はてなキーワード: 負債とは
「正しさ(ポリコレ)」を生得的に所持していない「正しさの貧乏人(男性が多い)」から、
「成り上がり」であるリベラルが反感や敵意を持たれるのは自然の成り行きである。
さしずめ「21世紀アメリカの白人男性」とは、「正しさの没落貴族」である。
「正しさの負債(=有害さ)」をリベラル勢力から一方的に背負わされているのだから、
それに敵対する「有害の王様」であるトランプの支持者が多くなるのも、ごく自然な現象である。
「敵の敵は味方」とは限らないが、現在で最も勢いのある「正しさの新興貴族」に対抗するには、
お話を伺う限り、これはまさに陰謀論の典型的な特徴を持っています。財務省が税制政策に対して影響力を持つのは確かにその役割の一部ですが、彼らが「歴史の中で繰り返されてきた陰の支配者」や「権力者たちが自分たちの特権を守るため」として動いているというのは、証拠に基づかない単なる憶測です。
まず、減税には経済全体に対する多様な影響があり、これを慎重に検討することは政府の重要な責務です。単なる「口先の財政健全化」などという表現は、財政支出の管理や国家の負債削減の必要性を軽視しています。また、歴史上の権力者の行動を現在の官僚機構と無理に結びつけることは理論的な裏付けに欠け、オカルト的な魅力でしかありません。
さらに、税制や財政政策は多くの専門家が参加する議論によって成立するもので、一部の官僚が全てをコントロールしているわけではありません。「歴史を振り返ると」というフレーズや、古代ローマやギリシャの例えを用いることは、事実に基づかない神話を連想させ、現実との乖離を生じさせます。
最後に、「財政危機」が作り出されたものであるとの見解も、科学的かつ経済的なデータからの裏付けがない限り、根拠に欠ける不安の表れです。そのような見方は、人々を恐怖や懐疑に駆り立て、かえって理性的な議論を遠ざけてしまいます。
まず醜女で家庭環境悪くて頭も悪けりゃ生活力もないんだけど、今まで29年間虐待!鬱!自殺未遂!DV!貧困!病気!みたいな感じで本当に今日生きるか明日死ぬかみたいな生活をしてきた。
彼氏は一瞬何回か告白されてできたことがあったが引くのがモラ男ばかりで、身内の男と同じ空気を感じた瞬間別れてるから交尾まで持ち込めた事が一度もない。マジで死んだ方がマジなんだけど身内に負債押し付けられたからお金のために生きてる状態。
そんな感じで恋愛したくても選ばれなければ選べる余裕もないので膣として終わりの人生を歩んでるんだけど、周りの友人はかなりモテるので、毎日オスに選ばれたことのない未開通膣として扱われてすごくしんどい。
女性用風俗行く金もなければ、そこら辺の男は性病が気になる(なった時に行く病院代がないため)婚活やアプリはブラック企業に勤めているため休みが合わず、平日休みの週一休みならお前が俺に合わせて土日有給とれよと毎回言われてアプリ消去やブロックを繰り返してる。職場の男にはブス笑と言われてる。
他人に優しくされたり認められたことがないからどんどんどんどん意地悪になって、この間先輩に無自覚パワハラをしてしまった(貴方の休みを優先したいから上司からお前は休むなって言われて有給却下されるから休み申請はよ出してって直接言ったのが多分そう、あと仕事休んだ時貴方の仕事私に回されるからせめて引き継ぎはしてほしいって言ってしまったのもそう)らしく先輩が退職した。退職してから周りに言われて、先輩に申し訳なくて私も責任取って退職するつもり。
貨幣中立性はフローの観点では理論的に成り立つことがあるが、ストックの観点では影響が異なり、中立性が崩れると考えられる。
この点について整理すると、以下のような理由で貨幣の中立性がストックにおいて成り立たないと言える:
インフレ時には、貨幣の価値が低下するため、名目額が固定された債務の実質価値が減少する。このため、債務者にとっては有利に働く。
一方、デフレ時には貨幣価値が上昇し、実質債務が増加し、貨幣価値が増加するため、債務者に不利であり、債権者に有利である。
このように、貨幣供給の変動がフローよりもストック(資産・負債)に対して異なる影響をもたらし、資産分配や購買力に偏りが生じるため、貨幣の中立性が成り立たない。
というのを考えたので駄文投下。
点数の公表は要らない。
点を公表すると、その点数だけで評価する有権者が出過ぎる懸念がある。
大学レベルの勉強が仮に満点で出来ても、それほど大きな意味はない。
足きりで良い。
ともかく、政治家に政治経済に関する最低限の知識と知能を保証しろ。
国民投票で信任を問うな。
国民は素人だ。ほとんどの人は、ほとんどの争点を知ったこっちゃない。
「良い人そうか」、「真面目そうか」くらいでしか素人は評価できない。
それよりも100兆を超える国家予算を適正に運用することの方がよほど重要だ。
例えば「今期、行ったこと」や「来期以降、やるべき課題」を閣僚や野党の党首等の重要な責任を担う議員が45~60分程度でプレゼンし、それを財界のトップ、学者、シンクタンクやメディア出身者などの専門家が批評して、どこか放送しろ。
合計2時間。毎週でも良い。
国営放送でもいい。
現状でも政治の討論番組は多いが、「プレゼン⇒指摘、批判、提案⇒それに対する返答、再批判」という形式はない。
討論はその場の思い付きの話ばかりで、話が発散する。
万が一にでも、うまくこの過程が熟すれば、
ができてくる。
そうでなくとも、プレゼン⇒批判⇒返答のプロセスはエンタメとしても政治的評価としても意味があるからやってみろ。
「更地にするにも金がかかるし」で放置されてる商店や空き家が増えすぎ。
商店街なんて、数件そういう空き商店が出始めたら、客足が遠のき、さらに空き商店が増加する。
この負のループによってシャッター商店街化してる場所が日本全国で多すぎる。
しかも、子育て世代が住みたいと思える駅前の土地が、そういう形態で放置されている。
商店に定額の税金をかけて、「やってない商店を物件として保持し続けるくらいなら、売却しよう」という動きを促せ。
それか補助金をだして、立ち退きを促せ。
また相続が不明になって、空き家として放置されている物件も多い。
今後も増えるだろう。
最近、ようやく相続登記の義務化があったが、刑罰が10万円以下の罰金となってるが、土地を公有地にしてもっと早急に競売にかけることまで制度化したほうがいい。
一般論として、土地の有効活用とか都市の再生計画をもっとマニフェストの前に押し出せ。
そろそろ手遅れだぞ。
その結果がこれだ。
むしろ、既に書いたような都市再生のための規制改革の方が大事だ。
「高校無償化」等、教育費ばかりが政治的争点になってるが、家も子づくりと重要な関係を持つ。
都市部だと、一部屋増やすと、家の価格が数千万上がることだってある。
「3人を上限に、子供一人当たり、住宅ローン0.5%減」くらいが当たり前にならないと、子供を持つ余裕なんてない。
わざわざ子供を作りたいと考えてる世帯のことを全力で支援しろ。
保育園もようやく待機児童がなくなってきたが、次の問題は小学校以降だ。
夏休み等の長期休暇はどうするんだ。
教員は反対するだろうが、託児所的な役割を担ってもらわないと社会が回らなくなっている。
長時間労働を理由に部活動を無くすのは構わんが、長期休暇中といえど平日は通常業務をしろ。
完全な過疎地域は諦めろ。
人口減少社会で過疎地域の地方創生が机上の空論というのは爺婆しかいない地方の人間が分かり切ってる。
もう手遅れだ。
都市圏の郊外のベッドタウンでさえ、上述のように、シャッター商店街問題が続出してる。
地方都市に関しては、長崎スタジアムシティだとか、北海道のエスコンフィールドみたいに、エンタメ+商業施設等で再生するのが昨今の成功事例か?
特にバスケやバレーで使うアリーナは、他のイベントにも使えるから上手く有効活用しろ。
どちらも今、成長産業だ。
芝がサッカー以外で使えない。
過疎地域で起きた大規模災害の被災地の復旧とか夢を見すぎるな。
現実的には、大規模な被災をしたら若い世帯はさっさと転居して、余計にその地域の過疎化は進む。
完全復旧なんて夢物語だ。
どうせ無理だから、被災していない近隣都市部の郊外に公営住宅を準備する方がコスパ良いだろ。
文句は出るだろうが、大規模な災害がある時点で不満が出るのは仕方ないと腹をくくった対応をしろ。
判断力が無い未成年者に投票権がないなら、判断力が低下してる超高齢者に投票権があるのもおかしいだろう。
とりあえず、穏便に100歳以上の投票権を撤廃から、徐々に切り下げていけ。
90歳や85歳くらいまで、引き下げられたら、上述の地方切り捨てをしても、選挙に影響もなくなるはず。
まあ、これを実施するのが実質不可能なのは分かり切ってるから、未成年の子供に投票権を付与するのが代替案だ。
そして、実質的に保護者世代がその投票を担えば、高齢者の影響を薄めることが出来る。
18歳ではなく、15歳、12歳と引き下げていけ。
85歳以上は更新停止だ。
そもそもそうやって、自分たちの良さを自覚できなかったから、例えばガラケーの市場を取れなかったのではないか。
上手くマーケティングすれば、日本の品質改善型・コストカット型ビジネスも世界に出れる余地はないのか。
受験の難問を解けるようになることに、若くて頭の良い人間が労力を割きすぎだ。
ある程度の成績が良い人間は、大学科目の勉強に進めるような形態に変化しろ。
ともかく、難問を解かせるよりも、さっさと受験勉強より上位の科学等に取り組ませろ。
かなり大きな教育改革となるが、受験勉強に割かれている若年層の多大な労力を、より生産的な努力に転換することは重要だ。
アメリカ型のエッセイ+共通テスト+成績でも良いかもしれない。
いまどき、文系でも統計、データサイエンスの知識は最低限必要。
そもそもだが、任意とか存在とか、必要条件と十分条件みたいな数学の基礎概念を理解してないと、論理的な会話は不可能。
日本で頭良いやつを育てられるような教育制度を作るより、頭良いやつを海外に送って教育してもらう方が安上がりかもしれん。
企業も、マイナー競技のスポンサーとかするよりも、ハーバードやスタンフォードに留学する学生を支援するスポンサーがあってもいいんじゃないか。
こんな感じだがどう思う?
https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く
おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
2000年代になると、日本の映画やドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマは陳腐なものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理・人情の世界観でつくられた恐らく最後のドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸の系譜なのである。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
気が付くと朝4時になっていた。
なんか動くところまで出来たので貼っておく。
import pdfplumber import re #クリーンアップ def cleanuptext(text): #決算書の合計値を太字にしたことでpdfplumberが暴走するケースへの対処 #例 流動資産 -> 流流流流流動動動動動資資資資資産産産産産 #誤爆が怖いので、これが起きている時だけ補正します if "流流流流流動動動動動資資資資資産産産産産" in text: text = re.sub(r'(.)92;1{4,}', r'92;1', text) #△をマイナスに。 数字中のカンマを消して結合する text = re.sub(r'△([0-9])', r'-92;1', text) text = re.sub(r'▲([0-9])', r'-92;1', text) text = re.sub(r'([0-9]),([0-9])', r'92;192;2', text) #たまに、煽り屋みたいに文字の後にスペースが入る嫌がらせを修正する #例: 投 資 有 価 証 券 -> 投資有価証券 text = re.sub(r'(?<=[92;u4E00-92;u9FFF92;u3040-92;u30FF])92;s(?=[92;u4E00-92;u9FFF92;u3040-92;u30FF])', '', text) return text #今期の勘定科目の数字を取得 def get_AccountName(text, need): pattern = rf'^{need} -?[0-9]+ (-?[0-9]+)' r = re.search(pattern, text, re.MULTILINE) if r is not None: return float(r[1]) return 0 #清原ネットキャッシュを計算する。 def calc_KiyoharaNetCash(text): total_current_assets = get_AccountName(text,'流動資産合計') if total_current_assets == 0: #要約財政状態計算書しか公開していない、楽天のような素敵な会社様への対処 total_assets = get_AccountName(text,'資産合計') if total_assets != 0: #とりあえず、資産の部の6割を流動資産とみなす total_current_assets = total_assets * 0.6 else: #流動資産合計ではなく、流動資産という単語を使っている我が道を行く東北電力への対処 total_current_assets = get_AccountName(text,'流動資産') if total_current_assets == 0: raise Exception("流動資産合計の勘定科目が見つかりませんでした。"+text) total_liabilities = get_AccountName(text,'負債合計') if total_liabilities == 0: #負債合計ではなく、負債の部合計に拘るオムロンの嬉しい決算書への対策。なんでや・・・ total_liabilities = get_AccountName(text,'負債の部合計') if total_liabilities == 0: raise Exception("負債合計の勘定科目が見つかりませんでした。"+text) #負債をご丁寧にマイナス表記で書いてくれる中外製薬の親切な決算書への対策。いい加減にしろよ・・・ if total_liabilities < 0: total_liabilities = total_liabilities * -1 #投資有価証券はないこともあるので、0を容認する marketable_securities = get_AccountName(text,'投資有価証券') #print(total_current_assets,marketable_securities,total_liabilities) netcash = total_current_assets + (marketable_securities*0.7) - total_liabilities #たまに単位を1000円にしている銘柄があるので補正する if is_tanni_senyen(text): netcash = netcash / 1000 return netcash # "流動資産合計" と "負債合計" の間に "単位:千円" があるかをチェック def is_tanni_senyen(text): if "単位:千円" in text: return True if "単位: 千円" in text: return True if "単位 : 千円" in text: return True if "単位 :千円" in text: return True return False def pdf_to_kiyohara_netcash(pdfpath): with pdfplumber.open(pdfpath) as pdf: text = ''.join(page.extract_text() for page in pdf.pages) text = cleanuptext(text) #print(text) kiyohara_netcash = calc_KiyoharaNetCash(text) #print(kiyohara_netcash) return kiyohara_netcash def mymain(): import sys args = sys.argv argc = len(args) if argc <= 1: print(''' これは、清原達郎氏のネットキャッシュ比率(以下、清原ネットキャッシュ比率)を決算短信のpdfから求めるソフトです。 清原ネットキャッシュ=流動資産合計+(投資有価証券*0.7)-負債合計 清原ネットキャッシュ比率=清原ネットキャッシュ/時価総額*100 遊び方 1. 決算短信pdfから清原ネットキャッシュを求める python calc_kiyohara_netcash.py 140120240514594985.pdf 結果: 30757.0 決算書には、100万円単位で数字が書かれているはずなので、この数字の単位は100万円です。 つまり、3075700万円。 2. 時価総額を億円単位で追加することで、清原ネットキャッシュ比率を求める 時価総額が146億円なら146と書いてください。 python calc_kiyohara_netcash.py 140120240514594985.pdf 146 結果: 210.66% このコードはNYSLライセンスです。無保証、自己責任ですが、ご自由に。 かぶ探とかとつなげるといいかもね。 ''') return if argc <= 2: kiyohara_netcash = pdf_to_kiyohara_netcash(args[1]) print(kiyohara_netcash) return if argc <= 3: market_cap=float(args[2])*100 #億円から百万円表記に kiyohara_netcash = pdf_to_kiyohara_netcash(args[1]) ratio = round(kiyohara_netcash/market_cap*100,2) print(f"{ratio}%") return if __name__ == '__main__': mymain()