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はてなキーワード: 踏み込むとは

2017-09-04

体罰」は違法行為なので覚醒剤麻薬に頼ることと同じ行為である

ここでは学校教育問題限定して体罰問題について述べるので、特定話題について触れることはしない。

まず、体罰は法的にどう扱われているのか

学校教育法11

校長及び教員は、教育必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、

児童、生徒及び学生懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。


文部省文部科学省に再編成されたさい、文部大臣文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。

まり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。

この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。

よくある誤解に過ぎないのだ。

このような見解披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。

喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。

ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。




職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。

実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である

それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである

今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ


問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。

同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である

たとえば以下のようなガイドラインが示されている。


文科省  学校教育法11条に規定する児童生徒の懲戒体罰等に関する参考事例

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm

同初等中等教育局   体罰について

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf




ここでは学校教育における教員行為を3つに区分している。

1 体罰(通常、体罰判断されると考えられる行為

2 認められる懲戒(通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし肉体的苦痛を伴わないものに限る。)

3 正当な行為(通常、正当防衛、正当行為判断されると考えられる行為




愛のムチ」が教育効果的か否かは、ここでは問題にしない。

いずれにしろ文科省体罰を認めていないことだけは明確である

教室質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。

ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒範囲内だ」という議論は当然あり得る。

しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。

効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為正当性まで議論範囲は広がらざるを得ない。

あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正対応するほかあるまい。

ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。

何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。

それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。


ここでの話はあくまでも学校教育限定しているので、学校外での出来事適用できるものでないことは最初に断った通りだ。

補足

最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。

もしそれで習得できるのなら、みな満点で卒業していくはずだ。

たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨発言がされたと仄聞するが、

発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである

今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。

中学知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。

2017-08-30

大気圏とは上空100km程度なので、ミサイルが飛行した高度500kmは「領空」と考えないのが普通。「日本を跨いだ長距離の…」という理屈は、各国のロケット人工衛星等にも適用されるので、意味がないです。

平時でも、日本の上空飛ぶもんがあったら、問答無用撃墜するやでー」というのは、不可能ではないが常識外れだし、そういう過剰な「安心思考はむしろ軍拡競争煽り立てる格好の素材。安全を追って危険踏み込む愚。



https://anond.hatelabo.jp/20170830052503

2017-08-28

赤ちゃんの泣き声はうるさいし

疲れて座ろうとした目の前の座席子供ママ、ここ空いてる!と主張した時にはかなりムカついたし

若い女子がなんの翳りもなく周囲に甘えてみせるのは見ていて嫉妬全開でイライラするし

昨今の子供はうるさくて当たり前だからおまえらが寛容になれ的論調

からってうるさい子供を野放しにしてどこでも権利意識振りかざして踏み込むのは違うだろとモヤモヤ

うつむいた視線の先にでかい腹があって

目の前の空いた席、疲れて座りたいけど

こんなでかい腹で立ってちゃいかんだろと場所を移動する

妊婦は座る

まぁしゃーねーな、とスマホ視線を落とそうとすると

その妊婦が何か目配せというか、合図する

後ろ?ああ、席が空いたから座れって?…

空いた席に自分も座る

スマホをいじる

どんな顔してどんな返事をすればいいのかわからない

自宅の最寄り駅に着くと向かいの席の妊婦も降りて、早足で改札に向かっていった

2017-08-26

恋愛セックス

もうだいぶ前のことだが、18歳のときにはじめて彼氏ができた。

それなりに楽しいお付き合いが続き、一か月くらい経った頃セックスをした。

処女だったが傷みもあまり無く、血も出ないしあまりにアッサリしていたので、

処女喪失ってこんなもん?なんかもっと大変なんじゃないの?と拍子抜けした。

その後も週一くらいの頻度で会っていて、会えば大体セックスした。

 

一年くらい経った頃、私は勉強自分のやりたいことに夢中だった。

その頃相手も忙しくなりはじめており、どんどん会う機会は減っていった。

そして私は相手のことを全然考えなくなり、自分から連絡することは無くなり、

相手からくるメール電話もすこし面倒になっていった。

この状況だけを見れば、会う頻度が減って気持ちが離れてしまった、という感じだが、

この時点で私は相手のことを特に好きではなかった。

厳密に言うと、最初から相手のことを好きではなかった。

それに気づいたのは、ある日相手からメールが来た時だった。

休みの日に会おうという誘いの文面を見て、私はこう思った。

セックスするのが面倒臭い

思った後、すぐハッとした。

自分彼氏をただ、"セックスする人"と認識していたことに、この時気づいた。

混乱した。

いつからそう思っていたのか?

好きだから付き合っていたのではなかったか

セックスするために付き合っていたのか?

もしかして私は、セックスしてみたくてあの人と付き合ったのか?

あの人に恋していた私は、恋する女を演じていたのか?

 

自分でも認めたくない事実だが、私はセックスしてみたかった。

セックスするには相手必要だった。

適当な人とするわけにはいかないという謎の自制心があった。

なんやかんやあって彼氏ができた。

初めてセックスして、好奇心のまま何回もして、そして飽きた。

学業趣味活動おもしろくなってきた、セックスよりおもしろい。

じゃあ彼氏はもういらない。

それだけのこと。

男は性欲で、女は感情物事を考えるなどとよく言われるが、

私は当時、完全に性欲で動いていた。

その彼氏と別れた後は誰とも付き合っていない。

誰かに好意を抱いても、セックスしたいだけかもと思うと踏み込むことができない。

 

恋愛は性欲の詩的表現である……みたいなことを芥川龍之介が何かで言っていた。

もしそうだとしたら、あれも一応恋愛だったのか、いや違う、いやでも、わからない。

恋愛ってなんだ。今もわからない。

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818150956

こちらこそ、そういう解釈の話にまで踏み込むつもりはありませんでした、すみません意図をわかった上で否定するのと、頭から否定するのでは全然違いますが、その温度差に見合った説明が困難でした。

自分は何度も見直しているので細かい所をつついて擁護していますが、動画マイナス印象を持った人に対しても見直すのが当然という考えではないです。

あくまで、見直せばちゃんと説明されてるくらいには真面目な作品なんだから、そこは見誤らないでよという話でした。

2017-08-15

https://anond.hatelabo.jp/20170815074955

あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな

こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど

そちらの

現状の教育が過剰に忌避してるとは思えない。

あんたが具体的にあげた項目は性行為作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意プロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。

このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育教育範疇を超える」という増田理屈自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?

まずこちから先に提示するけど

自分意見形成過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。

1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本性教育」という項目があり、次のように書いている。

1990年代は熱心だった日本性教育

 実は、日本学校教育現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代エイズパニックきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育必要」と言われるようになり、学習指導要領改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。

 流れが変わったのは、2000年に入ってからだと言われる。

きっかけは、厚生労働省所管の財団法人母子生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法ピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。

 この当時、国会地方議会マスコミを主舞台として「過激性教育学校でまん延している」「教室性交渉方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。

 ここを読めば、現在性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。

 「性教育の不十分さ」の可能性については増田自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。

 次に5について。これは日本オランダアメリカタイといった実践教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダアメリカの部分を引用する。

オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から性は食事睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。

~(略)~

このように、オランダ若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています

アメリカでは大きく3つのパターンにわかます

○「総合性教育セクシュアリティ教育)」…性を生物学心理学社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊妊娠中絶同性愛否定しません。

○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいか重要かを教える教育です。

○「総合性教育禁欲教育プラスしたもの」はどちらか一方に比重が置かれる場合があります

(強調部分はいずれも元サイト準拠)

これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係人権視点と言った多角的目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。

 それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本性教育世界はもちろんのこと“過去日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。

 また、コンドーム仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダ出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分

セックスという行為存在自体肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」

が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。

 そして最後増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカ性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイト文章も)を読んで欲しい。

 アメリカ場合特殊で、「同性愛避妊中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中主義禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育カリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは性教育過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。

 ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育限界がどこにあるのか」なんていう主観いくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。

 はじめの増田記事自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように

実践的な内容に踏み込めば踏み込むほど、教育とはかけ離れていく

教育とかけ離れれば、それはもうセックス講習

っていう、主観しかない「実践的な性教育セックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込む教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。

で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

の部分に突っ込んで、「オーラセックス知識必要」「オーラセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。

それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバ言及するけど

元増田でも言ってるんだけど

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ

ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?

 まず自分質問をする前に、増田自分でさんざん挙げている「教育範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義けがなされなければ増田意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバ増田が「どう読んでもお前の意見セックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。

 しかしながらそこで「教育範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカオランダといった他国性教育の例を見れば明白なように、教育者行政者側の視点いくらでも変わり得る「教育範疇」に絶対的基準などないし、もし絶対的基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育カリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。

 ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

 ここの部分を例に挙げて自分意見を述べておく。

 自分主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスク回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分オーラセックス存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。

 ただ、オーラセックスでも性病感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。

 どうだろう、増田意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見提示として読んでもらえたなら幸いだけど。

2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミス意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。

2017-08-13

性教育って限界あるよな

性教育って実践的になればなるほど教育とはかけ離れた内容にならざるを得ない

例えばどうやって避妊するのかについて

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

けど実践的な方法としては挿入以外の選択をするのはすごく有効

実践的な内容に踏み込めば踏み込むほど、教育とはかけ離れていく

教育とかけ離れれば、それはもうセックス講習

子供いかセックスを楽しむかというわけわからんものになる気がしてならないw

このパラドックスをどうやってはてな民は乗り越えるつもりなの?

2017-07-30

エンジニア

エンジニアってなんであんなにえらそうなの?

自分は浅い知識で他の領域ドンドン土足で踏み込む自分たち領域に踏み込まれると、わざわざ専門用語使って説明してんのかわかんないように話す。こちら側が同じように専門用語使うと何言ってるのかわからないって、乱暴すぎるわ。

そこらへんのネット記事見て知ってるつもりなんだろうけど、わかった風に話されると本当に困る。

専門職同士でやる仕事なんだからちょっと考えて欲しい。

2017-07-26

なおやさんとメンヘラ女子

Nさんは、自分女性経験の少なさに、

気付いていなかったのか。

彼女ブログに、

出世したNさんから見た、元職場ダメさ加減が書かれた投稿があった。

皮肉なことに女性に対してのNさんの対応能力は、元職場の人のダメさ加減のそれ以上だったにも関わらず。。

Nさんのブログに、「今思えば、この頃自分がそれ以上踏み込むことをしなければ、、、」とあるが、それなりの男女経験をしていれば30歳を越えるまでに一度は体験するであろうメンヘラ女子だと判断がついただろう。

パソコンやりすぎオタクが、エンジニアデビューするとこれだから困る。

そして、もっと困るのは、

こんなしょうもない事で、

Nさんの才能が活かされないで死んでくこと。

ホリエモンみたいに、アホな少年のままでいてくれれば、まだ価値はあるのでファイトです。

メンヘラ女子は、早いタイミングでクソ男と出会えた事を感謝し、

その文才を活かせる仕事についてもらえれば、世のメンヘラと、クソ男の救いになると思う。

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追記

確かに、マネジメント能力はなさそう。

関係こじれた後の対応が下手すぎる。

私ががっかりしたのも、関係を築いた後の対応がメイン。

仮にチンコ思考でやったとしても、20歳そこそこの人間気持ちくらい昇華させてあげてほしかったな。

2017-07-25

naoyaはてなダイア...

2017-07-25 09:32

■ A さんの件についてAdd Starnetcraft3 (blue)gorilla-boots (green)s-wool (green)karma_tengu51ochikobore1234

以下、A さんとします。

A さんとは 2015年終わりくらいから徐々に、本格的な交際関係に発展していきました。それまでも A さんとは体の関係はありましたが、都度の関係性で、まだ交際関係にはありませんでした。当時 A さんが何度かプライベートのことで落ち込み、死にたいということも含めて私に相談することがあり、それをケアするようになってから関係が深くなっていったように思います彼女は非常に知性的で、私の仕事の話もよく理解してくれることに魅力を感じていました。

しかし既婚者であり離婚は考えてはいなかった私は、彼女人生責任を取ることができないとわかっていました。それにも関わらず関係を深めてしまったことが、最終的に A さんを大きく傷つける結果を招きました。本当に申し訳ないことをしました。

私は A さんに好意を持っていたもの離婚は考えていなかったため、A さんから自分たち関係は何なのかを質問されるようになっても、よくはぐらかしていました。2016年 2月頃、その私の態度に悲しんだ A さんがリストカットを行ったため、私は慌てて、私たち交際関係にあると伝えました。自分精神面で支えてあげなければいけない、そう思って交際することにしました。今思えば、この頃自分がそれ以上踏み込むことをしなければ、A さんをここまで傷つけることにはならなかったのではないかと思います

婚姻関係にありながら A さんと交際する中、私は A さんにお酒の席や LINE などで、家庭の悩みや愚痴を打ち明ける機会が増えました。その愚痴には誇張も多数含まれています。今回 A さんが書かれたブログには、その打ち明け話を元にした妻の姿も記載されていますが、それらは実際の妻とは異なります。私は、私が原因でうまくいってない家庭の悩みを妻のせいにして、それを A さんに伝えてしまっていました。その話が膨らんで、妻の虚像の元になってしまっています。妻はクレジットカードブラックリストにも入っていませんし、浪費癖もありません。自分で働いてコツコツと貯めたお金開業資金に、最近起業したばかりです。私の放言が A さんに妻を悪く思わせてしまっただけでなく、起業したばかりの妻のパブリックイメージも大きく傷つけることになってしまいました。自分自身の失敗をきちんと見つめることができず他責にしてしまう、私の人間としての未熟さが出てしまったと思います

A さんと私が以前から体の関係があったことは先に記したとおりです。当初は A さんも私も双方で避妊をしていました。そのうち、Aさんが避妊しているので私の方は避妊をせずに性交渉をするようになりました。A さんはちょうど私と関係が深まったころに、Aさんの避妊を止めました。私はそれを知りながら、かつ妊娠可能性もわかっていながら避妊なしでの性交渉に及びました。何度か避妊をしたいと A さんに伝えたこともあったのですが、日頃 A さんの申し出を否定すると A さんがリストカットに走ったり、ネットに私のことを公にすると迫ることがあり、それが怖かったこともあって結局は避妊せずに性交渉を続けてしまいまいした。

2016年9月ころ、A さんは妊娠して中絶しました。この妊娠中絶事実を私はその後もしばらく知りませんでした。A さんは私を制裁するためにブログを以前から用意していて、喧嘩になるとそのブログを公開すると私に迫るようになっていたのですが、後の 2016 年12月に、会食で私が A さんの LINE に応答せずにいたことで私がいなくなると恐怖した A さんがブログ公開しました。それを読んだことで妊娠中絶のことも知りました。本当にブログを公開されたことは怖かったですが、それ以上に、妊娠中絶のことにとても驚き、後悔の念でいっぱいになりました。A さんに謝罪をし、二度と同じことを起こしてはならないと考えそれからしばらくは、性交渉もつことをやめ、A さんと会う際はお茶食事のみに留めるようにしました。

しばらくして、再び A さんと性交渉に及ぶ機会になった際、私は避妊したい意思を申し出ました。しかし A さんは、再び子供妊娠して次は中絶せずに生むことを決心していたため喧嘩になりました。このとき妥協案として、せめていつまでか時期を決めてほしいと問われたので、私は A さんが就職する 4月までは少なくとも避妊しようと打診しました。この会話が A さんにとっては 4月になったらまた子供を作ろうと約束した、という認識になったようです。約束できないなら約束できないで、はっきり NO と述べれば良かったものを、ここでもまた相手の反応を恐れて曖昧な返事をしてしまう私の悪い癖が出てしまいました。

この当時には、私は A さんとの関係を今後どうしていくか悩んでいました。A さんのことを支えたい気持ちはありつつ、離婚することは考えていない。その中途半端な態度が A さんを傷つけ、A さんに私を制裁したいという感情を抱かせて喧嘩になってしまう。これの繰り返しでした。

やや話は前後しますが同じ頃、2016年10月に、私と A さんが外で会っているところを盗撮した数十枚の写真が妻の元に届きました。その送付先は、すでに退職済みであった妻の元職場でした。元同僚が中身をみて驚き妻に転送したようでした。妻は狼狽していました。予想外のこと驚き、怖くなった私は、この件をきっかけに区の相談所などに相談をはじめました。その勧めで、警察相談することになりました。

警察では、A さんとの関係解消をするに伴う制裁が怖いなら、警察彼女を連れてきてその場で警察官立ち会いのもと話をすれば良い、とアドバイスされました。これが後に、私が彼女警察に連れて行く動機になりました。

A さんをすぐに警察につれて行かなかったのは、私の中でも本当にそれをしていいのかと、ずっと躊躇があったからです。被害届を私が出すことで、警察は警告を含め動くことができると言われましたが、それをしたときに何が起こるか想像すると怖くて、すぐには決心できませんでした。結果、警察相談したにもかかわらず軟着陸できないものかと、ずるずると関係を続けました。

2016年年末には、A さんから指輪を買ってほしいとせがまれました。それまで A さんには、生活費と称してほぼ毎月、いくばくかのお金を渡していました。12月はそのお金はいらないから、それを指輪に回してほしいとお願いされました。このとき買った指輪を、A さんは婚約指輪だと認識したようでした。これは最近、初めて知ったことでした。離婚はしないことは何度も伝えていたつもりでしたが、やはり日頃の私の曖昧な態度が、A さんにそう誤解させてしまったのだと思います

2017年1月頃になると、A さんとの会話はよくトラブルになることが多くなりました。それでもなお、私は自分意思をはっきりと A さんに伝えることができず、A さんはそれに傷つき関係性は悪化していました。そのうち A さんは私だけでなく妻にも関心を持つようになり、妻を殺害するなどの発言をするようになってしまいました。

状況を危惧して、私と A さんはふたりカウンセリングを受けることにしました。カウンセラーは A さんが探してくれました。カウンセラー先生出会ったことで、非常に安堵して、1 on 1 のカウンセリング号泣してしまったのを今でもよく思い出します。

しかし、このカウンセリングをもってしても、関係自体はそれほど改善しませんでした。

A さんとの LINE電話でのやりとりが昼夜問わず頻繁に交わされるようになり、仕事だけでなく、頭痛吐き気、不眠などの鬱症状が出始めるなど私の体調にも影響が出てきました。体調が優れないときにやりとりをすると、A さんに優しくすることができずに喧嘩になる。悪循環でした。

避妊をしないという約束をした4月も近づき、それまでにはなんとかしないとと思っている中、心身共に限界を感じたため、2017年2月に、六本木麻布警察署の向かいレストランで A さんに関係を解消したい意思を伝えました。もしそこで、何かあった場合は、警察場所を移動するために選んだ場所でした。結局この日は、警察には行きませんでした。

話し合いが別れたい、別れたくないと平行線になるとどうしても、A さんは「じゃあブログに公開して死ぬ」、私は「それだと警察に行くしかないじゃないか」という言い合いになりました。そこで私から「じゃあ、一切そういうことはしないと約束する代わりに 1,000万円を慰謝料として用意する」という提案しました。しかしそれも実現には至りませんでした。結局、その 2/13 日から一週間ほど後に A さんが看護師試験を控えている、それを乗り越えるためにも、その日は結論は保留することにしました。

私は以前から、A さんが看護師になることを楽しみにしていました。A さんは大学卒業後、自分でお店を経営したり、たくさんのバイトをしたりとで非常に苦労してきたあと、3年間学費自分で出して看護学校に通い、就職先の病院も決まりようやく看護師になるという道が見えてきたところでした。その道を卒業間近のいま駄目にしてしまうことは、全く望んでいませんでした。

このとき判断は保留にする、別れるとは言わない代わりに、私から、じゃあこれから先、脅迫行為は一切しないで欲しいと本人に約束してもらいました。

この約束甲斐もあって、それまで毎日のようにあったいざこざが無くなって、A さんとは仲良く会話ができるようになりました。それからの一ヶ月は、多少の喧嘩はありましたが以前ほどは深刻ではなく過ごすことができました。

しかし、A さんが看護学校卒業式を終えた翌日、仕事中の私に LINE が来てまた以前と同じようないざこざが始まってしまいました。その間、一ヶ月間が経っていたためか、なかなかその会話は良い方向へ向かわずネットへの公開や妻の殺害など脅迫行為もまだ始まってしまいました。限界でした。私は意を決して、再度 A さんに関係解消を伝えようと A さんの自宅へ向かいました。

自宅へ着くなり、A さんには関係解消の意思を伝えました。予想通り、揉めました。私はこれ以上私を脅迫するなら警察に行こうと伝え、A さんは別れたくない、別れるなら死ぬという言い合いになりました。そして A さんが窓から飛び降り自殺を図ろうとしたため、私は A さんを力任せで無理矢理窓から引きはがし、そのままマンションエレベータまで引っ張りだしました。近所に交番があることは知っていたため、なんとかすれば交番の人たちに気づいてもらえるだろうと言う意図がありました。このとき力づくで A さんを引っ張ったことで、怪我をさせてしまいました。

交番の方々が駆けつけ、事情説明すると私と A さんは警察署に移動することになり、その警察署内で、A さんには私に二度と近づいてはならいという接近禁止警告がなされました。署内で最後に A さんに直接、これまでの謝罪意思を伝えて、朝方その場をあとにしました。

その直後から、A さんは私のことを書いたブログを公開し Twitter にも交際中の写真などをアップロードしはじめました。それらは警察からの警告などもあってすぐに取り下げられ、今回ほど騒ぎにはならずに済みましたが、私にはとてもそれが怖かった。

いま思えば、私のやり方は非常に良くなかったと思っています。後に A さんも、もっとちゃんと話し合いたかった、突然警察に連れて行かれて何が何だかからなかったと言っていました。私は、自分脅迫されているという恐怖心と被害者意識が非常に強くなっていたため、A さんとじっくり話すということよりも、関係を解消するということに焦ったんだと思います。そして、私はそもそも既婚者であったり、A さんの申し出に曖昧な返事しかしてこず状況を悪化させたり、妊娠中絶の件であったり、そして妻を深く傷つけていることな自分にたくさん取り返しのつかない非があることも内心わかっていました。しかし、自分脅迫されていた、こうするしか方法がなかったという被害者意識に逃げ込み、それら自分の非を認めることができていませんでした。

きちんと自分の非を認め、A さんに謝罪をし、A さんから制裁を恐れることなく誠意をもって向き合っていればもっと違った結果になったかもしれません。

それから先は、双方弁護士を通じて会話をするようになりました。

弁護士を交えての話し合いは、当初は比較的穏やかに進んでいました。私も徐々に反省できるようになり、謝罪意思がありました。しかし、時間が経ってくると、A さんから弁護士を交えずに会話したい、もっと早くに会いたい。また元の関係に戻りたい、子供を作る約束を守ってほしい、それができないならネットですべてを公にするなど、Twitter 上での脅迫が始まってしまいました。途中、私の性行為中の画像が公開されたりということもありました。

ネット上での緊張したやりとりが続いたことで、私もだんだんと態度を硬直化させてしまい、結果、芽生えていた謝罪意識が、ここでまた被害者意識に反転していまいました。慰謝料を払う意思もありましたが、どんどん「何でこんな目に遭っているのに・・・」という気持ちと共に、薄れていきました。面会は本来自分の侵した罪の償いのためでもあったのですが、暴露などが何度か続くうち、私にとっては、被害を最小に抑えるという目的にいつのまにか変わっていました。

6月7月と二度弁護士同席のもとでの面会がありましたが、そこでは謝罪するではなく、言い合いになってしまいました。

こうしてなかなか終着点が見えない中、A さんが意を決して、ブログの公開に踏み切ったのが先週水曜日です。A さんから見ると、なかなか自分の非を認めない、謝罪もない、あげくお金も払おうとしない私の対応が許せなかったんだと思います

今回こうして騒ぎになったことで、私も一人で自分自身を見つめ直すことになりました。責任をとれるわけでもなく A さんとの関係性を深めてしまったことがそもそもの私の間違いですが、より大きかったのは被害者意識を盾に、自分の間違いを認めることから逃げてしまったことです。A さんはそれによって傷つけられたのではないかと思います。また同じ自分の未熟さが、同時に妻をも傷つけました。

今回こうして、あえて公のブログに書いたのは、私自身の間違いをきちんと公の場で認めること。そしてそれをもって、A さんに謝罪すること。妻に謝罪することです。

読んでくださった方に一点だけお願いがあります。ここに私が書いたことは A さんがブログに書かれたことと、矛盾していることも多数あるとは思いますしかし、A さんがブログにかかれたことは A さんにとっては事実だったんだと思っています事実そう思わせてしまったことは、私に非があります。ですので、もしこのブログを読んでそう思ったとしても A さんを責めることはしないでください。これだけはお願いします。

A さんには今後、直接面会しその場で改めて謝罪をしたいと思っていますしかし、A さんは今、今回捨て身でブログ公開に踏み切ったため自分が表に出ると逮捕されしまうことを危惧されています。私は、私の過ちを認めるつもりです。A さんを今回のことで刑事告訴することは考えていません。これもまた公の場で宣言することで、A さんにそれを信じていただきたい、そういう気持ちです。お金約束通りお支払いしようと準備しています

自分の浅はかさ、未熟さにより A さんを深く傷つけてしまったことを非常に後悔し、反省しています。また妻にも申し訳ないことをしました。会社の同僚や、私をこれまで信頼していた周りのみなさんをも裏切ることになりました。大変、申し訳ありませんでした。

2017-07-18

何者にもなりたくたい症候群

これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブ若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。

情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり他人多種多様生き様や頭の中をヴァーチャル追体験できるようになっていくほど、そうなる。

あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。

現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。

情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間知識欲ははかりしれない。

ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報客観的に見るようになる。

言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分思想行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。

感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識距離を置くようになる。

自分世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分空っぽでいい。そうなっていく。

はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。

自分主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。

自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。

たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢上から目線発言をするようになる。覚えがあるだろう。

 

自己主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。

それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタ視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。

他人企業社会、そういった観察対象生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。

できることな人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。

それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。

そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。

まりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。

もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、

そして「実体験」の価値相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。

から何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。

 

労働者」になりたくない。

「親」になりたくない。

「男(女)」になりたくない。

強者(=搾取肯定するもの)」になりたくない。

「○○主義者(=世界を狭くするもの)」になりたくない。

「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。

ひとつひとつを見れば、中二病高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。

けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、

それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。

その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。

現代人のほとんどが、そうやって心に怪物を飼っているはずだ。

その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。

  

この症候群に罹るのは、若者の間だけではない。

中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。

そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。

吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。

そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。

それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。

 

ある中年職歴なし引きこもりすねかじりもやしメガネより。

2017-07-11

https://anond.hatelabo.jp/20170710234008

https://anond.hatelabo.jp/20170710234008

この手の回答者立場文脈によって受け止め方が違う質問踏み込む時は、簡便のためにまず自分立場を明らかにすることが必要だと思うので、

まず自分がどの立場人間なのかを示してから質問踏み込みたいと思う。

俺はアマチュア絵描きだ。

からアマチュア絵描き(いわゆるインターネットお絵描きマンってやつ)の立場から答えたいと思う。

アマチュア絵描きの俺の立場からすると、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の表紙はやや過激だと感じた。

ただ、やや過激であったりPTAの方々に怒られないギリギリ表現をするというチキンレース

少年ジャンプに限らず多くの雑誌においても古くから行われてきたことだと思うので、

表紙が大きいお子様ではない方の少年達にとっては、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の表紙はやや過激と受け止められるのではないかと思う。

ただ重ねて言うように、セーフとアウトの間のギリギリ表現模索するというのも、創作醍醐味の一つだと思うので、

そういうチキンレースを楽しむ余裕のある肥えた漫画読者からすれば、『ゆらぎ荘の幽奈さん』は何の問題もないように

映ることも確かだと思う。

以上で俺の意見は終わり。

それで、だ。

『ゆらぎ荘の幽奈さん』問題の不可解さは、やっぱり批判している人達の内の「一部の人間」のロジックの不可解さに起因すると思う。

わかりやすくいうとこんな感じ。

①『ゆらぎ荘の幽奈さん』はスケベすぎて悪影響!だから修正すべき!→まあわかる(従来の典型的批判側の意見)

ただ「一部の人間」の不可解なロジックはこんな感じ。

②『ゆらぎ荘の幽奈さん』は女性の裸を売り物にしている!だから修正すべき!→わからなくはない(でもつ最近までフェミニスト界隈を除きほぼ見られなかった意見)

③『ゆらぎ荘の幽奈さん』は女性蔑視作品だ!こんな作品問題だ!だから修正すべき!→わからない(少年誌掲載されている作品を「女性蔑視作品」と

受け取るのははっきり言って被害妄想の類でしかないのではないか。それにそもそも『ゆらぎ荘の幽奈さん』は女性蔑視目的として描かれている作品では

ないのではないか)

④『ゆらぎ荘の幽奈さん』は投票結果のページで嫌がる女性達を無理矢理裸にさせている!『ゆらぎ荘の幽奈さん』は問題がある作品だ!

→わからない。

(従来はフェミ界隈を含んでもほぼ見られなかった意見)

①のロジックはわかる。でも②③④に関しては、従来ではほぼ見られなかった意見だ。

また②③④に関しては実のある批判というよりは、「悪質なクレーム言いがかり」のようでないかとさえ思う。

というか④に関して言及するなら、そもそも投票結果のページをそのような文脈として捉えている人達は、男性向け漫画における漫画文法を知らないのではないだろうか。

だけど今の日本社会だと①に加えて②③④の意見も出てくるのが「普通」なのかもしれない。

いずれによ②③④の意見は俺が少年少年ジャンプを愛読していた頃には決してみられなかった意見だ。

俺も若いつもりがまあまあ歳を食ってしまった。

俺の中での常識ってやつが、今の日本社会とズレてるだけなのかもしれない。

2017-07-09

アガルタの女とフェミニズム

FGO楽しいよねーっ!

というわけでこないだ1.5章アガルタの女をクリア感想やら考察やらを見てました。

するとフェミニスト界隈がわりとザワザワしてる。

なんでかなー?と思っていろいろ読んでみたら

「あの結論男根主義的。結局、『女は男が愛してやらなきゃな!』ってことでしょ?」

「女への偏見助長すると思う」

「結局セックスして子供作れなきゃダメってことじゃん」

との意見がおおかった。

言いたくなる彼女らの気持ちもわからないではないけど、フェミ女の私から見て、アガルタの女は「男女の問題」にかなり深く切り込んでいる点で良作だと思ってるので、

ライターさんすごくがんばったなぁという思いをこめて、見解ちょっと書いてみようと思う。

以下ネタバレ有り

◼︎アガルタの女のテーマは、「これから男性フェミニズム女性とどう向き合っていくべきなのか?」

今回の舞台は「強い女に男が虐げられている」という世界

この設定をどうとらえるかによって、アガルタ見方はかなりかわってくると思う。

男女平等の考えが広まってきている今の世の中、女性はかなり自由活動できるようになっている。(社会参画とかの面においてはまだまだだし、他国になるとさら権利は少ないけど)

一方、女性自由発言が増えたことによって肩身がせまいと感じる男性は少なからずいるよなー、と自分は思っている。

「女は男に従え!」的発想の人の動きが抑えられるのはいいけれど、そうではない男性まで窮屈な思いをしているんじゃないかな、と。

特にFGOプレイヤーである10〜30代の男性たちは、家庭内などで「女のほうが強い場面」を生まれた時から見ているし、大半は生まれた時から女性大事にしようね」とも教わってもいるので

女性男性搾取されている!」とか言われてもなかなかピンとこなさそう。

フェミニズムを前にした時、「女性より男性のほうが肉体的にも社会的に有利とか言ってるけど、だからってそう男叩きしなくても……」と戸惑いを覚える人のほうが多いのではないだろうか。

結果、「フェミニストって自分たち権利ばかり主張する自分勝手な女集団」と思ってる人も少なくない気がする。(本当はそうじゃないんだけどね)

そんな考えを念頭においてアガルタ世界を見ると、なるほどと思えるところがどんどん増える。

◼︎異性をものあつかいするということ

主人公一行は女の治める三つの国を巡ることになる。この国々を簡単にまとめると

 ダユーの国:異性を、快楽をあたえてくれるものとして消費する

 武則天の国:異性の欲望否定し罰する

 ペンテシレイアの国:異性を子供を産むための道具として扱う

お察しのように、これは「歴史上で、男が女にしてきたこと」だ。

さらに一歩踏み込むと、「これから、女が男にしていくだろうこと」でもある。

最近じゃ女性から男性へのセクハラもあるし、ホストやチンパブなどで性的男性消費もできる。

一方で「男性性欲は存在害悪のもの!」と声高に叫ぶ人もいる。

さらに、子供生活費のために旦那を欲しがる人だっている。

この三つの国は、男性にも女性にも警告をしているように見える。

「異なる性を追い詰めていないか?」と。

今回「追い詰められた者であり、追い詰めている者」が不夜城キャスター・シェヘラザードだ。

かつて男(であり服従を求める王)から攻撃され、それによる死を恐れるあまり必要以上に男を攻撃している。

◼︎フェルグス→無垢少年が、「被害者であり加害者でもある」女性をどう受け止めていくのか

アガルタキーマンとなるのは、本編で男性性欲の塊のように扱われているフェルグスだ。

フェミニストからしてみれば、女性性的嗜好品としてみているような彼が好かれることは少ない。(私は大好き!!!

今回あらわれた幼いころの物腰柔らかなフェルグスは、自ら剣を手にするような「強い女性」に対してどう出ればいいのかよくわからないでいる。

この少年フェルグスは、いわゆる「フェミニズムをかさに着て攻撃的な態度をとる女性を扱いかねる男性」そのものだ。

彼は旅の中で二つの疑問にであう。

・王として、民を幸せにする国を作るにはどうすればいいのか?

個人として、死を恐れるシェヘラザードの苦しみを癒すにはどうすればいいのか?

これに対する結論の詳細はプレイした人はもう読んでいると思うので省くとして、

コロンブスのように女どころか男までもモノあつかいするのではなく、かといって一方的暴力に対する従順奴隷となるのでもなく、ただ目の前の人間と向き合うことが必要だとフェルグスは学び、死ばかりを見つめるシェヘラザードを救うことに成功する。

加えて「異性によって傷を負った人を男性性(女性性)が導き、対等に向き合うことを可能とする」ことも伝えてます

簡単に言えば、「キモい死ね」と異性に言われ呪われたら、やっぱり異性に「そんなことない」と言われることこそ呪いの解除にもなるってことかな。

性的であることは決して悪いことじゃなくて、なにより性の差異があるからこそ産まれものがあるという結論が、すごく心地よかったなあ。

(「男女がいれば子供が産まれる!」とフェルグスは言ったけれど、あれは何も子供に限ったことではなくて、「異なるものが交わる時今までなかったものが産まれる」って意味だとも思うのです。)

最後、彼の武器カラドボルグが大地を割って人々は救われるわけだけれど、カラドボルグは漢字で書くと『虹霓剣』つまり虹の剣。

LGBTを指すレインボーとかけていると考えると、「男女にかぎらず全ての性が力を合わせることで全ての命が救われる」というメッセージにも読み取れて、なかなか深い話になっている!

似た展開が繰り返されたりとか、男女どちらでもある主人公の動かしかたとか、気になる点もあったけれど、「全ての人間性別関係くそ歴史差異を認めて前に進もう」という願いがこもったとてもいい物語だなーとフェミ的に思いました。

ライターさんお疲れ様でした。私はとっても好きです!!

2017-06-26

https://anond.hatelabo.jp/20170626155611

何もわかってないな。感動押し付けから反対されているだけじゃない。家庭によって色々事情が違って、必ずしも子供が親に感謝したくなる環境ではないことも多いのに(離婚虐待DV死別等)、「親」に感謝しましょう、という家庭の状況に踏み込むのはやめてくれ、と言われてるんだよ。

卒業式は何も構わんよ。「本人の卒業」は家庭の状況に踏み込まずに祝えるからな。だけど、1/2成人式でやる「親への感謝」は、家庭の状況に踏み込まずに祝えない。

2017-05-27

pixivBL引用炎上の件:腐女子に別方向で頑張ってほしい

長くなったから要約

今回の件をうけて、腐女子の側は一方的被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、

自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で

運用可能なところまで頑張ってもっていってほしい。

 

また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自ローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は

今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか

今回の事件の推移

めんどいから省略)

今回の事件に対する主要な4つの立場


私の立場

・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定妥当性のある主張だと思う。

・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。

なぜ炎上してるのかとか

炎上が続いている仕組みは次のようなものだ。

 著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上基本的メカニズムだと思う。

 炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。

基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的中庸温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。

基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である

基準E:慣習を取り扱える形で、双方向に整備を

 基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場採用するべきかを述べる。

 法がどうであれ、運用の水準で、実質的慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたか普遍的適用可能な「常識であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。

 「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。

 しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。

 たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。

 ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。

 で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビるめっちゃビビる。超うろたえる。

 そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。

 こういう事故を起こさないようにするには、何が重要か。

 「よく知らないもの言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。

 ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBT人種問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。

 私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。

 その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。

どのように慣習を可視化するか?

 とりあえず、次のようないくつかのステップ提示してみたい。

 以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。

 もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。

 明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的方法だとも思う。

 もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。

 腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。

 少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。

 そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。

双方向の「配慮」が可能状態いかに作り上げるか

 それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。

 基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。

 つまり言及をする側から一方的配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。

 もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的配慮されるだけの弱者とかではないと思う。

 多くの腐女子お姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすコミュニティ形成をしていっていただければ幸いだと思う。

 

 また、今回はたまたま腐女子コミュニティ一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。

付記1:言論の自由引用について

「慣習は、法の前には下位の基準しかない」という話についても簡単に触れておきたい。

 基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決回避可能場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。

 今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルール特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。

 「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由言論政治社会にとって重要ものだ。たとえば、それを政治的言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場議論することに多大な支障が出るだろう。

 今回の場合は(1)性的プライバシー問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープンクローズ概念実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。

 この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要ポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。

付記2:

 STEP3、STEP4とかはアクション担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士研究者経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。

付記3:

 腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。

 後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちけが弱者被害者という立場でないことは理解してほしいとしか

#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式問題にしないタイプから公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。

付記4:

http://anond.hatelabo.jp/20170527202448

このエントリ問題性質をよく示していると思う。

流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、

実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。

流通プラットフォームはどんどんと変わっていくので、

その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。

オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。

2017-05-25

BLAME!観て色々感想読んだ

やっぱ自分含めオタクめんどくさいなって思った。

いやまあ、20年を経て初のアニメ化*1ってことでちょっと期待しちゃって、ちょっと違うな感が残るのは分からないでもないんだよな。

でもあれ1本で原作の骨子にまで踏み込むのは普通に考えて難しいってのも皆分かってたはずなんだよな。

ちょっとでも違うと思ったらシャッターをバシャン!って閉めちゃうオタク感想とか読んだりしてちょっとしかったけど、どんなオタクにも譲れないポイントってのは必ずあるので仕方ない。

でも個人的にあの劇場版ポジティブ評価したい。作品面も、Netflixを通じた海外配信というビジネス面としても。

弐瓶勉本人も語ってるように、BLAME!原作は作中での設定や世界観説明を徹底的に排除していて、

そんな中でたとえばシボが超構造体を突破できなかったと述懐したり、ドモチェフスキーが超構造体を盾にして戦ったり、

そういう小さいエピソードの積み重ねで「超構造体とかいうやべーやつ」「それを破れる重力子放射線射出装置かいう超やべーやつ」という謎めいた層が読者の中に形成されていって、

霧亥も霧亥で倒れては蘇り倒れては蘇り…ってのを積み重ねるうちに「霧亥とかいうやべーやつ」という分厚い謎の層ができあがるんだよな。まるで階層都市のものみたいに。

そういう厚みがBLAME!世界の広大さを引き立てる要素だったわけで、その体験映像で丸々再現するには同じことをするしかないんじゃないかなと思う。

翻って劇場版を観ると、電基漁師との邂逅エピソードを抜き出して整理した感じ。

東亜重工珪素生物など原作キー設定をばっさり切って説明的なシーンを足したという点は原作の厚み・スケール感を大きく損なったが、ストーリーは相当分かりやすくなり、

シドニアのヒットを受けて原作ファン以外も取り込まねばならなかった制作陣の判断がうかがえる。(「説明しすぎ」という感想もあり、それも分かるのだが、あれでもチンプンカンプンな人は結構いると思うのでSFは難しい…)

ただ、いわゆるダメ実写化とかダメ映像化にありがちな物語の根幹から大きく外れた設定・キャラを出して破綻」というのが殆ど見受けられなかったのが何より良かった。安堵した。

好悪あれど、原作をしっかり軸に据えた上で、その枠内でエンタメにしようとしてくれたのが嬉しかった。サナカン侵入シーンとか原作より恐怖を感じた。

「トフボーデン(塗布防電)」とか初見じゃまず分からないガジェットもぼかさずそのまま出してくれたし。「駆除系を妨害するわ!」みたいに説明セリフで済まされてたらもうどうしようかと。

ラストについても賛否あるけど、シボやサナカンは体を乗り換えられる世界から原作との整合性もある程度取りやすい、それ故のアレなのかもね。百合妊娠世界救済エンドはまだありますよ。ありますとも。

今更ですが映像のもの音響はとても良かったです。

原作ファンにも初見客にも共通する正解ではないし、そもそもそんなもの存在しないけど、少なくとも105分という枠の映像化としてはまあほぼ最適解だったんじゃないかなって思いました。

ラム学園の映像化が待ち遠しいですね。(定型句

(*1) 正直これまでに制作されてきた短編群の方が原作雰囲気をよく伝えていると思うが、やはり商業的に難しいのだろう。今作の方向性皮肉にもそれを示しているように見える。


P.S.

「体がいっぱいあるよー!」は入れてくれてもよかったんじゃないですか!?!?!?(怒)

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2017-05-14

痴漢冤罪被害実数の闇に踏み込む

痴漢被害実数の闇にも同時に踏み込むことになって全てが焼き尽くされるぞ!やめるんだ!

ヘタレな彼を上手く導けなかった私が悪い話

恋愛成就必要ポイントって色々あるだろうけど、「女側がうまく操って男にリードさせる」技術って多分大事なのだろう

私は若い結構モテるが、今まで一度も彼氏が出来たことがない。大抵男性側が苦しみながら片想いし陰ながらアプローチしてくるけど、私が一切応えられないまま、恋は死んでいく

「陰ながらアプローチ」とはつまり、直接的でないアプローチのことだ。直接言葉に出したり連絡して来るわけではないけど、視界に入って来ようとしたり、緊張しながらも頑張って話しかけてきたり、などなど。

こう書くと勘違い女的な印象を与えてしまうかもしれないけど、そうではなく。現実に「あいつ君のこと好きらしいよ」という証拠があるのに、そのあいから直接的アプローチを受けることがあまり無いのだ。私が普通に生活している側で彼らはジタバタして、結局本格的に関わることが無いまま終わってしまう。

この現象が起こってしま理由として2つ程思い当たる所がある。

①彼等がみんな内向的から

私は何故か繊細な男子に好かれることが多く、ガサツな私が無意識のうちに彼等の心を踏みにじって恋愛可能性を殺していってるのかもしれない。実際、率直で積極的外国人男性からアプローチを受けた際はトントン拍子に上手くいった(彼が国に帰ってしまい長期的に付き合えなかったけど)。シャイ日本人男性なんて言うと茶化してるみたいだが、男性側が恋愛に尻込みしてるから私も上手く踏み込めないのだと思う。しかし、周りを見渡してみると、草食系だったりシャイボーイ男性と上手く付き合っている女性は沢山いる。また、そんな男性から積極的LINE食事デートのお誘いを受けてるおなごも沢山いる。てことは、私が積極的な直接アプローチを受けられないのは、ただたんにモテない、低評価されてる女だからなのだろうか?直接アプローチするほどでもない、片手間アプローチで十分な女だからなのだろうか?ガーン…

と思ってみるが、実際「間接アプローチ」を受ける機会は多い。相手から連絡やデートの誘いが無いだけで、可愛いねとかモテそうだね、など女子としての評価は定期的にされるし、そんなに悪く無いんじゃないか自分、と思っているし願っている。

となると、私が直接アプローチを受けられない理由として、以下のもう1つの説が有力視できる。

②私が上手くサイン出したり「もっときてもええで…」と誘導できないか

恋する男性達は小さなサインを発していて、それを私が汲み取って形に出来ないからかもしれない。実際、モテるお姉さま達は男性を上手く誘導して関係リードさせたり、告白させたり、デートに誘わせたりしているイメージがある。女性がある程度思わせぶりな態度を取ることで、男性から安心してアプローチ出来るように仕向けることも、恋愛には大切なのかもしれない。

私はといえば恋愛への努力なくぼんやり毎日過ごし、「あ、この人私と仲良くしたいんだな…」と思っても話しかけたりできない。ラインめんどいから出来ない。好きな人もできない。なんだか踏み込むのが怖い。仲の良い男友達とは恋愛関係に移行したくないので適度に距離を離す。出会い努力もしてない。私に興味を持ってくれる男性と話してても、向こうが過度に緊張してたり躊躇いがちだと面倒臭ささを感じて距離を置いてしまう。今の時点で2日お風呂に入ってないし、今日やんなきゃいけないことまだやってないのにこんな物書いてるし…

書いてるうちに己の問題点が他にも色々出てきてしまったが、取り敢えず最近気付いたことは、恋愛関係をうまく構築するには女性側も上手に誘導する能力必要なんだな、ということ。

そしてこの間少し良い感じになってた男性と上手くいかなかったのも、私が上手く導いたりサインを送れなかったからなんだろうな、と虚しい反省をする日曜日なのであった

2017-05-12

中国武術オタクだった自分黒歴史との決着

世界鑑測 北村豊の「中国キタムラリポート

西洋格闘技20秒で惨敗した中国伝統武術現実

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/051000099/?ST=viewcomment




私も中高生時代中国武術ロマンと憧れを抱いたものですが、成人して分別もつきました。

当該記事コメント欄コテコテ神秘中国武術オタク、つまりかつての私が居ました。

黒歴史との決着の意味で対決させてもらおうと思いました。


武術は殺しの技術であり試合では真価を発揮しない」

まずは、目的が異なるものを同じ基準で競わせることにそもそも意味がない。急所を正確にしか相手に極力悟られることな攻撃することで一撃で確実に相手を屠ることを目指すもの(そのような性格から人に見せないことを前提として成り立っているもの)(いわゆる暗殺武術殺人武術)と、限られたスペースのなかで相手を極力傷つけることなく専ら体力を競い合う(最後まで立っている方が勝者となる)もの(いわゆる格闘技)を戦わせてどういう意味があるのだろうか、何をもって勝者とするのだろうか。まさか公開の場で相手を殺すわけにもいかないので、殺人武術暗殺武術)は何もできない。急所を狙えない武術はもはや体操しかない。殺しが禁じられたうえで最後まで立っている方が勝者となるなら格闘技に軍配が上がるのは当然である

まず、動く人間の狙った箇所を打つこと自体、やったことない人が思うほど簡単ではありません。

「悟らせないほどの手際で正確に急所を打つ」というのは

鍛えたボクサーがジャブで鼻や口元を打つより更にハイレベルな芸当であること言うまでもなく

そんなこと出来る技術と速度があるなら武術家格闘家だと言う以前にまず超1流の運動家なのです。

試合ではその超人的な運動能力を援用して、狭い急所のかわりに鼻でも打ってみせれば話はおしまいでしょう。

何故そうしないのか? そんな能力が無いからです。


凄すぎる技術なので本物は表に出てこない

西洋格闘技は元々ある恵まれた体格を利用したパワーとスピードが物を言います

中国武術西洋とは考え方が根本的に違う。

本当の技は殺人芸術とまでいわれ、一撃で人を殺すことができますが、それを万人に知らしめるわけにはいかないので、その技を教えられる人も知っている人も極めて少ない。

太極拳も同じです。

ただ、体をゆっくり動かして行う練習動作のものは、純粋に筋力維持に効果的なので“体操”として庶民に広まってます

動画を含め、今一般人が目に出来るのは精々そのレベルです。

記事の高段位者も多分同じでしょう。

「我々は超人過ぎる『本物』なので仙人のように高みに居ること。世間に出てはならない。技術を漏らしてはならない。」

そのような超人技術と高いモラルを併せ持った武術教団があったとして、

しかし悪い人は必ずいるもの。そして組織は必ず腐るもの


超人的に強くなれる技術習得したら掟を破って娑婆に出ていって

子分に教えて超人軍閥を作って都督を襲うなり天下を窺うなりする人間が出るはずです。

でもって、そうするうちに技術が更に広まっていって普及・陳腐化すると。種子島みたいに。

でもそうなってないでしょう。何故か?そんな威力のある技術など無いからです。

3000年の歴史自称しながらその超人術が世間に出たことのない事実こそ、

そんな魔法の術がないという証明です。


李書文に二の撃ち要らず。

李書文に二の撃ち要らず。

本物の達人は人前に出ず隠れてひたすら練習するもの、と、信じる事にしています

でました李書文。あの漫画ですよね。『拳児』。

李書文の強さの秘密は明快です。

パンチの際に踏み込む足をドシンドシンと力入れて踏む(敵の想定も無し)。

・その動きを1日中やる(動きを修正してくれる指導者もなし)。

・腕を前に突き出し空気椅子站椿)で功夫パワー養成

こうすると小男でも超人的なパンチ力を得て、ワンパンで敵が空飛んだり血を噴いたりする。

しかパンチは必ず当たり、カウンターを取られるようなこともない。天下第一名人


どういう理屈なんですか。全然意味がわからないでしょう。

真偽を計る以前に何故そうなるか説明が成り立っていない。

こんなことを信じる人は、まともに運動をしたことがない人です。

また、オカルト宗教に弱く批判的な思考の無い人です。


空気椅子を頑張ったらパンチ力が向上する」と言うのは

物理的にも運動生理学的にも説明のつかないことです。

(とか真面目にいうのもバカらしくないですか?)

それをやってるだけで相手とのパンチ応酬の為の技術まで身についているというのは

更に滅茶苦茶な話です。


おわりに

中国武術については「独特の歴史と趣がある保存されていくべき舞踊」という評価をもっています

また舞踊としてレベルの低いインチキ継承者(まともなもの継承していない、ろくに練習していない)も少なからず居て

そのようなインチキを根絶することは伝統継承と発展に資すると思います

格闘狂人は頑張って欲しいですね。

http://anond.hatelabo.jp/20170524171732

2017-05-02

もうすぐ大学受験・進学を控える息子さん・娘さんのいる親御さんへ

(そういう方々が果たしてこれを見ているのか)

特に

国立理系子供高卒現役で進学する

・家庭の収入がそこそこある

という条件に当てはまるご家庭の方。

この条件が言いたいことは、

大学進学前に本人が大学に関する費用バイトなどで稼ぐことができない(高卒現役での進学)

大学入学後1年~2年は講義実験が多くあり、課題レポートの数が多い(国立理系の特徴)

給付型の奨学金や、そうでない奨学金でも多額の奨学金を得られない(家庭の収入がそこそこある)

大学の「学費免除制度が利用できない(家庭の収入がそこそこある)

と言うことです。

ちなみに先に申し上げますと、基本的にどの制度においても大学学部時代奨学金学費免除制度は親の収入基準審査されます

なぜなら基本的に皆様入学時は未成年ですから税金健康保険上親御さんの扶養に入っている=独立生計でないとみられるからです。

逆に成人後や、大学院となると(成人後か、大学院かは制度によって異なる)本人がバイト収入があり、税金健康保険独立生計であるとみなされていれば本人の収入で決まります


子供学費と、最低限の生活費は出してあげてください。

最低限の生活費というのは、

家賃

水道光熱費

・食費(これに関しては現物支給でも可)

です。

親御さんの中には「私が学生の頃はバイト学費生活費も稼いでいたものだ」と言う方もいます大学によっては可能かもしれませんが基本的不可能です。

特に、先ほどの条件に当てはまる場合はまず無理です。

国立大学学費はおおよそ年間53万です。生活費に関しては「寮にでも~」と仰るかもしれませんが、先ほどの条件に当てはまる方がまず格安の寮に入寮するのは無理でしょう。

仮に、都内国立大学に進学したとします。

生活費に関してはおおよそこんな感じになります

家賃:4万~6万/月(場所による。都内場合は4万を下回るとなにか問題があることが多々ある)

水道光熱費:1万/月

食費:仮に自炊するなら2万~4万/月(初月は調理器具を一通りそろえたり、調味料を買いそろえたりする関係で+何万かを考えたほうが良い)

また、大学入学すると、教科書やそのほか様々なものをそろえる必要があります

PCのない大学生活は今の世の中ではほぼ無理でしょう。理系学生ならデータの処理をする関係必須でしょう。そうすれば今度は回線費用とかも掛かってきます

理系の中でも情報系に行くならPCがないとかやる気がないに等しいです。

そういったものも勘案し、なおかつ学費を月額分割して考えると(例えば大学学費分割納付を利用したと考える)、収入が月15万を下回れば生活はできないでしょう。

但し、これは「生活ができない」基準であり、大学で友人と交流しないという選択肢はないでしょうから、そういったものも考える必要があります

また、けが病気をする可能性もあります講義によっては別でお金を支払わなければならないものもあります(集中講義等)。そういうことを考えると収入が月20万ほどないとなかなか不安でしょう。

『月20万とか学部卒の初任給並みじゃないか!ふざけるな!』と言われる方もいますが、落ち着いてください。就職された方は毎月5万近くの学費は払う必要がないのです。

まり実質月15万で生活するのです。十分質素生活でしょう。

さらに月20万とはいえ、そこに賞与なども重なるのでもう少し金額は多くなるのです。


さて、月20万近い収入は年間換算で240万円です。これを全部バイトで賄うと今度は扶養控除が外れ、親御さんの加入している共済組合健康保険等の被扶養者の資格喪失し、自身国民健康保険に加入する必要があります。そして、本人も市民税などを支払わなければならなくなります年金の納付も必要になります

また、これらをバイトで賄うことになると、時給1000円なら200時間/月。正社員より多いです。時給1500円ですら134時間大学に行く余裕などないでしょう。

では、ここで日本学生支援機構奨学金を利用すると考えます。先ほどの条件からまず第一種は無理でしょうから第二種を取ります

第二種の満額は12万ですが、そもそも学費生活費も出さない親御さんが奨学金連帯保証人になってくださるとは思いませんから機関保証制度を使うでしょう。

すると、額面は11.5万円ほどです。これが仮に通ったとしたら、残りの金額は8.5万円/月で済むことになりました。

しかし、それでも時給1000円なら85時間、時給1500円でも57時間です。

ここでもう一つ思い出してほしいのは、条件のうちの「国立理系大学生」ということです。

一般的に聞く大学生というのは、授業が週に5コマとかしかなくて、余裕みたいな感じですが、国立理系学生の1~2年というのは基礎知識を叩き込むため、特に学部1年なんかはほぼフルコマなんてことはざらにあります

また、卒業研究の時期に授業があると非常につらいため、実質3年間で取りきる必要があるため、その後もそこそこ講義数があり、さら実験レポートや、講義課題もあり、もちろん勉強もする必要があります高校みたくテスト前に勉強すればOKというわけではありません。

そういった学生に対して、月60~80時間、週に換算しても15~20時間近いバイトを強いるのはなかなか過酷です。

まず、土日両方をバイトで埋めるなど論外です。絶対レポートが終わりません。なのでこの地点で上限は8時間程度となります

残りを平日に分散しますが、平日の場合バイトが開始できるのが18時頃からでしょう。深夜バイトなど1限寝坊の原因にしかなりませんのであり得ません。

仮に平日を1勤務3時間(1800~2100)としたら、最低3日は入る必要があります

20時間ともなれば、週4日、つまりほぼ毎日バイトに入る必要があります

さて、これで課題ができますでしょうか。無理です。

そんなの根性で云々という方もいますが、必ずどこかで身体を壊します。

さらに、留年すれば奨学金は止まります奨学金が止まれ収入はないので学費が払えません。学費が払えないなら大学には行けません。


もう少し踏み込むのであれば、さらっと「時給1000円なら~、時給1500円なら~」と言いましたが、時給1000円のバイト最近増えてきたにしても、時給1500円のバイトなどそんなにゴロゴロは転がっていません。

ところが、「アルバイト情報誌を見ると載ってるじゃないか!」という方もいます

時給が高いものは「技術力を要求される」か、「非常に仕事量が多い」か、「その分責任が発生する」か、など、ちゃんとそれに応じた理由があります

これも説明したいのですが、これだけでいっぱいかけてしまうので今回は省略します。

さらに、ここまで都内数字で見てきましたが、地方場合生活費も安く済む代わり、バイト代も下がります。つまり実質的負担は変わりません。



ここまでつらつらと書き連ねていきましたが、結果何が言いたいかというと、

現代日本において学費生活費自分でどうにかして大学に行くなど、国立大学ですら無理」ということです。

また、奨学金は「将来の自分自身への借金」です。奨学金をもらってもバイトに明け暮れていたら何のための大学生活かわかりません。

どうか親御さん、せめて学部4年間だけでも、学費と最低限の生活費だけは支給してあげてください。

あなたのお子さんがSOSを出すころにはもう手遅れになってるかもしれませんよ。

もう「支援はしないよ」と送り出してしまった親御さん。

もう遅いかもしれませんが、何もしないに越したことはありません。今すぐにでも息子さん・娘さんに連絡を取ってみてください。

次に会うのが警察署か、病院か、もしくは帰らぬ人となる前に。







ちなみに、これは(多少ぼかしましたが)すべて私の実体験をもとに書いたものです。

私はどうにか乗り切ることができましたが、その結果得たものほとんどなく、高校卒業時点でそこそこあった筋肉ストレス運動不足で削げ落ち、

身体健康とは無縁となり毎月何らかの理由病院を訪れる日々。大学時代の思い出は「強いて言うならアルバイト」となるくらいです。

そして失った健康と私は残り60年以上も付き合うことになるわけです。

単位も非常にぎりぎりで、卒業できるかできないか最後までびくびくしていました。

私がバイトをしている間、友人たちは独学で勉強をし、それを友人たちで見せ合い、互いに学を深めていました。

果たして私は大学生だったんでしょうか。

また、このような状態になり、果たして親に「今まで育ててくれてありがとう、生んでくれてありがとう、厳しいことを言われたこともあったけどあれもすべてうんたらかんたら」と思うでしょうか。

いいえ。私はこの結果、「親は私を捨てたのだ」と思い、憎しみを通り越し無感情となりました。何が感謝だ。ふざけるな。(これには実家いたころの積もり積もるものもあるのですがそこは割愛

2017-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20170409033556

ポケモンデザイナーは公開されているポケモンもいるけど、公開されていないポケモンもいて、

さらにある時期までネットではあるポケモンデザイナーとして定説となってる人がツイッターで自らデザインしたことを否定したりとか、

しょうじき、踏み込むと色々と面倒臭いし、そもそも元増田の感じた違和感いまいちしっかり言語化されてないからよくわかんないから難しいね

元増田のいう

加えて言うならなんか無理して人っぽく形態進化させようとしてない?

これは、まだポケモンをやっている人でも主張している人がいて、

アローラの炎御三家ガオガエンが公開される前にニャヒートを見て「進化しても立つな!」みたいことを言っている人もいた。

ただ、多数派かどうかは統計をとったわけじゃないから知らん。

俺としては、ガオガエンは好きだから、なんとも言えん。

この進化するにつれて、人っぽくなるのは、確かになんでなんだろうな。

ポッ拳スマブラゲスト出演するために、モーションキャプチャ等で表現やすい人型にしてるのかな? とかも思ったけど、

ポッ拳には四足歩行スイクンがいるし、スマブラにもダックハントがいるし、

そもそも最終進化じゃなくても、中間進化ピカチュウプリンテールナーが出たりもするから、どうとでも工夫できるもんなあ。

(突っ込まれそうだな、64スマブラの当時はピチューププリンもいなかったから、ピカチュウプリン中間進化扱いじゃないね

アニメの最終的な展開決まってなくて、どう転んでも良いように、映像的に映える人型に三びきともが進化できた方が良いとかかなあ?

DPのヒコザルみたいに話が結構進んでからゲットするケースもあるから、各世代の発足時に全ては予想できないわけだし。

サンムーンニャビーも今週ゲットされたし)


まーたださあ、2016年の夏やったポケモン総選挙っていう人気投票では、

当時の最新御三家の最終進化系だった、ゲッコウガが一位なんだよ。

から「今もポケモンが好き」な子たちにとって、ゲッコウガは格好いいんだよ。

(念のためいうが、俺も「今もポケモンが好き」だからゲッコウガは好きだ。スマブラでも使ってるし、本編対戦でも使ってる)

結局、デザイン好き嫌いなんて、第一印象が全てじゃないんだよ。

前世代にあたるカロスのポケモンが主役だった時代では、

ゲーム本編となるX、Yに、三世代のルビーファイヤリメイクORASと、RPGが二本でて。

派生作品も、運営型で毎週イベントアップデートがあるポケとるでは、なんと先週のアップデートで今更ながらサトシゲッコウガが強化されたし。

運営型だと、スマホで遊べるコマスターでは、ゲッコウガは一時期かなり強くて人気があった。

ルビーファイヤの頃から定番派生作品になってる超不思議のダンジョンでは主人公選択肢として登場するし、本格的な格闘ゲームポッ拳にはテールナーが出てたし、

カジュアルにも遊べる定番スマブラゲッコウガが出てるし、

カロスのポケモン活躍! ではないけど、アクションゲームポケモンスクランブルパズルゲームピクロスADV名探偵ピカチュウパズルゲームのバトルトローゼ、なんていうのもある。

アニメも毎週三年間以上放送して、映画も三回上映して、そらもうゲッコウガサトシエースとして大活躍だったし、テールナーのポケスロンでのダンスはちょうかわいかった、ディアンシー映画ではマフォクシーブリガロンもなかなか良い役だった。

カードレギュラーパックだけでも11弾、不定期なイレギュラーのパックも6弾も出て、ここでもゲッコウガ2016の世界大会準優勝のデッキだったし。

しょこたんとかヒャダインがやってる実写のバラエティ番組なんてのもあって、もちろんそこでもカロスのポケモン話題にあがる。

漫画ももう連載20年目になる、ポケスペが当然XY編をやって、そこではブリガロン活躍してた。


まあ、他にもいろいろあってすぐには思い出せないけど(今パッと浮かんだのがスマホで遊べるミュウツーが踊るゲームの話は、さすがに本題から話がブレまくるからやめておこう)

多分ポケモンを今プレイしてる人にとっても、

増田のいうような不快感があるなら、きっとこんなにもカロス地方ポケモン活躍しなかったんじゃないかな?

けど、増田不快感を感じない、カントージョウトまでのポケモンしか登場しないポケモンGOもあるし、

3DSVCで赤緑青ピカチュウ配信されてて、それを使用した「赤緑青ピカチュウ版の対戦をするオフ会」も開かれてたり、

カントージョウトポケモンしかいないポケカの旧裏と呼ばれてる頃を使ったオフ会もあったりするし、

別に「今のポケモン」が好きになれなくても「今もポケモンが好き」であることは、両立できると思うんだ。

から不快感ネットに書くな、とか、楽しんでる奴らにケチつけるな、とは思わなくて、

増田の問いである「今のポケモンデザインって変じゃない?」に対しては、単純に

「変じゃないよ? ゲッコウガ特に格好いいと思うし、ガオガエンも好きだから今年の映画に出るの楽しみだし、御三家以外だとネクロズマミミッキュが好きだよ」

って良かったところを教えたいな。




あっ、ちょっと良いこと書いた反動で、超くだらないどうでも良いこと書くけど、

ポケモン話題で「増田」って単語使うと、若干話がブレそうで、嫌だね。

2017-02-27

去年の12月くらいか時間ができていろいろとアニメを見てるんだけど

本名作とされてるやつとか、女の子が戦う系のやつはだいたい楽しめるっぽい。

ごく最近はこの投票も参考にして見てるhttp://www.nhk.or.jp/anime/anime100/ani_report/

日常系はまだ手が出てない。ラブライブとか会いますあんまり興味ない。

 

##楽しめたやつ

リリカルなのは:1期面白かった。「リリカルなのはまりますからOPイントロが良い。2期微妙 3期1話で見る気なくなった。なのはフェイトの素朴な殴り合いが好きなだけだったぽい

コードギアス面白かった。アホみたいな勢いが良かった

ハルヒの憂鬱面白かった。ほんと良く出来てる

まどかマギカ:すごすぎてハマってしまい勢いでブルーレイ(+BDドライブ)とか本とか買いまくって今冬ボーナスから7万ぐらい使ってしまったが後悔してない

キルラキル面白かった。アホみたいな勢いが良かった。マコちゃんかわいい。いまグレンラガン見てるが同じだ

ニンジャスレイヤー原作は大好きなんだがこれはちょっと…。まあ楽しめたけど原作ありきって感じ

タイガー&バニー:↑で一位だったので。まあ面白かったかな? でもなんで一位って感じ?

ガルパン:まあまあ。戦車挙動は凝ってるのに戦車戦の構成適当すぎね? 毎回謎の追いかけっこしてた印象

○リゼロ面白かった。毎回の引きがやばかった。でもなぜか最後まで見てなくて22話で止まってる。あと18話かどっかでスバルくんが青い方にウダウダ言い過ぎと思った

坂本ですが?面白かった。運動会八木さんがかわいすぎた

○けものふれんず:まどマギ祭りリアルタイム参加できなかったのが悔しいのでとりあえず見てる。めっちゃ癒される

 

##気になってるやつ

ジョーカーゲーム:よくわかんないけど順位高いので

ご注文はうさぎですか:よくわかんないけど順位高いので

けいおん:なんかアニメオタクたちが一時期けいおんの話ですごかった覚えがあるので

らきすた:なんかアニメオタクたちが一時期らきすたの話ですごかった覚えがあるので。でも↑でランクインしてないぞ?

織田信奈の野望:昨日話題になってたので。なんかカワイイっぽい

結城友奈は勇者である:なんかカワイイっぽい

Fate虚淵玄だそうなので面白そうだけどシリーズが長そうで踏み込むのに勇気がいる

とある~:面白そうだけどシリーズが長そうで踏み込むのに勇気がいる

 

##なんか合わなそうで見てないやつ

ストライクウィッチーズ女の子兵器も好きなんだけど合体してるやつはなぜか好きになれないので見てない

艦これ女の子兵器も好きなんだけど合体してるやつはなぜか好きになれないので見てない

魔法少女育成計画:なんか引きこもり少女的な人が無駄に死んだところで見る気なくなってしまった

 

なんかオススメあったら教えてください。とくにアニメ映画情報がさっぱりわからん

ガンダムエヴァパトレイバー攻殻機動隊みたいな古典系も好きだけどとりあえずはいいかな。

最近のやつで。

 

 

##《追記》

皆さんいろいろ挙げてもらって本当にありがとう自分だけじゃわからん情報だらけでほんと嬉しい

以下挙げてもらった中でピンときそうっぽいやつ

化物語:とりあえずさっき1話見た。だけで我慢できず2話まで見た。文字の羅列で雰囲気で圧倒してくるのとセリフ応酬言葉ドッジボール感が本当にたまらん。凄い

戦姫絶唱シンフォギア:推薦人が一番多かった。本編見てないけどサイト見る限り確かにこれは勢いで持ってかれそうな感じはある

競女:なにこれ頭おかしい(大歓喜

サイコパス:どう考えてもおもしろいやつやこれ!

☆このすばらしい~

RWBY

ガッチャマンクラウズ

以下略

その他挙げてもらった中に面白いのたくさんありそうだから全部見たい

精神と時の部屋はどこにありますかね?

2017-02-16

狐狸庵先生原作沈黙という映画を観た。逆吊りに呻く人たちがびくんびくん跳ねるのを観て、EXTRAVAGANZAというエロゲを思い出して不覚にも勃ったあたりで少し飽きてたんだと思う。

建前と本音の使い方に悩む自分にとっては、自分信条宗教になった途端に厚顔かましく外で全裸になるその性が全く信じられん。隠せよ、その汚えブツを。

内面踏み込む井上さんの行為はなるほど、不快だったが、フェレイラの話には説得力があった。パライソに行けるとしか言わねえ、信者達に苛立ち、アミニズムを信じる原始人共が遠回しに貶す彼は本当にポルトガル人なんだろうか。イングランド人じゃないのか?

握りしめた最期十字架にもどうしようもないものを感じた。

社会人世間体収入評価する中、僕だけは違うんだ、本当はこんなんじゃないんだと拗らせるのと何が違うんだろう。転びポーロという言葉を聞いて心の声に逃げたのか?みっともない。

人は誰しもキチジローだと思う( ・ิω・ิ)

影響力の武器という本によれば一貫性のない人は誰しもから嫌われるが、俺だけは好いているぜ。

2017-02-15

プロ棋士は「観る将」と決別すべきだ

 将棋は、とても面白いゲームだ。

 二人零和有限確定完全情報ゲームで、将棋以上に完成されているゲームはそうそうない。先手後手の差が微差であり、戦術上の大差はない。ルールも簡明で、ルールブックはA4用紙一枚で事足りる。必勝法も全く未知数。「とりあえずこうしておけば間違いない」という道筋すら、十手も指さないうちに幾百に枝分かれする自由度。終盤になるにつれ複雑度が増していくゲーム性ゲームに求められる多くの要素を将棋は満たしているのだ。

 ところで、ゲームプロ価値は、結局ゲーム面白さをいかに伝えるかという点にある。僕らは豪速球を投げ込むピッチャー熱狂し、素晴らしいパスワークを見せるミッドフィールダーに酔いしれる。スポーツには全く詳しくないが選手は好きと言うファンがいたら、そのファンはどの競技でもこう言われる。「ニワカ」「応援している自分に酔っている」……。

 むろん、楽しみ方は人それぞれであって、否定する気はさらさらない。しかし、そういった人々は、競技自体にはほとんど興味がないのであって、断言するがプロプレーヤーは彼らを考慮すべきではないのである。なぜなら、プロプレーヤー競技自体の魅力を発信するプロではあっても、決して自らや他選手自身の魅力を発信するプロではないからだ。有りていに言ってしまえば、素人バラエティ番組を作っても面白いものにはならず、プロならば競技自体を楽しむファンのために競技に集中しろということだ。ただしこれはまた、解説者・評論家記者等がプレーヤーの魅力を発信しないべきとするものではない。彼らは、業界全体のさまざまな魅力を発信することで、ファンに多様な楽しみ方を提供する職業であるからだ。

 ここまでの話を将棋界においてみると、いかに今の将棋界が歪んでいるかがわかるだろう。棋士ソフトより弱くなったことで自分たち将棋の魅力を伝えられないのではと不安になっている。そして個人の魅力を自ら売り出す方向へ迷走してしまい、棋士精神性だの勝負の厳しさだのはまだいいにしても、「豊島、強いよね」だのは見苦しすぎて見ていられない。そういったことは専業解説者や評論家が行うべきことなであるが、残念ながら将棋界においては解説者はほぼ現役のプロ棋士であって、専業解説者というのはほとんど存在しないと言ってよい。そして観戦記者には、棋士個人の魅力に踏み込む者も存在するが、なんら代わり映えもしない将棋の内容について語るだけの観戦記を恥ずかしげもなく発表するような者も多い。こんなことだからプロは自ら棋士個人として素晴らしいと思い込み発信していかないと、ソフトが強くなった今はなおさらやっていけないのだ。結局、今回の騒動も、将棋連盟の一部の棋士棋士価値について「将棋が強い」以上の過大評価をしたことが遠因であることは論をまたないものと思うが、それはここまで論じてきたように将棋界の構造自体がそうさせたものであって、僕は棋士個人批判する気にはならない。彼らも被害者なのだ

 現役のプロ棋士は、早く「観る将」と決別すべきだ。彼らを楽しませるべきなのは、専業解説者・評論家記者であって、決してあなたたち自身ではない。そういった外部の人々に思い切って任せておけばいいのだ、需要あるところに供給は発生するのだから

 そして、あなたたちの将棋は、ソフトより弱くなっても依然としてとても面白いものなのだ。少なくともずっとそう思っている人が一人いることを、ここに書き記しておきたい。

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