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はてなキーワード: 分手とは

2021-07-25

なぜ日本柔道は強いのか?

外人のやり方は基本的に体格に頼ったパワープレイが多い。事実以前は双手刈や隅落としのような足を引っ掛けるタックルのような技が多かった。このために協議された結果、これらのレスリング風のタックル系の技は連続技でない場合使用できないよう変更されている。そんな理由もあって細やかな技を持つアジア勢が有利になったとは言える。なぜなら格闘技競技においてウェイトは破壊力と引き換えにスピードを失うから。軽量だったり背が低い選手はその分手数が多くなる。また、日本人選手は背負い系が得意なので、これも背が低いほうが有利に働く。

ただ、世界柔道ランキングは経歴の違いが如実に出ているとは言える。韓国は「韓国背負い」と呼ばれる独自の背負いも開発していて、今回は振るわなかったが実はとても強いし、プーチンでおなじみのロシアコマンドサンボなどの格闘技経験者が多いこともあって柔道が盛ん。ブラジルは言うまでもなく柔術王者国なので上位に位置している。

ただ誤解のないように言えば柔術柔道はまるで違う競技なので、柔術家のチャンピオンでも柔道家にかかるとポンポン投げられる。逆に柔道家は柔術家ほど寝技は強くないが、柔道ルールでの寝技は「抑え込み」の概念存在するので寝技ルールそもそも違う。

anond:20210725193740

2021-06-18

ファイアーエムブレムアニメ化は難しい?

覚醒以降の作品を想定してるんだけど内蔵ムービーがだいたい30秒以内のものしかなくて長くても一分そこらだよね。

あのムービーのようなキャラクターがつやつやした独特の立体感を持った感じのをそのまま1クール分に長編化すればいいわけだけど、まあ多分手間的に無理なんだろう。

リアルファイトとき劣化3Dモデルを動かしたアニメ化ならやめてくれたほうがいいしブレイブルーみたいなのも無論ごめんだ。

なにせムービーのあのてらてら感が気に入ってるわけで、ああい映像もっと長く堪能できればってことなんだよね。

2021-06-08

食べログの予約システムの中身が気になって、夏。

飲食のしがないバイトです。

バイト先のお店は、食べログを見るとだいたい○がついている。

しかしいざ店で予約帳を見ると、かなり埋まっていたりして、???となっていた。

というのも、うちは電話予約してくる人もいるからそういうことが起きるわけである

気になったので、食べログ 予約システム 設定 で検索かけると、ご丁寧に70ページの食べログ公式予約システムマニュアルPDFがひっかかった。

ありがたい。

面白いことに、デフォルトの設定だと1テーブル1日あたり1組までしか案内しない設定らしい。

いくら早い時間でも、遅い時間でも、空いてる時間ネット予約できない。

これを席回転ONにすると、それができるようになるらしい。

電話予約はいったら、その分手動で予約で設定することが必要みたいだ。

うちの店はたまにさぼっているということだろうか。

でも、予約したのに席がないということはこれまでなさそうなので、何とかうまくやっているんだろう。

2021-05-26

○○ロス

たとえば最近結婚した新垣結衣

ファンの方はガッキーロスなどという言葉で表される、いささか複雑な感情を抱いているようだ。

まあわからんではないが、所詮芸能人の話、そもそもが手の届くところにはいないわけで、○○ロスという捉え方自体もやもやを禁じ得ない。

それよりも身近な人で密かに想いを寄せていた人が結婚するとわかったときのほうが、よりリアルに○○ロスを感じる。

元々手の届かない相手を取り逃がす(?)のと、事と次第によっては十分手が届き得た相手を取り逃がすのと、後者のほうが遥かに悲しく、悔しく、ある意味屈辱である

2021-03-22

又三郎

風の又三郎

宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

 次の日一郎はあのおかし子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除ときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。

「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。

「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。

 一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。

 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、

お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。

 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生はいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。

 それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。

 そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。

 すると嘉助が突然高く言いました。

「そうだ。やっぱりあい又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」

「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます

 そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。

お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。

お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。

 みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています

 先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室はいりました。そして礼がすむと先生は、

「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆ひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、

「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、

「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、

「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かに化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。

 すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。

 すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、

「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生は向こうで一年の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんしろちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。

「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生

2021-03-12

anond:20210312190937

いやーコイツ分手作業だと思うよ

だって俺毎回作った日記を少し改変してバズるまで暇つぶしでやってるから

仕事中でもワンポチで平日昼とか普通人間ならはてななんか見ない時間帯でもこの再投稿は甘えとか延々言ってくる発達障害っぽい増田くるもん

試しに夜中の三時とかランダムでやってからきたのが朝とかだったから、ツールとかじゃなく365日はてなに張り付いてるんだと思うよ多分働いてないんじゃないの

何でもいいから働けばいいのにね

2021-03-10

anond:20210310115113

どうせ盗られるのにもらってもしょうがない

しろ管理分手間だからいらないほしくない

2021-03-06

ICL手術体験、随時更新

ICLの手術をした、現在のところ良好に視力回復

ただすごく怖い手術だったので、後進の覚悟のために記憶が新しいうちに書いておく

初回来院予約

手術を受けることを前提に診察を予約

最初に精密検査をするので検査の3日前からコンタクトをつけないように指示を受ける。

自主的に7日前よりソフトコンタクトレンズの装用をやめ手望む

初回来院・精密検査

目の検査ってこんな機械あるんだなと感心する程度に何個も検査を受ける

多分6個くらい

ここで手術の予約をするが、流行っていたので1.5ヶ月先になった

2週間前

再度検査実施する。

このときコンタクトの装用近視は求められなかったが

自主的に3日前からコンタクトを外して過ごした。

7日前〜前日

3日前からで良いのだが、コンタクトレンズの装用を外す。

どうにもコンタクトで目の形が変わっていると具合が悪いらしい。

ハードコンタクトは7日前、ソフトコンタクトは3日前から装用しちゃダメ

3日前から毎日6回2種類の点眼を行う、起床時、朝食後とか細かく書いてあるが3時間ごとと解釈

アラームを3時間毎にセットして対応する。

なお2種類の目薬は5分間隔を開けるのが地味に大変

手術当日

手術の1.5時間前に来院、簡易検査

検査後は待合室で待機しながら定期的に瞳孔を開く目薬などをさして瞳孔の開き具合などをチェック

手術着に着替えて手術室に通される

時間くらいトイレに行けないよと言われてトイレに先に行く

手術着は別に脱ぐわけではなく、襟カバー前開きのポンチョシャンプーハット、ハットを額に固定するテープという感じ

手術台は大体歯医者さんです。

手術:右目

消毒と言われ目を閉じた状態で両目まぶたの上からクマが出るあたりまで、イソジン的な匂いのなにかと、その後もう一つ薬液でビタビタにされる。

目玉の部分だけ穴が開いている布を被される、まぶたを開いた状態で固定するテープや、何らかの固定具をつけて目が開いた状態で固定される。

このときから定期的に目が乾かないように水をかけられる

生理食塩水とか、涙に代わるなにかかもしれないが、執刀医が「水!」というと横から誰かがかけてたか先生に手渡していたので私の中では水)

なおここから先は目のピントが合ってないのと専門用語が分からないので主観である

なにかの薬を眼球に直接塗られる、麻酔で眼球そのもの感覚はないが、眼下など押された感触でそう感じた。

淡々と書いているが前半で一番怖かった体験はここである

ここまでが多分消毒等の準備でここからが本格的な手術

「3つの光のうち左側を見てくださいね」の指示が出され麻酔の目薬や同行を広げる目薬などをドバドバ透過する。

このときの視界は水をちょんちょん垂らしている水面を真下から裸眼でぼやっと見ている感じ

目薬の容器的な物、光、落ちてきた目薬の波紋が見える。

完全に 無感覚と言うことはなく、少ししみるなと言うような感触はある。

説明はされるときとされないときがある。

目薬は比較的に説明してくれたが「切りますよ」は1回も言われなかった。

手術本番中は時折「光を見て」「上 /下/左/右を見て」と言う指示にしたがい

触られる感触、いろんな種類の目薬とうかに耐えていると20分くらい耐えていると「あと瞳孔閉じたら終わりですねー」と声が掛かる

最初の目に塗りつけられた以外は苦痛ではある物のなんとなった

が…ここからが長かった。

「あれ?引っかかってる」(ん?道具の手入れがなってないのでは?)

「瞳孔閉じないな」(あ、引っかかってるの僕の瞳孔ね!)

からまり瞳孔を閉じる薬をたぶんスポイトかなんかに3ccずつ吸い取って次々刺しても瞳孔が閉じない

「3ccで吸ってるよね?次のやつから5ccにして!」「…7cc!」

少しは感覚あったりしみたりするのでこの時間がかなり苦痛でした、多分手術そのものと同じ20分くらい

どうにかなったのか右目が完了、左目に移ります

その前に機械の入れ替えと言うことで15分ほど時間が空きました。

トラブルで疲れましたね?と言う気分です。

ミスされても困るので充分休んで欲しいところ

なおこのとき目を瞑って休んでてねと言われたのですが、その前に見た天井が手術前より少しだけ鮮明に見えたことを覚えています

あと異物感がすごい状態でもありました。

手術:左目

同じ流れのところは飛ばすとして、消毒が終わったところで、こちらには乱視矯正があるので

場所決めのためのマーキングがありました。

多分医療用のマーカーで眼球にポチポチッとされたと思ってます(見えてないので主観

そして手術本番、怖いとは言え右目で一度体験したのでもう大丈夫よと思っていたのもつかの間

ある目薬を入れた時点で視界がだんだん暗くなり

物の輪郭けが見える圧縮動画デコード失敗のような視界になり

最終的に真っ暗な中に何かうごめいているような、まぶたを閉じたのと同じ状態の視界になりました。

一時的に視界消えるなら、言ってよ!失明かと思って怖いじゃん!

と思っていたのですが、その後の一言で私はさらに凍り付きます

はい、始めますよ光見てね」

!!!!!!!!!!!!!???????????????」

え?見えてるのが正常なの?全然見えませんけど?

このとき絶望感はやばかったです。

すみません、真っ暗です何も見えません」

手術中初めて口を開いたのがこれ

「あ、じゃあねもう少し下を見て」「もう少し右」と見えないこともあるような

誘導をすかさずしてくれたのでなんとか精神状態落ち着けました。

その後も見えるように見えなかったりを繰り返し

やはり、全然瞳孔が閉じずに瞳孔閉じる薬をバシャバシャやって、長めの手術となり左目も終了です。

回復

手術後は目の上の布を剥がされて、消毒液まみれの目の周りを拭いてもらいます

手術中湯水のようにかけられた目薬ですが、歯医者さんのような手術台で目薬をドバドバかけるとどうなるか?

排水機構もあるのでしょうが頭を伝わって頭の後ろは結構濡れています

まずはシャンプーハットの上から外側の水分を拭き取り、シャンプーハットをとって際を拭きます

私の場合は目薬大量投下の影響かシャンプーハットの内側もぐっしょり濡れていましたが、ここは拭き取ってもらえませんでした。

※このあととても後悔します。

一通り手術着を脱ぐと回復室で休憩です。

手術室を出るとき時計を見たところ2時間か3時間経過していました(視界がはっきりしなかったのと、精神状態で短針の位置記憶微妙

時間で再びトイレに行ける当初の予告からすると少なくとも2倍の時間が掛かっていたことになります

保護めがねをかけ、リクライニングチェアに横になって回復を待ちます

なかなかの恐怖体験したこともあり、正直ショック状態になっていた私はてが真っ白になり

精神的にも回復必要な状況でした。

なお回復中はドバドバ投下された目薬が口まで(涙腺から?)流れてきて味が気持ち悪いのと

から指示されていた絶食ですでにおやつ時間にもなろうという感じで空腹にもなり

追い打ちのように濡れた後頭部が気化熱で冷えて頭痛まで襲ってきて吐き気につながり大変な状態でした。

時間ほど休憩と言われ、時折追加の目薬を入れられ最後簡単に診察をして手術日は終了

手術日その後

帰りの視界ですが、この人近視ダナという感じの見え方

絶食でもうダメだったのでタリーズパスタを食べて帰りましたが

メニューを見るためにかなり持ち上げたりとそこそこ苦労しました。

前日のスマホ充電に失敗していたり、待ち時間バッテリー使い切ったこともあり。

電車に乗れずタクシー帰宅08:30に家を出て16:00の帰宅でした。

視力が本格的に回復するのは翌日朝以降と言うことでしたので

そこまで良くなっていない視界に慌てては居ませんでしたが

この時点で外側の周辺視野が遮られている感じで消えているのが不安状態です。

また異物感が続いています

なお病院で渡された保護めがねは長時間かけると痛くなってきたため

それよりかなり保護面積の大きい花粉サングラスを家ではつけることとしました。

くらいけど快適…一週間つけ続けるのでクリアversionを追加発注しました。

手術当日は1時間おきに目薬をさすのですがこれが4種類になり

5分だと大変だよね2分は開けてと言われたので、起きている時間の1/6を点眼で過ごしました。

なお、なるべく目を閉じて過ごしてねと言われたこともあるのですが。

ショックから回復のためベットの上でほぼ無為に過ごしていました。

スマホテレビダメ時間どうしよう?と悩んでいた自分は何だったのか

左目は真っ赤、右目もそこそこ赤い

手術翌日

翌日検診で視力を測定 左 1.5 右 1.0 まで回復体感でもかなり見えています

なお手術前は両方 0.08だっけかな? コンタクト度数-3.75にて矯正視力1.2でした。

昨日心配していた周辺視野も右側は大分回復左側はまだと言う状況

異物感は減ってきていますが、まだまだある

目の赤さは全然引きません

手術翌々日

今日は通院もなく、心の余裕も取り戻しつつあるので有り体に言って暇である

心の余裕は取り戻したのに、目が疲れることはしてはいけない

かつ2時間に1回目薬をささなければならない、至って暇。

異物感は日に日に軽減されて行っている。

視野が狭い感じは右側は完全に回復した、左側は小さくなっている感じがない

何故昨日の診察でこのことを聞かなかったのか後悔している。

流れ作業のような診察に口を挟む暇なく流された結果ではあるが…明日の診察では聞こうと決意

今日から美容室で髪を洗ってもらうことが解禁されている。※仰向けに洗ってもらえる目に水が入らないところ限定

手術後びっしょり濡れてから3日洗ってない髪は、油でギトギトである

行きつけの美容室には事前に話を通してあり、カット&ブローを昼過ぎにお願いする。

洗髪を早めの時間にしたのは大正解だった。

洗髪後すぐに枕と枕カバーコインランドリーに突っ込んで洗濯、油ギトギトの寝具をすっきりさせてゴロゴロできる時間を長めにとれた。

手術3日後

今日は午前通院、午前休で午後から仕事だ。

全休にしなくて本当に良かった、暇で死んでしまう。

仕事は術後2日後からデスクワーク、3日後から仕事が解禁されている。

プログラミング仕事は目が疲れる行為なので一週間禁止されているような気がしないでもないが

フォントを16ポイントくらいにして乗り切ろう

さて午前の診察、視力検査と眼圧検査をして簡単な問診で終了だ。

流れ作業で流されそうになったので、無理矢理視野が狭くなっていることを質問する

メスを入れたところと見えなくなっているところが一致していて、右側は既に回復していると言うこともあり

手術跡の箇所であると判明、時間と共に治っていきいつの間にか透明になって回復するとのことだった

説明してくれれば安心だよ!何故最初から教えてくれないんだ!

と憤りながら目薬がなくなりそうなので、追加を受け取り、帰宅

あ、視力いくつだったか教えてもらえてない

質問リスト運用した方がよいかもしれない

左の赤目はまだまだ真っ赤っか、右は大分白くなった

次の診察は術後7日後だ

手術7日後検診

さて7日後検診、視力・眼圧を測定し医師の検診と問診を受ける。

まだ左目の端に見えない領域が少しあるのでそのことを聞いてみるが「原因になりそうな所見は見られない」とのこと

やや不安になるが、スポーツでもやらない限り問題にならない周辺視領域なのでまあいいか

相変わらず視力教えてくれない感じだったので「視力いくつでしたか?」とやや強引に差し込んだところ 両目とも1.5との事だった、見えるぞ!!!

検診を終えて保護メガネテイクオフ!!!

すがすがしさが半端ない

寝るときも眼帯をしなくて良いし、自分で髪を洗うことも解禁

公衆浴場プールなど安全とは言えない水にはまだ入れないし激しいスポーツ禁止だが生活制限大分なくなった

目薬は1日4回に減ったが3種類でまだまだ面倒な日々が続く

目には手術後の違和感が残っていて、ゴロゴロした感じがまだのこっている、裸眼で最高!!!というには目の違和感が消えていないというのが本当のところ

目の赤みはまだ何かあった???と聞かれる程度には残っている

次の検診は術後1ヶ月なのでしばらく先

手術7〜14日の日々

目の違和感は日に日に薄くなっているが、14日経ってもまだゴロゴロした感じがあり、裸眼最高!!!には届いていない

赤みは大分減っている、もしかすると術後の赤みは全部引いたかもしれないのだが、花粉症で赤くなっている疑惑もあり完全に白くならない

逆に言うとその程度の赤さで他人になにか言われることもない赤みだ

さて7日後検診で保護めがねを外して気がついたのだが、ハローがかなり強く出ている、夜の街頭に光の輪が見える感じだ

ハローは日数経過により右目は消えていって14日後には右目は気にならないようになったが左目のハローは強く残っている。

左と右でレンズが違い、乱視用のレンズハローが出ているのではないか?と言うような気がする。

ハローレンズの眼圧対策ホールが原因らしいので治らないかもなー…

手術2週間〜4週間の日々

書いている時点で術後4週間を過ぎた。

一つ変わって気がついたのがピントを合わせるのに慣れてきた感じがすると言うこと、術後間もない頃はピントを合わせることになれていなくて目が覚めて目を開けて見えるようになるのに時間が掛かったのと少し目が疲れた記憶がある。

メガネをかけたり外したりしたとき感覚と言えば分かってもらえるだろうか?

この感覚がじょじょになくなり何か物を見ていても目が疲れなくなってきた。

治っていないこととしては

ハローは左目に相変わらず見えている、左目の視界がほんの少し狭いのも治っていない。

それとコンタクトレンズに汚れがついてちょこっとぼやける、みたいな感じが続いている

常にぼやけるのではなくて汚れがついたときにぼやける感じ

これは瞬きを何回かしたり目をこすったタイミングで治るのだが、裸眼の時ってこんなことあったっけ?と不思議に思っている。

コンタクトはもうつけていないのに…目に直接汚れがついてぼやけている???何か不思議感触

一ヶ月検診がもうすぐあるが、予約の関係で検診は5週間のタイミングとなっている。

一ヶ月検診(5週間目)

予約の関係で5週間目となった一ヶ月検診

視力を測って眼圧を図って、問診と診察をして終了

両目1.5だった、2.0となるレンズ選択しないようで、1.5で視力が安定すれば100点とのこと

追加の目薬はなく、目薬は使い切っていたので治療としては終了で、後は数ヶ月おきの経過観察

次回は2ヶ月後で術後3ヶ月検診だ

状況としては先週と同じで特筆することがない

つづく

2021-02-15

anond:20210214170507

増田運転免許は持っているのかな?

>いいえ。共和国内部に潜り込んだスパイ情報漏洩していたせいです。

>なので、主人公がどこまで同行したとしても、そのあとの結末は同じになります

 ここまで見送れば大丈夫だろう 自分たちはすごいか情報漏洩なんてしていないだろう  と思って行動しなかった”そのあとの結末”と

 内通者いるかもしれない    と思って行動した”そのあとの結末”

()という結果が同じだとしても、マヌケでなければ、()の背格好や逃げた方向くらいは見届けられたでしょう。

ヤサに戻るシークエンス然り、「出し抜こうとする相手能力が不足な故、結果的成功しました」に依存した展開なのですね。

自分たちが目をつけるくらいの手配者ならほかに何十人いても敵は奪還しようとするかもしれない、でも相手は多分手一杯だろうから指揮系統もアレだろうから大丈夫だろう(舐めプ

再奪還されそうになるかもしれないけれどもう一回カーチェイスすれば平気だし・・・そういうのは無双系、俺ツエーゲン金沢系であって頭脳戦丁々発止ジャンルじゃないじゃない。

運転免許とるとき「(こどもは飛び出してこない)だろう運転」「(こどもが飛び出してくる)かもしれない運転」て習いませんか?

2021-01-30

電通ビルを3000億円で売るとか言ってるけど、そもそも売れるの?

電通などコロナで広がる本社売却 進む都心オフィス空洞化外資触手

https://news.yahoo.co.jp/articles/c27d81e0f5773343f439e07bc196a638e861e986

日通オフィス売るとか言ってて、へ~そういう時代なんだと思ってふと我に返ったけど、

そもそも、売れるのこれ?

3000億円って、一社簡単調達できる金額じゃないよね。テレビでも言ってたけどそもそも日本企業は3000億円もキャッシュでポンと払える企業なんて見当たらないか

外資企業が多分手を伸ばしてくるだろうとか言ってるんだけど、外資企業が買うってこれただのトラたぬだよね。

ってかキャッシュで3000億円なんて多分どの会社も出さないか銀行から3000億円借りて買うことになるんだろうが、

そもそも銀行汐留土地建物担保に3000億円なんて本当に貸すのだろうか

電通上場企業から固定資産がどれだけキャッシュに変わったかは四半期短信で全世界に公開されちゃうけど、これ東京土地の本当の価値バラちゃうことにならんか?

半年以内に電通オフィス売却契約できなかったら、それこそこれがトリガー都内土地資産バブル崩壊するんじゃないだろうか

2021-01-08

男女平等日本人には早い

都内の良くもないけど悪くもない給料の出る会社で働いてるんだけど、会社若い女の子の話を聞いてると男女平等なんて当分こねーなと感じる。

最近の若者出世欲がないとか言うじゃん。男ですらないんだから当然女はもっとないよね。だって子供ができる頃に年収800万くらいになる旦那捕まえて、自分時短で400万も稼げば十分な生活できるし、専業でもやってけるもんな。そしてその年収は社内を見てれば十分手の届く範囲だし、どっちが楽かも社内を見てれば一目瞭然。基本的女の子って自分がいつか結婚すること疑ってないしね。

から女性管理職増員とか言ってもそもそも希望者が少ない。希望者が少ないと当然平均的な質も落ちる。男女平等は進まない。落としどころが必要なんだろうね。

2020-12-30

性別に囚われないジャスミン茶デザイン

ジャスミン茶最近よく飲むようになった。

きっかけはセブンで売ってたやつなんだが、渋いデザインしてるんだよね。

あれが昔から女性指向デザインだったら多分手にはしなかったろうな。

最近緑茶などと同じ統一されたデザインジャスミン茶が多くのコンビニスーパーで売ってるけど、カジュアルに万人受けするものとして売り出したのは正解だと感じる。

2020-12-16

anond:20201216140118

よくわからんけど、多分手を出すのはオタクじゃない云々論は

どっちかというと女性アプローチできるような時点で、話しかけることも出来ないよりやばいキモオタとは一線を画するとかそういう程度の意味なのでは

2020-11-29

生後1か月の赤ちゃんいるのに夜9時に寝るやつおりゅ?

仕事疲れたよね。 金曜日だし。

通勤だし、家で酒くらい飲みたいよね。

月に1000円払ってるし、配信ドラマくらい見たいよね。

わかるわかる・・・でも赤ちゃん風呂くらい入れてくれる?

家帰ってきて2時間で寝るのおかしくない?

夜中起きるわけでもなければ明日明後日まるまる休みなのに。

布団入るからあわてて頼んだら「入れてー」ってなんだそれ。

君が9時に寝ると私は自分風呂にもゆっくり入れないのだが?

一週間髪洗う気力も時間もなくてべたついているこの妻の髪が目に入らないのかね。

仕事育児どっちが大変論争なんて不毛から疲れたんなら寝ていいけどさ、

「ごめん、疲れてるから早いけど寝るね、明日その分手うから」くらい社交辞令でも言ってくれればそれで済むの。

「入れてー寝る~」ってなんだそれ。一生寝てていいです~。

2020-11-07

なぜ開票速報わずかな時間に何万票も一気に増えたりするのか

地元自治体首長選などの開票速報を見ていると、開票が始まってしばらくは数千票から全く動かなかったのに、数時間経って突然万単位で票数がドカッと増えたりすることがよくある

あい現象がなぜ起きるのか、なぜリアルタイムで票数が増えていかないのか


開票所に投票用紙が集められた後、まず投票用紙を机の上にぶちまけて候補者ごとに選り分ける作業から始まる

候補者ごとに分けられた用紙を100枚ずつの束にして輪ゴムで止める

100枚束を5セットや10セットずつまとめて500枚や1,000枚の塊を作る

その塊にバーコード印刷された紙を張り付ける

ある程度塊が溜まったらバーコードリーダーで読み取り、PCにどんどん記録して数字を積み上げていく

積みあがった数字一定時間おきにマスコミ公表したりHPに載せたりする

だいたいこういう流れだ

ポイントは「票を数えるタイミングと、票数が記録されて集計されるタイミングは別」「票を数えるのは時間かかるが、数えた票を記録するのはそんなに時間からない」の2点

数え終わった票の束をどの候補者からどのタイミングで読み取って記録していくのか、明確なルールがあるわけではない

候補者Aの票の束があらかた記録し終わり、候補者Bの票の束が大部分手つかずで残っているタイミングマスコミ公表したとしたら

外部から候補者Aが大幅リードしているように見えるが、次の更新時に候補者Bが急激に差を詰めた、ように見えてしま

説明した通りバーコードリーダーでピッとしていくだけなので大都市圏開票所ならマジで1時間やそこらで何万票と動くのも珍しくない


アメリカ開票方法が具体的にどうなのかは知らん、州ごとにも違うだろうし

でも日本と同じように500枚や1,000枚単位でまとめてから集計してるだろうな、ってのはけっこう確信に近い

だってそっちのほうが絶対効率いか

郵便投票だと投票所と違って本人確認のために送り主の住所氏名と住基をいちいち突き合わせて調べなければならんから

実際に有効票を選んで数える作業に入るまでに相当時間がかかっただろうし、

やっとのことで数え終わった票の束を持ち込んで一気に記録すればまあ10万のオーダーで票数が動くことも普通にありえるだろうな、と思う

2020-10-25

anond:20201025220633

ここでもし自分が多く当番になるんだったら正直言って給料には差をつけてほしいと思う。でも、それでは男女の賃金格差子育て介護による収入源といった問題解決しない

頑張れる人が多めに頑張って、こなした分手当を出してもらうのに一票。

部署を分けてもらって、当番が増える可能性が高くなるぶん手当や基本給を増やしてもらってもいいかもひれない。

男女平等って男女が全く同じ仕事をすることじゃないと思うし、同じ仕事に対してみんなが同じ価値をつけてもらうことだと思う。

もちろん「できる人とできない人の差が出る業務形態や配属や給与体系でいいのか?」という議論必要で、その部分の議論が熟してないと増田の言うとおり収入格差は生まれしまうと思うけど、別の議題と考えていいんじゃないかなー。

とりあえず自分は、頑張った人が頑張っただけ同じように報われることが平等だと思います

2020-10-21

現代クレジットカード現金化手法を思いついたが対策されていた?話

街中歩いてるとたまにこんな看板を目にしませんか。

カードお金

クレジットカード現金化」

クレジットカードショッピング枠を現金化」

審査不要 / 来店不要

これらは大体ウシジマくん的世界観のアレですよね。

Google検索でも結構アフィブログとかがひっかかるんですよね。

それだけ検索されてるワードなんでしょうか。

クレジットカード 現金化」の検索結果 約 18,600,000 件 (0.44 秒)

ちなみに、大体金品を買って売ったりギフトカードを買って売ったりといった

実際に上記のウシジマくんがやってることを自分でやるだけの方法掲載されてるようです。

まぁヘタに上乗せ利息がつけられないだけマシでしょうか。その分手間がかかる上に買取業者買取額もよくないですね。

若い頃はなんの意味があるんだ?

ショッピング枠があるならそれで買い物すればいいのでは?と理解できませんでしたが、

大人経験(笑)を積んでくると、だんだんわかるようになってきます

要するに今手元に金はないがクレジットカードショッピング枠はある。

来月の引き落としまでの間に数万〜十数万手元に今すぐ欲しい!

来月の引き落としが苦しいかもしれないけどそんなの関係ねぇ

オレは今スロ打ちに行きたいんだ!!当たった分で来月払えばいい!! とかですね。知らんけど。

で、大体金品をクレジットカード払いして売り払うとかだと

現金化率(?)は大体40%〜70%ってところだと思います

そこでふと思いついたのですが。

ネットショッピングのできる note, メルカリ といったサービスといったサービス

あそこで2アカウント作成して、アカウントAで誰も買わないような2万とかの物を販売する。

で、クレジットカード払いでアカウントBで購入する。

あとはアカウントAで口座振り込みをする。

これだと振り込み依頼手数料を踏まえても現金化率95%以上はいくんじゃないでしょうか?

現金化完成……ってか(渋川流)

とまあ思いついたのはいいんですが

やっぱ対策されていますね。

例えば note

「お支払日は、毎月20日までに口座のご登録とお振込み申請の両方を行っていただいた場合

 当月末(最終営業日)のお振込みとなります。」

メルカリ

月曜日が振り込み申請金曜日振り込み」

で即日現金化とはいかないようになっているようです。

うーんダメか……。

「真の現金化が完成したのなら 渋川はん。

 危うきには出会えぬ。己の危機に気づくまでもなく……

 危機へ辿り着けぬのじゃよ渋川はん」

クレジットカード現金化は日本クレジットカード協会からも警告されており

 換金目的カードを利用することは「クレジットカード会員規約違反する行為です。

 絶対に行わないでください。

2020-10-10

夫は高卒

筋トレ好きのマッチョ

私は親の影響もあり結婚するなら学歴は、みたいな発想がずっとあった

婚活もずっと大卒以上技術研究職を希望してたがマッチングせず

諦め半分手当たり次第に申し込んだ結果当たったのが夫だ

結婚してみて自分が好きなのはマッチョだったと自覚

好みすら自分では分からないもんなんだなと今思う

2020-10-04

結婚して妻の姓になり7年がたった

7年経ったし諸々所見を書いておきます

から珍しい名字が好きでした。SMAPではもちろん草彅くんが一番(名字が)好きだし、プレステ発表時には「すげえ!この人、名字久夛良木クタラギ)だってよ!」と興奮したものです。

そんな僕も結婚することになり、妻の姓を選ぶか、妻に自分の姓を選ばせるか、決めることになりました。

男ばかりの兄弟長男漢字簡単なのに読み方が大変珍しい。でも地元にはたくさんいる。ここでは仮に「生天目(ナバタメ)」としよう。
女ばかりの姉妹の長女。読み方は簡単なのに漢字が大変珍しい。これも(妻の)地元にはたくさんいる。これは仮に「靏岡(ツルオカ)」としよう。

名字マニアとしては甲乙つけがたいです。自分名字にも愛着はありましたが、ここでは個人的に大きなメリットとなる点から、妻の名字を選ぶことにしました。

メリット

手続きがたくさんできる!

多分多くの人は「は?」ってなるんでしょうけど、僕は手続きが好きなんですよ。名字変えたら免許証とか、銀行口座とか、光熱費の支払いとか、全部名義を変えないといけませんよね? そう、あれ。窓口に行ったり、用紙を郵便で取り寄せたり色々方法はあるんですけど、そういう事務作業がめんどくさいどころか三度の飯くらい好きなんですよね。

妻の姓は漢字が難しいのでシステムで受け付けられなかったりします。その度に「この漢字であってます? ここだけ手書きになりますけどよろしいですか?」みたいなやりとりが発生して(しょうがねえなあ)って感じでOKするんですよ。わかりませんか? わかりませんよね。

幸い職場は色々自由なところだったので、平日朝から警察署区役所→様々な銀行の順に回って思う存分手続きができました。あの「〇〇変更届」とか書きまくるやつです。このときはまだ新しい名字のハンコがありませんでしたので、ハンコを作った時には再びこのループを(警察署以外)繰り返して手続きができました。いやーほんと満足です。

ちなみに夫が姓を変えるというのは全体の3%くらいらしいですね。多くはないけどそれほど珍しいものではありません。男性が姓を変えるからといって手続き煩雑になったり時間がかかったりすることは特にありませんでした(少し残念)。

妻の実家の覚えが目出度くなる(?)

多分なった……かな? よく勘違いしてる人がいるんですが、名字を変えても養子縁組をしなければ妻の「家族」に入ったことにはなりません。そのままだと遺産相続権利もないので要注意です。でも妻は長女なので家を継ぐことになるでしょう。その際に名字が変わっていないのは色々と良さそうです。

会社でドヤれる

会社での通常のやりとりはナバタメ(旧姓)のままなんですが、税務関係などの書類ではツルオカ(新姓)を使わないといけません。その度に「ナバタメは旧姓なんです(ドヤァ)」って言って係りの人が怪訝な顔をするのが楽しいですね。

デメリット

親戚がうるさい

まずは両親を説得しないといけません。僕の場合父は10年も前に亡くなっていたので、母と親戚連中がなんやかんや言ってくることが想像できました。

意外だったのは父方(ナバタメ)の親戚は友好的だったことです。

いいんじゃない結婚おめでとう!」

これだけ。まあナバタメ家は叔父があとを継ぐことになったからかな? 今思ったけど僕の父は長男だったのになぜ家を継がなかったんだろうな? ちょっと釈然しませんでしたがまあよし!(このナバタメ家とは今も関係が良好です)

で、さらに意外だったのは母と母方の親戚(全員女性)が大反対だったことです。

「ナバタメの名字をツルオカに変えると向こうの家の人間になったみたいで嫌だ」

上にも書きましたがそんなことはありません。たとえ養子縁組したとしても(普通は)ナバタメ家とツルオカ家両方に属することになるだけで、ナバタメとの縁が切れることはありません。

と、理屈を言っても通じないんですよね。そもそもいやあなた達全員嫁いで名字変わってるじゃん。自分たちは結婚した時に先祖伝来の名字を捨てたくせに、僕が同じことすると怒るわけ? というか、「ナバタメ」なのは母だけだよね? 母の親戚達がなんで口出してくるんだ。わけがわからないよ

あとはもう、強行突破しました。この辺から(他に様々な事情もあり)母方の親戚とは疎遠になってしまいましたがこれもまあよし!

まとめ

書いて思ったけど特殊すぎてあんまり他人の参考になりそうにないなあ。こんな感じなんで夫婦別姓制度についての論議とかあんまり興味持てないんですよね。別にどっちでもいいじゃん、みたいな。

2020-09-20

anond:20200920000053

なんで所得税が減税になったら過労死すんねん。減税したらその分手取りが増えるから労働量は少なくてすむやろ

2020-09-10

金融プラットフォーム信頼性を揺るがす重大インシデント」ってまさにその通りの大事なんだけどわかってない人多そう

サービス利用者けが被害を受けたセブンペイとはまるで話が違う、日本中どこでも銀行に金預けてるだけで預金が引き出される、これのヤバさあり得なさが理解できないほど現代人の脳は劣化したんか?

銀行預金してない個人法人はいない、現代までそれなりに長く続いた貨幣経済の基盤が未熟すぎるIT技術のせいで崩れ始めてる

これもう国の危機なのに迅速に動かない政府もそれが認識できておらず多分手遅れになる、終わっていく国ってこうしていろんな所から終わっていくんだな

2020-08-23

アマギフ五万円分手に入った

みんななら何買う?

物欲いから思い付かんのよ

教えてちょ

2020-07-30

ブラック企業から逃げ出した話

新卒入社して2ヶ月で辞めた

労働時間の長さと休みの少なさ、パワハラセクハラで病んだ

地元会社事務員

主な仕事はお客さんにお茶出しと電話対応、あとは書類整理

8時過ぎに出社して朝の掃除、お昼は従業員全員で食べて食べ終わったら休憩なしで7時半まで仕事

休みは週1の定休日

休みは少ないけど良い会社だと思った、人も優しかったし

でも最初だけだった

お茶出しするのにお客さんにコーヒーお茶どっちが聞いてると社長が話に割り込んできた。仕方ないから話が終わるのを待ってたら「何してるの?早く持ってきなよ」って言われた

割り込まれから話が落ち着いた頃合いで聞くことにしたら「遅い、客来てるの見えないのか」って怒られた

理不尽

電話ほとんど現場の人に聞かないと分からないことばっかりで現場まで走って聞きに行ってた

書類関係も教わり始めた

事務の先輩はすごく優しくてそれが救いだった

アナログ会社からレジがなくてお金は箱に入れて管理してた

作業金額ノートに書くのを任された

でも作業によって書き方が違くて、その都度先輩に聞いてたら「また聞いてるの?教わったことはちゃんとやってよ」って社長に言われた

社長ノートなんて書かないから私がノートの書き方を覚えられてないように見えたんだと思う。言い返すのも面倒だから謝った

先輩は気にしないでね、分からないことは聞いてねって言ってくれた、優しかった

書類関係で外出が多くて、道覚えるためにも現場の人が行くのについて行った。そしたら「彼氏いるの?セックスしたことある?」って聞かれてスカートの中に指を入れられた。車の中だし上司だし我慢するしかなかった。

すごく気持ち悪くて泣きそうだった

だんだんご飯が食べられなくなった。お腹はすくのに噛めない、飲み込めない。水も飲めなかった

それでも出社した

やっぱりお茶出しで文句言われるし、電話も聞いてばっかりで「教わったこメモ取ってんの?」って言われた。教わってる時も、書類を日付順に並べてる時も社長に見られてた。また車で同行したらセックスの話されてお尻触られた。胸も触られた。

書類も専門的すぎてわからなかった。なのに言葉とか分かる前提で進められてた。必死メモして後から調べて、それでも分からなくて先輩に聞くと社長から「それこの前教わってたよね?」って怒られた。先輩は何回でも聞いていいからねって言ってくれた

1ヶ月経つ頃にはご飯なんてほとんど食べてなかった

朝はギリギリまで寝てメイクして仕事、お昼は二口ぐらい食べて残して夜も食べないで帰ってすぐ寝た

休みの日は起き上がれなかった

次第に寝るのも怖くなった。寝たら朝になるのが怖い。でも眠い。夜中の1時とか2時に目覚ましかけて起きた。朝になるまでの時間が欲しかった

1ヶ月半が経つとほんの少しだけ教わったことを来月から全部やれ、間違えるな、先輩にも聞くなって社長に言われた

家で毎日泣いてた

勝手に涙が出た

死んだら楽になれるかなってずっと考えてた

祖父も両親もお世話になってる会社から辞めたいなんて言えなかった

死んで楽になりたかった

ご飯食べないか栄養足りなくていつも気持ち悪くて動悸がしてた

誰にも言えないから倒れそうになるのも我慢してた

立ってるのがしんどかった

入社当時から体重10㎏近く減ってた

入社後の面談だと言われて社長に呼び出されて悩みとか仕事してみての感想を聞かれた

話し方が威圧的で、バカにしたような口調で怖かった

最後に何かない?って言われて相談しようかと思ったけど怖くて無理だった。話したくなかった、同じ空間にいることさえ苦痛だった

給料日になって手渡しで給料を貰ったら「君はAさんより2万多いんだよ」 「 Bさんの給料は○万なんだよ」とこっそり言われた。意図がわからなかった。その言い方が馬鹿にしたような言い方で人間としてありえないなって軽蔑した

2ヶ月が経とうとした頃、夜泣いてたら手が痙攣し始めた

何しても止まらなくて朝になっても痙攣したままだった

しかった

やっと仕事が休める

病院検査しても何も異常なくてストレスだって診断された

手が震えなくなるまで休みをもらった

でも1週間ぐらいしたら痙攣が落ち着いてきた。怖かった。また仕事が始まる。ずっと痙攣してくれって思ってた

そしたら社長から電話がかかってきた

「いつ戻るんだ、今回は保険料問題ないけどこれ以上は迷惑だ」

大丈夫かの一言もなかった

なんかもう無理だった

吹っ切れた

もう辞める

辞めるために会社に向かってる途中過呼吸になりかけた

社長に会うのが怖かった

でも最後からって思って乗り切った

後で制服クリーニングかけて返してって言われた

本当は殴りたかったし文句も言いたかったけど関わりたくなくてお世話になりましたとだけ言って帰った

後日制服も返した

仕事辞めたら久しぶりにご飯食べることができた<おいしかった

久しぶりにゆっくり眠れた。朝になるのが怖くなかった

やっと人間らしい生活ができた

から考えたらこれまでの事務員もすぐ辞めてたし会社交流のある別会社の人から何で入っちゃったの…って頭抱えられたし誰が見ても異常な場所だった

本当に辞めてよかった

分手が痙攣しなくてあのまま仕事してたら自殺してた

死ななかったのが奇跡だと思う

生きてて良かった

さよならクソ会社

2020-07-16

切ない気持ちゴミ捨て場

夜になると開きたくなる扉

せつない。2020年が何もできないまま終わっていく。旅行たかった。あの人たちと飲みに行きたかった。

だってするだけならきっとできるけど、ポストコロナ時代のそれとは別物。関東からどこかに旅行なんて自殺行為でしょう。飲みにいくと多分手アルコールぶっかけられるでしょう。

この世は20数年生きてきた世界とはまるで別モノになった。デジタルネイティブよりコロナネイティブの方が羨ましい、と言うと「は?」と思われるかもしれないけど…気分はそんな感じ。

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