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はてなキーワード: 語源とは

2024-11-20

ももの側面に膝蹴り入れる奴(めっちゃ痛い)

子供の頃やってたと思うんだけどあれなんて読んでた?

うちの地域だと「トンコ」って呼んでたんだけど語源がさっぱりわからん

2024-11-18

漫画ネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う

なぜネームと呼ぶんだ

綴りnameなのか?

とりあえずwikipedia見るか……

語源英単語name」の「指定する」と言う意味で、写植書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業本来の「ネーム」であり、そこから台詞のものネームと呼ぶようになり、ネーム作業効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]

[要出典]か……

いかももっともらしい語源ではあるけれど

マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]

先人のまとめがあった

1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部ネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。

石ノ森章太郎マンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロットシノプシスコンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっと重要なのです」

昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな

用例として信頼できそうなのはここらへんか

70年代ごろにはネームという言い方が定着してそうだなあ

本来ネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな

漫画以外でやっていうる業界……デザイナーDTPとか……

詳しくない

死んだ概念かもしれない

複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定必要ない

デザイナーとかが活躍する業界仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる

生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな

こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き

second(秒)とか なんで2ndが時間単位やねん、みたいな

minute(小さい単位)の次なる小さい単位なので2nd

ゆる言語学ラジオに対しては愛憎の念が入り混じる

おわり 日記

2024-11-16

Curatorの語源Curationじゃなくて、逆なのおもろい

[]Jaywalkジェイウォーク

Jaywalkジェイウォーク)とは、交通規則信号無視して横断歩道以外の場所道路を横断することを意味します。

Jaywalk語源は「jay(不注意な人)」で、アメリカでは「おばかさん」「おのぼりさん」という意味もあります。

ハワイでは、Jaywalk常識外の交通ルールとされており、罰金で厳しく取り締まられています交通量が少ないからといって赤信号を渡るのもJaywalkに該当し、一人あたり130ドル罰金が科せられます。

jaywalk意味・使い方・読み方 - 英辞郎 - アルク

〈話〉〔交通規則無視して〕道路を横断する、横断歩道 のないところを横切る◆【語源jay(不注意な人)から

2024-11-14

リョナ語源

>>もともと「リョナ」という単語は、「猟奇作品によるオナニー」を組み合わせて造語された「リョナニー」が語源である

これマ? 今年一番の衝撃だ...

2024-11-12

オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べものメモを書きましょうね。

1862年文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。

Orange, s. 橙柑橘ノ類

Orange, adj. 橙ノ

Orange-peel, s. 橙ノ皮

Orangery, s. 橙ヲ育テル園

Orange-tree, s. 橙樹

Orange-woman, s. 橙ヲ賣ル女

オレンジ以外の柑橘系の見出し語で見つけたものは以下となる。

Citrine, adj. 佛手柑又橙色

Citron, s. 佛手柑ノ類

Lemon, s. 橙ノ類

Lime, s. 黐石灰

Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル

Lime-tree, s.菩提樹.柑樹ノ類

Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類

Shaddock, s. 橙ノ類

なお余談だが、

Bergamot, s. 梨子一種

という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。

さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。

時代は後になるが1900年に書かれた『果樹蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。

皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。

オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。

現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?

少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色表現していたかもしれない。

一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。

二つ目根拠1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。

これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeGreenyellowなどの他の色と並べられて書かれている。

この参考書単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。

単なるorangepeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。

このことから、当時のorange colour橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。

では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?

いったんここまで。

メモ

しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料1887年通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。

明治とかの輸入オレンジしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。

橙色概念が生まれ最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。

・↑ありえなくはない。学術文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物茶色灰色ばっかりだし

・↑これを裏付け調査がまだ出来ていないんだよな~

明治時代理科教育で分光を取り扱う際にorange橙色と訳したのが定着したようだ。

・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど

明治後期には小学校の図工の時間カラーサークル概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。

明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事

英和辞書見出し語のorange橙色と訳されるが、和英辞書見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代

・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代感覚だと茶色味が強いものが多い

・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)

大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる

・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?

・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃん「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?

・↑日本における果物類、柑橘類の歴史ちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない

・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん

児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い

図書館に行って『日本の色彩百科 明治大正昭和平成』と『色の名前はどこからたか―その意味文化』を読むこと。

・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い

・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色イメージがあるが色名、和名はついていたんだったか

・未調査サフランイエローインド国旗オレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら

・未調査:当時のにんじんかぼちゃの色をなんと表現していたか京野菜にんじん赤色かぼちゃ黄色な気がするけれど)

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……

実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない

「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏サイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる

『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe訳語問題を中心に ─』という論文を見つけた

これを参考にして英和辞書をひたすら調べるのも面白そうだ

狭義のorangeスイートオレンジアマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す

広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)

その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い

色名のorange訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている

その歴史の流れを追うのが楽しい

不倫不倫と呼ぶのもいい加減変な感じなのだよね

不貞でいいじゃない。

不倫って倫理に背くほど重い行為でもないよ。

もとの語源儒教五倫のうちの一つ、夫婦の別から来ているもので、

夫の役割、妻の役割を果たしなさいよ、果たさないやつは不倫だよということで、

仕事しないぐーたら亭主とか、育児放棄とかしちゃだめよ、それは不倫だよっていう話だったのが、

なぜか不貞不倫に置き換わったわけよ。

って、先日「不倫倫理にそぐわないほど重い行為から〜〜」みたいなブコメがそれなりにスター集めていて、

あーほんとズレてんなーって思っただけです。

裁判ですらワンナイトとかは離婚事由としても認められないからねぇ(そんなんよくあることだから気にすんな的な)

不貞でいいじゃん。

オフタイミング下半身がだらしないっていうだけでいいじゃん。

仕事中の姿勢から全て全否定するのはどうかと思います

ポジショントークです

2024-11-10

格ゲープロを目指すのは諦めることにした。

格ゲープロを目指すのは諦めることにした。

1年間、ほぼ毎日スト6をプレイし続けた。(771時間)

目標マスターに到達することだったけど、到達することができなかった。

5キャラダイヤ1を達成という結果に終わった。

この1年間、「格ゲー」という新たな世界にのめり込んでいた。

積極的に参加したわけではないが、外からみていても格ゲー界隈は楽しく、憧れは日に日に強くなっていた。

格ゲー界隈には様々な伝説があり、大逆転の試合や緊張の1戦を見ると思わず涙が出てしまうくらい心が震えた。

この感覚は久しく味わっておらず、この1年は楽しかった。

でも、それと同時に苦しいこともたくさんあった。

デバイス周りのトラブルや、全く上達を感じないことへ焦り、初めて数ヶ月でマスター到達したという投稿や、格ゲープロに教えてもらうVTuber嫉妬の嵐。

今振り返ってみても、とても酷いものだった。

思い通りに勝てない、成長しない。

対戦中は相手に負けるというよりも自分に負け、キャラのせいで負けた、相手荒らしプレイで負けたと言い訳三昧の格ゲーライフを送っていた。

1年間格ゲーを続けてみて、自分客観的に振り返ってみた。

負けず嫌いがすごい

自分の否を認められない

自分感情コントロールできない

キャラに飽きる、飽き性

煽り耐性がない

・対人ゲームに向いていない

ということが明らかになった。

上記の点に関しては格ゲーを始める前から分かっていた事もあった。

まり、克服ができなかったのだ。

最近格ゲーが上手くいってないことで、プライベート仕事でも上手くいかない状態にまで陥った。

そして、格ゲーをやるのが辛くなってしまった。

そこからしばらく悩んだ結果、諦めるという決断をした。

とことん嫌いになって、アケコンPCも売っぱらって、未練を無くして1から次の目標を探して前進しようかと考えた。

でも、SFLプレミア大会カプコンカップなど、本当に心躍るコンテンツがたくさんあるスト6界隈を嫌いにはなれなかった。

やっぱり、格闘ゲームは好きだ。

自分には無かったキャラ愛で強くなれる唯一無二のゲームジャンルだと思う。

絶望的な状況で勝利したとき練習したコンボが決まったとき、これらの感動と脳汁は忘れることができないくらい衝撃的な体験だった。

応援しているプロ大会勝利したときは思わず叫んでしまったり、泣いてしまうほど感情移入してしまった。

どんどんのめり込んで行き、気づけばXのTLはほとんど格ゲー関連のものになった。

憧れてしまった。

あの体験自分がしたいと。

大会を優勝してインタビューで「格闘ゲームはすごい」と答える自分を何度も妄想した。

そんな1年間だった。

そんな夢を諦めることにした。

諦めることは辛いこと、でも悪くない。

「諦める」という言葉語源は「明らかにする」ということらしい。

僕は明らかにした。

このまま、格ゲー時間を捧げるのはもったいないと。

もっと、誇れるような技術を身につけたいし、心の底から好きでずっとずっと長く続けられることをいつかは仕事にしたい。

そのために前を向かなければいけないと思った。

格ゲーはこれからも好きだ。

SFL大会もこれからも見ていくと思う。

これから趣味として、格ゲーを楽しみたい。

ありがとう格闘ゲーム

夢を魅させてくれて。

こんなに長く続けることができたのは格ゲーが初めてだった。

この1年間、続けられたことは誇りに思う。

少し、自分は前に進む。

2024-11-07

あげまん」って伊丹十三造語だよな?

Wikipediaにも何やらそれっぽい語源説が書かれてるけど、1990年伊丹十三映画あげまん』以前に「あげまん」なんて言葉はなかったよな。

男にツキをもたらす女、古来人々はそれをアゲマンの女と呼びならわしてきた・・・

なんて、いかにも昔からある言葉のように演出したら、みんながそれを信じちゃったってことだろう。

ただし、同じ意味言葉として「福マン」というのはあって、これは1970年代ごろから使われていたようだ。

1970年雑誌小説宝石』に掲載された伏見太郎『男が知りたいズバリ女の感度めぐり 男よ、おかめを探せ』に「福マン」の解説があるのが、調べたかぎりでは最も古いか

男子の「運」というものは、ほとんどの場合、それを齎らす女性によってつけられるものなのである。斯く申せば、諸君は、ではそうしたツキを齎らす女性とは、いかなる女性であるか、大いに知りたいと思われるであろう。私はこんなところで、決して諸君に気をもたしたりはしない。ズバリ言おう。それは「福門」を有する女性なのである

筆者註 モンは往々マンと訛る。従って福モンは福マンと読み、かつ解すべきである

「解すべき」というのは、つまり「門というのは女性器のことだと解すべきだ」という意図だろう。

この筆者は、おかめ顔(お多福)で体毛(陰毛)が薄い女性こそが「福マンである、としており、逆に濃い陰毛を持った女性は「厄マン」だと述べている。

その前年1969年の『週刊サンケイ』では「福マン」ならぬ「運マン・貧マン」が紹介されている。

男どもは世にこの貧マンのあるのを、意外と知らないで、ただひたすらミミズ千匹、タワラ締めなどを求め、めぐりあっては随喜の涙を流し、かくて、ろくでもない運命をつかんでしまう。

当然、この反対に運マンがある。これは、接触すると、とにかくよくなっちゃうのである。ある男がいた。これが、女が見てもうらやむほどの、ものすごい美人結婚した。しばらくすると仕事が順調に伸びだし、たちまちにして、その世界でひとかどの人物になってしまった。

概念自体は「福マン」あるいは「あげまん」と同じようだし、またミミズ千匹だのタワラ締めだのと明らかに女性器を意識して名付けられてもいる。

また1970年野坂昭如好色覚え帳』には「福チン」が登場する。

「そりゃ、きっとその先生が福チンなんだなあ、福チンが勝ったにちがいねえや」という、福チンとはなんぞや、庄助考えこんでいると、「福の神のオチンチンですよ、定奴の貧乏おそそと、勝負して福チンがやっつけちまったんだねえ、だから定奴にも運が向いてきたんですなあ、あれだけの先生なら福チン持ってて不思議はないやね」

「おそそ」は女性器のことなので、「貧乏おそそ」は「厄マン」的なものだろう。

さら1972年オール讀物』の永六輔『妻を考える』では、

世に「福マン」「福チン」「損マン」「損チン」と呼ばれるモノがある。

などとして「福・損」「マン・チン」の組み合わせを取り揃えている。

あげまん」については「女性器のことではなく『間』が転訛したんだ」といった説明もされるが、こうして見るとやはり女性器のことだと考えるべきなのだろう。

そして伊丹十三は、こうした「福マン」「厄マン」的なものから着想を得つつ、元のイメージから切り離すためにちょっと字面を変えて「あげまん」としたんだろうな。

追記

申し訳ない。

1980年刊の『或る馬賊芸者・伝 : 「小野ツル女」聞き書より』にて「上げマン」「下げマン」を確認した。

特に奴(やっこ)が生きてきた芸妓世界では、ことが多過ぎた。貧乏性で相手を必ず破滅へと落し入れる女、何人もの男の命を奪い取る女、逆に男を出世させる女など…。上げマンとか下げマンという言葉も残されている。

というわけで「上げマン」「下げマン」は伊丹十三造語ではないし、もとは花柳界隠語だったことも確実のようだ。

伊丹十三にあらぬ疑いをかけてしまたことを陳謝する。

2024-11-06

音楽ゲーム史上最も重要な曲10選(ANOTHER)

https://anond.hatelabo.jp/20241106140729個人的あんまりなので自分で選び直してみた。

知識範囲関係ACゲー偏重かも。

1. u gotta groove

すべては ここから はじまった!

正直1stの曲ならなんでもよいが、選曲画面でいの一番に出てくるコイツをチョイス。

実はBPM変化がある曲だったりする(94~100)。

2. 20,november

Q. 音ゲーといえば?

A. プレイヤーをぶちのめすために作られた「ボス曲」。

5鍵1stのロケテ時点では存在しなかった20,novemberは、いともたやすく達成された全曲クリアを阻むために作曲された「ボス曲」のハシり。

難しいもの攻略してもらうことでインカムと人気を確保するため、というなんとも実利的な意味合いではあったらしい。

3. BUTTERFLY

説明不要DDR 1stの超有名「版権曲」。

実は音楽ゲーム史で最初版権曲を取り入れたのがDDR 1stなのだ。(東芝EMIコラボ)

このBUTTERFLYが先行まとめであったように人気曲を版権曲として取り込む潮流の元になったことは間違いないであろう。

これも1stの版権ならなんでもいいが、音ゲーブームきっかけになった点も加味してチョイスした。

4. SOFT LANDING ON THE BODY

若者は知らないIIDX 2ndの曲。

今では全音ゲー共通言語となった「ソフラン」の語源である

曲の実質BPMは160で固定だが、譜面としてはBPM80~320と強烈な変速をするのが特徴。

早く墓譜面付きで復活してほしい。

5,6. starmine / Clione

2曲同じ枠でねじ込むなって?スマン、これは選べません。

IIDX 4thからチョイスしたこの2曲は初めての「公募曲」。

今やSDVX、CHUNITHMをはじめ太鼓の達人に至るまで音楽ゲームに「公募」という概念根付いているが、ハシりとなったはこの2曲だ。

7. RED ZONE

ややテイストを変えてミームから1曲。

古今東西使い古された音MAD楽曲であるコイツIIDX REDが初出。2004/10/28稼働なので丁度20周年を迎えたばかりの楽曲である

ちなみに元のBGAMADでよくある左右分割地帯存在しない。

8. Absurd Gaff

融和(?)の象徴BMS(わからない人向け:PC向け同人音ゲーIIDXそっくり)から初めての商業音ゲー進出を果たした楽曲

今やスマ音ゲーからAC音ゲーまでBMS楽曲が入っていない機種の方が少数派と言っても過言ではないが、いかんせんゲームシステムからしてアングラ気味だったBMSから曲を引っ張れる下地を作れたのは大きい。

近年の音ゲーコンポーザーBMSを足掛かりにキャリアスタートすることも多く、そのキャリアコース形成した一因と言ってもよいだろう。

9. Max Burning!!

音ゲー大会の決勝はなぜか曲数が多い。なぜなら最後新曲初見でやるからだ。

そのハシりとなったのがSDVX BOOTHMax Burning!!。

KAC2012でお披露目されたこ楽曲トップランカーを蹴散らす…程ではなかったが、音ゲー史にその名前を深く刻みつけた。

10. I'm in love Again -Y&Co. EURO MIX-

最後IIDX 9thからこの楽曲。そんな曲シランがな、という人も多そうだが、何を隠そうこの楽曲は史上初の「解禁曲」(特定の条件で出現し、かつそれ以降常駐する新曲)。

9thは初めてe-amusement対応した作品であり、このような解禁方法可能になった最初作品である。初の解禁曲だけあって解禁方法は至ってシンプルで、①9th柄のエントリーカードプレイする②他の柄のエントリーカード一定回数プレイする、のどちらか。

解禁イベントの重量化は昨今の音ゲーで深刻であるそもそも火種を起こしたこの曲が残した功罪は大きいかもしれない。

選外

太鼓の曲から何か

1stにいっぱいいるJ-POPは同時期に既にBEMANIシリーズにちょくちょくいたりしたのと、覇権を取った所以楽曲にあるわけでもない(と思っている)。

DENIM

デニムは言うほど浸透してない気がしたので。

ΔMAX

特異点(クローンゲーから譜面含めた移植)ではあるが史上で重要かというとそうでもない。

セガは?

やってないのもあるがいまいち思いつかんかった。あったら言及ください。

追記

少なくともbeatmania III (2000年) の「mnemoniq」が先行してる。フロッピープレイ記録を保存できた。

bmIIIにフロッピー保存があったの失念してた…土曜日某所でプレイしたばかりなのに…

10番はmnemoniqに入れ替えですね、ハイ(自戒としてこのまま残しておく)

2024-11-05

anond:20241105093310

語源は諸説あるが

小さい鉾(ほこ)→ちんぼこ、ちんぽこ→ちんぽ、ちんこ

という説もある

2024-11-01

産めよ殖やせよ

1939年昭和14年9月30日、…ナチス・ドイツの「配偶者選択10か条」に倣い「結婚十訓」を発表する。この第十条の『生めよ育てよ国の為』が語源となり転じて「殖(増)やせよ」が一般的になった。

へぇ

思ったより最近ことなんだな。


古き良き日本とか言う人達って、実はこういうのも良しとしてるんかな。

2024-10-29

曽祖母の遺品から1907年に書かれた英語便箋が出てきた

便箋の上部に四角い白地に赤い波線の2つ入った旗のロゴ、その下には以下の赤い印字がある

NIPPON YUSEN KAISHA.

   S. S. 〝TANGO MARU.”

         ___ 19 ___

「 ___ 19 ___」と印字された箇所に「July」「20」「07」 が手書きで記入してある

July 20 1907、1907年7月20日ということは120年近く前だが、そうとは思えないくらい紙もインクも綺麗だ

ネットで調べると、かつて横浜シアトル間を日本郵船丹後丸という船が運航していたらしい

これを書いた人はその丹後丸で日本までやって来たのかもしれない


本文の筆記体が読めないのでAIに書き起こしと翻訳を頼んだら、これは手紙ではなく仕事の推薦状だと教えてくれた

ちなみにAIによると、文体イギリス英語、「S. S.」は「Steamship(蒸気船)」の略だそうだ

曽祖母の両親(高祖父母)のために書かれたもののようだが、推薦状にしては船舶会社便箋に走り書き、署名も無しとはひどい

他にも同様の英文の推薦状が合計4組8通残っていたが、この一番古い丹後丸の便箋以外はすべて無地のもの使用され、署名もされている


こういう推薦状は就職先に提出すると返却されないものだと思っていた

しかし日付の違う推薦状が8通も残っていたということは、いわゆる在職証明書役割も兼ねていたのかもしれない

から祖父母最初の推薦状以外は、無地の便箋への記入と署名を求めたのかもしれない


推薦状の内容自体は、どれもこれも似たり寄ったりの文章だった

この推薦状の持参者である〜は、住み込みコックとして私の下で〜ヶ月間働いた

彼は忠実で誠実、温厚な人柄で〜

腕のよい料理人を求める方に、彼を推薦いたしま

この推薦状の持参者である〜は、家政婦として私の下で〜ヶ月間働いた

彼女は忠実で、性格が良く、きつい仕事もいとわず

さな子供のいる方、勤勉な使用人を探している方に、彼女を推薦いたしま

興味深いのは高祖母職種が「baby amah」や「house amah」となっていたことだ

「amah」は日本語の女性意味する「尼(あま)」が由来かと思ったらそうではなく、その昔、欧米人東アジアで家政婦兼乳母のことをそう呼んだそうだ

語源中国語説、ポルトガル語説、アラビア語説と諸説あるらしいが、よくわからないらしい


戦前、高祖父母神戸レストラン業を営んでいたことは聞いていたが、若い頃に外国人の下で夫婦住み込みで働いていたことまで知らなかった

一通の文書からいろんな歴史が見えて面白い

anond:20241029122940

旦那」の語源は、サンスクリット語の「ダーナ(dāna)」の音写で、布施布施をする人を意味する仏教用語です。

働いて妻のお布施をするのが旦那です。いわゆるATMですね。

2024-10-22

anond:20241022151101

オタクは、もともとオタ仲間内で「お宅は~」って尋ねてたのが語源最初から蔑称なわけではなく外野蔑称化したものを経て定着したんやで

サロ語源って

反老人サロン福祉医療なのか反サロンパスなのか、結局どっちなの?

2024-10-19

[]勾玉(まがたま)

勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、先史・古代日本における装身具の一つである

祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分からない。

語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力である

語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られる。また『魏志倭人伝』には「句珠(くしゅ)」の表記がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E7%8E%89

語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力である

マジカ!?!?!?!?!?!?めっちゃズコーわ!!!!!!

2024-10-18

信濃川ティラノ川(暴君の川、の意)が語源なんだよ(諸説あります

anond:20241018122405

ヘリコプターの「プター」部分が「プテラノドン」の「プテラ」と同じ語源って、ギリシャ語「翼」意味する「πτερόν (pteron)」から来てるんだよね。

ヘリコプターヘリコ・プターなのは有名ですがプター部分がプテラノドンプテラ部分と同じ語源だと気づいて1人で「おぉ」となってる

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