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はてなキーワード: 一神教とは

2021-05-19

anond:20210519091942

ほんとマジでいつから日本社会一神教みたいな価値観になったんだろう。全知全能みたいなものこの世にあるわけねーじゃんね。

2021-05-04

なべてこの世は他者危害

ネオナチにとってユダヤ人存在することで自分たち不安にさせるから他者危害だし、

ユダヤ人にとってネオナチ存在することで自分たち不安にさせるから他者危害だし、

同性愛者にとってアブラハム一神教徒は存在することで自分たち不安にさせるから他者危害だし、

黒人にとってKKK存在することで自分たち不安にさせるから他者危害だし、

フェミニストにとってポルノ存在することで自分たち不安にさせるから他者危害だし、

女性にとって弱者男性存在することで自分たち不安にさせるから他者危害

2021-04-16

anond:20210416232258

え?

俺を創った神は不細工だったってことか

こんなことで一神教が間違いだと証明されてしまった

2021-04-14

歯の矯正はしなくてもボディポジティブ

欧米先進国では歯の矯正をしていない大人に「ちゃんとしていない人」という烙印

押されるのだという。一神教の影響だろうか?歯並びの悪い人は欧米で生きづらさを

感じているのかな。

日本では八重歯かわいいと思われることもある。人権後進国と怒られる日本だって

悪いところばかりじゃないよね。それに最近はボディポジティブということで、ありのまま

自分の体を誇るのがブームになってきた。歯の矯正をしなくても、ありのままの歯並びを

愛せばいいんだよね。

2021-04-07

ギリシャ神話ローマ神話って現地ではどういう扱いなの?

あっちの人はほぼクリスチャン一神教)だと思うけど、神々がいっぱいいる古代神話はどういう位置づけになってるんだろう

大神ゼウスのことどう思ってるの…

anond:20210406154303

宗教とは?

神または何らかのすぐれて尊く神聖ものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い。


欧米一神教(含む仏教)とは違うから無宗教と呼んでるんであって、そもそも定義が違うんだよなぁ~

こんなに定義が難しいものもないなぁ~よく考えたらw

anond:20210406154303

無宗教」という言い方での「宗教」ってのは、神による救済を待っている宗教のことを指してるんだろう。

日本だと、神に求めるのはせいぜい「御利益」くらいで「救済」までいかない。

 

一神教世界観における「宗教」については日本無宗教レベル理解も関心もないのが平均じゃないかな。

汎神論的世界観の中では充分に信心深い(迷信深いといってもいいかも)と思う。

2021-04-06

anond:20210406154303

/*追記

朝起きたらブクマがいっぱい付いててびっくりした。これは、素人増田素人論考です。増田本人は無宗教消極的無神論で、円滑なコミュニケーションのために宗教行事に喜んで参加します。身近には浄土真宗浄土宗日本プロテスタント福音派ゆるふわユダヤ人などがいます

末尾に追記しました。

追記*/

無神論無宗教(≒特定宗教に強くコミットしていない)は違います

無神論は、神はいないという"積極的な"主張であり、ひねくれた言い方をすれば「無神論教」と言えます

ちなみに、「カトリック自由な感じではなく、プロテスタント自由な感じ」というのも偏見のように思います

(おそらく、自分自身カトリック教会に行ったことがなく、周囲のプロテスタントからそう聞かされているだけでは?)

仏教について

仏教は、立場にもよるが、本来的には神のような超越存在はいないと考えていると思います哲学に近い。

神道について

ご存じ八百万の神なので、多神教そもそも1人(1柱?)ではないし、「私"だけ"を信仰しない者、異教の神を信じる者は滅びる」という嫉妬深い神はいません(or少ない)。そもそも日本語の「カミ」というものは、本居宣長古事記伝第3巻によれば「すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさを)しきことなどの優れたるのみを云ふに非(あら)ず、悪しきもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神とは云ふなり」となっていて、今っぽく要約すると「SUGEE存在全般」という意味でしょうか。アブラハム系の神とは大きく違います

一神教多神教の違い

特定の一宗教コミットすることを求める一神教に対して、上記の通り仏教は厳密・本来的には教義無神論であり、神道八百万である点が大きく異なると思います神社に行って賽銭を投げても、仏教葬式に参列しても、そこにいる超越存在"のみ"にコミットすることにはならないのだと思います

プロテスタントとのことですが、どういった宗派ですかね。

いわゆるリベラルとされるグループでは都合良く「ゆるふわ」で通るかもしれませんが、福音派とかであればそうもいかなそう、と思うのは私の偏見、、でしょうか。

以下、追記

watchcat

無宗教特定宗教に強くコミットしていないは定義おかしい。神道仏教宗教なのだからコミットの強さは問われない。

まったくその通りですね。「強くコミット」っていうのが違うのかな。特定宗教信仰している意識があるかどうか?多神教&掛け持ちOK宗教だと話がややこしい。

cameraojisan

無宗教特定宗教に強くコミットしていない、って広く共有されてる感覚なの?元増田は「それゼロじゃないじゃん」という主張だと思ってた

ごめんなさい、適当レスポンスしただけです。こんなへぼテキストに反応が集まってしま申し訳ない。

ak248

多神教的考えや習慣を一神教の人は理解できないってことかな。あとカトリックの方がプロテスタントより厳しいルールが多く、信者以外は行事に参加できないと思ってたのですが違います?教えて詳しい人

カトリックの方が伝統や慣習を重視していると言う点で、厳しいルールが多く見えると言うことかも?プロテスタントにその種のルールはないが、ゴリゴリ福音派だと聖書に従って生きるという(別の種類の)厳しいルールがあると感じる。

anond:20210406154303

そもそも一神教多神教的な神のあり方を持つの宗教定義したら、世界三大宗教であるにも関わらず仏教宗教ではない(神が信仰対象ではない)んだけど、そのあたりどう思うのよ。

2021-03-16

anond:20210316002857

横だけど、日本ロボットアニメ流行った理由については既にまとまった議論があって、有力な説は、

日本一神教国家ではない先進国という特徴がある。一神教では、人を作ったのは神とされる。このため、人が、人の形をしたロボット等を創作することに抵抗感がある」だったはず。

2021-03-07

anond:20210306213555

おそらく

ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく

というのは、「正義を語ることはリベラル側の専売特許ではなく」という意味で、

さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく

というのは、「(民族ではなく)さまざまな階層属性バックグラウンドを持つ人がそれぞれの正義を語る多様性」という意味だと思う。

かつては「正義の反対はまた別の正義」という雰囲気もあったが、最近リベラルはそういう考えから離れていきどんどん排他的一神教的になっているように感じる。

一見強者に見える弱者愚者に見える弱者差別主義者に見える被差別者たちの声にも耳を傾けて彼らの正義尊重する、あるいはそこまでしなくとも距離をとってお互いに干渉しないように共存する、ということ。

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・哲学

日本文学編→anond:20210222080124

追補編→anond:20210218080224

プラトン饗宴

おっさん飲み会真実愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。

アリストテレス詩学

どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。

アウグスティヌス告白

読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌス若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。

マキァベッリ『君主論

塩野七海エッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしま自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨言葉があり、全くその通りだと思う。

モア『ユートピア

未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。

デカルト方法序説

自然科学的な考え方、ロジカルシンキングマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考そもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。

カント純粋理性批判

平凡社の上巻を読んで挫折純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルト時間とか空間とかの枠組み、基本的概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。

この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。

キルケゴール死に至る病

エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。

自分特定信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。

ニーチェ道徳の系譜

善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分カトリック中高一貫校出身であったせいかキリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめマッチョぶってるところはあるが。

フロイト快感原則彼岸

新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。

彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分フロイトアドラーよりもユング派だが。

ラカンについては新書を読んだがさすがについて行けなかった。

ブルトンシュルレアリスム宣言

ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素

ただ、言語限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。

ちなみにウィトゲンシュタインポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。

レヴィ=ストロース野生の思考

シン・ウルトラマン予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。

この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族身分入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものから

定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。

サイードオリエンタリズム

面白い。僕自身スタンスとしては、日本人海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分外国に対する偏見無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分イスラーム世界インドについて、どれほどわかっているのだろう?

上田秋成『胆大小心録』

雨月物語しか読んだことがない。「雨月物語はいいぞ。

九鬼周造『「いき」の構造

どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。

柳田國男『木綿以前の事』

遠野物語しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。

おまけ:いしいひさいち現代思想遭難者たち

自分現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいち本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。

おまけ2:ローラン・ビネ「言語の第七の機能

上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーサウナ美青年イチャイチャしたり、七十年代音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。


以上。

2021-02-05

anond:20210205040521

特に一神教日本でウケないのは日本人が基本的正義マンからと思うで。

キリスト教なんて生まれながらに原罪を負う人間の代わりにキリストが死んだことで原罪が許されたみたいな教えやから人間が自らの努力で善人として生きるべきだと信じている人たちにはまるで何のことかわからず刺さる要素がないんや。

多神教では神々というのは超自然的な力を持つもの絶対的な力ではなく神それぞれに役割があって優劣があり、性格もどこか人間的で欠点もある。

しか一神教の神は唯一にして絶対から、完全で善なる神と不完全で悪なる人間という対比になる。

自分は正しいと思いたい正義マンが反感を覚えるのは当然や。

日本人無宗教理由

日本人はよく無宗教と呼ばれるが、私はそれは当たり前だと思う。日本キリスト教のような確固たる宗教が生まれるほどの素地もないし、その資格もないからだ。

宗教が生まれる素地とは、その宗教が生まれ土地風土のことだ。風土とはその土地に住む人間気質文化形成に関わる地理的気候環境のことである

キリスト教のような一神教自然の恵みの薄い中東砂漠風土からまれた。そこでは神は人間の味方で、厳しい自然をも超越する。神の言葉である教典もその土地での生存戦略において合理的である。その信者生活のありとあらゆる場面で神を拠り所にする。

一方で日本伝統的にアニミズムという多神教宗教観に依拠している。それは四季の変化や災害の多さ、生物種の多様さに起因していると言われる。そこで(沢山いる)神とはその様な自然環境理由であり、アニミズムとはその中で人が生きる生存戦略である。故に日本において神とは必ずしも人間の味方ではなく、そこにあるだけの存在なのだ神社が行う祭祀も神のご機嫌をとり、神と人間共存共栄を図るための儀式である

このような日本中東風土の差から日本では信仰するに足る神様は生まれでてこないのだ。むしろそんな神が日本にいたらとんでもない憎き業を抱えた存在になるであろう(まあ、それを神と呼称することも無いであろうが)。日本には真の唯一絶対神存在しえないのだ。それは仏教キリスト教が伝来したときも変わらなかった。

無宗教というのは日本外来宗教が入ってきたときに、日本古来の習わしと共存共栄するための文化産物であると思う。したがって無宗教は反宗教ではなく、むしろ宗教を維持する工夫であったといえる。そうでなければ仏教キリスト教は今ごろ日本から排撃されていたかもしれない。

P.S.

誤解なく言うと、私は日本において一神教の神を信仰することを否定したりとか、あるいは神道アニミズム以外の信仰を認めなかったりするのではない。むしろ日本に住むどの人も何かしらの信仰を持つことを望んでいる。その時に同じ神を見ることは無いのだ。同じ所で安全平穏暮らしているその事実がより重要なのだからだ。

2021-01-24

anond:20210124175611

結局ほっといても増えるのって一神教系のガチ信者だけなんよな

2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

2021-01-21

anond:20210121142502

人口維持に一番向いてないよな、儒教文明

結局その辺は一神教の方が強い。

ワイらが死んだ後のことまで考えると最後覇権握るのはイスラム文明やと思うで。

2020-11-30

anond:20201130154942

便所神って何?歌のトイレの神様みたいなもの

たぶん、自分神聖性を求める神は、一神教における神のことで、八百万の神的なものあんまり考えてなかった。

貧乏神も考えたことなかったな…なんとなく、信仰的な神ではなくて「貧乏神」というただの単語、みたいな認識

2020-10-10

日本の街並みが汚いのは無宗教国家から

大手町八重洲ビル
ビルはどれもこれも直線と平面で構成された無機質なものばかり。コスト効率オフィス環境としての利便性機能はおそらく優れた建築物なんだろう。

だがそれらには建築美が存在しない。美が存在しない。
何故か。
日本人の大半が無宗教から、というのが自論。

欧米の美しい建築物には曲線が多い。天使悪魔彫刻もついていたり、様々なギミックが石造りの建物についていて、見ていて面白いし、その建物無人だったとしても、「何かがそこにいるような」雰囲気を感じる。
日本欧米建築美の差は何か考えると、それは宗教の規模であると思っている。はっきり説明できる根拠データは無いが、自分直感がそう言っている。

日本宗教というとクレイジーカルトとか、目に見えない何か霊的なものを崇め奉ってる狂った精神病患者がたくさんいるところだろ、と返事が返ってくることが多い。宗教信者精神簿弱、メンヘラだと言わんばかりに。
俺も昔はそう思っていたし、ファッション宗教やっている人も多いだろうとは思うが、それは宗教本質じゃないと思っている。

じゃあ宗教本質とは何か。

それは、美を追求する精神美学ではないかフランスカトリック教会の美しい建築を見ると、本当にそう思う。美しさとは何か、を考えに考え抜いた結果できあがった建築物教会であると思う。聖書経典なども美がその基礎にあると思う。現実は醜く、苦しく、辛いものだ。そんな辛く苦しい地獄のような現世に美を見出すこと、その行為自体宗教であり、最上美=神を信じるということでは無いだろうか。

この観点から言えば、一神教多神教の争いは宗教精神から大きく外れた本質でない争いだ。異教徒存在や、自分以外の人間自分と同じ宗教信仰しないなどといったことは宗教美学であるという観点からはどうでもいい話だ。
そう考えると、宗教の捉え方も人それぞれであって宗教美学だと思わない輩も大勢いるのだろうと思う。権力欲のために宗教を利用する輩も存在するだろう。大金で豪遊したり、少年少女性的虐待するようなクソ野郎いるかもしれない。
だが、それらは宗教本質とは無関係事象であると思う。

無宗教人間は死後の世界存在しないと思っているし、神も存在しないと思っている。自分が死んだら世界消滅しておしまい
かたや宗教、神を信じている信徒は死後も世界存在すると信じている。
死後に世界消滅すると信じているというのは、言い換えれば自分が死んだ後のことなどどうでも良いと考えているということではないか

そういう人たちが、後世に美しい建築物や街並みを残そうと思ったり、200年、300年の都市計画国家計画を推進できるだろうか。いやできない。
この国の街並みの汚さは、そういう死んだ後のことはどうでもいいと考える人達があまりに多かったからだと俺は思っている。

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