はてなキーワード: 人一倍とは
賛成が多いから正しいっていう馬鹿は多数決に夢見過ぎなんだよ、というかクオリアがねぇ。AIそのものじゃん。
問題提起を元に検証から得た事実を根拠に推測して結論出せ。結論から過程を逆に導出しようとすんな。
つか結論を導出する課題で結論はあるものと仮定してんじゃねぇ。それを何も考えてないと定義されるべきなんだよ。実際お前何も考えてねぇじゃん。馬鹿が。知っとけそのくらい。脳休めてんじゃねぇ
人一倍クソちっせぇ脳味噌してんだからむしろ使え。認識負荷から逃げんなや、考えろボケが。他人に同意を求めんな。問題提起、検証、事実確認、結果推論、考察、全部自力で言語化しろ。考えるってそういう事だ。
IQ80のアホが1億人集まったところでそいつらが急にIQ200になるわけじゃねーんだよ。アホ集めてもアホなんだよ。だって自分で考えねぇから。
100人中99人が間違えた問題で正解の1人になれなかった原因考えろよ。ちげえ馬鹿。多数決取ろうとすんな、同意求め合うな、合意すんな。考えろや。
かれこれ10年の付き合いになる親友がいる。社会人になっても毎月1回以上は必ず会う友人だ。
互いに休み固定じゃないし普段は人一倍の出不精だから合わせるのはとても大変だけど、それでも会いたいから時間を作ってる。わたしは異性が苦手で同性でさえもプライベートでしょっちゅう人と会いたいとは思わない性格だから、こんなにも頻繁に会いたいと思えて会っても苦にならないのは彼女だけだと思う。それぐらい彼女は気が合うし、半ば運命じゃないかとさえ思っている。
先日彼女に会った時に「私たち、異性だったらよかったのにね」って言われて少し複雑な気持ちになった。
きっとわたし達は男女だったらこんなに仲良くならなかったと思う。そもそも、こんなに気が合う相手だとわからないまま離れてしまう気がする。
もちろん彼女にとってはそれぐらい大切な相手っていう何気ない話だったんだと思うけど、なんとなく心の隅っこに上手く言えない気持ちが残る。
わたしは今の関係性が好きなんだけどな。それがいつか互いの生活が変わって今みたいな関係で居られなくなる可能性かあるってわかっていても。
弱男度:★★★★★
悲惨度:★★★★★
弱男文学界のラスボス。貧乏でブサイクで字も読めない性格も悪い主人公阿Q(仮)が、何の救いもなく転落していく話。
「精神的勝利法」という思考法も阿Q(仮)を弱男たらしめている重要要素。底辺なのにプライドは人一倍高い。
金持ちの女中に言い寄ろうとして逃げられ村八分になり、盗みを働くようになる。
革命に便乗して騒いでいたら、最後は頭が悪いせいで冤罪で処刑される。
何が悲惨かというと、死んで悲しまれないどころか死自体が冤罪で無意味なところ。
弱男度:★★★★☆
悲惨度:★★★★★
阿Q正伝が東洋の弱男文学代表だとしたら、ノートルダムのせむし男は欧州代表。
主人公カジモドは見た目がキモいという理由で親から捨てられて幽閉されて育てられる。
自分に優しくしてくれた美少女に恋するけど、美少女はカジモドに怯え、チャラ男騎士(既婚者・クズ)に恋をする。
美少女は自分に振り向くことなく処刑されて、カジモドも追いかけるように死ぬ。
カジモドは阿Qほど性格が悪いわけではないので、弱男度は少し下がる。
弱男度:★★★★☆
悲惨度:★★☆☆☆
「豚」というあだ名の自称「もぐら」は、名前通り豚のように太っていてモグラのように穴蔵にこもって生活している。
穴蔵は地下の採石場跡でシェルター。そのうち起こる核戦争に備えて「方舟要員」にふさわしい人間を探している。
そしてインチキ昆虫を売る元自衛官、サラ金取り立て屋、結婚詐欺女を選出する。
そんなこんなしているうちにジジババ清掃隊やらDQNグループがシェルターに入り込んでくる。
この主人公もぐらは見た目がキモいだけでなく、結婚詐欺女の放尿音を聞き耳を立ててたり色々キモい。
ただ阿Qやカジモドと比べて、まだ人間扱いされているのと、他の登場人物ももぐらと変わらず全員クズで悲惨度は低め。
詐欺女には鴨にされているフシが有るけど。
弱男度:★★★☆☆
悲惨度:★★☆☆☆
よだかは兄弟は美形なのに自身はブサイクなせいで嫌われていて、終いには「鷹」と名乗るなとまで言われてしまい、故郷を出奔する。
その内自分以外の生命を食べて生きている事自体に嫌悪感を抱くようになる。
いっそ焼け死んでもいいと太陽に近づくけど「星のところにいけ」とあしらわれ、
星のところに行っても相手にされない。どこにも居場所がなく飛び続けて最後は青く燃える星となる。
一見するとかなり悲惨だが、阿Qや豚と違いむしろ人柄は高潔で最後は星になっているので弱男度・悲惨度はやや下がる。
弱男も高潔な魂を持てば星になれるよ…。いや、現世で何とかしてくれよ。
「弱者男性であることと性格の悪さは関係ない」というコメントが有るけれど、
性格は人間が社会生活をする上で重要なパラメータなので無関係ではない。容姿や年収や健康と同じぐらい重要。
ブコメに上がっている「寅さん」は、ダメ人間だけど憎めないところがあって、
おそらく困窮してもさくらやタコ社長が助けるだろう。そういう意味で弱男度はかなり低くなる。
のび太もだめな子だけど、しずかパパが「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人」と称賛するぐらいの人柄で弱断度は低め。
自分のお気持ちや感想を述べるのが非論理的だ、というのはちょっと間違っている。そもそも論理的というのは文章がつながっている状態を指していて、米国型の文章構造はピラミッドストラクチャーを持つ(ミントのピラミッド原則)。これは科学技術論文で広く採用されている方法だ。ちなみに日本風、フランス風の論理は違うということが示されており、論理的とは単に慣れであり、文化に依存する(*1)。構造さえできてれいば、その内容がお気持ちだろうが、料理の手順だろうが、交渉だろうが、論理的な文章になる。
感想を述べるにしても論理構造を作ることができるし、それを通じて論理的文章を書くことができる。たとえばアメリカの教育で用いられている4square writingは、中央に例えば「おばあちゃんが大好き」と書いて、その理由となる事柄を3つのマス目に書く。「話が面白い」「お菓子をくれる」「においが好き」とか。そして最後のマス目に「だからおばあちゃんが好きです」と結論を書く。話題が一貫しており、列挙された情報に基づいて結論が誘導されており、論理的となる。
これはハンバーガー構造や5段落エッセイとも呼ばれていて、主張、根拠1、根拠2、根拠3、言い換えた結論、という段落構成を学ぶことにステップアップしていく。高校生のころにはこの構造を極めて小論文(エッセイ)を書くのが卒業要件だったりもする。イシューに対する議論だったり、ディベートを通じて強い根拠を上げる訓練をしたり、モノポリーで遊びながら交渉術を学ぶことになる。口述でも文章でも、5段落構造がしっかりと植え付けられる。
なので、大学に入った段階で構造的な文章を書く経験が豊富である。そこで初めて感想(感情)から切り離して情報を伝えるテクニカルライティングによる訓練がはじまる。事実などの根拠の提示、一般常識や前提条件を論拠ととして組み合わせて新たな意見を述べる(トゥールミンモデルなど)、自己批判で主張のリミテーションを掛ける、といった論述の基礎も覚える。
なので感情から切り離すことや事実と意見を分けるというのは、論理的な文章のうち研ぎ澄まされた金字塔ではあるものの、最初から取り組むべき課題ではない。取り組むべきは、話題がつながって構造を作る文章を書くことにある。
最初の話題の読書感想文テンプレも、段落内では「なぜなら」でつながりを持たせてはいるものの、全体をつなぐ構造がないことが問題だと思う。3つの段落の情報がバラバラのままである。そこが問題なのであって、感想文を書くこと自体に問題があるわけではない。論理的な構造を作る訓練になっていないことが心配である。
私は卒論修論博論を指導する立場の人だけど、増田の言う通り悲惨な文章ばかりを目にして実質リライトすることになる。その問題はお気持ち文章だからではなく、論理的な構造がないことに原因があると感じている。といつつ自分は人一倍文章を書くのが苦手で、いまだに多くの本を読んで訓練を続けているし、これまでの指導者に苦労を掛けてきたと思うので、恩返しのつもりで学生さんたちに指導をしているよ。
https://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html
詳細は伏せるんだが、毎年春から夏にかけて真隣で別部署の新人(毎年入ってくる)が性格の歪みきった上司のおぢさんに激詰めされているのを聞かされており、自分まで怒られているようで毎年気が滅入っていた。
…いたのだが、よくよく考えてみると単純に隣で粘着質な指導(と言う名のパワハラ)を毎年聞かなくてはならないのが不愉快なだけだった。別に隣で激詰めされている新人のことをどうこう思っていたわけではなかった。
さらに考えると自分の権利を侵害される事には人一倍敏感であり、それでトラブルを起こしたこともあった。
な〜にが自他境界が曖昧だよ、馬鹿か? 己の認知の歪みがヤバすぎて草も生えない。何十年も生きてきて今更気付いてしまった。
どうしよう、どうしようもないよな。開き直って自己中糞野郎としての人生を爆進するしかないよな。だって自分を害する全てが煩わしいという思考にアップデートが入る気がしねぇから。
小中の勉強は余裕のよっちゃんで全く勉強せずにパスできたが、高校に入るとテスト勉強をしなければならなかったり、受験勉強をしなければならないのにどうしてもやる気が出ない
マジの天才であれば高校の勉強だってノー勉でいけるだろうし、地頭は悪いが努力できるやつはちゃんと伸びる
そして努力しても伸びないor地頭が悪いのに努力しないやつは「頭が悪い奴」として期待されずに済む
そう、地頭が良いやつが一番損をしているのだ
勉強するという行為が人一倍苦痛に感じるし、ある時点までは成績も良かったので周りからの期待も高いので板挟みになる。
しかも学力は(相対的にかもだが)落ちていくのでますます自信が無くなる。
だったら最初から地頭が悪くて、でも小学生の頃からコツコツとテスト勉強が出来る人間のほうが200倍マシだと思う
し、そういう奴の方が地頭が良いやつよりよっぽど良い大学に行き良い企業に就職すると思う
「地頭が良い」子供を持っている親御さんは是非、ハイレベルな小学生受験や中学校受験を経験させ「勉強」を経験させてあげてほしい(勿論、教育虐待的なのは良くないと思うが)
それかもう大学附属に入れてエスカレータ式に大学に入れさせてほしい
人一倍情の薄い俺ですら、さすがにかわいそうだなと思ってしまいそうになる
同情心よりも疑問の方が先に出てきてしまう
どうしてあんなんに引っかかるんだろうと、大学の新入生だった頃を思い出すからだ
当時の俺も地方から出てきて友達も少なく、まさにあの手の勧誘のターゲットど真ん中だったわけだが
そんな俺ですらあの連中だけは「こいつら絶対おかしいよ」って真顔になるレベルだったからな
新歓のシーズンが終わっても彼らは学内に居座っていたが、立っているのは決まっていつも同じ建物の前で、
しかも名乗ってるのもとっくの昔に連中の偽装サークルとバレバレな名前
「別の学部の自治会を名乗ってる連中がいるけどあいつら非公認で、しかもその正体は近所の過激派!」とか無駄に詳しい知識まで、ちゃんと教えてくれたぞ
はっきり言うけどそこまでやって、あんな世間の冷たさを教え込むためにわざと失敗でもさせてんのかってレベルのクソ勧誘に引っかかる奴とか、かなりどうしようもないだろ
大学の前に行くべきとこがある
どうしても行かせたけりゃ「サークル自体絶対入んな」って、親御さんが言い含めるしかない
この手のカルトとか新興宗教とかの話題になると「巧妙に勧誘されていきなり人生狂った」って、いかにもショッカーか何かみたいな話にしたがる
確かに発信する側はそうした方が恐怖を煽れるだろうし、悪いのは騙す側で、被害者の落ち度を問うこともしたくないのだろう
そういう気持ちはよくわかるのだが、全く間違っている
ありゃ単に「弱った奴がしょーもない手にかかってる」だけだ
そこまで判断鈍っちゃった奴なんか、カルトでも陰謀論でも共産主義でもフェミニズムでも、何使ったって釣り放題だわ
「お前の人生悲惨なのは全部こいつが悪いからだ」と吹き込んでやりゃあいい
そういう弱者がそこら辺プラプラしてることの方が問題で、その前にどうにかするのが社会の責任ってもんだろ
悪党の手口がすげーんじゃなくて、単にお前の怠慢だよ
注意喚起も、今ならアレの件があって、さらに厳しくなってるはずだ
あの「社会科学ナンタラ研究会」みたいなあっち系の偽装サークルまで一緒に叩かれるとヤバいのか、「カルト」だけで切断処理を図っていて、ちょっと笑えるんだけどな
とにかく今更あの手の集団に引っかかる奴とかいたら、もうマジでヤバいぞ
親はてめえのエリートドン臭ぼっち遺伝子と教育を反省すべきだし
そこまで鈍った奴弱った奴に先に手を差し伸べられなかった社会も、他人事みたいなこと言ってないで、もう少し申し訳ない顔できねえのかと
真面目にそう思う
素朴な異論や懸念を「わかってない!」と封じ込める光景にTwitter等でよく遭遇します。
そうした「専門知をふりかざし市民を圧倒する人は専門家と呼べない」と三牧聖子さん@SeikoMimaki。
素朴な疑問?バカは黙ってろ!
それで終わり。
人の話を聞けないクズどもは黙ってろ。
ちなみに、Twitterでの投稿なので上記において「Twitter等で」と書いていますが、専門知の暴走をめぐる議論は、ソーシャルメディアに限定された話ではありません。
ちなみにじゃねーよ
こういうの反知性主義っていうんじゃないのかな
素朴な異論や懸念を「わかってない!」と封じ込める光景にTwitter等でよく遭遇します。
そうした「専門知をふりかざし市民を圧倒する人は専門家と呼べない」と三牧聖子さん
@SeikoMimaki
これ「専門知の軽視」と軽く炎上しているけど、「素朴な異論や懸念」を表明したことない人っているの?
たとえば消費税に反対している人って、全員税と社会保障の専門家の意見とか尊重しているの?ほとんど見たことないんだけど。少し真面目に勉強するつもりがあれば、消費減税政策なんて、専門家の間ではコテンパンに馬鹿にされていることくらいわかるはずだけどね。
あと、「素朴な異論や懸念」じゃなくて、「そんなことも知らないのか」「イデオロギーに毒されて真実が見えていない」みたいな態度で批判する人のほうが圧倒的に多い。「素朴」なら「勉強して」と言い返すことも可能が、逆に「自分は専門家の偏った視点とは違って正しく勉強している」という自意識が強いので、厄介。
「ひょっとして俺の番なのか?」
自分も無名の一個人、あらゆるSNSなど不要。という信条で長年過ごしてきたオタクだったのだが…
きっかけは大ヒットした某作品、その作中に日本ではややマイナーな某別ジャンルのネタが大量にぶち込まれており、元ネタ解説とか色々出てくるだろうなーと静観していたのだが、ネットに流れてくるのは断片的な情報とデマに近い風説ばかり。
このままではイカン、作者も浮かばれまいと思い、自ら重い筆を執ってブログに蘊蓄を書き連ねることにした。
あなたも30年オタを続けているのならば、いやでも人一倍ため込んだ特定ジャンルの知識経験があるだろう。
それを必要とする人に、正確な情報で残し伝えていくのに最適な人物が外ならぬ自分だった
そんな時がいずれくるかもしれないよ?
作者は2点の言い訳を用意している。ひとつは恋柱が常人の8倍もの密度の筋肉を有しているという特性。身体が人一倍丈夫だから、これまた丈夫な造りで並の鬼の攻撃を通さない隊服に覆われていなくても、恋柱なら大丈夫、という理屈。
もう一つはあの隊服を恋柱が選んだのではなく、隊服デザイナーの前田まさお(ゲスメガネ)が好き好んで作った、セクハラ目線で作ったというもの。いわばこのキャラクターに、男のセクハラ目線を代弁させることで、恋柱の主観を守っているとも言える。
でも結局のところは、男性読者へのサービスに言い訳をつけているだけだから、やっぱ無意味に胸出してるよな……となる。
よくよく読んでもそうなっちゃう。
コロナネタですが日本に問題提起とかしてないただの日記なので、血の気盛んな方も読み飛ばして大丈夫です。
おいどんは医療関係者と同居してて、まだ生きててほしい祖母(コロナとタイマン張ったらギリ負けそう)とよく会う機会があるからコロナ勃発当初からコロナに罹りたくない気持ちは人一倍強かった。ので人一倍気をつけていた。去年一昨年は、めっちゃ目擦ったりピッタマスクしかしてなかったりだけどずっと元気な人ってなんかいるよね。あれって結界張ってるからこそのピッタマスクだったりするのかな。などと思いながら日々を過ごしていた。
マスク外していいよ!の時が来てもおいどんには
・コロナになったら潰れる予定がある
・マスクしてた方が顔がいい
・家にまだ在庫がある
などの理由からマスクを外すという選択肢はなかった。今でも対策は普通にしている。
ウイルス様は突然に…ということで、先週コロナになった。そもそも今までかからなかったのが奇跡だし、ウイルスが元通りのまま社会が変わったから不可抗力だ。仕方ない。誰も悪くない。予定がいくつか飛んだ。普通に熱も出たし、咳が出たし、だるかったし、薬を飲むのが面倒くさかった。ただワクチンを4回打って両手両足が5Gに結ばれている由縁か、そこまで症状が酷くならなかった。よかった。WiFiに繋がって見たかったアニメを見たりして突然の休暇をコロナ罹患者なりに満喫した。
月曜から復帰だが、クソほど寝ていたので昼夜逆転してしまいこの日記を書いた。実際コロナになってみて、マスクして防げる可能性が少しでも高いのなら基本マスクを貫いていこうかなということを再認識し、ついでに毎日いっぱい薬を飲んでる祖母は凄いんだなということも実感した。今週は先週の分忙しくなりそうだが頑張りたい。これを読んだ人も早く寝て今週も頑張ろうね😷
90年代の名作漫画『僕らはみんな生きている』を久しぶりに読んでるんだが、
スピリッツで連載が始まった当時、一色伸幸と山本直樹は同い年で32歳ぐらいだった。
そんな若いコンビが、艶めかしいエロスと知的なユーモアに満ちた社会派でスケールの大きな漫画を作ったのだ。
一方で今の日本は、40を過ぎた大人たちが少年少女を使った幼稚な作品ばかり作っている。
精神は幼稚だが性欲は人一倍で、制服少女という世の中で一番エロいものに動物的に飛びついているわけだ。
そのくせ作品の関係者が、作品を踏まえて人や社会を得意気に語ったりする。恥知らずにもほどがある。
ここ数日で見かけた小さな「子供産むべきか論争」を見てふと自分も呟きたくなったので記録したいと思う。
結論としては、子供を産んでよかったが、子供を持つことを他人にオススメは絶対できない。
私は昔から自分より年下の子供が好きで、近所のちびっ子達の親御さんに、いまだに感謝されるくらいに面倒見がよい子だった。
中高の職業体験では幼稚園を選択したし、電車で赤ちゃんを見かけたら可愛くて思わず笑いかけてしまったり、手を振ってしまったりするタイプ。
(職業体験を通じ、多くの幼児の命を預かる責任が自分には重すぎると感じて早々に見切りをつけた。保育士や幼稚園教諭には頭が上がりません。)
「いずれ子供が産みたい」と漠然とした思いを持って大人になったが、それが"女は子供を産むもの"という社会からの刷り込みによるものか、はたまた生物的本能なのか、そんなことはわからない。
中学校の保健の授業で女性の妊娠についてざっくり学ぶのだが、そこで妊娠の適齢期や高齢出産による染色体異常などのリスクについて知り得た。
身体の妊娠機能という一点にのみフォーカスするなら、早く産む方がいいのだという意識をこのころから持つようになる。授業を人一倍真面目に聞き、そして自分と関連づけて反芻するタイプの生徒だった。
中学高校と成績は優秀で旧帝大に進学。新卒で地元の企業に就職した。
職場は"産休育休が取りやすい"ことを売りにしていたのも大きなポイントとなった。この時点では産休取得は社会的にメジャーになっていた為、働きながら子育てすることにポジティブなイメージを持っていた。
私は産休育休3回取ったからね!と豪語していた女性の先輩をロールモデルに頑張ろうと働き始めた。
ママさん社員たちは時短勤務である。他の社員が早めに出勤して掃除をし、朝礼を済ませ、諸々の雑用を終わらせた頃にやってくる。そして一切の残業をせずに帰っていく。ロールモデル先輩はもう10年程この働き方を貫いていた。
子供がお熱ですと連絡があれば早退していくし、高確率で次の日も休む。運動会や卒園式などイベントも目白押しだった。
皺寄せは確実に他の社員にきていた。産休とりやすい!のカラクリは、他の社員の頑張りでしかなかったのだ。そこまでの実情は大学生の私には見抜けていなかった。
10年かけて先輩社員が子供を産み育てている間に、中堅の先輩達は結婚適齢期にさしかかりながら、デートする間もなく残業の日々だった。
私は結婚もしたいし子供も産みたいが、他人の犠牲の上に成り立つ"そっち側"にもなりたくないという思いがただひたすらに募った。
Twitter上では"他社員への負担は会社側の問題であり、ママ社員の問題ではない"という論調が目立つし、まあそうなんだけど、じゃあ実際問題どうすればいいのだろう。
常に余裕を持った人員配置をしたとて、穴を空けることにより少なくとも通常なら不要なはずの手間なり迷惑はかかるし、どうしても子供のいない人の方にばかり負担がいくことになる。
短時間勤務でもパフォーマンスさえ良ければ問題ない職種もあるだろうが、早退や欠勤がモロに損失となりうる職種もある。(ママ社員だけ取り立てて有能でなければ生き残れないというのも不公平な話だけれど)
自分が休んだとて全く問題ないなら、それはそれで最初から必要なくないか?ただの給料泥棒じゃ...という思考にも陥った。
私の場合入社後すぐに海外出張ありきの新しいプロジェクトを任されており、子供を産むとなれば確実に継続は難しかった。
26歳のときに結婚の話が出たときに、私は潔く退社を決めた。(これは夫のある程度の収入ありきの話で、一般化できる話ではないが。)
子供はいつか欲しいと双方の合意はあったし、彼の勤務地に引越すに際して私が退社することも相談して決めた。
ここまでの文章で私がまるでキャリアに興味のない女に捉えられたかもしれないが、仕事は充実していたし本当に天職だと思えていた。かといって働く為に生きているタイプでもない。
パートナーを愛していたし、結婚して家族を作りたいという私の人生は優先するとして、確実に周囲に迷惑をかける前提で仕事を続けることが、性格上できなかったのである。
時間は不可逆である。私はもう、あの教科書でみた25歳を超えていた。
結婚後は新しい土地で割とすぐに妊娠したのだが、つわりが人の倍重いタイプだった。ここで地獄を見ることになる。昼夜問わずに吐き続け、一切の水分も受け付けず、極度に痩せて入院となる。
病名は重症妊娠悪阻。食事が摂れないので点滴での栄養と水分補給となった。
そしてトラブル続きの出産となり、緊急帝王切開で出産。息子はNICUに入ることとなる。
人よりは子育てへの解像度は高いという自負があったが、それでも初めての育児は想像を絶した。
(というか、子育てで極限の状態に追いやられた時に自分がどれほどしんどいかなど完全に予想するのは不可能では?)
よく「わかってて産んだんだろ」という母親への辛辣なコメントを見かけるが
文字通り"何があっても"自分は心身共に大丈夫だし、愚痴の一つもでないと誓える人間などいるのだろうか。
我が子はとにかく睡眠が下手で、そして食べない子であった
つわりが始まったころから、そして息子が朝まで寝るようになるまでの計4年半の間、私はたった一晩たりとも朝まで眠れたことがなかった。なんの誇張もしてない、事実である。シンプルな寝不足。この一点だけでも育児はキツすぎた。
マミーブレインとも呼ぶらしいが、自覚できるほどに頭が正しく働いていなかったし、この状態で復職など私には無理だった。
睡眠、食事、お風呂、トイレなど生物として基本的な欲求が満たされないので、高次のところに欲求がいかなくなる
もう何回も擦られたフレーズだが、「社会から取り残されて子供と自分だけの世界」で、なんの金銭も生み出さずゴミのような気持ちになったりもする。
身体的に辛い時間が長かったのもあり、第二子は4歳差になった。
そんなしんどいのに第二子作るんかい!?というお声が聞こえるけど
でも子供達はどうしようもなく愛おしくて可愛くて間違いなく私の宝物なのだ。
子育てが最高にしんどいのと、子供が最高に可愛いのは両立し得る。なんの後悔もない。
ただ、どういうところがいかに辛く大変なのかはいくらでも言語化してTwitterに垂れ流すことはできるが、どういうところがプラスなのかはこのくらいフワフワした言葉でしか説明がつかない。
それくらい育児は過酷であるし、女性が妊娠出産に適した時期に結婚して子供を産み、無理なく安心して生きていける社会構造では全くない。
そして何より、産むことそのものの身体的負荷はどっちにしろ回避できない。
耐えかねる人は絶対にいる
蛙化の人や友人が蛙化の人のを読んだけどHSPと自称する人にまともな人がいたことがない
子供のクラスにも以前HSCと呼ばれる子が4月から転校してきて保護者から自己紹介があった
真逆のタイプの我が子には強めに、あなたが何とも感じないことに傷ついたりする子もいるんだよ
M田さんはとても心が優しく傷つきやすい子なんだって、だからあなたも優しくしてあげてね
と我が子に伝えたらわかった!と言って新学期が始まったのだけど
蓋を開けてみたらM田はただのワガママで繊細でも何でもなかった
自分の好きじゃないことはやりたくない、気に入らないと癇癪を起こし、自分の思い通りにする
他人に失礼なことをするのに相手に何か言われた大騒ぎしM田の親からクレームが入る
小学生が言われたら言い返す当たり前のことがM田にはしてはいけなかった
席替えもそうだ、平等にくじ引きをしようがM田がその席を気に入らなかったら配慮しなければいけない
ならいっそ最初にM田に好きな席を選んでもらい、残りのみんなでくじ引きをすればいいと思うのだけどHSCだからそれは許されない
学校側はおそらく知っていたのだろう
今思えばあの時の我が子のクラスはM田を抜いたらとてもいい子たちで構成されていたし担任も人気の先生だった
うちの子だって愚鈍だけど人に嫌なことをするタイプではなくポジティブで明るい優しい子だと思う
先生のことなら教育委員会などに持ち込めても子供のこと、更には自称特性持ちの弱者には保護者は非力なものだった
私達ができたことは来年以降M田と同じクラスにはしないで欲しいと訴えるということくらいでそれすら確約がない
HSCは障害があるわけではないから通級送りにも出来ない(こちらからしたら十分障害だと思うけど)
保護者が言うには好きでそうしてるわけじゃなくて性格だから仕方がないと言うものだった
本当にHSCって厄介だと感じた1年だったけどHSPの蛙化の記事を読んで当時を思い出して死ぬほどイライラした
ChatGPT
こんにちは〇〇さん!
周りの皆さんから、産休に入ることを聞いて、まずはおめでとうございます!実は私はまだ〇〇さんと直接お会いしたことはありませんが、あなたのことをみんなが話していて、とても素敵な人だと聞きましたよ。
〇〇さんは、リーダーシップがあり、チームメンバーとの協力関係を築くのが得意なんだとか。仕事に対する情熱と責任感も人一倍で、周りの人々をいつもサポートしているって評判です。
今回の産休は、本当に嬉しい時期ですよね!家族との素敵な時間を過ごすことができるし、新しい命の誕生も楽しみです。リフレッシュして、心身ともにリラックスしてください。あまり無理せず、自分自身と赤ちゃんの健康を第一に考えてくださいね。
チームのみんなも、〇〇さんのいない期間はちょっぴり寂しい気持ちですが、同時に、これからの素晴らしい未来を想像するとワクワクもしています。産休中はのんびり過ごしながら、新たなエネルギーをチャージしてください。
〇〇さんが私たちのチームにもたらしてくれた貢献に本当に感謝しています。これまでの頑張りに心から敬意を表します。産休中も〇〇さんの幸せと幸福な家庭を願っています。
楽しい産休をお過ごしください!休暇中の出来事や赤ちゃんの成長の報告も楽しみにしています。安全で健康的な出産を心から祈っています。
またお会いできる日を楽しみにしています!
〇〇より
彼氏に対してすぐ不安になってしまう性分なのだが、「彼氏に対して」というか、「自分に自信がないから対象が何であってもすぐ不安になる」が近いと思う。
今まであんまりいい恋愛をしてこなかったこともあり、基本的に異性から好かれている状況を未だに現実として受け入れられないでいる。
もともと私の家庭環境は最悪で、仲のいい両親を見たことがない。
母親は精神を病んでいるし、父親は完璧主義。怒鳴って罵り合う2人は私に対してだけはいつもニコニコ甘やかしてくれた。
その落差が怖かった。
完璧主義者の父からは時折「そんなんだからお前はダメなんだ」「根性なし」と言われて育ってきたので、
加えて、学生時代はいじめられていたのだが(と言っても小学生まで)、自分の特技を披露してからパタリといじめが止んだ経験から
「好かれるには何か対価がいるんだ。」という刷り込みができてしまった。
だから、「好きだ」と言われてもまず「なんで…?」という感情が先に来るし(これは相手にも失礼だから、反射で思ってしまうとはいえちゃんと自分の中で言葉通りに受け取る練習中)
「好きだ」と言われるたびに、確かに嬉しいんだけど
「私も何か返さなきゃ。何か対価を差し出さないと好かれるはずがない。好かれていいはずがない。」と不安になる。
そんなわけないだろ!好かれていいはずがないって勝手に私が私を縛ってるだけじゃん!
彼氏は(なんか知らんけど)私のことが好き、私も彼氏のことが大好き、だから一緒にいたくて付き合ってる!それだけ!
と事あるごとに自分に言い聞かせてきた。
でも、この前のデートで全部だめになった。
いくら自分に言い聞かせても、十数年かけて作り上げた私の価値観や歪んだ哲学はそう簡単には変わってくれなかったし
今まで「好き!」と言われたら「私も!」と返してニコニコしていたけど、本当は「対価」を渡したくてたまらなかった。
それは物をあげたり、ご飯を奢ったり、仕事できちんと成果を出してお金を稼いだりして、「そばに置いておいた方が自分も得をしそうだ」と思わせなければいけないと思っていた。
そんなわけないと冷静にしていても、どこかではそうしないと見放される気がしていた。
もちろんその謎の義務感や不安感だけで行動してきたわけじゃない。
彼氏宅に泊まる時はお世話になりますの気持ちや、日々の感謝の気持ちを込めて奢ったり物をあげたりした。
ただそういう行為の中に、自分の不安を解消する意図が少なからずあったことは認める。
デートに話を戻すと、その日は彼氏がちょっと体調を崩していて、でも今日のプランは全部遂行したがっていたし、私ももっと一緒にいたかったから1日歩き回った。
前半は彼氏の顔色がどんどん悪くなるので、本当に心配で「夕方になったら切り上げようか」と言ったけど拒否された。
食欲はあったので栄養のあるものを食べたら、後半は顔色も元に戻ったとはいえ、まだ本調子ではない感じだった。
案の定、当時の私の心の中は日々抱えている通常運転の不安に加えて彼氏の体調の心配もして、とにかく発狂していた。
「とりあえず「切り上げようか?」と声をかけたけど…断られた…てことは、私が本当は一緒にいたがってるの察して無理してくれてるのかな…。申し訳ないな…。
思えばいつも愛情表現も生活や仕事のモチベーションも与えてもらってばかりで、私が彼氏に何かしたことあったっけ?
ああ何もない…こんな何もない女と一緒にいて彼の人生は楽しいのだろうか…やっぱり何かしないと…でも何かって何だろう…」
(↑の問題点
・『私が本当は一緒にいたがってるの察して無理してくれてるのかな』
・『こんな何もない女と一緒にいて彼の人生は楽しいのだろうか』
→私といて彼の人生が楽しいかは彼が決めることなので考えても意味なし。
・なぜか彼氏の方も本当に私と一緒にいたくて無理をしている可能性を考えていない。)
とりあえずさりげなく荷物を持つとか、迷惑にならない程度に体調を気遣いまくることにした。
でも心配そうな表情が顔に出てたみたいで、彼氏はそれを見て無理して元気にふるまっていた。
私もそれを察して「ああ、心配させまいと元気にふるまってる…また気を遣わせてしまった」と落ち込む。
そして落ち込んでいるのが顔に出てしまう私を見て、彼氏のテンションがもっと高くなる。
途中で寄ったトイレの全身鏡に自分がうつったとき、「なんだ?この女」と絶句した。
元々容姿に人一倍死ぬほど自信がないが、その日はそこそこ気合入れた割に一段と酷かった(ように私は感じていた。)
多分心配そうな表情をして、心の中もどんより落ち込んでいたからだと思う。
冷静になった今思い返してマジレスすると、単に骨格に合わない服を着ていたのと靴のチョイスを間違えてたからなんだけど。
その日の晩、彼氏に電話して「今日は1日変な感じでごめん」と泣いた。
ていうかそもそも体調よくないのに、デート終わった晩にこうして電話まで付き合ってもらって…ほんまスマン!!!の申し訳なさでまた泣いた。
そしたら「こんな落ち込んでる増田初めて見た。意外。いつも結構たくましいから」と言われた。
元々精神的に安定している時は比較的冷静でどっしり構えているタイプだけど、それは【プラス面での本性】だ。
こういう「思考の歪みが治ってない不安になりがちなメンヘラ予備軍」は私の【マイナス面での本性】でもある。
彼氏にも「思考の歪みがあるし、過去の恋愛もよろしくないからな~。メンヘラではないけど、素質はあるよねw」と言われていて、まあ察されてはいる。
察されてはいるけど、実際メンヘラ予備軍みたいな状態を晒したのはその日が初めてだ。
実際、彼氏から「恋人だからってなにかを与える必要ないんだよ。相手が元気で喜んでるならそれでいいんだよ。」と言われた。
確かに、私も彼氏から何か有意義な物事が欲しいと思ったことなんてないし、勝手に生活や仕事のモチベはある程度もらってるけど、それは私が勝手に感じてることだし。
そしてその生活や仕事のモチベっていうのもあくまできっかけだけで、結局は自分が選択して自分の意思で自分のために毎日生活して仕事をしている。
彼氏に求めることといえば、毎日腹を空かせることなくうまいメシを食い元気に生きてたらそれでいいって感じだ。
いつもまともな思考の最後には「※ただし私は例外」がついてしまう。
わかってるのにその日は爆発してしまった。
そのあと通話を切ってひとしきり泣いて、友人にも励まされ、寿司を食い、3日で落ち込んだ気持ちからは立ち直った。
メンヘラ予備軍なだけで完全なメンヘラではないのは、まだ理性的でまともな思考も隣にちゃんとあるからだと思う。
週末会うけど、彼氏が爆泣きした私に冷めてないか、引いてないかだけが不安で、
もし万が一「思ってたのと違った」と別れを告げられた時用の心構えをメモに書いた。(ま~た不安になってる!!)
でも晒せてよかったと今は思っている。大事なことに気づけた。
今回のこういう本音とか、あとは不満とかって言わないと伝わらないので。
それに対して相手がどう思うかは言ってみないとわからないが、ちゃんとした恋人なら例え意見が違っても落とし所は探してくれると思うし。