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はてなキーワード: 文学者とは

2018-11-12

anond:20181112151204

まらなさや隔世に隠れてるからだよ。青空無料で手に入るけどな。

未成年流行り出したら目立つのだけゾーニングする。

日本コンテンツだけでも全部遡って今に合わせたゾーニングしだしたら源氏物語だの春画だのの研究が進まないんで文系さんの飯の種なくなって困るやで。

AI検閲とか文学者失職とかそう遠いことでもなさそうやけどな

2018-11-04

https://anond.hatelabo.jp/20181104130840

フランス文学近代以降ずっと世界一なので(異論は認める)、開国してから文学者がその影響を受けてそういう風潮になったんじゃないかな。分からんけど

2018-09-15

女性文学者が何故いないか

女性文学者が何故いないか簡単である。誰も誰一人「女であるがゆえの喜び」を描き切っていない。俺はそこに尽きると思う。

だって男の俺だって知りたいもんなあ。書いてみてよ。女である喜び、求められる喜び、対象にされる喜び、下にいながら上にいる感じを得る喜び、子を得る喜び、子のいる喜び、子に求められる喜び……。男性文学者には書けねーんだから、書いて欲しいなあ。

2018-09-12

現代若者政治に関心を持ちにくい理由

ちょっとでも政治的関心を持って意見を述べるだけで、大学教授弁護士文学者みたいな大の大人がすぐ「このブサヨ!」「ネトウヨ!」と罵るからじゃないの?

twitterみたいに若者も多数いる場でそういうのを繰り返してりゃ、そりゃ政治自体忌避感情を抱いても不思議じゃないわ。

2018-08-21

anond:20180821012527

産み落とされた理由はないというのを悟らないと清濁併せ呑む人生生きていけないな

ある程度の妥協がないと、哲学にはまって死んで終わりだから

質問に関しては、理由はないけど理由を見つける過程に宿る溌剌とした感情を大切にしているよ

こんなことは文学者もよく言ってることだけどそんな感じだ

2018-08-08

自己嫌悪してる暇が無くなれば自己嫌悪しない

まり自己嫌悪趣味

文学者以外は自己嫌悪なんてするな

みんな幸せに生きたければ自己陶酔せよ

もしくは、自己他者との垣根をなくし、社会と融合せよ

我々は深層意識で繋がっている

安心せよ

2018-07-16

最近2ch転載増田儀式の一部

最近増田には2ch書き込み転載しただけのものがよく投稿される。

内容としても元から釣り目的で書き込まれたのか?と思うようなもの転載されているため、ブコメを多く集めてホッテントリに入ったりしている。

他人土俵でいいから目立ちたい人達犯行なのだと思われているようだが、実は違うのである

彼らが期待しているのは、まず第一に元スレにあるレス転載で応じてもらうこと。

文学者歌人過去の名歌の応酬意思疎通するがごとく、知っている者にだけわかるやり取りを介して過去再現する。

それを終えてようやく、元スレにはなかった生まれたばかりの新たなレスがつくことが望まれる。

一度終わったはずの会話、一度決着を見たはずの結論

正しい者がバカにされていた空気、納得行かない結論

もうスレッドが終わって口を挟めなくなった空間への、歯がゆい不快。それを塗り替えることが可能になる。

過去再現し、付け加え、歴史を変える儀式。昔話が今の形になるまでに辿ってきた進化道筋のように、ネットにこぼれ落ちた話もまた生まれ変わり続けるのだ。

2018-06-13

定義」を絶対視するラノベオタク陳腐科学主義に染まっている

 アフィカスがまとめたくだらないまとめをまた読んでしまった http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1236466

 ラノベオタクはすぐにラノベの「定義」がどうのと言うけど、このことこそ彼らがいかに無教養かということを示している。「定義」を絶対視し厳密に議論しようという科学的態度の自分たちこそ教養ある人間だと思っているかもしれないが、実はそれは単なる盲目的な科学主義にすぎず、文学(もちろんラノベも含まれる)という現場とは相性が良くない。いかにも中途半端理系が多そうな発言ではある。

 本来言葉定義というもの存在しない。辞書に書かれてあるのは編纂者が勝手にまとめたものにすぎない。彼らは神ではない。権威ある辞書存在しない時代にも言葉はすでに存在したなんてことは誰にとっても明らかだろう。

 言葉というのは使い方によって意味が決まってくる。言語使用こそがすべてである辞書に書かれた定義という閉鎖的な意味だけを持つのではなく、言葉というのはもっと開放的自由ものだ。もっといえば創造的なものだ。それこそが詩というものであるわけだし。極端なことを言えば、同じ言葉でも発されるたびにすべて意味的にも差異がある。本質的言葉というのはいつもアドホック意味を持っている。辞書定義のもので厳密に語られるということは実はそれほど多くない。

 文脈を共有し言葉アドホック意味を込める、そしてその意味を共有しあう、そういうのが人間同士のコミュニケーションだ。定義通りにやり取りするのはAに対してはBという動作で確実に反応するようにプログラムされたロボットだろう。ラノベオタクはこういうロボット的なコミュニケーションこそ科学的で崇高で尊敬されるべきだと考えているのかもしれない。しか現実はそうではない。むしろ逆だ。冗談を言い合うとき無意識のうちに通常の辞書言語使用とはずれた使い方をするし、そういうずれをお互いがすぐに理解して笑いあう。そんなことは日常生活に当たり前に存在する。「定義」がどうのと言っているのはそれこそ文字通りにしか文章を読めない人たちであり、彼らはたしか科学者ではあろうが、文学者ではない。ラノベオタクにはそういう科学者的態度の人が多いというのが不思議だ。彼らは文学愛好家ではないのか。

 件のまとめも、定義がどうのと言わず意図を読み取ろうとすれば読み取れるわけで、またつまらない揚げ足をとって、他者発言理解しようとしていないではないかラノベオタクというのは基本的他者に対する興味が乏しい。世間の人々は平凡な言葉アドホック意味を込めて使うが、ラノベオタクはそういった辞書定義から外れた言語使用嘲笑して、そんなものは厳密な言語ではないからと認めようとしない。これは他者理解しようという意志がないということを意味する。要するにラノベオタクにとって世界他者存在せず、自分しかいない。だから自分攻撃性には無自覚で、簡単に人を傷つけ、ひどい差別語で罵るようなことを毎日やっている。

 ラノベオタクはたくさん読書をしているのに、想像力貧困で、人文科学蔑視し、科学主義に凝り固まっている堅物でしかない。そして彼らは自分たちこそ真に教養ある知識人だと思っていて、自分たちのやり方以外のもの自分たち思考様式を外れたもの非科学的で嘲笑すべきと思っている。これによって出来上がるのは他者に対して不寛容な厄介なおっさんなのである

2018-06-10

anond:20180610224053

から文学なんて三島石原みたいな連中と相場が決まってるから今更言われんでも

文学者は全員無差別殺人予備軍でええよ

2018-06-09

[] 言論弾圧為政者統治手段

中国共産党一党独裁している中国を見てみなさい。

中国国民言論の自由を奪われ、金盾海外情報を見えなくされて、洗脳されて、奴隷に改造されている。

言論統制は、共産主義の特徴なのである

 

言論の自由

ヴォルテール(Voltaire)こと、本名フランソワマリー・アルエ(François-Marie Arouet、1694年11月21日 - 1778年5月30日)は、フランス哲学者文学者歴史家である

 

“Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je défendrai jusqu’à la mort votre droit de le dire”

(私はあなた意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る)

 

日本世界最高レベル国家を目指している。

安倍政権批判しても別に禁止されたりはしない。

フランス人なら、まるでヴォルテールのような安倍首相の態度に、その器の大きさを見出すことができるだろう。

中国共産党太子党には、日本人の偉大さを理解できないだろう。

(もちろん、完璧人間など存在していないので、日本人にも個別に見れば各々欠点があるだろう)

 

anond:20180609031101

2018-05-25

粋な恋愛とは

いき【粋】 出典:デジタル大辞泉小学館

[名・形動]《「意気」から転じた語》

気質・態度・身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があること。また、そのさま。「粋な姿」「粋な柄」「粋な店」⇔野暮 (やぼ) 。

人情機微特に男女関係についてよく理解していること。また、そのさま。「粋な計らい」⇔野暮。

花柳界事情に通じていること。また、花柳界。「粋筋」⇔野暮。



前に、粋な恋愛とは何かという話を文学者だったかがしていた。

二人のうち片方がでれでれ、もう片方がさっぱりしている、こういう関係が「粋」である、そういう話だったと思う。

両方でれでれなら粋ではない。

2018-05-07

anond:20180507220715

20世紀最大の文学者ジェイムスジョイス恋におちたら語彙力がなくなっていたみたいだから気にするな。それが正常だ。

2018-03-20

もう少し高カロリー朝ドラも見てみたい気もするが、まぁそれは無理な話だ

NHK-BSで、朝ドラ再放送~最新朝ドラ早版を30分連続でやってる朝の枠があって、出かける準備をしながら斜め見するのにちょうど良くて見ている。今は再放送花子とアンわろてんかが、どちらもちょうど太平洋戦争中というタイミングである

朝ドラにおけるお約束として、当時の世相は「軍国化する体制側」と「軍国化に追随する常識的市井」と「不本意ながらも追随せざるを得ない主人公界隈」という構図で書かれがちであるドラマなので美化しているところも現実とは違うところも沢山あるだろうが。

まぁ、言論弾圧に反骨し投獄され獄死した人も実際にはいたわけだが、朝ドラで取りあげるには明らかにカロリー過多だし、結果的にぼろ負けした戦争を指揮したボンクラもの尻馬に乗っかって踊った「善意市井」を主人公にしてヒロイックに描くほどさすがに無知性に極右化するわけにもいかないだろうし、「善意市井の恐ろしさ」を皮肉として描くには、獄中死を取りあげる以上に高カロリーすぎて朝から胃もたれ必至なので無理だろう。

増田若いころから、「こんなに分かりきって馬鹿たことをやっているのに、なぜ当時の「善意市井」たちはそれをどんどん受け入れていったのだろう」というのが不思議で、戦時中ものルポやら文学作品やら日記やらを読むのが好きである

朝ドラフィクションである、とはいえ、歴史資料(あまり正確なものが残っていない。当時も今と同じように時間がたつと自動的に消える仕組みになっていたのだろう)や日記文学者が残した戦時中日記はとても興味深い)などを読んでみても、朝ドラと同様の「アホな指導層/それに踊らされる自称常識人不本意ながら付き合わされる主人公」的な構図を見つけることはできる。

こういう趣味があるどちらかというとリベラル寄りの増田なので、ついそう読んでしまう面もあるが、太平洋戦争ではそれでまんまと、長期人口グラフでもあっここだよね!と分かるレベルでかくんと人口が減った戦争を、戦後は「ぼくら踊らされたんですー」みたいな顔した「善意市井」の多大な協力で成し遂げたわけで、「善意市井」の暴力性というか、大義お国のために)と生活(逆らうと生きていかれない)が直結したときの怖さというか、そういうものがもうちょっと朝ドラで書かれたらええのにないっそ、と思ったりもする。こういうご時世ですし、なおさら

まぁそれはそれとして黒木華藤井隆はほんと良い俳優だな、以前から両者とも好きだったが、どちらも難しい立ちどころの役をこなしている。藤井隆マシューズベストヒットTVベストアクトだと思っていたが、万丈目はんも相当良い。ドラマはまぁ、ちょっと吉本配慮が過ぎまへんか?とは思うが。

昨今は、民放局が良いドラマを作る体力がすっかり無くなっているせいかNHKドラマ相対的に良く見えるということもある。昨晩は録画しておいた弟の夫を見て号泣したところだ。あれは、演出演技脚本含めほぼ100点。

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170901232952

芥川龍之介文章青空文庫で読める

芥川龍之介 大正十二年九月一日の大震に際して

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_27361.html

 

 

朝鮮人虐殺否定派は、芥川龍之介文章から皮肉を読み取れず、「芥川菊池寛に嘘つきと言われたか自殺した」という説を立てている。

それについて関東大震災朝鮮人虐殺研究本「9月東京路上で」を出した著者が批判している。先行して書かれたブログ記事で読める。

 

9月東京路上で: 【いわんや殺戮を喜ぶなどは  文学者の見た朝鮮人虐殺芥川龍之介

http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/2013/09/blog-post_29.html

 

関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 芥川龍之介には執着するが志賀直哉無視する朝鮮人虐殺否定本 - 読む・考える・書く

http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/03/29/204525

2017-05-19

葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

目次 [非表示]

1 概要

1.1 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

1.2 書名の由来

2 脚注

3 刊本

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要[編集]

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。

文中、鍋島藩である鍋島直茂武士理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏併記しており、鍋島氏龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。

当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君浅野長矩切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別相手に突っかかることはできないのである」と評している。

この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

明治中期以降アメリカ合衆国出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしま気概覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜    常朝

白雲やただ今花に尋ね合ひ    陣基

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集]

葉隠記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻玉砕自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。

しか山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナー指南書や礼法マニュアルに近い記述ほとんどである。また衆道男色)の行い方を説明した記述等、一般近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。

戦後軍国主義書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術マニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書出版されている。

戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。

書名の由来[編集]

本来葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公大義とするという説。さらに、西行山家集葉隠和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。

2016-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20161014123350

あのなあ。

ノーベル賞ってのは、勝った負けたじゃねーんだよ。その発想、いかにも頭悪いかリアル他人に言うなよ? だいたい勝ち負けってなら先に取ってたやつは勝ちか?負けか? 取られたらその時点で負け? チャンピオンベルトかよ。そうじゃねーだろ。「その人の作品自体偉大であるとともに、そのジャンルで他に類のないぐらい偉大な影響を与えたことに感謝畏敬の念を込めて表彰します!」ってことだろ。変なたとえだけど「命を救ったのですごいです表彰状」みたいなもんだろ。たとえば町の中学生が「命を救いました表彰状」をもらったとしたらその町の警察官消防署の皆さんは全員「負け」なのか? 違うだろ?

ボブ・ディランフォークシンガーで、でもその歌詞は実質「詩」と言っていいボリュームや質の高さをもっていて、その作品群は、時代から時代や後世の多くの文学に(村上春樹も含めて)多大な影響を与えたことは間違いないだろ。むしろ今まで表彰されてこなかったのが不当なだけで。「ハルキにやるならそもそもボブディランにやらなきゃならねえ」って話になるのは、なんだか理解できる気もするねえ。

というわけで、そういうもの評価されるようになったんだ。「第2の文学」って言いぐさは少し気に入らないが、いい時代になったと素直に喜んでる文学者が大半じゃないかと思うよ。

2016-07-21

文学ってのはもっと豊かで人を幸せにするもんだろ

それは問題を取り違えてるよ。

あのコピーから感じ取れる主張は、少なくとも俺にとっては「文学アニメより高尚です」という主張ではなくて「文学ファンは(ですらないと俺は思ってる。このサイト、要するに利権業者広告代理店発注したものだろ?)アニメファンより高尚です」というものだ。ようするに「文学が高尚であってくれないとそれをネタ商売ができねえ、都合が悪い」という意思だ。

この主張の差は、小さくはないよ。

そしてそれに対して、「いやいやそんなことはねーだろよ」と俺は思ったんだよ。

「そんなことはねーだろ。少なくとも、他ジャンル(今回はアニメ)を揶揄しないと自意識を保てないようなファン自尊心ってどんなもんよ?」と。

そもそもの話、多くの文学者アニメを下になってみてないわけよ。文学をそこまで高尚だと思ってすらいないわけ。高橋源一郎は「君が文学を苦手に思ったとしても文学面白はいつかきっと君に届く。安心しろ」と「文学がこんなにわかっていいかしら」の中で言った。書き手がそうであるのに、たかだか文学賞選考委員新聞などの、いわゆる外野が、書き手ファンの間に割り込んできて「ティチングしてやる」という、その態度が醜悪だと思ったわけよ。そこにあるのは権威化して利権を得ようとする私欲だけだ。

少なくとも俺は、文学ファンとして、このサイトは許容できないよ。俺の大好きな文学は、こんなふうに、他を引き合いに出さなきゃコピーひとつ作れないようなものじゃない。文字文章の力を信じて、独力で読者の心に豊かさを届けられるものだよ。そんな文学が、俺は大好きなんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160721015413

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160627075608

ラノベ文学か?」と問いを立てるときの「文学」とは「純文学」のことだから

そしてラノベ純文学じゃないから。

もちろん、「小説や詩などの総称」という広義の「文学」の中にはラノベも入るし、

文学者研究対象となりうるか?」という問いであれば既に研究対象になってるけど。

2016-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20160616171632

非婚主義者としては、自分関係いからどうでもいいんじゃなくて、積極的に何もしてほしくない。

子持ちに優しくして、金をジャブジャブかけて、丁寧に育てた挙句文学者崩れにしたって何になる?

それより雑に育てて、介護でもやるしかない状況になってもらった方がいい。

後のことを考えてないんじゃない。自分未来を考えて、合理的選択をしているんだよ。

2016-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20160527034902

家族人間関係に没入することで、自意識不安から目をそむけるのは「賢い」生き方だけど、それができない人間一定存在するんだよ。

自意識というか、誰もが幼児期に一度は「神話」の崩壊経験するそうだ。「人間はみんな死ぬ」とかに気づいてな。

ただ、一部の人間はそういう経験をずっと引きずって、死ぬまでそういう問いか目を背けられない。それが進化上何の意味があるのかは謎だけどな。

そういう連中は俗にいうメンヘラですらない。メンヘラと違って他人依存したりしないし、基本的迷惑をかけることもないしな。

ただ、他人距離をおいて生きるし、周囲からは(人畜無害な)変人と思われる。『ハイジ』のアルムおじさんみたいに。

古今東西哲学者文学者科学者宗教家芸術家なんかはそういう類の上澄み部分なんだろうな。

ま、今風にいえば「広汎性発達障害」の診断で一刀両断なんだが。

2015-12-01

物を書くのは自分への慰めのためである

みたいなことをある文学者が言っていたけど、小説のようなものを書いてみて、その通りだと分かった。

心が軽くなり、楽しい気持ち生まれる。

もっとも内容がエロから「カくのは自分への慰めのため」の方が近いけど。

2015-08-19

嫌独感情

日本で嫌独感情が強まっているそうな。中央日報はそう報じていたし、ドイツ関係記事はてなブックマークコメントを見ても厳しい意見が目立つようになっているのは確かだ。

中央日報はこれはメルケル日韓問題に介入したことから来る、右傾化の現れと言っていたがそう言う面がまったくないとは言えないとしても、それだけじゃないと思う。

それ以前から次第にドイツ人へのあたりは厳しくなっていっていたからだ。

これはインターネットを通して多くのドイツ人普通の日本人が接する機会が増えたからじゃないかと思う。ドイツ人の「嫌な奴」率の高さは異常だからだ。

殆ど日本人ドイツのこともドイツ人のことも良く知らない。

ドイツ人関係があったのは、

1.ドイツ文学者ドイツ語学者などのドイツプロパーの人たち。

2.仕事ドイツ人と関わりがある実業関係の人たち。

のおおむね二種類だったが、日本でのドイツイメージは主に第一クラスタから発信されていた。

こういうプロパーの人たちは、おおむねその国への関心が自分たちの飯のタネに直結するため、実像よりも美化して、好意的解釈してその国を捉えがちだ。明らかにマイナス要因になるようなこと、たとえばアメリカでの警察官による黒人殺害などでも、「理想へ向けて苦難の道を模索するアメリカ」みたいに、好意的解釈して描こうとする。

悪意だけで解釈するのが間違っているように、善意だけで解釈するのも実はその実像は歪められている。

こういうプロパーの人たちがいつもいつも対象好意的解釈しているわけではなくて、要は周囲の関心が高まるのが目的であるから実態以上に悪意をもって描かれる場合もある。ロシアなんかはその好例で、実際には何とかして没落せぬよう踏みとどまっている人口1億4000万程度の国に過ぎないのに、冷戦時代遺物ソ連研究クラスタたちの人たちの声が大きいせいでアメリカ外交政策を歪めている(代表例はブレジンスキー。あの男ほどアメリカにとって害悪を成した人はいない)。

とにかくプロパー研究者が描き出す姿には注意をしなければならないという話である

日本でのドイツイメージプロパーのせいで異常に美化されていたが、実際にドイツ人と関わる一般人、第2クラスタの間では以前からドイツ人の評判は最悪だった。

私の友人は海外視察をコーディネートする、逆に日本海外からの視察をコーディネートする仕事をしているが、ドイツ人問題を起こす比率の高さは図抜けているという。こういう話はごろごろあって、それぞれに癖はあっても、アメリカ人フランス人中国人ベトナム人などを友好的に受け入れている組織団体でも、ドイツ人だけは勘弁してという処が多い。

こういう場所でのドイツ人の評判が悪いのは、彼らの性格が単に悪いからだ。それも、そういう人もいる、レベルではなくてそういう人ばかりというレベルでだ。自己中心的なことで知られるフランス人でさえ、ここまで評判は悪くない。

フランス人自己中心性はあくま利益レベルでの話であり、そもそも視察に来ているのであれば何かを学ぶのが自分利益である

イギリス人皮肉屋ではあるが、こういうことでは我を張らないし、皮肉自分自身に向けても行われている。

アメリカ人は扱いやすい。

ドイツ人自己中心性は、現象を尽く悪意で解釈する、他人を貶めて自分を持ち上げようとする思考態度に由来している。解釈ネガティヴにもポジティヴにもできるのだが、事後の報告書などではほとんど捏造レベルのことも書かれていて、それを発見できた俺は偉い、ドイツ世界一、というような態度が顕著に見られる。

第2クラスタの人たちからすれば、今まで日本にあったドイツへの好感などは幻想のものだったのだが、ネットで次第次第にこういう実情が知られてきた結果の嫌独感情なのではないか。中央日報も、ドイツ韓国と言えばことごとく悪意を持って解釈されている事実を見れば、考えを改めるのではないだろうか。

2015-07-19

純文学」は死んでいい

純文学」の世界に、もはや「文学」のかけらなんて残っていないのだから

よく知られるように、日本もっと権威ある文学賞(と思われている)芥川賞は「純文学」の賞であるが、世界的な文学賞で「純文学に贈る賞」なんて無い。ただ日本だけで、「純文学」とそれ以外の間に垣根を作り100年近く特権化し保護してきた結果が、この体たらくだ。もういいだろう。もうやめよう。

幸いなことに、「純文学」の垣根に守られず、「読者」という名の狼たちと、荒野で100年戦いつづけたたくましい文学者たちが、日本にはたくさんいる。風俗小説家歴史小説家、ノンフィクションライターSF作家、伝記作家エログロ哲学者詩人歌人俳人ももちろん文学者なのだからコピーライターもまたしかり、だ。「文壇著名人から増田の名もない書き手」まで…彼らの豊富仕事に目を向け、再評価すべき時が来たということだろう。そして文学研究」もまた、野に放たれるべき時が近づいているのだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20150716232738

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