赤ちゃんって、笑顔をやめたらすぐ泣くんだね。

産むまで知らなかったことなんだけど、誇張とかじゃなくて本当に笑顔でいないと一瞬で泣いちゃう。疲れて笑顔をくずしてちょっと真顔になった、たったそれだけで壊れたみたいに泣きじゃくり始める。働いてた時は家帰ったら疲れた顔でいてもよかったけど、赤ちゃん24時間笑顔作ってないといけない。辛くても無理に笑ってないと泣かれてしまう。ほんとうは私も泣きたいなんて言ったら甘えだって叱られるんだろうな。

2019-02-06

anond:20190206180811

自然状態にも二卵性双生児かいるわけなのでホルモンが万全というわけではない

あと受精卵がなんかの理由でめちゃ早く移動して着床しちゃったらアフターピルもおいつかない

2019-02-03

子どもを守り育てる力がないのに作るのが間違い

人権が怪しく貧しい時代でも、

四肢に障がいがあっても結合双生児でも

職に就けたし就けるようにサポートした

その一方で健常者だが家畜のように売られる子どもたちもいた

現代も、

知能障がいや四肢に障がいがあっても四年生大学卒業出来るものいれば

健常者でもそれが叶わない者たちもいる

今も昔も変わらんよ、親次第だ。子どもを守り育てる能力が無いなら作らないでよろしい

子が生活保護だけならともかく、

重度の自閉症ではなかったにも関わらず、周りとコミュニケーションとるのもほぼ不可能に仕上がるケースとか

拡大自殺とか もうコメントも出来ないよ

子どもを守り育てる能力が無いのに子どもを作るのが間違い

バンバン親権停止すべき、そして逮捕

anond:20190203231456 anond:20190214223354 anond:20190214224350 anond:20190214231441 anond:20190215102544 anond:20190215112345 anond:20190216220641 anond:20190305151657 anond:20190305152133

2019-01-31

anond:20190131120153

それでも射精は一回だけだし、まして百中には程遠い。(一卵性双生児なら受精したっ卵子精子ひとつずつだから受精は一回)

2019-01-21

anond:20190121081956

クローン人間には普通に人権あるしやってもあまりメリットないけどな

要は年の離れた一卵性双生児が生まれるってだけだから

2018-12-19

anond:20181218014459

もし単為生殖だけで増殖するとなると、遺伝子は全く同じコピーということになるだろうから、早い話がクローンを増やしていくってことだよね。てことは、一卵性双生児が次々と増えていくのと同じか。自分祖父も父も子も孫も兄弟姉妹も甥も姪も全員クローン世界中クローンだらけじゃん!

2018-12-13

ソーセージ双生児

って偶然にしては出来すぎてるよな

2018-08-02

ゲイレズの人に聞きたい

弟の夫(ドラマ版)を見た。

もの凄く良いドラマだった。

皆んなにも是非見て頂きたいと思った。

で、疑問に思ったことがあるんだけど当事者意見を聞いてみたいと思った。

ほんのちょっとネタバレになるんだけどドラマ開始1分で明らかになるから許して。

一卵性双生児(以下、双子に限らず一卵性であれば三つ子等も含む)で、

性的嗜好が違うということが現実にあるのかどうか、

どうなんだろうという疑問が湧いてきた。

ドラマの設定がおかしいというつもりは毛頭ない。

一卵性双生児からこその話だし、作者の絶妙な設定に感心しているぐらいだ。

ただ科学的に考えると、一卵性双生児性的嗜好が 一致しているのかそうでないのかは、実際のところどうなんだろうか。

ここのところを是非聞きたいと思った。

先天的ものなのか後天的ものなのか、

遺伝子上に組み込まれものなのかそうでないのか、

LGBT理解する上でとても重要ことなのではないかと思った次第。

科学的にまだわかっていなかったとしても

一卵性双生児性的嗜好の一致不一致がどれくらいの頻度であるかわかれば

LGBTに対する理解も進むんじゃないかなと。

もしくは、この件について既に研究などがあるなら教えて欲しい。

2018-07-06

anond:20180706121115

たぶん対象人間だったら、やってみたらやっぱり別人だわコレ…ってなるんだろう

っていうか一卵性双生児は(記憶以外)そもそもそういうものだよね

でも犬だと、人間ほど繊細に個体内面や行動の差まで識別できないから、飼い主が「思い出の中のアノ子」像を重ねることで許容できてしまったりするのかもしれない

個人的には田舎の犬なんかで昔あった、「花子が死んじゃったので花子兄弟犬が産んだ子犬をもらってきた」みたいなののほうが、健全な気はする

2018-06-11

anond:20180611113251

一卵性双生児で育ちが同じでも

性格は変わるんだから気にしすぎ

しろ悪癖がそのまま受け継がれたらすごい

あと増田良心には痴ほう症の診断受けさせたほうがいいぞ

免許は返納

2018-05-24

anond:20180524092201

知っとったよ・・・

そして一卵性双生児の一方が発症しても、もう片っぽが発症しない場合もあるってこともねえ。生育環境が大きな要因になるのさ。

例えば、出産後に離婚して、ADHDでない親について育てられたら生育環境は変わるのかねえ・・・?考えるだに恐ろしい。

2018-03-27

anond:20180327095501

一卵性双生児美女アビーベッキー

物理学を学んだアビーは国際便のフライトアテンダントになった。

高速で移動することで、長く美を保てると考えたのだ。

一方で、生物学を学んだベッキー管制塔で勤務した。

10年後、より若く美しい容貌を維持できたのはどちらだったか

それはベッキーだった。

アビーの肌は上空の強い紫外線に晒されてシワだらけのシミだらけ。

アビー高速鉄道乗務員を勧めています

2018-03-14

考えてたら眠れなくなって、もうこんな時間だよ

昨日寝る前に、嫁とこんなことを話してた。

俺「あの時エッチしてなかったら、この子は居ないんだよね」

嫁「そうだね。あの時、お義理父さんが気まぐれで(長いので略)」

俺「うん。でも、それだけじゃなくて膣の濡れ方や子宮内のわずかなひだ、どっち向きで寝たか、でも変わるよね」

嫁「それもそうだし、射精をどこまで我慢するか、だけでも違った結果になったはずだよ」

 

この調子で書いてるとえらいことになるので、はしょるが、要約すると

一卵性双生児ですら、違う人間だということ。つまり、Aが体験することはBは体験しない。

例えば、昔、アメリカ実験で、双子のうちAは貧乏な家に、Bは金持ちの家に養子に出す、ということをやったらしいが、

満足な教育も受けられなかった貧乏なAからしたら「なぜ俺の方がBじゃなかったんだ!!」と思うだろう。

 

同じ遺伝子でもこれなんだから精子が違えば、もうそれは完全に別の人間だ。

極端なことを言えば、物質に影響を与えないはずのニュートリノのような素粒子の振る舞いが、わずかにでも違えば人類歴史は変わってしまう。

例えば、ニュートリノ発見のされ方が少しだけ変わって、発見した人の振る舞いがわずかに変わる(例えばコップを置く位置が少しずれて、それを助手がこぼしたせいで電車に遅れる)などしたせいで生まれなかった人が存在する可能性はありえる。

 

それでも大きな科学発見や、大きな歴史の流れは、もしかしたらそんなに変わらないかもしれない。

でも、そこで生きている人間は、完全に別の人で埋め尽くされてる可能性がある。

(いや、タイムマシンなんてないのだから、そんな可能性はないんだけども)

 

まりそんなわずかな違いで、この子は生まれなかった可能性があるのだ。

というか、俺も存在しなかった可能性がある。

素粒子の振る舞いは確率的にしか確定しないのだから、何もなくても俺が存在しなかった可能性すらある。

(いや、可能性はないんだけども、なんと表現するのが正しいのか。。。)

 

でも、本当にそんな、天文学的どころかグラハム数を使わないと表現できないような確率で俺が存在しているのか?!

と改めて驚愕しているのだ。

どうにも納得ができない。俺がいないってことは、俺的には世の中は存在してないってことだからね。

本当にそうなのか?

などと考えると、かなり強めな無心論者の俺ですら、魂という言葉を使って、こう言いたくなる。

 

俺「いや、多少の遺伝子が違っても、やっぱりそれは別バージョンの俺だったんじゃないかな〜」

嫁「別バージョン?何それ?」

俺「う〜ん、つまり魂は俺で、器が違うだけ、というか」

嫁「あなたからそんな言葉が出るなんて。。。」(呆れ顔)

俺「だから、親父も俺も同じようなもんだと思ってさ。。。」

嫁「それは無理」

 

これからどうしよう。

から仕事だし。はぁ。。。

 

追記:書き忘れてた。魂という言葉を使わずに、うまく俺の言いたいことを表現できる人います?いたらトラバでもブコメでも良いので教えて下さい。

2018-02-23

anond:20180223174158

ええ……さすがにこれは知恵遅れ……

いったいどこでそんなトンデモ理論を習ってきたんだコイツ……

このブコメ(?)の理屈なら一卵性双生児以外でも同じ両親からまれ兄弟/姉妹は全く同じ遺伝子を持っていて、ただ発現形質のみが違うということになってしま

2018-02-22

人間出産における精子卵子の希少価値計算

 

見積

仮定

2億÷2=1億倍。

 

必要条件 

1個の受精卵で使われる精子卵子の個数を比較すると、卵子の希少価値精子の希少価値の約1億倍となります

妊娠出産に関して、「生物学的」には、女性男性よりも約1億万倍貢献していることが証明されました。

 

anond:20180222135501

妊娠出産に関して、「生物学的」には、女性男性よりも約240万倍貢献していることが証明されました。

これでは、数値が小さすぎましたね?

 

anond:20180222135650

anond:20180222135754

anond:20180222135825

anond:20180222135904

anond:20180222140114

2018-02-14

双子だけどずっと気になっていることがある

弟(わたし)は耳を意識して動かすことができる。

両耳とも、それぞれ独立に動かせる。

でも兄はできないらしい。

一卵性双生児遺伝子が同じって聞いていたけれど、耳を動かせるかどうかは遺伝子関係ないんだろうか。

不思議だ。

2018-01-20

anond:20180111075609

先祖から記憶を受け継ぐというのはあり得ると思う。

例えば、ドラクエ1の容量は64KB

まり、64KBもあれば、曖昧な形でぼやかした一つのストーリーは盛り込めるということだ。

DNAの容量はおおよそ800MBという。

また、カルガモは生まれてすぐ生まれた時にすぐ近くに動くものがあればついていく。それから無意識に恐ろしいと思うものがある。異性の性器は見る前から興奮する。

これは先祖がこれは恐ろしい、好ましいと思ったことを受け継いでいるのではないかと。

まり先祖が感じたことは一定遺伝子に乗って今の代に生きているのではないかと。

それから、一卵性双生児趣味嗜好が似るということも間接的にこれを示唆している。一卵性双生児受精卵の段階では完全に親からデータは同じものからね。

胎児の夢という仮説がある。もともとはドグラ・マグラという小説の中にある架空論文である

ヘッケルの反復説という説をもとに拡張したもので、生物はすべて受精から育つまでにそれまでの進化歴史を反復するというものだ。

もちろん立証する方法はない。

あえて言うのなら、親が子供を作るまでの経験子供に活かされるか?という立証だが、撹乱要因が多すぎて科学的立証までに至らないだろう。

やるとすれば、非常に世代のワンサイクルが短い生物(例えばハエとか)について、片方には特定ストレス(音を鳴らすとその直後に弱い毒ガスが撒かれるとか)、もう片方にはそれがない。

体内のストレス物質観測できるようにする。

という試行を、何十世代も繰り返した後、とある世代で、その代では音の直後に毒ガスを流さないでその音を流して比較するとストレス物質はどうなるか?

なんて実験をしたら行けるかもと思う。

時間と手間がかかるし、僕は生物専門家ではないので、僕自身もできない。

実験がうまくいくかもわからない。

わかったところでメリットないどころか優生学に使われかねないので倫理的否定されそう。

金もってって来れなさそうな割には時間がかかるのでカネがかかる。

そういう実験をすれば立証できるんじゃないかと思う。

そう考えると、「魂」と呼ぶものは、自分の生まれるまでの親、祖父母、その他の祖先の感じた経験などが無意識下で合わさったものではないかと考える。

すると、親、祖父母が生きていても、生まれた時点で親、祖父母の生まれ変わりだということは言えると思う。

2018-01-18

anond:20180117163500

ああー。返信含め全文読んでなんとなくわかったような気がするけど、自分の中の「面白い」の定義が狭くて、相手もその定義で使ってると考えていて、だから必要以上にバイアスがかかっちゃうってこと?なの?

例えば増田自身ストーリーに興味があるタイプで、これ面白いよってすすめられたら(大体ひとが面白いと思うストーリーがわかるから)台無しだって思うってこと?

でも、実際は面白いって言葉もっと広い意味で使われてて、逆に増田のようなバイアスがかかるものじゃないと思うけどなあ。

例えばジャニ好きのひとが言う面白い映画って、推しメンがたくさん映ってたとかそういう意味だったりするし、ミリオタとか鉄道オタとかもそうだし、特にオタクじゃない普通の人でも結局は個人の好みなので同じ。

普通自分の好きなものを「面白い」と表現するだけで、別にストーリーがとか描写がとか言わないから、逆に増田的にはノーカンなんじゃないかなあって気がするけど。他人面白いと思うもの増田面白いものなわけじゃないんだし。

ホラー映画ファンなら、ロメゾンビ絶望感とか悪魔のいけにえ狂気とか、人体破壊とか不快感とか暴力描写とか、一般的にはネガティヴしかないものを「面白い」と言うし。具体的な箇所を言うとネタバレになるから、ただ面白いよって勧める場合もある。

で、つまらない作品オススメしろって話になってくると、それはオススメ大前提が崩れるので意味がない気がする。それはもう目隠しして探せば?って感じでは。

オススメって、結局勧めてくれた人との交流が前提とか目的にあるわけで、だから面白いよ(自分が好きだと思ったものを友人と共有したい)」という文句になる。だけど、増田文章を読んでると作品自分との関係を一番に考えてるからオススメ文化のものが向いてないってこともあると思うんだけど。

それでも交流もしたいんなら、面白さとかじゃなくて今月読んだ作品友達に聞くとか。

「「何か面白いやつ教えて」と聞いてくるやつには自分面白いと思うものを教えてやればいい」って書いてるように、逆に面白い不明ものオススメされたいなら、自分からそうやって工夫して聞くしかない。果たしてそれに意味があるのかわからないけど。。

またあえて「面白くない作品」を聞いた方が、面白い面白くないかの期待と不安のドキドキ感は逆に高まる気がする。あんまそういうことしてると友達減りそうだけど。

あとは、当たり外れも欲しいけどなるべく質を高めて外れの確率を小さくしたいなら、機械的に名作を選べばいい気がする。

名作とされる作品って時代遅れだったり難しかったり逆に簡単だったり皆が見て面白いわけじゃないし、名作である理由も技巧とか思想とか時代性とか歴史とか、ちゃんと勉強しないとわからない面倒くさい部分も多いから、当たり外れはよくある。でも読んでる人口とか話題に上る確率は高いから、他人と共有もしやすいと思う。

でも名作だと「以前にどこかで話題になっていたことがすでにバイアス」とまで考えるなら、やっぱりランダムに探すしかない。

そうなってくると「自分名前を知っている作品は全て内容に対して余計なバイアスがかかっている」から未知の作品しか読まない、とかいうことになりそうだけど。

あと、結局作品との関わりを何が何でも大事にするなら、友人とかとそのジャンルについて話すのはやめた方がいいよ。うっかりネタバレとか変な対抗意識が生まれたりとかは絶対あるし。

終わりにとりあえず、あえてミステリオススメ

13階段高野和明

ミスターメルセデススティーブン・キング

「折れた竜骨米澤穂信

「死の接吻アイラ・レヴィン

五色沼黄緑館藍紫館多重殺人倉阪鬼一郎

星を継ぐもの」J・P・ホーガン

本陣殺人事件横溝正史

エジプト十字架秘密エラリー・クイーン

「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午

「その女アレックスピエールルメートル

小説の話かと思ったけど映画の話もしてるっぽいので

最後まで行く」

羅生門

「L.A. コンフィデンシャル」

アフタースクール

情婦

八つ墓村

トールマン

告白

手紙は憶えている

双生児

2018-01-05

anond:20180105201155

ある行為をするかしないかという選択思考によって行われる

否。

 

思考を伴わない選択存在するし、思考を伴わない予約行動も可能、逆に思考を伴わない自動的な行動を主導的な行動に変更することも可能

無論、できない場合もあるが例外なく思考によって選択は行われるわけではない。

この辺りは格闘技経験スポーツ経験があれば直感的に理解できる。

 

思考を伴わない選択

辛いものを食べて吐き出す、鼻に胡椒が入りくしゃみをする、熱いヤカンを触って咄嗟に手を引く。

これらは生来防衛本能がさせる選択的行動。

防衛本能破壊されている人間はこれが上手く機能していないので選択できず行動できない。

選択できないという状態は行動して結果を招くことができないというのがその状態

よって思考しない自動的な行動であっても選択自体は行われている。

 

思考を伴わない予約行動

格闘技コンビネーションや、スポーツにおけるポイント獲得のために必要な行動、安全確認のための習慣的行動、タイピング

これらは思考を伴わずにできるようにあらかじめ練習され自動化できるようにした選択行動の結果。

 

思考を伴わない自動的な行動を主導的な行動に変更

辛い物を吐き出さずに食べる、苦い物を吐き出さずに食べる、注射が痛くても逃げずに我慢する、眩しいライトを見ても診断してもらう。

これらは反射的な自動行動を全部自意識で抑えて主導的な行動に変更している。

ご存じの通り子どもは心が育っていないので自意識による変更ができずにこれらの選択ができない。

 

ある思考をするかしないかという選択もまた、思考によって行われる

正。

座禅ヨガ催眠術、集中行動のように意図的思考排除したり限定的にする方法がある時点で、

思考のもの操作できない、選択できないという認識は誤り。

 

選択をするための思考自然発生しない限り、思考をするという選択をすることができない

否。

思考自然発生するものではない。

思考をする、思考をしないという選択についても先ほど述べたようにあらかじめ自動行動を設定しておけばその場で思考せずとも選択可能

思考は、本能無意識意識>心・思考自我という段階を踏んで発現されるものであり、自然発生するものではない。

本能性的欲求があるからといって路上で人を襲うというわけでもないように、

本能に元づく欲求を最終的にどう行動へと落とし込むかはその人間個人思想思考自我自意識・心・人格に全て委ねられる。

それゆえに成人した人間の行動結果は社会的責任が付きまとう。

同じ食材でも料理の仕方やシェフが違うだけでまるで別の料理になるように、

根源的欲求が同じでも、思考が違えば、食べるもの選択が違い、性的趣味も違い、好き嫌いも違い、一卵性双生児双子でさえ趣味も違ってくる、

例えきっかけが環境世界の気まぐれだったとしてもそれを内在した以上は個性であり自我であり己の判断のもの

 

従って、少なくともなんらかの思考自然発生する必要がある

否。

思考を作るのに必要なのは材料となる意識であり、

どう組み立てるかは自我に委ねられる。

2017-12-13

幽体離脱について調べた

まずは Wikipedia より

幽体離脱とは、生きている人間の肉体から霊魂(魂や意識)が、その霊体と肉体との中間位置する幽体(アストラル・ボディー)を伴って抜け出すという、心霊主義での現象であるとされ、または、その概念や考え方をも含むもの

抜け出した非物質(または、半物質)でできた「幽体」(または「霊魂」「霊体」など)は、機能の仕方によっては、生霊(いきりょう)とも呼ばれたりする。

霊的なもの医学的に証明されるのは難しく解明されていないが、経験者の体験談はほぼ一致するとされている。

基本的金縛りを経て幽体離脱をする。 離脱したときに行動できる距離は限られているケースが多く、本体から一定距離まで離れると視界が悪くなることがある。

また目を閉じていても景色が見える。魂で見ていると考えるものもいる。(体験談より)

科学心理学の分野では、主に白昼夢等に類似した現象で脳の誤作動によるものと考えられている。

血液型はいずれもA型星座はいずれもさそり座。一卵性双生児。生まれ時間たくやの方が5時間ほど早い。

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170607112825

クローン=一卵性双生児と同じレベル遺伝子情報が同じ

であるならば、少なくともDNAレベルでは同一人物と言えるのではないですか?

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

追記。8日ソワレの当日引き換え券を購入した。前回視力的に見えなかった部分を補完できるよう前方列の上手~中央の席をご用意いただけると良いのだけれど。

観劇にむけ、注目したい点など備忘録



白い鞠?は唯一『私』よりも先に舞台上に存在するので、高次元存在である可能性や何かの表現であったりしないか

秀ちゃんと吉ちゃん、初見では(誰しもそうだろうけど)双生児ではなく比喩としての『醜くコントロールできないもう一人の自分』の話だと思っていた。

エグい描写が続いていたので、比喩と見せかけて実際の奇形の話であったというオチにまんまと流されてしまったけれど、

この物語が諸戸の視点であるならば、箕浦と秀ちゃんの恋愛描写は雑で蔑ろであったのに(彼にとっては箕浦他人恋愛なんてどうでもいいからだ。箕浦物語視点であるならばこの恋はもっと尊く丁寧に描写されているであろう)、妬ましい秀ちゃんの手記はいやに丁寧に描写している。

これは秀ちゃんと吉ちゃんの存在が、諸戸ないし箕浦隠喩からではないだろうか。

諸戸本人の感覚というよりも、より高次元な作者・超自我としての感覚で、『諸戸から箕浦への愛』に対し、『美しいものであって欲しい』という望みと、『どんなに消されても消えない愛の炎と欲望は醜い』と卑下する気持ち二面を抱えているように見えるのだけど。

自分の愛は醜い』と卑下してしまうのは、受け入れてもらえないことが唯一で絶対理由だと思う。箕浦が諸戸の愛を受け入れてしまえば、もうそれは醜いものじゃなくなる。

でも箕浦はどうしても『性愛』を受け入れられない。

諸戸の二面性は彼の超自我によるものだと私は考えるけれども、ある意味箕浦が愛せた諸戸と受け入れられない諸戸の二面でもある。

吉ちゃんに凌辱される秀ちゃんとは、愛欲をコントロールできず捕らわれ続ける諸戸であるなと。

箕浦はまさしく舞台上にて『私』と『箕浦』の二つに分かれている。

同一人物であった二人が切り離されたように見えるのは、井戸の中での諸戸の告白辺りから。……それ以前、島に着いてからもかなり二人の差が「目について」くる。異様に見えてくる。

井戸を出た時の諸戸の表情が座席位置関係で見えなかったのだけど、彼は箕浦に何を見たのだろうか。

私は諸戸に対して全くもって嫌悪感がなく、むしろ清楚な色気すら感じていたのだけれど、ラストセリフ・親御さんから手紙の内容を聞いたときに唯一初めて諸戸のことをきもちわるいと思った。

諸戸本人からの求愛であったならまた印象は違ったのかもしれないけれど、第三者から告げられたそれはすごくきもちわるかった。

(これは私が『告げ口』というものに異様な嫌悪感を持つために抱いた感情なのかもしれないけど、あれだけフッたのに他人からまだアイツお前のことが好きだってと言われるなんて、しかもそれが息子を失った親御さんから訃報でだなんて、最悪すぎるし気持ち悪過ぎると感じるのですが……これで意中の相手が振り向いてくれることなどあるのでしょうか?)

から、実はラストシーン佐藤さんの反応を見逃すまいと凝視してしまって。

私は諸戸すげーきもいと感じるけど、『私』はどうだろうなと。

そのせいで他の要素を見逃している可能性が高い。

あと、どうやら原作ではそれなりに諸戸の好意きもちわるいようなのだけど、舞台では健気で美しい印象の方が強かったので、それは私が田中さんの美しさ・色気に当てられて誑かされていたからなのかどうかもしっかり見極めたい。

更に追記

ラストシーン手紙から受けた『諸戸きもちわるい』って印象、この手紙を読むのが井戸の中で消えた箕浦役の石田さんが担当しているからって可能性もあるのかも。

あのセリフを言ったのが箕浦かどうかはまだ考察できないけど、『消えた自分』にそんなこと言われて亡霊度がめっちゃ高くて不気味だったような気がしている。

怨み言や呪いのように聞こえた。

こちらも改めて確認したい。

更に追記

諸戸が箕浦を好きになった理由原作からも明らかにされていないらしい。

しか口説文句に「君は美しい」とあるそうで、これは他の人も言ったセリフである気がする。

作品中において『美しい』と評されることの意味は重いはずなので、

誰がいつ何を『美しい』と評したか、その評価意味を捉えていきたい。

更に追記

「『私』が白髪になるほどの恐怖」とは何であったのか原作でも名言されていないらしい。

解釈余地があることの意味検討したい。

また、どうしても視覚情報の伴う舞台では白髪になったターニングポイントが「見えて」しまうため、原作にならい解釈余地を生ませるよう演出されているのだが、それでも舞台上に起きた出来事はどんな解釈でなされていたか、芝居の息遣いをしっかりと感じておきたい。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

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